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ミステリの祭典

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赤い収穫
コンチネンタル・オプ/別邦題「血の収穫』

作家 ダシール・ハメット
出版日1953年09月
平均点7.07点
書評数14人

No.14 9点 八二一
(2022/12/29 20:36登録)
総勢十七名もの人が殺されるこの作品は、極力心理描写を排し、ひたすら行動だけを描こうとする。そのハードボイルドぶりと、世界を不条理と見る観点が徹底している。まさにスリラーの極北。

No.13 6点 弾十六
(2020/03/28 14:10登録)
1929年2月出版。初出Black Mask 1927-11〜1928-2 (4回連載)、出版時の改訂により連載より表現が和らげられているらしい。その辺りの詳細を探したがWebでは見つからず。ハヤカワ文庫(1989年、小鷹 信光 訳)で読了。
変な話。文章は上等。乾いたユーモア感のある文体。でもオプが前のめりにこの町に関わってゆく動機が全くわからない。(都会モンが舐めた態度の田舎モンをカタに嵌める話?) クノッフの奥様はどんなつもりでこの長篇を出版する気になったんだろう。珍獣を眺めてるような気分だったのか。
筋ははちゃめちゃだが一応の理は通っている。小ネタも良い。記憶に残るのはダイナとオプの酔っぱらい場面。下戸の小鷹訳より小実昌訳(講談社文庫)がふさわしかったか。(呑めない噺家の方が酔っ払い上手、という説もあるが…) ハメットは割りの良いアルバイト気分で文章を綴っている。自分の作品のことはジョークだと思っていただろう。あとがきは小鷹ファンじゃないといささか意味不明だが情感溢れるエッセイ。(ゴアス直伝の語釈が知りたい!) 次作『デイン家』が非常に楽しみ。
以下トリビア。
作中年代は1927年のヒット曲が出てくるので素直に1927年で良いだろう。季節は、冬ではないことは多分確実(p206はあまり寒そうじゃない)。夏という感じでもない。イメージだと秋。(2020-4-5追記: 「去年の夏(summer a year ago)」の事件が8月最終週末(p129)に起きて、それは今から「一年半前(p149 a year and a half ago)」のことだという。ちょっと矛盾してるが last summerとは言ってないので、一年(ちょっと)前の夏、と理解すれば話は通る。ならば「今」は2月末の前後数カ月。p81のヒット曲はおそらく1927年3月か4月が流行の初め。毛皮のコート(fur coat)を着てる(p112)ので、この物語は1927年3月の話なのだろう。夏の事件は1925年8月29日土曜日あたりか)
現在価値は米国消費者物価指数基準1927/2020(14.87倍)、$1=1633円で換算。
銃は色々出てくるがgunmanは.32口径なんか使わない(p62)というネタが興味深い。銃世界の通説ではgunmanとは銃を持った悪党のこと。じゃあどんな奴が.32口径を使うのか、という答えはp89参照。
献辞はTO JOSEPH THOMPSON SHAW。
p14 赤い幅広の絹のネクタイ(a red Windsor tie): 組合関係者なので「赤」か? 赤一色のネクタイはCommunist Red necktieと呼ばれることもあるらしい…
p21 色の浅黒い、小柄な若い男(It was young, dark and small):「黒髪の」小鷹さんも浅黒党とは意外。
p23 あさぐろい横顔がうつくしい(His dark profile was pretty.): 小実昌訳より。この文、小鷹訳では抜け。He was Max Thaler, alias Whisper.と続く場面。(2020-4-5追記)
p25 イーストを食べるようになってから、耳の具合がぐんとよくなりました(My deafness is a lot better since I've been eating yeast): 1910年代から家庭でパンを焼く習慣が廃れ売上が減ったので、Fleischmann’s Yeast社がイースト菌は健康に良いキャンペーンを張った。広告ではconstipation, bad breath, acne, boils, and sluggishnessなどに効き目があると主張、パンに塗って食べたり溶かして飲んだりすると良い、として売上1000%の効果があったという。
p33 五千ドル: 817万円。
p49 五十セント玉ほどの(size of a half-dollar): 当時の半ドル銀貨はWalking Liberty half dollar(1916-1947)、直径30.63mm、重さ12.5g、ギザあり。貨幣面の表示は「FIFTY CENTS」ではなく「HALF-DOLLAR」(2020-4-5追記)
p53 五ドルもだして買ったのよ(paid five bucks): 8165円。靴下(socks)の値段。小実昌訳では「ストッキング」伝線してるのだからストッキングのほうがふさわしい。何組買ったのかはわからない。1920年代の高級品は1組$4.5という情報あり。(2020-4-5追記)
p81 <ローズィ・チークス>を口ずさんでいる(humming Rosy Cheeks): 同タイトルは数曲あるが、ここでは1927年のヒット曲のことだろう。作詞Seymour Simons、作曲Richard A. Whiting。初録音はNick Lucas 1927-3-29(Brunswick)か。(2020-4-5追記: 1927年4月には見つけただけでも9つのレコーディングがある。ミュージカルのヒット・ナンバーではないようだ。ダンス・ホールでの評判が良かったので各バンドが争うように吹き込んだものか)
p84 五十ドル札、二十ドル札、十ドル札: 当時の紙幣サイズは額面にかかわらず、現在より大きめの189x79mm。50ドル紙幣はUnited States Note(1914-1928) 、Gold Certificate(1913-1927)のいずれもUlysses Grantの肖像、81670円。20ドル紙幣はUnited States Note(1914-1928)はGlover Clevelandの肖像、Gold Certificate(1922-1927)はGeorge Washingtonの肖像、32668円。10ドル紙幣はUnited States Note(1907-1928)はAndrew Jacksonの肖像、Gold Certificate(1922-1928)はMichael Hillegasの肖像、16335円。
p89 銃器の専門家に… 弾丸の精密検査をさせる(have a gun expert put his microscopes and micrometers on the bullets): 1925年Calvin Goddard創始の技術が一般的になってきてるようだ。(有名になったのは1929聖バレンタインデーの虐殺の鑑定からだという)
p101 ピノクル(pinochle): トリックテイキングの米国トランプ・ゲーム。2〜8を除いたダブル・デック(48枚)を使用。原型は4プレイヤーだが、この場面のように2人でも出来るバリエーション(べジークとほとんど同じ)がある。詳細はWiki「ピノクル」及びWebページ「ベジーク(Bezique)と、ピノクル(Pinocle)の2人ゲーム」
p107 全財産の三十五ドル(my last thirty-five bucks): 57172円。
p112 マルセル式にウェーブが(marcelled): ボブと組み合わせて1920年代人気の髪型。ウェーブというよりカール。
p121 チャウメン(chow mein): 炒麺。焼きそば。
p127 科学探偵(scientific detectives): 前のセリフにexperimentが出てくるからscientificと言ったのか。
p129 ほつれた糸で脚を痛めたくないと(so the loose threads wouldn't hurt his feet): 婆さんみたいに靴下を裏返しにはくおかしな男… 小実昌訳では「縫い目で足が痛くならないように」こっちのが正解だろう。こーゆー、いかにもな女の話をちゃんと覚えてて書くところがハメットのリアリティだと思う。(2020-4-5追記)
p136 四十にもなると(At forty): オプの歳。
p179 機関銃の覆いがとられ(Machine-guns were unwrapped)… ライフル(rifles)… 暴徒鎮圧銃(riot-guns)…: 機関銃は当時ならThompson submachine gun。riot-gunはshotgunのこと。
p181 バイバイ(Ta-ta): 小実昌訳では「タ、タ」訳注「バイバイといった類の幼児語」Webページ「イギリス英語“Ta-Ta”って何て意味?」によるとニュージーランドでは使わないらしい。発音は「タター」Weblioによると[英口語]子供が用いたり、子供に向かって用いる言葉。他の辞書でも「英」英国人と付き合ってた設定だからこの語か。ここはお母さん(mama)のつもり(p195参照)で言ってるのだろう。試訳「バイバイでちゅ」(←貴家さんの声で) (2020-4-5追記)
p209 そば粉ケーキ(buckwheat cakes): 蕎麦粉配合のパンケーキ。東ヨーロッパ、ロシア、フランスのが有名。(wiki)
p241 一ドル銀貨大(the size of a silver dollar): ここに訳注を入れると台無しか。当時はPeace Dollar(1921-1928) 90% silver, 直径38.1mm、重さ26.73g、縁にギザあり。デザインは表がLibertyの横顔、裏が白頭鷲。デカくて重かったので西部以外ではあまり流通しなかった。(サルーンやカジノでよく使われたらしい)
p264 ディック・フォーリーは原文ではもっと言葉を節約してる。小実昌訳でも節約不足。(2020-4-5追記)
p272「やつは犯罪専門の弁護士なのかい?」「そうとも、犯罪専門のね」: ジョークとしてキレが悪いが仕方ないかなあ。小実昌訳も上手く処理出来てない。原文は'Is he a criminal lawyer?' 'Yes, very.' 試訳「そうだよ、前科は数え切れずさ」(2020-4-5追記)
p273 十セントのチップ(For a dime): 163円。ホテルのボーイへの。(2020-4-5追記: 10セント銀貨は当時Mercury dime(1916-1945) Winged Liberty Headが正確な通称。 .900Silver、直径17.91mm、重さ2.50g。貨幣面の表示は「TEN CENTS」ではなく「ONE DIME」)
p274 おれのところにきたものは、みんなまわしてほしい(Take anything that comes for me and pass it on): なんとかして誤魔化す、の意味だと思うし、この要望に応じて、実際そうしている。(2020-4-5追記: 私は小鷹訳の「もの」を者と誤解してトンチンカンなことを書いていた。小実昌訳では「おれのところにきたしらせは、みんなとりついでくれ」これなら明瞭)
p275 上記(p264)同様ディック・フォーリーは原文ではもっと言葉を節約してる。小実昌訳でも節約不足。(2020-4-5追記)
p293 やつのくそったれの叔母(and his blind aunt): 罵りに出てきた文句。ファイロ・ヴァンスもoh, my auntと良く言うが… (2020-4-5追記: 小実昌訳では「メクラの叔母さん」外人名みたいで上手)
p309 十六インチ砲(16-inch rifle): 16インチ(406.4mm)銃身のライフルという意味か。通常より短めで鹿用に最適らしい。口径40ミリなら「砲」という翻訳だろうが、16"/45 caliber gun(1921から戦艦用)や16"/50 caliber Mark 2 gun(1924から沿岸警備用)をrifleとは言わないはず。(砲の意味ならこの場面では非常に大袈裟で意図不明) (2020-4-5追記: 小実昌訳では「16インチのライフル」)
p309 コルトの軍用拳銃(A Colt's service automatic): M1911(コルト・ガバメント)のこと。
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(2020-4-5追記)
小実昌訳(講談社文庫1988)であらためて読んだら、結構、色々な気づきがあったので、トリビアにかなり追記した。この物語はおそらく1927年3月のことだろう、というのが最大の発見。やはり小実昌訳はセリフ(特に女性の)が素晴らしい。地の文もシンプルで、漫画みたいな表現(p180のすり抜け等)も上手い。小鷹訳は楷書ぶりがちょっと堅苦しい。多分、全体の正確さは小鷹訳が上のはず。でも印象は小実昌訳が非常に良い。
現実の事件を思い起こすと、本書は絵空事とは正反対で、実際にあり得る世界だということに今更気づいた。(ギャングの抗争によるシカゴの大量殺人「聖バレンタインデーの虐殺」は、本書刊行と同月の事件。トリビアp89で触れているのに全く気づいていない…)
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(2020-4-12追記)
ついでに創元新訳(田口 俊樹2019)も読んでみた。語釈は小鷹訳に準拠している感じで、多分ほぼ完璧になってると思う。もっと言葉は省略出来るのになあ、という感想。小鷹訳でも小実昌訳でも気に入らないディック・フォーリーの口調が違和感あるところ(上のp264、p275)は、長いセリフのまま。全体的には、やっぱり小実昌訳サイコー。
なおBlack Mask連載とKnopf初版との全文比較をDon Herron主宰のWebサイト “Up and Down These Mean Streets”でTerry Zobeckがやり始めている。(まだ第1回目で単行本13ページまで… 先は長いが楽しみだ)
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(最後のおまけ)
ネタバレにはならないと思うので書いちゃうと、本書最後の文が素敵だ。
He gave me merry hell.

No.12 9点 ◇・・
(2020/03/22 20:23登録)
作者の処女長編であり、ハードボイルド・ミステリの第一作といっていいだろう。
サンフランシスコのコンチネンタル探偵社から派遣され、ポイズンビルという街へとやってきた主人公は、たちまち街を牛耳る実力者やギャング団の派閥争いに巻き込まれてしまう。
銃弾が飛び交い、人がバタバタ死に、血が血を呼び、乾き切った文体で果てしなく続く抗争が延々と描かれる。そして主人公以外は、ほどんど死んでしまうという展開の猛烈さは、当時未知の世界だった。
この作品に魅せられた人は多かったようで、似たような小説、映画は数多い。基本設定が永遠に模倣され続ける傑作であろう。

No.11 6点 蟷螂の斧
(2019/12/31 21:01登録)
東西ミステリーベスト100の第38位。まず、マカロニウェスタンを思い起こしました。「荒野の用心棒」は「用心棒」(黒澤明監督)のパクリであり、その「用心棒」は本作からインスパイアされているので、当然と言えば当然ですね。007などへの影響も多大であると思います。ただ筋としてはそれほど面白くなかった。あと気になったのは、なぜ名無しの権兵衛なのか?。ホテルにいる「おれ」を第三者が訪ねてくるのですが、名前はどうなっているの???(偽名を使うのはわかっているのですが・・・)。ハードボイルドの嚆矢である点を加味しこの評価です。

No.10 8点 クリスティ再読
(2019/11/23 22:15登録)
ハードボイルドを確立した記念碑的長編である。
最近の論調だと、たとえばチャンドラーでも「ハードボイルドの概念を歪めた」という評価を下されることも多いわけで、そうしてみると、ハードボイルドはハメットに始まりハメットに終わることにもなりかねない。じゃあ、ハメットとチャンドラーで何が違うのか?ハメットの主人公像はマーロウとどこが違うのか?というのを考えてみたときに、たとえば本作でオプが

あれは、おれじゃない。おれのハートの残りかすは頑丈な衣でくるまれ、犯罪と二十年間かかずりあってきて、どんな殺人でも、自分のメシの種、当然の仕事としてしかみないようになってしまった。だが、こんどのように人殺しを画策して大笑いするってのは、いつものおれじゃない。この町が、おれをこんなにしちまった

と述懐するのを「例外」と捉えて本作の独自性を見る、というのもあるんだろうけども、評者はこれを実はハメット固有の「ハードボイルドの本質」として見たいと思うんだ。そのキーワードになるのは「探偵のエゴイズム」ということになるんだと思う。
つまり、ハメットの探偵が謎を解くのは、抽象的な正義感からでも、金銭で依頼を受けたことにあるのでもないのだ。本作なら暴力の街でのオプ自身のサバイバルも懸かっているわけだが、対立を頂点までに高めてその「神々の黄昏」に立ち会いたいことが、オプ自身の破滅衝動とも隣り合わせなことは、ダイナ殺しをホントは自分がやったんじゃないか?と半信半疑なあたりにもうかがわれる。そっけなく心を閉ざした描写描写以上に、オプはポイズンヴィルの状況に胸がらみにコミットしているのだ。
だからこれは職務でも、職務からの逸脱でもなくて、オプの「エゴ」の物語としての「血の収穫」なのである。探偵は自身の「エゴイズム」によって、状況に働きかけ、それを通じて傷つくかもしれないが、そんな痛みは顔にも出しちゃいけない。

これまでの生き方と同じ固い殻に閉じこもって死んでいく気なのだ。(中略)まばたきひとつぜずに、いかなることもうけとめる男。命つきるまで、それをやりとげる男なのだ。

まさにこの自我という「固い殻」こそがハードボイルドの謂いなのだ。
(逆に言うと、評者が「プレイバック」を高評価する理由は、あの作品だとマーロウの立場と事件介入の根拠がすべて曖昧になってしまって、状況の中でマーロウが立ち竦む姿が、探偵エゴイズムとしてのハードボイルドの結論みたいに感じられるからだろう...)

No.9 7点 mini
(2015/12/09 10:00登録)
昨日8日に小鷹信光氏が逝去されました、謹んで御冥福をお祈りいたします
いずれ早川ミスマガでも追悼特集が組まれることになるでしょう

ミステリー読者の中には、本格派にしか興味が無くハードボイルド派作品を1冊も読んでいないなどという極端に視野の狭い読者も居られよう
本格派偏重読者の中には唯一ロスマクだけは読んだという人なら結構居るみたいだが、ハメットもチャンドラーも読まず唯一ロスマクだけは例外的に読んだという読者の場合は、十中八九その手の読者がロスマクだけを選んだ理由はハードボイルド派に対する興味では全くないと断言出来る
しかし本格派にしか興味の無い読者でも、小鷹氏の名前を全く知らなかったとしたら総合的な意味での海外ミステリー小説ファンとは言えないのでは

小鷹氏は翻訳家でもあるが、その生涯の仕事で翻訳と並ぶ3大事業が評論分野と短編集編纂である、小鷹氏の評論や編集は数多いのでまた機会を見て書評を考えたい
小鷹氏が居られなかったらわが国における海外ハードボイルド派作品の紹介は大幅に遅れたのではないだろうか
特に小鷹氏の業績で私が感心してしまうのは、ハードボイルドを純文学的見地だけで定義せず、高尚とは言えない通俗ハードボイルドにも愛情と理解を示された点で、ミステリージャンルとしてのハードボイルドという用語は、純文学ジャンルとしてのそれとは異質なものである、この点は誤解している人が多いと私は思う
ちなみに昔に故松田優作主演でドラマ化された『探偵物語』の原案者でもある
また娘が作家ほしおさなえである、ミステリー作品も有るよね

取り敢えずここは「赤い収穫」の再書評で、過去に書評済だったが一旦削除して再登録
私は”最高傑作”と”代表作”という二つの言葉ははっきり区別する主義で、代表作というのは出来よりも作者の特徴が出ているか否かが重要だと思っている
「マルタの鷹」を最高作とする意見には一理あると思うしあえて反論はしない
しかし「マルタ」は最高作の可能性はあっても代表作ではない
なぜなら「マルタ」はハメット以外でも書けそうだから
逆に言えばだからこそ後のハードボイルド作家達にとっての聖典みたいになってるのだろう
それに私立探偵サム・スペードの登場する作品は短中編含めても案外と少なく、やはり作者の本流はコンチネンタル・オプなんだろうな
だから代表作はオプものから選ぶのが妥当だと思うし、「赤い収穫」なんてハメット”ならでは”で、チャンドラーやロスマクでは書き得ないだろう
やはり作家自身がプロの探偵だった経歴の違いか

No.8 10点 Campus
(2015/07/29 20:30登録)
「コンティネンタル探偵社支局員のおれは、小切手を同封した事件依頼の手紙を受けとって、ある鉱山町に出かけたが、入れちがいに依頼人が銃殺された。利権と汚職とギャングのなわばり争い、町はぶきみな殺人の修羅場と化した。その中を、非情で利己的なおれが走りまわる。リアルな性格描写、簡潔な話法で名高いハードボイルドの先駆的名作。」(創元推理文庫版粗筋より)

ハメットというと、どうしてもハードボイルド派というイメージが先行してしまい、本格ミステリとの対抗軸として語られることが多いのだが、どうも、実のところそのイメージは間違っているのではないかと感じる。むしろ、ハメット作品は全て本格ミステリであると言っても良いくらい、謎解き味が濃厚じゃないか、と。
『マルタの鷹』はマルタの鷹をめぐる悪党どもの駆け引きが中心にあるとはいえ、フーダニットの部分は驚くくらい筋が通った解決が待っているし、『ガラスの鍵』には帽子を中心にしたクイーン張りの(というとちと大袈裟か?)ロジックがある。短編だが「夜の銃声」は切れ味鋭い本格の佳品だ。
はっきり言って、本格の古典だとかチヤホヤされている作品よりもよほど謎解きがしっかりしていると思うのだが、どうにも日本の本格ファンに認められてない気がして歯痒い。本格ミステリとしての謎解きを中心におきながらも、そこからはみ出るコンゲーム的だったり冒険小説的だったりする要素を付け加えているという面において、非常に〈現代本格〉的だと思うのだが……

で、この『血の収穫』も当然の様に謎解きがしっかりしている。というか、むしろ何でそっちの方面で評価されないの? と思うくらいのレベルだ。
四つの短編をくっつけたかの様な構成の本書は、そのまま四つの構図の反転が用意されている。しっかりと伏線がはられた上で思い込んでいた部分だったり、想像していた構図が反転する様は痛快で、この部分だけで本格ミステリの傑作として名を残せるくらいだろう。まあ、本当に四つの短編を無理矢理つなげただけという感じで、全体を貫く構図とかはないっちゃあないのだが、その無理矢理さも味になっているし、良いじゃないか(こういうのをあばたもえくぼと言う)。
そして、そんな紛糾した殺人だらけの街を駆け抜けるどころか更に紛糾させるのがコンティネンタル・オプという恐ろしい男なのである。このキャラクター造形がこの作品を本格ミステリという評価から逸脱させているんだろうなあ……だって、こいつの役割、完全に名探偵じゃないもん。むしろ逆かもしれない。この物語で大量の人が死ぬのは、この男の行動のせいなのだから。
…と書くと、批判しているようだが、全くもってそんなことはない。
むしろ、オプがそういうキャラだからこそこの作品はミステリ界における超絶傑作になっているわけで。四つのどんでん返しが用意された本格ミステリとしてのこの作品の味も、気が狂ったかのようなバイオレンスさも、この作品の持つ愛すべき歪さも、全てはオプのおかげなのだ。

ともかく、この作品は全ミステリファン必読の一作といえるんじゃないかと思う。
決して、欠点のない作品というわけではない。
しかし、その欠点さえも包み込むようなパワーがある作品なのだ、これは。

No.7 4点 斎藤警部
(2015/07/29 12:24登録)
うむ、どうもいまひとつ、わくわく出来ないね。
ミステリ興味が薄いのは構わんが、小説として面白くない、いゃ私にゎ微妙に合わない。 映画で観たらきっと愉快だろう。
しかし、再読に食指が動く事も確か。これが名作オーラというものか。

ところで「Personville」を「Poisonville」と呼ぶ洒落は、日本で言や「鎌倉幕府」を「キャバクラ幕府」と言うようなもの? まさか。

No.6 10点 おっさん
(2013/09/26 19:56登録)
Black Mask 誌に、1927年11月号から四回にわけて掲載され、29年に単行本化された、コンチネンタル・オプものの集大成 Red Harvest。
翻訳者に、歴代の錚々たるメンバー実に七名が轡を並べる、ダシール・ハメットの長編デビュー作です。
筆者は基本的に、あまりハードボイルドとは縁のない人だったのですがw さすがにこれは無視できず、中学生時代、テスト勉強の合間の息抜きに、田中西二郎訳(創元推理文庫『血の収穫』)で読み飛ばした記憶があります。
いま思えば、ほとんど劇画(死語?)のページを繰るような感覚でしたね。で、怖いもの知らずの感想は「面白いっちゃ面白いけど、グダグダだあ!」。

あれから幾星霜。
ふとしたことからハードボイルド再入門を思いたち、ジャンルの基本図書のひとつと考える、小鷹信光・編訳『コンチネンタル・オプの事件簿』(ハヤカワ・ミステリ文庫)にあらためて目を通したら・・・
うまく波長が合って、なんだか昔は見えていなかったものまで、自然に見えてくるような気がしました。
そうなってくると、子供のころに読んだきりの、かの“古典”も、小鷹・新訳の『赤い収穫』(同前)で読み返してみてはどうか、という気持ちになります。

品切れなので(このへんを切らしてどうするのよ、早川さん!)古本を捜して一読した次第。
すると――まず冒頭の一節で、驚かされました。ちょっと長くなりますが、ここは重要だと思うので、はしょりながらも、あえて引用します。

 パースンヴィルがポイズンヴィルと発音されるのを初めて小耳にはさんだのは、ビュートの町のビッグ・シップという店でのことだった。(・・・)そのときは気にもかけなかった。(・・・)やっぱり同じように呼ぶのを後になって耳にしたが、そのときも(・・・)他愛のないユーモアぐらいにしか思わなかった。その数年後に私はパースンヴィルに出かけ、自分の考えがいたらなかったことを思い知らされるはめになったのである。(引用終わり)

この導入以降、地の文の一人称I(アイ)を、小鷹さんは「私」と訳している! 名なしのオプの短編では、一貫して「おれ」を採用しているのに・・・。この人称代名詞の使い分けにどんな意味があるのか? そのへんを訳者が明かした文章なり発言なりが、どこかにあるのかどうか、あいにくハードボイルドにわかの筆者には、わかりません。
レヴューの最後で、この問題は、あらためて考えることにします。

さて。
腐敗した町にやって来たニヒルな主人公が、町を牛耳る複数勢力をたくみにあやつって、たがいに抗争させ、自滅へ導く――骨子だけを見れば、本作はいまとなっては、よくあるお話でしょう。いやこれがオリジンだから、という弁護も、それだけでは「歴史的価値」の評価にとどまります。
しかし今回、筆者がこの小説から受けた印象は、そんな黴臭さとはまったく異なる、鮮烈なものでした。

これ以前の、オプもの短編になじんでいる読者なら、凄腕のサラリーマン探偵である主人公が、必ずしも社規に忠実ではなく、必要に応じて担当事件のシナリオを、自分の望む結末に書き変えてきたことは承知しています。そのために、たとえ命が失われても、しかし一応は、彼なりの「正義」を実現するためやむを得ず、といったエクスキューズのようなものはありました。

ところが本作のオプは、あきらかに常軌を逸している。行動原理の肝心なところに、ポッカリ穴があいているのです。最初から、「仕事」はタテマエで、本音は殺戮ゲームを主宰するのが面白かったのだ、としか思えない。そして、途中からはもう、引き返せなくなってしまった・・・
本格ミステリ・ファンでもある筆者は、これを「名探偵の成れの果て」の物語としてとらえました。
あ、一応オプは「名探偵」です。バイオレンス小説のはずの本作で、周期的に繰り出される推理→サプライズ(実質、中編四つをつなげた構成の本作には、大雑把にいえばドンデン返しも四回あるw)がそれを証明しています。荒削りながら、面白いアイデアも盛り込まれています(3/4のところでオプが解き明かす、銀行襲撃事件のからくりが、筆者は一番好きです)。
そんな、ヒーローとしてのオプが、しかし「裁くのは俺だ」を繰り返すうちに暗黒面に堕ちていく・・・

けっして完成度の高い小説ではありません。むしろ「グダグダ」かもしれない。しかし、私立探偵型ハードボイルドのスタートにしてゴールのような、異様な迫力に圧倒されます。うん、これはワン・アンド・オンリーの作。

そんな本作は、こう締めくくられます。

 報告書をあたりさわりのないものにしようとして必死に汗をかいたのは無駄骨だった。おやじをだますことはできなかった。私はこってりしぼられた。

しかし、この小説に本当にふさわしい結文は、

 (・・・)私はこってりしぼられ――コンチネンタル探偵社をやめた。

ではないかと思います。

最後に。
訳者の小鷹氏が、短編と本作で一人称表記を変えた理由について。
さきに引用した小説冒頭の一節が、一件落着後の“回想”であることに、ヒントがあるような気がします。
リアルタイムのドキュメントではない。どの程度のタイムラグがあるのかもわからない。しかし、いずれにせよ――

『赤い収穫』で地獄巡りをしたあとのオプは、もうそれ以前のオプではありえないんだよ――

もしかして、そうおっしゃりたかったんでしょうか、小鷹さん?

No.5 6点
(2013/07/23 10:09登録)
バイオレンス性は知っていたせいか、実際に読んでみるとそれほどでもないと思った。でも非情さだけは伝わってきた。
この作品から影響を受けた映像作品は多い。クロサワの「用心棒」はもちろんだし、マカロニ・ウェスタンや「木枯らし紋次郎」なんかも似たようなもの。でも、映像化されたものはイメージが出来上がっているので、やはりちがう。
文章を削りこんだ小説技法。読者は自分なりにイメージすればいい。これこそが小説の醍醐味。その点がこの小説の凄いところだ。

顔色ひとつ変えない冷めた探偵が、ワルが牛耳る荒んだ街にやってきて、その後、その街に深く関わり街を浄化していく。ストーリーは登場人物が多いわりにわかりやすいが、その古臭さはどうしようもない。
アクション小説をはじめてハードボイルド文体で書いたという歴史的意義はある。ただ、今にいたるまで、大きな変遷があったこともたしかなようだ。

いつもは、気取りすぎのハードボイルドなんていやだ、なんて思っているが、やはり本作のような硬派すぎるものよりも、カッコつけてる軟派気味な作品のほうがいいのかな(笑)。
小説でいえば、本サイトでも人気の「長いお別れ」。映画でいえば、「カサブランカ」(はたしてハードボイルドといえるか?)。ハンフリー・ボガードが演じた、女にふられた過去をひきずる女々しい男が、ときに小洒落たセリフを吐きながら、最後の最後にビシッと決める、そういう話がいい。

No.4 4点 あびびび
(2012/02/06 15:37登録)
(ネタばらし気味)ハードボイルドの原型に近い物語とでも言うのか?中盤過ぎには15.6名の人が殺され(主要人物ではないが)、ギャングと反目していた警察署長まで大量の弾をぶち込まれて銃殺される。

これはサンフランシスコから来た主人公の私(探偵)による街の浄化作戦なのだが、それにしても初めて街に来て、それらを作戦、指揮するこの探偵はスーパーマンと言わざるを得ない。次々と浮かぶ謎はすぐに判明するので、ミステリというより「バイオレンス」とつぶやいてしまった…。

No.3 6点 kanamori
(2010/07/19 15:14登録)
タイトルが「血の収穫」となっている東京創元社版で読みました。
過激なバイオレンス描写が、硬質で省略の多いハードボイルド文体に合っていて、「マルタの鷹」よりハメットの作風がいくらか分かったような気する。
しかし、発刊当時はともかく、現在では歴史的意義しか感じない作品でした。

No.2 8点
(2009/11/14 14:21登録)
予備知識なしで『アクロイド』の直後に本作を読み始めたらどんな疑念を抱くだろうかと思ってみたりもして。むろん疑念自体がばかばかしいのですが。
ともかく、文章についてすぐに感じるのが省略法の巧みさです。その文章を一人称形式で語るコンティネンタル・オプには名前がないわけですが、会話部分などを読んでいてこの探偵の名前が出てこないことが気にならないのも、書き方のうまさでしょう。
最初の殺人は実にあっさりしています。その後の展開は、黒澤の『用心棒』も本作の自由な翻案だというストーリー。まさにハードボイルド・ミステリの全ては(少なくとも長編については)ここから始まったという感じです。
しかし謎解きの要素も決して無視されているわけではなく、殺人事件の犯人は論理的に指摘されますし、なんと同年長編デビューのエラリー・クイーンお得意のダイイング・メッセージまで、単純なものではありますがクイーンより前に使われているのです。ディクスン・カーがチャンドラーよりハメットを好んでいた理由もわかる気がします。

No.1 6点 Tetchy
(2009/04/07 22:32登録)
2組の反目し合うマフィアが支配する街現れたコンティネンタル・オプが、知恵と策謀を風評を利用して、お互いをぶつけ合い、壊滅に導くという、今やギャング映画ならびにこの手の小説においてのストーリーの黄金律とも云えるこのプロットは、本書によって作られました。
従ってかなり歴史的意義は高いが、いかんせんオプという男が何を考えているのかが解らないところに評価が分かれると思う。
これはハメットが三人称叙述に徹しているからだと解ってはいるが、なかなか感情移入できず、よって上のような点数と相成った。
何年後かに再読する必要があるな、これは。

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