皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1325件 |
No.205 | 8点 | 地下組織ナーダ- ジャン=パトリック・マンシェット | 2017/05/13 18:29 |
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本作は1975年出版のポケミスなんだけど、今は入手困難も手伝って伝説っぽくなってるらしいね。フランスのロマン・ノワールの第二世代って見ていい「政治の季節のノワール」筆頭、マンシェットの「狼が来た、城へ逃げろ」(というか「愚者が出てくる、城寨が見える」か..)によるフランスミステリ大賞受賞後第1作である。クロード・シャブロルによる映画化があるが、「中国女」とか「東風」を撮ってたころのゴダールだったら...という気がしないでもない。この人50ちょっとで死んだけど、フレンチ・ノワールを現代化した立役者みたいな人で、この後もイイ作品を書いているのが、伝説の所以のようだ。
今やってる生活ってのがどうにもこうにも鼻もちならなくなったのよ。何かぽこんとこう破裂させたかったんだな。 希望なんて持っていられやしねえ。そんな奴らのために俺は飲むんだよ。政治的に正しいとか下らねえとか、そんなことはかまっちゃいられねえ。 とかまあ、こういうアケスケでニヒルな衝動に突き動かされて、5人の男女によるアナキスト組織ナーダがアメリカ大使を誘拐する....がこれに対し、ゴエモン警部(Goemond警部。イイ名だねw)が指揮を執る警察側は、ナーダの潜伏場所を割り出して、投降も一切許さずガチンコの暴力で「殲滅」しようとする展開。極めて短い文が炸裂する、模範的なハードボイルド文でエゲツないヴァイオレンスが続く。国家というヤクザが、アナキストというヤクザにカチ込みにいく..という態。 まあ、冒頭の共和国保安隊(日本だと機動隊に相当するようだが、銃による武装が通常装備らしい)隊員の手紙で、ナーダが壊滅したのは最初にバラされているし、万が一にもうまく行きそうにもない誘拐計画(小説としてないない)だから、失敗は目に見えているのだが.....それでも一矢は報いている。 ブエナベントゥーラは答えなかった。トルフェがふるえてる手で手錠の鍵を外す。ゴエモンの死骸をまたいでブエナベントゥーラのそばへ走り寄った。膝をついた。ブエナベントゥーラがわずかの間、トルフェを見つめていた。そして、死んだ。 くぅう、ノワール、だね。再版か新訳でもすればいいのに。「膝をついた」の入り方が大好き! 後記:やや本作評点が辛すぎたと反省。1点プラスします。 |
No.204 | 7点 | リコ兄弟- ジョルジュ・シムノン | 2017/05/08 22:42 |
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偶然ながらちょっと前に書評した「ベルの死」と同年の非メグレ物。両方ともアメリカが舞台、しかも鬱小説...と妙にカブった感がある。ただしこっちはマフィアの内幕ものだが、アクション味はほぼ皆無で、「ベルの死」同様に主人公の中年男が心理的に追い詰められていくさまを丁寧に描いた作品である。だからノワールからはシムノン流にズレた印象だ。
主人公はマフィアの中ボスだが、地方の合法部門の責任者で「会計係」なんてあだ名がつくようなタイプ。家族ぐるみでマフィアと縁深い一家で、三人兄弟の長兄。その一番下の弟が堅気の女と結婚して足抜きをしようと考えたのか行方不明になる。裏切りの噂の立ったその弟の足跡を主人公の長兄が追うプロセスがほぼ小説のすべてを占める。 この情報をこっそり提供した次兄、老いた母、それから逃亡した弟..と見知った人々のはずながら、いざ向き合うと見知らぬ人のように長兄が疎外感を感じるあたりが、本作の一番らしいあたり。なので、マフィア物とかクライムノベルとか本作を見るとすると、本当にミニマムなマフィア物(実際ポケミスで150pほどで短い)ということになるだろう。 ある人生の断面を切り取ってそれを覗かせるが、結論もなければわかりやすい感動やドラマらしい予定調和もない。シムノンなので徹底して心理寄りなため、ハードボイルドとは呼べないのだが、心理がまるでモノであるかのようにごろりと転がっているような印象を受ける。 |
No.203 | 6点 | フォックス家の殺人- エラリイ・クイーン | 2017/05/06 13:46 |
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皆さん言うように地味な良作なのは確かだ。エラリイのスタンスが「公正」なあたりに、本作は一番の魅力がある。
本作、ベトナム戦争以前の「ベトナム症候群」モノだったりする...「正義の戦争」だったとしてもコワれる人は壊れるわけだ。なので丁寧に書かれた「一家族を通してみる社会小説」としての印象は非常によく、フォックス家の家族に嫌な印象を受けるキャラがいない(悪役の薬剤師とかおせっかい老女とかも、単に卑小なだけだし)。 だから着地点は何となく想像がつくんだけども、その結果ミステリ+小説としての出来は肩透かし。結局「虚構のハッピーエンド」みたいなことになって、評者は「これでいいのかなぁ?」と生温かな結末に若干モヤモヤする。強いて比較すると、クリスティだと「無実はさいなむ」あたりに近い家族小説なんだけど、ここで比較したらクリスティの家族幻想の無さ加減がひどく過酷に感じられる... 証拠の後出しに見られるように、クイーンのパズラー性に対する関心というかコダワリみたいなものが、本作だと後退しちゃった気もする。タイトルは原題・訳題ともにちょっと反則だと思う。もう少しなんとかならないか(原題もちょっと訳しづらい...The Murderer is a fox 殺人者はキツネだ、じゃ締まらないし)。感覚的には7点つけたらヨイショ、というくらい。 |
No.202 | 10点 | 黒死館殺人事件- 小栗虫太郎 | 2017/05/06 10:24 |
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中学の頃出会って以来、何度読み返したことか...評者にとって、ある意味目標であり理想の小説である。今回久々に通読(折に触れ途中から好きな個所を拾い読みしていたんだけどね)。
本作くらい、キャッチーなミステリはないように感じるよ。神秘の光に包まれる死体、「独りでに動いていく死者の船」テレーズ人形、鐘鳴器(カリルロン)が奏でる旧約詩篇の讃詠(アンセム)に表れた不可思議な倍音から死体のありかを透視する探偵、「犯人の名はリュッツェン戦役の戦没者の中に」など、など、など極めてキャッチーなネタがジェットコースターのように繰り広げられる。もう単にこの流れに身を任せていけば、めくるめく体験が得られる...という稀有の書である(まああくまで相性が合えば、ね)。 ミステリ的興味は...というと、本作はダブルミーニングの宝庫であり、一見そう見えた内容が全く別なものに転化するなんて、枚挙に暇なし(のっけからmass+acre=虐殺!をやるわけだし)。今回気が付いたことだが、意外に本作、流れの中断と再開が多いのだ。わかりやすいところで言えば、十二宮円華窓の暗号を解読して「behind stairs」を得たあと、大階段の裏でさらに似非創世記暗号を見つける一連の流れを中断してクリフォグ夫人狙撃が挟まり、真斎の尋問から始まる算哲の死と埋葬を巡る話も、死霊集会とか地下通路を通って算哲の墓に向かう場面などに分散して配置されている...というわけで、読んでいて有機的な展開じゃなくて、意図的に再配置されて絡み合った鎖の連鎖のような印象を受ける。 で、なんだけどこういう読み方はどうだろう? 黒死館はミステリのリミックスだ ミステリの一番面白く、スペクタクルな部分だけを抜き出して、それを意図的に再構成したのが、黒死館なんだと...だからこそ、枠組みは極めて平凡でなくてはならない。法水=ホーミズ、支倉&熊城がマーカス&ヒースみたいなパロディな部分を含めて、枠組みだけは館モノのお約束でしかない(要するに四つ打ちで「踊れる」ことを最低限確保するのと同じ)のだけど、内容は過重なまでに独自だが、そこで働く力の射程が極めて短いミニマルなロジックで組み立てているのを、中断配置(カットアップ)によって長編らしいサスペンスと重量感を再構築しているのだと... あと、今回気づいたこととしては、実に描写が「絵」である。スペクタクルなイメージがふんだんにあって、これほど「絵」なミステリはないと思う。奇異で日常から遠くかけ離れた、骨董的なものだらけなのに、映画を見ているかのように劇的な場面をイメージできるのである...確かに並みの小説を大幅に越える怒涛の情報量ではあるが、ちょっとこれ不思議である。それだけ、本作からはポエジーが噴出しているということだろうか。 というわけで、10点と言わず50点でも100点でもつけたいくらいの、評者にとっての最高のミステリである。 |
No.201 | 10点 | 殺人事件- 萩原朔太郎 | 2017/05/06 09:43 |
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とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。 ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、 こひびとの窓からしのびこむ、 床は晶玉、 ゆびとゆびとのあひだから、 まつさをの血がながれてゐる、 かなしい女の屍體のうへで、 つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。 しもつき上旬(はじめ)のある朝、 探偵は玻璃の衣裳をきて、 街の十字巷路(よつつじ)を曲つた。 十字巷路に秋のふんすゐ、 はやひとり探偵はうれひをかんず。 みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、 曲者(くせもの)はいつさんにすべつてゆく。 ......評者書評200点を記念してネタをします。作品内容が上記に掲載可能なミステリです(苦笑)。タイトルが「殺人事件」でちゃんと殺人事件を描き、探偵も犯人もちゃんと登場していて、文学的価値も絶大です。 まあ冗談はそこまでとして、本作が本当に凄いのは発表年代である。この詩は朔太郎の出世作「月に吠える」所収なので出版年の1917年(大正6年)以前に書かれている。翻訳ミステリを看板とした雑誌「新青年」の創刊ですら1920年、乱歩の登場なんて1923年と、「日本ミステリ史」がちゃんと始まる前に、すでに海外ミステリの香気十分な詩が書かれちゃっている、ということである! もちろん朔太郎というと、後に乱歩とは意気投合したようで、「人間椅子」を絶賛するとか、そもそもミステリファン体質なことは否定できないけど、ポーとかドイルとか読んで「海外ミステリらしさ」を抽出し、独自で詩として結晶したのが本作ということになる。なので、評者的には日本における「西欧モダンなミステリ」の消化と実作の嚆矢として、本作の意義を強調したい。 あと、評者が特にこの詩で面白いと思う点は「はやひとり探偵はうれひをかんず」の「探偵の愁い」である。ミステリって真相が意外だったらいい、というわけではないと評者とか感じるのだ。やはり、その真相から立ち上る香気、ポエジーといったものがないと、詩的な満足は得られない。あくまでもその詩的満足感は、探偵=読者の憂愁という感受性の中で評価されるべきものである.... (詩でいいなら、朔太郎の散文詩「死なない蛸」を密室物として読むとか、「ワタシハヒトヲコロシタノダガ...」と鸚鵡が叫ぶ三好達治の「鳥語」とか、ミステリ味の濃厚な作品もあるわけでね) |
No.200 | 7点 | 汚辱と怒り- エリック・アンブラー | 2017/05/06 09:00 |
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評者の書評No.200を記念して、ポケミスのNo.1000 キリ番作品である(周知のように、スタートはNo.101なので900点目である)。なので解説にもその旨のご挨拶があり、No.1000の記念だからこそ、アンブラーの新作を選んだと書かれている。当時そのくらいにアンブラーの評価は高かった。ハヤカワの世界ミステリ全集でも一人1巻になったわけで、この扱いはクリスティ、クイーン、ガードナー、チャンドラー、ロスマク、マクベイン、アイリッシュと同格だったわけである。
本サイトだと現在、8作品に17件の書評が付いて、合計120点、平均7.06点で作者別批評10点以上で14位になるかなりの優秀作者である。しかも誰も5点以下の点をつけていない、というハズレのなさがちょっと驚異的でもある。アンブラーの名義だと生涯18作(合作のエリオット・リード名義でも+5作)しか長編がないわけで、クオリティ・コントロールという面で理想的な作者と言える。じゃあ、内容のバラエティが少ないか、というとそんなことはなくて、広い意味でのスパイ/スリラーのジャンルに実に多彩な展開をしているわけで、1作ごとにテイストがかなり違う。 ....キリ番記念に新作を予定しても、本当に安全牌な作者だということになるね。逆にスパイ小説というジャンルで言えば、70年代にル・カレがこれほど人気を集めることになる、というのはハヤカワとしても読み切れなかったところであるし、イギリス人らしいアイロニーが特徴的である意味わかりづらいアンブラーよりも、ユーモアを欠いたル・カレの方が実は大衆的で解りやすいというのが、70年代以降にアンブラーが古典定着に失敗した原因のように感じる。まあだから本当はアンブラーの作品自体に問題があったわけじゃないんだよね。今読んでも意外なくらいに古臭くなってはいない。 で本作だけど、背景はクルド人問題。本作1964年度作品だよ~凄い国際政治センスだ。クルド人だが革命に功績を立てたために任命された、イラクの警察長官がクルド人独立の陰謀に加わったことで、国際会議の場からスイスに亡命。その元警察長官が何者かに拷問されて殺された...現場から逃亡するのを目撃された愛人を探せ、と命じられた雑誌記者はその愛人に苦労してコンタクトを取るが...というのが発端。この愛人というのがビキニ美女なんだけども、実に頭が切れて利害計算がちゃんとできるキャラである。アタマのイイ女性ってとくに男性作家だとうまく描くのが難しいことが多いのだけど、さすがにアンブラー、小説的実力は確か。 (以降少しバレ) で、主人公はその愛人の逃亡の目的が、元警察長官が持っているクルド人独立運動に関する秘密書類を、高く売りつけるためであることを察する。主人公は意に染まぬ雇われ仕事に対する「怒り」から、仕事を放棄して、積極的に愛人と組んで秘密を売る共犯者になる..という話。本作の本当にイイところというのは、「おれ」一人称の小説であるにもかかわらず、ハードボイルド流に「おれ」の心理描写をせずに、すべて他人のセリフによって「おれ」の描写をするあたりである。他人の評価によって「おれ」の「怒り」を解き明かす、というのが実にクールで作り物ではないリアリティを付与している。まあアンブラーなんで、そもそもどのキャラも実に地に足の着いたキャラではあるんだけどね。 で自分の身の安全をちゃんと確保しながら「秘密を売る」プロセスを、手堅くリアルに描けば、スリルとサスペンスなんて後からでもちゃんと着いてくる。売り手側描写なんだから、当然「情報の二重売り」だってやってやろうじゃないの。というわけで、成り行きを追っていくだけでスルスル読めて楽しめる作品(「メグストン計画」に近いか)。客観的には理想的なエンタメなんだけど、これさえもアンブラーの代表作というにはまだまだ凄いのが別にある。「インターコムの陰謀」は本作の着眼点を構成しなおしたようにも感じるよ。 |
No.199 | 4点 | メルトン先生の犯罪学演習- ヘンリー・セシル | 2017/05/06 07:56 |
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初読。軽い話だろうな..と思って読んだけど、どっちか言えば講義内容は短編小説の域までは達しない、小話みたいなものの連続。読んでいてミステリ短編というよりも、一つ一つが今昔物語とか耳袋とか、そういう小説未満な話という雰囲気がある。まあだから軽く流して読むくらいで十分な感じではないだろうか。 |
No.198 | 6点 | 高速道路の殺人者- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2017/04/30 12:45 |
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マッギヴァーンと言えばパルプライターからハードカヴァーに出世した作家だから、当然短編なんていくらでもあるはずである。若い頃のSFだって邦訳があるらしいが、ネットで見る限り、評判はよろしくない...が、本短編集だと、名をなした後のものらしく(アメリカでコンパイルした短編集らしいが初出は不明)結構充実している。中編2+短編3だが、捜査側と犯罪者側の駆け引き中心のスリラー、冷戦を背景にした巻き込まれ型スパイ?スリラー、不良少年物、小噺風のもの、一応トリックのある倒叙?なもの...と器用で多才なところを見せていて、評者的には水準的×3、水準以上×2 という感じ。
ベストはやはり表題作の中編(70Pほど)。高速道路に限定した舞台での逃亡劇と、捜査側との人質を巡る攻防が描かれる。マッギヴァーンの状況俯瞰的な視点の良さが光る。短いなりにいろいろとアイデアは詰め込まれていてお買い得な作品。日本未公開のTVドラマのようだが、ロバート・アルトマンがやった映像化もあるようだ。たしかに、映画にしたくなるような映像的な良さがある。マッギヴァーンって雨の設定が得意だ... 次にいいのは短い小話のような「ウィリーおじさん」。シカゴの新聞記者の間での口碑のような設定で語られる、カポネ配下のギャングvs門番のおじいさんの対決! トウェイン流のホラ話の継承者みたいなところがある。 というわけで、マッギヴァーンという人の職人的なうまさを楽しめる作品集。短編集が出るくらいに、日本でも60年代~70年代まではマッギヴァーンもちゃんと人気があったことを示す証拠みたいなもの。ポケミスの裏表紙だと「ハードボイルド派の頂点に立つマッギヴァーンが、複雑な構成にみごとなサスペンスを加えて描き出す問題作!」とまで書いてくれるんだよ。 |
No.197 | 6点 | 現金に手を出すな- アルベール・シモナン | 2017/04/25 21:02 |
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邦題は「ゲンナマ」と読む。これを知らない奴はトウシロウだ...とでも言いたくなるくらいに、本作というとガチの暗黒街出身者が書き、アメリカのハードボイルドの模倣から始まったフランスの「ロマン・ノワール」の流れを変えた、エポック・メーキングな作品である。ジャン・ギャバンが主演した映画も作られ、フランスのギャング映画を確立したことでも影響力絶大だった作品である。現金=grisbi というヤクザの隠語が本作で一般に知られるようになったのだが、本作はそういうヤクザの隠語だらけの作品で、原著には巻末にシモナンの手による簡単な隠語辞典が付いていることでも有名(でないと一般フランス人でさえ読めない)。
なんてアオると、皆さん妙な期待をし過ぎるかな?内容的にはそろそろアラフィフで引退を考えているヤクザ・嘘つきマックスが、相棒が巻き込まれた事件から身辺を狙われるようになった。実は隠し持っている莫大な現ナマの情報が漏れたことが原因のようだ...身に降りかかる火の粉は払わにゃならぬ。という話である。なので基本「守り」な話である。襲撃されたり反撃したり、友人の行方を探したり身を隠したり、をマックスの日常の中で淡々と描く。客観的にみれば、非日常の大事件が起き、エゲツないヴァイオレンスが連続しているはずなんだが...あまりに淡々としていて低血圧な描写が続く。なので本作、ジェットコースター的なエンタメを望んだら絶対失望する。 じゃあどこがいいか?と言えば、仲間の死を悼んで思い出話をするところとか、料理のおいしい妻のいる仲間のもとで仕事の話は一言もせずに味わうとか、昔話をするところとか、しっとりした情感とともに懐旧のまなざしで語られる場面がイイのである。そういうリアリティから、主人公のマックスさえあまりヒーローという感じではなく、小動物的な警戒心の強さと、無意味に意地を張らない達観したところなどが、リアルな人物像として浮かび上がる。ハードボイルド探偵ではないので頻繁に女性とベッドインするのだが、好かれる理由もどっちか言えばマックスがマメなあたりのように感じるよ... というわけで、本作は有名で歴史上の重要作なんだけど、まったりした味わいをのんびり楽しむような読み方で読まないと、良さが伝わらない。ゆっくりと「懐旧」のまなざしをワインでも味わうように読みたまえ。 |
No.196 | 5点 | ロマン・ノワール フランスのハードボイルド- 事典・ガイド | 2017/04/23 12:42 |
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評者が子供の頃、フランス映画というとギャング映画だった...けど、80年代に入って、ヨーロッパ産娯楽映画がほぼ壊滅してしまうと、ここらも取り沙汰されることが少なくなってしまったのが評者はとても残念である。アラン・ドロン、ベルモント、ギャバン、ヴァンチュラといったフランスのスターたちが演じたギャング映画の原作になった小説ジャンルについての、網羅的な手引書が白水社の文庫クセジュというかなり意外なところに所収されている。なかなかここらについてのまとまった情報はないので貴重である。
文庫クセジュというと「フランスの岩波新書」でこれを訳しただけのものなので、内容はガチでフランス人向け。ロマン・ノワールの代表的なシリーズである、ガリマール社の「セリ・ノワール」の変遷(初期は翻訳中心で、徐々にフランス人によるパスティーシュが書かれ..)と、このジャンルを確立した、フランスの暗黒街出身作家であるアルベール・シモナン、オーギュスト・ル ブルトン、ジョセ・ジョバンニの登場、それから68年5月革命から生まれたマンシェットとA・D・Gに触れ、79年のロマン・ポラールのブームから90年代初めまで扱っている。 網羅的な通史なんだけどフランス人向けだから、作品・作家の特徴を突っ込んで書いているよりも出版状況の説明の方が多いし、邦訳状況はというとマンシェットだとさすがに6冊くらい翻訳があるようだが、A・D・Gはどうも2冊しかないようだし、ジョバンニは多くても、隠語だらけのシモナンとブルトンは訳し時を誤ったようでほぼ看板作品の「現金に手を出すな」「男の争い」しか訳されてない..という情けない状況である。出てくる作品のほとんどが未訳で内容の見当もつかない... だから日本の読者にとってはほぼタイトルを眺める資料的価値しかない。訳の難しい作品も多いから仕方がないのだろうけども... (「墓に唾をかけろ」の参考資料と、「現金に手を出すな」「リコ兄弟」について書く下調べで読みました。そのうちここら書きます) |
No.195 | 6点 | ダーティ・ストーリー- エリック・アンブラー | 2017/04/17 17:56 |
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「真昼の翳」の主人公で情けない小悪党の中年男、アーサー・アブデル・シンプソン再登場の作品。とうとうトラブルによって根城のアテネを追われることになったシンプソンは、道連れになった男が元傭兵だった縁から、中央アフリカの某国のレアアースを巡る紛争に傭兵として参加するハメになる...という話。シンプソンは腹の出かかった中年男で、無国籍ということもあって兵役体験などないのだが、父親がイギリス軍の士官(とはいえ下士官上がりのようだ)で、兵営育ちで耳学問でも軍事知識があって、うまく「ニセ軍人」として傭兵たちの間に交じって戦闘に参加することになる。
シンプソンは、何から何までニセモノな男なので、今回もちゃっかり敵方とも連絡がついていたりするんだけど、レアアースを巡って争う二国も形ばかりの国家で、紛争の本当の当事者は欧米資本の開発会社だったりする。また、この紛争自体が争う開発会社が手打ちをして共同開発するための、半ばなれ合いな紛争だったりして、シンプソン以上に「国家」さえもが胡散臭いいかがわしいマガイモノだったりするわけだ。 というわけで、最後にシンプソンは悟りを開き、自分が国家になってもいいのでは?と考えシンプソン自身の懸案のあることをするのだが、これは読んでのお楽しみ。シンプソンという国家から拒まれた男が、いかに国家という幻想から逃れうるか?というテーマの寓話的な作品。 |
No.194 | 4点 | 墓に唾をかけろ- ボリス・ヴィアン | 2017/04/17 17:38 |
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フランス人は「アメリカ」に対して、微妙な感情をずっと持ってるわけだけど、第二次大戦後の「アメリカ趣味」(まあ日本でも似たような現象があったわけだが)を象徴するような、フェイクなハードボイルド小説である。アメリカの黒人脱走兵が書いた、という設定でボリス・ヴィアンが書いて、当時のフランスで大ベストセラーになったんだが、風俗紊乱の罪で告発されて発禁処分..という面でも有名な作品である。
「白人どもを殺せ! おれの黒い血が騒ぐ -- 真夏に爆発する若者たちの暴力とセックスを描き、一大スキャンダルを巻き起こした問題作」というのがオビの文句で、チェイスの「ミス・ブランディッシの蘭」と似たような作品といえばその通りだけど...今読むと、前半の無軌道な乱交の描写の方が生彩があってボンクラな良さがあるんだが、後半の黒人の血による復讐という話の方が観念的で血みどろなファンタジーみたいなものでそんなにスゴくはない。描写も頑張ってスゴんでいる感じ。とはいえ、本作あたりがセリ・ノワールの元祖みたいなものだし、ヴィアンに代表される「アメリカかぶれな若者」の最後の世代のアイロニカルな自画像としてゴダールの「勝手にしやがれ」を見ることができるあたり、歴史的な価値は絶大、ということになると思う。 作中に出てくる「トリプルゾンビ」ってカクテル飲んでみたい..(三種類のラム酒を混ぜて作る度数がめちゃ高いのに口当たりのいいカクテルらしい)。 |
No.193 | 6点 | 孤独の島- エラリイ・クイーン | 2017/04/17 17:19 |
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本作は周知のように、ダネイとリーがちゃんとコンビで書いたにも関わらず、エラリーも出なければパズラーでもない、人質を巡るスリラーである。それこそマッギヴァーンあたりが得意とするタイプの小説だ(「ジャグラー」のプロットと似てるね)。
で...だけど、意外なことに、本作結構面白い。人質を巡るアイロニカルなプロットが二転三転するし、主人公の警官マローンが、自分の子供を救出するために、犯人たちの隠れ家を推理するとか、金の隠し場所を推理するとか、かなり名探偵。サスペンスは持続するし、リーの文章は丁寧で味があっていいし...とあまり文句をつける理由がないんだよね。主人公マローンは後期クイーンがこだわる、ニューイングランド的なキャラ(独立独歩の男。リバタリアン傾向が強い)で、クイーン的な一貫性もある。邦題の「孤独の島」は、そういう孤独な主人公が、物語の最後で町の人々に「宥される」描写からうまく付けた感じのもの。ここら「ガラスの村」のラストと対比してもいいんじゃないかな。 で、原題は「Cop Out」で今だと「責任逃れをする」とか「逃げを打つ」とか、あまりいいニュアンスのある言葉じゃないようだが、「抜け駆けする」というくらいの意味の俗語でとるべきか。とはいえ、本作を読む人ってのは、クイーンのパズラーが好きでしょうがない人だろうから、ニーズを外してもったいない。クイーンという名前がついてるばっかりに、はっきり損している。 |
No.192 | 6点 | ベルの死- ジョルジュ・シムノン | 2017/04/17 17:00 |
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犯人や真相が不明のまま終わるミステリの例としてよく挙がる作品である。まあアイデアとしては誰でも思いつくようなネタなんだけど、真相不明のままで小説を終わらせて次回作を読んでもらえるか?というとこれが極めて怪しいために、なかなか作例がない。何か仕掛けとか犯人なしで終わらせるための説得力のある説明とか工夫がいる上に、小説的充実によって納得させる筆力も必須である。評者なぜか真相不明系作品をよく当サイトで評している傾向があるようだ...
・「ここにも不幸なものがいる」ジャック・ザ・リッパー物なので、現実の事件が真相不明だから不明でイイ。 ・「インターコムの陰謀」国際スパイなので、背後関係が全部わかるわけじゃない。 ・「寝ぼけ署長」所収の「中央銀行三十万円紛失事件(短編)」人情解決 で...本作である。ホームステイ中の妻の友人の娘ベルが、家の主人で教師のスペンサーがいたにも関わらず、自室で絞殺されていた...真面目な娘に見えたのだが、陰では派手な交友があったようで、真相が不明のまま、スペンサーへの容疑が完全に晴れるというわけでもなく、重苦しい雰囲気が続いていく、という話。家の中に突然置かれたSEXと死に戸惑う中年男が、徐々「ベルの死」の謎の圧力に憑りつかれて変貌してくのが主眼なので、実は主人公が犯人でした、では話のポイントを外してしまう。主人公の心理を丁寧に追っていく、当然スッキリした解決がない鬱小説なので、面白いが読むのが結構心理的にツラいものがある。犯罪よりもその罪を犯す人間の方に関心が強いシムノンらしい小説だ。なので犯人不明でも小説としてはアリ。 |
No.191 | 6点 | そして誰もいなくなった(戯曲版)- アガサ・クリスティー | 2017/04/09 23:36 |
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ハヤカワのクリスティ文庫だと2冊ばかり未収録戯曲があるわけだけど、本作は新水社という演劇系出版社から出ている、言わずと知れた名作の本人による戯曲版である。というか「そして誰もいなくなった」は映画化が何回もされているにもかかわらず、参照されるのはルネ・クレールの1945年のものばっかりで、これが原作準拠じゃなくて戯曲準拠だというのは有名な話だ。なので映画と一緒に取り上げる。
本作は芝居なので、セットは1杯だけの室内劇である。なので、いくつかの殺人は、本当に観客の目の前で行われる趣向だ。犯人役に「こう動け」というような、目で見る手がかりの指示はないので、たぶん上演しても被害者役の俳優が、犯人が触らなくてもそれっぽく仕込みで演技しちゃうんだろうな...けど「いつの間にか殺されている」というのが2件ともう少しビックリなものが1件あるので、スペクタクルとしてはスリル満点ではないかと思う。ダイアローグは完全に書き直していて、原作よりもいい感じに仕上がってるセリフも多い。妻を殺されてショックを受けた執事ロジャーズが、それでも仕事を機械的に続けているのを「哀れで見てられない」と同情するヴェラとか、将軍が殺される場面で聖書を音読するエミリーとか、見たら効果的だろうな、と思う場面は結構ある。名作の作者自身による戯曲化、という面ではお手本みたいなものだろう。まあ結末改変は舞台だったらそうだろうね、ということ。あまりそれを大きく取り上げて論評すべきではない(けど、ヴァーグナーの思い出話で、若い頃書いた習作がバッタバッタと登場人物が死ぬ芝居で、結末で誰も生きてるキャラがいないから、幽霊たちによる大団円になったって話があるよ。「そして誰もいなくなった」を地で行ったわけだ)。 で、1945年の映画だが、冒頭5分間セリフがない...サイレント期からのキャリアがあるクレールらしく、所作だけでキャラを見せていくうまさが光る。その結果、ダークな不謹慎系コメディって感じの仕上がりになっている。疑われてイジける執事とか、互いに疑いあってギクシャクしあうとか、思わず噴き出すようなシーンが多い。キャラの性格とかエピソードとか、自由に解釈して作っているので、別物としてみた方が楽しめるだろう。結末も大体戯曲版と同じと言えば同じなんだが、ちょっと変えてあるところがあって、これは比較するといいだろう。評者は映画版の改変の方が自然のように感じる。 |
No.190 | 7点 | ある奇妙な死- ジョージ・バクスト | 2017/04/09 16:00 |
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さてその筋では「金字塔」と言われる作品。評者読みたいとは思っていたが読みそびれていた作品だ。要するにね、欧米のゲイ・ミステリの古典中の古典(1966)である。ポケミスの解説を太田博(=各務三郎で、この解説は「ミステリ散歩」に収録)が書いているのだが、この中で先行するゲイ・ミステリは50年代からいくつかあることを書いている。がまあさすがに翻訳はなさそうだ。もちろん日本だと乱歩や中井英夫もあれば、横溝正史だってゲイ設定のあるキャラはいくらでも...だけど、アンチ同性愛のキリスト教道徳ベースの欧米はなかなか難しいものはあるよね(点景人物でよければ「マルタの鷹」だって「大いなる眠り」だって...)。
でまあ本作が「金字塔」とまで言われるのは、探偵役と登場人物の恋愛を主軸に描いている、ということが欧米ミステリ初、だったわけだ。探偵役は黒人刑事のファロウ・ラブ。読んでて刑事、って感じは全然しないキャラだ。何か底の知れない不気味感のあるキャラで、狂言回しの作家セスと、腐れ縁っぽい依存関係に陥る。黒人でファラオで顔のない男の幻想をセスが見る...というと、ナイアルラトホテップ?という気もしないわけでもない(笑)。そのくらい腹の底が見えずに人を操るタイプのSで、関係者を男女を問わず「ネコ(というと Catだよね?)」呼ばわりする。セスと恋しても幸福な恋愛になりそうな気配はゼロだが、本作から始まる三部作だそうで、後の作品でファロウも警察を辞めて破滅するんだそうだ。 タイトルで「奇妙」とついているのは、Queer の訳なのだが、イマドキだったら「クィア理論」というものもあるわけで、要するに「クィア」とは「(ジェンダーとかの)カテゴライズから逃れること」だと解釈するのもアリだ。本作は、というと、人間模様を丁寧に多視点で追っていく(イキナリ回想がカットインするとか「意識の流れ」っぽい)のに重点があって、かなり文学性が強いし、らしい意外な真相(しかも二重底)はあるけどもパズラーっぽさはないし、心理主義だからハードボイルドとは対極だし、サスペンスというような興味はないし、探偵役が刑事でも警察小説らしいリアリズムはないし..で、ほんとジャンルというカテゴライズから逃れた作品である。 「人生はひき逃げドライバーだ」とクィアな人生を肯定する本作だから、次作以降ファロウとセスのカップルがどうやって「逃げ延びるか?」が興味あるところだけど、続編の翻訳は残念だけど、ない(セスは2作目で殺される、らしい。あ、あとセスの離婚手続き中の妻ベロニカが、チャーリーブラウンのルーシーっぽいキャラで、何かイイ味)。 |
No.189 | 6点 | オランダの犯罪- ジョルジュ・シムノン | 2017/04/02 21:37 |
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初期のメグレ物。今回のメグレはタイトル通りオランダの田舎町デルフゼイルに出張でアウェイの事件。メグレに港町は似合うなぁ。シムノンが船の中で執筆してた頃だし、Wikipedia によると、最初のメグレ物の「怪盗レトン」はデルフゼイルの沖合で書かれたらしく、町には現在メグレの銅像があるそうだ...デルフゼイルはメグレの街、だね。
まあだけど、シムノンがオランダ、という舞台に何を求めたか?というと、ピューリタン的で小市民的道徳性と、不道徳をも辞さない野性の対立みたいなものだろう。外部の船乗りを犯人にして収めようとする地元刑事とのさや当ても少しある。シムノンって作家はミステリライターでは珍しく、遊民的なインテリが嫌いで武骨な職業人に好意的な描写が多いのが目立つ(アマチュアリズム好きのイギリス人とはバックグラウンドが違い過ぎるからね)。 本作犯行再現をしたりとか、消去法で推理したりとか、妙にパズラー風味。けど犯行再現の様子を「この場の様子には魅力も偉大さもなかった。哀れでおかしいものがあった」とするのが、シムノンらしいし、灯台の光に照らされる恋人たちを凝視するある人物とか、それでもイメージはいつものシムノン。後日譚でのメグレのアタりっぷりが結構ニヤリとさせる。 |
No.188 | 7点 | 大時計- ケネス・フィアリング | 2017/03/26 18:37 |
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本作、ちょっと読む人を選ぶタイプの小説だ。
評者のように、奇抜な状況と奇抜なキャラが妙に皮肉で喜劇的な状況になるのをヨロコぶタイプの読者だったら、本作はマンゾクな1冊になるはず。評者は女流画家と主人公のにらみ合いをニヤニヤしながら読んでたよ...でまあ、全体の構図とか本当に皮肉なもので、自分のプロジェクトをそれとなく失敗させるために奮闘する主人公、というのがいい。プロジェクトが絶対に失敗するような人選で困難に挑む、山田正紀の「アグニを盗め」はこれにヒントをえたのかな。狩の指揮官=狩の獲物(まあこれはミステリとしては普通の真相)なのを、本人視点で描いているのが斬新だ。けど皆指摘する設定の弱さがないわけじゃない...ここでノるタイプってつかこうへい的キャラかも。 ...でもね、本作は作者が詩人で、しかもひねくれた編集者の世界を描いているために、会話がひねりすぎだとか、描写が凝りすぎだとか、ここらを楽しめるだけの素養が要るようなタイプの小説だ。 ぼくたちは長い部屋を横切り、大いなる政治的動乱の脇を通り、神が明日は助けないであろう初期の移民の一群の間をまっすぐに分け、どうにもならなぬ激怒に顔だけは微笑しているがにわかに黙ってしまった男女の一組を注意深く避けた。 この手の文章がオッケーなら大丈夫(カクテルパーティの状況だよ)。 |
No.187 | 8点 | 星を継ぐもの- ジェイムズ・P・ホーガン | 2017/03/26 18:08 |
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本作、あまり評判がイイので読んでみることにした。皆さんもおっしゃるように、科学理論のパズラーみたいな小説だ。なので、ちょっと目先を変えて、SFパズラーとしてちょっと議論してみたいと思う。なので少しバレるかな。
ちなみに評者は前半のルナリアンの出自も後半の月の問題も、矛盾が出た段階で真相に感づいた。まあそれだけ矛盾を解決する手段が、フェアプレーかつ論理的に「これしかないよね」という必然性がある、ということでもあるから、これは積極的にイイことだと思う。 ただ本作は出版が77年で古いために、どうしても科学と技術の観念が70年代風だ(DECは愛社精神かね)。なので、今時点の知識で見ると妙な違和感のある議論をしている部分が目立ってしまうんだが、実はそれらはほぼすべて作者による仕込みだったりする...というわけで、どうも評者は居心地の悪さみたいなものを感じながら読み続けてたな(評者は最後のダンチェッカーのお説教は苦手だ。この人の議論は本サイトではまず扱われないジャンルの早川書房の看板作家だったグールドの議論だなぁ)。 けどやはり本作、ツカミである謎の設定はウマくて読書意欲をそそられる。そこは本当に脱帽。そういえば本作の謎と似たような状況は本作の出版後に現実に起きたんだよ。1991年にアルプスの氷河から発見された死後5000年のアイスマンの件だ。ちょうど1桁違うが、良い小説は現実が模倣する、のかな。 評者はどうも科学技術に依拠したハードSFの読み方がよくわかってないから、居心地が悪いのか...皆さんと比較すると少し辛い点になる。ごめんなさい。力作だと思います。 |
No.186 | 7点 | 真昼の翳- エリック・アンブラー | 2017/03/26 17:35 |
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本作はスパイ小説の手法によるケイパーもの、という感じ。ただし、そのスパイがアンブラーらしいというのか、一種のマージナル・マン、というあたりにポイントがある。
主人公のアーサー・シンプソンは、ていうといかにもイギリス人っぽい名前なんだが、ミドルネームはイスラム系の「アブデル」だったりする..出自自体がイギリス軍の下士官の現地妻の子供で、イギリスで教育を受けはしたが、実質無国籍でアテネで燻っている小悪党である。冴えない中年男で、手癖も悪いし、口癖は今亡き父親の(結構ショボい)人生訓...話の中で明らかになるさらにカッコわるい弱点もあったりする。およそお話の主人公に向かないキャラである。 で、ある計画を持った悪党に脅されて、車をイスタンブールに回送するのだが、その車には実は武器が隠されていた。税関でそれが見つかり、秘密警察のスパイとなることを強制されるが....で始まる話は、最終的に大掛かりなトプカピ宮殿からの宝物略奪計画に膨らむ(というか、映画は宣伝上これを最初からバラしてるから、隠す意味ないでしょう?)。 けどね、このシンプソン、カッコ悪いなりに読んでいると何となく憎めなく、愛着もわいてくるようなショーモない奴である。まあアンブラーのテーマって、「スパイ業界にマトモな奴は一切いない!」ってことだから、無能だけど悪知恵だけはあるシンプソンは、悪知恵だけでうまくサバイバルしていくわけだ...「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というのは早川義夫の名言だが、シンプソンはそのウラで「かっこワルイことはなんてかっこいいんだろう?」という命題を地で行こうとする。こういうアンブラーのヒネクレ具合を楽しめないと、本作は難しいかもね。 あと少し映画について。本作の映画化「トプカピ」は見る価値あり。監督のジュールス・ダッシンって評者は犯罪映画の巨匠のひとりだと思うよ。でしかも、この人赤狩りにひっかかってヨーロッパに亡命し、最終的にギリシャに落ち着いて「トプカピ」でも主演をするメリナ・メルクーリ(のちに左翼政権の大臣にまでなっちゃう女傑だよ)と結婚する...という、小説の主人公シンプソンと少し重なる経歴を持ってたりする。まあ映画はメルクーリの妙な迫力が面白いし、昔風に言えば「スパイ大作戦」な映画がネタを頂いたのを楽しむのも一興。 |