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ミステリの祭典

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修羅維新牢
旧題「侍よさらば」

作家 山田風太郎
出版日1985年02月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点
(2019/07/19 06:31登録)
 慶応四(1868)年四月、西郷隆盛と勝海舟の談判により、江戸は無血開城され、百万を超える町民たちは戦火を免れた。だが焼け野原にならなかっただけに住民の反発は根強く、新たに進駐してきた官軍の兵士たちは、どこへいっても面従腹背といった態度に逢わなければならなかった。
 そんな折、占領軍を逆上させずにはおかない事件が相次いで起こる。官軍の、しかも隊長クラスの人間がつづけざまに殺されたのだ。騎馬の者も含め、すべてただ一太刀か二太刀で、恐ろしく腕の冴えた人間のしわざであることは明らかであった。しかも彼らはことごとく鼻を削がれていた。 むろん徳川方の侍のしわざに相違ない。同じ下手人によると思われる犠牲者が、四月半ばまでに二十数人に上った。勝者を嘲弄するような犯行に、江戸じゅうに大総督府からの布告が貼り出される。
 同じころ、かつて海舟の弟子だった千石取りの旗本戸祭隼人は榎本武揚の幕府艦隊に合流し、母や許婚者のお縫と共に、蝦夷に渡ろうとしていた。だが番町の屋敷に官兵がなだれ込んだことにより、彼の運命は狂い出す。中間に重傷を負わせ母とお縫をなぶらんとした薩軍隊長を叩き斬った隼人は激高し、神田小川町の屯所前に木札を立て、鼻を削いだ三つの生首を晒したのだ。彼の行為は占領軍の怒りに火を点けた。
 総督府参謀中村半次郎こと桐野利秋は憤怒のあまり、手当たり次第に旗本たちをひっ捕らえ伝馬町の揚屋牢に叩き込む。そして門前にはくろぐろとした字で高札が立てられた。
 「これより下手人の身代わりとして旗本十人を馘(くびき)らんとす。一日一殺。下手人名乗り出ずればすなわちやむ。その惨に己の罪を悔ゆれば名乗り出よ――」
 1974年4月~1975年1月まで「小説サンデー」誌上に掲載。同時期「オール読物」平行連載の明治もの第一作「警視庁草紙」とは、下巻部分がほぼかぶった形。
 『GQ Japan』1995年3月号の風太郎作品ABC自己評価では最低ラインのランクC格ですが、そこまで酷いとは思いません。あんま知名度無いけどむしろ面白いんじゃねえのと。勿論トップグループには食い込めませんが、少なくとも佳作未満には位置付けられます。一応Bランクの『柳生十兵衛死す』なんかはこれより下かな。
 (参考HP:https://seesaawiki.jp/w/yamafu/d/%BC%AB%B8%CA%C9%BE%B2%C1)
 風太郎作品ではおなじみの短編数珠繋ぎ形式ですが、一話につき二人あるいは三人というのもあるので、必ずしも各人一話という訳ではありません。官軍にひっくくられる侍たちは底抜けの善人から凛々しい若侍、とことん商人向きの好色な楽天家から豪傑や虚無主義者、歌舞伎の色悪もどきから死にたがり、果ては半白痴や殺人鬼まで十人十色。各人各様悲喜こもごもの物語がある日突然、無常な刃でズンバラリと断ち切られます。
 全滅エンドではありませんが、結末はある意味それよりも無情無慈悲。相当なもんですねこりゃ。処刑シーンとかかなり読み応えがありますが、傑作群に並ぶには隼人の決心を引き出すエピソードがやや類型的なのが難でしょうか。結構好きなんですが、前回「八犬傳」を7点評価してるんで6.5点。本当はもうちょっと付けたい所。

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