tider-tigerさんの登録情報 | |
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平均点:6.71点 | 書評数:369件 |
No.349 | 6点 | 地獄島の要塞 ジャック・ヒギンズ |
(2023/02/19 01:28登録) ~ジャック・サヴェージはエジプトでサルベージの仕事を請け負い、かなりの成功を収めていたが、部下の一人がイスラエルのスパイであることが発覚、着のみ着のままエジプトからエーゲ海へと逃げ出す事態に陥った。そんな彼にギリシアの反体制派勢力からちょっぴり危険なオファーが舞い込んだ。連中はサヴェージの軍歴に目をつけたのであった。 1970年イギリス。ヒギンズの本邦初登場の作品。1967~1968年頃、第三次中東戦争のすぐ後という時代設定の元で潜水夫が活躍する話。本作あたりからヒギンズは頭角を表しはじめたとされているらしい。確かに60年代の諸作よりもレベルアップした感があって充分に面白いのだが、秀作というにはもう一歩というところ。 裏表紙のあらすじでは鉄壁強固な要塞への潜入がストーリーの主軸であるかのように書かれているが、ぜんぜんそんなことはなくて、むしろ要塞潜入はそれほど印象的なパートではなかった。良いところは他にある。 前半は面白く読めるが一貫性に欠けるきらいがあって、物語の波に滑らかに乗ることができない。コース料理ではなくて、あちこちつまむバイキング形式な作品。もちろんバイキングにはバイキングの良さがある。 キャラについては人物像はまあまあ描けてはいても、彼らを使い切れていない。 また、ヒロインが19歳というのはちょっと無理があるように感じた。アイルランド人がからむとヒギンズの筆は過剰に走りがちだが、本作では主人公のアイルランド人属性が物語にほどよく溶け込んでいた。 「地獄島は味覚糖よりも甘い」は言い過ぎにしても、どうにも『地獄島の要塞』なるタイトルには違和感ありありである。 原題は『Night Judgement at Sinos』このくらいがちょうど良い。 以下の言葉がタイトルに使われている―特に翻訳もの―場合は注意が必要だと思っている。原題を必ず確認する習慣をつけたい。 『悪夢』『恐怖』『悪魔』『地獄』他、まだまだあるぞ。 |
No.348 | 6点 | 死体をどうぞ シャルル・エクスブライヤ |
(2023/02/13 23:19登録) ~第二次大戦のさなか。貧乏な寒村ストラモレットではファシスト派と反ファシスト派が半ば馴れ合いつつも、ゆるーく反目していた。そんな微妙な空気のなか、ファシスト派の金持ちルチアーノが殺害された。だが、村人はルチアーノの遺体をあちこちに移動させて事件の隠蔽を図り、町からやって来た警部は捜査どころか遺体を目にすることすらできず途方に暮れるのであった。 1961年フランス。ユーモアミステリにして「犯人なんか誰でもいい」を通り越して「事件が解決しようがしまいがどうでもいい」の境地に達してしまった作品です。広義のミステリとしてもちょっとどうなんだろうかといったところ。 およそあり得ないような状況を描きながら、絶妙なバランスでリアリティを保っています。構成もよく考えられています。さらにいままで読んだエクスブライヤ作品のすべてに共通した美点があります。必要なキャラを的確に配置しつつ、それぞれをとても上手に機能させていることです。シムノンとはまた違ったキャラづくりのうまさがあります。 村人が一堂に会して『フリクニ フリクラ』を演奏しようとしている導入部。この導入部からして傑作を予感させます。 赤い服を着た老人が演奏に参加しているのですが、こんな一文があります。 ~彼の役目は、楽士たちが暗記できなかった楽譜を、みんなに見せてやることにあった。~ このシンプルな一文だけで、この村のありよう、この老人の人柄が察せられようというものです。 本作の原題はイタリア語で『Avanti La Musica』イタリア語はわかりませんが、少なくとも死体がどうこうという意味ではなさそうです。原題の『Musica』は作中ではなにかを仄めかすように存在しています。本作は導入と終幕が対になっていて、そこにも『Musica』はあるのです。ぜひ邦題に『Musica』を取り入れて欲しかったなと思います。 この作品にはエクスブライヤのプロフェッショナルな緻密さ、普遍的なテーマ、さらには優しく寛容な愛があります。ラストもいいんです。 ミステリとしてあまりにも弱いので6点としますが、大好きな作品です。 シャルル・エクスブライヤという人はシムノン同様にかなり多作らしいのですが、日本では絶版以前にほとんど訳されておりません。 未訳の良作がかなりあるのではないかと期待しているのですが。 |
No.347 | 6点 | 肩をすくめるアトラス アイン・ランド |
(2023/01/10 01:16登録) ~資材の供給が不安定な中でタッガート大陸横断鉄道が新たな路線を敷き、老朽化した路線の補修を試みることは困難だった。だが、副社長のダグニー・タッガードは反対意見を押し切ってハンク・リアーデン開発の新しいメタルを採用、経営は軌道に乗りはじめた。ところが、弱者救済の名の元に企業に対する規制がだんだんと強まり、政治的な駆け引きに長けた者ばかりがのさばりはじめる。国内は混乱し、優れた経営者が一人、また一人と行方をくらましていくのだった。 1957年アメリカ。舞台はアメリカのようでアメリカではない架空の国家。思想小説とされることが多いが、エンタメとして分類するならばディストピア小説。登場人物の大半が支配層、知識層、経営層に属しており、お城の上で大騒ぎしているばかりの小説ともいえる。 さほど捻りはないが、話の骨格自体はけっこう面白い。特に前半はエンタメとしてもかなり愉しめる(後半は長大なお説教と不要な恋愛話のせいで大減点)。キャラはそこそこ立っているが、深みはまったくない。 この手の作品では珍しく描写が映像的(後半はそうでもない)。ただ、語順が不適切で意味の取りづらい文章が散見される。 各業界にきちんと取材をして書かれたそうだが、現場の息遣いが感じられなかったのは残念。 お金の意味について真剣に論じている部分はなかなか興味深かった。 万華鏡小説。狭い覗き穴の中に極彩無限の世界が広がる。だが、その世界は実際にはいくつかの小さな部品だけで構成され、大雑把な見方をすれば、同じ風景の繰り返しともいえる。 電話帳サイズの本だが、文庫化されて三分冊となった。文庫版も2000頁くらいはあると思う。 作者はソビエト連邦出身で母国で散々苦渋をなめてきたそうな。知性、理性、個人の自由、資本主義、能力主義などを肯定する内容だが、はじまりは否定、すなわち根底には反共思想が横たわっている。 作品内の架空政府がやっている「自国の企業を規制で縛って国全体を衰退させていく」くそバカな手法は西暦1949年に建国されて以来4000年もの歴史を誇るとある偉大な国が現在やっていることに似ている。目的が権力の維持という点も同じである。 ダグニーと仲間たちは敵である支配層の連中に痛めつけられはするが、心底から彼らをバカにしている。実際かなり低能な連中であり、敵が手ごわくないので緊張感もあまりない。エンタメとしては大減点だが、正しい思想をもって敵の誤った思想を糾弾する小説であり、精神性において主人公たちが常に上位にいるのは作者にとっては必然だったのかもしれない。 とにかく本作は視野が狭く、それゆえに極論へと走る。 本当にアメリカのエリート層の多くが本書を愛読しているのか? けっこう厨二病的な要素がある。 『ニジンスキーの手記』を読んでいた時と似た苛立ちを感じた。 『高い城の男』と似た感触もあった。 『カモメのジョナサン』が嫌いだという方は、たぶん本作も嫌いだと思う。 アイン・ランドはアメリカと日本で知名度に圧倒的な差がある。日本人の感性には馴染みにくい作風だと思う。日本のアカデミズムが毛嫌いするような作品だとも思う。 毀誉褒貶が著しい作品である。 アイン。ランドは『保守の女神』だとは思わない。『自由主義者』でもない。 『悪貨は良貨を駆逐する』的なことを言っているが、この主張は本質的には正しいと思う。さらに悪貨の定義に関してはかなり鋭い。ただ、良貨の定義はかなり怪しく、また、あまりにも教条的で人間と非人間を自身の価値観で切り分ける恐さがある。全体主義から逃れてきたはずのアイン・ランドが別種の全体主義を構築するようなことになりかねないと感じる。 正しいことを言っている。インパクトもある。それだけに有害図書足り得る。 個人的には7点の作品だが、長さとお説教のせいで他人さまにはお薦めしづらいので6点とする。 個人的な感想を最後に。 エディ・ウィラーズのような男を見捨てなくてはならないのだったら、自分は天国への切符は謹んでお返しする。 |
No.346 | 5点 | サン・フィアクル殺人事件 ジョルジュ・シムノン |
(2022/12/04 18:33登録) ~『死人祭の最初のミサのあいだに、サン・フィアクルの教会で犯罪が起こる旨をお知らせいたします』 こんな具合に犯罪を予告する手紙がメグレの元に届く。 メグレの記憶が確かなら、サン・フィアクルというのは彼の生まれ故郷であった。~ 1932年フランス。邦題は『役立たずのメグレ』でもよかったかもしれません。みなさんご指摘のとおりメグレはおたおたするばかりでほぼ何もしておりません。全体的な構図としては『メグレ激怒する』を思わせるところありますが、あっちはいろいろメグレなりに頑張っておりました。本作のメグレは茫然自失状態であります。 最後の晩餐のシーンは自分も好きで、強引に帳尻合わせはできているのかなとも思いますが、失敗作だというご意見も頷けます。瀬名さんも『ダメだこりゃ』的なことをれいの連載で書かれておりました。 本作はメグレ警視シリーズの熱心なファン以外はスルーでよろしいかと。採点は5点とします。 まともな書評はここまでとなります。 以下、かなり独りよがりな読み方となります。 シムノン後期の作『ちびの聖者』と似たところがある作品だと感じます。『ちびの聖者』と本作の間にはほとんど共通点はありません。ただ、両者はともに幼いころから胸に抱き続けているイメージを扱った作品だと思うのです。イメージを昇華させるか、崩壊させるかという大きな違いはありますが。 ある種の人々は幼い頃に胸に焼き付けたイメージ、心象風景とでもいうのでしょう。そうしたものが崩壊、溶解していくことに強い衝撃を受けます。うまく説明できないのですが、子供の頃にしょっちゅう通っていた駄菓子屋が閉店してしまったときの喪失感のようなものでしょうか。 伯父が自分の手を取って、高いところから飛び降りるのを手助けしてくれた、これが伯父のイメージであり、真実のように感じていたとします。そのイメージが崩壊したとき、ある種の人々は強い衝撃を受けるのです。 自分はシムノンはそういう人ではないかと感じています。 ただし、メグレ警視はそういう人ではないようにも思えます。 本作はメグレが生まれ故郷の宿屋で目を覚ます場面から始まります。この目覚めは過去のイメージからの目覚めのように思います。ここから現実へ、真実へと目を向けさせられるのです。 メグレが実際に見ているものと過去に見たものとの対比が頻繁に描写されます。メグレにとっての真実、イメージが次々と崩壊していくのです。茫然自失のメグレ。 サン・フィアクルの殺人事件はメグレにとって人生の転換点となった事件なのかもしれません。 |
No.345 | 5点 | 命ある限り エド・マクベイン |
(2022/11/13 17:44登録) ~女性に関してはいろいろとあったバート・クリング刑事だったが、このほどようやくファッションモデルをしているオーガスタス・パブロ(オーガスタ・ブレアだったか?)と御成婚。ようやく幸せな家庭を築くことができるのかと思いきや、結婚式の直後にこの花嫁が忽然と姿を消してしまった。 1967年アメリカ。さほど深掘りはせずコンパクトにまとめたサイコサスペンスといったところです。87分署的にはいくつかあるバート・クリング不幸話の一つとでもいいましょうか。本作を読む前にせめて『クレアが死んでいる』だけでも読んでおきたいところです。それにしても作者はどこまでバート・クリングをいたぶれば気が済むのか。 レギュラーメンバーのキャレラ刑事、ウィリス刑事らだけではなく、有能で不快な一級刑事ウィークスも加わって少ない手がかりを頼りに犯人の正体に迫っていきます。が、肝腎のクリング刑事は蚊帳の外に置かれてしまっています。被害者とあまりにも近い人物なので捜査に参加させないのは理解できます。ただ、小説としてはもう少し彼の心理状態なり行動なりを描いてもよかったのではないかと思います。 あいかわらず本筋にからまない無駄な聞き込みなどが多いのですが、箱のエピソードは笑えました。 大袈裟なことはしなくとも底知れぬ不気味さを醸す犯人の描き方はうまいと思いますが、87分署の他の作品でも見かけたことのある犯人像のような気がします。 まあまあの作品。どちらかといえば悪い意味で。小器用にまとめてはおりますが、水準よりも下の作品でしょう。後述しますが、読んだことすらすっかり忘れておりました。 デブのウィークス刑事を採用したのは正解だったと思います。彼の存在がこの作品をずいぶん救ってくれています。 邦題は当初の徳間書店版では『命ある限り』でしたが、早川書房版では『命果てるまで』に変わっております。 このタイトルは結婚式の誓いの言葉(二人は命ある限り末永くウンヌンというやつ)から採られているようなので、最初の徳間書店版が正解のような気がします。結婚式の誓いの言葉で『命果てるまで~』はちょっとどうかと。 自分が所有しているのは命果てる早川版です。 昨夜、実家に行ったら両親がTVドラマを観ておりました。『初夜に消えた花嫁』という『刑事コロンボ』作品でした。未視聴だったので観てみようかと画面に向かいました。 ドラマは終わり「あら、エド・マクベインなのね」 スタッフロールを観ながら母が言いました。母がエド・マクベインを知っていたことに驚きましたが、それはさておき、スタッフロールには確かに『原作エド・マクベイン』とあります。 ここでようやく、そういや87分署にクリングの嫁さんが結婚式のあとに誘拐される話があったなと思い出した次第です。 刑事コロンボ版は無駄な聞き込みとウィークス刑事が除かれていたくらいで原作にかなり忠実でしたが、あまりコロンボらしくない作品でありました。 |
No.344 | 7点 | 白昼堂々 結城昌治 |
(2022/11/03 23:26登録) 高木彬光に『白昼の死角』あれば結城昌治には『白昼堂々』あり。どちらの作品も死角を突いて堂々と犯罪が実行されていくが、読み味は随分と異なる。 愉しいエンタメ作品という基準なら結城作品の中でも上位にくる。 炭坑が閉鎖されて村人の大半が失業、そんな村で二人のスリ師が集団万引きで生計を立てられるよう村人を指導、監督するというとんでもない話だが、緩い時代背景やキャラの明るさもあって、どうにもこの連中は憎めない。 弱者が生きるために犯罪に手を染めていく話で、けっこう重たいテーマを内包しているようにも思えるのだが、それがコメディタッチに描かれている。 思わず膝を打つような巧妙な犯罪というわけではなく、大きな展開もあまりないが、小さな仕掛を積み重ね、少しずつ泥棒軍団の状況が変化し、小さいながらにもそちこちにヤマもあるので飽きさせない。 週刊誌に掲載されていた連載小説ということもあってか、簡潔な文体でテンポ良く話が進んでいく。昭和三十年代が舞台なのでもちろん古臭さはあるが、文章のスタイルは現代的といってもよいくらいで非常に読みやすい。 現代風に言えばジワる作品で『泥棒村』というネーミングなどあまりにも直球過ぎておかしくなってしまう。 二人の刑事が親分肌のスリ師について「俺はあの男が好きだった」「俺だって好きでしたよ」みたいなことを言い合うシーンが印象的だった。冷静に考えるとこれもなんだかおかしい。 炭坑の不況と泥棒団の発生を結び付けて白昼堂々の世界を作りあげることに懸命だったと作者はあとがきに書いていた。 世界を作るということはいろいろな設定を盛り込んで精緻に作り込んでいくことばかりではない。物語に相応しいリアリティの置き所と適切な文体の選択が基調にあるべきだと思う。もちろん本作は二つともクリアしている。 が、人並さんのオチについての御指摘にはまったく同意。あのラストは物語的には違和感ないのだが、リアリティの置き所という意味では少しズレていて、いささかの気持ち悪さがある。 ただ、あのラストは嫌いじゃない。 |
No.343 | 5点 | 悪党パーカー/裏切りのコイン リチャード・スターク |
(2022/10/10 23:15登録) ~コインの収集家ビリーがコインの展示会場から200万ドル相当のコインを盗み出そうなどと画策していた。レンケは乗り気だったが、パーカーは下りた。レンケは刑務所ボケのせいかかつてのキレがない。言い出しっぺのビリーは素人以前に根っからのボンクラだ。おまけにビリーが惚れているクレアとかいう女の存在がどうにも気に入らない。 1967年アメリカ。悪党パーカーシリーズの9作目にして、出版社を変えて発行されたスコアシリーズ最初の作品(タイトルの末尾にすべてscoreとつく)。 原題『The Rare coin score』からは希少価値の高い1枚のコインを狙う話のように思えるが、大量のコインをガッポガッポとかっぱらおうとする話である。 本作はパーカー自身の大きな転換点となる。 『死神が見ている』の書評でパーカーの変容について触れたが、なるほど、ここからはじまったことなのね。 話自体はなかなか面白い。特に序盤はかなりいい。ただ、中盤でのクレア絡みのエピソードに個人的にはガッカリ。仕事仲間の憎悪を掻き立てるようなことするなよ。こういうところは見方によっては良い部分でもあるわけだが、なんかどうも好きになれない。 終盤ではやはりパーカーだなと思わせる冷徹非情な面を見せる。××を始末する必要性について言及している。だが、これさえも作者が帳尻合わせをしたように感じられてしまった。 同じく終盤で、パーカーらしい規律というか彼なりの仁義を見せる場面はよかった。 リーダビリティは高く、展開も悪くない。ただ、パーカーの内面描写がやや多く、そのことによってパーカーらしさが少し薄まってしまうという困った問題がある。パーカーはなにを考えているのかよくわからないくらいが丁度いい。 エンタメとしてはまあまあよい作品で客観的には6~7点だが、好みの問題で採点は5点。 パーカーを冷徹非情だとは思うが、冷酷非情だとは思っていない。なにが違うのか。辞書的にはほぼ変わらぬ概念ではないのか。 自分が悪党パーカーシリーズを好むのはパーカーには厳格な規律があるから。そして、冷徹と規律とはよく馴染むが、冷酷と規律はあまり馴染まないような気がする。 悪党の世界に厳格な規律を持ち込んだことも悪党パーカーシリーズの大きな功績かも。 悪党パーカーの未読はあと4冊となった(『殺戮の月』よりあとの作品はカウントせず)。どことなく秋の気配が漂ってきたようで少し寂しい気がしている。 |
No.342 | 7点 | 明日に賭ける ウィリアム・P・マッギヴァーン |
(2022/10/07 00:13登録) ~アール・スレイターは刑期を終えてからずっと女のヒモ状態だった。女はそんなRに不満をこぼすこともなかったが、それでもRはいい知れぬ屈辱を覚えていた。そんなある日、Rは強盗団の一員にならないかと誘われる。そして、仲間との顔合わせの場でRは憤激する。 なんでここに×××(黒人の蔑称)がいる? ―近い将来自分がこの×××とトランク一つさえもない浪、逃避行に出ることになろうとは、夢にも思わないRであった―。 1957年アメリカ。マッギヴァーン中期の名作。広義のミステリの範疇ではあるが、その色はかなり薄い。エンタメとしてもプロットだけを取り出すと、こういう話を書けばこんな風になるよねという感想しか浮かばないのだが……。 本作は人物描写、心理描写が生真面目に丁寧に行われている。きっちりと前半、中盤で書くべきことを書き、それによって終盤が非常に読ませるものに仕上がっている。 主人公のRは自分の心のうちにある屈辱を言語化することさえもできない。だが、それでも彼なりに考えようとする。Rは極めて不快な人物であるが、作者はそれだけでは終わらせない。 あの男はイヤな奴だ、あの女は冷酷非情だと単純に切って捨てるわけにはいかない複雑な読後感を残す。平凡なプロットが豊かなドラマに化ける。 人種問題に切り込んだ作品と評されるが、肝腎なことは書かれていない。差別的でなおかつ賢くもない白人と人格者の黒人を対比させる手法はカタルシスを得やすいのかもしれないが、人種問題の解消という視点でみるとむしろ有害ではなかろうか。 本作の良さはいわゆるプアホワイトの自尊心の喪失が真面目に描かれていること。 そして、ここまで愚かで不快な人物を描いてなお、あのラストで……は素晴らしい。 7点か8点か。私情は8点、ミステリ要素の薄さを考慮して採点は7点。 |
No.341 | 7点 | 死にざまを見ろ エド・マクベイン |
(2022/10/02 00:17登録) ~プエルトリカンの青年ペペは老婆を殺害して逃亡している。ペペを追う警官たち、複雑な心情で事態の推移を見守るプエルトリカンたち、たまたまこの街にやって来た部外者たち。そして、パーカー刑事とヘルナンデス刑事はそれぞれの信念に従って事件に対峙していく。 1960年アメリカ。『サディーが死んだとき』と並ぶ87分署シリーズの裏名作。『電話魔』の次に発表された作品だが、当時の読者は少々面食らったのではなかろうか。エンタメとして抜群に面白いとはいえないが、個人的にはとても好きな作品。 プエルトリカンの少年たちはなぜ犯罪に走りがちなのだろうか。彼らの街を舞台にささやかな散文が連なり、いつしか一つの波となっていく群像劇。ドキュメンタリタッチの作品とされているが、それ以上に自分は本作を詩のように感じる。 裏表紙のあらすじと実際の内容は印象がだいぶ異なる。87分署の刑事たちが中心となって筋が展開していくわけではない。どちらかといえば街の不良少年たちが軸となっていて、事件は彼らを映す鏡のような役割である。87分署のメンバーでは二人の刑事が中心的役割を果たすのだが彼らにしても本作の中で起こるさまざまな出来事のうちの一つであるかのように扱われており、ことさら大袈裟な描き方はされていない。 作者がやや語り過ぎの部分もあるとはいえ、本作においてマクベインの筆は非常に冴えている。なんでもない男女の会話でさえもじっくりと滲み入ってくる。 よい小説の多くはさまざまな対比を作品内に織り込んでいるものだが、本作もそう。いくつかの対比の中で不良少年ジプとシクストの対比は本作の要となっている。さらにクーチの役割が非常に大きかったように思う。ストーリー展開において重要というよりは、作者の想いを少し捻った形で代弁する人物であったように感じる。 普通なら多く筆を割くであろうことがあまり書かれていない。書かずして書かれていることが多い作品だと思う。 それからパーカー刑事はもったいない。本シリーズでさほど出場機会に恵まれていないキャラ。彼のような性情麗しいとはいえない御仁の出場は作品にとって良いアクセントになったと思うのだが。 |
No.340 | 7点 | 悪党パーカー/犯罪組織 リチャード・スターク |
(2022/09/25 16:15登録) ~組織がよこしたケチな殺し屋をどうにか捻ってやったが、こんなことの繰り返しはゴメンだ。組織が二度と手を出してこないようにする必要がある。パーカーは組織に攻撃をかける決断をした。 1963年アメリカ。悪党パーカーシリーズの3作目にして初期の秀作。原題は『The Outfit』本作に登場する組織(Outfit)とやらは言うまでもなくマフィアだろう。全米各地にチェーン店のある巨大組織を敵に回してのパーカーのプランが小気味よく成功していくさまは非常に痛快。エンタメとしては第一作目の『人狩り』よりもこちらの方が面白いと思う。 いつもながらのスピーディーな筋運びに緊張感ある会話もいい。整形後のパーカーに戸惑う旧知の悪党たちの戸惑いぶりも面白い。 本作はパーカー不在の第三部の出来が特にいい。小粒ながらもさまざまなアイデアが惜しみなく注ぎ込まれている。スタークもノリノリだったんだろうなあ。本作の完成度の高さはこの第三部の出来が証明している。 また敵方の間で交わされる犯罪組織の在り方に関する議論がなかなか興味深い。現在の日本の防衛論にも応用できそうな話だ。 マフィアの残虐性、執念深さ、狡猾さなどを聞きかじった身としては、本作を読んでマフィアはこんなに甘くないだろうとは思った。特にラスボスが……ブロンソンという名前のわりには『邪魔する奴は指先ひとつでダウンさ』というわけにはいかなかったようで。 マフィアの存在が公になったのは1950年代半ば以降らしい。それまでは口にするのも憚られたという。1963年の本作出版当時はどんな感じだったのだろうか。 日本では『北朝鮮拉致』なんかが近い扱いだっただろうか。うちの母親は1980年代からしばしば北朝鮮拉致に言及していたが、まさかそんなことあるわけないと思っていた。 |
No.339 | 6点 | 死球(デッドボール) ポール・エングルマン |
(2022/09/25 16:14登録) ~元野球選手にして現在は探偵業を営むレンズラーの元へ、恐喝に悩まされる美女から依頼が舞い込んだ。そして、ベーブ・ルースのシーズン最多本塁打の記録を抜くのではないかと期待されているマービン・ワレスも卑劣な脅しに悩まされている。二つの恐喝事件が絡み合い、やがて……。 1983年アメリカ。シェイマス賞受賞作品。メジャーリーグを舞台にしたハードボイルド。水準作といったところか。変にゴチャゴチャしていて筋運びに鈍重なところがみられるが、まあまあ面白い。キャラは一部の狂的な人物を除くと平凡か。語り手がせっかく元野球選手なのに野球の蘊蓄がほとんどないのが少し寂しい。 すごく良いところもすごく悪いところもない、なんとも書評を書きづらい作品。野球界に確かに接してはいるが、その舞台を活かしきれていない印象。序盤、中盤はまあまあ。終盤はなかなか良かった。 ハードボイルド系の作品を読みつけていない人の方が楽しめそうな作品。複数の人間の思惑が絡みついて、妙にベトベトした真相に辿り着く。なにかスッキリしないところがある。悪役がどこか腹を括れていない感じがもどかしい。 文章は全体的にやや精彩を欠き、特に大袈裟な表現がどうにも馴染めなかった。ただ、訳者あとがきでは、その大袈裟な表現が評価されていた。きちんと狙いがあってやっていることだと。 邦題の『死球』は話の筋とは関係がない。もともとは野球選手だった探偵のレンズラーが選手時代に死球を受けて片方の目を失ったことに由来しているのだろう。原題は『Dead in center field』 |
No.338 | 6点 | レモン色の戦慄 ジョン・D・マクドナルド |
(2022/09/23 13:11登録) ~当日の未明、トラヴィス・マッギーの船を女が急襲せり。旧知の女キャリーだった。なにも訊かずにこの金を1ヶ月ほど預かって欲しいという。この金およそ10万ドル。当時は1ドル300円ほどだった。女は自分の身に何かあれば妹にこの金を渡してやって欲しいと。もちろん彼女の身にはなにかが起こり、その死に不信を抱くマッギーは調査に乗り出した。 1974年アメリカ。カラーシリーズ後期の作品で評価の高い作品の一つです。地味な捜査にはじまって徐々に派手な展開になっていくのですが、捻りもなかなか効いております。エンタメとしてよくできた作品です。 マッギーの無駄口が少し抑えられているので読みやすいのですが、あれに慣れてしまった身としてはどこか物足りなくも感じます。完成度は高いと思いますが、個人的にはどうも乗り切れない作品でもあります。 ちょっとした一言からマッギーがとあることに気づく場面があるのですが、そこは素直に感心しました。 アクションシーンは相変わらず筆が立ちまくりで読ませます。 本シリーズの中で最初に読む作品としてお薦めできます。 7点つけてもよかったけど、6点としておきます。 平均的なアメリカ人に寄り添ったヒーローであるトラヴィス・マッギー。高みから他者を見下ろす視点が希薄で貴族然としたところがありません。感情移入し、自身に起きたことであるかのように事件に没入していくタイプです。社会批判めいたことを滔々と述べ立てているようなときでも庶民の視点。庶民の延長上に存在する主人公とでもいうのでしょうか。 居酒屋でおっさんが集まって政治談議をしていたとしましょう。 冷や水を浴びせるのがフィリップ・マーロウだとすれば、喜んで参加しそうなのがトラヴィス・マッギーであります。 私生活(船上生活)において自由、仕事において正義を体現する人物です。 |
No.337 | 6点 | 殺人は広告する ドロシー・L・セイヤーズ |
(2022/09/22 20:37登録) ウィムジイ卿は潜入する。だが、潜入にしてはちょっと目立ち過ぎだろう。広告業界へ高飛び込みといった風である。 1933年英国。みなさん仰るように内容に比してちょっと長すぎる。最初の100頁くらいは楽しい。中盤で少したるくなるところあり。終盤の謎解きは面白いアイデアが一つあるくらいで、ミステリとしては見るべきものがほとんどない。 当時の広告業界の内幕は興味深く、業界の人たちやウィムジイ卿のキャラの立ち具合はシリーズ最強レベルの楽しさではあるが、業界ものとミステリの融合がうまくいっていないし、各部のまとまりも弱い。 伝統的な地域社会とミステリがうまく融合して荘厳で神話的なスケールのあった『ナインテイラーズ』、さまざまな対比を駆使し、小説論までも織り込みながら、それらが有機的に結合した学園ミステリの変種にして傑作『学寮祭の夜』などと比較するとかなり見劣りしてしまうというのが正直なところ。 セイヤーズ作品というよりはウィムジイ卿を愛する人向けの作品だろう。キャラが立っているのとキャラ造型が深いのとでは意味がまったく異なる。本作はちょっとやり過ぎ感があり、ウィムジイ卿の超人ぶりに鼻白む方もいるのではないだろうか。 言葉遊びも楽しいし自分は本作を楽しく読めるのだが、最初に読むセイヤーズとしては不向き。 完成度が高い小説と面白い小説もまた別だと思っている。完成度は低くとも面白い小説は世の中にいくらでもある。 某ドストFスキーや某チャンドラーの作品なんかそんなんばっかりである。本作は私にとってそういう作品である。 それにしても1933年出版か、うーん。 ※あの少年をもっと活躍させて欲しかった。あの少年をうまく使ってウィムジイ卿と少年探偵団的な話に持っていくのもまた一興であったろうと思う。 |
No.336 | 6点 | メグレと宝石泥棒 ジョルジュ・シムノン |
(2022/09/19 12:22登録) 1965年フランス。後期メグレの佳作の一つ『メグレたてつく』の事後が描かれた作品です。本編の発端はギャングの元締と目されていたマニュエルが自室で射殺される事件なのですが、このマニュエルは捜査対象でありながらもメグレとはある種の協力関係があった人物で『メグレたてつく』でその協力関係の一端が示唆されているのです。 メグレが思い入れをもつ犯罪者が殺害されるという点では『メグレと優雅な泥棒』にも通ずるものあります。殺害された犯罪者に感情移入するメグレがどちらの作品も印象的です。 メグレは正しいことをしますが(逮捕はしますが)、彼らのことを必ずしも憎んではいないのです。憲法でいうところの内心の自由というやつですな。 正しいか正しくないかと好きか嫌いかというのは意外と複雑なものです。 例えば『メグレと火曜の朝の訪問者』に登場するあの男女について、自分の感情もそうです。間違っているのは男だと思うのです。でも、嫌いなのは圧倒的に女の方なのですよ。 先に書評されているお三方のご意見が割れていますが、自分はどの方の御意見にも同意できます。 クリスティ再読さん『ぜひ「たてつく」と連続して読むことを、お勧めする』 自分は前作『たてつく』で登場したマニュエル氏のキャラが非常に面白いと感じておりました。他の作品にも登場しないのかなと期待しました。『たてつく』を読んで、だいぶ経ってから『宝石泥棒』を読んだのですが、すでに逝ってしまった後とはいえ、思い入れのあったキャラの行く末が描かれていたことは非常に嬉しかったのです。マニュエル氏への思い入れがあったうえで本作を読むと、その人間模様があまりにも……さすがシムノン。 雪さん『メグレ物としては標準よりやや下だと思います』 前作の流れを踏まずに作品単体としてみた場合にはこの評価が妥当のように思えます。ミステリとしては被害者が射殺された現場のアパート自体が大きな密室となっていることが本作の特徴といえば特徴ですが、大したものではありません。そして、自分が本作の最大の問題点と感じるのは↓ 空さん『事件の重要な関係者の人物像の描き方が、この作家にしてはいまひとつ迫ってこないように感じました』 重要な関係者をもう少し早めに登場させることができていれば、もう少し深掘りができていれば、もしかすると『メグレと運河の殺人』のような感動も期待できたと思うのです。非常に残念なところです。 |
No.335 | 7点 | 夜の終り ジョン・D・マクドナルド |
(2022/07/30 19:40登録) ~州をまたいでさまざまな悪事を働き、人々を恐怖させた『群狼』の死刑が執行された。そのなかの一人は執行吏に『ありがとう』と告げたのだった。~ 1960年アメリカ。『群狼』と名付けられた四人の犯罪者が処刑される場面から始まり、複数の人間の手記が組み合わされて事件の全容が明かされていく形式を取っている。この形式がとてもよく機能している。他人事のように語られる導入部の執行シーンなど読後に読み返すとカポーティの『冷血』を感じさせるくらいに怖ろしい。 本作の主たる謎は二つある。 『群狼』はどのような事件を起こしたのか。 『群狼』はなぜそんなことをしたのか。 彼らがなにをやったのかは終盤になるまではっきりしない。はっきりしないのだが、読者にひどい事件を想像させるような情報が提供されているので、サスペンス度は高い。 彼らがなぜそんなことをしたのかについては最後まではっきりしない。ただ、彼らが最初の殺人に至った過程、その描写が素晴らしい。動機はどうでもいいんだと納得がいくように描かれている。本作白眉の描写だと思う。ジョン・Dの描写は絵になって頭に浮かびやすい。 序盤、中盤は本当にいい。群狼のうちの一人にスポットを当てることにより、普通の人間、特に若者が犯罪に手を染めてしまうほんの些細なきっかけがうまく描かれている。若者が集団になり、無軌道になっていく過程もよく描かれている。 ただ、終盤に変な作りこみを感じてしまい、それがどうも大きな瑕疵のように思えるので減点して7点。 本作とトルーマン・カポーティ『冷血』との読み比べも面白いかもしれない。 |
No.334 | 7点 | ヌヌ 完璧なベビーシッター レイラ・スリマニ |
(2022/07/30 19:39登録) ~ルイーズの辞書に『手抜き』などという言葉はなかった。家事も子守も完璧にこなしてくれるルイーズにマッセ夫妻は全幅の信頼を置いていた。そんなルイーズが夫妻の二人の子供を殺害した。~ 2016年フランス。昨年の読書で印象的だった作品の一つ。導入で子供たちの死が告げられ、このあとはルイーズがマッセ夫妻に雇われ、どのような日々を送り、いかに信頼されていくようになったのかが語られていく。格別なにも起こらず、ルイーズと子供たちの日常が語られていくなかで、結末を知っている読者の緊張は高まる、緊張というか、不気味さを感じる。 本作の核心は動機なのだろうが、はっきりとそれを示唆するわけではない。ただ、漠然となにかを感じ取り、腑には落ちる。 簡潔で読みやすいが、行間を読むことが求められる作品だと思う。 『わたしたちは同じ人間なんだ、人はみな平等なんだ』けして現実には即していないこういう言葉に屈辱を覚える人もいる。自分は本作を読んでこんな風に思った。あまりにひねくれた見方かもしれない。 冒頭にキプリングとドストエフスキーが引用されているが、これは最後に読んだ方がいいかもしれない。 我が家には『クマのヌーヌーシリーズ』という絵本があったのだが、ヌーヌーという言葉にそんな意味があったのかとこの年になって初めて知った次第。 |
No.333 | 6点 | 孤独な青年 アルベルト・モラヴィア |
(2022/06/14 21:36登録) ~女性的で美しい外見をもつマルチェーロはトカゲ殺しに興じるなど残酷な一面があった。 ある日、マルチェーロは学校からの帰り道にタクシー運転手に声をかけられる。拳銃を飴に自分を誘惑するこの男をマルチェーロは殺害してしまった。~ 1951年イタリア作品。ベルトリッチの映画『暗殺の森』の原作。 自分の知る限りではモラヴィアの著作ではもっともエンタメ寄りの作品です。ミステリ要素の濃い作品と見せかけて実はそうでもありません。スパイものといえなくもありませんが、そこに入れるのは躊躇します。クライムノヴェルとも言い難いし、スリラーでもないでしょう。 イアン・バンクスの『蜂工場』が本作に影響されているという説がありますが、自分は否定派です。 邦題の『孤独な青年』はかなり見当違いのように思います。自分はイタリア語なんぞさっぱりですが、読後に本作の原題『IL Conformista』は『適合者』のような意味ではないかと憶測いたしました。正解は『順応主義者』だそうです。当たらずとも遠からずでした。 そういう話なのです。自分は異常な人間ではないかと異常なくらいに不安になり、周囲に順応しようとあがく青年の物語です。 本作の解説では『主人公のマルチェーロはファシズムに傾倒して』などと記載されていることがままありますが、この説明は間違いであると同時に誤読を誘発するように思います。マルチェーロがファシズムに傾倒していると思しき描写は記憶にございません。 マルチェーロの中ではファシズムと結婚が同義なのです。 すなわち、『普通』の象徴です。 自分はマルチェーロが総体的には異常人格だとは思えませんでした。唯一異常な点があるとすれば……。哀しいことです。 本作の主人公を好きだという人はあまりいないと思いますが、自分はどうしても嫌いにはなれないのです。 エピローグがいい。だらだらと続くエピローグは自分の中では減点対象ですが、本作のエピローグは長いけれども読ませます。 好きな作品ですが、点数は抑えめに。 |
No.332 | 6点 | メグレと老婦人の謎 ジョルジュ・シムノン |
(2022/06/14 21:34登録) ~物の位置が変わっている。可愛らしい老婦人はメグレに家宅侵入をされている懸念を訴えるのだが、メグレはそれほど事態を重くは受け止めなかった。ところが、この老婦人が殺害されてしまう。~ 1970年フラダンス。シムノン後期の作品。 ホワイダニットのミステリとして小粒ながらにもよくまとまった作品。本作を最初のメグレ警視シリーズに選んだとすると、格別けなすところはないけれど、かといって、すごく面白い作品というわけでもない。「まあまあ」といった感想になるのではないかと。 読みやすい作品だと思います。個人的な感想としてはソーメンのような作品。こういう作品があってもいいのです。 自分のことをよくわかっている哀れな女、その女を母に持ち、その生き方に侮蔑の念を抱きつつも母親そのものを憎むことはできない優しい息子、悪くないんです。でも、そうした翳のあるキャラを配しながらも行間を読ませる深みなく、直線的な筋運びで引っ掛かりも少ない。良くも悪くも無駄がない。きちんと軸を定めて読めるシムノン。 いつもどおりに妄想させていただきます。シムノンの執筆スタイルは己の精神力、体力を削りながら10日ほどで一気に書き上げるというものだそうです。バビル二世がエネルギー衝撃波を連発してどんどん弱っていくみたいな感じですね。この執筆スタイルが還暦あたりになってからのシムノンにはなかなか困難になっていたのではないか。これが後期メグレになんらかの影響を及ぼしているのではないか。 最近、自分も読書の際に栞が必要になってまいりました。 ※後期シムノンのノンシリーズの傑作については意図的に、恣意的に目をつむっております。 クリスティ再読さん 本作の御書評より >>スリーピースのロックバンドだろ、これ 笑いました。コントラバスに幻惑されて、どんなバンドなのかと悩んでいた自分が情けない。ウッドベースならポリスですな。 『メグレ夫人と公園の女(中期の作品)』の御書評でクリスティ再読さんが後期メグレ作品について以下のように言及されていました。 >>メグレ物の後期で「力が落ちた」と感じる原因は、事件の展開だけになってきて、「余計な」楽しい要素が減ってきているためじゃないか...なんて思う。 これ、かなり同感です。言い換えると、ミステリ的な興味が前面に出てきているのではないかと感じています。 『老外交官』『幼な友達』『殺された容疑者』あたりがそんな印象です。 本作は後期メグレのある一面を象徴している作品(例外多数あります)、後期の『代表作』のように捉えております。 自分は『シムノンは還暦になってミステリに目覚めたのか』をテーマに後期シムノンを論じていこうかななんて目論んでいたのです。 冗談はさておき、シムノンが意図的にミステリ興味を前面に押し出していたのか、遊びの要素が希薄になって骨格がむき出しになっただけなのかは興味があります。 後期メグレは本当に枯れてしまっているのでしょうか。 この点について論じるには……もう夏だけど、季節外れの雪でも降ればいい考えが浮かぶかも。 |
No.331 | 5点 | 彼女の倖せを祈れない 浦賀和宏 |
(2022/06/05 23:09登録) いいタイトルなんだけど、この作品に相応しいのかどうか。どうにもピンとこない。そして、なんという無駄な衝撃……。 桑原銀次郎シリーズの三作目。 一作目『彼女の血が溶けてゆく』は浦賀の色は弱いが、読みやすさと普通の意味での面白さがある浦賀入門に適した一冊だと思っている。 二作目の『彼女のために生まれた』は、無茶なことをやろうとしてやや失敗作の感もあるが、自分がもっとも好きな浦賀作品の一つである。 そして、本作はいかにも浦賀という作品である。話の転がし方、悪趣味。 世間的に浦賀の認知度を高めた『彼女は存在しない』を自分はあまり買っていない。そして、本作も正直なところそれほど好きではない。悪趣味なのは構わない。ただ、その悪趣味の具合が本作や『彼女は存在しない』では、やや陳腐に感じられてしまう。 浦賀作品は非常に理知的に書かれている。だからこそ思う。信頼できない語り手という手法があるが、浦賀作品はそもそも作者が信頼できない。若くしてデビューした作家にありがちな社会性の不足、変な思い込みによる浅い描写、そういったものがときおり顔を覗かせる。そこが浦賀独特の味わい、読者に与える居心地の悪さにもつながっているのかもしれない。稚拙であることがそれほど作品の傷にはならない場合もある。なんとも信頼させない書き手。 |
No.330 | 7点 | 銀齢の果て 筒井康隆 |
(2022/06/04 15:04登録) ~高齢化社会解消のために政府が導入した「老人相互処刑制度」 この制度により日本各地で老人同士の殺戮合戦が発生する。~ 『バトルロワイヤル』を老人でやってみましたと簡単に説明できる話ではあるが、読み味はぜんぜん違いますな。 本家と読み比べてみるといろいろな意味で面白い。 筒井康隆という人はセンスとアイデアで勝負しているような印象が強いが、実際は書き方にも相当気を配っているんだろうなあと改めて思わされる。 コミカルにグロだが、くどくど書いたりさっぱり書いたりの緩急があって、妙なところに格調もあったりして、さほど過剰には感じない。 エンタメとしては老人同士の狡猾な騙し合い、工夫の凝らされた戦闘手段、さらには心理描写も面白い。 本家と同様に殺し合いの連続が中だるみを生んでいるきらいはあるが、ラストは圧巻。 本家はリアリティがなくて空々しい印象があったが、こちらはリアリティはないのに妙に生々しい。バトルに参加していない周囲の人々がなんだか怖ろしい。 まったく感動はしないが、ちょっと考えてしまう。 |