tider-tigerさんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.71点 | 書評数:369件 |
No.269 | 6点 | 夜明けのヴァンパイア アン・ライス |
(2019/07/16 01:18登録) ~ルイと名乗ったそのヴァンパイアは今までに起きたことをすべて話してしまいたいと言う。若者は録音機材を用意し、ヴァンパイアの言葉を待った。 「私がヴァンパイアになったのは、二十五歳の時、一七九一年のことだ……」 ルイは二百年にも及ぶ生涯のことをポツリポツリと話しはじめる。 ※ちなみに極東日本では1791年から江戸市中で銭湯の男女混浴が禁止となったらしい。~ 1976年アメリカ作品。原題は『Interview with the Vampire』大変な力作だと思う。ただし、内容は重く、罪の意識など日本人には少しわかりづらい面もある。そのせいなのか、米国と日本ではアン・ライスの人気に大きな落差があるという。物語としても手放しに面白いとは言い難い作品で、性的な部分などが受け入れがたいと感じる方も多いと思う。採点は6点。 序盤はルイがウダウダと悩むばかりで話がなかなか動かず、エンタメとしてはクローディアなる少女ヴァンパイアが登場するあたりから盛り上がっていく。自らのルーツを求めての東欧への旅など非常に面白い。 新たなヴァンパイア像を生み出した。すなわち哀しいヴァンパイア物語の走りのように言われる作品だが、本作の凄さは哀しいヴァンパイア像の確立ではなくて、ヴァンパイアの苦悩を哲学的に掘り下げようという試みだと思う。ヴァンパイアであること。それはどういうことなのか。 ヴァンパイアの感覚、本能、生活、愛、考え方などが種々のエピソードの中で繰り返し述べられる。ヴァンパイアが人間に狩り立てられるというお約束は控えめで、ルイは人間をあまり脅威とは感じず、人間VSヴァンパイアの構図は希薄である。 ルイは一方的な殺戮者であり、そのことに悩むと同時に悦びも感じはじめていく。そうした変化の様子が綿密に描かれ、ひどく生々しい。 ヴァンパイアものはやはり人間との関わりを描いてこそ面白くなると思うのだが、本作はそこに重心を置かない(『ダレン・シャン』の4~6巻などは人間不在の失敗例だと思う)。 萩尾望都の『ポーの一族』と設定に類似点があり、近い時期に刊行されたこともあってどちらかがどちらかに影響を受けているのではないかという説もあるらしいが、自分は才能ある作家と才能ある漫画家がたまたま同時期にヴァンパイをモチーフにした物語を着想したに過ぎないのではないかと思っている。両者は本質的にはまったく異なる作品である。 萩尾望都はレイ・ブラッドベリの作品の漫画化をしているが『ポーの一族』はブラッドベリに近しい美意識を感じさせる。そして、萩尾望都の絵はブラッドベリの文章のように美しい。 本作『夜明けのヴァンパイア』を耽美的だと見る方も大勢いると思う。そういう方は『ポーの一族』と『夜明けのヴァンパイア』がとても似ているように感じるのかもしれない。自分は美意識が働く前にルイの自意識に圧倒されてしまった。 |
No.268 | 9点 | 図書館の魔女 高田大介 |
(2019/07/15 13:44登録) ~鍛冶の里に生まれ育った少年キリヒトは、王宮の命により、史上最古の図書館に暮らす「高い塔の魔女(ソルシエール)」マツリカに仕えることになる。古今の書物を繙き、数多の言語を操って策を巡らせるがゆえ、「魔女」と恐れられる彼女は、自分の声を持たないうら若き少女だった。~amazonより 2017/08/11に第一巻を読んで書評を上げましたが、いまさらですが全四巻を読んでの書評を再アップいたします。一巻を読み終えた時点で予感していた通りの作品でありましたが、巻が進むにつれてどんどん面白くなっていったのは誤算でした。8点をつけておりましたが、9点とします。 国産ファンタジーの傑作であると同時にライトノベルの傑作であるとも感じました。ライトノベルのライトは軽いではなく、小説のお約束から解放された軽やかさだと自分は考えています。さらに言葉への偏執的なこだわりがライトノベルに命を吹き込むのではないかと。これは勝手な私の願望であり、たぶん本来のライトノベルとはキャラと設定が命なのでしょうが。とにかく、この作品はライトノベル的な要素が確実にあって、見方によってはライトノベルの一つの完成形ではないかと感じました。「これだ!」と思ったライトノベル作家は絶対にいると思っています。そうそう真似できるようなものではありませんが。 ファンタジーとしてはそれほど斬新な印象はありません。図書館を舞台にしたのはユニークでしたが、だんだん舞台は図書館から離れていきます。ただし、図書館=言葉の物語であることは変わりません。世界や設定はさほど凝ったものではなく、人物もライトノベルから拝借したような印象。物語も意外性はそれほどありません。 ですが、めちゃくちゃ面白い。ミステリ的な要素もけっこうあります。 言葉の戦い、言葉を巡る推理などはもちろん面白いのですが、戦闘シーンもなかなか決まっています。特に山中での動物との戦闘シーンは素晴らしいものでした。 物語を作るよりも、文章を書くよりも、まずは言葉そのものが大好きな作者が吐き出した言葉の海で溺れてみてください。 気になった点をいくつか。 1登場人物の情緒的な部分の書き方が弱点のように感じました。 2ニザマ国は宦官宰相に実権を握られておりましたが、ニザマ帝が復権を目論むと宦官宰相の一派は大した抵抗もせずに逃散。これはいささか都合がよいのでは。宦官宰相は軍を押さえてなかったのか? 宰相側の激しい抵抗、もしくは権謀術数があって然るべきではないでしょうか。 3外交を主軸とした物語だったら個人的にはえげつなさが欲しいところですね。 序盤での不要と思えるほどの精緻な描写について、自分はキリヒトのキャラクターに由来するものと考えておりました。キリヒトは他人の動きが見えすぎてしまうから、描写も精緻になるのかなと。ですが、あまり関係なかったようです。 以下 一巻を読み終えた時点での最初の書評です(2017/08/11 15:11にアップ。削除済み)。四巻すべて読んだあとも感想はおおむね変わっておりません。 メフィスト賞受賞作 全四巻のうち、まだ一巻しか読んでいないのですが、国産ファンタジーの傑作の予感がプンプンしますので、いてもたってもいられず箇条書きでフライング気味の書評を。全部読んだらまた改めます。 外枠は情報戦や外交に重点を置いたユニークなファンタジー。 内実は言葉の物語。 序盤のテンポが悪すぎる。徐々に展開が早くなってくる。 無意味とも思える動作などの細かい描写は? (肩を上げるだけなのに二行も使って描写したりする。) こうした(特に序盤の)不必要に思える描写には何か意味があるのか。おそらくある。 正確精緻。歯ごたえはあるが、あまり味のない文章。 難解な単語がときおり飛び出すが、文章そのものはさほど難しくはない。 建物や服装の描写が細かいのはハイファンタジーだから仕方がない。 ハイファンタジーとしては異世界感に乏しい。 世界史や地理を学べば存在する既存の世界をアレンジして組み直したような印象が強い。 よく見ている少年とよく考えている少女のボーイミーツガール。 キャラ作り等にライトノベルの要素を持ち込んでいる。 エンタメ的盛り上がりには欠けるが、内容は素晴らしい。 |
No.267 | 7点 | チューダー王朝弁護士シャードレイク C・J・サンソム |
(2019/07/07 06:57登録) ~1537年(織田信長や豊臣秀吉が生まれた頃)イギリスではヘンリー8世が腐敗著しい各地の修道院を次々と監査、解体していた。そんなおり、スカーンシアのドナトゥス修道院に監査に赴いていた弁護士が首を斬り落とされて殺害される。摂政クロムウェルは弁護士シャードレイクに調査を命ずる。かの地でシャードレイクが見たものは…… 2003年イギリス作品。『チューダー王朝弁護士シャードレイクシリーズ』の第一作目にして作者のデビュー作です。作者自身も弁護士であり、一年間休暇を取って本作を執筆したそうです。 テーマや舞台背景などを絡めて愉しむ作品です。どうにかして潰されまいとする修道院、そうはいっても高邁な理想のためとはいい難い。そんな修道院内での人間関係、腐敗、各々のもくろみなど読み応えあります。確かにミステリではありますが、ミステリとしては並です。 主人公シャードレイクは身体に障碍があり、強い劣等感を抱いております。二作目ではかなり精神的に安定してきましたが、本作ではかなり不安定で人間臭いのです。 エンタメとしては二作目『暗き炎』の方がこなれており、キャラも立っています。筋運びも滑らかで冗長さも抑えられています。勝手な想像ですが、よい編集者がついたのでしょう。ただ、二作目はエンタメとして進化した半面、作者の書きたかったものが薄められているように感じました。作者の情念のようなものをより強く感じるのは本作です。 原題は『Dissolution』本作のタイトルとしては解体と訳すべきでしょうか。ダブルミーニングとなっております。邦題にしづらい類のタイトルです。 訳者あとがきの中に本作の歴史的背景に関する簡単な説明があります。英国史をあまり知らずに本作を読まれる方(私自身を含む)は先にこちらをお読みなることを推奨いたします。ネタバレはありません。 『薔薇の名前』と同様に修道院内で起きた殺人事件を扱っているので、『薔薇の名前』を読む前にウォーミングアップとして読んでみるのもいいかもしれません。 |
No.266 | 7点 | 眠れない一族 ダニエル・T・マックス |
(2019/07/07 06:53登録) 舞台はイタリア。その一族は高貴な血筋であり、有力者を輩出した。だが、彼らには恐ろしい宿命があった。 一族のうち、約半数は中年期に奇怪な症状に悩まされる。それは異常な発汗にはじまり、瞳孔の収縮、首から上の強張り、そして、不眠がはじまる。 不眠が始まるとあとは坂を転げ落ちるように病状は悪化する。血圧上昇、身体の過活動により激しく疲労困憊し、歩行困難、麻痺、そして死に至る。 彼らを苦しめるこの恐ろしい病気はいったいなんなのか? 医学ミステリとして読めるノンフィクションです。上記の一族は実在します。彼らの恐ろしい病の謎が解かれていく過程が描かれております。ただミステリ小説ではないので、核心を巧みに避けて記述して、最後におもむろに謎解きみたいな構成ではなく、最初からネタバレしまくりです。教科書的な説明なども多めです。ですが、医学ミステリが好きな方にはかなり興味深い書籍ではないかと思います。 イタリアの呪われた一族からはじまり、舞台は英国、パプアニューギニア、アメリカなどへと広がっていきます。 いくつかの病気が登場しますが、以前はそれらに関連があるなどとは誰も思っておりませんでした。それらが一つに繋がっていきます。戦慄を覚えます。 本書では紹介されておりませんが、実は関連した病気(薬害)で日本でも百人以上が犠牲になっております。さらに誰もが知っているあの病、この病もこれが関連していると言われております。 良書だと思います。ただし、帯はいただけない。 |
No.265 | 7点 | 暗闇の道 ジョゼフ・ヘイズ |
(2019/05/14 23:06登録) ~カメラマンのアンドルゥ・ホーガンの元に息子のトッドが事件に巻き込まれたとの奇妙な知らせが飛びこむ。なにが奇妙なのかというと、アンドルゥに息子などいやしないのだ。ただ、離婚した妻がもしかすると……。息子(かもしれない)トッドとその恋人は森でキャンプをしていたところ事件が起こり、恋人は行方不明なのだという。事件を警察に知らせたアンドルゥは警察に疑われてそのまま留置場に入れられていた。とりあえずアンドルゥはトッドの元に向かうのだった。~ 1985年アメリカ作品。ずいぶん前に登録したのに書評するのをすっかり忘れておりました。作者の本業は劇作家、脚本家のようで他にも小説はあるようですが、邦訳されているのは本作だけのようです。 導入から息子の正体が話の肝となりそうな気配ありますが、そういう話ではありません。プロットの骨格は知り合ったばかりの息子の冤罪を晴らしつつ、その息子との絆を紡ぐというものです。 視点人物が非常に多く、ある種の群像劇ともいえそうな内容です。そこまで視点人物を増やす必要があったのかと疑問に思いましたし、敵の視点がふんだんに盛り込まれているのでかなり早い段階で犯罪の全容が読者の目に明らかになってしまいます。その点を物足りなく思う方もいるかもしれません。隠された動機のようなものはありますが、当時としてはタイムリーだったとしても現在ではいささか古めかしく陳腐です。 本筋の事件は極めてシンプルなうえにたった二日間で事件は終了。なのに、さまざまな要素が絡みあい本もけっこう厚みあります(本編553頁)。退屈ではありません。読み応えあります。 構成や人物造型、描写などに映画畑の人だと強く感じさせる部分がけっこうありました。違和感というか、少し不思議な感じがしました。 目を見張る謎はありませんが、筆力あり、なかなかのスリルがあり、人間がいて、アメリカの闇があります。あとがきにもありますが、本作のテーマの一つは家族です。 個人的なツボは終盤に出てくるとある哀しい夫婦でした。 タイトルが内容と合っているようで合っていない気がしましたが、最後まで読んで、少し考えてみるとなんだか納得がいきました。非常に多くの視点から『暗闇の道(原題The Way of Darkness)』が紡ぎだされていたのだなと。 ※サンケイ文庫版では作者名が『ジョゼフ・ヘイズ』となっていますが、扶桑社版では『ジョセフ・ヘイズ』となっています。所有するサンケイ版に準じて『ジョゼフ』で登録しました。 以下 2021年5月9日追記 本書評にて作者の邦訳作品はこれ(暗闇の道)しかないと書きましたが、人並さんよりヤボなツッコミ(笑)賜りました。他にも邦訳作品はあるようです。 御指摘感謝いたします。 以下は人並さんの同じ作者の作品『第3の日』御書評より抜粋 ~本サイトでのtider-tigerさんによる『暗闇の道』のレビューでは同作しか邦訳がないようだとあるが、実際は同作と本作、さらに早川ポケットブックに収録の『必死の逃亡者』とのべ3作品が紹介されている(tider-tigerさん、ヤボな指摘(ツッコミ)、誠にすみません~汗~)。~ |
No.264 | 7点 | コフィン・ダンサー ジェフリー・ディーヴァー |
(2019/05/14 23:03登録) 前回書評した『雪の死神』と同様に四肢麻痺のある主人公が登場するリンカーン・ライムシリーズの二作目を。 滅法面白い。これほど常になにかが起きている話というのも珍しいのではないかと。しかも鑑識などの薀蓄もしっかりしていて興味深い。どんでん返しにもかなり驚かされた。 これを読んだ時期は体調が最悪だったのに、先が気になって無理をしてしまい、結局二晩で読み終えてしまった。ジェットコースターから降り損なったという風だった。 殺しのプロなら不確定要素を極力減らすためにもっとシンプルな手段を取るのではないかと思うが、これは後から思うことで、読んでいる最中はそんなことは気にならない。 ただ、総じてディーヴァー作品は滅法面白いけど読み返す気にはならない。なんというか、エンタメに必要な要素はほぼすべて網羅されており、横浜のようになんでもある。そして、横浜のようになにもないともいえてしまう(横浜は愛しの故郷です)。あまりにもプロフェッショナル過ぎる作家だと思う。 |
No.263 | 6点 | 雪の死神 ブリジット・オベール |
(2019/05/09 01:03登録) ~自身が巻き込まれた二年前の殺人事件(※前作『森の死神』参照)が小説化されて一躍有名人となったエリーズ。気晴らしに雪山に出掛け、障碍者の施設に滞在していた。そこでファンと思しき者からステーキ肉をプレゼントされる。介護人のイヴェットと二人で食べようかどうしようか迷ったが、少しだけ味見してみたところ思いのほか美味だったので結局食べることにした。ところが、その肉は麓の街で起きた殺人事件に関係があることがわかった。~ 2000年フランス作品。前作では指一本しか動かせなかった語り手のエリーズが本作では左手の機能を回復している。内面はあまり変わらず明るく前向き。前作での経験をミステリ作家のB・A(ブリジット・オベール)に売り込み、それが作品化されてヒットしたことにより金銭的にもだいぶ楽になり、希望がほんの少しだが見えてきている。 肉に関しては「そんなもの食うなよ」と思った。まあそれはさておき、作者の登場、障碍者施設の入所者たち、奇怪なファン、展開からキャラから外連味たっぷりで、さらにどこか歪んだ作風は相変わらずというか、パワーアップしている。語りもよい。 前半から中盤にかけてはかなり面白くて、既読オベールの中では最高作かもしれないと期待は膨らんだ。ただ、後半に差し掛かって、この連続殺人は不可能犯罪じゃないかと、決着はつけられるのかと心配になった。 そして、仕掛けが明かされて、ちょっと興ざめ。さらに怒涛の終盤はいくらなんでもやり過ぎだろうと。いかにもオベールらしいのだが。前半~中盤がかなり面白かった(7~8点)だけに非常に残念。 本作の類例はいくつもあって、本サイトでも最近そうした類例作が書評されていた(私はこの作品はあまり好きではない)。本作は完成度は高いと思う。最後の無茶苦茶も作者の狙いというか作風というかに沿っている。ただ、私は基本的にこの仕掛けは好きではないしラストにもついていけない。これを容認できる方なら、本作はかなり愉しめるのではないかと思う。ジャンルはサスペンスかスリラーか迷ったが、スリラーとした。 四肢麻痺の主人公といえば、ジェフリー・ディーヴァーの『リンカーン・ライムシリーズ』が有名だが、四肢麻痺という設定が徹底的に活かされているのはこちらの『死神シリーズ』だと思う。純粋にエンタメとして優れているのは……ライムシリーズだろうが、私はエリーズを応援したい。 |
No.262 | 5点 | 六色金神殺人事件 藤岡真 |
(2019/05/09 01:01登録) 文章、展開、伝奇部分、ヒロインの突拍子のなさと雑なところが多すぎてかなり損をしている。 文章に難ありで、情景がいまいち伝わりづらい。 展開が雑なのは後から考えると狙ってやった可能性もありそうだが、読んでいる最中はかなりいい加減だなとしか思えなかった。 六色金神の伝紀とやらもいかにも安っぽく(これも狙いなのかもしれないが)もう少し丁寧な作りこみが必要だったのではないかと思う。 ヒロインの思考もあまりに飛躍が多い。例えばこういうの↓ 『無能なのか、いや、この警官は、やっぱりなにかを隠している。だとしたら、この男個人の判断とは考えがたい。組織ぐるみということになる』 こういう論理の飛躍がやたらと多くて「なんでだよ?」の連発だった。 仕掛けについては類例がいくつかある試みだが、本作はかなり凝っている。仕掛けに頼り切らずに他の部分も丁寧に仕上げていればもう少し印象が変わったかもしれない。ただ、個人的にはこの仕掛けそのものがあまり好きではない。 ラストはヒーロー、ヒロインがこういう行動を取るのはありなのかという疑問わくものの、けっこう好き。なんだか笑えるし、鮮やかに決まったのではないかと。せめてもう少し筆力があれば、あるいは伝奇部分が丁寧に作られていれば、はたまたもっと徹底したバカミスであれば、と思う作品。 内容というか狙いはそれほど悪くなく、ある意味では読む価値ありだが、個人的な嗜好と筆力の低さはいかんともし難く、限りなく4点に近い5点。 |
No.261 | 7点 | 骨折 ディック・フランシス |
(2019/04/30 23:25登録) ~ニール・グリフォンは入院した父親に代わって臨時に厩舎の運営を行っていたのだが、誘拐され奇妙な脅迫を受ける。 「俺の息子がおまえの厩舎に行くから、そしたらアーク・エィンジェルに騎乗させるのだ。さもないとおまえの厩舎で不幸が起こるのだ」 このアーク・エィンジェルはダービー優勝を狙えるような馬。「どこの誰かは知らないけれど」な人間に騎乗させるわけにはいかないのだ。 だがしかし、翌日、脅迫者の息子アレサンドロが本当にニールの厩舎にやって来る。 「これでいいのだ」と、ご満悦なアレサンドロ。 「ちっともよくないのだ」と、歯噛みするニール。~ 1971年イギリス作品。冷静に考えるといささかバカげた幕開け。ニールはどうして警察に行かないのか。本作の最大の謎というか、大きな瑕疵です。 こんな無理をしてまで開幕させた物語ですが、これがとても読ませるのです。脅迫者の息子アレサンドロを仕方なく騎手として迎え、性格に難ありではあるものの騎手としては才能の煌きを感じさせるこの若者にニールは複雑な感情を抱きます。事件が起きて、若者は成長し、それゆえに最大の危機が訪れます。緊張と緩和が交互に訪れる筋運びは素晴らしく、ラストもいい。強引な初期設定ではありましたが、無理をした甲斐があったというものです。 脇役もうまく設定されていますし、敵もかなりぶっ飛んでいます。そうとう残忍なことをしでかすくせに、その目的は息子を名馬に騎乗させたいからと。巨悪ではありませんが狂悪です。無理なプロットもこのオヤジのキャラ設定で少しバランスを取り戻しました。 個人的に好きな点は競馬ネタが豊富なところ。アレサンドロがニールと話し合い、レースの際に綿密に作戦を練ったりするので、レースの様子が頭に浮かんで楽しかったです。 タイトルもよく決まっています。 本作はけっこうな異色作でしょう。メインプロット(脅迫者との対決)がサブプロット(脅迫者の息子と主人公の交流)に取って代わられています。以前の書評でサブプロットの良さがフランシスの強みの一つだと書きましたが、本作はサブプロットが目立ち過ぎてミステリ要素、冒険小説要素がかなり薄められております。主客転倒小説とでもいいましょうか。 これは若者の成長譚であり父子の物語でもあります。ニール自身の父親との関係も絡み、三つの父子関係が入り乱れております。 息子が妙な話し方をするとの御指摘ありましたが、考えられる理由が二つあります。一つはイタリア人なので英語があまりうまくないから。もう一つは心を病んでいるため、ああいう話し方になってしまっている。おそらくは前者ではないかと思います。 この『骨折』や『煙幕』あたりは一般的にはフランシスの上位作品ではないのでしょうが、一部ファンに偏愛されていそうな気がします。どちらも最初に読むフランシスには不向きですが、フランシスを何冊か読んで作風が気に入った方にはぜひ一読をお薦めしたい作品です。8点をつけたい作品ですが、ミステリ要素の希薄さと大きな瑕疵を顧慮して7点とします。 |
No.260 | 6点 | 触身仏 北森鴻 |
(2019/04/30 23:19登録) 蓮城那智フィールドファイルと銘打たれた民俗学ミステリの短編集で本作はその第二弾です。本シリーズは五冊出ているそうですが、一冊目の『凶笑面』と本作のみ既読です。中性的な美貌を持つ民俗学の教授蓮城那智と助手の内藤三國が民俗学の調査を通じて事件に巻き込まれるのが基本の筋ですが、一冊目と二冊目で多少の変化が見られます。 一冊目の『凶笑面』では那智と三國の両名が調査に赴き、そこで事件が起こって、民俗学的考察が事件の解決に繋がっていくという結構になっております。個人的にはこの形式が望ましいのですが、二冊目の『触身仏』ではフィールドワークの比重が軽くなり、大学内部で事件が起きたり、大学、学会などでの人間模様も描かれます。 ミステリと民俗学の融合をガチで目指していた(ように思える)硬派な印象の前作と比して、本作はキャラを立たせて、民俗学ネタも派手なものを選び、ミステリの形式に忠実であることより、話の面白さに重心を移したように見受けられました。 確かに読みものとしてはこちらの方が面白かったように思います。 ただ、全体的にかなり強引さが目立ちました。ミステリ的な無理、決めつけ、論理の飛躍などなどすべての作品になんらかの強引さがあります。 一篇をのぞいてどの作品も楽しく読めたので、その一篇以外は6点以上をつけたいのですが、欠点に着目して減点すると以下のような感じでしょうか。 秘供養 6点 仮説に根拠がありません。 大黒闇 5点 神々の変貌うーん。さらに結末が安易。 死満瓊 4点 ミステリ的に強引。民俗学ネタはわりと納得できましたが、本作だけは話自体もあまり面白くありませんでした。 触身仏 7点 あそこに閉じ込める必然性が??? 御蔭講 6点 ユニークな作品で評価したいのですが、そんな奴いるのか? |
No.259 | 7点 | アリシア故郷に帰る ドロシー・シンプソン |
(2019/04/18 00:35登録) ~美しく活発で人気者だったアリシア――俗にいうリア充たちのグループに所属――が二十年ぶりに故郷の土を踏む。だが、彼女は旧友の演奏会を観賞後に宿泊していたホテルで殺害されてしまった。彼女の過去になにか因縁があるのか、あるいは現在の問題なのか。~ 1985年イギリス作品。サニット警部とラインハム刑事部長による地道な捜査が淡々と続き、真相に肉薄したかと思いきや遠ざかってとそんなことが繰り返される。サニット警部は腰に持病を抱えており、どうやら以前の作品でなにかあったのだと思われるが、なにがあったのかさっぱりわからないのがもどかしい。 1985年の作というわりにはいささか古めかしさを感じさせる。読み易いが没個性的な文章、必要充分だがそれ以上の膨らみはない人物描写、手堅いが際立った良さもあまり感じられない。外連味ももちろんない。 一つの殺人事件を一つ一つの仮説を潰しながら追っていき、作品のトーンは最後までほとんど変わらずに貫かれる。 警部と刑事部長のコンビがいわゆる善玉悪玉でもなく、ホームズワトスンでもなく、二人そろって性根の優しいごく普通の警察官というのがまた本作をさらに地味な存在にしていく。 真相は悲劇には違いないのだけど、みんなそれぞれ頑張ったんだなと納得できる。可哀想なんだけど読後感は悪くない。 これといった特色はないんだけど、これってある意味では個性的な作品というか、読後に脳内を残り香が漂う。 妙な感想になってしまいました。この作品は好きです。 なにがいいのか説明しづらいのですが、私もこの人の他の作品を読んでみたいです。 ミステリとしては6点ですが、ちょっと甘めで7点つけます。 |
No.258 | 7点 | 黄金 ディック・フランシス |
(2019/04/18 00:31登録) 平成最後の年の三月一日。衆院本会議の最中、河野外相はペーパーバックを熱心にめくっていた。その背表紙にはDICK FRA……の7文字が見えていた。この『DICK FRA』なる文字列が意味するものははたして。解答は後ほど。 1987年イギリス作品。『再起』以来久々に未読フランシスに挑戦しました。 ~私は父の五番目の妻を心底から嫌っていたが、殺すことを考えるほどではなかった。~本作の書き出し おっと、来た来た来た。いかにもフランシスな書き出しで幕を開けます。 父親に危害を加えようとしている人物は誰なのか。父親の五人目の妻を殺害したのは誰なのか。主人公は父親を守りつつも家族の絆を再構築できないものかと悩みます。 フランシス作品としては冒険小説からはやや遠く、心理ミステリに寄った作品です。主人公イアン・ペンブロゥクの父親は大富豪であり、また五回の離婚歴あります。元妻や子供たち、十名ほどの親族がいて、当然金やらなにやらと揉め事も多くなります。こんな状況下にあって父親は高価な競走馬を買い付けたり、いきなり寄付をしたりと金を派手に使います。 彼ら一族は父親の信頼厚いイアンに「父の浪費をやめさせてくれ」と懇願するくせに、同時にイアンが父親の信頼を利用して財産を独り占めしようとしていると信じています。 当人たちは必死ですが、こちらからすればいささかバカらしくも思える家族間の会話はなかなか楽しいですし、楽しいだけではなく謎解きにも関係してくるのです。 本作では複数の視点で一族の心理分析のようなことも行われます。心理分析とはいっても仰々しいものではありません。 最後に主人公が提示した消去法推理は賛否ありそうですが、個人的には納得がいきました。 今回のフランシスは当たりですね。設定とそれを活かす筆力、父親のキャラ、さらにミステリとしてもなかなか楽しめました。 ただ、最後のひねりは、必要だったろうけど、あまり好きではありませんでした。 有能なんだかマヌケなんだかよくわからない父親はキャラが立っています。今回ばかりは主人公の影が薄い。ですが、私はイアンの方が好きですね。『写像』………あれ? 『反射』だったかな? のフィリップ・ノアを思い出します。 ※『写像』は一般的には『反射』という邦題の方が有名かもしれません。 詳しくは空さんの『反射』の御書評を参照してくださいませ。 フランシスは大雑把に『利腕』までを前期、『反射』以降を後期と考えております。切れ味の前期、円熟味のある後期といったところでしょうか。 後期は未読が多いのですが、少ない既読の中では『名門』『標的』『決着』あたりがお気に入りです。今回の『黄金』は『名門』『決着』よりは上ですが、『標的』と比べるとどうかなといったところ。本作を読んで私の中で第何次だかのフランシスブームが再燃しまして、ここしばらくフランシスの書評ばかりになってしまいました。 冒頭の謎 正解は『Dick Francis(ディック・フランシス)』でした。 以下 雪さんへ 『再起』についてはちょっと採点が辛すぎたかなと少し反省しておりました。私の酷評を薄めて下さってありがとうございます。雪さんの御推察はおおむね当たっているようです(と、悔しいので他人事のように言ってみました)。 『大穴』はいつか再読してみて下さい。自分があれを好きな理由はキャラと会話かな。少なくともミステリ的な部分ではありませんね。 後期フランシスの未読を今後もボチボチ読んでいこうかと思っております。あとマクベインの後期も。 では、失礼致します。 |
No.257 | 6点 | 障害 ディック・フランシス |
(2019/03/18 23:32登録) ~ローランド・ブリトン三十四歳。独身。職業は公認会計士。趣味アマチュア騎手としてレースに出場すること。このたび初めて優勝を経験し、その一時間後に初めての誘拐(受身形)を経験する。 ローランドは暗闇の中で目を覚ます。ここから物語ははじまる。~ 1977年イギリス作品。あまり話題にならない作品で地味な印象ありますが、それなりに新しい試みはあるし、まあまあよくできているのではないかと思っています。キャラはそれぞれ無駄なく配置されております。好き嫌いはともかくとして、かなりインパクトのあるシーンも用意されております(メインのプロットに直接の影響はないシーンですが)。 初っ端から主人公が誘拐されるのは『骨折』と同様ですが、本作では監禁や船酔いによって主人公が肉体的、精神的に追い込まれていくさまがよく描かれております。 前回書評した『追込』には印象的な中年女性が登場しましたが、本作にもいい感じの校長先生が登場します。少々身勝手で、あまり賢くもありませんが、ローランドを一途に信じて騎乗を依頼する馬主の女性も個人的にはお気に入りです。 誘拐が繰り返されるのでやや単調になり、そこはよろしくありません。黒幕の動機が後出しっぽいところや敵がちょっと甘いところ(これは多くのフランシス作品に見られます)、造船業を営む都合の良い友人の存在などなど疑問符もつきますが、意外と細かいところにまで目端が利いており、不自然に感じたいくつかの部分が後からなるほどと納得させられたりもして、個人的にはなかなか楽しめる作品です。 最終的にローランドが追い込まれる状況は公認会計士という職業が活かされての恐怖。そこに別種の恐怖も付加されます。目を見張るようなものではありませんが、着実に積み上げられた恐怖であり、彼が下さなくてはいけなかった決断はけっこうきついものです。ただ、この主人公は精神的にかなりタフですね。 原題『Risk』邦題『障害』となっておりますが、 『暴走』『転倒』『追込』『障害』とここらあたりは作品の特徴がまったく邦題に表れておりません。さらにはどの作品にも当てはまってしまうような熟語なのでさらに始末が悪いのです。 フランシスの主人公は「常識が負けて」みんないつも『暴走』しがちだし、途中で悪人にやられて『転倒』もするし、悪人を執拗に『追込』むし、いつだって彼らの行く手には『障害』が待ち受けています。こうしたタイトルは作品についてなにも言っていないに等しく思えてしまいます。その作品独自の要素を抽出してくれないと、どれがどれだかよくわからなくなり、読者が――かつての私のように――同じ本を二冊買ってしまったりするわけです。 最後に文庫の表紙について。 本作や『査問』『混戦』などなど。旧版では久保田政子さんという方が一部の表紙絵を描いております。これらの表紙絵がとても好きです。作品をきちんと読んだうえで表紙を描いていらっしゃるような気がします。 気になって調べてみましたら、馬の絵を専門に描いていらっしゃる方のようで『追込』の主人公と同じですね。この表紙絵をもっと続けて欲しかった。 |
No.256 | 5点 | 追込 ディック・フランシス |
(2019/03/14 22:56登録) ~二十代の画家チャールズ・トッドは従兄ドナルドの元を訪ねた。パトカーに非常線に野次馬と従兄宅はなにやら物々しい雰囲気である。従兄の留守中に強盗が押し入り、従兄の妻が殺害されたのだ。この日から従兄は悲しみのあまり日に日に衰弱していった。さらに警察からは疑いの目で見られていた。 そんな悲しみのさなかトッドはとある未亡人と競馬場で知り合う。彼女は放火で家を失ったのだという。強殺と放火、無関係のように思える二つの災厄であったが、トッドは従兄の事件とこの放火事件に奇妙な結びつきがあることに気づく。謎を解く鍵はオーストラリアだ。トッドは現地に住む親友を頼りに渡豪する。~ 1976年イギリス。主人公の画家は馬の絵を描くのが得意であり、謎の中心に馬の絡んだ小道具が登場するものの競馬色は薄い作品です。 今回の犯罪はけっこう奇抜なんですが、こんな面倒臭いことをするかいなという意味でリアリティはあまりなく、この企みにトッドが気付いたのはお年玉年賀はがき二等当選レベルの幸運でしょう。 黒幕隠蔽のため読者の着目点をずらす手口は悪くないと思いましたが、黒幕の正体はフランシス「あるある」でした。 序盤に登場した家を焼かれたおばちゃんはなかなか魅力的で、オーストラリアにいるトッドの親友の妻が必ずしも協力的ではないところなんかは工夫されています。 締め切りに追われて慌てて書いたのかなあなんてことまで思わせる作品で、けっこう雑な部分があります。退屈はしないけど、どうにも落ち着きがありません。じっくり読ませるシーンが少ないのです。フランシスは動と静どちらも楽しみたい作家です。 作品の全体的な狙いとしては前作『重賞』に通ずるものを感じます。ただし『重賞』ほどにエンタメとして徹底していません。『重賞』に見られる良い意味での軽さや楽しさに欠け、落ち着きのない展開ばかりが目立っています。 『重賞』の良さに本来の自分の持ち味を加味しようとして中途半端なものが出来上がってしまったような印象です。 作家としての基本能力が高いのでどの作品もそこそこ面白く読ませてしまうのですが、やや座りが悪く、迷走という言葉を使うとすれば、自分はこの作品かなと。 空さんがフランシス作品の邦題についていくつかの書評で言及されていらっしゃいますが、この作品の邦題『追込』もなんか変です。トッドが悪人を追い込んでいる風ではなく、むしろ逃げ回っておびき出すといった感じです。原題は『In the Frame』です。こちらは理解できます。自分が日本語タイトルを付けるとしたら『構図』でしょうか。 フランシスは『利腕』までの10年ほどは迷走していたという説がまことしやかに流布しておりますが、この説には懐疑的です。 フランシスはシリーズ内で同一人物を主人公とせず、職業を変えて基本人格のみを継承していくという手法を取っております。新作を書くたびに試行錯誤を繰り返すことを最初から自らに課しているように思えるのです。常に試行錯誤するのがこの人の平常運転なのではないかなと思うのです。俗にいう迷走していた時期に異色作にして数々の美点と大きな瑕疵を併せ持つ『骨折』(個人的にはベスト5入り作品)や、とても楽しい『重賞』(個人的には違和感もある作品ですが)などが生まれています。 |
No.255 | 6点 | 血統 ディック・フランシス |
(2019/03/03 09:18登録) ~日曜の朝、英国諜報部員ジーン・ホーキンスの三週間の休暇がはじまる。ジーンの頭には死への誘惑が渦巻いている。休暇は安らぎどころか、もっとも忍耐を要す期間になりそうだ。ところが、目覚めて30分もしないうちに上司から舟遊びに誘われる。平和だがいささか気詰まりな時間、そこで事故が起こる。川に転落しそうになっていた若い男女を救おうとしたジーンさま御一行だが、ジーンの上司の友人が救助活動の際に頭を強打して失神、川に転落してしまう。間一髪でジーンは彼を救出したのだが、ジーンはそれが事故を装った殺人だと確信していた。~ 1967年イギリス作品。 しつこいですが、今回は池上冬樹氏の採点で最高得点(☆が5個)だった二作のうちの一作を取り上げます(もう一作は『興奮』)。 ネットでさらっと本作の評判を洗ってみたところ、傑作と評す方は池上氏だけではないようです。本作の面白さは理解できるのですが、私自身はそこまで高くは買っておりません。 自殺願望(希死念慮というべきか)のある英国諜報部員という設定。この自殺願望が物語とうまく絡み合っていないように思えます。 ダウナーな主人公が上司の後押しで復活していく構図は『大穴』の変奏ともいえそうです。ただ、作者は元騎手だけに肉体の欠損に怯える姿は真に迫ったものでしたが、希死念慮なんてものは無縁な人生だったのでは。そこをきちんと取材で補うのがフランシスですが、本作は取材不足だったのではないかと勘繰ってしまいます。 主人公の人物像はいいんです。ただ、設定が足を引っ張っている印象。 この手の失敗はフランシスには珍しいと思います。 脇役は相変わらずうまいですね。序盤で殺害されかけた男の妻などはいい感じです。 筋運びも悪くないし、フランシスらしい良さも随所に折り込まれております。面白く読める作品です。が、個人的にはフランシスの標準作という評価に落ち着きます。 |
No.254 | 5点 | 転倒 ディック・フランシス |
(2019/02/25 23:38登録) サラブレッドの仲介を生業とするジョウナ・ディアラムはアル中の兄と二人暮らし。曲がったことが嫌いな性分で、違法ではないが職業倫理に反すると思える申し出を断ったばかりに競り落としたばかりの馬を手放すよう強要されたり、自分の厩舎から高価な馬を脱走させられたりと酷い目に遭わされる。 1974年イギリス作品 池上冬樹氏の採点で単独最下位(☆が2個半)だった『暴走』に次いで不出来(☆3個)とされた二作品のうちの一つです。ちなみに同じく☆3個の『試走』は未読です。 本作が(フランシス作品としては)不出来とされているのは、単純にメインの事件がしょぼいからだと思います。いじめられ、やり返すという単純なプロットではありますが、カタルシスを得やすい作りではあると思います。さらに当面の敵はやり口が手ぬるいうえに頭が悪いし、黒幕の正体もフランシスの「あるある」の一つのように思えます。 ただ、骨格部分はいまいち弱くとも肉付けがいい。冒頭の競売シーンから読ませます。競売の裏事情などなかなか興味深い背景が語られます。やはり馬周辺を描いているときは描写が輝きます。 ジョウナの厩舎から脱走した馬が原因で事故を起こしてしまったソウフィとの恋、アル中の兄貴の御世話などサイドストーリーも楽しめます。個人的にはソウフィのおばや嫌われ者の坊ちゃんアマチュア騎手なんかをもっと物語に絡めて欲しかったなと思います。 ラストがモヤモヤするところは前作の『暴走』にも通ずるものあります。こちらもいまいちうまく決まっていないように感じます。 メインプロットはまあまあまとまっているが、サブプロットが皆無に近い『暴走』とメインはしょぼいがサブがなかなか面白い『転倒』比較が難しい二作です。採点は同じく5点としますが、面白さでは『転倒』が上でしょうか。 フランシス作品はメインのプロットが格段に優れているものはあまり多くないのですが、高確率でサブのプロットが非常にうまく仕込まれています。サブプロットの良さこそが、フランシスの最大の強みなのかもしれません。 |
No.253 | 5点 | 暴走 ディック・フランシス |
(2019/02/24 22:45登録) ノルウェーから招待されて騎乗したイギリスの騎手がレースの売上金を強奪して行方をくらました疑いがある。英国ジョッキークラブは調査のためにデイヴィッド・クリーブランドをノルウェーに派遣した。 ところが、デイヴィッドがノルウェー人の旧友と船上にて密会していたところ、その船が大きな船と衝突して沈没。デイヴィッドは冷たい海に投げ出されてしまう。 デイヴ舟に乗ってまさに行かんと欲すのはずが、デイブ舟に乗ってすぐに逝かんと欲すとなりかねない深刻な事態にあいなったのだ。 1973年イギリス作品 フランシス後年の作『名門』のあとがきには池上冬樹氏によるフランシス作品の採点表が付いておりました。『本命』(1962年)から『連闘』(1986年)までの26作のうち、本作『暴走』は☆が2個半で単独最下位でした(ちなみに☆5個は『興奮』と『血統』の二作、☆3個は『転倒』と『試走』の二作)。 これを見て、自分は俄然『暴走』に興味を持ちました。初読時の感想は「これがワーストなら、競馬シリーズは『連闘』までの26作、どれを読んでも大丈夫だな(読んでも時間の無駄にはならない)」でありました。 いろいろ思うところはありますが、今回の書評ではなぜ『暴走』は半馬身差をつけられての単独最下位となってしまったのかについて所感を述べたいと思います。 導入は旧友アルネと船上で密会、その数頁後にはデイヴィッドは海に落ちています。序盤はハードボイルド、ミステリ色の強い展開となります。そして、100頁も読まないうちに事件の構図に変化が現れ、この序盤から中盤にかけての流れは悪くないと思います。むしろいいくらい。ミステリとしてもスリラーとしても面白くなりそうな予感ありました。ところが、中盤以降は序盤のテンションを維持できずに失速してしまった感があります。けして悪くはありませんが、まあ平凡といえば平凡。 ただ、これだけでは最下位の栄冠を勝ち取るほどのものではないように思います。 本作がどこか物足りないと感じさせる原因はサブプロット(主人公の個人的な物語)の不在ではないかと思います。 競馬シリーズの多くは、基本となる事件だけではなく、主人公の個人的な物語にも筆が費やされてメインの事件に絡んでいくことが多いのですが、本作はそのような結構になっておりません。よくいえばストイックに謎解きとアクションで勝負しております。男女のドラマ、友情のドラマ、父子のドラマとサイドでなにか起こりそうな芽はあるも、花が咲くところまではいきませんでした。 もう一つの問題は人物。まず主人公。有能ですが常識的な人物であまり面白味はありません。さらに苦悩や葛藤多きシッド・ハレーと同じ職業なのでやはり比較してしまいます。すると人物造型の物足りなさが浮き彫りになってしまいます。調査員だと職業ネタも絡めづらい。そのうえ本作は競馬ネタまで不足気味。 脇にいい味を出しそうな人物が何人かいたのですが、みんな中途半端な印象で終わってしまいました。本作はラストがちょっと尻切れトンボな気がするのですが、あの人物をもっと描きこんでいれば、同じラストでも印象がまるで変っていたのではないでしょうか。 結論は「最下位にされるのはわからなくもないが、その不名誉を他と分かち合うことなく単独だった理由まではよくわからない」というものであります。かなり厳しいことを書きましたが、つまらない作品ではありません。実際、今回の採点に当たって軽く流し読もうとしたら、結局きちんと読んでしまったくらいなのです。 ※以前、私は『再起』に4点をつけましたが、あれは意識的に厳しく採点したからで、普通に採点するなら5点以上をつけてもまったく問題のない作品だと思います。7点以上はつけませんが。 ※作中に、リレハンメル(原文リリハンメル)という街を知っているか?、みたいなセリフありましたが、冬季オリンピックのお陰で今は誰でも名前くらいは知る町になりました。 |
No.252 | 6点 | 人形が死んだ夜 土屋隆夫 |
(2019/02/17 11:54登録) 画家になることを夢見ていた甥っ子の俊が旅先で絵を描いている最中に轢き逃げされて死亡する。母と共に両親のいない俊を養い、とても愛情深く接していた咲川紗江は悲しみのどん底に突き落とされるも、ふと奇妙なことに気付く。事故の際、現場にいた男が俊を救護してくれたのだが、この男の証言には明らかに不審な点があったのだ。 作者最後の長編小説。この時なんと九十歳。 作者はあと書きで冗談交じりに老化現象により一度は完成を諦めたが、老華現象によって完成したと述懐していた。まさにそんな感じの作品。 欠点もあり、ミステリとしてもう少しうまくやれたのではと感じさせないこともない。採点は6点とさせてもらうが、とても凄味のある作品だったということは強調したい。 (作者言うところの)老化現象と思しきものども 物語の構造はゆらゆらと定かではないが、推理の構造は一本調子で、ミステリとしてもう少し工夫が欲しい。 繰り返しが多すぎる。同じ出来事が二人、三人の視点で同じように語られていたり、事故現場の描写が二度、三度あったり、地の文で説明していることを会話で改めて説明し直したりと読んでいて疲れる。最終章でも繰り返しがあったが、あれはかなり興を削ぐ。一部省略してスピーディーに読ませて欲しかった。 視点の移動には寛大な方だが、明らかに違和感ある視点移動があって、あれらはいわゆる「視点の乱れ」だと思った。 重要人物と思しき二名がまったく登場しないで終わる点。 おまけで凡ミスも散見される。 ~「津村、この男を縁台の上に寝かせてくれ」 二人がかりで、男の体を持ち上げ~ ↑「津村、この男を縁台の上に寝かせよう」が自然では? ~「冷麦。氷を入れてきてね」と頼んだ。食欲が、いつのまにか無くなっていた。とにかく冷えて水っぽいものを、咽の中へ流しこめばいいのだ。 刑事は、ひとまず咽の渇きが治まり、お代わりをした冷麦で、すっかり満腹感を味わったところで店を出た。~ ↑これはギャグ? 老華現象と思しきもの 舞台である長野県が眼前に浮かび、よく書けているなあと思ったら、作者は長野県出身だった。 単調なようで実は非常に入り組んだ構造の作品であり、登場人物が小説世界の中でさまざまに立ち位置を変えていく。読者もまた、どこに視点を置いて読めばいいのかわからなくなっていく。不思議な読み心地。悪酔いしそうな読み心地。 探偵が蛍のように明滅して、やがては誰にも見えなくなる。 作品タイトルに象徴される罠とそれを利用した巧みな犯罪計画。ただ、表紙に描かれた着物姿の女の子は意味不明だった。 あけっぴろげ型の密室。写真の謎も面白い。 壮絶と静謐が同居しているかのようなラストは、なんともいえない余韻を残す。こういうのって前例はあるのでしょうか。 ミステリであることは確かだが、私には分類できない。 新しいミステリを作り上げたとまでは言えないものの、ミステリの新たな可能性を垣間見させてくれる作品。傑作になる可能性を秘めていた作品だったとつくづく感じる。 |
No.251 | 6点 | もう過去はいらない ダニエル・フリードマン |
(2019/02/15 20:55登録) ~伝説の元刑事バック・シャッツ(88歳)は(前作の)ナチス将校の金塊騒動で大怪我をして歩行器を使用するはめになり、現在は介護付き老人ホーム?に入居している。そこにバックと因縁浅からぬ伝説の銀行強盗イライジャ(70代後半)が訪ねてくる。用件は身の安全を守って欲しい、そして、自分が誰かに殺られた時は復讐して欲しいとの依頼じゃった。 2014年アメリカ作品。伝説の元刑事バック・シャッツシリーズの二作目。前作は面白かったが散漫なところも目立ち、どうにか及第点のプロットを高齢者探偵という奇抜な設定やキャラの強さ、会話などで引っ張っていく風だった。続編は読んでもいいし読まなくてもいいかなと思っていた。次作はバックのくそじじいキャラをさらに強調してコミカルな路線にいくのかなと予想していたが、まったく違っていた。民族、宗教、正義といったものがバックとイライジャを通じて重くのしかかってくる。 バックのくそじじいぶりは変わらないが、悪乗りすることはなく、シリアスなテーマが用意され、イライジャが何者かに命を狙われている現在の事件と1965年にバックとイライジャが対峙した過去の強盗事件が交互に描かれていく。ここにさらに『忘れたくないこと』と題されたバックの戯言が挿入されるのだが、これがなかなか味わいがあってよかった。 上記二つの事件に直接的な関係はないが、本作を読み解く上では関わりがあるともいえる。 中年時代と老年時代のバックが肉体的にはともかく精神的にはほとんど変化なく描かれている。おそらくはこの変化のなさがバックのキャラなのだろう。バックに嫌悪感をもつ読者も一定以上いると思う。正直なところ私も眉を顰めた部分があった。ただ、正義についての彼なりの偏った信念がこの作品を紛れないハードボイルドにしている。 テーマの絡めかた、構成は前作よりもよくなっているし、おまけ(『忘れたくないこと』)もなかなか効いている。敵役も印象的で、作品の完成度は着実に上がっている。採点は前作は5~6点、本作は6~7点といったところ。いろいろ勘案し6点とします。 本作では謎を一部残したままになっている。前作で印象的だったバックの孫テキーラが今作では控えめであったが、おそらく次作は家族が話の中心になるのではないかと。孫の出番も増えることだろう。 |
No.250 | 7点 | 殺意の構図 探偵の依頼人 深木章子 |
(2019/01/14 22:10登録) ~峰岸諒一は義父宅に火を放ち、義父を殺害した容疑で拘留されている。一貫して無罪を主張するも、その証言にはいまいち信憑性がない。弁護を引き受けた衣田征夫は困り果てていたのだが、とある事件が勃発したことにより、峰岸は曖昧な態度から一転して決定的な証言を行うのだった。 法律知識を活かした企み、絡み合う人間関係、二転三転して読者を振り回す展開と夢中になって読める。タイトルの通り、殺意の芽生え、事件全体の構図を読み解くことが主眼となっている。 人物の描き方はやはり類型的で、なおかつ作者は作中人物をかなり突き離して見ているように感じる。 個々の事件、トリックなどにけっこう無理があるもそこを読ませる作品ではない。ただ、さすがにエレベーターの件はちょっとどうなのかと思った。 物語の構図を崩す懼れのある瑕疵としては、借金の話。あれがあそこまで泥沼になってしまうものなのか、ちと疑問。ここが崩れると作者の狙いが根底から崩れるのでこれはまずいと思った。 一作目、二作目と同様に本作も面白い。リーダビリティ高く、意外性もあって、ミステリとしてはけっして悪くない。 だが、小説としてなにか一味足りないように思えてならない。そのせいでラストのあの展開もいまいち胸に響いてこないような気がする。 構図はもちろん重要だが、個々の部品、場面を読ませることも大切だと思う。 まだ榊原シリーズしか読んでいないので、それ以外の作品(本サイトで好評の猫には推理が~あたりかな)を読んでからこの点についてもう一度考えてみたい。 |