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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.34点 書評数:2199件

プロフィール| 書評

No.1079 7点 魔女の館
シャーロット・アームストロング
(2021/01/27 06:31登録)
(ネタバレなし)
 1960年代初頭の南カリフォルニア。31歳になる大学の数学講師エリフ・オシー(愛称「パット」)は、同僚の生物学教授エヴェレット・アダムズの学舎内での不審な行動をみとがめた。車でアダムズを町外れまで追いかけたパット。だがパットは、逆に相手の反撃をくらって車は大破し、自身は負傷する。そんなパットを介抱したのは、郊外の邸宅にひとりで住む、近所から「魔女」と呼ばれる老婆ミセス・ブライドだった。だがさる事情から精神の平衡を欠いていた老婆は、傷痍状態のパットを自分の息子ジョニーだと頑迷に誤認(盲信)。解放も外部への連絡も許さなかった。一方でパットを殺してしまったと錯覚したアダムズは、いずこかへと出奔。そしてパットの若妻アナベルは、夫の行方を捜索するが。

 1963年のアメリカ作品。
 数年前、廃業間際のブックオフ某店で、在庫処分ということで10円で購入した創元文庫版で読了。しかしたまたま現状のAmazonを見ると、古書がとんでもないプレミア価格になってるな(嬉・驚)。なんか申し訳ない(笑・汗)。

 大設定からアームストロング版『ミザリー』みたいな内容(こっちの主人公パットは創作物の執筆の強要なんかは、されないが)かと予想していた。
 が、実際に作品を読んでみるとそういう趣向は確かに大設定の一角を形成するものの、むしろメインヒロインにして実質的な主人公のアナベル、さらにはアダムズの家族(特に女子大生の娘で、パットの教え子でもあるヴィーことヴァイオレット)の方に描写のウェイトは大きく置かれる。
 くわえてアダムズの美人の後妻(つまりヴィーの継母)セリアと、その双子の兄セシルがメインキャラクターとなり、それぞれの希求や思惑で動いて物語を転がしていく。
 正直、そちらの叙述の方にばかり力点がおかれ、サプライズやサスペンスもそっちばかりが担うので、「魔女」ことミセス・ブライトに監禁されたパットという文芸は、本当に必要だったのかなあ? もっと形をかえたシンプルな主人公の苦境シチュエーションでもよかったんじゃないの? と思わされた面もある。

 とはいえくだんのアナベル、ヴィー、それに兄妹側のドラマは、とにもかくにもストーリーの軸となるだけあってじっくりと描き込まれ、さすがに強烈なテンションを発揮。
 ストーリーの前半で覚えたある種の違和感も、中盤以降のサプライズというかショックの布石になっていった。
 結局、トータル的には、やはりアームストロングの円熟期の作品。十分に楽しめる。

 なお個人的に細部で興味深かった場面は、教授ふたりが同時にいなくなって騒ぎになりかける大学構内の描写で、うわついた学生のひとりは、理系の教授たちが東側に亡命したのだと勝手に憶測。そういう今の目で見るとぶっとんだ発想も、当時はごく日常のもの(?)だった冷戦時代ならではの空気を感じさせてくれた。

 あとは性善説作家のアームストロングらしく、人間の悪い面も弱い面もそなえながら、最後にしっかりとポジティヴな方向への切り返しを見せてくれる某サブキャラの描写がすごくいい。イヤミや皮肉でなく、真顔でこういうキャラ造形ができる筆致に作家の胆力を実感して、そっと微笑んでしまった。

 ちなみに創元文庫巻末の小森収の解説は、この時点までに翻訳されたアームストロング作品全部を読み込んで、その作家性を俯瞰した、とてもパワフルなもの。
 アームストロング作品の諸作をつまみ食いしている評者なんかとても太刀打ちできず、黙って拝読するばかりの一文ではある(汗)。アームストロング作品がサスペンスというより、ガーヴ風の<軟派の冒険小説>だ、という物言いにも実にうなずける。
 ただしそれでもあえて言うと、一部、結論から始めて書いてしまってるんじゃないの? という見識の部分もなくもないような……。
(具体的には、アームストロングが本質的に性善説作家だという見地にはまったく異論はないが、一方で、完成度の高い悪役は造形できない~『疑われざる者』が凡作、というロジックの立て方とか。)
 まあこの辺は、評者自身が、もっともっとアームストロング作品を読んでから、また改めて。
(もちろん『毒薬の小壜』の激賞とかには、まったくもって同意なんですけれどね。)


No.1078 8点 屍肉
フィリップ・カー
(2021/01/26 06:06登録)
(ネタバレなし)
 ペレストロイカを迎えた時局のロシア。モスクワ中央内務局調査部所属の「わたし」は、上司コルニロフ将軍の指示で、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)の中央内務局刑事部に出向する。表向きは通常の出向業務だが、実はわたしの密命は、サンクトペテルブルクの捜査官たちと周辺の民族マフィアとの癒着を査察することにあった。だがそんなわたしをサンクトペテルブルクで待っていたのは、リベラル派で著名なジャーナリスト、ミハイル・ミリューキンの殺人事件。わたしは、サンクトペテルブルクの刑事部を指揮する傑物捜査官イヴゲーニー・イワノヴィッチ・グルーシコのチームに加わって事件の真相を追うが、その先にあったのは予想を超えた現実だった。

 1993年の英国作品。
 評者は、大のご贔屓であるベルンハルト・グンターもの以外のカー作品は初めて読んだ。
 ベルリン三部作も以降のシリーズも大好きなので、グンターもの以外のカー作品なんか、正直、半ばどうでもいいとも思ってもいたが(なんかグンターシリーズの品格と比較すると、安っぽいB級作品みたいなのが多そうだし?)、それでも本書はだいぶ前に、たぶん<試しに一冊>という気分で例外的に購入しており、そのことを忘れていたのだが、たまたま先日、蔵書の山の中からひょっこり出てきた。

 それで気が向いて今回、読んでみたが、……いや、舐めていてすみませんでした! 
 ノンシリーズものとはいえ、少なくともこの一冊に関しては、グンターシリーズに負けじ劣らずに面白かった!!

 ペレストロイカによって中途半端に導入された新自由主義によって揺らぐロシアの経済社会、その中で利権を求めて暗躍する無数の有象無象の民族マフィア、行政と司法の刷新が万全でないままに、そんな社会の病巣に挑む内務局(と民警)の捜査官たちの苦闘……。こういった警察小説ミステリとしての骨格に、主要登場人物たちのキャラクター群像劇の妙味も累積して、読み応えは十分。なにより話をダレずに転がしていくハイテンポな作劇と、小説細部の興趣はグンターものとほぼまったく同様であった。
(なお、主人公の本名が最後まで伏せられたままで終わるが、コレは、この時局のロシア捜査官のある種の普遍性を狙ってのものか? まさかデイトンとかコンチネンタル・オプへのオマージュということはあるまい。)

 翻訳は、グンターシリーズと同様に東江一紀が担当。作者の文体にしっかりこの時点で精通しているためか、訳文のリーダビリティーも最高で、ほぼ一日でいっき読みである。
 いや、物語そのものには重量感はあるし、登場人物も多いし(名前のあるキャラだけで80人前後)、最低でも2日はかかるかな、とも思っていたがあっという間の一冊だった。
(しかし以前に郷原宏が「北欧系やロシア系の一見長ったらしいキャラクター名って、一回それぞれの発音のテンポになれると妙に親しみがわく」とか言っていたが、その辺の感覚は、改めてよくわかる。)
 
 終盤に明かされる真相はかなりショッキングだが、一方でああ、やっぱり(中略)という感慨もあるもの。
 この作品が翻訳されてから30年近く経った、この2021年になって初めて読んだのは、良かったのか悪かったのか……。
 
 ところで、数年前にとある国産の警察小説の新作を読み、その仕掛けというか真相にかなり仰天したんだけれど、もしかしたら<その作品>って、コレ(本作)が下敷きだったのかしらね? 
 いや、単純にパクリとかイタダキとかいえない、その作品なりの<書かれた必然性>は感じるんだけれど、あえてその上で大きな類似ポイントが気になったりする。
(まあネタバレにはしたくないので、あまり細かくは語らず、この話題はこここら辺までにしておきますが。)

 最後に、グンターシリーズの最後の翻訳『死者は語らずとも』から、そろそろ5年になります。もういい加減、次のを出してください。万が一、二度目の中断の憂き目にあったら、本気で悲しい。


No.1077 8点 361
ドナルド・E・ウェストレイク
(2021/01/25 06:49登録)
(ネタバレなし)
 3年間の空軍生活から除隊したばかりの「俺」こと、23歳の元航空兵レイモンド(レイ)・ケリー。帰郷したレイは、弁護士である55歳の父ウィラードの出迎えを受けるが、家に向かう途上で何者かに銃撃されて、父親と自分の片目を失った。病院で静養するレイは、さらに兄のビルの愛妻アンまでが何者かにひき逃げされて死亡したと知る。一家を狙う者がいる、それは父ウィラードのこれまでの弁護士稼業にからむ因縁か? と考えた兄弟は、復讐のための調査を始めるが。

 1962年のアメリカ作品。
 評者は今回、HM文庫版で読了(ポケミス版も持ってるが訳者は同一、ならば本文に再チェックが入っている? 文庫版の方がよいか? とも思ったので)。

 でまあ、感想だが、十分に面白かった。
 鮮烈な導入部を経て迎える前半の大筋は、大藪春彦か西村寿行のバイオレンス小説を読むようなごく純粋な復讐行の道筋。
 そんな前半では、父親をすぐ脇で射殺され、片目まで失った主人公のレイ。愛妻アンを轢き殺されたビル、その双方に順当に、復讐を望む原動はあるわけだ。
 が、一貫して攻めの姿勢のレイと、復讐のためとはいえど極端な荒事には及び腰になるビル(しかしそんな一方で、感情の抑えもききにくい)……という対比が強調的に印象づけられて、ああこれは、こんな二人のキャラクターの違いを活かした後半の展開になるの……かと思いきや(中略)。
 いや、中盤からさらに予想外の方向に話が転がっていくのだが、それでも物語当初から火がついた主人公の情念が鎮まることはない。
 というわけで、部分的には先読みできるところもないではないが、これこそよくいう「予想を裏切って期待に応えた」一冊。
 ワンシーンワンシーンごとに見せ場を設けつつ組み上げられる、二転三転する作劇は、実に読み応えがあった。

 ただし作品総体としてはかなりまとまりが良い分、それがかえって突き抜けた迫力を生み出せなかったきらいもある。そのため、傑作や優秀作まで至らず、あくまで秀作の域にとどまった感じも?
 個人的に最高にテンションを感じたくだりは、やはり中盤の(中略)の場面であった。

 なおかつて小鷹信光のエッセイ「パパイラスの船」でも触れられていたが、本作のサブキャラとして活躍する中年の私立探偵エド・ジョンソンは、かつてウェストレイクの初期短編の何本かで、主人公を務めたこともあるシリーズキャラクター。
 本作では主人公の兄弟を親身な立場で支援するもうけ役をもらい、これがジョンソンのウェストレイクの小説世界での最後の活躍になったはず。
(わかりやすい例え話でいえば、クリスティーの1940年代以降のノンシリーズ長編とかでいきなりあのパーカー・パイン氏が登場して、一回きりの主人公を応援してくれるようなイメージだ。)
 のちのちの諸作でも、けっこういろんな読者サービスが旺盛なウェストレイクだけど、この作品でもそういった嬉しい趣向が用意されていた。

 最後に、タイトルの数字「361」とは「Roget's Thesaurus of Words and Phrases」なる文献を出典とする「生命の破壊、暴力による死(殺すこと)」を表意した分類ナンバーらしい。HM文庫版の巻頭に(たぶんポケミス版にも?)その旨の記載がある。


No.1076 5点 判事に保釈なし
ヘンリー・セシル
(2021/01/24 05:48登録)
(ネタバレなし)
 高等裁判所のカタブツ判事として知られる70歳のエドウィン・プラウトは、ある日、路上で車に轢かれそうになった子供を助けた。だがその際に頭を打ち、精神の平衡を欠いた彼は、たまたま近くにいた善意の売春婦、フロッシー・フレンチに救われる。記憶を半ば欠損しつつも自分の職務だけは覚えていた彼は、その後、数日にわたり、フロッシーの家から裁判所に通う。だがその夜、フロッシーの家に戻ったプラウトを待っていたのは、刺殺された彼女の死体だった! 殺人容疑をかけられたプラウトの潔白を信じるのは、彼の唯一の肉親で娘である、まだ若い美人のエリザベス。エリザベスは必死に警察に事件の再調査を願うが、父の容疑は晴れない。そんななか、プラウトの趣味である高価な切手のコレクションを狙って、泥棒紳士の青年アムブローズ・ロウとその一味が登場。賊の犯行現場を押さえたエリザベスは、父を救う起死回生の手段として、裏の世界に通じた機動力を期待できるロウに、半ば脅迫の形で協力を求める。

 1952年の英国作品。
 セシル作品は今回が初読だが、以前から何か面白そうなのをまずは一冊、読みたいとは思っていた。そうしたら昨年だったか、この本作『判事~』をヒッチコックが映画化の企画として考え、かなり作業を進めていた? という事実を知った。それで俄然、興味が倍加してwebでちょっと高めの古書を購入。半日かけて読んでみた。

 ただ感想は、……う~ん、期待が先走りすぎたのか、評価はやや微妙(汗)。
 設定そのものはあらすじ通りになかなか面白く、細部の英国流ユーモアも、ああこの辺で笑いをとりたいのだな、というところもあちらこちら、よくわかる(被告席に立たされたプラウト老に、慣例とは違って敬称「サー」をつけるかどうするか、裁判官たちがグダグダ悩むところとか)。
 しかし翻訳がマジメで固いのか、いまひとつ愉快に笑えない(素人ながらに、英国の司法制度そのものは丁寧に翻訳しているっぽいのは、巻末の解説とあわせて、なんとなくわかる)。

 もちろん、プラウトの冤罪を晴らそうとするロウ(とエリザベス)側の試みがすったもんだするくだりはそれなりに面白いけれど、要は(中略)戦術なので、さほどサプライズも、また「こんなおバカな作戦を」的な愉快さもちょっと薄い(さらにたぶんこの辺も、固めの訳文が足を引っ張っている感じ)。

 くわえて中盤から、読者の方にはフロッシー殺害の真相が明かされる。
 ここでカードをテーブルの上で表返して、半ば倒叙サスペンス風の要素を導入したのは悪くなかったが、じゃあどういう風にロウ側が真犯人を追いつめるの? どんなエンターテインメントになるの? という興味にもうひとつ応えてくれなかった感触が強い。同じ趣向で、こういうのの扱いに長けてそうなヒラリー・ウォーとかが書いていたら、きっと3~5倍は面白くなったろうねえ。
 大枠も構成もけっこうハイレベルに狙いをつけながら、全体的に練り上げがもうちょっと欲しい、そういう減点評価ばかりをしたくなってしまう、ソンな作品。
 
 考えてみればヒッチコックがこれを映画化したかった、というのは、改めてよくわかるな。
 原作のケレン味あるネタだけどんどんつまみ出して整理して&潤色して再構築すると、かなり面白い映画ができそうだもの。原作が完璧に面白いものよりは、オレが手をかけてもっと面白くできそうだ、の方が、そりゃやりがいがあるよね。

 幻の映画版をいまいちど惜しみつつ、評点は残念でしたの気分で、少しキビシめに、このくらいで。


No.1075 6点 ダーティー・シティ
ドン・ペンドルトン
(2021/01/23 15:40登録)
(ネタバレなし)
「俺」ことジョー・コップは、かつてはロスアンジェルス警察に15年勤めた、現在は30代末の私立探偵。ある日、コップは、周囲に不審な男の影を感じる、警官が怪しい、と相談に来た若い美女を迎えた。コップは、改めてその夜のうちに詳しい事情を聞くと約束して娘を送り出すが、彼女は探偵事務所の前で何者かに轢死の形で殺される。娘の力になってやれなかったことを悔やむコップは、彼女が働いていたキャバレー「ニュー・フロンティア」に乗り込むが。

 1987年のアメリカ作品。
 マック・ボランの創造主ペンドルトンが新たに生み出した私立探偵ヒーローで、英語Wikipediaによると本国ではシリーズは8冊に及んだらしいが、日本ではデビュー編の本書しか翻訳されなかった。

 内容は1950~60年代のアメリカ私立探偵小説に影響を受けた、あるいは確信的なオマージュを込めて書き上げた感触の行動派探偵捜査もの。
 主人公コップは幼い頃に父と死別、母親が苦労して彼を育てようとしたがやがて酒に溺れたため、隣家の、娘はいるが息子がいない警察官ハンク・グリアに後見されて(つまりハンクが実質的な父親で、そのハンクの妻子もコップの家族同然になった)成長した身上。しかし、養父格のハンクは心やさしい、愛情あるがゆえに時にきびしいそんな善人だったが、やがて殉職。そのハンクが陰で(たぶん心の弱さゆえに)汚職を働いていたと発覚したことを契機に、警官の正義のありようを探ろうとして、コップ自らも警察官になった。……いや、ベタだけど、泣ける主人公のキャラ造形でいい。

 コップの内面を饒舌な一人称であけすけに語りまくる文章は、とても「ハードボイルド」ではないのだが、事件が警官の悪行に迫るなかで、当然のごとく司法警察官についての人生観を語るし、長広舌の物言いは当世のアメリカ文化論にも及ぶ。
 とはいえ得られた手がかりを足で調べまくっていく捜査方法と合わせて、これはこれでアメリカ私立探偵小説の伝統的スタイルの踏襲という感じでいい(前述の、都市や地方文化についての文明論を内面で一席ぶつあたりなど、まんまシェル・スコットみたいだ)。

 銃弾は飛び交い、人死にも頻繁な活劇作品の要素もあるが、その分、さすがにテンポはよく飽きさせない。
 フーダニット的な謎解きの興味はほとんどないが、人間関係の意外性のようなものならちょっとだけあり、そういう意味でのミステリとしてはまあまあ。
 後半、舞台がハワイのホノルルに移行するが、そこで登場するコップの親友の日系の警官ビリー・イノウエの「くえない」キャラが、なかなかいい味を出している。

 最後まで読むと、あまり広がらない事件の奥行きに物足りなさを感じる部分もないではないが、その分、細部がいろいろと面白い作品なので、数時間つきあったモトは十分にとれた満足感はある。
 ラストのまとめ方も、このあとのコップの周辺を気にならせるクロージングで、シリーズ全部出せとは言わないにせよ、このままあと数冊は翻訳してほしかった気もする。
 まあ30年前の日本の<ハードボイルドミステリ>の読者には、スカダーやらスペンサーやらターナーやらごひいきの連中がいっぱいいたんだろうから、こういう作品の需要はそんなになかったんだろうけれど、この狙って書いた80年代後半からのB級っぽさは、改めてけっこうイケたとは思う。


No.1074 6点 深大寺殺人事件
西東登
(2021/01/22 07:12登録)
(ネタバレなし)
 警視庁四課のベテラン刑事・毛呂周平は、若手の同僚を救うため、暴力団・城東組の幹部・前島一成をやむなく射殺した。だがその報復で、城東組の組長・沼田友蔵は政財界とのコネを使って、四課に圧力をかけてきた。閑職にまわされかけた毛呂は、憤怒のなかで警視庁を退職。その直後、愛妻の事故死にも遭遇するという逆境のはて、小さな私立探偵事務所の一員となる。やがて一年が経ち、仕事に倦怠を感じ始めた毛呂は、若妻・牧口小夜子の依頼でその夫の浮気調査を担当するが。

 広済堂のブルーブックス版で読了。たぶん他に書籍はないと思う?
 しかし物語が小気味よく二転三転するのはいいのだが、目次の各章の見出し・裏表紙のあらすじ、それに(中略)と、それぞれが多かれ少なかれ、かなり後の展開までネタバレしているという、困った一冊。
 まあそれがなくても、事件のどんでん返しの大枠もおおむね予想がついてしまう。

 ただし最後の方で待っていたように明かされる、妙なところに張ってあった伏線はなかなかユカイであった。ラストもちょっと印象的で、2時間ちょっとで読める昭和のB級(C級かな)ミステリとしては、けっこう愛おしい。評点は0、5点オマケ。


No.1073 5点 ハーフボイルド・ワンダーガール
早狩武志
(2021/01/21 08:25登録)
(ネタバレなし)
「僕」こと高校生・湯佐俊紀は、医大生の兄・功一をバイク事故で失った。そして兄の死からひと月が経ったその日、俊紀は、ひそかな片思いの相手である幼馴染みの美少女・水野美佳から意外な告白をされる。その内容に動転する俊紀だが、そんな二人を見ていたのは、同じ学校のミステリー研究会会長である「あたし」こと、美少女の佐倉井綾であった。事態に関心を抱いた綾は、俊紀を半ば強引に助手にしながら、秘められた真実を探り始める。

 裏表紙には「青春ミステリードラマ」と謳われているけれど、パズルミステリとしての興味は限りなく希薄(一応の隠された謎はあるが、真相を瞬殺で先読みできない人間はまずいないでしょ)。
 正直、昭和の中学生が読んでいればいいようなラノベではあるが、こーゆー頭のいい(という設定の)「名探偵」女子が背伸びして、作中の現実の事件に首をつっこんでいくくすぐったい雰囲気は悪くない。
 まあ重ねて言うが、本来はオレみたいないい年したオッサンが読むような作品ではないのだが(笑)。
 ただそれでもね、大昔の少年時代にスレッサーの『ルビイ・マーチンスン』ものを読んだときの気分に通じるような<オトナの世界に憧れる子供の冒険を、ごく他愛ないミステリの鋳型に流し込んだ>風な食感はちょっとだけ快い。
 ヒロインの綾には、こういう形質の作品のなかでの主人公としての魅力も感じた。
(やってることの一部は、まったくもって考えなしのお笑い行為なんだけど<そういうこと>を怖じずに実行してしまえる若さと幼さが、たしかに、フィクションでの「青春」として描けている、とは思う。)

 本当にミステリ的にはナンもない作品。でもそんな真っさらな器に<なんか引っかかる部分>がポロポロ積み重なっていって、この評点。


No.1072 6点 百万ドル・ガール
ウイリアム・キャンブル・ゴールト
(2021/01/19 06:17登録)
(ネタバレなし)
 1950年代のロサンジェルス。「わたし」こと私立探偵ジョー(ジョゼフ)・ピューマは高利貸しウィリズ・モーリスから、彼が金を貸した相手で28歳の女性フィデリア・シャーウッド・リチャーズを捜すよう依頼を受けた。フィデリアは2回の結婚歴がある、今は独身の美女。彼女は30歳になれば、ゆかりの富豪の遺産300万ドルを相続する予定の身上だった。フィデリアを難なく見つけたピューマ。だが彼は彼女に会う際に、その場に居合わせたゲイの男ブライアン・デルシーと成り行きから争いになった。しかし大事には至らず、フィデリアと意気投合したピューマはそのまま男女の関係となる。そして翌朝、二人のすぐそばには、あのブライアンの射殺死体が転がっていた。

 1958年のアメリカ作品。全部で7本の長編が書かれた私立探偵ジョー・ピューマシリーズの第三長編で、唯一の邦訳。

 本国ではそれなりの人気と文壇での地位を獲得しながら、日本ではほとんど評価に恵まれなかったミステリ作家というのはいつの時代もいるもので、50~60年代の米国ハードボイルド系のなかでは、このウイリアム・キャンブル・ゴールトなどその筆頭格のひとりだろう。
(なお作者名のカタカナ表記は、パシフィカの叢書「名探偵読本」の一冊「ハードボイルドの探偵たち」などでは「ウィリアム・キャムベル・ゴールト」。実際の創元文庫の表紙周りでは「ウイリアム・C・ゴールト」標記で、さらに文庫巻末では厚木淳が「ウイリアム・キャンブル・ゴールト」と表記しているので、本サイトでの名前登録もその解説のものに倣った)。

 それでゴールトといえば、20世紀のアメリカミステリ文壇ではそれなりの大物だったはず。なにせ史上最初のMWA本賞の受賞作家(当時は処女長編のみが受賞対象だったが)だった。にも関わらず、その該当作品はいまだもって日本には未訳である。
 さらに看板キャラといえるレギュラー探偵も二人創造したが、その片方の私立探偵ブロック・キャラハンものの方は、現在でも翻訳がない? ハズ。
 そしてもうひとりのレギュラー探偵であるこのジョー・ピューマも、短編なら「日本版マンハント」にのべ4本が掲載されたものの、長編の翻訳はとうとう、今回ここでレビューする『百万ドル・ガール』一作きりで終わってしまった(……)。

 さらに1980年代以降に海外から聞こえてきた噂では、晩年の作者ゴールトは手持ちの看板キャラである二大探偵のジョー・ピューマとブロック・キャラハンの世界観をリンクさせ、キャラハンに、ピューマの最期を看取るか、あるいはその死の事情に関わり合うか、させたらしい。
 つまりシリーズミステリの趣向でいうなら、クラムリーのミロとスールーの先駆みたいなことをやっていたというか、はたまた『カーテン』にミス・マープルが乗り出してくる(あるいは『病院坂』に由利先生が顔を出す)みたいなオモシロイことをしていたわけで……。ああ、今からでもその晩年の作品だけでも、日本語で読んでみたい!

 で、まあそういう意味で貴重な(?)唯一の邦訳長編のジョー・ピューマ活躍譚が、この『百万ドル・ガール』。
 ぶっちゃけ評者の場合、前述の日本版マンハント(古書店でかき集めた)でピューマ登場編を何本か嗜み、それなりに面白かった記憶がある。しかし具体的にどんな話だったか、どこがどう面白かったか、などは、すっかり忘却の彼方。
(まあ大昔に翻訳ミステリ誌で読んだ短編、それもシリーズものなんか、そういうパターンのものはザラだけど。)

 で、この『百万ドル・ガール』も、大昔に読んだかどうかすらはっきりしない。たぶんコドモの目線で読み飛ばして忘れているか、それとも唯一の邦訳長編ということでモッタイナイと思い、そのままいつのまにか21世紀になってしまったか。うん、どっちもありうるな(笑)。今回は、たぶん後者っぽい。

 というわけで、数ヶ月前にwebで古書が安く売りに出てるのを見かけ、懐かしくなって購入(たしか買ってあるハズの本が見つからない)。
 そして、このたびの本サイトの新装開店記念を個人的に祝うつもりで、ある意味で<とっておきの一冊である>これを読んでみた。
 例によって前説が長くなったが、まあ、そういうワケである(笑)。

 ……で、一読しての感想だが、うん、決してつまらなくはないが、やや微妙な出来。
 改めて付き合ってみて、主人公のピューマ当人は50年代のハードボイルド私立探偵キャラとして結構悪くないと思う。秘書もいないビンボーっぽい探偵ライフだが、お金の稼ぎ方には一定の矜持を持ち、ワイズクラックの吐き出しぶりや警察との距離感などのスタイルもかなりきちんとしている。内面を小出しにするキャラの見せ方も信頼を預けられる感じでいい。
 くわえてイタリア系の出自に誇りを持ち、面識のある警官レプケ巡査部長に「イタ公」と侮蔑されて激怒して手を出す(ただし、のちに和解)。そんな不器用な人間臭さにも好感がもてる。
 これなら一級半のハードボイルド私立探偵キャラとして、本国でもたぶんフツーに人気はあったろうな、と思える。

 ただし本作は、ミステリとしての造りがちょっと。
 いや、計画的な犯罪の真実と、その流れに関わり合う探偵のポジションは悪くない(一番近い感じでは、A・A・フェアの諸作あたりの、謎解き要素がそれなりにある私立探偵小説みたいなムード)。
 だがそれが、ピューマの強面な一面とうまく折り合っていない感じというか。
 特に後半なんかもっと<いろんなところ>で、もうちょっとパッショネイトになればいいのに、ミステリとしてのタスクを消化するために、キャラクターの頭が妙に冷えすぎてしまっているような感じだ。ラストなんか<そういう方向>に行くのは最終的によしとするにせよ、この道筋で決着するのは、なんか違うのでは? という気になった。
(全般的に曖昧な物言いで恐縮だが、たぶん、本作の実物を読んでもらえれば、言っていることが通じてもらえる……だろう?)

 いろんな意味で、ピューマシリーズがこの一本だけしか長編の翻訳がないというのがじわじわ来る。なんかもうちょっと冊数を読めば付き合い方が見えてくるのに、そこに至るのがむずかしい感じなんだよね。
 とはいえ創元文庫の厚木淳の解説を読むと、シリーズの中から面白そうなものをみつくろってコレ、だったようで、その選球眼がもし確かならアレ……ではある。
 ただし作中には以前の事件についてのものらしい述懐(さらにその中で深く関わったヒロインの話題)とかも何回か出てきて、いかにも作者ゴールトは、この作品を連続シリーズの一環として読んでほしい、みたいな気配もあった(クェンティンのアイリス&ピーターシリーズみたいな雰囲気だ)。
 そういった趣や、さらに、先述した<ハードボイルド私立探偵小説>と<ミステリ部分>の折り合いの面も踏まえて、これ(本作『百万ドル・ガール』)は、もしかしたらシリーズの中でもやや異質な一本だったんじゃない? とも思えるところもなくもない。だから長編これ一本でものを言うのが、どうもやりにくいんだよ。

 今から未訳のものを発掘してほしい、とは強く言えないんだけれど、万が一奇特な翻訳家や版元が気が向いてくれることでもあるんなら、それは大歓迎というところ。
(しかしシェル・スコットの未訳分やバート・スパイサーあたりを論創さんが発掘してくれていた数年前は、ホントにイイ流れだったねえ。)


No.1071 6点 手錠はバラの花に―女性刑事・倉原真樹の名推理
日下圭介
(2021/01/17 17:02登録)
(ネタバレなし)
 先行する別の長編でサブキャラだった女性刑事・倉原真樹。彼女を主人公に昇格させた連作短編集。
 文庫の方で読んだが、巻末には山前譲さんによる、文庫版の刊行時点までのシリーズの軌跡を精緻に語った丁寧な解説がついていて有難い。

 平成3~4年の「小説推理」に隔月連載されたシリーズで、全6本のちょっと長めの短編を収録。
 第二話「宙吊りの青春」の不可能犯罪は、昭和のミステリクイズ本に出てきそうな明快なトリックで解明されて、なんか懐かしい雰囲気だった。

 それでも4話あたりまでは軽い謎解きフーダニットの興味もあるが、最後の方は話の幅を広げたくなったのか、あるいは編集部の要請か、逃走中の銀行強盗犯人の隠れ家を突き止めるといったエピソードも出てくる。まあそれでも最低限のパズルっぽい要素は忍ばせてあるが。
 就寝前にもうちょっとミステリを読みたいとき、外出したときの時間待ち用としては重宝した。


No.1070 9点 地下洞
アンドリュウ・ガーヴ
(2021/01/16 06:30登録)
(ネタバレなし)
 1951年8月の英国。労働党の下院議員であり、地元ウェスト・カンブリアン地区の支持を集める39歳の政治家ローレンス・クイルター。彼は愛妻ジュリーの旅行中に自分の実家の古文書を整理し、一枚の図面を発見する。それはローレンスの曾祖父ジョゼフが19世紀の半ばに書き残した、実家の広大な所有地の地下にある洞窟のスケッチだった。ローレンスは、知己の青年教師でアマチュアながらエキスパートの洞窟探検家であるピーター・アンスティを招聘。二人だけでこの広大な地下洞の探索に赴くが、そこで彼らを待っていたのは思いもかけない現実だった。

 1952年の英国作品。
 2013年にミステリマガジンが特大号で「ポケミス60周年記念特集」を組んだことがあり、当時のミステリ界の識者がそれぞれ「マイポケミス・ベスト3」をあげていた。そんななかで、この作品に一票を投じた参加者がひとりいて、その事がずっと頭の片隅にひっかかっていた(本書を読んだあとで該当のHMMの特集を改めて調べてみると、この作品を推したのは、書評家の小池啓介であった)。
 
 その際の特集アンケートに寄せられたコメントが、どうにもかなり仰々しかったので、これはなんかあるのかと期待。
 長らく入手の機会を伺っていたが、ようやく今月、古書を安く(200円)買えた。
 それで読んでみると、物語は三部構成。ローレンス主役の第一部から始まり、ストーリーを綴る視点はやがて……(中略)。
 全編のリーダビリティは最高で、それぞれのパートをこの上なく敷居の低い感じで読み進める。
(しかし序盤を読み始めた時点では、ガーヴ、ハモンド・イネス風の本格自然派冒険小説に挑戦か? とも一瞬だけ考えたが、まったく予想はハズれた(笑)。)

 そして終盤まで読んで……(中略)。いや、これは、本当に(中略)。

 前述のミステリマガジンの小池啓介のコメントからまた引用するが、そこには
「そして真相の破壊力といえば、なんといっても『地下洞』だろう。ガーヴと同名の作家が書いたとしか思えない怪作中の怪作」
 ……とあり、その物言いに「あー」と、納得。
 とはいえ個人的には、かつてガーヴの<あの作品>を深夜に読んでいてぶっとんだ記憶もある。だから評者などはコレ(本作『地下洞』)をガーヴの作品だと素直に受け入れても、そんなに違和感はない。
 むしろガーヴは<あの作品>に並ぶ(中略)を、すくなくともここでもう一回はやってくれていたんだね~という深い感慨を抱く。

 なんというか<あのシリーズ探偵もの>の<あの連作短編のうちのあの一本>みたいに「底が抜けた」ショックを感じた。いや、サプライズの成分はまるでちがうのが、パワフルさでは負けず劣らず、である。

 ただまあ、なんやこれ、と思う人も多そうだな(笑)。ある種のバカミスっぽさもあるし。その辺の感覚で頭が冷えてしまう人だと、評価が下がるかも。
 
 ということで実質8点くらいだけれど、個人的には大ウケした、という意味合いで、あえてこの評点を授けておく。
 今後この作品を読んだ人が何人か、5~6点どまりの評点を並べるかもしれんけれど、そういう評価がくるのも予見して、前もって対抗してつけておく<カウンター的な高得点>というニュアンスもあるのです(笑)。


No.1069 5点 印度の奇術師
甲賀三郎
(2021/01/15 05:34登録)
(ネタバレなし)
 世界大戦の兆しがふたたび翳り始めた、昭和十年代の半ば。その年の11月、訓練空襲警報が鳴り響く東京の一角で「昭和日報」の青年新聞記者・獅々内俊次は、怪しい気配の外車を目撃した。獅々内が追跡すると、停車した車内からはインド人らしき男の射殺死体が見つかる。しかしその被害者の遺体には、意外な痕跡が。

 昭和17年に刊行された作品で、甲賀三郎のレギュラー探偵のひとり・獅々内俊次ものの第五作目の、そして最後の長編。昭和17年以降の甲賀は国内の戦時色が濃くなるなか、ほとんど探偵小説執筆の機会を絶たれ、そのまま昭和20年の2月に終戦を待たず他界した。だから本作は日本のミステリ史に多大な功績を遺しながら活躍期間は決して長くはなかったその甲賀の、晩期の主な作品のひとつということになる。

 評者は今回、ミステリマニア向けの自費出版も行う古書店・盛林堂書房が2015年に刊行した<デジタル復刻版>で読了。
 評者は2015年当時、甲賀作品全般に大した素養もない(今でも似たようなものだが~汗~)まま、とりあえず希少そうなので少部数限定の復刻本を購入。そのまま積ん読にしていた。
 それで数日前、部屋の蔵書の山の中でこの本が「そろそろ読んでくれよ」と恨めしそうにしているのが気になって、つい手にとってみる。
 
 そもそも評者は(その名探偵としての勇名ぐらいはさすがに知っているものの)、獅々内俊次ものの実作を読むのは、コレが初めて。名作と聞く『姿なき怪盗』すら未読という体たらくだが、そんな一見の自分でも結構スイスイ読める。それくらい本編のリーダビリティは高い。
 なにより会話の多さは破格もので、中盤での獅々内と彼の上司である尾形編集長が事件を整理して語りあうところなんか、ほとんどト書きすら不要なシナリオのダイアローグのごとし! である。

 かたや事件の方は、もともと獅々内が取材に向かおうとしていた変人科学者の案件に、殺害されたインド人のとある意外な事実&奇妙な謎などが絡み、さらに不可思議な人間消失? 的な興味までが劇中に頭をもたげてくる。
 ただしストーリーは不可能犯罪的なパズラーの趣にはあまり向かわず、むしろ作品そのものが書かれた時局に似つかわしい、国策的なアッチの系列のジャンルに染まってしまう。コレはまあ当然……というところか。

 実のところ、ストーリーそのものはテンポもよく、物語の起伏も豊か。だが後半になって、そこに行くまでに抱え込んだ物語要素を捌くため、どうしてもお話がゴチャゴチャしてきてしまう。それゆえ読んでいて、最後の方なんかはかなりキツい。
(ただそれでも、謎解きミステリの要素に食い下がろうとした姿勢は最後まで感じられ、その辺りはなんか、面白いとか良かったとかいうより、時代を超えてこちらの胸を打つ。)

 一歩引いたメタ的な見方をするなら、国策的な作劇につきあわざるを得なかった<戦時下に放り込まれた戦前の探偵小説の名探偵>の苦闘を偲ぶべき一冊かもしれない。んー、やはりその意味では、本作を読む前にもっと獅々内シリーズの主だった事件簿に目を通しておくべきだったかもしれん。
 いつかまた、ディープな甲賀ファンの感想なども、改めて伺ってみたいところではある。


No.1068 7点 アリバイのA
スー・グラフトン
(2021/01/14 06:32登録)
(ネタバレなし)
「わたし」こと32歳のキンジー・ミルホーンは、元警察官の女性で私立探偵。キンジーは、夫を毒殺した罪状で8年間服役して出所したばかりの30代半ばの女性ニッキ・ファイフから、事件を再調査して冤罪を晴らしてほしいとの依頼を受ける。キンジーは8年前に殺害されたニッキの夫ローレンスの周辺で、彼の死の直後に同じ毒薬で死亡した女性がいることに興味を抱くが。

 1982年のアメリカ作品。
 パレッキーのヴィク・シリーズだって2~3作しか読んでない評者だが、そちらと双璧を為すハズのミルホーンものなんか、これまで一冊も手にとったこともなかった。
 それでちょっと読んでみたいなと思っていたら、行きつけのブックオフの100円コーナーで一週間ほど前にこの本(HM文庫)が見つかって購入。タイトルでシリーズ第一作と一目瞭然なのは、ありがたいネ(笑)。

 それで夜中(というか明け方近く)までかけて、とにもかくにも一日で読了。
 基本的にキンジーの捜査は、彼女の視界に入ってきた情報を実に素直に順々に足で追いかけていくスタイルで、そんなオーソドックスさがとても快いし、有難い。
 なにせ自分の場合、私立探偵捜査小説を読んでいて一番イライラさせられるパターンは、主人公の軌跡またはその行動の採択にシンクロできず「なんでそっちいくの?」と戸惑わされるコトなので。しかしこの作品はほぼまったく、その手のストレスが生じない。
 これって当たり前のようで、実はすごく大事なことだ。

 登場人物はそれなりに多くて、HM文庫の人物一覧には22名の名前が並んでいるが、実際にまた自己流の人物表をまとめたら端役を含めて47人のキャラ名が出てきた。ただしおおむね丁寧にキャラクターが描き分けられているので、特に摩擦感も生じない。

 しかし捜査小説として好テンポでなかなか面白いとは思えたものの、肝心の主人公キンジーが<1980年代デビューの女探偵>として、ライバル(?)のヴィクとほとんど変わらないように思えてならなかった。
 いや<正統派ハードボイルド探偵のフォーミュラをジェンダーチェンジすると、どうしてもおのずとこうなる>というそんなフィクションの創作ロジック、その虜になってしまっているみたいなのだな。
 少なくともこのシリーズ最初の一冊を読むかぎり、そのように思っていた。途中までは。
 
 ……ただし現在、本作を最後まで読み終えると、結局もうちょっと……いや相応に、作品への評価は上がり、キンジーへの印象も変わってきている。その理由は、ここでは書けないし、書かない。
(ついでに言うなら、HM文庫巻末の解説も読まない方がいいよ。)

 ともあれ、全体としてはそれなり以上に面白かった(だからほぼイッキ読みした)。その一方で、通読には結構なカロリーを使った。アンドリュー・ヴァクス辺りまでにはいかないにせよ、その7~8割くらいのエネルギーは消費した感じ(作風はまるで違うが)。
 次にまたこのシリーズを読むのは、少し時間を置いてからにしよう。


No.1067 6点 ライノクス殺人事件
フィリップ・マクドナルド
(2021/01/13 04:39登録)
(ネタバレなし)
 1930年代のある年の英国。「F・X」こと当年67歳の実業家フランシス・ザヴィアー・ベネディックが創業した大手株式会社「ライノクス無限責任会社」は先の無理な投資が災いして、今では倒産寸前の危機を迎えていた。この窮地を乗り切るため、F・Xは共同経営者で友人のサミュエル・ハーヴィー・リークスとの意思統一を図ろうとする。だがまだ事態の打開もかなわぬ内に会社の周辺には、F・Xに何か因縁があるらしい怪人物ボズウェル・マーシュの姿が出没する。やがて一発の銃声が響き……。

 1930年の英国作品。
 しばらく前から評者も「そろそろ読みたい」と思っていたが、蔵書が見つからない(またかい)。それで部屋の中をさらに引っかきまわしたらようやく無事に創元文庫版が出てきたので、早速読み始める。
 しかし久々に手にとった時の印象は「あれ、こんなに薄い本だったっけ?」であった。本文だけなら250ページ弱だよ。

 それで21世紀の今なら、国内の新本格ジャンルで何回か見たこともあるような<プロローグとエピローグの逆転構成>である。まずはスナオにその趣向に乗っかるつもりで読み進めた。そうしたら次第におのずとおおむねの仕掛けが見えてくる。が、その一方で刊行された1930年という時代を考えるなら「ま、こんなものか」あるいは「しゃーないか」とも思えたりした。
(しかしこの作品の大ネタは、先行する英国の某・名作長編に確実に影響を受けているよね?)
 あと、この肝心のエピローグ(実質プロローグ)だけど、これってかえって……(中略)。

 まあ途中で<半ば賞味期限切れネタのクラシックだ>と見切った分だけ、割り切った思いで楽しめた感もある。作中のリアルを考えるなら、同じことをするにせよ、もっといろいろやりようもあったのでは? とアレコレ思ったりもしたけれど。

 ちなみに創元文庫版の巻末の解説を担当された臼田惣介氏とは、ミステリーサークル<SRの会>の某・古参会員氏(先年他界された)の商業用(?)ペンネーム。
 同じSR会員としての身内ホメの意図は皆無のつもりで言うけれど、この解説は、P・マクドナルドの諸作と解説担当者ご本人のミステリファンとしての距離感を思い入れたっぷりに綴った、実にステキな一文であった。
 ただし世代人が『ライノクス』を語るなら、当然、文中にでてきそうなミステリマガジンでの山口雅也氏の連載「プレイバック」(1977~79年)の該当回(六興版『ライノクス』を俎上に上げた回)のことをまったく話題にしていないのがちょっと意外であった。
 連載時の時点で絶版や品切だった幻の名作を回顧する山口センセのレギュラー記事「プレイバック」は当時、全国のミステリファンに大人気連載だったハズで、この『ライノクス』の回(連載第15回目か?)もかなりファンの反響が大きかったと思うんだけどね?
 コレは臼田氏がなんとなく話題にしそびれただけなのか、何らかの思惑で意図的に話のネタにしなかったのか、そこだけはジジイのこだわりでチョット気になったりする(笑)。


No.1066 5点 謎解きのスケッチ
ドロシー・ボワーズ
(2021/01/12 03:06登録)
(ネタバレなし)
 1930年代の末~1940年頃の、第二次世界大戦の緊張が本格化し始めた時局のイギリス。新人外交官の青年アーチー・ミットフォールドがある夜、何者かに殺害された。ミットフォールドはその少し前から、何者かに繰り返し殺されかけていると表明。かたや彼は生前、種別もよくわからない鳥のスケッチを、なぜかいくつも描き残していた。スコットランドヤードのダン・パルドー警部がこの事件の捜査に乗り出すが、それと前後してアマチュア探偵を気取るミットフォールドは、いま英国で話題になっている<富豪サンプソン・ビックの失踪事件>に関心を見せていたことが明らかになってくる。

 1940年の英国作品。
 初読みの作者で、論創で先に出た同じシリーズの既訳の分は読んでいない。
 マイナーな出版社からクラシックミステリの新訳発掘がかなり安い値段(ソフトカバーで1300円+税)で出たので、これは買っておかなければあとで後悔する? と思って、書籍版を3年前の刊行時に購入した。それで買って安心してそのまま昨日まで積読にしていたが、そろそろ読んでみるかと手にとってみる。

 内容は、すごい地味な作風。第二次大戦の影が迫る時代の空気は非常によく書けており、1940年に刊行という原書がその年の年初に出たのか、年末の発売だったのかしらない。が、1940年といえば、ナチスドイツが欧州の各国に侵攻、占領していた時期で、数か月単位で戦局もかなり変わってくる。実際、作中でも英国国内の有志・親独グループが解散したなどという話題も出てきて、さぞ微妙な時期だったのだろうと窺える。
 一方で肝心のミステリとしては、ミスリードを狙う手掛かりや伏線が豊富に準備され、それが相乗的に効果を上げればいいのだが、逆に謎の興味への訴求を相殺しあっている感じ。
 正直、前半、中盤、後半と、全体的に、平板というのではなく、それなりに高い物語の山脈が起伏も無く続いていくようで、緊張感が生じずに退屈であった。
 クライマックス、真相が明かされてからはちょっと面白くなったが、一方でそうなるとまた<その事実>に至った状況が説明不足で、なんかモヤモヤ。
 ……結局(中略)の(中略)って?

 題名になった鳥のスケッチの要素もふくめて、もっと面白くなりそうな気配はいくつもあったのだけれど、話の整理と演出に失敗した一冊。
 同じ英国のクラシック系でいえば、ロラックの諸作あたりに近いかも。


No.1065 6点 わが愛しのローラ
ジーン・スタッブス
(2021/01/10 15:42登録)
(ネタバレなし)
 19世紀末の英国、ウィンブルドン。代々にわたって英国の玩具業界の大物実業家の名門として知られるクロージャー家の現当主で、48歳のセオドアが死亡する。セオドアには14歳年下の美人妻ローラと、35~36歳のハンサムな実弟タイタスがいる。はた目には仲のいい主人夫婦と主人の弟の3人組だが、陰では年の近い美男美女ローラとタイタスの危険な関係を、勝手に噂する者もいた。そんなある夜、セオドアが頓死。クロージャー家の誠実な主治医パジェットは主人が謀殺されたという無責任な風聞を厭い、事件性がないことを立証するためにスコットランドヤードのベテラン刑事、ジョン・ジョセフ・リントット警部の出馬を仰いだ。そして当初は病死に思えたセオドアの遺体から多量のモルヒネを呑んだ痕跡が見つかる。

 1973年の英国作品。
 1974年度のMWA最優秀長編賞(本賞)の候補作になった長編ミステリで、女流作家ジーン・スタッブスのレギュラー探偵、リントット警部シリーズの一作目。
 内容は旧世紀末期の英国、その階級社会を舞台に、虚飾に彩られた人間関係を描く時代ものミステリ。
 日本ではポケミスで「ヴィクトリアン・ミステリ」を謳いながら先にシリーズ第二作『彩られた顔』が初紹介。評者は大昔にそっちを読み、けっこういい感じで読み終えたような記憶がうっすらあるが、結局、このシリーズとの付き合いはその一冊だけだった。
 日本でも地味な作風がまるでヒットしなかったらしく、リントットシリーズは本国では、この『ローラ』が邦訳された時点ですでに第三作も刊行されていたが、ここで翻訳刊行は打ち切られた。
 
 それでも前述のように、どっか心にひっかかるものがあったので数十年ぶりにこの未読の『ローラ』を手にとった(また、所有しているハズの蔵書が見つからず、Webで安い古書を買った)が、いや、普通に面白い。
 時代設定は1890年代で、現在21世紀のコロナウィルス災禍の件でよく引き合いにだされるスペイン風邪が欧州を暴れ回った時代。当時の文化人や歴史上の事件の話題も満遍なく盛り込まれ、ヨーロッパ近代史に大した知識のない自分でもその辺を小説の厚みとして楽しめたので、この時代に興味のある人ならもっと得るものがあるかもしれない(たぶんこの辺がMWAの審査員に受けたか?)。
 内容は、ディケンズの世界をヴィクトリア・ホルト風のメロドラマ群像劇として勢いのある筆で語ったという感じ。一応はフーダニットの興味を誘っているが、やや(中略)な解決まで踏まえて、ガチガチの謎解きというよりは時代ものの風俗ミステリとして読んだ方がいいだろう。その意味で、評者には十分に楽しい作品だった(とはいえ、最後の意外性などはちゃんと用意されてはいるが)。

 なお探偵役のリントット警部は、英国ミステリのひとつの主流である、紳士タイプの公僕捜査官の系譜の名探偵キャラ。
 ただしこの物語の主題のひとつである19世紀英国の階級社会に切り込むために、下層階級出身(でもメンタル的には紳士探偵の魂を持つ)と設定されている。
 勝手なイメージでいえば、イケメンだが無精ひげがすごく似合う洋画の野性的な二枚目俳優が、似合わない礼服をまとっている雰囲気。
 大昔にこのキャラに惹かれたこともふくめて、先に読んだ『彩られた顔』は面白かった記憶がある。
 
 評点としては7点に近いこの点数で。地味な作風だが、リントットがクロージャー家の多彩な使用人たちを順々に尋問していくあたりのまったりとした、しかし飽きさせない小説作りなど、ああ、英国ミステリっぽい一冊を読んでる、という感興に浸らせてくれる。
 
 ちなみに未訳のシリーズ第三作めは、リントットの当時のアメリカへの主張編だったらしい。もしかしたら、高く評価してくれたMWA=アメリカミステリ文壇への感謝の表意だったのかもしれないね。やっぱり読んでみたい。


No.1064 8点 アンブローズ蒐集家
フレドリック・ブラウン
(2021/01/09 07:34登録)
(ネタバレなし)
「ぼく」こと新米探偵の青年エド・ハンターは、私立探偵として豊富なキャリアを持つ伯父アム(アンブローズ)とともに、伯父の知己ベン・スターロックが経営する「スターロック探偵社」に勤務。いずれ叔父と甥で独立した探偵事務所を開くため、資金を貯めていた。だがある日、事件を調査中のアム叔父が行方不明となる。エドは必死に伯父の消息を追い、スターロック社長を初めとする探偵事務所の仲間や旧知の警官フランク・バセット警部も手を尽くすが、成果は得られなかった。渦中「アンブローズ」の名を持つ人間を拉致する怪人「アンブロ-ズ・コレクター」の存在までが取りざたされる。そんな、叔父を捜し続けるエドの周辺では殺人事件が。

 1950年のアメリカ作品。エド&アム・ハンターシリーズの第四弾。
 評者の大好きなシリーズではあるが、それでも未読と既読がランダムにいりまじっている、このエド&アム・ハンターもの。
 大昔に読んだ作品も細かいところはほとんど忘れちゃってるので『シカゴ』と『火星人』以外なら現状どれを読んでも(再読しても)いいのだが、とりあえず読みたくなった現時点ですぐそばにあったコレを手にした。これは確実に未読の一冊(新刊刊行時にとびついて買って、そのまま今までとっておいたので)。

 でまあ、内容については前もってうっすらしか情報を聞かされてなかったので、詳しい設定を知って驚き。要はエラリイのすぐ脇のリチャード警視が、あるいはポアロものの初期編でヘィスティングスが突然いなくなってしまう(たぶん誘拐か監禁された?)ような、ぶっとんだ話だったのね。実際にそういう趣向に近い狙いを行った作品としては「87分署」シリーズ途中の某長編を思い出した。

 アム伯父の安否を案じて焦燥するエドを支えてスターロック社のチームがフル稼働するあたりは、集団捜査ものミステリの面白さが炸裂。丁寧な翻訳も効果をあげて、そんな彼らの捜査線上に浮かんでくる劇中の人物も、おおむねそれぞれキャラクターがくっきりしている。
 さらに、評者がなにより愛してやまない<青春ハードボイルドミステリとしてのエド・ハンターシリーズ>としての要素が今回も十全で、その煌めきがすごく心の琴線に触れる。
 本当なら『火星人』(シリーズ5作目で本書の次)の再読より先に、こっちを読むべきだったかな。うーむ。これは、しゃーない。
 まあシリーズものだからアム叔父さんが最後には(中略)なのは分かっているんだけれど、複合的な犯罪の真相が明快に暴かれる終盤の流れなどは鮮やか(悪事の仕掛けについては、後年のある連作短編ミステリシリーズの一編を連想した)。

 しかし名前「アンブローズ」への執着だけで、一人前の大人のアム叔父を連れ去った? イカれた犯罪者~そんなのが実際に作中にいるのかどうかは、なかなかわからないのだが~のイメージはケッサクであった。さすがは狼男だの火星人だの、トンデモナイものが事件の視野に入ってくる愉快なシリーズだけのことはある。

 実質、ミステリとしては7.5点なんだけれど、ごひいきのシリーズが期待通りの楽しさだったことを喜んで評点は、8.5点の意味合いのこの点数で。

【最後に余談】
 以前、どっかに書いたかもしれんが、周知の通り、この作品は唯一、未訳のまま長らくほうっておかれたエド&アム・ハンターシリーズの長編であった。
 それで、実は1980年代に<SRの会>の関東(東京)例会に、当時の創元社の現役の編集主幹だった戸川安宣氏が来訪したことがあり、その席でSR会員のひとりから「未訳のこの作品は、出ないのですか」という主旨の質問が寄せられたことがあった。その場での戸川氏の返答は「自分も気になっているので、機会を見て出したい」であり、そのやり取りを聞いた自分も20世紀の間中ずっと、刊行を待っていたのだけれど、ついに実現することはなく戸川氏は退社。本作は未訳のままさらに十余年眠り続け、論創さんのおかげでようやっと、発掘された訳だった。個人的にも感無量だったけれど、自分なんかよりずっとはるかに歓喜した人もいたんだろうな。ミステリファン長いことやってると、いろんなことがあるわ。しみじみ。


No.1063 5点 忘却のレーテ
法条遥
(2021/01/08 06:07登録)
(ネタバレなし)
 大手製薬会社「オリンポス」の役員の娘で、21歳の女子大生・笹木唯。彼女は暴走車のひきにげ犯人に、両親を殺された。そんな唯はオリンポスの新薬の被検体となるが、忘却剤「レーテ」を投与されて、目覚めた彼女は少し前の記憶を失っていた。そしてそんな彼女の手は血にまみれ、周辺では殺人が?

 うーん……着想は悪くないが、最後に明かされる真相については、あまりに一人の人物にあれこれ引き受けさせすぎだろ、という感じ。
 一方で、本編の主幹部分にからむ(中略)的なトリックというか大ネタには軽く驚かされたが、考えてみると、やはりこの時期の国産作品で同じアイデアが使われていたな。まあ偶然というか暗合だろうけれど。

 難しいところを狙った意欲は買うものの、細かい仕掛けが意外に底が浅かったりする面もあるし、最後のまとめ方もいまひとつこなれが悪い。結局、物語全般のいびつさを、実はこれは(中略)ジャンルの作品だったのです、と言ってイクスキューズしている姿勢だよね? 
(あ、昭和初期的な意味で「SFジャンルに逃げている」と言っているのではないですよ。)
 その辺の仕上げが、読み手の心情的に割り切れるかどうか、だな。

 自分の評価はこれくらいで。
 力作だとは思わないけれど、意欲作だとは思う。そんな一冊。


No.1062 6点 街を黒く塗りつぶせ
デイヴィッド・アリグザンダー
(2021/01/07 04:59登録)
(ネタバレなし)
 1950年代のニューヨーク、ブロードウェイ。大衆向けの新聞「ブロードウェー・タイムズ」の編集長バート・ハーディンは、ギャンブルの借金を返すため、朝鮮戦争時代の戦友で親友のテレビスター、マイク(ミカエル)・エインズリーから、文筆仕事のバイトを紹介してもらう。バイト先の組織「ラティン・アメリカ貿易同盟」で打ち合わせを済ませて自宅に帰ったバートだが、そこにあったのは全裸のマイクの惨殺死体であった。

 1954年のアメリカ作品。
 バート・ハーディンもののシリーズ第二作と言われるが、書誌サイト(https://embden11.home.xs4all.nl/Engels/alexander.htm)によると本作こそがシリーズ初弾で『恐怖のブロードウェイ』の方が第二作のようである。まあどちらも1954年の刊行みたいなので、どっかで情報が混同されているのかもしれない。正確には、どちらが先であろう?

 それでくだんの『恐怖のブロードウェイ』は少年時代に読んだ記憶がうっすらとある評者だが、内容について思い違いをしていなければ、評価はやや微妙であった。
 というのは1960年代のミステリマガジンの署名エッセイ記事で同作をけっこうホメていた文章があり、それに接して期待しながら実作を手にとってみたら、意外に早々と大ネタが見えてしまい、な~んだと思ったことがあったからである(記憶違いでなければ、そういう経緯を辿ったハズだ)。

 ただまあ<デイモン・ラニアン風の猥雑な市民の場を舞台にした、都会派のB級ミステリ>という作風には今でも惹かれるものがあり、それで改めて、書庫から出てきた古いポケミスを紐解いてみた。

 ミステリとしてのレビューでいえば、先行するkanamoriさんのポイントを押さえた書評に付け加えることは大してない。
 正直、いくら風俗ミステリとはいえもうちょっとフーダニットの要素があるかと思いきや、ほとんどその辺の興味に応えてくれなかったのはたしかに拍子抜け。

 しかしソレでつまらない作品かというと、決してそんなことはない。ニューヨーク、ブロードウェイの風俗描写の芳醇さ、登場人物たちの勢いのある動き、その辺は最高級に快い。ラニアンとかラードナーとかの持ち味をベースにした物語世界が期待通りに楽しめる。
 欲深な酒場の主人が被害者マイケルのお通夜を主催して有志の参加者を集めて、その場で<お通夜の主催者への労い金>の名目で小銭をかき集めようとケチな考えを抱くが、バート・ハーディンがそんな小狡い思惑をイキにうっちゃりかえす場面など、正にラニアンの世界、という感じである。
 推理小説要素~謎解きミステリ味は希薄なんだけれど、こういうのもたまにはいいよね、と思わせる風俗ミステリの佳作~秀作。

 先に紹介した書誌サイトによると、ハーディン・シリーズは未訳の長編がまだ6本あるみたいなので、どっかの奇特な出版社が面白そうなものをみつくろって、もう1~2作くらい翻訳発掘してくれないかしらん。


No.1061 7点 凍える牙
乃南アサ
(2021/01/06 05:12登録)
(ネタバレなし)
 平成時代に刊行された新刊ミステリのガイド本の類を覗くと、よく秀作として紹介されている印象の本作。それゆえ以前からなんとなく気になっていたので、今回の新春ブックオフ2割引セールの際に、近所の店で100円コーナーの文庫版を買ってきた。

 しかし当初は<謎の人間発火>と<ミステリアスな噛み傷>という事件の趣向から、女性捜査官が主役の警察小説に『怪奇大作戦』の「恐怖の電話」と「アダルトウルフガイ」の『虎よ!虎よ!』みたいなSFホラー譚を加味した話か? と勝手に思っていた。いやそんな予想は、まったくもって見事にハズれたが(笑)。 

 いずれにしろ500ページの大冊を一日でいっき読み。リーダビリティとクライマックスの加速感、読後の余韻はそれぞれ申し分ない。
 
 ただし貴子と滝沢、主人公コンビふたりの関係性は、2020年代の現在となっては(ジェンダー的な問題が普遍的なものとはいえ)フィクションのネタとしてはもはや図式的すぎるように感じる。貴子も滝沢も相応にいいキャラだとは思うけれど、この辺はやはり四半世紀前の作品という感触もあった。

 とはいえ小説の細部をとにかく執拗に書き込み(貴子の実家の叙述がこの作品の厚みで旨味)、そしてクライマックスでヒロインの貴子と「三人目」の主人公といえる疾風、双方の立場を鮮やかに相対化させることで、作品全体のロマン性を大きく高めた。
 やはり力作なのは間違いない。

 ただまあ私的に納得できないのは(中略)を(中略)の実行者に養育した(中略)のキャラがあまりにも薄っぺらいこと。
 そんな(中略)思いのまっとうな人間なら、なんの罪も責任もない(中略)を(中略)の道具にしかけた時点で良心の葛藤を覚えて、(中略)計画を放棄するよね? 
 物語の駒的にこんな中途半端なキャラを配置したことだけは、本作の減点要素であろう。

 繰り返すけど近代エンターテインメントとして十分に力作だと思うし、自分もいろいろと情感を刺激されるところはあった作品。
 それでも、本当に(中略)が好きじゃなきゃ、こんなすごい(中略)は育てられないだろう、しかしその一方で本物の(中略)好きだったら、<こんなこと>を(中略)には絶対にさせたりしないはず、という思いが生じてならない。
 だから道を外したあの登場人物(中略)の心情は、もっともっと追いつめて書き込んでほしかった。

 エピローグの<その崇高な結末>には、ただただ涙、である。


No.1060 7点 並木通りの男
フレデリック・ダール
(2021/01/05 06:11登録)
(ネタバレなし)
 その年の大晦日の夜。「私」こと、パリ駐在のアメリカ陸軍軍人ウィリアム・ロバーツは、愛妻サリーが先に出席している友人たちのパーティに急いでいたが、並木通りでふらりと車道に出てきた男をひき殺してしまう。善意の第三者の目撃者が、被害者の方が車の前に飛び出したと証言。所轄の警察でウィリアムの罪科は不問となるが、律儀な彼は死んだ男ジャン=ピエール・マセの遺族のもとに自分から説明と謝罪に赴く。だがマセの妻らしき女性リュシェンヌは近所の酒場で泥酔しており、ウィリアムがマセの家に連れ帰っても、半ば人事不省だった。そこに死んだはずの夫マセから<事故にあったが大事はない、自分は入院中だ>との電報が送られてくる。

 1962年のフランス作品。
 1980年代半ばの読売新聞社の翻訳ミステリ叢書「フランス長編ミステリー傑作集(全6巻)の第一巻目。
 評者はだいぶ前に古書で本書を入手したが、この叢書は帯のない状態だと、ジャケットカバー周りにまったく何も(作品のあらすじも概要も登場人物リストすらも)記載されていないので、どういう内容のミステリだか全然ワカラナイ(笑)。ごく初期のHN文庫みたいだね。

 まあ作者フレデリック・ダールの作風が、同じフランスのミッシェル・ルブランみたいな短めでハイテンポなものだろうという一応の知見はあったので、そのつもりでやや遅い深夜に読み始めた。これなら朝までに読み終わるだろうと。そしたら予想を上回るハイテンポさで、活字の級数が大きめの一段組みとはいえ、200ページ以上の翻訳ミステリを1時間半で読了。わんこそばみたいな喉ごしであった。

 とはいえ何らかの災禍に巻き込まれた主人公を見舞う不可解な状況の連続と、終盤ぎりぎりまで明かされない事件の実態、さらに本文最後の見開きまで読者を引きつけるサスペンスは結構な充実度(犬も歩けば、的に、主人公が何かすればすぐヒットする、都合いい流れも多いけれどネ)。

 職人作家の書いたB級の小品というくくりの中での秀作という感触もあるが、ここはひとつ田中小実昌が昔言った名言「軽さもいい味だ」に共感して、評点はちょっとオマケしておこう(笑)。

 国内のテレビ界で2時間ドラマジャンルが元気だった時代に、演出のうまいスタッフとかに任せていたら結構面白いものができたかとも思う。もう実際に映像化されているかも、しれんけど。

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