雪さんの登録情報 | |
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平均点:6.24点 | 書評数:586件 |
No.146 | 6点 | 審判 ディック・フランシス |
(2019/02/28 11:14登録) 法律事務所に勤務する傍ら、アマチュア騎手としても活躍するバリスタ、ジェフリイ・メイスン。彼はある日シャワー室で嫌われ者騎手スコット・バーロウが、不仲のライバル、スティーヴ・ミッチェルに殴り倒されて横たわっているのを目撃する。 その2日後ジェフリイは加害者スティーヴからの電話を受けた。スコット殺害の容疑で逮捕されたというのだ。自宅で発見された被害者は農作業用のピッチフォークで胸を貫かれて殺され、その先端にはスティーヴの購入した馬券が突き刺さっていた。スコットは規則を犯す騎手たちの名を理事たちに告げ口しており、ピッチフォークもスティーヴの持ち物。残された血痕その他の証拠も、彼の犯行を指し示していた。 気乗りせぬジェフリイは、スティーヴに他の弁護士を紹介する。だがその前後から、携帯電話やメールに謎の伝言が届き始めた。「言われたとおりにしろ」と。 不安に囚われるジェフリイ。間もなく彼は事務所前で、バットを持った暴漢に手酷く痛めつけられる。かつての依頼人ジュリアン・トレント。その凶暴性から何度も傷害事件を繰り返し、有罪となるも公訴官の不正行為から釈放された男だった。 傷ついた身体を抱え事務所に辿り着いたジェフリイだが、そこで待っていたのは「ミッチェルの弁護を引き受け、そして負けろ」という新たな脅迫状。同封されていたのは、自宅前に立つ七十八歳の父の写真だった。 恐怖と職業倫理の狭間で悩むジェフリイだったが、新しい恋人との出会いを通じ、彼はついにスティーヴを弁護し、全ての脅迫に打ち勝つ決意を固める。 2008年発表の競馬シリーズ第42作。実息フェリックスとの共作としては「祝宴」に続く2作目。無難に仕上げた感じの前作に比べるとかなり大胆な作品で、凶悪さを全面に押し出した仇役が登場します。 主人公は七年前に妊娠した妻を失った弁護士ですが、家財道具はメチャクチャにされるわ亡妻の写真は破られるは、満身創痍になるわ、その他さらにヘビーな境遇にとえらい目に。「司法と脅迫」が主なテーマで、作中では一九二〇年代のシカゴに君臨したアル・カポネのエピソードが挿入されます。 レベルとしてはフランシス単独作品後期位の、出来の良い作品まで戻った感じ。どうやって被告スティーヴの自動車キーを手に入れたのとか、部外者のくせに騎手仲間のウラにやけに詳しいじゃんとか、そのへんの説明が少ないのが難ですが、仇役ジュリアンはそれなりに狡猾な犯罪者として描かれているのでまあ問題ないことにしましょう。 裏に潜む黒幕の動機もかなり考えられた意外なもの。法廷シーンの痛快さと併せ、リーガルに分類しても良かったかもしれません。もっともラストの主人公のショッキングな決断は、それとは対極にありますが。 |
No.145 | 8点 | メグレと深夜の十字路 ジョルジュ・シムノン |
(2019/02/23 16:55登録) パリ郊外の十字路に建つ「三寡婦の家」と呼ばれる屋敷――かつて三人の老嬢が変死したそこに、謎めいた片目の外国人とその妹が引っ越してくる。既存の住人たち、ガソリンスタンドと保険屋の夫婦との間に、徐々に緊張が高まってゆく中で事件は起こった。保険屋の自動車が盗まれ、三寡婦の家のガレージに駐められていたのだ。 そして、その車内にはアントワープのダイヤモンド商人の射殺死体が! 更に夫の死体を引き取りに来たその妻も矢継ぎ早に射殺され、事件はますます紛糾していく。部下のリュカ刑事は現場である十字路に異様な雰囲気を感じ取り、メグレ警視に忠告するが・・・。 メグレシリーズ第7作。かなり初期の作品で、「男の首」「黄色い犬」「サン・フォリアン寺院の首吊人」とほぼ同時期のもの。エンタメ寄りのシリーズ秀作。序盤の異様なムードに加え、ここでこれを使うかという意外な真相アリのお奨め作品。 謎の外国人兄妹(特に妹の方)、陽気なガソリンスタンドの店主、チンケな保険屋等、登場人物も魅力的。江戸川乱歩はあまり評価しなかったようですが(なんとなくわかる気がする・・・)、古手のシムノン翻訳者松村喜雄氏など、フォロワーも多い。河出のメグレシリーズ追加分で本書の翻訳を担当した長島良三氏も、おそらくその一人でしょう。 個人としても独断と偏見でメグレものベスト3には入れたい作品。なおあとの二作はとりあえずヒミツ。そのうち発表します。 追記:長島さんということで河出書房の新書版で読了しましたが、HPB版「深夜の十字路」の訳者、秘田余四郎氏は戦前に名人と謳われた字幕翻訳家で、戦後の清水俊二さんのような存在。そのうちHPB版も精読して、両者を比較してみたいところです。 |
No.144 | 6点 | 英雄の誇り ピーター・ディキンスン |
(2019/02/23 07:35登録) ロンドンから目と鼻の先に広がる別世界――広大な敷地にジョージ王朝風の大建築をはじめとした大小の館。晩秋の光の中にはライオンが寝そべり、森を抜ける線路には機関車が走り、その先には旧式銃を撃ち合える決闘場や、おぞましい絞首台がしつらえられている。 オールド・イングランドと呼ばれるその地は、英国で最も由緒ある貴族にして第二次世界大戦の英雄、双子のクレヴァリング兄弟の館だった。ラルフとリチャードの大胆な奇襲作戦により、イギリスはナチス・ドイツへの反撃の糸口を掴んだのだ。だが二人は戦後ほどなく隠棲してしまい、地所・ヘリングズをヴィクトリア朝風のテーマパークに改造し、娘夫婦に観光客商売をさせていた。 そんな場所で老召使のディーキンが縊死したとの連絡を受け、ロンドン警視庁は定年まぎわのピブル警視を派遣する。事を荒立てぬようにとの措置だった。が、ピブルは彼を出迎えるヘリングズの人々の不自然な態度に、事件の腐臭を嗅ぎ付ける。 処女作「ガラス箱の蟻」に続くピブル警視シリーズ第2作。前作と同じく、1969年度の英国推理作家協会ゴールデン・ダガー賞受賞。 以前読んだ「眠りと死は兄弟」がスローテンポだったんで「こっちもそうかな」と思ったんですがあにはからんや事件の連続。登場人物がどっかおかしいのは同じですが、前半軽くカマされてから、第二部半ばでピブルの後をライオンの群れがのそのそと付いてくるシーン以後はハイピッチで、休む暇もありません。かなり悪趣味かつ不健康な展開と真相で、読み終えると発表時の絶賛・高評価と考え併せ「イギリス人ってやっぱりよくわかんねぇな」という気分になれます。 同じくらいの密度でも個人的には「眠りと死は兄弟」の上品なエグさの方が好みですが、やはり立て続けに事件の起こるこっちの方がウケますかね。HPBのピブル物4冊ではこれが一番評判良かったから、読む前の期待が少々高すぎたのかな。結構荒っぽいお話で、予想とはちょっとズレてました。 |
No.143 | 6点 | 遠い国の犯罪 アンソロジー(海外編集者) |
(2019/02/20 20:59登録) 「エキゾチックな犯罪」をテーマに掲げて編纂された、かなり変わった短編集。インド・ボンベイの鳥葬寺院〈ダクマ〉を背景にしたエドワード・D・ホック「マラバールの禿鷲」から、日本の京都で起きた二件の自殺事件を扱うヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンク「愚か者の報告書」まで全16編収録。 ホックの〈サイモン・アークの事件簿〉やリリアン・デ・ラ・トーレの〈探偵サミュエル・ジョンスン博士〉など、当時は完訳などおぼつかなかったマイナーシリーズからの選出や、他にも聞いたこともない作家が何人か。 何篇か選ぶならまずタヒチのボラボラ島で、巨大なシャコ貝に右腕を挟まれて水死した少年の謎を探るジョー・ゴアズ「パフア」、ワンランク落ちて西アフリカ・リベリア共和国の首都モンロビアの港で、ダイヤモンドの原石に仕組まれた陥穽に踊らされる白人たちの物語、ジーン・ダーリング「マッチ作りの小屋」。古き良き時代を思わせる味わいのアマンダ・クロスの処女短編「ターニアが消えた」。 次点はニューメキシコの土俗臭も濃厚なヘレーン・ホワーレイス・フィップス「聖像彫刻師の妻」。個人的にはゴアズが図抜けてると思いますが、それ以外はダンゴかも。二位以下はバーバラ・オウエンズの「ささやかな居場所」か、あるいはジョンスン博士ものを推す方もあるかもしれません。 昔のアンソロジーを漁っているとアンソロジーピースの「さらば故郷」を始め、異色作「ダール アイ ラブ ユ」やミステリマガジン400号記念の「サン・クエンティンでキック」など、ゴアズ短編をよく見かけるのですが、超一流どころには及ばないもののシチュエーションも多彩で、さほどハズレがありません。エドワード・D・ホックやロバート・L・フィッシュらと並ぶ、オンリーの短編集を組める作家なのではと思います。 |
No.142 | 7点 | 拮抗 ディック・フランシス |
(2019/02/17 21:24登録) 競馬専門のブックメーカー店舗を祖父から受け継いだネッド・タルボット。彼はインターネットの天才である助手のルカに助けられ、大手ブックメーカーの攻勢に晒されつつもなんとか商売を営んでいた。 そんなある日彼のもとに、母親と共に事故死した筈の、実の父親ピーターだと名乗る男が現れる。ネッドが一歳の時に別れてから三十六年ぶりの再会だった。だがその直後に彼は、顔にスカーフを巻き、パーカーのフードを被った男に刺殺されてしまう。「金はどこだ?」と凄んだ事から、金銭目当ての犯行と思われた。 血痕をDNA鑑定した結果、被害者は間違いなくピーター本人と確定するが、同時にネッドは事件担当のルウェリン警部に思わぬ事実を告げられる。ピーターはネッドの母を絞殺した直後に逃亡し、指名手配されたままだというのだ。 ネッドは競馬場での会話から宿泊先を突き止め、幸運にも父のリュックサックを手に入れる。隠しポケットには謎の品物――競走馬の個体識別手帳が二冊、十粒の超小型電子回路、TVのリモコンに似た黒い装置――それに三万ポンド相当の現金が入っていた。オーストラリアから来たと言っていた父親。これらの品物もかの地と関係があるのだろうか? ルウェリンへの反感から独自に事件の謎を追うネッド。だがその彼を狙うのは、フードの男だけではなかったのだ・・・。 2009年発表の競馬シリーズ第43作。親子共著になってからは前作「審判」に続いての3作目。フランシス単独作品に描写的には劣りますが、巧みなプロットでかなり読ませます。 主人公はブックメーカー業をそこそこ切り回しているとは言え、助手のルカは野心家で、うかうかすると見切られかねない状態。妻のソフィは精神病院の入院患者で、ここ数年間自宅と施設とを何度も行き来する状態が続いています。 父を殺害したフードの男の影に脅えていると、間髪入れず自宅に別口の侵入者。相次ぐ競馬場でのインターネット・トラブルに絡み暴行を受けたかと思えば、今度は一転して店を買い取りたいという申し出。 なんかヘヴィな展開がてんこ盛りでいっぱいいっぱいなんですが、それがこう着地しましたかと。過去の事件の真相はアレですが、それ以外はかなり痛快な終わり方。あそこからこう来るとはおでれえたなあ。 いつまでもディックの面影を追うのではなく、「祝宴」以降のフェリックス共著作品は、また別種のミステリとして賞味すべきだと思います。そういう意味で本作はお奨め。4作全部を読んではいませんが、たぶんこれが一番なのではないかな。 |
No.141 | 6点 | フィデリティ・ダヴの大仕事 ロイ・ヴィカーズ |
(2019/02/14 06:29登録) 「迷宮課事件簿」で名高いヴィカーズの淑女怪盗もの短編をまとめたもので、ダヴ初登場の「顔が命」から、最終話「グレート・カブール・ダイヤモンド」まで全12篇収録。1924年刊行とかなり古い作品。関東大震災の翌年で、日本では江戸川乱歩がデビューしてまもなく。岡本綺堂の活動最盛期くらいにあたります。 主人公フィデリティ・ダヴは推定年齢21歳前後の美貌の女性。明るい金髪にすみれ色の瞳で、常に灰色の服を身にまとい、清教徒的な警句を口にするのが癖。「天使のような顔」「鈴を振るような声」などと描写されますが、実は犯罪プランナー。彼女の信奉者である俳優、科学者、機械技師などの集団〈フィデリティとその一味(ダヴ・ギャング)〉たちを駆使し、因業な金持ちから頂くものをしっかりと頂きます(そのついでに私的な慈善活動も少々)。 ハウダニットではありますが不可能犯罪系は半数以下で、相手の心理に付け込んでいいように振り回し、法律的にぐうの音も出なくさせる方向に持っていくケースがかなり多い。まずガツンと一発殴ってから、次に合法的に取り戻すか損害を少なくする手を打たせます。敵役があくどく描かれているので目立ちませんが、コメディ仕立ての一~三話以降、四話目からはかなりエグいやっつけられ方も。 集中から選ぶならまず、クレーンで地上40mにまで持ち上げられた乗用車内から、二万ポンド相当のエメラルドのネックレスを消失させる「宙吊り(サスペンス)」。エグ系からは「貴顕淑商」か「ヨーロッパで一番ケチな男」ですかね。とくに前者はかわいそう。都筑道夫氏が持ち上げているところから「幻の名作」扱いする向きもありますが、その種の作品ではありません。しっかり作って上品に仕上げているとはいえ、基本ダヴ様を崇めるキャラ萌え短編集です。 「あまり傷ついているように見えないわね」と、彼女は化粧室の三面鏡の前で思った。「たぶんそれは私が決して泣かないからだわ。でもどんなときでも私は泣かない。私は――戦うのよ」 彼女が唯一己の心情を露にするシーンです。 |
No.140 | 5点 | 殺人犯はわが子なり レックス・スタウト |
(2019/02/12 21:00登録) ネロ・ウルフに会いにはるばるネブラスカ州オマハから訪れた実業家、ジェームズ・R・ヘロルドの依頼は面倒なものだった。十一年前にたたき出した息子ポールを改めて探し出して欲しいというのだ。店の金二万六千ドルを盗んだ真犯人が判明したので、今度はせがれを見つけたいのだという。現住所は不明だが、毎年届くバースデイ・カードの消印は、常にニューヨークなのだ。 ウルフは「タイムズ」紙に頭文字P・H宛で帰還を促す三行広告を出すが、直後に助手のアーチー・グッドウィンは、馴染みの新聞記者ロン・コーエンからなにか情報を握っているのかと尋ねられる。同じ頭文字のピーター・ヘイズという男が、愛人の夫マイケル・M・マロイを射殺した事件についてだった。 それを皮切りに褐色砂岩のウルフ事務所は、全新聞社からの電話の処理でてんてこまい。逆にヘイズ事件に興味を引かれたアーチーは公判の傍聴に向かうが、その途中で彼は尾行者の存在に気付くのだった。 1956年発表のネロ・ウルフ物第42作。因業親父の冷血漢ということでウルフとアーチーの見解は一致し「息子さんどうもあんたに会いたくなさそうだからやめとけば?」とソフトに示唆するのですが、依頼人は因業な上に頑固なので聞き入れません。 しょうことなしに捜査を開始するも案の定戦果はゼロ。そのうち上記の経過からアーチーが、法廷のヘイズにポール・ヘロルドの面影を見出し、弁護士と交渉したのち本人と面会し確認を取ります(「親父に会わせるならこのまま処刑してくれ」という勢いで、すげー嫌がりますが)。 あとはマロイ殺害の真犯人探しに突入。HPBにしては短めの作品ですが、この後ばんばか犠牲者が出ます。 ウルフ事務所の雇われ探偵、ジョニー・キームズまで轢き殺され、おまけに被害者が別名義で借りていた貸し金庫からは三十万ドル以上の現金が。五里霧中のまま物語は進み、土壇場まで犯人は分かりません。いちおう最低限度の手掛かりは用意されてますが。 でも先が見通せないところはこの前の「編集者を殺せ」より面白かったですね。あっちより更に筋運びが早いんで。薄いせいもあって余計そう思うのかもしれませんが。 |
No.139 | 5点 | 編集者を殺せ レックス・スタウト |
(2019/02/11 14:56登録) ある一月の寒い日、クレイマー警部が珍しくネロ・ウルフの褐色砂岩の家にひょっこり顔を出した。イーストリバーで溺死した法律事務所員の件で知恵を借りたいという。被害者レナード・ダイクス宅は何者かによって徹底的に家捜しされたあとだったが、ただ小説の間に十五人ばかりの名前を列記したメモ用紙が挟まれていた。いずれもニューヨークの電話帳に載ってない架空の人名だという。 ウルフはどうにもならないと断ったが、それから六週間ほど経ったころ、ジョン・R・ウェルマンという男が事務所を尋ねてきた。一人娘のジョーンを殺した人間を見つけてほしいという。彼女は真冬の公園で轢き逃げされ、遺体の右耳の上には大きな瘤があった。警察は事故死の線で調べていて、父親の身としては当てにならないのだ。 出版社勤務のタイピストだったジョーンは毎週シカゴに便りを寄越していたが、事件直前に届いた手紙には、ベアード・アーチャーと名乗る男が、以前送った小説についてアドバイスしてくれと提案してきたと書かれていた。時給二十ドルの契約でこれから会うのだと。 「ベアード・アーチャー」。それはダイクスが遺した十五人の名前のうちの一人だった。ウルフは「信ずるなかれ」と題されたその小説に事件の鍵があると睨むが、調査を進めるうちに犯人に先を越され、アーチーが到着する直前に、今度は「信ずるなかれ」を直接タイピングしたと思しき女性が墜死させられてしまう・・・。 1951年発表のネロ・ウルフシリーズ第28作。中期の作品で、かなりテンポ良くストーリーが進みます。 犯人に先手先手と証拠を潰されウルフの捜査も行き詰まり気味になるのですが、そこでアーチーに全権を委任して催したホームパーティーがなかなか面白い。蘭を二鉢落としたりして、普段なら目を剥くウルフも細かいことは言いません。ダイクスが勤めていた法律事務所の女性社員たちの描き分けがいいです。 この揺さぶりによってやっと事件は動き出し、アーチーはウルフの指示でカリフォルニアに罠を仕掛けに飛ぶのですが、ここまでのノリ具合に比べその後の纏め方は若干不満。容疑者は全員法律家なので、タイプされた遺書だけで押し切ろうとするのは少々強引な気がします。ただラスト、犯人の冷徹そのものな心が折れるところはなかなかでした。 |
No.138 | 5点 | メグレと善良な人たち ジョルジュ・シムノン |
(2019/02/10 13:39登録) ヴァカンスから戻ったメグレ警視は、真夜中の電話を受けて夢から脱け出した。モンパルナスのノートルダム=デ=シャン通りで犯罪が発見されたという。やっかいな事件になりそうなので来て欲しいというのだ。 殺されたのは元ボール紙工場の経営者ルネ・ジョスラン。肘掛椅子に座っているところを至近距離から二発の銃弾を受けていた。妻と娘が芝居を観に向かった後の出来事だという。居残ったルネは婿のポール・ファーブル医師とチェスを指していたが、ポールが偽電話で呼び出された直後に射殺されたのだった。 自ら鍵を開けて迎え入れている所から犯人はごく親しい仲と思われたが、家族も知人も心当たりは無いという。捜査を進めても、規則正しい生活を送るルネを悪く言う人間はいないのだ。 何の曇りもない中産階級の人々の間で起こった事件――だが止むを得ない理由なしに殺人など行われはしない。メグレは夫の死体を発見した直後に自失状態に陥った、ジョスラン夫人に注意を向けるが――。 シリーズ第86作。「メグレと優雅な泥棒」の次に書かれた作品で、前作と同じく1961年発表。とらえどころの無い事件で、作中何度も「善良な人たちか・・・・・・」「もちろん、そうだろう!」などとメグレが愚痴ります。 残された家族も何かを隠しているような、薄皮を隔てたような対応で、全てを積極的に打ち明けようとはしません。とりわけ未亡人フランシーヌは態度こそ冷静そのものですが、常に身構え神経を尖らせています。 そんな事件もトランス刑事がアパルトマンである発見をしたことにより大きく動き出し、やがて一家の抱える秘密が明らかになります。 エンディングは静かなもので、全般に描写はあっさりめ。この時期の作品としては及第点というところでしょうか。余韻というほどのものはありませんが、読後感はそんなに悪くないです。 |
No.137 | 5点 | 探偵ダゴベルトの功績と冒険 バルドゥイン・グロラー |
(2019/02/08 04:52登録) "ヨーロッパの文化の中心"と言われた、世紀末オーストリア=ハンガリー帝国を舞台にした連作短編集。帝国自体は1914年6月28日のサラエヴォ事件に始まる第一次世界大戦により崩壊しますが、各収録作品の発表は1910~1912年。迫りつつある破局の直前に花開いた短編集です。 探偵役はダゴベルト・トロストラー。音楽と犯罪学を愛する何不自由ないディレッタントで実際的な探偵愛好家。ウイーン上流階級のトラブルシューターとしての役割を担い、その輝かしい成果を友人宅の喫煙室で、その妻グルムバッハ夫人ヴィオレットに披瀝します。会食の後「すわりなさい」と、暖炉のそばに招かれたダゴベルトが、夫妻に事件のあらましを語り聞かせるのが定番の展開。 収録作品は全9編。いずれもおっとりとした筆致です。貴族や富裕層のスキャンダルを未然に防ぐパターンが大半ですが、ラストの「ダゴベルトの不本意な旅」のみそれとは無縁でアクションもあり、好奇心から捜査を進めたダゴベルトが負傷します。 個人的な好みで選ぶと盗難手段が大胆な「首相邸のレセプション」。微笑ましい真相の「公使夫人の首飾り」。連作展開の盲点を突いた冒頭の「上等な葉巻」でしょうか。全体に小味な作品が多いですね。あと、ハンガリー独立に絡む物語「ダゴベルト休暇中の仕事」がなかなか味がありました。 作者バルドゥイン・グロラーは第一次大戦のさなか1916年に亡くなりますが、その後の皇帝フランツ=ヨーゼフ死去に始まる共和国化や、ナチス=ドイツによる併合・消滅を見ずして逝去したのがせめてもの慰めではあります。 |
No.136 | 6点 | 九頭の龍 伴野朗 |
(2019/02/05 15:21登録) 日清戦争を目前に控えた1885(明治十九)年の東南アジア。宗主国としてベトナム阮(グエン)王朝を支配するフランス・インドシナ駐屯軍に対し、痛撃を与え続ける抗仏ゲリラの一団があった。その名は〈九頭の龍〉。漂流者として父と共に阮朝の御史ファン・ディン・フンに助けられた日本人、加治侠(いさむ)と武(たけし)の双生児だった。 弟の侠は卜伝流刀術の達人、兄の武はその卓越した頭脳で弟を補佐する。共に妻子をフランス兵に殺された二人は復讐の念に燃え、クーデターに失敗した咸宜(ハムギ)帝及び摂政トン・タト・テュエットを、根拠地に匿うまでに勢力を伸ばしていた。 ゲリラの跳梁に業を煮やした駐屯軍総司令官ド・クルシイ将軍は、参謀長ジャン・メニュリー大佐に〈九頭の龍〉殲滅を厳命する。野心に燃えるメニュリーには、改めて問われるまでもないことだった。 彼は情報を分析し、ついに賊の根拠地を突き止める。紅河デルタのはずれの、海に向かって突き出た「九頭の龍の岬」――だがそこはまさに難攻不落の要害だった。無数の岩礁と、満潮時にだけ姿を現す迷路のような水の流れ。しかも陸側は毒蛇の生息地なのだ。 数々の失敗を繰り返すのち、遂にメニュリー大佐は乾坤一擲の奇策を思いつく。その計画の名は"オペラシオンU"。彼は計画遂行の鍵を握る工作員モンギランに接触するため、フランス本国へと帰国する。 一方駐屯軍内部に忍ばせた間諜"九月"の、断末魔の言葉からメニュリーの陰謀を察した〈九頭の龍〉側も、双子の兄・武を留学生としてパリに向かわせるのだった。 そして両者の熾烈な諜報戦の舞台はフランスへと移る。加治武は"オペラシオンU"の秘密を暴き、「九頭の龍の岬」破壊を阻止できるのか? 昭和54年3月号から5月号まで「小説現代」誌に短期集中連載の形で発表。「Kファイル38」に続く第6作で、フランスのインドシナ支配を巡る抵抗運動を背景に、世界海難史上の謎といわれる日本海軍所属の巡洋艦「畝傍」消失を描いたもの。「畝傍」は日清戦争前にフランスで建造され、ルアーブルから日本に向かう途次、シンガポールからの連絡を最後に行方を絶った船です。この事件がどう関わってくるかは読んでのお楽しみ。 「三十三時間」同様、後半は「畝傍」船上での工作員・犯人探しになりますが、前半1/3のメニュリー大佐との駆け引き中心の、諜報戦の方が面白かったですね。戦闘描写もあって、田中芳樹の良作に触れてる感じ。無理に犯人探しにせずに、このままアクション系で突っ走って欲しかったです。名狙撃手ボー・ベト・ルオンとか、火薬の達人夏子敬(シアッチン)とか、せっかく良いキャラがいるのにあまり活躍できないのが惜しい。 犯人探しが悪いとは言わないけどメンバー途中加入や入れ替えとかあって、煮詰まったムードが少ないのがいけないのかな。 伴野朗の最高傑作という声もありますがそこまでではない。「三十三時間」≧本書>「五十万年の死角」というところです。 |
No.135 | 5点 | 炎の終り 結城昌治 |
(2019/02/02 11:45登録) 馴染みのバーでどことなく荒んだ感じのする女と席を共にした私立探偵・真木。バーテンから彼の職業を知った彼女は翌日電話を掛け、失踪した娘・由利の捜索を依頼する。女の名は青柳峰子。二十年前に売り出しかけて、すぐに消えてしまった女優だった。 真木はほどなく由利を見つけるが、彼女は家には帰らないという。すっきりしない思いを抱える彼のもとに、再び峰子からの伝言が伝えられる。自宅ではなく、霜川という男のマンションへの呼び出しだった。 報告かたがた渋谷へ向かう真木だったが、峰子は酔い潰れており、由利の行方にもさしたる関心を示さなかった。霜川とも別れ、釈然としない気持ちでウィスキーを呷る真木。翌日の夕方、彼は霜川の死を知る。空地に置き捨てられてあった大型冷蔵庫から死体が発見されたのだった・・・。 私立探偵・真木シリーズ最終作。「週刊文春」昭和43年12月9日~昭和44年5月5日掲載。結城作品は「ゴメスの名はゴメス」を昔読んだきり。これしか手近なツテで読めなかったのでしょうことなしに読了しましたが、あまり良い入り方ではなかったなと若干反省中。 このシリーズは日本ハードボイルドの里程標的傑作との定評がありますが、全体ならともかくこれ単品ではそれほどでもないなと。乾いた文体で淡々と失った恋を抱える女性の悲劇が描写されますが、ほとんど伝聞で現在の彼女は半分アル中の投げっぱな生き方。内心はほとんど吐露せず、荒廃した姿から心情を推し量るしかありません。真相が判明して初めて、その理由が分かるのですが。 その真相もこれほぼ予測不可能ですね。一応手掛かりはあるっちゃあるんですが。前二作は暗澹としたストーリーみたいなので、暗闇の彼方に希望を透かし見るようなラストシーンが評価されてるんでしょうか。正直佳作までにも行かないような気がするなあ。残りを読んでから改めて判断します。 |
No.134 | 7点 | 眠りと死は兄弟 ピーター・ディキンスン |
(2019/01/31 21:04登録) 警察を馘になったピブル元警視は、妻の頼みを受けて療養施設「マクネイア」を訪れた。子供たちばかりを収容したこの治療院は、資金をいくら注ぎこんでもまだたりぬという代物なのだ。活動醵金は主に慈善活動。だがピブルの見るところ、資金繰りには意外にもかなりの余裕がありそうだった。 「マクネイア」の子供たちはいずれも〈キャシプニー〉の患者である。虹彩のまわりに"キャシプニック・リング"と呼ばれる濃い緑色のくまができ、ハムスターみたいに太って動作はにぶく体温は低下し、一日に二十時間以上も眠り続ける。しかも特殊な治療を施さなければ発症後一年ほどしか生きられないのだ。 ピブルは施設を訪れるやいなや彼らに出迎えられるが、唇から漏れる断片的な言葉から、子供たちが自分の思考を読んでいるのではないかと思い始める。さらに責任者ポジーことディクソン-ジョーンズ夫人のヒステリックな言動から、施設に漂う不穏な空気にも気付くのだった。 1971年発表のピブル警視シリーズ第4作。テレパシーと眠り病という前情報から、「緑色遺伝子」みたいなSFなんじゃねーの?と、読む前は思ってました。読後感は意外に真っ当。わりとオーソドックスな作りです。 ディキンスン作品ですから当然異世界観はあるのですが、舞台となる建物自体がある貴族の旧宅を改装したものですので、それも知れたもの。ひょんなことから臨時雇いとなったピブルが直面する漠然とした不安感を存分に味わうサスペンス系です。雰囲気的にはすごく良いですね。 患者の女の子と三年ほど暮らしていた男が〈ペーパーハム事件〉と呼ばれる連続殺人の犯人で、物語の中途で脱獄したこいつが施設を襲うかもしれないとか、警察辞めてから入り浸ってたパブの飲み友達が医師として勤めてるけど態度が微妙だとか、他にも医者がいるけどどうもモグリらしいとか。合間には例の子供たちが手の中に隠した品物を当ててみせるとか、意味ありげな発言をするとか、うさんくさい要素には事欠きません。 ただ文章がかなりひねくってる上に"意識の流れ"手法が用いられてて相当の難物。情景描写にピブルの思考が絡まって何が起こっているのかがちょっと分かり辛い。もちろんその中に手掛かりがこまめに配置されてる訳ですが。基本一本道ですね。最後までぶっ通しなんでそう心得てないとかなりキツいです。 この人の作品は最初からミステリ要素を期待しないのがコツですね。世界観に浸りながら読んでると、ちゃんと驚かせてくれます。 あとピブルと出資者の大富豪タナトスが、ハンバーガーとシャンペンで昼食にするところとか、理事のおばあちゃんとお茶にするところとか、本筋にはたいして関係ないけどすごく美味しそうです。いい小説はこういう所が記憶に残るんだよなあ。ディキンスンは三冊目ですが、今のところこれが一番お気に入り。クセが強いんで無理には薦めませんが。 |
No.133 | 7点 | 神話の果て 船戸与一 |
(2019/01/27 03:37登録) 業界第三位の鉱山会社アングロ・アメリカン鉱業(AAM)は、南米ペルーのチャカラコ峡谷に未曾有の天然ウラン鉱床が眠っていることを突き止めた。超高品位の鉱石が三十三万トン。世界のパワーバランスを覆しかねない量だ。だがそこはゲリラ勢力「輝く道(センデロ・ルミノソ)」の影に隠れ、静かに勢力を増しつつある謎の組織「カル・リアクタ(遥かなる国家)」の本拠地だった。「カル・リアクタ」はアンデス山脈のインディオたちの中で育まれ、ラポーラ(翼)と呼ばれる指導者に率いられているらしい。 古代アステカ帝国の征服者コルテスの言葉通り「土民の富を完膚なきまで略奪しようと思うなら、まず王を殺さねばならない」。だが標的であるラポーラは、人間の活動限界を超える地上四千メートルの高地にいるのだ。 AAMの担当者エドモンド・クロンカイトは作戦責任者のイギリス人クリストファー・ビッグフォードと共に、成功の鍵を握る日本人・志度正平を視察する。マンハッタンのブルーム通りで酔っ払い、抵抗もせず殴られる彼の姿は、クロンカイトには到底承服できないものだった。 彼は万一の保険として予備の非合法員であるフランス人、ジャン=ポール・ギランに接触し、不気味なカンボジア人ポル・ソンファンを紹介される。ビッグフォードを丸め込み、この男に計画を遂行させるのだ。 イギリス人はそんなクロンカイトの行動に激怒しソンファンの加入を拒絶した。だが強烈な殺人衝動に駆られるソンファンは一旦動き出したら止まりはしない。彼はビッグフォードに続き怯えたクロンカイトも殺害し、志度をも抹殺した上で目的を遂げようとする。 一方ギランはソンファンに盗ませた暗号メモを解読し、ウラン鉱床の情報をCIAに売りつける。政治的均衡の崩壊を怖れるCIAは、伝説的工作員ジョージ・ウェップナーのペルー派遣を決定。旧知である彼の手で志度を仕留めさせようというのだ。 志度正平、ポル・ソンファン、ジョージ・ウェップナー。三つ巴の戦いがアンデスの山々に繰り広げられる。そしてカル・リアクタの指導者、ラポーラとはいかなる人物なのか? 「山猫の夏」に続く南米三部作第二弾。『小説推理』(1984年1~7月号)の連載に約250枚の加筆修正を施したもの。いつもの船戸節で一気に読ませるところは変わりませんが、「山猫」に比べ人物造型やアクションは抑え気味。というのは志度ら非合法員たちの争いを描くのが主目的ではないからです。 中盤から終盤にかけて物語の真の主人公として姿を現すのはインディオの民族組織「カル・リアクタ」そのもの。「山猫」ラストで希望を繋ぐ一要素として点描されるだけだったものが、本作では時代のうねりとして活写されます。 国境を越え、白人たちの小賢しい目論見も超えて動き出す民族運動。全てが終わった後でもたらされる喪失はこの物語の中でも特に救いの無いものですが、その行為を担うのが少数民族ジプシーの老婆というのが象徴的です。 「これからは希望とか失望とかそんなこととは関係のない日々がやってくる。(中略)これからは喜びも悲しみもなく、小さな想い出すらが生じない時代がやってくる・・・」 他の南米二長編に比べ語られることは少ないですが、物語性を削ったその分をメッセージ性・先見性に割り振ったもの。タイトルの「神話」とは古代のそれではなく、実は白人優位神話の終わりを指すのだなあ。発表年代を考え合わせると、もっと注目されていい作品だと思います。 |
No.132 | 5点 | 陽はメコンに沈む 伴野朗 |
(2019/01/25 21:44登録) P新聞サイゴン特派員結城省平は他社とのスクープ合戦の末、九年前ビエンチャンで行方不明になった旧帝国陸軍の「作戦の神様」こと辻政信参議院議員の消息記事を物した。だがそれは彼が巻き込まれる謀略事件のほんのきっかけに過ぎなかった。 まもなく彼を訪ねて日本から、元辻の従卒と名乗る初老の日本人・蛭間慶三郎が現れる。彼はつい最近辻から送られたというハガキを所持していた。消印はビエンチャン。 結城はハガキの撮影と引き換えに消息記事の情報源を明かすが、直後にラオス当局に拘束され、取調べを受ける。内務省担当官フォンサバンの横にはCIA局員と思しき男、"ポパイ"ことジム・ホールデンが同席していた。 解放された結城はL貿易ビエンチャン支店の三越優に迎えられる。三越の上司・上田剛介の尽力によるものだった。事件について話し合った結城は三越と別れ帰宅するが、その途次二人の男が揉み合う現場に遭遇する。一つの影は流れるように駆け出し、後に残されたのは下腹を抉られた蛭間だった。彼は「ツ・・・・・・ジ・・・・・・」という一語を言い残し息絶える。 呆然とする結城は、まもなく情報源の中国人・趙光宇の死体がメコン川の河床で見つかった事を三越に知らされる。辻政信は生きているのか? 二重殺人の犯人は彼なのか? 「五十万年の死角」で第22回江戸川乱歩賞を受賞した伴野朗の受賞第一作。例によってテンポ良くストーリーは進みますが、前作に比べるとやや薄味。この時期のインドシナ半島を題材にした作品には、他にサイゴンを背景にした結城昌治「ゴメスの名はゴメス」がありますが、雰囲気的にもあっちが上。もう少し後だとル・カレ「スクールボーイ閣下」になります。 舞台がビエンチャン→パクセ→バンコク→そして再びビエンチャンと目眩るしく変わる中で、ホーチミンルート(北ベトナム軍の重要戦略補給路)を叩き潰すためにCIAが用意した〈オペレーションC〉計画のスパイ探しが作品の眼目。でも「あっ、そうか」以上の驚きは無いんだよなあ。東南アジアの雰囲気はそれなりに出てますけどね。アクションも若干ありますが、あくまで「そこそこ」レベル。読み易い水準作ですね。前作や「三十三時間」と比べるとはっきり下。 余談になりますが、趙光宇から辻政信の消息を聞き出すシーンは、当時朝日新聞の現役特派員だった作者の実体験。読んでてこの部分が一番生々しかったです。wikipediaの辻政信の消息記事もほぼ作品本文のまま。興味のある方は一度目を通されてはいかがでしょうか? |
No.131 | 10点 | 警視庁草紙 山田風太郎 |
(2019/01/23 08:25登録) 「魔界転生」「妖説太閤記」とともに、作者が自選ベスト3に選ぶ力作。とんでもない密度の娯楽小説です(特に上巻)。 たとえば第一話「明治牡丹灯籠」ではオリキャラの主人公たちがある事件の嫌疑をかけられた三遊亭円朝(実在の落語家)を助けるのですが、その事件が円朝作品の「怪談牡丹灯龍」をなぞった密室殺人であり、さらにその疑いを円朝自身が寄席で「怪談牡丹灯籠」を発表することによって晴らすという趣向になっています。 つまり、山風作品が円朝作品に取り込まれ、さらに円朝作品の元ネタになっているという、ウロボロスの蛇のような構造になっているわけです。 さらに第一話を読んでいくと、しれっと三河町の半七が実在人物として登場します。このお話では実在の人物だけでなく他人様の作品のキャラも出て来ますよ、という作者の合図です。 一話ごとにこのような趣向を凝らした短編、全十八話で構成されています。 この作品は独立して読める短編を数珠つなぎにした連作短編ですが、ある話のチョイ役が別の話では意外な役割を努めたり、モブかと思われた人間が歴史上の人物だったり、二百人を超えるであろう実在架空の人物たちが入り乱れる中、縦横に複線が張り巡らしてあるので全く油断出来ません。 さらに前述のように短編自体が三遊亭円朝のパロディだったり、森鴎外のパロディだったりします。架空の事件を解くだけでなく中には歴史推理、明治維新史上の未解決事件を解決するものもあったりします。 これだけのアイデアを一作にぶち込んだのは、明治時代を舞台とした時代小説が発表前までほとんど無かったからでしょう。全く新しい分野を自分が開拓する、読者に受け入れられなければこの一作で打ち止めになるかもしれない、そんな気持ちで書かれたものだと思います。 幸い、山風の明治物はこの後も書き継がれますが、ここまでの密度の作品はこれ以後にもありません。 問題があるとすれば、溢れんばかりの趣向を読み解く力が読者にあるかどうかでしょう。噛めば噛むほど味が出る、スルメのような小説です。 |
No.130 | 6点 | 九つの答 ジョン・ディクスン・カー |
(2019/01/23 07:18登録) アメリカに渡り今は一文無しの元英空軍少佐ビル・ドーソンは、なけなしの祖母の遺産を受け取るためにニューヨークのスローン・アンド・アンバレー法律事務所を訪れた。だがそこで彼は一組の男女とアンバレー氏の会話を聞きつける。 ビルに気付いたカップルの一人ラリー・ハーストは、彼に一万ドルの冒険を持ち掛けてきた。ラリーの身代わりとなり、イギリス在住の富豪の伯父ゲイロードに会って欲しいというのだ。恐るべき伯父は不仲な甥を家督相続人に指定するに当たり、自宅への定期の訪問を義務付けていた。だが幼少時からゲイロードの病的な虐待を受けてきたラリーには、それは到底不可能なことだった。 申し出を了承したビルは二人と一緒に〈ディンガラ酒場〉へと繰り出すが、そこでラリーは青酸カリを飲まされ倒れてしまう。ラリーの婚約者ジョイとも離れ離れになってしまったビルは、故郷への帰還と強敵ゲイロード・ハーストとの対決を誓うのだった。 1952年発表の現代を舞台にした「ゼンダ城の虜」の流れを継ぐ冒険ロマン。「ビロードの悪魔」の次作ですが、分厚さもそれに匹敵する作品。HPBであっちが439P、こっちが441P。HPB版の「アラビアン・ナイト殺人事件」はP数不明ですが、ひょっとするとこれがカーの最長編かもしれません。去年からの繰り越しで、読むのに結構苦労しました。 酒場での毒殺騒ぎの後、ビルは飛行機でイギリスへと向かうのですが機内で別れた恋人マージョリと再開。縒りを戻したカップルはラリーとジョイに化け、ゲイの下に赴きます。だが指定されたホテルは既に怪しげな人物や警察に見張られ孤立状態。ゲイの召使いである元レスラー、ハットーにも苦杯を舐めさせられます。さらに正体を見破られたビルは、ゲイロードと生死を賭けた駆け引きをすることに・・・。 タイトル通り作品中には九つの質問が挿入され、読者が思いつきそうな考えは「それは誤った答である。第○の解答を捨てていただきたい」と返されます。意表を突くものもありますが中には蛇足なものもあり、有効に機能しているとは言えません。 かなり大胆なトリックが仕掛けられていますが、全体に筋運びが強引ですね。色々な趣向もこれほどの長編を支えるには不足気味。ハードボイルドに対抗した変化の試みだと思いますが、これ一作きりで再び歴史物に舞い戻ったのも出来映えに不満があったからでしょう。この頃は大部の作品を連発した時期に当たりますが、もう少しコンパクトに仕上げるべきだった作品。旧版表紙見返しに「独創的、画期的」「史上に不朽の傑作」とありますが、決して悪くはないにせよそこまでのものではありません。 |
No.129 | 5点 | メグレと老外交官の死 ジョルジュ・シムノン |
(2019/01/19 18:02登録) メグレ警視は局長を通じて外務省から内密の呼び出しを受けた。既に引退した老外交官サン・ティレール伯爵が、ドミニック通りのアパルトマンの書斎で回想録を執筆中、数発の銃弾を浴びて殺害されたのだ。伯爵は七十七才。四十年以上彼に仕える家政婦マドモワゼル・ラリュ-との二人暮らしだった。 彼は積年の恋人である公爵夫人イザベルとの恋を温め続け、公爵の急死により晴れて彼女と再婚することになっていた。それは周囲の人々すべてが周知している事実だった。伯爵は温和で公私の敵もなく、もはや政府の機密にも関与していない。実際、彼を憎む人物など見当たらないのだ。 メグレは老女ラリューの視線を意識しながら、過去に生きる人々に接触するが・・・。 シリーズ第84作。1960年発表で、円熟期からそろそろ後期に入りかけた頃の作品。メグレの苦手な上流階級の事件で、道徳観や世代の壁もおまけつき。ティレール伯爵アルマンが恋人を譲っただの譲られただの、潔く身を引いたのと話を聞かされ「人間ってそんなもんじゃないでしょう!?」などと内心軽くキレるメグレ。被害者や周辺の人物に共感しようにも、倫理観が違い過ぎて全くとっかかりが無い。読んだ中では彼が最も苦戦した事件ではないでしょうか。 メグレシリーズとしては若干短いですが、土壇場まで五里霧中の状態。しかし被害者の孫からある証言を得たことで、急転直下の勢いで事件は解決します。新機軸を謳っていますが、正直身構えるほどの真相ではないですね。シムノンにトリックを期待して読んではいけません。富豪たちの世界が舞台の「メグレとかわいい伯爵夫人」のように、慣れない環境に戸惑うメグレの姿を楽しむのが読み筋ではないでしょうか。 |
No.128 | 9点 | バラントレーの若殿 ロバート・ルイス・スティーヴンソン |
(2019/01/18 21:11登録) ダリスディアとバラントレーの両荘園を所有するデューリー家は、スコットランドの有力貴族であった。だが「若僭主」ことプリンス・チャーリーがスチュアート家の王位復権を賭けた戦いに乗り出すや一族は運命に呑み込まれる。当主である大殿は息子二人が両派に分かれる策を立てたが、「バラントレーの若殿」こと長男ジェームズがプリンス側での出陣を強硬に主張したのだ。 次男ヘンリーは権利と爵位の分離を理由にこれに反対するが、金貨を放り投げた結果ジェームズが戦いに赴くこととなる。プリンスはカロドンの敗戦で勢いを失い、若殿を含む出征者たちの大部分は故郷に戻らなかった。ヘンリーは大殿に説得された亡兄の婚約者アリスン・グレイムを娶り、ダリスディアの後継者となる。 だがその四年後、「バラントレーの若殿」の生存を伝える使者がダリスディア館を訪れるのだった。 副題「冬の夜ばなし」。1887年11月~1889年10月までアメリカの月刊誌「スクリブナーズ・マガジン」に約1年間連載。ホームズ物の処女長編「緋色の研究」とほぼ同年代の作品。主要な登場人物の一人であるダリスディア家の執事、イーフレーム・マケラーの覚書に、時折端役の記述を挟みながら語られます。 なぜこれを読んだかというと大藪春彦の処女作「野獣死すべし」に、主人公伊達邦彦のモデルと思しき人物としてこの「バラントレーの若殿」が挙げられていたからですが、果たして実際に読んでみてどうだったか? 「ジョジョの奇妙な冒険」のディオ・ブランドーですな。 浅黒い美貌で生まれながらの命令者。才気煥発で手練手管に長け、立ち居振舞は優雅そのもの。苦もなく人を魅了するが、良心など欠片もなく、上昇志向と野心の塊り。まあひとかどの人物ではありますね。 爵位を奪われたと弟を逆恨みする若殿はスコットランドに立ち戻り、大殿と弟の妻となった婚約者アリスンを味方に付け、態度を使い分けて弟ヘンリーを苦しめ、さらに姪のキャサリンまで手懐けます。凡庸そのもののヘンリーはこれに耐え続けますが、妻を侮辱された事から激高し兄と決闘。 霜の降りた厳寒の真夜中、蝋燭の炎をともした灌木林の中で怒りに燃えるヘンリーは兄を刺殺。だが蘇生した若殿は密輸入者に助けられ、再び復讐を誓います。 とにかくこの若殿が悪い奴なんですけど魅力的ですね。トントン拍子に出世して最後に盛大にコケるタイプ。カロドンの敗戦後、逃走中に海賊に捕まるんですけど逆に頭目に成り上がり、海賊たちを指揮しては最後に全員始末して宝を奪います。後半の展開は彼が埋めた財宝が鍵。 またディオのように全てを嘲笑するだけの人間でもない。執事マケラーは終始彼に相対して弟ヘンリーに付くのですが、思い余った彼が若殿を殺害しようと試みた後の台詞がこれ。 「とにかくわかってもらいたいんだが、お前にたいする評価は四十フィートも上昇したよ。おれが忠節に価値をおいてないとでも思っているのか。(中略)変に思うかもしれないが、今日の午後の事件以来、一層おまえが好きになったぜ」 海外では「彼の著作のなかで最も重要なもの」と位置付けられている作品。スティーヴンスンの最高傑作ではないのかな。終始暗いムードと厳しい寒気の印象がありますが、無類に面白い。マスターピース候補の一つです。 |
No.127 | 9点 | 漁師とドラウグ ヨナス・リー |
(2019/01/15 12:43登録) 「北の海の物語」。国書刊行会のゴシックシリーズ〈魔法の本棚〉の中で、リチャード・ミドルトンの「幽霊船」、アレクサンドル・グリーンの「消えた太陽」と共に、まだ文庫化されていない短編集の一つ。装丁の美しさは写真からも解りますが、本書は内容的にも素晴らしい。 北部ノルウェーの民話伝承を下敷きに思うさま想像力の翼を羽ばたかせた作品集で、独特の暗さや過酷さの中で、超常なるものに抗う人々やその愛情、また彼らを取りまく不思議な出来事が雄渾な筆致で描かれます。全11編収録。 やはり抜きんでているのは表題作「漁師とドラウグ」。首に銛を突き立てられた海魔が企む漁師エリアスへの復讐譚ですが、真冬のノールランの荒海を舞台に凄絶な物語が繰り広げられます。 これに続くのは「岩の抽斗」。地の底の民の財宝を見つけてしまい、魂を魅入られてしまった男を襲う降誕節前夜の妖しい誘い。 アンソロジーピースの二編の他にも「綱引き」「妖魚」などの作品も。どちらも掌編といっていいですが、独特のムードが魅力的です。 美しくも悲しい恋の物語「アンドヴァルの島」。大いなるものへの挑戦と愛「スヨーホルメンのヨー」「風のトロル」。滑稽な「あたしだよ」等、粒が揃っていてハズレがありません。 ヨナス・リーはノルウェー自然主義の四大作家と呼ばれる国民的作家。コナン・ドイルの同時代人で、著作も非常に多い。本作品集が刊行された時期には北欧文学はそれほど注目されていませんでしたが、近年各出版社の翻訳が非常に進みましたので、もっとリーの作品を意欲的な方に訳出してほしいものです。 |