皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.41点 | 書評数: 1328件 |
No.148 | 6点 | 小説熱海殺人事件- つかこうへい | 2016/12/11 22:45 |
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このサイトでいつか取り上げようと、評者は手ぐすね引いてた作品である。タイトルに「殺人事件」と入って、殺人事件の容疑者の警察での取り調べをテーマにした小説(劇が先行し、本作は作者自身によるノベライゼーション)である。これではミステリではない、とする方のが難しいというものだ。
とはいえ、直接のきっかけは「毒入りチョコレート事件」である。殺人事件を複数の人間が討議して、どんどんと事件のあり様が変化し膨れ上がっていく...というこの構図自体が「毒チョコは実は熱海殺人事件じゃないのかしら?」という疑問を抑えれなくなったんだよね。で再読。 タイトな戯曲バージョンと違って、小説はとっ散らかってるな。自作小説化は作者も初めてだったし..飛龍伝の小説化はもっと面白いよ。俗化した観光地・熱海で、うだつの上がらぬ若い工員が、美人ではない容姿(作中ではもっとアカラサマな言い方をするけどね)の女工を、腰ひもで絞殺したという、きわめて俗なありふれてつまらない三流の殺人と犯人が、取り調べの刑事たちとのやりとりを通じて、実存を賭けた告白に劇的な昂揚を見つけだし、一流の殺人と犯人へと成長する....あれ、これやっぱり「毒チョコ」だろ。「事件の成長」という構図の部分ではね。毒チョコと本作を隔てる部分というのは、事件とプロットの流れではまったくなくて、「美意識」というようなはなはだ曖昧な部分での違いでしかないのかもしれないね。 だからこそ、本作はとくにミステリの書き手に対する頂門の一針であろう。「殺人があったという幻想に安住するな!」とね。なるほど、ごもっとも。 |
No.147 | 7点 | 幽霊の2/3- ヘレン・マクロイ | 2016/12/07 22:36 |
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本作にたぶん一番近いのは、「文学部唯野教授」だと思う...小説の楽屋裏のスノッブぶり(紳士&教養人ぶっていても所詮すべて銭!)を、シニカルに描いたあたりが一番の読みどころである。登場人物の一人が自虐する「われわれは文学にたかる虱みたいなものなんだ」って言い回しが、心理的にはシラケつつノるような綱渡りな実相を伝えているような気もするよ。この伝で言えば評者なんぞ、立派に殺人者の資格がありそうだ....「文学界の外には、文学者が正気だと信じている人など一人もいやしませんからね」
まあミステリとしてはHowの部分の小ネタはどうでもいい。実際には中盤に明かされる被害者の身元が、これ自体ミスディレクションになっているあたりが非常いいうえに、小説の中身自体が手がかり、という趣向もイイ。タイトルになっている「幽霊の2/3」というゲームの名前が真相をうまく言い当てているあたり秀逸。 どうも皆さん書いてないので、少し思い出を。本作の旧訳は初期の創元のラインナップにあったんだけど、短期間で消えた作品だったんだよね。だから評者がミステリ読みだした70年代だと、古本とか図書館で借りた創元推理文庫の古い本の既刊目録に載ってるけど、まったくお目にかからない本として有名な本だった(あと「死時計」とか「反逆者の財布」とか)。まあ本作非常に印象的なタイトルなので、よけい記憶に残っていたよ。本作面白いけど、60年代初めだとウケなかっただろうな... |
No.146 | 8点 | 夜の終る時- 結城昌治 | 2016/11/28 23:11 |
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最近マッギヴァーンやって「暗い落日」やったからには、これしないとね。結城昌治三大傑作の一つだと思うが、本作はマッギヴァーンが先鞭をつけた悪徳警官モノ。この人の海外ネタの消化力のすごさにはいつも驚かされる。
本作は2部構成で、前半は事件の経緯を客観描写で追うもの。後半1/4ほどが、視点を犯人側に寄せて警官の堕落の心情を丁寧に描写する。でこの後半の描写が男泣きに泣ける。文章も前半は客観的で叙述的、会話が多くニュートラルな文章だが、後半は主観的でボツボツとした短い文が畳みかけるように続いていく。 ふいに、海の風景が浮かんだ。おれは、待合室に出入りする人々を眺め、千枝の姿を求めながら、死ぬことを考えていた。海は、待合室にこもったタバコの煙のむこうに見えた。ざわめきは潮鳴りのようだった。 日本的な湿度とハードボイルド文のリズムを兼ね備えたいい文章だよ。評者大好きだ.... 前半だって警察小説でありながら、捜査陣内部でのフーダニットというちょっと例を見ないような趣向があるので一応パズラーで読めて、しかも悪徳警官モノで、泣ける犯罪心理小説で...とテンコ盛りな内容にもかかわらず、文庫250ページの短めの長編である。それだけぎゅっといろいろな要素が凝縮された珠玉の作品だと思う。イマドキのダラダラ長いばっかりの警察小説(誰とは申しませんがね)と比較すると、結城昌治の腕の冴えがよくわかる。 |
No.145 | 3点 | 毒入りチョコレート事件- アントニイ・バークリー | 2016/11/27 21:47 |
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本サイトでは有数の人気作だ。けどねえ、この人気評者はよくわかんないや。なのでわざと点を下げるために悪い点をつけます。いや評者はちゃんと楽しんだよ。
多重解決モノというよりも、もちょっとメタなミステリ創作論みたいなあたりにポイントがあるように感じるよ。 技巧的な論証は、ほかの技巧的なものがすべてそうであるように、ただ選択の問題です。何を話し、何をいい残すかを心得ていさえすれば、どんなことでも好きなように、しかも充分に説得力をもって、論証することができます。 ...それを言っちゃあ、おしまいよ。 だから、6つの真相のどれも恣意的で、しかも証拠はいくらでも後出しできるようなユルユルの小説なんだしね。最後のチタウィックの真相が、他の真相に勝る根拠がホントにあるんだろうか、と評者悩むんだが.... とくに本作みたいに、偽証拠がアリならば、作品中で証拠と偽証拠が矛盾したとしても、どちらが偽かを判定するのは小説内部では不可能になってしまう(いわゆる後期クイーン的問題①)。ミステリって突き詰めて論理的に考えれば考えるほど、問題の根拠がなくなってしまうような、そもそも前提に不備ありの擬問題(易しく言い換えればプロレスww)なんだからね。評者は「エンタメとして読者を一番楽しませる真相」こそが「小説として正しい真相」だと思う。あくまで、論理じゃなくて小説の問題、としてね。 こんなのマジに考え出したらホント小説なんて書けなくなると思う。本作に意味があるなら、それは舞台裏をさらけ出したメタ・ミステリだ、というあたりだね。「推理合戦が楽しいです」なんてお気楽な読み方をするような小説じゃないよなあ。 |
No.144 | 8点 | 明日に賭ける- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2016/11/27 21:09 |
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トランプが大統領選に勝っちゃったよ(呆然)。まあアメリカの分断って問題がこのところ表面化してきたわけだけど、いわゆるプアホワイトと呼ばれる階層は、日本からはホント見えない人たちになる。プアホワイトを描いた小説というと例えば「怒りの葡萄」とか「サンクチュアリ」とかあるんだけど、実はクライムノベルが結構扱っているんだよね。
本作の主人公スレイターもそういうプアホワイトで、しかも第二次大戦に従軍して勲章までもらったんだけど、戦後になじめず底辺で暮らしている。だから、黒人差別もテンコ盛りでマチズムの権化みたいな男。まあ50年代でも悪い方のアメリカ白人の典型みたいなものだ。食い詰めて犯罪プランナーのプランに乗るかたちで、地方都市の銀行を襲撃するんだが、犯行の仕掛けに黒人を使うアイデア 黒●●は煙みたいにどこへでも出たり入ったりできるんだ。誰も連中の姿は見やしない。盆を持ったり作業服を着ている黒●●は、どこだっていくことができる(●●は今は差別用語になるので自主規制) があって、黒人のギャンブラー・イングラムが仲間に加わるが、襲撃は慧眼のシェリフに気づかれて失敗し、ケガをした白人のスレイターが黒人のイングラムに助けられて逃亡するが....という話である。その逃亡生活の中での、スレイターとイングラムの間の確執と交流みたいな内容が主眼となる(アオリにありがちな友情とか感動みたいなワカりやすい要素は薄いよ)。 まあ本作、犯罪小説としては上出来な犯罪プランでもなし、犯罪のプロの凄みとか、そういうエンタメ的な部分の狙いは薄く、ハードボイルドと言われると文体的にも「...違うんちゃう?」となる。その代りきめの細かい心理描写がかなり読ませる。だからミステリっていうよりも一般小説になってると見た方がいい。アメリカっぽくない湿度感(ほぼ舞台も雨・雨・雨)が評者は好き。 たぶん本作くらいがマッギヴァーンの頂点。けどもうほぼミステリからは外れかけてるな。 あと思い出話。この本評者が中学生くらいのときにハヤカワミステリ文庫ができてすぐ(確か創刊第二弾くらい)に買ったものなので、中に編集部宛のアンケートハガキがはいってたよ。「好きなミステリ作家を5人あげてください」って質問があって、中坊の評者が書いているんだ..「チャンドラー、マッギヴァーン、アイリッシュ、ボアロー&ナルスジャック、エリン」。15やそこいらのガキの趣味にしちゃシブすぎて気色がワルい。クイーンとかカーとか書いときゃよかったな。 |
No.143 | 8点 | 暗い落日- 結城昌治 | 2016/11/16 23:35 |
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その昔、チャンドラリアンという言い方に倣ってショージアンって言い方があったのを誰か覚えてないかな。うん、そのイワレがこの作品のわけなんだが、ロスマク流ハードボイルドを日本的な情緒の中に巧妙に構築した手腕が光る。さすがにハメット的リアリズムは日本だとリアリティが薄いけど、ロスマク流なら日本人の感性と相性がイイことを知らしめたことで、画期的になった作品なんだよね。
で今回読み直したわけだけど、石畳に散る海棠の花びらと沈丁花の香りが印象的だが、その他にも菜の花、連翹、木瓜、牡丹と花に彩られた小説である。宿命に打ちひしがれた暗い目をした女性たち(真木連作ってそういう共通点かな)の象徴のような花々である。 だが、それは何という暗い眼差しだろう。死んでゆく者が、永遠に目を閉じてしまう前に周囲を見まわして、過ぎ去った日々をいちどきに思い出そうとしているようだ。だからわたしを見つめながら、その眼は悲しげに焦点を失っていた。 まあだからハードボイルドをリアリズム小説と捉えたい評者だと、本作がハードボイルドか、というと湿度が高く日本化され過ぎの気がする(モーリアックとか近い罪と罰な世界かも)。少々鬱が入るけど、繊細なロマンの味わいをのんびり楽しむのに絶好の作品だと思う。 |
No.142 | 9点 | 試行錯誤- アントニイ・バークリー | 2016/11/15 19:36 |
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「ガラスの村」とで二大変態裁判小説になるな。あっちは社会批判を直接の動機にするのでシリアスだが、本作はブラックなウィットに富む上機嫌な風刺小説みたいなものである。黄金期最強のトリックスター・バークリーって、唯一自分が何をしているかをメタに理解していた傑物のように思うよ...
彼はいつも、法律の欠陥を、それ自体の過剰性によって打ち破ることを楽しみとしていた 「毒入りチョコ」も含めて、「過剰性の戦略」というような視点があるんじゃないかと思う。貴重なものを苦労して見つけ出すのではなく、すでにあるリソースを、アイロニカルに複製し過剰なまでに氾濫させる...といったあたりの方法論って、80年代末あたりから流行ったシミュレーショニズムとか連想させる。悪名高い言い方になるんで何だが、ポストモダン・ミステリ、っていうような言い方が絶対ハマる。戦前の作品とはちょっと思えないな、好きだ。とくにお気に入りは... (被告席に立つ気分はどうですか、という問いに答えて)「写真をとってもらうときのような気分だね」 クールなウィットがすばらしいね。本作邦題が「試行錯誤」⇒「トライアル&エラー」⇒「試行錯誤」と最初の邦題に戻っちゃったけど、評者は断固としてひとつ前の「トライアル&エラー」を推したい。熟語の「試行錯誤」よりも「裁判がエラーだ」とか「審問と誤審」とか、そういうニュアンスのタイトルじゃないかな? なんで戻したんだろうね。 |
No.141 | 8点 | 人それを情死と呼ぶ- 鮎川哲也 | 2016/11/08 20:53 |
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昔は鮎川哲也っていうと、評価はほぼ鬼貫ものに限られていて、遊戯性の強い「りら荘」あたりもあまりイイ評価をされていないイメージがあったが、最近はちょっと逆転している感じもあるなぁ(「憎悪の化石」が逆に沈んだね)。で本作も昔は評価の薄い作品、ってイメージだったが、最近評価が高いようで本作が好きな評者は何かうれしい。
まあ本作は鮎川哲也版の「点と線&ゼロの焦点」。鮎哲なんでアリバイ崩しは完備だが、かなり危うい橋のアリバイトリックよりも、動機とからんだ全体の構図の部分での工夫が素晴らしい。なので本当はこれ、ホワイダニットで読んだ方がいいと思うよ。「点と線」を意識してさらにそれを捻っていることになるから、社会派からイイ刺激を受けたと読むのがいいんじゃないかな(けど、松本清張だって結構なトリックメーカーだよ...)。 であと本作「ゼロの焦点」なロマン味があるせいか繰り返しTVドラマになっており、鮎川哲也では稼ぎ頭のありがたい作品だ(Wikipedia だと6回もカウントできる)。評者は雪の降りしきる中消えていく夫婦...って見た記憶がうっすらあるな。読んでいて本田が米倉斉加年の声で再生されて仕方ないんだが、と思ったらそれは77年の佐久間良子主演の土曜ワイド劇場のようだ。鬼貫誰だったんだっけ。個人的には長門裕之だったらドンピシャだった気がするんだが... |
No.140 | 6点 | 娘は娘- アガサ・クリスティー | 2016/11/08 20:44 |
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クリスティを子供でも文句なしに楽しめる、穏健で安全で上品な読み物だ...と、あなたがもし思っているのならそれは大間違いだ。本作は女性のSEXの心理的側面を扱ったウェストマコット作品である。クリスティっていうと後期は名探偵の出ない作品を中心に、へヴィな心理探究を目的とした作品があって(評者は皆さんの大好きな名探偵小説以上にそっちが好きだ)、ウェストマコット作品はそっちの延長線にあるだが、とくに本作は「クリスティの暗黒面」が噴出した作品である。
本作は人死にもないしミステリ的興味もかなり薄い。それまでは仲良くやっていた母娘が、母の再婚問題から互いに傷つけあうようになってしまう、どうしようもない世界を本作は描いている。母も娘も結構性格的な欠点の多いキャラだし、きっかけとなった母が再婚しようとした相手も、あまり読んでいて好感の持てる男でもない...娘の結婚相手に至っては最悪の部類だし。なので、本作は「春にして君を離れ」とは別タイプの鬱小説である。この最悪の婿のセリフではあるけど、クリスティこんなことを言ってるんだ。 君は本当いって、人生について何を知っているんだい、セアラ?何もわかっちゃいないじゃないか!ぼくはきみをいろいろな場所に連れて行くことができる。嫌らしい、汚らわしい場所、生そのものがはげしく暗く流れている場所。きみはそこで感じる―感覚でとらえるんだ―生きているということが暗い恍惚感となるまでね! はたしてクリスティ自身このメフィストのセリフに心を動かさなかったと言えるのかな? |
No.139 | 7点 | 最悪のとき- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2016/11/08 20:40 |
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これはハードボイルドというより、ヤクザ映画だよ。
本作は沖仲士の組合が舞台の話なんだが、沖仲士なんてすでに絶滅した職業なわけで、今の人ら何の仕事かわかんないんじゃないかな。だったらイイのは映画で、絶好の参考作品がある。エリア・カザン監督の「波止場」である。マーロン・ブランドが主演だ。見ると雰囲気が伝わる..というか、映画も本作も波止場を支配するギャングとの戦いを描くんだが、1年遅い本作の方が、映画の世界を完全にコピーしてる感じである。ただ、映画は勝利したブランドが新たな波止場のリーダーになる話だが、本作は主人公は復讐に狂う元刑事で、そりゃ最後はギャングたちに勝つのだが...結構心がイタくなる話なんだ。カザンとかドミトリクもそうなんだけど、50年代のトップ監督たちってのは赤狩りの中で仲間を売ってキャリアを継続した裏切り者だったりするわけで、憑かれたように善人も悪人もいない灰色の世界を描いていたわけだが、評者なんかは性格が歪んでるせいか、こういう人らの屈折感がタマらなく好きだったりする。本作の主人公にもヒーローらしいどころかそういう屈折感が強く出ていて、赤狩り後の荒廃して虚脱した時代感を感じるだけでなく、主人公にあるまじき卑怯なトリックを使ってギャングを自滅させる。主人公の「道徳」がテーマな作品なのである(ドミトリクだと「ケイン号の反乱」と似てる)。 なので、三島由紀夫が「ギリシャ悲劇のようだ」と絶賛した東映ヤクザ映画「博打打ち 総長賭博」の最後で、鶴田浩二が吐き捨てるセリフが、本作の主人公にはとても似つかわしい。「俺はただのケチな人殺しなんだ...」ハードボイルドの文脈にありながら、こういうウェットな情緒性が本作の大きなポイントだと思う。 |
No.138 | 8点 | ガラスの村- エラリイ・クイーン | 2016/10/31 22:27 |
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本作はかなり異色だけど、本格原理主義者じゃないなら中期のクイーンの傑作でイイと思うよ。まあクイーンっていうと最後までレギュラー探偵の作品がほとんどで、クリスティやカーがレギュラー探偵に飽きて、いろいろやっていたのと比較すると本当にストイックなんだけど、本作はエラリーは登場せずに、アプレな帰還兵が臨時の探偵役を務める珍しい作品だ。まあ皆さん書いているように、時事批判の目的があるのは言うまでもない。今大統領選も終盤で、評者なんか本当にトランプってキャラがウケること自体理解不能なんだけども、そういうアメリカの草の根保守とかリバタリアニズムといったあたりの、日本人には理解困難なアメリカの風土はこの頃からそうそうは変わっていないようにも感じるのだ。
で、そういうアメリカのバックボーンをなす特性としての「裁判制度」を、クイーンは本作で批評的に使っている。村人たちをなだめかつ真犯人を探す目的で、実にヘンテコな裁判を主人公グループが主催する格好になる。これが裁判手続きの理念みたいなものを考えると、作中で承知の上で悪夢的なことをしていたりする...法廷モノとみると奇作・怪作の部類だと思うけど、これがプロットとしてうまく機能しているあたり秀逸。「開いた口がふさがらない」ような手続きを愉しんで読むといいよ。 謎解きも自然で、このレベルなら素人探偵が急に閃いても不自然にならないってくらいのもの。しかもうまく覆われているので、パズラーとしては小粒でも評者はこのくらいの方が好感が持てる。まあ青い車氏同様評者も、本作とちょっと似ている「Zの悲劇」の死刑囚のヒドい扱いから見ると、クイーンの作家的成熟を本作には感じたりするわけだ。 |
No.137 | 6点 | ジャグラー―ニューヨーク25時- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2016/10/29 17:45 |
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70年代にミステリ読んでた評者のような世代だと、懐かしいよねマッギヴァーン。書かれたのは75年だそうだが、80年に映画になって(アタらなかったが)B級アクションでは出来のイイ作品として知ってる人は知ってる。だから評者とか「マッギヴァーンがまだ健在!」って結構喜んだんだよ...
でなんだが、映画は見た記憶があるんだが、原作は初読。映画は誘拐された女の子を父親が追っかけてニューヨーク中を走り回る映画なんだけど、原作は全然印象が違う。ヒッピーみたいなひげ面のお父ちゃん、原作だと実はランボーな元少佐なんだ。だから都市論的なあたりでウケた映画と違って、父親・警察・巻き込まれる一般市民...というあたりでの複数視点でのガチのマンハント物である。ここらへん登場人物が多くてそれぞれの事情を丁寧に描写して..という書き方が、70年代の連続物のTVドラマ(アーサー・ヘイリー原作物とかね)風な印象。もう少し整理してもよかったかな。 まあだから、鳥瞰的に警察部隊を指揮して論理的に誘拐犯を追い詰めようとする警察担当者(なぜか階級が警部補だ。毎年1回犯行が繰り返されていたので、少女の生死よりも犯人を仕留めることが政治的に最優先)と、鍛えられたハンターの嗅覚によって子供を取り返すために追跡する父親の対立がポイントになる。しかし、いろいろと飛び入りの市民たちがいて、コイツらが結構状況をイイ具合に攪乱したり..とハラハラさせられることになる。 で映画だとニューヨーク中を駆け回ったけども、原作はセントラルパークが中心で何が潜むかわからないジャングルのように描いている。80年代には犯罪が多発して魔境みたいなものだったようだね。だから、本作ある意味戦争映画というか、「ランボー」の第1作みたいなニュアンスがあるなぁ。マッギヴァーンってそもそも昔から作品企画力みたいな能力は抜群の作家だったから、そういうあたりは衰えてない。 |
No.136 | 7点 | 雨の国の王者- ニコラス・フリーリング | 2016/10/17 22:27 |
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皆さんはボードレールの話ばかり引き合いに出すようだが、本作のポイントは、「マイヤーリンク(うたかたの恋)」を下敷きにしたロマン味なんだけどな...まあ日本だとヅカファンだったらマイヤーリンクをネタにした人気作が「うたかたの恋」と「エリザベート」と2つもあって馴染み深いんだけど、今さらダリュー&ボワイエがピンとくる人もほとんどいなかろう。創元の文庫の原型を作った世界大ロマン全集には入ってるんだけどね(訳文に日本ではなじみのある邦題の「うたかたの恋」という言葉すらないな...訳者大丈夫か?)。
で、本作警察小説とはいいながら、チャンドラー風の凝った描写の多い文学性の高いハードボイルドみたいな感じのもの。文章はなかなかいい。「九尾の猫」をやった直後でこんなことを言うのも何なんだけど、狙ったわけではないが本作は「後期クイーン的問題」の応用編みたいなものである。ただし、 おれは玄人なのだ。明敏な素人の探偵が活躍するのは、小説の中だけ。本当の警察官は頑固で強情で、鈍重で散文的で、しばしば低俗で心が狭く、ほとんどつねにけちなものだ なので、素人味の抜けきらぬエラリーのように泣き言をいったりしない。評者は職人好きなので、背中で泣いてるこっちのがカッコいいと思うよ。 |
No.135 | 7点 | 九尾の猫- エラリイ・クイーン | 2016/10/10 21:54 |
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さて重要作。マンハッタンでの連続絞殺事件に、エラリーが市長直属の特別捜査官として挑む...という異例の話。今回、エラリーの立場はアマチュアじゃなくて、責任がある立場だ、というのがちょっとポイントのように思う。というのはやはり評者も例の「後期クイーン的問題」ってちょっと気にはなるんだよね。
クイーンの文章って結構クールな良さを評者は感じるんだけど、本作だと被害者たちが社会的にバラバラの階層に属していて、結果社会を俯瞰するような視点で書かれている。ある意味社会小説的な側面があるね。市民集会でパニックを起こした市民たちが暴動を引き起こすあたり圧巻だ。まあ本作の出版は1949年だから、マッカーシー旋風の直前くらいの、原爆スパイだ核戦争の脅威だとアメリカ社会がピリピリしていたあたりの描写なんだよね(もうすでに映画界の赤狩りは始まってる)。だからホントは本作は「ガラスの村」あたりと一緒に読むべき作品だろうな。 だから本作は警察小説みたいに読んだほうがいい。実際、読者による推理のポイントなんてほとんどない。アメリカ人って精神分析が好きだなぁ....(評者はキライだ) でとくに「後期クイーン的問題」でも特に2番目の方の探偵倫理の問題なんだけど、これってどっちか言えばイギリス的なアマチュアリズムが前提になっているようにも思う。本作の場合って、エラリーは非公式な父親の顧問みたいな立場じゃなくて、市長直属の特別捜査官だから、異例ではあるが公式の立場だ。だからああいう泣き言を言うのは不覚悟なように思うよ。評者別な作品について、ハードボイルド性=探偵のエゴイズムの自覚、みたいなことを書いたけど、エラリーも自分のエゴイズムに気が付く...というような展開を望みたいところではある。 |
No.134 | 4点 | 教会で死んだ男- アガサ・クリスティー | 2016/10/10 21:14 |
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本短編集はハヤカワの独自編集のようだ。要するにクリスティ、何回も重複ありでアメリカでイギリスで短編集を出しているから、コンパイルの基準になるようなやり方がないみたいだ。だから本短編集は他の短編集から漏れたものをまとめたような感じのものだが...まあ所収の短編のほとんどは、創元だと「ポアロの事件簿2」に入ってるものなので、読んだ感じ「ポアロの事件簿1=ポアロ登場」の続編みたいな感じである。
実際収録のポアロ物は20年代のものばかりなので、「ポアロ登場」の続編で問題ない。出来も似たり寄ったり。ただ、後半「二重の罪」から少し面白くなる。「スズメ蜂の巣」はポアロにしては珍しく人情ものっぽい味がある。でファンジーか怪談か微妙な「洋裁店の人形」とかわりと面白い。まあ最後のマープルもの「教会で死んだ男」は腰砕けの失敗作だろうな。だからトータルの出来は「ポアロ登場」より少し面白いけど...というくらい。 |
No.133 | 6点 | 曲った蝶番- ジョン・ディクスン・カー | 2016/10/10 20:39 |
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本作好き嫌いがはっきりするようだね。物語的な流れはスムーズでいろいろ盛り上がって面白く読める。カーのストーリーテラーとしてのイイ面が出てるね。ただミステリとしては、真相が分かっていて黙ってる人が多すぎ。こういうのフェアじゃないと思う。
でまあ、本作の特色...というか、オカルトの絡めかたなんだけど、最終的に「隣の黒魔術師さん」って感じの妙にカジュアルでおどろおどろしくない結果に終わるのが、評者なんか凄い好きだ。本作カーの中でもオカルトをこれでもか!と投入した小説になるんだろうけど(トリックもちょいグロだし)陰惨にならずに、妙に能天気な軽さが出るあたり面白い。犯人の告白がナイスだね。 要するに、淀川長治老師が「私の宝」と呼んで愛した某映画を評者も大好きなんだよ....まあだから小説としては7点だけどミステリとしては5点くらいで間をとって6点。 |
No.132 | 5点 | ホッグ連続殺人- ウィリアム・L・デアンドリア | 2016/10/02 23:03 |
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どうも皆さんの書評読んで違和感を感じたので、急遽本作を再読した。邦訳が出てすぐの頃に読んでたな。今でもよく覚えてるよこんな感じだった。
第1の殺人:あれ、ひょっとしてこのネタはこうなのでは? 第2の殺人:矛盾しないね、たぶんそうだろう。 第3の殺人:じゃあ間違いないね、いいぞもっとやれ..... とまあだから、クリスティで言えば「カーテン」とか「そして誰もいなくなった」に近いような、パズラーというよりも、ネタがバレても問題のない「仕掛けもの」のような感覚で読んでいたね。初心者じゃあるまいに、このネタ気が付いて当然のようには思うよ。連続殺人モノのパロディみたいな感覚で読んでたからまあ、ケッサクな部類なんだけど...出来は傑作とは程遠いなぁ。 第3の殺人以降の主となる関心は、「クリスティの例の有名パターンを採用するか?」ということになるんだけど、「採用しない方が絶対面白いだろうな」と今回は強く感じていた。本作のネタは結構いろいろな方向性(不条理とかSFとか思想小説とか)を持っていると思うんだけど、クリスティしちゃったら、本作はタダのパズラーにしか絶対にならないんだよね。で更に悪いのは、HOG登場の場面が直接描写されているあたりに評者は白けてしまったのだ。こういうHOGの内面も描いてしまう描写はいわゆる「神視点の三人称」ということになるんだが、これ本作はネタの問題からしてまずいんじゃない? またこれは評者の理想かもしれないが、パズラーは、探偵側と読者側との間に提供される情報差が目立つと、いろいろまずいように感じる...あそこ作者が「読者だけ」をわざと引っかけるために書いてるわけだから、フェアじゃないと思うんだが皆さんどうだろう? 結論いえば、とてもいい素材を下手なコックが料理してイマイチ、という感じの作品だと思うよ。もう少し繊細な作家が書いていれば、いろいろもっと面白い書き方を見つけたんじゃないかと思われる。 とはいえ1点だけ良い点。連続殺人による無責任で厨二な「昂ぶり」みたいなものを読んでいて感じられたこと。まあミステリなんてタカが無責任な読み物なんだが、その「タカが」の機能というのもちゃんとあると思う(評者もまだ若いな)。「九尾の猫」でも口直しに読むか。 |
No.131 | 5点 | 夜歩く- ジョン・ディクスン・カー | 2016/09/25 19:00 |
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創元の新訳で読んだ。和爾桃子って人の訳だ。この人Wikipedia の経歴で見ると21世紀になってから活躍しだした人だから、若い人なんだろうけど...
ときに、あの英国令嬢とのきわめて耳目をひくご高話なら勝手に拝聴したよ。言わせてもらえば、君の態度は慎重でじつに見上げたものだった。さてさて― で、この英国令嬢は「遊ばせ」なんて言い方をしちゃうのである!すごいな。まあ、こういう擬古的な訳文が似合う作品であることは言うまでもない。今回読み直して本作って、何かキラキラ感があって少女ホラー漫画にうってつけの原作のように思うよ。JETあたり漫画にしないかしら? 古き佳きベルエポックのパリに跳梁する人狼...というゴシックな世界観が本作のウリなので、この訳はそういう用途をちゃんと満たしたイイ訳だと思うね(ググるとイマの優秀翻訳家で結構名が出る人のようだ...要注目)。 まあ作品としてはクラシックなネタなので、イマドキのスレた読者が真相にびっくりするのはちょっとムリと思う。それよりも、カーの処女作ということで、カーがそれまで好きだったいろいろなもの(ポーとかマクベスとかアリスとか)を「とにかく詰め込みました!」というノリで繰り出して見せる小ネタが楽しい。そういう意味ではアマチュアとプロの境界線にあるような作品かもしれないが、それゆえの勢いはあるよ。 あと本作のトリックって本作だとうまくいくのが不思議なくらいの危ない橋だ....犯人像ももう少し突っ込むといいんじゃないかしら。このネタだと心理サスペンスくらいの方がいいような思う。 というわけで、本作はミステリで読むよりも、ホラー系キャラ小説くらいで読んだほうが楽しいと思う。期待せずにノンキに読んでくれ。 |
No.130 | 9点 | 寝ぼけ署長- 山本周五郎 | 2016/09/19 20:18 |
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本作は時代小説の巨匠山本周五郎が書いたミステリ。文庫のロングセラーで結構な人気作だ。ただしね、多分「ミステリマニアは除く」なんだよね...ここらへん評者はイジが悪いせいか、とっても面白いと思う。
本作表面的にはちゃんとしたミステリの連作である。普通のミステリ短編集よりも殺人事件比率が低いかな、とは思うけど、事件あり、意外な真相あり、と決して形式的にはミステリから逸脱するものはないのである...主人公の警察署長五道三省はちゃんと名探偵もしている。がしかし、本作がどうしてもミステリから逸脱する部分というのは、小説のプロットの部分ではなくて、内容的な部分なのである。 「罪を憎んで人を憎まず」というセリフがあるが、実はミステリはこれでは始まらない。「人を憎む」部分が犯人の追及なのであって、その結果断罪を控えることはあるかもしれないが、真相の解明なくして何も始まらないのはいうまでもない。本作の最初の短編「中央銀行三十万円紛失事件」では犯人は実質3人のうち誰かに絞られるだが、五道署長は真相の解明ではない別な解決手段を提示してそれを納得させる。これで読者を納得させよう...というのが本作、できているのだ。ちょっとこれは驚くべきことだ。「ミステリの心理的前提」を見事に無視して小説を成立させるのだから、反ミステリかもよ。 野村胡堂の銭形平次がそうであるように、時代小説は、実際の江戸時代に取材した小説というよりも、世知辛い現代に対する作者の理想を投影したユートピアとして描きだしたファンタジーという色彩を帯びるときがある。そういう理想主義というものは、時代小説には合うのだが、ミステリだと一般的な正義感はともかくとして、正面切っては取り上げづらい...五道署長は貧乏人の味方に立って、立ち退きを迫る高利貸から官舎を開放して保護すると同時に、高利貸に一泡吹かすし、屋台営業からの搾取を強めるヤクザから、屋台の人々を保護して新しいショバに移転させ組合による団結を裏から指導する...そういう「正義の人」として五道署長が描かれてるのだけど、これが少しも浮ついてないのである。多分これほど「正義」というものをマジメにとらえたミステリはないのではないのだろうか。そういう作者の真摯さがファンタジーかもしれないが作品を通じて本当に伝わるのが、本作の人気の最大の理由だろう。 あ、個人的には「十目十指」がベストと思う。ちょっとしたねたみや偏見・悪意が増幅される地域社会を、正義の人五道署長が正す話だけど、非常に今風のテーマだと思う。あと「夜毎十二時」ってクリスティの短編にほぼそっくりの内容のがあるな。まあありがちなトリックだけどねぇ。 というわけで、本作、ミステリマニアにとっては試金石だ。あなたはどう読む? |
No.129 | 6点 | 黒の様式- 松本清張 | 2016/09/19 20:12 |
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オトナ専用の小説を評者が一番最初に読んだのが、多分コレだ。まあ評者マセてたから、小学生くらいで乱歩とか司馬遼太郎とか大人バージョンを平気で読んでたけど、乱歩はエログロでもホラー映画みたいなもんだし、歴史小説はエロないし...で、コレだよ。たまたま親が借りてきたカッパ・ノベルスが転がってて読んだんだよね。
まあもちろん最初の作品「歯止め」。結構鮮明に憶えてたね。思春期の男の子の性欲を処理するために母親が...というぶっちゃけオコチャマには相当ハードな作品。読んで困ったことを記憶している... ミステリとしては改めて読むとやや飛躍がおおく、あくまで主人公夫婦の憶測にすぎないわけで、あまり決定的なことはない。けど、夫婦の想像だけで話をちゃんとまとめてオチにできる清張の筆力が剛腕。ミステリらしい解決をちゃんとせずにうまく収めるのは、余韻とか余白美とかちょい伝統日本的な美意識が感じられるわけで、ミステリとしてはオチなくても小説としてはちゃんとオチでいる。読者がいろいろ想像することによる後味の悪さがいい。一体ヒロインの主婦今後どうするんだろうね...何か怖い考えになりそうでしょ? で2つ目の「犯罪広告」は全然記憶なし。田舎の漁村で起きたトラブル。ミステリって本質的に都会小説の側面が強いから、金田一岡山ものだって都会人から見た田舎、って視点で書かれるけど、さすがに清張で田舎の人間関係にリアリティがある。何となく連想したのは「本日休診」で、この作品の内容だとコメディタッチで書きなおすのができるんじゃないかなぁ。 3つめの「微笑の儀式」は何となく憶えてた。デスマスクとって痕跡がまったく残らないのは不自然だと思うよ。これはトリックにはあまり関らないから、デスマスクでしない方が良かったように思う。 所収の中編3本のうち、1本目の「歯止め」が内容的に一番ミステリらしくない話なんだけど、それでもこれがインパクトも内容面でも、一番ミステリっぽい満足感がある、全盛期の清張の底力、って気がするな。 |