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ミステリの祭典

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弾十六さんの登録情報
平均点:6.13点 書評数:459件

プロフィール| 書評

No.219 7点 暗い鏡の中に
ヘレン・マクロイ
(2020/01/12 03:20登録)
同題の短篇版(初出EQMM1948-9、年間コンテスト第二席)を元に[New York] Daily News紙に連載(1949-11-6〜1950-1-15、日曜版?とすると11回分載)、出版1950年。ウィリング第8作。本作もDellのMapbackになっています。
冒頭からの謎が良い。女子校の幽霊話… 興味深い女子内輪ネタが垣間見れられるか… と思ったら、マクロイさんは結構男っぽいので、そーゆー点が薄いのが残念。
発端の謎、中盤の怪奇現象の盛り上げ、過去の因縁話などはJDC/CD風味。若い頃のフランス体験、というのも共通点。ちょいエロ風味はそこから来てるのかも。JDCはマクロイさんをどう評価してたのでしょう。(Webでは拾えませんでした…)
全体的には、事件の解明シーンまで素晴らしかったのですが、最後の最後でコレジャナイ感がありました。最後をあーゆー形にしたいのなら、もっと上手にやって欲しいところ。だいたい殺意の出所が弱い気がするんです…
ところでウィリングは何をグズグズしてたんでしょう。1940年から長いことギゼラをほっといてます。戦争があったから仕方ないのか。
以下、トリビア。原文は入手してません。(2022-8-21追記: 原文入手しました!)
作中時間は、十一月十七日木曜日(p138)と明記。直近は1949年。
現在価値は米国消費者物価指数基準(1949/2020)で10.81倍、1ドル=1179円で換算。
タイトルは『コリント人への第1の手紙』13:12から。
献辞は一人娘クロエに。「春に顔を出す小さな緑の新芽」というのが可愛いですね。(2022-8-21追記: 原文は“For Chloe / ‘Little green shoot that came up in the Spring”)
p91 エミリー・サジェ(Emilie Sagee)◆ 何故か日本語版以外のWikiに項目なし。怪しいなあ…
p108 石鹸会社が人々に気にさせようとさかんに広告で強調している体臭◆ 当時からすでにそう言うやり口だったのですね。
p121 整形手術で頰のたるみを取った◆ お金持ちのご婦人。当時から行われてたのですね。
p122 ラジオで<ギャングバスターズ>を聴いている◆ Gang Busters, 放送1936-1-15〜1957-11-27の警察が活躍する犯罪実話もの。
p124 少女パレアナ◆ Eleanor Hodgman Porter(1868-1920)作の小説Pollyanna(1913)&Pollyanna Grows Up(1915)、後者は「大幅にギャグ要素が追加された恋愛小説」とwikiにある。Pollyannaは、当時米国中の店やホテルの名前になる等のブームとなった。1920年メアリー・ピックフォード主演で映画化。
p124 あしながおじさん◆ Daddy-Long-Legs(1912)、Jean Webster(1876-1916)著。こちらも1919年メアリー・ピックフォード主演で映画化。
p173 世界最古の職業と初めて呼んだのはキプリング◆ wiki “Oldest profession (phrase)”によるとKiplingの短篇On the City Wall (January 1889)のLalun is a member of the most ancient profession in the world. という一節が最初か。(2021-8-21追記: it was Mr Kipling who first called it the “oldest profession in the world”)
p178 二、三万ドル◆ 2300万〜3500万円。
p187 イギリスでいえばローディーン校◆ Roedean Schoolは1885年創設の女子校。
p196 フランスの風変わりな道化芝居◆ これは強烈、そしてとってもフランスらしい。
p205 ディケンズの小説にも“ギャンプ夫人に生き写しの姿”◆ the “very fetch and image of Mrs Gamp”, Martin Chuzzlewit(Chapter XIX)からの引用。
p208 昔の諺… これもまた過ぎゆくものなり◆ 調べつかず。Sic transit gloria mundi (Thus passes the glory of the world)が思い浮かびましたが… (2022-8-21追記: 原文は“old sayings: This, too, will pass . . .”、調べるとWiki ”This too shall pass“ に詳細あり。へえー!)
p215 ロッテルダムやコヴェントリーやヒロシマで◆ German bombing of Rotterdam(1940-5-14)、Coventry Blitz(1940-11-14)、Atomic bombings of Hiroshima(1945-8-6)
p228 三人は1940年からのつきあいなのだ◆ フォイルとギゼラとウィリング『月明かりの男』事件のこと。
p229 コーラ・パール◆ Cora Pearl(1835?-1886) 本名Emma Elizabeth Crouch、英国生まれ。パリで活躍。
p237 ルトゥール・ドートウイユ◆ Retour d'Auteuil? 帽子の名前らしいが調べつかず。(2022-8-21追記: オートゥイユ競馬場からの帰り道、という意味ですね。ここら辺の原文は“a black hat with the uncurled ostrich feathers that were called retour d’Auteuil because women returning from the races in open carriages were once caught in a summer rain… ”)
p238 アンドリュー・マーヴェルの詩◆ Andrew Marvell(1621-1678)、The grave’s a fine and private place, /But none, I think, do there embrace. は1681年出版の詩To His Coy Mistressから。
p238 チップは10セントしか(only… a ten-cent tip)◆ 118円。タクシーの運転手に。
p262 快適に暮らすには最低でも月に1000ドルは必要◆ 118万円。
p263 九千五百ドル◆ 1120万円。
p269 霊媒スラッジ氏◆ Mr. Sludge, “The Medium”、Robert Browningの詩集Dramatis Personae(1864)より。


No.218 8点 毒入りチョコレート事件
アントニイ・バークリー
(2020/01/03 19:07登録)
1929年6月出版。創元推理文庫(高橋 泰邦 訳、1994年21版)で読みました。この長篇と短篇『偶然の審判』The Avenging Chance(初出Pearson’s Magazine1929年9月号, 表紙絵はこの短篇の一場面。チョコレートの裏側の穴を拡大鏡で観察する二人の男の顔)との関係については、藤原編集室WEBサイト『本棚の中の骸骨』の「書斎の死体」コーナーに真田啓介さんの素晴らしい論考「The Avenging Chance の謎」があり、そこで言及されてる中篇The Avenging Chance(生前未発表)はThe Avenging Chance and Other Mysteries From Roger Sheringham's Casebook(Crippen & Landru 2019)に収録されkindle版も入手可能です。
本作は、新聞で読んだ事件を無責任にあれこれ論評するような楽しさ。各登場人物ならではの独自の見方が反映された説になってれば、なお良いのですが(アジモフ『黒後家蜘蛛』はどうだったっけ?) 残念ながらイマイチです。最初の著名弁護士は自分の指摘した「犯人」から弁護を依頼される可能性を全く考えてなかったり、女性作家が二人もいるのに女性的視点を思わせるところが薄かったり(バークリーだから仕方ない?)… 最大の難点はチタウィックの紹介が漠然としてるので「意外にも冴えない男が…」という趣向が生かされてないところ。(この点はアジモフのが良いアイディア)
ミステリとしては、どの説も純粋な「推理」を堪能させる考察として物足りないので、そこが皆さんの評価が低い原因なのでしょう。でも本作は非常に上手く出来てると思います。各人の説は次の語り手によって否定されるのですが、らせんを描くように次々と事実が積みあがってゆき、そして結末に至る構成は素晴らしい。特に後半、登場人物のモラルがどんどん崩れてゆく流れが好き。(証言がアンフェアという意見がありますが、警察じゃないただの素人の質問には、あーゆー返しも当然あり得ると思います。)
ところで短篇『偶然の審判』を読んでピアスン編集部はどう思ったんだろう。既に出版されてたこの長篇にほぼ全部内容が含まれてるのですが… (原稿の使い回しと受けとられても仕方がないですね。) でも、まあ両方とも作品として成立させちゃうところが、この作家の凄いところかも知れません。
以下トリビア。参照した原文はMartin Edwards監修British Library 2016(付録のChristina Brandによる「新解決」はまだ読んでいません) 犯罪者たちの略歴は“殺人博物館”madisons.jp/murder/murder.htm, murderpedia.org, Wikiを参照しました。
作中時間は「11月15日金曜日(p19)」が事件発生の日、直近は1929年。(その前だと1918年) 1929年11月だと出版月から見て未来なんですがでもバークリーは日付誤りが多いらしいので問題なし?発表時、その年のカレンダーを見て曜日を決めたのかも (短篇及び中篇Avenging Chanceも同じ日付と曜日になっており、もし1928年発表なら、この曜日にする可能性は低い気がする。これ短篇が1929年初出説の傍証になる?ピアスン誌がカヴァーストーリーにしてるのは初出だからこそなのでは?)
現在価値は英国消費者物価指数基準1929/2020で63.95倍、1ポンド=9016円で換算。
献辞To S. H. J. COX BECAUSE FOR ONCE HE DID NOT GUESS IT (何故か私が参照した原文には掲載なし) S・H・J・コックスは身内じゃなくて出版社の編集者とのこと。
p7 犯罪研究会(Crimes Circle): まるで翌年設立のDetective Clubのような仕組み。
p8 パリ警視庁(Sûreté in Paris): 相変わらず評価が高い。
p14 英国の海水浴場の名前(the name of an English watering-place): が名前に入ってると何故か米国人に受ける、というのは実在の作家への言及か?と思ってList of seaside resorts in the United Kingdom(wiki)を眺めたのですが、思い当たる作家名なし。でもそのリストにSheringham(Norfolk)があり、自分自身(シェリンガム)のことを言ってるということ?
p18 探偵たちの回想録(the reminiscences of a hundred ex-detectives): 18シリング6ペンス=8340円もする分厚い本(普通の単行本は大抵7シリング6ペンス=3381円、本書も同じ。) だが売れ残ってすぐに18ペンス=676円になるという。そんなに回想録あった?調べるとBow Street Runner(1827)、Vidocq(1828)、William RussellのRecollectionシリーズ(1849, 1852, 1856)、Note-Book of a New York Detective(1865)、Allan Pinkerton(1874)が見つかりました。結構ありますね。「眉毛を剃る」(shaves his eyebrows)は、すぐに「つのだじろう」を思い出しちゃいます…
p19 ピカデリー通りのクラブ<レインボー>(Rainbow): 1734年創設で元はコーヒーハウスという設定。List of gentlemen's clubs in London(wiki)には載ってない。たぶん架空。
p20 下世話なコーラスガール(a blasted chorus-girl): blastはdamnの婉曲語。中篇Avenging Chanceではblastedではなくblast。(短篇は未確認) chorus-girlは歌って踊るラインダンサーが一番近いイメージか… 英国ではミュージカルIn Town(1892)が初登場、続くGaiety Girls(1893)が大ヒットしたらしい。フレンチカンカンは1830年ごろの発祥なのでフランスだねか。(wiki)
p23 五十万ポンド近くの持参金: 45億円。
p25 百点まで玉突き(played a hundred up at billiards): English Billiardsでは普通300点が勝利ラインらしいので「早々と切り上げた」という意味か。100点ぎめのゲームも普通だったのか。
p37 国訛りで(in his native tongue): セリフを拾うとGet out o’ ma office、Ye know as well as I do that that letter was never sent out from ’ere、The devil ’e ’as! など。単語冒頭のH落ちはコックニーに限らず下層出身の習いらしい。maとかyeはアイルランド英語?
p40 自分免許の探偵(would-be detective): 自称〜、〜志望の意味。「自分免許」は人情本・花の志満台(1836‐38)の用例あり。(日本国語大辞典)
p43 ハーウッド事件(Horwood case): Brigadier-General Sir William Thomas Francis Horwood, GBE, KCB, DSO (1868-1943)は1920から1928まで警視総監 Commissioner of Police of the Metropolis, head of London's Metropolitan Police(Wiki) 精神を病んだWalter Frank TatamがHorwoodに1922-11-9(誕生日)に砒素入りチョコの箱を送ったが、一つ食べてすぐ苦しくなり、近所の医者の迅速な手当で助かった。
p50 委員会(committees): 社会改良的な活動か。
p55 十八ヶ月前、ラドマスでは(eighteen months ago at Ludmouth): Roger Sheringham and the Vane Mystery(1927年2月出版)のことと思われるが、モレスビーにやられたのがギリギリ出版直前と仮定しても18ヶ月後は1928年8月。となると事件発生月(11月)にも届かない。(この会話の時期については遅くとも12月。下記参照) なので残念ながらこのくだりは年月の確定には役立たないようです。
p57 延長された聴聞会(the adjourned inquest): Crimes Circle初会合(月曜日)と同じ日に開催されている。inquestは死亡者の身元と死因が確定したら、あまり間を置かずに開かれると思うので初会合は11月中か遅くとも12月初頭か。短篇では冒頭シェリンガムとモレスビーの会話が事件の約一週間後(11/22頃)として設定されていました。
p61 ミルサム=ファウラー殺人事件(The Milsom and Fowler murder): 1896-2-14にAlbert Milsome(1862-1896)とHenry Fowler(1864-1896)がHenry Smith(79)をロンドンの自宅で殴り殺した。古典的なcut-throat事件(互いに相手が犯人と罪をなすりつけ合う)で、二人は1896-6-9同時に絞首刑となった。(絞首台上で争うのを防ぐために、間に一人死刑囚を挟んで三人同時に吊るしたらしい。)
p61 年間ずっと3万ポンドの収入(His income of roughly thirty thousand pounds a year): 2億7千万円。「ざっと」の誤植?
p63 一千ギニー: 947万円。1ギニーは1ポンド1シリング(=1.05ポンド)。ほとんど1ポンドと同じとして使われてる場面を読んだことあり。(謝礼や報酬に使われる単位らしい。ちょっと色をつけた、という感じなのか。)
p79 マリー・ラファージュ事件(Marie Lafarge case): Marie-Fortunée Lafarge (1816-1852)は夫を1840年に砒素で毒殺した疑いで逮捕され有罪となった。フランスで大々的に新聞報道された最初の例。
p80 メントン(Mentone): 仏語マントン。イタリア語ならメントーネ。
p81『三匹の熊』(The Three Bears): "Goldilocks and the Three Bears" (originally titled "The Story of the Three Bears") is a British fairy tale、Robert Southeyが匿名で1837年に発表。(wiki)
p82 英国で今年すでに六カ月滞在… もう一歩でも英国に足を踏み入れれば、英国で所得税を払わなければならない: 海外に本拠があっても英国滞在が6カ月を超えたら、英国に所得税徴税権が発生する、という仕組み?調べてません。
p88 肌着(combinations): このコンビネーションについて“I don’t wear the things. Never have done, since I was an infant.”と作家が言う。上下繋がったつなぎっぽい下着のことか。作家が否定してるのは古臭いイメージでダサいから?
p96 陰の女(chercher la femme):「女を探せ、犯罪の陰に女あり」大デュマの小説『パリのモヒカン族』(Les Mohicans de Paris,1854-1859)でパリ警視庁長官ジャッカル氏の口癖として何度も繰り返されるらしい。これがこの有名なセリフの初出だという。(wiki)
p97 メアリー・アンセル事件(Mary Ansell case): Mary Ann Ansell(1877-1899)は1899年に妹Carolineをリンで毒殺したとして逮捕され、絞首刑となった。
p97 ニューヨークで起こったモリノー事件(Molineux case in New York): ブルックリンのRoland Burnham Molineux(1866-1917)は、1898年に恋敵の住居に毒入りの鉱泉水を贈り、うっかりそれを使った下宿の家主Katherine Adamsを毒殺したとされ裁判にかけられ、かなり不利だったが、1901年に無罪となった。
p113 ハミルトン社製(Hamilton machine): このタイプライターは「ハミルトンの四型(Hamilton No. 4)」(p158)とある。文章から受ける感じではポータブルではなく、デスクトップっぽい。Hamilton製Automatic Typewriter(1890ごろ?)というのがWeb検索で見つかったけど旧式すぎる。たぶん架空ブランド。当時の有名ブランドはUnderwood、Corona、Remington、Imperial、Royalなど。
p132 戦時中… タクシー運転手(taxi-drivers)… 面白い習慣(interesting habits): 文脈からすると「誰も二度と乗りたくなくなるような不愉快なやり口」だったらしい。ワザと遠回りして料金をボッタくるのかな。
p138 昔の諺(old saying)… 音なし川は深い(still waters run deep): wikiによるとQuintus Rufus Curtius(1世紀ごろの人)作『アレクサンダー大王伝』にaltissima quaeque flumina minimo sono labi (the deepest rivers flow with least sound)と記され、バクトリア起源という。英語文献では1400年ごろの使用例ありとのこと。
p154 ペイパー・ゲーム(paper-games): 紙を小さく裂いた程度の大きさで遊ぶらしいが、どういう遊びかよくわからない。
p157 彼女の思い出した限りでは『運命の炎』という映画(film called, so far as she could recall, Fires of Fate): 当然架空、と思ったら、意外にも該当あり。Fires of Fate is a 1923 British-American silent adventure film directed by Tom Terriss and starring Wanda Hawley, Nigel Barrie and Pedro de Cordoba. なんと原作はArthur Conan Doyle!小説The Tragedy of the Korosko(1898)を自身で劇化したFires of Fateに基づくもの。
p158 ハーフィールド万年筆インク(Harfield’s Fountain-Pen Ink): 調べつかず。たぶん架空。当時の広告などからメーカーを拾うとPelikan(万年筆用は1886年ごろから販売), Carter, Sanford, Signet, Gimborn, Loma など。
p164 グレゴリー風の詠唱(Gregorian chant): 正しくは「グレゴリオ聖歌」
p164 『輝く瞳』(A Pair of Sparkling Eyes): Gilbert&Sullivan作のコミックオペラThe Gondoliers(1889) Act Two no. 30: Take A Pair Of Sparkling Eyesのこと。
p164 ちょうど20年前にフィラデルフィアで起こったウィルスン博士殺人事件(The murder of Dr. Wilson, at Philadelphia, just twenty years ago): 青酸カリ入りビールによる殺人で、迷宮入り事件だという。色々探したが全然ヒットしない。多分架空。(2021-4-25追記: 最近、ふと気になって再度ググったら、ニューヨーク・タイムズの過去版の記事がヒットした。150年前までの全記事が読めるサービスに登録して読んだら、まさにこの事件の概要にぴったり。1908年6月26日、Dr. William H. Wilsonが送られてきたaleを飲んで死んだ事件。ということは毒チョコは1927年か1928年の事件、ということか。絹靴下事件の私の書評も参照願います。)
p166 確率: かなり誤りの多い計算のような気がする…(でも具体的に何が間違いなのかはパスしときます…)
p167 オニックス万年筆(Onyx fountain-pen):調べつかず。たぶん架空。当時の広告などからメーカー名を拾うとWaterman(1884年に万年筆の特許), Sheaffer, Parker, Onoto, Wahl, Conklin, Dunn, Swan など。値段はもちろんピンキリですが安くて2.5ドル(約4000円)くらいか。
p173 レオブとレオポルド事件: Richard Albert Loeb(1905-1936)とNathan Freudenthal Leopold, Jr.(1904-1971)が実業家の子Bobby Franks(16歳)を1924-5-21に誘拐し撲殺。逮捕され二人とも終身刑となった。
p180 クリスチナ・エドマンズ: Christina Edmunds(1828-1907) 1871年にストリキニーネ入りチョコやケーキをばら撒きSidney Albert Barker(4歳)が死亡、他にも中毒の被害あり。逮捕され死刑を宣告されたが精神異常の疑いで終身刑に。
p202 コンスタンス・ケント: Constance Kent(1844-1944) 1860年に義弟(4歳)Francis "Saville" Kentの喉を切り裂き殺害。1865年に犯行を告白し、死刑を宣告された(のちに終身刑に減刑)
p202 リッツィー・ボーデン: Lizzie Andrew Borden(1860-1927)は1892-8-4に父と義母を斧で殺害したとして逮捕されたが、裁判で無罪となった。
p202 アデレイド・バートレット事件(Adelaide Bartlett case): 1886年に死んだThomas Edwin Bartlettの胃から多量のクロロホルムが見つかり、殺害の疑いで妻Adelaide Blanche Bartlett(1855-?)が逮捕されたが、食道の損傷無しで多量のクロロホルムを投与できる方法がわからず、裁判で無罪となった。
p206 近頃、話が完結するのは流行らない(Stories (...) simply weren’t done nowadays.):「(ダラダラ長くて)最近は単純に小説が終わらない(のでウンザリ)」という意味かな?
p222 カーライル・ハリス事件(Carlyle Harris case): Carlyle Harris(1868-1893)は1891年に妻をモルヒネで殺害、シンシン刑務所の電気椅子送りとなった。
p242 八ポンド: 72126円。中古タイプライターの値段。新品だと1920年にはCoronaが110ドル(約18万円)、1938年にはRoyalが40ドル(約8万円)くらいという情報が見つかりました。(製品グレードは不明)
p261 ジョン・トーウェル(John Tawell): John Tawell(1784–1845)は愛人Sarah Hartを1845年に青酸で殺害、電報による史上初の逮捕という記録を残したが、絞首刑となった。


No.217 7点 箱の中の書類
ドロシー・L・セイヤーズ
(2020/01/02 20:12登録)
1930年出版。By Dorothy L. Sayers & Robert Eustace. Ernest Benn初版の副題はScientific Murder(その後、他社の版にこの副題は登場せず。) 翻訳はとても読みやすかったです。
全篇手紙など手記で構成されてるし、ピーター卿が登場しないので(レギュラー・キャラではサー・ジェイムズ・ラボックが登場)ちょっと読むのに時間がかかるかな?と思ったらあっと言う間に読んじゃいました。1930年代の英国好きならとても楽しい読書になるはず。作者お馴染みの女性と男性、新潮流と伝統、などの対立が裏テーマ。副題にたがわず科学の話題も豊富(アインシュタイン、宇宙論、エントロピー、生命の謎、などなど)で、ここら辺は理系人間の存在を感じさせます。(手記52の会話とか研究室の描写など特に)
構成は上出来で、手記の書き手によって登場人物の印象が変わるところが上手に表現されています。そして、まさかの大ネタ!(子供の頃、夢中になってMGの『1964年の名著(ネタバレ自粛)』を読んだものです… もしかしたらあの本には本書への言及があったかも。本が見当たらず未調査。)
Letters of Dorothy L. Sayers(ed. by Barbara Reynolds)を読むと、当時、セヤーズさんはウイルキー・コリンズ伝(結局未完)を書くため色々調べていて、1928-11-19付けの手紙に、今度の作品は「一人称語りの集成 a la Wilkie Collinsでやってみる」と書いています。
共作となった経緯は、1928年3月ごろロバート・ユースタス 本名Eustace Robert Barton(1854–1943)と何かのきっかけで知り合い、90年代のL・T・ミード夫人との共作みたいなのも良いですね、ピーター卿じゃなくて新しいキャラで、でも変てこな特徴を持つ探偵たちがすでに沢山いるので新基軸を思いつくのは大変!とか言ってるうちに、ユースタスが毒キノコと大ネタを提供し、セヤーズさんがそのアイディアを気に入り長篇となったようです。(上記書簡集より)
その後もセヤーズさんはユースタスに医学的アドヴァイスを求めStrong Poisonの考証を依頼したりしてます。
以下トリビア。(訳注が行き届いているので、ほとんど訳注ネタを広げてるだけ…) 本作への注釈のWebページを見つけました。www.dandrake.com/wimsey/docu.html 当時の科学知識について詳しい様子。(その内容はよく読んでません) そこからのネタは[DAND]と表示。
作中時間は1928年9月から1930年11月まで。
現在価値は英国消費者物価基準1928/2020で63.24倍、1ポンド=8916円で換算。
p9 第1部 統合(Synthesis): ヘーゲルのthesis, antithesis, synthesisではなくて「第2部 分析」(p161)Analysisの対義語として使っているのでしょう。
p11 安静療法… 夢や潜在意識: この家政婦は精神分析医(p74)にかかっている。米国人の金持ちの道楽かと思ってたが、結構一般的だったのか。
p12 今この国に女性が200万人もよけいにいる(two million extra women in this country): 大戦による若者の戦死が原因。今更気づいたのですが、セヤーズさんが繰り返しテーマにしてる女性の社会進出ってそーゆーことですね。
p15 ストーム・ジェイムスン(Storm Jameson): Margaret Storm Jameson(1891-1986) ジャーナリスト、小説家。
p22 一足10シリング… 商店で同じ品質のものを買ったら、安くても15シリング: 10シリングは4958円。15シリングは6687円。靴下1足としてはかなり高価な気がする。自己評価が過大ということか。靴下の広告(Wilson Brothers製、土曜夕刊ポスト誌1928)を見ると高くても1足1ドル=1600円ほど。
p24 バンジー(Bungie): このニックネームの由来は何? リーダース英和では、チーズとかバンジー(ジャンプ)のコードとか…
p25 トッテナム・コート・ロードで買ってきたような、芸術品まがいのもの(all arty stuff from Tottenham Court Road): 大英博物館が近い。
p25 家には“お手伝いさん”がいる— あの夫婦なら当然だよな(They keep a ‘lady-help’ — they would!): 当時の「家政婦」の上品な言い方かな?後ろのthey wouldはその言い方を馬鹿にしてるんだと思います。家の主人の手紙の中ではcompanion(アガサ姉さんの作品に出てくるやつだ) 確かにこの人、夫婦の会話に割り込んできたりして違和感があった。maidじゃないんですね… (だとすると、登場人物紹介で「家政婦」というのはちょっと… 「話し相手(コンパニオン)兼家政婦」くらいでどう?)
p28 マイケル・アーレンの最新作(the latest Michael Arlen): Michael Arlen(1895-1956) 作者の別の作品にも登場する当時の流行作家。当時の最新作はYoung Men in Love(1927)
p28 腺だよ、腺が問題なんだ、とバリーなら言うところ(Glands, my child, glands are the thing, as Barrie would say): J. M. Barry(1860-1937)作Dear Brutus(1917初演)Act IIのセリフFame is rot; daughters are the thingのもじりか。
p29 ニコルソンが『英国伝記文学の発達』(Nicholson’s book on The Development of English Biography)の中で主張… “純粋な”伝記(‘pure’ biography)の時代はもう終わり、これからは“科学的伝記”(‘scientific biography’)の時代になる: Sir Harold George Nicolson(1886-1968)の著作(1928) コリンズ伝は‘pure’ biographyとする予定だったのでしょう。
p29 フランスの金言のとおり、すべてを理解すればすべてを許せる: トルストイ「戦争と平和」が元と思われるTout comprendre, c'est tout pardonner.のことですね。
p30 署名、ジャッコ、ほとんど人間に近い猿(Signed Jacko, the almost-human Ape): Gus Mager作の名探偵パロディ漫画Sherlocko the Monk(1910-1913)「お猿のシャーロッコー」を思い出しました… (この漫画、ドイルの抗議で有名ですが、全篇Arthur Conan Doyle Encyclopediaで無料公開されてます。)
p31 “結婚式の客”のように話を聞く…: Coleridge作Ancient Marrinerより。The Wedding-Guest stood still, /And listens like a three years' child: (…) The Wedding-Guest sat on a stone: /He cannot choose but hear; (…)
p32 ぼくは平和を愛する(I'm a man of peace, I am): [DAND] John Masefieldの小説Captain Margaret(1908)の第1章THE "BROKEN HEART"から
p33 チェスタトンがどこかで、偉大なるヴィクトリア朝の妥協について語っていた(Chesterton speaks somewhere of the great Victorian compromise): The Victorian Age in Literature(1913)第1章 The Victorian Compromise and Its Enemiesのことかな?
p34 リバティーの花柄カーテン: Liberty百貨店か。
p36 ホルマン・ハント(Holman Hunt): William Holman Hunt(1827-1910) ラファエル前派の画家。
p39 クーエ療法: この小説によると毎日、朝20回「わたしは冷静、強い、自信がある」、夜20回「わたしは満足し、安らかだ」と唱える精神療法らしい。薬剤師Émile Coué(1857-1926)が1910年に創始した自己暗示法。ナポレオン・ヒルなど米国人に影響を与えた。
p39 熊氏(the Bear): 家の主人George Harrisonが何故コンパニオンから手紙の中で「熊」と呼ばれているのか?It was always the dream of my childhood to sit upon an iceberg with a bear.と語っていた熊好きの宗教・神話学者Jane Ellen Harrison(1850-1928)と関係あり?
p42 J・D・べレスフォード『声に出して書く』(Writing Aloud): John D. Beresford(1873-1947)作の小説(1928)
p43『貞淑な乙女』(The Constant Nymph): Margaret Kennedy(1896-1967)作の小説(1924)
p43『甘唐辛子』(Sweet Pepper): 訳注なし。調べつかず。原文はShe thought Sweet Pepper was powerful, but nevertheless there was something about it that redeemed it. 作品名ではなく、実は食べ物の「ししとう」のことを言ってる?
p44『冬が来れば』(If Winter Comes): A. S. M. Hutchinson(1879-1971)作の小説(1921)
p54 少額ながら、小切手を同封します。時や国を問わず、つねにふさわしい贈り物だと思う(I enclose a little cheque, as an offering which is always suitable in every season and country): 禿同。
p55 下水設備: アウトドア生活でトイレは大きな問題ですよね。特に女性にとっては。
p59 ギルバート・フランコーの新しい本: チェスタトンにすら訳注がついてるのに、ここには無し。Gilbert Frankau(1884-1952) 英国作家。作品はSo much good: A novel in a new manner(1928)のことか。(内容は調べつかず。コンパニオンが読んだ本という設定だが…)
p71 前渡金100ポンド、五百部まで10パーセント、千部まで15パーセント、以後20パーセント、それに次の二作は前作の最高レートから始める(£100 advance, 10%, to 500, 15% to 1,000 and 20% thereafter, with a firm offer for the next two beginning at top previous rate): 前渡金89万円。多分かなり割のよい契約。著者印税って常に一割だと思っていました。
p72 新しいタイトル: セヤーズさん(かユースタス)が当初考えてた本作のタイトルはThe Death Cap。Capはキノコの傘、Black Cap(死刑宣告時に裁判長がかぶる帽子)のイメージも喚起。
p81 印刷所は理由があってわたしを迫害する(Printers have persecuted me with a cause): KJVの一部の版(1612)のミスプリをもじった。詩篇119:161 「もろもろの侯はゆゑなくして我をせむ」(Princes have persecuted me without a cause)の冒頭をPrintersとしていた。("Printers Bible", Wiki: Bible errataより)
p84 ハルパガスの饗宴… 茹でた赤ん坊(Harpagus-feast of boiled baby):「メディアのハルパゴス」(wiki)参照。ずいぶん酷い話だけど、比べると我が国の「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」は異常。これに感情移入してしまうメンタリティは昔から社畜傾向が強いということか。
p85 イースターまでは動けない。家賃を四半期分払っている(but I must stay on till Easter, because the rent is paid up to the quarter): 1月から3月まで支払い済みということか。1929年の復活祭は3月31日。家賃は四半期払いが通例だったのかな?英国小説で敷金・礼金は読んだことはないが…
p87 七シリング六ペンス: 3343円。当時の新刊ハードカヴァーの定額。
p87 無意識… 一夫一婦制… 女は真実を語れるか?、妻は本を出すべきか、子供を産むべきか?(Should Wives Produce Books or Babies?)… 今日の伯母のどこがおかしい?(What is wrong with the Modern Aunt?): 当時の週刊誌ネタ。最後のは意味がよくわかりません…
p100 ウィンチェスター校のネクタイ: そーゆーもので出身校を表明するって、あざとい風習ですけどわかりやすいですね。英国の私立大学においてはスクールタイと呼ばれ、大学を示すためのネクタイは19世紀頃から広く普及、とのこと。Regimental Stripeデザイン(幅広の斜めストライプ)のネクタイは、意味がある場合があるので避けた方が無難なようです。
p100 パン焼き用フォーク(toasting-forks): パンを火に炙ってトーストにする時に使う柄の長いやつらしい。
p102 クリッペン… バイウォーターズ… 死んだ妻を浴槽に隠し… 蓋の上で食事していた男: セヤーズさんが大好きな犯罪実話より。Hawley Harvey Crippen(1862-1910)、Frederick Edward Francis Bywaters(1902-1923)、最後のはGeorge Joseph Smith(1872-1915)でしょうね。
p106 ヒチェンズやド・ヴィア・スタックプール: Robert Hichens(1864-1950)、Henry De Vere Stacpoole(1863-1951) 恋愛小説家の代表として挙げられている。
p118 ローラ・ナイト: Laura Knight(1877-1970) 女流画家の先駆け的存在。Self Portrait with Nude(1913)などで物議を醸し出してたようです。
p120 ペトラ(Petra)… ロロ(Lolo): Francesco Petrarca(1303-1374)とLauraのこと。p126参照。
p137『聖なる炎』(The Sacred Flame): サマセット・モーム作の戯曲(1928)
p144 特急は… 定刻どおり9時15分にニュートン・アボットに到着した(The express... reached Newton Abbot dead on time at 9.15): やはり昔の英国鉄道は時間に正確だったのか。(そーでないとクロフツの作品が成立しない。)
p145『ジャマイカの烈風』(High Wind in Jamaica): Richard Hughes(1900-1976)作の小説(1929)、海賊のくだりが良くないようです。
p145 ローカル線… ようやく20分遅れで… 着いた(the local... we were turned
out, twenty minutes late, on the platform): 昔の英国鉄道は「概ね」時間に正確ということか。
p148 スコットランドでは“バット・アンド・ベン”と呼ばれるもの: But and ben (or butt and ben) Wikiによるとouter room(リビングやキッチン)がbutで、inner room(寝室)がbenらしい。
p152 コンデンス・ミルク: 新鮮なミルクが得られないので日持ちする牛乳の缶詰ということ。冷蔵庫がない時代の工夫。
p154 アナトール・フランスの言うとおり、人はつねに、いや少なくともたいていは、具体的な言葉を用いてものを考える: Anatole Franceのこの引用は調べつかず。
p159 つい最近、着ている服にガソリンをかけて火をつけ、自殺した男がいた: 実際の事件が何かあったのか。なおBlack Thursday(1929-10-24)に多数が自殺、というのは当時の統計を分析するとデマ(か自虐ジョークの誤伝)らしい。
p164 特別な神慮のように(like a special providence): 訳注はthere's a special providence in the fall of a sparrow. (Hamlet Act5 Scene2)の引用としている。
p164 自分がはまり込む穴を掘っていた… 聖書に出てくる邪悪な男みたいに(he was digging a pit for himself to fall into, like the wicked man in the Bible): 伝道の書より。Ecclesiastes 10:8 He that diggeth a pit shall fall into it (KJV)
p164 ラテン語で、神は破壊しようとする人間をまず狂わせる(something in Latin about when God wishes to destroy anybody He first makes him mad): “Whom the gods would destroy”(wiki)によると17世紀にthe neo-Latin form "Quem Iuppiter vult perdere, dementat prius" (Whom Jupiter would ruin, he first makes mad)という例あり。
p167 検死審理: Inquestの定訳はまだないのだろうか?
p167 ジョージ・ハリソン(五十六)(George Harrison, aged 56): [DAND]息子は1928年10月で36歳。父は20歳で結婚(p52)とある。父が死亡時(1929年10月)に56歳なら息子は結婚前に仕込まれたのでは?
p190 私立学校(パブリック・スクール)で教育を受けた人がやらないこと: 同窓生を裏切ることを意味しているようだ。
p191 舌は疲れを知らない器官(An unruly member)… 聖書にはそうある:「ヤコブの手紙」より。James 3:5 Even so the tongue is a little member(...) 3:8 But the tongue can no man tame; it is an unruly evil (KJV) 3:5 斯くのごとく舌もまた小きものなれど(...) 3:8 されど誰も舌を制すること能はず、舌は動きて止まぬ惡にして(文語訳)
p195 五ポンド札一枚賭ける: 44580円。当時の流通紙幣5ポンド以上はBank of England発行のWhite Note(白地に黒文字、絵なし。裏は白紙)。5ポンド紙幣は195x120mm。
p197 ニューズ・オヴ・ザ・ワールド: セヤーズ作品お馴染みの煽情週刊誌。実はモータージャーナリストの夫が寄稿してた週刊誌なので、楽屋落ちなんですね。妙に車やバイクの描写が詳しい(ダイムラー・ツイン・シックスとか)と思ったら付き合ってる男の影響だったのか。
p208 ベヴァリー・ニコルズやロバート・グレイヴズといった青年たち: Beverley Nichols(1898-1983)、Robert Graves(1895-1985) 家庭内の出来事を書き散らす代表として挙げられている。
p238『ロッサムの万能ロボット』(Rossum's Universal Robots) : チェコ人チャペックの戯曲(1921)、英語訳Paul Selver、英国初演1923年。
p241 卑しい虫けらになったように感じる: セヤーズ作品では終盤いつもこうなります。私が日本作品をあまり読まないのは、邦人が登場するとフィクションの犯罪でもなんだかとても生っぽい感じがして楽しめないからなのです。
p243 陰気なアランデル画が何枚も(a series of melancholy Arundel prints): 訳注 美術の普及を推進するアランデル協会発行の複製画。Arundel Society(1849-1897) 美術保存の啓蒙のため、過去のイタリア絵画、特にフレスコ画を印刷した。1904年創設のArundel Clubが意を継ぎ、重要な絵画の複製を普及させている。(現在は活動してないのかな?)
p243 牛肉、おしゃべり、教会、無作法、ビール(Beef, noise, the Church, vulgarity, and beer): オックスフォードの誰かが1920年代にこう言ってたらしい。Five things these Chestertonian youths revere: Beef, noise, the Church, vulgarity and beer! (One Sword at Least: G. K. Chesterton(1874-1936) by Anthony Cooney(1998)の冒頭から)
p245 シロアムの塔の下敷きになった18人(eight on whom the tower of Siloam fell): ルカ伝 13:4 Or those eighteen, upon whom the tower in Siloam fell, and slew them(KJV) 原文の誤り(eight)を翻訳ではこっそり直してます。でも登場人物が誤って覚えてた設定なのかも。
p246 みんな、たがいの体の一部: エペソ人への手紙 4:4-16のあたり
p246 “猿と虎”先祖説(ape-and-tiger ancestry): 調べつかず。
p254 クリッペンと無線(Crippen and the wireless): その逮捕にはwireless telegramが役に立った。
p256 ハイドンの『天地創造』… ティンパニーが静かに、容赦なく、同じ音程で鳴る、あの部分…「そして神の魂は、水の面を動き… 光あれ、そして光が」: 第一楽章の序曲から合唱が静かに入り「光」のところで衝撃的に盛り上がるところ。
p259『月長石』でいつ爆発が起きるのかと尋ねる、あの善良な婦人: Fourth Narrativeの中程の場面、Mrs. Merridewの可愛いセリフ。

(2020-2-2修正)
Bank of Englandに紙幣のサイズを明記したページWithdrawn banknotesがあったので修正しました。


No.216 6点 まだ死んでいる
ロナルド・A・ノックス
(2019/12/26 01:05登録)
1934年出版。HPB(1958)で読了。橋本さんの訳は読みやすかったです。
ブリードン(この訳では「ブレダン」)探偵の第4話。ちゃちゃを入れる妻とスコットランドに旅行します。(ちっちゃい子供がいるのに躊躇なく夫婦揃って出かける感覚が欧米か?) 時間がゆったりと流れ、冒頭の謎は強烈とまではいかないけど結構不思議な状況。いったい何が起こったの?という感じ。間の小ネタも程々… なんですが、大ネタがうーん、そーするか?という仕上がり。作者は手がかりの散りばめを解決パートでいちいちページ数まで明示しており、フェアには見えますけど… 読後感はJDC/CDに似た感じ。(JDC/CDと言ってもピンキリですが)
ところどころに「わたし」(p18、p62、p72など)が出てきて、誰?と思ったら、著者ノックスがいきなり顔を出してるんですね。(最初はブリードンの一人称なのかと思いました。)
以下トリビア。
タイトルは後書きで都築さんが「Still aliveの逆」としています。Still Life(静物、静物画)の反対語としてもいけますか?その場合、Stillは形容詞「じっと動かない」という意味ですね。
作中時間は日付と曜日(2月11日土曜日など)から出版直近では1933年が該当。
現在価値は英消費者物価指数基準1933/2019で70.98倍、1ポンド=10009円で換算。
献辞「ロバート・ハヴァート博士」(To Dr Robert Havard)は死亡推定時間関係の助言者かな?(ここがちゃんとしてないと本作は成立しない。)
p15 小さな下水汚物利用農場(a miniature sewage-farm): 糞尿などを含む下水を利用する農法か。Haber–Bosch processによる人工の窒素肥料はWWII以降。
p15 氷室(ice-house): 毎冬荷車で氷が積み込まれ、夏に使われる。氷枕(ice-pack)の氷を得るため魚屋(fishmonger)に行く(p35)との話題で、ならうちの氷室からどうぞ、とある。電気冷蔵庫普及前の話。1948年で英国一般家庭の普及率2%!(1959年でも13%) とするとJDC/CDのあの作品(1938)は結構早い例。米国ではペリー・メイスン『空っぽの罐』(1941)ではまあまあ普及してるような感じ。
p16 限定相続(entail): 辞書には「限嗣不動産相続」とある。本作によると、嫁いだ娘には(不動産の)相続権がないらしい。
p16 ちゃんとした私立学校(a good public school): 「そこそこ、普通」という感じか。goodは褒め言葉じゃない印象。二流のパブリック・スクール(ピーター卿「イートンとハロウ」以外はpublic schoolじゃない… やな感じ。)からオックスフォードに進んだものか。
p17 安っぽい社会主義論(cheap Socialist sentiments): この時代、英国の若者に流行った潮流。
p17 資産は残るが... 他人に相続(the property would survive [...] in the hands of strangers): 他人と言っても血縁者ですが、妻には(多分、ここでは不動産の)相続権がないらしい。だが遺言という方法ではダメなのか?(土地がむやみに分割されてしまうのを防ぐのが「限嗣不動産相続」の趣旨ならば、遺言という抜け道を認めないのでしょうね。)
p19 トニイ・ランプキン(Tony Lumpkin): Oliver Goldsmithの劇She Stoops to Conquer(1773)に登場する有名なキャラ。(wiki)
p19 スコットランド人の飲み方: イングランドとの比較が語られています。
p21 マロックにおけるオウジルヴィ青年(like young Ogilvie at Malloch): 訳注なし。カトリックに転向したスコットランド人の聖人John Ogilvie(1579-1615)のこと?Mallochとの関連は調べつかず。(グラスゴーにMalloch Streetはあるが…) Ogilvie MallochでWeb検索したら他にスコットランドの文人Hugh MacDiarmidが引っかかりました。(こちらは多分違う)
p21 彼もローマに行っている(he had gone over to Rome): "Gone over to Rome" in British English means "converted to Roman Catholicism" ノックス神父もカトリック転向組。改宗前のチェスタトンの考え方に影響を受け転向(1917)、逆にチェスタトンの改宗(1922)に影響を与えたという。
p21 時代遅れな頬髭(a little behind the times in continuing to wear side-whiskers): 英国でヒゲが第一次大戦以降廃れたのはガスマスクを付けるのに邪魔だったからという説あり。
p22 新しく買ったスポーツ車(new sports car): 車種は不明。
p23 最近このあたりでは交通事故が多かった(there have been so many accidents round here lately): 出版時の英国での年間死亡者数は約7500人。毎年、ぐんぐん上昇していた。(Wiki: Reported Road Casualties Great Britain)
p27 レン氏の著書(the works of Mr. Wren): P.C. Wren(1875-1941) 小説Beau Gest(1924)は映画化(1926 無声映画)され評判となった。
p39『知れる者、望める者に、不正はなされず』(Scienti et volenti non fit injuria): 原文ラテン語。『ブラクトン』(13世紀の書『イングランド王国の法と慣習』)起源とされてきた法格言「知りそして望む者に不法は生じない」(Bract, fol. 20. An injury is not done to one who knows and wills it.)
p40『各自、分に応じて』(Jus suum cuique): "Suum cuique" or "Unicuique suum", is a Latin phrase often translated as "to each his own" or "may all get their due"
p40 山岳地方… 低地(Highland… Lowland): 訳は「高地」と「低地」で良くない?ここではイングランド人のスコットランド偏見あるあるを紹介。
p42 あさ黒い顔の女(a dark woman): 髪と目の色のことだと思うけど、ここでは農作業などで色黒になってる、という可能性もあるか?でもdarkの一般的なイメージは「黒髪の女」ではないか。
p49 心霊研究会(Psychical Research): コナン・ドイルは1930年にインチキ判定の基準が厳しすぎるとしてSociety for Psychical Research(SPR)を脱退したらしい。
p63 父は… 電話をつけようとはしなかった… 結婚の贈り物として… この家に電話をつけさせた: 電話が普及してない時代です。親戚は未だに電話をつけないでいると愚痴っています。
p82 一番いい時期でも二十ポンドの値うちもなかった(not worth twenty pounds at the best of times): 20万円。積みわら(rick)の値段。値段じゃない可能性もあり?重さなら9kg
p89 例の『時間についての実験』という書物をお読みでしたか?(Ever read that book, “An Experiment with Time?”): 予知夢と時間についてのJ. W. Dunneの著作(1927)で当時よく読まれたという。カーター・ディクスン『かくして殺人へ』(1940)に登場するMr. Dunne’s theoryは多分これのこと。
p92 チェスを闘ってる二人の脳波のブンブンという音が聞こえるような(you could almost hear the brain-waves of the two chess-players): 脳波は「ブンブン」いうのかな?と思って原文を見たら何も書いてない…
p93 青年の持ってた雑多な本の一覧。このうちClubfoot the Avenger(1924)はValentine Williams著のClubfoot(Dr. Adolph Grundt)シリーズ第三作で諜報員Desmond Okewoodが活躍するスパイスリラー。Dulac’s Arabian NightsはEdmund Dulac挿絵のStories from the Arabian Nights. Retold by Laurence Housman(1907)。Angel Pavement(1930)はJ. B. Priestley著、大不況直前の会社員を描いた小説。Walsham How(1823-1897)は英国教会の主教。The Mysterious Universe(1930)は英国天文学者Sir James Jeansの啓蒙科学書。『ボートの三人男』があるのがなんか良い。
p93『さまようウイリイ』の歌曲に合わせて書かれいる詩(the one [poem] written to the air of Wandering Willie): 続く引用3箇所はスティーヴンスン作“Home no more home to me, whither must I wander?(To the Tune of Wandering Willie)”(1888)、詩集Songs of Travel and Other Verses(1896)のXVI番。曲はWebで聴けます。Wandering WillieはRobert Burnsが好きだったスコットランドの古いメロディに詩をつけたもの(1793)。
p94 わたしの死ぬるときには… (Be it granted me to behold you again in dying, Hills of home, and to hear again the call——): ステーヴンスン作To S. R. Crockett、詩集Songs of TravelのXLIII番。
p95 わたしの墓石には…(This be the verse you grave for me, Here he lies where he longed to be; Home is the sailor, home from sea And the hunter home from the hill.): ステーヴンスン作Requiem(1880)より。
p99 ゴルフのクラブくらいを動かすのをためらう(be squeamish about mislaying the golf-clubs): 唐突にゴルフクラブが出てきますが、慣用句なのかな?
p110 洞窟(caves): 洞窟の例をCyclops, Ali Baba, Cacus, pirates, brigands, smugglers, Jacobites or Covenantersと列挙してます。
p115 数シリングの銀貨(a few shillings in silver): 当時のシリング単位の銀貨はジョージ五世、1920年以降は純銀製から.500 Silver製に変更。クラウン、半クラウン、フローリン、シリングの4種類。
p115 一ぺニイ包みのパイプ掃除具(a penny packet of pipe-cleaners): 1ペニーは42円。
p135 ワーカーズ・アーミー・カット(Worker’s Army Cut): パイプ煙草の銘柄。The Viaduct Murderにも登場してるが架空のものか。「国民の半数が吸っている(p137)」銘柄という設定。
p136 一ポンド十シリング(One pound ten): 15014円。巻煙草入れ(cigarette-case)の中に入っていた金額。
p142 十六ペンスを無駄にとばして(burning away sixpences): 667円。懐中電灯の値段。原文では「6ペンス貨幣(複数)」なので値段は不明。(1枚250円)
p158 どのホテルにも十三号室という部屋はない(All sorts of hotels you’ll find which don’t keep a room number thirteen): いつからそういう習慣なのか。
p159 近頃ではカン詰や箱詰の食料品を買う習慣がついてしまった… この荘園でも自分のうちでパンをやく女なんかほとんどいない…(the habit of buying stuff in tins and boxes is growing up in these days. Very few of the women on the estate ever take the trouble to bake a scone): 冷蔵庫が普及してなかったので1947年の調査でもかなりの缶詰製品(canned fish, condensed milk, baked beans, peas)が出回っていた。多分WWIの兵隊食がこーゆー食料品を一般に広めたのでは?「パン」はscone、ここではお菓子の方を意図してる様な気がする。(お菓子を手作りする女すらほとんどいない…)
p160 スコットランド人の職業心: スコットランド人は自分の仕事を愛してるが、イングランド人は遊ぶことだけが好き、という国民性を紹介。
p167 ローマカトリック教徒: 「干渉しない」ので宗教として一番良い、と控えめな賞賛。
p167 孔雀の羽根(peacock’s feathers): 「屋内に持ち込む」のがタブーらしい。ここでは女中(housemaid)がうっかり家に持ち込んでいる。すでに時代遅れになっていた迷信なのか。
p182 飛車の頭で猫を撫でて(scratching the cat with the top of the King’s rook): 良く分からない。王様側のルーク(香車)?深い意味など無くのんびりしてる描写なのか。
p189 ミュッセの詩… いかがなりや/マントノンのごきげんは?(that haunting poem of de Musset’s in which every verse ends with the refrain : Qu’est ce que c’est que le tong Maintenong?): 調べつかず。マントノン夫人ならMaintenonだが…
p204 事後従犯(an accessory after the fact):「スコットランドの法律には事後従犯なんて無い」JDC『連続殺人事件』より。
p209 マンテーニャ流の顔(Mantegna face): アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna, 1431-1506) イタリアの画家。厳しい感じの顔か。
p209 いい子だから、胸当てでもつけてきたまえ(Put the chest-protector on, like a dear): 攻撃に備えよ、という意味か。chest protectorはフェンシングの防具?
p235 戯れ歌「わが家はたのし、わが家こそは/たのしい小さな家、それはわが家!」(Ours is a nice house, ours is; What a nice little house ours is!):ミュージックホールのコメディアンAlfred Lester(1872-1925)の曲OUR'S IS A NICE 'OUSE, OUR'S IS(Rule & Holt作詞作曲)、レコード録音1922年頃。某Tubeで聴けます。


No.215 6点 ベローナ・クラブの不愉快な事件
ドロシー・L・セイヤーズ
(2019/11/25 00:08登録)
1928年7月出版。ピーター卿第4作。安定の浅羽訳。Bill Peschelのホームページplanetpeschel.comにあるAnnotating Wimseyからのネタは[BP]で表示。
英国のクラブという不思議な場所が舞台。おっさんの居場所としては羨ましい制度だと思います。今回の主題は大戦で戦ったのに酷い境遇になったものへのやるせない想い。あとは結婚って結構良い仕組みという作者の実感。ミステリとしては推理味はあまりなく、ストーリーの流れで読ませる作品。
以下、トリビア。
作中時間は物語の冒頭が11月11日。作中に第2作目への言及があり、パーカーの地位から『不自然な死』のあとの事件であることは明白。となると1927年11月11日で確定です。
現在価値は英国物価指数基準1927/2019で62.3倍、1ポンド=8767円として換算。
p9 苔面爺さん(OLD MOSSY-FACE): 第1章の題名だけカードの主題(ブリッジか)から外れてるようなので、いろいろ調べると、かつてトランプが課税されてた時代のもしゃもしゃしたスペードのエースの図柄のことらしい。英wikiにOld Frizzleとして項目あり。
p10 戦没者記念日(remembrance-day): 11月11日。「休戦記念日(Armistice Day)」と同意で第一次大戦終了の日。別名Poppy Day。赤いヒナゲシの花(The remembrance poppy)を戦没者哀悼の印として胸に飾る。Kurt Vonnegutの誕生日で米国ではArmitish day。ヴォネガットは名称がVeterans dayに変わった(1954)ことを嘆いていました。
p16 色の黒い痩せた男(a thin, dark man): お馴染み「黒髪の」
p23 一流連隊の士官株購入(buying him a commission in a crack regiment): Purchase of commissions in the British Army(wiki)に詳細あり。英国陸軍1683-1871の慣習だったようです。(海軍にはなかったらしい。)
p28 十一月五日… 水晶宮… ハンプステッド・ヒースかホワイト・シティ: 11/5は訳注なしですがガイ・フォークス・ナイト。[BP]三つの場所はいずれも小高くなってて花火見物に適している所。
p30 二千ポンドほどの… 有価証券: 1753万円。当時年に100ポンドの利息。利率5%
p36 バッハ… パリー: [BP]で知ったのですがセヤーズさんはOxford Bach Choirのメンバーだったのですね。どうりで古楽に親しんでいるわけだ。[BP]訳注では詩篇の引用となってる「何となれば人は」はHubert Parry(1848-1918)の“Lord, Let Me Know Mine End” from “Six Songs of Farewell”(1918)
p50 ビスケー湾(Bay of Biscay): [BP]英仏海峡で一番荒れるコース。食事したの「反対」とは「吐いた」の意。
p57 誰だかの書いた話に出てくる不運な幽霊みたいに(like the unfortunate ghost in that story of somebody or other’s): 姿が見えず声も届かないので意思疎通が出来ないシチュエーション。どこかで聞いたような話ですが、調べつかず。同ネタいろいろありそう。
p71 二ポンド十シリング(two pounds ten): 約2万2千円。老紳士が外出する際に持っていたお金。
p72 Jペン(‘J’ pen): ペン先の種類。かつてはA-Zまであったらしい。今も残るのはGペン。vintage nibsで検索すると色々出てきます。
p74 わかった、スティーヴ(I get you, Steve): 訳注 当時の流行語「がんばれスティーヴ」のもじり、となっていますが [BP]によると初出はW.L. George作 The Making of an Englishman(1914)で由来不明とのこと。
p80 コッカーに則っている(according to Cocker): [BP] 英国では算数の教科書Cocker's Arithmetick(1677)が150年以上使われ、absolutely correct, according to the rulesの慣用句となった。(英wikiにより修正)
p80 八シリング十六ペンス(eight-and-six-pence): 原文はどう見ても「8シリング6ペンス」(=3726円) 簡単な化学分析1件の値段。
p81 フラットとなると店子は雑用をこなすのも手伝いを雇うのも、全て自分: 家具付き下宿(furnished apartments)だと大家がいろいろやってくれるが「フラット」だと違うらしい。
p82 二度鳴らす(rung twice): 下宿の場合、ドアベル1度だと地下の大家が出てきて、2度だと1階の住人が顔を出す仕組みのようです。(ピーター卿は世情を知らなかったと評されている。) 探すとWilkie Collinsの劇“Miss Gwilt”(1875)に表玄関のドアベルが鳴ってlodgeのメイドがOne ring for the first floor, two rings for the second, and so on up to the garretと言うシーンがありました。(このlodgeには地下室が無いので1回が1階の意味なのか)
p83 六シリング六ペンス: 2849円。多分ウィスキー1本の値段。
p87 『ロージィの週間小話』の<ジュディスおばさん>欄(Aunt Judith of Rosie’s Weekly Bits): 週刊誌?調べつかず。架空のものか。
p103 自動交換式(automatic boxes): ロンドン最初の電話ボックスは1903年。有名な赤い電話ボックス(K2)は1926年から設置。最初ダイヤルなしの電話で、必ず交換手に依頼する方式。1925年ごろからコインボックスと(AとBのボタンと)数字だけのダイヤルが付き、同じ局内なら番号だけ回せば自動で繋がるようになった。違うエリアにかけるときは交換手を呼び出す仕組み。やがて英字もダイヤルに示されるようになりWIMbledonならWIMと回せば局番違いでも繋がるようになった。この小説の時代だと数字だけのダイヤル式だと思われる。ここに出てくるチャリング・クロスとメイフェアの間は約1.8kmなので同じ局内だったのかな?
p103 地区伝言会社(A district messenger)の者が手紙を(with a note): 訳注 現在のバイク便のようなもの。英wikiにTelegram messangerとして項目あり。米国なら民間会社ですが、英国では中央郵便局(G.P.O.)がユニフォーム姿の少年たちを使って自転車で電報を配達してました。(なのでここは「配達の少年が電報を」という意味ですね。)
p112 一シリング(a shilling): 438円。タクシー運転手へのチップ。乗ったのはポートマン広場からハーリー街まで。距離0.6マイル。現代ならタクシー代は約750円。
p120 熊の見世物小屋(beargarden): 1576年から1682年までロンドンにあった見世物劇場。熊だけじゃなく馬や雄牛や犬も登場する残酷ショーが繰り広げられたらしい。英wikiに詳細あり。
p257 ジョージ・ロービイ(George Robey): ミュージックホールの喜劇スター(1869-1954) ここの引用“getting up from my warm bed and going into the cold night air”は調べつかず。
p277 オースチン・フリーマン『声なき証人』(A Silent Witness): ネタバレあり?作品を読んでないのでわかりません。
p304 腰をおろせば悲劇も喜劇になる(you could always turn a tragedy into a comedy by sittin’ down): [BP] Possibly Henri Bergson, quoting Napoleon. ベルグソン『笑い』第5章からの引用。座ると自分の肉体を思い出すので、ドラマチックな悲劇的気分が抜ける、という話らしい。
p307 一日じゅうペイシェンスをやっていました。…一番簡単な...<悪魔>…(I played patience all day... the very simplest... the demon...): ピーター卿のセリフ。米国ではCanfield。(Klondikeも別名Canfieldですが違う遊びです。) wiki「キャンフィールド」参照。iOSの無料ゲームがあったので遊んでみましたが完成が難しい。選択の余地がほとんどない運任せのソリティア。1890年代Canfield Casinoで参加料50ドル(=16万6千円)を賭け、台札1枚成立につき払い戻し5ドル、完成したら賞金500ドル。1ゲーム当たり平均5-6枚の払い戻しで胴元は大儲けだったらしい。(賭け金が高すぎるような…)
p313 女同士、はたして打ち明け話などするものだろうか: 作者の実感っぽい。
p323 牡蠣に火を通すのは主義に反する(opposed on principle to the cooking of oysters): 昔は西洋人が生で食べるのは牡蠣くらいのものだった。
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イアン・カーマイケルのBBCドラマ(1973、4回×45分)を見ました。ポピーとかスティック型の電話とかディテールがちゃんとしてます。ピーター卿も嫌味がなくて良い感じ。
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(2020-4-17追記)
The Saturday Review of Literature October 27, 1928に掲載された本作の評は、ハメットの手によるものらしい。(Don Herron主宰のWebサイト “Up and Down These Mean Streets”のHammett: Book Reviewer参照)
「かなり良い探偵小説になるはずだった作品。犯罪やそれに至る動機は相当に納得のいくものだ。[評の中盤はストーリーの要約なので省略] だが展開が遅すぎる。これが本書の問題点。展開が遅いので読者をびっくりさせられない。筋を予想する時間がたっぷりあるので、特に鋭敏でない読者にも一章分から六章分くらいの先が余裕で読めるだろう。」
ハメットが考える探偵小説のポイントとは、まともな動機と展開のスピード感と読者を驚かせることだったのか… (ストーリー要約以外は全文を翻訳しました)


No.214 6点 モルグ街の殺人
エドガー・アラン・ポー
(2019/11/24 00:11登録)
ここは短篇単独のコーナーですね。(この作品のような「重要な」短篇には単独登録がふさわしいと思います。でも重要って人それぞれですから…)
初出はGraham’s Magazine 1841年4月号。私は創元文庫の『ポオ小説全集3』(丸谷 才一 訳)で読みました。デュパンのセリフの調子がときどき変てこ。親しげな口調と丁寧な口調が入り混じって落ち着きません。青空文庫の佐々木直次郎訳も参照。(直次郎訳のほうが遥かに安定してます。)
Baudelaireがポオを絶賛し、その仏訳も仏文学界やガボリオに大きな影響を与ました。ただしフランスでの初出はla revue socialiste “La Démocratie pacifique” 1847-1-31号のIsabelle Meunier訳。ボードレールの仏訳はポオ小説集Histoires extraordinaires(Michel Lévy Frères 1856)の巻頭に収録。(仏wiki) その前に雑誌掲載あるかもですが未確認。
冒頭、分析力とは?の命題が論じられ、謎めいたデュパンが紹介されます。いきなり考えを言い当てられる「ぼく」の驚きと種明かしの描写は印象的な名場面ですね。(無理筋の推理ですけど。) 分析(=推理)について意識的に書いてるのが「推理」小説の始祖とされる所以です。
ところで私はずっと語り手「ぼく」はフランス人だと思ってましたが、今回読んでみて、異邦人(米国人?)という可能性を感じました。(自己紹介が「18**年の春、それから夏の一時期、ぼくはパリに滞在していて…」「ある目的があってパリにいた」しか書いてないのでフランス人とは限らない) Burton R. Pollinの説も英米人説ですが、初めて会った船員の挨拶good evening(仏訳bonsoir)一言だけで「ちょっぴりヌーフシャフテルなまり」があるのに気づくほどフランス語に堪能なのをみると、やっぱりフランス人という設定か。
新聞記事で事件を知る、という場面があり、やはり探偵小説は新聞の直系の子供です。デュパンの推理自体は貧弱で勘と幸運の賜物ですが、謎の設定自体は不気味さと意外性に満ちています。合理的な解決?が謎に比べて弱いのが大きな欠点ですね。(これは探偵小説の本質的な弱点か)
以下トリビア。原文はWebのPoeMuseumより。今回はフランスが舞台だし訳者がボードレールだし、ということでその仏訳(Gutenberg)も参照してみました。{ }内が仏訳です。Burton R. Pollinの評論The Ingenious Web Unravelled(1977)は調査が行き届いてて面白く、参照した箇所は[BRP]と表示。
作中時間は、センセーショナルに事件を報道する新聞記事から考えて、安売り新聞の先駆けLa Presseの発行(1836)以降の話だと思われます。(米国の安売り新聞は1833年創刊The Sun[New York]が最初。) ヴィドックへの言及があるので少なくとも1828年(回想録出版)以降は確定? ◆Mary Rogers事件は1841年だが『マリー・ロジェ』を読むと6月22日(日曜日)(Sunday June the twenty-second, 18—)という記述があり、直近は1834年。この約二年(about two years)前に「モルグ街の惨劇」なので1832年の事件?閏年の飛びを無視して計算すれば『マリー・ロジェ』1839年、『モルグ街』1837年で丁度良さげだが… (ポオは1年に曜日が1日ずつずれる事しか認識してなかったのか。)
現在価値は、手持ちのが仏消費者物価指数は1902以降有効だったので、金基準1841/1902(1.00797倍)&仏消費者物価指数基準1902/2019(2630倍)で合計2651倍、1フラン=4.042ユーロ=489円で換算。
p10 ホイスト(Whist): 2人×2チーム戦のトリック・テイキング・ゲーム。ブリッジ(1890年代以降)の前身。英国では今でも人気らしい。チーム戦のトランプゲームってやった経験がありません。プライヴェートでは個別主義を好む日本人向きじゃないですね。
p10 ホイルの法則(the rules of Hoyle): Edmond Hoyle(1672-1769) カードゲームのルールブックとして有名。according to Hoyle(=the rules)の慣用句あり。A Short Treatise on the Game of Whist(1742)が最初の教則本で後から色々付け加えてMr. Hoyle's Treatises of Whist, Quadrille, Piquet, Chess and Back-Gammon(1748)となった。そのホイスト本(1742 無料公開あり)を見ると「基本的ルール」(Laws 14条)の他に初心者などが上手にやるためのコツ(Rules 初心者用37、その他8)も書いてるのでrulesの適訳は「教え、教則」か。次の’the book’は「教則本」と訳せば良いですね。なお1862年以降はHenry Jones作Cavendish On Whistが権威となったようです。
p12 名門の出(of an illustrious family)… さまざまの不幸な事件(a variety of untoward events)… 貧苦(poverty)…: 政治体制がナポレオン帝政、復古王政、七月王政と目まぐるしく変動した19世紀前半。1830年以降はブルジョワジー支配の立憲君主制(国王ルイ=フィリップ)で貴族制の廃止、世襲制の廃止、産業革命の進行という時代。まーそれでもデュパンには働かずに食える資産が残ってるのですから上等ですね。
p13 当時ぼくはある目的があってパリにいた(Seeking in Paris the objects I then sought){Cherchant dans Paris certains objets qui faisaient mon unique étude}: the objects(定冠詞+複数形)なので前段の稀覯本探しを指してるのか。仏訳だと「(研究用の)ある物」な感じ。でもここで言ってるのは「読書範囲が広くて、想像力に富んだデュパンとの交際は役に立つ」なので本探しのことじゃないかな。試訳「当時ぼくが探していたものをパリで探すには」(直次郎訳: そのころ、私は求めるものがあってパリで捜していた。) [BRP]はsome mysteroius “objects” never explainedとしています。定冠詞でも前述を受けるとは限らないのか。
p14 腕を組み合って(arm and arm){bras dessus bras dessous}: デュパンとぼくが夜の散歩へ。(みっちょんさんのWeb「シャーロック・ホームズの世界」にこの件の詳細が既に書かれてました。)
p18◆『截石法』(ステレオトミー)('stereotomy'){stéréotomieステレオトミ}: 当然、原子(atomyアトミー){atomesアトム}を連想するって… するか? 仏訳では更に遠くなってます。 [BRP]ポオの南部方言では-otomyとatomyの発音は同じなので「当然に」連想が行くのだろう。
p19『ガゼット・デ・トリビューノー』の夕刊(an evening edition of the “Gazette des Tribunaux”){l'édition du soir de la Gazette des tribunaux}: 調べるとGazette des tribunaux - journal de jurisprudence et des débats judiciaires (1825-1955)という日刊紙が実在しWebで1851-6-30号などが見られます。副題が「判例と法的議論」なので、お堅い専門紙かな?(現物の内容までは未確認。) 小説のは「夕刊」であり普通の新聞な感じなのでポオのつもりでは「架空の新聞」でしょう。[BRP]nonexistent evening edition of a real newspaper。
p19 サン・ロック区(Quartier St. Roch): Saint-Roch教会のあたりか。◆直次郎訳も同様だがパリ20区(1859年以前は12区)と紛らわしいので「地区」が良いと思う。現実には12区を四つに分ける48 quartierの中にSt. Rochという名は存在しない。この辺りの当時のquartier名はPalais-Royal(2区に所属)。
‪p20 ナポレオン銀貨が4枚(four Napoleons){‬quatre napoléons}: 直次郎訳では「ナポレオン金貨」銀貨(1/4、1/2、1、2、5フラン)も金貨(20、40フラン)もあるけど、ただのNapoleonなら20フラン金貨の様な気が…‪ 20フラン金貨は直径21mm、6.45g、鋳造1802-1815。[BRP]では1812年から流通としています。共和暦12年(=1803年)を誤解?‬
‪p20 金貨で‬四千フラン近く(nearly four thousand francs in gold): 196万円。全部20フラン金貨なら200枚、全部40フラン金貨なら100枚で、重さはいずれも1290g。
‪p21 〔事件(アフェール)という言葉は、フランスではまだ、わが国でのような軽薄な意味になっていなかった。〕(‬[The word 'affaire' has not yet, in France, that levity of import which it conveys with us]) 仏訳ではばっさりカット。これを「ぼく」の挿入句と見るなら語り手は米国人だが… (編集者が入れた注釈のようにも見えますね) フランス語affaireに「情事」という含みは無い。[BRP]「ぼく」が挿入したとして英国人・米国人説の根拠の一つ。デュパンをフランス人(Frenchman)呼ばわりしてるのがもう一つの根拠。
‪p21 洗濯女(‬laundress){blanchisseuse}: 何となくパリっぽい。米国にもいたのかな?
‪p25 ‬犯行現場は四階、扉は内側から鍵(p19)、窓も閉まってる、煙突からの脱出も不可能。立派な密室です。ところで私室に鍵をかける習慣はいつ頃からなのだろう。The first serious attempt to improve the security of the lock was made in 1778 in England. Robert Barron patented a double-acting tumbler lock. (ThoughtCo. The History of Locksより) これ以降なんだろうか。大デュマの小説には結構、私室に鍵をかけるシーンが多い。作中時間は17世紀、これは流石になさそうに感じるけど、大デュマが書いてた時代(1840年代)には鍵のかかる私室は当たり前になってた模様。
‪p28 パリの警察は、俊敏だという評判が高いけれども(‬The Parisian police, so much extolled for acumen…): 過大評価を戒めています。
‪p28 例えばヴィドックは… (‬Vidocq, for example, was a good guesser, and a persevering man. But, without educated thought, he erred continually by the very intensity of his investigations): 無学で行き当たりばったり、と散々です。
‪p29 「…調べるのは楽しいことだろうよ」(楽しいという言葉は、こんな場合に使うのは変だと思った…)(“... ‬An inquiry will afford us amusement,” (I thought this an odd term... )){Une enquête nous procurera de l'amusement (je trouvai cette expression bizarre...)}: ゲームとしての探偵小説ですね。
‪p29 警視総監のG**(‬G--, the Prefect of Police){G..., le préfet de police}: ボードレールは警視総監(préfet de police de Paris)の在任期間が1831-10-15〜1836-9-10であったHenri Joseph Gisquet(1792-1866)のことだと受け取りました。1820-1841の間でGがつくのは他にGuy Delavau(在任期間December 20, 1821 – January 6, 1828)、Louis Gaspard Amédée Girod de l'Ain(August 1 – November 7, 1830)、Gabriel Delessert(September 10, 1836 – February 24, 1848)だけ。(wiki ”Paris Police Prefecture”)
‪p29 リシュリュー街とサン・ロック街の間:‬ Rue de Richelieu‪(1633?-1793及び1806以降)、‬Rue Saint-Roch‪(1630-1744及び1879以降) (以上仏wiki) ‬通りの名前は政変などで結構変わっており、当時サン・ロック街は正式には存在しない。でも一世紀にわたる長い歴史があるので現在のサン・ロック街(当時はrue du Dauphin)が元の名で呼ばれ続けていても不思議じゃない。Google Map(本当に便利。昔はミシュラン地図で調べるくらいしか方法がなかった…)で見ると、両通りは平行に走っており、現在、間には小路が12本程度あります。[BRP] 1836年の地図ではRue St. RochはRue Neuve St. Rochとなっている。モルグ街と思われるあたりの当時の地図をよく見ると、裏路地があり裏窓があるような建物は無い。(全て通りに面していて中庭も無い。) モルグ街の裏側はパリではなくフィラデルフィアみたいな作りだ。
‪p30 ぼくはそれをほうって置くことにしていた(ジュ・レ・メナジュエイ)---どうも英語にはぴったりした言い廻しがない(‬Fe les menageais --for this phrase there is no English equivalent){je les ménageais (car ce mot n'a pas d'équivalent en anglais)}: フランス語を交えて、それっぽく言ったつもりがスペルミス(これは誤植かも)とアクサン抜け。発音はメナジェ(仏語は二重母音なし。例外Noëlノエルなど、二つの母音を別々に発音する記号トレマ付き。) ◆[BRP]ではこの愚痴も英米人説の根拠としてるが、英訳する際につい漏らしたという解釈も可では?
‪p32 ほら、ピストルだ(‬Here are pistols){Voici des pistolets}‪: 1830年代は先込めパーカッションピストルの時代です。pistol France 1830 percussionで結構オシャレなデザインあり。複数形なので決闘用のペア・セットかも。‬
‪p32 君には、[ピストルの]使い方はよく判っているはずだ(‬we both know how to use them){nous savons tous deux à quoi ils servent}: なんで丸谷訳は「君」だけなのか。(直次郎訳: … 二人とも知っているはずだ。)
p32 ぼくは… ピストルを受け取った(I took the pistols){Je pris les pistolets}: 何故か二つとも受け取ってる。後の方でデュパンがピストルを取り出すのですが…(後述p48&50)
p35 超自然的な出来事なんて信じやしない(neither of us believe in praeternatural events): 怪奇小説と探偵小説が分化するポイント。
p35 秘密の出口(secret issues){issue secrète}: 密室殺人にはつきもの。
p36 煙突全体としては大きな猫でも通れない(chimneys... will not admit, throughout their extent, the body of a large cat): 煙突からは明らかに脱出不可能。
p36 頑丈な釘… 差込んであった(a very stout nail was found fitted therein)… 秘密のバネ(p37 A concealed spring): 窓がバネ錠で閉まるのに、さらに釘で止めてある。こういう構造は普通だったのか。(隙間風に対する病的な恐れか。)
p39 フェラード(ferrades): 仏訳も同じ語。ところがフランス語で鎧戸や窓の意味で使われる用語には見当たらないという。◆[BRP]より。
p45 キュヴィエの本(Cuvier): もちろん「野蛮きわまる残忍さ(the wild ferocity)」などという記述は実在しない。[BRP] 実物の1835年版ではa rather gentle…
p46◆『ル・モンド』(Le Monde): ここでは海運業専門の新聞とありますが、当時パリでLe Monde(日刊紙)が1836-1837の1年間(通算350号)だけ刊行されてます。内容は不明。続いて、短命だったパリの日刊紙が二つ、Le Monde - journal des faits contemporains et des intérêts matérieが1845年に5号だけ、Le Monde - revue des mœurs contemporaines : littérature, arts, sciences, types, portraits, caractères, fantaisieが1855年に2号だけ刊行。その後、1860年から1896年まで続いた日刊紙Le Monde (Paris)が刊行されています。なお現在も続く有名な高級紙Le Mondeは1944-12-19創刊。以上、フランス国立図書館gallica.bnf.frによる。(資料のデジタル化が進んでて新聞などのバックナンバーを無料公開、羨ましい!)
p47 マルタ島独特の結び方(this knot… is peculiar to the Maltese): ghoqda(マルタ語でknot)がWeb検索で引っかかりましたが、特殊な結び方かは不明。
p48 ピストルを持ちたまえ(Be ready,… with your pistols){Apprêtez-vous, … prenez vos pistolets}: 「ぼく」への指示。相変わらず複数形。ボードレール訳では二人の会話はお互いにvous(vouvoyer)。親しいtutoyerではありません。◆readyはパーカッションキャップを嵌めるなど、撃発可能な準備をしたまえ、という意味かも。(仏訳は「準備して…手に持って」)
p49 ヌーフシャフテルなまり(somewhat Neufchatelish){légèrement bâtardé de suisse}: ヌーフシャテル(丸谷訳は「フ」が余分)はスイスのフランス側の地方でフランス語圏。wiki「Swiss French」によると用語に違い(70=septanteなど)はあるが、発音はほとんど変わらないらしい。
p50 ピストルを取出すと(He then drew a pistol from his bosom){Il tira alors un pistolet de son sein}: そしてデュパンは「懐中から(直次郎訳、丸谷訳では欠)」第三のピストルを取り出した‼︎
なんスかこれ‪?と思ったけど、当時は銃身が複数ある特殊銃を除いてピストルは単発仕様。(リボルバーが大量生産されたのはColt Walkerモデル1847が初。) なのでピストル2丁あっても2発しか続けて発射できないという訳。用心のため複数のピストルを用意したのでしょう。‬

ついでに乱歩『D坂』での引用「君はポオの『ル・モルグ』やルルーの『黄色の部屋』などの材料になった、あのパリーの Rose Delacourt 事件を知っているでしょう」で一躍有名になったローズ・デラクール事件について。乱歩が資料にしたのはOriginality in Murder [part 1 of 2] by George R. Sims (Strand 1915-10) part 2 は翌月号に発表。実在の事件を扱ったエッセイで、最後にDelacourt事件が紹介されます。
1800年代、パリ、モンマルトルのアパルトマン最上階の一室で、ローズ・デラクールという若い女性が殺されていた。発見したのは管理人と警察。扉も窓も内側からカギがかけられ、煙突はどんなに細い人でも通り抜けることができない状況。仰向けに寝ていたローズの胸にはナイフがマットレスまで貫通しており非常に強い力によるものと思われた。
乱歩の世界(rampo-world.com)「いちかわ」さんの2009年の投稿に詳しいのですが、元ネタはどうやらWashington Post 1912-10-3の匿名記事で、ポオ『モルグ街』から思いついたものらしい。こんな魅力的な事件なのに、どこを探しても、正しい記録が出てこないのですから…
‪ ‬
‪(最後に決定打を)‬
‪これは[BRP]ネタなのですが「人間の体液」ですよね。この説明がつかないと決定的にありえない事件です… (とは言え、私も言われるまで全く気づきませんでした。)‬

‪(追記2019-11-25、上で◆以下は同日追記したもの)‬
‪1932年の映画(主演ベラ・ルゴシ)をちょっと拝見。設定は1845年で服装などがそれっぽい。見世物小屋に進化論風の絵が描かれてるけど『種の起源』(1859)はまだ。‬
‪(Wiki「ダーウィン」に次の記載を発見。「‬1838年3月に動物園で*******が初めて公開されたとき、その子どもに似た振る舞いに注目した。」これ英国の例だけど米国でも評判になったのか。)

(追記2019-12-8)
『マリー・ロジェ』の日付と曜日が正確だとすると『モルグ街』は1832年になっちゃう、と上で書きましたけど、1832年のパリでは春から夏にかけて大事件が発生してました。1万8千人(住民の2.3%!)が死んだというコレラ大流行です。なので1832年説はありえないでしょう。当時、コレラの原因は瘴気説(下水未整備だったパリでは汚水が街路を汚してた)が有力。『モルグ街』で窓を厳重に閉めてたのは悪い空気を防ぐためか?


No.213 6点 不自然な死
ドロシー・L・セイヤーズ
(2019/11/09 21:29登録)
1927年出版。ピーター卿第3作。創元文庫、浅羽さんの訳はすこぶる快調。私の参照した原文(Open Road 2012)にはドーソン家=ホイッテカー家の系図がついてました。これがあると関係を理解しやすいですね。
本作には『誰の死体?』の一行ネタバレ(p50)あり。シリーズは順番に読んでるのが当然と作者は配慮無しです。
本作でのセヤーズさん(本人の読みはイ抜き)の話題は、癌の研究、貧困問題、英国の田舎の家族の歴史、相続法など幅広く、ジャーナリスト的というより歴史家、社会改良家の眼差し。
いや〜冒頭から良い展開ですね。小ネタも結構面白い。うわさ話の描写が上手、軽薄なピーター卿のキャラも良い… と14章までは文句なかったのですが、その後モタモタ後半にはやり過ぎ感すらあり。全体的に記述が長め、もっと刈り込めます。(『五匹の赤い鰊』以降の文庫の厚さを見ると、うう、先行きが心配…)
作中で繰り返される「結婚なんてしない」モチーフは当時、女性完全参政前夜(1928年英国普選成立)で女権拡張運動が盛り上がっていたことと関係あるのかな?(作者自身は1926年4月に結婚。1924年には未婚のまま息子を出産してます。)
大ネタは皆さんおっしゃるように有名なもの。(確実性には疑問あり。危険性は大いにあるらしい。)
CarrとAgathaがほぼ同時に登場して、もしや!と思ったけど当時Carrはまだアマチュア、偶然の一致ですね。
以下、トリビア。
作中時間は問題なし。冒頭(物語の始まり)は1927年4月中旬以降。日付と曜日(27日水曜日,p85)も一致。
現在価値は英国消費者物価指数基準(1927/2019)で62.30倍、1ポンド=8420円で換算。米国消費者物価指数基準(1927/2019)は14.76倍、1ドル=1596円。
p15 癌(cancer): 1926年に疫学的基礎となる比較研究がJanet Lane-Clayponにより発表されたらしい。
p27 火葬 (crematorium): 当時は本書の記載によると何か揉めると本人の希望でも火葬の許可が降りず、後で調べるため埋葬される。調べると、英国では墓地が混み合っていたもののWWIまで火葬への反対は強く、1930年でも英国全体で火葬は5%少々とのデータあり。
p30 探偵のホークショーです(I’m Hawkshaw, the detective): 訳注では「戯曲に登場した初の探偵」となってるけど、その劇THE TICKET-OF-LEAVE MAN (1863)ではHawkshaw, the 'cutest detective in the forceで「警察の刑事」。ここは「探偵」の意味なのでシャーロック・パロディの米国新聞漫画“Hawkshaw the Detective”(1913-2-23〜1922-11-1)を指してる可能性の方が高いのでは? (1937年の映画も見ました。英語があんまり分からなくても楽しめる犯罪メロドラマ、Webで無料あり。)
p35 おめがねさん(porcupine): 原語の意味は「ヤマアラシ」。「子供の言い方を借りれば」とある。似た語を探すとconcubine(情婦、おめかけさん)か?この訳でなんとなくわかるのですが…
p41 悠々自適の女の人(a retired lady in easy circumstances)… 年収800ポンドくらいの(about £800 a year)…金持ち(wealthy)[じゃない程度で]: 800ポンドは674万円(月56万)。ピーター卿の感覚、まーこのくらいなら金持ちじゃないのか。
p41 とりあえず50ポンド: 42万円。探偵の準備にポンとお金をばら撒くピーター卿。
p42 ペニー玉は決して切らさない… ガス湯沸かし器のことがありますから… (without pennies—on account of the bathroom geyser): コインをスロットに入れるとガスが供給される自動販売システムのことですね。集配人が来る前にコインボックスが一杯になって動かなくなる悲劇とか、別のコイン(外国製の安いやつなど)で使えちゃう場合があるとか、色々不都合はあったらしい。各戸集配とか値上げの時とか大変なシステムだと思うのですが…
p45 貴族め!吊るし首だ!(Aristocrat! à la lanterne!): フランス革命期の唄Ah ! ça ira(1790年5月ごろ)より。「サ・イラ」(wiki)参照。
p45 ノッティング・デイルの女性人口(female population of Notting Dale): Notting Daleは「ウェスト・エンドの地獄」と呼ばれたこともある最貧地区。ということは売春婦のことか。
p47 週3ギニー半(3 ½ guineas weekly): 32217円。快適な寝室と居間に三食ついての料金(下宿)。月額14万円。
p48 ガイ(Guy‘s): 訳注 ロンドンの大病院。登場人物の看護師が訓練を受けたところ。Guy’s Hospitalは1721年からの歴史がある病院。英wikiにも項目あり。teaching hospital(医療従事者を訓練する病院)という位置付けらしい。
p49 赤毛の看護婦(red-headed nurse): 赤毛の看護婦は強気で警官も撃退できる、というネタ、ペリー・メイスン(『おとなしい共同経営者』1940など)に出てくるのだけど、そーゆー一般的なイメージがあったのか。
p50 ニュース・オブ・ザ・ワールド: このシリーズお馴染みの俗悪新聞。
p70 シーラ・ケイ=スミス(Sheila Kaye-Smith): 訳注 英20世紀前半の地方作家。英wikiに項目あり。The End of the House of Alard (1923)が大ベストセラーになった。著作の主な舞台はborderlands of Sussex & Kent らしい。
p73 賭け: 同時に3種の賭け(10対1、20対1、50対1)を提案するピーター卿。慎重な貧乏チャールズは半クラウン(1053円)で受けます。後段の7シリング6ペンス(3158円)はチャールズが全部負けた時の損害額。仮にピーター卿が全負けした場合は84240円の支払い。
p73 ポニー(ponies): 25ポンド。コックニー由来のようです。Cockney rhyming slang terms for money... ‘pony’ is £25, a ‘ton’ is £100 and a ‘monkey’, which equals £500. Also used regularly is a ‘score‘ which is £20, a ‘bullseye’ is £50, a ‘grand’ is £1,000 and a ‘deep sea diver’ which is £5 (a fiver).
p74 ゴール人式の発想で尋問する(apply the third-degree in the Gallic manner): 「ゴール人式」に訳注「異質なものすなわち敵とする考え方」とあるけど、単純に「フランス流に拷問する」という意味では?
p74 『詩篇』に出てくる人たちのように罠をしかける(Like the people in the Psalms, I lay traps): 訳注「詩篇69:22か」とあるように、詩篇に出てくるtrapはそこだけ(King James Version調べ)だが、内容があまり合わない感じ。全Bible(KJV)でtrapを調べると、他はJoshua 23:13、Job 18:10、Jeremiah 5:26、Romans 11:9の四箇所。なおplanetpeschel.comによると罠をしかける場面は詩篇に豊富(35:7、38:12、57:6)という。
p78 五ポンド紙幣(£5 Note): 当時の流通紙幣5ポンド以上はBank of England発行のWhite Note(白地に黒文字、絵なし。裏は白紙)。5ポンド紙幣は195x120mm。札の出どころを調査しています。White Noteの場合、銀行で番号を記録する規定があったようですね。
p82 最新のダイムラー・ツイン・シックス(The new Daimler Twin-Six): 英国ダイムラー社製のDaimler Double-Six piston engine (sleeve-valve V12)は、ロールスロイスs6と並ぶ当時の最高級エンジン。自動車は7.1-litre(Double-Six 50, 1926)と3.7-litre(Double-Six 30, 1927)あり。記述から幌付きのスポーツタイプと思われます。
p83 マードル夫人と命名(call her Mrs. Merdle): 自動車に愛称をつけるピーター卿。
p87 調理前で1ポンド当り3シリング(it costs about 3s. a pound uncooked): 高級ハム(Bradenham ham)の値段。100g当り278円。
p88 十シリング紙幣が1枚、銀貨と銅貨で7シリング8ペンス(with a 10s. Treasury note, 7s. 8d. in silver and copper): 当時の流通紙幣のうち1ポンドと10シリングはHM Treasury発行(1922-1928)。10シリング紙幣は138x78mm、緑色の印刷、表に女神ブリタニアとジョージ5世の横顔、裏は2細胞胚みたいな図案に10シリングの文字。当時の銀貨はクラウン(5シリング)から3ペニーまで種類豊富なので省略。1920年ごろから物価上昇の影響で純銀から半銀製に変わっています。(WWI前後の比較で消費者物価指数基準1914/1924だと1.9倍。)
p99 五ポンド札三枚と一ポンド札十枚(three fives and ten ones): 1ポンド紙幣はHM Treasury発行。151x84mm、茶色の印刷、表に竜を刺し殺す聖ジョージとジョージ5世の横顔、裏は国会議事堂。
p110 相当な... お熱(quite a ‘pash’): passionの短縮形から。中年女の「女学生時代の言いかた」と書かれている。
p113 オースティン7(Austin Seven): 1922-1939生産の自動車。ちっちゃな可愛らしいデザインです。
p121 どこかの老成した男が言っているが、誰でも誰か別の人間について生殺与奪の権利を握っているのさ---一人だけだがね(Some wise old buffer has said that each of us holds the life of one other person between his hands—but only one): ピーター卿のセリフ。訳注なし。調べつかず。
p122 パンジャンドラム(the Grand Panjandrum with the little round button a-top): ガルパン劇場版にも登場?する英国面を代表する兵器は1943年発明。元の詩はSamuel Foote, The Grand Panjandrum (1755) 一度見たらどんな文章でも正確に暗唱できると豪語する俳優Charles Macklinを試すために作ったnonsense prose。従って元々は出鱈目な語。マクリンは挑戦を受けなかったそうです。以下オリジナルの引用
(前略) So he died, / and she very imprudently married the Barber: / and there were present / the Picninnies, / and the Joblillies, / and the Garyulies, / and the great Panjandrum himself, / with the little round button at top; (後略)
p149 一人10シリング(ten shillings each): 4210円。女中へのご褒美。
p157 これだから検視審問は困る。隠しておきたい情報を全部暴露してしまうくせに、手に入れる価値のある証拠は何も提供してくれない: 検視官の自由裁量権がかなり強いらしい。パーシヴァル・ワイルド『検死審問―インクエスト』(1940)の前文にもそんなようなことが書いてありました。
p165 クロックフォード(Crockford): (訳注 英国国教会の聖職者名簿) Crockford's Clerical Directory、初版1858(The Clerical Directory) 1876年からは、ほぼ毎年新版が出ている。
p167 僕は危険な運転はしない(I am not a dangerous driver): 当時、危険運転ネタは面白い話だったのでしょうね。ガードナーのメイスンとか、クレイグ・ライスのヘレンとか。ピーター卿も仲間入りです。
p167 白銀の馬力は口から泡を吹いて逸り(The snow-white horsepower foams and frets): 訳注では「出典不明」。Matthew Arnold “The Forsaken Merman”(The Strayed Reveller, and Other Poems 1849)にThe wild white horses foam and fretという一節があり、ほぼこのままの形でセヤーズさんのBusman's Honeymoonにも引用されてます。原詩では荒波を暴れる白馬に例えたもの。
p176 三シリング八ペンス(Three and eightpence): 1543円。二人分のビール代(two pints of the winter ale)と思われる。
p184 戦争… 税金がたまげるほど重くなって、何もかもばか高くなって、仕事がない人がふえただけ(shocking hard taxes, and the price of everything gone up so, and so many out of work): 嘆く老女。
p191 インゴルズビー:『インゴルズビー伝説集』(Ingoldsby Legends): Richard Harris Barham作、初出1837年。セヤーズのWho’s Bodyにも出てました。JDC『火刑法廷』にも引用があってちょっとびっくり。
p228 マイケル・アーレンって大好き... 『恋する青年』はお読みですか?: 若い夫人のセリフ。Michael Arlen(1895-1956)はアルメニア出身の作家。1920年代の英国で人気。Arlen is most famous for his satirical romances set in English smart society (wiki) Young Men in Love (Hutchinson 1927)は当時の最新作。
p229 エリナー・グリン夫人(Mrs. Elinor Glyn): 1864-1943。チャンネル諸島生まれの英国作家。その恋愛小説が当時はスキャンダラスと受けとられた。クララ・ボウで有名な<イット>の生みの親。でも今やその語を知る人は少ないような…
p234 オーピントン(Orpington): Orpington is known for the "Buff", "Black" and "Speckled" chickens bred locally by William Cook in the 1890s. (wiki)
p239 女の友情: 男の友情との対比で書かれています。納得の説明。なんか実感こもってる。後半の愁嘆場(p330)も参照。
p255『ロンドン市民』(The Londoner): 何の引用なのか調べつかず。
p268 公衆電話の場合、交換手が必ずそう言う(the operator always tells one when the call is from a public box): 当時の英国ではそう言う仕組みだったようです。なので公衆電話から家電を装うのは困難。
p269 煙草カード(cigarette-card): 1926年英国で調べるとクリケット選手とか有名な脱走とか海賊&追い剥ぎとか古い建物とか面白そうなシリーズが一杯。
p283 ブランヴィリエ公爵夫人(Marquise de Brinvilliers): 『火刑法廷』でお馴染み。What! all that water for a little person like me? というセリフは怖いですね… (Madame de Sévignéの1676年7月22日の手紙によるとC’est assurément pour me noyer, car de la taille dont je suis, on ne prétend pas que je boive tout cela.)
p284『おお霊感、孤独なる子よ、生まれし野生の森の歌を囀り』(O Inspiration, solitary child, warbling thy native wood-notes wild): ミルトンの詩を元にヘンデルが作曲したオペラL'Allegro, il Penseroso ed il Moderato HWV 55(1740)のNo.31 Airより。歌詞はOr sweetest Shakespere, Fancy's child, Warble his native wood-notes wild.(以上planetpeschel.comによる)ミルトンの原詩(L’Allego 1645)もこの部分は全く同じなので、原作が元ネタかも。
p300 十シリング札一枚、六ペンス玉一枚、銅貨が二、三枚(Ten-shilling note, sixpence and a few coppers): 当時の6ペンス硬貨は.500 Silver、ジョージ5世の肖像、直径19mm、2.88グラム。
p304 『ブラック・マスク』(an American magazine—that monthly collection of mystery and sensational fiction published under the name of The Black Mask): 1927年5月以降は「The」無しの「Black Mask」に改題。英国版は1923年から刊行。当時128ページ、9ペンス(=316円)の月刊誌。米版同月号(20セント=319円)に時々1・2話を追加した造り。表紙も同じイラスト。1926年〜1927年ごろはガードナーやハメットやキャロル・ジョン・デイリーなどが活躍、表紙は西部劇っぽいイラストが多い感じ。
p319 オースティン・フリーマン(Austin Freeman): ここネタバレあり?私には具体的な作品名がわかりません。
p335 ウィルキー・コリンズが「探偵熱」と呼んだもの(Wilkie Collins calls “detective fever”): オリジナルはThe Moonstone (Third Narrative, 3. Chapter III) “I call it the detective-fever”
p338 さて顔というのは見間違え易いが、背中を見誤るのは不可能に近い(Now it is easy to be mistaken in faces, but almost impossible not to recognise a back.): これは重要な真理。見慣れた人のちょっとした仕草は正体をすぐに表すものです。進化の過程を考えると誰にでも備わってるはずの認知能力。そこに配慮してない変装等のトリックは一切信じられませんね。
p361 七ポンド六シリング(seven and six): 上述p73参照。なので「7シリング6ペンス」が正しい。
p364 醜怪な黒い旗の掲揚を告げる八点鐘(the eight strokes of the clock which announce the running-up of the black and hideous flag.): black flagは訳注で「死刑執行の旗」、調べると「死刑執行完了」を知らせる旗で、ドン・シーゲルの映画『ビッグ・ボウの殺人』(The Verdict 1946) Sidney Greenstreet, Peter Lorre出演でロンドン1890年の話、ハーディーの小説Tess of the d'Urbervilles (1891)に出てくるらしい。昔の習慣のようです。

(追記2019-11-10)
最後の日蝕(eclipse)について書くのを忘れてた。日蝕の記録は部分蝕を含め正確に残ってるはずなので調べたらラストシーンの日付が確定するはず… なんですが、面倒なので調べていません。上のトリビアで時々参照してるPlanetPeschelのホームページの注釈でも項目立てしてるけど答えがまだ書いてないし。
Bill Peschelさんのページにはウィムジーシリーズ各作品の注釈や写真が豊富に載ってます。第2作目まで完成してますが、それ以降は作成中。英語がもっと上手なら参戦したいなあ。(アガサさんのスタイルズと秘密組織の注釈本やシャーロック同時代のパロディ集成も出版してるようです。)

(2020-2-2修正)
Bank of Englandに紙幣のサイズを明記したページWithdrawn banknotesがあったので修正しました。


No.212 8点 第二の銃声
アントニイ・バークリー
(2019/10/30 00:25登録)
1930年出版。国書刊行会の単行本がどうしても見つからないので、創元文庫を買い直しました。
工夫に満ち満ちた物語。素晴らしい状況設定。主人公の女性観も面白い。欠点はあまりにパズルのピースが繊細に組み合わされ過ぎて人工的に感じられてしまう、というところ。ゲームとしては最高の出来です。黄金時代の一つの到達点、ただしヒネくれまくり。なので、まともな本格探偵小説をある程度読んだうえで評価すべき作品だと思いました。
私の興味は「殺人ゲーム」(p68)の実態。余興として当たり前のように実行されます。ここでは後で参加する数人のゲスト客のために、先にいるメンバー全員でアイディアを出し合って殺人芝居を作りあげる、というスタイル。探偵役のゲスト客が到着する前に、真に迫った殺人芝居をやってるので、探偵役は後で証言を聞きまくったり、現場を調べたりして真相究明をするのでしょうね。(これ以前の作品で「殺人ゲーム」への言及がある作品を探しています… 起源が知りたいのです。)
以下トリビア。原文は入手していません。
事件発生は1930年6月8日水曜日と明記。(実際は日曜日ですが…)
p7 献辞: A・D・ピーターズ(A.D. Peters)は当時バークリーのリテラリーエージェントで、その妻Helenは1932年に離婚後、バークリーの二度目の妻となった。(この作品の頃には絶賛不倫中?) バークリーは弟の妻とも関係するなど人妻大好きだったらしい。(ということは、本作のゲス男って実は…) だとすると、この献辞ってかなりの悪質物件ですね。
p17 二十二口径のライフル: 小口径ライフルとしてポピュラー。兎などの小動物や小型鳥類の狩猟用。弾は.22 long rifleが一般的。
p46 騎士パラディン: Paladin、高位の騎士の称号。人名かと思った。ラモー作曲のオペラLes Paladins(1760)も「遍歴の騎士たち」
p88 煙草と棒紅(リップスティック): 現代女性を言い表わす文句。「そういう呼び名だったと思う」とあるので不正確? 見つかりませんでした。
p136 四時半きっかりにお茶: いつもの習慣。
p149 二十番径の散弾銃: 20 bore、米国のgauge。.615インチ=15.6mm。12ゲージより小さい。
p295 四半サイズの女物の靴: 英国サイズ4.5なら日本サイズ23.5相当か。


No.211 6点 エイト・ビート
吾妻ひでお
(2019/10/21 20:16登録)
エイト・ビート(週間チャンピオン連載1971-7-19〜1972-1-31)
吾妻 ひでお(あづま ひでお) 1950-2-6〜2019-10-13
新米の私立探偵エイト・ビート君とメチル・アルコール警部(♀)が繰り広げるドタバタギャグマンガ。
まーほとんど推理や探偵が関係ないメチャクチャな話ばかりなんですが、1970年代とは何だったか、というのが感じられるのではないでしょうか。
当時、あじまさん21歳。若いねえ。若いからイキが良い。そんな青春たっぷりのギャグマンガ。
探偵小説界に関係ありそうな単語だけ拾うと、江戸川乱走、シャーロック・ホームズ、ルパン、セイント、FBI、CIA、KGB、少年探偵団、女探偵ハニー・バスト、エラー・クイーン、マイク・ハンマー、ジェームズ・ポンド… これで大体の感じがわかるかな?


No.210 7点 皇帝のかぎ煙草入れ
ジョン・ディクスン・カー
(2019/10/16 00:20登録)
JDC/CDファン評価★★★★☆
1942年出版。創元文庫の新訳で読了。読みやすい訳で文句なしです。(井上一夫さんの旧創元文庫をチラ見したら、こっちも負けてないですね。さすが井上先生。)
四十数年前に読んでて、全く内容は忘れてた筈(傑作という印象も特に無かったのですが、ここの評価点が高いので期待してました。)…なんですが、途中で解決の見当がついちゃったんですよ。無意識に憶えてたんでしょうかね。印象的な手口ですから。なので驚きは半減。JDCのアクロバットをニヤニヤして見てました。
でもやっぱりJDCって盛り上げベタです。話の展開はこの上なく上質で「これどーなっちゃうの?」と何度もドキドキさせるのに、女の心理戦の見せ場が、ことごとくあっさり流れて不発に近いじゃないですか。いやこれ作家が惚れるわけだなあ、と思った次第。(俺ならもっと上手く描ける!このプロット俺にくれよ!と言いたくなりますよね。)
私には異常人物と異常状況が薄いのでJDCの作としては物足りません。探偵小説としては素晴らしいプロット。p290で明かされる証拠を「誰かが故意にやった」風に装える状況を作っておいたら完璧だったと思います。貴重な「かぎ煙草入れ」をぶっ壊した理由についても、ちょっと不満ですが良い赤鰊と思えば…
以下トリビア。
作中時間は問題ありです。
事件の「ちょうど1週間後が9月1日月曜日」と明記されてるので簡単、と思ったら、出版直近の該当年が1941年。でも、戦時中な感じが全然しないし、フランス北部は1940年6月からドイツの支配下なので1941 年は有り得ない。となるとそれ以前の直近で該当する1930年?は遠いなあ。1月か2月ならば1941年と1936年の日付と曜日は一致。(JDCは1月のカレンダーを見て曜日を確認したのか?) 1936年ならまだ戦争の影は遠かった。従って作者が執筆時に思い描いていた日は1936年9月1日(実際は火曜日)、事件発生は8月25日と考えて良さそうです。(作者は『猫と鼠の殺人』(1941)でも同じような間違いをしてますね。)
現在価値は仏国消費者物価指数基準(1936/2019)で490.9倍、当時の1フラン=0.75ユーロ=89円。
p7 ラ・バンドレット(La Bandelette): 架空地名。「戦前の平和な時代には(in those days of peace)」フランスでも有数のにぎやかな避暑地(fashionable watering-place in France)。英国人や米国人がよく来る観光地で、カジノがあるという設定。ピカルディー海岸にある。マーチ大佐ものの短篇『銀色のカーテン』(1939-8)の舞台。ゴロン警察署長はこの短篇にも登場。短篇をラジオドラマ化した『死の四方位』(1944)にもゴロン署長は登場し、その時は自ら事件を解決します。
ピカルディー近くで海に面しててカジノがあって…という条件で探したらメール=レ=バン(Mers-les-Bains, 「海水浴場の海」というような意味か。)という町が見つかりました。仏wikiに戦前の写真あり。町が作った紹介ビデオも見つけました。www.merslesbains.fr/video-de-presentation アールヌーボー風建物が数多く残る町です。これがモデル?
p8 ヴァンドーム広場でルベックが扮した妖婦キルケー(a figure which Lebec of the Place Vendôme tricked out into that of Circe): 調べつかず。
p19 ソーン・スミスのユーモア小説(Thorne Smith): 本名James Thorne Smith, Jr. (1892-1934) He is best known today for the two Topper novels, comic fantasy fiction involving sex, much drinking and supernatural transformations.(wiki)
p41 ジョージ・バーナード・ショーの劇って、けっこうお茶目なのね(I think Shaw is rather sweet): 劇のタイトルは後で出てきますが、この場面ではぼかされてるので読んでのお楽しみ。謎ありの話なので「ミステリの祭典」に登録しようかな…
p55 火かき棒(poker):『まだらの紐』でロイロット博士とシャーロックが力比べするアレですね。
p70 スプリング錠(spring lock): ドアを閉めると鍵がかかる構造らしい。a type of lock having a spring-loaded bolt, a key being required only to unlock it.
p82 黒っぽい目… 目と同じ色の髪…(dark eyes. There was still no gray in the thick dark hair): キンロス博士の描写。目の色の記述が髪の色より先に来てますね。
p83 まわりからトビイと呼ばれているホレイショー・ローズ(they call him Tobee[Toby], but his name is Horatio): なぜTobyなのか説明無し。あだ名?
p95 一軒の鍵があればほかの家のドアも全部開けられる(The keys of one will fit the doors of all the others): 同じ業者が建てた四軒の家の鍵が同一… のんびりした時代ですなぁ。
p97 五フラン硬貨をテーブルに放って(threw a five-franc piece on the table): 447円。カフェテラスでのカクテル代。1933年発行の6gニッケル貨(直径23.7mm、顔右向き)か1933年以降の12gニッケル貨(31mm、顔左向き)か。
p148 血液型(blood-group): 「O型」は原文ではGroup Four。この時代、血液型はわかるが血液から個人を特定出来なかったのか?Forensic Science blood identity historyでざっと調べるとDevelopment of the absorption-inhibition ABO blood typing technique in 1931.という記載(New York StateのPolice Laboのページ)がありました。詳しく掘ってませんが、調べると面白そうですね。(まだ硝煙反応の宿題が残ってるぞ!という声が聞こえるような…)
p159『ジョン・ブラウンの死体』(John Brown’s Body): 米国南北戦争時に北軍で流行った曲。曲は「ヨドバシカメラ」でお馴染み。(wiki「リパブリック賛歌」参照。)
p162 メリーランド煙草(yellow Maryland cigarettes): 架空ブランド。1944年発売のルクセンブルクの煙草ブランドはありましたが…
p179 前に一度、パリで殺人事件の裁判を傍聴(attended a trial for murder once, at Paris): フランスの裁判は怒号が激しく飛び交い、判事たちが被告を怒鳴りつけるらしい。
p183 メーター・ランプの弱い光(the dim glow of the meter-lamp): vintage taxi meter-lampで画像あり。どーゆー仕組みなんだろう。
p184 八フラン四十サンチーム(eight francs forty): 751円。タクシー代。
p190 七十五万フラン(seven hundred and fifty thousand francs): 6703万円。貴重なかぎ煙草入れの値段。
p197 いんちき男!(Blaah!): blah(くだらない)かblaa(羊のメー)か。又は明確な意味のないブーイングの親戚みたいな音か? 井上訳では「ペテン師!」
p197 ユーライア・ヒープ顔負けね!(you canting Uriah Heep!): Charles Dickens作David Copperfield(1850)の主要登場人物。
p215 小説に出てくる名探偵を気取って(like the great detective): 黄金時代の特徴。
p241 ラ・バンドレットの市庁舎(The town hall at La Bandelette): 「黄色っぽい石で造られた背高のっぽの建物… 時計台をそなえ…」残念ながらここに書かれてる特徴は上述のMers-les-Bainsの現存する市庁舎(1904年から)とは一致しないようです。でも隣町Treportの灯台が市庁舎まで距離約2km。市庁舎の南西側にあるので最上階西側の窓から灯台は見えるはず。(強烈な光は無理かなあ。) Google MapでMayor of Mers-les-BainsとLe Tréport Lighthouseの位置関係などを確認できます。便利な世の中ですね。
p267 十万フランの価値(worth a hundred thousand francs): 894万円。ネックレスの値段。
p280 ウィリアム・ラッセル卿(the case of Lord William Russell, at London in 1840): 本文の通り。wiki参照。
p284 パトリック・マホーンみたいなやつ(A Patrick-Mahon sort of fellow): 訳注の通り。wiki“Crumbles murders”参照。
p299 ジャンピング・ジャック(jumping-jack): jumping jack toyで検索すると見られます。Rolling StonesのJumpin‘ Jack Flashはこれのことではないらしい。
p308 目もあやな大輪の花(zizipompom): p147でゴロン署長が二度言う「危険」も原文ではzizipompom。井上訳ではいずれも「打ち上げ花火(みたいな女)」。こっちの方が原意に近いのかな? 仏語辞書をちょっと探してみるとziziはありましたがpompomは該当なし。
(2019-10-16追記)
ベルギーでも1915年から採用されていたポンポン砲(37mm Vickers-Maxim pom-pom 1903/13)のことをすっかり忘れてました。とすると「ziziがポンポンするような」美女、という意味か?(下品ですみません。)


No.209 6点 グレート・ギャツビー
F・スコット・フィッツジェラルド
(2019/10/15 06:07登録)
1925年出版。小川 高義 訳の光文社古典文庫(2009)で読了。原文と野崎訳と村上訳とこの訳を比較した便利な論文(吉岡泉美)がWebにあり見てみると、小川訳は語順重視の簡潔な文章。野崎訳が冗長に思えるほど。(一番長いのは大抵村上訳)
一人称は「私」。野崎・村上は「僕(ぼく)」ですが、ひとかどの男を目指す若者はそんな甘え口調を選ばないと思いました。(もちろん中身は未熟なのですが。) 実直な翻訳で読むのに邪魔になりませんが、ちょっと詩情に欠けるか。まーでも締まりのない文章よかずっとまし。(←どの口で言う?)
かつてハヤカワ文庫NV(橋本 福夫 訳、こちらも「わたし」)で読みましたが、内容は忘却の彼方。映画(1974)を見たのが先だったような。(ソフトフォーカスだけが強烈な印象。)
読んでみたら、ある意味、意外な展開の物語。おまえら頭空っぽか、と言いたくなります。そして若さ。はかなく消え去ってしまうという苦い感傷が、読後に長く残ります。
やっぱりこれはミステリじゃないけど、このムードはチャンドラーやウールリッチに通じます。なのでミステリ・ファンにもお薦め。(これ稲葉 明雄さんが訳してたらかなり良い感じだったのかも。)
歌は以下が登場。BGMにどうぞ。
Sheikh of Araby(1921) music: Ted Snyder, lyrics: Harry Smith & Francis Wheeler
The Love Nest(1920) music: Louis A. Hirsch, lyrics: Otto Harbach
Ain't We Got Fun(1921) music: Richard A. Whiting, lyrics: Raymond B. Egan & Gus Kahn
Three O’Clock in the Morning(1919) music: Julián Robledo, lyrics(1921): Theodora Morse
The Rosary(1898) music: Ethelbert Nevin, lyrics: Robert Cameron Rogers
以下トリビア。ページはKindle版によるもの。
現在価値の換算は米国消費者物価指数基準(1921/2019)で14.34倍、1ドル=1550円。
p66/3208 月80ドル: 12万4千円。古ぼけた安普請のバンガローの家賃。数人で生活可能な家。
p66 フィンランド人の家政婦: 後の章で、黒人が白人運転手でリムジンを乗りまわしてたり、ギリシャ人が軽食の店(coffee joint)をやってたり。多国籍な米国です。
p97 フットボール… 強力なエンド(one of the most powerful ends that ever played football): 古いアメフトルール(1960年代以前)では、守備も攻撃も兼務し、ラインの両端に並ぶのがエンド。現在のDE(Defensive End)とTE(Tight End)を兼ねたポジション。素早い身のこなしが出来るパワフルで大柄な男のイメージ。
p125「秘密会」(Senior Society): Yaleには6つのsenior society(Skull and Bones, Scroll and Key, Berzelius, Book and Snake, Wolf’s Head, & Elihu)があって、三年次の終わりにそれぞれ15人が入会を許される仕組みらしい。
p300 サタデー・イブニング・ポスト: 当時5セント(77円)、約100ページ。作者の短篇を掲載してたので楽屋オチですね。初掲載はTopsy Turvy(The Saturday Evening Post 1920-2-21 as “Head and Shoulders”) フィッツジェラルドなら根掘り葉掘り調べ尽くされてると思うから、私の知りたかったポスト誌の原稿料がどこかに書いてあるかも。
p438 十ドル: 15504円。子犬(エアデール)の値段。
p648 若いイギリス人: 米国人に取り入ってる姿が描かれてます。
p1023 ルイス式軽機関銃(Lewis gun): 1913年開発。第一次大戦時の持ち運べる機関銃の代表格。(飛行機用の機関銃としても活躍。) 弾丸を入れる円盤がカッコ良い。.30-06スプリングフィールド弾(英国仕様は.303 British弾)47発を連発可能。ライフル弾なのでトンプソンSMG(1919年開発)より遥かに射程が長い。ただし給弾時の故障が多かった。
p1132 一九一九年のワールドシリーズ: 有名なブラックソックス事件。
p2669 食った分が四ドル: 6202円。安食堂でお腹いっぱい食べた感じ。
p2702『ホパロング ・キャシディ』(Hopalong Cassidy): カウボーイ小説。Clarence Mulford作、1910年出版。「1906年」のメモを書くのは無理がある。
p2714 もうタバコをすわない、かまない(No more smoking or chewing): 噛みタバコ?ガムの可能性あり?この訳では何のことか分からなかった。
p2714 一日おきに入浴する(Bath every other day): 米国人には珍しくのか。


No.208 8点 赤い館の秘密
A・A・ミルン
(2019/10/13 22:42登録)
1922年出版。初出Everybody’s 1921-8〜12(5回分載, 題名The Red House Murder) この雑誌は英国小説を多く載せてる感じの米国誌。当時25セント、180ページ。(FictionMags Index調べ。FMIはこの頃の英国誌情報が欠けがちなので、英国誌連載が先の可能性も大いにあり。) 創元文庫の新訳で読了。翻訳は上品で良い感じ。WebにあるFolio Society “The Red House Mystery”のページには斜めで見ずらい写真ですが「赤い館」の1階平面図があります。(中央の階段があるHall左上がOffice、その下がBilliard-Room。Hall右下がLibrary、その上左側がDrawing-Room、右側がDining-Room。) 創元旧訳の「赤い館見取図」(検索条件: japaneseclass 赤い館 創元)と位置関係は概ね合っていますが、構造が微妙に違ってます。(多分、両方とも小説内の描写に基づく独自の再構成。流石にFolio Society版の方が現実の英国建築に近い印象。)
タイトルがRed Houseなので、読み始めはJimi Hendrixの傑作ブルースが脳内で炸裂してました。BGMには全く相応しくない曲ですが。
実に探偵小説らしい探偵小説。もしも素人が実際の事件に立ち合ったら… という状況にふさわしい展開をとても現実的に(そしてユーモラスに)描いています。和やかな会話が良いですね。暖かい芝生に寝転んでるような幸せな気持ち。探偵小説について私が言いたいことは作者の再版時の序文(1926, 何故か巻末に収録。)に全て書き尽くされています。
この小説を読んでいて気づいたのですがInquest(検死審問)という手続きは、随分と変死事件の「見える化」に貢献している感じです。こーゆー住民に情報公開するプロセスがあってこそ、民主主義(少数の専門家が決めるのではなく民衆が知恵を持ち寄って決定する)が健全に成りたつのだ、と珍しく真面目な感想を持ちました。
銃の詳しい描写がないことが唯一の不満。(←あんただけです。)
有名なイチャモンについては『チャンドラー短編全集4』に記載予定。(まーチャンドラーさんもこの頃[1944-1950]にはいろいろ溜まってたんでしょうね。)
以下トリビア。ページ数はkindle版のもの。
作中時間は、戦争(WWI)の影が全くなく、登場人物の話題にも(数年前の話にすら)一切のぼらないことから、戦前の話だと思われます。それと矛盾する要素も見つかりません。年代のヒントは唯一、曜日が記されてる「十二月 、水曜日(Wednesday, Decem)」(p3473/4200) これは去年のクリスマスにやった素人劇のポスター(ところどころ破れてる)に書いてあった日付。ということは前年12月25日は水曜日?戦前で探すと1912年12月25日が水曜日。ただし「去年のクリスマス(Last Christmas)」の上演がぴったり25日だったのかは不確実。(Christmastideの意味ならたっぷり12日間の可能性すらあり。) ミルン30歳(本作の探偵の年齢)は1912年。ならばこのくらいで妥当かも。以上から事件発生は1913年8月(p117)の火曜日(p3194)。なお、この日は「スタントンで市の立つ日(p3425)」と書かれてますがStantonは架空の町なので特定には役立ちません。
現在価値への換算は英国消費者物価指数基準(1913/2019)で114.43倍、1ポンド=15465円。
献辞はお父さんに。バークリー『レイトン・コート』(1925)と書きぶりが似ています。ミルンさんの本作への序文(1926)には「とある熱烈な探偵小説ファンには 、本書はほぼ理想的な探偵小説だとみなしてもらえるにちがいないと思っている… 本書を書いているあいだは絶えず、彼の願望を考慮し、それを尊重した … なのに、こうして本になっても、彼には決して読んでもらえない探偵小説なのだと思うと、じつに寂しい。」と書いていて、ああ、お父さんはこの本の出版を見ずに亡くなったんだな、と早合点したら、このファンとは「顔を合わせたことはない」と書いてあり、ミルンの父John Vine Milne(1845-1932)は出版時に存命です。この「熱心な探偵小説ファン」とは誰なんだろう… (Gillingham?序文の原文は残念ながら未入手。)
p63/4200 客間メイド(parlour-maid)、料理人兼家政婦(cook-housekeeper, p71)、台所メイド(kitchen-maid,p793)、ハウスメイド(housemaid,p812): この頃の英国小説には使用人が沢山出てくるのですが、その中にも役割分担と上下関係が決まっていて、housekeeperはmaidの総括。parlour-maid, housemaid & kitchen-maid は同格、皆19くらいの若い娘が多い。parlour-maidは屋敷の共用空間(sitting, drawing, dining room)担当。housemaidは汎用。kitchen-maidはcookの補助。(The Complete, Annotated Whose Body? ed. by Bill Peschel 2016による)
p108 郵便貯金が15ポンドある(fifteen pounds in the post-office savings’ bank): 23万円円。パーラーメイドの恋人の蓄え。
p178 ファイヴスという球技(playing fives): 詳細は英語wiki “Fives”。スカッシュ風の壁打ち球技らしい。
p205 新しい靴を買うのに、五シリングがほしくて: 3866円。パーラーメイドが欲しい額。
p308「なんと!(Good God!)」… 「失礼しました、ミセス・キャラダイン、ミス・ノリス 。すまない、ベティ (I beg your pardon, Miss Norris. Sorry, Betty.)」マークはみだりに神の名を口にしたことを詫びた: そこに男たちも居るけど、謝ったのは女性に対してだけ。エチケットは難しいですね。なお翻訳ではキャラダイン夫人も同席してるけど、私の参照した数種の版(Gutenberg含む)ではこの場に登場していない。理論上、朝食の場に居なきゃ変なので訳者が補正したのか。
p352 海軍によくあるタイプの、きれいに髭をあたった…(a clean-cut, clean-shaven face, of the type usually associated with the Navy): 英国陸軍(British Army)と海軍(Royal Navy)では髭の規則が異なり、陸軍では1916年まで口髭を伸ばすのが義務、海軍ではツルツルかfull beard(口髭から顎髭まで満遍なく覆う)のいずれかしか許されなかったらしい。
p352 年に四百ポンドの収入: 619万円(月収52万)。たいした収入です。
p406 古い赤煉瓦の建物(the old red-brick front of the house): Red Houseという名の由来。red-light(=whore house)と同じ意味かな?とずっと思ってたけど、今回、良く調べるとそーゆー意味は無いらしい。(JimiのRed Houseもそーゆー意味ではないようです。)
p825 贔屓の作家の作品が掲載されていると雑誌の表紙に謳ってあるうえに 、崖から悪党が落ちている挿絵がついていた… (a magazine... a story by her favourite author was advertised on the cover, with a picture of the villain falling over the cliff.): ミルン関係の楽屋オチでPunch?と思ったら、そんなイラストの表紙じゃないですね。1913年でこーゆー表紙の小説雑誌は、ああ、これも楽屋オチのEverybody’s誌ですね。(もちろん他にもPearson’s誌とかStory-Teller誌とかStrand誌米国版とか色々あります…)
p912 犯罪を追う猟犬 、私立探偵(our own private sleuthhound): our ownの意味が良く分かりません。ヒーローものでよく言う「ぼくらの味方」の「ぼくらの」の意味?
p1088 ギリンガムはベヴァリーの腕を取り(Antony took hold of Bill’s arm): ヴィクトリア朝風に腕を組んだのかな?
p1159 ボウリング・グリーン(bowling-green): 日本で良くやるボウリングではなくローンボウルズやクローケーをやるための芝生コート。
p1331 いっしょにやるかい、ワトスン?(Do You Follow Me, Watson?): ホームズのセリフ、と書いてますが、全く同じのは無し。シャーロック全集でホームズがワトスンにfollow meと言ってるのはこれだけ。“... at the same time, raise the cry of fire. You quite follow me?” “Entirely.” (A Scandal in Bohemia) 延原訳だと「わかったね?」です。本書のここの意味も、わかったね? わかるかい?のほうが相応しい。
p1339 階段の段数(number of steps): 17段。A Scandal in Bohemia冒頭からの引用。この作品で言及されるのはホームズとワトスンねたばかりです。
p1891「じつをいうと[彼女は]いま、あの、へんてこりんな作家にぞっこんなんだ。なんて名前だっけ…(As a matter of fact, [she] happens to be jolly keen on—what’s the beggar’s name?)」 「いや、気にしないでくれたまえ。いまの話で充分だ(Never mind his name. You have said quite enough)」: この作家って自分のこと? (追記2019-10-14: Jolly BeggarsでRobert Burnsのことか?詩人の話題だしね。)
p1899『代々の宮廷の思い出』Memories of Many Courts: なにかの本。調べつかず。
p2139 取りはずされたカラーが一本(There was one collar): シャツの襟が外せる仕組み。カラーというと学生服の詰襟のセルロイド?カラーしか経験ないなぁ。
p2623 ふつう、午前中に、殿がたが婚約者を訪なうなどということはありえません(Not in the morning, no.): エチケットは難しいですね。
p2797 ヒッポドローム演芸場(Hippodrome): The name was used for many different theatres and music halls, of which the London Hippodrome is one of only a few survivors. (...) The London Hippodrome was opened in 1900. (Wiki)
p3620 週給二ポンド(two pounds a week): 30929円(月収13万)。グラマースクールを出た“a London office”の事務員の給与。


No.207 7点 トレント最後の事件
E・C・ベントリー
(2019/10/13 13:43登録)
1913年出版。創元文庫(2017新版)で読みました。新訳ではなく1972年大久保康雄さんの訳。
約40年前に一度読んでますが、こんなのだっけ?という感想。(ぼんやり記憶してた犯人が全然違ってました。) 恋愛描写がピュアですなぁ。途中に現れる突然の段差が良いですね。探偵小説としては、いかにも王道でシンプルな筋たてですが、謎解きのピッタリ感が心地よく、とても楽しめました。
本作には本格探偵小説っぽいゲーム感覚(p59,p64など)が明快に書かれていますが、ここで強く主張されてるのは「探偵」と「警察」の犯人探しゲームで、後年に見られる「作者」と「読者」との間のフェアプレーではありません。(まー似たようなモンですが。)
以下トリビア。先に見た原文(献辞付き。献辞の前にハムレットからの引用あり、これは文庫に無し。)は途中に省略があることがわかり、色々探したら文庫の内容に一致する版がありましたが、こっちには献辞やハムレットの引用なし。もしかして英国版と米国版では中身がちょっと違うのか?(最初に見た版では最後のNワードの歌などもバッサリ削除されてました。)
作中時間は、水曜日開催の検死査問会(二日間続いたように読める)の翌日か翌々日の感じで書かれている「6月16日(p168)」、事件発覚の前日は「日曜日(p45)」、作中で言及されてる「三年前のペンシルヴァニアの炭鉱争議(p41)」はWestmoreland County coal strike of 1910–1911(1910-3-9〜1911-7-1)と思われるので年は1913年のはずだが、それだと本書の後段で事件の1年数ヶ月後の風景が描かれてることと矛盾。なので「三年前」を無視して1911年か1912年で6月の月曜日を調べると1911-6-11か1912-6-10が候補。とすると1912年6月10日(月曜日)が事件発覚日か。(1911年6月だとペン州ストが未終結。)
現在価値は英国消費者物価指数基準(1912/2019)で113.27倍、1ポンド=15308円。
銃は「精巧な小型のピストル(A small and light revolver, of beautiful workmanship)」「アメリカから渡ってきたもの(introduced from the States)」「ズボンのポケットに入れて手軽に持ち歩きできる(easily carried in the hip-pocket)」「[米国では]これを“リトル・アーサー”と呼ぶ(This is what we call out home a Little Arthur)」まず、調べた限りではLittle Arthurのニックネームを持つ拳銃は無く、上記の情報だけでは銃の特定は不可能。口径も「同じ」と言うだけで何口径と明記されていません。なので以下は推測です。
この銃は大金持ちの関係者が「今年ここへ来る少し前に買った」もので、店に勧められるまま決めたもの。最新の拳銃で値が高いやつと考えて良いでしょう。銃を知ってるらしい米国人が「ちょっと軽すぎる」と不満げなのでやや小口径の.32口径か。「銃尾を抜いて銃腔をのぞいて(opened the breech and peered into the barrel of the weapon)」は誤訳で「breechを開いて銃腔をのぞいて」が正解。この動作が自然に行えるのはtop-breakの銃に限られます。swing-out式なら光を入れるためcylinder(ある意味breech?)を振出してから、銃口を覗いて銃腔を見るという手順でしょうが、top-break式なら銃を折って銃尾(breech)を開け、そこからcylinder越しに銃腔を覗き込めます。さらに「この型(make)」は米国由来、というのは特殊な構造のことなのでは?1887年にS&Wがポケットに入れやすいHammerless型拳銃を世界で初めて登場させてますが、これのことか。(ヒップポケットに入れるやつ、とも符合します。) 当時HammerlessはIver Johnson(7ドル,20033円)やH&R(6ドル,17171円)でも売り出していた人気モデル。一番高いのはS&W(10ドル,28619円)。という訳でS&W .32 Safety Hammerless 3rd Model(1909-1937)に決定。(あくまで個人の推測です。)
献辞の前、ハムレットから引用 ”... So shall you hear/Of accidental judgments, casual slaughters/Of deaths put on by cunning, and forc'd cause,/And, in this upshot, purposes mistook/Fall'n on the inventors' heads ...” 第五幕第二場終幕近くのホレーショのセリフ。なかなか意味深です。
献辞はThe Man Who Was Thursday(1908)への返礼でG・K・チェスタトンに。「新聞などに目をくれようともしなかった時代」を懐かしんでいます。
p12 たぶん≪スペインの女たち≫の一節でも口ずさみながら(humming a stave or two of 'Spanish Ladies', perhaps, under his breath.): "Spanish Ladies" (Roud 687) is a traditional British naval song.(wiki)チェスタトン作The Garden of Smoke (1919-10)にも登場してました。
p14 ルシタニア号(Lusitania): 進水1906年6月7日〜沈没1915年5月7日。まだ悲劇の前、当時は現役です。
p27 バスター… 速力の早い車(the Buster… a very fast motor car of his): 自動車の(個人的な)ニックネームか。ブランド名ではないと思われます。
p27 釜たきで、たかれるほうでもある… 赤帽のうたう歌(I am the stoker and the stoked. I am the song the porter sings.): 調べつかず。
p48 年額数百ポンドの収入(some hundreds a year): 200ポンドでも306万円。(月収26万円) 結構な額です。
p50 三十二(At thirty-two): トレントの年齢。作中時間の推測が正しければ1880年生まれ。作者より五歳若い設定。事件の二カ月後でも「32歳」なので、事件発生以前の誕生日と仮定しました。
p51 ポオがマリー・ロジェ殺害事件でやったこと(Poe had done in the case of the murder of Mary Rogers): 正確に訳すなら「メアリ・ロジャース殺害事件」(『マリー・ロジェ』の元ネタ)ですね。でもポオは失敗してるので、例として本当は不適当。探偵小説への言及は黄金時代の特徴。(ただし本書ではここしかない。探偵小説好きも登場しない。)
p61 春信の版画が数枚(Some coloured prints of Harunobu): 「浮世絵」と訳すのが適切か。
p73 ソーダ水の新しいサイフォン: Soda syphons were popular in the 1920s and 1930s.(wiki) 金持ちなので流行先取り。最初のSparklets syphonは1896年。
p91 メンデルスゾーン イ長調 ≪無言歌≫ 第一主題(the opening movement of Mendelssohn's Lied ohne Wörter in A major): トレントが何か見つけたときの口笛。
p101 銃身を通ったときの傷: ライフリングから使用銃を特定出来る以前の事件です。弾道検査は1925年4月にゴダードらが比較顕微鏡を開発してから。
p123 検死査問会(inquest):「かつてははなやかな役割を演じた検死査問制度… 法規や判例などの制約を受けないその制度が、いかに自由で賞賛すべきものであるかを力説」制約があまりないのか… 今まで儀式っぽい制度という印象でしたが、調べると面白そうですね。
p130 マーク・トウェーンの『ハックルベリー・フィンの冒険』という小説をご存知ですか?(Do you know Huckleberry Finn?): ここは「ハックルベリー・フィンを知ってますか?」と訳さないと次のセリフがちょっと意味不明。ベントリーさんが高く評価し「アメリカ的」と考える小説。
p145 アメリカの産業界では、労働者の不満が、イギリスでは考えおよばぬほどひどい段階に達している: List of strikes(wiki)を見ると意外と米国はストライキ大国。英国労働者にはストざんまいの印象があったので… (このリストはあまり正確ではないようです。日本の国鉄ストも一行だけしか載ってないし)
p150 名探偵ホークショー(Hawkshaw the detective): 当時の米国のスラング(a hawkshaw meant a detective) from playwright Tom Taylor's use of the name for the detective in his 1863 stage play The Ticket of Leave Man. Wikiの漫画“Hawkshaw the Detective”(1913-2-23〜1922-11-1)の頁より。シャーロックのパロディ的な名前かと思ったら、由来はシャーロックより古い! この米国漫画が作者の念頭にあった可能性は出版時期を考えると低いと思います。
p185 四気筒十五馬力のノーサンバーランドという中馬力の自動車(a 15 h.p. four-cylinder Northumberland, an average medium-power car): 架空のブランドのようです。当時の四気筒十五馬力はAustin 15 hp(1908-1910), Mercedes 15/20 hp(1909-14)など。
p191 ヴァルミエラ(Valmiera): 1911年の鉄道開通で要路となり栄えた町らしい。
p243 交響曲第9番の最終楽章の主題… 楽園のとびらが開くときのようなしらべ(the theme in the last movement of the Ninth Symphony which is like the sound of the opening of the gates of Paradise): ハイドン以降をほとんど知らない私ですが、いわゆる「第九」のことで良いんですよね。マーラーの第九(初演1912年6月)は外して良い?(これ聞いたことないので楽園のとびら云々はわかりません。) (追記: リスト編曲のピアノ版ベートーヴェン交響曲全集があるのですね… 知りませんでした。)
p296 黒んぼのじいさん、脚が一本…(There was an old nigger, and he had a wooden leg. He had no tobacco, no tobacco could he beg. Another old nigger was as cunning as a fox, And he always had tobacco in his old tobacco-box.): トレントがはしゃぎ歌う古い歌。Nワードを削ったらヒットしました。There was an old soldier又はThe Old Tobacco Boxという歌。Turkey in the Straw(日本ではオクラホマ・ミキサー)の節で歌われるらしい。某Tubeの“Turkey in the Straw (first version 1942)”で歌ってるのがそれっぽい。
p305 カムデン事件(Campden Case): 1660年に英国で起きた不思議な事件。詳細は英語wikiのThe Campden Wonderを参照。John Masefieldはこの題材で二つの劇を書いた。The Campden Wonder(1907) & Mrs Harrison(1906)

(追記)
クリスティ再読さまの評に全面的に賛成。毎回、素晴らしい感性の評文で、しかも私が狙ってる本(最近ではワイルド伝)を良いタイミングでアップしてらっしゃいます。いつも「やられた!くやしい!」と歯噛みしてるんですよ… 他の方が触れてる「ベントリーがパロディとして…」は後年の評論家が推測してるのしか、今のところ見当たらず、ベントリーさん本人の文章を見てから判断したいのですが、1913年の状況から考えてパロディにしちゃ弱いような気が…


No.206 6点 芥川龍之介全集〈1〉 (ちくま文庫)
芥川龍之介
(2019/10/03 05:32登録)
ここ数ヶ月、1920年代の英国翻訳小説や原書をかじっていたので、日本語が読みたくなりました。格調高い日本語、といえば柳瀬尚紀先生ご推薦の龍之介(敬称略)ですね。まとめて読むのは初めてです。
文庫に凡例が書いてないのでよくわかりませんが、各篇最後に記されてるのは執筆時なのかな。以下西暦で表示。年齢は西暦時(3月1日生)のもの。初出は青空文庫調べ。FictionMags Indexみたいなデータベースすらないのが日本の研究水準を… という愚痴はさておき、例によってなるべくクロノロジカルに読み、ボツボツと感想を。全体の評価点は暫定。
(2019-10記載)
最近オーディブルで古典を聞いている。読むよりずっと楽だが、読み手の演出が小うるさかったり、セリフが下手だったりすると、ちょっと気になる。でも活字を追うよりずっと楽。受動的だからね…
(2024-06-9記載)


「老年」(新思潮 大正三年(1914)五月号、柳川隆之介 名義) 1914-4-14(22歳): 評価4点
たった10ページの小品に注釈が58箇所。一中節とか歌沢とか新内とか純邦楽(やな単語ですが)に馴染みのない現代日本人向けには仕方がないところですが、それにしても… 同時代の英国小説より遠い位置にあるのかも、と思いました。これが龍之介の一般発表を意識した初の著作なのかな? 随分と力が入っています。おさらい会の年寄りのエピソード、というつまんない話題に通ぶって色々書き込んだところが若気の至りっぽくて、やなガキだねぇ、という感想。これ読んで三味線の音と歌声が聞こえる人しか相手にしないよ、という江戸ぶり。多分当時でも古臭い話。これを「新思潮」(東京大学の同人誌)というタイトルの雑誌に発表するところが捻くれ者ですね。
(2019-10-3記載)

「青年と死」(新思潮 大正三年(1914)九月号、柳川隆之介 名義) 1914-8-14(22歳): 評価5点
戯曲。姿の見えない忍び男、というミステリ風。「死」の扱いがいかにも書生っぽい。(「表と裏」というのが若いねぇ)
(2019-10-3記載)

「ひょっとこ」(帝国文学 大正四年(1915)四月号) 1914-12(22歳): 評価5点
遠景と近景を上手く使ってある男を描写。妙なエピソードが心に残ります。空っぽなその人生は作者自身のことなのか。「帝国文学」は東京大学文科の関係者による文学団体「帝国文学会」の機関誌。
(2019-10-4記載)

「仙人」(新思潮 大正五年(1916)八月号) 1915-7-23(23歳): 評価4点
中華もの。作者は貧乏したことが無かったんだね。おぼっちゃま感が見え見え。
(2019-10-5記載)

「羅生門」(帝国文学 大正四年(1915)十一月号) 1915-9(23歳): 評価6点
こーゆー話だっけ?教科書で40年以上前に読んだはずだが全然別の感じで薄ぼんやりと記憶していた。心理解釈が観念的すぎ。私は当時を書くなら心情も当時っぽくするのが良いと思っている。現代に引き付けて過去を描くなら、舞台も現代にしてしまえば良かろう、と。大正四年の感覚が窺えるのが、今となっては貴重だが…
(2024-6-9記載)

「鼻」(新思潮 大正五年(1916)二月号) 1916-1(23歳): 評価7点
Audibleで聴きました。治療の描写とその後の周りの反応が良い。
(2024-6-9記載)

「孤独地獄」(新思潮 大正五年(1916)四月号) 1916-2(23歳): 評価5点
Audibleで聴きました。回想話。安政四年ごろのこと。
(2024-6-9記載)

「父」(新思潮 大正五年(1916)五月号) 1916-3(24歳): 評価5点
Audibleで聴きました。回想話。龍之介が中学四年のころ。「マッキンレイ」の靴、とはトモエヤが明治36年に売り出した西洋革靴、米国大統領マッキンレーにちなんで命名。機械を輸入し大量生産できたので安かったようだ。(一足4円ほど。物価指数(明治38年/令和5年)で3513倍なので約14000円)
(2024-6-9記載)

「虱」(希望 大正五年(1916)五月号) 1916-3(24歳): 評価5点
Audibleで聴きました。かなり気持ち悪いが何かの風刺含み?
(2024-6-9記載)

「酒虫」(新思潮 大正五年(1916)六月号) 1916-4(24歳): 評価5点
Audibleで聴きました。落語を現代に!というやつですね。
(2024-6-9記載)

「野呂松人形」(人文 大正五年(1916)八月号) 1916-7-18(24歳): 評価4点
和装の英国人が面白い。当時の男性はほぼ和服か?最後の「朝日」はアサヒビールだろうか。
(2024-6-9記載)

「芋粥」(新小説 大正五年(1916)九月号) 1916-8(24歳): 評価8点
Audibleで聴きました。これは良い。上手いなあ。
(2024-6-9記載)

「猿」(新思潮 大正五年(1916)九月号) 1916-8(24歳): 評価7点
Audibleで聴きました。リアリティがある。多分実際の事件をタネにしている感じ。未調査。
(2024-6-9記載)

「手巾」(中央公論 大正五年(1916)十月号) 1916-9(24歳): 評価7点
Audibleで聴きました。話の筋と心の動きがとても面白い。ストリンドベリの劇は未読だが読んでみたくなった。
(2024-6-9記載)

「煙草と悪魔」(新思潮 大正五年(1916)十一月号) 1916-10-21(24歳): 評価5点
ザビエル小噺。悪魔って流行らない。西洋すぎるからか。そんなことを思った。あんまり出来の良くない話。後出しが酷い。
(2024-6-9記載)

「煙管」(新小説 大正五年(1916)十一月号) 1916-10(24歳): 評価6点
Audibleで聴きました。スターをふーん、こう処理したか、という感じ。「拝領」ってこんな感じなの?
(2024-6-9記載)

「MENSURA ZOILI」(新思潮 大正六年(1917)一月号) 1916-11-23(24歳)
「運」(文章世界 大正六年(1917)一月号) 1916-12(24歳)
「尾形了斎覚え書」(新潮 大正六年(1917)一月号) 1916-12-7(24歳)
「道祖問答」(大阪朝日新聞夕刊 大正六年(1917)一月二十八日?) 1916-12-13(24歳)
「忠義」(黒潮 大正六年(1917)三月号) 1917-2(24歳)
「貉」(読売新聞 大正六年(1917)三月十五日) 1917-3(25歳)
「世之助の話」(新小説 大正七年(1918)四月号) 1918-4 [順番がおかしいが…]
「偸盗」(中央公論 大正六年(1917)四月号(章1-6)、七月号(章7-9)[“続偸盗”]) 1917-4-20(25歳) [“続偸盗” 5-10脱稿との情報あり]
「さまよえる猶太人」(新潮 大正六年(1917)六月号) 1917-5-10(25歳)
「二つの手紙」(黒潮 大正六年(1917)九月号) 1917-8-10(25歳)


No.205 7点 雲なす証言
ドロシー・L・セイヤーズ
(2019/09/29 21:24登録)
1926年出版。シリーズ第2作。実は法廷もの。クリスティもクロフツもデビュー作(1920)で法廷シーンを書いたけど出版社から書き直しを命じられています。英国人は法廷好きですね。でもかなりの専門知識を要します。本作の法廷シーンは設定が凄い。セヤーズさんはしっかり調べてると思います。(助言者が周りに沢山いたんじゃないかな?)
相変わらず音楽の趣味(バッハとパーセル)が良くてニヤニヤしてしまいます。身内の犯罪、ということで、作家の内的イメージ(家族観とか家族の中の立ち位置とか)も試されるテーマ。一人っ子かお姉さんタイプだと見ました。(wikiで確認したらan only child… 我が観察力も捨てたもんじゃないね、と自画自賛。)
起伏に富んだ本格もの。(いかにもな平面図やメモの写しp390が出てきます。) 語る工夫が見事で退屈なところがほとんどありません。手がかりの提出が上手く、ぴったり組み合わさった時の気持ち良さ抜群。途中で推理の筋を読者に明らかにしてるのも良いですね。ラストシーンは「楽しければ良いんじゃね?」というセヤーズさんの宣言。なので作中のご都合主義にも目をつぶります。次の作品もとても楽しみ。
献辞はなし。原本には創元文庫『誰の死体』冒頭の紳士録抜粋の原文が載ってました。確かにシリーズ2作目(作者としてはシリーズ化を意識した時点)に記すのが正しい順序ですね。
以下、トリビア。
現在価値は英国物価指数基準(1921/2019)で48.55倍、1ポンド=6442円で換算。フランは仏国物価指数基準(1921/2019)で733.8倍、1フラン=1.12ユーロ=132円。
作中時間は問題ありです。p88「19xx年」とボカしてるのに、バッチリp346「le 13 Octobre, 1923」(事件の前日)と書いてます。(ただし私が参照した版では「192-」) でも事件発生は「十月十四日木曜日」と明記してるので1920年か1926年のはず。そうなると第1作の作中時間1920年11月と辻褄が合わない。(「故ガーヴィス」の記述から第1作は1920年3月以降で確定。) 第1作と本作の間には少なくとも三カ月以上の期間が経過しており、冒頭の記述から受ける感じでは第1作の翌年くらいに本作の事件が発生してるはず。1921年10月14日は金曜日、1923年10月14日は日曜日でいずれも一致せず。本作中、10月を11月と間違えてるところがあるので11月14日木曜日の年を調べると1918年と1929年、なのでこれもダメ。曜日の間違いの可能性は、事件発生が木曜日、検視審問が金曜日で動かせないようです。(週末で高名な弁護士がつかまらないとされていることから。) 結論は多分1921年、日付は誤り。(10月14日木曜日や10月13日水曜日はかなりの記載箇所があり動かしたくないです… それなら日付が1カ所にしかない第1作を1919年と考えた方がマシか?シェルショックとガーヴィスと三文オペラは気になりますが…)
銃はリヴォルヴァー「アメリカ製の小型のもの」が登場。初版T. Fisher Unwinの表紙絵だとトップブレイクっぽい感じに見えるのでIver Johnson? 作中に手がかりはありません。
p22 ボウリング用の芝生(the bowling-green): 日本で良くやるボウリングではなく「ローンボウルズ」と呼ばれる屋外競技。詳細wiki。
p33 旅行用時計(travelling clock): 1920年代で高さ120mmくらいの小型旅行用を見つけました。ゼンマイ式で目覚まし付き。毎時(時間数)と30分(1回)に柔らかく鳴ります。
p45<キス一つに七十五ポンド>(£75 FOR A KISS): 48万円。下衆な見出しらしいのですが…
p60 モーニング・ポスト(the Morning Post): ロンドンの日刊紙(1772-1937)。According to historian Robert Darnton, The Morning Post scandal sheet consisted of paragraph-long news snippets, much of it false.(wiki)
p61 『夜の接吻(Baiser du Soir)』: 香水の名。架空?
p71 十号サイズ(No. 10): 英国の10号は日本の29相当。ただしメーカーで違いが大きいと思うのでこーゆー数字で捜査するのは適切?
p77 探偵小説: 黄金時代の特徴です。
p85 「シオンの子らをして」で始まるバッハの複雑な曲(elaborate passage of Bach which begins “Let Zion’s children.”): Motet BWV 225 Singet dem Herrn ein neues Liedの冒頭合唱の4行目Die Kinder Zion sei'n fröhlich über ihrem Könige。二重合唱の傑作でモーツァルトが「音楽にまだ学ぶことが残っていたのか」と感嘆した曲。この歌詞の入りの部分はかなり複雑。
p100 レビュー歌曲(revue airs): CD”Music Hall Revue 1912-1918”に収録されてるような曲でしょうね。
p112 事実は牛のようなもの… じっとまともに見据えていさえいれば、たいていはそのうち逃げていく(facts are like cows. If you look them in the face hard enough they generally run away): バンターの母の格言。
p112 『この黄色い砂へ来たれ』(Come unto these Yellow Sands): パーセル作曲(1695c)、シェイクスピア『テンペスト』第3幕より。楽しげな音楽。
p112 『恋の病より、我は遁れんとせり』(I attempt from Love’s Fever to Fly): パーセル作曲(1695)、Dryden “The Indian Queen” 第3幕より。I attempt from Love's sickness to fly in vain. Since I am myself my own fever and pain.と続きます。(タイトルはFeverじゃなくてsicknessが正解) メランコリックでドラマチック。メロディが素晴らしい。
p113 ノーサンガー僧院(Northanger Abbey): ジェーン・オースティンの愉快なゴシック風小説。
p114 “血と暴力”派(a blood-and-thunder novel): in 1849, came a new literary hero, Kit Carson, 金鉱探しがインディアンを愉快に殺しまくる西部もの。blood and thundersと呼ばれたらしい。(wiki, Talk:Dime novelより) ハードボイルド派のことかと思いました。
p117 底の浅い考察: (1) The vanity of human wishes; (2) Mutability; (3) First love; (4) The decay of idealism; (5) The aftermath of the Great war; (6) Birth-control; and (7) The fallacy of free-will. 当時の話題なんでしょうね。
p118 ヨークシャー訛り: 訛りの翻訳って本当に大変。だいたいが上手くいかない。実際の訛りの詳細はYorkshire dialect(wiki)で。コックニーに次ぐ英国の代表的な訛り。私は「ちょっとだけ崩せば良し」派。読みにくいのは勘弁して欲しいです。この翻訳はなかなか健闘。p141辺りの直訳調でフランス語会話を表現してるのは上手いと思いました。(原文は普通に見えます。多分、訳者の工夫ですね。)
p120 バロウ・イン・ファーネス中等学校(Barrow-in-Furness Grammar School): この学校が設立されたのは1930年らしいので、架空のつもりだったのか。Grammer Schoolは二級品のPublic Schoolというイメージでいいのかな?
p121 ニュース・オヴ・ザ・ワールド(News of the World): 扇情的タブロイド紙の代表として登場。毎週日曜発行(1843-2011)。
p131 軍艦ピナフォア: 引用されてるI think it was the catは第2幕 Carefully on tiptoe stealing辺り。(I thinkは付いてませんが)
p141 五千フラン: 66万円。ダイアモンド付き小さな装身具の値段。
p147 『ヘブル人への手紙』: 第1作に続くパウロの手紙シリーズ。以下は田川建三先生の『新約聖書 訳と註 6』を荒っぽく要約。実際はパウロの作でもなく手紙でもない。ユダヤ教からの独立宣言を目指した旧約聖書の引用及び解釈。紀元後1世紀か2世紀あたりの成立。
p178 私は私の片隅で(you in your small corner and I in mine): Children’s hymn “Jesus Bids Us Shine”(1868) Susan Bogert Warner作詞、Edwin Othello Excell作曲。
p181 ソヴィエト・クラブ(Soviet Club): 当時の社会主義運動が垣間見られます。私はキム・フィルビーしか思い浮かばない、その程度の知識です。(バーナード・ショーすら読み込んでません。)
p185 週十八シリング: 5798円。月25124円。5人分の生活費。
p207 週四ポンド: 25768円。月111661円。社会主義派新聞の初任給。
p240 皆さん、時間です(Time, gentlemen): 訳注 パブ閉店の合言葉。
p240 育ちのいいイングランド人は想像力など持たない(Well-bred English people never have imagination): ピーター卿の格言。うへえ。スコットランド人がいなかったら知的水準は下がる一方ですね。
p269 メアリ・ジェインに夜這うとった/イルクリー荒野んあたりでよ(I been a-courtin’ Mary Jane/On Ilkla’ Moor bar t’at): ヨークシャー民謡On Ilkla Moor Baht 'atより。続く歌詞もこの民謡から。
p275 口笛でバッハの複雑な一節を(whistling a complicated passage of Bach under his breath): 定冠詞がtheならp85と同じ曲だと思ったのですが… まーバッハには複雑なの色々ありますからね。
p305 エデンの上に息づいたみ声(the Voice that breathed o’er Eden): 詞John Keble 1857、英国教会の聖歌。結婚式に良く使われる?
p316 ご機嫌さん(Cheerio): cheerfulみたいな感じで使ってます。
p332 メイズリー姫の物語歌(Ballad of Lady Maisry): Lady Maisry (also known as "Bonnie Susie Cleland") is Child ballad 65 (wiki)
p346 ビギーとウィギー(Biggy and Wiggy/Were two pretty men,/They went into court/When the clock—): マザーグースRobin and Richard/Were two pretty men/They stayed in bed/Till the clock struck ten.のもじり。
p367 イングランドの偉大なる座右の銘…<平常通り営業>(the great English motto: ‘Business as usual.’): It had been extended to broader use by 1914, when Winston Churchill said in a speech: "The maxim of the British people is 'Business as usual,'" which became a slogan for the rest of World War I.
p370 命の間際に持つべきものは…(God send each man at his end/Such hawks, such hounds, and such a friend): 三羽の鴉の最終行。The Three Ravens (Child 26, Roud 5) is an English folk ballad, Thomas Ravenscroft編の歌本Melismata(1611出版)の曲。(wiki) ただしwikiのヴァージョンはGod send every gentleman/Such hounds, such hawks, and such a leman(恋人)

1972年英国のTVシリーズ(Ian Carmichael主演)があり、某Tubeで見ることが出来るのですが、ピーター卿があんなおっさんで良いのかなぁ。(まだ見てません。見たら追記します。)

(追記: 2019-9-30)
イアン・カーマイケルはBBCジーヴス(1965-1967)でバーティを演じており、その流れでピーター卿を演じたのでしょう。当時52歳。時代考証をちゃんとやってる感じで楽しい資料映像になってます。イアンさん、芸達者な感じで、ひょうきんなピーター卿を見事に演じてて良いのですが、正直もっと若い奴の方が良いなあ。(ついでに言うとバンターはもっとコワモテが良かった。パーカー警部はもっとハンサムが良かった。) 銃はS&W38口径になってました。英語の聴き取りが不自由(ほぼ聴き取れず)なので確かなことはわかりませんが、映像を見た限りではかなり原作に忠実な感じ。(まだPart 1を見ただけですが… これPart 5まであるトータル225分の長尺。ディテールまでもれなく描けるとても羨ましい贅沢な作りです。)
ところで作中時間の問題ですが、冒頭にピーター卿「33歳」と書かれてたことを急に思い出しました。とすると文庫第1作の「紳士録」により1890年生まれだから、1923年なのか。セヤーズさんはいったい何で「10月14日木曜日」としてしまったんだろう。才女も数字に弱かった?(1923年10月4日は木曜日です。本作では数多く10月14日、10月13日との記載があり20箇所くらいですが、本記録を「書いた人」が「事件メモにあった4を14と間違えて」書いてしまった、という説で行くしかないか… The Lord Peter Wimsey Companionにはどのように書かれてるのか、非常に気になります。)
と、ここまで書いたところでGutenberg Canadaにアップされてる原書GOLLANCZ社第3版?の付録、ピーター卿のBIOGRAPHICAL NOTE by PAUL AUSTIN DELAGARDIE (May 1935)を見たらショッキングなことが…
In 1921 came the business of the Attenbury Emeralds

さんざん第1作や本書で語られてる(結局詳細は未発表の)ピーター卿の探偵デビューの「エメラルド事件」が1921年!
じゃあ第1作は早くて1921年か1922年、本作が1923年というのが公式見解ですね… (このゴランツ再版はセヤーズさんが訂正や追加をくわえてるということで、p346の年も「1923」になってました。翻訳はこちらを参照したのでしょう。p112のFeverもsicknessに直ってます。) 第1作の1920年説は、手紙を素直に読めば(手紙の日付=本日)そーなるのですが、手紙を書いた翌日に日付を書いて投函した、とちょっと言い訳っぽいが有り得ないわけでもない仮定をすれば手紙の日付=本日+1となり、1921年説が成立します。さらに日付を書いた日を遅らせると(ちょっと無理がある理屈ですが)1922年説も全く有り得ないわけではありません。明白に矛盾してるのは、本作の「10月14日木曜日」の記述と「1923年10月14日(日曜日)」という事実です。あっユリウス暦を忘れてた。理屈はつきませんが何故かユリウス暦が大好きだった「本作の記録者」がグレゴリオ暦をユリウス暦にわざわざ変換して書いたとしたら… ユリウス暦1923年10月14日はグレゴリオ暦1923年10月27日(土曜日)でした。
話題は全く変わりますが、上の方で「一人っ子を当てた」と自画自賛してるけど、2/3の確率で当たる賭けをしてますね。(当たらないのは「妹」だった時だけ) 外れる方が珍しいやんか!と自分にツッコミました… 情けなや…


No.204 7点 ブラウン神父の不信
G・K・チェスタトン
(2019/09/28 22:46登録)
1926年出版。ブラウン神父ものの連載は年代順に並べると『不信』と『秘密』の収録作品が交互に出てきます。何故、単行本の編纂がこのようになったのか、ちょっと謎ですね。(Nash’s初出作品が『不信』にまとまってるので、そこら辺がヒントか。ただし⑻はCassell’s) 1925年5月&6月は2誌に新作を同時発表してます。Long Bowで中断してたお詫びかも。昔の創元文庫(1977年1月16版)で『秘密』も含め、作品発表順に読みました。本格仕立てが結構多いのが意外でした。ちょうどカトリック改宗直後なので、何か影響あるかな?と思ったら、宗教に関する態度はほとんど変わらない。これもちょっと意外。
初出はFictionMags Index調べ。カッコ付き数字は単行本収録順です。初出の順番と比べると、収録順はずいぶん変えています。いくつかの電子版を見ましたが、献辞はないようです。

⑶The Oracle of the Dog (Nash’s and Pall Mall Magazine 1923-12): 評価5点
いかにも本格探偵小説な密室殺人&安楽椅子探偵仕立て。「あずまや(summer-house)」に注目する神父、でもそのイメージはわかりにくい。手がかりが散りばめられた描写が妙に本格本格してて今までのGKCぽくない。デテクションクラブ向けかな。
(2019-8-14記載)

⑹The Dagger with Wings (Nash’s and Pall Mall Magazine 1924-2): 評価6点
前作もそうですが、冒頭から語り口がこなれてて以前のひねくれとは別人のようです。実にわかりやすい。1922年のホーン フィッシャーシリーズの後、心境の変化があったのでしょうか。(大事件としてはカトリック改宗とアイルランド独立事件ですが… ああ、今気づいたのですが、カトリック改宗とアイルランド独立(実質的には1921年12月の条約で合意)は結構、密接な繋がりあり?独立戦争中の改宗は無用な疑念を世間に持たせかねませんから…)
解決後の宗教に関する話は長すぎる無駄口です。
p210 銃口が鐘の形をした古い旧式のピストル(long antiquated pistol with a bell-shaped mouth): blunderbussのことでしょうね。
(2019-8-14記載)

⑷The Miracle of Moon Crescent (Nash’s and Pall Mall Magazine 1924-5): 評価7点
米国もの。GKCは1921年に米国講演旅行を行い、印象記What I Saw in America(1922)を発表しています。本作の不可能設定もいかにもな本格ミステリ。鮮やかな解決と人間洞察の深さが素晴らしい。
p119 二万ドルのはした金: 大金持ちのセリフ。米国消費者物価指数基準(1924/2019)で15倍、現在価値3173万円。
p124 空砲をしこんだ旧式のピストル(an old pistol loaded with a blank charge): 多分リボルバーだと思います。
(2019-8-14記載)

※間にTales of the Long Bow(1924-5〜1925-3)の連載あり、次のブラウン神父もの3作The Mirror of Death(1925-3)、The Man with Two Beards(1925-4)、The Chief Mourner of Marne(1925-5)は『秘密』に収録。

⑸The Curse of the Golden Cross (Nash’s and Pall Mall Magazine 1925-5): 評価5点
チェスタトンの本格ブームはどうやら去り、いつものGKC風味。でも寓話としても中途半端に感じます。
p169 からすみたいな(like a raven or a crow): 後段で不吉云々とあるので多分ravenだろうな、と思ったらこういう表現でした。ポオに敬意を表して「大鴉みたいな」でも良いかも。
p172 ≪こっけい版ハムレット≫(a burlesque of Hamlet): 上手な訳だと思いますが、古めかしい感じ。
p173 のろい(curse): ツタンカーメンの呪いが新聞ダネになったのはカーナヴォン卿の死(1923年3月)がきっかけ。この後、この作品の発表前までに関係者が5人ほど死んでいます。
(2019-8-20記載)

⑺The Doom of the Darnaways (Nash’s and Pall Mall Magazine 1925-6): 評価5点
本格仕立て。GKCらしい絵画的作品。締めくくりのネタはルール成立(1928)前ですが、当時から共通認識があったのでしょうね。
p236 シャロット夫人(the Lady of Shallot): テニスンの同名の詩(1833&1842)の主人公。
(2019-8-29記載)

※次作The Song of the Flying Fish(1925-6)は『秘密』に収録

⑵The Arrow of Heaven (Nash’s and Pall Mall Magazine 1925-7): 評価5点
米国もの。不可能犯罪の設定の本格もの。ただしGKCの狙いはそこにはありません。
p36 アメリカの百万長者の死体が発見されたという書き出し: 『トレント最後の事件』もそうですね。
p37 初めて… おりて(first stepped off): 初めて米国に来たわけじゃありません。神父は1890年代のシカゴで暮らしたことがあるのです。(『知恵』の「器械のあやまち」参照。)
p38 神父は前に一度もアメリカを見たことはなく(he had never seen America before): 上記の設定は無かったことになってるのですね。
(2019-9-11記載)

※次の2作The Worst Crime in the World(1925-10)、The Actor and the Alibi(1926-3)は『秘密』に収録。

⑻The Ghost of Gideon Wise (Cassell’s Magazine 1926-4 挿絵Stanley Lloyd): 評価6点
アリバイがネタ。(冒頭で作者が宣言してます。) ストライキを巡る資本家と革命家の話。炭鉱を支配する資本家は全て米国人。当時の英国はそーゆー感じだったのか。(物語の舞台が米国のような記載あり。炭鉱が出てくるので英国の話かな、と思ったのですが… 英国では雑誌発表数ヶ月後の1926-5に大規模なゼネストが起きてます。) 本格ものというよりはファンタジー系。語り口が上手で結構鮮やかにまとまります。
p271 神話にでてくるあのアイルランドの鳥(mythological Irish bird): 文脈から同時に二ヶ所に現れる鳥らしいので、神話関係を調べたのですがよく分からず、Irish bird simultaneouslyでググったらアイルランド人の政治家Sir Boyle Roche(1736-1807)が議会欠席を咎められた時の愉快な発言が引っかかりました。"Mr. Speaker, it is impossible I could have been in two places at once, unless I were a bird." ビアス『悪魔の辞典』(1911)にも引用されてる有名な言葉らしい。(こーゆー翻訳者が気づかなかったのを見つけるととても嬉しい。でもこーゆー深掘りはアマチュアの特権だと思うし、当時はWeb無かったからね。) 「アイルランドにいるらしいあの鳥」あたりが正訳か。(訳注無しだと分からんですね。)
p274 詩人のホーン(poet fellow Home): フィッシャー・ホーンの親戚筋?と思ったら綴りはHome。苗字の場合、ホームじゃなくヒュームと発音するのが正解?Douglas-Homeだけ?
p275 アメリカ合衆国憲法に違反して、強度のアルコール飲料が… : ここら辺の記述からすると舞台は米国なのか。でもブラウン神父が当然のように登場してるし…
p276 アブサンの不気味な緑色(the dead sick green of absinthe): アブサンは未体験ですが、似たようなリキュールのペルノーは飲んだことがあります。不気味な黄色で妙な味つけ。フランス人はそーゆー酒が好きらしい。
(2019-9-28記載)

⑴The Resurrection of Father Brown (単行本初出1926): 評価7点
おまけピースと思ったらどっこい力作。お調子者の作者の自戒でもあるような感じ。
p8 数多い任地のうちで… もっとも遠隔の土地… 南アメリカ北岸…(the most remote, of his many places of residence... the northern coast of South America): 私が米国を「アメリカ」と表記しないのは、南アメリカも立派な「アメリカ」で、南米人のセリフ「私はアメリカ人だ。」という映画字幕を見て、あーそーだよね、と思ったからなのです。ブラウン神父って、意外と海外経験があるのですね。舞台はBritish Guiana(現在のガイアナ)か。
p9 メレディスなら冒険好きの鼻と呼ぶ(Meredith called an adventurous nose): He[George Meredith] called Mr. Joseph Chamberlain's nose “adventurous” at a time when Mr. Joseph Chamberlain's nose had the ineffable majesty of the Queen of Spain's leg. [Arnold Bennett, “Books and Persons”(1917)から] ただならぬ威厳の鼻…「スペイン女王のお御足」とはスカートに隠れて決して見ることはならず又想像すら許されないものの意味らしい。鼻のイメージはSir Max Beerbohm作のイラストS. Sebastian of Highbury (Joseph Chamberlain)参照。
p10 愛称ソール…ポルと自称… : 訳注では「聖パウロ(英語読みポール)は初めサロー」とカタカナ表記がむちゃくちゃ。ユダヤ人迫害の急先鋒Saulが突然イエスの声で回心し、使徒Paul(聖パウロ)となった故事より。
p15 シャーロック・ホームズ… ワトソン先生書くところの<最後の事件>: ホームズの第三短篇集を意識した表現。
(2019-9-28記載)

BBC2013のFather Brownを1話(神の鉄槌)だけ見ました。1950年代の英国風景が興味深いのですが話にチェスタトン風味がありません… フランボウ出てくるのかな?(「ヴァレンタイン」警部が地元の警部で多分レギュラーとして出てきました。その設定で『秘密の庭』やる気なら面白い…)
(2019-8-14記載)
第1シーズン第10話「青い十字架」を見ましたがフランボウが全然魅力的じゃない… 残念。話の脚色も変てこ。GKC風味は全くありません。
(2019-9-28記載)


No.203 8点 大いなる眠り
レイモンド・チャンドラー
(2019/09/23 23:30登録)
1939年出版。創元文庫の双葉御大(1910年生)訳で読みました。ちょっと古めかしい日本語ですが、むしろ時代に合ってると思います。(頻発する「モチ」は抵抗ある人いるかもね。) キビキビした上質の翻訳。なお私は村上春樹が嫌いなので、春樹訳がチャンドラーのスタンダードのような扱いをハヤカワ文庫がしてるのは気にいりません。(柴田元幸さんには申し訳ありませんが…) 片岡義男先生談「彼にはわからんところをテキトーに処理する悪いクセ」があるようです。(実は嫌いすぎて春樹訳を全く読んでないので私に言う資格はありませんが。)
本作の映画(1946, Howard Hawks監督)の方をずっと前に観ていて、(タルコフスキー『ストーカー』の頃だから1980年あたりか)原作は今回が初めて。記憶が薄れてますが、時々フラッシュバックのように映画のシーンを思い出しながら読みました。幸いにも犯人とか結末は全く覚えてなかったです。
冒頭からわかりやすい描写。裏のある会話を上手く演出しています。描写が巧み。人物も情景もスッと頭にイメージが浮かびます。それにしても事件が目まぐるしく発生して目が回ります。面の皮が厚く腕っ節が強くて口が減らず失言もミスもしないヒーローなんて実在が疑われますが、この作品内ではギリギリ成立してるような気がします。(金銭的に圧倒的に不利なディールを選ぶやつは異常者と疑われても仕方ないのが米国なので、そこら辺でファンタジーになっちゃうという不満はあり。でも敢えてそーゆーヒーローを書きたくなる切実さが当時の大恐慌から復興しきれてない米国にあったのではないか、ということも言えるでしょう。)
良く考えると変テコな物語なんですが、傑作です。情感が素晴らしい。チャンドラーのつもりでは次は普通の小説を書くはずだったんじゃないかな?
以下トリビア。現在価値への換算は米国消費者物価指数基準(1939/2019)で18.46倍、1ドル=1959円。
本作はブラックマスク掲載の短篇を長篇に仕立て直したもの。“The Curtain”(1936)と“Killer in the Rain”(1935)を中心に“Finger Man”(1934)などからシーンを拝借。
原文はThe Annotated Big Sleep (2018) ed. by Owen Hill, Pamela Jackson & Anthony Dean Rizzuto (Kindle版)、[ABS]以下はこの本の注釈が由来という意味。ここで取り上げてるのはほんの一部(全部で注釈は672項目)で、地名などの説明が充実しており当時の建物の写真や広告などのイラストも豊富なのでチャンドラーファンなら持ってて損はないと思います。
ただし銃の説明は中途半端で物足りなかったので、私のオリジナル。
登場するのは、まず「黒いリューガー拳銃(black Luger)」正式名Pistole Parabellum P08。続いて「警察用の黒い三八口径(a black Police .38)… コルト」Colt Police Positive(1907)かColt Official Police(1927)。ロサンゼルス市警は1933年にはOfficial Policeを採用してます。さらに「骨柄の自動拳銃(bone-handled automatic)」詳細不明。象牙のグリップということでしょう。根拠はありませんが感じとしては32口径くらいのポケットタイプ。そして「小さな拳銃(リヴォルヴァー)… 真珠柄のバンカー特型で、22口径(Banker’s Special, .22 caliber, hollow point cartridges. It had a pearl grip)」Colt Banker’s Special 銀行員が金の移動に使うような銃身2インチで隠し持てる銃。22LR, 32 S&W Longと38 S&W仕様あり。Special称号つきの銃には珍しいことなのですが38スペシャル仕様はありません。訳から漏れてる「ホローポイント弾」は内部に空洞があり体内で炸裂する悪質な弾丸。威力を増すことと後ろに抜ける2次被害を防ぐのが目的。軍事用は禁止だが警察用や狩猟用としては使用可能。他にも銃が出てきますが具体描写がないのでこのくらいにしておきます。
p6 十月の半ば(mid October): 何年のことだかは手がかり無し。
p7 いま流行の侍童型(the current fashion of pageboy tresses): wikiにはThe pageboy hairstyle was developed and popularized for women in the 1950s.とあるので本格流行の前のファッション先取りか。当時の映画女優の写真を見るとやや長めのbobに移行してる感じ。[ABS] 20年代のフラッパースタイルと比べ、30年代はだんだん長くなった。
p8 ダグハウス・ライリー(Doghouse Reilly): 現代生活に適応できないで愚痴る孤独な老人、という定義がUrban DictionaryのDoghouse Rileyにありましたが… スペルがやや違い、意味もしっくりこないし、年代も合うのかも不明。[ABS]in the doghouseで不名誉な、とか嫌われ者とか。
p8 拳闘家?: [ABS]上の名前がリングネームっぽくて、当時多かったアイルランド系ボクサーを思わせる姓(Reilly)だから、こーゆー連想になったのでは?とのこと。
p9「うふう」: p24にも出てきます。原文はUh-uhとUh-huh。(それ以降にも。喋りたくない時のマーロウの口癖ですね。)
p11 椅子車(wheel chair): 能『車僧』由来の語。昔は「車椅子」よりこちらの表記が多かったのか?
p12 フォージュ谷のように冷たく(cold as Valley Forge): なぜcoldなのかはwiki「バレーフォージ」参照。
p13 「三十三歳。カレッジに通って… 地方検事の捜査課に雇われ… 結婚はしていません。理由は、巡査の女房にロクな奴はいないから」: マーロウの自己紹介。最後の部分はI’m unmarried because I don’t like policemen’s wives。
p16 五千ドル: 980万円。
p20 一日25ドルと雑費(twenty-five a day and expenses): 48975円。マーロウ探偵の料金。クール&ラム探偵事務所(1944)の料金は1日20ドルプラス必要経費、消費者物価指数基準(1944/2019)で30945円。ドレイク探偵事務所(1963)は1日50ドル&必要経費、消費者物価指数基準(1963/2019)で44465円。各私立探偵の料金比較も面白そうなネタですね。(誰か既にやってないかな?)
p23 悩まし型だ(She was trouble): ここらへんの女体に絡みつく視線が男作家のもの。マクロイさんに足りないなぁと思った部分です。
p26 色は浅黒く: 原文you big dark handsome brute!なので髪の色のことでしょうね。御大も浅黒派か…
p29 ハリウッド図書館(Hollywood public library): この名称では見つからず。[ABS] The Hollywood branch of the LA Public Library was established in 1907 at the corner of Hollywood Boulevard (then Prospect Avenue) and Ivar Avenue.
p30 股(もも)は長く(She had long thighs): long legsと同意だと思いますが、太腿のふくらみが魅力的、という含意もあり?ここの女性描写も男目線の典型。
p32 三角法の授業(my trigonometry lesson): 数学の先生という設定なんでしょうね。誰もが何の役に立つ?と思ってるsin, cos, tanの三兄弟が登場する奴です。
p38 チャーリー・チャン式の口ひげ(Charlie Chan moustache): Warner Olandのイメージか。初主演Charlie Chan Carries On(1931)で当りをとりシリーズ16作を数えた。
p41 免許証入れ(the license holder): 多分、自動車登録証のこと。ペリー・メイスン(1947)情報ですが、州法で自動車のハンドルの柄に取り付けるきまりです。[ABS]当時の自動車にはowner’s licenseをハンドルのシャフトかダッシュボードに保管するフレームがあった、となってました。
p46 ググゴテレル(Gugutoterell): 小鷹さんと片岡さんのトークショー(2014年8月)で、これはYou_Go_To_(the)Hellと解読すべし、という話題があったそうです。(サイト「るうマニアSIDE-B」から記事を引用。豪華なトークショー、羨ましいなあ。) [ABS] 元の短篇“Killer in the Rain”では“G-g-go-ta-hell”。
p63 百九十ポンドの体重: マーロウの自称。
p65 探偵雑誌(a horror magazine): 御大がわかりやすさを考慮して訳したんでしょうね。ホラー系のパルプ雑誌で有名どころはWeird Tales, Fantastic Adventures, Horror Stories, Thrilling Mysteryなどなど。当時チャンドラーを掲載してた探偵雑誌はDime Detective Magazine。
p65 一ドル: タクシー運転手に尾行の手間賃。当時流通の1ドル札は1928年からのSmall size(156.1x66.3mm)、銀兌換Silver CertificateとUnited States Noteの二種類。ほぼ同じデザインです。肖像はワシントン、裏はグリーンバック。
p67 自動昇降機(automatic elevator): すぐ後の「エレベーター」はelevatorの訳。律儀に使い分けて訳しています。automaticは「エレベーター係が乗っていない」という意味だと思います。
p68 十五ドル: 29385円。洒落た女性用帽子の値段。
p69プルースト… 変質者の目利きには一流: 上手いことを言いますね。
p77 切り出し方: 確かに質問下手な人っている。
p96 銀行ゲームのトランプの配り手(a faro dealer): 詳細はwiki「ファロ (トランプゲーム)」で。
p154 足をもんだ(tried to catch up on my foot-dangling): 前にも「足をもむ」みたいなのが出てきてるのですがメモ忘れ。正しい意味がよくわからず、何か気になる表現。
p175 『へへえ』はよしてよ、下品じゃないの(“Don’t say ‘yeah.’ It’s common.”): [ABS] As with her reference to Proust in Chapter Eleven, Vivian plays the card of class superiority, reminding Marlowe (albeit playfully) who’s boss.(よくわからんのでそのまま注釈の全文を引用。)
p178 ルーガン… 拳銃を持った男という意味さ(a loogan... A guy with a gun): [ABS] loogan: A thug or goon. Probably from the Irish.
p185 ベッドがおりていた(The bed was down): [ABS] Marlowe’s apartment has a wall bed, or “Murphy bed”ということで、サム・スペードのアパートもWall Bedだそうです。
p185 土曜日の晩のフィリッピン人みたいにすてきだよ(Cute as a Filipino on Saturday night.): [ABS]当時1920〜30に三万人のフィリピン人移民があり、家族持ちはほとんどおらず若い男ばかりで稼いだ金の使い道が無く、着物やダンスや享楽にたっぷり使った。そのため「ダンディ」という一般的な印象があったのだろう、とのこと。
p192 めちゃくちゃにベッドをぶちこわした(tore the bed to pieces savagely): 「引き裂いた」のが正解だと思うのですが… 次のシーンでは寝てるしね。
p192 バーミュダの司教(Bishop of Bermuda): バミューダ(トライアングルで有名)。英国教会の職。当時はArthur Heber Browne(1864-1951)が就任(1925-1946)。「夜の生活を意見」とあるので、何かそういう記事があったのか。検索するとサンガー女史との関連で産児制限に反対した人、というのがありました。バミューダの黒人人口が急激に増えるのでGovernor Hildyardが1936年に非公式にbirth controlを採用しようとしたら人種差別だ、と騒ぎになったらしい。こーゆーのこそABSに載せて欲しいネタですね。
p194 恋の夕(訳注 香水): Soirée d’Amour [ABS]には英訳“Evening of Love”とあるだけで実在とは記載してない。架空のブランド名か。
p253 シャーロック・ホームズ… ファイロ・ヴァンス: この二人の登場にはちょっとびっくり。[ABS]にはPhilo Vance... Chandler called “probably the most asinine character in detective literature.” Hammett didn’t like him either. He said that Van Dine wrote “like a high-school girl who had been studying the foreign words and phrases in the back of her dictionary.” ハメットに座布団一枚。

(追記2019-11-11)
ホークスの映画『三つ数えろ』(1946)を久し振りに観ました。バコール若い。何がなんだかわからないストーリーをそのまま生かした構成も素晴らしい。カッコいいセリフはブラケット女史の手柄とのこと。トリビアp41のハンドルの柄につける車検証が二種類も実見出来たのが嬉しかった。あと若い女性がやたら登場するのも楽しいですね。(タクシー運転手まで娘さんになってたけど、実際に当時のLAではそうだったのかなあ)


No.202 8点 ジーヴスの世界
事典・ガイド
(2019/09/23 19:44登録)
愛に溢れた本。日本でも執事世界(正しくは従僕?)がポピュラー文化では意外と有名ですが(私が一時期大好きだったのはアニメ版『ハヤテのごとく』)この世界一有名な若旦那と従者コンビの世界を余す所なく描き切っています。(森村さんが精力的に翻訳する前は知る人ぞ知るPGWだったなぁ…)
ミステリ的にもピーター卿とバンター、バークリーの初期作品などに強い影響を与えているPGWです。探偵小説の黄金時代と重なる1900〜WWIIまでの英国文化を知るうえでも非常に有益な本になっています。
まだPGWの作品をほとんど読めてないので、実はネタバレが怖いのですが、でも魅力的な本なので一気に読んじゃいそう。もっとエドワード朝&戦間期の英国を紹介した本が出ると良いなあ。


No.201 7点 ささやく真実
ヘレン・マクロイ
(2019/09/22 00:29登録)
1941年出版。例によってDell Mapbackに鳥瞰図がありますので、Web検索をお勧めします。(あっただし絶対ネタバレは嫌、という人は、どこで事件が起こるかわかっちゃうのでその場面になるまで我慢してくださいね。あー図面が欲しいなあ、と思った時が旬です。) 創元文庫の帯が良い。「2017本格ミステリ ベスト10 第1位 高純度謎解き本格」純米本醸造(詳しくないので適当)みたいな用語が楽しいです。
でも『月明かりの男』で鳥飼さんがせっかく気を使ってくれたのに「登場人物」紹介で大ネタバレ。これはひどいなあ。(私はほぼ「登場人物」を見ないので、今まで気にしたことはありませんが、ネタバレ物件って結構ころがってそうですね。リストアップされてない奴は真犯人じゃない、とか。その表現だと先の展開がミエミエ、とか。リスト見ただけで犯人わかっちゃった、とか。)
冒頭から類い稀なる美女をうまく描写。(髪と目の色からグレタ・ガルボで脳内変換しました…) サスペンスねたをいきなりぶっ込むのも上手。登場人物を次々紹介する手も洒落てます。(ウィリングを巻き込む工夫もも良くできてます。) その後の展開も小ネタを絡めて順調。ありふれた尋問シーンでさえ非常にスリリング。良い設定ですね。どんな証言にも耳をそばだたせてしまいます。とても良く出来た物語なんですが、コレジャナイ感が読後に残りました。探偵としてのウィリングが全く生きていません。愛するものに対する視線も冷めています。ストーリー展開は素晴らしいのに残念、そんな感想を持ちました。
以下トリビア。原文はkindleのサンプル部分を見ただけです。現在価値への換算は米国消費者物価指数基準(1940/2019)で18.33倍、1ドル=1945円。
p9 <アンジェーレ・ニュイ・ド・メ>(Angèle’s Nuit de Mai): フランス語的にはアンジェール(語最後のeはアクサンなしの場合、例外なく「弱いe」ウを弱く抜けた感じで) アンジェール(社?ブランド?)の「五月の夜」という香水。多分架空。
p16 サキによると: こーゆー女性がSakiを読むかな?読むような気もする。(そして的外れな感想を持ちそう。)
p33 ストライキで死者2名: ピケ隊とスト破りの攻防。1941年4月フォード社の写真がWebにありました。GMの工場でUAWによる1936年からのストライキを率いたのはWalter Reuther。
p35 太陽灯で日焼け: ココ・シャネルが1923年にリヴィエラで偶然日焼けして気に入ったのが流行の始まり?(wiki: Sun tanningの頁) 室内で太陽灯を使うのも1920年代からだということです。(wiki: Indoor tanning)
p36 月たった200ドル: 39万円。
p40 四十三歳: ウィリングの年齢。もっと若いと思ってた。
p42 ドロシー・ラムーア: 判事のお気に入り。軽薄な好み、と評されている。
p43 五ドルの罰金: スピード違反の罰金。9726円。
p54 嘘は最後には報いを受ける by アミエル『日記』
p60 サージェントの絵… ボストン図書館の天井に… 描かれた異教の女神アスタルテ: Sargent Astarte Boston Public Libraryで見られます。
p107 シベリウス作曲<悲しきワルツ>: Jean Sibelius, Valse triste (Sad Waltz), Op. 44, No. 1, originally part of the incidental music Arvid Järnefelt's 1903 play Kuolema (Death) (wiki)
p188 サマータイム: DST(Daylight Saving Time) or “fast time” 1918年から施行したが、1919年にはPittsburgh, BostonやNew Yorkなどの都市以外では取りやめ。パールハーバー以降、1942-2-9からWar-Timeとして復活。
p190 ラジオが最新の流行歌を… 軽快なリズムの歌…: 何の曲か知りたくなるのが妄想好き。WebにTop 80 Pop Songs in 1940という便利なのがありました。Glenn Miller, Artie Shaw, Frank Sinatra, Bing Crosby, The Ink Spots… そーゆー時代です。
p192 金曜日: 文脈から考えると事件は次の土曜日に起こったものと思われます。
p194 女か虎か: かなりの有名作だったのですね。初出The Century November 1882 (挿絵なし) "The Lady, or the Tiger?" by Frank R. Stockton
p199 モーリス・ジョべール作曲<灰色のワルツ>: Valse grise, Maurice Jaubert作曲。映画『舞踏会の手帖(Un carnet de bal)』(1937)のテーマ曲。
p216 共産主義にかぶれてる… (というのは)ルーズベルトに投票したという意味: 中程度の資産家の当時の意見。
p217 タクシー… 三年前のモデルのフォード: Ford 1937 taxiで結構画像を発見。
p218 七の和音: Seventh chord? ショーペンハウアーが「人生で真にロマンチックなものは七の和音と青い空と愛のキスだけ」と言っているらしい。調べてません。
p226 あと一週間もすれば牡蠣が食卓に並び: 作中時間は、9月の一週くらい前ということですかね。
p243 映画『カリガリ博士』のセット: Das Cabinet des Doktor Caligari(1920)、『007 カジノ・ロワイヤル』(1967)でも再現されてたようなパースペクティブの狂った歪んだイメージ。

(2019-9-23追記)
コレジャナイ感の正体がやっと分かりました。(後で思いつくタイプです…)
ネタバレになるので詳しく書けませんが、動機と手段のミスマッチです。心理学、精神分析を中心に据えてるはずなのにあのありさまでは台無しなのでは? もう一つはウィリングが最後のシーンで何を期待したのか、という点。実験台をいたぶる性悪さしか伝わってこないのですが… (私は何か誤読してるのでしょうか?)


No.200 7点 誰の死体?
ドロシー・L・セイヤーズ
(2019/09/16 19:57登録)
1923年(T. Fisher Unwin)出版。創元文庫で読みました。翻訳は会話が上品で非常に良いですね。副題はThe Singular Adventure of the Man with the Golden Pince-Nez、これHarper版にあったんですが、他の版には無し。文庫の冒頭にあるピーター卿の略歴は原書数冊あたってみたんですが無し。(訳者がつけたのかな?) Harper版にはウィムジイ家の紋章だけ載ってました。(ネズミは三匹、モットーは英語でAS・MY・WHIMSY・TAKES・ME) 全くの余談ですが、このモットーのようにスペースの代わりとして中黒(interpunct)を使うのは古ラテン語碑文でA.D. 200年以前に遡る由緒ある表記方法。今まで西洋人名に中黒を使わなかった私ですが、今後は態度を豹変させることといたしました。(きっかけはT. Fisher Unwin初版ダストカバー。表紙の作者名の表記がDorothy・L・Sayersで何コレ?と思ったのです。この初版のカバー絵もある意味「凄い」ですね。読了後、見てみてください… サイトFacsimile Dust JacketsでSayers Whose Body)
ピーター卿第1作。ピーター卿の長篇は第9作『殺人は広告する』(1933)しか読んでないので、ああ女流作家のスーパーヒーローものか、鬱陶しくなきゃ良いけど… と思ったら、結構いい奴じゃないですか。音楽の趣味もとても良いし。また素人探偵として、本作のピーター卿の態度は満点です。バンターとの関係もウッドハウス風味が強くて楽しい。途中でギアが変わるのも良いですね。物語を語る工夫が素晴らしい。締めはちょっと冗長ですが… ネタバレ防止の為、これ以上は言いません。本作の時点で作者はシリーズにする予定は無かったんじゃないか、と思いますが、次の作品以降の展開が楽しみです。(でも多分、小説として、これを超えるのは難しいのでは?)
献辞は
To M. J.
Dear Jim:
This book is your fault.(…以下略) あんたのせいで出来ちゃった、と冗談ぽく責めてる感じ?
Yours ever,
D. L. S.
ちゃんと翻訳されてるんですが、このM.J.(=ジム)が誰なのか解説なし。ググってみたらMuriel Jaeger(1892-1969)という女流作家でセイヤーズのオックスフォード時代のサマーヴィル・カレッジ仲間。ニックネームがJames, Jim, Jimmy。(どー考えても男だと思いますよね。) セイヤーズは大学時代の友人たちで女流グループを作って色々やってたらしい。(Mutual Admiration Society: How Dorothy L. Sayers and Her Oxford Circle Remade the World For Women(2019)という本に詳細が。フェミニズム味が強いと嫌なんですが、WWI当時の英国生活が活写されてそうな興味深い本だと思います。2019-11-7発売予定。)
以下トリビア。現在価値は英国消費者物価指数基準(1920/2019)で44.32倍、当時の1ポンド=5753円です。
p10 先代公妃: セリフの中ではHer Grace、地の文ではthe Dowager Duchess of Denver(これが公式。場合に応じてthe Dowager Duchess, the Duchess)、翻訳で全て「先代公妃」にまとめてるのはわかりやすい工夫だと思いました。
p11 もしもし(Hullo): 英国っぽい感じ。アクセントは後ろに置いてね。
p14 御前(my lord): バンターがピーター卿に「you」と呼びかける場合はyour lordshipと言う。(あなた様。この翻訳では同じく「御前」)
p15 シャーロック・ホームズ: 黄金時代の特徴。探偵小説のメタ小説としての探偵小説。本書のところどころに探偵小説ネタが顔を出しフィクションと実生活との違いが語られます。
p23 マニキュア(manicure): 「ここでは甘皮などの手入れ」との訳注。黄金時代の作品中に結構マニキュア男がいたけど、こーゆーことだったのね。
p27 年に二百ポンド: 115万円。バンターの給料。安い!(食住はピーター卿持ちとは言え…) じゃあ女中の給金とかはどのくらいなんだろう?
p32 アドルフ・ベック(Adolf Beck): 英国で1895年と1904年の2度も人違いで逮捕され2回とも有罪とされたノルウェー人。2回目の有罪宣告の10日後、二つの事件の真犯人Wilhelm Meyerが逮捕され事件は解決した。(英wikiより)
p34 『インゴルズビー伝説集』(Ingoldsby Legends): Richard Harris Barham作、初出1837年。19世紀には結構人気あり。実伝説も含むが、パロディめいたユーモラスな創作話がほとんどらしい。(英wikiより)
p49 スカルラッティのソナタ… ハープシコードでないと: 古楽器のパイオニアArnold Dolmetschの活躍が1915ごろ。英国でもバーナード・ショーなど支援者が結構いたようです。
p53 ベイカー街までの乗車賃2ペニー(a twopenny ride to Baker Street): 48円。 ところでtwopenceとの違いは何?(2019-9-17追記)阿呆です。名詞と形容詞の違いですね。
p55 きみはわが麗しき薔薇の花園/わが薔薇、わが薔薇、それぞきみ!(You are my garden of beautiful roses/My own rose, my one rose, that’s you!): 訳注では「20世紀初頭の詩のもじり」となってましたが、The Garden of Roses (1909, J.E. Dempsey作詞, Johann C. Schmid作曲)のサビに全く同じ歌詞あり。某Tubeでも聴けます。ところでサグが「御前」と言ってるように訳してるけど、原文は「you」
p58 善と恵み… (I thank the goodness and the grace/That on my birth have smiled): Jane Taylorの詩“A Child's Hymn of Praise,” from Hymns for Infant Minds (1810)。これGKCのManaliveにも引用されてたやつですね。ここには引用されてませんがAnd made me in these Christian days,/A happy English child.と続きます。
p63 宗教がおいや: 原則的にヘブライ人は好かない(p72)など、この小説のいたるところにユダヤ人嫌いが出てきますが、登場してるのは「例外的に良いユダヤ人」
p68 土下座する。ワトソンと呼んでくれ。(I grovel, my name is Watson): 随分とワトソンを見くびってます。
p71 グレイヴズ: 舞台の執事は常にグレイヴズというのはバークリーの法則『レイトンコート』(1925)
p75 スコットランド人… 用心深くてしみったれていて慎重で冷血: イングランド人のスコットランドいじりはジョンソン博士由来の伝統芸。
p79 紳士たる者、雨の中を帽子も被らずに…: 外出に帽子が欠かせない時代です。傘代わりの帽子、という事か。
p81 ホワイトヘイヴンから来た老人… 鴉をつけあがらすとは(There was an old man of Whitehaven... It’s absurd, To encourage this bird!): 訳注なし。みんな知ってるよね?という事か。A Book of Nonsense(1846) by Edward Lear。カラスで駄洒落になってる上手な翻訳。柳瀬尚紀先生は「鳥のごきげん取りやがる!」(岩波文庫) 柳瀬師匠に一枚。
p95 フラットを週一ポンドで借りていた: 同じ階の数部屋1組の借家だとフラットというのかな?月換算で家賃24922円。
p95 通いの家政婦: 慎ましい公務員の独身者でもこのくらいは雇ってる。
p96 バッハのロ短調ミサ『またかしこより栄光をもて』を唄っている(singing the “et iterum venturus est” from Bach’s Mass in B minor): ロ短調ミサ第18曲Et resurrexit中のバス独唱部分。
p101 本日付タイムズ紙個人広告欄(…)192x年11月17日: 広告は死体発見の翌日に出ているはず。とすると「先の月曜日」はその前日(11月15日)。1920年が該当。
p115 故チャールズ・ガーヴィス(late Charles Garvice): 1850生まれ1920年3月没。Caroline Hart名義も使って150作以上の通俗ロマンス小説を書いた。He was ‘the most successful novelist in England’, according to Arnold Bennett in 1910.(wiki)
p128 十四人の陪審員: 途中欠員に備えて14名なのか?
p136 ガス灯: 法廷の照明。まだ現役。水銀灯や蛍光灯は1930年代以降の普及のようです。
p151 変装の名人レオン・ケストレル(Leon Kestrel, the Master-Mummer): Sexton Blakeシリーズに出てくる犯罪シンジケートのボス。元米国俳優。The Case of the Cataleptic(Union jack誌 1915-8-28)初登場。
p151 駅売りの探偵小説(railway stall detective stories): 単行本ではなく雑誌な感じ。
p158 そのおズボンではなりません: ここら辺はジーヴス風味。
p159 トランプでやる遊び(play with cards, all about wheat and oats, and there was a bull and a bear, too):「訳注: <場>という遊び」ですが、ピット(The Pit, 1904年発売)の事か?トランプではなく専用カードを使う「商品(農産物や鉱物)の入札のための立ち会い取引をモデルにした、3~8人で遊ぶ非常にテンポの速いカードゲーム」なので文脈に合致してます。Wikiに詳細あり。
p160 ウィムジイ卿とお呼びしてしまって: ここら辺の敬称の呼び方ミニ講座が訳者あとがきにありました。丁寧な仕事です。
p163 土下座したいくらいです(I’m simply grovellin’ before you): ピーター卿は土下座好き。
p169 ガラテヤ人への手紙: 田川建三先生の『新約聖書 註と訳』に基づき大雑把にまとめると、パウロがガラテヤ人たちに、ユダヤ教徒じゃないんだから割礼などせずキリスト者の道を歩め、といささか見下した調子で送った手紙。成立は53〜54年。
p191「タトラー」(Tatler): 週刊誌。当時1シリング。白黒90ページ。舞踏会、チャリティー、競馬、狩猟、ファッション、ゴシップを掲載。写真が豊富なヴィジュアル誌。
p195 従僕兼執事を務め(to valet and buttle): バンターの自称。誰かがジーヴスは従僕であって執事ではない、と言ってたような…
p204 簡単なことだよ、ワトソン君(Perfectly simple, Watson): ここでelementaryと言わないところが、捻くれ者らしくて良い。
p211 半クラウン対6ペンスの賭け: 半クラウン=2シリング6ペンス=30シリング、5対1の賭け。
p218 ヘンティ(訳注: 少年小説家)とフェニモア・クーパーぐらいしか読まなかった: G.A.Hentyの方はアガサさんが子供の頃に(全集を全部)読んだと『クリスティ自伝』に書いてました。
p219『三文オペラ』でも弾いてくれ(play us the ‘Beggar’s Opera,’ or something.): ブレヒト版は1928年作。なので正しくはオリジナルの『乞食オペラ』(1728年ジョン・ゲイ作) 1920年にはロンドン、Lyric Hammersmithで1463回という驚異的な上演記録を残した。(wiki) 初日1920-6-6で1923-12-23が1463回目の最終公演。音楽はFrederic Austin(1872-1952)による編曲で彼の代表作にもなった。ここは多分その曲のイメージ。
p225 見変えられた女に勝る怒りは地獄にもない(hell knew no fury like a woman scorned.): この日本語表現(見変える)って初めてなんですけど、違和感あり。「振られた女の怒りは地獄越え」(娘道成寺ですな。)
p225 スコットランド人に見変えられた!(jilted for a Scotchman!): 「(俺を振って)スコットランド野郎を選ぶとは!」
p232 本物の豆スープだね(A regular pea-souper): 訳注でロンドン名物の霧のこと。pea soupとも。a regularはここでは強調の意味。
p235 飢えているロシア(starving Russia): 革命の余波。このエピソードをここにぶっこむところが非常に良い。
p255 ピーター卿はバッハを弾き: 憂鬱な曲だと思います。ロ短調つながりでフランス組曲第3番あたりでどう?(なお原文は単にLord Peter was playing Bach)
p269 ドアを勢いよく閉める(the banging of the door): 訳注で「叩きつけると自然に施錠される」こーゆーちょっとした知識はなかなかわかりませんね… ドロップ式の錠なのかな?

(2019-9-17追記)
tider-tigerさんの書評に全面的に賛成。(人の書評は自分のを書いた後で読むのです。) 私のやつはダラダラ長いだけですね… でもそれだけこの本を気に入ったということで… 翻訳はThe Lord Peter Companionを参考にしてるようなので入手したくなりましたが、アマゾン価格8万円… 無理です。

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