雪さんの登録情報 | |
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平均点:6.24点 | 書評数:586件 |
No.226 | 5点 | 小さな娘がいた エド・マクベイン |
(2019/08/04 22:59登録) 「メアリー、メアリー」事件から約四カ月半後の三月二十五日、弁護士マシュー・ホープはカルーサの黒人地区ニュータウンのバーで、店から出た所を二二口径の銃弾で続けざまに撃たれ、危篤状態に陥った。左肩と胸。〈S&I〉サーカスの興行主ジョージ・ステッドマンの依頼を受け、イベント会場用地三十エーカーの買収交渉にあたっている矢先のことだった。 先の事件の苦い教訓から刑事事件の依頼を極力避けていた筈のホープが、なぜ命を狙われたのか? 意識が戻らず昏睡状態の続くホープ。友人であるカルーサ警察の刑事モリス・ブルームや、バックアップ役の私立探偵ウォレン・チェインバーズとトゥーツ・カイリーのコンビは、マシューの足取りを追ううち、彼が個人的に三年前〈S&I〉の巡業先で起きた自殺事件を調べていたことを知る。 ステッドマン同様興行権の五十パーセントを持つ二十二歳の女性マリア・トーランスの母親で、当時サーカスの花形だった小人のウィラが、専用トレーラーの中で額を撃って死亡したのだ。ミズーリ州ラザフォードの検屍審問では自殺として処理されたのだが、事件直前にトレーラーの専用金庫が盗まれるなど、不審な点がいくつもあった。 ブルームとウォレン、そしてマシューの恋人である州検事補パトリシア・デミングと共同経営者のフランク・サマーヴィルは、マシューの記録を追い、彼の知った真実を必死に突き止めようとするが・・・ 1994年発表のシリーズ第11作目。HPBカバー裏には「ミステリ史上初の“昏睡探偵”誕生」とありますが、そこまで画期的な構成ではありません。ウォレンチームやブルームの捜査の合間に、脳裏に機械的に瞬くホープの記憶の残滓が挟まりストーリーは進行します。 〈百獣の王〉を名乗る猛獣使いに片腕を嚙み切られた元熊の調教師、今は元調教師と結婚しているウィラの夫の駆け落ち相手、借金のカタにイベント用地を押さえている、元サーカス団員で今は大金持ちの黒人の妻。サーカスらしく多彩な関係者たちに聞き込みを続けるうち、表題の意味もまた二転三転していきます。読む前にはてっきり、マシューの娘ジョアンナを指すものと思ってましたけど。 タイトルはマザーグースの一節ですが、目次を見ればわかるとおり露骨に内容を示唆。とはいえマクベインですから単純になぞらず、捻った展開にしてあります。ただ、最後に唐突に大掛かりな事件になるのはどんなもんかなと。ちょっとこうなるまでの手掛かりが少ないですね。構図にもそれほど面白みはありません。最後のパトリシアの追い込みはなかなかスリリングですが。 サーカス関連のリサーチが彩りを添えていますが、まだ「ジャックが建てた家」「三匹のねずみ」辺りの水準には戻っていません。その前の「ジャックと豆の木」よりも下。とはいえ復調してはいます。 |
No.225 | 5点 | 八頭の黒馬 エド・マクベイン |
(2019/08/02 21:19登録) クリスマス間近のアイソラ。稲妻男の事件が解決するや否や、スティーヴ・キャレラ宛で八七分署に奇妙なメッセージが送り付けられた。男性のものらしき耳に斜めに太い棒線を引き、その上に八頭の黒馬が並んではねまわっている写真。 死んだ耳の男〈デフ・マン〉――幾度も彼らをきりきり舞いさせた天才犯罪者が、再びこの街に戻ってきたのだ。デフ・マンは刑事部屋へ、謎のメッセージを矢継ぎ早に届け続ける。五個の携帯無線機、三つの手錠、六つのバッジ、そして警官の帽子が四個――黒馬を除けば、どれも警官の持ちものの写真ばかりだ。いったいやつは何を企んでいるんだ? さらに真向かいにあるグローヴァー公園の小径のはずれでは、頭蓋の付け根に弾丸を撃ち込まれたすっぱだかの死体が発見された。目撃者の証言によると、はだかの女をかついでいたのは金髪の男だったらしい。被害者エリザベス・ターナーが優秀な銀行員だったことから、刑事部屋メンバーはそこにデフ・マンの匂いを嗅ぐが・・・ 「稲妻」に続くシリーズ第38作。1985年発表。87分署最大の敵デフ・マン四度目の挑戦ですが、テンポは早いものの作品の出来には疑問符が付きます。なぜなら本編では、彼の予告は一攫千金目当てのものではないからです。詳しい説明は省きますが、テロめいた目的とその行動は、天才犯罪者としてのデフ・マンの矜持とキャラを貶めているようにしか見えません。本来の目的のヒントを一切与えないのも、キレたというより自信を無くしたように見えてしまいます。 性格が変化したのもそのひとつ。バーでキャレラの名を騙ってCBSの受付嬢を引っ掛けるのですが、濡れ場とかSMっぽくて「あれこんなキャラだったかな?」と。急遽「電話魔」を再読したのですが(書評はこっちが先)、そっちは終始ムード派で押し通してました。準レギュラークラスの人物設定をコロコロ変えられたのでは、あまり高くは評価できませんね。 偽名がバレたデフ・マンと、それを追うキャレラのニアミスとかありますが、それはそれだけ。彼の犯罪もクリスマスという時期を活用したものですが、過去の事件に比べるとそれほど意外性も捻りもありません。 そんなこんなでシリーズとしても並以下。派手めの映像向け作品と言い切ってしまっていいでしょう。図版がいっぱい入ってて、読み易くはありましたけど。点数は、辛うじて5点といったところ。 |
No.224 | 8点 | 北人伝説 マイクル・クライトン |
(2019/07/30 23:05登録) 西紀九二一年、バグダッドのカリフの命によりサカリバ王国ブルガール(モスクワから東方約六百マイル、ボルガ河岸にあったもう一つのブルガリア)への使節として派遣されたヤクート・イブン・ファドランは、旅の途中でボルガの河沿いに野営していた“北人(スカンジナビアのヴァイキング)”たちと邂逅する。使節団一行は彼らの大祝宴に招待されるが、先代族長の死後、主人役を務める次代の族長候補ブリウィフの元に高貴な若者を乗せた一艘の小舟が到着した。 “北”の王ロスガールの息子ウルフガール。彼は言語に絶する恐怖に苦しめられている自分たちの王国を救うため、同族であるブリウィフの助力を求めに来たのだ。黒い霧と共に訪れ、夜のやみに隠れて人間を殺害し肉を喰らう悪鬼「ウェンドル」。容易ならぬ依頼に、ブリウィフは“死の使い”といわれている部族付きの老婆に吉凶を占わせる。彼女は骨占いの後、ファドランを指さして何かいうと、広間を去った。 「ブリウィフの一行は十三人でなければならない。そしてその中の一人は“北人”でないものでなければならない、そしてその十三人目はあなたとすべきである」と。 かくてアラブ人イブン・ファドランは否応無くブリウィフに率いられ、“北”の脅威を撃退する勇士の一人として、他の十一人の戦士たちと共にベンデンのロスガール王国へと旅立つが・・・ 十世紀初頭に実在したアッバース朝使節、イブン・ファドラーンの著作「ヴォルガ・ブルガール旅行記」にフィクション部分を巧みに組み込み、血沸き肉踊る伝奇冒険物語に仕立てた作品。北欧・東欧・ロシア近辺の厚みのある文化・気候・風俗要素その他に説話伝説を混ぜ込んで、生々しい殺戮・戦闘描写がありながら、清々しささえ漂わせる英雄叙事詩として完成させています。 単なる一般人であった主人公ファドランが嫌々ブリウィフに連れられロスガールに赴き、けして死体を残さない毛むくじゃらの〈霧の怪物〉の襲撃を受け、いくたびも戦ううちに次第にヴァイキングたちに感化され、仲間を救い彼らの価値観にも親しむようになり、やがて真の友として迎え入れられるという、一種のビルドゥングス・ロマン。索引を含めても250Pに満たない作品ですが、おぞましい死者常食族「ウェンドル」が登場してからは戦闘に次ぐ戦闘で、息も熄かせません。ただそこに辿り着くまでの旅行部分が結構長いのが、難といえば難。 メタフィクション的な構成にも一種の仕掛けがあり、最後に〈追記〉として記された「ウェンドル」の正体に関する考察は意外性十分。なぜか典拠にクトゥルー神話の源泉『ネクロノミコン』を持ってくるなど、茶目っ気もタップリ。まあそれは余禄として、読み応えのある本編だけでも十分満足させられます。 「おれは何も恐れない。慰めの言葉もいらない。いいか、おまえは自分の身の安全を考えろ、自分のために」 1976年発表の、「大列車強盗」に続くクライトン7番目の長編小説。原題 "EATERS OF THE DEAD(死者を喰らう者たち)"。なおハヤカワ文庫NV版の解説は、「元首の謀叛」で直木賞を受賞した中村正䡄氏。国際派ならではの鋭い考察が光ります。 |
No.223 | 6点 | 四つの聖痕 中村正䡄 |
(2019/07/29 23:53登録) 環境問題専門のフリーランス・リポーター名取新吾は、新川崎・横浜間の電車内で、金髪の少女から自分のサインの書かれたカセットケースを渡された。プラケースの背景には彼の顔写真が。それはさきごろシドニーで開催された〈豪日観光人会議〉年次総会のプログラムだった。なぜ、あのときにサインしたプログラムが、この少女の手にあるのか? ケースを彼に差し出した後、少女は母親くらいな年齢の女と向き合って立っている。名取は、彼女らを身じろぎもせず見つめる、黒いコートを着込んだ白人の存在に気付く。探ったテープの中に入っていた名刺大のメモ紙には、10桁の電話番号が記されていた。誰かが彼に接触しようとしているらしい。 名取は奇妙な出来事の発端となったシドニー旅行と、唯一つの手掛かり『完全なる砂』を得た時のことを、脳裏に蘇らせるのだった―― 平成二年から平成五年にかけて雑誌「オール讀物」に掲載された中編を収録した、作者の第一短編集。〈世界の原罪〉をテーマに、枯葉剤「エージェント・オレンジ」によるダイオキシン汚染を扱った「完全なる砂」から、壁の成立と共に隠され、壁の崩壊を機に二十九年の歳月を経て解決する殺人事件を扱う「ベルリン舞曲〈ポロネーズ〉」まで全四編収録。 巻頭作はベトナム戦争に絡みオーストラリアの高級軍人グループ「アンザス・クラブ」が仕組んだ国際陰謀と、戦争犯罪を告発しようとする陸軍少尉、ユリウス・スタンレイとの対決を描いた謀略もの。軽快ですが、より出来が良いのは次の作品。 ユーゴ紛争中の少年群像を描いた「真冬の子供たち」。半ば廃墟と化した部分停戦中の町並みの中で、それでも逞しく生き抜く子供たちの姿と、戦時生活がもたらす悲惨さが焦点となります。キャラも良く捻りもあって、この中編が心に残る佳作でしたね。 次点はトリの「ベルリン舞曲(ポロネーズ)」。頭部に大怪我を負い東から西の病院に運び込まれ、子供時代の記憶を全て失った天才ピアニスト、ヤン・ポルシュラックが、再び記憶を取り戻そうとベルリンを訪れるや元親友ヴィリー・レーマンの使いと名乗る男が現れ、さらに旧東独警察シュタージの構成員が秘密裏に動き出すというもの。これも子供の描写が生きてます。例によって硬質な文体ですが、この作家、全体に少年の扱いが上手いのが結構意外。本集ではこの児童主体の2作が良質です。 これらに比べると、来豪中の英国王室チャールズ皇太子に先住民アボリジニが公的言及を迫る「謝罪」は、色々と派手な割にたいしたことなかったかな。文春の作品紹介ではこれが一番大きかったけども。 |
No.222 | 5点 | メグレと妻を寝とられた男 ジョルジュ・シムノン |
(2019/07/27 13:58登録) 十二月、週末の土曜日。いつも通り仕事を終え、オルフェーヴル河岸にある警視庁を出たメグレ警視だったが、ポン=ト=シャンジュの橋のなかほどまで来たとき、誰かに尾けられているような気配を覚える。シャトレ広場から無事にリシャール・ルノワール通りのアパルトマンに帰宅したものの、そんな彼を自宅で待つ者がいた。 ガラスの檻と呼ばれている司法警察局の待合室で〈土曜日の客〉と名付けられた男、レオナール・プランション。口蓋裂で嘆願するような色合いを帯びた視線の、ペンキ塗装の請負業者。プランションはメグレに何通も手紙を書き、幾度も警視庁を訪れたものの気後れがして、ついに直接気持ちを打ち明けようと自宅へやって来たのだという。 彼は新たに雇った二枚目の職人ロジェ・プルーに妻のルネを寝取られ、疎外され、身の置き所も無いような共同生活を二年余りも続けていたのだ。トロゼ通りの自宅には愛娘のイザベルもいるのに、家庭生活もここまで築き上げた仕事も、何もかもを取り上げられようとしている。 プランションは「女房を殺したいんです・・・あるいはあの男を。うまく片を付けるには、二人とも・・・」と言うが、メグレにはどう手の施しようもなかった。とりあえず毎日電話をかけるよう約束させたが、いかなる罪も犯していない以上彼にはなにもできない。 それでも翌々日月曜日の六時過ぎ、アベッス広場のカフェからメグレに電話を入れるプランションだったが、それを最後に彼の消息は途絶えてしまう・・・ メグレシリーズ第87作。「メグレと善良な人たち」の次作で、1962年発表。夕食が台無しになった事よりも彼のことが気にかかって頭から離れないメグレは、分署に電話を入れてプランションの家を監視させたり、ジャンヴィエやラポワントを役所の人間に仕立てて、家の間取りやルネ・プランションを調査させます。自ら電話して反応を探ることもしばしば。 そうこうするうちにプランションが失踪。プルーやルネは彼がふたつのスーツケースをさげて出ていったと語ります。建物塗装業の持ち分も自宅や家財道具を含む一切合財も、三百万フランの現金と引き換えに、全てを放棄したのだと。メグレはプルーの尋問中にサインをさりげなく鑑識に回しますが、本人の署名かどうかははっきりしません。しばらく曖昧な状況が続いた後、一気に事件は決着します。 不具にコンプレックスを抱くプランションとは対照的に、どこへ行っても他人に影響力を及ぼすプルー。「幸せでした」と語る時期にも夫を裏切っていたルネ。二人は「人を攻撃するような冷静さを持っている点で、野獣を思わせる」と形容されます。この結婚が悲劇に終わるのは、避けられない事だったのかもしれません。題材が題材ですし、全体に後味は良くないです。 |
No.221 | 6点 | 殺しの報酬 エド・マクベイン |
(2019/07/24 23:04登録) こぬか雨に濡れる六月末の夜、角を曲ってきたセダンが歩いていく男の十フィートばかり前に止まり、窓の一つがスーッと開くとそこからライフルがぶっぱなされ、歩道の男の顔は粉みじんに吹きとんだ。 ギャングもどきのやり方で殺されたのはゆすり屋のサイ・クレイマー。ここ四、五年派手な暮しをしてはいたが、死ぬちょっと前には酔っぱらいの船乗りみたいに札びらをばらまいていたらしい。高級アパートにキャデラック、ビュイックのステーション・ワゴンに新しい女。ひと月足らずの間に三万六千ドルもの金を惜しげもなく使い果たし、その上約半年あまりの間に四万五千ドルという驚くべき額を預金しているのだ。いったい、その金はどこから来たものなのか? 持参人払い小切手の署名先を聞き込むスティーヴ・キャレラ。一方コットン・ホースは、密告屋ダニー・ギムプの情報からクレイマーの羽振りが良くなった「九月の猟の旅」に目を付け、ひとりニューヨーク州のアディロンダック山塊へと向かう。 87分署シリーズ第7作。前作「被害者の顔」でみそをつけたコットン・ホースが次作「レディ・キラー」と併せ大活躍。ガソリン会社のクレジット・カードの使用量から宿泊先の目星をつけ、ついに被害者が宿泊した湖水のほとりのクカボンガ山荘を発見します。 山小屋の主人の記憶から最終的な容疑者は三人に絞られるのですが、ここでちょっとした工夫があります。とは言え「電話魔」に比べると捻りが足りず、元ネタを超えたとは言えません。これは謎解き興味よりも、むしろラストの見せ場に寄与しているでしょう。 他にもある目論見を抱いて刑事たちを尾行する人物の存在など、レッドへリングはありますが特筆する程ではない。初期作でキッチリ作っている点は買えますが、総合すると平均より少し上くらい。ちょっと佳作には至りません。どちらかと言えばよりリーダビリティの高い「レディ・キラー」の方が好みかな。 |
No.220 | 7点 | 深夜の密使 ジョン・ディクスン・カー |
(2019/07/22 22:06登録) 一六七〇年五月、王政復古によりチャールズ二世がイギリスに帰還し、スチュアート朝が復活してから十日後のこと。ブラックソーンの郷紳ロデリック・キンズミアは、母マティルダの遺産を支度金に再び王に仕えるため、亡父バックが書いてくれたバッキンガム公殿下宛の手紙と見事な形見のサファイアの指輪を身に着け、はるばるロンドンに赴いた。 バッキンガム公の朝見の場ヨーク・ハウスで首尾よく父の親友である金融業者ロジャー・ステインレーに出会い、彼の預かる信託財産九万ポンドを受け取る手筈を付けたものの、行く先々で竜騎兵近衛連隊隊長ぺムブローク・ハーカーと名乗る男に絡まれ、深夜のレスター・フィールズで決闘を行う破目になってしまう。 だが王宮の中庭での二人の会話に耳を澄ます人物がいた。ロデリックの前に現れたバイゴンズ・エイブラハムと名乗る好漢は陛下の勅書送達吏だと名乗り、自分もハーカーに喧嘩を売られ、同じ場所・同じ時刻に決闘することになっているのだと語る。どうやらハーカーの目的は、国王チャールズの機密文書にあるらしい。 バイゴンズの他に送達吏はもう一人おり、二人はそれぞれ暗号で書かれ半分に引き裂かれた外交文書をフランスのルイ十四世、かの太陽王のもとに届けるのだ。父の指輪は送達吏の身分を示すもので、先代の殉教王チャールズ一世の所持品。失われたと思われていた第三の指輪なのだ。ハーカーはロデリックが填めていた指輪に目を付け、決闘をふっかけたのだった。 二人は協力してハーカーの身柄を押さえ、密書によって国王を思い通りに操ろうとする反体制グループ首領の正体を暴こうとするが・・・ カーがミステリ作家としてデビュー直後の1934年、旺盛な活動のかたわら Roger Fairbairn 名義で発表した"Devil Kinsmere"の改作版であり、歴史物の出発点に位置付けられる作品。この年には「プレーグ・コートの殺人」「白い僧院の殺人」「盲目の理髪師」など、他に5作を刊行しています。 完全別名義での発表が示すようにデュマ系統の波乱万丈剣戟作品ではあるのですが、物語全体の構図はむしろそれとは逆。これ絶対王様の方が酷いよねえ。殺人事件や小粒のトリックよりも、真相がミステリ寄り。フェル博士やHM卿をバリバリ発表してた頃なので、変化球というかある意味アンチというか、後年の歴史物よりずっとタチが悪いです。 原点だけあって風俗描写、特に当時のロンドン市街や王宮関係のあれこれには若々しい意気込みが窺えます。それを生き生きと活写した吉田誠一氏の翻訳が素晴らしい。訳者の遺稿でもあります。享年五十六歳。病床でも最後まで本書の校正を気にしておられたそうで、訳業への感謝と共に、ここでご冥福を祈らせていただきます。 |
No.219 | 5点 | 傷ついた野獣 伴野朗 |
(2019/07/20 21:24登録) 『野獣の罠』に引き続き、日本海に面した東北ブロック紙の地方記者「俺」の泥臭い活躍を追う〈新聞記者(ブンヤ)稼業シリーズ〉第二弾。 外郭団体事業団への県知事直々のキナ臭い土地建物払い下げに絡んで、田舎ならではのドロドロとした政争を描いた「予定稿解除」から、夏の甲子園県大会に彗星のように現れた、超高校級の強打者を巡る殺人事件の謎を解く「場外ホームラン」まで全六編収録。1984年度の第38回日本推理作家協会短編賞受賞。 輝かしい短編集ではありますが、第一作目の「野獣の罠」と比較してもさらに密度は低下。「交通遺児のために」との名目で、県警本部に少なからぬ金を三か月連続で送り続ける謎の篤志家の動機を探る「美談の裏側」と、地方銀行本店から支店に送られた現金郵袋を盗んで失踪した国鉄少年作業員の心に迫る「少年の証言」が、一応ミステリとして整ってるくらいでしょうか。 前々回の36回から協会賞に〈連作短編集部門〉が設置されるも、翌37回は胡桃沢耕史の『天山を越えて』が長編部門を受賞したのみ。本書が初の連作賞に選ばれたのも、競合作品自体が少なかったのではと勘繰ってしまいます(この作品以後も短編賞は、第42回の小池真理子『妻の女友達』まで、4度に渡って〈受賞作なし〉が続く)。書き手の狭間の時期に当たっていたのでしょうか。 とはいえ女っ気の無い三十男の「俺」にも県警本部秘書課に勤める恋人・泰江が出来、シンパの辺見武四郎刑事や「山金」こと山田金一警部補、情報源の地方文化人にして俳人・吉野文次など、準レギュラー陣もそこそこ揃ってきました。地方色を求めて読む分には、案外良いシリーズかもしれません。 |
No.218 | 6点 | 修羅維新牢 山田風太郎 |
(2019/07/19 06:31登録) 慶応四(1868)年四月、西郷隆盛と勝海舟の談判により、江戸は無血開城され、百万を超える町民たちは戦火を免れた。だが焼け野原にならなかっただけに住民の反発は根強く、新たに進駐してきた官軍の兵士たちは、どこへいっても面従腹背といった態度に逢わなければならなかった。 そんな折、占領軍を逆上させずにはおかない事件が相次いで起こる。官軍の、しかも隊長クラスの人間がつづけざまに殺されたのだ。騎馬の者も含め、すべてただ一太刀か二太刀で、恐ろしく腕の冴えた人間のしわざであることは明らかであった。しかも彼らはことごとく鼻を削がれていた。 むろん徳川方の侍のしわざに相違ない。同じ下手人によると思われる犠牲者が、四月半ばまでに二十数人に上った。勝者を嘲弄するような犯行に、江戸じゅうに大総督府からの布告が貼り出される。 同じころ、かつて海舟の弟子だった千石取りの旗本戸祭隼人は榎本武揚の幕府艦隊に合流し、母や許婚者のお縫と共に、蝦夷に渡ろうとしていた。だが番町の屋敷に官兵がなだれ込んだことにより、彼の運命は狂い出す。中間に重傷を負わせ母とお縫をなぶらんとした薩軍隊長を叩き斬った隼人は激高し、神田小川町の屯所前に木札を立て、鼻を削いだ三つの生首を晒したのだ。彼の行為は占領軍の怒りに火を点けた。 総督府参謀中村半次郎こと桐野利秋は憤怒のあまり、手当たり次第に旗本たちをひっ捕らえ伝馬町の揚屋牢に叩き込む。そして門前にはくろぐろとした字で高札が立てられた。 「これより下手人の身代わりとして旗本十人を馘(くびき)らんとす。一日一殺。下手人名乗り出ずればすなわちやむ。その惨に己の罪を悔ゆれば名乗り出よ――」 1974年4月~1975年1月まで「小説サンデー」誌上に掲載。同時期「オール読物」平行連載の明治もの第一作「警視庁草紙」とは、下巻部分がほぼかぶった形。 『GQ Japan』1995年3月号の風太郎作品ABC自己評価では最低ラインのランクC格ですが、そこまで酷いとは思いません。あんま知名度無いけどむしろ面白いんじゃねえのと。勿論トップグループには食い込めませんが、少なくとも佳作未満には位置付けられます。一応Bランクの『柳生十兵衛死す』なんかはこれより下かな。 (参考HP:https://seesaawiki.jp/w/yamafu/d/%BC%AB%B8%CA%C9%BE%B2%C1) 風太郎作品ではおなじみの短編数珠繋ぎ形式ですが、一話につき二人あるいは三人というのもあるので、必ずしも各人一話という訳ではありません。官軍にひっくくられる侍たちは底抜けの善人から凛々しい若侍、とことん商人向きの好色な楽天家から豪傑や虚無主義者、歌舞伎の色悪もどきから死にたがり、果ては半白痴や殺人鬼まで十人十色。各人各様悲喜こもごもの物語がある日突然、無常な刃でズンバラリと断ち切られます。 全滅エンドではありませんが、結末はある意味それよりも無情無慈悲。相当なもんですねこりゃ。処刑シーンとかかなり読み応えがありますが、傑作群に並ぶには隼人の決心を引き出すエピソードがやや類型的なのが難でしょうか。結構好きなんですが、前回「八犬傳」を7点評価してるんで6.5点。本当はもうちょっと付けたい所。 |
No.217 | 5点 | 暴走 ディック・フランシス |
(2019/07/16 06:46登録) 若くしてイギリス・ジョッキイ・クラブの捜査主任に選ばれたデイヴィッド・クリーヴランドは、イギリス人騎手ボブ・シャーマンが競馬場の売上金を盗んで姿をくらました事件を捜査するため、北欧ノルウェーに出向く。盗聴を恐れる旧知のノルウェー人調査員アルネ・クリスチャンセンの要請により、オスロ沖合いのボート上でおち合ったデイヴィッドだったが、突如疾走してきた大型快速艇に衝突され、フィヨルドに転落してしまう。彼は離島に流れ着き漁師に救助されるが、海面に落ちる前の記憶では、艇には船名・登録番号・所属港ほか何一つ記されてはいなかった。 再び捜査に戻り、エーヴェルヴォル競馬場理事会から意見を求められたデイヴィッドは、事件を最初から精査しボブの死体を捜すことを提案する。明けて月曜日。浚われた場内の池からは見つからなかったが、スタンド裏からナイロン・ロープに縛られ、黒いキャンバス地で覆われたボブ・シャーマンの遺体が発見された。死因は鈍器による殴打。頭蓋骨を三個所骨折し、死後に一度水中に投げ入れられていた。 彼は憔悴したボブの妻エマと共にひとまずイギリスに帰還するが、その翌日、祖父の家に匿われていたエマが二人の暴漢に襲われ、彼女は流産してしまう。男たちはノルウェー人と思われ、「ボブは書類をどこに隠したのだ」と叫びながら二人を殴り続けたのだ。怒りに震えるエマの祖父ウィリアム・ロムニイはノルウェーに赴くが、何も探り出せなかった。エマはデイヴィッドの問いかけに「ボブはノルウェーに何度もポルノ写真を持っていった」と語る。 事件を解く鍵はやはりノルウェーにある。デイヴィッドはそう確信し、エーヴェルヴォルの懇請に応え再度のノルウェー行きを決断するが、その矢先に彼はふたたび凶刃に見舞われるのだった。 「煙幕」に続くシリーズ第12作。1973年発表。舞台も炎熱の南アフリカから厳寒の北欧へ。色々と変化を加えてはいますが、物語はあまり冴えません。tider-tigerさんの書評にもある通り、友情・恋愛・父子の相克いずれも中途半端。サイドストーリーに広がりを欠いているという指摘は正鵠を射ているでしょう。わかりやすいダミーの存在はともかくとして、黒幕の冷徹さは買えますが。 結局は友情を主題として纏めているものの、そこに至るまでにテーマが絞りきれなかったのがマイナス部分。ややバラけてますね。発端こそ派手ですが本質としては地味な捜査が主体。そこらへんは工夫もあり、決して悪くない。 まあ、例の採点表はあんまりかな。フランシスのワースト作品は他にあると思います。 |
No.216 | 4点 | 霧の密約 伴野朗 |
(2019/07/15 10:43登録) 一九〇一年十月のロンドン、バッキンガム宮殿脇のセイント・ジェームズ公園で、日英同盟締結の外交交渉にあたっていた日本の全権公使・林董(はやしただす)が犬の散歩中に狙撃されるが、銃声を聞きつけたスコットランド・ヤード刑事局刑事ピーター・フラナガンによって犯人は射殺され、事なきを得る。男はポーランドのアナーキスト組織"ワルシャワのバラ"のメンバーで、極東問題へのイギリスの介入を恐れるロシア政府に雇われたのだった。英国政府はすぐさま大使館に釘を刺し、ロシア側の動きを封じる。 暗殺の失敗を知ったロシアの秘密警察〈オフラーナ〉はイギリスとの揉め事を避けるため、第三国に依頼し公使の抹殺を遂げようとする。彼らが白羽の矢を立てたのは直隷総督代理となったばかりの清朝の実力者・袁世凱。袁はロシア側の要請を呑み、最高の刺客をロンドンに送り込んできた。彼の名は暗号名「朱雀」。京劇の女形出身の、美貌の青年だった。 変装術を得意とする「朱雀」と、公使暗殺を阻止せんとするスコットランド・ヤード、それに林の遠縁で、南派少林寺拳の名手・黄飛鴻から必殺技『鷹翼功』を伝授された日本人書生・織部啓介。日露戦争直前のロンドンを舞台に、虚々実々の戦いが始まる―― 1994年8月24日~1995年7月10日まで、257回にわたって朝日新聞夕刊に連載され、加筆訂正を施して刊行されたもの。単行本「あとがき」にあるように本格的な初の新聞連載で、全力投球とはいうものの、初期に比べて出来はかなり劣ります。 設定的にはかなりワクワクさせるのですが、物語の密度が低い。イギリス人宣教師と四川省「川劇」の名女優との間に生まれ、京劇『楊宣娘』の口笛を吹くのが癖という美青年「朱雀」のキャラは立っているのですが、肝心のストーリーの合間合間に頻繁に薀蓄が挟まれ、流れが寸断されてしまっています。これまでの書き下ろし作品と違って先が見通せなかった為でしょうか。熱意の割にあまり成功はしていません。校正の段階で、もっとスリムにすべきでしょう。 指紋捜査が普及する前の段階で、「朱雀」に対するスコットランド・ヤード特捜班"スペシャル・ブランチ"側の描写を濃密にすることもできず、大枠は「ジャッカルの日」なれどホームズ物やルパンに近い活劇風の展開。ロンドン留学中の夏目漱石(金之助)がかなり深く捜査に関わってくるなどの工夫はありますが、それでも物足りない。「朱雀」と啓介との決着がアッサリし過ぎているのも不満。ある意味潔くはありますが。 分厚い見た目で期待した割にたいしたことなかったです。ちょっと旬も過ぎた感じですね。 |
No.215 | 9点 | 元首の謀叛 中村正䡄 |
(2019/07/12 04:08登録) 第二次大戦の結果、東西に分かたれたドイツ。その北部、リューベック近郊の湖に面するラーツェブルクの東西境界線付近で深夜、爆発事故が起こり、東独側監視塔が吹き飛び十名以上の兵員が死傷した。だが東側は不気味な沈黙を守り続ける。しかも彼らは間断なくヘリを飛ばし、重要人物を探しているようなのだ。西側が突き止めたその人物の名は、東ドイツ軍将校ハンス・ヨアヒム・ヒルシュマイア技術中尉。二十代そこそこの青年だった。 ハンブルクの合衆国領事館付武官、レスことレスター・ウィリス海兵隊中佐はこの事件に接し、西ドイツ基本法(憲法)擁護庁北部方面次長クルト・クリスチァンゼンと共に仔細な検討を加える。彼らは音響・震動監視装置を分析し、東側が秘密裏に国境付近に埋設していた地雷の撤去作業を行っていたことを突き止める。数ヶ月前に配置したばかりの地雷源を、なぜ内密に今、取り除く必要があるのか? 大量の工作員の侵入や、北海・バルト海近辺に蠢くソ連空母〈キエフ〉の不可解な行動、加えてワルシャワ条約機構軍の不気味な動き。必死に思考を巡らすレスの脳裏に、ある発想が思い浮かぶ。「まさか」。 最悪の予想を打ち消し、爆発事件の関係者を聴取したクルトの録音テープに聞き入るレスだったが、監視塔を銃撃したハンブルク大生の名前に彼は己の耳を疑う。その学生の名もまた、ハンス・ヨアヒム・ヒルシュマイアといった―― 1980年発表の第84回下半期直木賞受賞作。「フォーサイスを凌ぐ」と評された作品。 これは・・・素晴らしい。おそらく日本最高峰クラスのポリティカル・フィクション。作者の中村氏は日本航空の調達部長で、「炎熱商人」の深田祐介氏の同僚。もともとは三千枚の超大作でしたが、出版社の要請で千二百枚に削ったそうです。深田さんの話では「あの三千枚のほうがおもしろかった」とか。該博な知識・冷徹かつマクロな視点・加えて格調の高さ。国際政治を描いた作品としては、内外含めて現在でもほぼ頂点に位置します。 ユーラシア大陸東端、中ソ国境付近から黒海・北海・バルト海、中欧までも視野に収め、アメリカを筆頭とする西側諸国の動きを封じ、労せずして西独を共産圏に組み込もうと目論むソ連の完璧な計画〈オペラシオン・ダモイ〉。 一方その上を行き、この機に極力血を流さずドイツ統一を成し遂げようとする東ドイツ書記長エーリッヒ・ホーネッカー。東独軍の攻勢に、タイムリミットまでひたすら耐え続ける西ドイツ首相ヘルムート・シュミット。そして祖国の運命を握るホーネッカーの親書をシュミットに手渡さんとするヒルシュマイア中尉。果たして東西ドイツの命運を賭けた「十時間戦争」は成功するのか? ベルリンの壁崩壊に約10年先駆け、実在人物を織り交ぜながら架空のドイツ統一を綿密にシミュレートしてのけた作品。発表年代を考えれば破格の国産小説といっていいでしょう。 |
No.214 | 6点 | メグレとかわいい伯爵夫人 ジョルジュ・シムノン |
(2019/07/08 15:06登録) 凱旋門やシャンゼリゼからほど近い高級ホテル、ジョルジュ・サンクの三三二号室で深夜三時半、「かわいい伯爵夫人」と呼ばれる女性客、ルイーズ・パルミエリが睡眠薬自殺を図った。彼女はすぐにヌイイのアメリカン病院に緊急搬送され、辛くも命をとりとめる。 翌朝十時十分、同じくジョルジュ・サンクの三四七号室に宿泊する億万長者、ウォード大佐が自室の浴槽内に浮かんだ状態で発見される。彼の腹心ジョン・T・アーノルドからかかってきた、定期電話に応答しなかったのだ。大佐と伯爵夫人とは周知のカップルであり、いずれは結婚するものと思われていた。 八時に出勤してきたリュカ刑事はオルフェーヴル河岸で夜の出来事の報告を受け取るが、夫人の自殺未遂について、メグレに報告するのを怠ってしまう。ウォードの死を受けたメグレ警視がジョルジュ・サンクに赴いた時には、既に病院内にパルミエリ伯爵夫人の姿は無かった・・・ 「メグレ推理を楽しむ」に続く79番目のメグレもの。1958年の作で、原題は "Maigret voyage(旅するメグレ)"。タイトル通り病院から姿を消した伯爵夫人を追いかけてメグレが、まず観光地コート・ダジュールを抱えるニースへ、そしてスイスのジュネーヴへと、保養地から保養地へ飛び回ります。 彼の苦手なハイソな世界で起きた事件。その中でも今回の被害者はトップクラスで、比肩するのは「メグレ氏ニューヨークへ行く」に登場するアメリカの億万長者、ジョアシャン・モーラぐらいなもの。いつものブルジョアたちは本文の中で「要するに小商人が大きな財産を作ったにすぎないのだ」と片付けられます。 否応無しにそういった環境に置かれたメグレ警視が右往左往するのが本書の見どころ。ウォードの腹心アーノルドや、伯爵夫人ルイーズの前夫でベルギーの富豪ジョゼフ・ヴァン・ムーレンの自信に圧倒され、なんとなく居心地も悪そうです。 旅行を終えオルリー空港からパリに帰還したメグレは、再び現場であるジョルジュ・サンクに舞い戻り、華やかなホテル内からスタッフの立ち働くホテルの舞台裏をさまよい歩き、その過程でやっと事件の足掛かりを掴みます。世界の頂点に位置する彼らもまた、一人の人間にすぎないことを。 シリーズの中でも短めの作品ですが、なかなかに興味深い一冊です。 |
No.213 | 5点 | 魔女が笑う夜 カーター・ディクスン |
(2019/07/06 11:44登録) サマセット州ののどかな村ストーク・ドルイドで起こった「中傷の手紙」事件は、六週間に渡って人びとの体面をめった打ちにしていた。北東の川に近い草原にそびえる巨大な石像――"あざ笑う後家"にちなんで〈後家〉と署名された手紙が、次々と村人に送られてくるのだ。仕立て屋の妹アニー・マーチンの溺死も〈後家〉の手紙に耐えられなくなっての自殺だと、村では噂されていた。 事態を憂いた村の古書籍商レイフ・ダンヴァーズは名探偵ヘンリー・メリヴェール卿を村に招き、ジョゼフ・フーシェの回顧録を餌に事件の解決を要請するが、神出鬼没の〈後家〉の新たな行動は間近に迫っていた・・・ 「ニューゲイトの花嫁」と同じく1950年発表のHM卿もの。しょっぱなの車輪付きスーツケースの暴走から、解決間際にインディアンの酋長に扮し、主教を迎えた教会バザーでの泥んこ合戦と、終始大暴れ。同時に二組のカップル誕生も描いたコージー風ミステリ。 バカミスとして有名な作品ですが、メイントリックはそこまで酷くは感じません。とはいえ、この長さを支えるには少々弱い。後味の悪さを緩和するため、ひいてはストーリーを補強するため、HM卿のドタバタとロマンスを加えてバランスを取っているとも言えます。 動機がいくぶん不明ですが、事件をわざわざ大戦直前の1938年に設定している事が答えではないかと。戦後の回想部分もあり、V2号によるロンドン空爆やナチスの影も見え隠れします。開戦間際のストレスを抱えた、不穏な社会情勢を背景に起こった事件ということでしょう。 この頃のカーは歴史ミステリに移行する時期でもあり、現代への不満や、その裏返しとしての騎士道礼賛がときおり見られます。本書でメリヴェールがレイシー母娘を精神的に救い、「"鎧を着た騎士"みたい」と呼ばれるシーンは、その典型例でしょう。H・Mファンには見所が多いですが、ミステリとしてはゆるめの出来栄えです。 |
No.212 | 7点 | ニューゲイトの花嫁 ジョン・ディクスン・カー |
(2019/07/03 09:10登録) ワーテルローの戦いがおこなわれた一八一五年六月十八日の夜、フェンシング道場師範リチャード(ディック)・ダーウェントは貴族殺しの罪でニューゲイト監獄に繋がれ、白々と明け初める翌朝まさに絞首刑を迎えようとしていた。 ディックは最後の告解を施しにきた監獄付き教戒師ホレイス・コットンに、自分が嵌められ青年貴族フランシス・オーフォード殺害の罪を着せられたこと、ならびにハイド・パーク公園を彷徨う幻の馬車と、墓場からやってきたような黴の生えたマントを羽織った御者の話を語る。 そのとき新たな客が囚人を訪れた。二十五歳の誕生日を間近に控えたキャロライン・ロス嬢だ。彼女は祖父の遺産相続の条件を満たすため、明日には処刑されるダーウェントにかたちだけの結婚を求めに来たのだった。恋人ドロシー・スペンサーにせめてもの償いをするため、ディックは五十ポンドの報酬で、コットン師立会いのもと式を挙げる。 だが彼の運命は再度変転する。伯父と従兄弟がフランスでの戦いに絡んで亡くなり、ディックは晴れて爵位を継ぎリチャード・ダーウェント侯爵となったのだ。ダーウェントは決闘でオーフォードを斃したと思われていたが、貴族を裁くイギリス上院では、決闘行為は権利であって犯罪とは看做されないのだった。 無罪放免となったリチャードは酔いどれ弁護士ヒューバート・マルベリーの力を借り、ニューゲイトで彼を侮辱したダンディ、ジャック・バックストーン卿との決着を付け、同時に消えた家の秘密を暴き、彼を窮地に陥れた謎の〈御者〉の正体を探るべく奔走する。 「疑惑の影」に続き1950年に発表された、カー/ディクスン歴史作品の嚆矢。本書を皮切りに翌1951年には「ビロードの悪魔」が、続いて「喉切り隊長」「火よ燃えろ!」などが最後期に至るまで書き続けられ、いずれも高い評価を得ています。 それらに比べると、この作品はやや生硬な出来。ウィンブルドン・コモンでの水車を背景にしたバックストーンとの銃による決闘を端緒に、史実上のキングズ・シアター騒擾事件の中での雇われボクサーたちとの戦い、およびとうとう姿を現した〈御者〉の追跡、ラスト付近の剣戟など、人物取り違えを駆使した種々の盛り上げは流石ですが、全体にコテコテした感じでスマートさはありません。冒頭の「消え失せた部屋の謎」こそ筋運びに直結していますが、経験を積んだ後年の作者であればもっとシンプルに纏めたでしょう。エキセントリックなヒロインが急速にしおらしくなるのは、この際置いときましょう。 次作「ビロードの悪魔」には及ばないものの活劇関連の描写は出色。個人的には中盤の怨敵バックストーンとの対決が、色々と工夫してあって好きです。 |
No.211 | 6点 | レディ・キラー エド・マクベイン |
(2019/07/03 04:58登録) 「今夜八時、レディを殺す。どうにかできるかい?」 うだるような暑さの七月の朝七時四十五分、八七分署の受付デスクに陣取るデイヴ・マーチスン警部補に、その封筒は手渡された。彼がそれを受けとると、メッセンジャーの男の子は入口から表の歩道に出て、そのまま大都会の人ごみのなかにきえてしまった。 雲を掴むような犯行予告。これはクランク(いたずら)か? だがクランクでないならば、十二時間以内にたったこの手紙一つの手がかりで、アイソラ八百万のなかから、被害者と人殺しをさがしださなければならない。捜査を管轄するバーンズ警部は、コットン・ホース、スティーヴ・キャレラ、マイヤー・マイヤーら刑事部屋の総力を挙げ、凶行を未然に食い止めようとするが・・・ 1958年発表の87分署シリーズ7作目。概要だけ聞くとあんまりな難題に思えますがそこはそれ。実は子供を使いに出した犯人の方も、向かいのグローヴァー公園から警察の反応を窺っており、チラッチラッと太陽光に反射するレンズに気付いたホース刑事がコッソリ廻り込んで取り押さえようとするもニアミス。その後も隠れ家に踏み込んでの銃撃戦および逃走劇と、タイムリミットの合間に派手な接触が二度起こります。今回は終止ホースが大活躍。 あと作中でもキャレラが指摘してますが、「犯人が捕まりたがっている」というのもミソ。本気なら黙って実行すればいいだけなので。もちろん罪を逃れる手は打っていますが、唯一の手掛かりである手紙でも、犯行のヒントは与えています。そのあたりの微妙なアヤが本書の読み所でしょう。 ただ実際には、警察に指紋採られた段階で終わりですね。発砲事件までならまだ言い訳も効きますし。ヤバい目に何度も遭ってるのに、あえて強行しちゃうのはどうかと思います。話の都合上仕方ないのかもしれませんが。タイムリミットよりもアスファルトも溶けるクソ暑さの方が印象に残る作品。イマイチ緊迫感が無いのはそのせいかも。ただ合間合間にアクションや小技を入れてるので、つまらなくは感じません。平均か、それよりちょっと上くらい。本当にちょっとですけど。 |
No.210 | 7点 | 最後の一壜 スタンリイ・エリン |
(2019/06/30 07:56登録) そのワインは、1929年にサントアンの葡萄園でわずか40ダースだけが醸造されたという。今日ではそのすべてが失われ、多くの専門家が史上最高の名品であろうとしながら、誰ひとりとして現物を味わったこともなければ、ボトルを見たことすらなかった。その伝説のワイン、ニュイ・サントアンが、たった一本残っていた! 最後に残された至高の一壜をめぐる、皮肉で残酷きわまりない復讐劇とは・・・ 1963年から1978年にかけて「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に、ほぼ年一作ペースで掲載された作品を纏めた、エリンの第三短編集。約束された結末に向けた完璧な筋運びと、最後に立ち現れる女心の怖さで読ませる表題作がやはりマストですが、コクのある短編揃いでいくつかの佳作も含まれます。 次点は完璧にシステム化された悪意を描く「不可解な理由」。スケールは小さくなりますが、名作「ブレッシントン計画」の発想をさらに隠微に、綿密に推し進めたような作品。「内輪」と共に雑誌「EQ」初期に「ゆえ知らぬ暴発」の別題で掲載されました。あの号はこれがピカイチだったなあ。高い密度に加えて池央秋さんの翻訳が達者ですね。 続いて長めの「エゼキエレ・コーエンの犯罪」。濡れ衣を着せられて休職旅行中の警官が、戦時中のローマで起きたナチス殺害事件の謎を追う話。清廉で通っていたユダヤ人が仲間を売り、占領軍将校の金を持ち逃げした男として今に至るまで侮蔑されていますが、彼の汚名を雪ぐ過程で主人公が人間として揺るがぬものを掴み取るのが感動的。ただ尺が長い分短編としては若干緩いかな。本当は「内輪」がここに来るのかもしれませんが。 あとはギャンブル物の「拳銃よりも強い武器」。好みの「天国の片隅で」。先の二短編集ほどの出来映えではありませんが、いずれも熟成されたものばかり。充分に楽しめる一冊です。 |
No.209 | 8点 | 電話魔 エド・マクベイン |
(2019/06/27 13:29登録) 「四月三十日までに、その二階から立ちのかないと、お前を殺すぞ!」 カルヴァー街にあるラスキン婦人服店は、週に二回、三回とかかってくる執拗な脅迫電話に悩まされていた。87分署のマイヤー刑事は父親の幼馴染デイヴの相談を受け、電話魔事件に取り組むこととなる。飛び火する被害者はラスキンひとりに留まらず、いやがらせ行為の報告は合計二十二軒にもなった。 そして四月一日、エイプリル・フール。グローヴァー公園で遊んでいた子供たちが、木立の中から素っ裸の男の死体を発見する。身元不明の被害者は近距離から猟銃で胸を撃たれていた。彼の顔写真に反応して署に電話したランダムという男は、事件担当のスティーヴ・キャレラ刑事に、被害者ジョニーの雇い主は〈つんぼ〉だと語る。 やがて電話魔の攻勢はますます過激化し、被害はデイヴ・ラスキンの二階店に集中しはじめる。次々に届けられる無数の品物。配達伝票に記された注文主の名は「エル・ソルド」。スペイン語で〈つんぼの男〉という意味だった。 交わりだす二つの事件。果たして電話魔騒動を隠れ蓑に進行する、謎の男〈つんぼ〉の恐るべき計画とは? 天才犯罪者デフ・マン初登場のシリーズ第12作。1960年発表。以降のデフ・マンものと同じく、この作品でも87分署側の動きに合せて犯罪者チームの動静が、狙いを伏せた上でガッツリ描かれます。 「赤毛連盟」パターンと見せてその裏をかく犯罪計画も周到なものですが、特筆すべきは陽動作戦の徹底ぶり。仲間の一人が「ここまでやる必要があるのか?」みたいなことを言いますが「賭けは、二百五十万ドルだぜ」「手を引きたいか?」と、〈つんぼ〉は冷ややかに答えます。確率論以前に警察事案じゃないですね。戒厳令でも敷かないと対処できそうにありません。マクベインほどの作家が著名シリーズでこれを書いた効果は大きい。ジェフリー・ディーヴァーなどの現代作家にまで影響を与えてます。 この完璧な計画が、ホントしょうもない理由で崩れ去るのも見事。事件後のマイヤー・マイヤーのジョークも決まってます。初期シリーズの代表作で、絶対に外せない作品。点数は8点で文句無し。 |
No.208 | 6点 | 誰かが悲劇 司城志朗 |
(2019/06/24 11:58登録) 毎朝新聞の新米記者大木ぬりえは、ある風景画を日曜版"今週のギャラリー"に取り上げた。真ん中に仏塔のような高い建物と、左側に夢殿に似た低い社殿、右の方にベンチに腰掛けた男が二人―― 一見したところ寺の境内のようだ。学芸部長が強力に推すその絵に見入っても、彼女には妙ちきりんだとしか思えなかった。 とうに忘れられた抽象画家〈五代栄作〉展で、奥のコーナーに展示されていた油絵のタイトルは「おあお」。絵にサインはなく、作者の欄は「ANONYMOUS」。作者不詳とはどういうことなのか。不信感を抱くぬりえだったが、恋人未満の元大学同窓生青井浩平の助けを借りて、どうにかこうにか解説を書き上げる。 そして日曜日、狸穴一等地に構えられたソヴィエト社会主義共和国連邦大使館。対日諜報網を一手に牛耳る情報将校、ゼリョーヌイ・ズメイ・ズルコフ大佐は新聞を見るなり驚愕する。二面の左隅に載った「おあお」には、ある致命的な光景が描かれていたのだ。すぐさま大佐は腹心の部下コスイネン少佐に絵を買い取るよう命じるが、画廊では既に売却済みで、取引の詳細も口止めされていた。 否応なく「おあお」を巡る謀略戦に巻き込まれるぬりえたち。果たして絵の本当の作者は誰か? そして、そこに隠された秘密とは? 1986年刊行。矢作俊彦と共著の形で「暗闇にノーサイド」「ブロードウェイの戦車」「海から来たサムライ」を矢継ぎ早に発表した後、「ペルーから来た風」に続いて書かれた単独二作目。コメディ風のスパイ小説で、キャラ良しセリフ良しと一見して佳作ですが、ストーリー構成に若干の問題アリ。 物語は「おあお」を巡りぬりえや浩平、弟である警察官の新之介など実働パートと、ズルコフ大佐以下ソ連諜報部の陰謀パートが交互に描かれるのですが、これが最後まで交わらない。実際そんなもんだろと言われればそうなのですが、だったら点景に留めて交わる所を存分に描けばいい訳でして。相互に関連し合うから面白くなるのでね。 例えばフォーサイスの「悪魔の選択」だとこれが最後に交差する。片方が意図せずにチェスの駒のように動かされていたことが明らかになる。その伏線もちゃんと記述されていて、読み返してああそうだったのかと納得する。そういう部分が無い。本書のキモは陰謀パートの下克上三連発なんでしょうけど、謀略側の人間が主人公たちと一人も出会わないのでどことなく厚みがありません。末端の殺し屋は現れますが。 ズルコフ大佐のお気に入りがオオイタの麦ジョーチューいいちこだとか、序盤ソ連諜報部の面々が公安の尾行を撒く所とか、文章もテンポ良いしキャラも立ってるし、おおっこれはって思ったんですけどね。絵の謎もまあそれしか無いわなというオチで、猫絡みとかヘンな要素で上手く躱された感じ。読んでて楽しいだけにかなり惜しい。後期のやつはこれとはまた違うのかな。キャラ造りは総じて達者なので、他作品に期待したいです。 |
No.207 | 7点 | 女の家 日影丈吉 |
(2019/06/23 04:47登録) 戦後の混乱がまだ収まりきらぬ銀座、その裏通りにまったく隔離されたような状態で佇む、置屋のような外観の折竹家。年明け半ばの一月十六日、その二階の奥の六畳間でこの家の女主人、折竹雪枝がガス中毒により死亡した。雪枝はひどい冷え性で、毎晩ストーブをつけたまま寝る習慣があった事から、当初は事故とも思われた。だが彼女は以前にも、何度かガス自殺を試みていた。 雪枝は旧財閥にも絡む大会社の社長・保倉信三の二号で、彼女の息子幸嗣は妾の子ながら唯一の男子として認知され、いずれは父の後を継ぐものと期待されている。そして本家との釣り合いを取るため、階下には三人の女中が住込みで働いている。言ってみれば折竹家は幸嗣のために用意された「女の家」であった。ここに主人の信三と、家庭教師を務める祖生武志の二人の男が通って来るのだ。 事件はいったん自殺として処理されかかるが、聞き込みの結果被害者が完全に寝込んだ深夜、配管工事のためガスがいったん止められていた事実が発覚する。しかも通知は徹底せず、その事を知っていた住人は僅かだった。 一転して複雑な様相を呈しはじめる事件。果たして雪枝の死は事故か自殺か、それとも――? 「応家の人々」のあとを受け1961年に、東都ミステリー叢書として発表された文学志向の第六長編。前作は戦時中の台湾というエキゾチックな設定でしたが、本作の「明治の面影を残す銀座」という空間も実は、大正十二年の関東大震災で地上から消え去り、とうに存在しません。どちらも現実から失われた郷愁の世界が舞台。ある種ノスタルジックな匂いの漂う場所を、日影丈吉は思う存分描きます。 物語は起・承・転・結の四部構成。事件担当である小柴刑事の記述と最年長の女中・大沢乃婦の語りが交互に行われ、特に女学校出でもある乃婦の息の長い文体は読み応えがあります。なんとなく映画の長回しを思わせますね。 正直ミステリとしてはさほど魅力的な構図でもなく、一読して印象的なキャラクターが登場する訳でもないんですが、じわっとした感じで後々まで響いてきます。日影の文学系長編は、登場人物の特定の行動が謎を形作るパターンが多い。再読再三読するうちに、人物描写によって枠組みが補強されていきます。乃婦を通じて時折語られる雪枝の言葉が、読み返す時閃光のように印象付けられる。彼女ら二人が連れ立って烏森のお稲荷さんを訪れるシーンは、本書の白眉でしょう。 初読の際には「孤独の罠」が上かなとも思いましたが、実のところは分かりません。手元に置けば置くほど味の出るスルメ型の作品で、取り合えずの評価は7点。 |