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ミステリの祭典

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神曲―左甚五郎と影の剣士

作家 白井喬二
出版日1972年01月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点
(2021/09/01 06:52登録)
 ふるさとの摂津を出てはや数年、江戸の名人彫刻師としてめきめき売り出してきた小島町の左甚五郎。このたび若年寄・小田伊勢守よりある人物の似顔絵を元にした〈似顔の貘〉の注文を請け負うが、どうも雲行きがキナ臭い。伊勢守にはある政治上の企みがあり、相手の方はこれを機に似顔の人物の追い落としと、仕事の妨害を図っているようなのだ。
 中本芳崖と名乗る人物に手本となる獏図の載った「群獣図鑑」を騙し取られた甚五郎は逆に心を決め、「ままよ」とばかりにこの神秘彫りを一世一代の腕だめしにしようと決意するが、ある日出合った若侍・十太郎の顔が例の似顔絵と生き写しだった事から、二人は奇妙な縁で結ばれてゆき・・・・・・
 『富士に立つ影』で知られる大衆文学の巨峰・白井喬二が、読者の熱望に応え齢八十三歳にして書き下ろした最後の時代長編。
 昭和四十七(1972)年発表。江戸川乱歩・国枝史郎・直木三十五・長谷川伸らと共に大衆作家の親睦会・二十一日会を結成し、大正期から昭和の大戦前にかけ歴史・時代小説の重鎮として活躍した著者が、「もう一度あの頃の小説が読みたい」との声に応じ最晩年に物した作品。だがかつて『富士に立つ影』のいい加減な考証で三田村鳶魚翁をブチ切れさせた人だけあって、本書の大法螺も相当なもの。代表的なものを挙げれば時の将軍は四代家綱とされるのだが、彼の治世は慶安四(1651)年からで、史実の左甚五郎が讃岐高松で没したとされるのもちょうどこの頃。当然、三月十七日の吹上上覧祭で将軍の御見に預かった甚五郎中期の傑作「かんばせ」などは存在しない。幕府草創の元勲大久保忠隣の孫で十全剣法の使い手・森十太郎の存在とともに、嘘八百を承知で書いたおおらかなフィクションと思われる。
 〈今の小説は緊迫して何となくトゲトゲしく、情痴過多。あのころの想像力に富んだおおどかさが欠けている〉〈この主旨にのっとり戯作(カルマ)法悦の世界を展開しようと心懸けた〉という白井翁の言葉通り、ストトントンと明朗かつ調子の良い文章で物語は進んでゆく。十太郎の義理の叔父で当代一の権力者・酒井常陸守直助の追い落としや江戸の地所買い占めなど、権力と金の絡んだキナ臭い陰謀も出てくるが、公平無私の十全剣は絶対なのでそんなものは皆吹っ飛ばす。叔父の常陸守に切腹を申し付けられても、「わしはッ切腹することは止めにするッ」と言いざま土壇場でふわりと飛んで逃げてゆく。『富士に~』の名主人公・熊木公太郎を彷彿させる闊達さで、デタラメというか天衣無縫である。
 そんな彼らが何に悩むかと言えば芸の道。甚五郎は彫刻道の新境地を拓く大作「かんばせ」の完成に、十太郎の方は甚五郎への好意と彼の妻・お修に寄せる恋の矛盾の解決に加え、万能の極、空白無敵の境地をそれと両立させるため身魂を尽くす。これらの芸道要素をメインに上品かつユーモラスに纏めた小説で、採点は若干プラスして5.5点ぐらい。

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