空さんの登録情報 | |
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平均点:6.12点 | 書評数:1530件 |
No.790 | 3点 | 大阪経由17時10分の死者 津村秀介 |
(2015/05/13 21:42登録) 鉄壁のアリバイ崩しなんて言葉がカバー表紙には印刷されていますが、メインの謎は著者の言葉にもあるように、動機です。全く接点のなさそうな2人の男が横浜と奈良で殺されますが、両方の現場に梶井基次郎の同じ文庫本が残されていて、凶器のナイフも同一の品、というわけで、謎の提示はなかなかのものです。 しかし、動機不明なまま指紋から犯人が特定される件、さらにスナックでの聞き込みで文庫本の謎が解けるところなど、かなりご都合主義です。だいたい、計画殺人なのに犯人が指紋を文庫本に残すこと自体、変な話です。横浜の殺人の方で犯人が文庫本を落としたのも、偶然なのか故意なのか、結局はっきりしません。 最後にはアリバイ崩しになりますが、これも鉄壁どころかごく平凡な発想で、しかも尋問者から当然の質問をされれば答に窮するはずというわけで、どうも冴えない作品でした。 |
No.789 | 6点 | 誘拐 ビル・プロンジーニ |
(2015/05/10 12:04登録) 名無しの探偵シリーズ第1作。 このラストには驚かされました。ミステリ的な意外性では、結局やはりそうだったかというところなのですが、最後の殺人後の真犯人の描き方にびっくりさせられたのです。これだけで評価はある程度アップします。 誘拐犯の1人が霧の深い金の受け渡し場所で何者かに殺されるというストーリーは、なかなかおもしろくできています。なぜ「私」が受け渡し場所をある程度離れてから殺人を行わなかったのかという疑問は、早い段階で提出された上、それなりの答はすぐに出されるのですが、最後に至っても結局すっきり解決されませんでした。さらに、その殺人に関して、犯人はどうやってある知識を得たのかという点も、真相がわかってみると、かえって疑問が出てきます。 細かく言えばそんな疑問もあるのですが、矛盾があるというよりも説明不足という感じなので、まあ許容範囲かな、というところです。 |
No.788 | 5点 | 赤き死の香り ジョナサン・ラティマー |
(2015/05/04 22:59登録) ビル・クレイン・シリーズ5作目にして最終作。 この作家にはスピレイン等のようなハードさはなく、途中でクレインがギャングに捕えられる窮地にしても、あっさり助かってしまい迫力がありません。一方、持ち味のコメディ・タッチは『処刑6日前』より増していますが、後の『シカゴの事件記者』ほどでもなく、ちょっと中途半端な感じがしました。クレインが酒にだらしないのも、むしろうんざりさせられます。そんなわけで連続一酸化炭素中毒死の事件の推移は、途中までは今ひとつ乗り気になれません。 それでも最終段階で、探偵事務所長の娘アンの独自調査とのカット・バックを利用したり、銃撃アクションを入れたりして、なかなか楽しませてくれました。犯人の意外性や伏線は、さすがにうまくできていると思います。殺人未遂に終わった事件については、この発想に対して批判的な人もいるでしょうが、個人的には気になりませんでした。 |
No.787 | 7点 | 喜劇悲奇劇 泡坂妻夫 |
(2015/05/01 21:54登録) 作中に散りばめられた回文は、たぶん作者が作り溜めていたものでしょう。『亜愛一郎の転倒』中の『意外な遺骸』でも回文は使われていましたしね。船の中という限られた空間の中で次々に起こる事件は、ごちゃごちゃと絡まりあったまま、真相解明まで転がり続ける感じがしました。 犯人が分かりやすいという人が多いようですが、どうなんでしょう。第15章で動機が明確になった後は、もう推理と次の殺人とが並走して、終章の派手な結末まで一気呵成ですから、作者ももはや犯人が誰かを隠そうとはしていないと思うのです。一方第14章以前では、序章で使われたトリックがある程度推測できていないと、犯人を見破ったことにならないはずなのですが、犯人が分かりやすいとは、トリックの見当がつきやすいという意味なのでしょうか。個人的には、第15章で初めて疑惑を持ったのですが。 蛇足(妙な自慢):持っているカドカワ・ノベルズ版には、作者に筆名と本名、両方のサインをもらっています。 |
No.786 | 6点 | ロセアンナ マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー |
(2015/04/29 09:35登録) スウェーデンの夫婦作家による警察小説シリーズの第1作は、身元不明の女の死体発見シーンから始まります。その死体が、観光船から投棄された可能性が浮かんでくる経緯、被害者の身元が題名のロゼアンナだと判明する経緯など、偶然ではあるのですが、ていねいに調査を続けていれば、そのうち明らかになるのが当然という気もします。実際、事件の輪郭は何ヶ月もかけて、少しずつ見えてきます。テンポは遅いのですが、退屈ではありません。 しかし意外に早い段階で、容疑者は絞られてしまいます。後、全体の3割ぐらいも残っているのにこれからどうするのだろう、それともこの容疑者はダミーか、等と思ったのですが、後はどうやって逮捕にこぎつけるのかが、じっくり描かれていました。逮捕後、犯人の自白で明かされる動機はかなり意外です。ただ、ラストでの囮捜査のサスペンスだけは、作りものっぽくなってしまったという感じがしました。 |
No.785 | 7点 | ブルー・ドレスの女 ウォルター・モズリイ |
(2015/04/21 22:33登録) 原作は1990年に出版され、シェイマス賞と英国推理作家協会賞両方の新人賞を受賞したという、評判作です。 時代設定は1948年。一人称の語り口は、通常のハードボイルドがいつそれを書いたのかという疑問を無視しているのに対して、当時は~だったというように、過去を振り返っているところが見受けられます。 黒人とユダヤ人夫婦の間に生まれたモズリイですから、人種差別をテーマに据えるのは当然でしょうし、だからこその時代設定と言えそうです。世評の高さも、そのテーマのとり上げ方によるところが大きいでしょう。プロット自体は特に優れているとは思えませんでした。ただし、原題は “Devil in a Blue Dress” ですから、主人公のイージー(エゼキエル・ローリンズ)が捜す女が怪しげなことは明らかですが、彼女の秘密には驚かされました。なお、イージーは本書ラストで私立探偵になり、シリーズ化されることになります。 |
No.784 | 6点 | 殺人者の空 山野浩一 |
(2015/04/18 09:22登録) J・G・バラードのファンとしては、同じニューウェーブSFの作家ということで名前は知っていた山野浩一ですが、実際に読むのは今回、表題作など6編を収めたこの短編集(仮面社版)が初めてです。 このタイプの元祖といえばやはりカフカ。彼の持つ絶望的な重いリアリティに明確な科学的根拠を与えて理知的に(しかも熱狂的に)世界を構築したのがバラードだとすると、山野浩一は科学的な説明を多少入れることはあるにしても、むしろ不条理な世界を奇妙な明るさ、軽さを持ってそのまま描いた、安部公房に近い作風です。果てしなく続き渡ることが不可能なハイウェイ(『メシメリ街道』)、地球上からの加速度的な人間消失(『Tと失踪者たち』)など、理屈が全く通らない世界です。そして主人公の自己喪失感、『首狩り』中の言葉では「どのみち私には敗北しかない」という感覚が、ほぼ全作品に共通しています。全然ミステリではありません。 |
No.783 | 6点 | 死者のノック ジョン・ディクスン・カー |
(2015/04/12 14:14登録) 密室トリックの説明に不備があることがよく話題にされる作品です。翻訳の問題なのか、原文も間違っているのか、議論もあるようです。 しかし個人的には、ずいぶん以前に読んだ時にそのことには全く気づかず、すんなり納得できてしまっていました。原理がシンプルで、実行手順も明確なため、細かい用語の使い方は気にならなかったのでしょう。今回読み返してみると、説明自体には1ヶ所問題点があるのですが、実際の事件の設定ではその見方に対する対処ができています。 そんなわけで密室は覚えやすいトリックなのですが、それ以外は記憶に残っていませんでした。しかし再読で、フーダニットとしては他の方々も書かれているように、かなりのものだと再認識しました。体育館での理由不明な「いたずら」やある人物が何を見たのかの謎にもうまく説明をつけていますし、人物関係的な意味での犯人の設定も意外性を生み出していると思います。 |
No.782 | 5点 | トフ氏と黒衣の女-トフ氏の事件簿〈1〉 ジョン・クリーシー |
(2015/04/09 22:37登録) 500冊以上もの小説を書いたジョン・クリーシーですが、翻訳作品はJ・J・マリック名義のギデオン警視ものを除くと、本作より前にはほとんどありません。 原題は ”Here comes the Toff”。”Toff” とは固有名詞ではなく、上流階級のダンディーな紳士を意味することは、訳者あとがきだけでなく、小説の冒頭部分にも書かれています。そんな言葉を「トフ氏」としたことを訳者は「これで勘弁していただきたい」と断っていますが、個人的には悪くないと思います。 巻頭に置かれた「読書の栞」で、横井司氏は、トフ氏を遠山の金さんにたとえていますが、なるほどと納得のいく内容です。それも主役のキャラクターだけでなく、ストーリーや雰囲気にも共通点があるのです。ジャンルは冒険・スリラー系ですが、ディック・フランシス等のような緊迫感はまるでありません。ゆるい冒険を気楽に楽しむものだとわりきって読めば、それなりにといったところでしょうか。 |
No.781 | 4点 | 白妖鬼 高木彬光 |
(2015/04/03 23:11登録) 酒場での一幕の後、弁護士が、記憶喪失だと言う女を家に連れて帰ったところ、妙な暗号電報を受け取るところから事件は本格的に始まります。ごく簡単な暗号で、解いてみると「白妖鬼」(当時の電報なのでカタカナですが)なる人物からのものだと判明して、というわけで、なぜ暗号にする必要があったのか、「テヲヒケ」とは何からなのか、といった点に疑問を感じながら、なんだか乱歩の通俗作品っぽいなあとも思っていたのですが。 結局、そのあたりの論理的整合性がとれていない作品でした。最大のポイントは第2の殺人でしょうが、これも基本的な発想はなかなかおもしろいのですが、そうする必然性が弱いと言わざるを得ません。また、犯人のキャラクターがあまり印象に残らないのも、不満なところです。第2の殺人の方法に明確な理由を与えられないのならば、むしろに八方破れな通俗作品にしてしまった方がよかったかもしれません。 |
No.780 | 5点 | 奇妙な花嫁 E・S・ガードナー |
(2015/03/31 23:05登録) 訪れてきた依頼人が、自分自身のことを友だちから尋ねられたことだと偽ったことに対して、メイスンがわざと尊大ぶった冷ややかな態度をとったことを反省して、調査に乗り出すというところから事件は始まります。 殺人事件の本筋には、露骨過ぎると言ってもいい伏線が早い段階であり、誰もそれを問題にしないのが不思議なぐらいです。しかし、裁判でも重要視される建物の入り口のベルを鳴らしたのが誰かという点については、2人のうちの1人が結局どうだったのか、あいまいなままに終わってしまっています。また、メイスンがそのベルに関して行うあることに関しては、その音の響きの偶然、検察側の態度の偶然等に頼っていて、鮮やかに法廷戦略をきめることのできる確率は低いと思わざるを得ません。それにその行為が本当に適法範囲内なのか、非常に疑問でもあります。話はおもしろくできてはいるのですが、完成度は今ひとつ。 |
No.779 | 6点 | その男 凶暴につき ハドリー・チェイス |
(2015/03/28 00:06登録) 邦題については、北野武監督の映画とは、「男」の後に読点がつくかどうかだけの違いですが、内容は全く無関係です。またジャンル的にも、創元推理文庫では拳銃マーク(ハードボイルド/警察小説)であるものの、武映画のような無骨なリアリズムとは無縁です。テレル署長を始めとするパラダイス・シティ警察シリーズの第4作だそうですが、警察小説でもありません。ほとんどSF的とも言える新発明金属を事件の核とした荒唐無稽な冒険/スパイ・スリラー系作品でした。ちなみに邦訳出版は1972年なので、武映画の17年前。 全体的には手慣れた感じで、普通におもしろいという程度だったのですが、最後にはとんでもない結末が用意されていました。いや、結末そのものは、純粋なSFじゃないんだからそうならざるを得ないだろうと予測できるのですが、その結末の原因が、肩すかしというか意表外というか、チェイスらしいのです。 |
No.778 | 5点 | ハーメルンの笛を聴け 深谷忠記 |
(2015/03/22 21:57登録) 深谷忠紀はこれまで倉敷や伊豆の情景を丁寧に描いた壮&美緒のトラベル・ミステリ・シリーズしか読んだことがなかったので、本作はストーリーだけでなく架空の町を中心舞台にしたところも意外でした。1982年乱歩賞候補作になった後、1989年に初出版されたものだそうです。その間にどの程度改稿されたのかは不明ですが。 途中まではハーメルンの笛吹き男を名乗る人物からの謎の手紙を中心に置いたミッシングリンク系の本格派という感じで、作者自身がサスペンスと定義している理由がわからなかったのですが、クライマックスに突入してからは、納得できました。ただ、事件が長期に渡っていて、最後近くになるまでむしろじっくり型なのは、この終わり方にはあまり合っていないように感じました。 あと、第4の事件の起こし方については、犯人の意図にはそぐわないはずだという問題は少々気になりました。 |
No.777 | 8点 | 武器の道 エリック・アンブラー |
(2015/03/17 23:45登録) 冒頭にウェブスター辞典の “passage” 第9項の意味を並べ立てていることからすると、早川邦題は今ひとつです。miniさん評の「武器が辿る道」とまで言ってしまえばいいのでしょうが、辞典から引用されている取引、誓約の取交し、交戦といった言葉が、作品内容にはあてはまっていると思えるのです。 最初のうちは既読アンブラー作の中でもとりわけゆったりした展開です。武器発見からそれが取引対象になる経緯の後、特にアメリカ人夫婦が船で日本を巡るあたりは全然ミステリでないだけでなく、普通の小説としてもむしろ退屈と言えるほどです。ところが後半になってくると、武器の取引をめぐって、しだいに緊迫感が高まり、ついには派手な戦闘シーンにまで発展していきます。 武器取引の決着がついた後、一人これではちょっとかわいそうかなと思った登場人物もいたのですが、その点もすっきり満足いくラストを用意してくれていました。 |
No.776 | 5点 | 私立探偵 ローレン・D・エスルマン |
(2015/03/11 22:29登録) 邦題にもかかわらず、主人公のラルフ・ポティートは厳密には私立探偵ではありません。デトロイトの興信所に勤めているとはいうものの、資料整理係に格下げされているという状況。このラルフが下品で実にいいかげんな小悪党なのです。ばれるに決まっている嘘を平気でつきますし、ネコババなんかは日常茶飯事。しかし悪賢いところはなく、かなり間抜けという設定です。 そんな主役が活躍するというより、いろいろおかしくも悲惨な目に合いながらも、最後には事件がなんとなく解決してしまう小説です。ハードボイルド的なアウトローなところはあるのですが、スラプスティックなギャグが連続するコメディ・ミステリです。 かなり大げさな事件の裏が結局整合性のとれたものだったのかどうかも、読み終えてみてはっきりしないような作品でしたが、こんなとぼけた作風なら、それでいいのではないでしょうか。 |
No.775 | 6点 | 蟻の木の下で 西東登 |
(2015/03/07 11:20登録) 1964年の乱歩賞受賞作ですが、論理やトリックを期待して読むと、がっかりするでしょう。序章は一応伏線になっていますが、情報不足で読者にはその意味は絶対わかりません。その後第1章から登場する人物は素人探偵役のように見える展開ですが、途中であっけなく覆されます。新興宗教の会員が付けているバッジが手がかりになりそうなのですが、これも事件とは全く無関係で、ただその新興宗教を出してくるために無理やり現場近くで発見させただけのご都合主義です。ヒグマが殺したのかどうかなんて、偶然の土砂降りがあっても、検死でわかるはず。 とまあ、ミステリ構成上の欠点はずいぶんありますが、作者の狙いは戦時中の軍隊での非人間的な軍曹と、金こそご本尊としか思えない新興宗教を描くことにあったわけで、社会派的な事件の骨格自体は悪くないですし、そのテーマを描く中盤は迫力があります。最後が駆け足になり過ぎたことが残念。 |
No.774 | 8点 | 眠れる美女 ロス・マクドナルド |
(2015/03/03 21:48登録) 冒頭の、本作の悲劇的ヒロインとも言えるローレルが石油まみれになったカイツブリを抱いているシーンが印象的です。そのカイツブリは水鳥の一種ということしか知らなかったので調べてみたら、湖や沼地に生息することが多く、見た目にはカモ系みたいですが、動物学的にはフラミンゴに近いそうで。 ローレルの失踪事件が誘拐事件らしき様相を呈してきて、さらに一見無関係な人物の死へと続いていくストーリーは、ロス・マクらしい複雑な人間関係を少しずつ暴き出していきます。偶然と思われていた複数の出来事が必然的なつながりを持つことがわかってきて、過去の事件が明るみに出てきて、と疑問の多い事件を収束させていく手際はやはりうまいものです。そして最後には疑問を抱く暇もないほどの連続どんでん返し早業で締めくくってくれました。そんな意外性を出す技巧が悲劇性を損なっていないところ、さすがです。 |
No.773 | 6点 | サクリファイス アンドリュー・ヴァクス |
(2015/02/26 00:15登録) バーク・シリーズの第6作は、第1期最後の作品と言われています。以降のシリーズがどうなるのかは、知らないのですが、本作では以前の作品の登場人物たちがかなり回想されています。またヴァクス自身作家になる前にそれが専門の弁護士だったという子ども虐待のテーマが明確に打ち出された作品です。 一方、最後に派手なシーンはあるものの、既読の『フラッド』『ブルー・ベル』に比べるとハードさが減退しているのが少々不満。 タイトルが登場人物の名前でないのは今回が初めてですが、内容とそぐわない気もしました。「犠牲」とは何らかの、特に神聖な(Sacred)目的のために捧げられたものだと思うのですが、今回バークが守らなければならない少年ルークは犠牲者(Victim)ですし、ヴードゥー教のクイーンが作品に宗教的な色彩を与えてはいますが、悪役のエセ黒魔術の視点にはそんな高尚な思想など全くありません。 |
No.772 | 5点 | 西尾正探偵小説選Ⅰ 西尾正 |
(2015/02/22 12:48登録) 13編の短編と評論・随筆を収録しています。 小説デビュー作『陳情書』は、合理的な説明もできそうなのに、あえて不思議さをそのまま放置したような、とりあえず怪奇探偵小説と呼べる作品です。同じ手を別の形で使った『床屋の二階』、さらに代表作の一つと言われるだけあって不気味な雰囲気はずばぬけている『海蛇』もホラーないし幻想系。その3作も超常現象そのものよりもそれに捉われた異常心理に重点を置いているのが、作者の持ち味なのでしょう。これも代表作の『骸骨』、その他『土蔵』『青い鴉』『めつかち』等も大雑把に言えば異常心理を扱った作品です。巻末解題で定住していたのか避暑に訪れていたのか不明確だとしている鎌倉を始めとして、海岸沿いの町を舞台にした作品が多いのですが、海水浴場の明るさからは程遠い、陰鬱な雰囲気が特徴です。 一方ひねりすぎの『打球棒殺人事件』『白線の中の道化』では作者の野球ファンぶりを見せてくれます。 |
No.771 | 5点 | カブト虫殺人事件 S・S・ヴァン・ダイン |
(2015/02/17 23:39登録) 作者の代表作と言われる直前の2作が派手な連続殺人だったのに対して、今回は地味なじっくり型という印象です。事件に関連する古代エジプト学についての薀蓄もたっぷり披露されていて、古典的な風格があり、ヴァン・ダインらしい重厚感に満ちた作品と言えるでしょう。一方謎解き面では、犯人が仕掛けるメイントリックは、本作の10年ほど前に書かれたイギリス有名作家のアイディアの焼き直しです(ヴァン・ダインはその作品を読んだことを公言しています)。しかし原案の方がそれ以外のアイディアも盛り込まれて意外性演出に工夫が凝らされていましたし、本作の方が狙い実現の確実性が劣ると思えるのでは、後発の意味がありません。 なお、タイトルの「カブト虫」とは実際の昆虫(Beetle)ではなく、Scarab。井上勇氏の訳ではスケラブとしていますが、普通はスカラベと表記される、古代エジプトで使われていた甲虫型の印章のことです。 |