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ミステリの祭典

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エクソシスト

作家 ウィリアム・ピーター・ブラッティ
出版日1973年01月
平均点8.00点
書評数2人

No.2 8点 人並由真
(2020/07/22 14:38登録)
(ネタバレなし)
 ワシントンに在住の、32歳になる人気の映画女優クリス・マックニール。夫ハワードと離婚した彼女は現在、12歳の愛嬢リーガン、そして秘書兼娘の家庭教師シャーロン・スペンサー、忠実な使用人の中年夫婦カール・エングストロームとウィリーと暮らしていた。だがそんな中、リーガンに異常が生じ、まるで人格が変わったように卑猥な言動を続発する。しかも彼女の周囲では数百キロもある大型家具が動いたりする怪異が発生。献身的な内科医サムエル・クラインを初めとする医療スタッフが対処に当たるが事態の改善は見られなかった。そんな折、クリスの周囲では知人の残虐かつ不自然な殺人事件が発生。ハーバード大学出の精神病理学者でもあるイエズス会のディミアン・カラス神父は、万策尽きたクリスとマックニール家の面々の依頼を受けて、この状況に介入するが。

 1971年のアメリカ作品。映画はいまだに未見で小説から読みたい、古書を探そうか図書館で借りようかと思っていたら、蔵書の中からすでに購入してそのことを忘れていた新潮文庫版の初版が出てきた。こういうのもよくあるパターンである(汗)。
 
 映画版のあらすじ記事やショッキングなスチールなどはもうこれまでにあちこちで目にしてきているが、大筋はたぶん同じ。しかしおそらく悪魔の設定や細部の描写などに異同がある? ようにも思われる(正確には、きちんと映画の現物を観た上で語るべきだが)。

 一方でああ、少なくとも小説の物語にはこういう要素があったのか、と思わされたのは中盤で生じた殺人事件を契機に、くわせものの中年刑事ウィリアム・F・キンダーマンが介入してくる一連の流れ。クリスのファンを名乗り、その一方でオトボケ風の普段の顔と切れ者の正体を器用に使い分けるキンダーマンのキャラクターは、どこかあのコロンボを思わせる味のあるサブメインキャラであった(ちなみにコロンボは、この『エクソシスト』の原作が刊行された1971年から本格的なテレビシリーズ開幕だから、特に影響とかはないと思うが)。キンダーマンのキャラが映画でどのような扱いになっているかは知らないし、もしかしたら彼に関連する部分を大幅にコンデンスしてもなんとかなるかもしれないが、一方で彼の存在と活躍がこの小説をぐっと面白くしているのは間違いない。非日常の事件と日常の枠に留まる世界のひとつの繋ぎ役という意味もふくめて。

 あと印象的なのは、クライン先生を初めとする<リーガンの異常を、なんとか通常の世界の条理のなかで解明したいと必死になる>医療スタッフの奮闘ぶり。
 大昔にどこか(「ミステリマガジン」かな?)で、モダンホラーの系譜の中で、疑似科学性を本格的に導入することで、その非日常的な魔性にも逆説的なリアリティを与える作法を最初にやったのはこの『エクソシスト』が先駆である、という主旨の言説を読んだ気がするが、正にそのオリジン(?)の栄誉に相応しい。リーガンへの直接の対処としては空振りに終わるが、その奮闘は本命のエクソシストのカラス神父の戦いの礎となった面もあり、胸熱。
 
 なお本当の主人公カラス神父だが、丁寧にキャラクター造形されて、予期した以上に精神医学の方面からまずは検証していく攻め込み具合も印象的。イエズス会が悪魔祓いに関して長期計画を見据え、事例のなかにはフェイクもありうるので、その真偽を確認させるため、組織の方で世話してカラスにハーバード大学で精神医学を学ばせたというリアリティにも唸る。ああ、メチャクチャ面白い!

 500ページ弱の文庫本、半分徹夜で一晩で読んでしまった。決着点が(たぶん映画を観ていなくても)ある程度読めてしまうところはないでもないが、この作品の場合、それは弱点に当たらないだろう。
 なおラストシーンの某登場人物たちのやりとりは、大昔にどっかでたまたま目にしかけてしまったことがあり、その見かけた断片的な会話からなんか実際のものとはだいぶ異なるイメージを抱いていた。そのエピローグ現物の読み方は人によって色々だろうし、それでいいと思うが、ちょっとだけ深読みすればかなり余韻のあるクロージング……かもしれない。

No.1 8点 メルカトル
(2017/07/16 22:09登録)
みなさん、読まれていないんですかね。いまさら申し上げることもない、ウィリアム・フリードキン監督のアメリカ映画の名作『エクソシスト』の原作です。日本では映画が超有名ですが、本国アメリカでは原作も大ヒットしました。
映画はリーガンが悪魔に憑りつかれてから悪魔払いの儀式までがメインに描かれている印象ですが、原作はクリス・マクニールとリーガン母娘の愛情や、カラス神父の精神科医としての苦悩、母親との微妙な関係などに重点が置かれています。特にリーガンの変貌ぶりを目の当たりにし、果たして臨床的に神経系の病なのかどうかがカラス神父を通してかなり執拗に描写されています。勿論、ホラー、オカルトの側面もおろそかにされてはいませんが、故意に怖がらせようとかと言ったアプローチの仕方はしていません。
当然宗教的な事柄も絡んできますが、日本人として理解に苦しむような難解な事柄は書かれていませんので、その点は心配いりません。
どうしても映画の影響で怖さが先に立ってしまいがちですが、本作の本質は愛と自己犠牲の物語だと思います。ラストのカラス神父の行動はキリスト教とかの宗教の壁を越えて、感動的ですらあります。
映画も素晴らしいですが、原作も十分読み応えがあり名作と呼んで差し支えないと思います。

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