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ミステリの祭典

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クリスティ再読さんの登録情報
平均点:6.39点 書評数:1453件

プロフィール| 書評

No.93 4点 儒学殺人事件
小川和也
(2016/05/15 22:44登録)
すまぬがちょっとネタである。
本作は研究書であって、小説ではない。とはいえ一応「殺人事件」とタイトルにあり、徳川綱吉の治下で起きた大老堀田正俊の江戸城中での暗殺事件を取り扱っているので、歴史ミステリ、と強引にいえば...というくらいの感覚で取り上げたい。
というのは、以前「成吉思汗の秘密」を評者は酷評することになったのだが、それから少し「歴史ミステリとは?」といろいろと考えをめぐらすことがあったわけだ。今のアカデミックな日本史というものは、イデオロギーのような「大きな物語」の束縛がほぼなくなって、みな結構好き勝手にいろいろと通説を読み替えるような新説を立てることが多くなっている印象がある。聖徳太子非存在説とか大化の改新非存在説、義経で言えば一の谷合戦で法皇の停戦命令を無視して攻撃したために平家総崩れになった説とか、信長の政策は戦国大名としては標準的だとか、本作で反論していることになる「綱吉=文治の名君」説もあれば、一会桑権力と新選組とか、それほど頑迷固陋でない山縣有朋とか...どっちか言えば、このところ小説家的想像力以上に、歴史家の新説創造力の方が目立つことになっている感がある。そうしてみると、40年も前の梅原怨霊史観を未だに振り回したりする小説家の創造力よりも、歴史家の読み替え的新説の方が、意外だったり盲点ついてたりするように思うんだよね。
伝奇小説だったら網野史観が大流行したことも今では過去の話かもしれないが、こういう風にアカデミックな史学に基づいて小説を...というよりも、史学の研究書を直接読んだほうがネタが新鮮のようにも思う。まあそれでも本サイトはミステリの祭典なので、一応殺人事件とタイトルがついており、暗殺事件を扱う本作だったらまあぎりぎり?と思うので取り上げるのだが...
本作はサントリー学芸賞受賞作。犯人はというと、実行犯には謎がなくてそのままだが、その背後の黒幕として将軍綱吉を立てている。その動機をいろいろと考察するわけだが、著者は思想史系の人のようで、綱吉と被害者の大老堀田正俊の「儒教」の受容のあり方に、その原因を求めている。だから堀田の著作をいろいろ検討して、それが綱吉の忌憚に触れることになったことを立証していく...まあだから実質思想史なんだが、さすがに江戸時代の儒教・儒者って高校日本史で名前を暗記したくらいしかあまりご縁のない世界だから、新鮮といえば新鮮だがぴんとこないのも確かだ。で将軍綱吉が犯人、というのも意外性には欠けるな。
というわけで重厚ではあるけども、あまり「殺人事件」と銘打つ必然性までは感じない。


No.92 9点 ゼロの焦点
松本清張
(2016/05/01 09:29登録)
たぶん日本のミステリ、という枠内では最高の文章ではないかと思う。とにかく評者はこの文章に酔う。冒頭からして目立たないが実は凄い。「板根禎子は、秋に、すすめる人があって鵜原憲一と結婚した。」一見何でもない文章だが、真相がわかったあとに改めてこの冒頭の文章を見直すと、この一文に本作の真相や舞台設定が結実しているのが感じ取れると思うよ。少なくとも大衆文学、という範囲での最高の模範となる、簡潔にして達意の名文であろう。
日本の伝統的な「名文観」を如実に体現したような作品が本作なので、本作を社会派とか呼ぶのは本当は評者は疑問のように感じている。どっちかえば、戦前から燻り続けた「探偵小説文学論争」に最終的な決着をつけたのが松本清張の登場であり、文学とミステリの融合という文学派の理想を実現したエポックメーキングな作品としてとらえるべきではなかろうか。


No.91 7点 孤島の鬼
江戸川乱歩
(2016/04/24 23:20登録)
そういえば乱歩はミステリのパイオニアであるのと同時に、ゲイ小説のパイオニアでもあるわけだ...ちょいと行きがかりもあるので、今回そういう読み方もしてみよう。
とはいえ、密室トリックとか衆人環視の下での殺人とかすっかり内容忘れてたよ。それでもねえ「諸戸と簑浦は変だ」とか「めんない千鳥」とか完璧に憶えてた(シャム双生児の件も大丈夫)...評者はそもそもそういう読み方してたようだ面目ない。
本格→怪奇→冒険、って流れはスムーズで、ページターナーって言葉は本作のためにあるような気もするよ。乱歩っていうと意外にネタ数が少なくて同じネタを別作品で何回も繰り返すイメージがあるが、そういや本作のネタって他の作品での転用が少ないんだよね。そこらが「いつもの乱歩」じゃない新鮮さを感じるが...よく考えると「獄門島」がルブランの「三十棺桶島」にヒントを受けてって話があるが、本作もベースは「三十棺桶島」かもね。

でいうまでもなく本作のクライマックスは、名探偵に襲われるワトソン! まあ今じゃBLって便利なものもあるわけで、総受けな名探偵だって誘い受けなワトソンだっているわけだが、BLに先んずること半世紀以上前にこんな小説があり、しかも当時ベストセラーになっているニッポンの出版状況というのはスゴいものがあるな。


No.90 10点 黒蜥蜴
三島由紀夫
(2016/04/24 22:51登録)
言うまでもなく乱歩原作の、ミステリの演劇として日本で最高の知名度と人気を誇り、かつ空前の傑作である。本作がないのはさすがにまずいと思うので書こう。
評者本作ばっかりは好きで仕方がなく、友人が抜粋でやった企画にまぜてもらって、舞台でやったことあるよ....「私の考える世界では、宝石も小鳥も一緒に空を飛び、ライオンがホテルの絨毯の上を悠々と歩き、きれいな人たちだけは決して年を取らず...」乱歩のユートピアのビジョンが三島の文藻に合体した結果、本作の華麗な修辞が花開いたわけだが、本作だとハニカミ屋の三島がオリジナル作品では躊躇してのかもと思われるシュルレアリスム的技法も、随所で効果的でいろいろ華を添えている。他人原作だから、で力が抜けてイイ面ばっかりが出ているように思う。
で本作の凄いところは、三島が「ミステリという形式」と「ミステリらしい形式論理」を外から見て批評的に面白がっているのが感じられるあたりだ。もし探偵と犯人とが「あくまで探偵と犯人として」真剣に恋をしたらどうか?という興味から「法律が私の恋文となり/牢屋が私の贈り物になる」というセリフを引き出す...「第三の女は、自分のやさしい魂に忠実なあまり、世間の秩序と道徳を根こそぎひっくりかえす」といった逆説とアフォリズムこそが、チェスタトンのそれと同様に「それ自体がミステリの精華かつ批評」になっている。
だから「ミステリらしい形式論理」から、黒蜥蜴は明智を真実愛するゆえに人間椅子に閉じ込めて海に放り込むし、(完全オリジナルになる)雨宮早苗のカップルの愛は二人の死後にしか成立しない。それが形式論理であるからこそ、真剣にならなければならないのが、ミステリの心意気ってもんでしょうよw
最後に、本作は美輪明宏の主演によって、日本の三大ゲイ術家による空前のコラボになったことも本当に奇跡としか言いようがない。


No.89 10点 謎のクィン氏
アガサ・クリスティー
(2016/04/18 20:21登録)
本短編集は評者は何回読んだかわからない。クリスティの中でも格別好きで好きでしょうがないくらいの作品集だ。なのでこのプロジェクトを始める前から10点をつけるつもりでいたくらいである。
どこがいいって...1930年なんてクリスティの初期に属する作品集だけど、後期に典型的に見られるような独自な性格のキャラを立てた性格悲劇の色彩をもっていて、その描写が実によく書けているだけでなく、うまくミステリに埋め込まれているあたりである。ミステリの教科書にしたいくらいに、小説とミステリのバランスのとり方がいい。
しかも狂言回しのサタスウェイト氏のキャラがいい。独身者=人生の観客という等式を、クィン氏という触媒によって破るダイナミズムが、ちょいと身につまされるぜ....あくまでも事件はサタスウェイト氏の主観の中で起き、その主観の中でのちょっとした「違和感」がクィン氏によって照明を当てられて真相を悟る、という結構になっていることもあって、ファンタジックなトリックや事件も決して突飛には感じない。
「しかし、私は、まだ一度もあなたの道を通ったことがない...」「で、後悔しているのですか?」この会話こそが、独身者の機械としてのミステリのあり方を如実に示しているとさえ思う。
評者にとっての愛の対象の1冊。

付記:けどねえ、婉曲に書いたから分らない人多いだろうな。サタスウェイト氏ってゲイだよね....まあ、ヘイ×ポアロだってネタの定番のわけで、クリスティのキャラってそういう腐視点での面白みってのがある。実際クィン氏×サタスウェイトで引っ張っておいて、ゲイ趣味ともかなり関連の深いバレエネタで〆る、という構成のわけなんだしね。特に日本じゃミステリは乱歩四郎の昔から、中井英夫を経由してそもそもホモホモしたジャンルであるわけで、そういう読みをしていけない、かな?


No.88 9点 春にして君を離れ
アガサ・クリスティー
(2016/04/11 21:25登録)
評者実はウェストマコット名義の作品って読んでなかった...で本作霜月蒼氏の「完全攻略」で絶賛していることから気になってたので、ウェストマコット1番手として選んだのだが....すまぬ、今までこれを読んでなかった不明を恥じる。そのくらいの名作&重要作である。
今どき「日常の謎」ってジャンルがあるくらいのもので、ミステリの範囲は広がっているわけだから、本作だって「日常の謎」として読んでいけないわけでもなかろう。そうしてみると、本作だったら「私は本作の探偵で、かつ犯人で、しかも被害者で裁判官でもあります。私は誰でしょう?」なんて「シンデレラの罠」みたいな解釈もできるかもしれないね。
しかも、本作は中期の「死との約束」から後期に差し掛かる時期の「無実はさいなむ」で追及された、「抑圧的で干渉的な母性」を、その母性の側から描くという、ここらの作品の核心部分を徹底的やっているクリスティ・ハードコアな作品なんである! でしかも「探偵=犯人」を成立させる最大の要素、自己意識が繰り広げる歪んだ自画像の問題(勿論これが晩年の名作のキーポイントになる)まで追求しているのだ....
繰りかえすが本作はクリスティを理解するうえで超重要な必読書である。こんな作品があるなんて、クリスティは奥深いなぁ。


No.87 6点 パーカー・パイン登場
アガサ・クリスティー
(2016/04/11 21:08登録)
本作の前半は、要するにパーカーパイン劇団のレパートリー紹介、って感じである。しかも出てくる人々がお馴染みなオリヴァ夫人とかミス・レモンだから始末におえない(苦笑)。クリスティの独特の共有世界観が本作で本当にうまく機能している。だから本作ってシチュエーションコメディ風のマンガ(要するに両さん)の面白さって感じを受ける。マンガだと思って読めば、本作の上機嫌さみたいなものを肯定的に評価できると思うな。あまり突っ込むのはヤボってものだ。
とはいえ、後半は旅情ミステリになってしまい、前半の上機嫌さが薄れるのが難。「ナイル河上の死」は舞台装置だけだが、「高価な真珠」は舞台もネタも「死との約束」で再現される話なので、そこらは興味深い。


No.86 2点 ポアロ登場
アガサ・クリスティー
(2016/03/22 23:05登録)
クリスティの長編ミステリは全部評を書いたけど、もうちっとだけ続くんじゃよ。それでも短編集は書きたいのが2つばかりあるし...だったら非ミステリ長編小説とか戯曲とかもやろうと思う。そうすると初読も少しあるし。
というわけで本短編集。ホームズ好きなんだね..がまずの印象。けどホームズって今の時点で読むと、今風のミステリの作法からハズレている部分の方が魅力的(フェアプレイ無視で未知の犯人を釣り上げるとか)だと評者は思うわけで、その点フェアプレイに束縛されている本作は真相の範囲が狭いのでオドロキがないなぁ。短編だとドラマのふくらみがないから、真相解明がタダの「入れておいたものを出しました」にしかなってないし。
あと本作の悪い点としては、政治がらみの事件に出てくるクリスティの政治上の立場(あまり真に受けるのはヤボだが)が、極めて好戦愛国主義的でしかもお宗旨が絡んでそうなあたり。そういえばクリスティって牧師が犯人ってなかった気がするんだけどね(悪党が牧師に変装するのはあるがね)。


No.85 6点 スリーピング・マーダー
アガサ・クリスティー
(2016/03/22 22:30登録)
本作は日本の読者としてみるとちょっと不利な作品だよ。以前のミステリ文庫版の真鍋博の表紙が手がかりになるけども、「まっかな小さいヒナゲシと矢車菊がかわるがわる並んでいる模様の...(壁紙)」というのは、いわゆるモリス・ペーパーなので、だからこそモダンなマスタード色の壁に豊満な植物文様が隠れていたのが、子供時代が不意打ちするようにショックを与える効果を的確に描写していることになるのだけど、これをイメージできないと面白さは半減してしまうなぁ。
同様に、ウェブスターの「マルフィ公爵夫人」が重要なキーになるわけだが、シェイクスピアならともかくもその後続世代のスプラッターな大虐殺芝居なので日本で知られている、とはいかないよ(評者は昔ジョン・フォードの「あわれ彼女は娼婦」は翻訳を読んだことがあるが...アマゾンで検索すると同じシリーズで出てたウェブスターもトンでもないプレミアがついてるね)。まあ大南北の「四谷怪談」とか「五大力」とかあんな芝居のイメージするといいんじゃないかな。(あと猿の前肢がぴくっと動くのはホラー古典のジェイコブズ「猿の手」、雰囲気は「レベッカ」かな)
というわけで、本作はポイントとなるあたりが全部イギリスのサブカル関連になるので、楽しむのがちょっと難しいと思う。まあクリスティとしてはツカミはオッケーで前半すごい面白いんだが、中盤からは並くらいの出来だし、ミス・マープルも中期仕様でネメシスみたいな苛烈さはないし...で普通の作品ということになる。本作は「夢の家」モチーフの系列に入るけど取っ掛かりだけなので、後年の「終りなき夜に生れつく」とか「親指のうずき」(サナトリウムのシーンがそのまま転用)みたいに後を引いてる感じはない。ま、評者的にはマープル最後の事件はやっぱり「復讐の女神」だ。

さてこれで評者はクリスティ全ミステリ長編の本サイトでの評を達成した。1年ちょっとで全ミステリ長編を再読ベース(初読は数冊)で読み直して書いたのだから、基準はほぼ揃っていると思う。お楽しみのベストは1.終りなき夜に生れつく 2.ねじれた家 3.カーテン 4.葬儀を終えて 5.そして誰もいなくなった 6.ポケットにライ麦を 7.ナイルに死す 8.五匹の子豚 9.三幕の殺人 10.復讐の女神 ワーストは 1.フランクフルトへの乗客 2.愛国殺人 3.ビッグ4 4.複数の時計 5.秘密機関 6.運命の裏木戸 7.七つの時計 8.ヒッコリーロードの殺人 9.パディントン発4時50分 10.死への旅 になる。ベストは趣味が出てるけど、ワーストは順当だと思う。


No.84 9点 ナイルに死す
アガサ・クリスティー
(2016/03/21 18:10登録)
本作は要するに、「ご好評につき内容5割増し(当社比)」なスペシャル版みたいな作品だ。ただし、ミステリとしての仕掛けは通常なので、5割増しをすべてドラマに振ってるというバランス。ミステリにしか関心のないタイプの読者だったら、長いだけの通常作品だろうな...
しかし、クリスティの一番エラい点というのは、ドラマにミステリをうまく埋め込んで生かす技に長けている、ということなので、ドラマに5割増しを全部振っても、それ自体がミスディレクションを兼ねた重厚さとトリックの説得力につながっていて、無駄にはならない。評者なんぞは余裕がある分覗けるクリスティの「ホンネ」みたいなものがすごく面白い。被害者は金持ち・美人・魅力充分・しかも頭も良く実務面でもキレ者...で、ヘンな子大好きなクリスティ自身、書いていて反感を持っているのが伝わる。前半のイヤガラセ描写にサディスティックな快感があったりするんだよね(評者の読み方歪みすぎか?)まあクリスティではキレ者の女性は大体ロクな目にあわないのだが、本作は被害者で、しかも真相に近づいてくるとイヤな女度がかなり高まる。また、親に抑圧される女子×2で、ここらも中期クリスティで繰り返されるパターンだ(しかも一人は最終的にその親から解放され、もう一人は親の鼻をアカすww)
でもう少し本作の核心に入ると、犯人の自殺を描いている、という面でも本作はクリスティの中でも実はかなりスペシャルな作品である。それだけ犯人サイドの「愛の悲劇」をミステリの枠を超えて描こうとしているわけだ。そういう犯人とポアロのかかわりから、運命劇として本作を読むことができるかもしれない。そうすると、意外なことに本作と共通点の多い(ほぼ真相が同じだよ...)晩年の評者大好きなアノ名作に繋げるような「読み」というものはあると思うのだ。
というわけで本作は中期の「全部入り」な総決算作品である。何やかんや言ってそういうクリスティの熱みたいなものが伝わるのが一番の良い点。なので、タイプとして似た「白昼の悪魔」(8点)よりもイイ点にしたくなるので9点とする。


No.83 6点 シタフォードの秘密
アガサ・クリスティー
(2016/03/13 15:05登録)
批評的には問題の本作。評者今まで本作は駄作、という意見だったが、今回読み直して意見を改めることにする。
本作は元気女子大活躍の話だけど、ガッチガチの本格ミステリ。クリスティは他にこういう冒険スパイ色のない元気ヒロインの作品がないしねぇ。で本作の一番イイところ、というのは冬の荒涼としたダートムア(あのバスカヴィルの舞台でもある)に行ってみたくなるあたり。クリスティの出身地トーケイと同じ州だね。でヒロインのエミリーは「茶色の服の男」のアンをさらにシタタカにした感じの子で、若干ワルいのが魅力。オトコドモを手玉に取りまくる大活躍。なのでダレずに楽しく読める。でしかも、冒頭の降霊会から殺人発見への流れは大衆小説としてのツカミも十分のうえ、遠隔殺人みたいな趣向がステキ。また動機もナイスなもので、「続・幻影城」を読むと乱歩が本作のいろいろな要素を買ってることを確認できるよ。

(ここから盛大にバレます。どうしようか悩んだけど、アイマイにぼかして書いてもネタは推測つきそうだから、隠さないことにします。)

要するに本作否定派はスキーという移動手段がバレバレじゃん、といいたいわけだけど、どうやらイギリスというのは北国のクセに、全然雪の降らない国らしい。実は日本が世界一の豪雪国になるわけで、スキーの普及度で見ると意外なことに極端な差があるようだ(ここらの事情を題材にした映画「エディ・ザ・イーグル」がじきに公開されるようだね。イギリスのオリンピックでのスキー系全競技獲得通算メダル数はゼロだ..)。だからクリスティが本作を書いた時点でのイギリスのジョーシキに照らせば、しっかりトリックとして成立していた、と考えていいようだ。本作のトリックが日本でバレやすいのは単に「不運」とか「アタりが悪いよね」という程度の問題のように評者は思う。「物理トリックの推測がつきやすいから駄作」と主観的に短絡的な評価を下すのはためらわれるなぁ。
評者はその名の通り「再読」ベースでミステリ評を書く立場だから、「わかっててダマされる」ようなミステリの楽しみ方を皆さんにオススメしたいとつねづね思っている。本作は少し良い評価にしたい。


No.82 3点 死への旅
アガサ・クリスティー
(2016/03/06 09:54登録)
本作くらいがクリスティ全ミステリ長編での注目度・人気度が最低なんだと思う....評者これ書くので新本を買ったけど、ハヤカワのクリスティ文庫の初版(2004年)で「クリスティ文庫通信第10号」が挟まってたよ。似たような立場の「バグダッドの秘密」でも2刷だったから、たぶん本作の最低人気は確定だろう。本作を下回る駄作の「ビッグ4」とか「フランクフルト」とかだと怖いもの見たさで読む読者が多かろうからね。
で内容は不人気のモトであるリアリティの薄いファンタジー・スパイスリラーで、ヒロインが自殺の代わりに生還率のメチャ低いオペレーションにスカウトされて、という話。まあクリスティ、自殺を考えるヒロインとかそもそもガラじゃない。全般にキャラの生彩を欠くことが甚だしいから、ミステリマニア系でないクリスティ読みな感覚でも、本作つまらない。
思想や性向が全部違う科学者たちを集めて隔離するとか、評者が一番連想するのはちょっと意外かもしれないが「魔の山」だったりするが、もちろんクリスティだと思想小説もそもそも手に余る。これがチェスタートンだったらファンタジー思想スパイ小説でも「木曜日の男」でやったように絶対面白いと思うけどね。まあクリスティだと思想とか単なるその人の外面的なレッテルにすぎないから、話が深まらない。
一応最後に意外な真相はあるにはあるが、レトコン(Retroactive continuity)とかそういうもので、楽しくも面白くもなんともない残念な感じ。駄作。


No.81 7点 合言葉はオヨヨ
小林信彦
(2016/02/28 13:56登録)
「SRの会」のベストテン選びで、オヨヨ大統領のシリーズが高く評価されてた,,,という話があるのだが、このシリーズは意外なくらいに謎解きがしっかりしていて面白いんだよね。その中でも本作あたりが、謎解き+冒険+ギャグのバランスが取れていて一番面白いのではと思う。
いきなり主人公が密室殺人(ダイイングメッセージのオマケ付き)に遭遇することろで始まるわけだ。で...オヨヨ大統領の手下が本格ミステリマニアで、わざと密室を作って手かがりをダイイングメッセージで残す、という阿呆な話なのだが、それでも密室トリックはちょっと盲点な物理トリックでしかも実行可能だったりする。本シリーズの強みってこういうところだ。
ギャグ・ユーモアなミステリって一段低く見られがちだが、実はリアリティがなくてオバカなトリックでも、上機嫌なドタバタの中ではうまく埋め込むことができるわけで、そういうのがあっけに取られるような盲点をうまく突いていたりするわけだ。「お笑い」で可能なトリックの方が、シリアスよりも実は範囲が広いことになるのかもね。
本作だと船に積まれた麻薬を追って、香港から網走までの追っかけが話の軸である。いわゆる「宝物の移動」パターンだが、本作の仕掛けはかなり出来がいい。そういうノワール趣味なので、本作は日活とか東映のアクション映画の基本知識があるとさらにお楽しみが多い。本作に「きのうのジョー」っていう用心棒が登場するけど、言うまでもなく宍戸錠のパロキャラ(「拳銃は俺のパスポート」とか「皆殺しの拳銃」とか日活最強のハードボイルド俳優だったわけでね)、毛沢東と小林旭を崇拝する香港の警部、おなじみ鬼面&旦那コンビなど、60年代サブカルに強ければそれだけでもタイムスリップ感覚。しかし多分ここら全然ネタが分らなくても十分楽しめるんじゃないかな(まあネタがわからないとドタバタばかり..かもしれないが、オタなネタだと思ってくれ。分るとそもそも緩急がついてリズムがよくなるよ)。
けど作者はそもそも「昭和ヒトケタの心情」がキャッチフレーズな人だから、そもそも評者だと親の世代になるんだよね...すこし感慨。


No.80 7点 マイアミ沖殺人事件
デニス・ホイートリー
(2016/02/23 23:02登録)
黒魔団のついでに図書館で本作を借りて読んだ。昔出てたのは知ってたけど、高いんで手がでなかったんだよ。当時2800円だから今で言えば4000円くらいになるだろうか。
何でこんなに高い本なのか、というといわゆる「捜査ファイル」の体裁をとったパズラーで、手紙とか電報とか、果ては血のついたカーテンの切れ端、髪の毛、紙マッチなんかが封入されてついてくる(写真も多数)特殊造本だからなんだよね。
で、こういう写真とか実物とかを見ていると、アメリカン・リアリズムとでも言うべき即物的なリアルさに何か感動してしまうのである。たとえば警察無線を傍受して殺人現場にいち早く駆けつけて写真を撮って売っていたウィージーって写真家がいたけど、そういう視線のあり方がいわゆる「ハードボイルド」の根底にあるわけで、そういう見方で言うと本作はパズラーなんだけども実は「ハードボイルド」の即物性をこれほど体現した作品はない、と見てもいいのかもしれないね。
パズラーとしては、そういう1930年代アメリカの写真の解読力を要求されてしまうので、今どきの日本人には正解は難しいと思う。パズラーとしてはもう成立しないことを含めて、無味乾燥なパズラーではなく今はもう存在しない世界の垣間見る、非常に有益な体験ができたように評者は思うのだ。


No.79 8点 白昼の悪魔
アガサ・クリスティー
(2016/02/21 21:20登録)
もうクリスティ全ミステリ長編評まであとわずかなんで、大事にとっておいた作品を投入。
本作なつかしい...中学生の頃図書館で借りてハードカバーで読んだよ。このクラスの名作だと、昔読んだだけでも、読んでいて内容が記憶に蘇る。だから本作の大技トリックとかしっかり憶えてた。
改めて読み直して、本作の凄いところ・良いところ、というのは例の大技トリックじゃないからねっ。そんなのよりも、被害者の性格についての解釈の逆転がミステリの妙味のあるところだと思うし、クリスティらしいしまたクリスティしか書けないのでは、と思わせるところだと思うよ。これがオトナの読み方ってもんだと思うんだが。
まあ実に中期クリスティらしいタイトな佳作。あと、マーシャル大尉がイイ。もう少しツッコみたいくらいなんだが、ここ突っ込むとホントはバレるのでパスするけど、クリスティにしては珍しく「男心のミステリ」になってるのがよろしい。これで「愛国殺人」の口直しになったかな。


No.78 1点 愛国殺人
アガサ・クリスティー
(2016/02/21 21:17登録)
あれ、なんでこんなに評判いいの? 評者に言わせれば迷作「フランクフルトへの乗客」の前哨戦みたいな作品なんだけどな。昔ハヤカワで「世界ミステリ全集」ってあったけど、それで読んで全然ワケわかんなかった記憶があるよ(ちなみにクリスティの巻収録の残りは「そして誰も」と「フランクフルト」。いやはや)。
そりゃ体裁はポアロ登場の本格ミステリ風の作品だけど、犯行プロセスも納得しがたいものだし、動機に到っては...殺人じゃない解決方法がいっくらでもありそうな犯人なんだけどなぁ(嘆息)。
要するに、クリスティって人は政治オンチも甚だしいから、単にアイデアで考え付いた逆転ネタが、実社会ではトンチンカンなファンタジーでしかないことに理解できなかったようだ....チェスタートンならこれを「批判性のあるファンタジー」で造形できるんだけど、これはもうそもそもの素養の差だよ。チェスタートンならば「戦略的にカトリックというマイノリティの立場に自分を置いて、その視点で社会を切って」みせる冴えがあるんだけど、クリスティの根底にあるのはマジョリティの保守性だからチェスタートンの真似ができる、と思うのがそもそもの大間違い。
クリスティでも評者は無かったことにしたいくらいに嫌いな作品。ふう。


No.77 5点 鳩のなかの猫
アガサ・クリスティー
(2016/02/21 20:51登録)
本作は「葬儀を終えて」のあとのポアロ物暗黒期の作品だから、ミステリとしての出来は良くない。昔読んだとき本当に退屈した記憶があるが、今回読みなおしたら、そんなに印象は悪くないのだ。
悪くない理由は、クリスティ本人がバルストロード校長のキャラを気に入っているのが伝わるところだね。「ヒッコリーロードの殺人」が学生寮の話で男キャラの苦手なクリスティだとどうにも困ったことを考えると、今回は女学校(教師もオール女性)で、それぞれのキャラの描き分けなど実はわりとうまくいっている。バルストロード校長とチャドウィック先生との間にほのかにエスな雰囲気(レズでも百合でもなくてね)が出てるあたり、小説としてはそう悪い感じでもないんだよ。「アップジョン夫人、だと存じますが(I presume?)」とか「殺人に対するマクベスとマクベス夫人の態度を比較せよ」という宿題とか、評者なんて小ネタにニヤニヤしてたよ。
けどまあ、ミステリとしてはホント見るところがない。これじゃ誰が犯人だって良いようなもの。ま、登場も後半になってからだしポアロが出るからって本格ミステリだけを期待するのがこの時期クリスティに対する無茶振りなのかもね。


No.76 8点 黒魔団
デニス・ホイートリー
(2016/02/11 20:48登録)
クリスティのスリラーってどうもスケール感に欠ける...とは感じないわけにはいかないのだが、どっちか言えば本作あたりが「イギリス冒険スリラーの保守本流」というべきものなんだよね。本作は今どきフォロワーが掃いて捨るほどいる、いわゆる「黒魔術小説」の元祖であり、しいて言えば怪奇小説?ってことにもなるんだけども、読んだ印象は血沸き肉踊る系冒険小説(残念ながら推理小説色は薄いが陰惨な箇所は少ない)である。日本での知名度は低いのが残念だが、本作を含むド・リシュロー公爵グループが登場するシリーズってのが10作くらいあって、デュマの「三銃士」の現代版を狙った国際大冒険サーガになってる。英語版ウィキペディアなんかには「Duke de Richleau」で長々とした伝記付きの個人項目があるくらいの人気者のようだ。
推理小説じゃないけど「名探偵」がいるジャンル、ってのがもう一つ別にあって、それがいわゆる「ゴーストハンター」物のわけだ。これだとヴァン・ヘルシング教授という大先達もいるわけだが、本作のヒーロー、ド・リシュロー公爵もキャラ立ち抜群の「名探偵」である。本作昔ハマープロで映画化されたことがあって、ホンモノの英国紳士たるクリストファー・リーが演じている(激シブの正義の味方だよ)。まあそんなわけで本作を「怪奇小説」と敬遠するのは惜しい以上に、ミステリ周辺の大衆文学を全体的に眺める視点を持つために、評者は強く推薦したい。作者のデニス・ホイートリーはイギリスだと国民的作家に近いようだが、日本での紹介が非常に中途半端でもったいない。まあ、作風がミステリも冒険小説もスパイもオカルトも...の良い意味で節操のないクロスオーバーのせいか、どうもマニア主体の日本の業界では取り上げられにくい作家だったのもあるんだろうけどね。
日本での現役の翻訳本はない人だけど、図書館とか古本ではそう珍しい本ではないからぜひぜひオススメ。


No.75 5点 なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?
アガサ・クリスティー
(2016/02/05 21:54登録)
クリスティはやっぱりクリスティ、である。
というのも本作の大きな特徴である「第二幕からイキナリ参加したために、今まで何があったのかが謎」という枠組みの作り方が、最晩年の「復讐の女神」とか「象は忘れない」「親指のうずき」などで再び採用されるわけで、そういうあたりが興味深い。とはいえのんびりしたユーモア感が強いのと、中盤のバッシントン=フレンチ家でぐずぐずしている感が強く話にダイナミズムを欠くあたりで、スリラーとしてはもう一つ。
ミステリとしては主犯はほんとうに隠す気ない...くらいに明白だけど、共犯者がいろいろ小技があってステキ。写真に関する論理の逆転のいいポイントだ。だからミステリとしては出来がいい方なんだが、スリラーとしては?な部類で、過渡期っぽいバランスの悪さを感じる。初期型スリラーとしては最後の作品になるから、こういうタイプの作品への関心が薄れたのかなぁ。
あと最後の犯人からの手紙がとても脳天気。ヘンな魅力はあるな。考えてみればこの犯人、ボビイがまずいことを感づいたか?と思って殺そうと狙ったために結果的に墓穴を掘ったわけで、ほっておけば全然安全だった.....バカといえばその通り。


No.74 7点 杉の柩
アガサ・クリスティー
(2016/01/15 23:02登録)
メロドラマとミステリを意図的に融合させた3作(他は「ホロー荘」と「満潮に乗って」)の中でも一番出来が良いと思う。
良い理由は前半のエノリアの物語と、後半の調査と裁判とを描写を改めてメリハリ感があることだろう。前半を読み直してみると、意外なことに心理描写が少ないのだ。エノリアの主観が大きく影を落としているように感じていたが、それは会話にうまく畳み込まれていて、直接的に心理描写しているのはごくわずかである...だから前半は何もかも曖昧なまま読者が自分にエノリアの心情を引き付けて解釈せざるをえず、後半の調査は前半のエノリア視点に感情移入したその読者のイメージを、再度検証していくプロセスになる。本作は「五匹の子豚」を単純化したような構成のわけだ。トリックというわけではないが、叙述の工夫があるのがいい。
メロドラマ視点では、ヒーローがダメ男なこともあって、評者はあまりメロドラマとしての成り行きが気にならなかったのがいい(「満潮に乗って」はそっちのが気になって困った)。ヒロインの屈折を愛でる感覚で読むと楽しいな。
ミステリとしてはあまりフェアではないが、パタパタとカードの家が崩れるような解決へのスピード感が結構快感。バラに棘がない件は後出しだよね...

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