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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1325件 |
No.17 | 7点 | 夜来たる者- エリック・アンブラー | 2018/05/04 00:02 |
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遺作の「The Care of Time」が未訳なので、訳のある長編小説としては評者としても最後になる。本作はアンブラーの作品の中でも、ドキュメンタリに近い肌触りでかなり異色だ。
舞台は実質インドネシアの一部である「スンダ共和国」。その奥地のダム建設に従事していた主人公が、帰国間際にクーデターに遭遇する話である。ドキュメンタリ風だが、小説的な構成や仕掛けがしっかりあって、 1. 主人公が一時滞在のために借りた部屋が放送局のビルの上階にあって、まさにその部屋が反乱軍の秘密司令部に接収されてしまい、捕虜まがいの待遇を受けつつも反乱司令部の動きを直接見聞できる。 2. イギリス人の主人公だけなら単身脱出もあるかもしれないが、一緒にいたガールフレンドが欧亜混血で人種差別から気まぐれにでも殺されかねない懸念があって、心ならずも反乱軍に協力せざるを得ないこと。 3. 反乱軍の一員にダム工事で知り合った少佐がいるのだが、その少佐、どうも政府軍がわに通じているらしい... と小説的な興趣のポイントがいろいろあって、ただリアルなだけではない芸の細かさを見せる。たしか実際のクーデータ事件をアンブラー自身現地取材に行って書いたんじゃなかったっけ。そんな話を読んだ記憶がある。 反乱軍との駆け引きが後年の「グリーン・サークル事件」を連想するとか、クーデターの背景などが「武器の道」でも採用されているとか、それまでどっちか言えば東欧に強い印象のあったアンブラーがアジア・ラテンアメリカの旧植民地国へ視点を広げるきっかけになっている作品であるとか、アンブラーの折返しポイント的な重要作である。アンブラー論をするならまさに必読の作品。 本作でアンブラーもとりあえずコンプ。ベスト5は「インターコムの陰謀」「武器の道」「シルマー家の遺産」「ドクター・フリゴの決断」「グリーン・サークル事件」。要するにね、今更「墓碑銘」とか「ディミトリオス」なんてお呼びじゃないと思うんだよ。戦後のアンブラーって戦前と比較したら2ランクくらい作家的実力がアップしている感があるわけで、戦前の作品なんて歴史的な価値くらいしかないと思うんだがいかがだろうか? |
No.16 | 5点 | 恐怖の背景- エリック・アンブラー | 2018/03/11 18:12 |
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さてアンブラーもほぼコンプに近づいて、残るは本作と「夜来る者」になった。アンブラーの長編2作目だが、処女作の「暗い国境」はあまり「らしくない」作品なので、批評的にも敬遠されがちなんだが、本作はアンブラーらしい巻き込まれ型スパイ小説を確立した作品で、そういう意味では重要なんだけどね....
でまあ、本作はまだアンブラーがソ連について幻想を抱いていた時期でもあって、主人公のジャーナリストとソ連のプロスパイが組んで、直接にはイギリスの石油会社がルーマニアの利権のために、ルーマニアのナチシンパと組んで工作するのを請け負った、本人によれば「プロパガンディスト」、要するにディミトリオスの原型のような国際関係のはざまで暗躍する非合法活動屋のロビンソン大佐(サリッツァとか...名前はどうせ適当だ)の一味と対決する。 ソ連のスパイであるザレショフ兄妹は、サリッツァに買収されてソ連の軍事計画の写真を盗んだ裏切り者を、ついつい手下が殺してしまって、その容疑が主人公にかかることから、成り行きで主人公を救うことになって行を共にする。だから、まるっきりの善玉、というわけでもない。しかし、主人公が妙にスパイ活動というか、サリッツァへの仕返しに積極的なあたりが、なんとももにょる。困った。アンブラーらしさってのは、スパイ活動なんてロクでもない非合法活動だ、という妙に醒めたあたりだと思ってたのだが、本作のアマチュアの主人公は妙にノリノリだ。 「恐怖への旅」とか「裏切りへの道」とかだと主人公がカタギの技術者、というのもあって、スパイ活動に対する嫌悪感がイイのだが、本作の主人公はやくざなジャーナリストである。アンブラーも一夜にしては成らず、か。 |
No.15 | 6点 | 裏切りへの道- エリック・アンブラー | 2018/02/10 23:37 |
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アンブラー戦前の巻き込まれ型スパイスリラー。新規に就職した先からミラノに赴任した、制作用機械のエンジニアである主人公は、自分が扱うのが兵器を作るための工作機械であることを知る。ファシスト政権下のイタリア、である。機械の売込みも政治や謀略とは決して無縁ではなかった。主人公の部下は黒シャツの一員で主人公を監視しているようだし、ユーゴの将軍を名乗る怪しい男、ソビエトのエージェントらしき男らが、主人公に接触してきた。ユーゴの将軍は主人公にちょっとした情報の横流しをするかわりに、売り上げのためにイタリアの高官を買収する手づるを提供しようと持ち掛けてきた...
なのでちょっと産業スパイものと政治的な謀略が絡み合ったような面白さがある。アンブラーってビジネスをリアルに描ける作家だから、ここらと独伊枢軸でキナ臭い情勢とをうまく絡み合わせて背景を作っている。ファシスト大行進を利用して尾行を捲くとか、今になって読むと結構目新しい。「ああうるわしの若き日や/花咲く春のひとときぞ/ファシズムこそがわが希望/民衆の自由をもたらさん」なんて歌われてたようだよ。このユーゴの将軍ていうのが老人の軍人で、実はナチのエージェントのようなんだが、お化粧してるとかね、19世紀的なプロシア軍国主義を引きずったグロテスクなキャラでなかなか、イイ。ブラック将軍だなあ。 で、本作、ソビエトのエージェントが善玉で、主人公を助けてイタリアから脱出するのを手伝う。前半は主人公と組んで、将軍に偽情報を流すとかしたあと、後半は当局に指名手配された主人公のイタリア脱出行を共にする。なので前半は産業スパイ風の二重スパイもの、後半は冒険小説、といった印象。戦後のアンブラーは型にハマらない国際謀略ものに進化するんだが、戦前は割と穏当なアクションスリラーといった雰囲気だ。本作のあとに、独ソ不可侵条約が結ばれたのを見て、アンブラー、ソビエトに幻滅するわけで、戦前最後のスパイスリラーになる「恐怖への旅」だと、主人公を助けるのは情けない印象の空想的社会主義者になってしまう.. |
No.14 | 7点 | ドクター・フリゴの決断- エリック・アンブラー | 2018/01/02 18:37 |
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アンブラーの70年代というと、定型的なスパイ小説の枠から完全にはみ出してしまって、国際謀略小説としか言いようのないものになるのだが、本作もその一つ。アンブラーお得意の巻き込まれ型で、主人公が政治的亡命者、というのが「あるスパイの墓碑銘」を連想させるが、「あるスパイ~」の主人公がノンポリだったのと同様に、本作の主人公も内心は本当にノンポリであるにもかかわらず、その立場から政治謀略の真っただ中に置かれてしまう。
カリブ海に浮かぶフランス海外県の一つ、サンポール・レザリゼ島に住む病院勤務医のカスティリョは、政治的亡命者だった。彼の父カスティリョはカリブ海に浮かぶ某島(作中では名前が出ない)の左翼政党指導者だったが、12年前に軍事政権に暗殺されていた。それをきっかけに父の党派は弾圧されてメンバーは国外に逃亡していたのだが...主人公はというとあまりに身近な父の様子(日和見主義者と作中では評されている)を見すぎていたためか、あるいは亡命した家族に寄ってくる同志たちの愚行とタカリのさまをみるにつけ、父の同志たちとは距離を置いて、誰にも心を開かずに「ドクター・フリゴ(冷凍肉)」と綽名されるほどの冷徹な医師として、亡命生活を送っていた(ここらの造形はほんとユニーク!これだけで作品の成功が約束されたと思うくらい)。 ところがある日、警察に呼び出されて、署長直々にフランス情報部によって、父の同志の主治医になるように命じられた。主人公は抵抗するが、医師の義務を盾に取られて、協力せざるを得なかった。どうやらフランスを含めた諸外国のお膳立てのもとに、現在の軍事政権をひっくり返すクーデター計画が進んでいるようなのだ。フリゴの患者がまさに新政権の首班となるべきキーマンである。しかし、フリゴはその患者が、不治の死病にかかっていることに気が付いてしまった...クーデターの行方は? 父の暗殺の真相にそのキーマンが関っているような噂もある。もしフリゴ自身が立てばそれを支持する勢力がないわけでもなさそうだ... とアンブラーらしい非常に錯綜した状況の中で、「冷凍肉」と綽名されるような政治の馬鹿らしさをつくづく感じているユニークな主人公の振る舞いが、それだけで十分なサスペンスになってくる。原題は「Dr. Frigo」で「決断」と追加したのは訳者の責任である。要するにこの「決断」が、ユニークな状況に置かれた主人公の主体的な決断が、作品の最大のポイントになる。がまあそれは読んでのお楽しみだが、 あなたが民主社会主義を隠れ蓑にしないのと同じですよ。 とアンブラーの政治センスが充分に発揮された結末だ、とは言っておこう。 まあアンブラーなので言うまでもなく、脇を固めるキャラも実に印象的で、フリゴが付き合っている女性は、ハプスブルクの末裔で、ハプスブルク家のいろいろなエピソードを元にフリゴにアドバイスしたりするわけで、直接的にはフランスの思惑でメキシコ皇帝に担ぎあげられたマクシミリアンのエピソードを重ねる仕掛けがあったり、左翼ゲリラ上がりの「エル・ロボ(狼)」とあだ名される人物が、このクーデターに一枚噛んでいて、会ってみると丸々太ったやんちゃ坊主のような男で「狼」なんてらしくなかったりするとか、小ネタも楽しい。本作ハードカバーだけで終わった作品なのが本当にもったいない。 |
No.13 | 6点 | 薔薇はもう贈るな- エリック・アンブラー | 2017/11/24 23:52 |
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本作はアンブラーの最後から2冊目、最後の「The Care of Time」は訳されてないから、訳された中では最後の作品になる。アンブラーの集大成みたいなニュアンスがありつつも実に独自でオリジナリティ抜群の作品なのだが...
例えば「ディミトリオスの棺」が、作家が国際的犯罪者の痕跡を追って、その秘密に肉薄する話だったように、本作は犯罪学者のチームが、陰に隠れた「犯罪者」のしっぽを掴み、その弱みを使って、直接のインタビューを行う経緯を描いている。本作は実のところ、その「犯罪者」サイドから描かれた小説である。しかもその「犯罪」というのが、国際的な規模の組織的なものではあるが、経済的な部分での犯罪、地下銀行の経営やタックス・ヘイブンを使った合法的な脱税指南という部類の「犯罪」である(「武器の道」の武器取引だって必ずしも犯罪とは言い切れないしね)。第二次大戦後のドサクサの中で私腹を肥やした経理将校たちのために、地下銀行組織(最終的にはイタダいてしまうのだが)を築いた、主人公の師匠であるカルロは、主人公にこう諭す。 きみはまず、わしが犯罪者であるとか、犯罪者としての天分を持っているとかという馬鹿な考えから根本的に脱却しなければならない。わたしは法律を重んずる弁護士だ。不法行為は、未熟者か阿呆のすることだ。賢いやつはそんなことをする必要がない。 本作の「犯罪」というのはこういう態のものだ。各国の法制のスキマを縫うようにして、秘密の資金を動かして課税を逃れ、あるいは利殖したものを「洗濯(いわゆるマネー・ロンダリング)」して還流させる、といったもので、グレーゾーンで当局も手が出しにくい手口もいろいろあるようだ。だから、犯罪学者たちの追及も結構ムリ筋に近いのだが、背後にはやはり各国情報部の影が見え隠れする...主人公ファーマンはそのインタビューの舞台に選んだ南仏のリゾートの別荘を、監視する一団に気づいた。彼らはどうやら、ファーマンの組織によって資金をかすめ取られた被害者(?)らが報復に雇ったプロたちらしい。前面に犯罪学者、後背にギャングたちと腹背に脅威を感じつつ、インタビューは進む。しかし、ファーマンの現在のビジネス・パートナーである、タックス・ヘイブンの影の支配者(この男の経歴がシンプソンを思い出させるが、ずっと悪辣で有能)が、ファーマンを見限るそぶりを見せだした。幾重のピンチに取り囲まれたファーマンは逃れることができるだろうか? と「歴史の影に蠢く国際的大犯罪者」のイメージも、ディミトリオスから比べると、なんとまあ、大きく変貌したものであろう! ファーマンはディミトリオスとはまったく似ていない。しかし国際的規模の陰謀はさらに精緻に巧妙になり、報復も殺人よりは税務当局への密告の方が好まれるような「悪」になってしまったわけだ。 同様にアンブラーのプロットもさらに精緻になっている。犯罪学者たちに手口の一端を少しは公開しなければいけないこともあって、ファーマンの「仕事歴」の公開(これがなかなか興味深い)と、犯罪学者たちのあしらい、それに襲撃への警戒の3つが同時に進行する構成でサスペンスを盛り上げる。また、この本自体が最終的にファーマンのある狙いを実現するための仕掛けになっている、という「インターコムの陰謀」でも見せたようなややメタな狙いがあったりもする...(まあ詳細は読んでのお楽しみ) というわけで、本作はアンブラーの集大成、といってもいいような精緻な内容を持っているのだけど、正直言って精緻な分迫力みたいなものは薄れている。またこれは訳の問題もあるのだが、登場人物たちはみな一筋縄でいかない策士たちであって、それぞれがそれぞれを「化かしあう」ために会話する。だから話す内容の陰にいろいろと狙いが込められ「すぎて」いて、会話内容がなかなかわかりづらい。本作を本当に楽しむにはちょいと修業が要りそうだ。 |
No.12 | 8点 | 武器の道- エリック・アンブラー | 2017/09/24 21:06 |
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アンブラーって本当に、どの作品をとっても「ジャンル的な類型性」から程遠い「驚き」のある作家だと思う。本作が「国際スパイ」に分類されるのなんて、「他に入れるジャンルがないから...」という消極的な理由に過ぎない。職業スパイと目される人物はわずかに一人だけ、しかも全体から見れば「事件に巻き込まれた」感じで本来の任務とかそういうものでもない...
要するに、アンブラーの「タネ」は、国際スリラーから、「国家」の枠組みを外しちゃおう、というアナーキーな狙いなのである。マラヤの共産ゲリラが遺した武器を横領して売却を狙うインド系青年、武器の移動と売却を仲介する華僑、売却の煙幕として利用されるアメリカ人夫妻、で実際にこれを買おうとするのがインドネシアはスマトラ島のイスラム系独立派...と実に多国籍だが、どの主体も「国家」の束縛を離れたアナーキーな主体なのである。最終的な買い手の代理人は、アーサー・シンプソン風のイギリス出身の国際ゴロ+シルマー軍曹みたいな元ナチともう、あらゆる人種・主義のごった煮である。 それでも、煙幕として利用されるアメリカ人夫妻が、狂言回しでもあって一番保守的だ。 共産分子から奪取した武器を、反共産分子に供給するという、その手伝いに手を貸すのは、なかなか愉快な仕事じゃないかとおもったわけです。 という、お気楽な動機で、このアナーキーの渦の中に飛び込んでしまうのだ! 本作、だから実際には、このアメリカ人夫妻に対する批判的な視点というか、アメリカの手前勝手な理想と、政治センスのなさ、イデオロギー的で現実を直視しない楽天主義などを、チクリチクリと皮肉る小説だとも読める。それでも、このお気楽な動機が、本作の一番の攪乱要因でもある。 まあ実際のところ、当時のインドネシアはスカルノ政権下で軍隊・宗教勢力・共産党の微妙なバランスの上に政権が成立していた状態で、本作に描かれるような軍隊と共産党が組むことだって、現実的だったわけだ(共産党の崩壊はスハルトの1965年のクーデターによるわけでまだまだ先)。こういう奇々怪々な政治情勢を、典型的なアメリカ人の夫妻が覗き見て、国家とかイデオロギーを超えた現実のややこしさを実地体験する話、ということでもいいのかもしれない。 しかし、本作、一種の連鎖的な構成になっていて、各当事者の事情などの描写は結構細かく、キャラに対する親しみを感じさせる小説技巧のうまさが光る。評者など冒頭に描かれた野心家のゴム園事務員ギリジャ(要するに「売り主」)の運命が結構気になってしまった。いろいろ不測の事態は起きてしまったが、それでもギリジャは成功しそうだ...というので評者は安心。こういうあたり、アンブラーは絶対外さない。 |
No.11 | 5点 | デルチェフ裁判- エリック・アンブラー | 2017/08/25 17:54 |
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困った...本作は翻訳が悪くて、何を言っているかよくわからない箇所が多いのだ。ググってみるといいのだが、常盤新平の「ブックス&マガジンズ」という本の中に、本書の出版状況が書かれている(松江松恋氏のブログで見つけた)。
当時、ハヤカワの編集は常盤新平ただ一人で月に13点ものポケミス新刊を出していたようで、一人じゃとてもじゃないがチェックが効かずに、定評ある翻訳者だから、というので訳稿を読まずに製作に渡してしまった。結果、「わけのわからない翻訳」という苦情がかなり届き、常盤新平は早川社長に叱られたんだそうだ... 訳者の森郁夫はブレット・ハリディとかR.S.プラザーとか軽ハードボイルドを中心に訳している人だが、その後じきに若くして亡くなっている。で、読んでみると、キャラの行動に関わるあたりはいいのだが、政治的な背景とか状況説明となると、途端に何言っているのかわからなくなる...まあ、アンブラーの政治スリラーだから、米語の会話を軽妙に訳す能力よりも、政治論文を正確に訳す能力の方がずっと大事なんだよね。なので、読んでいてデルチェフの政治的な立場がどうなのか、少しも理解できないままに話が進んでしまい、東欧ソ連衛星国でのテロと強権的な政治裁判をめぐるタダのスリラーくらいにしか理解できなくなってしまう。 アンブラーがタダのスリラーを書くわけなくて、二転三転する事件の解釈や、外国通信社で働く主人公のガイド役の屈折したキャラとか、小国の政治家の意外な内情など、いろいろと読みどころがあるにも関わらず、これらがちゃんと筋道立って理解しづらい。最後に至っては大掛かりなテロ事件の緊迫感があって盛り上がるんだけどね。実際、乱歩が戦後すぐに「シルマー家」とか読んで、戦後のアンブラーが新境地を開いたと強い感銘を受けた旨(アンブラー三説)を書いて本作にも期待したわけで、本当はとっても面白い作品なんだと思う。 新訳をお願いしたいところだが、本作だと背景もほぼオワコンだから、無理だろうな...残念なこときわまりなし。 |
No.10 | 6点 | 暗い国境- エリック・アンブラー | 2017/08/15 23:57 |
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アンブラーの処女作だが、どっちか言うと2作目の「恐怖の背景」がアンブラー流巻き込まれ型スパイスリラーを確立した作品とされることが多くて、本作は「不遇な処女作」の部類になる。主人公はアマチュアとも読めるし、プロフェッショナルなスパイ(もしくはそのパロディ)とも読めるような、ちょっと評価に困る小説だったりする。
本作の主人公・核物理学者のバーストウ教授は、仕事に疲れて休暇を取るの。旅先で「Y機関員コンウェイ・カラザズ」が活躍するスパイ小説を手に取るのだが、その教授にスーパースパイであるカラザズが憑依した!東欧の小国イクサニアの天才科学者カッセンが独力で開発した核兵器の秘密を巡り、イクサニアの影の支配者シュヴェルジンスキ伯爵夫人、核の秘密を奪おうとする死の商人グルームに抗して、人類のためにならない核兵器の秘密を隠滅しようとバーストウ教授=カラザズは立ち上がった! という枠組みで話が展開する。で、主人公はスーパースパイ・カラザズのようにも読めるし、バーストウ教授が必死に頑張っているようにも読める..というはなはだ多義的な小説なのである。アンブラーが結果的に大家に成長したこともあって、どうも「初期の扱いに困る作品」っぽい扱いを受けている印象がある。 アンブラーの作品にしては主人公の活躍度が高くて、漫画的ではあるけども、どうもそれはわざと狙ったキッチュのような気がしてならないのだ。訳者の菊池光によると、文体も他の作品よりも派手で「overstatement」で「パロディとして気楽に書いたのでは?」とも推測しているのだが、評者はちょっと別な見方もしてみたい。本作は1936年出版だが、この頃というと、ドイツはナチの支配が確立して、再軍備~ラインラント進駐、それからスペイン内戦と第二次大戦前夜の緊張が高まっていた時期である。ナチスドイツの勢力伸長に対して、ヨーロッパの各国も手をこまねいていた時期になるわけだ。国家が組織がアテにならないのならば、それこそ個人がスーパーマンになるしかないのだよ。ややヤケクソな奇蹟への祈りとしての「サブカルヒーロー召喚」という側面もあるような気がする。そういう絶望の果ての陽気なニヒリズムといった感じで評者は読んだのだが、いかがだろうか。 タイトルの「暗い国境」はイクサニアの暗い国境以上に、そういうバーストウ教授とカラザズの間の、教授の頭の中にある不分明な境界地帯を示している。けど調べてみて驚いたが、1936年時点では、核分裂は理論上可能性を示唆されているが、核分裂も連鎖反応はまだ未実証だった時期である...カッセンのモデルはハイゼンベルクでしょ。最初からアンブラーってカンがいいなぁ。 (あと読んでいてどうも類似性を感じるので指摘するが「ゼンタ城の虜」に近いものを感じる。主人公がヒーローとしての仮面をかぶり、自己像とヒーローとしての自我と葛藤するあたり) |
No.9 | 6点 | 恐怖への旅- エリック・アンブラー | 2017/07/30 21:22 |
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軍需産業の技術者グレアムは、トルコ政府とのビジネスをうまくまとめて帰国の途に着こうとするのだが、風雲急を告げる1940年、トルコとイギリスとの軍事協力を妨害したい勢力が、グレアムをつけ狙っているようだ...グレアムは急遽トルコ秘密警察が用意した船で帰国することに変更するが、果たして無事帰国できるか?
という話なので、アンブラーにしては普通の巻き込まれスパイ小説という感じにはなる。あまり意地の悪い小説ではなくて、素直に書いている感じではある。それでもアンブラーなので、狙われた本人は特に最初は全然ピンと来てない状態だったりするので、「ディミトリオスの棺」にも登場するミステリマニアの秘密警察長官、ハキ大佐はしっかりネジを巻かなきゃいけなかったりする。 (以下少しバレ) で船で敵のボスに取引を持ち掛けられたりするのだが、 平和の時に、自分が生れた国の政府に心身共に捧げようとするのは、熱狂的な国粋主義者だけが言うことです(略)あなたが運がいいのは、こういう芝居かかった英雄気どりの行為―愚者や獣人の感情過大―を、ありのままに見られる仕事に、偶然携わっているからです(引用者註、要するにグレアムが技術者なので、愛国心なしにスパイ合戦に巻き込まれた、ということ)。「国家愛!」奇妙な文句ですな(略)自国の文化を最もよく知っている人間は、通例最も知性があり、最も愛国心が少ないものです(略)国家愛は、つまり、無智と恐怖を土台にした感傷的な神秘主義に過ぎないものです とまあ、このボス、ハリー・ライムばりの大正論をブチかましてくれるのだ。こういう敵の冷笑的ニヒリズムに対して、主人公を助けてくれるのが、愛国的だが役立たずのトルコのエージェントたちではなく、主人公に同情してくれる「空想的」社会主義者(かなり情けないのがイイ)だったりするあたり、アンブラーが本作に与えた色彩は、思想小説風のものだったのかもしれないね。 |
No.8 | 8点 | グリーン・サークル事件- エリック・アンブラー | 2017/07/02 23:30 |
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本作の原題は「レヴァント人」で、東地中海沿岸の住民の総称のようなものである。アンブラーというとギリシャ・トルコから中東方面にツヨい作家なんだけど、本作はそういう面の集大成みたいなところがある。
今回の主人公は「人間がマトモで有能なアーサー・シンプソン」といった感じの、シリアを拠点に同族経営の企業を経営するマイケル・ハウエル...名前こそイギリス人っぽいのだが、シンプソン同様教育こそイギリスで受けたがイギリス人の血は1/4ほどで、中近東のいろいろな民族の血が混ざりに混ざった、多面性のあるキャラで 彼が一人の人間ではなく、複数の人間からなる委員会なのだ。 この委員会のメンバーは、利に敏いギリシャ人の両替商・愚鈍を装う狡猾なアルメニア人のバザール商人・イギリス人の技師などなど、さまざまな血と要素をもった人間を自任し 雑種犬は時として、血統書付きのご立派な従兄弟よりも賢いところを見せる という矜持を持っている。国際情勢が大きな背景なんだけど、職業的スパイはほんの端役しか出ない作品で、それでもスパイ小説「らしい」のは、この「多重人格」な主人公キャラと、彼が強いられる面従腹背が、まさに「スパイ」なところにあるからだろう。ミニマルなスパイ小説と言ってもいいのかも。アンブラーの一番いいところは、こういう舞台、こういうキャラでも、一切エキゾチズムに堕しないところである。ポスト・コロニアルに耐えうる小説家なのがすばらしい。 主人公マイケルの本質はビジネスマンで、およそ肉体的冒険とかスパイとかテロには無縁な人間なのだが、従業員に紛れこんだパレスチナ過激派に脅されて、そのイスラエル攻撃計画に加担させられる。しかしマイケルはうまく面従腹背を続けつつその計画を探り、かつ防ごうとするのが大まかな筋立てである。対するのパレスチナ行動軍のリーダーも一筋縄ではいかない。結構ハイテクな攻撃手段を持っているし、凶暴性もあるがそれなりに鋭いために侮れない。マイケルは唯々諾々と従うように見せて、過激派を罠に導こうとするこの駆け引きが一番の読みどころ。で、クライマックスはこの「レヴァント人」というのが本質的に「海の民」であることを示すような、船のアクションで大団円となる。 本当に一気に読めるお手本のようなスリラーで、知的対決といた興味で読める。しかも発表直後にミュンヘンオリンピックのテロがあって、本作がそれを予感した..という評価があって2度目のゴールデンダガーを受賞している。しかしね、一番ショッキングなのは、本作で描かれた中東情勢って、ISが跋扈する今でも、本質的にあまり変わってないことなんだよね...何物にも縛られないアナーキーな海の自由民「レヴァント人」のあり方(ある意味これは伝統的な生き方)が、国籍・民族・宗教に縛られルサンチマンに満ち満ちた「近代的」なパレスチナ問題に対して何かヒントになるようにも感じられる。 |
No.7 | 8点 | シルマー家の遺産- エリック・アンブラー | 2017/05/28 22:39 |
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評者、カッコイイことは苦手だ...だからアンブラーに共感するのかもね。
というのも、本作って例の名作「ディミトリオスの棺」の書き直し、といった雰囲気があるからだ。「ディミトリオス」は結局、動乱の裏に蠢く悪の天才の姿を描いちゃったことになって、ある意味とてもカッコイイのだ。で、本作はそれを反省した感じで、同じく一人の男をヨーロッパを駆け巡って足跡を追う小説でありながら、その男、フランツ・シルマー軍曹は特異な状況にはあるが、悪の天才でも英雄でもない。 話はアメリカで身よりなく亡くなった老女の遺産の受取人を探すべく、法律事務所の若き社員ケアリは、ヨーロッパの従弟の行方を追うところから始まる。この従弟は既に亡くなっていたが、その子孫に受取資格があることが判明する。しかし第二次世界大戦がドイツ人の運命を大きくシャッフルした時期に重なっていて、唯一の生きている子孫と思われたフランツ・シルマー軍曹はギリシャからドイツ軍が撤退する際の混乱の中で行方不明になっていた.... (以降ネタバレ) でまあ、フランツは生き延びて、ギリシャの左翼パルチザンの側についてゲリラとして山中に潜伏していたわけだ。要するに旧日本兵が敗戦後にインドネシアやベトナムの独立運動に協力したのと似たようなものなんだが、シルマー軍曹は負け組の左翼ゲリラだから、負けが見えてほぼ山賊みたいなものに成り下がってきている状況だった。こんな状況でケアリと直接会談することになる。 本作の一番イイところは、冒頭に述べられるシルマー家初代のフランツ・シルマー軍曹の話が、玄孫のナチからギリシャ左翼ゲリラに鞍替えしたフランツ・シルマー軍曹の話と何となく重なるあたりである。初代はナポレオン戦争の敗戦の中で軍隊を脱走し、彼を匿った農婦と結婚して子孫をドイツとアメリカに残すことになるのだが、こういうエピソードがヨーロッパの庶民の実像を捉えていて非常に印象深い。でやはり現代のシルマー軍曹も決してカッコいい存在ではなく、ましてやうまく勝ち馬に乗ることができたわけでもないが、それでもしたたかに生き抜くことには長けている。なので、現代のシルマー軍曹はケアリが提供したナポレオン時代の高祖父の話に感銘を受ける。 わたしの本当の遺産とは、あなたがわたしにお示しくださった、わたしの血統とわたし自身に関する知識です。多くのことは変りはて、エイラウの戦いも遠い昔のことですが、長年月にわたって、手と手は結び合い、わたしたちは一体なのです。人間の不滅性はその子供たちのなかに存在しているのです。 20世紀的であるのと同時に、ヨーロッパ庶民の精神史みたいなものを覗かせるこのフランツ・シルマー軍曹の姿が実に秀逸。すばらしい。 |
No.6 | 7点 | 汚辱と怒り- エリック・アンブラー | 2017/05/06 09:00 |
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評者の書評No.200を記念して、ポケミスのNo.1000 キリ番作品である(周知のように、スタートはNo.101なので900点目である)。なので解説にもその旨のご挨拶があり、No.1000の記念だからこそ、アンブラーの新作を選んだと書かれている。当時そのくらいにアンブラーの評価は高かった。ハヤカワの世界ミステリ全集でも一人1巻になったわけで、この扱いはクリスティ、クイーン、ガードナー、チャンドラー、ロスマク、マクベイン、アイリッシュと同格だったわけである。
本サイトだと現在、8作品に17件の書評が付いて、合計120点、平均7.06点で作者別批評10点以上で14位になるかなりの優秀作者である。しかも誰も5点以下の点をつけていない、というハズレのなさがちょっと驚異的でもある。アンブラーの名義だと生涯18作(合作のエリオット・リード名義でも+5作)しか長編がないわけで、クオリティ・コントロールという面で理想的な作者と言える。じゃあ、内容のバラエティが少ないか、というとそんなことはなくて、広い意味でのスパイ/スリラーのジャンルに実に多彩な展開をしているわけで、1作ごとにテイストがかなり違う。 ....キリ番記念に新作を予定しても、本当に安全牌な作者だということになるね。逆にスパイ小説というジャンルで言えば、70年代にル・カレがこれほど人気を集めることになる、というのはハヤカワとしても読み切れなかったところであるし、イギリス人らしいアイロニーが特徴的である意味わかりづらいアンブラーよりも、ユーモアを欠いたル・カレの方が実は大衆的で解りやすいというのが、70年代以降にアンブラーが古典定着に失敗した原因のように感じる。まあだから本当はアンブラーの作品自体に問題があったわけじゃないんだよね。今読んでも意外なくらいに古臭くなってはいない。 で本作だけど、背景はクルド人問題。本作1964年度作品だよ~凄い国際政治センスだ。クルド人だが革命に功績を立てたために任命された、イラクの警察長官がクルド人独立の陰謀に加わったことで、国際会議の場からスイスに亡命。その元警察長官が何者かに拷問されて殺された...現場から逃亡するのを目撃された愛人を探せ、と命じられた雑誌記者はその愛人に苦労してコンタクトを取るが...というのが発端。この愛人というのがビキニ美女なんだけども、実に頭が切れて利害計算がちゃんとできるキャラである。アタマのイイ女性ってとくに男性作家だとうまく描くのが難しいことが多いのだけど、さすがにアンブラー、小説的実力は確か。 (以降少しバレ) で、主人公はその愛人の逃亡の目的が、元警察長官が持っているクルド人独立運動に関する秘密書類を、高く売りつけるためであることを察する。主人公は意に染まぬ雇われ仕事に対する「怒り」から、仕事を放棄して、積極的に愛人と組んで秘密を売る共犯者になる..という話。本作の本当にイイところというのは、「おれ」一人称の小説であるにもかかわらず、ハードボイルド流に「おれ」の心理描写をせずに、すべて他人のセリフによって「おれ」の描写をするあたりである。他人の評価によって「おれ」の「怒り」を解き明かす、というのが実にクールで作り物ではないリアリティを付与している。まあアンブラーなんで、そもそもどのキャラも実に地に足の着いたキャラではあるんだけどね。 で自分の身の安全をちゃんと確保しながら「秘密を売る」プロセスを、手堅くリアルに描けば、スリルとサスペンスなんて後からでもちゃんと着いてくる。売り手側描写なんだから、当然「情報の二重売り」だってやってやろうじゃないの。というわけで、成り行きを追っていくだけでスルスル読めて楽しめる作品(「メグストン計画」に近いか)。客観的には理想的なエンタメなんだけど、これさえもアンブラーの代表作というにはまだまだ凄いのが別にある。「インターコムの陰謀」は本作の着眼点を構成しなおしたようにも感じるよ。 |
No.5 | 6点 | ダーティ・ストーリー- エリック・アンブラー | 2017/04/17 17:56 |
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「真昼の翳」の主人公で情けない小悪党の中年男、アーサー・アブデル・シンプソン再登場の作品。とうとうトラブルによって根城のアテネを追われることになったシンプソンは、道連れになった男が元傭兵だった縁から、中央アフリカの某国のレアアースを巡る紛争に傭兵として参加するハメになる...という話。シンプソンは腹の出かかった中年男で、無国籍ということもあって兵役体験などないのだが、父親がイギリス軍の士官(とはいえ下士官上がりのようだ)で、兵営育ちで耳学問でも軍事知識があって、うまく「ニセ軍人」として傭兵たちの間に交じって戦闘に参加することになる。
シンプソンは、何から何までニセモノな男なので、今回もちゃっかり敵方とも連絡がついていたりするんだけど、レアアースを巡って争う二国も形ばかりの国家で、紛争の本当の当事者は欧米資本の開発会社だったりする。また、この紛争自体が争う開発会社が手打ちをして共同開発するための、半ばなれ合いな紛争だったりして、シンプソン以上に「国家」さえもが胡散臭いいかがわしいマガイモノだったりするわけだ。 というわけで、最後にシンプソンは悟りを開き、自分が国家になってもいいのでは?と考えシンプソン自身の懸案のあることをするのだが、これは読んでのお楽しみ。シンプソンという国家から拒まれた男が、いかに国家という幻想から逃れうるか?というテーマの寓話的な作品。 |
No.4 | 7点 | 真昼の翳- エリック・アンブラー | 2017/03/26 17:35 |
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本作はスパイ小説の手法によるケイパーもの、という感じ。ただし、そのスパイがアンブラーらしいというのか、一種のマージナル・マン、というあたりにポイントがある。
主人公のアーサー・シンプソンは、ていうといかにもイギリス人っぽい名前なんだが、ミドルネームはイスラム系の「アブデル」だったりする..出自自体がイギリス軍の下士官の現地妻の子供で、イギリスで教育を受けはしたが、実質無国籍でアテネで燻っている小悪党である。冴えない中年男で、手癖も悪いし、口癖は今亡き父親の(結構ショボい)人生訓...話の中で明らかになるさらにカッコわるい弱点もあったりする。およそお話の主人公に向かないキャラである。 で、ある計画を持った悪党に脅されて、車をイスタンブールに回送するのだが、その車には実は武器が隠されていた。税関でそれが見つかり、秘密警察のスパイとなることを強制されるが....で始まる話は、最終的に大掛かりなトプカピ宮殿からの宝物略奪計画に膨らむ(というか、映画は宣伝上これを最初からバラしてるから、隠す意味ないでしょう?)。 けどね、このシンプソン、カッコ悪いなりに読んでいると何となく憎めなく、愛着もわいてくるようなショーモない奴である。まあアンブラーのテーマって、「スパイ業界にマトモな奴は一切いない!」ってことだから、無能だけど悪知恵だけはあるシンプソンは、悪知恵だけでうまくサバイバルしていくわけだ...「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というのは早川義夫の名言だが、シンプソンはそのウラで「かっこワルイことはなんてかっこいいんだろう?」という命題を地で行こうとする。こういうアンブラーのヒネクレ具合を楽しめないと、本作は難しいかもね。 あと少し映画について。本作の映画化「トプカピ」は見る価値あり。監督のジュールス・ダッシンって評者は犯罪映画の巨匠のひとりだと思うよ。でしかも、この人赤狩りにひっかかってヨーロッパに亡命し、最終的にギリシャに落ち着いて「トプカピ」でも主演をするメリナ・メルクーリ(のちに左翼政権の大臣にまでなっちゃう女傑だよ)と結婚する...という、小説の主人公シンプソンと少し重なる経歴を持ってたりする。まあ映画はメルクーリの妙な迫力が面白いし、昔風に言えば「スパイ大作戦」な映画がネタを頂いたのを楽しむのも一興。 |
No.3 | 9点 | インターコムの陰謀- エリック・アンブラー | 2017/03/05 21:43 |
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評者の見るところ、本作は「ディミトリオスの棺」を上回る出来である。アンブラーでも代表作級と言っていい。「ディミトリオス」で主人公を務めたチャールズ・ラティマーが再登場するが、あまりキャラの連続性は感じられないわけで、シリーズもの、という感じではない。
本作のテーマは、情報をめぐるアナーキズムである。アンブラーが今生きてたら、絶対ウィキリークスを題材に選んでたろうね...スパイ戦は国家によって厳格に管理された非正規戦だ..というイメージを、スパイ小説とか映画によって刷り込まれているわけだけども、その間隙を縫って小国のスパイ戦担当者によるアナーキーな「私利私欲のためのゲリラ戦」が可能である、というちょっとした逆説が直接的な題材になっている。 ジュネーブで発行される「噂の真相」的なトンデモ系政治情報誌インターコムが、突如NATOや東側の軍事機密をダダ漏れにさせた「正しい」情報を垂れ流すようになったため、CIAもKGBも右往左往。この情報は謎の新社主から流れてくるらしい...その狙いは?という話だが、インターコムの編集者である主人公カーターの反骨っぷりも楽しい。KGB・CIAにイジメられればイジメられるほどファイトを燃やし、問題を紛糾させていく.... 叙述はこのカーターと、これを題材としたドキュメンタリ小説を書こうとしたラティマーの間の書簡やラティマーによる関係者のインタビューなどを構成した格好になっており、これの臨場感が半端ない(叙述トリック未満の仕掛けもある...)。まあ本作は「真相の完全解明がないミステリ」の例としてよく引かれる作品なんだが、スパイ小説だったら「真相が闇の奥に消えていく」のは完全にアリだ。最後にカーターはラティマー失踪の真相を、目的を達した黒幕に聞くのだが、なぜラティマーが死ななければいけなかったのか、もどちらか言えば恣意的な理由のようだ。というわけで、本作のリアリズムは「小説のお約束」が嘘にしか見えないようなレベルに達している。 リアルかつアナーキーな視点をスパイ小説に持ち込み、キレイごとではない業の深さを感じさせる傑作である。が...ひょっとして、本作の出版自体が、ラティマーの背後に身を隠した作者アンブラーの仕掛では?というメタな読みも可能かもしれない(ヨミスギww)。 |
No.2 | 8点 | ディミトリオスの棺- エリック・アンブラー | 2017/02/23 22:54 |
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本作を読むと、アンブラ―という作家は、たとえばオーウェルとかマルローの同時代人、という印象を強く受けるのだ。この1900年~1910年くらいまでの生まれの西洋人というのは、ソビエトのプロパガンダの洗礼を、青春の多感な時期に受けた世代なんだよね。コミュニズムへの共感を底流に持ちながらも、それが独ソ不可侵条約やスペイン戦争を通じて裏切られた思いを持ち続ける...そういう世代の作家として、アンブラーはスパイ小説に登場したわけだ。もちろんグレアム・グリーンも(面白いことにイアン・フレミングも)同じ世代に属するのと同時に、キム・フィルビーのようなリアル・スパイさえも同じ世代になる(さらに言えば、アンブラーやグリーンの作品を好んで映画化した監督たちも、赤狩りにひっかかった世代で同世代になる)。というわけで、この1900~1910年生まれの世代は「スパイの世代」なのだ。
本作のアンチヒーローであるディミトリオスは、第一次大戦後の混乱した東欧の中で、交錯する各種政治勢力の合間を縫うかのように、悪のキャリアを積んでいく。非情に利用し、利用されるのがアウトローの世界だとはいえ、その活動のバックにはそういう国際政治が強く絡みついているために、ディミトリオスの営業活動には「スパイ」も含まれる...決して荒唐無稽な悪の秘密結社でも、非政治的なギャングでもなく、リアルな政治も一つの道具であるような「悪」である。この小説のポイントはストーリーでもプロットでも何でもなくて、このディミトリオスの肖像そのものなのだ。「20世紀的な悪」のイメージをこのディミトリオスの姿として結晶できたことが、この作品の価値であろう。 (...じゃあ日本だと?面白いことにアンブラーと松本清張は同い年(1909年)生まれである。本作とかアンブラーの「けものみち」かもね。) |
No.1 | 7点 | あるスパイの墓碑銘- エリック・アンブラー | 2017/01/09 19:59 |
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評者アンブラ―は好きな作家である。が本サイトはパズラー偏重の気味があるせいか、それとも冷戦終結でスパイ小説自体が株を下げたせいか、アンブラ―とかル・カレとかその重要性に比して書評が壊滅的に少ないようだ。
でまあ本作はリアル・スパイ小説の古典と言われるんだが...ちょっと一つ指摘しておきたいことがある。本作はとある海辺のリゾートのホテルに居合わせた人々の中から、密命を受けて潜入したアマチュアが、機密を外国に売り渡すスパイを見つける..という話なんだが、こう書いちゃうと、実はクリスティの「NかMか」と道具立てがまったく同じなんだよね(クリスティの方が少し後だが)。 ちょっと挑発的な言い方をすると、本作のシチュエーションは「クリスティにも書けるくらいに保守的なスパイ小説」なんだよ。しかしそういう古い酒袋にアンブラ―が盛ったのは、1.主人公が無国籍者でその弱みを突かれて警察に協力させられる(また亡命者の闘争への共感)、2.国際スパイなんぞエリートが無頼漢を使ってやるロクでもない非合法行為だ、という醒めた視点、というあたりになるだろう。プロットが新しいのではなくて、それを眺める視点が新しい、ということなのである。 「親愛なるバダシー君、私はあほうではないし、きみはまた気の毒なくらい、物ごとをかくせない人間だ」。主人公が強いられてするスパイ行為は、それを強いた当局の思惑とは食い違い、主人公が狙うようにはまったく効果を上げない。ドジ踏みまくりでアタマだけはテンパるけど、本当にスパイに向いてない(泣)。ここらスパイ行為ってものの愚劣さが形になってるかのようだ。要するに主人公はマトモな堅気だから、スパイなんてちゃんとできないのだ。アマチュアの奇抜なアイデアがプロの鼻をあかす、なんてのは情けないことにお話の世界だけのことだ。 というわけで、本作はリアル・スパイ小説というより、アンチ・スパイ小説だと思うよ。クリスティ的保守性は本当にそういう狙いを際立たせるための「わざと」のような気がするな。 |