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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.34点 書評数:2199件

プロフィール| 書評

No.979 8点 モルグの女
ジョナサン・ラティマー
(2020/10/08 14:35登録)
(ネタバレなし)
 1936年の8月。ニューヨークの探偵事務所の一員ウィリアム(ビル)・クレインは、シカゴ市のモルグ(死体安置所)に来ていた。用向きは事務所の所長ブラック大佐がNYの富豪コートランド家から請け負った依頼によるもの。実はコートランド家の令嬢で現在20台前半のキャスリンは、オペラ界の大物である母エヴァリンと2年前に諍い(いさかい)を起こし、家を出ていた。そして先日、シカゴのホテルで若い娘が自殺したが、それがどうもキャスリンらしいので確認してきてほしいというものだった。だがクレインが十全な確認を終えないうちに、モルグの係員オーガスト・リープマンが何者かに殺され、ホテルで死んでいたブロンドの美女「アリス・ロス」の遺体はいずこかへと盗まれてしまう。さらにそんなクレインの前に、死体の正体は自分の関係者だと称する人物が何人も登場。しかもそのなかには、クレインが死体を盗んだと疑いをかけるものもいた。ブラック大佐が派遣した仲間たちを迎えて、クレインはNYで調査を続けるが。

 1936年のアメリカ作品。
 大昔に、死体愛好者っぽい登場人物が印象的とかなんとか囃した乱歩の文章を読んだような記憶があり、それゆえラティマーの実力は十分に知っているつもりの評者でも、なんとなくキワモノっぽい感じがしてやや敬遠していた? 一冊。

 まあ私立探偵クレインならすでにシリーズは2冊楽しんでいるし、これも手堅く楽しめるだろうと思って読んでみる。ちなみにコレも少年時代にどっかの新刊書店(たぶん早川と縁のある大手)で売れ残りのポケミスを買ったまま、書庫で眠らせていた一冊だ。

 しかしまあ、とんでもなく面白かった。ポケミスの登場人物一覧には20人強の名前が並ぶが、メモをとると実際には名前がでてくるキャラクターだけでその倍の数はある。
 その登場人物の総数に比例してお話の方も錯綜するが、一方で<結局、盗まれた死体の美女「アリス・ロス」>とは何者なのか(あるいは自分の身内だと称している連中の言い分のどれに該当するのか)? という主眼の謎、さらには<なぜ死体は盗まれたのか?>というホワイダニットの謎、その双方が明確なので、お話はまったくブレない。
 クレインとその仲間2人による主人公トリオはハードボイルド探偵らしい足を使った調査で事件に切り込んでいくが「(なくなってしまった)死体は誰だったのだ?」の謎の牽引力は、デクスターの『キドリントン』に匹敵する感さえあった(我ながら、ややぶっとんだ連想だとは思うが~笑・汗~)。

 前述のように込み入った筋立てではあるが、登場人物メモを作りながら読んでいったこちらは、まったく淀むところなどはなく、むしろ後半はページをめくるのがもどかしいほど。小休止を挟みながら、ほぼ一気に読んでしまった。
(これはラティマーが、ハードボイルドとパズラーの作法を心得ながら、さらに職人作家としても一級で、場面場面ごとにユーモアやスリルで退屈させないことも大きい。)
 ちなみに先述の死体愛好者うんぬんのくだりは、実際には大してグルーミーな描写でも、不快な場面でもなかった。まあ軽いブラックユーモアの域というか。

 終盤の謎解きは真相を明かされてから「ああ、あの伏線にもっとちゃんと留意しておけばよかった!」と思わされるような、パズルミステリとしてもイキなもの。ちょっとだけ情報の後出しの気配もあるが、もしかしたらそれはこっちがどっかで伏線や布石を読みおとしていたかもしれない。いずれにしろ山場では、連続して何回かうならされた。

 訳者の佐倉潤吾(時代の変遷で使う言葉が古くなってしまっているのは残念だが、基本的にはとても良い翻訳家だったと思う)があとがきで思い入れを込めて述べているとおり、この時代のNYの風俗を取り込んだ都会派ミステリとしての空気感も素敵。

 論創さんのおかげもあって、近年また再評価されているラティマーだけど、これはもっと多くの人に読んでもらいたいよねえ。
(何十年も放っておいた自分が、今さら何を言ってるんだか・汗w)


No.978 6点 墓場への持参金
多岐川恭
(2020/10/07 04:50登録)
(ネタバレなし)
 1964年11月。精肉会社「セントラル・フード」ほか複数の企業の社主である58歳の小串夏次郎は、業績不振のさなか、自分自身の葬式を行い、新規一転の巻き直しを図ると訴えた。酔狂な趣向に呆れながらも付き合う周囲の人々だが、葬儀場で意外な事態が発生。生きていた小串が死体と間違えられて焼かれたらしいということで、葬儀場は騒然となる。しかも燃え残った人骨を調べた結果、生前に当人は何者かに撲殺された可能性も見えてきた。市警の中堅刑事、榊陽三と、新人作家でジャーナリストの青年、野路光生はそれぞれの経路から事件の真相を探るが。

 1965年の作品。
 数年前に閉店したブックオフの某店舗が店を閉める前日に全品10分の1セールを行い、もともと100円均一コーナーにあった本書の古書(現状で本サイトに登録されてない、1975年のKKベストブック社版。挿絵がいっぱいあって楽しい)を、評者は単価10円(当然、消費税はつかない)で購入した(笑)。
(いや当該の店舗の閉店そのものは、今でも頗る残念だが……。)

 それで昨日から今日にかけて読んだが、小酒井不木の『疑問の黒枠』を思わせるインチキ葬式の計画から始まる内容は、良くも悪くも掴みどころのない筋立てで、これはこれなりに面白かった。
 作中で殺人事件が起きても主役たちの目は直接の犯人探しにはあまり向かわず、どちらかといえばキーパーソンである小串夏次郎やそのほかの関係者の背後事情、さらには広がっていく人間関係の綾にばかり向けられる。そのため読んでいて、あんまりフーダニットのパズラーという感じはしなかった。
 むしろ一体全体、この事件の奥に何があるのか? 物語はどこに着地するのかが興味の眼目となる作品という印象。なんか1950年代の<在来のミステリのなかで何か変わったことをしてやろうといった、新時代の海外ミステリ>っぽいティストがにじんでくる。
(だから個人的には、nukkamさんがお怒り? の後半に明かされるあの真相も、人を食ったバカバカしさで、これはこれでよろしいかと~汗~。)

 最後まで読んで無理筋だなあ……と思う部分はホイホイ出てくるが、遊戯文学としてのミステリはこれくらい弾んだものであってほしい、という面もあり、その意味では100%ではないにせよ、作者の意気込みは肯定したい。

 まだそんなに多岐川作品は読んでないが(これで三冊目)風の噂で聞こえてくるこの作者の持ち味って、こういう作風の先にあるようにも予見する。それならそれで、これからも楽しませてもらえそうです?


No.977 6点 葬神記 考古探偵一法師全の慧眼
化野燐
(2020/10/06 19:20登録)
(ネタバレなし)
 20代前半のフリーター・古屋達司は、骨董品屋の店内で高価な壷を破損。それを弁償するために、遺跡発掘のアルバイトを始める。だがそこで不可解な殺人事件が発生し、嫌疑は身に覚えがない古屋にふりかかった。その場に居合わせた口の悪い考古学者で「考古探偵」の異名をとる青年・一法師全(いちほうし ぜん)が、事件の真相を暴く。

 文庫オリジナル(書き下ろし?)のキャラクターものミステリで、考古学の発掘作業を主題にした特化ジャンルものの謎解きパズラー。

 SRの会の正会誌「SRマンスリー」の特集「新本格発祥からの30年間に書かれた、あまり話題になってない佳作・秀作」の一本として紹介されてた作品(というかシリーズまるごと)で、興味が湧いたので古書をwebで購入して読んでみた。

 全部で本文は310ページ弱。薄めの長編かと思ったが、すなおに一本のストーリーという訳ではない。全部で四編の中編で構成され、そのひとつひとつで謎が提示されて解決に至る。ただしその上で全体としては長編ミステリっぽい結構もそなえているという、そういう作り。

 足跡のない殺人や凶器、失せ物の謎など、ミステリとしての各編はそこそこ考えられているが、基本的には解決に大きなサプライズはない。逆に言えば、各編ほとに一定の手堅さは感じさせる出来ではある。

 それなりに面白く読めたのは、主人公の古屋と発掘現場のキャラクターの距離感の変遷ドラマのおかげ。特に、たぶん根はヒューマニストながら訳ありで偽悪家の探偵役、一法師に古屋が次第に認められていくあたりの青春成長ドラマは、定石を踏んだ展開ながらなかなか心地よい。
 さらに古屋にはもうひとつ、本作全体を通した経糸のドラマが用意されているが、それはここでは触れない。個人的には余韻を感じつつ、その決着を読み終えた。

 青年コミックの、よく知らない業界のお仕事ものに触れるような興趣があった。主題となる考古学(発掘作業)への作者と登場人物の視座など自分のような門外漢の読者が接して、何かタメになったような手応えもある。


No.976 6点 四月は霧の00密室
霧舎巧
(2020/10/05 14:06登録)
(ネタバレなし)
 四月の新学期から、私立霧舎学園の高等部に転入してきた二年生の女子・羽月琴葉は、初日の朝から遅刻。さらになぜか学園内にたちこめていた霧の中で、同学年の男子生徒・小日向棚彦と恥ずかしくも運命的な出会いをする。しかも彼らの出会いの場には、何者かに殺された男性の死体までついていた。

 書庫から出てきた一冊。大昔に、同じ作者の「あかずの扉」研究会シリーズの一冊目を読んだのち、こっちも面白そう? と思って購入したシリーズ一冊めだと思う。もちろん(?)本シリーズはこれが初読。

 長々積ん読にしていたうちに、通信技術の描写に違和感はあるわ、パソコン環境がほとんど不在だわなど、時代的な隔世感は生じてしまった。
 ただしその辺を気にしなければ、軽快な文体の、しかししっかり練られた学園青春ラブコメパズラーとしてなかなか楽しめる。
 
 ミステリ的な興趣の多くは、本サイトの先の505さんのレビューがしっかり語ってくださっているのでほとんど付け加えることはない。
 あえて(なるべくネタバレにならないよう)追加で言えば、大きなミスディレクションのひとつを、この手の青春学園ラブコメものの作法パターンのなかにかなりさりげなく忍ばせてあること。いずれにしろ、伏線の張り方やサプライズの効果のあげかたでは、いろいろ唸らされる。

 仮想ライバルはズバリ、コミック「金田一少年」シリーズだったそうで、そちらで<ライトな語り口の本格的な謎解きパズラー>の面白さを知ったファンに、小説分野でももう一度同じ楽しみを味わってもらい、いずれはミステリというジャンルの大海に漕ぎ出してもらいたいとかの抱負らしく、そういう理念は大いに結構。
(まあ企画の初動から20年近くも経って、受け手のこちらが今さら言うことじゃあないし、それ以前に、今はあちこちに青春ラノベパズラーなんて散在しているけど。)

 しかし改めて思ったのは、小説というジャンルだと作中の事件の形質がそんなに広がらなくても、十分に一冊分の作品(長編)を作れるものだということ(しかも中身はそんなに薄くなく)。
 それこそ「金田一少年」みたいなコミックメディアだとこの紙幅を支えて読者を飽きさせないために、もっともっとイベントが必要だと思う。ラブコメとキャラ芝居でページが稼げて、そしてそのなかで捜査の筋道を語ったり、伏線を張ったり、手がかりをバラまいて、お話が保つのだからよろしいよね。

 このあとのシリーズは計画的に11冊続いたらしく(長編版『犯罪カレンダー』だ)、その分、ラブコメ的には描写もマンネリになって、お話を作るのが難しくなっていくのでは? と愚見。しかしうまくいけば、そのラブコメがマンネリに陥っていくパターンすら、ミステリとしてメタ的に料理してくれることもあるんじゃないかな? と期待している。
 このシリーズもちょびちょび、読み進めていきましょう。


No.975 6点 予告殺人
アガサ・クリスティー
(2020/10/05 02:10登録)
(ネタバレなし)
 1950年の英国作品。ミス・マープルものの長編第4作。

 評者は少年時代に本作を読んで以来、ウン十年ぶりの再読。読み直すまでトリックもストーリーも犯人も、まったく忘れていた。特に印象深い場面もなかった。
 しかし最近また、乱歩の古い記述とかたまに目にすると、改めて本作への高い評価が気になってくる。一体どこがそんなに凄かったんだっけ? という感じで一念発起して、古本で買ったHM文庫版のページをめくり始めた(ちなみに初読はポケミスの方である)。
 それでまた、いつものように登場人物メモをとりながら読み進め、ほぼダレないで最後まで楽しんだ。

 読了後に本サイトのレビューを拝見すると途中で犯人がわかったという方も多いみたいだけれど、残念ながら評者は当てられなかった(汗・涙)。けっこう大技を使ってはいるのだが、そのギミックが(中略)というやや破格な感じだけに、まさかもう(中略)と油断したこともある。
 二つ目の殺人の謎のホワイダニットの真相は、ある種の無常観と残酷さで結構好みかもしれない。
 一方で、やはり本サイトの少なくない方が指摘しているように<予告殺人>があまり(中略)なのは残念。殺人者ののちのちの行動の流れからしたら、かなりアンバランスではある。

 改めて、乱歩はどの辺を具体的に良いと思ったのであろう(当該の文章は、読後まだ見返してはいない)。犯行の事前予告という趣向は乱歩当人もあれやこれやの自作でやっているけれど、その辺にシンパシーを感じたか? いやまあ、そこまで単純な理由ではないと思うが。ああ、そういえば(以下略)。

 ミドルサイズのギミックの(中略)的な設け方はパワフルなものの、反面、もろもろの趣向が先走った感もあって、その辺で相殺。
 トータルな評価としては、秀作にかすりかけた佳作というところ。マープルものでは中位の出来でしょう。個人的には、少し前に初めて読んだ『牧師館の殺人』の方が、小説的な面白さもろもろ合わせて好きかもしれない。
(しかし結局、最後まで、前に読んだ際の記憶はなにひとつ甦らなかったよ。それもまた我ながらスゴイが~汗・笑~。)

 最後に、HM文庫版の127ページ。ミス・マープルがハメットの作品を読んでいた、という叙述にはぶっとびました(笑)。実際に何を読んだかは書かれていないけれど、いったいどの作品だったのか? 
 本作は1950年の作品だから、作中の事件が仮に1940年代の後半に起きたとして、すでにハメットの長編は全部その十数年前に書かれているし、40年代後半からEQの編集で短編集も続々と刊行されている。あれこれ想像してみるのも楽しいね。
(そーいや、以前に小鷹信光の記述で知ったけれど、あの「ブラックマスク」にもクリスティーの作品は何か短編が一本だけ掲載(たぶん再録?)されているんだよな。)
 かたや、はたして生前の晩年のハメットは、この『予告殺人』を読む機会はあったのだろうか? 本作が刊行されてから10年くらいは生きてたハズだし。
 今回再読してみて、この作品で一番評者の心に響いたのは、実はここ、ハメットのくだりだったかもしれない(笑)。

 評点は客観的に見れば7点は十分にとっているんだけど、くだんの乱歩の高評に異を唱えてちょっときびしめに(その乱歩の物言いを改めて読めば、なるほど! と思うかもしれないが。まあその場合は、また点数を変更しよう)。


No.974 7点 手斧が首を切りにきた
フレドリック・ブラウン
(2020/10/03 14:53登録)
(ネタバレなし)
 1948年8月のミルウォーキー。6歳の時に父アルビンと、そして1年前に母フローレンスと死別した19歳の若者ジョゼフ(ジョー)・ベイリーは、違法賭博の大手胴元スタニスラウス(スタン)・ミッチェル(ミッチ)の舎弟として仕事を手伝っていた。そんなジョーは、同じアパートに越してきた同年代のウェイトレスで可愛い娘エリー・ドラビッチ、そしてミッチの情婦の妖艶な美女で少し年上のフランシーヌ(フランシー)・スコット、その二人の女性にそれぞれの魅力で惹かれる。恋人となった前者といずれ円満な家庭を持つことも考えるジョーだが、一方で彼はフランシーとミッチの関係に憧れて、裏社会の大物になりたいという野心があった。やがてジョーは、ミッチとその仲間たちからある案件について打診を受ける。しかし彼をかねてより悩ますのは、亡き父アルビンにからむ、とある妄執であった。

 1950年のアメリカ作品。
 そのうち読もうと思って書庫から出しておいた一冊だが、先日、新訳版が出た『シカゴ・ブルース』を本屋で手にすると巻末の解説で杉江松恋氏がブラウンのミステリ全般に触れ、中でもこの作品をけっこう興趣も豊かげに紹介している。それで弾みがついて今回、読んでみたが、なんというかブラウンのノンシリーズ長編のなかでも独特の風格を感じさせる内容。
 
 ストーリーの大軸は、二人のヒロインの間で揺れながら(ただし比重ははっきりと一方の方にある)少しずつきな臭い世界にさらに踏み込んでいく薄闇色の青春ノワール・クライムサスペンスだが、さらに主人公ジョーの内面にはある浄化困難な過去のトラウマが潜み、それが(中略)。
 読後感などもあまり語らない方がよい作品だと考えるが、それでも作者ブラウンがなんでこういう作品を書きたいと思い、どうしてこんな物語の流れにしたのかは伝わってくる気がする。そういう意味では、説得力のある作品。
(ただしラストには、ある一点において読み手を放り出す部分があるが、その辺で読者を心の迷宮に置き去りにしようとするのも、作者の確信行為であろう。)

 中盤からの随所のメタ的な叙述(ジョーの物語が、いきなりまるで創作物を外側から覗くように相対化される)は実験小説の趣で、マジメな青春ノワール・クライムを書くのに照れていた作者ブラウンのはにかみめいたものも見やる。

 あと、第三次世界大戦の勃発におびえ、今度の戦争では確実に核ミサイルの応酬で世界が滅亡すると陰鬱になる当時のアメリカ市民の終末感もすこぶる印象的。向こうではこんな空気が10年以上も濃かれ薄かれ続いたんだよな。さらにそのあとには、ベトナム戦争というまた別の闇が迫ってくるけど。

 個人的にはブラウンのミステリはこれから読まず、エド・ハンターシリーズを順々に数冊紐解くか、あるいはもうちょっと軽めの技巧派? 系列、またはごく普通のB級謎解き作品の佳作~秀作『モーテルの女』あたりから入って何冊か楽しんだあとに、これに触れてほしいと思う。
(まあこれが最初のブラウンのミステリとのファースト・コンタクトだったという人は人なりに、それっぽいブラウン観が形成されるかもしれんけどね。)


No.973 6点 正義の四人/ロンドン大包囲網
エドガー・ウォーレス
(2020/09/30 13:23登録)
(ネタバレなし)
 20世紀初頭の英国。資力と科学知識に長けた三人の中年~初老の紳士、レオン・ゴンザレス、ボワカール、ジョージ・マンフレッドは、計画ごとの臨時メンバーを仲間に引き入れながら謎の秘密結社「正義の四人」として、世界各国の法律で罰せられない悪人、社会の敵と見なした人物たちを、強行的な手段で粛清していた。今度の標的は英国の益にならないと思われる法案を通そうとする外務大臣フィリップ・ラモン卿。ゴンザレスたちは実働役の若者テリーを半ば強引に仲間にする一方、外務大臣に法案を棄却しなければ粛清するとの警告を発する。しかし、マスコミが見守るなか、ラモン卿はあくまで初志を貫徹。ファルマス警視ほかロンドン警視庁の面々も、要人の警護と正義の四人の捕縛に務めるが。

 1905年の英国作品。
 大昔に中島河太郎あたりの本で最初に題名(『正義の四人』)と設定を知って以来、ワイルド7か「必殺シリーズ」みたいな<悪の正義の味方たち>が外道なワル退治の困難なミッションに挑む作品かと思っていたが、だいぶ違った。中核となる三人組は(この一作だけじゃまだ全貌は見えないものの)狂信的、独善的に悪人狩りを行う少数の秘密結社で、その実働のウン十%がたまたま理に適っているという感じのキャラクターであった。
 やり口もけっこう非道だし、モリアーティに大義を与えて心の充足をさせようとしたら、こいつらみたいになるんじゃないか、という印象。

 しかし<四人め>の設定はなかなかふるっているよね。要は、所詮は作戦の流れ次第で使い捨てにする駒に向かって「我々3人の(上流階級の)正義の志士は、(階級差など気にせず)きみを同格のメンバーとしてお迎えする」と言い放ち、いい気にさせてから使い倒すだけだもの。
 当然、ウォーレスの視線は当時の英国の階級格差にむけられていたと思うけれど、あーこりゃ、結構、多角的な読者層に受けたろうな。資本者側は正義のカタルシスを追求する三人組に、労働者たちはこき使われる四人めに、それぞれ心のどっかで同調して。
(ちなみに、のちのR・L・フィッシュの「殺人同盟」シリーズって、この中核の三人組がベースのようにも思える。)

 ミステリとしては他愛もない話だけど、終盤まで予想外にある種のハウダニット的な興味を用意した作りには軽く驚いた。

 うす口のノワール・ピカレスク・スリラーだけど、この三人組がそのあとのシリーズでもこんなキャラクターを貫徹したのか、あるいは変質していったのかはちょっと興味が湧いた。その意味では続編も読んでみたい。


No.972 7点 突然に死が
ハロルド・Q・マスル
(2020/09/29 20:17登録)
(ネタバレなし)
「おれ」こと弁護士スカット・ジョーダンは、若手弁護士の相棒ミッチェル(ミッチ)・プライヤーとともに日々の職務に励んでいた。そんなある夜、拳銃で撃たれて重傷を負った見知らぬ男がジョーダンの事務所を訪ね、彼に片言で何かを警告したのちその場で死亡した。死んだのはニューオリンズの私立探偵ヴィクター・グローヴとわかるが、ジョーダンには得心がいかない。とりあえず警察に通報したジョーダンだが、その後、病身で老人の大富豪レノックス・エインズリィから呼び出しがある。彼の依頼内容は行方不明の姪ルイズ・パスの捜索とのちのちの資産の継承の世話で、実はグローヴもその関係で動いていたことがわかる。かくして本格的に事態に介入するジョーダンだが、そんな彼の周囲でまた別の騒動が生じて……。

 1949年のアメリカ作品。スカット(スコット)・ジョーダンシリーズの第二作め。
 田中小実昌の翻訳が快調なこともあるかもしれないが、ストーリーは、けっこうリーダビリティの高かった前作『わたしを深く埋めて』をさらに上回る流れの良さ。
 物語(複数の事件や案件)はそれなりに錯綜するのだが、全体的にキャラクター配置に無駄がなくかつ的確で、筋立てが非常に理解しやすい。

 足を使って関係者の間を歩き回るジョーダンの機動力は、まさに軽ハードボイルド私立探偵小説の食感に近い。それにくわえて、フーダニットの要素を備えた事件が物語の終盤、かなりギリギリになってからも起きる展開にもワクワクした(ただし、その流れの上では、パズラーとしてはちと、ムニャムニャ)。

 しかし、最後の最後のミステリ的な趣向には、はあああ! と驚かされた。ここではあまり詳しく書かない(書けない)けど、二作めで早くもこういうミステリの作り方を作者マスルが心得ていたのなら、こりゃシリーズが成功するわけである。いや、これはこのあとの作品も楽しみ。

 100万部以上を売ったという第一作から2年。版元的にはもっと早めに人気がホットなうちに続編を書いてもらいたかったろうが、一年以上の期間をかけただけの出来ではある。
 戦後アメリカの風俗描写のボリューム感は前作の方がこってりしていた(その辺も良い味わいであった)けれど、今回はその辺りがいくぶんスリムになった反面、お話はより洗練され、ミステリとしての完成度はぐんと増した。

 なお前作から引き続き登場するレギュラーキャラは
<ジョーダンの仲間・友人枠>ジョン・ノーラ(殺人課の警部)
<同、ライバル・敵役枠>フロイド・ディロン(金に汚い弁護士)
            フィリップ・ローマン(地方検事)
            エド・マゴワン(地方検事補)
            エルモ・ボイス(警視)
……などなど。今作からまた、さらにレギュラーは増えるかもしれない? 次作を読まないとわからないが。

 ちなみに第一作でジョーダンが地味に頼りにしていた、太って有能なアラフォーの秘書キャシディは、どっかにいなくなってしまった。
 こーゆーヒロイン枠にならない秘書は、要らないということだったのかね? まあ、あからさまにデラ・ストリートや途中からのエルシー・ブランドとの差別化みたいで、あざといとか思われたのかもしれんが。妙に存在感のあるおばさんキャラだったので、ちょっと残念。


No.971 8点 レクイエム
ジェイムズ・エルロイ
(2020/09/28 23:08登録)
(ネタバレなし)
 1980年のロスアンジェルス。「私」こと33歳の私立探偵フリッツ・ブラウンは、ドイツ系のアメリカ人。さる事情から6年間奉職したLA市警を去り、今は腐れ縁の自動車ディーラーの大物、キャル・マイヤーズから依頼を受けて月賦の支払いが不順な車を回収し、主な収入源としている。そんなフリッツのもとに、ゴルフ場の人気キャディを自称する中年男「ファット・ドッグ・ベイカー」ことフレディ・ベイカーが来訪。彼は自分の28歳の音楽家の妹ジェーンを後援する、大物の毛皮商人ソル・カプファーマンの調査を依頼する。これに応じてカプファーマンの周辺を探り出すフリッツだが、その顔を見た際にある記憶が浮上。それは十数年前に起きた、6人もの犠牲者を出したナイトクラブ「クラブ・ユートピア」の放火事件、それに関わる思い出だった。

 1981年のアメリカ作品。
 かねてより作者エルロイの評判の高さは知っていながら、かなり昔にただ一冊『血まみれの月』を読んだきり。残りのホプキンズものも、LA4部作も手つかずという体たらくであった。
 それで先日、部屋の中から古書で買ったまま忘れていたコレが出てきたので、たしかこれ処女作だよな……、単発の私立探偵ものらしいから、気を使わずに読めるよな、とページをめくりだした。

 そんなわけでほとんどエルロイ、ビギナーみたいなものだから後年の諸作群との比較はできないんだけど、フツーに、いやそれ以上に面白い。
 フリッツ視点で掘り下げられていく事件の流れに不自然さはないし、途中で「おいおい、それって主人公の行動としてどーよ」と思うような叙述にも、読み手を適度に焦らしたタイミングを見計らうようにフォローが入ったり、イクスキューズがはかられたりする。
 人はバンバン死に、主人公フリッツもやむなくその手を汚すが、作中のリアルで実際に他人の命を奪ったら(なりゆきで仕方ないといいわけしても)どうしたってこれくらい、心にストレスがかかるよね、という描写が積み重ねられる。それもかなり長く、しつこく、粘っこく。

 いやそういう主人公にクヨクヨさせる筋立ては、クラムリーとかR・L・サイモンとか、それどころかR・B・パーカーですら初期作ならこだわった<いかにもネオ・ハードボイルドっぽい主役探偵に課せられる内省>というタスクでもあるんだけれど、本作の主人公フリッツの、荒んだ心を癒そうとするハメの外し方、乱れ方はどこか違う。クレイジーの域まではいかないが、ウソのない真剣さというか。この辺がエルロイだ、といわれれば、そういうことなのであろう。

 後半は熱に浮かされたように一気に読んだ。勢いのある物語だが、その割にミステリとして事件の構造に破綻が見られないのは立派。クライマックスまで(中略)というストーリーの組み上げ方も、ややクサイけれど、最終的にこのお話の設定のなかでこの主人公に何をさせたいのか、くっきりさせている。

 ラストのまとめかたには思うことは多いが、とにもかくにもご都合主義でなく、人生はこういうこともあるよな、と読み手の心のスキをついてきた感じ。ハッピーエンドとかバッドエンドとか、そういう物差しで語る終わり方ではない。

 文庫版の解説(訳者あとがき)にあるように、デビュー前にチャンドラーやロスマクを読みふけって小説修行したという作者による、偉大なる先人への錚々たる返歌。それはこれ一冊で必要十分だと思えるので、シリーズ化しなかったのは正解であろう。
(まあ、2020年代のいま、もし何十年ぶりかの続編を書いてくれたら、それはそれで嬉しがるだろうけどね。)


No.970 7点 船富家の惨劇
蒼井雄
(2020/09/27 20:58登録)
(ネタバレなし)
 昭和×年10月10日。和歌山県は海辺の山腹にある旅館「白浜荘」の一室で、大阪の実業家・船富隆太郎の年上の妻・弓子の惨殺死体が見つかる。現場の状況から、ともに宿泊したはずの夫もやはり殺され、何らかの理由から死体はどこかに遺棄、もしくは隠された、と思われた。容疑者として検挙されたのは、船富夫妻の娘・由貴子の元婚約者の青年、滝沢恒雄。滝沢は元恋人との復縁の了解を夫妻に願うが断られ、逆境して殺害したのでは? との大筋が捜査陣の見解となる。だが無実を訴える滝沢の抗弁のなかには、確かに事件の状況となじまないものもあった。一方、滝沢の兄・敬一郎に依頼された弁護士・桜井英俊から協力を要請されたのは、元警視で40代の私立探偵・南波喜一郎。南波は、滝沢の友人で助手役におしかけてきた青年・須佐英春とともに、船富家の殺人事件に関わりあうが、事態はさらに二転三転の様相を見せていく。

 1936年3月(奥付記載)に、春秋社から刊行された書き下ろしの長編パズラー。
 戦前の日本探偵小説出版界は書き下ろし作品の事例が比較的少なく、その事実は日本ミステリ界の発展において必ずしもよいものではなかったという見識をどこかで読んだような気がするが、なるほどこういう作品がさらにもっと輩出されていたら、往時の国産ミステリ文壇はさらにもっと百花繚乱になっていたかもしれない。

 評者は今回、本作を「別冊幻影城」の蒼井雄特集号で読了(大昔に買ったはずだが見つからず、一年ほど前に仕方なくもう一冊、廉価な古書を購入した)。
 実は少し前に別のミステリ感想サイトで蒼井の文章は読みにくい、という意見に触れていたので、そのつもりで覚悟していたら、それほどひどくはなかった。この数十年、見たこともないような言い回しや熟語が何回か登場するが、時代を考えればまあ平明な方ではあろう(一方で格段味のある文章だとも、リズミカルな文体だとも思わないが)。

 しかしながら肝心のミステリ要素・趣向は、今の目で見てもかなり盛りだくさん。中には悪い意味でやはり戦前の作品だと失笑したくなるものもあるが(事件にかかわりあった女中への犯人の処遇など)、そのゴージャス感にはなかなか引き込まれる。特に犯人が主人公の探偵に(中略)は、当時にしてこういう発想があったのか! と少なからず仰天した。21世紀のいま、そのまま使える奇手では決してないだろうが、どこか半世紀のちの本邦ミステリ界に花開く新本格ジャンルの先駆のような香りすら認める。

 終盤で炸裂する探偵側の立体的なキャラクターシフトもかなり痛快で、発想のベースはたしかにかの海外作品ではあろうが、ロジックの検証の応酬という機能性においてはこちらの方がずっと面白い。むしろ浜尾の『殺人鬼』のクライマックスに近いものを感じた。
 クロージングのまとめかたは、読者の視点を意識して、本当の犯人像を揺さぶる、という意味で実に味わい深い(あまり詳しくは言えないが)。

 あえて本作の弱点を言えば、戦前のパズラーの作劇になれていると、たぶんかなり早めに犯人の見当がついてしまうこと。しかしながら作者はある程度、そういうウィークポイントを自覚したうえで、前述のような悪役像の掘り下げを行ったフシも窺える。
 これが登場したとき、さぞ日本の探偵小説界は沸いただろうなあ。

 なおくだんの「別冊幻影城」巻末の島崎博の述懐エッセイ(および蒼井の未亡人へのインタビュー)を読むと、1975年に初めて当時まだ健在だった作者の消息を探し当てて初の連絡をとり、電話で「別冊幻影城」の蒼井編の刊行の了承をいただき、さらにいくつかの情報を拝受、さらにまた実際にお目にかかって詳しい回顧をお尋ねするつもりでいたら、その電話の2週間後に他界されたという(大泣)。
 ご当人の口からまだまだ語られるはずでかなわなかった積年の逸話を惜しむべきか、それとも神が島崎博に与えた最後の機会に感謝すべきか……。感無量。

【2020年11月16日追記】
 上の本文中で、本作の登場による日本のミステリ界の反響をイメージしたが、雑誌「幻影城」1977年8月号の中島河太郎の書誌研究記事によると、当時は大した騒ぎにならず、春秋社の企画「長編探偵小説募集」の審査に当たったプロ作家たち以外で、本作に好意的な評を寄せたのはあの井上良夫くらいだったそうである(……)。本作を主とする蒼井作品の本格的な(再)評価が固まったのは、戦後になってからだそうだ。うーん。


No.969 9点 アラスカ戦線
ハンス=オットー・マイスナー
(2020/09/27 04:59登録)
(ネタバレなし)
 1942年6月18日。日本軍はアリューシャン列島の一角アッツ島に侵攻。島を占拠した。その事実はアメリカ本国にも知られるが、大戦の主戦場が太平洋方面のなか、さしたる警戒ははかられなかった。それから2年、日本軍はアッツ島を拠点にアメリカ首都部への爆撃を行う作戦に着手。突貫工事で島にひそかに空港が建造されるのと並行して、爆撃機の飛行ルートであるアラスカ山中の気候を逐次確認・連絡する特殊部隊が派遣される。かくして元オリンピック選手で海外にもその名を知られた31歳の日高遠三大尉率いる全11人の選抜チームはアラスカ山中に潜入し、居住用の環境を整えながらアッツ島空港の完成を待つが、米国のアラスカ方面軍司令官ハミルトン将軍はふとしたことから日本軍の秘密作戦を察知。将軍の腹心の部下フランク・ウィリアム大尉は、遭難者の救助や野生動物の生態系保護に務める「アラスカ・スカウト」の第一人者アラン・マックルィアとその仲間12人に協力を要請。かくしてアメリカ本土攻撃作戦の捨て石となる覚悟の日本軍人たちと、彼らを追撃する地元アラスカの精鋭勢の戦いが開始された。

 1964年のドイツ作品。作者ハンス=オットー・マイスナー(1909~1992年)は1936年から39年まで日本のドイツ大使館に勤務。日本の瑞宝章を受けたほどの親日家。
 そんな作者による本作は、ヤマトダマシイを持つ日本軍軍人をこの上なく勇壮に描いた戦争山岳冒険小説の名作として、1970年代前半からすでに日本でも高い評価を受けていた(その辺の事実は、当時の「ミステリマガジン」の書評そのほかを探求すれば、21世紀の現在でもすぐわかる)。
 評者も少年時代にそんな世評に触れて興味を抱き、高校生の頃に旧版の文庫版を購入。そのうちいつか読もう読もうと思いながら、実際に楽しむのは数十年後の今日になってしまった(まあ評者の場合、よくあることだが~苦笑~)。

 ちなみに往年のミステリマガジンなどでは、マクリーンの『シンガポール脱出』(評者はまだ未読だが)でのステロタイプな悪役日本軍軍人キャラなどと本作を比較。その上で、まあ一般の欧米の第二次大戦ものの日本軍人の扱いならマクリーンなんかの方がスタンダードであり、本作『アラスカ戦線』みたいな立派で高潔な日本軍軍人の描写の方が希少なのだ、と語る文章を見た覚えもあった。
 そんな背景もあって、たぶん本作はおそらく十分以上によくできた作品なのではあろうけれど、あまり軽い気分では読めないと敷居が高くなってしまった面もあった。それゆえ作品現物を味わうまでにあまりにも長い時間がかかった……ということもある(まあ、何やかんやではある)。
 
 でもって実際に読むまでは、日高大尉、いかに立派な武人とはいえ、あくまでライバルキャラなんだよね? 主人公は別にいるんだよね、と踏んでいたが、現物を紐解くと、押しも押されぬ完全な主人公! これにはちょっとビックリした(アメリカ側にももうひとりの主人公といえるキャラがいるが、誰がそのポジションになるのかは、ここではナイショ←まあ、読めばすぐに大体わかるとは思うが)。
 
 それでミッション遂行もの戦争冒険小説としての本作の妙味は、主人公の日高大尉の立場からすれば常に作戦の目的が流動的であること。
 というのは、首都攻撃飛行ルートの本拠であるアッツ島の空港建設がアラスカ潜入と同時進行で続いているものの、まだ未完成。
 空港がさっさと完成して、その上でアラスカから送られてきた情報をもとに爆撃機の発進が叶えばベストなのだが、戦争が激化するなかで空港の建設はなかなか予定通りにいくわけはない。それゆえ、日高の一行はアラスカ山中での無期限在留=サバイバル生活を強いられることになり、さらにそこにアメリカ側の追撃が迫る。二重三重の立体的な設定のお膳立てが、実に効果的である。

 さらに、日本側、アメリカ側双方のチーム、それぞれ十数人ずつのキャラクター描写はもちろん均一に語られているわけではなく、ほとんど名前だけ登場して……の面々も何人かいる。その辺のキャラシフトを留意しながら読むと、物語の進行にかなりの緩急があって唸らされる。この辺もあまり詳しく書かない方がいいだろうけれど、すごく自然な感じで定石を外しにくる作者の作劇がすこぶる鮮やかだ。
(詳しくは、興味が湧いたら現物をぜひ。)

 しかし本作の本当の真価は後半ラストの4分の1であろう。思いも寄らない、しかしあまりにもドラマチックな物語の流れには一種のトリップ感さえ覚えた。というより最後の(中略)はドラマというより、完全に一級のロマンであった。

 なおラストに関しては道筋が読めてしまう部分もあるんだけけれど、むしろ<そこ>に着地するまで、作者はとにかく安易な作劇だけはしまいと描写を積み重ねた、そんな手応えがある。
 言い換えるなら、読者のためにも、そしてなにより作中の登場人物たちの長い重い辛苦を軽んじないためにも、極力イージーな物語の組み上げは最後までしたくない、という作者の気概を見た。そういう意味で、すごく誠実な作品。万感の思いのクロージングに関しては、ここでは、あえて何も言わない。

 かねてより評判の良い名作と聞きおよんで読んで、さらにその世評を上回る傑作ってやっぱりあるんだと、そういう感じの一冊であった。


No.968 5点 造花の蜜
連城三紀彦
(2020/09/24 03:48登録)
(ネタバレなし)
 長さに比例して、倦怠感が相応に募る作品。
 だいぶ前にブックオフで200円で買った元版(ソフトカバー)は2009年3月の第6版で、帯には、初版の刊行以降に各方面で絶賛されたらしい本書の書評の引用や賛辞が書いてある。
(たぶん自分もそんな景気のいい物言いに気を引かれて、しばらく前にこの本を買ったのだろう。)

 それで先日、部屋の中からその本が出てきたので、後期(晩年?)の円熟の境地の連城を期待して読んだ。そしたら実際の現物はダラダラと長い、くわえて魅力もない登場人物ばかりの筋立てで、いささかゲンナリ。
 
 帯に書いてある「どんでん返しの、信じられないほどの連続技」に関しては、初弾のネタがなかなか。続く2つめが本作の一番のキモだろうと思えるし、自分もちょっと面白いと感じた。けれど読了後、一時間も経たないうちに「数十年前の某・国産パズラーの大技の焼き直しじゃないの?」と気がついて、そこで評価が変わった。
 でもって最後のアレは事前に真相が読めたし、プロット全体の構造からいえばオマケみたいな部分だものね(いいちこさんのおっしゃる「ボーナストラック」「蛇足」という修辞がかなり的確か)。まあそれでも、うまく物語の流れに組み込んであるとは思うけれど。
 
 後期の連城長編は正直、あんまり読んでないんだけれど、自分がよく知ってる80年代のこの作者だったら、同じ物語を3分の2~4分の3の紙幅で書いたようにも思える。その意味でもあまり楽しめたとは言い難い。

 というわけで評者はまだまだ未読の連城作品は多いのだから、きっと、もっとずっと面白いものにも出会えるよね?


No.967 8点 暗闇へのワルツ
ウィリアム・アイリッシュ
(2020/09/22 04:46登録)
(ネタバレなし)
 1880年5月のニューオリーンズ。37歳のコーヒー輸入業者ルイス(ルー)・デュランドは多額の財をなしながら、15年前に恋人マーガレットと結婚直前に死別した辛い過去があった。心の傷を抱えたまま独身を貫いてきたルーだが、ついに彼は一念発起。結婚斡旋所が紹介したセントルイスの年増女ジュリア・ラッセルと数回に及ぶ文通をへて、婚約を果たした。かくしてニューオリーンズの港に、花嫁となる女性を迎えに行くルーだが、手紙で写真を送ってきた女性は姿を見せない。かわって、私がジュリアだと名乗る、謎の美しい若い娘が現れた。

 1947年のアメリカ作品。
 評者が未読でとっておいた、残り数少ないアイリッシュ=ウールリッチの長編の一本(……と思いきや、少し前に再確認したら、手つかずのウールリッチの長編は、まだそれなりに残っていた・汗&笑)。

 少年時代(まだHM文庫版も刊行されていない時分)に、どっかの古書店で買ってそのままだった、当時絶版のポケミスで本日、読了(おしりの方の遊び紙に鉛筆で170円という古書価が書かれている)。
 
 そのポケミス版は370ページ以上の厚みで、ウールリッチ=アイリッシュ作品としては比較的長めの方だと思う。それゆえにこっちも読むのを気構える面もあり、ついに今日までウン十年間手つかずのままにしていた。が、実際に読み始めるとやめられず、一晩で読み終えてしまった(笑)。
 いや、評判が高いことは聞いていた作品だが、とにかくメチャクチャ面白い。

 内容についてはそのポケミスの裏表紙のあらすじも、本当にかなりごく最初の展開だけを記述。前半からストーリーが弾みまくる作品なので、なるべくネタバレにならないように、ポケミス初版の刊行当時から書きすぎないように心がけた編集部の気遣いがうかがえるような気もする(だからこのレビュー冒頭のあらすじも、なるべく序盤だけ記述)。大体、どんな方向に流れるか語るだけで、ある種のネタバレになってしまうような内容だ。
(とはいえポケミス巻末の解説で、ツヅキは「この作品はどーのこーの」とそれなりに具体的に作品の性格を語ってしまっている。まあツヅキのその解説は、本文の読了後に目を通してくれという意向かもしれないが。)

 というわけで、本作はウールリッチ(アイリッシュ)長編のなかでもかなり(中略)の趣が強いもの。
 しかしそれでも「黒シリーズ」の一環たるノワールサスペンス味は強烈で、いつもの作者の作風を期待して裏切られることはない。

 そして長丁場の物語を起伏豊かに、そして大きな破綻なく読ませる筆力の面だけ言うと、これは何というかシェルドン、キング、クライトンあたりのA級職人作家みたいな大衆小説っぽい面白さを感じた。
 そんな一方で前述の(中略)ジャンルらしいミステリ味、ウールリッチらしい作風も兼ね備えているのだから、つまらない訳はない。
 ファンによってはウールリッチのベスト作品に推す人もいるみたいで、ああ、さもありなん、という感じ。
 評者も『喪服のランデヴー』の不動1位はゆるがないものの、ウールリッチの長編ベスト3候補なら、この作品を十分に勘案したい。

 後半で絶えず微妙に変遷し続ける主人公コンビの関係性、テンポよく読み手をあきさせない劇中イベントのつるべ打ち、最後の二転三転を経た余韻のあるクロージング、随所にとびだす警句の妙。
 すべてが骨太な、大衆小説なサスペンスミステリの風格を築き上げていく。印象的な名シーンも実に多い。特に後半。

 最後に、1940年代後半の作品なのに、なんで作中の時代設定が半世紀近くも前なんだとも思ったけれど、読んでいくうちになんとなく分かってくる。なにしろ男の心情が純朴すぎて、これは「むかしむかしあるところに……」的な大人のお伽話っぽいデコレーションを設けなければ、照れ臭くってやってられない。たぶんそれは、読む方も書く方も。

 とはいえ、ウールリッチがこんな球を放るのか、と驚愕したほどの豪速球。
 たとえばスティーヴン・キングなら『IT』がもし内容的に成功していたのなら、きっとこんなボリューム感と作品の完成度の足並みが揃った名作になっていたんだろうな、と思わせる作品である。
(実際の『IT』は、とてもそんな高みに及んでいるとは思えないけれど。)

 もし誰かがこれを「ウールリッチが生涯にただ一本だけ書いた、本気でボリュームを武器に勝負した一冊」というのなら、自分は黙って頷くでしょう。9点にかなり近い8点。 


No.966 5点 二つの顔
リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンク
(2020/09/20 14:15登録)
(ネタバレなし・ただしあくまで小説=ノベライズ版のレビューなので、原作ドラマ版の前もっての鑑賞もしくは復習は推奨。)

 広域スーパーマーケットチエーン店の社長で55歳の大富豪クリフォード・パリスは、はるか年下の美人リザ・チェンバースと婚約。これに慌てたのが、彼の甥である29歳の一卵性双生児のパリス兄弟、弱気な兄・銀行副支店長のノーマンと強気な弟・料理研究家タレントのデクスターだった。婚姻後にクリフォードが死亡すると莫大な財産が新妻のものになると考えた甥は、独身最後の夜に心臓発作に見せかけて伯父を殺害するが……。

 原作ドラマは「コロンボ」第二シリーズの一編で、シリーズ通算第17話のエピソード。

 原作ドラマ「二つの顔」は名優マーティン・ランドー(『スペース1999』や『スパイ大作戦』、映画『メテオ』ほか)が双生児の兄弟役をひとりでこなしており、倒叙ものながら双子の実行犯がどちらかわからない、変化球のフーダニットでもあるのがミソ……とよくいわれている。
 しかし実際にドラマを見ると実行犯は、強気な弟デクスターで、少なくとも画面を観ればこれはキャラクター描写で一目瞭然。
 となるとこれは
1:実行犯はそのままデクスターである
2:ノーマンが弟に罪を着せる、あるいは自分の嫌疑を逃れるため、作中の関係者はおろか視聴者まで騙そうとしている
 ……のどちらか、ということになる(実は三つ子以上だったオチでもないかぎり)。
 だが肝心のドラマは<2>の方に視聴者の興味を誘導するべきシナリオも演出も中途半端で、本来は面白いものになるハズの趣向がまるで生きていない。
 
 でもって今回、家の中から何十年もの間に買い貯めた「コロンボ」のノベライズが山ほど出てきたので、そういえば「二つの顔」のあの映像でしか見せられない仕掛け(マーティン・ランドーの二役によるミスリード? あるのかないのか)は、地の文で実行犯の名前を書かなければやりにくいノベライズはどうなっているのであろう? と思い、本当に久々に小説版「コロンボ」を読んでみた。
 
 そうしたら小説版では実行犯ははっきりと、客観的な神の視点(三人称)描写でそのまま(中略)と書いてあり、これはいろんな意味でムニャムニャ。本作の小説版の実執筆(公称は翻訳者)は本シリーズのメイン作家のひとりである野村光由だが、この方は原作ドラマのその辺の妙味(倒叙にして変革フーダニット)という側面はあまり重視しなかったようだ。まあ正にノベライズしにくい部分だから、無造作に放り出してしまったんだろうね。

 ちなみにこの小説版ではドラマにないハズのオリジナルな脚色(もしかしたら原典ドラマの脚本にはあったけれど、映像化されなかったシーン?)として、堅物の初老メイド、ミセス・パメラに対してコロンボが「あまり厳しい物言いはいい加減にしてください、私だって人間なんだ(大意)」という感じで激昂、それを見たパメラ夫人がそれまでただのダメ男と思っていたコロンボを異性として意識するという、じつに愉快な描写がある。感情をむき出して憤怒するコロンボの図といえば、原典ドラマシリーズの後年のあの話が有名だけど、小説版ではこういう描写がすでにあったんだね。奥が深い。ちなみに準メインキャラであるミセス・パメラは、その内面描写の掘り下げもふくめて小説版でなかなか厚みのあるキャラになっているようで、たしか小説オリジナルのラストのコロンボとのやりとりも泣ける。
 いや、この辺の小説のみの味わいを普通に楽しんでこそ「コロンボ」ノベライズ世界の賞味というものです。

【付記】
・今回のレビューは直前には原作ドラマを再観賞せず(過去には最低2回は観ている)、宝島社のムック「刑事コロンボ・完全事件ファイル」を参照しながら執筆。
(ほかに「コロンボ」のファンサイトのこの回のレビューもいくつか参照。)
 もちろん、小説版はしっかり読んだ。ここはミステリ小説サイトですので。
・小説版のキャラクター名のカタカナ表記は一部に日本語ドラマ版と異同があるようだが、本レビューは小説版の表記に準拠。
・先行の江守森江さんのレビューは、原作ドラマ(および本小説版)の、最後にわかるミステリ的な趣向を思い切りネタバレしているので、注意。


No.965 5点 Nのために
湊かなえ
(2020/09/20 03:53登録)
(ネタバレなし)
 数年前、さる流れでブックオフの100円均一で購入し、そのままだった本を思いついて読む。
 でまあ、感想は、うーん……。

 なるべく曖昧に書くように心掛けるつもりで言うけれど、こういう作品は主要キャラの大半に、シンクロは無理にしてもせめてその心情の理解くらいはしたほうがいいと思う。
 しかし実際にはその辺りがものの見事に難しい作品で、題名の「Nのために」がほとんどまったくこっちに染み込んでこない。まあ(中略)でもあるのだが。

 トリッキィなミステリとかじゃなくって、味噌醤油味のシムノンの普通小説みたいな感じの作品であった。しかしシムノンのその手の作品のアベレージほど、心に響かないけれど。

 人気番組になったらしいドラマは観てないんだけれど、出来はどうだったのであろう? もしかしたら脚色のやりよう、キャラ同士の距離感の改変によっては、この原作よりもずっと面白くなったかもしれんね。そういう可能性だけは認める。

 作者がどういうものをやりたかったかは、なんとなく見えるような気はする。しかしできたものは、あれこれ踏み込み方に狂いがでてしまった感じ。
(シャープペンシルの辺りだけは、ちょっと連城ティストみたいで良かったかも。)
 
 湊作品はとにもかくにもこれまで10冊近くは読んでいるけど、そのなかでマイ・ベストといえば、原状のところ、断トツで『望郷』です。なかなか、あれに張り合える1冊には出会えません。


No.964 7点 雪だるまの殺人
ニコラス・ブレイク
(2020/09/19 17:16登録)
(ネタバレなし)
 世界大戦の影響が強くなる1940年の英国。名探偵としてすでに高名なナイジェル・ストレンジウェイズとその妻ジョージアは、ジョージアの従姉妹の老嬢で歴史学者クラリッサ・カベンディッシュから相談を受ける。その内容は、クラリッサと親交の深い一家、退役軍人ヒヤワド・レストリックを当主とする「イースタハム荘園」で、飼い猫が奇矯な行動をとるなど不穏な気配があるというものだ。早速、幽霊の伝説も残るくだんの荘園に乗り込むストレンジウェイズ夫妻とクラリッサだが、訪問して宿泊したその夜のうちに家人の一人が変死。しかも自殺のように見えたその死体には、他殺の疑惑が浮上する。

 1941年の英国作品。番外編をふくめて、ナイジェル・ストレンジウェイズものの第七長編で、ナイジェルの最初のヒロイン、ジョージアの最後の活躍編(涙)。

 物語の冒頭、雪だるまの中から(誰かとはわからない)死体が見えかけるところで第一章が終了。第二章の冒頭からは、クラリッサの依頼でナイジェルとジョージアが動き出す物語の流れが語られ、これが本編の90%前後を占めたのち、最後の最後で第一章に戻る。そこではじめて、結局、誰が殺されて雪だるまの中に押し込められていたのか、そして事件全体の真相までが明かされるという、なかなか凝った構造。
 当然、雪だるまの中の死体の該当人物としての可能性があるものは物語の進展に応じて絞られてもくるが、ある意味で「被害者は誰か?」的な側面もある作品で、そういう興趣も加算してかなり面白かった。
 
 nukkamさんがお怒りになる<「前半で死体が全裸だった事実」が謎解きの要素としてまったく無意味>だというご指摘には返す言葉もないけれど(汗)、その辺はもしかしたら作者ブレイクの単純な軽い猥褻描写だったのかも? 生涯の著作を読み進めるとわかるけれど、このヒト、けっこうエッチだったから(笑)。
 
 冒頭のインパクトで全体の緊張感を堅守しながら、物語の実質的な流れは、幽霊伝説の怪談もちょっとからむ館もの(カントリー・ハウスもの、というべきか)として展開。主要キャラも全体にくっきり書き分けられていて、まったく退屈しなかった。
 あと、被害者の陰影のある過去像が次第に浮かび上がってくる流れは、ほぼ10年後のガーヴの『ヒルダ』に影響を与えているかもしれない? 
 戦時下の地方の灯火管制の描写や、ナチスの台頭の話題など、この作品が生まれたリアルタイムの時代色も味わい深いし。

 最後の意外性……という点ではそんなでもないけれど、普通に書いたら佳作程度で終わるところを、ちょっとトリッキィな仕掛けをいくつか設けて秀作に格上げした感じ。
 ナイジェルシリーズのなかでは、個人的には上位の方に推したい。

 最後に、最後までおしどり夫婦探偵のベストパートナーだったジョージアに花束を。
 自分が翻訳ミステリファンである限り、あなたのことはずっと忘れません。

追記:翻訳が、あの斎藤数衛。このヒト、1980年代のHM文庫の新設時代にカーの旧訳を訳し直したこと、さらにはあの個性的な箇条書き風の訳者あとがきで印象深いけれど、もうこんなころからミステリを訳してたんだね。ちょっとビックリした。
 翻訳は全体的に平明だったけれど(一部のカタカナ言葉に時代的な違和感はあったが)、ナイジェルがジョージアを「あんた」と呼ぶのだけは閉口でした。普通に「きみ」じゃいかんのか?


No.963 6点 メグレとルンペン
ジョルジュ・シムノン
(2020/09/18 05:07登録)
(ネタバレなし)
 その年の3月25日。セーヌ河の河岸で年配のルンペンが何者かに襲われて重傷を負った。彼は元医者らしくそのまま「お医者さん」と呼ばれ、近所の一部の住民にそんな身の上ながら敬愛されていた。誰が何の理由で、わざわざルンペンなど襲ったのか? 部下のラポワントを伴ったメグレは捜査に着手するが。

 1962年のフランス作品。久々にメグレものの長編を読んだ。実のところ手元近くに何冊か河出の「メグレシリーズ」はあったが、みんな変化球っぽい内容みたいなので、どうせ久しぶりに読むならシリーズの正統派風のものがいい、と思ったのだった(それで家の中から未読のこれを見つけるのに、ちょっと時間がかかった)。

 でもって本作の内容の方だが、地の文に、フランス国内を騒がす大事件なみに、(たかが……と言ってはいけないが)初老のルンペンの傷害事件に躍起になるメグレを揶揄するような、囃すような文章が出てくる。とはいえ読者のこちらは、メグレがそんな被害者の社会的格差を理由に捜査ぶりに差をつけるような人間だとはハナから思っていないから、こんな煽りめいた叙述も大して心に響かない。
 
 そんな意味では、どこまでいっても全体に地味な一編ではあったが、メグレ夫人の積極的な内助の功、「お医者さん」の仲間のルンペンや彼のもとの家族たちの描写など、シムノンのメグレものの世界を普通に築いて快い。ミステリとしては、後半になって物語の比重がある側からあるサイドにがらりと切り替わる瞬間がミソか。まああまり詳しくはここでは言えない。
 クロージングはちょっとひねった、変化球の終わり方を迎えるが、それなりの余韻があるのは良い。たぶんなんとなく、物語の先に来る、とある展開を読み手に想像させようとしている雰囲気もあり、そこもまたこの作品の味。
 突出した部分はそう多くはないが、メグレものの長編としては普通に楽しめる佳作でしょう。


No.962 6点 疑問の黒枠
小酒井不木
(2020/09/17 10:50登録)
(ネタバレなし)
 その年の10月の名古屋。実際にはまだ健在な金持ちの死亡告知記事が、相次いで新聞に掲載される。しかし怪事の三人目の被害者で大会社「村井商事」の社主である当年60歳の村井喜七郎は、この珍事を面白がり、菩提所・東円寺の住職の協力をとりつけながら実際に葬儀を行おうとする。喜七郎は葬儀の場に奇術師・旭日斎松華を招いて趣向も考えるが、そこで生じたのは当人も予期しない出来事だった。

 昭和2年の作品で、オリジナルの創作物としては日本最初の長編ミステリという見識もある一編。浅学の評者でも作者・小酒井不木については本当にわずかばかりの知識はあり、以前から関心はあったが、このたび「別冊幻影城」の小酒井不木編で読了した。

 一読、これが本当に本邦最古の長編だったのか!? と驚かされるような仕掛けと趣向に富んだミステリで、その豊潤な内容に感嘆した。作品の方向としては謎解きの興味がそれなり以上にあるスリラーという趣だが、起伏の豊かな展開、特に中盤以降の登場人物の意外性のあるポジショニングに独特な感興を覚える。
 前述のように評者の不木観はまだまだ貧弱なものだが、それでもこの一編を著するに至ったこの時点の作者の海外ミステリをかなり読み込んだ確かな素養は実感する(実際、物語の冒頭はソーンダイクの探偵法に触れる法医学者・小窪介三の会話で開幕。物語の中盤にはチェスタートンの『知りすぎた男』の話題も登場する)。
 
 終盤に至る意外性や物語のテンションを求めるあまり、多少の無理筋、さらに伏線の張り方やものの考えの詰め方の甘いところは見受けられる気もするが、とにもかくにも昭和最初期に書かれた、全ての国産長編ミステリの先駆という事実を考えればエレガントな出来だという評価をするにやぶさかではない。
 登場人物もそんなに多くないし、文章も時代を考えればかなり平明。国産ミステリファンは、趣味を楽しむ上の素養として機会を見て触れておくのもよいと思う。


No.961 6点 8の殺人
我孫子武丸
(2020/09/16 05:46登録)
(ネタバレなし)
 初刊から30年以上経って、初めて読んだ(汗)。
 ユーモアミステリとしてのゆかしさについては、三つ昔前ならこちらももっと純朴に楽しめたはずが、平成に豊潤をきわめたキャラクターミステリの爛熟を経て、今となってはすんごく地味になってしまった感じ。

 とはいえ最後に明かされた犯人のキャラクターは、個人的にはなかなか鮮烈だった。第二の殺人の(中略)という事象も結構面白い(なお○○○というキーワードから、同時代? の某・新本格作品を連想したが、厳密にはどっちが早かったんだっけ?)。
 あと、死体を動かしたホワイダニットの謎解きもよろしい。

 割とホメるところも多いが、全体的には、昭和ミステリみたいな枠のなかに落とし込んでカビ臭くなってしまった平成初期の新本格、というあたりが正直なところ。

 それと巻末にまとめたとはいえ、こうも堂々と品のないネタバレのオンパレードをやっているのは、悪い意味で若さだなあ、という印象。
『三毛猫ホームズの推理』のメイントリックをさも革新的なもののように書いているけど、作者は本書の執筆後にミステリの知見が増えてからさぞ早まった、と思ったろうね? そのくらいの天罰はあってもいい。


No.960 6点 女豹―サンセット77
ロイ・ハギンズ
(2020/09/15 04:31登録)
(ネタバレなし)
 1944年のロスアンジェルス。「私」こと私立探偵スチュアート・ベイリーは、40歳の広告会社社長ラルフ・ジョンストンのオフィスに招かれ、依頼の相談を受ける。相談内容は、ジョンストンは先週、24歳の若妻マーガレットの秘密を握るという男から匿名の電話を受け、恐喝の事前連絡めいた物言いをされた、まだ直接の実害はないが妻の秘められた過去について調査してほしいというものだ。早速、マーガレットの母校などを訪ねて回るベイリーだが、やがて彼女が1938年に喜劇役者バスター・バフィンと駆け落ちしていた? という情報を入手。ベイリーはバフィン当人に接触を図るが、やがて予期しない殺人事件に遭遇した。さらにこれ以上調査を続けないようにと、ベイリーにも脅迫の手が伸びてくる。

 1946年のアメリカ作品。
 作者ロイ・ハギンズ(1914~2002年)は若い頃は小説家として活躍。本作を含む数冊のミステリを著したのち、1950年代にはテレビ業界人に転向。あの『逃亡者』『ロックフォード(氏)の事件メモ』など多くのヒット作にプロデューサーとして携わるが、その中のひとつが本書『女豹』を原型に1958年からアメリカで製作放映されたTVシリーズ『サンセット77』である。

 邦訳ミステリ『女豹』は1962年5月にポケミスから刊行される前に、日本語版「EQMM」に1961年12月号~62年5月号にかけて連載。
 これは日本でも当時、前述のTVシリーズ『サンセット77』が1960年10月から放映されて人気を博していたため、その原作(原型)小説を発掘する趣旨で翻訳紹介された流れだったようである。

 ちなみに評者などは外国テレビ史上にて『サンセット77』が50~60年代にかなりの人気番組&話題作だったことは、あちこちで聞き及んでいる。が、1980年代からずっと自分なりに機会があれば観たいと網を張っていても、ほとんど日本語版の再放送や映像ソフト化の機会もなく、現物に触れるチャンスもない(数エピソード分、20世紀の末に、地上波で傑作選を放映したこともあったような覚えもあるが、その時には視聴がかなわなかった)。

 とはいえ原型小説『女豹』とTVシリーズ『サンセット77』の内容がかなり乖離していることは自明のようで、スチュアート・ベイリーという同じ名前の私立探偵(主人公)はそれぞれに登場するものの、そのキャラクターはだいぶ違っているらしい(要はコミック版&東映動画版『ゲッターロボ』とか、松田優作の主演TV版&小鷹信光版『探偵物語』とか、ああいう感じなんだろう)。

 それでまあ、評者は前述のように(興味は十分あるにせよ)TV版『サンセット77』は現在まで全く未見。従って今回のレビューはあくまで小説単体の感想ということになるが、正直、良かったところと不満点が相半ばという感じ。

 ところでポケミス巻末の訳者あとがきで稲葉由紀(明雄)は、本作が正統派ハードボイルドである論拠として、
1:私立探偵の一人称による叙述スタイル
2:口語体の文体
3:内面描写の徹底した排除
4:作者の都合によらない、あくまで作中の時系列による叙述
 ……をあげており、その観測はおおむね正確ではあろう。だが一方で正統派ハードボイルドの形質に沿っていれば、できの良いハードボイルドミステリになるという訳ではないよね? と不満のひとこともいいたくなる(苦笑)。
 それくらい、よくいえばストーリーに起伏があるし、悪く言えば話がとっちらかっている作品なのだ。

 作品のタイトルも原題は「The Double Take(喜劇役者が「ぎょっ」と驚く際の仕草の意、のようなもの)」で日本語にしにくいから、ひとくせありそうな女性ばかり登場する作品とのいうことで『女豹』という邦題にしたそうだ。
 が、これがまた意味深。実際に、物語にからむメインヒロインっぽい女性が4人も登場してきて、その役割の配置が散漫。特にそのうちの2人のヒロインは、ひとりにまとめればいいんじゃないか? とも思える。
 まあ、作者ハギンズ、のちのプロデューサー気質をすでにこのころからしっかり備えていて、きれいどころの女優をバンバン登用するような気分で、作中ヒロインだけは多めに用意していた、という印象だ。

 一方で、かなりややこしい複雑な事件の流れが、終盤になって実は(中略)という物語の構造の判明と同時にいっきにわりきれるのは、ミステリとしてはなかなかよくできているかもしれない。
 ただまあ見方によっては、一種のHIBK派ともいえそうな仕掛けでもあり、まあここではこれ以上は書けない。

 全体に骨太っぽい作風は悪くはないが、エンタテインメントミステリとしても、文芸性に頼る傾向のハードボイルドミステリとしても、それぞれ良くも悪くも中途半端(繰り返すが、良い面もそれなり、にはある)。

 ある意味では、のちにこれをもとにしたTVシリーズなんか作られたのも不幸だったかもしれない。クラシック・ハードボイルドが好きな好事家があくまで本作を単品の作品として鑑賞して、40年代の後半にこんな佳作? があったんだよ、と折に触れて語りつげばいい、もしかしたら本当はそういった作品になるはずだったようにも思えてくる。

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