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ミステリの祭典

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スタンフォードへ80ドル

作家 ルシール・フレッチャー
出版日1977年06月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2020/12/29 06:27登録)
(ネタバレなし)
 その年の10月16日。20代後半の青年教師デイヴィッド・マークスは愛妻フランと夜道を歩いていたが、いきなり暴走車に跳ね飛ばされる。フランはそのまま死亡し、重傷を負ったデイヴィッドは意識を失う寸前、轢き逃げした車の車内に片目の男の顔をはっきりと見た。やがて退院したデイヴィッドは二人の幼い子供、そして義母ローズとの生活を送るが、知人の好々爺ジョゼフ・カーンの計らいで、悲しみを紛らわすため夜間のタクシードライバーの副業につく。だがある夜、一人の金髪の美女が彼のタクシーに乗り込み、奇妙な願いを申し出た。

 1975年のアメリカ作品。
 作者ルシール・フレッチャーは1940年代から活躍したサスペンス系の古参作家で、ミステリ洋画の名作『私は殺される』や『夜をみつめて』などの原作者としても知られる(前者は最初はラジオドラマとして執筆され、のちに戯曲化&小説化)。
『私は殺される』の小説版は中編作品として1980年のミステリマガジンに一挙掲載されたが、長編の完訳ではこれが唯一の作品(「リーダーズ・ダイジェスト」系では、何か抄訳の翻訳があるようだ)。

 ポケミスの裏表紙には「大都会を舞台に、罠にはまった男の孤独な追走を描いた、『幻の女』に迫るサスペンス・ミステリ」とあるが、正にその通りの巻き込まれ型&冤罪窮地もののサスペンススリラー。
 3時間でいっきに読めるが、さすがは本作執筆の時点で作家歴ほぼ30年のベテラン作家、読んでいる間は退屈しない。
 たぶん読み手のミスリードを狙ったんだろうけれど、途中での(中略)あたりも、ちょっとニヤリとさせられる。

 問題なのは、良くも悪くも感覚がなんか古い点で、特に後半、第19章以降の主人公を迎える(中略)な状況はウソでしょ? これじゃ1950年代の作品だよね、という感じであった。
 まあベテラン作家がなんの衒いもなくこういう(中略)な描写をしたからこそ、タマにはこういうのもいいよね、と70年代のアメリカの読者にウケたのかもしれないが。
(ただまあ、これじゃ後進のM・H・クラークあたりに次第に取って代わられてしまったのも無理はないよなあ……という思いもしきり。)

 それでも終盤のどんでん返しはなかなか驚かされたが、一方でポケミスの編集ぶりにも、また作品の内容そのものにもいろいろ言いたくなる面がある。

 とはいえ何のかんの言っても、それなりに楽しませてくれた一作なのは確か、ややしょぼいところも味と思えるワタシのような読者としては、もう1~2冊くらい、この作者の未訳の長編もできれば読んでみたい気もしてきてはいる。
 特に本作での、ややあざといくらいにクライマックスで、主人公のデイヴィッドを振り回す視覚的なサスペンス描写なんか、ああ、映画や演劇の演出をうまく小説メディアに取り込んでいるな、という感じだし。

 まだ夜が浅いうちに何か一冊くらい翻訳ミステリを読み終えたい時には、手頃な作品だとは思うよ。 

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