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雪さん
平均点: 6.25点 書評数: 536件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.536 5点 少女- 連城三紀彦 2021/06/21 09:45
 『宵待草夜情』に続く、第七番目の作品集。1982年初夏から1984年11月にかけて「小説宝石」誌に掲載された五編を収めている。出版の際には〈ポルノ小説と童話を同時に一回出してみたい〉という著者の意向があったらしく、直木賞受賞作『恋文』とほぼ同時期の刊行となっている。ただしこちらは雑誌の要請もあり官能描写重点。トリの「金色の髪」を筆頭として、全編明暗のコントラストを重視したイメージに彩られている。
 収録作を年代順に並べると 盗まれた情事/熱い闇/金色の髪/ひと夏の肌/少女 。ちょうど普通小説に移行する時期のためか、ミステリとしては『夜よ鼠たちのために』『宵待草夜情』収録各編と軌を一にする前半三作が優れている。ベスト3も概ねこれ。氏の小説には珍しく、中には幻想寄りの短編も含まれる。
 「盗まれた情事」と「金色の髪」はいずれもスワッピングを絡めた殺人事件を扱っているが、前者の方がストレートな後者よりも出来は上。雑誌の読者伝言板の求めに応じ、十万で〈私の代わりに妻を抱いてくれ〉という "仕事" を請け負った医師の矢沢亜木雄。二度三度と奇妙な逢瀬を重ねるが、やがて行為を監視する誰かの視線を感じ――
 異様な状況を利用したアリバイトリックが見事。味わいも出来も『夜よ~』収録作に近い。「金色の~」はパリのアパルトマンを舞台に、日仏カップルの夫婦交換をテーマにしたスケッチ風映画を撮影する日本人カメラマンの犯罪を描いたものだが、冒頭シーンの強烈な呪縛と真相との乖離が虚しさを唆る。著者の海外ものには他に「親愛なるエス君へ」があるが、本作ではそれを越え、滅びゆくパリの怠惰と退廃がトリックと一体化している。動機の崩壊と同時に否応なく犯行が暴かれ、最後には広がる金髪が読者の脳裏を埋め尽くす作品。
 『熱い闇』はある官能小説家の原稿が、担当編集者の現実の情事を不穏になぞるように進行していくストーリー。一応合理的な解釈は用意されているが、それだけで全ての説明はつかない。SFめいた「ひと夏の肌」と共に、どちらかと言えば語り重視の奇譚に属する。
 表題作はシンプルな反転ものだが、社会派的な要素を導入し差別化を図っている。トリックよりも事件の構図に秘められたドロドロ部分が見所か。アッサリ纏めているが扱いは思ったより難しく、中長編の部分ネタ向きにも思える。
 以上全五編。悪くはないがこの時期の連城作品として満足のいくものではなく、実質5.5点といったところ。

No.535 7点 飾り火- 連城三紀彦 2021/06/20 15:22
 奥底に赤い火を秘め隠した雪の舞う北陸本線車中で知り合った女は、夫に逃げられたまま新婚旅行中の花嫁だった・・・。
 二十三年間単調にくり返し続けてきた日々に疲れを覚えていた一流企業の営業部長・藤家芳行は、誘惑に負けてその女と一夜を伴にする。彼の妻・美冴は芳行の挙動に不審を抱くとともに、息子や娘の変貌にうろたえるが、運命の日から家庭の幸せは徐々に破壊されてゆくのだった。崩壊の原因を必死に探ろうとする美冴。だが見えざる敵の魔手は、やがて彼女の元にも及んできた!
 頼るべき者も持たぬままにたったひとり、知略を尽くした壮絶な戦い。女の意地が絡み合う、舞台・TVドラマともなった愛憎の巨編。
 「毎日新聞」夕刊紙上に1987年9月1日~1988年10月31日にかけ掲載。『青き犠牲』に続いて執筆された著者初の新聞連載で、著者の作品としては7番目の長編にあたり、短編では主に『夢ごころ』『一夜の櫛』『背中合わせ』収録の諸作と時期的に被ります。
 内容的には二部構成で、プロローグの古都金沢での邂逅を経てヒロイン・藤家美冴サイドに移り、芳行に続いて長男の雄介や娘の叶美が次々に家を離れていく過程が事細かに描写。それに美冴自身の家庭教師・村木征二との浮気が加わり、更に息子の自殺未遂によって彼女の妻としての絶望は頂点に。しかし些細な事から蠢き続ける黒い影の鋳型に気付いた美冴は、逆にここから真実に迫ってゆく事になります。
 読者だけが巧みに家族に擦り寄る女・佳沢妙子の正体を知る第一部は、展開の遅さもありややもどかしいのですが、〈体のなかに鉄でできた花を隠し持つ女〉・美冴の逆襲が始まる第二部からはジェットコースター一直線。ただし主導権を握った彼女の予想とストーリーの展開は微妙にズレていき、その過程で一種のドンデン返しと言うべきものも用意されています。
 冒頭金沢で打たれる二重三重の布石はコンゲーム短編としても良質ですが、一部と二部とで被害者⇔加害者の反転を狙ったと思われる構想にはかなりの無理があり、悪女・妙子の哀れさやその共犯者たちの心情に全面的に共感するとまではいきません。特に最初の自殺者・田口敏雄周りの行為を "愛" の一言で許すのは流石に無理。後に明らかとなる〈実子の選別〉も到底許容範囲とはならないでしょう。
 当初からのグランドデザインが鮮やかに成功したとは言い切れませんが、再び晩秋の金沢に立ち戻り、夫婦の再会と〈二十三年間の長い歳月の意味〉で〆るエピローグには独自の重みがあります。目立たぬながらかなりのミステリテクニックを叩き込んだ小説で、採点は『花堕ちる』を上回り7点に近い6.5点。7点でもOKです。

 追記:本書は『誘惑』のタイトルで1990年にTBS系全12回連続ドラマ化、篠ひろ子、紺野美沙子、林隆三、吉田栄作、宇都宮隆らが出演し好評を博しました。バブル期の名作ドラマとして知られ、本編では元名子役・西尾麻里のゲロ吐きシーンもあるそうです。うげげ。

No.534 6点 スパイ・ストーリー- レン・デイトン 2021/06/15 07:45
 何年か前に起こしたちょっとした事故のため英国首相直属の情報機関 WOOC(P)を離れ、平凡な軍事研究施設職員としての毎日を送っている "わたし" は、新たに恋人となった美人女医マージョリーと共にせっせと居心地のいい小さな世界をつくり上げ、平凡な日常を謳歌していた。
 僚友ファーディ・フォックスウェルと連れ立って原子力潜水艦に乗り組む北極海への長期出張や、コンピューターを使った大がかりなソビエト北氷洋潜水艦作戦部隊相手の図上演習も、日常的な任務の一環にすぎない。だが一度スパイとしての生活を送った人間にとって、平凡な日常を送ることが可能であろうか? 果たして、わたしの身辺には次つぎと奇怪な事件が起こり始める・・・・・・
 『優雅な死に場所』以来5年の歳月を経て、再びスパイ小説の世界に立ち戻った巨匠が書き上げたエスピオナージ・ノヴェルの力作!
 『爆撃機』(1970)で歴史小説への志向を見せたデイトンが、"Close-up"(1972,未訳)を挟んで1974年、ひさびさに発表した〈無名の英国人エージェント〉シリーズ第6作(たぶん)。『ベルリンの葬送』既読の方は、この主人公 "わたし" がとんでもないクソ野郎なのはご存じかと思いますが、今回元上司ドーリッシュとイヤイヤ旧交を温めた彼は、不本意にも暖かな楽園を追われ終始ボロクソな目に遭います。〈冷血野郎の元上役はやっぱりそいつを超越するド外道でした〉みたいな、まあそういうお話です。
 作中で語られる経過を見ると、こいつはどうも体良くトンズラこいた気配が濃厚なんですが、そこは流石に根性の曲がりくねった英国人。特にカムイ外伝的な抜け忍狩りなどせず、「じゃあちょっと泳がせとくかあ」という感じでとりあえずリリースしつつ、後からガッチリ借し分を取り立てます。冷血漢の主人公が恋人に精一杯の愛情を注ぐのと、柄にもなく命懸けで親友を救おうとするのがいと哀れ。せっかく人間らしくなれたんだもの、そりゃ執着するよね。
 とはいえ叩き込まれた鬼畜テイストには抗う術も無く、怪事件が重なる中猜疑に駆られ、現場で恋人マージョリーをイビった挙げ句に三行半を突きつけられる有り様。でも普通ならその前、自室の金庫をプラスチック爆弾で鉄クズにされた時点で追い出すよね。よっぽどこいつが好きだったんだなあ、可哀想に(人妻だけど)。
 修飾過多な文章も大戦実録モドキを経て黒光りというか、より実用的な美を思わせるものに。『ベルリン~』同様各章冒頭に意味ありげなパラグラフを掲げ、作品全体を図上作戦演習に見立てたストーリーが進行していきます。その裏で二重三重の企みが蠢くのもこれまで通り。ただ本書の場合隠された狙いは、ワタクシ絡みのアッチより普通のスパイ物に近い。筋立ては旧シリーズよりやや下ですが、それよりも真っ当さに縋り付こうとする抜け忍哀歌の方がツボに嵌る小説です。

No.533 7点 七歳の告白- 土屋隆夫 2021/06/11 10:38
 『泥の文学碑』に続く角川文庫版十一冊目の作品集。1951(昭和26)年から1958(昭和33)年まで「探偵実話」ほか各誌に掲載された短篇を収めたもので、収録作全十本を年代順に並べると 奇妙な招待状/いじめられた女/マリアの丘/狂った季節/小さな鬼たち/夢の足跡/二枚の百円札/七歳の告白/暗い部屋/白樺タクシーの男 となる。『危険な童話』張りの幼年犯罪を描いた表題作を筆頭に、「いじめられた女」「マリアの丘」「小さな鬼たち」など皮肉極まるオチで纏めたタイプが多いものの、他方では軽妙な短篇を挟んだり目先を変えたりしてバランスも取った、土屋隆夫初体験には格好の良篇集である。
 ベスト3はアリバイトリックに加え、ダイイングメッセージの謎に男女の絆を盛り込んだ「奇妙な招待状」。次いで惨くも念入りに構築されたある女性の悲劇「いじめられた女」。最後は読みながら首筋にザワザワした気配が迫ってくる妄執サスペンス「暗い部屋」。横溝正史の「鬼火」といい多岐川恭の「指先の女」といい、良く出来た準盲人or盲人の報復ネタはそれだけで鉄板の良作になる。次点は表題作か、これも皮肉な巡り合わせの奇譚「二枚の百円札」のいずれかか。
 無意識下の犯罪を扱った「夢の足跡」は成り行きが読めるのでちょっと首を捻るが、最後はこの作者らしい方法で上手く救っている。飛び抜けた傑作は無いが佳作未満の手堅い小説で固めた、安心して読める作品集であると言える。

No.532 6点 殺人交響曲- 蒼社廉三 2021/06/09 08:21
 風が滅法強い夜だった。夜目にもはっきりと判るほどの埃をたてて関東地方に吹きまくった生暖い強風は、はね飛ばされた第二バイオリン奏者の右手から離れた楽譜をあおって舞い上げ、別々に違う方角へと飛び散らす。彼の軀をワラ人形のようにはね上げた乗用車は一瞬スピードを落として停車しかけたが、すぐにまたスピードを加えて大井町方面に逃げ去った・・・
 ある交響楽団員が抱えていた、三枚の暗号楽譜を巡って続発する殺人事件。楽団長・伊藤紫郎が野心に燃えて世に問うた題名のない新作曲は、事件を受けた新聞により "殺人交響曲" と名づけられた。その名に相応わしい旋律が演奏会場を荒れ狂う時、果たして何が起きるのか? 複雑にからんだ人間関係がサスペンスを生み出す、蒼社廉三の第二長篇。
 珍本全集で読了。収録作は先の『紅の殺意』を除いて年代順に 地球が冷える/大氷河時代/地球よ停まれ/殺人交響曲/戦艦金剛(中篇版)/宇宙人の失敗 となる。いずれも1961(昭和36)年6月から1964(昭和39)年7月にかけ各誌に掲載されたものだが、「地球が冷える」以下の四短篇はすべてSF作品。内容的には未来小説に留まるものの、その発表が宝石賞受賞の「屍衛兵」と、同時期あるいは先行しているのを見ると興味深い。1958(昭和33)年の小説家デビュー後、およそ興味の及ぶ限りのジャンルに貪欲に食い付いた作家と言える。
 表題作は音楽業界での成り上がりを狙う楽団長に加え、掴んだ楽譜を機に地位を得ようとする業界ゴロ等や、劇団を潰してダンシング・チームの結成を計り己が儲けに繋げようとする後援者らが入り乱れ、他の登場人物たちも色と欲とで彼らに繋がりまくる展開(若干の例外はあるけれど)。進行は割と遅いが、第三楽章からは殺しても死にそうにない精力家の大食漢等、意外なキャラがガンガン消されていくのでリーダビリティーはかなり高い。
 その反面楽譜の必然性などを含め満足のいく解決ではなく、意外性を狙った犯人もある程度見当が付く。小説テクニック自体は向上しているが、全三長篇の中では一番落ちるだろう。
 「戦艦金剛」原型版は第二次世界大戦末期、台湾の基隆北方で沈没した帝国海軍の高速戦艦・金剛の砲塔内で起きた "鋼鉄の密室" 殺人事件の真相を、ヘンダーソン基地艦砲射撃~レイテ沖海戦までの経過と並行して暴く戦記ミステリ。戦闘中に嫌われ者の砲術兵曹長を殺したのは果たして誰か? という謎が、共産党員の犯行と私怨との二つの線で揺れ動く。と同時に、部隊内に蠢く〈反戦細胞のキャップ(ボス)〉の正体を突き止めるエスピオナージュでもある。鉄扉に閉ざされた現場に拳銃弾を送り込む為の、ある盲点の存在は見事と言える。
 『殺人交響曲』5点に『戦艦金剛』7点。SFは年代的に参考程度に見て、総合点は6点。全般になかなか器用だが、戦記もの以外でこの人独自の味わいとなるとかなり厳しく、大河内常平あたりと比べると作家としてはやや下か。

No.531 5点 くノ一忍法勝負- 山田風太郎 2021/06/07 21:03
 昭和42(1967)年11月から昭和43(1968)年7月まで、雑誌「オール読物」ほか各誌に掲載された短篇を収めた、忍法帖後期の作品集。年代順に並べると 倒の忍法帖(忍法倒蓮華)/妻の忍法帖(奥様は忍者)/叛の忍法帖(忍びの死環)/呂の忍法帖/淫の忍法帖/蟲の忍法帖(忍法虫) となり、長篇では『笑い陰陽師』の終盤や、『銀河忍法帖』『秘戯書争奪』などと被る。翌昭和44(1969)年には最後の忍法長篇となる『忍法創世記』が刊行されている事から、そろそろアイデアを捻り出すのも苦しくなってきた頃の作品と思われる。それ故か全般に切れ味はやや鈍いが、反面苦し紛れの発想から出た山風短篇中一、二を争う怪作「呂の忍法帖」も含まれている。
 忍法短篇はこれ以降も書き継がれるがそれも約四年後の昭和47(1972)年11月まで。「オール読物」掲載の「伊賀の聴恋器」を最後に打ち止めとなり、著者五十歳を機に幕末ものや明治ものにシフトしていく。
 お家断絶の習いを避ける為、江戸家老に御世子作りのたねつけ代行を命ぜられた五人の若侍。お役目以後十ヵ月の禁欲の誓いを守らせる代償として、かれらに許嫁のお志摩を輪姦させる羽目に陥った忍者・からすき直八。彼の壮絶な復讐とその皮肉な成り行きを描く「淫の~」はまあマトモだが、歴史物でも捨て童子・松平忠輝を題材にした「倒の~」になるともうよく分からない。殺生関白・秀次の忍法に賭ける淀君への飽くなき執念「蟲の~」も似たようなモノ。発表順だと逆になるがこの甲賀相伝「虫壺の術」によるループの概念は、「叛の~」における羽柴・徳川・明智・毛利の怪奇な四忍者輪舞を経て、一気に問題作「呂の忍法帖」へとなだれ込む。
 これが実に悪ふざけとも何とも言いようのない怪篇で(オチは確実にそう)、怪僧・赤法華輪天の唱える「輪の哲学」なるものに従い、七人の愛妾と六人の小姓たち、それに痴呆の兄君・大膳どのを用いた藩主・波切志摩守改造のための肉輪構造式に、波切藩忍び組のカップルが巻き込まれる話。いちいち図面が入るのが凄い。2010年公開のホラームービー『ムカデ人間』と言えば分かるだろうか。映画の方はまさか風太郎オマージュでもなかろうが、まあとんでもない小説である。
 これもよく分からないながらに怖い「妻の~」を入れて全六本。統一タイトルなのに角川文庫版では『くノ一紅騎兵』『忍法女郎屋戦争』『忍法流水抄』『伊賀の聴恋器』『忍法陽炎抄』『忍法行雲抄』と、態々全篇バラしてある所にそのヤバ加減が窺える。あまりお薦め出来る短篇集ではないが、ゲテモノ好きの方はどうぞ。

No.530 6点 紅の殺意- 蒼社廉三 2021/06/06 06:24
 昭和三十五年十月十一日の夜八時過ぎ、埼玉県川口警察署の野添潤三刑事は上司の末娘の結婚披露宴に向かう途中、黒塗りのトヨペットから降りた和服の女が中型トラックにはね飛ばされるのを目撃した。被害者の松下依子は近くの産婦人科医院に運ばれたが、まもなく息をひきとる。野添は彼女を送ってきた内縁の夫・富沢初雄と、トラックを運転していた宮部鋳造株式会社社員・篠崎啓助を掴まえとりあえずの事後処置をするが、事故を誘発するような富沢の行為と、アパートの自室を赤一色に染める彼の異常性が少々気になった。
 専務から提示された三十万の慰謝料に富沢は不服を見せるが、社長である宮部真岐子の真赤な口紅を見ると一も二もなく承知する。ただしそれを十万ずつ三回にし、会社ではなく自宅で直接社長の手から渡すというのが彼のつけた条件だった。
 それから約三ヵ月後の昭和三十六年二月十一日、支払場所に指定された社長宅の応接室で真岐子の絞殺死体が発見される。対手の客が茶を飲んでいないことから、接待中の犯行なのはほぼ確実。そして残された卓上暦には、来宅予定者として富沢と、解雇された運転手・篠崎の名があった。だが急須の底に塗りつけられた多量の青酸カリを鑑識が検出した事から、事態は紛糾し始める・・・
 「屍衛兵」ほか戦記ミステリで知られる雑誌「宝石」出身作家、蒼社廉三の書下し処女長篇。第二長篇『殺人交響曲』ほど縦横無尽な登場人物の出し入れは無いが、来客たちの行動を軸にミスディレクションや意外な犯人なども用意されており、人間関係の縺れで読ませる後者よりもミステリ界隈のウケは良いだろう。噎せるようなコークスと鋳物臭漂う川口の町や、犯罪者の流れ込む福岡炭礦地帯のボタ山やうらぶれた坑夫長屋の情景、さらには海のジプシーたる尾道の家船漁師の姿など、当時の世相風俗を背景に刑事たちの地道な捜査過程を綴った作品である。
 読者の興味を繋ぐストーリーテリングの萌芽は本書にも見られるが、奇を衒うあまり魅力的な発端部分が最終的に浮いてしまうのは困りもの。とは言え筆致は土臭くも堅実で、その後も多方面に渡って活躍した氏の器用さを窺わせる。珍本全集を読む限り『戦艦金剛』などの戦記ものがベストだとは思うが、力のある作家だったのは間違いない。

No.529 4点 夢遊病者と消えた霊能者の奇妙な事件- リサ・タトル 2021/06/03 12:43
 一八九三年六月の終わり、英国心霊現象研究協会(SPR)の雇われ助手アフロディーテ(ダイ)・レーンは、調査員を務める友人ガブリエル・フォックスの不正を機に職を捨て、着の身着のまま故郷ロンドンへと逃亡する。疲労困憊した彼女の目に止まったのは「求む、探偵諮問の助手」の貼り紙。それに惹かれ訪れた先で迎えたのは、少年のような風貌だが博識のジャスパー・ジェスパーソンと、家政に長けた上品な母親のイーディスだった。ミス・レーンはガウアー街の三食賄い付き住み込み助手として、ジャスパーに助力することとなる。
 二人は共同経営者としていくつかの不可解な事件を解決するが、報酬には繋がらない。そのうち、とうとう生活費が底を尽き始めた。手段に窮したジャスパーは機智を発揮し、家主のヘンリー・シムズから妹夫婦の問題ごと解決を請け負う事に成功する。引っ越し会社の経営者である彼の義弟アーサー・クリーヴィーには生活上の心配は無かったが、ある日突然起こった原因不明の夢遊病に悩まされていたのだ。
 一旦軌道に乗れば仕事はひっきりなしに訪れる。今度はミス・レーンの働きかけを聞きつけたガブリエルが、一ヵ月のうちに四人もの霊能者が失踪した怪事件をガウアー街に持ち込んできた。着々と調査を進展させるうち、やがて二つの事件に奇妙な関連を見出すジャスパーだったが・・・
 2016年発表。リサ・タトルと言えば、ヘンな小説が昔のSFマガジンにポツポツ載っていた記憶がある。1960年代後半から1970年代にかけてアメリカSF界に現れたフェミニズム作家の一人だが、評者の脳内では「お待ち」(中村融編の創元推理文庫アンソロジー『夜の夢見の川』ほかに収録のベスト級〈奇妙な味〉短編)のキット・リード、1991年度世界幻想文学大賞『すべての終わりの始まり』のキャロル・エムシュウィラーらと共に、SFギリギリの境界線ばかりを書く三人娘に括られている。この人がネビュラ賞受賞を蹴った作品 "The Bone Flute"(「骨のフルート」) は、いつか翻訳して貰いたい。クリストファー・プリーストの元嫁さんで、今では米SF界隈の重鎮らしい。
 そんな訳で結構期待して読んだのだが、内容的には思ったのと違い、生き生きしたキャラクターで読ませるシャーロック・ホームズ風ライトノベル。フェミニストらしく男女のイーブンな関係に気を使った、心霊主義バックのスーパーナチュラルものであった。文章もキャラクターも軽快で好感は持てるが、軽めのシリーズ作品として読んだ方がいい。作者もそのつもりらしく、ラストでは次作 "The Curious Affair of the Witch at Wayside Cross"(『十字路の魔女』)の発端部分に繋げている。

No.528 6点 私が殺した少女- 原尞 2021/06/02 22:01
 まるで拾った宝くじが当たったように不運な一日は、一本の電話で始まった。事務所に電話をしてきた依頼人は、面会場所に目白の高級住宅地を指定していた。ブルーバードを走らせ、作家・真壁脩邸へ向かう私立探偵・沢崎。だがそこで彼は自分がまんまと嵌められ、天才少女ヴァイオリニスト誘拐事件の身代金運搬役に指定された事を知る・・・
 緻密なストーリー展開と徹底したスタイルで独自のハードボイルド世界を確立し、読書界を瞠目させた直木賞・ファルコン賞ダブル受賞作。
 処女作『そして夜は甦る』より、約一年半の歳月を経て上梓された第二長篇。脩の娘・清香の安全の為、六千万円の引き渡し役を受ける沢崎だが、深夜のファミレスを散々引き回された末予期せぬアクシデントで気絶。そのまま誘拐犯からの電話は途絶えるわ警察からは睨まれるわと散々な目に遭う。
 だがその後「もしや姪の才能に嫉妬する自分の子供たちの仕業では?」との疑惑に苛まれる義兄の音大教授・甲斐正慶に依頼され、彼の四人の息女が事件に無関係かどうかを調べることに。周辺調査を進めるなか、再び犯人からの電話を受けた沢崎は、焼け落ちた老人ホーム跡の排水溝で清香の惨死体を発見し――
 相変わらず緊密な文体だが、前作に比べると全体に浮ついた感じ。その分〈清和会〉の橋爪や相良など、準レギュラーの魅力は増しているのだが。急転直下の解決も沢崎の実地検証が結末間際なので、予定調和めいてあまり感心出来ない。難しいかもしれないが付き纏う慶彦少年を理由に、事前にサシで一、二度会わせた方が良かったような。世評は高いが最初の三作では一番落ちる気がする。
 厳しいようだが点数はギリ6点。悪いとは言わないが、積み重ねのない状況でのあの真相はやはり唐突過ぎる。

No.527 7点 天国は遠すぎる- 土屋隆夫 2021/05/31 09:12
 非番で今日は姪の結婚式という日曜日の朝、ギロ長こと佐田部長刑事に駆り出された県警の刑事・久野大作。砂上彩子という十八歳の娘が遺書を残して死んだのだが、その宛名に "久野様" としたためてあるという。
 彼女は青酸カリを服毒しており、妊娠三ヵ月。遺書には死を誘う歌としてジャーナリズムを賑わせている "天国は遠すぎる" の歌詞が記されていた。久野は彩子のハンドバッグの中にあったボタンと、料亭富久野屋のマッチが気になった。
 その翌日、土木疑獄の中心人物としてマークされていた県の深見浩一課長が失踪し、絞殺体で発見される。久野は深見の所持品から二つの事件が関連していると睨み、富久野屋の実際の経営者でアルプス建設工業の社長・尾台久四郎の名を炙り出すが、彼はどちらの事件にも完璧なアリバイを用意していた・・・。果たして彩子、深見、尾台の三人を結びつける線はあるのか?
 仏都と呼ばれる地方都市・長野を舞台にした本格物の傑作!
 昭和34(1959)年発表。居住地・長野題材の作品で、長篇としては『天狗の面』に続く二作目にあたるが、この年は実質これ一本(加えて書下ろし短篇「肌の告白」+エッセイ一篇)。昭和48(1973)年以前ではオール讀物「黒い虹」のみの昭和44(1969)年、第六長篇『針の誘い』+小説現代「淫らな証人」の昭和45(1970)年に匹敵する少なさで、加えて地元舞台という事もあり内容的には非常に充実している。
 「最も影響を受けたのはジョルジュ・シムノン」との弁が如実に出た作品で、厚さは薄めながら細君含めた主人公刑事の人物・生活描写は非常に味がある。トリックも的確かつ簡潔に運用されており、改めから推論に次ぐ推論、証拠固めによる犯行の蹉跌、露呈される犯人像さらには急転直下の結末まで、地味ながら申し分無い。
 ただし流行歌による導入部が魅力的過ぎた分、後半それが浮くのはお説の通り。それでもトータルでは7~7.5点を付けたい。だって好きなんだもん。改めて読み返したけど、土屋さんのでは一番好きかもしれない。短めでも頭から尾っぽまでギュッと餡子の詰まった、名店の鯛焼きのような小説である。

No.526 4点 フォックス・ウーマン- 半村良 2021/05/31 06:43
 世界恐慌の迫る西暦1928年、アメリカ大富豪の弟チャールズ・メレディスは、中国・雲南へ向かう旅の途中兄マーチン夫妻を殺害し、莫大な資産を我が物にしようとする。だが夫と秘書の必死の活躍に守られた妻は、秘められた最古の神を奉ずる老道士・悠謙(ユーチェン)に庇護された聖狐院に逃がれ、白金色の巻毛を持つ優美な女と結合したのち一人の女児を生んで息絶える。そして一家虐殺で唯一生き残った幼女・聖狐の胸には、復讐を意味する炎の形の痣があった。
 一方殺戮に加担した暗黒街の帝王・呂剛(リュコン)は、隠然とした力を持つ崔一族の支援のもと強力な軍閥を創設し、中国北東部・満州の支配にのり出すが、なぜか怪しい狐の存在につきまとわれる――。絢爛妖異の大冒険伝奇ロマンの傑作!
 雑誌「小説現代」一九七八年九月号~翌一九七九年八月号まで、一年間に渡って掲載された伝奇小説。畢生の大作『妖星伝』五・六巻連載分とも時期が被ります。この作者は油断も隙もならないので一応確認したのですが、『イシュタルの船』(1924)や『金属モンスター』(1946)などを著したアメリカ作家A・メリットの未完作品 、"The Fox Women" を独自に書き継いだものなのはほぼ間違いありません。原著はメリット没後の1949年、ニューヨークのAvon社から "The Fox Women & Other Stories" として刊行され、イラストレーター兼ファンタジー作家のハネス・ボクがこれも続編の "The Blue Pagoda" を物しています。
 オリジナルの後に半村作を置いた二部構成ですがメリット版の密度は高く、これだけでも読む価値アリ。この第一部を翻訳者の野村芳夫と半村が共訳して全体のムードを統一し、国際陰謀・冒険系の第二部に繋げる段取り。ここでは道士・悠謙や真の主人公となる聖狐は脇へ退き、復讐対象である悪人たちを中心にして各員が配置されます。
 主として日中戦争から第二次世界大戦を背景に、中国・日本・アメリカの三国にわたる復讐の連鎖が書かれる予定だったようで、中国には呂秋原軍閥の将軍となった呂剛にその愛妻・梨麗、チャールズと共に聖狐院から追い払われた軍事顧問のラセルとブレナー、馬賊・伊達順之助モデルの伯爵家の快男児・朱藤健介、執事の村岡、白系ロシア人アンナ、自在流の門弟・島田五郎、さらに霊力を持つ道士・夢海が。
 日本には青竜社を率いる右翼の大物・武藤進吉に霊能者・岡田慧心、ひょっとこのヨネこと米田東次に自在流を創始した村岡の叔父・巌夢、虹屋のお新にボロ船船長の徳さん、その二人に助けられた狐を奉ずる中国人・鮑、そして彼らを告発し出世の緒を掴もうとするもぐりの竹田医師と皆川刑事。
 アメリカにはチャールズ及びその妻メイと、悪人夫婦を食い物にして利益を得ようと目論むギャングの大立物ザ・フォックスことジョニー・トリオ、そしてその部下ロバート・ウッド。崔大人の美術品を盗むついでに目撃者の鮑を刺し殺そうとした、お新の実兄・坂本二郎。出来の良い一部には見劣りするもののこれらの登場人物達が絡み合い、物語を進める予定でした。
 米犯罪シンジケートの創設者ラッキー・ルチアーノや西安事件などを関連させて約50年、1980年代までに至る壮大な構想。マンハッタンの自宅で2003年、105歳で大往生した蒋介石夫人・宋美齢が一役買う可能性もあるものの、伏線のみで力尽き惜しくも完結せず。そこそこ面白く読めますが、結局未完という事で点数はキツめです。

No.525 7点 人喰い- 笹沢左保 2021/05/27 09:13
 三つ巴の組合闘争にゆれる優良企業・本多銃砲火薬店。その浦賀工場に勤める花城由記子が、遺書を残して失踪した。度を越したワンマン社長の一人息子・本多昭一と心中するというのだ。しかし山梨県の昇仙峡で昭一の遺体が発見されてからも、かの女の行方は杳として知れなかった――。その後も会社に続発する倉庫爆破や社長刺殺事件の果て、遂に殺人犯人として全国指名手配を受ける由記子。姿を消した姉を追い、妹・佐紀子は必死の捜索を続けるが・・・・・・。
 本格、社会派・サスペンスの見事な融合! ロマンにあふれた作風で笹沢ミステリの原点をなし、第14回日本推理作家協会賞を受けた傑作長編!
 自身「惜しげもなく多くのトリックを投入した」と語る、最初期書下ろし四長編の最終作。昭和三十五(1960)年の刊行で翌三十六(1961)年、水上勉「海の牙」と共に推理作家協会賞を受賞した著者の出世作でもある。『霧に溶ける』で見られたギスギスした描写もこの頃にはかなりこなれてきており、ドライなトーンと叙情性とを突き混ぜた独特なムードは加点対象。現実的でありながら一途な恋に憧れる若い女性の、運命の変転から生じるドラマを、巧みにプロットに組み込んで盛り上げている。幾重にも迷彩が施してあるとはいえ、爆破事件絡みの人間トリックはバレた場合のリスクも大きく少々戴けないが、ライターのイニシャル判明からの突き崩しと続く新聞の特別手記とで、ラスト直前に大きく持ち直す作品。社長殺しのトリックは必然性も薄く多少捻ってある程度だが、ここで1点加点してギリ7点となる。
 ただしこの犯人の行為は必要以上に嗜虐的なため最後の手記もその異常性のみが際立ち、タイトルの暗示する普遍的な警鐘には繋がっていない。時事問題を扱ってはいるが社会性は薄く、本質的にはパズラー寄りの小説である。

No.524 6点 どこまでも殺されて- 連城三紀彦 2021/05/24 20:28
 冒頭に掲げられた謎の手記。「どこまでも殺されていく僕がいる。いつまでも殺されていく僕がいる」―― 僕はこれまでに七度も殺され、今まさに八度目の死を迎えようとしている・・・。彼の叫びをなぞるかのように高校教師・横田勝彦の元に「ぼくは殺されようとしています。助けて下さい」という匿名のメッセージが送られ続ける。生徒たちの協力を得て、殺人の阻止と謎の解明に挑む横田だったが。周致な伏線と驚愕の展開に彩られた本格推理長編。
 『褐色の祭り』に続く著者十一番目の長編で、雑誌「小説推理」1990年2・3月号に分載。ただし連載期日の関係で、刊行はこちらの方が半年ほど早い。90年代に刊行されたものでは唯一恋愛要素のない純ミステリで、それもあってか「このミステリーがすごい!」など各種年間ベストに複数ランクインし好評を博した。しょっぱなから第三長編『私という名の変奏曲』を思わせる謎で読者を惹き付けるが、あれに比べると内容は一発芸に近く、解答もやや納得し辛い面もある。
 更に謎解きを行うのは三年B組担任の横田ではなく、きびきびした物言いの人気女子・苗場直美。想像力に優れた実務家肌で機転も利く彼女が頭脳となって同級生たちや担任を使い、徐々に「ぼく」を包むベールが剥がされていくという、準ジュヴナイルめいた味わいもある。ただし扱われる事件はヘビーで、頭脳明晰とは言え高校生にはやや荷が重く、そのせいか作品のキモとなる手記部分の手掛かりについては精緻さに欠ける。探偵役の年齢を上げ、この点をクリアすれば佳作以上も狙えたろう。
 掴みは非常に魅力的だが、そういう訳で点数は6.5点止まり。ただしやや埋没気味のこの時期のものとしては、十分及第点に値する出来である。

No.523 6点 - 笠井潔 2021/05/22 08:32
 男はなぜ死んだのか? 四億七千万円とともに消えた女は何者だったのか? 誰が殺し誰が殺されたのか――
 一人称のない私立探偵が探る現代日本社会の病理。本格ミステリ連作短篇集。
 平成八(1996)年刊。「小説すばる」誌に平成五(1993)年五月号~平成八(1996)年二月増刊号にかけてほぼ年一作ペースで掲載された、短篇とも中篇ともつかない長さの小説を収めている。収録は 硝子の指輪/晩年/銀の海馬/道 <ジェルソミーナ> の全四本。
 シリーズとしては『三匹の猿』に続く二作目ということになるが、巻頭の「硝子の指輪」だけはこれに先行するらしい。そのせいか高校卒業時に渡米し、二十年以上の歳月をロサンジェルスで探偵技術を叩きこまれて過ごした事、現地で娶った妻ジュリアをHIVウイルス感染(エイズ)で喪った事、飲んだくれ状態から更生するためロスの自宅を処分し、当時のボスの紹介で、国際事件に対応できる後継者を探していた四谷の巽探偵事務所に転がり込んだ事など、飛鳥井自身のプロフィールが簡潔に記載されている。
 そのエイズキャリアを題材に採った主人公再生篇「硝子の指輪」は一作目ゆえそこまでではないが、脳溢血の老女のメッセージと操りテーマを扱う「晩年」からは尻上がりに良くなってくる。閑職に追いやられDVの果てに家出しホームレスに転落した男の、凍死事件に秘められた作為を暴く「銀の海馬」も凝っていて、一応手掛かりはあるものの「飛鳥井頭いいな!」となる。四篇いずれも悪意が噴き出すような話なので後味は良くないが、後半二本は近年の矢吹駆シリーズよりよほど面白い。
 ピカイチはトリの表題作。冒頭で言及される『三銃士』〈王妃の房飾り〉のエピソードが、連城三紀彦や泡坂妻夫を髣髴させる鮮やかな詐欺トリックに結びついていく。ただしこれも読後感は最悪。一作くらい軽妙に纏めてもいいように思うのだが、この人が書くと過剰な批評性もあって決してそうはならない。作品集でもいつもの重苦しいタッチで、採点はその辺の不器用さをさっぴいて6.5点。

No.522 5点 悪意の夜- ヘレン・マクロイ 2021/05/20 05:37
 長年連れ添った夫ジョンを崖からの転落事故で喪ったばかりの未亡人、アリス・ハザードは、遺品整理中に鍵の掛かった小抽斗から、〈ミス・ラッシュ関連文書〉と書かれた外国製の気味悪い封筒を見つける。外側を薄汚れた赤い紐でくくられた、くすんだ緑の中身は空っぽだった。夫はわたしに隠しごとをしていたのだろうか?
 そこへ帰宅した息子のマルコムは、アリスにエキゾチックな美女を紹介する。彼女の名はクリスティーナ・ラッシュ・・・そして女性が去ったのち、緑色の封筒は忽然と消えていた。ミス・ラッシュとはいったい何者なのか? じわじわと緊張の高まる中、遂に起こる殺人。ウィリング博士もの最後の未訳長編。
 1955年 "Unfinished Crime"(未訳)に続いて発表された、ウィリングシリーズ十作目。同じく戦時中設定の『逃げる幻』(1945)辺りから、代表作『暗い鏡の中に』(1950)を経て目立ってきた〈分身テーマ〉が影を落とす作品で、ここで取り上げられるヒンズー教の神秘思想概念 "長い身体(ロング・ボディ)"もその一環。作中では「過去へと時間を遡行する、もっと暗くてよこしまな道」と形容されている。自動車事故で負傷したアリスが見知らぬ自分に直面する、第一部後半から第二部にかけてのサスペンス描写は読み応えがあり、本書のメインになっている。
 反面効果を優先した封筒の中身の記述からの結末は肩透かし気味で、悲劇として完結してはいるがやや物足りない。捻ってはいてもストーリーの根幹がシンプルなので仕方無いのだが。
 安定した人格の夫に支えられ、幸福な生活を送ってきたヒロインが夢中歩行を再発するのも、有効に機能していないのと相俟って何かそぐわない。もう少し熟成させれば佳作も狙えたであろう、色々と惜しい作品。国内枠の山田風太郎や連城三紀彦などと同じく、良作揃いな作家だけに損をしている面もある。

No.521 5点 屍の記録- 鷲尾三郎 2021/05/17 15:56
 京都伏見の老舗醸造元・本間酒造には明治・大正・昭和の三代に渡り、由緒ある「新左衛門」号を襲名した当主が失踪を遂げるという恐ろしい呪いがあった。新進探偵作家・牟礼順吉は一高時代からの親友・本間新也の懇請で彼の家に赴き、自らの手で連続消失事件の謎を解こうとするが・・・。果たして、お山の狐の祟りとされる伝説に隠された真相とは何か? 鮎川哲也『黒いトランク』と〈書下ろし長編探偵小説全集〉「十三番目の椅子」を争った幻の本格ミステリ、ついに復活!
 本書の脱稿は昭和三十(1955)年二月。三十一年、藤雪夫『獅子座』と共に最終選考まで残ったものの惜しくも落選し、翌三十二年に至って春陽堂書店より刊行された、鷲尾三郎の長編第一作。発表時のタイトルは『酒蔵に棲む狐』。通俗スリラー風の展開の狭間に戦火を免れた古都の風情を点描した小説で、主人公のロマンス含めたサスペンスを、緩急伴うゆったりした筆致で描いています。作者としては「オカルティズムの匂いを、強烈に盛りたかった」そうですが、これはこれでなかなか。本家の三代目・新左衛門、新宅の先代・徳松失踪の謎も、当時の社会情勢などと絡めて合理的に設定されています。
 ただ現在パートにおける新也の実兄・新一郎消失のメイントリックは脱力もの。そのアホらしさはさて置き、取り返しのつかぬルビコン川を渡った直後、コレの成立に全人生を賭けるかと訊かれれば問答無用でNO!でしょう。少々の失点は勢いと美点で許すタイプですが、そんな評者でも「これはちょっと」と思ってしまいます。途中までの結構な読み味の〆に大バカトリックを持ってくる妙な作品で、まあ椅子には座れんわなと。
 それでも無理なく読ませるリーダビリティと構成はかなりのもの。あまり大っぴらには薦めませんが、古式床しい探偵小説のムードを味わうには良いでしょう。

No.520 6点 盗作・高校殺人事件- 辻真先 2021/05/15 22:06
 新宿駅爆破事件で知り合った三組の高校生カップルが鬼鍬村を訪れたとき、ふくべの鬼が笑い、少女の幽霊が霧に消えた。そして、死体が密室に残った。カップルの一組、ごぞんじ牧薩次と可能キリコは推理を展開するが、作者は終幕でこう主張する。
 "作者は 被害者です 作者は 犯人です 作者は 探偵です
  この作品は そんな推理小説です"
 『仮題・中学殺人事件』から四年の歳月を置いて発表された、シリーズ第二長編。同時期のアニメ担当回は『一休さん』『マシンハヤブサ』など。密室殺人二つを始めかなりトリックを盛り込んでいますが、読み返すと両方ともやや小手先っぽく、その上メタな趣向を成立させる為に色々付け足しました、という作品構造なのでどうにもバランスが悪い。密室トリックがアレなのでメインはストーリーを貫く動機云々になるのですが、これもタイトルからある程度察せてしまいます。ラストで『獄門島』ばりに動機が崩壊しちゃうのは良かったですけど。
 悪い作品ではないのですが、再読するとどうしてもギスギスした所が目立ってしまいますね。設計自体が欠陥建築で、逆に買えるのは継ぎ接ぎ要素による齟齬の面白み。〈密室を完成するのに、凶器は必要ないのだ〉とか、ミステリとかに無関心な昔のおっちゃんなら、確かにそう思ってもおかしくはないのかも。
 以前は次作の『改訂~』でガクッと落ちる印象でしたが、今評価すると初期三作のうち若干凹むのはコレ。と言っても二度に渡るいとこの幽霊目撃から引っ張る展開は快調で、ストーリー的には楽しませてくれます。それなりに思い出のある作品なので、採点は5.5点~6点の間。

No.519 5点 北京悠々館- 陳舜臣 2021/05/15 00:05
 日露戦争開戦の迫る明治三十六(1903)年九月、書画骨董商の息子・土井策太郎は外務省の密命を帯び、旧知の拓本名人・文保泰(ウェンパオタイ)とよしみを結ぶためはるばる北京に赴いた。文は清朝政府の外務部総理大臣にして皇族たる慶親王の幕僚、那桐(ナートン)の窓口を務めていたのだ。できるだけ開戦を遅らせようとするロシア側に先んじ、文を通じて慶親王と那桐に働きかけるのが彼の役目だった。
 元清国人留学生・李濤(リータオ)の情報からロシアのキナ臭い動きを掴んだ策太郎は、上司の工作員・那須圭吾と共に慶親王を動かし条約締結を覆すため、文に百万円の工作資金を渡すことにする。〈悠々館〉と名付けられた別棟の仕事場で、一回目の現金引き渡し作業は無事完了した。
 だが二回目に賄賂の残金を渡したほんの数分後、文保泰は密室と化した悠々館の中で刺殺される。そして彼が受け取った時価二十五万円分の英国ポンド紙幣は、そっくりそのまま部屋の中から消え失せていた・・・
 『凍った波紋』に続いて発表された、著者15番目の推理長篇。西村京太郎『名探偵なんか怖くない』や仁木悦子『冷えきった街』等と共に、〈乱歩賞作家書下ろしシリーズ〉の一冊として1971年発表。この年には『六甲山心中』を始め、『異郷の檻のなか』『崑崙の河』ほか五つの短篇集が刊行されており、同年発表の『残糸の曲』や翌1972年の娯楽歴史長篇『風よ雲よ』を経て、徐々に文芸方面に移る前の整理の時期と言えます。
 密室殺人のトリックや工作資金紛失の謎は他愛ないものですが、日露戦争を控えた義和団事件後の政治情勢、さらには辛亥革命の息吹を背景にした歴史要素で読ませるのは流石の練達ぶりで、二十五万円の行方もまあそれしか無いかなという感じ。骨子は短篇向きの小ネタですが、遊泳保身術に長けた俗物政治家・那桐、文家の使用人・芳蘭(ファンラン)や遊民風の探偵役・張紹光(チャンシャオクワン)等、要所に味のあるキャラクターを配置しストーリーを上手く回しています。

No.518 7点 戦国自衛隊- 半村良 2021/05/14 08:14
 アメリカ第七艦隊の一部も参加する全国規模演習のさなか、新潟・富山県境の境川河口付近で野営していた自衛隊東部方面隊所属の第十二師団後衛は、突如発生した時空震により補給隊の一部や装備ごと、約四百年前、戦国騒乱期の日本に飛ばされた。だがそこは、彼らの歴史とは微妙に入れ違った物語りを持つ異世界だった。
 第一師団から派遣された輸送隊指揮官・伊庭三尉は隊員たちの動揺を引き締め、車長の島田三曹や普通科隊の木村士長らと共に、現地の紛争には関わらずあくまで中立を保とうとするが、長尾平三景虎と名乗る武士を助けた事からやがて、本格的にこの時代に介入していく。
 「歴史は俺たちに何をさせようとしているのか・・・」
 「SFマガジン」1971年9・10月号掲載。仮想戦記ものの嚆矢となった中編で、1979年12月公開・千葉真一主演の角川映画や劇画家・田辺節雄による複数回のコミック化、更には2005年のリメイク映画版など、今迄幾度もメディア展開されている。著者の最高傑作ではないが、現在半村良の名は〈『戦国自衛隊』の作者〉とした方が通るだろう。卓抜なアイデアを創作世界に提供した、良くも悪くもエポックメイキングな作品と言える。
 当時の著者は〈このアイデアを先に発表しておかなくては〉との思いからダイジェスト的に結末を纏めたそうだが、それもあってか記述は全体にあっさりめ。ただし「近代兵器を過去の戦闘に用いればどれほどの事ができるのか?」という最大の醍醐味は、綿密な取材によりしっかりと押さえられている。この部分の確かさが、パイオニアたる本書が未だ風化しない理由だろう。
 北陸出身の半村らしく、物語では三十人程の自衛隊員たち《とき》衆 が、長尾景虎=上杉謙信と共闘しながら越後→信濃→東海→関東→近畿と、史実とは逆に南進する形で日本中央部を制圧していく。その過程で当然有名な〈川中島の戦い〉も行われることに。丸太を捩じ込んでトラック部隊を止める武田軍の戦法は、ベトコンゲリラを参考にしたものだろうか。田辺節雄のマンガ版ではまさに死闘といった感じだったが、原作での戦闘描写はこれもあっさりめ。この戦い前後から、近代兵器の備蓄その他が底を付き始める。シミュレーション物はおしなべてそうだが、帰趨の明らかとなる後半よりはやはり手探り状態の前半部分が面白い。
 墜落したジェットヘリコプターV107や消耗品の有線誘導ミサイルMATに代わり、統一の原動力となるのが経済の力。佐渡の鶴子金山から金鉱石を発掘、更に装甲車を走らせる為の道路建設工事が国土を潤し、黄金を凌ぐ圧倒的な富を生んでゆく。自衛隊員たる伊庭三尉の不戦の決意や東京への想いが、義将・謙信の評判や関東侵攻に繋がってゆくのも良い。簡潔ながら細部まで考え抜かれた作品で、採点は発表後の多大な影響力をプラスし7点ジャスト。

No.517 6点 火の笛- 水上勉 2021/05/13 11:53
 下山・三鷹・松川事件と占領下での怪事件が続発した昭和二十五(一九五〇)年一月十一日。カネハラ毛糸外交員・志村恭平は家族とともに東京駅に近い大三デパートの屋上にいた。彼はそこで満州国際海運時代の同僚・蓑内徳太郎らしき人物を見かけ会釈するが、蓑内はなぜか恭平から眼をそらすと足早に姿を消す。
 ほどなくして会社に福井県警警部補・宇梶時太郎と名乗る男が訪れ、彼に簑内の消息を訊ねる。だが赴任後二ヶ月ほどで姿を消した八年前の同僚の行方など、志村の預かり知らぬことだった。
 それから約一月ののち、つかれた足を引きずって会社に帰ってきた恭平のもとに赤羽警察署から電話がかかってきた。蓑内を追っていた宇梶警部補が殺されたのだ。宇梶は新荒川ぞいのかなり広い貯木場の隅で、血だらけの頭の半ぶんを水の中に突っ込み、万歳をした格好で両手をひろげ仰向けに倒れていた。
 朝鮮戦争直前の占領軍統治下を背景に、東西両陣営スパイ組織の思惑が絡んだ警官殺害事件を追う、社会派推理の意欲作。
 昭和三十五(一九六〇)年に文藝春秋社より書き下ろし刊行された長篇小説。この年には探偵作家クラブ賞受賞作『海の牙』を筆頭に『耳』『爪』など少なくとも五長篇が発表されており、本書が何作目に当たるのかは定かでない。出版月の早さと「毎月、二十枚ずつ書いた」との記述から、「不知火海沿岸」→『海の牙』改稿と一部同時進行だった可能性もある。読了は全集版だが、『海の牙』とのカップリングと著者の巻末あとがきから、かなり思い入れの深い作品であることが窺える。雪深く辺鄙な六呂師部落での苦しい取材旅行の成果は、この後『越前竹人形』を経て大作『飢餓海峡』に結実する。
 冒頭の福井県干飯崎沖での潜水艦目撃シーンは、当時実際に日本近海に出没していた怪船情報をヒントにしたもの。本書の蓑内は北鮮系諜報組織の一員という設定だが、中華人民共和国・北朝鮮・大韓民国の成立がどれも一九四八年前後であると知ると更に驚く。建国直後から日本に対して動いていた事になるからだ。後に頻発した日本人拉致事件と併せると考えさせられるものがある。最もその二年後、本書とほぼ同じ頃北朝鮮軍の南侵により、半島では朝鮮戦争が勃発する訳だが。
 基本は節々にスパイの影が見え隠れする警察小説。ただしGHQへの配慮や疑念もあって、宇梶の元同僚・宮前儀三郎の捜査はなかなか進まない。だが終盤蓑内の顔を知る志村が〈エリック機関〉に拉致解放されてからは、ここで登場するキーパーソンの調査情報とそれまでのデータとが突き合わされて一気に霧は晴れ、物語は終幕に向けてなだれ込む。5点レベルで推移していた内容がここに来て1点プラス。中盤での主人公・宮前警部補の北陸調査行は、うらぶれた越前若狭の漁村風景や、波濤くだける断崖の家に棲む竹細工師の姿と共に印象に残る。

雪さん
ひとこと
ひとに紹介するほどの読書歴ではないです
好きな作家
三原順、久生十蘭、ラフカディオ・ハーン
採点傾向
平均点: 6.25点   採点数: 536件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(38)
ディック・フランシス(35)
エド・マクベイン(35)
陳舜臣(18)
連城三紀彦(18)
ジョン・ディクスン・カー(16)
山田風太郎(15)
カーター・ディクスン(15)
コリン・デクスター(14)
半村良(13)