人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.33点 | 書評数:2110件 |
No.810 | 6点 | ローラ殺人事件 ヴェラ・キャスパリ |
(2020/04/17 02:59登録) (ネタバレなし) 1941年8月のニューヨーク。「私」こと52歳の巨匠評論家ワルドー・リデッカーの手記から、物語は開幕する。手記の中には、ワルドーが7~8年前からその才能を認めて後見してきた広告業界の才媛で、先日何者かによって殺害された女性ローラ・ハントについての出会いから今日までが語られていた。NY警察本部の若手捜査部長マーク・マックファーソンは、ローラの叔母スーザン(スー)・トレドウェル夫人や、ローラの婚約者で同僚でもあるシェルビー・ジョン・カーペンター、そしてくだんのワルドーにも接触。ローラ周辺の情報を集めていくが、やがて事件はあまりにも劇的な展開を見せた! 1942年のアメリカ作品。著者のヴェラ・キャスパリは処女作の本作以前から、シナリオライターとして活躍。ミステリ映画の脚本なども、ものにしていたようである。 本編は全部で長短五つのパートに分かれ、最初の章が前述のワルドーの手記、次の章が二人目の「私」となった青年刑事マックファーソンの視点から語られる、そして……と、順々に話者や記録の形式が交代・変遷する構成。 こんな流れの途中で、相当のサプライズが用意されている。 それがどんなショックかは、先にレビューをされたお二人に倣って評者も絶対に具体的には書かないが、実は自分の場合は少年時代に読んだミステリマガジンのバックナンバーで目にした某記事で教えられてしまっていた(涙)。とはいえよくあることだけど、本作に際しては自分の場合、そのネタバレを聞いて「え、なにそれ、面白そう!」とむしろ興味を煽られたんだけど(笑・まあ中盤の仕掛けだしね)。 しかし、そのショッキングな中盤の山場を経た後半のストーリーが、古い翻訳の読みにくさもあって本当にタイクツ……。 それでもなんとか最後まで読むと、実はなかなかトリッキィな作品だと思い知らされて(たぶん誰も指摘していないだろうけど、海外の某パズラー系の巨匠作家の代表作のひとつに影響を与えたんじゃないか?)、そのギミックと渾然一体になった人の心の機微というか、文芸味にもしみじみとさせられる。 最後で明かされる(中略)の鮮烈さ、ソレに対しては絶対に共感も納得もしてもいけないけれど、しかし深いところでの理解はできる、という感じだ。 個人的には、文芸性の濃い(ただしその分、通常のパズラーとは少し軸足の違う)一種のフーダニットとして読んでもいいんじゃないかと思う一作。 繰り返すけれど翻訳の読みにくさ、古さの点でフツーに楽しむにはちょっとキツかったけれど、中身そのものはなかなか出来のよい作品だと思う。 キャスパリはまだあと二冊、近年に翻訳が出ているので、そっちもおいおい読んでみよう。 |
No.809 | 6点 | 僕は君を殺せない 長谷川夕 |
(2020/04/16 05:31登録) (ネタバレなし) 表題作は、そこにある挿話を、構成上の幻惑で実際以上に印象的に語るという意味で、夢野久作の『瓶詰地獄』を思い出した(もちろんその構成そのものの舵の切り方などは、まるで違うが)。 ちなみに名探偵ジャパンさんのおっしゃる、作者の恣意的な手法「わざと解像度の低い画像を見せていて、いざというときになってから解像度を上げて」いる、についてはまったくその通りだと思うが、個人的にはこの作品の場合、それもまたひとつの技巧でよいのでは、という観測(あくまで個人の所感ですが)。 ただし送り手の狙おうとした効果の程には、まだまだ伸びしろがあったろうなという感慨も抱くので、そこらへんはちょっと減点。 しかし表題作に触れて頭の中に夢野の名前が浮かんできたせいか、後半の『Aさん』も『春の遺書』も、どちらもなんか、戦前の博文館系列の「探偵小説」の発掘作品、その浪漫系の短編を読んでいるような味わいであった。作中の風俗などを昭和初期のものに書き改められて、たとえば渡辺兄弟(啓助&温)あたりが一時期こういうものを著していたんだよ、と、年長のミステリマニアに何食わぬ顔でしれっとからかわれたら、半ば信じてしまいそうな感触もある(笑・汗)。 そういう意味では、いまの時代で、逆に新鮮な作風でもあった。 ジャケットカバー裏表紙の大仰な物言いは、確かに過大広告だろうけど、そんなに悪くはないです。 評点は0.5点くらいオマケして。 |
No.808 | 6点 | 嘲笑う闇夜 ビル・プロンジーニ |
(2020/04/16 03:13登録) (ネタバレなし) ニューヨーク州の一角にある田舎町ブラッドストーンで、謎の殺人鬼が幅広い年齢の女性たちを襲う。「切り裂き魔」とマスコミに命名された殺人鬼はすでに3人の女性を切り刻み、その遺体に小さなダイヤ型の傷痕マークを記していた。27歳の女性で同地の出身である雑誌の特派員ライター、ヴァレリー・ブルームは、取材のために10年ぶりに故郷に帰還。だがヴァレリーに同行した、アマチュア犯罪研究家の精神科医師ジェイムズ・フェラーラは「<切り裂き魔>は潜在的・発作的な二重人格者で、平時は当人も自分が殺人鬼であることを全く自覚していない可能性がある」と主張した。やがてブラッドスートンの町に、新たな死の気配が。 1976年のアメリカ作品。名無しの探偵オプものを初期三部作で小休止させた時期のプロンジーニが発刊した、小説家志望の若手バリー・N・マルツバーグと組んでものにする合作路線の第一弾。 わかりやすい構成と多視点描写を活用し、日本語の文庫版で480ページ以上をほぼ一気に読ませてしまう。このスピード感はまずは結構。 さらに作中の登場人物の大半が殺人鬼「切り裂き魔」である可能性も早々と語られ、つまりこの嫌疑を受けないのは、リアルタイムで殺害シーンが描かれる被害者キャラのみ……? ということになってしまう。この趣向そのものは、なかなかパワフルで好ましい。 とはいえ終盤の荒っぽい仕上げは、まあ……B級のトリッキィスリラーとしてはこんなものかしらね(苦笑)という感じ。 ちょっとよく読むと、さりげなく「え?」というところもあるのだが、そこら辺も仕掛けだけしておいて、あったほうがいい演出をサボった印象である。 決して完成度の高い、あるいはよくできた作品とは思わないけれど、一方で読まないで放っておくと気になるよね、こーゆーの。その意味ではある種の成功した作品といえるかも。 (ただやっぱり最後まで読んで、その上で……ムニャムニャ。) |
No.807 | 7点 | 恋霊館事件 谺健二 |
(2020/04/16 02:41登録) (ネタバレなし) 作者の第三冊目の著作で、全六編の連作を所収した、書き下ろしの中短編集。 阪神淡路大震災の被災を主題にした処女作『未明の悪夢』の主人公コンビ、占い師の雪御所圭子と私立探偵・有希真一を主人公にしたシリーズの第二弾でもあり、前作は長編だったが今回は連作中短編集の仕様で語られる。 震災当日の1995年1月17日から5年後の2000年までに、被災地で起きた数々の、時には怪怪奇現象とさえ思われる不可思議な事件(密室殺人から、夜間の幽霊の出没、路上ののっぺらぼうや、電車内の異形の怪物の出現、複数の目撃者の眼前での不可解な殺人……そのほか)が続々と綴られる。なお表題作『恋霊(こりょう)館事件』では『神の灯』ライクの館の消失が大きな謎のひとつになっている(同編のパズラー的な趣向は、そればかりではないが)。 全体的に「幻影城」新人時代の泡坂・連城などのトリッキィさを想起させる、中短編謎解きミステリの興趣だが(それは各編がパワフルな反面、どこかやや荒っぽい側面も含めて)、作者が本シリーズのなかでミステリの面白さと同時にしっかり伝えたい「震災後の人々の人間模様」も入念に叙述される。 特に、連作を読み進むなかで大半の読者が実感していくはずの、主人公コンビ・圭子と有希の立ち位置の変遷は、あえてシリーズの二冊目を長編でなく書き下ろしの連作短編集で出した作者の思惑に沿ったものだろう。いくつもの事件が積み重なっていく1995年から2000年の歳月の事件簿のなかで、この二人の内面や社会的な足場がどのように移ろっていくのかは、確実に本書が擁する大きなテーマだ。 現実の被災の悲劇を主題にしつつ、そこに連作ミステリとしての形質をくみあわせて、メッセージ性と同時に謎解きパズラーの魅力を十全に感じさせる一冊。一部のエピソードでは登場人物の少なさや伏線の丁寧さから先読みできてしまうものもなくはないが、得点的には十分に水準以上の秀作が大半だろう(ちなみに第一話の時点でちょっと思うところがあるかもしれないが、そのまま黙って第二話以降に読み進んでほしい)。 本シリーズは第三冊以降もさらなる展開を見せるらしく、一部の評価も高いようなので、そのうち読むのを楽しみにしている。 |
No.806 | 5点 | 罠 アンドリュウ・ガーヴ |
(2020/04/15 04:17登録) (ネタバレなし~途中まで) 1963年11月のある日曜日の夜。ロンドン近隣の町ラドレッドで、65歳の画家ジョン・エドワード・ラムズデンが何者かに絞殺される。38歳の家政婦ケイシー・ボウエン未亡人の通報で警察が到着。やがてスコットランドヤードの主任警部チャールズ・ブレアと部長刑事ハリー・ドーソンが捜査を進めるなか、殺されたラムズデンが画家としては才能もなく稼ぎも乏しかったが、死別した妻の遺産をかなりの額、相続していた事実が明らかになる。さらにラムズデンはケイシーと再婚の予定だったこと、また甥の青年マイケル・ランスリーと、友人で画商のジョージ・オトウェイにそれぞれ万が一の場合、遺産を半分ずつ遺すつもりらしかったことも確認された。ブレア警部たちは複数の容疑者の動機と機会を洗っていくが、嫌疑の濃い者のなかにはどうしても崩せないアリバイがあった……!? 1964年の英国作品。 ガーヴらしい冒険小説、もしくはスリラー要素は皆無。サスペンス性も希薄なガチガチのパズラー(ただしライト級)で、クライマックスまではフーダニットの興味でひっぱり、最後の最後では嫌疑が固まった被疑者のアリバイ崩しものになる。 【以下、もしかしたらネタバレ~なるべく気をつけて書くけれど~】 本作は前述のとおり、かなりストレートな謎解き捜査&アリバイ崩しもの。 だが肝心のトリックが、藤原宰太郎の著作(「世界の名探偵50人」など)で、そこだけ抜粋して紹介されてかなり有名でもある。さらにこのトリックは日本でも一時期かなり話題になったようで「はたして本トリックは現実に実行可能なのか」と実験(テスト)を試みた推理文壇関係者もいたという記事を、別の場で読んだ覚えもある。 本書『罠』を未読で、今後読むかもしれないor内容に関心がある人は、藤原センセのその手の著作を中心に、しっかり警戒することをオススメする。 かたや評者なんかは中学~高校の少年時代からそんなネタバレの災禍に晒されていたため、もはや読む気もあまり湧かないなあ……という恒常的な気分だったが、そろそろまあ……くらいの心根で、このたび実作を手にとってみた。 結局、やはり、トリックを先に知っていると真犯人は一瞬でわかってしまい、その辺をさっぴくとあまり賞味部分もない、全体的に痩せた作品。 とはいえ素で読むと、最後までそのトリック=ハウダニットの興味に絞り込んでいく後半の盛り上げ方はけっこううまいんじゃないの? という思いも生じたりした。 だからこれはもう本当に、まずは白紙の状態で手に取り、どうやって犯行したんだろうとハラハラし、そして最後に作者が用意したトリックを教えられ、「え、そんなことホントにできるの!?」と驚き感心する(いや、ムリだろとツッコんでもいいが)のが正しい読み方の作品なのだった。 それでもって、あたりまえだけど、トリックをネタバラシしたのは藤原宰太郎(あるいはその同類のヒト)であって作者じゃないのだから、ガーヴにまったく罪はない。 むしろとにもかくにも、よくもまあこんな印象的(確かに!)なトリックを創造し、盛り上げた演出で読ませてくれたと本作を書いたガーヴをホメるべき……なんだけど、そんな一方で、トリックしか価値がないような一発ネタ作品を「あの」ガーヴが書いたってのもなあ……という思いもある(笑)。 (だってガーヴのサプライズ作品っていったら、ほかにもアレとかアレとかあるけど、その辺は決して、そのサプライズやトリックオンリーの作品じゃないものね?) そういうわけでいささか評価に困る作品。とにもかくにもまだ読んでない、トリックを知らない方はさっさと読むことをオススメする。くれぐれも藤原センセのその手の本とかは、警戒するように。 (とはいえ、個人的には往年の「藤原本」を100%否定はしないけれどね。「世界の名探偵50人」がもしもこの世になかったら、絶対に今のミステリファンの自分は存在していないと、胸を張っていえるので~笑&汗~。) 【追記】 登場人物のひとりに、家政婦ケイシー未亡人の姉で、エイリーン・マーチャントという主婦が出てくるが、この人は巻頭の登場人物一覧では「妹」と記載されている。当然原文では単にsister表記だから、姉にするか妹にするかは翻訳上の判断であったのだろう。 それで、本文を読むとケイシーは15年前に夫と死別した未亡人とあり、なんとなく年季のある女性っぽいので、たぶん当初はケイシーの方を日本語で姉設定にしたのだろうが、しかしさらに読み進めていくと今度はエイリーンの方が大家族で子だくさんという作中の情報が判明してくる。それで最終的には、本文内でエイリーンの方を姉設定にしたのだと思う。 以上のような流れで、混乱の事情はなんとなく見えてくるような気もしないでもないが、この辺はきちんと早川の編集の方で、整備しておいてほしかったところ。万が一、再版や文庫化の機会でもあったら、統一しておいてください。 |
No.805 | 6点 | 人蟻 高木彬光 |
(2020/04/14 20:18登録) (ネタバレなし) 記憶の中にある『誘拐』『破戒裁判』の二大傑作に比すると、百谷泉一郎の若々しい言動がかなり新鮮であった。 かたや明子のいい女っぷりは初弾の本作から全開で、たぶん当時の高木彬光の目標は<アメリカのよくできた夫婦探偵ものの再現>だったのだろうと勝手に想像している(明子の「メイスン」シリーズファンだという発言は、本作を法曹界ものというより、まずはそっちの<おしどりコンビもの>のラインで、という作者の意志表示だろうね)。 ストーリーの前半は文句なしに面白いが、途中で敵側の設定が見えてからは話がとっちらかってきた。過去の事件の実態なども、キーパーソンのキャラクターを見せるためにあれこれ都合よく調整された感じ。「シャーロック・ホームズ」の正体も、途中で仮想される人物の方がロマンがあった。 今後のシリーズを築き上げていく前の助走的な感触だが、断片的には得点要素も少なくない。ページが残り少なくなっていく中、最終的にどのジャンルに着地するかという読み手の興味を煽る感覚は、この作品ならではの趣だったし。 |
No.804 | 8点 | 血染めのエッグ・コージイ事件 ジェームズ・アンダースン |
(2020/04/14 03:35登録) (ネタバレなし) 想像を上回る傑作! クライマックスの謎解きでは、(中略)の意外性で顎が外れる快感を、久しぶりにたっぷり味わった。 かたや事件の真相が明かされるなかで比較的早めに明かされるトリック(いちばんでかい方ではない)は、国内の某名作の<あの名シーン>を思い出した。 殺人が起きるまでがけっこう長く、凡庸な作家が書いていたら確実に欠伸が出まくるところだが、多様な登場人物の描き分けの上手さと程良いギャグのスパイスで、まったく退屈しない。扶桑社版で500ページ以上の長さだが、実質一日で読み終えた。 こちらの勘違いでなければ、宇野利泰の翻訳って結構毀誉褒貶あったと思うのだが(誤認でしたらすみません)、少なくとも本書においては全体の読みやすさ、そしてあるポイントにおいて、舌を巻く見事さである。さすが超Aクラスのベテラン! 笑わせ方が全体的にやや田舎っぽいが、それもまた味(ウィルキンズ警部の警棒のエピソードとか、昭和のマンガ的な天然さで愉快であった)。 後半でのある人物たちのトッポい描写などは、赤川次郎の快作『女社長に乾杯!』のラスト(大好きなのだ)までも想起させた。 ウィルキンズ警部シリーズの二作目もいずれ読むだろうけれど、そっちを読了するまでには、未訳の三作目もぜひとも翻訳してほしい。 ホックの「コンピューター検察局」、デアンドリアのニッコロウ・ベイネデイッティ教授もの、ウィリアム・モールのキャソン・デューカーもの、ニコラス・メイヤーのホームズパスティーシュ……に続いて <「二冊目で翻訳とめないで、あともうひと声、最後の一冊を出せや!」と言いたいシリーズ> がまた増えた。こんなのが数を増しても、あんまり嬉しくないが。 (英語Wikipediaによると、作者アンダースンは、くだんのシリーズ3作目を上梓したのち、2007年に亡くなったらしい。残念。) |
No.803 | 6点 | 吸血鬼に手を出すな スチュアート・カミンスキー |
(2020/04/13 17:16登録) (ネタバレなし) 日本軍の真珠湾攻撃の衝撃に全米が揺れる、1942年1月のロサンジェルス。「俺」こと私立探偵トビー・ピーターズは、ボリス・カーロフの仲介でベラ・ルゴシの依頼を受ける。すでに60歳代の老境に至り、十八番の吸血鬼役を演じる機会も少なくなっていたルゴシだが、それでも吸血鬼ファンの間ではカルト的な支持を集めていた。だがそんなルゴシのもとに蝙蝠の死体が送られ、何者からか嫌がらせを受けているという。ピーターズは、早速、現在のルゴシの周辺の人物に探りを入れるが、そんな矢先、弁護士を通じて、殺人容疑をかけられたウィリアム・フォークナーの潔白を晴らしてほしいとの新たな依頼が入ってきた。 1980年のアメリカ作品。往年のハリウッド周辺を舞台に、実在のビッグネームの映画関係者と関わり合う私立探偵トビー・ピーターズもののシリーズ第五作。 先輩格のエド・ヌーンやらシェル・スコットたち1950年代B級ハードボイルドの伝統を、もっとも色濃く1970年代後半~80年代以降に継承した感のある本シリーズだが、今回は正にそんな雰囲気で一冊仕上げられている(ただしお色気やヒロインとのいちゃつきシーンの類は、ほぼ皆無)。 ちなみに本作は、事件(主にフォークナーの方)の流れの上で物語に関わってくる警官たち=ピーターズの実兄で、愚直かつ冷徹な法の番人であるフィリップ(フィル)・ベウズナー警部、フィルを尊敬する一方でなんとなくピーターズとも仲のいいスティーヴ・セイドマン警部補、さらにヴェニスから転属してきたプライドの高い新米刑事ジョン・コーウェルティなどもそれぞれキャラクター性豊かに描かれ、私立探偵小説のなかでの警官キャラの扱いについてひとつの良いお手本のような感じであった。終盤、そんななかの某キャラに向けたピーターズからの、揶揄するような、あるいは労るようなとある一言も心に響く。 一方で2つの事件の方もハイテンポに語られ、当然ながらストーリーの比重はフォークナーのからむ殺人事件の方に次第に傾いていくが、物語の半ばで明かされる奇妙な射殺トリックなどちょっと印象的(そんなにうまく行くのかという気もしないでもないが)。 最終的には意外に事件の裾野が広がらなかった感じもままあるが、まあその辺はぎりぎり合格ラインか。 メインゲストのルゴシもフォークナーも実にカッコイイ。 ルゴシは穏やかに言った。 「きみも私も吸血鬼ではないよ。われわれは単に夢を持った男たちというだけで、その夢は実現しない。その事実に耐えて生きていかなくてはいけないのだ」 |
No.802 | 5点 | 髑髏島殺人事件 都筑道夫 |
(2020/04/13 03:27登録) (ネタバレなし) 中央線沿線の多摩由良駅西口にあるマンション「メゾン多摩由良」。そこの主任警備員の娘・滝沢紅子(通称コーコ)は、元学友の男女3人と結成する「今谷(いまだに)少年探偵団」、そしてプロの推理小説作家・浜荻たちとともに、これまで何回もアマチュア探偵として事件を解決してきた。そんな紅子の自宅の中に、ある日、見も知らぬ男の死体が転がっている。しかし警察に通報して戻ると、死体の傍にあったはずの新刊ミステリ『髑髏島殺人事件』がなくなっていた? 紅子たちは、少し前にメゾン多摩由良に転居してきた新鋭推理作家で『髑髏島殺人事件』の作者でもある風折圭一に接触。一方で死体が遺した? ダイイング・メッセージの謎に迫る。だがそんな一同の周囲でさらなる事件が……。 当時の都筑道夫が15年ぶりに書き下ろした作品で「退職刑事シリーズ」と世界観を共有する(紅子は退職刑事の実の娘)滝沢紅子シリーズの長編第一弾。ちなみに作者の著作(書籍)としては初めて「殺人事件」の四文字が入った一冊だそうである。 かねてから読みたいと思いながらいつものように本が見つからず、昨晩、蔵書の山をひっかきまわしたらようやく出てきた(笑・汗)。 ちなみにいかにもクロ-ズドサークルの絶海の孤島ものっぽいタイトルだが、事件は都内の大都会で全編が進行。タイトルは作中に登場する架空のミステリ作品の書名だ。キーティングの『パーフェクト殺人』と同方向の趣向(?)だが、なぜかこっちはあまり面白い感じがしない。作者はウケると思っていたのであろうか? ダイイング・メッセージへの執着そのものは悪くないけれど、例によってツヅキ流のルサンチマンいっぱいのトリヴィアを迂回するので推理の余地はあまりなく、最後の真相もああ、そんなものですか、であった。しかし三人目の被害者の叙述は、客観的な情報が読者目線で与えられない上、紅子たち自身の捜査も限りなくテキトーで、いいのか、これ? という思い。犯人の正体も犯罪の実態もなんだかなあ……という感じである。 よかったのは、紅子の仲間でミステリ翻訳家の「タミィ」こと平岡民雄がマイケル・アヴァロンのエド・ヌーンシリーズを翻訳中だという描写。もちろんこの作品のなかだけでの話題で、1980年代の後半にエド・ヌーンものを翻訳刊行してくれる出版社と翻訳家がもし現実にあったら&いたら、オレは出版された本を家の神棚に置いて、一週間は拝むだろう(笑・涙)。 「いい夢を見せてもらったぜ……」と、トッド・ギネス風に言って、この感想はおしまい(笑)。 |
No.801 | 7点 | あなたに不利な証拠として ローリー・リン・ドラモンド |
(2020/04/13 02:44登録) (ネタバレなし) 10~十数年くらい前、評者のミステリ全般への興味が一時期消極的だった頃に、ブックオフの100円均一の中から拾ってきたポケミス版(かなり売れた本だけに古書の流通も旺盛だったのであろう)。 その当時でもさすがに、これが刊行年次の「このミス1位」だというくらいは知っていた。お得な買い物をしたかなと思う一方、パラパラとなんとなくめくって「今はこんなのが評価されているのか」とだけ所感。そのまま家の中のどっかにいっていた。 それで現在、雑食系ミステリファンとして目いっぱいの自覚のなか、改めてたまたま出てきた本書を通読したが、うん、確かに独特のオーラを感じる連作短編集であった。 なんというか、星の数ほどいるミステリ作家のなかにはウォンボーとか実際に警察官の経歴がある作家も散在。そういう連中の筆が踊った時には、実体験に支えられたリアルな筆致がいいようのない迫力を感じさせるが、これはそのなかでも婦警という主題に特化したこともあり、すごく鮮烈な感銘を受けた(つきつめていけば個々のドラマの主題は、それぞれかなり普遍的でよく見知ったものに回帰するような感覚もあるが)。 個人的にはやはり最後のサラ編の二つがベスト(最初の方が彼女のドラマの正編で、次の話がその正編と裏表になって結晶化する後日譚という趣)なんだけど、そこに行くまでのほかの4人のヒロインの連作、諸作も<生半可な読み方のは許さないよ>的な気概を感じさせ、確固たる物語の集落をきずきあげていく。 これまでの人生で読んだ広義のミステリの短編群でいえば……、ハル・エルスン(Hal Ellson/ハーラン・エリスンじゃないよ) の非行少年もの、あの婦警版とでもいう味わい……そう言ってよいような、まだ微妙に違うような? ちなみに訳者あとがきに書かれている作者の第二作の長編って、翻訳されないんですかね? 日本語になったら読んでみたいとは思う。たぶんかなり疲れるだろうけど。 |
No.800 | 8点 | 二輪馬車の秘密 ファーガス・ヒューム |
(2020/04/13 02:02登録) (ネタバレなし) 19世紀末のオーストラリアのメルボルン。その年の7月28日の夜、辻馬車である二輪馬車の馭者マルコム・ロイストンは、通りすがりの男に介抱された酔漢を乗客とする。だが同乗の男が先に降りたのち、あとには薬物で殺害された身許不明の酔漢の死体が残されていた。野心家の探偵サミュエル・コービイはこの事件に関心を抱き、帰らない下宿人オリヴァ・ホワイトに呼びかける新聞記事を手がかりに、謎の被害者の素性を見事に探知。さらにホワイトの関係者の証言から、牧場主の青年ブライアン・フィッツジェラルドが殺人容疑者だとつきとめる。しかし、逮捕されたブライアンの無実を信じる婚約者の令嬢マーガレット(マッジ)・フレトルビイは、ブライアンの友人でもある弁護士ダンカン・カルトンの協力を得て、恋人の潔白を明かそうとした。だが獄中のブライアンはなぜか、事件当夜のアリバイの開陳を言い淀む。埒があかないカルトンは、探偵コービィの長年のライバルであるメルボルンのもうひとりの名探偵キルシップを雇用。キルシップは、メルボルン中が賞賛する、敵対するコービィの主張<ブライアン真犯人説>を覆そうとするが。 1886年の英国作品で、当時50万部以上を売った大ベストセラー。 ターゲ・ラ・クール&ハラルド・モーゲンセンによる世界ミステリ史の研究文献「殺人読本」(1970年代にミステリマガジンに連載。ほんっとうに素晴らしい研究資料読み物だが、惜しくも書籍化されていない)の記述で、大英図書館は基本的に大半の蔵書を初版で収めるが、この作品『二輪馬車の秘密』に限ってはあまりの売れ行きのために初版を確保できず、十数刷めの版で妥協するしかなかったのだ、とかなんとか読んだ記憶がある。おお、聞くからになんか凄そう! まあ、売れればいいというものでもないけれど(笑)。 それで実際の現物を読んでみて(昨年、新訳も出たのだけど、今回は旧版の新潮文庫版で読了)、うん、これはいい。 もちろん19世紀のクラシック作品として、賞味するこちらの心持ちで下駄を履かせている部分もないではないが、不可解な事件の発生、独特のロジックで動く探偵の捜査といった前半がまず、すこぶる快調。キーパーソンである青年ブライアンが捕縛されてはおなじみのタイムサスペンスの興味に加え、なぜブライアンは沈黙を続けるかの、ある種のホワイダニットの謎が際立ってくる。さらに熱いプロ意識とプライドからライバル探偵コービィの功績を瓦解させようとする二人目の探偵キルシップが動き出す頃には、物語は白熱化の一途で、いやー、一世紀半もの歳月を経た旧作ながら、メチャクチャに面白いではないの! と血湧き肉躍る思い(笑)。 もしブライアンが真犯人でないのなら、本当の殺人者は誰かというフーダニット。そんな興味も物語後半まで堅守され、謎解きのプロセスはさすがに近代パズラーのようなロジカルな興趣に迫るものではないにせよ、意外な筋立てでゾクゾクさせる。 ストーリーの終盤は、物語の山場ギリギリまで大きく広げた風呂敷をたたんでいく収束感というか「ああ、ついに幕引きか……」的なさびしげな感慨もあるんだけど、その辺は読後の余韻にも転換されるので、まあよろしい。 ヒュームの作品は、この数年間でマトモに翻訳された3冊全部を読了。それぞれがなかなか~実に面白かった。百数十冊も著作があり、なかにはあえて21世紀に発掘する価値もない作品もたぶんあるんだろうけど、一方でまだまだ楽しめる作品が残っているんじゃないかとも思う。できたら数年に一冊ずつくらいは、しばらく発掘紹介してほしい。 |
No.799 | 7点 | 模倣の殺意 中町信 |
(2020/04/11 04:03登録) (ネタバレなし) 本作は1987年の徳間文庫版が刊行される以前に、まだ当時のミステリマニアの間で希覯本だった元版の双葉社版『新人賞殺人事件』を入手。そのうちにじっくり楽しもうと思いながらついつ読むのがもったいなくなり、家のなかでウン十年も眠らせつづけていたのだった。 そしてその間に新世紀になり、現在の世の中に浸透している創元文庫版も刊行。かたやもはや希覯本でもなくなった本作への評者の興味はいきおい減退していたのだが、当たり前ながらミステリ作品そのものの価値や魅力は、その本がレアか否かとは関係ないのだと改めて自覚。このたび部屋の中から見つかったその元版を初めて読んでみた。 だから読了後に本サイトの皆さんのレビューに触れてビックリ! 創元文庫版では<ある部分>が改訂・割愛されていることも初めて知った!! ところで評者はミステリ読者としての個人的な信条として、もし同一の作品に長短のバリエーションが公刊されているのなら、一番、情報量の豊富な(つまり最も紙幅=字数の多い)バージョンを読みたい、と基本的には思っているので(送り手が作品の完成度を高めようとして行う、ディレクターズカット的な改訂を100%否定するわけではないが)、その意味では初読がノーカットの元版だったのは良かったと、ごく私的に実感している。 というわけで元版ではフェアプレイゆえの伏線があまりにもあからさまだったためか? アタマが変な風に回り(単に油断しただけという声もある)、まんまと騙された(笑・汗)。 しかしながらこの作品に関しては、おおざっぱに言って ①元版をリアルタイムかそれに近いタイミングで同時代的に読んだ人 ②改訂された創元文庫版を21世紀に読んだ人 ③(中略)トリックが幅を効かした21世紀の現在にわざわざ元版を読んだ人 と3タイプの読者がいるわけで、自分は正にその③番目なのだが、やはり一番幸福だったのは①のタイプの読者だったと思う。本サイトの先人のレビューでいえば、蟷螂の斧さんと空さんの感想を拝見しながら、特にその思いを強くする。 あと書いておくこととすれば、津久見が偽証アリバイを見破るくだりが好ましい。社名の(中略)のあたり。 しかし本作内でアリバイトリックに使われた技術の大半は、今の若い人たちにはどれもほとんど実感のないものになってしまっているだろうな。ものの見事に昭和文化を覗き込む一冊であった。 評点は測量ボ-イさんに倣い、1点プラス。 |
No.798 | 6点 | 首つり判事 ブルース・ハミルトン |
(2020/04/10 15:10登録) (ネタバレなし) 第二次大戦が始まる数年前の英国。青年ハリイ・ゴズリングは、最高裁判事フランシス・ブリテンの判決によって、強盗殺人の罪科で死刑に処せられた。それから時が経ち、英国ノーフォーク州の田舎の村モクストンの老紳士ジョン・ウィロビーのもとに、アメリから来た謎の男ティールが訪ねてくる。ウィロビーはしばらく前から時々、村に滞在していたが、日頃から人付き合いを避け、一方で女癖が悪いと噂されていた。退屈な毎日を過ごすモクストンの住人たちは、近日中にウィロビーを訪問するといって村の宿「ソルジャー旅館」に宿泊したティールのことを「幽的(幽霊みたいな男)」と呼んで話の種にするが、いつのまにかそのティールは村から姿を消していた。やがて村では、ある事件が……。 1948年の英国作品。しばらく前に「ミステリマガジン」でミステリ界の著名人を集めて「私のオールタイムポケミスベスト3」といった趣旨の企画を催した際に、誰かがマイベスト3の一本に選んでいた一冊。 別の場でよさげな評判も聞いていたような気もするし、これはたぶん創元の旧クライムクラブ路線を思わせる、当時の新感覚作品で多かれ少なかれトリッキィな一編であろうと期待。昨夜、蔵書が見つかったので読んでみた。 そうしたら、うーん、作品の形質に関してはものの見事にズバリ、旧クライムクラブ的な小粋な作品ではあった。ただしもちろん大ネタというか作品の主題は言えない(現時点でAmazonでひとつだけあるレビューは、本作を絶賛しながらもそのネタに思い切り触れてしまっているので注意だ)。 あと、下のこうさんのレビューもちょっと危険(汗)。 それで内容そのものは普通以上に十分面白かったのだが、私的にはかねてよりの期待が高すぎたためか、ぶっとんだものには行かなかったなあ、という贅沢な意味での物足りなさを覚えた。 あとこの作品は最終的に(中略)ものなんだけど、その興趣を読み手に満喫させるためには少し筆が薄いように思えた。前述のAmazonのレビュー(くりかえすけれど、ネタバレされているので注意)でも別のある同趣向の具体的な作品名が比較例として挙げられているが、うん、正にその比較例の作品にはあった(中略)のような、物語の文芸を支える鮮烈なイメージ、シーンが希薄なのであった(個人的には、さらにこの思いが、某MWA賞の受賞作品にも及ぶ。この言い方ならまずネタバレにはならないだろう。うまくいけば全部読んでいる人には、通じるかもしれない?)。そういう弱点もあって、いまひとつこちらの心に響かない。 そんな意味で、優秀作~傑作を期待したものの、佳作~秀作ランク。もちろん、悪い作品では決してないけれど。 ちなみにこの作品、やはりどっかの場で読んだけれど、原書にはさらにもうひとつまた新たなエピローグが書き足された? 別バージョンがあるらしい。どうせならそっちがいつか翻訳されてから読もうかと一時期は待ちの構えでもいたが、「奇想天外の本棚」があっさりくたばってしまって、論創の旧作発掘もどうも緩慢な印象の昨今、そんな夢みたいな新訳いつ出るかわからないし、さっさと読了してしまった(笑・涙)。いや、クラシック発掘翻訳の関係者のみなさまのご苦労にはいつも敬意を覚えていますが(汗)。 最後にこの作品のタイトルロール「首つり判事」とは、もちろん、物語の冒頭でハリイ青年に冷徹に極刑を下した判事フランシス・ブリテンのこと。しかしこの異名がプロローグで語られず、物語の半ばまで出てこない(ミステリの仕掛け的に特に意味があるわけでもない)。この辺は小説の演出がヘタだと思う。 |
No.797 | 6点 | これよりさき怪物領域 マーガレット・ミラー |
(2020/04/09 20:25登録) (ネタバレなし) 1967年10月13日。カリフォルニア州の若き農園主である24歳のロバート・オズボーンが急に姿を消した。その少し前に農園が雇い入れていた季節労働者の一団10人も足取りが不明で、案件の事件性、またロバートの失踪と労働者たちの関係も取り沙汰されるが、事態は大きな進展のないまま一年が過ぎた。ロバートの失踪時にまだ結婚半年の新妻だったデヴォンは、夫の公的な死亡を認定する法廷に向かうが。 1970年(1972年という資料もあり)のアメリカ作品。 評者にとっては数年前の新訳『雪の墓標』以来、久々のミラー作品である。 ロバートの生死の謎を核に、デヴォンをはじめとする関係者たちの素描を書き連ね、じわじわとホワットダニットのサスペンスを煽る小説作りは、例によって見事。とはいえ中盤の裁判シーンが結構長めで、やや退屈しないでもない。いやいろんな情報が小出しにされ、事件の輪郭が際立っていく感覚など、そのパートの意味はあるんだけれど。 終盤の反転は切れ味という点では申し分ないが、最後まで読みおえると一部の登場人物の心理に、いささか釈然としない違和感が残ったりする。まあこれは結局は、世の中には「そういう前提」があっても「そういう選択」をする人もいるのです、といって了解するしかないような部分だろうけれど。 あとポケミスの登場人物一覧表は、ややネタバレになってしまっているような……。なんでこういう感じになったかの事情はわかるが、もうちょっと工夫の余地はあると思う。 ちなみにこの作品、未訳の時点でミステリマガジン誌上で原書が紹介された時の仮題が「地の果ての魔物たち」であった。 評者が古本屋で購入した(と思う)HMMのバックナンバーでその紹介記事を目にした初見時、おおカッコイイ! 題名と感嘆し、のちに実際の邦題がなんか泥臭いのにいささかガッカリした思い出があった。とはいえ、実作を読んでみると、これはこれでなかなか味のある日本語版タイトルではある。 |
No.796 | 8点 | ゴールデン・オレンジ ジョゼフ・ウォンボー |
(2020/04/09 04:51登録) (ネタバレなし) エイズが世界中に蔓延した時代、1980年代の後半~90年代の前半。アメリカのオレンジ群ゴールデンコーストは住宅街を主体にした世界有数の港町で、かつてはジョン・ウェインの邸宅などがある土地だった。そこに暮らす40歳の元警察官ウィニー・ファローは、捜査中の負傷で退職。今はわずかな年金とフェリー操縦の非常勤勤務での収入を頼りに、酒に溺れる日々だった。だが深酒が過ぎて海難事故を起こしたウィニーは、厳しいことで有名な黒人判事シングルトンの温情で、ぎりぎりのところで厳罰を免れる。そんな彼が出会ったのは、美貌の熟女テス・バインダー。ほぼ文なしのウィニーだが、実は彼女も亡父の遺産の案件で問題を抱えていた。だがウィニーが、恋人となったテスのために改めて遺産の実情を調べていくと……。 1990年のアメリカ作品。日本では1996年11月に早川書房からハヤカワ・ノヴェルズのハードカバーとして刊行。文庫版などは無し。 父親が遺した遺産はもっと多額のはずなのにあまりにも少な過ぎる、と疑念を抱いたテスの不満を受けて、ウィニーが遺贈された土地の現地に赴くと、何者かが遠方から銃撃。さらに昨年、自殺したとされるテスの父の最期にも不審が生じ、物語の中盤からじわじわと少しずつミステリ味が感じられるようになってくる。 それでも物語が動いては、また主人公コンビののんきな(?)調査が再開、この繰り返しだなあ……とたかを括っていると、あわわわわ……終盤で意外な方から切り込んできた。軽くショック。 いや、一番のサプライズそのものは見え見えだけど、しかしながらそれを前提にこういう方向の小説のまとめ方をするのかと息を呑んだ。「驚きと感動のクライマックスが待っている」というカバージャケット折り返しの惹句は、……ん、まあ、ウソではなかった。とはいえ、もしかしたら……(中略)。 まあこれ以上あんまり書けないし、一方で前述のとおり、ある程度までは読者の方も読める部分もあるけれど、先に紹介した惹句の<驚きと感動のクライマックス>とは、ああ、こういうこと……と感銘を受ける人も多いのではと思う。 本作のミステリのジャンル分類は、版元の表意通りに「サスペンス」でいいと思うけれど、最後の最後での勝負球はむしろ(中略)であった。さすが強打者のウォンボー、今回もお見事である。 ちなみに巻末の訳者あとがきは、ちょ~っと余計な事を言い過ぎているかもしれない。できれば作品の本文を読んだ後に目を通した方がいいでしょう。 |
No.795 | 5点 | 地獄の奇術師 二階堂黎人 |
(2020/04/08 05:15登録) (ネタバレなし) 数日前、蔵書の山の中に、そのうち電車の中で読もうとか大分前に思いながら手製の紙カバーをつけておき、結局そのまま忘れていた講談社ノベルス版を発見。そーいや、これまだ読んでなかったなあと自覚して、一晩で読了した。 全体としては、四半世紀前の新本格黎明期の中で、作者の若さで書かれた一冊という印象であった。 最後に大上段にふりかぶって明かされる動機のくだりなど、もしかしたら当時の二階堂センセは自分なりに、四大奇書ランクの長編を狙っていたのかねとも思ったりした。そこまで言ってしまうと、こっちの勝手なかいかぶりか? ちなみにみなさんの例に漏れず、自分も犯人は早々に丸わかりであった(笑)。 第二&第三の殺人のトンデモな動機は、くだらなくって結構スキかも(作中の被害者には悪いが)。 あとさりげなく東西のメジャー&マイナーミステリのネタバレ大博覧会みたいな感じでもあるが、ちゃんと寸止めは心得てくれているのかね? すでに読んだミステリについてのいくつかの記述を読むと、未読の作品を今後賞味するとき、一部どーも不安になりそうである。 ところで本サイトでは、二階堂蘭子のキャラは不評のようだが(?)、個人的には別の蘭子の登場作品『聖アウスラ修道院の惨劇』は国産ミステリのオールタイムベスト10に入れたいくらいに大スキである。だからすでに初登場の本作で、おなじみの蘭子の名探偵キャラクターが確立されていたのが嬉しい(笑)。 それとノベルス版110ページでの婆さんの一言が妙に気になるのだけれど、もしかしたらこれはこの時点での、今後のシリーズ展開に向けた仕込みでもあったりしたのであろーか。んー、考えすぎかもしれんが。 |
No.794 | 7点 | マギル卿最後の旅 F・W・クロフツ |
(2020/04/07 15:21登録) (ネタバレなし) 1929年の10月上旬。ロンドンに在住の72歳の大富豪ジョン・ピーター・マギル卿が、行方をくらます。マギル卿は複数の紡績工場などを経営して財を為した実業家で、現在も事業を息子のマルコム元陸軍少佐に譲りつつ、創意に恵まれた発明家として新製品の開発にいそしんでいた。当初マギル卿は、ベルファストにある工場を運営する息子のところに赴いたかと思われたが、途中で足取りが消える一方、さまざまな証人の証言が集まってくる。ベルファストの地元警察に勤務の若手警察官アダム・マクラングは、スコットランドヤードに赴き、ジョゼフ・フレンチ警部の協力を仰ぐが。 1930年の英国作品。クロフツ10本目の長編で、フレンチ警部の6番目の長編作品。 隠遁した大物実業家の失踪事件がやがて殺人事件に発展し、被害者の死によって何らかの恩恵を受けそうな容疑者が数名に絞り込まれる。 そんな事件の大枠のなかで、フレンチをはじめとする捜査陣がとにかくこまめに、入ってきた情報や証言をひとつひとつ検証していく筋立て。 あの容疑者が真犯人だった場合、アリバイがひっかかるが、それは本当に現実的に絶対の堅牢なものか? という部分で、読者も一応は推理に参加する余地はあるが、まあ実際には当時の英国の地理状況や移動手段の実態など、21世紀の一般的な日本人にとっては常識の外である。黙ってフレンチの地味な捜査につきあう構えなのが得策だが、例によってこれがすこぶる面白い。もはやパズラーではなく、原石的な警察小説の先駆だと思うが、それはそれで読み応えのある捜査ミステリになっている。 犯人の設定が(中略)というのは、謎解き作品としては評価の上でちょっと……という面もあるが、捜査小説としてはその文芸を十二分に活用しており、物語後半でフレンチたち捜査陣が犯行時の実働を、仮想通りに実際に可能だったかシミュレーションしてみるあたりの細かいリアリティの見せ方も面白い。フレンチが終盤に(中略)までするのには、おお! と喝采をあげた。 ちなみに今回は乾信一郎訳のポケミス版で読んだが、古い訳文ながら概してつきあいやすくその辺はありがたかった。 なおポケミス版の158ページ(第12章)で、フレンチが「例のベルギー人」「灰色の脳細胞(の探偵)」とポワロについて言及するシーンがあり、うれしくなった(笑)。フレンチは小説の中の探偵うんぬんという言い方はしていないので、もしかしたらクロフツの脳内設定ではフレンチはポワロと同じ世界にいるのかもしれない?(クリスティーの了解いかんは知らないが)。いうまでもないがポワロのデビューは1920~21年。『アクロイド』も1926年の刊行で、本作『マギル卿』の4年前に英米のミステリ界を騒がしている。 長い地道な捜査の果てにようやく金星をつかんだと確信したフレンチが、この仕事の手柄を評価されて今後昇進する可能性についてあれこれ夢想するくだりもほほえましい。現職の上級警官がさいきん心臓が弱いからそろそろ引退してもとか、勝手な皮算用を始めるのにも爆笑した。フレンチはさぞ当時の英国のサラリーマンに人気があったろうなあと思わせる。 ちなみにアダム・マクラング刑事と、その上司であるアルスター警察署のレイニー署長は後年の『船から消えた男』にも再登場。そっちでもフレンチを支援する。 やっぱりいいなあクロフツ&フレンチ。こーゆー良さは、若い時にはわかりにくいものだった(しみじみ)。 |
No.793 | 6点 | クロノス計画 ウィリアム・L・デアンドリア |
(2020/04/06 03:52登録) (ネタバレなし) 1980年代前半。ペンシルヴァニア州の田舎町ドレイヴァー。そこで、エレクトロニクス企業の社主ハーバート・フェインの一人娘で22歳のエリザベス(リズ)が誘拐される事件が起きる。誘拐したのは、ソ連の息がかかったベテランのテロリスト、レオ・カルヴィンの一味。フェインは国防省からの依頼で高精度の新型ミサイル誘導装置「メンター」を開発中だった。誘拐犯一派がリズを人質に、この軍事計画に圧力を掛けてくると予見した国防省の「下院議員」は、現在は「クリフォード・ドリスコル」と名乗っている有能な青年エージェントを動員して対策を図るが、実はそのドリスコルと「下院議員」の間には劇的な関係があった。複雑な思いを抱きながらも対抗作戦の指揮をとるドリスコルは、とある奇策を実行。一方でテロリスト側やFBI、そして州警察や土地の報道陣もそれぞれの動きを見せるが、さらにこの事態の陰では、ソ連の長年におよぶ謎の謀略「クロノス計画」が進行していた。 1984年のアメリカ作品。エスピオナージュの大枠で描かれた誘拐ものなのだが、デアンドリアのことだから何らかのトリッキィさや技巧的なギミックが用意されているだろう? と予期しながら読む。少なくとも、謎の「クロノス計画」の真相は終盤まで伏せられた、ホワットダニット作品であろうし、と期待した。 そうしたら誘拐された令嬢リズの凌辱シーンなど、思いもかけない描写がとびだしてきてアワワ。同時代の日本作家ジュコー・ニシムラの作風が、デアンドリアの著作に影響を与えたか? と読みながら思ってしまった(いや、たぶん違う)。 ストーリーがテンポ良く進むのはいいんだけれど、ドリスコルの企てた対テロリスト用のカウンター策……ここでは詳しくは書かないけれど、確かに奇策といえば奇策でお話的にはオモシロイものの、作中のリアルとしてこんな作戦が成立するの? と疑問。もし自分がテロリストのカルヴィンだったら、いくつかのさらなる再カウンター策を、そんなに苦労せずに思いつくような……? さらに終盤に明かされる「クロノス計画」の真相は確かに意外性はあったけど、どっちかというとそれもその作戦そのものの衝撃度というより、脇の方の意外さでした。これも詳しくは言えませんが。そんでまた、そのクロノス計画そのものについても、さらにアメリカ側もその計画を無効化する、もしくは弱体化させる方策はいくつか打ち出せそうな気もする。 なんか謎解きエスピオナージュ版のバカミスといえる雰囲気もある作品だったな。まあ前半で感じたある種の感慨が、最後まで読むとああ、そういう狙いだったんだな、と合点がいく作りとかは、いかにもデアンドリアらしい気もしたけれど。 |
No.792 | 4点 | ワイドショー殺人事件―美人リポーターマル秘危機メモ 志茂田景樹 |
(2020/04/05 05:19登録) (ネタバレなし) テレビ局(AMCテレビ)の局付きTVレポーターで23歳の美女・五木理保とその恋人で33歳の文化人活動もする美男俳優・加瀬卓人のコンビを探偵役にした全7編の連作短編集。 桃園文庫のレーベルでAmazonでもアダルト書籍扱いだが、目次だけ見るとバラエティ感を抱かせる、もしかしたら少しは面白いかともしれないと思えるタイトルも散見するので読んでみた。電車内の時間潰しや、就寝前にもう少しだけミステリを読みたい夜にはこの手の短編集が役に立つ。 しかしながら収録作品は総じてミステリ味は薄く、ややがっかり。それでも前半の数編は事件の奇妙な発端などでまだ興味を煽る面もあったが、次第に恋人同士の濡れ場ポルノ描写ばかりに頼り、事件の方は犯罪の概要だけ主人公コンビの間で説明しあって終わりという手抜きな作りになっていく。しかも小説としてあんまし面白くもない。3点でもいいかな。まあ腹の立つ、不愉快になるような描写もほとんど無かったし、この辺で。 |
No.791 | 6点 | 魔神館事件 夏と少女とサツリク風景 椙本孝思 |
(2020/04/05 04:35登録) (ネタバレなし) 高校生・白鷹黒彦は夏休みのある日、西木露子という未知の女性から電話を受ける。露子の本来の用向きは、彼女の主人である実業家・東作茂丸の意向で、黒彦の父・武雄を、信州の奥地にある東作の洋館風の邸宅「魔神館」に招待する事だった。だが武雄は、彼の愛妻で黒彦の実母の弓子ともども11年前に死んでいた。露子は代案として、黒彦の星座が父と同じ射手座であることを確認した上で、黒彦を武雄の代わりに洋館に招待する。奇妙な思いを抱きながら魔神館に向かう黒彦だが、そこで彼が遭遇したのは悪天候によって外界と閉ざされた館のなかでの連続殺人事件であった。 改定された2012年の角川文庫版の方で読了。 うーん。謎解きミステリというジャンルの基幹のひとつは遊戯ブンガクなのだから、とにもかくにも、作者が「これは面白いだろう」と思ったネタを形にしようと実行すること自体は、とても結構だと思う。 しかしうまくやればかなり破格でパワフルな秀作もしくはケッサクなバカミスになるところ、演出の下手さと随所の細部のツメの甘さで、いずれの方向でもものにならなかった感じである。ああ、もったいない。 まあトリックそのものには、古今東西の作品を見渡せばまったく前例がない訳でもないけれど、こういう長編作品の作り方は意外にそんなにないような気もするので(そうでもないかな)、焦点を絞り込んだ筋立てにしてくれていたらなあ、という思い。 (名探偵ジャパンさんのレビューの、もっと短ければ、という意見にはうなずける。) ゾクゾク感がもうひとつふたつ欲しいあたりも、ちょっと気になった。 ただ本作単体では面白いとはとうてい言えず、それどころか「出来はよくないけれどキライになれない」と弁護する意欲もあんまり湧かないのだけれど、それでもこのネタを形にしようと試みたことだけで、なんか褒めてあげたい心情にもなっている。そーゆー、ちょっとクセのある作品だった(笑)。 シリーズの続きは、またいつか読むでしょう。 |