雪さんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.24点 | 書評数:586件 |
No.586 | 6点 | 悪党パーカー/死神が見ている リチャード・スターク |
(2021/10/16 20:27登録) パーカーに死神がとり憑いた!? キーガンは全身に煙草の火を押しつけられ、壁に釘で打ちつけられていた。ブライリーは自宅で撃ち殺された。今度の "仕事" に関係した仲間のうち、これで三人が殺されたことになる。 仕事は上首尾だった。だが、その数日後から、身を隠した仲間が次々と殺されはじめたのだ。だれの仕業なのかも、目的は何なのかもわからない。まるで死神にとり憑かれたようだった。 死神の魔手が次はパーカーを狙っていることは明らかだ。正体不明の敵、残虐な殺しの手口――パーカーは最大の危機に直面して立ちあがった! 悪党パーカー・シリーズに新境地を拓く、サスペンスあふれる意欲作! Scoreシリーズ最終作『怒りの追跡』から二年後の1971年、『殺人遊園地』と同年に発表されたシリーズ第十三作。巻頭には「呪いをこめて、ジョー・ゴアズに捧ぐ」という、ちょっと凄い献辞がある。これは作中で互いの主人公、パーカーとダン・カーニーを交差させたお遊びを指すものと思われるが、ゴアズがDKA探偵事務所シリーズ第一作『死の蒸発』を発表するのは翌1972年のこと。従ってこの時点で既に双方了承済みだったのだろう。 今回は犯行の手口から推察がつくように、敵役の二人組が狂気じみているのがやや異色。頭の回るボスのジェサップとヤク中のマニー、支離滅裂で何をしてくるか分からない存在を相手取る、ホラー映画的な怖さがある。手に入れた片田舎のマイホームで主人公の留守中彼らに襲われるクレアの立ち回りと、彼女の救出作戦とが本編の骨子。 とは言えしょせん異常者なので、じっくり読んでゆくとパーカーの相手としては不足気味。どちらも二十代なかば過ぎとまだ若く、野獣の不気味さはあっても行動も甘く忍耐力に欠ける。凶暴性は突出しているので見くびる事はできないが。作中描写からマニーは漠然と大男に思えたけど、実際にはきゃしゃな兄ちゃんなのね。その最後でも分かる通り、典型的な薬物患者と言える。 第三部まではかなりの緊迫感をもって進むのだけれど、暗闇の中でのパーカーとジェサップ、二人の対決シーンを見るとやはり〈役者が違うな〉と思ってしまう。二対一なので簡単には決着しないが、この時点で相手の底が判明し、パーカーの方に大きく振り子が動くのは否めない。その面では序盤のロックコンサート襲撃計画の方が良く練られており、より勝負のアヤがあった。 いつも通り面白いけれど、緩さもあって総合的にはギリ6点。ただし最初から最後までアクションてんこ盛りで、飽きさせはしない。 |
No.585 | 8点 | 笑う警官 マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー |
(2021/10/15 04:53登録) ベトナム反戦デモが吹き荒れる一九六七年十一月十三日の夜、ストックホルムは土砂降りだった。デモ隊がほとんど蹴散らされ街にいっとき静けさが戻ったとき、四十七番線の終点に近いノラ・スターシューンガータン通りの荷役場の鉄柵に赤い二階バスがつっこんだ―― 運転手以下、乗客の死体を満載して。 大量殺人! 市内循環バス内で狂気の軽機関銃乱射事件発生! 悪夢の第一報。しかも死体の中に部下が一人含まれているとの連絡に、現場に急行する警視庁殺人課主任マルティン・ベックの胸は騒ぐ。屠殺場同然の血の海の中には、はたして拳銃を手に絶命している若手刑事オーケ・ステンストルムの姿があった。彼を含む犠牲者九人はすべて偶然そのバスに乗り合わせた者ばかり。狂人の犯行説が圧倒的ななか、生前のステンストルムを洗うベックの前に彼の異様な行動が浮かびあがってくるが――。 錯綜した謎を追う刑事たちの人間味豊かな活躍を描きながら、"現代" の非情な顔をあばく警察小説の白眉! 『バルコニーの男』に続く大河警官小説第四作。1968年発表。シリーズ最高傑作との呼び声も高く、事実第一作『ロセアンナ』と比べても奥行きと深みは段違い。87分署をよりヘビーにしたような内容で、自分がこうと思いこんだ手がかりにしがみつく刑事たち個々人の追求が、半ば過ぎから一気に収斂していく手並みは見事なもの。その重層的なプロットは本家であるマクベインを凌ぐ。以前読んだのは遙か昔のことだが、正直あの頃よりも楽しめた。 その当時の主人公ベックのイメージは〈無味無臭な影の薄いおっさん(酷いね)〉で、ラーソンやコルベリの印象の方が遥かに強かったのだが、改めて読み返すと全然そんな事はなく、「ベック一家」の中心としての存在感はしっかり持っている。加えて次作『消えた消防車』でも引き続き登場するポンコツ警官、クリスチャンソンとクヴァントのコンビもいい薬味。本書の影の主役はもちろん殉職したステンストルム刑事だが、彼を喪失した空虚さに蹲る恋人オーサ・トーレルと、ベックの副官レンナルト・コルベリとの裸のぶつかり合いも魅力の一つ。 今現在選ぶと海外ベストに入るかどうかは分からないが、衝撃的な題材に綿密な捜査過程や各種ドラマを過不足なく詰め込んだ作品で、採点は佳作の上から秀作クラスの7.5点~8点。 |
No.584 | 6点 | ブラック・マネー ロス・マクドナルド |
(2021/10/15 02:36登録) 港町のパシフィック・ポイントに隣接して、共存共栄をはかっている住宅地モンテヴィスタ。ロサンゼルスの郡境から南へ数マイルいった入江のまわりに並ぶこの町の社交場、〈テニス・クラブ〉へ招かれた私立探偵リュウ・アーチャーは、銀行理事の息子ピーターから元婚約者ヴァージニア(ジニー)・ファブロンをつれもどしてくれと依頼される。ドゴール政権から追放されたフランス名家の御曹子だと名乗る怪しげな男、フランシス・マーテルに誘惑され、一方的に婚約を解消されたのだ。アーチャーは調査に乗り出すが、はたしてマーテルの周囲には腑に落ちない点がいくつも現れ・・・。 ジニーを連れて駆け落ちした謎めく男の逃亡後、続けざまに起こる射殺事件。淡々とした描写のうちに人間心理の奥底を抉り出す、巨匠の異色作。 1965年度ゴールド・ダガー受賞作『ドルの向こう側』(次点はディック・フランシス『興奮』)に続いて発表された、シリーズ第14長篇。さすがの文章力ではあるが、相変わらず辛気臭いのはいつもの通り。ポイントが掴めないまま中盤付近までゆっくり進んでいき、意外な人物が射殺されてからは物語の焦点は徐々に、七年まえのジニーの父親ロイ・ファブロンの水死に移ってゆく。ほぼマーテルの正体を掴んだアーチャーが州立大学を訪問し、ジニーとの結びつきを知る第19章がストーリーの分岐だろうか。他の方の評にもあるが、あまりスッキリした後味の作品ではない。 とはいえ全盛期という事もあって重みの方はそれなり。石川喬司氏は〈純文学とミステリ、二つの要素を共存させようとして失敗したケース〉と切り捨てているが、五項目の質問表の扱いなどは伏線として面白い。どちらかと言うと苦手な作家でもありこれが全作のどの辺に位置するのかは分からないが、『眠れる美女』よりは読めたので評価としては5.5点~6点作品。 |
No.583 | 6点 | アイスランドのハン ヴィクトル・ユゴー |
(2021/10/06 07:45登録) 一八二三年二月、ペルサン書店から匿名で刊行された文豪ユゴーの処女長篇で、原題 "Han d'Islande"。既に評したメリメ『シャルル九世年代記』や、バルザック『ふくろう党』と同じく、ウォルター・スコット作『ウェイヴァリー』仏訳による空前の歴史ブームを受けて生まれた、いわゆる「ウェイヴァリ小説」の一作である。書影には小潟昭夫訳の「ヴィクトル・ユゴ-文学館」版が用いられているが、今回のテキストには昭和三十九年中央公論社発行の「世界の文学7 ユゴー/デュマ」島田尚一訳を使用した。 いちおうブンガク全集に入ってはいるが内容としてはかなりムチャクチャ。一六七六年に起こったデンマークの宮廷陰謀劇に取材したもので、舞台は総督統治下のノルウェー辺境。ロマン派の総帥ユゴーらしく、失脚した父親シュマッケルと共にムンクホルムの砦に幽閉された美女エテルと、彼の政敵で王家の血を引くノルウェー総督の息子・オルデネルとの深い愛情を中心に描いた、ロミオとジュリエット的な冒険・陰謀譚であるが、ユゴーはここに〈アイスランドのハン〉なるとんでもない人物を登場させる。 この山賊が実にアレで、納骨所に安置された息子の頭蓋骨を剥いでは盃にして身に付けたり、ミエーセンの老狼と格闘しては絞め殺したり、犠牲者の血を啜ったり肉を食らったり、果てはフリエンドと名付けたペットの白熊に乗って大暴れ。普通に喋ったり策略を使ったり変装したりしなければ、とても人間とは思えない。江戸川乱歩の人間豹・恩田幾三が一番近いのでは、という気さえする。文豪がしょっぱなにこんなもん書いてたとはなあ。 かなり長めのストーリーだが大枠は単純。鉱夫の反乱を焚き付けシュマッケルに罪を被せんとする大法官ダーレフェルド伯爵一味と、逆にシュマッケルを救い恋人エテルと添い遂げようとするオルデネル、両者共にハンを動かそうとするが決裂し、ヴァルデルホーグの洞窟で彼と闘う事になる。だが悪辣なダーレフェルドも勇猛果敢なオルデネルも、悪魔のような山賊を倒すには至らない。ハンの担ぎ出しを諦めたダーレフェルドはにせ者をでっち上げて蜂起を促すが、オルデネルはその反乱の渦中に自ら飛び込んでゆき・・・ ハン以外にも冒頭部の死体描写や《呪いの塔》での拷問道具あれこれなど、怪奇趣味の横溢する作品。ただし大枠としては雄渾な歴史ロマンからさほどズレていない。猟師の無知やら迷信やらでいくつもの矛盾を押し切るなど、『ふくろう党』に比べ造りは荒いが、それでも《黒い柱》峡谷での戦闘シーンや大詰めの裁判での迫力は流石。要所で巨匠の手が入り、題名通り怪人〈アイスランドのハン〉の動かす物語として完結している。 追記:本書の時代設定は一六九九年一月。当時のデンマーク君主はクリスティアン五世で、この年は彼の最後の治世に当たり、また翌年から始まる大北方戦争(スウェーデンが大国の地位から凋落し、北ヨーロッパにおけるロシアの優位を確定させた戦い。後のポーランド分割の予兆)の直前でもある。 作中のシュマッケル=グリッフェンフェルド伯爵は投獄されるまではクリスティアンの補佐役で、彼によって平民から貴族に抜擢された人物でもあった。一連の政争にはこの辺りが関係していると思われる。 |
No.582 | 6点 | 忍法八犬伝 山田風太郎 |
(2021/10/02 16:56登録) 忠勇無双の八犬士の活躍から百五十年余りのちの慶長十八(1613)年九月初旬、佞臣の口車に乗せられた安房九万二千石の若き太守・里見忠義が快楽を貪った代償に、家宝の "忠孝悌仁義礼智信" の八顆の珠が八人の女かぶきによって、似ても似つかぬ "淫戯乱盗狂惑悦弄" の偽物にすり替えられた。これぞ、重臣・大久保相模の一族につながる里見家取潰しを狙う本多正信―二代目服部半蔵ラインの会心の策謀。 対するは甲賀卍谷での忍法修行すら放り出し、おのおの勝手に自由を満喫する八犬士の末孫八人。彼らと半蔵麾下からえらびぬかれた伊賀の女忍者八人の、熾烈果敢な宝玉争奪戦の結果やいかに? 『伊賀忍法帖』及び『忍法相伝73』とほぼ並行する形で、「週刊アサヒ芸能」昭和三十九(1964)年5月3日号~同年11月29日号まで連載された、忍法帖シリーズ第十二作。『伊賀~』や本書の後続作品『自来也忍法帖』『魔天忍法帖』、さらには満を持して登場した大作『魔界転生(おぼろ忍法帖)』と、それまで年一、二作ペースだった発表数が計六作と飛躍的に増えているが、年末開始の『魔界~』を除けばやや粗製乱造気味で、顔ぶれを見てもあまり推奨できる長篇は並んでいない。 それは比較的出来の良い本作についても言えること。軽業師や盗賊、軍学者や狂言師に乞食など、てんでばらばらに放埒な生き方を楽しんできた里見八犬士の子孫が、主君の奥方たる美少女・村雨姫に惚れた弱みで里見家お取りつぶしを賭け、徳川伊賀組の女忍者たちと凄絶な死闘を繰り広げる『風来忍法帖』系の筋立てだが、用いられる忍法自体二番煎じが多く、アイデアの練りも浅い。 だが物語も2/3を過ぎて、身分を隠し伊賀の一党にさらわれた村雨のおん方を救うため八犬士の一人・犬塚信乃が、〈忍法肉彫り〉により村雨そっくりの顔に変えられる辺りからやっと面白くなってくる。軍師・犬村角太郎をも騙す、著者得意のヌケヌケとした人間入れ替えが二重三重に炸裂。さらに家宝献上の期限も一年から半年と一方的に縮められ、結局江戸城中で大立ち回りをする羽目に。この場面〈肉彫り〉の設定を思う存分使った最後の殺陣は絢爛そのもので、数ある忍法帖の中でもこの長篇ほど変装系能力を上手く活用した作品はまず無いだろう。 ただしシリーズとして見ればトータル二線級。後の『八犬傳』とは異なり本歌取りに拘らず好き勝手に書いてはいるが、使用される忍法が少ないせいか中盤ややダレ気味で、後半の巻き返しでやっと6点といったところ。刊行回数の多さではトップクラスだが、佳作までには至らないか。 |
No.581 | 6点 | 眼 水上勉 |
(2021/09/29 22:37登録) 国電秋葉原駅に近い神田岩本町。繊維業者の多いこの街の一角で婦人服問屋を営む〈ローヤル商会〉は不況の煽りを受け、四千着を越すストックを抱え込んでいた。 そこに舞い込んだ絶好の商談。須山恭太郎と名乗る男が会計係の女の子を連れ、岡山の看護婦組合に供給する婦人服や服地の納品話を持ち込んできたのだ。組合手数料を三分ほど差し引くという抜け目のないやり方だが支払いは確実。気のりのしない慎重派の専務・宇佐美重吉を押さえつけ、らいらくな社長・桑山実治の即断で取引は成立する。 だがその直後岡山に卸したはずのローヤル製品が、露天で投げ売りされていた事から詐欺と判明。九百万円の手形が紙切れと化した上製造卸同業会を除名され、新築四階建ての構えをもったローヤルは一気に事業整理に入った。 詐欺・背任・横領を主管とする本庁捜査二課一係は追求を開始するが、被害者側の届出の遅れもあって捜査は難航。そんな折茨城県の牛久沼に至る茎崎川の川岸で、奇妙な死体が発見される。岸べりに竿をつきだし斜面に腰掛けた格好でじいっとうずくまっている被害者の顔は、岩石か何か重量のある凶器でめちゃくちゃにくだかれていた・・・ 絡み合う事件、混迷を深める謎に刑事たちは挑む。文豪の筆が冴える重厚なミステリー世界! 昭和三十五(1955)年十月から昭和三十六(1956)年十二月にかけて、経済雑誌「評」に連載された約二百五十枚の原型作品「蒼い渦」を解体したうえに、あらたに三百八十枚の新稿を追加し長篇小説として完成させたもの。書き直し作業はほぼ大作『飢餓海峡』の連載と並行している。ここまでの換骨奪胎は水上としても初めてだったらしく、〈あとがき〉には新たな構想への意欲と、自分に鞭打って仕上げた時の喜びとが記されている。 それもあってか著者のミステリには珍しく作為的な流れで貫かれており、事件の推移もおおむね犯人サイドの計画通り。殺害したあと釣り人に偽装しておいた詐欺行為の主犯=須山の身元割れの早さなどいくつかの誤算はあるが、少々バタつきはするもののグロテスクさを秘めた真犯人の振舞いは変わらず、これがそのまま本書の味になっている(冒頭部「来訪者」で意味ありげに描かれる〈歩道の男〉の存在が、投げっぱなしになったままなのは頂けないが)。 神田の詐欺事件と牛久殺人とが交錯し、主人公となる警視庁の捜査二課員・遠山利助と茨城県警の大柄な若手刑事・車谷政市が、事件の解決を目指し鎬を削る展開。二課と一課、どちらが先に事件の真相に到達するのか競争意識を漲らせながら、時には情報を交換しつつ追跡は進む。 タイトル通り登場人物や容疑者たちの〈眼〉に関する描写が所々で不気味な影を投げかけているが、結末もそれに呼応したもの。『霧と影』『巣の絵』にはやや劣るが、著者が力を入れて手直ししただけあり、単なる社会派に留まらぬ面白さを持つ作品と言えよう。 |
No.580 | 6点 | 魔術師を探せ! ランドル・ギャレット |
(2021/09/27 21:25登録) 第四作となる長篇『魔術師が多すぎる』に先行して発表された中篇三作を、独自編集して纏めたダーシー卿シリーズ日本版短篇集。いずれも1961年1月から1965年にかけアメリカのSF雑誌「アナログ」に掲載されたもので、発表順も配列も作中年代もほぼ同じ。トリの「藍色の死体」のみこの世界独自の魔術がトリックに用いられるものの、インチキめいた未知のテクノロジーの乱用は無く基本オーソドックスなミステリばかりで、中世ヨーロッパ風の古風な世界設定と国家間の対立に起因する諜報要素が独自のエキゾシズムを醸し出している。 「その目は見た」は古い城の内部で起きたプレイボーイの城主射殺事件の謎を解く第一作。事件そのものは大したものではないが、魔術師マスター・ショーンが試みる〈アイ・テスト〉(死者が最後に見たものを、映像としてスクリーンに映し出す技術)の扱いが味わい深い。 「シェルブールの呪い」は『魔術師が多すぎる』の評でも少し述べたが、ダーシー卿が国王ジョン四世のエイジェントと協力してポーランド王国の陰謀に立ち向かうエスピオナージ物。プロットの本筋と魔術の絡みは薄いが、チャンバラほか色々あって面白い。裏切者の正体に迫る手掛かりもなおざりにされておらず、トータルではこれが一番。〈本質的な殺人者〉とされるフェンシングの達人・シーガー卿の肖像は、主人公の活躍以上に印象に残る。 「藍色の死体」は「シェルブール~」で恐るべき陰謀を阻止したダーシーが、国王の特別捜査官に任命され本土イングランドのカンタベリーに赴き、急死したケント公爵のために用意されていた棺に、染料で藍色といってもいいような濃い青にぬられた死体が納まっていた謎に挑むもの。全裸で発見された死体は休暇のためスコットランドに向かうはずだった公の主任捜査官、カンバート卿だった。死体の異様さから生贄を教義に掲げる異教集団〈古代アルビオン聖協会〉との関連も取り沙汰され、事件の裏にはポーランドの暗躍も想定される。 複数の要素を絡めながら合理的な結論を導き出す作品で、ミステリとしては最も練られており構造もなかなか複雑。真相を見抜くにはやや手掛かりが不足気味だが、作中提示される〈藍色の死体〉の解決は秀逸で、ラストのアクション含め良く出来ている。 以上全三篇。面白さでは『魔術師が~』に一歩譲るが、世界観も内容もよりディープな作品集で採点は6.5点。 |
No.579 | 6点 | 悪霊の群 山田風太郎 |
(2021/09/22 19:54登録) 昭和二十×年も末、ときどき不安そうにうしろをふりかえりながら、東洋新聞社の玄関へかけこんでいく軍服姿の男がいた。彼は元参謀・相馬利秋と名乗り、中日両国人の秘密結社に関する情報の代償として自身の保護を求めてくる。だがこの春にも同じ調子で情報料二万円をまきあげられた社会部の土屋部長と記者の真鍋雄吉は、狼狽する元参謀をけんもほろろに叩き出した。 だがその直後、珈琲喫茶「ライラック」で恋人・丹羽素子との逢瀬を楽しむ真鍋の元に、またもや中国人に毒をのまされた相馬元参謀が駆け込んでくる。処置が早かったため幸い命はとりとめたが、東洋新聞に不信感を抱く相馬は「八時に経堂駅で会う人がいる」と言い残し、色あせた軍服をひらめかしながらヨロヨロと店を出てゆくのだった。彼を追おうとうしろをふりかえった真鍋は、素子もまた外へ駈け出していったのを知る。 恋人の言動に不安を抱き、経堂の洋館まで彼女をつけてゆく雄吉。そのなかで素子と話し合っていた男は真鍋に気付くと風のように突進し、往来へとび出すとそのまま自動車で逃走した。恋人に銃口をつきつけ、「この家へ入らないで」「あたしを殺さないで」と訴える丹羽素子。真鍋雄吉はなすすべもなく、その場を立ち去る事にする。そして男がはねあけていったくぐり戸のそばには水に洗われたような、人間のふたつの眼球がころがっていた・・・ 現職国務大臣・杉村芳樹の惨死を皮切りに次々と眼球をくりぬかれて殺される、戦前の熱海で起きた、伯爵・天城一彦襲撃事件の関係者。一人一殺、怪事件の直後自ら指輪の毒を呷り散ってゆく、落魄した旧華族の四人の令嬢たち。チンプン館の酔いどれ医者・茨木歓喜と白面少壮の名探偵・神津恭介が共演をはたす、豪華絢爛ミステリ! 雑誌「講談倶楽部」昭和二十六(1951)年十月号~昭和二十七(1952)年九月号まで、ちょうど一年間に渡って連載されたスリラー風合作長篇。風太郎の場合は「赤い蠟人形」「恋罪」などの短篇、高木でいくと「ぎやまん姫」や「輓歌」といった作品を執筆していた時期にあたる。本作終了後には横溝正史『悪魔が来たりて笛を吹く』の連載も間を置かず「宝石」誌で始まっており、以前評した『白妖鬼』ともども斜陽族や赤色テロといった題材が、この頃はホットであったと思われる。なお「○○族」ブームは1960年代に至って全盛期を迎え、その総決算として山風は変格ミステリ『太陽黒点』(1963)を物している。 さて本書だが、仕掛人の編集者・原田裕によると分担は「アイディアを高木さんが出して、山田さんが書く」というもの。複数のアリバイトリックと車中の不可能犯罪を扱っているが、肝心の解決は二重底で上部を歓喜が担当し、より突っ込んだ下部を満を持して登場した神津がおもむろに解いてゆく。探偵対決で割を食った格好の歓喜先生だが、連作慣れした山田の方は特に拘りも無かったろう。ストーリーはもっぱら真鍋と丹羽(天城)素子の恋と疑惑を軸に通俗風で進むが、トリックはなかなか凝っており馬鹿にしたものではない。また解決部分のどんでん返しには風太郎テイストが感じられるので、プロットが全て高木謹製という訳でもないだろう。 若干構成が悪く『十三角関係』には及ばないが、この形式としては十分合格点。臆せず一読する価値はある。 |
No.578 | 5点 | 本廟寺焼亡 井沢元彦 |
(2021/09/20 13:00登録) 京都下京区七条西洞院、京都タワーの北西裏に位置する本廟寺。親鸞聖人直系で厖大な信徒数をほこるこの名刹では、時期教王の座をめぐる骨肉の争いがおこっていた。ある夜木屋町の高級バー "パラダイス" で現教王夫妻溺愛の四男・妙良がスコッチ「ザ・グレンリベット」に仕込まれた青酸カリで毒殺され、それに続いて一族がまた一人・・・。 マンモス教団を舞台に繰りひろげられる連続殺人事件。犯人は教王一族を引きずり降ろそうとする改革派・同行衆のメンバーなのか、それとも? ロマンスグレイの名探偵・南条圭が、事件の奥深き謎に挑戦する。 『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を勝ち取ったのち、間を置かずに執筆された受賞後第一作。1981年刊。ミステリとしての出来はお世辞にも良くないが題材的には激ヤバ。京都に実在する浄土真宗某派をモデルに(明言してるも同然なので、あえてここでは示さない)、戒名・御祈祷・納骨・永代供養と無縁墓地・石屋及び仏具屋へのリベートと檀家への上乗せなど、仏教錬金術のフルコースに加え教団幹部の腐敗と銭ゲバぶりが描写される上、真犯人の設定もアレ。ラストは題名通りに、国宝含む全伽藍が紅蓮の炎に包まれるというオチで、いかに乱歩賞受賞者とはいえよく回収されなかったなと思わせる内容である。ヘタに騒ぎ立てるよりは無視した方が賢いという、大人の判断だったのかも知れないが。 ただ充実した各種リサーチに比べミステリとしてはガリガリ。大した厚さでもないのにそちらに紙幅を取られ、露骨に骨組みが目立ってしまっている。メインとなる第三の事件のトリックも演出が不味く、全般にあまり評価できる作品ではない。 どちらかというと4点に近いが、作家として微妙な時期にヤバネタに挑んだ意欲を買って何とか5点。仏事関連の裏側は霊感商法絡みで割と知られてきたので、現在評価するのは難しいかもしれない。本書を読むと井沢の本領が『逆説の日本史』系列にあるのがよく分かる。 |
No.577 | 7点 | 魔術師が多すぎる ランドル・ギャレット |
(2021/09/20 09:27登録) 弁護士や科学者のかわりに魔術師が社会の要職を占めるもう一つの現代ヨーロッパ。一九六六年十月二十六日水曜日の午前九時半、三年ごとに開かれる治療師と魔術師の大会会場で殺人事件が発生した。英仏帝国の首都、ロンドンのロイヤル・スチュワード・ホテル二階の一室で突如悲鳴が起り、市の主任法廷魔術師であるサー・ジェイムズ・ツウィングの刺殺体が見つかったのだ。しかも鍵のかかったドアはツウィング本人にしか開けられぬ呪文で封じられ、唯一窓が開く階下の中庭では人々が閑談していた。 この完璧な密室殺人の犯人として現場に居合わせたライバルのマスター魔術師、ショーン・オ・ロクレーンが逮捕されるが、ショーンと共に数々の難事件を解決してきたノルマンディ公リチャード殿下の主任捜査官ダーシー卿は、その処置に対し重大な疑問を提示したのである! SF的設定と本格探偵小説を組み合わせた、異色の傑作長篇。 アメリカの老舗SF誌「Analog Science Fiction and Fact」1965年8月号から同年11月号まで四回にわけて分載され、翌1966年に単行本化されたダーシー卿シリーズ四作目にして唯一の長篇作品。順番的には同誌1964年1月号掲載の「その目は見た」に始まる独自編集版中篇集『魔術師を探せ!』の続篇に当たり、第二作「シェルブールの呪い」ほか、過去の事件についても一部言及される。 設定的には『シェルブール~』同様英仏帝国と並ぶこの世界のもう一方の雄、ポーランド王国との角逐及びスパイ戦が背景。すでに征服したロシア諸国とのトラブルにより東進に頓挫をきたしたポーランド国王カシミール九世は、転進を余儀なくされ西のゲルマン諸国に触手を伸ばし始め、イングランド、フランス、スコットランド、アイルランド、ロンバルディア及び北部スペインに加え、ニュー・イングランドと呼ばれる新世界の富を有する帝国と敵対している。「シェルブール~」では英仏本国⇔新世界間の海運を止め帝国経済を破壊しようとする、〈大西洋の呪い〉なるポーランドの陰謀が描かれていた。 ただし今回スパイ要素はメインではなく脇筋程度。"ターンヘルム効果" なる魔術を用いた海軍の国家機密が出てきたり、真犯人の動機に絡んだりはするものの、全体としては目隠し以上の意味は無い(霧のサマーセット橋での剣戟シーンや、ポーランドからの亡命美女ティア・アインチッヒを救おうとするダーシー卿の活躍は、この長篇の一番面白い所ではあるが)。ここまでで分かる通り世界設定は中世ヨーロッパ風で、魔術要素があるとはいえシリーズの味わいはどちらかと言えばカー/ディクスンの歴史ミステリに近い。 トリックはさほどのものではないが、前記のアクションや登場人物の性格設定など、作中の美味しい部分がミスディレクションと有機的に結合しているのが本書の上手いところ。魔術も万能ではなく、もっぱら不可能興味の補強や物語のスムーズな進展に使われるのでさほど抵抗は感じず、むしろエキゾシズムの醸成に役立っている。 キキメ文庫の一つとして名高いけれど内容的には佳作止まり。なかなか面白くはあるが大傑作とまでは行かない。これ一冊に何万も出すのは賛成しないが、2000円前後なら入手する価値はあるだろう。シリーズ物としてはかなり良質な部類と言える。 |
No.576 | 6点 | オイディプス症候群 笠井潔 |
(2021/09/17 20:45登録) 中央アフリカ・ザイールのアブバジで発見された新種の流行病。その奇病に冒されたパストゥール研究所の青年ウイルス学者にしてリセ時代の旧友、フランソワ・デュヴァルに頼まれ、ナディア・モガールと矢吹駆は急遽アテネに向かう。目的はフランソワたちの成果であるアブバジ病の研究報告書を、共同研究者のピエール・マドック博士に届けるため。だが博士はなぜか指定場所のアテネを離れ、クレタ島南岸に浮かぶ孤島〈タウロクラニア〉こと牛首(ミノタウロス)島に渡っていた。 彼を追い対岸のスファキオン村に到着したナディアたちの前で起こった、突然のホテル宿泊客墜死。その裏でまたも蠢く悪霊、ニコライ・イリイチの影。そして岩だらけの小島に集められた、ナディアとカケルを含む十二名の男女たち。彼らを迎える最初の晩餐のさなか、古代クノッソス宮殿を模した豪奢な別荘「ダイダロス館」で早くも血塗られた惨劇が・・・。圧倒的迫力とミステリの魅力溢れる本格推理傑作、待望の文庫化! 隔月刊誌『EQ』1993年9月号~1994年11月号連載分に大幅加筆して2002年に発表された、矢吹駆シリーズ第五作。初期バージョンの掲載から刊行まで九年以上、前作『哲学者の密室』からは丸十年が経過している。 終盤辺りいんちき臭さが目立つが、基本的には本格的なクローズドサークル型の犯人当て作品。九人もの犠牲者が転がる中風変わりな凶器の手掛かりを中心に、序盤からしっかりした構想に基づいて哲学論や舞台背景、及び過去エピソードが配置されており、『探偵小説論序説』と並んで2003年度第3回本格ミステリ大賞を受賞している事からも分かる通り、内容的にはそこまで過去作に劣らない(次作『吸血鬼と精神分析』で一気にガタ落ちした感はある)。 ただしウイルスその他一部題材の向き不向きは否めず、特に悠長な哲学論と孤島サスペンスの食い合わせは最悪。第七章では主人公二人にミシェル・フーコーモデルの哲学者を加えた権力論が展開されるのだが、哲学部分のハイライトとはいえ、四人も殺されてるのにそんなもん語り合う余裕なんてあんのか? と思ってしまう。あまり重要でもないギリシャ神話絡みの薀蓄や、『バイバイ~』『サマー~』の回想抜粋も同様。そのまま抜き出さずとも、著者ならばいくらでも刈り込めただろう。他はともかく、ノッてきた解決部分に来てのこのくどさはかなり苦痛だった。 他にもヴィラ・アリアドネの件など苦しい処理もあり、完成度はここまでの五作中最も落ちる印象。相変わらずナディアの事など眼中に無いカケルの真意と、皮肉極まるマニキュアのオチは良かったが。それでも孤島物だけあって、読んでるウチは結構楽しめる小説である。 |
No.575 | 6点 | サハリン脱走列車 辻真先 |
(2021/09/10 15:21登録) 昭和20年8月、戦乱の樺太。運命に翻弄されながらも勁く生きる人々の、破天荒な脱出行! 痛快冒険小説。 オォオォと陳メはウメく。イィイィと陳メは唸る。 なぜこの冒険小説がかくも激しく美しいのか。 終戦寸前の一方的なソ連の侵略による樺太と日本を舞台に、時代に翻弄された男と女の冒険行。物語も見せ場読ませ場山また山場、危機また死地の大脱走! だが、だがただオモシロの冒険小説である訳ないのが我らが辻真先。一読二読、背景に情感のスジがビシッと一本通っているのだ。 特筆は役者陣。一寸の虫にも五分の魂、それぞれひとりはちっぽけな人間でも、意地と気位を通す切ない愛が陳メの目頭を熱くする。 そう、この語り口の歯切れの良いサスペンスフルな物語は〈愛〉。辻さんの優しさと情感に充ち溢れているのですぞ。── 内藤陳 どこの出版社の注文もないまま自分勝手に書きはじめ、五年の歳月を掛けて仕上げたという著者の初・鉄道冒険小説。一九九七年刊。とはいえ不満があったのか、本書の執筆から間を置かず次の大作『あじあ号、吼えろ!』に取り掛かってはいるが、これはこれで労作。ストレートな道行きの『あじあ号~』に比べ、こちらは列車と漁船を乗り継ぎながら、北海道・稚内から南樺太第三位の都市・真岡を何度も往復する形式を取っている。 太平洋戦争から約半世紀、終戦まぎわに漁船で樺太から逃亡しそのまま本州の最北端・ノシャップ0丁目に居着いた老夫婦が、一夜の内に白骨と化すという異様な謎をストーリーの中心に据え、およそ百三十万人と予想されるソ連軍の迫る終戦直後の樺太からの脱出行と、現代日本になおも蠢く軍国主義の亡霊たちの陰謀劇が交互に語られる。途中で明かされるこの大ネタと最後の捻りの比重が大きく、紙幅は割かれているもののどちらかと言えば冒険行はラストで脇へ退く形。本書の段階では飽くまでミステリ的な解決が主体となる。 終戦パートのメインキャラクターにも癖があって、強引に関係を迫る上官を突き飛ばし絶息させたまま声問の連隊兵営を脱走した、元旅役者で美形の優男・嵯峨巴と、宗谷海峡を渡る連絡船で彼と一緒になった狸そっくりの関西人・成瀬喜三郎。この二人が軸になって召集拒否者の元和尚・新庄郁夫と共に、幼馴染の元恋人・浜口鶴子や男爵令嬢・東城翡翠に加え、朝鮮人の少女・金英秀や豊原の鉄道技師の家族、松浦仲子・正司母子らを護り、9600型蒸気機関車と焼玉漁船・太田丸を駆って、本土と南樺太とを行き来する。 成瀬などは戦時中の男性不足に付け込んで結婚詐欺を繰り返し、挙句の果てに五人の女性を殺して逃げてきたというとんでもない男だが、結構情に脆い所もあって行動がコミカル、更にギャグ的展開も手伝って妙に憎めない(しかもラストで分不相応な程良い役を貰う)。このように戦争を見据えて清濁併せ呑む展開も、善悪のハッキリした『あじあ号~』とは対照的。面白さや細かな工夫では前者に一歩譲るが、こちらも気合いの入った大作であるのは間違いない。アマゾン古書価もかなり高くなっているので(2021/09/17現在 ¥3,300)、安く入手出来るなら押さえた方が良いかもしれない。 |
No.574 | 6点 | 死者の輪舞 泡坂妻夫 |
(2021/09/06 01:57登録) 秋の祭典・曲垣賞に沸く東京競馬場で、無精髭を生やした一人の男が刺し殺された。それも白鞘の合口で心臓を一突き、柄をも通れとばかりの見事な腕で。たまたま現場に居合わせた警視庁特殊犯罪捜査課の刑事・小湊進介は、お守り役を押し付けられた古参刑事の海方惣稔(うみかたふさなり)と共に捜査を開始するが、今度はその鮮やかな手口から海方が犯人と目する丁金組の幹部・筒見順が何者かに射殺されてしまった! 次々と連鎖していく被害者と殺人犯の奇怪な輪! そんなことがあり得るのだろうか? 常軌を逸した連続殺人事件は、二転、三転、四転、五転・・・・・・ 読者を騙すことに全精力を傾注する著者がその面目を遺憾なく発揮した、本格推理の最高傑作! 『花嫁は二度眠る』に続いて刊行された、第九長篇にして海方・小湊シリーズ第一作。同年発表の長篇には『猫女』があり、短篇では『妖盗S79号』を終えると共に〈宝引の辰捕物帳〉を本格的に始動させつつ、『折鶴』や『蔭桔梗』収録の幾篇かを発表し、直木賞受賞に向け着々と足場を固めつつある時期にあたる。 著者の短篇連作は亜愛一郎を筆頭に数あれど、長篇に登場する名探偵は他にヨギ ガンジーのみ。テキストに用いたのはミステリ名作館版だが、「海方惣稔さんのこと」と題したあとがきには〈金井さん〉というモデルの存在と、準主役となる海方刑事への愛着の強さが記されている。最終篇として富士子夫人が大暴れする予定の『紙幣の輪舞』への意欲も示されているが、こちらの方は遂に書かれず仕舞いに終わった。ジャンルを問わず博学多識だが基本的にはナマケモノで、謎の解決に執着すると同時に役得の確保も怠らぬという抜け目無いキャラである。 連鎖趣向の国内頂点として高く評価する向きもあるが、内容的には『乱れからくり』などよりも下。八つの事件にいくつかの小技を絡めて引っ張るものの、先達とは異なり〈リレー殺人〉の構想をほとんど隠さず、最後のヒネりに全てを賭けている。コミカルな展開で面白いが泡坂作品としては並の上といったところで、採点は6点~6.5点。 |
No.573 | 6点 | 大臣の殺人 梶龍雄 |
(2021/09/04 06:33登録) 西郷・大久保既に亡く、巷には自由民権運動の嵐が吹き荒れる明治十四(1881)年七月のこと、旗本崩れの隠密探偵・結城真吾は警視庁から〈東京に潜入した北海道からの殺人逃亡犯・岡田国蔵とその情婦・角田のぶの行方を探索せよ〉との密命を受ける。真吾は北海道と東京の間を往復する汽船・尊神丸に目を付け、国蔵らしき女連れの男に声を掛けた松浦毅船長に面会を求めるが、既に船長は彼と行き違いにバッテラを降りた、色白で頬に傷痕のある美男児に刺殺されていた。 その後も捜査を進めるうち、次々と転がってゆく死体。核心に迫る彼を黙らせようとする上からの圧力と、幾度も殺人現場に立ち現れる頬傷の美青年の影。やがて真吾はこの探索行が北海道開拓使で薩閥の大物・黒田清隆と、三年前に黒田が起こしそのまま闇に葬られた、暴虐な妻殺しに深く関わっていることを知る。彼は不快感を押し殺しながら国蔵たちの行方を突き止め、同時に警視庁の密偵の手から証人のぶの身を守ろうとするが・・・ 「逃げてきた男」「噂の男」「踏み迷った男」「怒れる男」「血まみれの男」「解き明かす男」の全六章で、各章冒頭に意味ありげな黒幕たちの密議を配したポリティカル・ノベル風の構成。同様の趣向は山本周五郎の大作『樅ノ木は残った』でも用いられているが、本書の場合はサスペンスを盛り上げる為以上の周到な企みが隠されている。加えて犯人である「頬傷の男」のベールの剥がし方など読み手を瞞着する気満々。これらを含め二重三重の罠が仕掛けられており、第四章の終了までに真相を見抜くのは容易ではない。 いつもの〈伏線の鬼〉ぶりも健在で、第二章のある描写に仕掛けられた手掛かりなどは見事。言及される事は少ないが、乱歩賞受賞の『透明な季節』よりも格上の作品で、ひょっとすると『透明な~』に始まる旧制高校三部作より出来は良いかも(第二作『海を見ないで陸を見よう』のみ未読)。さすがに『龍神池の小さな死体』には及ばないが、しょせん時代物と侮っていると思わぬ所でうっちゃりを食らう。 難点があるとすれば主人公がフェードアウトしてしまう非エンタメ的な結末部分か。無条件の佳作とはいかないが、梶龍雄の事実上の処女作として十分読む価値のある時代ミステリである。 |
No.572 | 5点 | 神曲―左甚五郎と影の剣士 白井喬二 |
(2021/09/01 06:52登録) ふるさとの摂津を出てはや数年、江戸の名人彫刻師としてめきめき売り出してきた小島町の左甚五郎。このたび若年寄・小田伊勢守よりある人物の似顔絵を元にした〈似顔の貘〉の注文を請け負うが、どうも雲行きがキナ臭い。伊勢守にはある政治上の企みがあり、相手の方はこれを機に似顔の人物の追い落としと、仕事の妨害を図っているようなのだ。 中本芳崖と名乗る人物に手本となる獏図の載った「群獣図鑑」を騙し取られた甚五郎は逆に心を決め、「ままよ」とばかりにこの神秘彫りを一世一代の腕だめしにしようと決意するが、ある日出合った若侍・十太郎の顔が例の似顔絵と生き写しだった事から、二人は奇妙な縁で結ばれてゆき・・・・・・ 『富士に立つ影』で知られる大衆文学の巨峰・白井喬二が、読者の熱望に応え齢八十三歳にして書き下ろした最後の時代長編。 昭和四十七(1972)年発表。江戸川乱歩・国枝史郎・直木三十五・長谷川伸らと共に大衆作家の親睦会・二十一日会を結成し、大正期から昭和の大戦前にかけ歴史・時代小説の重鎮として活躍した著者が、「もう一度あの頃の小説が読みたい」との声に応じ最晩年に物した作品。だがかつて『富士に立つ影』のいい加減な考証で三田村鳶魚翁をブチ切れさせた人だけあって、本書の大法螺も相当なもの。代表的なものを挙げれば時の将軍は四代家綱とされるのだが、彼の治世は慶安四(1651)年からで、史実の左甚五郎が讃岐高松で没したとされるのもちょうどこの頃。当然、三月十七日の吹上上覧祭で将軍の御見に預かった甚五郎中期の傑作「かんばせ」などは存在しない。幕府草創の元勲大久保忠隣の孫で十全剣法の使い手・森十太郎の存在とともに、嘘八百を承知で書いたおおらかなフィクションと思われる。 〈今の小説は緊迫して何となくトゲトゲしく、情痴過多。あのころの想像力に富んだおおどかさが欠けている〉〈この主旨にのっとり戯作(カルマ)法悦の世界を展開しようと心懸けた〉という白井翁の言葉通り、ストトントンと明朗かつ調子の良い文章で物語は進んでゆく。十太郎の義理の叔父で当代一の権力者・酒井常陸守直助の追い落としや江戸の地所買い占めなど、権力と金の絡んだキナ臭い陰謀も出てくるが、公平無私の十全剣は絶対なのでそんなものは皆吹っ飛ばす。叔父の常陸守に切腹を申し付けられても、「わしはッ切腹することは止めにするッ」と言いざま土壇場でふわりと飛んで逃げてゆく。『富士に~』の名主人公・熊木公太郎を彷彿させる闊達さで、デタラメというか天衣無縫である。 そんな彼らが何に悩むかと言えば芸の道。甚五郎は彫刻道の新境地を拓く大作「かんばせ」の完成に、十太郎の方は甚五郎への好意と彼の妻・お修に寄せる恋の矛盾の解決に加え、万能の極、空白無敵の境地をそれと両立させるため身魂を尽くす。これらの芸道要素をメインに上品かつユーモラスに纏めた小説で、採点は若干プラスして5.5点ぐらい。 |
No.571 | 7点 | たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説 辻真先 |
(2021/08/31 13:44登録) 昭和二四年、ミステリ作家を目指す名古屋の料亭の息子・風早勝利は、できたての新制高校・東名学園三年生になった。旧制中学卒業後の過渡期における、たった一年だけの男女共学の高校生活。そんな中、〈巴御前〉とあだ名される顧問の女傑・別宮操の勧めで勝利たち推研は、映研と合同での一泊旅行を計画する。別宮も含めた総勢六名で奥三河の湯谷温泉へ、修学旅行代わりの小旅行だった──。 そこで彼らが巻き込まれた密室殺人。さらに夏休み最終日の夜キティ台風が襲来する中で起きた、旧第六聯隊営繕棟での首切り殺人! 二つの不可解な事件に遭遇した勝利たちは果たして・・・・・・ 著者自らが経験した戦後日本の混乱期と青春の日々をみずみずしく描き出す、『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』に続く、"昭和ミステリ" 第二弾。 リアルタイムで1932年生まれ、御年88歳の辻氏が、米寿の身で書き上げた本格ジャンルの佳作。誰もが認める大家でも、ここまでくると小説の中身が相当怪しくなってくるのだが、全くそういう事もなくむしろ全盛期より読ませるのは敬服の他は無い(しかもこの後まだ書いてる・・・)。ツイッターを見ると最新アニメや漫画の消化に日々精進なさっているようで、羨ましい限りである(アマゾン配信でやっとシンエヴァ観たとかもあるな)。この凄まじい吸収力が頭の柔らかさを保持する秘訣なのだろう。 内容的には終戦直後の男女共学開始時を背景に人々の心に残る帝国主義教育の残滓と、新時代の民主教育とのせめぎあいが齎す事件と学園での出来事を、思ったよりのほほんとした雰囲気で描いた作品。主人公が空襲にもボヤ程度で焼け残った料亭の息子であるためか、食糧難や各種インフラ荒廃といった時代的な切実さはチラホラ透けて見える程度。互いを意識し合う推研・英研メンバー男女五名の甘酸っぱい青春の日々を軸にして、戦争の影に隠れた大人たちのエゴと犯罪、それを切っ掛けにして起きた二つの不可能殺人が暴かれてゆく。 他の方の評にもあるように特に犯人を隠してはないので、興味は自ずとハウダニット関連に移るが、こちらは両方とも奇想天外。本書230Pに「読者への質問状」が挿入されているが、後者はともかく〈密室殺人はいかにして行われたか?〉を解くのはかなり難しいのではないか。結構な密度の伏線で堪能させてもらったが、シリーズ物なのを勘定に入れないと色々納得し難いような気もする。 あまり構えず読了したがこれまで読んだ氏のミステリでも上位に来るもので、スーパー&ポテトシリーズや協会賞受賞作『アリスの国の殺人』ほどの毒は無い分、個々のキャラクターを生かして上手く物語を纏めている。悲劇なれど後味のいい良作で、ボリューム的には及ばないものの冒険畑の『あじあ号、吼えろ!』に並ぶ出来栄え。 |
No.570 | 7点 | カジノ島壊滅作戦 リチャード・スターク |
(2021/08/30 23:04登録) テキサス沖のメキシコ湾に浮かぶ小島、それがコケイン島だ。島の持ち主は "ウォルフガング男爵(バロン)" と呼ばれる男。時間と金だけをもって現れた彼はまもなく島に豪華なカジノとホテルをつくり、所有者もない荒れはてた無人島を海上のラス・ヴェガスに仕立て上げたのだ。今では、夜ごと数十万ドルの金が動くという繁盛ぶり。 パーカーの今回の襲撃目標が、このカジノ島だった。仕事の依頼はバロンと対立する〈アウトフィット〉のボス、ウォルター・カーンズからきた。依頼の内容はこうだ――「島の金を根こそぎやつからむしりとって素裸にしてくれ。それだけじゃない、徹底的に焼きつくすんだ。あのくだらない島をばらばらにして海に投げ捨てろ!」 四囲は自然の要害で、島への航路はカジノの正面にある大桟橋とその西方のボート小屋のみ。そして島内には武装した用心棒が・・・それでもパーカーには成算があった。襲撃は成功。だが―― 1966年発表。『汚れた7人』に続くシリーズ第八作で、原題 "THE HANDLE"。訳者・小鷹信光氏のあとがきによると「賭博や犯罪行為による総収入」というアメリカン・スラングらしい。いつもは年に一度か二度しか仕事をしないパーカーだが、今回は前作でのフットボール場現金強奪からわずか六週間という異例のペース。かけらも緩みはしないが、そのせいかクリスタルという女を受け入れる珍しいシーンがある。 ただし仕事の方は例の無いほどキツい展開。人数集めの段階でハネた男が連邦政府に泳がされており、パーカー自身の過去の犯罪も、しょっぱなの看守殺しからこれまでに用いた偽名までバッチリ把握。さんざん脅された末ナチ戦犯でもあるバロンの身柄引き渡しを条件に、局員の随行監視付きで計画を行う羽目になってしまう。おまけに袖にされたヒーナンはカジノ襲撃をバロンにご注進。二手に分かれて混乱させる筈が、逆に相手に待ち伏せされる惨状に。 それでもプロの意地で追手を振り払うと共にヒーナンを始末し、無事作戦を遂行したかと思った刹那、脱出直前に彼らに追いついたバロンの銃撃を受け・・・・・・ 引退したハンディ・マッケイに代わる、俳優強盗グロフィールドの〈パーカーの相棒〉ポジションを確立させた作品。ヒマな時は女を口説いてばかりいるハンサムな優男だが、本書では銃弾を5発も食らいながら荒事と脱出劇を同時にこなす。ミステリ的には計画漏れによる犠牲が逆に彼の生存に繋がる、塞翁が馬ぶりが見どころだろうか。 序盤と〆は主人公のパーカーが無駄のない行動でバッチリ押さえているが、第三部後半からは脇役たちのサバイバルもどきになる異色の展開で、採点はギリ7点。ただしスマートさに欠ける分読み応えはある。 |
No.569 | 7点 | それまでの明日 原尞 |
(2021/08/25 21:42登録) 11月初旬のある日、西新宿のはずれのうらぶれた通りにある〈渡辺探偵事務所〉を、望月皓一と名乗る紳士が訪れた。消費者金融〈ミレニアム・ファイナンス〉で新宿支店長を勤めているという彼は、融資が内定している赤坂の老舗料亭〈業平〉の女将・平岡静子の身辺調査を依頼し、内々の事なので極力連絡は控えてくれと言い残し去っていった。 だが調べるとすぐ、静子が今年の夏の初めに膵臓癌で病死した事実が判明する。顔立ちのよく似た妹・嘉納淑子が跡を継いでいるというが、調査の対象は先代の女将・静子なのか、それとも妹の淑子なのか? 私立探偵・沢崎は望月支店長と連絡を取ろうとするが、電話はいずれも空振り。最後の手段として〈ミレニアム・ファイナンス〉新宿支店に張り込む沢崎だったが、彼はそこで折悪しく発生した強盗事件に巻き込まれてしまう・・・。 切れのいい文章と機知にとんだ会話。どれだけ時代が変わろうと、この男だけは変わらない。14年もの歳月を費やし完成した、チャンドラー『長いお別れ』に比肩する渾身の一作。 『愚か者死すべし』より十三年四ヵ月を費やし、2018年に上梓されたシリーズ長篇第五作。著者七十二歳の時の作品だが、時間を掛けただけあってなかなかの出来。前作にあった不自然さや臭みも取れ、かつての香気が戻ってきていいる。 ネット公開されている〈著者あとがき〉(https://www.hayakawabooks.com/n/n8aca92e80979)には、本書で沢崎の助手を務める若者・海津一樹の存在感が日に日に著者の中で増していった事が記されているが、〈沢崎に負けないだけの存在感を持つ副主人公〉の設定は本シリーズでも初。抜け目なさと爽やかさを併せ持つその魅力で、作者にとっても特別なキャラクターとなったようだ。〈あとがき〉の最後には続篇として、『それからの昨日』なる仮題を編集者と選んだことが記されている。本書がシリーズ最終作となるおそれもあるので、二人が再び読者の前に姿を現すかどうかは分からないが。 上記の事件で強盗の説得に成功し、その後幾度かの邂逅を経て疑似親子関係とも言えるコンビを組む事になる沢崎と海津。警察立会いの元開かれた支店の金庫からは、ジュラルミンケースに詰まった四億から五億になんなんとする札束が姿を現し、滞りなく帰社する筈だった支店長はそのまま行方を晦ます。更に賃貸マンションの浴室のバスタブには、同居人の男の死体が浮かび・・・・・・ 果たして望月皓一はどこに消えたのか、沢崎への依頼の真の目的は何か、また金庫の札束が意味するものは? 事件を覆う暴力団の影、動き出す〈清和会〉の橋爪、そして錦織警部の再登場と、充実した内容と円熟の筆致で、評価は『さらば長き眠り』に次ぐ7点。 |
No.568 | 6点 | 刺青物語 高木彬光 |
(2021/08/24 21:09登録) 雑誌「野生時代」昭和五十二(1977)年十一月~昭和五十四(1979)年一月に掲載された、名人刺青師(ほりものし)二代目彫宇之語る歴史秘話を軸に、初期の好篇「ぎやまん姫」他を付け加えて贈る小品集。収録作は年代順に ぎやまん姫(消え行く女体)/刺青師の性―弁天娘女男殺絵(べんてんむすめめおのころしえ)/観音江戸を救う―新門於芳御閨譚(しんもんおよしおねやばなし)/毒婦の皮―高橋於伝刺青譚(たかはしおでんほりものばなし)/毒婦の鑑―人穴於糸仇討譚(ひとあなおいとあだうちばなし)/花男日本を救う―弁天於雪出世譚(べんてんおゆきしゅっせばなし)。各題を見れば分かるように、ほぼ歌舞伎調で統一した刺青綺譚集である。 この時期他に執筆されたのは『巨城の破片・万華の断片』や、伝記小説『大予言者の秘密』など。著者のこの手の作品には、オール青のハードカバー長編推理小説全集①で代表作『刺青殺人事件』とカップリングされた『羽衣の女』があるが、そちらにも手を出したくなるようないい本で、ストーリーテラーとしての高木の持ち味が存分に発揮されている(なお『羽衣~』は、二代目彫宇之の代表作といわれる天女像を背中一面に施した羽衣お小夜=鈴木富士子の生涯を描いたノンフィクションらしい。「いれずみ無残」のタイトルで昭和四十年代に映画化もされたそうだ)。 さて本編。維新まぎわ浅草一帯を縄ばりにしていた火消「を組」の鳶頭・新門辰五郎が、将軍慶喜に娘お芳を輿入れさせたぐらいは知っていたが、元勲黒田清隆が秘かに高橋お伝の刺青を入手していたとか、大西郷の実弟従道が背中一面に花和尚魯智深大蛇退治の刺青を彫っていたとかは初耳、これを岡本綺堂『三浦老人昔話』張りの語り口でやるので実に興味深い。題材が題材なので犯罪実録風のものもあり、ことに「毒婦の鑑~」における外連たっぷりの毒々しさは歌舞伎の悪婆めいている。 同系列の「刺青師の性~」は〈作者後記〉にあるように、雑誌「別冊小説宝石」昭和四十八(1973)年六月号に、以前評した小泉喜美子の短篇「青い錦絵」と競作する形で同時掲載されたもの。鮮やかさで前者に劣る分、立板に水式の名調子や「四谷怪談」をミックスさせてさすが第一人者といった所を見せている。女性作家と妙な繋がりがあるのもフェミニンな高木らしい。 トリの「ぎやまん姫」は山田風太郎「蝋人」風の怪奇譚。調べると発表年も一年弱と近いので、風太郎のそれに刺激を受けて執筆したものだろうか。ガラス窓の一枚もない奇妙なお屋敷・殿村子爵家に奉公に上がった女中スミの回想を、巧みに刺青と絡ませて綴った完成度の高いアンソロジー級作品である。本書の中ではこれがピカイチ。 以上全六篇。200P余りと薄手だが、それに比して密度はかなり高く6.5点級。 |
No.567 | 7点 | 外道忍法帖 山田風太郎 |
(2021/08/22 10:48登録) 島原の乱から十二年のちの慶安三(1650)年春、〈山屋敷〉と通称される江戸小日向茗荷谷の切支丹牢に、三つの軍鶏籠が運びこまれた。この処置はおよそ六十五年前の天正十三(1585)年三月十三日、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信らキリシタン大名の名代たる四人の遣欧少年使節に下賜された、大画家チントレット描くところのマリア十五玄義図と教会建立・宗門弘布のための資金を見つけだすため、最悪の背教者・沢野忠庵こと元イエズス会長崎管区長、クリストファ・フェレイラが幕府に懇請したものであった。 切支丹がこの国に公然満ちひろがる日まで、十五玄義図のマリア様と百万エクーの金貨を三百十三年間護りつづけてゆくという聖なる十五童女。その体内には秘宝の手がかりとなる純金の鈴が秘められ、四使節の最後のひとりジュリアン中浦からフェレイラにわたされた青銅の十字架をうちふれば、それと共鳴りを発するのだという。 大友宗麟の曾孫・天姫を奉じ、切支丹忍法を使うという十五人の童女はどこに隠れているのか? 老中・松平伊豆守信綱が選びぬいた幕府の探索隊は侍臣・天草扇千代を頭領とする天草党伊賀忍者十五人、早くも青銅の十字架を奪い金貨奪取を狙う、牛込榎町の大道場張孔堂のあるじ由比民部之介正雪が繰り出す甲賀卍谷忍者も十五人、長崎と島原を舞台に三つの集団の壮絶な死闘を描く、風太郎忍法帖の極地! 『忍者月影抄』に続くシリーズ第六作で、雑誌「週刊新潮」に昭和36(1961)年8月28日号~翌昭和37(1962)年1月1日号まで連載。年譜によれば前作および『忍法忠臣蔵』、加えて現代ミステリ『棺の中の悦楽』もコレと並行する形で進めており、本書のキ○ガイ趣向を考え併せれば正気を疑う他は無い(前昭和35(1960)年は割と控えめなので、この間にアイデアを蓄積していたのかもしれないが)。大友忍者+天草衆+張孔堂隠密組各15名×3に沢野忠庵や大友天姫も加わり、さして長くもない紙幅の中50名近くの異能者たちが殺し合うというとんでもない小説。無茶もいいところで、風太郎フォロワー数ある中にも本書のオマージュを試みた作家は当然皆無である。 そういう訳で正直不安だったのだが、読み進めるとなかなかのもの。風頭山の紙鳶揚げからはじまって松森天神からペーロン船、唐人屋敷に出島、雲仙に舞台を移して千々岩の浜辺に地獄谷山中、おくんち祭りに切支丹牢、原城の廃墟にクライマックスの有明海と巧みに長崎の風物を取り込みつつ、十五童女たち各々の正体にも細かな工夫を凝らし健闘している。登場人物の多さゆえある程度のパターン化は否めないが、全篇に初期忍法帖特有の熱気が横溢しており水準以上の出来。メインの扇千代と天姫を巡る悲恋の物語として、作品に太い筋が通っているのも大きいだろう。最後の一節により前代未聞の殺戮劇に深い意味を持たせているのも心憎い。 |