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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1418件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.178 7点 刑事くずれ- タッカー・コウ 2017/03/05 22:00
このシリーズはハードボイルドとパズラーをうまく融合するという、できそうでできないことをやってのけて、ウェストレイクの才人ぶりを見せつけたものだが、本作はその第1作。ミッチの屈折した造形(絶賛引きこもり中だよ..ミッチ制作中のレンガの壁はATフィールド!)や、本作の舞台であるマフィアのファミリーがハードボイルド要素だが、パズラー要素も、ミスディレクションがよく利いていて「ストーリーテリングによる見えない人」(話の中でちょっとだけチェスタートン「見えない人」に触れている)だったりするという凝り具合である。クリスティ流の人間関係の偽装とかあって、パズラーとしても相当のものであるが、松本清張の某作も連想するな...
今回面白かったのは、本作結構ユーモアが利いていることだ。まあファミリー内部の殺人を解明するために、元刑事を雇って解明に当たらせる(そりゃファミリーの秘密を警察に明かすわけにはいかない!これ本当にウマい仕掛けだ...)という設定自体アイロニカルなものだが、マフィアに雇われるのをためらう主人公ミッチに対して

びくびくせんでくれ、ミスター・トビン。だれもあんたの童貞を奪おうというんじゃない

と依頼主が声をかけるとか、思わず吹き出すような描写が結構、ある。さすが、ユーモア・ハードボイルドで名を成した作者である(まあ控えめだけどね)。

No.177 9点 インターコムの陰謀- エリック・アンブラー 2017/03/05 21:43
評者の見るところ、本作は「ディミトリオスの棺」を上回る出来である。アンブラーでも代表作級と言っていい。「ディミトリオス」で主人公を務めたチャールズ・ラティマーが再登場するが、あまりキャラの連続性は感じられないわけで、シリーズもの、という感じではない。
本作のテーマは、情報をめぐるアナーキズムである。アンブラーが今生きてたら、絶対ウィキリークスを題材に選んでたろうね...スパイ戦は国家によって厳格に管理された非正規戦だ..というイメージを、スパイ小説とか映画によって刷り込まれているわけだけども、その間隙を縫って小国のスパイ戦担当者によるアナーキーな「私利私欲のためのゲリラ戦」が可能である、というちょっとした逆説が直接的な題材になっている。
ジュネーブで発行される「噂の真相」的なトンデモ系政治情報誌インターコムが、突如NATOや東側の軍事機密をダダ漏れにさせた「正しい」情報を垂れ流すようになったため、CIAもKGBも右往左往。この情報は謎の新社主から流れてくるらしい...その狙いは?という話だが、インターコムの編集者である主人公カーターの反骨っぷりも楽しい。KGB・CIAにイジメられればイジメられるほどファイトを燃やし、問題を紛糾させていく....
叙述はこのカーターと、これを題材としたドキュメンタリ小説を書こうとしたラティマーの間の書簡やラティマーによる関係者のインタビューなどを構成した格好になっており、これの臨場感が半端ない(叙述トリック未満の仕掛けもある...)。まあ本作は「真相の完全解明がないミステリ」の例としてよく引かれる作品なんだが、スパイ小説だったら「真相が闇の奥に消えていく」のは完全にアリだ。最後にカーターはラティマー失踪の真相を、目的を達した黒幕に聞くのだが、なぜラティマーが死ななければいけなかったのか、もどちらか言えば恣意的な理由のようだ。というわけで、本作のリアリズムは「小説のお約束」が嘘にしか見えないようなレベルに達している。
リアルかつアナーキーな視点をスパイ小説に持ち込み、キレイごとではない業の深さを感じさせる傑作である。が...ひょっとして、本作の出版自体が、ラティマーの背後に身を隠した作者アンブラーの仕掛では?というメタな読みも可能かもしれない(ヨミスギww)。

No.176 6点 反乱- エリオット・リード 2017/02/27 23:42
エリオット・リードという名前は、スパイ小説の巨匠、エリック・アンブラーがチャールズ・ロッダという大衆作家と組んで書いているスパイ小説の名義(書かれたのは1950年~1957年の計5作)である。アンブラー本人名義のものって渋苦いアイロニーが味の決め手だけど、リード名義はエンタメ寄り。難解さはなくて読みやすい。まあその分薄味だけど、それでも本作あたり、アンブラーの得意な東欧の社会主義圏の小国のお国柄みたいなテイストはよく出る。
本作はリード名義の4作目。東欧の小国の支局に赴任したアメリカ人の新聞記者バートンは、秘書となったヒロイン・アンナに魅かれるが、アンナとその父マラス教授と、それをとりまくレジスタンス人脈が、現在の大統領をはじめとする政府側と、反政府勢力に分解して不穏な雰囲気が流れていた...バートンはアンナの亡命計画を練るが、亡命したと見せかけて国内に潜伏していた元支局の寄稿記者が、オペラハウスで大統領を暗殺しクーデターが始まる。しかしクーデターは失敗に終わり、警察の追及をかいぐぐり、アンナの亡命計画は実行できるのか? といった派手な話である。
冷戦まっただなかに書かれた作品だが、アンブラーはイデオロギー的にまったく中立に書いている。特にリベラルな反政府側に肩入れするところもなく、クーデターも計画が粗雑で失敗が目に見えるようなものでしかない。主人公たちを監視する警察の長官のセスニクが、コミカルだが食えないキャラ。こういうキャラがアンブラーらしい。
アンブラー本筋のアイロニーはないけども、ウェルメイドなエンタメである。悪くない。

No.175 3点 三角形の第四辺- エラリイ・クイーン 2017/02/26 09:47
確か横溝正史だったと思うけど、作家の実力は最高傑作と同様に最低の作品によっても推し量れる...なんてことを言っていた記憶があるが、本作あたりがクイーン正典の中での最低作くらいになるんだろうね。執筆はリーじゃなくて何作かライターをするデイヴィッドスン。
実は本作、小説としてはそう悪くないし、次々と焦点の当たる容疑者が切り替わる構成(まあ裁判モノにしちゃうと捜査当局に軽率感が出るので?だが)も悪いわけじゃない。なのでデイヴィッドスン頑張ってる感はある。問題は、ダネイが担当したはずの謎解き部分である。
被害者が現時点で付き合っていた男の名前がわかれば、それがすなわち犯人だ、というのはいかにも論理が飛躍しすぎているわけで、そりゃ「なぞなぞ」だよ。まあそれだけならともかく、ひっくり返した真相は、被害者視点での犯行描写から推し量られるタイムテーブルと整合性がない(来訪者多すぎで時間的余裕がない。パズラーで神視点3人称はあまり宜しくないように評者は思う...)。さらに悪いのは、エラリーの推理のベースになった証拠が最後に何の伏線もなくひっくり返される(おい!)...というわけで、本作の戦犯は全面的にダネイである。
とはいえ、クリスティの最低作である「ビッグ4」とか「フランクフルトへの乗客」だとホント小説の態をなしてないから、クイーンは「最低作でもまあ読めるからマシ」ということか。

No.174 8点 ディミトリオスの棺- エリック・アンブラー 2017/02/23 22:54
本作を読むと、アンブラ―という作家は、たとえばオーウェルとかマルローの同時代人、という印象を強く受けるのだ。この1900年~1910年くらいまでの生まれの西洋人というのは、ソビエトのプロパガンダの洗礼を、青春の多感な時期に受けた世代なんだよね。コミュニズムへの共感を底流に持ちながらも、それが独ソ不可侵条約やスペイン戦争を通じて裏切られた思いを持ち続ける...そういう世代の作家として、アンブラーはスパイ小説に登場したわけだ。もちろんグレアム・グリーンも(面白いことにイアン・フレミングも)同じ世代に属するのと同時に、キム・フィルビーのようなリアル・スパイさえも同じ世代になる(さらに言えば、アンブラーやグリーンの作品を好んで映画化した監督たちも、赤狩りにひっかかった世代で同世代になる)。というわけで、この1900~1910年生まれの世代は「スパイの世代」なのだ。
本作のアンチヒーローであるディミトリオスは、第一次大戦後の混乱した東欧の中で、交錯する各種政治勢力の合間を縫うかのように、悪のキャリアを積んでいく。非情に利用し、利用されるのがアウトローの世界だとはいえ、その活動のバックにはそういう国際政治が強く絡みついているために、ディミトリオスの営業活動には「スパイ」も含まれる...決して荒唐無稽な悪の秘密結社でも、非政治的なギャングでもなく、リアルな政治も一つの道具であるような「悪」である。この小説のポイントはストーリーでもプロットでも何でもなくて、このディミトリオスの肖像そのものなのだ。「20世紀的な悪」のイメージをこのディミトリオスの姿として結晶できたことが、この作品の価値であろう。
(...じゃあ日本だと?面白いことにアンブラーと松本清張は同い年(1909年)生まれである。本作とかアンブラーの「けものみち」かもね。)

No.173 8点 プレイバック- レイモンド・チャンドラー 2017/02/23 22:14
皆さんは「長いお別れ」みたいなものを...で期待して本作を読んで、「マーロウかっこよくないじゃん」とがっかりするのが定番の流れなのだが、評者実は本作が好きなのだ。
というのは、ハードボイルドって客観描写、というのが通り相場なんだが、本作の描写って表には出ないが、マーロウの主観で強く染め上げられているように感じるのだ(まあチャンドラー特有のロマンティシズム、って言われるのもその表れではあるが)。バルコニーの死体はあったのか、なかったのか。マーロウは弁護士に雇われてベティを監視しているのか?ベティはマーロウを雇ったのか?関係者の女性とお約束のように寝るマーロウは女に強いのかダラシがないのか?などなど、ハードボイルドないろいろな要素がどれもこれも宙ぶらりんのかたちで保留されている...という異常なハードボイルド小説なのである。評者なんぞ本作を「幻想のハードボイルド」と呼びたいくらいである。
とはいえ、本作はたぶん、「長いお別れ」でもウェイド夫妻の話あたりからつながっている話である(リンダのラストシーンがどうこうではなくて)。マーロウは「私立探偵」というよりも、「有料トモダチ」とでもいったところの立場をとらざるを得なくなっている。tider-tiger さんが引用しているジャヴォーネンとの会話の別な部分だが、ホテルの探偵ジャヴォーネンが「私はホテルを守ろうとしている。君はだれを守ろうとしているんだ」に対するマーロウの答えは

いまだにわからない。どきどき、はっきりわかるときもあるが、どうして守っていいかわからない。ただ、うろつきまわって、他人に迷惑をかけている。ときどき、ぼくはこんな仕事をする人間じゃないと思うことがある

という具合。これはマーロウの警句、といったものでは決してなくて、何をしているのかよくわからなくなって立ちすくむ男の正直な述懐というものであろう。そのようなアイデンティティへの懐疑と不安が本作の通奏低音に流れている...だからこそ、

部屋のなかには音楽がみちみちていた

で終わるこの小説の「音楽」とはマーロウの「意識」そのものなのだ。

No.172 6点 緋文字- エラリイ・クイーン 2017/02/12 22:46
まず本作が、ホーソンの「緋文字」を読んでいないと、何か面白味を味わい損ねる?という疑問について。評者は両方未読だったのを幸いに、今回はホーソンのを読んでから、クイーンを読むという趣向である。結論は「ほぼ関係なし」。ホーソンは読まなくても全然オッケー。それでもホーソンは独特の絵画的な才能があるし、キャラは独自で面白く、読んで損になるような小説ではないから、御用とお急ぎでないなら読むのもよろしかろう。
クイーンの本作だが...これホントにクイーンっぽくない小説だ。クイーン世界での立ち位置が一定しないニッキーが大活躍して秘書というか恋人?をほのめかす描写さえある(抱きかかえて運ぶんだよ)。エラリイがMWAの会合に出てたり、EQMMの投稿を読んだり...と、他作ではあまりない、エラリイとクイーンを同一視する描写があったり、エラリイが尾行するどころか、殴り・殴られる描写まである。他の作品で暗黙のタブーになってることを、平気でやっているような例外的な小説だ。これは本当に空想レベルの憶測だが、プロット=ダネイ、執筆=リーというのがクイーンの合作の定法だというが、本作は役割を試しに逆にしたのかも?と考えてみたがどうだろうか...
本作ではエラリイが行動的で、ハードボイルドみたいなものだ。そこら結構新鮮で評者とか面白く読んでたよ。クイーンだからま、タダでは済まないだろうね、と思ってた... ダイイングメッセージは英語の洒落みたいなものを知らないとダメだから、日本人はちょっと無理か。血文字だから「緋文字」と洒落たわけで、ホーソンのそれとは不倫の内容からしても共通点はほぼなきに等しい。クイーンは The Scarlet Letters で複数形だが、ホーソンではヒロインが生涯付けることを強制された姦通を示す「A」の文字を示すから当然単数形で、あまり混同の余地はないように思うよ。ホーソンのそれをミスディレクションに...というのは、ヨミ過ぎじゃない?
真相はまあ無理のないリアルなもの。そこらもクイーン流のハードボイルド?って感じ。評者意外なことの連続でびっくりしてるが、印象はいい。
(ややネタばれ)
っていうけどさ、そう重要な見地じゃないから言っちゃうけど、ホーソンのそれとクイーンのそれと、それぞれある人物から見た真相の骨格がほぼ同じなんだ...そういうのはミスディレクションと呼ばないように思うんだがねぇ。

No.171 6点 緊急深夜版- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2017/02/07 22:38
社会派かハードボイルドかを二択で考えたら、本作とか社会派だろうね。マッギヴァーンって文章はいわゆるハードボイルド文じゃないし...で、当初ありがちな社会派、腐敗した市政と黒幕vs新聞記者という話で読んでいた。まあ社会派とはいってもね、「スミス都へ行く」くらいの感じの汚職+腐敗で、松本清張のリアリズム感には程遠い。
だけどね、実は本作、ラストが非常に盛り上がるのだ。編集長カーシュと主人公の記者ターレルとの関係が、職場の上司と部下という関係を越えて、擬制的な父子っぽい情愛があるにも関わらず....というあたりで、最終的な真相の暴露と編集長の職業倫理によるケジメのつけ方が感動的である。こういう感じでドラマを作るとは思ってなかったな(本作は初読)。

君の心のなかにある人物像を再建しようと思ってな....

自分の悪事を暴かれても、人はそれほど「悪く」なれるものではない。人間の善悪で振れるその振幅の中に、ドラマをうまく組み込むマッギヴァーンの職人技を味わうのがいいだろう。

No.170 5点 真鍮の家- エラリイ・クイーン 2017/02/04 12:28
奇人の老大金持ちの「真鍮の家」に集められた6人の男女。それはこの老人の遺産600万ドルを誰に与えるか、を決めようとする試験だった...集められた男女の身元と選ばれた真の目的は?遺産はどこに隠されているか?老人を襲撃&殺害したのはだれか??
というわけで、プロットは「おっ」となるくらいにキャッチー。エラリイじゃなくて父親の警視(退職後)が、遺産のありかをめぐっていろいろアクティブに推理&駆け引きしていくのも、興味深く読める。エラリーみたいに名探偵の色が付きすぎているキャラっていうのは、意外にアクティブに動かしにくいものだから、これは好判断だと思う。というわけで、こりゃ「いい作品では?」と思わなくもない。けどね、一応のオチが付いたあと最終章で、家に戻るとエラリイがいて、安楽椅子で真相を推理、という仕掛けになっているんだけど....これがちょいと無理があったようだ。やはり「奇人の遺産はどこに?」ってテーマで「イズレイル・ガウの誉れ」を越えるのは難しい気がするなぁ。

(大したことではないですが少しバレます)
最後にエラリイがいろいろ解きあかすけど、面白い殺人の真相か、というとそうでもない(まあこれはよい)。本作は結構いろいろな謎があるんだけど、6人は老人の隠し子だったのか?それとも復讐対象だったのか?600万ドルの遺産はどこにいったのか?とかオチのうまくついていない要素が目立つようだ。
なので頑張って引っ張ったわりに、がっかり感を否定できない。「マルタの鷹」なら石膏の模型でもいいんだけどね。やはり「愚者の金」が「ほんものの金」に、「ほんものの金」が「真鍮」に転化するようなスペクタクルを期待してしまうのは、読者のさがというものだ...

No.169 7点 クランシー・ロス無頼控- リチャード・デミング 2017/02/01 22:55
どうせ通俗ハードボイルドを読むんなら、おもいっきしマンガみたいなのがいいよ。本作だったらどうだ、クランシー・ロス、人気ナイトクラブの経営者で、女に強いがヤクザにも強い。町のボスの風下に立たない一本独鈷で男前、会う女会う女に惚れられるが絶対本人は惚れず全部遊びで、殺し屋に背後から襲われても切り抜けるスゴ腕...とくればまあ、完璧超人である。「陶器を思わせるブルーの瞳」とか「左のあごを走るほそい傷あと」とか、こういうクリシェと唯一の乾分サム・ブラックをお供に大活躍。「トラブルは俺の商売だ」とでも言いたいくらいにトラブルの方がクランシーにご執心で、基本巻き込まれ型である。
ま、アタマを空っぽにして読む娯楽小説としては、クランシーがカッコよければそれでよし。そういう面では大の合格点。「酔いどれ探偵町を行く」もそうだけど、本作も訳者の山下諭一が、翻訳というよりもローカライゼーションって感じのいい売り方をしていて、これが成功している。「無頼控」ってタイトルからして柴錬インスパイアなんだし、最初の短編も原題が「The War」なのが「おれのお礼は倍返し」になる..というこういう翻訳を超えたウリな感じが「いい時代だったね!」という感じで何がうれしい。駄菓子って言えばホントに駄菓子で、

このお女性も、この部屋には何度も出たり入ったりしているはずだぜ。びっくり箱のお人形みたいね。

「お女性」って言い回しに下品な味があって実にイイ。

No.168 5点 ここにも不幸なものがいる- エドガー・ラストガーテン 2017/01/29 22:28
本作は「ジャック・ザ・リッパー物」の一つでわりと有名な作品(あとはどうだ、ローンズの「下宿人」?これはヒッチの映画がある)。ただし、ミステリ、というよりも実録風の小説である。
残虐な殺し方をされた娼婦の事件の犯人として、娼婦と付き合っていた妻子持ちの男が逮捕され裁判にかけられるが、この男の妙な道徳的なこだわりとか、状況の偶然とか、無実を証拠立てることのできる証人に後ろ暗いところがあって黙るとか...いろいろ悪条件が重なった末、無実の罪で男は処刑されてしまう。しかし、処刑当日に真犯人からの手紙が...で、かなり後味の悪い作品である。
あまり謎解き的な興味はないし、真犯人の人間像も最後まで不明のまま。再度の犯行をイメージする場面で終わる。小説としては結構読ませるが、ミステリか、というと怪しい。どっちかいうと、タイトルのカッコよさに魅かれて読んだけどね。

No.167 8点 サン・フォリアン寺院の首吊人- ジョルジュ・シムノン 2017/01/29 22:09
本作は特に日本人好みのせいか、いろいろと影響絶大な作品なんだけど、あれ、昔角川文庫で出てたっきりで、現在入手困難な本みたいだ...これ本当にもったいないよ。シムノンはファンは厚いから、数がハケて損しないと思うんだけどな(角川の水谷準の訳は格調も高く、読みやすいイイ訳だが、論創社から新訳で出るうわさがあるようだ)。
影響は、というと乱歩はこれを翻案して「幽鬼の塔」にしているし、本作の冒頭を角田喜久雄は複数作品でパクってるし...で近いところだと「マークスの山」が本作をイタダキしていて鼻白んだオボエがある。そのくらい日本人好みの、「無残な青春」の話である。
がまあ、今の若い人が読めば「黒歴史」な話でもある...昔っからこういうの、あるんだよ。まあ評者だとわが身を顧みてあまり他人様のこと言えない立場にあるから、まさに身の置き場もないな。本作の一番悲惨な自殺者のように、恐喝した金を一銭も使わずすべて燃やし尽くして、元の仲間を夢に強引に縛り付けようとする...そういう立場にはならずに済んだことを、感謝したいくらいのものである。
そんな無残な夢のかたみに。

No.166 7点 酔いどれ探偵街を行く- カート・キャノン 2017/01/29 21:46
tider-tiger さんが書いてるのを読んで、ついつい読みたくなって取り上げる。どっちか言えば都会的で小洒落たエンタメって感じで、応用されたハードボイルドって感じなので、一般に「通俗ハードボイルド」なんて言い方をされる作品なんだけど、言ってみりゃこういうの、50年代60年代にワンサとあるわけだよ。
でもその中で、本作とか、あるいはそのうち取り上げるけど「クランシーロス無頼控」とかは、とくに訳者がその世界にほれ込んで、若干ナニワブシまで混ぜ込んで、実に印象的なかたちで日本の読者に紹介した...という言ってみれば「翻訳小説の幸せな時代」の「海外エンタメらしいエンタメ小説」なんだよね。どっちか言うとそういうノスタルジーを評者とか感じてハマるのだ。
本作の仕掛人はいうまでもなく才人都筑道夫。都筑=ハンターのタッグのイイ感じを楽しめばオッケー。The Beatings が「町には拳固の雨がふる」に、I like 'em Tough(俺はタフな奴らが好きだ、くらいか)が「酔いどれ探偵町を行く」に訳される、そういうセピア色の娯楽の至福。

No.165 7点 ガラスの鍵- ダシール・ハメット 2017/01/29 21:15
当サイトだと、本作がレジェンド2冊よりイイ平均点がついてるね。面白いな。うん、評者も本作好き。
本作は殺人事件の真相解明が一貫してラインにあるのはあるんだけど、「血の収穫」みたいなバイオレンスによる抗争は主眼ではないにせよ、どっちか言えば「党派抗争の小説」だね。選挙に勝てる見込みで動いていたのが、殺人事件の扱いを間違えたために、空気がガラっと変わる...というのが実にうまく描けている。空気が変わるとね、今まで信用が置けてた人間も、ほんと全然何考えてるかわかんなくなるんだよ。みんなわが身がカワイイのさ。
そういう「空気」と..まあ小説なのでバイオレンスに「抗う男」というのが主人公の賭博師ボーモンの姿。実際、ハメットは後年の赤狩りの際にほぼこんな感じで非米活動調査委員会に抗ったわけで、そのため服役さえ辞さなかったんだよ。
なので、リアル、という点ではレジェンド2冊に勝る作品だと思う。というか、レジェンド2冊は派手な展開で面白いけど、リアルっていうのはちょっと誇張されすぎな気もする。本作地味で、レジェンド2冊のようなサブカル的影響力があったわけではないけども、長く読み続けられる作品だと思う。

No.164 7点 加田伶太郎全集- 福永武彦 2017/01/25 20:45
そのかみの文学少女御用達作家、福永武彦が1冊だけ書いたミステリ短編集である。ヒネクレ者の評者とかこっ恥ずかしくって「好き」とか言いにくい作者だ。
最初の「完全犯罪」は割とよくアンソロに入ってたりしたな。「ミステリ書いてやる!」という気持ちで「完全武装」した感じで、パズルのためのパズル..なんだけど、行間からにじみ出る清潔なリリシズムみたいなものが心地よい。で、前半3作くらいは本当にパズルのためのパズルだけど、後半の伊丹モノはいろいろバラエティが出てくる。ジュブナイルでもないのに、子供が登場する作品が多く(おまけの「女か西瓜か」とかサンタの話も子供視点だし)、これが独特の「少年的感受性」といった味わいがあってナイス。なので「湖畔事件」とか「電話事件」がイイように感じる。まあ、ミスディレクションなしで細かいデータから真相を想像するようなものなので、読者が推理しても当てるの難しいなぁ。
この人出発点は、パズルみたいな定型押韻詩のマチネ・ポエティックだった。マチネ・ポエティックの推敲をするように、細かい時間割とか物理トリックをああでもないと検討していたであろう姿を想像すると、微笑ましいものがある。その光景に萌える。

No.163 6点 湖中の女- レイモンド・チャンドラー 2017/01/21 17:09
清水訳のあとがきでも少し触れているが、ポケミスの旧訳は田中小実昌の訳(「高い窓」もそう)なんだが、これのマーロウの一人称が「おれ」なんだよね。「おれ」と「私」の違いは、社会化されない自分と、社会化された自分の違いだ...というような評を読んだ記憶があるが、アーチャーなら「私」一択でも、アル中ホームレスなカート・キャノンなら「おれ」でなきゃシマラない。で、マーロウはどうか...というと、評者は本作くらいまでは「おれ」でイイと思うのだ。ハードボイルドらしく、内面なんて毛ほども覗かせないわけだしね。
でまあ、結局気になって田中訳と清水訳を比較したのだが、意外に田中訳がイイのだ。清水訳というと最晩年(出版時80歳!)の訳なのでどうもリズムが悪く冗長に感じる。tider-tiger さんが引用しているので便乗して田中訳を紹介すると「しずかな、そしてなにを考えているかわからない顔。むだなことなどしそうにもない女の顔だ」となる。こっちの方がこなれてハードボイルドな訳のように感じるよ。
本作とか「高い窓」とかここらへんは、プロットも一貫していて前の2冊の長編のようにコラージュではないし、トリックらしいものも少しある。前の2冊よりもチャンドラー入門だったらこっちのが向いてるな(まあ「大いなる眠り」はスピード芝居という言葉に倣って言えばスピード・ミステリで映画が名作だからね)。最後の対決&謎解きが腹の探り合いみたいになって、そこら面白い(オチが秀逸)。キャラ的には依頼人の化粧品会社社長の空威張りぶりに結構萌える。個人的には「高い窓」の方が冴えてる気がする...本作わりと「こうなる?」と予測するような内容で展開するから、王道と言えば王道、オフビート感覚がないといえばない。ま、それも悪くないが。

No.162 7点 あるスパイの墓碑銘- エリック・アンブラー 2017/01/09 19:59
評者アンブラ―は好きな作家である。が本サイトはパズラー偏重の気味があるせいか、それとも冷戦終結でスパイ小説自体が株を下げたせいか、アンブラ―とかル・カレとかその重要性に比して書評が壊滅的に少ないようだ。
でまあ本作はリアル・スパイ小説の古典と言われるんだが...ちょっと一つ指摘しておきたいことがある。本作はとある海辺のリゾートのホテルに居合わせた人々の中から、密命を受けて潜入したアマチュアが、機密を外国に売り渡すスパイを見つける..という話なんだが、こう書いちゃうと、実はクリスティの「NかMか」と道具立てがまったく同じなんだよね(クリスティの方が少し後だが)。
ちょっと挑発的な言い方をすると、本作のシチュエーションは「クリスティにも書けるくらいに保守的なスパイ小説」なんだよ。しかしそういう古い酒袋にアンブラ―が盛ったのは、1.主人公が無国籍者でその弱みを突かれて警察に協力させられる(また亡命者の闘争への共感)、2.国際スパイなんぞエリートが無頼漢を使ってやるロクでもない非合法行為だ、という醒めた視点、というあたりになるだろう。プロットが新しいのではなくて、それを眺める視点が新しい、ということなのである。
「親愛なるバダシー君、私はあほうではないし、きみはまた気の毒なくらい、物ごとをかくせない人間だ」。主人公が強いられてするスパイ行為は、それを強いた当局の思惑とは食い違い、主人公が狙うようにはまったく効果を上げない。ドジ踏みまくりでアタマだけはテンパるけど、本当にスパイに向いてない(泣)。ここらスパイ行為ってものの愚劣さが形になってるかのようだ。要するに主人公はマトモな堅気だから、スパイなんてちゃんとできないのだ。アマチュアの奇抜なアイデアがプロの鼻をあかす、なんてのは情けないことにお話の世界だけのことだ。
というわけで、本作はリアル・スパイ小説というより、アンチ・スパイ小説だと思うよ。クリスティ的保守性は本当にそういう狙いを際立たせるための「わざと」のような気がするな。

No.161 6点 検察側の証人- アガサ・クリスティー 2017/01/04 21:49
さて本サイトでは人気作だな。戯曲なのですぐ読めてお手軽なのかしらん。これは戯曲版が対象だが、「死の猟犬」所収の小説版、それに映画「情婦」まで含めて論評しよう。それぞれの関係は大体次の通り。小説版は割と若書きと言っていい時期の短編。それを円熟期になって戯曲化したのが本作、ですぐに舞台化されてロングラン。数年後ユナイトでビリー・ワイルダーが少々脚本をいじって映画化、という流れになる。
話の大筋は変わらないが、事務弁護士が狂言回しな小説版から、戯曲版は法廷弁護士をメインに据えてラストを少し追加し、映画はいろいろと細部を膨らませている。比較して見た感じとしては、やはり映画版が一番完成度が高い。戯曲でもちょっと観客の緊張をほぐすようなコミカルな場面を追加しているけど、それを映画版は全く採用せずに、オリジナルな造形になっている。これがワイルダーなので実にセンスがいい。
一貫している作品的ポイントは「愛妻のアリバイ証言は、たとえそれが事実であったとしても、法廷ではまったく説得力がない」というシニカルな視点である。どっちか言えば小説版はそのアイデアが生のまま出ている感じが強い。また、これは小説版からあって、評者はちょっと気になるところだが、「ドイツ女は冷たくて打算的だ」というような人種偏見的なニュアンスがある。まあだからこそ映画は彫像的な美しさを誇るディートリッヒ、という配役なんだよね(ちなみにワイルダーもドイツ生まれのユダヤ系なんだがな)。
あと、たぶんこれは戯曲が一番際立つと思うが、法廷での儀式めいた開会の言葉とか、証人の宣誓の言葉とかに、スペクタクルな感覚を持たせれるように感じる。映画で秀逸なのは、裁判のあとディートリッヒが群集のリンチに逢いかかるあたり。ワイルダーなので、この劇を密室劇というより、群集スペクタクルとして捉える視点を持っているようだ(逆にこれはクリスティには欠けているセンスだと思う)。
まあ、なので、本作のベストは映画「情婦」を見ること。ロートンの弁論のせりふ回しはそれだけで見る価値あり。

No.160 6点 死の猟犬- アガサ・クリスティー 2017/01/04 17:57
さて短編集も残り少なくなってきたけど、満を持して本作。超常現象が絡むネタ(「検察側の証人」は別だが、これは戯曲と合わせて見るので、ここでは対象外とする)だけど、カーナッキ主義というか、ミステリのオチが付くケースも多く、どっちか言えば「反則(オカルト)ありのミステリ」という感じの短編集である。ミステリ/オカルト比は作品によってそれぞれで、内容もうまくいってるのもあれば、それほどでもないのも...という感じで、割と玉石混淆(ミステリでうまくオチてるのもあるし、オカルトでうまくまとまってるのもあるし、逆もある)。でも初期のキャラ系短編集の時代の短編集に入るわけだから、時代を見れば上出来、になる。
個人的には表題作の「死の猟犬」が純オカルト的だが好き。ちょっとクトゥルフっぽいテイスト..というか、クトゥルフ物のアンソロに入っててもそう違和感がない気がする。最後の「S.O.S」は何かよくわからない小説なんけど、妙に引っ掛かる。ちょっと「クィン氏のティーカップ」に似た話かも。
ホラー/ファンタジー色のあるミステリって、クリスティ実はかなり適性があるわけで、どっちか言うと評者そういうの非常に好きだったりする(「クィン氏」とか「終わりなき夜に生れつく」とかね)。まあだけど、本作だと一つ一つが短いこともあって、ちょっとうまくまとめようとし過ぎかな。だから余白多めの「死の猟犬」とか「S.O.S」の方が印象がイイように感じる。

No.159 7点 処刑6日前- ジョナサン・ラティマー 2017/01/04 17:27
そもそもアメリカのミステリ・ライターっていうと、どうも日本のマニアが思うほどジャンルに対するこだわりがない感じなんだよね..売れるとなったらSFだろうがウェスタンだろうが、ホラーだろうがミステリだろうが、何でも書いちゃう、というノリをちょっと意識した方がいいように感じる。
だから、本作がハードボイルドでパズラーで「幻の女」っぽいタイムリミット・サスペンスで...というような雑食的クロスオーバーな作品なことも、意図的なジャンル・クロスオーバーというよりも、「アメリカ的な行動派探偵小説」というくらいの目的で書かれたエンタメ小説だ、という見方をした方がいいように思うのだ。(処刑寸前に真犯人を見つけて、というタイムリミット・サスペンスの元祖はたぶん「イントレランス」じゃないかと思う...どうだろうか?)
まあ、だから、証拠を求めて東奔西走するクレーン&ドックのコンビの軽いノリの活躍を楽しんで読めばいい。密室だって、冤罪を被せるための手段として必要だから、脱力するようなネタでさえなけりゃ充分合格なんだし、ちょっとひねった電話のトリックもあるし...で、楽しんで読めて結果的にパズラーとしても上出来なら、十分じゃないかな。
個人的には隣房の死刑囚のギャング・コナーズがシブくてナイス。クレーンのアル中ぶりとか、楽しく読めるよ。まあ、ハードボイルド、って言葉に妙なキャラクター小説色をつけて理解するのが、とっても日本的な気がするんだがなぁ。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

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好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1418件
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