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ミステリの祭典

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小原庄助さんの登録情報
平均点:6.64点 書評数:267件

プロフィール| 書評

No.187 8点 星新一 一〇〇一話をつくった人
伝記・評伝
(2020/01/07 08:52登録)
ショートショートと呼ばれる極めて短い小説の手法を作り、千一編の物語を書き続けた作家、星新一。本書は、その七十一年の生涯を描いた評伝である。とにかく読んで面白い。日記や書簡を含む膨大な遺品を整理し、本や新聞、同人誌などの資料と数々の証言を得て、よくぞここまでまとめたものだと思う。
前半部は、星製薬の創業者である父、一の先進的な仕事や人となりとともに、作家の生い立ちを描く。一九五一年、父の死により、二十四歳で会社を引き継ぐも、ふたを開けてみれば借金だらけ。会社経営には向かないと自他ともに認めながら、会社整理に奔走する。沈みかけた船は、さながら地獄の様相である。
そのころ、探偵小説雑誌の軒先を借りる形で始まった日本のSF小説。一つのジャンルの草創期のエネルギーと、それがどれほどいばらの道だったかを、丁寧に生き生きと描いていく。
五七年、実質的な処女作となった「セキストラ」は、一読した江戸川乱歩が傑作と評価して「宝石」に掲載。六〇年には六作品が直木賞候補に。そして累計三千万部という、第一線のSF作家への道を歩み始める。
徹底的に分かりやすく、時代を超えた読者へのプレゼントとして生涯、作品を磨き続ける一方で、新人賞の審査員を務めて多くの後進を見出し、育てた。星作品を敬愛する作家は多い。
願わくば、全体を俯瞰する年譜が欲しかった。また新一が書いた父の伝記「人民は弱し官吏は強し」で触れられている、が一八年に刊行したイラスト付きSF小説「三十年後」が、どんな作品だったのかも知りたかった。「息子がタイム・マシンで大正の御代に舞いもどり、代筆したんじゃなかろうか」(石橋喬司)というぐらい、発想も文体も、似ていたらしい。


No.186 5点 つるべ心中の怪 塙保己一推理帖
中津文彦
(2019/12/24 08:44登録)
江戸時代の日本の文化度は極めて高かった。庶民の多くが文学を読むことができ、文化に親しんだ。天才も多かった。なかでも農民の子に生まれ、七歳で失明しながら、抜群の記憶力で和漢の学問に通じ、膨大な我が国の古典叢書「群書類従」を編纂した塙保己一は異色の天才である。
この作品は、その塙保己一を主人公とした時代推理小説。偉大な学者でありながら持ち前の好奇心で事件に首を突っ込み、独特の勘を働かせて推理する。
三話を収録されているが、表題作の第一話は、店の手代とつるべ心中した札差の女主人の話。つるべ心中とは、同じひもの両端に輪をつくり、同時に首をつって死ぬというもの。よくある身分を越えた恋の果て、といえばそれまでだが、保己一の勘が殺人事件を炙り出す。
時代推理ものには違いないが、保己一をめぐる家族関係や、周辺の人物、編集にまつわる話がさりげなく語られていて興味深い。


No.185 8点 小松左京自伝
伝記・評伝
(2019/12/17 10:03登録)
人文、社会、自然科学のさまざまな分野に通暁し、半世紀近くにわたって膨大な知見をSFとして披歴してきた知の巨人。本書はこの小松左京の軌跡とその作品世界を余すことなく伝える。
「人生を語る」「自作を語る」、という各部の題で内容は明らかだ。第Ⅰ部は日本経済新聞の連載を、第Ⅱ部は同人誌でのインタビューを基に構成されている。万人向けに書かれた第Ⅰ部に比べ、熱心な読者を前提とした第Ⅱ部は、小松作品についてのかなりの知識が必要だろう。それを補うために、巻末に主要作品の粗筋と年譜が掲載されている。良く出来た資料であり、小松作品にさほどなじみのない読者も手に取りやすくなる。
そうした一般の読者たちにとって第Ⅰ部の少年期、青年期の記述は圧巻に違いない。戦中戦後の困窮や陰惨な体験を小松は正確に、だが深刻に陥らずに回顧する。それでも時として噴出する沈痛な記憶と死者への鎮魂が、作品に漂う無常観や人類愛の起源を明らかにしている。一方恐るべき記憶力と広範な興味関心は、戦争や政治を超え時代の風俗を見事に描き出す。この細部へのこだわりもあらゆるものを包み込んだ小松世界を解く鍵なのだろう。
第Ⅱ部の作者自身による自作解説と創作の裏話は、SFファンには必読の資料である。小松はここで、SFとはあくまで「文学」であり、SFにしかできないことを追求したからこそ逆に文学を豊かにしてきたと断言する。SFに日本社会に認知させた小松だから吐ける自負の言葉だ。
そうした点からも、小説家で京大同窓の高橋和巳との親交は興味深い。「泣き上戸」と「うかれ」。対照的な二人が並ぶ一葉の写真が本書に収められている。高橋の文学は、芸術と人生の矛盾に煩悶しながら内向し純化していった。それに対して小松はSFを「一種の逃げ道」として、あらゆるものを貪欲に取り込み、自由でハイブリッドな作品を書き続ける。だが、どちらも「実存」を求める精神の生み出した文学なのだ。


No.184 7点 前夜の航跡
紫野貴李
(2019/12/02 09:56登録)
海軍軍縮条約で軍艦の保有量が制限されていた昭和初期を舞台に、仏師の笠置亮佑が彫った木像が海軍将兵の魂を救済していく連作集である。
幽霊を調査する海軍の特務機関に所属する芹川中尉と支倉大佐が、艦船衝突事故の責任を問われ自殺した艦長の霊を鎮める第一話「左手の霊示」は死者の無念を晴らす幽霊退治の物語。
これが凡庸な新人なら、事故で失った左手に亮佑の作った義手を付けたため、霊を交信できるようになった芹川を主人公に物語を進めるだろう。
ところが著者は、魅力的な芹川と支倉を第一話と最終話にしか使わない。猫の霊が宿る木像が活躍する、猫好き必読の「霊猫」、時代を超えた男の友情が感動的な「冬薔薇」、弁才天像をもらった男が、謎めいた贈り主の女を推理するミステリ色も濃い「海の女天」などバラエティー豊かな奇譚をつむいでいく。華々しい戦死でも、天災でもなく、出世競争や派閥抗争に明け暮れる上層部の人災で散った軍人の無念を、幻想小説の手法で浮かび上がらせているだけに、お役所を含む日本の組織に共通する無責任体質の問題点が、生々しく伝わってくる。
海軍の歴史に詳しい著者は、実際におきた事故をモデルにしながら、その中にフィクションを織り込んで見せる。虚実を操る手腕は熟練の域に達している。ファンタジーとしても歴史小説としても楽しめる。


No.183 7点 もうひとつの『異邦人』 ムルソー再捜査
カメル・ダーウド
(2019/10/24 10:52登録)
下敷きになっているのは、あまりにも有名なカミュの「異邦人」だ。名作を端役の視点から書き直す作品はよくあって、この小説の主人公は、「異邦人」の中であっけなく殺されてしまう名無しのアラブ人の弟。
カミュ作品の主人公ムルソーは、殺人の理由を聞かれて「太陽のせいだ」と答えるのだけど、遺族からすれば腹が立つわけで。おまけに、兄の死にとらわれた母親は、弟である自分を兄の代替物、もしくは兄のために復讐を果たす傀儡にしか思っておらず、語り手の(僕)は、つらい人生をたどることになったのだ。
作者のダーウドは、この小説の中で、名無しのアラブ人として命を奪われた青年の名を取り戻し、植民者であるフランスのムルソー(ひいては作者のカミュ)によって狂わされた(僕)のアイデンティティーを回復させようと試みている。
それは同時に、植民地時代と解放戦争時代のアルジェリアの苦難の道を描く過程にも他ならない。左から右へと流れるフランス語に対して、右から左へと流れるアラビア語。記述のスタイルさながら、”対”の概念を駆使した意欲的な書き換え作品だ。


No.182 5点 船を待つ日
村木嵐
(2019/10/02 10:52登録)
古物商のお嬢さま翠と与力の息子森之介が、人買い船の出現や徳川家の偽の御紋を付けた舶来品が出回っている謎に挑む、ユーモラスな時代ミステリになっている。
翠が眼鏡をかけた”ドジッ娘”とされているなど、漫画を思わせる設定もあるが、江戸時代の海外交易の実態が伏線になっていたり、積まれた荷物の高さを調べる「高積見廻り」の見習いをしている森之介が手掛かりを見つけてきたりと、緻密な時代考証が事件解決の鍵になっているので侮れない。
どんでん返しに意外性が無いのでミステリとして弱さもあるが、翠と森之介が捜査を通して成長し、働くことの意義を学んでいく展開は心地よく、青春小説と見れば十分の完成度といえる。


No.181 7点 敬恩館青春譜二 青葉耀く
米村圭伍
(2019/09/22 09:45登録)
大柄で腕力自慢の寅之助と病弱ながら聡明な小太郎は、千歳藩の端にある鳥越村から藩校に入学することになった。ところが藩校に到着した早々から、奇妙な出来事が連続する。実は寅之助と小太郎のどちらかが藩主のご落胤で、2人の両親はお家騒動から守るため、誰がご落胤かわからないように育てていたのだ。
二転三転する証言から本物のご落胤を当てるミステリータッチの展開に加え、2人の周囲では藩校のマドンナ京、豪商の娘お鈴とその弟で藩校で働く正助、筆頭家老の嫡男で成績優秀な淳市郎など、敵か味方か分からない人物が怪しい動きをしていくので、最後まで先が読めない。
1人を犠牲にして本物のご落胤を守る非情な計画やご落胤を殺して出世したいとの欲望を、友達を守るという少年たちの純粋さが打ち破る展開には、胸がすく思いがするのではないだろうか。
往年の明朗時代劇を思わせる痛快な娯楽作品だが、物語の背景には、「論語」が人生を見つめ直すヒントとして登場し、国家再建の力を秘めた教育の重要性が描かれるなど、重いテーマがさりげなく示されているのも、忘れがたい印象を残す。


No.180 7点 GENE MAPPER -full build-
藤井太洋
(2019/09/12 10:03登録)
技術系の知人と話していると、時々、現実の話なのか、空想なのか戸惑うことがある。今やコンピューターが描き出すバーチャルリアリティー抜きには現実を語れず、遺伝子操作も環境問題もテクノロジー産業で商品化が進んでいる。
この作品は、遺伝子設計技術と拡張現実技術が普及発展した近未来を舞台にしている。完全に遺伝子設計された「蒸留作物」が食卓の主役になっている時代。遺伝子デザイナーの林田は、自分が手掛けたイネが遺伝子を崩壊した可能性があると告げられる。
操作プログラムが暴走して封鎖されたインターネットから原因究明用のデータを探り出すため、林田はベトナム在住のハッカーに協力を依頼。コーディネーターの黒川と共に事件の真相を追う。
インターネット崩壊、コンタクトレンズに投影される拡張現実、遺伝子工学による農業、地域環境や社会産業構造の変化を織り込み、技術が暴走する危険性を描きながらも、科学技術とその最前線に立つ技術者への信頼も感じさせる好著。
著者は、ソフトウェア開発に関わる技術者であり、本書の原型は電子書籍として個人出版されて大評判になった。著者の視野には、近未来が「現実」として把握されているかのようだ。


No.179 6点 春はそこまで
志川節子
(2019/09/05 11:06登録)
芝神名宮近くの商店街の人間模様を連作形式で描いている。
物語は、跡取りの瞬次郎に不満がある絵草紙屋の笠兵衛、夫の亀之助の女遊びに悩む薬種屋の妻おたよ、両親が別れ、母と暮らす少年の佑太らを主人公にした人情話が中心になっている。
だが中盤以降は、ライバルの新興商店街から客を取り戻すために計画された素人芝居の行方や、瞬次郎と半襟屋のおちせが恋に落ちたことで巨大な陰謀の存在が浮かび上がるなど、波乱に満ちた展開になる。そのため、市井物が好きでも、サスペンスが好きでも満足できるように思える。
各章で積み残された伏線が、すべて収まるべき場所に収まる最終章はとにかく心地よく、さわやかな気分で本を閉じることができるはずだ。


No.178 7点 20世紀ラテンアメリカ短篇選
アンソロジー(国内編集者)
(2019/08/29 09:28登録)
「中南米文学、何から読めばいいかわからない」方に推薦したいのが、スペイン語圏文学の目利き・野谷文昭による本書だ。
マヤの仰臥人像をめぐるカルロス・フエンテスの恐怖譚「チャック・モール」のような有名な作品から、未知の作家の隠れた名作まで16篇を収録。初心者のみならずディープな読み手も満足できる逸品なのだ。
静養のため、湖畔の別荘に滞在している病み上がりの(僕)。地元住民から「鮭(サルモン)先生」と呼ばれる医師のめいと宿命的な出会いを果たし、愛するようになるも・・・。マッドサイエンティストSF風味の、ひねりの効いた恋愛譚になっている、アドルフォ・ビオイ=カサーレスの「水の底で」。旅先で夜の散歩に出かけた(僕)を襲った強盗が要求したのは金品ではなく、目だったというオクタビオ・パスの幻想ホラー「青い花束」。
といった、ハズレなき名篇ばかり収められているのだけれど、アンチ・ハッピーエンド派の方にお薦めしたいのは、アンドレス・オメロ・アタナシウの「時間」だ。掌編5作で構成されていて、最後に必ず息を呑むような仕掛けが用意されているのだけれど、それがもたらすのはかなりシニカルな読後感。笑い、驚き、恐怖、さまざまな読み心地と出合えるアンソロジーなのである。


No.177 9点 コナン・ドイル書簡集
伝記・評伝
(2019/08/21 12:21登録)
主にシャーロック・ホームズの作者として知られるアーサー・コナン・ドイルが残した千通に及ぶ手紙(大英図書館所収)から約600通を選んだ書簡集。ドイルの書簡がこのようにまとまった形で公開されるのは初めてだ。
私信を少年期から晩年まで年代順に並べるだけでなく、その背景の解説や作者の諸作品と関連づけて紹介されているので、非常に分かりやすい。エピソードは豊かだが筋自体はごくシンプルな長編小説のような読み心地で、枕になりそうな厚さにも苦にならない。
手紙の大半は母メアリにあてたもので、母親への思慕と崇拝の念がほとばしっている。確執が推測された父チャールズへも愛情を抱いていたことがしのばれるし、妹たちや弟への思いが伝わってきて、ドイルの人間像が鮮やかに浮かび上がる。
ドイルの生涯は冒険的だ。若い頃には船医として捕鯨船に乗り、はやらない開業医時代にホームズの物語を書いて起死回生を果たし、流行作家となるもホームズ人気に不満を募らせつつ作風を広げる。愛国者として言論活動や政治活動にも熱心で、ボーア戦争に従軍したり郷里で選挙に出馬して落選したりしたかと思うと、義憤から冤罪事件の真相を追求し、心霊主義に走って晩節でつまずき・・・と忙しい。
本書を読むと、そんな冒険の日々の奥にあったものをドイルが打ち明けてくれる。いや、私信だから、彼は打ち明けるつもりなどなかったのだが。本書は書簡集の魅力に富むと同時に、偉大な作家からファンへの「最後の最後の挨拶」とも言えそうだ。


No.176 7点 鯖猫長屋ふしぎ草紙
田牧大和
(2019/08/13 10:02登録)
猫専門の絵師、拾楽が飼っている鯖縞柄の雄の三毛猫サバが一番威張っている江戸の長屋を舞台にした人情捕物帳である。
拾楽は、長屋に越してきた美女お智が起こす恋愛騒動、怪しい開運うちわを売っていた男が逆に脅される事件、読本作家のもとへ現れる幽霊などの難事件を解決していく。物語は一話完結のように思えるが、終盤になると一度解決した事件が伏線になり、驚くべき真相が浮かび上がるので、長編としても楽しめる緻密な構成になっている。
当初はコミカルな展開も多いのだが、拾楽とお智の謎めいた言動の秘密が解かれるにつれ、人には誰にも見せない心の闇があることも浮き彫りになってくる。だがラストには、絆と人情こそが心の闇に対抗できる唯一の手段とのビジョンが描かれるので、晴れやかな気分になれるはずだ。


No.175 7点 悪の五輪
月村了衛
(2019/08/05 09:41登録)
東京五輪が来年に迫る中で刊行された本書は、昭和の東京五輪をめぐる暗鬱で痛快な社会派クライムノベルだ。
主人公で映画好きの変人ヤクザ、人見稀郎は思う。「一円でも多く、自分だけが儲けたい。金、権力、名声、色、そしてまた金。オリンピックの五つの輪は、そのまま五つの欲を示している」。そんな諸悪をメディアはスルーし、五輪第一の絶対的な同調圧力が国家と社会の隅々にまで行き渡っている・・・。
五輪の記録映画監督に決まっていた黒澤明が1963年3月に降り、翌年1月に市川崑が選ばれた。物語は二つの事実の間にひろがる昭和の闇を次々に暴いていく。
稀郎が所属する東京の暴力団に、錦田欣明を監督にという話が持ち込まれた。稀郎は気が進まぬまま錦田に会う。人としても監督としても駄目だと思うが、映画作りへの夢と情熱は感じられた。稀郎にとって映画は、戦争で死んだ兄との思い出であり、欺瞞だらけの世の中で唯一信じられる嘘だった。稀郎は新たな映画作りに向かって錦田と走り出す。
オリンピック組織委員会から調べ始めた稀郎に、醜悪な情報が集まってくる。五輪に深く関係する企業の利権に、政治家と官僚の利権が見え隠れし、全国の大小暴力団の利権争いが重なる。映画界に巣くう差別も露呈する。稀郎の行く手を阻む巨大な闇の数々だ。
この虚構の物語には伝説のヤクザ花形敬や、反骨の映画監督若松孝二、映画界の実力者永田雅一や、フィクサー児玉誉士夫ら実在の人物が登場する。山田風太郎の明治伝奇小説は虚実を巧みに織り交ぜたことで知られるが、本作は月村了衛版昭和伝奇小説か。
しかし、山田作品が明治への挽歌であったのに対し、本作はいまだ終わらず次の五輪で反復されるだろう「悪の昭和」への怒りを、読者に強く強く求めている。社会悪ばかりか国家悪にもとどく、近年にない超硬派の冒険小説を、怒りを共有しつつ堪能した。


No.174 8点 宿借りの星
酉島伝法
(2019/07/29 10:20登録)
衝撃のデビュー作「皆勤の徒」を含む第1作品集で、日本SF大賞を受賞した長編第1作は、期待を裏切らない「異様な」傑作だ。
この小説は3部からなり、地球とは異質な生態系で進化したさまざまな、あえていうなら節足動物や軟体動物を思わせる生物がうごめく世界を舞台に、「古事記」や「オデュッセイア」のような壮大な物語が展開する。
次々と現れる不思議な存在たちの姿や行動は、細部まで丁寧に描写されているが、あまりにも独創的で、戸惑う読者も多いだろう。それでも、この作品の魅力に幻惑され、堪能することは可能だ。
「前編 咒詛の果てるところ」は、ヌトロガ俱土を追放されたマガンダラの漂泊譚の形をとりながら、この世界のおきてや試練、異なる生物種間の友情などが描かれる。続く「海」は、そんな世界に卑徒が入植しようとして変質していった過去が明かされる歴史物語。最後の「後編 本日はお皮殻もよく」は、彼ら異質な生物群が暮らす御惑惺様の秘密に迫る、いわば宇宙史のドラマだ。
事無霧を散布しながら巨体を引きずるように移動する「御侃彌」、中空の胴体で空中を漂い、焼くと小気味よい食感がするという「風虹」、扨の樹の幹ほどもある長筒頭で声を響かせる「ヌダイグァン蘇俱」・・・。彼らの異様な生態や社会制度、さらには、彼らを取り囲むこれまた異様な環境など、「世界」の全てが、見慣れない漢字の交じりのおびただしい造語によって表現されている。
漢字の字面と、ルビで示された読みは読者の想像力を喚起し、さまざまなイメージを呼び起こす。そして意外にも、彼らのドラマに共感している自分に気付く。著者自身によるイラストも、リアルで不気味でありながら、どことなく愛嬌があって魅力的だ。


No.173 7点 皆勤の徒
酉島伝法
(2019/07/29 10:20登録)
第2回創元SF短編を受賞した表題作を含めて、同じ未来史に属する世界を描いた4編からなる本書は、幻想文学的なイメージ喚起力でも、ハードSF的な科学的アプローチでも、実に見事な作品。地球ならびに人類の変容が、前例のない壮大で異様な物語として語られる。
ナノレベルのマシンの暴走で文明が崩壊した後の世界。人類の多くが生体を捨てて生物機械に人格を転写し、再生知性として延命する一方、生身のままであることを選んだ者たちはシェルター「避難蛹」で冷凍眠に入る。だが、そのどちらにも、人間という概念からは逸脱した未来が待っていた・・・。
圧巻なのは登場するさまざまな存在や事象の不気味なリアルさ。著者は、漢字の意味と呪術的形態と、読みの音声イメージを活用した造語を巧みに繰り出し、おどろおどろしくもおかしみを誘う圧倒的な「グロテスクリアリズム」を達成した。具体例を挙げると塵造物、隷重類、遮断胞人などなど。これらがどんな存在かは読んで確かめてほしい。なお、幻想性を楽しみたい方は冒頭から、ハードSF的な世界像の把握が気になる方は「百々似隊商」から逆に読んでいくといいかもしれない。


No.172 5点 尼子姫十勇士
諸田玲子
(2019/07/19 11:13登録)
1566(永禄9)年、出雲の大半を支配していた尼子氏は、毛利に責められ壊滅した。それから2年。尼子勝久を頭領とした、尼子再興軍が挙兵する。陰の頭領は、勝久の母親のスセリ。山中鹿介を筆頭とする尼子十勇士など、集まった面々も頼もしい。神の化身である八咫烏を身に宿す、スセリのカリスマ性も抜群であった。だが最初の勢いが収まると、再興軍はしだいに追いつめられる。そしてスセリは、神々の軍勢を求め、黄泉の国へ向かおうとする。
尼子十勇士とは、尼子氏の再興のために立ち上がった10人の勇士のことだ。作者はその十勇士に加え、個性的な人々を創造し、彼らの戦いの軌跡を活写。ここが重厚な歴史小説として楽しめる。
さらに本書には、もうひとつの大きな読みどころがある。女性陣を中心にした神話的ファンタジーだ。なにしろ実際に黄泉の国まで行ってしまうのだからビックリ仰天。歴史小説とファンタジーという、二つのジャンルを同時に味わいながら、戦国の有情無情に心を揺さぶられる、ぜいたくな作品なのだ。


No.171 8点 蜂工場
イアン・バンクス
(2019/07/10 09:33登録)
語り手<おれ>は16歳のフランク。スコットランドの小さな島で、父親と2人で暮らしている。フランクには四つ上の異母兄エリックがいて、家を離れて医学を学んでいたのだけれど、ある出来事がきっかけで精神に失調をきたし、今は<精神病院>に収容されている。ところが、病院を脱走。物語は、その知らせがもたらされたところから始まるのだ。
まずは、フランクの造形に瞠目。島のあちこちに、海カモメやハツカネズミの死体を打ちつけた<生贄の柱>を立てている。島の見回りをするときには、自分で製造した爆弾などの武器を入れた<戦時袋>や強力なぱちんこを持参する。屋根裏部屋に作った巧緻な装置<蜂工場>から、未来の予言を得ている。
異様なのは、そんな自分だけの呪術的な世界に生きている様子だけじゃない。フランクは、幼い頃に3人殺害しているのだ。その殺し方が、思わず感嘆の声をもらすほど独創的な上、動機がまた!(絶句)
時々電話をかけてきては、自分が少しずつ島に近づいていることを告げる兄のエリック。エリックが何を起こそうとしているのか、<蜂工場>におうかがいを立てるフランク。そのさなかに明らかになる、驚愕の真実。
小さな島で暗黒神話のような世界をつくり上げ、インモラルな思考のもと、生き生きと楽しい日々を送るフランク。その強烈なキャラクターに、いつしか魅了されている自分がいる。グロテスクな美と危険な香りが横溢する異形の傑作なのだ。


No.170 8点 マンチュリアン・リポート
浅田次郎
(2019/07/01 11:20登録)
李鴻章に袁世凱、張作霖に宋教仁。若い頃は、名前を聞くだけで混乱した。学校でも、その時代を詳しく教えられることは無かった。それが今や、彼らの風体から性格、しゃべり方にまで想像を巡らせ、気軽な字(日常で呼び合う名前)で読んでしまうほど入れ込んだのは、浅田次郎氏の作品に出会ったからだ。この作品は特にお気に入りの一冊である。
「蒼穹の昴」シリーズの第4部で、昭和天皇の蜜命を帯びて満州にわたる若き軍人を主人公に、張作霖爆殺事件の「真相」に迫るミステリ。歴史に向き合う謙虚さは保ちつつ、意表をつく展開で読者を引き込む本書は、前後作を読んでいない人でも十分に楽しめる。
清王朝の廃退と革命の躍進、それにつけ入ろうと蠢く関東軍の謀略を背景に、馬賊たちの荒々しくも純朴な人間模様が絡み合う。
爆殺現場へと近づく一駅一駅に人間ドラマが展開し、間もなく爆破される運命にある機関車までが”独白”をしてみせる。人格を持つ鉄の塊が語り合う相手は、日本の戦国武将を思わせる張作霖その人だ。濃密な密室劇は緊迫感に満ちていて、思わず落涙させられてしまうほど。
史実の読み解きを巡っては、昨今、中国や韓国と論争が絶えず、不都合な歴史を書きかえようとする動きも目立つ。歴史を語るには息苦しさがつきまとい、負の歴史が表舞台から消えるのも早い。
だが浅田ワールドは世知辛い現実をやすやすと乗り越え、思うさま歴史の旅を満喫させてくれる。「相手」の歴史や文化をよく知ることの大切さも教えてくれる。他の国の人々を安易に侮辱する風潮には歴史認識の欠如が根底にある。その隙間を埋めてくれる。
歴史書や当時の地図をひもといて事実確認をしないことにはどうにも落ち着かない。それもまた、楽しからずや。


No.169 7点 ふたり女房
澤田瞳子
(2019/06/24 09:57登録)
幼い頃に公家の娘である母を亡くし、医師の父も行方不明になった真葛は、京にある幕府直轄の薬草園を管理する藤林家に引き取られ、薬草と医学を学びながら成長した。
薬種屋で奉公している娘が音信不通となる「人待ちの冬」、恐妻家の武士の意外な過去が明かされる「ふたり女房」、藤林家から出たという薬で隠居が毒殺される「初雪の阪」など六つの事件に挑んでいく。
真葛の推理を通して、目的のためなら手段を選ばない人間の欲望、格差社会の犠牲になる弱者、女性への差別といった、現代とも共通する問題があぶり出されていくので、作品のテーマは重い。ただ厳しい現実と自分の未熟さを突き付けられた真葛が、努力を重ね、周囲の人たちにも助けられながら、少しでも人の役に立とうと奮闘する姿はとても心地よい。困難を乗り越え成長する真葛の活躍は、青春小説としても秀逸である。


No.168 7点 満州コンフィデンシャル
新美健
(2019/06/14 09:23登録)
物語の舞台は、1940年から45年の満州である。訳あって満州に飛ばされた元海軍士官候補生の湊春雄。満州映画協会(満映)に出入りしている、正体不明の西風と腐れ縁になり、さまざまな騒動や事件に関わっていく。機密フィルムの運搬や満州皇帝の暗殺計画に巻き込まれるなど、起伏に富んだ冒険譚が楽しめるのだ。
さらに、有名な大陸浪人の伊達順之介、合気道の植芝盛平、満映の女優の李香蘭、東洋のマタ・ハリといわれた川島芳子ら実在人物が次々と登場。春雄と西風をはじめとする、満州に生きた人々の夢とその終焉をきらびやかに彩るのだ。
終盤で判明した春雄の抱える意外な事実や、物語の締めくくり方など、ストーリーも巧みである。俊英が渾身の力を込めた勝負作だ。

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