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ミステリの祭典

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ホロー荘の殺人
エルキュール・ポアロ/旧題『ホロー館の殺人』

作家 アガサ・クリスティー
出版日1954年10月
平均点6.06点
書評数16人

No.16 5点 虫暮部
(2022/06/04 13:45登録)
 殺人以前は流れに乗り切れなかった。この手の作品は、そこでキャラクターを把握しておかないと、後半の機微も読み取れないんだよね……。
 要するに、犯人としてはしっかり考えたつもりでも、実際は隙のある計画だったと。そういう設定は作者の匙加減でどうにでもなり、私は好きではない。しかし本作、キャラクター的にソレをやりかねない犯人だと言う気はする。
 原題は The Hollow だから“うつろな人々”。うむ、確かにそういう話だ。“わたしたちはみんな、ジョンに比べれば影なんです”。
 
 5章(クリスティー文庫版81ページ)。“二叉路”とあるのは誤訳、と言うより日本語のミス。
 6章。“小さな田舎の駅だが、前もって車掌に言っておけば急行を停めてくれる”。牧歌的で素敵なシステム!

No.15 7点 ALFA
(2021/01/07 11:35登録)
(少しネタバレ)

定義も曖昧な「文学的」なる語はあえて使わずに、物語として面白いか?というと実に面白い。登場人物の造形はしっかりしている。主要な人物だけでなく、被害者の息子や病気のおばあさんなど、周辺の人物のキャラも立っていて楽しい。
で、ミステリーとしての構成は?というと印象は弱い。傑作「白昼の悪魔」はしっかりとしたミステリの骨格に必要最小限の物語をまとった筋肉質の作品だし、「ナイルに死す」は同じく大がかりな構図の反転を伴った骨格に、芳醇な物語をまとわせたリッチな作品である。それらに比べると、この作品はふくよかだが骨格の弱い人物のようだ。
(弱さその1)シンプルで大胆なトリックは面白いが、犯人のキャラに会わない。このトリックならもう一人の人物にこそふさわしい。
(弱さその2)事後従犯をあえて買って出る二人。キャラは合っているが動機が弱い。犯人を庇うなら犯人へのシンパシーと被害者への敵意が必要だが、一人はどちらも持っていないないし、もう一人は犯人へのシンパシーは単に社交的なものである一方、被害者に対しては敵意どころか深い愛情を抱いていた。たとえ最後に被害者から頼まれたにしても従犯を引き受けるには無理がある。
というわけで、この物語はもともとトリックなしの単純な悲劇にふさわしい構造ではないかと思う。
ポワロの最終盤の台詞「いつかは私のところに来て事実をきくでしょう」で思いついたが、20年後の設定で過去の事件として再構成したらどうなるかな。この話の場合、「五匹の子豚」のように過去の事件を再捜査するポワロのほうが生き生きと描けると思うが。
とはいえ物語として十分楽しめたのでこの評価。

No.14 6点 蟷螂の斧
(2020/08/06 20:59登録)
複雑に絡み合った恋愛関係が読みどころ。一途な女性ミッジを応援!!その結果は満足です(笑)。この人物が犯人で、動機もこうであろうと思いながらの読書でしたが、毎度のことですが、大ハズレ。読むたびに著者はうまいなあと感心するばかりです。なお、結末に至る過程がややあっけなかったかなと思いで6点どまりとしました。

No.13 6点 tider-tiger
(2020/07/05 21:01登録)
1946年イギリス。
本作はクリスティによる文学的なミステリの代表格のように言われておりますが、これが文学的であるのなら例えば『五匹の子豚』だって文学的な作品といえるように思います。
そもそも文学的とはどういう意味なのか?
書評ではよく使われる言葉ですし、私自身もよく使用します。が、冷静に考えると意味のよくわからない言葉であります。おそらく確固たる定義は存在しないでしょう。
自分にとって文学的というものを突き詰めると主に以下の二点でしょうか。
文章でしか表現できないことが書かれているもの。
文章の力で愉しませることができるもの。
いわゆる文学的なテーマを扱っている、人間をきちんと描いているだけでは充分ではないように思えます。
※あくまで持論です。
私の考えでは本作はミステリとして優れているわけではありませんし、それほど文学的でもありません。けれどもなかなか面白い作品です。人物描写を丁寧にすることにより、およそありそうもない事実に説得力をもたせ、事件を複雑化することにはある程度成功しています。
逆に見るとクリスティ再読さんの仰るミステリとしての脆弱さを人物描写で誤魔化しただけともいえるでしょう。
確かに軽快に転がされたというよりも、無理矢理引き摺られた感はあります。
これがそれほど特殊な作品なのかが疑問です。本質的にはいつものクリスティのような気がするのですが。
自分が本作を評価するのはドラマとしての面白さです。前半は少々かったるいと感じるところもありますが、後半は非常に面白い。
病気のおばあさん、被害者の息子の使い方、洋服屋で奮闘するエドワード、将来の使命を覚悟するポワロ、奇妙なダイイングメッセージなどなど好きなところがけっこうあります。
この作品でもっとも白けたのは拳銃発見の唐突さでしょうか。正直なところなんだそりゃと思いました。
格別高評価はしないけれど、面白く読んだ作品です。ミステリーとしては5点ですが、おまけして6点。

本作で私がもっとも印象に残っていたのは以下のセリフでした。このセリフに深い意味があると思いこんで、とても怖かったのです。
「あらたいへん――これが剪定鋏の困るところなのよ、あまりよく切れるものだから――いつもうっかり刈るつもりじゃないところまで刈ってしまう。後略」
想像させて怖がらせる、これぞ文学です(かな?)。

※昔から思っていたのですが、ホロー荘と聞くと自分はどうしてもそれほど高級ではないアパートで起きた殺人を連想してしまいます。どうして本作は邸とか屋敷とか館ではなく「荘」なのでしょうか。

No.12 6点 レッドキング
(2020/06/19 21:56登録)
ハンサムで仕事もできる開業医。不器用で地味な妻と、魅力的な二人の・・才能ある美術家と有名女優の・・二人の「愛人」。読者の誰もが予想する通りに医者が射殺され、傍らには拳銃を手にして茫然自失の妻。人間関係トリックでなければ、キャラ一捻りトリック・・プロット上、一番疑わしい立場の人物を一旦裏に隠すアガサ・クリスティー常套のトリック・・だが、今回は他の容疑者達もそれぞれのキャラが奥深く反転される。
「絶望とは、冷たい孤独の中に自分を閉じ込めること・・」
「私、何処へ行けばいいんでしょう? 何をすればいいんでしょう?」「さあ、お帰りなさい。あなたは生きている人の所へ行くのです・・」  不覚にも「感動」してしまった。

No.11 7点 弾十六
(2019/08/28 04:47登録)
クリスティファン評価★★★★☆ (特記が無い部分は2019-8-24 20:25に登録。原文を入手して結構長い追記をしたので再登録しました。)
1946年出版。ハヤカワ文庫で読みました。ずっと読む機会を逃してた残り少ないクリスティの未読作。(とは言え昔読んだ大抵の作品を覚えてないので「未読」というラベルは私にとって無意味。)
最初の章で全員を軽くスケッチ。(このテクニックが上手。) 次からの章で重要な登場人物を独白も交えて描写。読者を簡単に小説世界に誘います。偉大なるポピュラー小説家ですね。
ところが読み進めると心理描写があっちこっちに行くので落ち着きません。視点が固定されてない小説は好みじゃないのです… (特に第10章の独白は、きっとあの人はあの時こう感じてたのでは、という誰かの回想にした方が効果的だと思いました。)
ポアロの登場でさらに変な感じが増し、やれやれと思ってたら、後半は起伏のある展開が続き、最後はすっかりアガサ姉さんにやられました。第28章、オーブンのすぐ後、多分小説史上最高に愛らしいxxの登場もお気に入りです。そして最終章が実に素晴らしい。ミステリはクリスティしか読まない私の知り合い(♀)にぜひ感想を聞いてみたいです。
まージョンの疲れとか考え方は全然納得いかないんですが、各女性キャラがかなり良く描けてるのでは?(特に第2章が好き。) 私はセイヤーズが「文学的」だと思ったことは一度もないのですが、この作品も文学を狙ったというより「平凡な」感覚を低俗に落ちないで「平凡らしく」描いた力作だと思います。(スーシェ版の映像化を見たら冒頭から下劣な感じで途中で落ちました。監督は「そういうふうではない(p220)」感じを全く理解していない…)
この小説、構成を変えたらもっと良くなるような気が… ポアロ抜きの劇場版は翻訳されてないのかな?(でも本作の不安定なバランスも捨てがたい…)
さて、人並由真さまの疑問「硝煙反応」ですが、作者は事件の前日に遊びで拳銃を撃たせたり、当日狩猟に行かせたりで、ほとんどの登場人物に火薬残留物を振りまいています。当時のパラフィンテスト(最初は1933年メキシコ)なら、こういう場合、全員に陽性反応が出てもおかしくありません。作者は意図的に状況設定していると感じました。(パラフィンテストの弱点は、残留物がいつ付いたのかわからない、近くで発射された残留物とも区別出来ない、マッチの火薬などでも検出してしまう、などなど。まだ初歩的な分析で、最初の改良は1959年ごろ。)
当時の読者がパラフィンテストを知ってる可能性が低いので作者が説明を省いたのでしょうか。発射した銃がライフリングマークで特定できるという知識は探偵小説経由として説明してますね。こちらは1925年生まれで、しかもパラフィンテストと違い、科学的に決定的な証拠です。
以下、トリビア。原文入手出来ませんでした。
作中時間は、戦中戦後であれば何らかの形で戦争の影があるはず。とすると1938年か1939年か。(1938年以降というのは確実。後述参照)
旧ハヤカワ文庫の表紙、真鍋画伯のコラージュは中心にリボルバー。(多分、参照したのはColt Official Police、全体のフォルム、スクリュー位置、撃鉄付近のデザインが一致。) 良い表紙絵ですが、残念ながらコルトでは内容に合いません。
登場する銃でメーカー名が明記されてるのは、まず「三八口径のスミス・アンド・ウェッソン」いろいろ候補はあるのですが、レア物なら登場するガンコレクターが蘊蓄を傾けると思うので、当時最もポピュラーなミリタリー&ポリス(38スペシャル弾)が最有力か。(アガサ姉さんが銃に興味がないのでモデル名を書いてないだけか…) 続いて「モーゼル拳銃… 二五口径… きわめて小型の… 自動拳銃」候補は二つ。M1910かWTP。きわめて小型という表現からWTPが有力。 初期型のモデル1(1921-1939)とさらに小型化したモデル2(1938-1945)があります。
執事が自動拳銃(オートマティック)を「輪胴拳銃(リヴォルヴァ)」と呼び、警部が「それはリヴォルヴァじゃない」と指摘するのですが「銃に詳しくないから知りません。」まーそーですよね。弾倉がリヴォルヴ(回転)するからリヴォルヴァなんですが、普通の人にとって「リヴォルヴァ」はピストルやハンドガンの洒落た言い方くらいの認識でしょう。
p74 デラージュ(Delage): 自動車メーカー。造形的に面白いのはD8-120(1937-1940)でしょうか。クリスティって鉄道好きらしいのですが、自動車のメーカー指定をしてるってことは結構メカ好き?
p76 殺人ゲーム: このパーティの余興がいつ頃始まったのか、現在調査中。1860年以降、という記述をWEBで見つけましたが…
p154 へディ ラマー(Hedy Lamarr): ハリウッド デビューの1938年からこの芸名に変えたので作中時間はそれ以降であることは確実。
p159 ニュース オブ ザ ワールド(News of the World): 俗悪紙として繰り返し言及。Wikiにタブロイド誌とあったので、ケバケバしいカラー誌を想像しましたがWebで見つけた1939年9月のは白黒の普通の新聞ぽい感じ。
p179 遊んで暮らせる人: ここに登場する人びとは大抵資産持ちの有閑階級。
p180 週4ポンドの仕事: 雇用主はホワイトチャペルのユダヤ女。英国消費者物価指数基準(1938/2019)で66.75倍、現在価値34310円。月給換算だと14万9千円。
p189 [警部には]男の子がいて、夜なんかメカノを作る手伝いしてやって…: Meccano is a model construction system created in 1898 by Frank Hornby in Liverpool, United Kingdom.(wiki) うちにはありませんでしたが日本でも結構ポピュラーな知育系おもちゃなのでは。結構古い歴史があるのが意外。我が家はレゴ派でした。
p215 こんなすてきな詩をご存知?… 『日はゆるやかに過ぎていく、一日、そして一日と。わたしは家鴨に餌をやり、女房に叱言を言い、横笛で吹くはヘンデルのラルゴ、そして犬を散歩につれてゆく』: ある読者がクリスティにこの詩の出典を尋ねたら「思い出せない」ということだったようです。poem dog day handel largoで検索したらヒットしました。Creature Comforts by Harry Graham (1874-1936)より。
The days passed slowly, one by one;
I fed the ducks, reproved my wife,
Played Handel's Largo on the fife,
Or gave the dog a run.
p249 あの女[女優]はハリウッド帰りです--新聞で読んだのですが、あそこでは、ときどき射ちあいをやるそうですな: 後段は 「向こうで数本撮影した(shot)」じゃないかな?
p263 ニガー イン ヒズ シャツ: お菓子の名前。チョコレートに卵とホイップクリームをかけるらしい。外人が喜ぶらしい。調べつかず。
p266 使い古しのパイプ、1パイントのビール、うまいステーキ、ポテトチップ: 警部のリラックスタイム。
p284 ヴェントナー10: 便利な小型車… 燃料もくわない… 走行性もいい… スピードがでない… 60マイル以上は出ないらしい。調べつかず。架空名?
p298 皿洗いの女中に対してすらあんな扱いはしない: 確かに店員に対しては、ひどい対応をする人がいるよね。
p303 三四二ポンド: 上述の換算で現在価値293万円。
p330 きみは逝き、すでにこの世のものならず…(後略): 何かの詩。調べつかず。

(2019-8-25追記)
スーシェ版のTVドラマを見終わりました。ジョンが下劣に描かれてるだけで、他の人物はかなり原作に忠実。銃の再現が素晴らしいレヴェル。S&Wミリポリ、モーゼルM1910、S&W DA 4th Model、コルト オフィシャルポリス… でも私が好きな場面は全部カット。TVの限界を考慮すると精一杯の脚本かも。でも原作の魅力は半分も伝わらない感じ。せめてジョンをもっと好感の持てる人に描いて欲しかったなあ。

(2019-8-28追記)
原文を入手しました。
モーゼルはquite a small weapon「quite a +形容詞」は、米語ならかなり強調するニュアンスですが英国英語ならratherの意味。(Web上のBBC learning english参考) とするとノウゾーさんの「きわめて」は強めすぎか。スーシェ版のモーゼルM1910で妥当ですね。
p215 「こんな詩」の原文は“The days passed slowly one by one. I fed the ducks, reproved my wife, played Handel’s Largo on the fife and took the dog a run.” 最後のand took以外は原詩通り。うろ覚えでもこの精度。韻文の力って偉大ですね。余談ですがHandel’s Largoと言えばOmbra mai fuなんですが、FifeでMessiahのNo.13 Pifa(こっちはシシリアーナですが)を連想しました。
p249 ハリウッドで撃ち合いはand by what I read in the papers they do a bit of shooting each other out there sometimes. 警部のジョーク?能三さんの訳で大正解。
p263 私の入手した版はHarperCollinsの電子版だったのですがニガー イン ヒズ シャツはMud Pieに変わっていました… (元の表現は当時の英国らしくて良いと思うのですが…)
p284 It’s a Ventnor 10. 検索しても見当たらないのでやはり架空名なのでしょう。
p330 きみは逝き... の詩は、He is dead and gone, lady, /He is dead and gone. /At his head a grass green turf, /At his heels a stone.’ ハムレット(Act 4 Scene 5)から。オフィーリアの台詞。文学好きならすぐピンときてたんでしょうね…

なお、この作品、クリスティの戦後初出版です。(正確にはアガサ クリスティ マローワン名義のエッセイ「さあ、あなたの暮らしぶりを話して」が先。) 戦争のことに一切触れてないのは(クリスティの中では)ポアロが戦時中に終わったので、クロニクル的に戦前の事件とせざるを得なかった、ということでしょうか。(まー後の作品ではそんなの関係なくなってますけど)
でもこの作品は突然の死を悼む気持ちに溢れていて、戦没者に対する鎮魂歌にもなってる気がします。レディアンカテルの「死んだからって特別なことじゃない」という一見冷たい言葉も喪失感に対する気持ちの整理としてある意味正解でしょう。
そして当初の製作メモではHenriettaがElizabeth、MidgeがGwenda、John ChristowがRidgewayだったと知って、この作品はアガサ姉さんの最初の結婚に(無意識的に)整理をつけているのでは?という妄想にとらわれはじめています… (わざわざChristieに見紛う姓というのが、あからさま過ぎるのですが…)

(2019-8-30追記)
こないだから妄想全開です。
証拠を少々補完。(なるべくネタばれしないように書いています。)
Elizabeth→Henriettaの変更はVirgin Queenから不倫大王Henry VIIIへ。裏テーマの暗示?
Savernake=Saviour+nake=Christ + unveil? やはりクリスティを連想させる単語。
ドジでのろまな奥さんの旧クリスティ(Gerda)と職業作家である新クリスティ(Henrietta)の対比。

さて、結論です。
秘密を告白したくなっちゃうのは人の常。
アガサさんも自作のなかに誰もが知りたがった失踪事件について(ついうっかり)言及してるに違いない、という妙な確信があって、昔、読んでたことがありました。
この作品がそうなのではないか。
発表のタイミング(戦後の新しいスタート)、クリスティを暗示させる姓、不倫というテーマ、妙に力の入った心理描写。
そうなると当時の記憶喪失の真相は本作の筋を考えると明白。
あくまで妄想です。
でもこれ、いかにも「アガサ姉さんらしい」企み、と思いませんか。

(2019-8-31追記)
ラストを読み返していて、トリビアを一つ発見したので追記。
p366『彼のごとき人にふたたび会うことはないであろう』(We shall not see his like again.): Web検索すると I shall not look upon his like again. (William Shakespeare, "Hamlet", Act 1 scene 2)がヒット。原文どおりの有名句は無いようですが、いくつかのWebからwe shall not see〜の形で結構引用されてるような感じを受けました。

私の中ではアガサ姉さんとの架空対談まで妄想してるのですが、発表しません。
でもこの作品でアガサ熱に火がついてしまったので、2020年から始める予定だった100周年記念企画を今からスタートさせることにします。(誰もが考えるような平凡な発想ですね…)

No.10 6点 人並由真
(2017/08/27 11:52登録)
(ネタバレなし)
 登場人物の書き込みが妙に執拗で、クリスティーの中ではなかなか骨太な作品…と思ったけれど、nukkamさんのレビューを読んでとても納得しました。作者にしても意識的に文芸性を狙った一冊だったんですな。
 ただし訳者・中村能三の巻末解説(あとがき)の中の余計な一言もあって、犯人は途中で普通に気づいちゃいました。そういう趣向も加味してるのなら、この人物だろうと思ってまんま正解。これから読む人は解説は見ない方がいいです。
 あと凶器関係のトリックに関して、その思考ロジックはおかしいでしょ、というツッコミも多少。
 さらに言うならこの時代、まだ硝煙反応の鑑識技術は無かったんだろうか。あれば一発だよね。webで調べたけど、二十世紀の何年ごろ確立した技術かはわからない。
 ご存知の方がいれば掲示板などでご教示願えますと幸いです。

No.9 6点 nukkam
(2016/07/31 01:02登録)
(ネタバレなしです) 人気作家ゆえに批判もまた数多く浴びせられるクリスティーですが特に文学的ミステリー作家の代表とされるセイヤーズなどと比較されて人物描写に深みがないことが指摘されているそうです。それに対してクリスティーにだって文学的なミステリーが書けるんだと擁護派がよく引き合いに出すのが1946年発表のポアロシリーズ第22作である本書です。登場人物の内面が一人一人丁寧に描かれ、ロマンス描写も単純な相思相愛ではなく時には一方的だったり時には自虐的だったりと複雑です。ポアロの出番は物語が三分の一を経過してからようやくですが作者はポアロの起用について必ずしも満足していたわけではなかったそうで、1951年に本書の戯曲版を作った際には何とポアロ抜きの作品にしたそうです。それだけ個々の登場人物の存在感が強くてポアロを活かしにくかったのでしょう。とはいえ少ない出番ながらもポアロにもしっかり花を持たせており、「罠にかかった犬」のたとえ話は名せりふだと思うし、第29章最後のせりふも実に印象的です。

No.8 8点 青い車
(2016/02/22 23:13登録)
本格ファンにはあまり好まれないかもしれませんが、ユニークかつ感動的な事件の構図の妙が素晴らしい隠れた名作です。目立たないながらもしっかり散りばめられた手がかりの配置も見事。何より特筆すべきなのが他に類を見ないダイイング・メッセージであり、それがまた感動を誘います。はやみねかおる氏の解説にもある通り、ポアロの推理が見られるのもいいです。登場させなければよかった、と作者はコメントしたそうですが、名探偵というガジェットが大好物な僕としては彼が出てくるだけで嬉しくなります。

No.7 3点 クリスティ再読
(2015/06/15 23:06登録)
「文学的だ!」というので一部で評価が高いようだけど、その「ブンガクテキ」という奴が評者のソレと互換性がないみたいでどうにも困る.....

実は平行して「ブラウン神父の童心」を久々に再読していてて、ホロー荘のシチュエーションは「飛ぶ星」に似ているんだけども、ブルジョア家庭の遊びごとの描写を通じて社会批評をやってるあっちと比較したら、タダのメロドラマだよねこれ。ケナすつもりはないが、クリスティだとインテリとは呼べないバックグラウンドだから、「ブンガク」とかリキを入れるとどうしてもこんな因習的なものにしかならないよ。クリスティが書いた本当に優れた文学っていうと、こういう気取りを離れた晩年の「終りなき夜に生れつく」だと思う。

でまあミステリとして面白ければいいんだけど、実は評者はこの真相を一種のバカミスだと思うんだ。喜劇を生真面目につまらなくやっている印象といえばいいかな。なおかつ、手がかりらしい手がかりもなくて、何か心理洞察だけ(言いかえれば作者が入れて置いたものをそのまま取り出すだけ)で、真相解明しちゃうわけで、ポアロがいる必要性もゼロだわな。これだったら最初から犯人サイドでの倒叙で書いたほうが絶対面白いと思う...「熱海殺人事件」みたいなニュアンスになるかもよ。

ちょっと気がついた疑問点だが、拳銃の小細工が判明したら、衝動的な殺人じゃなくて計画犯罪だということが周囲にバレるわけだけど、それでもかばってもらえるのかな? 犯人の計画が二兎を追いすぎて矛盾しているように思うんだがどうだろう??

だからこれ、ミステリとしての脆弱な内容を「ブンガク」のレッテルでごまかしただけの作品としか評者は思えないです。こういう「騙しのテクニック」は願いさげだなぁ。

No.6 3点 了然和尚
(2015/04/15 13:58登録)
ミステリーとしては3点。ミステリー要素を抜いた評価ではさらにマイナス1点。私には合わなかったのかな。

No.5 8点 E-BANKER
(2015/04/06 21:12登録)
1946年発表の長編ミステリー。
もちろんエルキュール・ポワロ物の長編だが、本国で特に評価の高い作品として知られている。

~アンカテル卿の午餐に招かれたエルキュール・ポワロは少なからず不快になった。ホロー荘のプールの端でひとりの男が血を流し、傍らにピストルを手に持った女が虚ろな表情で立っていたのだ。だがそれは風変わりな歓迎の芝居でもゲームでもなく、本物の殺人事件だったのだ! 恋愛心理の奥底に踏み込みながら、ポワロは創造的な犯人に挑むが・・・~

「小説」としてなら尋常ではないほど高いクオリティと言えるのではないか?
読後まずそんな風に感じてしまった。
多くの人が書いているとおり、確かに純粋なミステリーとしての評価なら、他の有名作の方が数段出来はいいだろう。
ただし、「小説」としてならもしかするとコレがNO.1なのかもしれない。
(小説というよりも舞台劇と言う方が似つかわしいが・・・)

とにかく登場するひとりひとりの人物描写がスゴイ。
どこか少しずつマトモでない、捻れた感情を持つホロー荘に集う人々。
そして、ひとりの男性を巡って複雑に絡み合う感情の末に起こってしまう殺人事件。
ごく単純だったはずの殺人事件が、少しずつ複雑な様相を示していく・・・

今回のポワロはいわゆる名探偵としての役割は果たしてない。
最終的にはひとりの女性の命を救い、事件を丸く収める役目を果たしているのだが、自身の推理を披露する機会はほぼ皆無。
(途中ではグレンジ警部から最有力容疑者という扱いまで受けてしまう・・・)
プロットそのものも既視感はある。

それでもこれはやっぱりスゴイ作品だと思う。
人間の心理こそがミステリー。そういう思いが投影された作品なのだろうし、女流作家ならではの細やかな筆致は男性には真似できない。
・・・ということで決して低い評価はできない。
(ヘンリエッタの感情は「優越感」という奴ではないのか?)

No.4 5点 りゅう
(2011/05/10 21:46登録)
 ミステリ小説と言うよりも、人間描写に重点を置いた恋愛犯罪小説です。クリスティー作品の中では文学性の高さで評価されているようですが、個人的には文学性では「杉の棺」、「無実はさいなむ」、「忘られぬ死」の方を高く評価します。主人公のヘンリエッタのジョンに寄せる思いが理解できず、ミッジとエドワードの関係進展も安直に感じられました。そもそも、このサイトは文学性で評価するようなサイトでもありませんが。元々ミステリを志向していないこともあってか、ミステリ要素は弱く感じます。謎解きになっておらず、真相を読んでも、犯人の設定、拳銃が複数使われていた理由や隠し場所などは想定の範囲内であり、感心するようなところはありません。ポアロが殺人事件の第一発見者になっているのですが、ある人物に相談を持ちかけられるまで推理に確信が持てないままで、探偵役としても機能していません。ミステリとしての期待を持って読むと、十中八九失望すると思います。

No.3 6点 seiryuu
(2011/01/15 15:29登録)
事件ミステリーより恋愛心理がメインの話。
自分が作り上げた偶像を愛する人。
人より彫像を愛する人。
皆に愛されていると思って真実の愛に鈍感な人。
いろんな人が出てきます。
田舎の心やさしい青年と健気な女性とのロマンスもよかったです。
うっかりさんをただのうっかりさんで終わらせないところが
さすがクリスティーだと思いました。
人の感情が一番のミステリーだと思わせる作品です。

No.2 8点 mini
(2010/07/16 10:20登録)
明日17日に映画『華麗なるアリバイ』が公開となる
その原作が「ホロー荘の殺人」なのだ
ただしポアロが登場しない設定の戯曲版だが
フランス映画なので舞台もフランスに代えていて、被害者の職業も行政官から医師に置き換えている

以前ニュースでクリスティの名が採り上げられた時、「オリエント急行の殺人」や「ホロー荘の殺人」で有名な、と紹介していた
「ホロー荘」の位置付けが分かるエピではないか
日本での初心者にとっては「アクロイド」や「そして誰も」だろうが、世界一般的には「オリエント急行」や「ホロー荘」のクリスティなんだな、と思った
「ホロー荘」はたしかに特別な作品の一つである
クリスティはよく謎解き部分は上手いが人物描写が薄っぺらみたいにいわれることもあるが、人間が描けなかったのではなく、あえて描こうとしなかったんじゃないかと思わせる
お!やれば出来るんだなクリスティ、
ただし私はこの作品を”ブンガクテキ”などと思ったことは無い
トリック自体は大したことは無いが、トリックしか興味の無い読者が読んでも良さが分かリ難いのだ
真相がつまらないと言う読者も当然居るだろうが、真相だけを抜き出して吟味しても意味が無い
要するに総合的に判断して真相が作品世界にマッチしているかが重要なポイントで、「ホロー荘」においては他の解明は有り得ず真相は絶対これしかないし、それでいいのだ
まぁだからこそ私は途中で真相が分かっちゃったけど
「ホロー荘」はブンガクとかそういう観点じゃなくて、普通にミステリー小説として総合的な世界観としての傑作なのである

小説版ではポアロものだが戯曲版ではポアロは登場しない
それも道理で、この作品でのポアロは「八つ墓村」の金田一みたいに終盤で推理と説明は一応披露はすれど、事件の根本的解決に役割を果たしているとは言えない
もっとも事件直後を目撃させる必要があるので、それが小説版ではたまたまポアロだったわけだが、1人だけに目撃させるなら確実な証人の方が良いわけで、そうなるとポアロの存在意義が全く無いわけではない
映画予告ではどうやら複数の目撃者を立てて確固たる証人としているようだ

No.1 7点
(2009/06/27 12:22登録)
最初に読んだのはクリスティーを読み始めて間もないころで、5点ぐらいの評価だったのですが、再読してみて、本作の面白さはある程度の年齢にならなければわからないかなと納得しました。
ちょっと前に書かれた『動く指』や『五匹の子豚』とも共通する、シンプルな犯罪計画を登場人物の描き方で巧みに覆い隠してしまうタイプと言えるでしょうが、本作では特に人物の心理描写が入念です。解説には、文学的と言うだけでなく、推理小説を書く気はなかったのではないか、とまで書かれているほどで、作中から引用すれば、「からみあった感情と個性の衝突が織りなす模様」(第19章)というのが狙いでしょう。最初の方と最後に出てくる病気のおばあさんも、登場人物表には載っていませんが、なかなか印象に残ります。
ただ、上述の2作に比べると解決部分でのミステリとしてのすっきり度は落ちるかな、という気がします。

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