皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1418件 |
No.238 | 7点 | 蜘蛛の巣- アガサ・クリスティー | 2017/08/16 22:42 |
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クリスティもホント残りわずかになって、消化試合気分だったんだけど...いや、さすがはクリスティ、やってくれます。本作面白い。大好き!
本作は名探偵は出ないし、サスペンス中心でもないけども、上出来のクライム・コメディ戯曲、それも既存小説作品を下敷きにしない戯曲オリジナルの作品である。「書斎の死体」のテーマで、「予告殺人」のノンキでコージィなノリを前面に出したようなゴキゲンな雰囲気。本作の皮肉な陽気さが評者、本当にツボ。 (発見者は変死体を動かしてはいけないと)推理小説にはみんなそう書いてありますもの。でも、これは現実のことですから...だって、小説と現実はまるで違いますわ。 突如書斎に転がった死体を、メタに洒落のめすヒロインのカッコよさよ!マンガ的な猛女ピークさんが即物的な笑いを取る一方で、アリバイ工作、消える死体、あぶり出しの暗号と秘密の隠し場所...そして真犯人の指摘と意外な背景。ジェットコースター的な面白さにあふれた芝居である。本作はクリスティ戯曲の中でも「ねずみとり」に次ぐロングランを記録したという。たぶん見ていても「ねずみとり」より面白いんじゃないかな。 人間って嘘をつく時は割と真剣になるものでしょ。それでかえってほんとうらしく聞こえるものなのよ。 ....創作ってほんと、そういうことだよね。納得。 |
No.237 | 8点 | オランダ靴の秘密- エラリイ・クイーン | 2017/08/16 22:18 |
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国名シリーズでも初期タイプの完成形だろう。本作のプロット一番特徴的なのは、あまりマジメに尋問しなくて、適当にうまく端折れているあたり。登場人物一覧に大量の容疑者が列挙されるので、「全部尋問するの?」とオソレるのだが、そうではなくてポイントポイントの尋問しか叙述していない。だから読んでいて無味乾燥でツラい、というのはない。書き方が手慣れだしているね。とくにスワンソン出頭からジャーニー殺しの発覚に至る流れなんて、興味を逸らさずにうまく書けているように感じる。
まあ「パズルの極み」みたいな謎解きなんだけど、本作だと3つある推理ポイントを、これでもかと強調しているために、クイーンの意図を読者が当てるゼスチャー・ゲームみたいなニュアンスになってきているよ。その分フェアなんだけども、推理が具体的な行為が示す意味を解釈することに重点が置かれるようになって、「こういうことをクイーンは伝えたいのでは?」とか当時の服装などのジョーシキを推し量りながら推理していくことを要求されているかのようだ。そこらへん、もう80年以上前の作品ということもあって、素直に「推理」しやすいものではなくなりつつあるのかもしれないな。評者は「ローマ帽子」のときシルクハットは畳めるものなのか?でかなり悩んだりしたんだよ... 評者はパズラーと言いながら「なぞなぞ」的なネタ一発の作品って好きじゃないんだな。本作は複数の情報を相互に参照して絞り込む必要があるので、なぞなぞではない「パズル」だ。そこらへんクイーンですら意外にできてる作品は少ない。本作は推理という面で貴重な作品である。推理の結果によるいくつかの属性によるグルーピングに必要だから、あれだけ大量の容疑者が要るというわけで、そのグルーピングに必然性があるからこそ、別に意外な犯人でもないわけだ。「類的推理」とか「カテゴリーベース推論」とか呼びたくなるようなエラリーの推理である。 そういうわけで、本作かなり貴重な作品。キャラの没個性もこういう作品だったら、けして悪いことではない。 |
No.236 | 6点 | 暗い国境- エリック・アンブラー | 2017/08/15 23:57 |
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アンブラーの処女作だが、どっちか言うと2作目の「恐怖の背景」がアンブラー流巻き込まれ型スパイスリラーを確立した作品とされることが多くて、本作は「不遇な処女作」の部類になる。主人公はアマチュアとも読めるし、プロフェッショナルなスパイ(もしくはそのパロディ)とも読めるような、ちょっと評価に困る小説だったりする。
本作の主人公・核物理学者のバーストウ教授は、仕事に疲れて休暇を取るの。旅先で「Y機関員コンウェイ・カラザズ」が活躍するスパイ小説を手に取るのだが、その教授にスーパースパイであるカラザズが憑依した!東欧の小国イクサニアの天才科学者カッセンが独力で開発した核兵器の秘密を巡り、イクサニアの影の支配者シュヴェルジンスキ伯爵夫人、核の秘密を奪おうとする死の商人グルームに抗して、人類のためにならない核兵器の秘密を隠滅しようとバーストウ教授=カラザズは立ち上がった! という枠組みで話が展開する。で、主人公はスーパースパイ・カラザズのようにも読めるし、バーストウ教授が必死に頑張っているようにも読める..というはなはだ多義的な小説なのである。アンブラーが結果的に大家に成長したこともあって、どうも「初期の扱いに困る作品」っぽい扱いを受けている印象がある。 アンブラーの作品にしては主人公の活躍度が高くて、漫画的ではあるけども、どうもそれはわざと狙ったキッチュのような気がしてならないのだ。訳者の菊池光によると、文体も他の作品よりも派手で「overstatement」で「パロディとして気楽に書いたのでは?」とも推測しているのだが、評者はちょっと別な見方もしてみたい。本作は1936年出版だが、この頃というと、ドイツはナチの支配が確立して、再軍備~ラインラント進駐、それからスペイン内戦と第二次大戦前夜の緊張が高まっていた時期である。ナチスドイツの勢力伸長に対して、ヨーロッパの各国も手をこまねいていた時期になるわけだ。国家が組織がアテにならないのならば、それこそ個人がスーパーマンになるしかないのだよ。ややヤケクソな奇蹟への祈りとしての「サブカルヒーロー召喚」という側面もあるような気がする。そういう絶望の果ての陽気なニヒリズムといった感じで評者は読んだのだが、いかがだろうか。 タイトルの「暗い国境」はイクサニアの暗い国境以上に、そういうバーストウ教授とカラザズの間の、教授の頭の中にある不分明な境界地帯を示している。けど調べてみて驚いたが、1936年時点では、核分裂は理論上可能性を示唆されているが、核分裂も連鎖反応はまだ未実証だった時期である...カッセンのモデルはハイゼンベルクでしょ。最初からアンブラーってカンがいいなぁ。 (あと読んでいてどうも類似性を感じるので指摘するが「ゼンタ城の虜」に近いものを感じる。主人公がヒーローとしての仮面をかぶり、自己像とヒーローとしての自我と葛藤するあたり) |
No.235 | 8点 | 殺意- フランシス・アイルズ | 2017/08/15 23:11 |
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英語版のWikipedia とか見ると、倒叙は「Inverted Detective Story」で項目があって、フリーマンが創始者で「殺意」と「クロイドン」がサブジャンルとして確立した、という風に書いてあるが「伯母」は記述がない。「迷宮課」とかコロンボがあってもだよ...(manga の例として「デスノート」が載ってるのはちょっと困惑するが)
まあだから、いわゆる「三大倒叙」っていうのは乱歩周辺でできたローカルなランキングと思ってもう忘れた方がいいような気もするよ。それよりも、倒叙と犯罪心理小説は違うのか?という問いの方が重要だと思う。評者に言わせれば、倒叙はパズラーのサブジャンルであって、より広いミステリのサブジャンルではないんだな。本作バークリーだから、一筋縄ではいかない小説で、パズラーとは言い難い(法廷場面が若干攻防感があるが短い)が、犯罪心理小説か、というとそういうものでもないような気がする。 そりゃ主人公ビグリー博士が妻を殺し、それを告発しようとする愛人の夫+自分を振った女を、殺害しようとする...というプロットだから、犯人の心理を描いてない、とは言えないが、読んだ雰囲気はずっと皮肉で陽気なマンガ的な悪漢小説みたいなものだ。クリスティだと「動く指」とか「殺人は容易だ」に近い閉じたムラの中上流の「おつきあい」の世界だが、クリスティが描かない裏側の下半身事情を暴露しちゃってる。ホント呆れるほどの尻軽と俗物の世界である。小男で冴えない開業医で、恐妻の尻に敷かれたビグリー博士は、どうやらフェロモン男のようで愛人をとっかえひっかえしているわけだし、本作でヒロイン格のマドレインは二股をかけて男を操る自己愛の強い嘘つきで...と登場するキャラはどいつもこいつも碌でもない奴らである。逆にビグリー博士を虐める恐妻ジュリアはそれなりに一本筋が通った歪み方をしていて、いっそ気持ちがいいくらいのものだ。 というわけで、こういう碌でもない俗物どもの右往左往を皮肉な目で眺める小説としては、実に面白い。独自の心理、というよりも漫画になるような「典型」をうまく描いた小説のように感じる。そもそもバークリーだから、既存の枠にはまった作品なんて書く気がそもそもなかったんだろうね。 |
No.234 | 4点 | 悪魔の報酬- エラリイ・クイーン | 2017/08/15 22:34 |
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ハリウッド全盛期のスクリューボール・コメディが夢物語だっていうことは否定できないことなんだけど、そういうのを狙ったにしても、主として経済的方面での切実さみたいなものが足りないので、どうも主人公カップルに感情移入とかしづらい作品だ...破産してアパートに引っ越すんだが、5部屋もあるんだぜ。ドッチラケも甚だしい。もっとマジメにやれ、と言いたいくらいだ。
でまあ話は主人公と未来の義父が互いにかばいあって事態を紛糾させるわけだが「犯人以外の善意の第三者による工作」って、パズラーとしては一番推理しづらい要素になりがちなので、評者ははっきり気に入らない。犯行手段も...ちょいと確実性が薄すぎるように感じるな。大丈夫か。 あとピンクくん、どう見てもゲイだろ。全体として雰囲気が浮ついてて、今一つな作品。 |
No.233 | 7点 | メグレと無愛想な刑事- ジョルジュ・シムノン | 2017/08/09 21:56 |
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「若い女の死」でロニョン刑事に萌えた余勢を買って、表題登場のこの短編集を読んだ。本短編集は4作長さ以上のボリューム感のある短編がそろっているが、ロニョンは最初の表題作しか出ない。残念。
本短編集はというと、「ヘンな奴ら」大集合の作品集になっている。もちろんロニョンは刑事たちの中でも特にその偏屈さで「ヘン」なのは言うまでもないが、「児童聖歌隊員の証言」の老判事、「世界一ねばった客」のタイトルそのままの人物、「誰も哀れな男を殺しはしない」の被害者...すべて印象に残る「ヘン」さがある。 作品としては「児童聖歌隊」がお気に入り。児童聖歌隊員なんだから子供でしょうがないのだが、事件のキーを握る、偏屈な老判事の妙な子供っぽい振る舞いが「謎」を作り出してしまう...それを解決するのは風邪をひいてフラフラのメグレである。風邪をひいて寝込むと、しきりに子供のころのこととか思い出されるものなんだけど、そういうメグレが「子供の心」を洞察して謎を解く、という構図の優れた作品である。こういう小説、イイな。 最後の「誰も哀れな...」も、被害者の小市民的としか言いようのない行動が「バカだなぁ」という感想と同時に「それも仕方ないな」という諦念とないまぜになって妙に心に迫るものがある。 というわけで、シムノンらしい小説的満足感バッチリな短編集である。 |
No.232 | 3点 | 未完の肖像- アガサ・クリスティー | 2017/08/07 20:31 |
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さて、評者のクリスティ評も大詰めに近づいている。残りは戯曲などだから、小説としてはこれがほぼラストである。本作はウェストマコット6冊の中でも、一番ミステリ的興味がないというか、クリスティ自身の自伝小説である。自分の生い立ちと、結婚とその破局までを描いた作品だ。なので「アガサ/愛の失踪事件」へのクリスティ自身の公式見解みたいなものという印象だ。
丁寧に自分の生い立ち・父母と祖母の思い出を綴っているので、他人の人生を覗く興味はあって、クリスティ最長編級(「愛の旋律」と「ナイルに死す」が並ぶくらい)であってもするすると読める。思い出話のせいか、キャラの区別は読んでいてつきにくいが、つかなくてもそう支障はない。別れた夫(要するにクリスティ大尉)であるダーモットは、クリスティがわりと犯人に起用したがるタイプの色男キャラ。性格がクールでドライのために、ヒロイン・シーリアの気持ちが分からなくて破局するのだが、小説の描写としては、別に筆誅覿面でも未練たっぷりでもなくて、あっさりとしたもの。拍子抜けしそうなほどだ。 どっちかいうと、ヒロインと求婚者たちを巡る「ご縁」みたいなものが、一番興味深いように思う。まあ評者なんぞは「何歳までに〇〇して」というような人生設計みたいなものを、御意見無用で仏恥義理しちゃった人間だから、どうこういう資格もないんだがね。 なので、ウェストマコット6冊と言っても、普通にクリスティのミステリが好きならば全部読む必要はない。「春にして君を離れ」「暗い抱擁」は必読だけども、「娘は娘」「愛の重荷」はできたら、レベルだし、本作と「愛の旋律」ははっきり読まなくてもいいようなものである。クリスティ自伝を読むような読者なら、自伝の別バージョンみたいに読めばいい。 |
No.231 | 7点 | メグレと若い女の死- ジョルジュ・シムノン | 2017/07/30 22:17 |
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小説というものに何を求めるか、というと人それぞれなんだろうけども、そこに描かれた「不器用な生き方をする人々」に対する共感みたいなものを「愉しむ」というのはやはり評者も年老いたからなのかね...で本作、パリに憧れて上京した被害者も、捜査陣でもとりわけ印象深い「無愛想な刑事」ロニョンも、生きることの下手くそな人々だというあたりに、感慨深いものがある。
被害者は賭博狂いの毒母から逃れて、花のパリへ上京しても、若い女子でも美人でもなく要領悪く取柄もないと、パリは広いというけれど、身をおくスキマもないものだ..上京するときに知り合った元ルームメイトは御曹司をゲットして時めくが、自分は借り物のドレスでルームメイトの結婚式に現れてお金を借りる惨めさよ。 現場所轄の刑事ロニョンは、愚直なまでの足の捜査の達人なのだが、要領悪く昇進試験にも受かる見込みもない。いつも手柄はメグレが要領よくかっさらい、オレはいつもくたびれ儲け...(実はメグレはロニョンを買っていて、敬意を持っていたりするのだが、それにロニョンは気がつかない。これがロニョンの一番気の毒なところ) この二人の像が付かず離れずで重なるのが本作の秀逸。被害者も本当は幸運とニアミスしているのだがそれに気づかず短い生涯を終えるし、ロニョンもメグレが温かく見ていることに気が付かない。そういう「不幸」の話である。嗚呼情けなしの世の中よ。 |
No.230 | 8点 | 災厄の町- エラリイ・クイーン | 2017/07/30 21:50 |
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クイーンの国名シリーズは小説的にはヴァン・ダインの模倣から始まっているのは言うまでもないことだが、本作あたりでクリスティ流、とでも言うべきパズラー書法をうまく手中に収めた感がある。クイーンの自己評価もそういうあたりだろうから、要するに本作、クイーンの「ナイルに死す」のわけだ。
なので、パズルとしての「意外さ」よりも、人間関係にうまく埋め込まれた罠を楽しむべきであって、そういう意味ではもちろん、成功している。犯人が分かって、「意外だった!」とびっくりするよりも、真犯人によって事件のフォーカスが当たりなおした真相が、小説としてより深まるというものの方が評者は好きだしね(まあそこらがクリスティ流)。というか、後期クイーンでも、ここまで真相によって「小説が深まる」成功をした作品ってないようにも思う。 このままにしておこう。(真相なんて)どうだっていいじゃないか。 エラリイがこれを言うんだよ...評者もいっぺん言ってみたいくらい。ヒッチコックが言ったという「たかが映画じゃないか」に匹敵する、自己否定的名セリフだと思うよ。このセリフをエラリイから引き出したカーターくん、いい奴だな。 本作だとクイーンはライツヴィルの魔女狩り風土に否定的な反応をしているけど、結末から愛着を覚えちゃったらしいのが見て取れる...だから魔女狩りに正面から取り組んだ「ガラスの村」は本作の仕切り直しみたいに読むのがよろしかろう。 |
No.229 | 6点 | 恐怖への旅- エリック・アンブラー | 2017/07/30 21:22 |
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軍需産業の技術者グレアムは、トルコ政府とのビジネスをうまくまとめて帰国の途に着こうとするのだが、風雲急を告げる1940年、トルコとイギリスとの軍事協力を妨害したい勢力が、グレアムをつけ狙っているようだ...グレアムは急遽トルコ秘密警察が用意した船で帰国することに変更するが、果たして無事帰国できるか?
という話なので、アンブラーにしては普通の巻き込まれスパイ小説という感じにはなる。あまり意地の悪い小説ではなくて、素直に書いている感じではある。それでもアンブラーなので、狙われた本人は特に最初は全然ピンと来てない状態だったりするので、「ディミトリオスの棺」にも登場するミステリマニアの秘密警察長官、ハキ大佐はしっかりネジを巻かなきゃいけなかったりする。 (以下少しバレ) で船で敵のボスに取引を持ち掛けられたりするのだが、 平和の時に、自分が生れた国の政府に心身共に捧げようとするのは、熱狂的な国粋主義者だけが言うことです(略)あなたが運がいいのは、こういう芝居かかった英雄気どりの行為―愚者や獣人の感情過大―を、ありのままに見られる仕事に、偶然携わっているからです(引用者註、要するにグレアムが技術者なので、愛国心なしにスパイ合戦に巻き込まれた、ということ)。「国家愛!」奇妙な文句ですな(略)自国の文化を最もよく知っている人間は、通例最も知性があり、最も愛国心が少ないものです(略)国家愛は、つまり、無智と恐怖を土台にした感傷的な神秘主義に過ぎないものです とまあ、このボス、ハリー・ライムばりの大正論をブチかましてくれるのだ。こういう敵の冷笑的ニヒリズムに対して、主人公を助けてくれるのが、愛国的だが役立たずのトルコのエージェントたちではなく、主人公に同情してくれる「空想的」社会主義者(かなり情けないのがイイ)だったりするあたり、アンブラーが本作に与えた色彩は、思想小説風のものだったのかもしれないね。 |
No.228 | 5点 | 最後の審判- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2017/07/27 21:05 |
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マッギヴァーンでも初期の作品。悪徳警官でも文学性が高いわけでもない、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」調の標準的な犯罪小説。
シカゴのノミ屋ジョニーは、惚れた女アリスの亭主フランクが、戦地から帰還したことで、うまく亭主を片付けてアリスを手に入れる賭けにでざるを得なかった...フランクをハメる罠をジョニーは仕掛けるが、どんどんと想定外のことが起きていって、ジョニーは次第にドツボに嵌まっていく という感じの小説。ノミ屋に道徳を期待しちゃいけないが、ジョニーはかなりワルい奴。それこそ夜鷹を殺して堀に蹴こんで「こいつぁ春から演技がええわえ」と嘯くお嬢吉三風の、しれっとした悪党。なので、ドツボに嵌まっていくのにあまり同情の余地はないな。犯行計画は他力本願なのがリアルだが、その分面白味は薄い。少しだけ捨て台詞風のうっちゃりもあるが、大したものではない。 スルスルと読めてそこそこ楽しめるが、それだけ。けなす必要はないが、積極的にほめる材料には乏しい。マッギヴァーンで最初から器用だけど、深まるのはもう少し後だしね。 |
No.227 | 6点 | サンクチュアリ- ウィリアム・フォークナー | 2017/07/23 16:57 |
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先日「ミス・ブランディッシの蘭」の書評を書いたわけだが、やはりどうも気になるので元ネタというべき本作もやろうか。ハードボイルドなバイオレンス小説の古典だといえばその通りで、たまに「ミステリの名作」一覧なんかに採用されることもある小説だよ。
本作は1931年に出版されたフォークナーの出世作だ。同様にセンセーショナルな面が世論を刺激して、売れて映画化もされたけど、作家的にはちょいと黒歴史みたいなものになった感じがある。実際「ミス・ブランディッシの蘭」も本作のウリの再現をネラったような雰囲気がある。 性的不能者のギャング、ポパイはたまたま手中の落ちた南部のお嬢様であるテンプル・ドレイクに惚れてトウモロコシの軸で強姦し、ついでに知恵遅れの仲間トミーを理由もなく射殺する。テンプルを連れて逃亡するポパイは、メンフィスの娼家に潜伏し、テンプルに貢ぎつつ軟禁する。トミー殺しの容疑をかけられたアルコール密造者グッドウィンの弁護を引き受けた弁護士ホレスは、テンプルの行方を突き止めるが....という話である。ホント梗概は「ミス・ブランディッシ」そのものだ。後半の初めにポパイが新たにテンプルに惚れた男を殺すのも、スリムのロコ殺しに照応するし、ミス・リーバのメンフィスの娼家だって、お袋が経営する要塞クラブに対応するわけだ。さらに「ミス・ブランディッシ」初版にあったといわれる、スリムの残虐性描写とか強姦描写とか、「サンクチュアリ」では間接的な描写にはなるがちゃんと、ある。 まあフォークナーっていうとノーベル文学賞のご威光が強烈だ。本作、内情は前衛小説だけども、わざと狙った意図的なハードボイルドという感じの面がある。ホレスは突っ込んだ心理描写があるし、テンプルだと「意識の流れ」風の取り留めのない心理描写が特徴的だが、ポパイとその罪を被せられたグッドウィンだけは、まったく心理描写をせずに、純ハードボイルドで描かれている。尖がった心理描写はそれはそれで読んでいて面白いのだが、行為のまったく不条理なポパイとグッドウィンの方が、その内面性の完全な欠如によって逆に強く印象付けられることが、評者には興味深い。借りものな要素と見られがちな本作のハードボイルド性の方が、いつまでも消化されずに引っ掛かり続けるような印象だ。 というわけで、評者とかチェイスが「ミス・ブランディッシ」を書きたくなった動機が何となく理解できるような気がする...「ハードボイルド」という手法の「零度」さみたいなものを、露にしたいと感じたのだろう。「ミス・ブランディッシ」は全登場人物、内面なんて毛ほども存在しない絶対零度のクールさで徹底したわけだ。そういう意味で、逆に「ミス・ブランディッシの蘭」を本作から照らしなおすのもまた一興。 (これなら「ミステリの祭典」らしい書評になったかな?) |
No.226 | 7点 | 中途の家- エラリイ・クイーン | 2017/07/17 23:43 |
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一言で言えば良作。中盤に裁判を持ってきてうまく小説の核を作り、その後の落ち着いたところで最終的な手掛かりを得るための恋愛&駆け引きがあり、最後に関係者一同を集めた現場再現...と構成面でうまくまとまった作品だと思う。作者お気に入り、というのは小説とパズルのバランスがうまく「手にはいった」手ごたえを感じたんだろうな、と思わせる。
皆さんはマッチのロジックばかり指摘するけど、二重生活をする被害者が「どちらの人格として殺されたのか?」というエラリーが指摘する問いが小説としてうまく解決されているのに、評者は一番感心した。これがこの評点の理由だね。後期的な「人間的な謎」についての関心が本作で出ているわけだ。「中途の家」というのは、クイーン自身にとっても国名からライツヴィルへ至る「道半ばの家」ということで、狙ったわけではないのだろうけども、作家論的にも面白い位置にある。 本作評者の手元にあったのは、1967年の創元の5刷。子供のころ古本屋で買った50年前の本だよ...訳は井上勇なんだが、意味不明な訳文がたまにある。困ったな。けど、67年の時点でさらに50年前の本、と考えたら第一次大戦直後大正時代の本なので文章習慣とかかなり違うことを考えたら、つい最近になって新訳が増えたという、海外ミステリ受容の長期的なサイクルみたいなものを考えてみても面白いのかな。 |
No.225 | 7点 | 崖- 井上靖 | 2017/07/17 23:01 |
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井上靖っていうと、三島由紀夫/大江健三郎/安部公房の側の人か、松本清張/司馬遼太郎の側の人か、って二択で見たら絶対松本/司馬側の人だ。映画TVの原作多数and新聞連載小説の帝王(27作もあるが本作もそう)として昭和の読者に愛された作家のわけで、純文学・大衆文学のカテゴライズが空しいタイプの作家である。とすれば、中にはミステリ、と言っていい作品だってないわけじゃない。本作なんて、殺人事件こそないが、それこそフレンチミステリにでもありそうな、読者の興味をそそって読ませる手法が完全にミステリな作品である(よく考えたら「黒いカーテン」だそういや)。
崖の下に倒れていた主人公は3年間の記憶を完全に喪失していた。本人の記憶では大阪の新聞社勤務のはずが、主人公を見知る人によれば銀座の画廊の主人だそうである....部分的な記憶が少しづつ戻ってくるのだが、セザンヌの贋作を売りつけた詐欺事件に関わっているらしい。果たして自分は詐欺をしたのだろうか? 誰に? そして何故自分が詐欺を? 贋作の行方は? こういう「謎」を動力として供給されて、すこしづつ真相が明らかになり、主人公を巡る女性たちの「哀しみ」が露になる...というページターナーである。まあ井上靖だから女性の造形がイイのは言うまでもない。連載中に読んでたらホント毎日真っ先に連載小説欄を開くんじゃなかろうか。記憶喪失なんて小説技法としてズルいよ、と思うくらいのハマりぐあいである。殺人がないために、うまくミステリのコンベンションも逃れることができてるし、ほぼ「独自の文学派ミステリ」という感じの読書感である。 井上靖って言うとね、商業誌初登場がどうやら新青年だったようだ(「謎の女」)。この人大学を出てしばらく懸賞小説荒らしみたいなことしてたようで、本人も「変格探偵小説」と自称しミステリとしか読みようのない「紅荘の悪魔たち」とかあるし、戦後だって2回ほど探偵作家クラブ賞の短編部門にノミネート(「死と恋と波と」「殺意」)されたこともあるくらいで、必ずしもミステリと無縁な作家ではない。「探偵作家になり損ねた作家」と読んでもいいのかもしれないね。実際の欠陥ザイルの問題に取材した「氷壁」を社会派ミステリで読むというのもアリのようだ。 |
No.224 | 8点 | 13の秘密- ジョルジュ・シムノン | 2017/07/13 20:45 |
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本書はショートショート的なパズラー「13の秘密」と、第一期メグレ物でもラストに近く、評者に言わせれば初期でも屈指の名作「第一号水門」の二本立てだが、この合本は誰得だと思う...特に「第一号水門」なんてパズラーマニアは読みどころが解らないだろうし、メグレファンだったらパズラー短編なんて退屈だ。しかも「13の秘密」は瀬名秀明氏によると、原著は図面入りで、だからこそレボルニュは「図面を見ろ!」と度々言うんだそうだ。そうしてみると、欠陥商品みたいなものである。
しかし、それを補って余りあるほど、評者は「第一号水門」が好きだ。8点の評点は「13の秘密」は完全無視で付けた点である。「第一号水門」の一番イイ点は、本作の中心人物デュクローに生彩があることである。日本で映像化するなら、緒形拳か山崎努か、といったあたりの、アクが強くて身勝手だけど憎めなく、ニッコリ笑われると許さないわけにはいかないような、オヤジの萌えキャラである。事件はこの運河で手広く商売をするデュクローが、刺されて運河に沈むが、命を取り留めて...というあたりから始まる。舞台からして、シムノンの船好きが全開で、河の風景や生業の描写がすばらしい。 で、このデュクローの魅力は、というと、要するに大人と子供がややバランス悪く配合されたところにある。裸一貫で商売に成功して、プチブルくらいに成りあがった男なのだが、そういうプチブルの生活に強い違和感を感じていて妙に子供じみた反抗をするわけだが、意外に状況を客観的に捉えるオトナの眼も欠かさない、リアルで複雑な、危うい人物として描かれている。本作だとメグレ第一期の終了間際ということで、メグレがあと数日で退職する設定で、それを見透かしてデュクローは高給でメグレを雇おうかと誘ったりする...しかしデュクローとメグレの「対決」は実に静かなもので、ほとんど裁かないメグレはあたかもデュクローの同伴者であるかのようだ。 たとえば「男の首」のラディックならずっとガキなわけであり、メグレは大人の余裕をカマして対決が盛り上がるのだが、本作はオトナ対オトナの静かな対決であり、共感とか哀歓みたいなものが強く立ち上る。ここらへんが本作の読みどころであり、分かりやすいエンタメ性からはズレてきている部分でもある....純文学的捕物帖みたいな雰囲気と言ったらいいのだろうか? |
No.223 | 5点 | ドラゴンの歯- エラリイ・クイーン | 2017/07/09 16:01 |
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本作はクイーン流の「映画小説」みたいなものだ。ベースはいわゆる「スクリューボール・コメディ」。戦前のハリウッドの都会的な喜劇、っていうとこのスタイルがメジャーだったわけで、監督としてはルビッチが代名詞なんだけど、実際にはキャプラ(「或る夜の出来事」。「スミス都へ行く」のジーン・アーサーのツンデレが特にそれっぽい)もそうだし、戦後までこのスタイルを引き継いだのがルビッチの弟子ビリー・ワイルダー(「アパートの鍵貸します」とかね)と言ってもいいだろう。またRKO時代のアステア&ロジャーズのミュージカルだってベースはこれだ。
ここらの映画に親しんでいると、この作品のテイストはごく自然に理解できるんだけど、ミステリマニア一般にそれを要求するのも何だよね...ボーがエラリーの名前を名乗って活動するとか、奇矯な億万長者の遺言とか、内緒の結婚式の治安判事の正体とか、ここらへんをスクリューボール・コメディらしいアイデア(変装とか身元を偽るとか実に演劇的な効果絶大なわけで)だと楽しむのが、本来の作者が想定した読み方のように感じる。 まああくまで「ミステリ仕立て」に近いところもあるから、ミステリ的な部分はそもそもあまり期待すべきじゃない。ヒロインへの襲撃とかキャラの入れ違いとかそういうプロットの部分での変化を、絵をイメージしながらロマンチックなサスペンス映画をのんびり楽しむような感じで読むべきだな。それこそ今ならボーとエラリーの関係をバディ的興味で萌えるのもありかもよ。 ある作家を「あるジャンルの巨匠」と扱っちゃうと、それこそ状況に流されていろいろ試行錯誤した「流行」の部分が後から見るとまったく見えなくなって、単に「つまらない駄作」という情けない評価に甘んじることにあるわけで、そういう面を特に本作とか否定できないわけだが、時代と背景の理解のための資料みたいに読むんだったら、本作でも十分お役に立ってくれる(クイーンが書いたからこそ、かろうじて訳されるわけでね)。 |
No.222 | 8点 | グリーン・サークル事件- エリック・アンブラー | 2017/07/02 23:30 |
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本作の原題は「レヴァント人」で、東地中海沿岸の住民の総称のようなものである。アンブラーというとギリシャ・トルコから中東方面にツヨい作家なんだけど、本作はそういう面の集大成みたいなところがある。
今回の主人公は「人間がマトモで有能なアーサー・シンプソン」といった感じの、シリアを拠点に同族経営の企業を経営するマイケル・ハウエル...名前こそイギリス人っぽいのだが、シンプソン同様教育こそイギリスで受けたがイギリス人の血は1/4ほどで、中近東のいろいろな民族の血が混ざりに混ざった、多面性のあるキャラで 彼が一人の人間ではなく、複数の人間からなる委員会なのだ。 この委員会のメンバーは、利に敏いギリシャ人の両替商・愚鈍を装う狡猾なアルメニア人のバザール商人・イギリス人の技師などなど、さまざまな血と要素をもった人間を自任し 雑種犬は時として、血統書付きのご立派な従兄弟よりも賢いところを見せる という矜持を持っている。国際情勢が大きな背景なんだけど、職業的スパイはほんの端役しか出ない作品で、それでもスパイ小説「らしい」のは、この「多重人格」な主人公キャラと、彼が強いられる面従腹背が、まさに「スパイ」なところにあるからだろう。ミニマルなスパイ小説と言ってもいいのかも。アンブラーの一番いいところは、こういう舞台、こういうキャラでも、一切エキゾチズムに堕しないところである。ポスト・コロニアルに耐えうる小説家なのがすばらしい。 主人公マイケルの本質はビジネスマンで、およそ肉体的冒険とかスパイとかテロには無縁な人間なのだが、従業員に紛れこんだパレスチナ過激派に脅されて、そのイスラエル攻撃計画に加担させられる。しかしマイケルはうまく面従腹背を続けつつその計画を探り、かつ防ごうとするのが大まかな筋立てである。対するのパレスチナ行動軍のリーダーも一筋縄ではいかない。結構ハイテクな攻撃手段を持っているし、凶暴性もあるがそれなりに鋭いために侮れない。マイケルは唯々諾々と従うように見せて、過激派を罠に導こうとするこの駆け引きが一番の読みどころ。で、クライマックスはこの「レヴァント人」というのが本質的に「海の民」であることを示すような、船のアクションで大団円となる。 本当に一気に読めるお手本のようなスリラーで、知的対決といた興味で読める。しかも発表直後にミュンヘンオリンピックのテロがあって、本作がそれを予感した..という評価があって2度目のゴールデンダガーを受賞している。しかしね、一番ショッキングなのは、本作で描かれた中東情勢って、ISが跋扈する今でも、本質的にあまり変わってないことなんだよね...何物にも縛られないアナーキーな海の自由民「レヴァント人」のあり方(ある意味これは伝統的な生き方)が、国籍・民族・宗教に縛られルサンチマンに満ち満ちた「近代的」なパレスチナ問題に対して何かヒントになるようにも感じられる。 |
No.221 | 9点 | シャム双子の秘密- エラリイ・クイーン | 2017/07/02 22:52 |
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皆さんあまり指摘しないようだけど、評者は本作はアンチ・ミステリだと思う。
全体的に仕掛けが素晴らしく成功していて、後期クイーンは本作を何度も模倣した感じの作品を書いているけど、それらは全然本作には及ばない出来だ。本作は「後期クイーン」の前哨戦かもしれないけど、見事にかみ合って後期クイーン的作品の頂点と言っていいだろう。クイーン作家論としても超重要作である。評者なんかミニチュアの「黒死館」だと思うよ... (アンチ・ミステリの論拠を説明しなきゃいけないから、アカラサマじゃないけど少しバレます) 後期以降定番になるダイイング・メッセージ物である。本作のアンチ・ミステリらしいところというのは、エラリーがダイイング・メッセージの象徴解釈を延々するのにもかかわらず、ダイイング・メッセージ自体が周囲の人々を惑わすための「アンチ手がかり」でしかない。エラリーも象徴解釈が大好きなためにそれに見事にひっかかるわけだ。本作は殺人が起きるまでクイーン父子が探偵だということが周囲に知られていないから、「名探偵をひっかけよう!」というものでもなく、真犯人から見たらターゲットへの「嫌がらせ」みたいなもののようだ。なのでエラリーは本当に黒死館風に「何もないところに空中楼閣を築く」ことになってしまう。後期に繰り返される「探偵の失敗」でも、本作のはアイロニカルな手ひどい失敗である。 犯人を導く真の手がかりは、象徴解釈ではなくて、意味を欠いた盲目なリビドーなので、これも一種の「アンチ手がかり」だったりする。がっかりする読者もいるようだが、評者は用意周到な狙いだと思うんだがどうだろうか? 本作と言えば山火事だけど、これはサスペンスを狙ったもの...と皆さんは読みがちだけど、山火事はすべての意味を焼き尽くしてすべて消し炭に変えてしまうカタストロフである。だから、ダイイングメッセージさえも、山火事は焼き焦がしてすべて意味を奪ってしまうものなのだ。しかし、アンチ・ミステリとして読むのなら、この山火事こそが、過剰な意味(しかも誤った解釈)から浄化して解放する契機だと読むべきなんだろう。そういう構図を見たら、本作は一個の象徴詩みたいなものだよ... エラリーは、この瞬間、いま一同の注意力が完全に奪われているとき、ほんのつかの間、一同が死から面をそむけているこの瞬間、彼らの上に天井がぐらぐらと、煙とともに崩れ落ちることによって死がもたらされ、なんらの警告も、苦痛もなく、生命が一挙に抹殺されることを、どんなにか熱烈に希求した。 探偵小説が死を扱う「非情さ」に「死を克服しようとする意志」を見るというのを確かカフカが言ってたように記憶するけど、目前に迫る全員の死を前にして、はかない抵抗ではあっても「個人の死」にこだわり続け、犯人を指摘しようとするエラリーの姿が実に尊い。後期みたいにめそめそしないのがイイな。 なので、本作をCCとかいうのはまったく見当はずれで、本作の素晴らしいところはそういうアンチ・ミステリな部分である。あなたはなぜミステリなんて読むんですか?と読後問いかけたくなるような名作だ。 |
No.220 | 6点 | ミス・ブランディッシの蘭- ハドリー・チェイス | 2017/07/02 22:25 |
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一大センセーションを巻き起こしたことで有名な作品なんだけどね....今読んでみると、アッサリした感覚が強い。誘拐と人質の横取り、さらに本線の探偵とは別口の、人質を奪って名を上げようとするチンピラ、と派手な殺し合いが続いてエグいバイオレンスの連続のはずなんだけど、どっちか言うと山田風太郎風のゲーム的な感覚が強く出ている。クールすぎてノワール、って感じじゃないな。大体、ヒロインのミス・ブランディッシからして、ストーリーの駒みたいなもので、名前すらちゃんと教えてくれてないよ...一切の感情移入を排した小説で「描かないのを察しろよ」といったハードボイルドの気取りの部分さえ抹消した「零度のスリラー」という雰囲気。
まあ、センセーションは本当は、初版にあった殺し屋スリムの残虐性描写とか、ライリーのマゾ、ミス・ブランディッシへのスリムの暴行とか、エグイ描写にあったようで、ここらが現行版ではキレイに消されていることにも上記印象の原因かもしれないがね。 アルドリッチが「傷だらけの挽歌」という邦題で本作を映画化しているが、評者は残念ながら未見。ただし、映画のラストでミス・ブランディッシは自殺してそれを探偵は見殺しにするというのを聞いている。映画は初版テイストを維持している感じだね、見たい。映画だと、ミス・ブランディッシの名前はバーバラだそうだ。 (追記:本作元ネタであるフォークナーの「サンクチュアリ」についても書いたので、そちらもどうぞ。この評の補足みたいなものかも) |
No.219 | 5点 | 黄色いアイリス- アガサ・クリスティー | 2017/06/28 22:48 |
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一言でいうと「既視感の強い作品集」ということになる。読む順ミスったかな。
「バグダッドの大櫃の謎」は「マン島の黄金」にもあるし、「クリスマス・プディングの冒険」にも中編化されたものがある...「マン島」のは同じ訳者(中村妙子)だけど、訳文が全然違う。「マン島」の方が後のようでこなれてるが、「黄色い」の方が雰囲気がクールだ。「あなたの庭はどんな庭?」は出だしが「もの言えぬ証人」(実際の事件内容は違う)だし、「黄色いアイリス」は長編化して「忘れられぬ死」だ。原型が一種の「歌ものミステリ」なのがツボ。「船上の怪事件」は「ナイルに死す」の原型だろうし、「二度目のゴング」は「死人の鏡」の表題作の原型...と、没バージョンばっかり集めたボーナストラックみたいな作品集である。 他の作品読んでたら、本短編集を積極的に読む意義は薄いけど、中期クリスティの舞台裏、ってあたりを感じるにはそう悪くない。 けどこれで短編集はほぼコンプ。特殊ネタの「ベツレヘムの星」が残ってるくらい。長編はまだ「未完の肖像」が残っているが、戯曲はあと3作(+α)。「さあ、あなたの暮らしぶりを話して」とかどうしよう? |