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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ]
アイスランドのハン
別邦題『氷島奇談』
ヴィクトル・ユゴー 出版月: 1964年08月 平均: 6.00点 書評数: 1件

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中央公論新社
1964年08月

潮出版社
2000年12月

No.1 6点 2021/10/06 07:45
 一八二三年二月、ペルサン書店から匿名で刊行された文豪ユゴーの処女長篇で、原題 "Han d'Islande"。既に評したメリメ『シャルル九世年代記』や、バルザック『ふくろう党』と同じく、ウォルター・スコット作『ウェイヴァリー』仏訳による空前の歴史ブームを受けて生まれた、いわゆる「ウェイヴァリ小説」の一作である。書影には小潟昭夫訳の「ヴィクトル・ユゴ-文学館」版が用いられているが、今回のテキストには昭和三十九年中央公論社発行の「世界の文学7 ユゴー/デュマ」島田尚一訳を使用した。
 いちおうブンガク全集に入ってはいるが内容としてはかなりムチャクチャ。一六七六年に起こったデンマークの宮廷陰謀劇に取材したもので、舞台は総督統治下のノルウェー辺境。ロマン派の総帥ユゴーらしく、失脚した父親シュマッケルと共にムンクホルムの砦に幽閉された美女エテルと、彼の政敵で王家の血を引くノルウェー総督の息子・オルデネルとの深い愛情を中心に描いた、ロミオとジュリエット的な冒険・陰謀譚であるが、ユゴーはここに〈アイスランドのハン〉なるとんでもない人物を登場させる。
 この山賊が実にアレで、納骨所に安置された息子の頭蓋骨を剥いでは盃にして身に付けたり、ミエーセンの老狼と格闘しては絞め殺したり、犠牲者の血を啜ったり肉を食らったり、果てはフリエンドと名付けたペットの白熊に乗って大暴れ。普通に喋ったり策略を使ったり変装したりしなければ、とても人間とは思えない。江戸川乱歩の人間豹・恩田幾三が一番近いのでは、という気さえする。文豪がしょっぱなにこんなもん書いてたとはなあ。
 かなり長めのストーリーだが大枠は単純。鉱夫の反乱を焚き付けシュマッケルに罪を被せんとする大法官ダーレフェルド伯爵一味と、逆にシュマッケルを救い恋人エテルと添い遂げようとするオルデネル、両者共にハンを動かそうとするが決裂し、ヴァルデルホーグの洞窟で彼と闘う事になる。だが悪辣なダーレフェルドも勇猛果敢なオルデネルも、悪魔のような山賊を倒すには至らない。ハンの担ぎ出しを諦めたダーレフェルドはにせ者をでっち上げて蜂起を促すが、オルデネルはその反乱の渦中に自ら飛び込んでゆき・・・
 ハン以外にも冒頭部の死体描写や《呪いの塔》での拷問道具あれこれなど、怪奇趣味の横溢する作品。ただし大枠としては雄渾な歴史ロマンからさほどズレていない。猟師の無知やら迷信やらでいくつもの矛盾を押し切るなど、『ふくろう党』に比べ造りは荒いが、それでも《黒い柱》峡谷での戦闘シーンや大詰めの裁判での迫力は流石。要所で巨匠の手が入り、題名通り怪人〈アイスランドのハン〉の動かす物語として完結している。

 追記:本書の時代設定は一六九九年一月。当時のデンマーク君主はクリスティアン五世で、この年は彼の最後の治世に当たり、また翌年から始まる大北方戦争(スウェーデンが大国の地位から凋落し、北ヨーロッパにおけるロシアの優位を確定させた戦い。後のポーランド分割の予兆)の直前でもある。
 作中のシュマッケル=グリッフェンフェルド伯爵は投獄されるまではクリスティアンの補佐役で、彼によって平民から貴族に抜擢された人物でもあった。一連の政争にはこの辺りが関係していると思われる。


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ヴィクトル・ユゴー
1982年06月
死刑囚最後の日
平均:5.00 / 書評数:1
1964年08月
アイスランドのハン
平均:6.00 / 書評数:1