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ミステリの祭典

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ドラゴン・ヴォランの部屋

作家 シェリダン・レ・ファニュ
出版日2017年01月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点
(2020/07/23 10:53登録)
 西暦一八一五年、ワーテルローの敗北によりナポレオンが再び退位し、門戸を開いたヨーロッパ大陸にイギリス人旅行者たちが退去して押し寄せていた頃。相当な額の財産を相続したばかりの青年リチャード・ベケットは、ブリュッセルからパリに向かう旅の途中、先頭の二頭が倒れ立ち往生した馬車を救う。きっかり二十三歳になる彼は、馬車の窓からちらりと姿を見せた黒ベールの貴婦人に魅せられ、馭者に声をかけると、再び走り出した馬車を密かに追うよう命じるのだった。それがベケットを襲う、恐怖と戦慄の体験の始まりだった・・・
 『吸血鬼カーミラ』以来約半世紀ぶりに編まれた、アイルランドの作家シェリダン・レ・ファニュの日本オリジナル傑作選。表題中篇ほか五篇を収める。初期の単行本『パーセル文書』(1880年)から二篇、後期の短編を単行本『クロウル奥方の幽霊』(1923年、M・R・ジェイムズが逝去50周年を記念し編集。再評価のきっかけとなった)などから別に二篇選出したもの。掲載誌は主にレ・ファニュ本人がオーナーをつとめた総合雑誌「ダブリン・ユニバーシティ・マガジン」。いずれも流麗な筆致だが、やはり初期のものの方が出来が良い。
 巻頭の「ロバート・アーダ卿の運命』は、悪魔と取引して富を築いたアイルランド貴族アーダ卿の凄惨な最後を説話風に描いたもの。原初の森林地帯に屹立する弧城を舞台に、卿の人生が二通りに語られる。一方は悪魔に憑かれた罪人として、他方では従容として運命のときを迎える神のしもべとして。両者の差異により物語に幅が生まれている。
 集中のベストは次の「ティローン州のある名家の物語」。シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』にヒントを与えたと言われる名編であるが、モチーフが共通するだけで作風はかなり異なる。シチュエーションはのちのデュ・モーリア『レベッカ』と同じ〈一つ家〉形式。湖畔の領主館カヘルギラに迎えられた新妻の身に起こる数々の不吉な予兆、夫であるグレンフォーレン卿に出入りを禁じられた場所、さらに盲目の狂女の登場に加えて、ラストではそれを上回るサスペンスとセンセーションの連続となり読者に衝撃を与える。終始受け身の存在である語り手ファニーといい、クライマックスシーンの凄まじさといい、後年の傑作『アンクル・サイラス』の雛形というべき一級のゴシック小説である。本篇もヴィクトリア朝特有の「罪の意識」が、大きく影を投げ掛けている。
 長らく〈怪奇小説の巨匠〉と謳われていたレ・ファニュだが、このように犯罪を扱った作品も数多い。それもそのはずで、彼はコリンズと共にディケンズとドイルとを繋ぐ〈センセーション・ノベル〉の代表作家なのである。一八六〇年代に流行したセンセーション・ノベルは、犯罪と計略の要素を盛り込んで次代の「探偵小説」流行の母体となった。表題作は完全なる犯罪小説で、作中の謎は全て解体され、後に不可解なまま残る要素はほとんど無い。長めの中篇だが全二十六章と細かく区切られ、ストーリーは非常に速いテンポで進む。〈宿泊客が消えていなくなる部屋〉の謎を中心に据えた、異色の恋愛サスペンスである。
 後期の二作「ウルトー・ド・レイシー」「ローラ・シルヴァー・ベル」は、いずれも民間伝承を下敷きにした神隠しもの。前者に登場するアリスとウナのレイシー姉妹は非常に魅力的に描かれる。ジャコバイト最後の反乱に加わり、敗北し逃亡した父ウルトー。残された姉妹は追っ手から逃れる為、カッパーカレンの谷間にある〈お化け(プーカ)の塔〉に隠れ住むが・・・。古城で生活するなか、次第に亡霊に囚われていく妹ウナの変貌ぶりが読み処。
 以上全五篇。『カーミラ』や『白い手の怪』を含む平井呈一編に比べると小粒だが、表題作を筆頭にミステリ作家レ・ファニュの可能性を窺わせる作品集。著者の全貌に迫るならば必読のものだろう。ただし全体としては大人しめなので、点数は7点未満。

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