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ミステリの祭典

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ハマースミスのうじ虫
アリステア・キャソン・デューカー

作家 ウィリアム・モール
出版日1959年01月
平均点4.83点
書評数6人

No.6 7点 人並由真
(2021/06/23 01:40登録)
(ネタバレなし)
 大昔の少年時代に旧クライムクラブ版で読んでいて、その時は面白くないような面白いような、正直、そんな微妙な気分であった。
 今の時点で、当時の心境を整理してあらためて言葉にするなら、作者が言いたいことはおそらくわかったんだけれど、あれ、これでおわっちゃうの? これがそのサンデータイムスの補完100冊目のひとつなの? というような、たぶんそんな感じ。

 でまあ、その後ウン十年、瀬戸川猛資の再評価(絶賛)も、創元の新訳の刊行も横目に、あらためてもう一度トライしてみたいという気分はくすぶりつづけていたのだが、思い立ってこのたびようやっと再読。
 今回は新訳の方で基本は読んで、何カ所か、脇に置いておいた旧訳の方をリファレンスした。

 改めて付き合ってみて、お話そのものはかなりシンプルだよね。瀬戸川猛資の絶賛を前もって読んで、気分が高揚して、実物に接して裏切られた気分になる人も多いみたいなのは、よくわかる。

 とはいえこの作品のキモは、ボヘミアンというかプチブルというか、あるいはある種のディレッタントというか、のウエメセ(上から目線)で、悪人狩りを行うアマチュア探偵キャソン・デューカー(新訳も旧訳もカタカナ表記はいっしょだ)のキャラクター、これをどう受け止めるか。その一点に、ほとんどかかっているわけだし。

 だいたい、クラシック時代から黄金時代まで欧米の名探偵たちが保っていた基本的なアイデンティティ、犯罪者(悪人、ミステリの犯人)を暴く名探偵=正義の代弁者の図式にイヤミに一石を投じて「あんたたち(名探偵ども)のやっている行為って、結局は安全圏から、ときにやむを得ず、ときには事情に強いられて犯罪を犯した弱者をイジめるサディズムだよね」とうそぶいたこと。これはまあ1950年代の半ばなら、かなりのインパクトはあったと思う。
 たぶん戦後の日本の児童文化でいうなら、まるまっちい描線のマンガばかり読んでいた昭和30年代の子供が、いきなり劇画の描線と演出、表現に出会ったような強烈な体験だったと思うよ。

 恐喝者の悪人バゴットには感情移入する余地がない。それはそれでいい、ここで犯罪者に読者が一体化したらレ・ミゼラブルで、キャソン・デューカーは悪役ジャベールになってしまうから。
 だからバゴットは最後まで悪人、しかしそれでなお、事件がどう転がろうが、どういう被害者が出ようが、結局はひとごとの事件をサカナに、金持ちの道楽探偵キャソン・デューカーが<悪人狩りの正義>をしている。当然ながら、こいつがどんどんイヤな奴に思えてくる。

 しかしこれはたぶん作者の確信行為であろう。
 作者モールが言いたかったことは、お道楽で探偵ゲームなんかしている遊民のアマチュア探偵なんて、本質的にみんなイヤなやつなんだよ、というミステリ界全般に対する痛烈なサタイアなんだから。
(それを思えば、この7年前にアメリカではエラリイが『十日間の不思議』事件に遭遇しているのも興味深い。実はリアリティのなかで居場所を失ったまま最初から誕生してきたアマチュア名探偵、それがキャソン・デューカーの身上だったのじゃないかと思うのだ。)

 だから終盤の展開、もちろんネタバレになるからここではあまり書けないけれど、そんなキャソン・デューカーだからこそ、あーゆー経験、さらにあーゆー状況のなかで(中略)というのは、よくわかる。瀬戸川猛資が泣いた(?)のはまちがいなくココだ。
 なんかマリックの秀作『ギデオン警視と部下たち』の中盤で、(中略)しかけながら(中略)するジョージ・ギデオンの姿を想起させるねえ。
 フィクション上の名探偵というのは、多かれ少なかれみな(あるいは大半のものを)広義のスーパーマン認定していいと思うのだけれど、コリン・ウィルソンが言っているとおり、大衆がより愛するのは完璧な超人ではなく、苦悩して葛藤する方のスーパーマンなんだよね。 

【追記】
 実にどうでもいいハナシだけど、あの大河内常平『拳銃横丁のダニ』ってこの作品のパロディのタイトルであろうか? これは実を言うと、評者より先に家人が気がついた。

No.5 6点 斎藤警部
(2017/05/29 12:00登録)
冒頭一読、含蓄有る不思議な恐喝理論と実践は切れ味勝負の短篇を想わせたが、引っ張って膨らませて展開も見事にいつしか屈強なる体躯の謎めいた長篇がそこに。腰のある文体に無駄のないユーモアが最高。そして芳醇なる余韻を生成して歩み去る、最後の一文よ。。嗜好に果たして合うかはともかく、間違いなく名作オーラは放っています。機会があったら触れてみましょう。嗚呼、抱水クロラール。。

No.4 6点 クリスティ再読
(2016/09/19 19:43登録)
本作は「酔狂」という言葉に尽きる。けど、今の日本人だと、この「酔狂」さがたぶん伝わらないと思うよ。日本の「わびさび」に近いものがあるから、理解不可能じゃないとはいえ、イギリス人独特のスノビズムとひねくれたセンス(しかも古めだし..)を楽しむ雅量がないと、本作ばっかりは読んでもムダのように思う。
本作は要するに「マルヴォーリオいじめ」だ。だからこの厄介さはイギリスの階級社会の対立のニュアンスがイマドキつかみにくいことが原因にある。本作の著者は解説にしっかり解明してあるけど、MI6の幹部だったわけで、要するに大英帝国の柱石たるジェントリー層の出身として、その論理によって本作が書かれているわけでね...まあおかげで具体的なマンハントの詳細がリアルに描かれるのは良い点だね。
というわけで、本作かなりひどく読む人を選びます。イギリスの文化史に関心・知識があるんなら、読んでも楽しめるかもね。個人的にはフランス文学マニアの警視に萌え。

No.3 4点
(2011/12/01 10:18登録)
ラストはピンときませんでした。こんな解決方法もあるのですね。後半の殺人事件からこのラストまでは、印象に残るといえばいえますが、主人公のキャソンと、恐喝者ペリーとの心理対決の構図にはそれほどのサスペンスを感じられず、全体としては退屈なプロットに思えました。

キャラクタについてもやや不満です。
キャソンは、刑事でもないのに、趣味とはいえ、正義感に燃えて恐喝者にしつこく立ち向かっていくタイプです。エンタメ小説の主人公に向いているのか、向いていないのか、すこしは好感が持てたところもありますが、微妙な印象です。ペリーがそれほど悪いやつではなかった(というかあまりよくわからなかった)ことにも違和感を覚えました。

『罪と罰』の判事とラスコーリニコフ、『男の首』のメグレと犯人、『刑事コロンボ』のコロンボと犯人などの心理闘争を想像していましたが、予想とは違っていました。心理サスペンスというのは読者がうまくはまれば作中人物と同じ気分に浸れるのですが、ちょっとずれると退屈このうえなしです。出来、不出来というよりは、感性の問題なのかもしれません。

No.2 2点 mini
(2008/11/13 10:48登録)
植草甚一セレクトの創元クライムクラブに入り幻の名作と言われていたのが文庫で復刊されたもの
植草甚一の推すものには当り外れがあるがこれは外れ
多少擁護すれば雰囲気はなかなか魅力的で、個人的には淡々とした筆致は嫌いじゃない
しかし主人公の、正当防衛でもなんでもないのに獲物を弄ぶ態度には感心出来ない
相手が悪い奴なんだからこのくらいなことはしてもいいんだ的な発想に見えるが共感出来なかった
まぁおそらく、分かる人には分かる、合う人には合う、そういう事なんだろうけどさ、私はこの作品なら理解出来なくてもいいや、とはっきり言える
単にさ非情な犯罪小説っていうのなら別に構わないんだけどさ、背景に階層社会的な匂いのするものは嫌なんだよ

No.1 4点 こう
(2008/09/14 23:20登録)
瀬戸川氏の夜明けの睡魔を読んで創元クライムクラブの他のラインナップから推測して読む前はとても楽しみにしていましたが正直書評ほどではなかった気がします。

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