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ミステリの祭典

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平均点:6.73点 書評数:1631件

プロフィール| 書評

No.971 7点 もはや死は存在しない
ルース・レンデル
(2011/12/25 21:16登録)
今回の事件は失踪事件もしくは誘拐事件だ。12歳の少女と5歳の男児の行方不明事件をウェクスフォード警部が捜査するという構成だが、物語の主軸は寧ろウェクスフォードの部下マイク・バーデンにあるといっていいだろう。

メインの事件と思われた5歳児の失踪事件がサブに回り、サブと思われた12歳の少女の失踪事件が殺人事件に変わってメインと代わる構成はレンデルらしい。事件の謎が今までの描写が伏線となってするするっと紐が解けるように明確になるあたりは久々にカタルシスを味わった。

ただ登場人物表に載っていない人物が重要な役割を担っていたのはいただけない。原書には人物表はないからこれは出版社側の配慮の足りなさだからレンデルのせいではないのだけれど・・・。


No.970 8点 魔術師
ジェフリー・ディーヴァー
(2011/12/24 23:06登録)
今回の敵は題名どおり“魔術師”。早変わり、クロースアップマジック、読心術、腹話術、動物のトリックにピッキング、さらには脱出マジックなどの細かで繊細な物から大掛かりな物まで全てをこなすオールマイティのマジシャンだ。
とにかく今までと違うのは犯人である魔術師ことマレリックが殺害の途中に逮捕の寸前まで行きながらも逃れてしまうところだ。この顛末が非常にスリリング。
さらには手錠を掛けても脱出トリックで解錠技術に長けたマレリックにしてみれば一瞬に解除出来てしまうからすぐに逃れてしまう。まさに最強の殺人犯だ。
毎回その作品でスゴイ!と唸らされる連続殺人鬼を生み出すディーヴァーだが、今回も今までの作品の更に上に行く犯人を送り出してきた。いやはやホントこの作家のアイデアの豊富さには畏れ入る。

よくよく考えると今回もディーヴァーが創案した魔術師は実は日本のミステリ読者ならば誰もが江戸川乱歩の『怪人二十面相』を思い浮かべるだろう。
しかし西洋人であるディーヴァーならばやはりここは同じく変装の名人怪盗ルパンがモチーフであるのだろう。
つまりディーヴァーは古くからある物語を現代のマジシャンの最新技術とライムの鑑識技術と装置とを使うことで新たなエンタテインメントを紡ぎだしているのだ。まさに古き器に新しき酒を注いで現代に新たな本格ミステリを生み出すこのディーヴァーの着想の冴えにはただただ感服するばかりだ。

しかしこれまでの作品の中で最高のどんでん返し度を誇ると著者が豪語した割には読めてしまったというのが正直な感想だ。つまり読者として作者の手筋が見えてきたのだろう。
ちょっと過剰にサーヴィスしすぎた感が無きにしも非ずだ。この辺は哀しいかな、シリーズのマンネリ化を防ぐが故に生じた弊害だろう。逆にもっと意外なところで不意打ちを食らいたいものだ。そう、作者の企みに満ちた微笑が行間から見えるような不意打ちを。


No.969 7点 盤面の敵
エラリイ・クイーン
(2011/12/20 22:42登録)
犯人との推理合戦とでも云おうか、連続殺人事件を画策する「Y」なる人物とエラリイの推理の闘いという原点回帰の作品だ。
しかしこの『Yの悲劇』との近似性は一体何だろうか?題名にもなっている盤面の敵である匿名の犯人が使う名前はYだし、『Yの悲劇』で一番最初に死体で発見されたのはヨーク・ハッターならば本書の連続殺人の被害者はヨーク一族。そして何よりも両者とも示唆殺人であるところが一致している。

最後の真相は今では数あるミステリでも取り上げられた設定で、サプライズでもあり、驚きはなく、ああ、この手かと思うくらいにしか過ぎない。しかし当時としては斬新だったことは窺えるし、クイーンの先見性には目を見張るものがあるだろう。

代作者による作品とのことだが、クイーンの名を冠して発表しているだけにやはりクイーンの一連の作品として読むことにする。
作者クイーンがミステリに対していかに新たな血を注ごうかと精力的であったのは存分に窺える。本書を読む人はそんな背景も汲んで是非とも臨んでいただきたい。


No.968 7点 花園の迷宮
山崎洋子
(2011/12/12 23:03登録)
元シナリオライターによる乱歩賞受賞作とのせいか、いやに改行が多いなぁと思ったが当時大学生だった私はそのためかクイクイ読み進むことが出来た。
この犯人はすれっからしの読者であれば十分想定の範囲内で、当時さほどミステリを読んでいない私でも解ってしまった(当時の性格の悪さゆえか?)
しかし今では数多の作品が綴られている遊郭の世界を描ききった本書は当時は斬新で面白く読めた。
たしか映画化もされてますね。


No.967 8点 名探偵の掟
東野圭吾
(2011/12/04 20:44登録)
とにかく普通の短編集ではない。登場人物が小説世界にいながらにして途中でメタの存在となり、自らの置かされている状況について色々不満を述べ、時には作者を貶したりする。事件も通常のストーリーのようには展開せず、ミステリにありがちな手続きに関しては省略されるし、時には事件に直接関わりあいのない人物は男性Aだの女性Bだのと簡略化される。そう、本書で語られるのは物語ではなく、本格ミステリという作り物の世界が抱える非現実的な設定や内容に対する揶揄や疑問のオンパレードなのだ。

しかしそれでも一応トリックはあるし、それなりにオリジナリティも感じられる。自分の知っている限り、他の作家のトリックをそのまま転用した物は見当たらなかった。もともと東野氏はトリックを創出することに苦労はしないと云っているから、これは東野氏の数あるトリックネタの棚卸しなのでもあろう。

これは東野氏の本格ミステリからの訣別の書なのか?いやいや逆に本格ミステリを愛するが故の提言と理解しよう。なぜならこの後、東野氏は敢えて最後に犯人を明かさずに読者に推理をさせる実験的小説『どちらかが彼女を殺した』や『私が彼を殺した』といった野心的な本格ミステリを続けて書いているし、科学とトリックを融合させたガリレオシリーズも書いているからだ。逆に云えば、ここには本格ミステリが抱える不自然さを敢えてこき下ろすことでその後の自作については決してそんな違和感を抱かせないぞと、ハードルを挙げているような感じさえ取れる。

そしてこの作品を読んで「ああ、面白かった」で済ませてはならないだろう。これは東野氏が今までのミステリではもうダメだと明言しているのだから、今の本格ミステリ作家、これから本格ミステリを書く人たちは本書に書かれた示唆を踏まえてミステリを書かなければならない。本書が刊行されたのが1996年6月。既に15年以上が経過しているが、果たして本格ミステリは変わっているだろうか?


No.966 8点 ゲートハウス
ネルソン・デミル
(2011/11/26 22:26登録)
あの名作『ゴールド・コースト』から18年。まさか続編が作られるとは思わなかった。期待と不安の入り混じった思いを抱きながら手に取った。
作品内の時間は前作から10年後の世界で9・11テロの9ヵ月後という設定。民族テロという色合いを持つこの事件がデミルに多大な影響を及ぼしているのは昨今の作品からも明らかだが、本書ではそれを上手く『ゴールド・コースト』の作品世界に絡ませている。

今回も隣に引っ越してきたマフィアの息子アンソニー、そしてスタンホープ屋敷を除く一円を買い取った怪しげなイラン人アミール・ハシム、もちろん別れた妻スーザン。さらには永遠の宿敵で目の上のたんこぶであるスーザンの父親ウィリアムと帰米したジョンの周辺は何かと物騒で物々しい。
とにかく懐かしい面々が揃った物語は上下巻併せて1380ページという大書だが、全く飽きが来ない。全てのキャラクターに貌があり、全てのキャラクターに血肉が備わっている。彼ら彼女らのアクの強い面々の織り成す物語は云わばデミル版『渡る世間は鬼ばかり』。ミステリのようでミステリでない、人間喜劇ともいうべき作品なのだ。
やはりこの物語の功績はジョン・サッターの一人称叙述にしたことだろう。古くから住まうアメリカ高級貴族の生活を、NYで事務所を構える弁護士であり、それなりに身分の高い人物でありながら俗物根性が抜けないジョンの、ワイズクラックに満ち、権威を鼻で嗤い、持ち上げては突き落とすおちゃらけ振りが、一般人には理解しがたい高級階級の人たちの生活や考え方を荒唐無稽な非常識として我々に提供してくれている。

確かにジョンの減らず口の連打には冗長に過ぎるという感を抱く向きもあるだろう。厚さの割りには物語が進まない、長すぎる、という声は至極尤もだと私も思う。しかしこの作品はその長さを愉しむのであり、ジョンの俗物根性と斜に構えた思考が繰り出す皮肉の数々を味わうのが正しい読み方なのだ。私は逆にこの作品がこれだけの長さでよかったと思っている。

そんな物語はやはりこれはミステリではないのでは?と思わせながらも、やはりマフィアの息子アンソニーの登場で実に緊迫したクライマックスが訪れる。
この事件もまた個人レベルで起きたテロなのだ。そしてスーザンとジョンが取った行動には決してテロには屈してはいけないというメッセージが明示されている。最後にスーザンがFBI捜査官マンクーゾに次のように語る。

「(前略)あの男はわたしたちを辱め、その後のわたしたちの人生を変えたいだけだったのよ」
「(前略)あの男はわたしたちの魂を殺そうとした……わたしにはそれが許せなかったの」

これは“あの男”をビン・ラディンと読むとデミルの9・11同時多発テロに対する怒りの主張に取れないだろうか?つまり本書はデミルが今後ライフワークとして取り組むであろう、「9・11によってアメリカに何が起きたのか」というテーマに沿った作品の一部であるのだ。


No.965 4点 悪魔の報酬
エラリイ・クイーン
(2011/11/13 19:45登録)
国名シリーズの後に書かれた3作は通称ハリウッド三部作と呼ばれているが、本書はその第一弾。しかし撮影現場の華やかさとか映画産業の喧しさとかは全く描かれていないため、ハリウッド三部作といいながらも全くハリウッド色を感じさせない。

さて今回エラリイが挑む事件はたった一つ。ある富豪の不可解な死。地味な事件で、なかなか前に進まない印象を受けた。事件は早々に起きるものの、真犯人を特定する証拠、証言に手間取り、またレッド・ヘリングのためか全く関係のないエピソードが挿入され、右往左往しているだけと感じた。
もちろん彼が犯人だと至るエラリイのロジックは相変わらず冴えており、事件の容疑者に当て嵌まる条件から消去法でどんどん犯人へと絞り込んでいく。
しかし残念ながらこの作品に書かれているようには今では犯人は捕まらないだろう。それは全て状況証拠に過ぎないからだ。こういった推理だけならば今の読者は納得しないだろう。作者クイーンの詰めの甘さをどうしても感じてしまう。


No.964 9点 クリスマス・プレゼント
ジェフリー・ディーヴァー
(2011/11/07 14:53登録)
その名の通り読者へのクリスマス・プレゼントの如く2005年の12月に出版され、文庫で出されたこの短編集は確かに年末を迎える海外ミステリファンにとって最高のプレゼントになっただろう。

なんだろう、このヴァラエティの豊かさは。これほど多彩な舞台を用意してそれぞれに印象深い結末をしつらえているとは、ディーヴァーの作家としての守備範囲の広さに驚くことしきりだ。

個人的ベストは表題作。リンカーン・ライム物だからというわけではなく、どんでん返しに次ぐどんでん返しを見せながら、きちんとその伏線が作中に張られており、リンカーンの推理が追えるようになっているという非常にきめ細やかな作品だからだ。
この作品がなかったらベストは叙述トリックが冴え渡る「三角関係」だった。他に騙りの上手さで「ジョナサンがいない」、予想外の結末だったのが「ビューティフル」と「身代わり」、ストレートな人情物の「ノクターン」、思わず「あっ」と声を挙げた鮮やかな法廷逆転劇を見せた「被包含犯罪」、奇妙な味わいの余韻を残す「宛名のないカード」が印象に残った。

もはや物語は語り尽くされていると云われて久しい21世紀においてこんなにも傑作の揃った短編が読める幸せ。長編だけでなくディーヴァーは短編の名手であることを見事に証明した。
既に本国アメリカで2006年に刊行されている2作目の短編集“More Twisted”を早く訳出してほしい。頼みますよ、文藝春秋さん!


No.963 7点 世界ミステリ作家事典[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇]
事典・ガイド
(2011/11/06 23:15登録)
前作はまさに労作という感が強かった。というのも日本未紹介作家もふんだんに紹介され、その後の論創社ミステリ叢書の刊行や国書刊行会の世界探偵小説全集の創刊に繋がる偉業となったからだ。
しかし同じシリーズでも本書においては[本格派篇]に比べるとエポックメイキング度が落ちるように感じてしまった。

まず前作が森氏一人の手によるまさに長年の労作であったのに対し、本書は複数の執筆者に依頼し、それを森氏が編集するという分業体制で作られていること。これが前作に比べるとそれぞれの作家の紹介文に個人差が見られ、温度差を感じてしまった。
またハードボイルド、警察小説、サスペンスと広範に亘っているためか、どうも紹介されていない作家がいるように気がしてならない。例えばジョナサン・ケラーマンは紹介されていてもその妻のフェイ・ケラーマンは収録されていないし、トレヴェニアンもミッチェル・スミスも入っていない。
ネルソン・デミルやデイヴィッド・マレルやブライアン・フリーマントルといった作家が無いのは作家事典シリーズで今後冒険小説・国際謀略小説篇が編まれるかもしれないが、とにかく思いつくだけでもかなり割愛されているように感じてしまう。
こういう帯に短し襷に長し的な仕事をするのであれば、3つのジャンルのうち2つに絞ってもっと掘り下げた内容で刊行してほしかったというのが本音だ。

また刊行されたのは2003年だがその後未刊行のハードボイルド、警察小説、サスペンス小説の紹介が促進されたという感触が無い。これが本書をさらに前作よりも一段劣っていると感じる所以だ。

しかし文句ばかり云ってもしょうがない。そうは云っても大変な労作であるのは間違いが無い。こういう仕事は誰かがやらなければならなかったことで、その苦労と労力を考えるとなかなか二の足を踏むような仕事である。そこに敢えて踏み込み、また旗振り役の森氏に賛同して編集に参加した執筆陣の志の高さは賞賛すべきだろう。


No.962 9点 天空の蜂
東野圭吾
(2011/10/30 21:14登録)
映像化作品が多い東野作品の作品の中でも抜群のサスペンスを誇る作品だが、なぜ映像化しないのか、その理由が本書を読んで判ったような気がした。この作品は3.11以前に読むのと以後とでは全く読後感は違ったものになっただろう。
3.11で原発への不安が叫ばれている今、なんともタイムリーすぎて背筋に寒気を覚えた(ちなみに10/22に私は渋谷で原発反対のデモ行進を目の当たりにした)。この内容は現在デリケートすぎて確かに映像化できない。原発反対派に強硬手段の一つのヒントを与えるようなものだ。逆に発表後四半世紀経った今でも絶版にならないことが不思議だと云える。

本書に書かれているエピソードの1つ1つが今年我々の身に起きた東日本大地震による原発停止による節電生活を筆頭にした社会問題をそのまま表しており、フィクションとして読めなくなってくる。とても16年前の作品とは思えないリアルさだ。東野氏の取材力と想像力の凄さに恐れ入る。

3.11の東日本大震災から連日メディアで喧しく報道されている放射能物質拡散の脅威と反原発運動、そして放射能汚染の恐怖。この原子力発電は現代の社会に咲いた仇花なのだ。もう無関心でいる時期は終わった。1995年に著された作品だが、現在起こっていることが既に本書には予想として挙げられている。これらの事態と原発に関する知識をさらに深く得るためにも、そしてその存在意義を考えるためにも今この書を読むことをお勧めする。


No.961 9点 海は涸いていた
白川道
(2011/10/19 21:20登録)
物語を彩るキャラクターのなんと濃密なことか。どこかで読んだような、借りてきたような人物ではなく、生活から人生の道程までしっかりと顔の皺まで浮かびそうなくらい書き込まれている。処女作でも感じたがやはりこの人は“世界を知る人”なのだろう。この人でないと書けない雰囲気が行間から立ち上ってくる。

作中主人公の伊勢が幾度か呟く。

生にはこれから生きることがはじまる生と、これから死ぬことがはじまる生とがある

この言葉が象徴するようにこれは死に様を探し続けた者が生き方を見つけようとした者を救うための物語なのだ。
つつましく生きたいのになぜか人生の節目で裏切られ、真っ当な人生を進むことを否定される人々を書く物語は志水辰夫の作風をどこか思わせた。

特に上手いと思ったのは伊勢孝昭として他人の名を借りて生きてきた芳賀哲郎が本名に戻った後だ。それまでは伊勢孝昭としかイメージできなかった人物が、ある事件―布田の死―をきっかけに本名の芳賀哲郎としての空気を纏い、もうそれ以降は芳賀哲郎とでしか読めないのだ。同じ人物でありながら主人公が2人いるような感覚。
それは前半が会社の経営者の伊勢の物語から、施設時代に弟・妹のように可愛がっていた慎二と千佳子を守る兄、そして友人の無念を晴らす戦士である哲郎の物語へとシフトするのにこの名前の変更は実に有効的に働いている。


No.960 5点 フランケンシュタイン 対決
ディーン・クーンツ
(2011/10/13 21:59登録)
これまで3巻に亘って引っ張ってきた割にはヴィクターとの対決は非常に呆気なく、その死に様も200年以上も生き、人類の歴史の影に暗躍し、そして実業家ヴィクター・ヘリオスとして名を馳せていた宿敵の末路にしては実に情けないものとなった。
巻を重ねるごとに量子理論を理解し、どんな空間でもあっという間に瞬間移動でき、人間離れした怪力を誇るデュカリオンという善玉自体がどんどん完全無欠の存在となるにつれ、敵役で強大な資金と新人種という軍勢と頭脳を誇っていたヴィクターが反比例して弱小化していったのだから、最後の対決となった本書においてはほとんど相手にならなかったといっていいだろう。さらに当初は主人公だと思われたカースン・オコナーとマイクル・マディスンの警察コンビもデュカリオンの個性の前にどんどん色褪せてしまい、活躍の場をほとんど奪われてしまう。
このたくさん紡がれたエピソードの山を上手く処理できずに力技で強引に大きく広げた風呂敷を畳んでしまうのが最近のクーンツ作品の欠点だ。

結局はレプリカントや新人種といったフリークたちをたくさん出したかったのだろう。そう、このシリーズはクーンツのクーンツによるフリークショーなんだな。


No.959 7点 石の猿
ジェフリー・ディーヴァー
(2011/10/06 21:59登録)
West Meets East。
本作の主題を一言で表すとこうなるだろうか。中国からの密入国者とそれを抹殺する蛇頭の殺し屋の捜索に図らずも中国から密入国してきた刑事ソニー・リーと協同して捜査することになったライムとリーとの交流が実に面白い。物語の構図は殺し屋対ライムと変わらないが、決してマンネリに陥らないようアクセントを付けているところがディーヴァーは非常に上手い。特にお互いが白酒とスコッチと西と東の蒸留酒を飲み交わしあいながら語り合い、碁を打ち始めるシーンはとても印象的だ。毎回このシリーズには名バイプレイヤーが登場するが本書ではまさしくこのソニー・リーだ。
あくまで物的証拠を重視し、刑事の勘などを一切認めなかったライム―その頑なさが前作『エンプティー・チェア』でアメリアとライムとの対立を生んでいた―が本書では東洋の―というか中国人の―特異な考え方のために、ソニー・リーに頼らざるを得なくなるのが面白い。

(ここからネタバレ)
だからソニーの死は非常に残念だった。今後の作品にも出てくるものだとすっかり思っていたので。
またゴーストとライム&アメリアの戦いも意外に呆気なかった。いつもなら最後の章まで危機が尽きないので。しかしこれは作品の主題―今までの敵になかった政府との太いパイプを持った殺し屋をいかに逮捕するか―がそこにはなかったからだろうが、やっぱりちょっと物足りない。


No.958 7点 怪笑小説
東野圭吾
(2011/09/29 21:45登録)
タイトルに偽りなし。まさに「快笑」ならぬ「怪笑」といわざるを得ないブラックなユーモアが詰まった短編集だ。
ここに収められている短編の登場人物はいわゆる「あなたに似た人」。我々の平凡な日常や世間にどこにでもいる、もしくはいそうなちょっと変わった滑稽な人々のお話だ。

個人的なベストはブラックユーモア色が一番濃い「しかばね台分譲住宅」で、次点で「鬱積電車」か。着想の妙では「逆転同窓会」が実際にありそうでリアルに感じた。

しかし東野氏はユーモアを書かせても上手いなぁ。というよりも関西人の彼の本領は実はここにあるのではないか?「おっかけバァサン」や「一徹おやじ」、「無人島大相撲実況中継」などはコントとして発表してもおかしくない。この前読んだ『あの頃ぼくらはアホでした』で、本当にしょーもないことばかりを面白おかしく語ってみせ、緻密で流麗で後味がほろ苦い感傷的なミステリを書く作家というイメージを覆した東野氏があのエッセイを書くことで何かが吹っ切れ、地の姿を存分に出したようだ。


No.957 4点 二百万ドルの死者
エラリイ・クイーン
(2011/09/26 22:05登録)
ギャングの大物が遺した二百万ドルもの莫大な遺産を巡って遺産の相続人ミーロ・ハーハなる男を捜しにアメリカ、オランダ、スイス、オーストリアそしてチェコスロヴァキアと探索行が繰り広げられる。
痴呆症となりかつての鋭さの影すらも見えないほど落ちぶれたギャングのボス、バーニーの殺害事件はクイーンでは珍しく、犯罪の模様が書かれている。本格ミステリ作家であることから倒叙物かと思っていたがさにあらず。これがエラリイ・クイーンの作品かと思うほど、冒頭の事件は全く謎がなく、エスピオナージュの風味を絡めた人探しのサスペンスだ。
したがって本作には全く探偵役による謎解きもない。純粋に遺産を巡ってミーロ・ハーハなる男を殺そうとする輩と政治的影響力のあるハーハを利用せんとする者達との思惑が交錯するサスペンスに終始する。

それもそのはずで、本書はクイーン名義による別作家の手になる作品。
だとするとこのロジックもトリックもない作品をどうしてクイーン名義で出版したのか、そちらの方に疑問が残る。


No.956 4点 怪しいスライス
アーロン&シャーロット・エルキンズ
(2011/09/21 20:00登録)
第1作ということでまずは自己紹介といった色合いが強く、事件もごくごく普通のミステリに仕上がっている。

主人公リーはプロ1年目でゴルフもアメリカ陸軍時代の配属先のドイツの空軍基地で覚えたという変り種。
そして彼女が遭遇するのは地元の警察署に勤めるグレアム・シェリダン警部補という好漢。事件を通じてリーとグレアムは互いに惹かれ合っていくというこれまたロマンス小説の王道。
訳者あとがきによればシャーロット夫人はロマンス小説作家とのことで、エルキンズ作品よりもこの色合いが濃い。このリーとグレアムの関係はスケルトン探偵シリーズのギデオンとジュリーの馴れ初めを想起させるが、キャラクター造形はまだ本家の方が上か。

しかし当然と云っては失礼だが、まだまだ物語やキャラクター造形に深みが感じさせないので総合的に判断すると普通よりもやや劣る出来栄えに感じてしまった。


No.955 7点 されど修羅ゆく君は
打海文三
(2011/09/20 21:14登録)
これは単なる人探しの探偵物語ではない。
これは女の戦いの物語である。
渋谷の公園で見つかった全裸の女性死体の事件に隠された警察の犯罪を描いたこの作品は実は阪本尚人という男を軸にした女同士の激しい戦いなのだ。
戦闘に立つ女性は4人。本書の主人公13歳の戸川姫子は登校拒否児であるが既に精神は大人であり、大人に同等に渡り合う知恵を備えている。
そして阪本の探偵仲間の鈴木ウネ子。
そして被害者の南志保。かつて自分の妹を殺された犯人が阪本の命令を逸脱した行為によって引き起こされたものと思い、糾弾していたがそのうちに阪本に惚れ、同棲していた女。
そして最後は高木伊織。キャリアで阪本の元上司だが、周囲と違う雰囲気を備えた巡査の阪本に惚れ、南志保と三角関係に陥ってしまう。
そう彼女の中心に位置する阪本尚人という男は冷めた顔に愛くるしい笑顔が似合うが、一旦仕事でも自分の人生に関ればその後の生き様まで目を見晴らせ、道を誤っていれば更正を促すという、いまどき珍しいほど情に厚い男。警官だったが上に書いた命令違反行為によって懲戒免職になり、その後探偵に身をやつし、その生活に疲れ、山梨の山奥で農家を始めて隠遁生活を送るようになった、一風変わった男。彼がこの4人に嵐を生み出し、人が死ぬまでになった、いわば災厄の男なのだ。
つまりこれは追われる者阪本が現代版光源氏ともいうべき、出会う女がどうしても恋に、いや欲望に駆られざるを得ないようなフェロモンを漂わせている男なのだ。
警察上級官僚のスキャンダル隠蔽を巡る陰謀劇と見せつつ、その実、女の欲望が織り成す疾走劇。

名台詞のいっぱい詰まった良作。
作者がもうこの世にいないのが惜しまれる。


No.954 8点 MISSING
本多孝好
(2011/09/15 21:13登録)
ミステリの祭典というサイトだからミステリとして採点すべきなのだけど、小説ということで評価します。

MISSという単語は日本語で云われている「誤り」とか「間違い」という意味は全くなく(日本語のミスはMistakeの省略)、「誰かのことを思って寂しくなる」という意味だ。
本書に収録された5編に共通するのはまさしくこの「誰かのことを思って寂しくなる」、即ち喪失感だ。
そしてこの喪失感ほど残酷なものはない、という作者の主張が行間から見えるほどここにはある特殊な思いが全編に共通して流れている。
それは3編目の「蝉の証」の中で主人公が考える次のことだ。
「欺き、騙され、そうまでして人は自分が生きた証をこの世界に留めずにはいられないものだろうか」
まさしくそうだろう。喪失感という心に与える巨大な負のエネルギーが却って残された人々の心に存在感を浮かび上がらせる。
あの時確かに君はいたのだ、と。

20代でこれほど流麗な文章で物語が書けるとは素晴らしい。
特に大切な誰かや守っていた何かをなくした時に読むとこの作品を読んで去来する感慨は殊更だろう。ちょっと泣きたい夜にお勧めの一冊だ。


No.953 8点 いざ言問はむ都鳥
澤木喬
(2011/09/13 21:51登録)
それぞれの短編で提示される謎とは一見なんともないようなもので「日常の謎」系の短編集だと思うだろう。そのジャンルの仕掛け人である東京創元社から出版されているから尚更だ。
しかし本書はそうではない。人の死が、犯罪が介在するミステリなのだ。
沢木敬が語り手となって進む物語は、上に書いた平井教授とその仲間達の日常風景と大学の学生達のエピソードと沢木の植物に関する薀蓄などが上手く絡み合って実にほのぼのしたタッチで語られる。その話に挟まれる小さな事件、もしくは事件とはいえない、ちょっと変わった出来事の裏に隠された真相は実に魂の冷えるような手触りをもっている。

解説の巽昌章氏が一番冒頭に語っているように、このたった220ページ強の短編集に込められた時間は実に濃密だ。

作者澤木喬氏が発表した作品はこのたった1冊だけ。恐らく作者の名もこの作品の存在すらも知らないミステリファンもいることだろう。ぜひとも多くの読んでもらいたい。現在絶版状態であること自体、勿体無い。


No.952 6点 失われた地平線
ジェームズ・ヒルトン
(2011/09/12 19:25登録)
いち早くシャングリ・ラの環境に適応し、魅了されていくコンウェイと、世俗の考えを捨てきれず、ひたすらにシャングリ・ラからの脱出を願う若きマリンソン。本書の読みどころはこの対照的な2人の考え方がぶつかり合うところだと云っていいだろう。
そういう意味ではこれは冒険小説ではなく、思想小説の類に近いのではないだろうか。物語の導入部こそハイジャックされるというサスペンスがあるものの、物語の大半は楽園シャングリ・ラで繰り広げられる。西洋人の面々が東洋の仏教の考えに直面し、次第に感化されていくさまは、作者ヒルトン自身の趣向が反映されているのかもしれないが、発表当時は斬新だっただろう。
コンウェイの決断は物語の結末を読むと、裏目に出てしまったように書かれているが、しかし実行せずに後悔するよりも実行して後悔した方がいいという言葉のまま、突き進んだ彼は本望だったに違いない。

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