home

ミステリの祭典

login
雪さんの登録情報
平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.406 5点 黒いヴァイキング
谷恒生
(2020/08/29 11:40登録)
 南米大陸全土を、旧ナチスのUボートを駆って神出鬼没に荒らしまわる謎の強盗団――黒いヴァイキング。目撃者の話によるとかれらは黒塗りのオートバイで疾風のように現われ、銀行や宝石店を襲い金品を強奪、各地の過激派解放組織に重火器をはじめとした武器を調達しているという。
 他方、雑多な国籍の食いつめ船員が乗りこみ、ヴァイキングの影が蠢く騒乱直前のペルーへ向かう全長二七〇メートル、八万二〇〇〇噸の大型石油タンカー、パシフィック・エンジェル号。この船の一等航海士に雇われた左門悠介は寄港地ロング・ビーチで罠にはまり脅迫され、鋼鉄の箱を船に積みこまされる。そして出航直前、ペルー寄港を渋る英国人船長ターナーの溺死体が港に浮かんだことから、左門は急遽船長に昇格させられた。陰謀渦巻く中、彼を待ちうけていたものは……
 巨大な利権に各国の政治状況が複雑にからみ、欲望がぶつかり合う。雄大なスケールで展開する長編海洋アクション。
 昭和五三(1978)年六月一二日から同年一一月二五日まで「報知新聞」紙上に連載され、加筆・修正を加えたのち翌年四月二五日に刊行された、谷恒生の第6長編。船戸与一『山猫の夏』とほぼ同時期の発表で、内容的にも共通するものがありますがあまり出来は良くありません。
 豊富な国際知識や実体験から来る航行描写は流石の一言ですが、大筋や真相は通俗風というかカキワリ的。主人公は左門悠介単独ではなく、彼の旧友で総合商社・丸池物産のロサンジェルス駐在員・織口駿との二頭立て。CIAやペンタゴンを操り南米ゲリラともコネクションを持つ超エリート貿易マン・加賀山健吾の策謀を軸に、国際商社の駒として動かされる部下の織口と、罠に嵌められた左門の反撃が交互に描写され、騒乱の巷となったリマで両者の軌跡が交わり決着します。
 ダブル主人公はいいんですが、織口・左門共に状況に乗せられた感が強く、そんな所に虐げられたインディオの悲願とかブチ挙げられてもちょっとピンと来ません。『北の怒濤』と違ってキャラクターの芯になるものが弱いですね。まだ前者は船長のプライドがあるからマシですが、後者は只の商社マンで流されてるだけ。単なる背後関係の説明役に過ぎないので、作劇としてこれは不味い。むしろ織口は捨てて、お目付け役としてタンカーに乗り込むルイシー・アレンや、ミューロー二等航海士にもっと比重を置けば良かったと思います。
 1980年に二ヶ月間インドシナ半島を放浪してから作風が変わっていくそうですが、読んだ感触では本書あたりから既に濫造の気配があります。冒険小説以外にも推理アクション・伝記小説・架空戦記・時代小説と書き飛ばした作家ですが、読むに耐え得る作品は予想より少ないかもしれません。


No.405 8点 曲った蝶番
ジョン・ディクスン・カー
(2020/08/27 16:43登録)
 一九三八年夏、イギリスのケント州。二十五年近くもアメリカのコロラドで暮らし、一年と少し前に帰国して少なからぬ遺産とマリンフォードおよびスローンの領地を相続した准男爵、サー・ジョン・ファーンリー。だがそこに彼は詐欺師の成りすましであって、自分こそが本物のジョン・ニューナムだと名乗る人物が現れた。
 彼の主張によると一九一二年四月十五日の運命の夜、自分は氷山に衝突して沈みつつあるタイタニック号の中で、今はジョン・ファーンリーと名乗っている少年に襲われ、怪我はしていたがまだ息のあるところを発見されて最後の救命ボートに押しこまれたらしい。船中で意気投合した二人は事故直前に身の回りの品一切を交換しており、ありふれた日常にうんざりしていた自分はそのままサーカスの経営者ボリス・エルドリッチに拾われ、少年の名を継いだ新たな存在、パトリック・ゴアとなってアメリカのサーカスで大々的な成功を収めたのだという。
 イギリス巡業で手にした安新聞の写真で兄の死と、跡継ぎになりかわろうとした小僧の生存を知り、ペテン師の化けの皮を剥ぐために故郷に帰ってきたとゴアと名乗る男は言った。おとなしく引く気がないならそれでもいい。こちらには指紋という、疑う余地のない証拠があるのだと。ゴアと事務弁護士のウェルキンはバミューダに逼塞していたジョンの元家庭教師、ケネット・マリーを呼び、彼は沈没前に准男爵家の人々から採取した指紋帳を持ってこちらへむかっているのだ。
 ジョンとモリーのファーンリー卿夫妻、顧問弁護士のナサニエル・バローズ、そして立ち会いに呼ばれた作家のブライアン・ペイジ。彼らの見守る中、到着したマリーはふたりの相続権主張者から指紋を採り、結果が出るまで皆を読書室から締め出してしまう。早ければ十五分ほどで全ての決着がつくはずだった。
 だがそのわずか十分後准男爵サー・ジョン・ファーンリーは、イチイの垣根に囲まれた庭園の迷路の中で、喉を切り裂かれ池にうつ伏せになった死体として発見される。そして混乱の中読書室からは、何者かによってマリーの指紋帳が盗まれていた――
 『死者はよみがえる』に続くフェル博士シリーズ第九長篇。1938年発表。この年には両作の他に『ユダの窓』『五つの箱の死』等が発表されており、『火刑法廷』以下四長篇を執筆した前1937年、『緑のカプセルの謎』『読者よ欺かるるなかれ』以下三長篇を刊行した翌1939年と併せ、作者が質量伴う最盛期にあったことが推察されます。
 腰までの高さしかない迷路そっくりの垣根の中で起こった殺人で、オープンな密室では『囁く影』と並ぶ出色の設定。目撃者はいても、被害者の死亡直前の奇妙な動きだけがクローズアップされ、誰も犯人の姿を見た者はいない。凶器のポケットナイフは睡蓮の池から十フィートばかり離れた垣根に押し込んであった。いくぶん荒唐無稽な自殺か、それ以上に不可能な他殺か。
 七月二十九日水曜日から三十一日金曜日までの三日間の出来事を扱ったもので、一日ごとの三部構成。"どちらが本物のジョン・ファーンリーなのか?"という人間入れ替わりを巡る謎から一転し、不可能犯罪を扱う第二部以降では俄然、ファーンリー家に伝わる悪魔崇拝の儀式書や、十七世紀にチャールズ二世の宮廷で披露された機械仕掛けの自動人形《金髪の魔女》などがクローズアップされ、事件を覆う怪奇性が強くなっていきます。
 垣根か植え込みから聞こえてきた《ガサガサという音》。「ガラス戸越しになにかから見られているような」という証言。地面で飛び跳ねていたという素早い動きの"なにか"。姿を消し、指紋帳を手にして床に横たわったまま発見されたメイドのベティ。そして死んだジョン・ファーンリーが魘されていた「だんだん曲がっていく白い蝶番」のイメージ。これらの諸要素が一体となって、異様な迫力を持つ真相へとなだれ込んでいくその見事さ。終幕直前、モンプレジール荘の窓からすぐ先の暗闇に、ファーンリー邸の自動人形が座っている場面には思わずゾクッと来ます。
 解決も事務弁護士バローズの仮説、フェル博士がキーパーソンを追い込むために組み立てた偽の推理、そして犯人から博士宛に送られた手紙による告白と三段構え。偽証は確かに問題ですが、あの証人がいなくても不可能性は成立するので特に問題は無いかと。むしろ完全なる目撃者がいないと決着不可能な事件なので、そのために用意された存在でしょう。これも含めてカーが一番苦労したのは、作品全体の構造と緊密に結びついた犯人像の設定だと思います。
 出来は『緑のカプセルの謎』とほぼ同格で、〈2012年版東西ミステリーベスト100〉選出の『火刑法廷(10位)』『三つの棺(26位)』『ユダの窓(35位)』『皇帝の嗅ぎ煙草入れ(69位)』に『ビロードの悪魔』をプラスした、カー/ディクスン名義のベスト5に次ぐ作品。ディテクション・クラブの重鎮ドロシー・L・セイヤーズに捧げられている事でも分かる通り、カー絶頂期の自信作です。


No.404 6点 顔のない肖像画
連城三紀彦
(2020/08/27 06:46登録)
 『落日の門』に続く、著者24番目の作品集。『夜よ鼠たちのために』と同じく、雑誌「週刊小説」に掲載された7編のみの短編集でもある。なお同誌に発表された作品は全部で13編あり、この二冊が全て。巻頭の「瀆された目」こそ『少女』『瓦斯灯』収録作品とほぼ同時期にあたるが、他は1988年1月から1993年1月まで、前半は『萩の雨』や『新・恋愛小説館』といった作品、後半は『落日の門』『紫の傷』『美女』など、再びトリッキーな短編にトライしていた頃に集中している。長編では講談社の叢書書き下ろし作『黄昏のベルリン』から『美の神たちの叛乱』を経て、『牡牛の柔らかな肉』『終章からの女』に至る時期。
 内外とも同趣向の多い「美しい針」やタクシー強盗を扱った「路上の闇」、後半でも「孤独な関係」はあまり推奨できないが(とはいえサラリと電話での会話のみで物語を成立させていたりする)、誘拐物の「ぼくを見つけて」など、中にはぶっとんだ作品も混ざっている。特に表題作の奇想はとんでもない。
 終戦後の画壇の復興期に突如現れ、十年後にはその死とともに消えていった火花のような画家・萩生仙太郎。狭い画廊の展覧会で少女の肖像画に見入っていた美大生・旗野康彦は画家の未亡人に呼び止められ、彼女の代理としてあるオークションへの参加を依頼される。それは萩生の絵に執着していた日本財界トップスターの一人・弥沢俊輔秘蔵の三十二点を競るオークションで、幻の傑作と言われている最後のころの『地平線』も出るのだという。
 康彦が依頼されたのは、彼が見入っていた『顔のない肖像画』の真作の落札。ずっと手をあげつづけ、たとえ一億を超したとしても必ず競り落として欲しいという。彼は未亡人の頼みを引き受けるが、やがて彼女が百万の金も自由にはできず、生活費にも困る有り様であることが明らかになってくる。しかも康彦の母方の祖母は、萩生仙太郎の愛人であった。これは夫を誘惑した女への、美しい老女の間接的な復讐なのだろうか? 彼は不安を抱えつつオークション当日を迎えるが・・・
 実際上のリスクなどかなりの無理があるとはいえ、これは連城短編の中でも傑作。最初は意味が掴めず何度か読み返した。90年代はミステリから遠のいていたイメージのある連城だが、本作などキレッキレである。やはり実際に読んでみないといけないなあ。ここまでちょっと弱かったけど、最後に来て満足。
 次に来るのは夫殺しを巡り妻と愛人とがせめぎ合う「夜のもうひとつの顔」。二重底だけどこれも平凡かなと思っていたら、ラスト近くで大きくひっくり返される。第三位は初期作らしく担当医の患者レイプ事件を扱ってトリッキーな「瀆された目」か「ぼくを見つけて」。後者は創元推理文庫『落日の門 連城三紀彦傑作集2』にも収録されている。全体的には玉石混淆といった感じで、採点は6.5点。この人の短編はコンスタントに水準以上が続くので、どうしても点が辛くなってしまう。


No.403 6点 暗殺教程
都筑道夫
(2020/08/24 18:14登録)
 昭和四十(1965)年十月七日から昭和四十一(1966)年三月三十一日にかけて全26回にわたってテレビ朝日系で放映され、後の『キイハンター』『Gメン75』へと続く東映アクションドラマの原点となった特撮スパイアクション、『スパイキャッチャーJ3』の原作。香港移住民の集団失踪事件を追う"The Undercover Line of International Police(国際警察秘密ライン:通称チューリップ)"日本支部のトップ・スパイキャッチャー、J3こと吹雪俊介と、"The International Group of Espionage and Revolt(国際謀略反乱グループ:通称タイガー)"との、目まぐるしく攻守の入れ替わる諜報戦とアクションシーンを描くアタック・アンド・カウンター・アタック・ストーリイ。
 田中小実昌・山下諭一・中田雅久など翻訳ミステリ雑誌「マンハント」のメンバーと共にフォーマットづくりを行い、都筑が執筆したワンクール分のエピソード十三本(ほぼお蔵入り)を流用し、雑誌「F6セブン」依頼のアクション小説に仕立て直したもの。連載時期も四十年の年末から四十一年にかけて全三十六回と、ドラマ版とほぼ同じ。『三重露出』の次作で、都筑道夫名義では九冊目の長篇小説。初期の先鋭的な長篇群から離れ、中期に入って『夢幻地獄四十八景』などのショート・ショートに傾注し始めた頃の作品にあたります。
 名神高速道路上での銃撃戦を皮切りに、中京大学移転先での鬼ごっこに加え戦車との対決、日本支部に隣接したカジノでのギャンブル、さらにヘリコプターを追い東京湾の芝浦へ、続いて磐梯山麓スキー場での死闘のあと、コンクリート・ミキサーとブルドーザーに前後を挟まれ銃撃戦と、かなり展開は派手め。ふざけた組織名の割に、Jメンバーはベテランから若手までしょっぱなからバンバン殉職。マーティン(貂)やパンサリス(女豹)など、動物名のついたタイガー暗殺者を幾人か倒すものの、全体の2/3が経過するまでは肝心の暗殺計画も防ぎきれず、敵組織にはずっと押されっぱなし。主人公・吹雪俊介が日本を離れ、そもそもの発端である香港の地へ飛ぶことでやっとチューリップサイドの巻き返しが始まります。
 タイガーの足跡を追って香港→マカオ→香港、さらに潜水艦で瀬戸内海の無人遊園地に移動した後メンバー総動員で決着。作者の自信作だけあって、アクションや小道具にプラスしてミステリ要素も組み込む凝り様。ただタイガー側が余裕綽々というか詰めが甘過ぎて、今読むと少々緊迫感に欠けるのが難かな。ある意味007系の王道ですが、アクション小説としては『なめくじに聞いてみろ』や『紙の罠』より格落ちします。イアン・フレミングは全然消化してないんで比較できませんが、読んだ中では本書より望月三起也『秘密探偵JA』の方が好み。アッチの方がハッタリ利いてて面白いです。


No.402 6点 メグレと政府高官
ジョルジュ・シムノン
(2020/08/22 21:16登録)
 その夜、家に帰ってくるとメグレ警視は、公共事業省大臣のオーギュスト・ポワンから電話があったと夫人に告げられた。至急会いたいという。メグレは指定されたパストゥール大通り二十七番地のアパルトマンに出向くが、そこで途方に暮れるポワンが語りだしたのは、一ヵ月前から前から新聞をにぎわしているクレールフォン事件に関するものだった。
 クレールフォンの大惨事――それはオートサヴォア県にある恵まれない子どもたちのためのサナトリウムが崩壊し、百二十八人の子供の生命が奪われた痛ましい事故だった。サナトリウムを建てた土建請負会社の社長アルチュール・ニクーは上流社会の人間として振舞い、文学・芸術・政治の世界で重要な人々をサモエンヌに招待していたが、ポワンもその中の一人だった。単なる招待客で、ニクーと特別な関係がある訳ではなかったが。
 昨日の午後、国立土木大学の学生監ジュール・ピクマールと名乗る男がポワンの元に現れ、彼が総理の命を受けて探していた故カラム教授の報告書を託して去っていった。通称《カラム・レポート》と言われるそれは、応用力学の権威者ジュリアン・カラム教授が事前調査にたずさわった時のデータで、その中で教授はあの大惨事が起こることを予告しているという。悲劇が起きた今それが公表されれば、政界すべてを巻き込む爆弾になりかねない。ところがそれが、わずか一日のあいだに紛失してしまったのだ。
 朴訥なポワン大臣にある種の共感を覚えたメグレは、証拠湮滅の汚名を雪ぐため非公式に事件を引き受ける。彼の不得意な政治的事件。果たしてメグレは犯人を探し出し、消えたレポートを発見できるのか?
 『メグレと若い女の死』『メグレと首無し死体』の間に挟まる、シリーズ第74作。1954年発表。シャーロック・ホームズものの「海軍条約事件」と同じく機密文書の行方を巡る謎ですが、メグレはホームズとは違うのでケレン味たっぷりの小芝居とかはありません。地道な捜査の末に、ややビターな決着を迎えます。
 傑作に囲まれた円熟期の作品ですが、出来は標準かややその上くらい。サクサク読めるとはいえそこまで魅力的な人物は登場しません。間違って政界入りした感じのオーギュスト・ポワンとの遣り取りに、ほのかな温かみを感じるくらいでしょうか。
 ヴァンデ県ラ・ロシュ・シュール・ヨンの弁護士で、イギリスのスパイや捕虜収容所からの脱走兵をかくまっていたことからドイツ軍に逮捕され、地元の信望を得て国民議会議員となった人物。出身階級や年齢、体つきもメグレと同じくらいで、作品中では何度もお互いに〈兄弟のように似た人間と向きあっているような印象〉を受けています。元々気が進まないこともあり、彼の頼みでなければおそらく初めから承諾しなかったでしょう。
 総理直属の国家警察総局も動き回る中、手元の情報を整理しつつ慣れない捜査にあたるメグレ。《カラム・レポート》の存在を掴んだとおぼしき政界フィクサーの動きから犯人にアタリを付け、一気に隠れ家に踏み込みます。
 レポートを利用して罠を仕掛けた黒幕に深みがあればもっと良かったかな。全体の図式はそこそこですが、描写はあっても面白くない類の人物なのでまあ仕方無いか。でもレストラン《フィレ・ド・ソール》での両者の対峙には、なかなか緊張感があります。


No.401 8点 夢みる宝石
シオドア・スタージョン
(2020/08/19 03:30登録)
 不思議で複雑な輝きを放つ目を持つパンチの人形、ジャンキーと一緒に孤児院から、判事に立候補したアーマンド・ブルーイットに養子としてひきとられたホーティ少年。だがそこに愛は無く、アーマンドに折檻され左手の指を三本失ったホーティはそのまま家から逃れると、たまたま町を訪れていたカーニヴァルの小人たちに拾われる。彼は一座の花形である小人のジーナの妹・キドーとして、そのままカーニヴァルに受け入れられることになった。
 ジーナに導かれ、彼女独自の教育を受けて生まれてはじめて世界の一部となったホーティ。白痴の一寸法師に鰐男ソーラム、双頭の蛇や毛のない兎、踊り子や火食い芸人。彼を取り巻き千篇一律のごとく過ぎ去る興奮と神秘のシーズン。だが"奇妙な人間たち(ストレンジ・ピープル)"ばかりを集めたカーニヴァルのボス、〈人食い〉ことピエール・モネートルは、人類のすべてを憎むと同時にある邪悪な企みを抱いていた。そして彼はその望みを叶える為に不思議な能力を持つ水晶、宇宙から地球へ漂流してきた生きている宝石を集めていた。そう、ちょうどジャンキーの目に嵌めこまれていたような美しい石を――
 1950年に発表された異色のSF作家、シオドア・スタージョンの処女長篇。「水晶が夢みるとき、土の塊から花や昆虫が、小鳥や犬が、そして人間が生まれる」とカバー裏の紹介にある通り、ジーナの教育によって膨大な知識を得た水晶人(クリスタライン)ホーティと、邪な目的のために彼を操ろうとする〈人食い〉、故郷の町でただひとり優しくしてくれた少女ケイ・ハローウェル、そしてケイを脅迫し彼女を愛人に加えようとするホーティの元義父ブルーイット遺言検認判事。〈人食い〉とホーティの対決を軸にして各々の運命が絡み合い、グロテスクな美しさを持つストーリーが進行していきます。
 ジーナがホーティに与えた数々の本の中にレイ・ブラッドベリの『火星年代記』がありますが、文庫版あとがきではそのブラッドベリ自身、「息苦しいほどの嫉妬心に駆られてスタージョンを眺めていた」ことが記されています。文章の流麗さ、比喩の美しさに加えて時に目眩を、また転じては嘔吐すら抱かせる感覚的な文体は、ハードボイルドの雄、レイモンド・チャンドラー位しか比肩するものはいません。
 そのようなスタージョンの特質が端的に現れたのが物語の中盤、成長したホーティがブルーイット判事に報復する場面でしょう。イギリス版〈アーゴシイ〉に掲載された短篇出世作「ビアンカの手」や「考え方」「死ね、名演奏家、死ね」に見られるような、異様な思考形態が読者を戦慄させます。ストーリー自体は感動を呼ぶものでありながら、一方で読者を輾転反側させるのがこの著者の魅力。王道ながらそれに留まらぬ異質さも併せ持っています。
 フレドリック・ブラウン『火星人ゴーホーム』と合本で世界SF全集に収録されていた程の作品ながら、現在は絶版状態。古書価も徐々に上がっているようです。再版してほしいけど今のハヤカワではまず無理かな。しばらく古書漁りもやってないんで現時点での難度がどのくらいかは分かりませんが、たまたま目に付いたら確保しておく事をお勧めします。


No.400 8点 マルドゥック・スクランブル
冲方丁
(2020/08/17 08:49登録)
 "天国への階段(マルドゥック)"と呼ばれる螺旋階段をモニュメントに掲げ、無限の上昇志向をもって昇る者に祝福を与える近未来都市、マルドゥック市(シティ)。ある夜少女娼婦ルーン=バロットは、パトロンを務めるギャンブラー、シェル・セプティノスの手でエア・カー内に閉じ込められ、生きながら火葬されてしまう。シェルはA10(エー・テン)記憶抹消手術の後遺症から、定期的に少女たちを手に掛けずにはおれないシリアルキラーだったのだ。バロットは焼却寸前、辛くも事件を追っていた委任事件担当捜査官チーム、ウフコック・ペンティーノとドクター・イースターに救助されるが、その代償に全身の皮膚と声帯を失ってしまう。彼女は人命保護を目的とした緊急法令「マルドゥック・スクランブル-09(オー・ナイン)」の施行により、法的に禁じられた科学技術の提供を受けて蘇生するのだった。
 殺人未遂事件そのものの不成立を目論むシェルは、生命保全プログラム自体の抹消を狙いウフコックのかつての相棒、ディムズデイル・ボイルドをバロット抹殺に差し向ける。ボイルドの尖兵として彼女を襲うアンダーグラウンドの元軍属集団、バンダースナッチ・カンパニー。だが金属繊維による人工皮膚の全身移植を施され、空間把握に驚くべき適正を見せるバロットは刺客たちを手もなく屠り、逆に力に溺れて万能兵器(ユニバーサル・アイテム)たるウフコックを乱用し始める。バロットの干渉を拒絶するウフコック。そしてパートナーを失い恐怖に怯える彼女の前に、遂に〈生きた虚無〉ボイルドが現れた・・・
 ウフコックの必死の活躍により再度救助され、全ての根源である隔離された研究施設《楽園》で目覚めるバロット。彼女は己の過ちを償う為、また再びウフコックとの絆を結び直す為あえてリスクを犯し、無条件に世界中のコンピューターと繋がる通信基幹、《楽園》の情報プールにダイブする。プログラムを追って電子情報の海で掴んだシェルの脳内記憶には、記録媒体に転写された記憶それ自体が分割され、彼が代表取締役として君臨するカジノ『エッグノック・ブルー』の所持する四つの百万ドルチップに保管されているとあった。
 バロットはウフコックを携え、ドクターと共に一路カジノへと向かう。生存を選択し、今度こそ100%の答えを出すために――
 2003年度第24回SF大賞受賞作。1996年、著者のデビュー当時からコツコツ書き続けられていた作品で、2003年5月~7月にかけてスティーヴン・キング『グリーンマイル』同様、毎月一冊書き下ろしという破格の形式でハヤカワ文庫JAより刊行されました。その後も改訂新版・完全版と数度に渡って手直しされています。今回は改訂新版一冊本で読了。
 〈サイパーバンクを強く意識した作品〉だそうですが、そこらへんは詳しくないのでよくわかりません。バロットの駆使する"電子撹拌(スナーク)"、ボイルドが体内に埋め込まれた装置を発展させて用いる"重力操作(フロート)"。過去と現在に於て、人語を解する金色のネズミ型万能兵器=ウフコックの遣い手となった、彼ら二人の山田風太郎的電脳アクションが軸となり物語は展開していきます。
 これだけなら多少捻ったとはいえよくある話なんですが、本書をオンリーワンの存在にしているのは何といっても中核を成す〈カジノ篇〉。二部中盤から三部後半にかけてギャンブル一辺倒。三巻本の2/5、しかもクライマックス部分を追いやり全体のバランスを崩さんばかりの勢いで、ホテルにカンヅメ状態の著者冲方が何度も執筆中に嘔吐したという、緊迫感に満ちたディールが繰り広げられます。
 人為的に超常の力を得たバロットの前にボイルド以上の壁となって立ち塞がるのは、熟練のショーギャンブラーとはいえ〈ただの人間〉たち。いや熱いね! 読み合いと心理戦、シェルの記憶チップを掴む為のみならずこれまでの人生全てを賭けた〈選択〉を行い、劇的な成長を遂げるルーン=バロット。ルーレットと最終勝負のブラックジャックで彼女に相対するのは、凛然たる名スピナー、ベル・ウイング。そしてカジノ『エッグノック・ブルー』が誇る最強無比のディーラー、アシュレイ・ハーヴェスト。

 バロットの九度目の勝ちだった。掛け金はポットから溢れんばかりになっている。だが、まだだった。100%の答えではないのだ。この男に匹敵するだけの、自分だけの100%の答えを出さねば、最後の瞬間も勝っているとは到底思えなかった。
 (中略)一瞬のバランスの喪失が、止まらぬ転落を招くのはわかっていた。"天国への階段(マルドゥック)"は、転落するとき以上に、昇るときこそ人に恐ろしい苦難を与えることをバロットはこのとき初めて思い知った。

 「俺は今、勇気を見た。謙虚を見た。俺の目の前で誰かが完全に勝つのを初めて見た」

 ラストのボイルド戦もいいんだけど、一対一でのギャンブルが〈精神の血〉を流す魂の削り合いであると教えてくれる、カジノ篇の凄みには敵わないなあ。連載中の『マルドゥック・アノニマス』は、果たしてこれを越えられるんだろうか。プレイヤー系作品では内外通じてトップクラスの仕上がりで、キリ番採点は8.5点。


No.399 6点 キス
エド・マクベイン
(2020/08/13 11:30登録)
 地下鉄のホームから突き落とされて危うく死にかけたエマは、数日後、今度は車に追い回されて轢き殺されそうになった。心配する夫は彼女にボディガードがわりの探偵をつける。だがほどなく、エマの命を狙っていた男が射殺体で発見された。
 撃ったのは夫か、探偵か? そもそも男はなぜエマを狙ったのか? 愛憎渦巻く街で交わされるのは、愛のキスか、あるいは死の接吻か・・・・・・美しい人妻をめぐる殺人事件を鮮烈な筆致で描く。
 『寡婦』に続くシリーズ第45作。1992年、ホープ弁護士シリーズ9作目『三匹のねずみ』と同年の発表。デフ・マンもの『悪戯』の前作にあたり、メイン事件と並行して描かれるキャレラ刑事の父親、アンソニー・キャレラ射殺事件の公判審理とも、現実世界でコロナに伴いアメリカ各地で起きた黒人暴動とも部分的にリンクしています。作品中でデモ隊を指揮し差別感情を煽っているのは、アクバー・ザロウムと名乗る説教師(プリーチャー)ですが。87分署ものは全体で現代アメリカを映す鏡とも言えますが、本書及び『悪戯』を読むと暴動の兆候自体は、二十年以上前にとうに目に見える形で現れていたことが分かります。
 内容的にはモジュラーではなく人妻襲撃未遂一本勝負。途中で夫マーティン・ボウルズの雇った探偵アンドリュー・ダロウ(デンカー)がシカゴから来た殺し屋だと判明しますが(読者視点のみ)、彼の登場前に天井から吊るされた襲撃犯、ロジャー・ターナー・ティリー殺しのホシはまだ割れません。最後まで読んでも肝心な所はハッキリせず、タイムリーな割にはどうも偶発的な殺人みたいですけど。
 全体の2/3辺りでデンカーを夫側の殺し屋と見抜いたエマによる誘惑、最後の殺人に続くデンカーVSキャレラ、マイヤーの銃撃戦、その後にラストの捻りと、色々あるもののトータルではフランスミステリ風の味わい。『凍った街』並みの分厚さでちょっとこれはどうかなあ。悪くはないけどもっとコンパクトに纏まるような。
 後期にしては良い作品だと思うけど、手放しでは褒められません。そんな訳で佳作には至らず、少しオマケして6.5点。


No.398 8点 運命の八分休符
連城三紀彦
(2020/08/11 12:11登録)
 『密やかな喪服』と『夜よ鼠たちのために』の間に挟まる、著者四番目の作品集。雑誌「オール讀物」に1980年1月から1983年2月まで、ほぼ年一作のペースで発表された五本の連作を収録している(第四話「紙の鳥は青ざめて」のみ雑誌「小説推理」掲載)。『戻り川心中』から『夕荻心中』まで、更に『宵待草夜情』をも含めた〈花葬シリーズ〉中心の「幻影城」掲載短編群、および『夜よ~』全収録作、『少女』前半収録の各短編と執筆時期が重なる。「戻り川心中」でデビュー三年目にして第34回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞しその後も何度も直木賞候補になるなど、最も創作意欲が旺盛だった時期の著作である。
 シリーズ探偵・田沢軍平を主人公にした連作恋愛ミステリー。連城には珍しい名探偵ものである(「唯一」とするかは『夕荻心中』所収の「陽だまり課事件簿」をどう判断するかで分かれる)。ドングリ目に分厚い眼鏡、空手の試合で相手を負傷させた事を気に病み、大学を出て三年、定職にもつかずぶらぶらしている軍平が、五人の女性とゆきずりの恋をしながら事件に巻き込まれ、その都度良い雰囲気になるも生来の引っ込み思案から、いつも恋は実らずに終わるという筋立て。最終話「濡れた衣裳」では、いろいろ可愛がってくれる大学時代の先輩・高藤から、〈頭もよく力もあるのに大きな図体でぼんやり寝そべっているのが好き〉な、〈死んだダンという愛犬に似ている〉と言われている。
 ユーモラスで軽めな筆致のため誤解され易いが、実は次作『夜よ鼠たちのために』と同じく、全編反転の構図で貫かれた短編揃い。シリーズ探偵らしく物理トリックも含まれるため、叙述一本槍で通した『夜よ~』ほどには目立たないが。北村薫や法月綸太郎、加山二三郎など本書をお気に入りに挙げるミステリ関係者も少なくない。著作リストを辿ると多作期にシリーズ約年一本と、かなり丁寧な取り組みをしたのが窺われる。初刊単行本あとがきにもあるように、〈胃弱な低カロリー体質のために自分の恋心さえ受け付けない〉主人公には、少なからず連城自身の思い入れもあるようだ。
 特に反転が鮮やかなのは後半三話。ミステリ的には後期誘拐作品のプロトタイプとも言える第二話「邪悪な羊」と、加害者が複雑に入れ替わる最終話「濡れた衣裳」を推したい。第三話「観客はただ一人」はダミー解決の方が良く出来ているが、ドラマ性を考えるとやはりこの結末がしっくりくる。ヒロインの魅力も含めると好みではこれが一番。他にも第四話「紙の鳥は青ざめて」で、観覧車から折紙の鳥を東京の空に飛ばす場面を筆頭に、視覚的に優れたシーンが多用されている。
 この頃の物としては少なくとも『変調二人羽織』『夕荻心中』と同格で、『密やかな喪服』や『瓦斯灯』などよりも上。初期の隠れた良短編集と言える。


No.397 5点 出走
ディック・フランシス
(2020/08/10 07:35登録)
 一九九八年に刊行されたシリーズ唯一の短篇集。第36作『騎乗』の翌年に発表された。原題 Field of 13 は、"十三頭立てレース"の意。その比喩通り既に雑誌掲載された短篇作品八作と、本書のために書き下ろされた五作から成る。
 一九七〇年、アメリカの《スポーツ・イラストレイテッド》に掲載された記念すべき初の短篇「強襲」を筆頭に八作品を並べると 特種/悪夢/キングダム・ヒル競馬場の略奪/敗者ばかりの日/ブラインド・チャンス/春の憂鬱/ブライト・ホワイト・スター の順になる。初出誌は同誌ほか《ロンドン・タイムズ》《ホース・アンド・ハウンド》《ザ・フィールド》など。なお「ブラインド・チャンス」は底をついた〈ディテクション・クラブ〉の基金を補充する短篇集『13の判決』のために、「春の憂鬱」はめずらしくも婦人誌《ウィメンズ・オウン》向けに執筆された。
 一九八五年掲載の「ブライト・ホワイト・スター」を除けば年一作からだいたい二~三年に一作、一九七〇年から一九八〇年にかけて約十年間、第10作『混戦』から第19作『反射』にかけての時期になる。ただ書き下ろし作品も含め、各篇の出来不出来に大きな差は無い。
 捻りのあるオチを付けたもの、ミステリ趣向強めのものと様々だが、著者は既にスタイルを確立させた作家なので、やはりミニ・競馬シリーズ風の心地良い話がしっくりくる。好みでいくと書き下ろし作品からは「衝突」「迷路」それに劇的なレース展開の「波紋」、既存のものからは「春の憂鬱」とクリスマス・ストーリーの「ブライト・ホワイト・スター」だろうか。「春の憂鬱」は自身が「たいへん楽しみながら書いた」という短篇。中年女性の愛を利用する発端からいつものフランシスになる。こういうのもたまには悪くないが、シリーズを読みつけていると短篇集では少々食い足りない心地がする。やはりフランシスは長篇がいい。


No.396 6点 裏切りの国
ギャビン・ライアル
(2020/08/07 07:45登録)
 二年の刑期を終えてイスラエルのベイト・オレン刑務所から出所する相棒、ケン・キャヴィットを迎えるため、東地中海のキプロスに十二ケースのシャンペンを運ぶ仕事を請け負った英国空軍崩れのパイロット、ロイ・ケイス。だが空港に到着するや否や雇用主の〈キャッスル・ホテル・インタナショナル〉が倒産したことを告げられ、管財人の会計士、ルーキス・カポタスに機を差し押さえられた上に、債権者の到着までホテル〈ニコシア・キャッスル〉で働かされる破目に陥ってしまう。
 トラブルにもめげず、ホテルでケンと落ち合う段取りを付けるロイ。彼の話では、ベイト・オレンで知り合った中世考古学者、ブルーノ・スポール教授父娘も〈キャッスル〉に宿泊するようだ。どうやら教授が逮捕される前、イスラエルで掘りあてたなにかを巡る儲け話があるらしい。
 前祝いにと、ロイはホテルの開業パーティに使われる筈だった積荷のシャンペンケースを開ける指示を出す。だが箱から出てきたのはクルーガー・ロイヤル六六ではなく、軽機関銃五丁と一千発の弾丸だった。彼は〈キャッスル〉に嵌められたのだ。おまけに代わりのシャンペンで祝杯を挙げた教授はその夜のうちに、拳銃で頭を半分ふっとばして自殺してしまう。
 教授の謎の自殺により足止めを食らうロイとケン。さらに出先のバーでは義足のベイルート商人、ウスマン・ジェハンジールや、モサドかもしれないイスラエル人、ベン・イヴェールらが纏わりついてくる。彼らの目的は空輸された銃器か、それともスポール教授が発見したという十二世紀の遺物、"獅子王"リチャードの剣なのか? 二人は銃の始末を目論むとともに教授の娘ミッツィ・ブラウンホフを助け、メトロポリタン美術館の中世史学者、エリナー・トラヴィスと共に、時価百万ドルにも相当する宝剣の行方を追うが・・・
 『死者を鞭打て』に続くギャビン・ライアル七冊目の長編。1975年発表。マクシム少佐シリーズに至る直前の作品で、文庫版裏書きには「ライアル自らベストに推す」とあるが、出典不明なのでこれが事実かどうかは解らない。ただ粗筋は面白そうなので、邦訳当初から気にはなっていた。発表前年の1974年、トルコ軍の軍事介入により南北に引き裂かれたキプロス共和国と、ベイルート及びエルサレムを舞台にしている。
 だがやはり初期四作に比べると薄味。捻ったアクションや荒天を突いたエアランディング、小粋な会話や幾つものガジェット、豊かな国際性に加え錯綜する筋立てと、確かにライアルの味はするのだがぶっちゃけ着膨れ気味。謎の自殺に続くホテルの従業員殺しも引っ張った割には呆気なく、同じパイロット物でも『ちがった空』クラスの密度は望むべくもない。けっして悪い作品ではないけれど。
 原題"JUDAS COUNTY"の通り結末はドロドロ。三重四重に裏切られた挙句、シビアにして無慈悲なエンディングが待っている。最後の決定的な裏切りは、警部の間の悪い登場が無ければ防げたのだろうか。

 「本当?」エリナーの声は、第三氷河期のどこかから聞こえてくるようだった。


No.395 5点 あやかし砂絵
都筑道夫
(2020/08/06 08:45登録)
 なめくじ長屋捕物さわぎシリーズ第四集。こちらの並びも変則で、発表順に 不動の滝/人食い屏風/張形心中/夜鷹ころし/寝小便小町/あぶな絵もどき/首提灯 となる。掲載誌は「別冊小説現代」「小説推理」および桃園書房の「小説CLUB(半村良『妖星伝』の連載時期とも重なる)」。隔月で二篇書いた後、次の「張形心中」まで半年ほどの間が空き、それからまた安定してきている。
 雑誌「幻影城」掲載の「首提灯」で二年余り飛ぶのを除けば、期間は昭和四十八(1973)年六月から昭和四十九(1974)年十月にかけて、『にぎやかな悪霊たち』を始めとする雪崩連太郎全集や、千葉順一郎名義で『猫の目が変わるように』などを執筆していた頃になる。なお、出来は滝行でずぶ濡れの人間消失を扱った「不動の滝」と「人食い屏風」が良い。
 自分で描いた虎の絵に、二人の絵師がそれぞれ啖い殺される謎を扱う「人食い屏風」が頭一つ抜けているが、他はいずれも微妙。「張形心中」「寝小便小町」などは人情系のオチ。「夜鷹ころし」も事件が派手な割にはパッとしない。娘たちのゴシップ文をばら撒いていた道楽者が殺される「あぶな絵もどき」で多少盛り返すものの、シリーズもここまでくると発端はともかく、ミステリ的な結末部分はかなり落ちてきている。「人食い~」で絵師の心理からくるハウダニットや、絵に携わる者としてのセンセー独自の推察や見識が語られるのが、やや救いか。


No.394 6点 からくり砂絵
都筑道夫
(2020/08/05 04:28登録)
 なめくじ長屋捕物さわぎシリーズ第三集。現行の並びに比べて発表順はやや変則。「ミステリマガジン」の「粗忽長屋」を筆頭に、 花見の仇討/らくだの馬/小梅富士/血しぶき人形/首つり五人男/水幽霊 の順で、雑誌「推理界」「別冊小説現代」「別冊週刊大衆」各誌に、昭和四十四(1969)年十二月から昭和四十七(1972)年十月にかけ掲載された。
 古典落語を推理小説化した三篇と「むっつり右門」捕物帖のパロディ二篇で、「小梅富士」ほか二篇を挟む形である。「小梅~」も前集収録の「天狗起し」と同じく従兄との問答から生まれた作品なので、本書はいわば"本歌取り"作品集。抜きん出ているのは「小梅富士」だけだが、そのせいか取り巻きの出来は『くらやみ砂絵』よりも良い。「粗忽長屋」は本来、トリを務めるべき内容から巻末に回されたのだろう。
 なお「推理界」廃刊のせいか、「血しぶき人形」の発表までには一年近くの間が空いている。『あやかし砂絵』収録作品で隔月化するまでは、その後も断続的な掲載となっている。
 ベストはやはり「小梅富士」。離れ座敷に寝ていた隠居が、部屋いっぱいもあるような庭石で圧し潰されていた事件を扱ったもので、「さあ解決してください」と提出された謎に、都筑氏は鮮やかに応えている。切れ味では「天狗起し」だが、より理に適ったこちらを採る人もいるだろう。シリーズを代表する短編の一つである。
 次に来るのは一本の松の木に五人の首くくりがぶらさがる「首つり五人男」。強烈なシチュエーションだが、元ネタとは異なりこれにも一応合理的な結末が用意されている。ただ当事者心理で弾みが付いた結果なのを、プラスマイナスどちらに取るかが問題。
 落語関連の三篇は小味ながら纏まりがある。特に素人芝居のかたき討が人ごろしにまで発展する「花見の仇討」のロジックは目を引く。殺害方法はそこまででもないが、状況の推移から自然な形で、誰が怪しいのかを特定できる。各篇いずれもユーモラスだが、この手の作品の通例として解決や結末はブラック寄りである。全体としては『くらやみ~』より多少落ちて、6.5点。


No.393 7点 海狼伝
白石一郎
(2020/08/03 00:34登録)
 天正二(1574)年五月初旬、朝鮮と壱岐島の中間地点、玄界灘の北端に浮かぶ対馬島。対馬海峡に向って開く阿須湾東部の曲浦で、海女たちの手伝いを生計(たつき)として暮らす「大将」こと人見笛太郎は、後押しの最中磯の沖合にあらわれたジャンク船に見惚れ、夢中でそのあとを追いはじめる。そのジャンクは数十年前に朝鮮王に帰伏し王朝の中枢まで昇りながら、全てを捨てて日本に戻ってきた元倭寇、宣略将軍・李伏竜(イ・ボクリョン)こと鴨打藤九郎の船だった。
 やとい主である海女たちの怒りを買い仕事をなくした笛太郎。だが彼はそれにめげず、独自に〈流し帆〉の仕掛けを考案する。なおも「ジャンクに乗ってみたい」と語る笛太郎に、母のそでは八尺の赤褌と、〈瀬戸内でもその人ありと知られた船大将〉である父の形見の黄金の鎖を与え、将軍の元へと送り出した。母の実家の呼子家と鴨打家は、共に肥前上松浦に勢力を占める波多家代官五人衆の一人であり、藤九郎はそでの叔母を娶っていたのだ。
 笛太郎は南風(ハエ)と潮の流れを頼りに、ジャンク船に乗るため血縁の大叔父だという宣略将軍のいる府中へと一路、舟を漕ぎ出す。だがその将軍は青一色に染め変えたジャンク〈青竜鬼〉を御座船に、再び海賊働きを始めようとしていた・・・
 昭和六十二(1987)年発表。著者の白石は釜山の生まれで本籍は長崎県壱岐市。作家デビューは昭和三十(1955)年と司馬遼太郎より一年早いものの脚光を浴びるのは遅く、候補に挙がること実に八回にして挑戦十七年目、作家生活後期の本作でやっと第97回直木賞受賞を果たしました。なおこの時の同時受賞作は山田詠美『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』。高橋泰邦と並ぶ存在で、こちらは海洋時代小説の第一人者として知られています。
 伝奇風の発端ながらこの作者らしい爽やかな小説。織田信長を中心とする戦国武将たちの角逐が時代背景ですが、それには依らず終始〈海の者〉の視点を軸としています。小舟を操る際の風向きや、潮の流れによる動きが感覚として理解できるのも、魅力の一つ。
 炊夫として〈青竜鬼〉に乗り込んだ笛太郎。武者に取立てられる代償に罪人に刀を投げ与え、一対一の勝負を試みる。それを咎めた宣略将軍の言葉が、かわいがってくれていた将軍の右腕・金崎加兵衛の姿を越え、ずんと笛太郎の心に残ってゆく。

「人間の多くは悪事を重ねる宿業を負うておる。そのことに目をそらすな。なまじ慈悲の心をおこし、小さな知恵に逃れて、天意にそむいてはならん」

 船いくさのさなか〈青竜鬼〉から転落し、朋友・雷三郎と共に瀬戸内村上水軍の一門・能島小金吾に拾われてより大きな世界に触れ、やがてはるか海の向こうに旅立ったという父親・人見孫七郎の存在を知る。さらに「これからは貿易じゃ」と嘯く小金吾に導かれて優れた技術者・小矢太を見出し、やがて二本帆柱の堂々たる交易南蛮船・黄金(こがね)丸を造りあげ、大海原へと乗り出してゆく。そして南海を目指す彼らの前に将軍たちの乗る〈青竜鬼〉が、最後の障壁として立ち塞がる・・・
 商才に長け、こと金銭には抜け目ないもののどこか憎めない能島小金吾。笛太郎生涯の盟友となる豪傑・雷三郎。三島宮三の巫女を務めるヒロイン・晴や一途に雷三郎を想う女傑・麗花(ヨファ)。そして主人公に将の何たるかを教え込み、海戦の果てジャンク〈青竜鬼〉と共に沈んでゆく、将軍と加兵衛。清々しい筆致で描かれた海洋ロマンの傑作で、点数は7.5点。


No.392 5点 かくして殺人へ
カーター・ディクスン
(2020/07/31 20:59登録)
 ドイツへの宣戦布告を間近に控えた一九三九年八月二十三日水曜日。イギリス、ハートフォード州のイースト・ロイステッドからやって来た田舎牧師の娘モニカ・スタントンは、ロンドン近郊のパイナム・スタジオでアルビオン・フィルム社のプロデューサー、トマス・ハケットの面接を受け、見事脚本家に採用された。
 スキャンダラスなベストセラー小説『欲望』をものしたことで新聞各紙から標的にされ、伯母のフロッシーには事あるごとに「せめて面白い探偵小説でも書いていれば――」と言われてきたが、それももう終わり。『欲望』の脚本を映画界の傑作にし、自分もこの巨大な、まばゆい世界の一部となるのだ。モニカは純粋な感謝と使命感に燃えていた。
 ――だが彼女に割り当てられたのは探偵小説『かくして殺人へ』の映画脚本。しかもその原作者は、伯母が当てつけのように口にしてきた探偵作家、ウィリアム・カートライトだったのだ。
 カートライトと衝突しながらも彼に指導され脚本執筆に勤しむモニカだが、面接初日から謎の人物に付け狙われ、いきなり硫酸を浴びせかけられる。なおも続く銃撃事件を受けて密かに彼女に一目惚れしたウィリアムは、陸軍省情報部に自分の推理を送りつけることで直接、情報部長ヘンリ・メリヴェール卿の出馬を促すが・・・
 『読者よ欺かるるなかれ』に続くHM卿シリーズ第10作。次作『九人と死で十人だ』及びフェル博士シリーズ第12作『震えない男』と共に、イギリス参戦直後の1940年に発表されました。バトル・オブ・ブリテン突入前の刊行という事もあってか、スパイ云々はあるものの結構お気楽な雰囲気です。
 創元文庫版解説で霞流一氏が「自選ミステリ十傑中の或る作品にチャレンジしたもの」と述べていますが、どちらかと言うとコメディ風の軽いシロモノ。毒煙草のトリックも軽妙ではあるものの小技の類で、身構えるほどの物でもない。むしろ中盤に用意されたダマシをどう評価するかでしょう。この時期だと構造的に一番近いのは『殺人者と恐喝者』になりますかね。でもこっちは更に悪辣なので、ちょっと擁護できそうにありません。
 ただしこのおかげで容疑者の幅が広がり、十章以降のサスペンスがより高まっているのも事実。メイントリックの鍵となる旧館の構造も、手掛かりとしてしっかり描写されています。
 灯火管制を利用した戦時中ならではの襲撃方法に加え、ラストのヌケヌケとした皮肉など、要所々々は締めた作品。高くは評価できませんが、退屈させない仕上がりとは言えるでしょう。


No.391 6点 マルドゥック・フラグメンツ
冲方丁
(2020/07/29 10:55登録)
 繁栄のモニュメント"天国への階段(マルドゥック)"を持つ近未来都市・マルドゥック市(シティ)を舞台に、禁じられた科学技術により再誕した自己の存在意義を問うため、人命保護を目的とした緊急法令「マルドゥック・スクランブル-09」に全てを賭ける委任事件担当捜査官チームの活躍を描く、マルドゥック・シリーズ初のプレ短編集。それぞれ地獄篇・煉獄篇・天国篇を成す長編三部作の第一弾『マルドゥック・スクランブル(発表は一番早いがパートとしては煉獄篇)』は、2003年度の第24回日本SF大賞を受賞し、著者の評価を飛躍的に高める代表作となった。
 人語を解する金色のネズミ型万能兵器(ユニバーサル・アイテム)ウフコック・ペンティーノと、『スクランブル』で彼と担当捜査官の科学者、ドクター・イースターに救われ、金属繊維による人工皮膚の全身移植を受けて卓越した体感覚と電子操作能力を得た元少女娼婦、ルーン・バロットの関係性がシリーズ全体の主軸ではあるが、本集ではそれ以前、煉獄篇の敵役ディムズデイル・ボイルドがウフコックの相棒を務めていた時期のプレストーリイ二篇中心の構成となる。
 これに加え『スクランブル』補完の前日譚とパイロット版、及び最終決戦に挟まるボイルドの『ヴェロシティ』回想シークエンス、更に完結編『アノニマス』の幕開きを予告する短編とその概要など、総体としてはやや纏まりを欠く内容。作品集というより豪華なファンブックに近い。ただし独立した二本の短編には、分単位のホテル買収劇を筆頭に、なかなか面白いアイデアが投入されている。
 書き下ろしとパイロット版以外は、おおむね雑誌「SFマガジン」誌上に2003年7月号~2010年12月号にかけて掲載されたもの。キリ番『マルドゥック・スクランブル』評へ向けての予行演習として読了した。
 富の輝きと各種の法的パワー・ゲーム、歪な都市原理の狭間でグロテスクに捻じ曲がった街、マルドゥック市。重要証人を保護するため、違法技術の使用を許された委任事件担当捜査官たちと、己の利益のためいかなる手段を用いても証人を抹殺しようとする暗黒街の住人とのせめぎあいが基本プロットとなる。
 最初の短編「マルドゥック・スクランブル"104"(ワン・オー・フォー)」では証人を匿うセーフハウスそのものが一寸刻みで敵対組織に〈買われ〉ていき、相手側は合法的に「私有地で軍事演習を行う」ことでウフコックチームを片付けようとする。タイトルは保護対象の女性アイリーンが所属する銃器撲滅団体の名称。これが枷となり、こちらは一切殺傷兵器が使えない。二百名にのぼる武装集団を相手に、果たしてどう立ち向かうのか。
 次の「マルドゥック・スクランブル"-200"」は軟体型サイボーグ(シェイプシフター)の殺し屋による連続殺人もの。多少捻った作品で、宗教に変質した詐欺紛いの疑似科学〈人体冷凍保存(クライオニクス)〉が動機の背後にある。なお、アリゾナ州スコッツデールに実在する「アルコー延命財団」の杜撰な管理体制は現在、大きく問題化している。
 書き下ろし作品「マルドゥック・アノニマス"ウォーバード"」は、とりあえずの顔見せ興行。『スクランブル』登場の最強ディーラー、アシュレイ・ハーヴェストの惨殺というショッキングな幕開けで始まるが、実の所は・・・。これと梗概篇「Preface of マルドゥック・アノニマス」を見る限り、『アノニマス』本編の構想はかなり大掛かり。アクション主体の群像劇でウフコックの死が描かれるようだが、あのカジノ篇を上回れるかどうかはまだ不透明。


No.390 7点 流れ星と遊んだころ
連城三紀彦
(2020/07/27 15:54登録)
 八年前、大スター花ジンこと花村陣四郎に拾われて以来、マネージャー兼付き人として影のような生活を送ってきた北上遼一。だが常に罵倒され蔑まれる生活も、そろそろ限界に達しつつあった。そしてちょうど四十三歳の誕生日を迎えた九月二十三日午後八時十分、遼一は新宿二丁目のバーで安っぽいウイスキーを飲んだのを切っ掛けに、あるカップルと運命的な出会いを果たす。
 秋場一郎と柴田鈴子。美人局気味に彼に絡んできた二人だが、遼一はその秋場にふときらめくものを感じる。来週から撮影に入るはずの映画『神々の逆襲』の安田刑事役に、花ジンを蹴落としてこいつを送り込むのだ。六十になるベテラン監督の野倉哲は素人を使うのが巧い。突拍子もない話だが、役柄に嵌った雰囲気とこいつの演技力があれば・・・。駄目で元々、半端な泥沼を抜け出して、最初から負けがわかっているような賭けをするのも悪くない。
 遼一は逆に秋葉を脅して丸め込むと、明日のカメラテストを受けることを承知させる。無謀な賭けの第一歩は始まった。だが二人三脚でスターへの道を歩むには、あと一週間のうちに花ジンをひきずり降ろさなければならないのだ・・・
 紆余曲折の末、俳優・秋場駿作は花村陣四郎の代役に抜擢され、その年の映画賞を総ナメ。その後も数々のテレビドラマ、コマーシャル、二度目の映画出演と、三人の関係性に支えられスター街道を突っ走る。だが彼には、他の二人にも明かしていない過去の犯罪があった――
 『女王』に続く著者二十六番目の長編。雑誌「小説推理」平成九(1997)年六月号~翌平成十(1998)年六月号に掲載された同名作品に加筆・訂正を加えて刊行されたもの。連作短編集『一夜の櫛』および『夢ごころ』『たそがれ色の微笑』『萩の雨』各前半収録の諸作と執筆時期は重なります。
 俳優のみならずマネージャーから監督まで、演技が日常の芸能界。メインキャラ各人も脅迫する側される側と、序盤からコロコロ立ち位置を変える油断のならない展開。渋る秋葉をあの手この手で誘導する傍ら、花ジンと正面切って対峙したり、いくつかのヤマを越えながらストーリーは進みます。
 過去回想の多用に加え、場面ごとに繰り返される一人称→三人称への切り替え。何かあるなと思わせるものの、容易にネタは割れません。個々の出来事の裏はある程度予想しましたが、流石にこの仕掛けは読めなかったな。お家芸の大胆な反転劇を、〈花葬シリーズ〉のある作品で用いられたテクニックが支える形。大掛かりな分、驚きはこちらの方が大きいです。
 タイトルがただの星ではなく「流れ星」なのでビターテイスト。複雑に絡み合った三人の関係が決定的なスキャンダルを期に消滅し、それと同時に物語は完結します。この部分も濃密ではあるけどその前、作者の狙いが明かされたとこで実質終了してるなあ。後は付け足しかエピローグかな。でも中年オジサンが最後の花火を打ち上げる話なので、コケてもどこか爽やかですけどね。


No.389 5点 メグレと死体刑事
ジョルジュ・シムノン
(2020/07/26 14:51登録)
 もう一週間以上も雨が降り続き、太陽が瞬時も顔を覗かせぬ一月のある日。メグレ警視は突然プレジョン予審判事の執務室に呼び出され、一週間の特別休暇を与えられる。判事の妹ルイーズの結婚相手、家畜商人エチエンヌ・ノオを厄介な立場から救うため、非公式な形でヴァンデ県の沼沢地帯のいちばん奥深いところにある辺鄙な村、サン・オーバンへ行って欲しいというのだ。
 約三週間ほど前、土地の若者アルベール・ルテローがノオ家にほど近い線路の砂利の上で死んでいるのが発見されたのだが、しばらくして匿名の手紙がばらまかれ、エチエンヌがこの若者を殺した犯人だと、ほぼ公然と名指されたらしい。事件を管轄するフォントネー・ル・コントの検事の話では嫌疑はかなり濃く、正式の捜査を避けるのは難しいだろうとのこと。大事にならぬうちにそれにケリを付けるのが、プレジョンの希望するところだった。
 彼の依頼を受けてサン・オーバン・レ・マレへと向かうメグレだったが、その途中ニオール駅のコンパートメントで、元同僚の私立探偵《死体刑事》ことジュスタン・カーヴルが、同じ列車から降りてくるのに気付く。カーヴルはメグレが警察に入って知りえたうちで、いちばん怜悧な頭脳を持つ男だったが、勤務中に金銭問題の不正が発覚したことで既に司法警察局を辞めていた。
 《死体(カダーヴル)》はいったいサン・オーバンに何をしに来たのか? メグレ警視はノオ夫妻に歓待されるが彼を迎える村の空気は悪く、さらに悉く《死体刑事》に先回りされ証拠を潰される。義兄に助けを求めたエチエンヌも、本音ではメグレに早く立ち去ってほしいようだ。四面楚歌のなか、警視は被害者アルベールの親友ルイ・フィルウと共に、証人たちへの聞き込みを続けるが・・・
 メグレ警視シリーズ第47作。『メグレと奇妙な女中の謎』の次作にあたる長編で、前作及び『メグレと謎のピクピュス』と共に、3冊合本の形で1944年に出版されました。作家としての成熟とエンタメ性を両立させた第二期の作品ですが、意欲作の多い時期にしては残念な事に、あまり良い出来ではありません。
 メグレの行動を抑制したがるエチエンヌ、何かに脅えるその妻ルイーズ、寝入りばなのメグレの寝室に押しかけ、ネグリジェ姿で「わたしはアルベール・ルテローによって妊娠させられました」と告白する娘のジュヌヴィエーヴ。序盤はなかなか良いのですが、村の内部はブルジョアと労働階級の二つに割れており、両者の対立により事件当時の詳細や現場の状況すらはっきりしないままストーリーは停滞してしまいます。
 全体の三分の二を過ぎて、《死体刑事》とある人物との繋がりを掴むことにより物語は一気に動き出すものの、ここまでくると後は予想の範囲内。実行犯とは別の〈真の犯人〉も動機も、ジュヌヴィエーヴの動きから推察可能。加えてメグレのノリも後味も悪く、全体としてスッキリしません。
 読後にサン・オーバンの全景が立ち上がってくるのはこの作者の筆力を窺わせますが、メグレものとしての出来はそこまででもない。〈憎悪の匂いのするロニョン〉とも言うべき《死体刑事》も人間としての底が浅く、到底警視と正面から張り合う地力はありません。酒場や農家の日常、村人たちの描写など光る部分はまま見られますが他に目を引くキャラもおらず、トータルするとシリーズでも下方に位置する作品でしょう。


No.388 6点 ドラゴン・ヴォランの部屋
シェリダン・レ・ファニュ
(2020/07/23 10:53登録)
 西暦一八一五年、ワーテルローの敗北によりナポレオンが再び退位し、門戸を開いたヨーロッパ大陸にイギリス人旅行者たちが退去して押し寄せていた頃。相当な額の財産を相続したばかりの青年リチャード・ベケットは、ブリュッセルからパリに向かう旅の途中、先頭の二頭が倒れ立ち往生した馬車を救う。きっかり二十三歳になる彼は、馬車の窓からちらりと姿を見せた黒ベールの貴婦人に魅せられ、馭者に声をかけると、再び走り出した馬車を密かに追うよう命じるのだった。それがベケットを襲う、恐怖と戦慄の体験の始まりだった・・・
 『吸血鬼カーミラ』以来約半世紀ぶりに編まれた、アイルランドの作家シェリダン・レ・ファニュの日本オリジナル傑作選。表題中篇ほか五篇を収める。初期の単行本『パーセル文書』(1880年)から二篇、後期の短編を単行本『クロウル奥方の幽霊』(1923年、M・R・ジェイムズが逝去50周年を記念し編集。再評価のきっかけとなった)などから別に二篇選出したもの。掲載誌は主にレ・ファニュ本人がオーナーをつとめた総合雑誌「ダブリン・ユニバーシティ・マガジン」。いずれも流麗な筆致だが、やはり初期のものの方が出来が良い。
 巻頭の「ロバート・アーダ卿の運命』は、悪魔と取引して富を築いたアイルランド貴族アーダ卿の凄惨な最後を説話風に描いたもの。原初の森林地帯に屹立する弧城を舞台に、卿の人生が二通りに語られる。一方は悪魔に憑かれた罪人として、他方では従容として運命のときを迎える神のしもべとして。両者の差異により物語に幅が生まれている。
 集中のベストは次の「ティローン州のある名家の物語」。シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』にヒントを与えたと言われる名編であるが、モチーフが共通するだけで作風はかなり異なる。シチュエーションはのちのデュ・モーリア『レベッカ』と同じ〈一つ家〉形式。湖畔の領主館カヘルギラに迎えられた新妻の身に起こる数々の不吉な予兆、夫であるグレンフォーレン卿に出入りを禁じられた場所、さらに盲目の狂女の登場に加えて、ラストではそれを上回るサスペンスとセンセーションの連続となり読者に衝撃を与える。終始受け身の存在である語り手ファニーといい、クライマックスシーンの凄まじさといい、後年の傑作『アンクル・サイラス』の雛形というべき一級のゴシック小説である。本篇もヴィクトリア朝特有の「罪の意識」が、大きく影を投げ掛けている。
 長らく〈怪奇小説の巨匠〉と謳われていたレ・ファニュだが、このように犯罪を扱った作品も数多い。それもそのはずで、彼はコリンズと共にディケンズとドイルとを繋ぐ〈センセーション・ノベル〉の代表作家なのである。一八六〇年代に流行したセンセーション・ノベルは、犯罪と計略の要素を盛り込んで次代の「探偵小説」流行の母体となった。表題作は完全なる犯罪小説で、作中の謎は全て解体され、後に不可解なまま残る要素はほとんど無い。長めの中篇だが全二十六章と細かく区切られ、ストーリーは非常に速いテンポで進む。〈宿泊客が消えていなくなる部屋〉の謎を中心に据えた、異色の恋愛サスペンスである。
 後期の二作「ウルトー・ド・レイシー」「ローラ・シルヴァー・ベル」は、いずれも民間伝承を下敷きにした神隠しもの。前者に登場するアリスとウナのレイシー姉妹は非常に魅力的に描かれる。ジャコバイト最後の反乱に加わり、敗北し逃亡した父ウルトー。残された姉妹は追っ手から逃れる為、カッパーカレンの谷間にある〈お化け(プーカ)の塔〉に隠れ住むが・・・。古城で生活するなか、次第に亡霊に囚われていく妹ウナの変貌ぶりが読み処。
 以上全五篇。『カーミラ』や『白い手の怪』を含む平井呈一編に比べると小粒だが、表題作を筆頭にミステリ作家レ・ファニュの可能性を窺わせる作品集。著者の全貌に迫るならば必読のものだろう。ただし全体としては大人しめなので、点数は7点未満。


No.387 8点 ウッドストック行最終バス
コリン・デクスター
(2020/07/22 08:49登録)
 バスは、なかなかやって来なかった。夕ぐれに包まれたオックスフォードの街はずれの停留所で、二人の若い娘はじりじりしていた。何度も時間表を見直し、バスの姿を求めて道路の彼方をみつめる・・・・・・。
 ついに、シルビアという名の、挑発的な姿態をもったブロンドの髪の娘がしびれを切らして歩き始めた。ヒッチ・ハイクで行けばいい、男はミニ・スカートに弱いものだ――そして、もう一人の娘も彼女にひきずられるように姿を消した・・・・・・。
 ヒッチ・ハイクを試みた女性シルビア・ケイは、数時間後ウッドストックの酒場の中庭で、変りはてた姿となって発見される。死体には暴行された跡があり、長いブロンドの髪は無残にも血にそまっていた。だがTVで協力を求めたにも関わらず、シルビアと一緒にいた娘は名乗り出ようとしない。これはどういう事なのか? ヒッチ・ハイカーが変質者の毒牙にかかるケースは珍しくないが、今回行きずりの犯行に狙いをしぼるのは危険かもしれない。
 事件を担当するキドリントン、テムズ・バレイ警察のモース主任警部は、相棒に見込んだルイス巡査部長とともに被害者の身辺調査にかかり、捜査線上に浮かんだ同僚のタイピスト、ジェニファー・コルビーを追及する。だがなぜかジェニファーは、執拗なモースの尋問にも頑として口を割らなかった・・・。
 1975年にマクミラン社から刊行された、デクスターの処女作にしてモース主任警部シリーズ第一作。発表当初からの高い評価に加え数々の映像化(スピンオフ含む)を受けて、本国イギリスでのモースはシャーロック・ホームズに匹敵する人気キャラクターとなりました。直感に頼った妄想一歩手前の推理と溢れんばかりの人間臭さは、R・D・ウイングフィールドのフロスト警部と共に、非常に印象深いものです。
 ただし再読すると〈論理のスクラップビルド〉は意外に控え目。クローザー夫妻の告白などは、むしろクリスチアナ・ブランド風〈自白の連鎖〉に近い。さらに事件当夜の各人物の行動や心理状態、そこから類推される結論も単なる思いつきに留まらず、二作目以降よりも周到に構築されています。この部分の丹念さと複雑さが誤解のモトですね。真の意味で〈読者が煩悶するほどの仮説また仮説〉に値するのは、この手法を極限まで推し進めた問題作『キドリントンから消えた娘』だけでしょう。一作目という事もあり、イメージよりも結構正統派寄りです。中盤のお笑い推理も全くの無駄ではなく、ちゃんと捜査を進展させてますしね。
 モースのロマンスも過剰にならず、抑えた筆致ながら強い余韻を残します。簡潔に纏めると〈バランス良く丁寧に作られた秀作〉といった所でしょうか。良い作品ではありますが、尖り具合を含めた総合力で行くと『キドリントン~』には若干劣ります。

586中の書評を表示しています 181 - 200