miniさんの登録情報 | |
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平均点:5.97点 | 書評数:728件 |
No.708 | 6点 | 緑のカプセルの謎 ジョン・ディクスン・カー |
(2016/10/10 10:29登録) つい最近2~3日前に、創元文庫からカー「緑のカプセルの謎」の新訳版が刊行された、旧版も古い訳だからまぁ新訳への切り替え移行の一環ということである 「緑のカプセル」は1939年の作だが、「テニスコート」「かぎ煙草入れ」「連続殺人事件」とかの40年代前半辺りの作は、初期のオカルティズムが影を潜め、不可能興味は有るものの怪奇色を薄めた一般的なパズラーが多い パズル要素では流石にカーらしさは発揮しているものの、雰囲気作りという点ではちょっと薄味な作が多い 再び怪奇色も入れるようになるのは46年の「囁く影」以降だと思う と考えると、時代的には丁度戦争中、つまり世界大戦中の作には何故かオカルト色が薄いという事になる 何かあれですかね、戦争の最中には小説中に怪奇色を導入するのに不都合な理由でも有ったのでしょうかね、再び怪奇色を入れてくるのと戦争の終結とがリンクしてますもんね そういう流れからすると、「緑のカプセル」は怪奇色の薄い普通の本格っぽい傾向が始まった頃の作だと言えよう そういう意味からすると、「緑のカプセル」はカーらしくない作ではある 一方で限定された状況設定での不可能性は強烈で、その点ではいかにもカーらしいとも言える 要するにさ、カーという作家に雰囲気や演出とかそういった要素まで求めるような読者には正直物足りなさは有るんだよね 逆にパズル要素や不可能興味しか求めずに、極論言えば雰囲気や演出を邪魔だと考えるようなタイプの読者にはぴったり合う作である 同作者中で他の作に比して、「緑のカプセル」の評価がかなり高い読者は後者のタイプなのだと思う |
No.707 | 7点 | ライノクス殺人事件 フィリップ・マクドナルド |
(2016/10/05 10:03登録) 論創社の今回配本は一挙に3冊、わぉースゲー、と思ったあなたは早とちり、3冊の内P・マク「生ける死者に眠りを」は先々月だったかなの刊行分が延期になってやっと出ただけである あとの2冊、ノーマン・べロウ「消えたポランド氏」は後期作で、便乗書評しようにも他に1作しか訳されておらずそれも書評済みだから今回はパス もう1冊、オースティン・フリーマン「アンジェリーナ・フルードの謎」はソーンダイク博士ものの初期作で、便乗書評しようと思えば今出来るのだが、フリーマンに関してはちょっとだけ後回し、何故かって?、海外古典新刊に情報通な方なら、あぁあれを待つつもりか、とバレバレでしょうな(苦笑) 英国コリンズ社クライムクラブと言えばミステリーの歴史そのものみたいな叢書だが、その第1巻を飾る作家がフィリップ・マクドナルドである クリスティ、ナイオ・マーシュなどと共に叢書の看板作家で、殆どの著作が翻訳されている割には最早世界的には忘れられた感のあるクロフツなどに比べたら、今でも古典作家の中では名を残している方だろう 日本での人気度と世界的な人気度では、比例している作家も居ればしてない作家も居る、一致している代表格はクリスティだろう、世界的人気度でも1~2位に君臨する 一致して無い作家だと例えば日本ではまるで本格派の理想の姿的に崇め奉られているクイーンが作家としては世界的にはあまり評価されていないのに対して、マニアックな読者人気と思われているカーの方が一般には世界的評価が高く、欧米での作家の人気投票などでも、10位以内は微妙だがカーは20位以内位なら入ってくる、しかしクイーンは20位以内にも入らない フィリップ・マクドナルドは人気度という点でちょっとカーに近い感じが有って、その作風から日本ではマニアだけの人気と思われがちだが、英国などでは人気度でそりゃ流石に上位には来ないけど古典作家の中ではまあまあの順位には入ってくる 別名義は別にすると、フィリップ・マクドナルド作品には大きく分けて探偵役としてゲスリン大佐が登場するものと、登場しないノンシリーズ作品が有るのだが、今回論創から刊行された「「生ける死者に眠りを」はノンシリーズの方である ノンシリーズだけで言うと「「生ける死者に眠りを」の1つ前の作が「ライノクス殺人事件」である ただしその間の3年間にゲスリン大佐ものが結構集中的に沢山書かれているので、時期によって執筆ペースに極端にムラが有るP・マクだけに作者比でも勢いのあった時期なのだろう もっとも寡作期に対して乱発期が決して出来が良いわけじゃないのが執筆活動の旺盛さと内容が比例しないこの作者らしいところだ 「ライノクス殺人事件」に高めの点数付けたのは積極的に褒めているわけではない、どちらかと言えば消極的な高評価という感じだ つまり分量も手頃で、ややもすると余計な事を書き過ぎる傾向が有る作者からしたら、上手く纏まっているんじゃないだろうか エピローグとプロローグの反転も見事とまでは言わないが、私はそこそこ狙い通りには決まっていると思うよ、決してそんなに悪くない 強いて難点を言えば、私も多分真相はこれしかないだろうとはすぐ気付いたように、読み慣れた読者だとトリックに気付き易い点だろう 私は書評中で無難という言葉を悪い意味で使用する場合が多いが、この作については逆 欠点も多々有るP・マクという作家の特徴を考えたら、この作者にしては欠点が目立たたない良い意味で無難に纏まった万人向けの佳作で、作者の代表作の1つに挙げる評論家も多いというのも頷ける |
No.706 | 6点 | 帽子から飛び出した死 クレイトン・ロースン |
(2016/09/28 10:02登録) 創元文庫ではこの時期毎年恒例の秋の復刊フェアである、昨日27日から”復刊応援キャンペーン”というのが始まった まぁ別に大したキャンペーンではなく、フェア対象作品の中から読んだ作の感想をツイートすると何名かプレゼントが貰えるといった程度である でそのラインナップだが、これも毎年恒例だが意義の薄いセレクト(大笑) F・W・クロフツ「二つの密室」、イーデン・フィルポッツ「灰色の部屋」、シオドー・マシスン「名探偵群像」、マーガレット・ミラー「狙った獣」、とまぁ創元ではたまたま品切れではあるが、中古市場では全然レアなものは無い 強いて言えば歓迎されそうなのはクレイトン・ロースンの「棺のない死体」でしょうかねえ、でも「棺のない死体」も何年前だったかなあ復刊されているんだよね、後になってだが私もその復刊ヴァージョン入手したもん、未だ積読だけど(笑) だから「棺のない死体」もそこまでレアじゃないでしょ、やはり大歓迎されるとすれば「首のない女」の新訳復刊でしょ、え、もしや「棺のない死体」はその為の伏線とか? 1930年後半~40年にかけてアメリカ本格長編黄金時代の末期、トリックは発掘しつくされ、クイーンやマクロイなど幾人かの作家達は作風を転換し、この分野は次第に衰微していった この時期に活躍したガチ本格作家達というと、ライスなど一部の作家を別にすれば、ロースン、アントニイ・バウチャー、ハーバート・ブリーンあたりだろうか これらの作家に共通なのは、トリックの為のトリックみたいなパターンに陥り、物語性は脆弱、結局はトリックにしか興味有りません的な読者にしかアピールするものがなくて袋小路に入っていくことになる、ブリーンも後期作では作風を転換してるしね 衰退したアメリカン本格に代わって主役の座を奪い返したのが、黄金時代はアメリカ勢に押され気味だった英国勢で、イネス、ブレイク、クリスピン等の40~50年代の英国教養派(乱歩命名の新本格派)であった ロースンはまさにアメリカン本格衰退期の最後のあだ花といった感じである、こう俯瞰するとロースンの作風も見えてくるでしょ ロースンにはマーリニものの長編が4作しかなく、その第1作目が「帽子から飛び出した死」である これは密室もの不可能犯罪ものというレッテルを貼られているが、密室の謎の真相はそれほど大したものではない にしては作者比では高く評価されているが、それは密室とは別のあるトリックのせいだろうね 実はですねえ、私は密室ではないもう1つのトリックは見破っちゃったんだよねえ よくさ、ミステリー読者なのにアリバイの話が苦手で、作中で捜査陣が容疑者たちのアリバイ調べをする場面を退屈だとか苦手と言う人居るんだよね ミステリー小説なんだから作中にアリバイ調査位は出てきてもおかしくはないと思うんだけれど、アリバイの話が絡むと面倒くさいって読者意外と多い 当サイトでもプロフィールの苦手なジャンルに”アリバイ”って書く人結構居るしね 私は割とその点、頭の中でタイムテーブル表思い浮かべながら読む癖が有るので、アリバイ調べに対してあまりアレルギーが無い 実は私のそういう読書上の癖が見破る原因になったのだ 前半読んでてさ、ちょっと頭の中で登場人物各人のアリバイを整理したんだよね、その時突然に閃いたのさ 待てよ、このアリバイが偽装だったらどうなる? そう考えたら、密室の謎なんかどうでもよくなっちゃってさ(笑)、これは作者の中心的な狙いは密室なんかじゃなくてアリバイにあるんじゃないかと思ったのだ 「帽子から飛び出した死」を高評価する読者っていうのはさ、密室ばかりが気になってたら作者にしてやられたって人が多いんじゃないかなぁ 私はやられなかったんだよね、特に密室に興味が集中するタイプの読者じゃないから(笑)、私の採点があまり高くないのはそうした理由 |
No.705 | 8点 | J・G・リーダー氏の心 エドガー・ウォーレス |
(2016/09/21 09:57登録) 先月末~今月初に配本の論創の最新刊2冊はやはり予想通り登録されなかったね、これも私が登録したしね(笑)、もう1冊は珍しいジュヴナイル分野だしね でも次回の配本はP・マクだからね、きっとその手の作家だと速攻で登録になるのでしょう(確実な予想~笑) 日本の翻訳ミステリーの歴史は黄金時代に極端に偏っていて、抜けている時代と言うとまぁ2つあるな 1つは戦後の40~50年代、ただし本格なら結構訳されているんだけど、非本格分野が多数まだ埋もれたままだ、本格はもういいから非本格にも目を向けて欲しい もう1つの時代が1910年代から20年代前半にかけて、第1次世界大戦を挟んで黄金時代の幕開け直前までの時代だ この時代はホームズの影響がまだ有った時代でホームズのライヴァルたちの時代でもあるが、割とその分野に関しては翻訳に恵まれている方だと思う(まだ取り残されてる作家も多いんだけどね) しかし無視されたままで全貌が未知な分野が存在する、それは大衆向けスリラー小説の分野である この時代のスリラー小説はかなり流行していて、例えば1920年にデビューしたクリスティの最初期にはその影響が明らかに見て取れる(もちろん処女作とか一部のポアロものは別、ノンシリーズや他の主役の場合ね) 日本の翻訳ミステリーの歴史はあまりにも本格派偏重で、例え当時には大きな潮流だった分野でも、本格じゃないという理由で蔑ろにされてきた経緯が有る 要するにスリラー小説とは本格派より格の低いもの読むに値しないものみたいに蔑視されてきたと思う しかし当時流行していたという歴史は無視出来ないわけで、ミステリー史の流れを客観的に俯瞰する場合、流行したものは少なくとも翻訳の俎上に載せるべきで、ジャンルによる不公平えこひいきは有ってはならないはずである さてそこでこの時代のスリラー小説分野を代表する作家と言えば、やはりフィリップス・オップンハイム、J・S・フレッチャー、そしてエドガー・ウォーレスの3名であろう(もちろん他にも沢山居るが) 残ったオップンハイムを何とかして欲しいね、論創社さん でもやはり論創社は偉いよ、約半世紀ぶりにフレッチャーの翻訳出したり、ウォーレスもこれで3冊も出してくれている 古典に強い創元だってこの分野は全く無視に近いもんな、まぁ文庫では採算の問題が有るのかも知れぬが 解説にもあるが(と言うか解説があのE・クイーン評論家の飯城勇三氏なのが驚き)、ウォーレスには長編だと他にも有るかもしれないが、短編集ならこの『J・G・リーダー氏』を代表作と見なして間違いない、”クイーンの定員”にも選ばれてるし(そうかここで飯城勇三氏との関連が) で飯城氏も解説で指摘しているが、この短編集は分類すればスリラー小説ではなくて本格派である、一応謎が存在しそれを解くわけだからね まぁ時代性も有ってプロット展開が独特なのだけれど、でもJ・G・リーダー氏の役割はどう見てもはっきり探偵役である しかも悪人の心を持ち、だからこそ犯人の考えが読み取れる(つまりReader)というユニークさ この辺は飯城氏の解説に詳しい、いやそれだけじゃなくて飯城氏の解説は丁寧で力入ってますよ スリラー小説分野のライヴァル、J・S・フレッチャーと比較するとですねえ フレッチャーの場合はその圧倒的なリーダビリティでまさに王道のスリラー作家と言えるのだが、ウォーレスの文章やプロットはちょっと癖が有って必ずしも読み易くはない その反面ウォーレスは本格色が強くスリラー小説と本格派の中間な感じだ この『J・G・リーダー氏』でも基本は本格派で、悪党との駆け引きコンゲーム風な独特のプロット展開などにスリラー作家としての片鱗も見られるという感じだ スリラー小説も平気で読むファンにも本格派しか読まない視野の狭い読者にも、その両者にお薦め出来る逸品である |
No.704 | 8点 | 九時から五時までの男 スタンリイ・エリン |
(2016/09/14 09:53登録) * 私的読書テーマ”生誕100周年作家を漁る”、第1弾スタンリイ・エリンの3冊目 今年の生誕100周年作家は間違いなく異色短編作家の当たり年である 何たってロアルド・ダールとスタンリイ・エリンというこの分野の2大巨頭が同じ年に生まれているわけだからね この両名、一番の違いは、ダールが英国出身でアメリカに移住してから短編小説を書き始めたのに対して、エリンの方は生粋のニューヨークっ子で、この経歴の違いはそれぞれの作風にも表れていると思う また作品で言うと、ダールには童話は別にするとミステリー分野に関しては純粋な短編専門作家で、ミステリー長編が1作も無いのに対して、エリンにはミステリー分野での傑作長編が何作も有る しかし出身国やミステリー長編の有無は別にすれば、両者には共通点も多い 特に決定的な共通点とは、それは一般的に有名な作者を代表する短編集が存在するだけじゃなくて、内容的にはそれらに匹敵するもう1冊の短編集が存在する事だ もう1冊というのはどういう事かというと ダールを代表する短編集と言えば、そりゃ当然『あなたに似た人』であるが、ダールには『あなたに似た人』と甲乙付け難いもう1冊の短編集『キス・キス』が存在するのだ 『キス・キス』は以前は異色作家短編集全集でないと読めなかったのだが最近になって文庫化された、ちなみに『あなたに似た人』は遠い昔から文庫だが最近になって改訂新訳版に切り替えられた 一方のエリンだが、代表する短編集と言えばもちろん『特別料理』である、これも以前は異色作家短編集全集だったが最近文庫化された そして『特別料理』に匹敵するもう1冊の短編集が『九時から五時までの男』なのである、こちらは『特別料理』に先だってとっくに文庫化されており、つまりダールとエリン両名の傑作短編集4冊が今では全て文庫で入手可能である ちょっと余談だが、来月には異色作家短編集全集からシャーリー・ジャクスンの超傑作短編集『くじ』とフレドリック・ブラウン『さあ、気ちがいになりなさい』の2冊も文庫化予定だそうだ 折角この全集を集めた身としては複雑な気分(苦笑)、特に『くじ』は文庫でしか読もうとしない読者に対して優越感有ったのになぁ(ほんと苦笑しかない) さて本題に戻ると、『九時から五時までの男』は決して『特別料理』に引けを取らないどころか凌駕する面も有る傑作短編集である 『特別料理』はこの分野としてはそれ程には切れ味勝負な短編集では無く、どちらかと言えばオチのキレとかよりも緻密なプロットの方が魅力だったが、『九時から五時までの男』では切れ味が増しており、しかもエリンらしい人間の魂の暗部を照らすようなエグさも健在だ |
No.703 | 7点 | 破壊部隊 ドナルド・ハミルトン |
(2016/09/09 09:59登録) * 私的読書テーマ”生誕100周年作家を漁る”、第3弾ドナルド・ハミルトンの2冊目 シリーズ第1作「誘拐部隊」は、戦時中の名スパイだが今は民間人として安穏と暮らしているマット・ヘルムが何故に現場復帰する事になったか?が中心で、どう見てもシリーズ導入編的要素が強い 書評にも書いたが、「誘拐部隊」1作だけを読んでもシリーズの特色は分かり難い、異色作とか番外編とかとはまた理由が違うが、言わば”きっかけ”を描くのが主眼だからねえ 本来のシリーズらしさが発揮されてくるのはこの第2作「破壊部隊」からなんだろうな シリーズ名の”部隊”だが、これはおそらく早川が勝手に付けた命名で、シリーズどの作にも原題には”部隊”とは謳っていない その為に誤解され易いと思うのだが、部隊と聞いてまるでチームワークで諜報活動をするのではと思う人も多いだろう しかし内容は真逆、マット・ヘルムは組織の一員ではあるが一匹狼的性格なのである 前作「誘拐部隊」はスパイ小説だがハードボイルド的だと私は書いた しかしこの「破壊部隊」では、マットの祖先のルーツであるスウェーデンが舞台という事も有って、おぉ!、これならスパイ小説らしい雰囲気が出ていると思った もっとスウェーデンの風物描写が濃厚でも良かったんじゃ、と感じたくらい ところがなんである、前半はスパイ小説らしいのだが、後半に入るとやはりハードボイルドの世界なのである(笑) 特に敵役というのが全然スパイ小説らしくなくて、単なる普通の悪党にしか見えないのがちょっと弱い このシリーズが本国アメリカでは人気シリーズだったのも納得 007のような英国流の格調の高さは無い代わりに、いかにもアメリカンな男の哲学などが執拗に語られるハードボイルド風なのがアメリカ人には受けたのだろう 英国流スパイ小説の良さは微塵も無いが、英国勢では絶対書けないアメリカ作家ならではの味わいが有る まさにスパイ小説版ミッキー・スピレインって感じだ |
No.702 | 6点 | 占星術殺人事件 島田荘司 |
(2016/08/24 09:57登録) クリスティ再読さんの御書評を読んで、成程私も昔もやもや感は有ったのだが、”なぞなぞ”という語句を見て納得した そこでかなりの部分を書き直して再書評したくなったのである 折角の魅力的なトリックだけに、”なぞなぞ”ではなく小説としてどう書けばよかったのかを考えてみた 過去の書評は一旦削除して再登録 さて小説として引き延ばすとしたら何処?、まぁ普通に考えてあの死体発見の件でしょうね、他の要素だと引き延ばし難いと思う 例えば竹越手記は、一夜の件をロマンス調に延ばす手も有るだろうけど、そうするとネタバレにも繋がりかねず、どっちにしても手記の形で情報提供するだけならば大差ないかも 結局のところ死体発見の件を、あんな序盤に一気に説明せず、徐々に発見させていけばよかったと思う、そこにサスペンスも生まれるしね ではそういう書き方が出来なかった理由は?その答えは簡単である それは探偵役が御手洗だからだ いやちょっと説明不足だな、つまり御手洗が現代に生きる探偵だからだ どうしても(御手洗の生きた時代の)現代視点で見るから、事件の概略を前半で一気に書かざるを得なくなる そこでどうしたら改善されるのか? 私は2つの方法を思い付いた 1つは御手洗など登場させず時代歴史ミステリーにしてしまうんだな、探偵役は登場させてもいいが、その時代の人物としてこの回限りのノンシリーズとする そうすれば死体発見の過程をその時代のリアルタイムに見せられるから、この要素だけで結構プロット的に引き延ばせる、当然サスペンスも生まれる もう1つの方法はさ、どうしても御手洗を登場させるのだったら、完全なる安楽椅子探偵という設定にして、終盤の謎解き場面だけに登場させる 実際に「斜め屋敷」でもプロット上これに近い事やってるのだから、「占星術」の内容なら出来なくはないでしょ つまり全体を2部か3部構成にして、1部を事件の起きた時代に設定するわけそこまでは上記の方法と同じ 全体が2部構成なら、2部で御手洗が解明 全体が3部構成なら、2部で捜査が行われたが結局迷宮入りする過程を描き(これでさらに引き延ばせる)、あとは3部で解明は同様 とまぁこんな感じにすれば、あそこまで読者への情報提示を序盤だけに押し込めなくて済んだのではないかと思う |
No.701 | 7点 | 優しき殺人者 ドロシー・S・デイヴィス |
(2016/08/15 09:59登録) * 私的読書テーマ”生誕100周年作家を漁る”、第7弾はドロシー・S・デイヴィスだ 黄金時代偏重な翻訳ミステリーの中で翻訳紹介が滞っている時代が戦後の1940~1960年代にかけてである この時代は本格派以外のジャンルの興隆や本格派そのものが質的変化を起こしていた時代なので、本格派しか興味の無い読者達が出版社に要望もしなければ訳されても読もうともしない風潮が見逃されてる原因になっている おそらく未訳の宝が大量にまだ眠っているのだろうね 1949年デビューのドロシー・ソールズベリ・デイヴィスもこの時代に活躍した作家で、マクロイなどと並んで女性でMWA会長職にも就いたことが有る重鎮作家の1人である ”重鎮”という語句が決して誇張ではないのが、MWA巨匠賞とアンソニー賞功労賞部門の両方を受賞している事からもわかる、アンソニー賞功労賞などは第1回目の受賞者だ またMWA巨匠賞をデイヴィスが受賞した前々年の受賞者がマーガレット・ミラー、前年がジョン・ル・カレ、翌年がエド・マクベイン、翌々年がマイケル・ギルバートだから、デイヴィスの位置付けが分かるでしょ ただギルバートの場合は作家だけでなくMWAの顧問弁護士的な功労も兼ねての評価だとは思う 要するにドロシー・S・デイヴィスは巨匠な割に日本への紹介がまともにされてなかった作家の1人であるという事である 「優しき殺人者」は初期の代表作で、アンソロジーで断片的に紹介された短編は別にすると数少ない訳された長編作品の1つである 正直ジャンル投票は迷った、本格派としても読めるし、警察小説的な要素も有る しかし警察小説的要素は話の進め方の上での要素の一部に過ぎず、これはジャンルが違うと思う むしろ戦後になって本格派というジャンルが質的変化を起こした状況をよく表しているとも言えるので本格派に投票でもいいかなと思った位、まぁ最後に謎解きが行われるわけじゃないので無難にサスペンスに投票したけど この時代は例えばヒルダ・ローレンスやヴェラ・キャスパリなど本格とサスペンスとの境界線みたいな作家が次々に出てきたのだろう ポケミス版のこの作品、一番驚くのが解説が乱歩なんだよね 乱歩はこの作を”奇妙な味”という視点で捉えようとしているが、私は乱歩は分かってないと思う、”奇妙な味”って戦前の黄金時代及びそれ以前の作品群に対しては通用するが、戦後作品にその表現を使っても意味が無い 当時の真っ只中に生きた乱歩に対して、現代に生きる我々は戦後のミステリー史の流れを俯瞰できるわけで、乱歩も時代の変化は当然感じてたのだろうけど、結局その語句でしか解釈できなかったのだろうか やはり戦後はミステリー小説自体が質的変化を起こしていた、これは好き嫌いに関係なく認めなければならない |
No.700 | 6点 | 飛行士たちの話 ロアルド・ダール |
(2016/08/05 09:29登録) 発売中の早川ミステリマガジン9月号の特集は、”ロアルド・ダール生誕100周年” さらに早川文庫から『飛行士たちの話』の新訳版が刊行された 私の私的読書テーマをパクったな早川(笑) * 私的読書テーマ”生誕100周年作家を漁る”、第6弾はロアルド・ダールだ 奇遇な事に異色短編作家の2大巨頭と言ってもいいスタンリー・エリンとロアルド・ダールは同い年なのである もっとも異色短編作家の多くは活躍年代が近いから、生年が被っていたとしてもそれほど珍しい事ではないが、やはりエリンとダールですからねえ 今年の生誕100周年作家は、異色短編作家の当たり年と言っても過言は無いでしょう ダールは第2次大戦で英国空軍のパイロットとして戦闘機でドイツ空軍などと戦ったが、その経験を買われて米国空軍の言わばコーチ役みたいな待遇で招かれる事になる つまり英国人のダールがアメリカに移住して執筆活動する元は、ダールの飛行機乗りの経験が理由だったのである 昔『グレムリン(ダンテ監督スピルバーグ製作指揮)』という映画が有ったが、あれに出てくるのは本来のグレムリンとは別物で、本来は飛行機乗りの間で伝説になっていた小鬼を元にダールが創作したものをディズニーが映画化権を買い取ったのが最初であり、ダールはハリウッドで脚本の仕事をしたことも有る さてアメリカに移住したダールだが、そこで当時人気の海洋冒険小説作家C・S・フォレスターから取材を受ける フォレスターは当初はダールから話を聞いて記事を書くつもりだったが、ダールに文才が有るのを見抜き、ダールの原稿に手を加えずそのままダール作として掲載させた 何という偶然、ダールの飛行機の経験とたまたまの取材とで後の短編作家ダールが生まれたわけだ、このエピソードで1つの短編小説が書けそうじゃないか 『飛行士たちの話』はダールのデビュー短編集だが、後の人を喰ったような作風とは若干違い、飛行機の話が中心なのはこうした事情からなのである 『飛行士たちの話』は抒情的に描かれているが本質ははっきり言って一種の戦争文学である、後の短編集『あなたに似た人』や『キスキス』などは問題無くミステリーの範疇だと言い切れるが、『飛行士たちの話』はミステリーとしては多少広義に解釈すべきだろう 後のダールの片鱗は見られるものの、異色短編作家としてのダールのイメージからは若干異色に感じられても仕方のないところで、同列には評価し難い むしろ最初から戦記文学とミステリーとの境界線上の作品として見るべきで、元々が切れ味勝負な作家じゃないだけにそういう視点で見れば流石はダールである |
No.699 | 5点 | 被害者を捜せ! パット・マガー |
(2016/07/27 10:30登録) 明日28日に創元文庫からパット・マガー「四人の女」の新版が刊行される ”新訳版”じゃなくて”新版”だから、要するにカバーデザインを変更したとか活字がくっきり読み易くなりましたとかまぁその辺でしょ 新訳じゃないわけだししかも旧版がレアでもないし、こんな全然有難くもない新版を出すのが創元らしいや(笑)、と思ったらAmazonでマガー作品としてはこれだけが中古含めて品切れだったんだねえ 知らなかったな、全作入手容易だと思ってた、ちなみに私は「四人の女」だけ未読なんだよね 初期、と言ってもマガ―は初期作しか翻訳が無いんだけど、の中で個人的に一番好きなのは「目撃者を捜せ」、ただし「目撃者を捜せ」は代表作とは言えない 私は最高傑作と代表作とははっきり区別する主義で、最高傑作は文字通りの意味だが、代表作とは必ずしも一番じゃなくてもいいから、それよりも作者の持ち味が存分に出ているかが重要ポイントだと思っている そこでだ、マガーの代表作は?、そりゃ「被害者を捜せ」と「七人のおば」の2作でしょうね当然 「目撃者を捜せ」と「探偵を捜せ」はやはりちょっと異色だからね、異色作は代表作とは呼べないという原則が有るからね 例えばクリスティーだと、ポアロもマープルも登場しないノンシリーズの「そして誰も」を代表作だと思ったことが無い、こう言うとブーイングする人も居そうだけどさ、先に最高傑作と代表作とははっきり区別するって言ったでしょ マガーの持ち味とは?、それはもう”淡々とした過去回想の語り”で間違いない、この作風が他の作家とは一味違う雰囲気を醸し出しているからだ そして「被害者を捜せ」と「七人のおば」はまさにマガーらしさそのものである、代表作と呼ぶに相応しい えっ!、それにしては採点が低いなですって、先に最高傑作と代表作とははっきり区別するって言ったでしょ、観点が全然違うんですよ 「被害者を捜せ」って”代表作”には相応しいんだけど、だから面白いかって言うと、あまり面白くなかったんだよなぁ 「七人のおば」が物語中心で真相解明場面は割とシンプルなのに対して、この「被害者を捜せ」は推理合戦が組み込まれているのがミソなんんだが、その推理合戦の部分がやたらつまらなくてさ ”推理”という要素を兎に角重最要視するタイプの読者には「被害者を捜せ」の方が受けが良いかも知れないが、私はそういうタイプの読者じゃないからねえ 私には「七人のおば」の方が面白かった |
No.698 | 7点 | レモン色の戦慄 ジョン・D・マクドナルド |
(2016/07/19 09:57登録) * 私的読書テーマ”今年の生誕100周年作家を漁る”、第2弾ジョン・D・マクドナルドの2冊目 ロス・マクドナルド、フィリップ・マクドナルドに次ぐ第3のマクドナルドがジョン・D・マクドナルドである、第4にグレゴリー・マクドナルドなんてのも居るが 読んだかどうかは問わないが、ジョン・D・マクドナルドと言う作家が存在するのを知らなかったらミステリーファンとは言えない、その位全盛期には大衆的人気の有った作家なのである 一流か二流かという分類と、A級かB級かという分類とは全く別なものである 一流か二流かというというのはまさにその作家の格付けのようなものだ、しかしA級かB級かという言い方をした場合にはちょっと意味が違う、格の問題ではなくてどちらかと言えばジャンルや分野の違いみたいなものだ 私が何が言いたいかお分かりでしょうか?、つまりA級作家にも一流も居れば二流も居る、同時にジャンル的にB級作家ではあっても一流作家は存在するという意味である ジョン・D・マクドナルドとはまさにそんな作家だ、MWA巨匠賞もロスマクより先に受賞している ロスマクに比べたらたしかに通俗的だ、格調は無いしいかにも大衆向けっぽい、B級臭さが匂う(笑)、でもいいんですよそれで、ジョン・D・マクドナルドは間違いなく一流の大衆作家だったのだ この「レモン色の戦慄」はトラヴィス・マッギーシリーズとしては後期の作で、欧米では代表作の1つと見なされているらしい 前回読んだ「琥珀色の死」が初期の代表作だったので、両者の間が開いているせいもあってか、かなり感じが違うのに驚いた 初期の「琥珀色の死」ではかなりアクションスリラーや犯罪小説的要素が濃厚だったが、後期の「レモン色の戦慄」は読んだシリーズの中でも最も一般的な私立探偵小説の形態に近く私はハードボイルドに投票した 「レモン色の戦慄」では前半だけなら派手なアクションシーンなどは大して無くて、マッギーと相棒による地味な聞き込み調査が中心となる 主人公は私立探偵ではないが、いわゆるハードボイルド私立探偵小説そのままの展開で、複雑な真相、例えばある人物がC事件の犯人ではあってもA事件やB事件には関与していなかったなんてのは、通俗ハードボイルドには割とありがちだ この複雑な真相解明がシリーズの代表作扱いされている理由なのかも知れないが、複雑な割にはマッギーの真相解明には結構納得出来る それだけプロットも良く整理されているのだろう、初期の「琥珀色の死」の粗削りで勢いに任せて書いたような感じとは違って、「レモン色の戦慄」はシリーズの中では後期作らしい落ち着いた完成度の高い作だと思う |
No.697 | 6点 | つきまとう死 アントニー・ギルバート |
(2016/07/07 09:56登録) 論創社からイーデン・フィルポッツ「守銭奴の遺産」とアントニイ・ギルバート「灯火管制」が刊行された、こういう本格派だとはっきりしている場合だと即登録になるのね(大笑) 「守銭奴の遺産」は以前に「密室の守銭奴」の邦題で抄訳だったものの完訳で、「闇からの声」の探偵役ジョン・リングローズ再登場である フィルポッツの中では不可能犯罪を扱ったものらしいが、密室ものの研究家ロバート・エイディの引用として森事典でも酷評されていた 一方の「灯火管制」は、ギルバートの既訳作品「薪小屋の秘密」の次に書かれた作である 偶然にも今回刊行された2人の作家フィルポッツとアントニイ・ギルバートにはある共通点が有って、活躍年代にズレは有るがとにかく息の長い作家だという点である A・ギルバートの名義でのデビューは1927年で、これは「アクロイド」や「ベンスン」の翌年でクイーンなどもまだ登場していない 30年代にはクリスティやナイオ・マーシュ等と共にコリンズ社クライムクラブ叢書の看板作家の1人だった ギルバートは男性名義だが実は女性作家で、年齢的にはクリスティよりたった1歳年上なだけである、晩年は1970年代まで書き続けており、活躍時期的に言えばクリスティと非常に被ってると言えよう ただ残念な事に、30年代にも凄い作品を次々と世に送り出し続けたクリスティに対し、現在ギルバートが高く評価されているのは40年代以降の作品だけで、おそらくこの作家の中では評価の低い20~30年代の作品が今後紹介される可能性はかなり薄い 元々作品数の多い作家だけに、定評ある40年代以降の作品の中から次の翻訳作品がセレクトされるのが読者側からも望まれるところだ 国書刊行会から刊行された「薪小屋の秘密」が作者が本領を発揮し始めた1942年の作なのに対して、この「つきまとう死」は1956年で言わば作者の最も脂の乗っていた時期なのだろう 実際にサスペンスと本格を合わせたような作風と謎解きとしての出来の良さが一体となって、全体としては「薪小屋の秘密」を上回る出来である 惜しいのはこれはkanamoriさんも指摘されておられるが、死がつきまとう女性の過去の事件というのが曖昧な語られ方をされている これによって終盤の真相解明時に何か効果がもたらされるとか大きな伏線になっているとかなら分かるが、別に過去の死について思わせぶりじゃなくてはっきり書いたとしても問題があったとは言えず、曖昧に書いている事があまり意味を持っていない サスペンスと本格を合わせたような作風だけに、サスペンスの醸成を狙ったのかも知れないがそれもあまり効果を上げていなくて、ただ序盤が読み難いだけになってしまっている ここは女性の過去にまつわりつく死に対して、はっきり状況説明をしておいた方がプロット的にも結果的に良かったのではないかと思える おそらく本格派に定型を求めるような保守的な読者にはこちらの方が受けが良いと思う、「薪小屋の秘密」はちょっと終盤がグダグダだったからね ただ私は定型嫌いな読者なので、個人的には作者の持ち味が露骨に出ているという点で、「薪小屋の秘密」のあの完全に定型をわざと外したような感じが好きだ、 |
No.696 | 5点 | 杉の柩 アガサ・クリスティー |
(2016/06/28 09:52登録) 漢字間違え易いけど「棺」じゃなくて「柩」なんですよね 世の他のネット書評上でも、クリスティー通を気取る評論家に受けが良い代表例みたいは作品である この作を持ち上げると、作者の隠れた名作を発掘、みたいな気分になるのかも知れない 通を気取っちゃいないが例の霜月蒼氏も高評価だったなぁ 一方で、この作を低評価する方に多いのが、ミステリーにパズル要素しか求めないタイプの読者だ たしかにね、当作は謎解き的には難が有って、例えば動機の点で日英の違いを考慮しても法律上の疑問点が有るし、殺害方法やトリックにしても専門知識はまぁ大目に見るとしてもセンスと言う意味であまり面白味が有るわけでもない、それと他の方も指摘されておられるが後出しジャンケン的な説明も有るしね 私はクリスティーは一部の作しか読んでないから通じゃ無いし、そうかと言ってミステリーにパズル要素だけを求めるような読者でもない 私がこの作をあまり評価していないのは別の理由によるのである この作が通な方に評価が高い理由の一つはメロドラマと謎解きとの融合という要素だと思う、前半メロドラマで後半が謎解き しかし私はそう見事に融合していないと思うのである、どちらかと言えば木に竹を接いだ感じ、チグハグ感有るんだよなぁ それと他の方も御指摘の通り、その前半だが案外と直接の心理描写は少ない、だから書きようによっては後半も同じ雰囲気で書こうと思えば書けたんじゃないかと思うのだけれど こうしたメロドラマと謎解きとの融合を狙った3作、「ホロー荘」「満潮に乗って」と比較してこの作が一番出来が悪いと思っている、3作の中で私が一番好きなのは「ホロー荘」である 何故「ホロー荘」が好きかと言うと、終始同じ雰囲気で押し通しているからだ そういう意味でこの作とか「五匹の子豚」なんかは惜しいと思うのだよな、前半は凄く雰囲気良いのに、後半になってパズルっぽくなってくると失速しちゃう、「満潮に乗って」になるとそもそもロマンス要素がそれほど濃厚じゃないし 結局のところ作者の数多い作品の中で、通の間で隠れた名作扱いされる事の多い作品の中では私は言われるほど出来の良い作品だとは思っていないのである |
No.695 | 6点 | 檻の中の人間 ジョン・H・ヴァンス |
(2016/06/22 09:56登録) 明後日24日に国書刊行会からジャック・ヴァンス「宇宙探偵マグナス・リドルフ」が刊行予定、宇宙を舞台にしたいわゆるSFミステリーのようだ ジャック・ヴァンスはまた、昨年原書房から刊行されたエラリイ・クイーン名義のペーパーバックオリジナルからのセレクト「チェス・プレイヤーの密室」の代作も担当した 私的読書テーマ、”生誕100周年作家を漁る”、第5弾はジョン・ホルブリック・ヴァンスだ SF作家ジャック・ヴァンスはSF分野の重要な賞であるヒューゴー賞とネビュラ賞を受賞しており、SF分野の巨匠賞も受賞していて、名前知らなかったらもぐりのSFファンと言われかねないような大物作家である 私ははSF分野に全く疎いので知らなかったが、一部で過小評価されてきた作家との評も有るようで、軽快で洒落た文章を読むとそれも頷ける しかしミステリー分野ではやはりマイナーな存在なのは間違いない と言うのもジャック・ヴァンスが本名のジョン・H・ヴァンス名義で書いた「檻の中の人間」がMWA新人賞を受賞した後長編は1作も書かず沈黙してしまったからだ 実はその理由として、本人の死亡説が有るのだけれど、その辺の話はまた後ほど この「檻の中の人間」が新人賞を受賞したのが1961年、丁度スパイ小説全盛期の入り口に位置しており、背景にフランスの植民地だった北西アフリカの政治情勢を舞台にしており、読者によってはスパイ小説に分類すると思う 私もジャンル投票は迷ったのだけれども、内容的にはスパイ小説的要素は背景だけで、どちらかと言えば異国のエキゾチズム溢れる本格派といった感じにに近いと思って本格に投票した 今で思うと、E・クイーンの代作もした事が有るというのも納得である 惜しむらくはねえ、広大なサハラ砂漠を考えると後半にある物体が発見される件などは順調に上手く行き過ぎな感も有るんだけど(他の作家ならもう少し苦労してから発見させるとか)、まぁ軽いタッチが魅力のこの作家らしいのかもね 巻末の解説によると、ジャック・ヴァンスは17ものペンネームを駆使して書きまくったらしい、その中にはヘンリイ・カットナーやルイス・パジェットも含まれていて、すっぱ抜いたのはあのアントニイ・バウチャーとの事だ しかしカットナーの没年は1958年となっているので同一人物説は本当かなぁ ただ重鎮評論家バウチャーが言うのなら信頼に足るのかも知れないし、実際にカットナーの軽快な文章はジョン・H・ヴァンスの文章にも通ずるものが有る さらにカットナーの作風にはミステリー的なセンスが濃厚で、探せばミステリー小説として読める作も有るんじゃないかなぁ、どこかの出版社やってみませんか |
No.694 | 7点 | 死を呼ぶスカーフ ミニオン・G・エバハート |
(2016/05/31 09:57登録) まだ全国的な取次状況にはばらつきがあるみたいだが、論創社からマックス・アフォード「闇と静謐」とミニオン・G・エバハート「嵐の館」が刊行される 見事予想通りアフォードは登録済だけどエバハートは完全無視ですね(笑) 当初はアフォードしか予定が分からなかったので、「百年祭の殺人」も持ってるので読もうかととも思っていたが、予定にエバハートが追加されたので急遽予定変更 アフォードなんて後回し、エバハートを優先だぁ サスペンス小説の全盛期は戦後だが、戦前30年代の黄金時代にも人気を誇ったサスペンス小説のジャンルが有ったのだ、その名称は『もしも知ってさえいたら(HIBK)派』 この派閥の2大巨頭が大御所M・R・ラインハートとそしてもう1人ミニオン・G・エバハートである ラインハートは今更説明の要もないくらいの大物作家であり、名前を知らないなんてのは本格派しか興味ありませんてな一部の視野の狭い読者だけである しかしエバハートは翻訳も少ないしやや知名度は劣るかも 今回の「嵐の館」は久々の翻訳刊行で、現在入手容易なのは2冊共に論創だから、論創社はホント偉いよ、他では過去にポケミスなどにも翻訳作品が有るんだけど、古本値が意外と高いんだ 短編はアンソロジーで既読だったが、私も長編を読んだのはこの「死を呼ぶスカーフ」が初めてである エバハートは決してマイナー作家なんかじゃない、女性としてはヘレン・マクロイなどと並んでMWAの会長職を務めた事も有る MWAの会長職は案外と持ち回り名誉職的要素が強いので、一概に経験者全員が超メジャー作家でもないが、エバハートは後に巨匠賞も受賞しており、当時の人気作家なのが伺える 少なくとも世界的に見たらアフォードなんかよりずっとメジャー作家なのである 2大巨頭のもう1人、ラインハートと比較した場合、ラインハートの流麗でリーダビリティの高い文章に比べて、エバハートはやや癖が有り必ずしも読み易くはない 一方で謎解き面にあまり見るべきものが無いラインハートに対して、エバハートはかなり謎解き色が強く、この「死を呼ぶスカーフ」も中盤のサスペンスを除外して全体のプロットを追うなら、ジャンル投票で本格派に分類されてもおかしくはない そりゃさ、ヒロインの性格はちょっと読んでて恥ずかしくなるようなゴシックロマンス風だけど、その一方で戦争の足音が近づく時代の軍用にも転用出来る飛行機メーカーとか産業スパイなどの話も出てきて舞台背景は意外とモダン ヒロインの職業もニューヨークのモデルだし、この古くて新しい味わいが魅力である 実際にミステリ色の有るロマンス小説という分野は、現代でもサンドラ・ブラウンやリンダ・ハワードといった作家達が活躍しているのだから古い分野とは言えないでしょ 大体さぁ、そもそものHIBK派ってのが誤解されてるんだよ 例えばさ、戦後のウールリッチ=アイリッシュとか読むのに本格派としてどうとかの視点では読まないでしょ、一応はサスペンス小説だと念頭に置いて読むでしょ ところがさ、ネット上でラインハートを酷評してる連中ってのはさ、普段は本格派しか興味無くてさ、ラインハートもやれ伏線がどうだとか事件関係者が証言を隠しているだとかの書評ばかりなんだ HIBK派って基本サスペンス小説の一種なんだよ、名称の元になった作風も本来サスペンスの常套手段なわけでさ、登場人物が言うべき事を黙ったままでいるからサスペンスが生じるんだ(笑) 要するにサスペンス小説として面白ければいいんですよ、そう見ればラインハートなどは間違いなく当時の一流作家である そしてエバハートもラインハートに勝るとも劣らない一流作家だと今回読んで確信した |
No.693 | 8点 | 秘密指令-破滅 エドワード・S・アーロンズ |
(2016/05/17 09:58登録) * 私的読書テーマ、生誕100周年作家を漁る、第4弾はE・S・アーロンズだ 少し前に書評したドナルド・ハミルトンでも言及したが、60年代スパイ小説ブームに乗って、それ以前の50年代に人気となった007シリーズの影響を受けたアメリカ産B級スパイ小説が多数登場した ドナルド・ハミルトンの部隊シリーズ、「摩天楼の身代金」のリチャード・ジェサップの別名義リチャード・テルフェアの作戦シリーズ、ハウスネームで書き継がれたニック・カーターのキルマスター、活躍はちょっと遅れて70年代になるがドン・ペンドルトンの死刑執行人(マフィアへの挑戦)シリーズなどである 中でも部隊シリーズと並んでこの分野を代表するのがE・S・アーロンズの秘密指令シリーズだ 秘密指令と言うだけあって、まず冒頭に秘密指令の表面的概要が示される そして主人公サム・デュレルが現場へ向かって指令に沿って調査を行うわけである こう書くと後のクライブ・カッスラーのダーク・ピットシリーズみたいに国家組織の公務員プロが行う工作活動みたいに思われるかも知れないが、実は全然タイプが違う あんなダーク・ピットみたいな冷徹クールな工作員ではなく、サム・デュレルは熱い血を持ち思い悩む生身の公務員スパイなのである ちょっと主人公がタフ過ぎるだろ(大笑)というツッコミどころは有るし、話の展開はいかにもB級らしい定番なんだけど、とにかく面白いのである いやB級スパイ小説はこれでいいんですよ、充分 以前書評したドナルド・ハミルトンの部隊シリーズが、ちょっとハードボイルドっぽくて男の人生哲学なんかが語られるので、読者によって好き嫌いが分かれる感じなんだよね その点このアーロンズの秘密指令シリーズは娯楽に徹しており、良くも悪くもこれぞB級スパイ小説って感じで、この手のが好きな読者なら楽しんで読める |
No.692 | 6点 | ABC殺人事件 アガサ・クリスティー |
(2016/05/07 10:02登録) C・デイリー・キングの「いい加減な遺骸」の書評をしたのだが、「いい加減な遺骸」がABC3部作の1冊なので、ついでだからABC繋がりで「ABC殺人事件」の書評もしてしまおうと思い付いた 「ABC殺人事件」は確かに私もベタな感じはする、その点では同感だ、確かにベタだ、間違いない ベタですよ、ベタだ! だがしかし問題は、何が理由でベタに感じさせられるのか?ポイントはそこだな ベタな理由は? 多くの読者は、そりゃ、あのミステリ的な仕掛けでしょ、と思うでしょ、しかし私はミステリ的趣向仕掛けがそれ程ベタだとは思わないのである 仕掛けに関しては、これは要するに「三幕の殺人」の改良版だと思うんだよな、作品名を出しちゃったけど、別にネタバレでも何でもないから大丈夫 「三幕の殺人」が1934年、「ABC殺人事件」が1935年、「ABC」の方が後発だし、その割には間髪を入れずに書かれている この両作の間に出た長編は、ポアロもマープルも出てこないノンシリーズ「大空の死」1作のみなのだ つまり「ABC」が「三幕」の改良版を想定したのではないか?という疑いは捨てきれないのである 「三幕」がミッシングリンクの範疇に留まっているのに対して、「ABC」では演出効果として”見立て”の領域にまで踏み込んでいる感じなんだよね 私は「三幕の殺人」がそれ程完成度が高いとは思わない、どちらかと言えば出来損ないの部類ではないかと感じている、そこを改善しようと作者が目論んだと思うのは穿ち過ぎだろうか で、そこでさ じゃあ、論題に戻って「ABC」がベタに感じさせる理由は何なのか? 私はその理由は”題名”だと思う ”ABC”ですよ、ABC! これってさ、日本で言ったら、例えば「アイウエオ殺人事件」とか「いろは殺人事件」って事でしょ、そりゃベタだわな もっと他に無かったのか? 例えばギリシア文字使って「αβγ殺人事件」にするとかさ、そうするだけでも印象は結構違ってくるのになぁ、某国内作家ぽくなるし(笑) つまりはさ、「三幕」よりも完成度を高めたのは良かったのだが、作者の限界か”ABC”などという安易な演出しか思い付かなかったが為に損をしている作品に思えてしまうのだよね |
No.691 | 6点 | いい加減な遺骸 C・デイリー・キング |
(2016/05/03 09:59登録) 論創社からエリザベス・フェラーズ「灯火が消える前に」、C・デイリー・キング「厚かましいアリバイ」、とそして先月分が延期になっていたバート・スパイサー「ダークライト」の3冊が同時刊行される 予想通りスパイサーは無視されてますね(笑)、来月分の配本はマックス・アフォードとミニオン・G・エバハートが予定されてるんだけど、きっとアフォードは即刻登録されるでしょうがエバハートの方は無視されるでしょう、賭けてもいいよ(大笑) フェラーズのは当初予定されていた題名「ホームパーティー殺人事件」から変更したんだな、当サイトで論創社の最近の題名の付け方に疑問が呈されていたけど、論創社の関係者の方が参考にでもされたのでしょうか? さてアメリカ本格長編黄金時代のクイーンとキングと言えば、もちろんエラリーとC・デイリー・キングである キングと言えばオべリスト3部作とABC3部作の二つの3部作である 今回刊行される「厚かましいアリバイ」はABC3部作の2作目でAに相当する、Cの次にAなのは、そもそも原著の順番がABC順じゃなくてC→A→Bの順だからだ その第1作目Cに相当するのが「いい加減な遺骸」である、ABC3部作の原題は全てに韻を踏んでおり、「いい加減な遺骸」の原題も「Careless Corpse」で訳題も一応考えたってわけ、今回出た「厚かましいアリバイ」も同様 アメリカ本格長編黄金時代の申し子のようなデイリー・キングだが、それを如実に表しているのがこの時代らしい遊び心だろう オべリスト3部作での数ページにわたる手掛かり索引などはまさにそんな感じだが、ABC3部作では流石にそれは止めてしまったが、でも「いい加減な遺骸」でも遊び心は負けていない この作では音楽絡みという事で、各章立てが”ソナタ、主題と変奏、ロンド、フーガ”など音楽用語で溢れており、最終楽章は”コーダ”で演奏終了となる 笑ってしまうのは登場人物一覧表も”演奏者”になっている 実は音楽だけではない、音楽、物理学、化学、そして作者お得意の心理学がごちゃ混ぜとなって禍々しい雰囲気を醸し出す 雰囲気と言えば、これ孤島ものであり館ものでもあるんだな、私はこの手の舞台設定が大嫌いなのだけど、この変な雰囲気に免じて許そう(笑) 文章や展開のぎこちなさは相変わらずだけれど、これは解説の森英俊氏も言っているように、キングらしい持ち味とも言うべき魅力でもある 私はむしろプロットなどはオべリスト3部作よりは進歩している感すら抱いた、オべリスト3部作でのあの心理学者同士の解説にうんざりするような読者なら、この「いい加減な遺骸」の方が読み易いんじゃないかなぁ そしてこの作の最大の問題点が作者も最終メモで弁明しているように、トンデモな殺害トリックなのだ、これをどう評価するか たしかにこれは科学的に実行不能で、保守的な読者ほど受け入れ難いだろうけど、私は割と気にならなかった 例えばSF設定のミステリーなどで、こういう前提条件が成立するとした場合で解釈するというタイプのものがある あれと同じで「いい加減な遺骸」の場合も、この殺害方法が成立するという前提条件を呑めば、推理としては誰に可能性が有ったかという問題に帰着できる訳で、別にそれでいいんじゃないかと思う 今の時代、「探偵ガリレオ」が受け入れられている時代だからこそ、この作品も余程頭の固い読者でもない限りは受け入れられるんじゃないだろうか そもそもね、このトリックを非難酷評するのは簡単さ、でもね、キングが活躍した時代というのはトリックの払底によってアメリカン本格が袋小路に入りかけてた時代なんよ こうした読者側のすっきりしない敗北感によって後にアメリカ本格派は衰退し、トリック至上主義に陥らなかった英国教養派に主流の座を取って代わられることになるわけ つまりはさ、この作品を駄目だと言うのなら、それはアメリカン本格の時代的な限界と、そして本格派というジャンル自体のつまらなさを露呈しているわけですよ だから思い切って7点進呈しようかと思った位、ただなぁ、孤島もので館ものというのが気に入らないからまぁ仕方なく1点減点だ(笑) |
No.690 | 5点 | 謎のクィン氏 アガサ・クリスティー |
(2016/04/19 10:03登録) 私がこれ読んだのは結構初心者の頃で、『おしどり探偵』や『火曜クラブ』(『パーカー・パイン』は未読)と並んで同時期に読んだ 『おしどり探偵』では物真似される未知の作家に対して興味を持ったし、『火曜クラブ』に見る独特のエキゾチズムは魅力だったが、『謎のクィン氏』だけはどうにも合わなかった 一応断っておくと、私は初心者の頃からパズル的要素だけを求めるタイプの読者では決してなかったし、『クィン氏』にパズル要素だけを求めてもいない 私も小説的世界と謎解きとの融合という点で質は高いとは思ってる しかし質の高さと、個人的な好き嫌いとはまた別の問題なわけで とにかく私はこの短編集が嫌いである、質自体が標準クラスだったら4点以下にするところだ じゃあどういう点が嫌いなのか 初めて読んだ時に、読んでるこっちが恥ずかしくなってきたんだよね、これ だって、これって例えば日本だったら、スサノオとかひょっとこを、まるで白馬にまたがった王子様風に登場させる感じなんだもん 初読時に思ったのは、少女漫画の世界かよだった(苦笑) ハーレクィンのアバターという基本発想自体がクリスティの独創性を感じるよりも、他の作家でも思い付きそうだけど、他の作家なら恥ずかしいから書かないんじゃないかと感じたんだよね 私が作家だったら、そうだな「真夏の夜の夢」に登場する妖精パックの化身でも使うかな あとねサタスェイト氏が大嫌い、とにかく嫌い 何て言うかこの人物、作者の化身とでも言おうか、作者の性別を変更して年配にしたような感じがするんだよね サタスェイト氏と事件の渦中に居る登場人物との絡みがもう、読んでて恥ずかしくなるんだよね もう駄目、とにかく私には合わない よく通好みみたいに言われる事の多い『謎のクィン氏』だけど、案外とね、通な読者よりもさ 例えば読者の知恵比べとしてのパズル的ゲーム性を重んじて人物キャラなどには全く興味の無い読者がむしろ高く評価しそうな感じも有るんだよね、案外とね あるいはハードボイルドとか警察小説とか社会派とかのリアリズム系ジャンルには全く興味が無い的なタイプの読者にも合うだろうな、リアリズムとは対極を目指したような感じだもんね ちなみに読んだ数少ないクリスティ短編集の中で、特定の探偵役が居ないノンシリーズ短編集だけど私が一番好きなのは『死の猟犬』である |
No.689 | 5点 | 誘拐部隊 ドナルド・ハミルトン |
(2016/04/16 10:00登録) * 私的読書テーマ”生誕100周年作家を漁る”、第3弾はドナルド・ハミルトンだ 60年代はスパイ小説の時代である、60年代は他の全てのジャンルが停滞していた 本格派しか読まない読者だと、60年代は本格派不毛の時代だったとすぐに嘆くが、違うよ、そうじゃないんだな 本格派”だけ”が不毛だったのではなくて、スパイ小説以外のどのジャンルも不毛だった、例えばハードボイルド派もただ1人ロスマクだけが気を吐いていただけで、60年代が最盛期だった大物ハードボイルド作家ってロスマク以外に誰か居る?答えられるなら誰か答えてみてよ ハードボイルド派が劇的な復活を果たすのは70年代のネオ・ハードボイルドの登場以降である 要するに60年代ってスパイ小説だけの1人勝ちだった時代なのだ じゃぁ何故60年代がスパイ小説ブームだったのか?そりゃもちろん55年体制以降の東西冷戦時代の影響だろう、そしてイアン・フレミングの007シリーズの流行である 007以前からエリック・アンブラーも活躍してはいたが、やはり地味な作風のアンブラーではブームの火付け役にはならなかった 大抵がこうしたブームが起きると模倣者が現れるのが世の常である 伝統の英国では後継者ではあっても作風的に全く模倣者とは言えないジョン・ル・カレやレン・デイトンなどが登場して、007とは違うリアリズム・スパイ小説という分野を開拓するが、アメリカでは事情が違った 英国のような伝統に乏しいアメリカでは、単に流行だけを追いかけたようないかにもアメリカらしいB級スパイ小説が次から次へと登場する ドナルド・ハミルトンの『部隊シリーズ』、E・S・アーロンズの『秘密指令シリーズ』、リチャード・テルフェアの『作戦シリーズ』などである 尚リチャード・テルフェアの本名は、後に「摩天楼の身代金」を書いたリチャード・ジェサップである これらは通俗ハードボイルドみたいなユーモア調のおちゃらけた内容では決してなくて結構硬派だったみたいだが、やはりどこかアメリカナイズと言うか、そこはかとなくB級感が漂っているらしい 中でも後年までシリーズが続き人気を博したのが、ドナルド・ハミルトンの部隊シリーズ、別名マット・ヘルムシリーズである シリーズとは言っても原題に部隊の意味は無く、おそらく早川が勝手に付けたものだろう シリーズ第1作「誘拐部隊」は、完全にシリーズ化を計算して書かれたフシが有り、大戦中のスパイ工作員から引退して一般の市民生活に順応していたマット・ヘルムが何故再びスパイ要員として要請を受ける事になったのかという事情に内容の半分以上が費やされている だからこの第1作では本題の話はかなりシンプルで、スパイ小説らしい捻りはあるものの、マット・ヘルムとはいかなる人物かの方が主題となっている したがって「誘拐部隊」だけを読んでシリーズ全体を類推するのは誤りと思われ、他のシリーズ作も読んでみる必要が有りそうだ 内容的には先にも述べたようにかなり硬派ですよ、いや007よりも硬派なくらいで決してユーモア調ではない ただたしかに真面目に書かれているのだが、ル・カレなど英国流の格調の高さとは比較にならない、硬派なのにどことなく通俗的で完全に庶民の為の読み物である しかしまぁこれがアメリカ流なのでしょう、そう思って割り切って読むべきシリーズである |