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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1419件 |
No.439 | 9点 | 三つの棺- ジョン・ディクスン・カー | 2018/12/08 22:01 |
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評者も調子に乗って「密室講義」してみようか?
「密室には2通りある。真相に密接に関わりあって、そのストーリーでしか実現できない密室と、どんなストーリーにでも付加できる密室である」なんちゃってね。もちろん本作、「このストーリーでしか実現できない密室」の典型例で大掛かりなものである。大きな真相の逆転が、副次的に不可能現象を作り出した、ということなんだ。これをね、偶然頼りとかいうのは違うと思うよ。マトモな犯人だったら、密室なんて意図して作るもんか。 なので本作、カーも「これしかないストーリーにこれしかない密室」に自信を持ってたのか、本当に余計なことをしていない。事件の記述と、奇術でいえば「改め」(密室講義も「改め」のウチ)だけだ。このストイックさを評者は好感する。おっさんさんが「長い短編」と指摘されているのはまさにその通り。だから本作、できれば一気に読むことをオススメする。 評者は「密室嫌い」を自認するんだけど、それやっぱり、全体と結びつかないような「思いつきの密室」に食傷したせいでもあってね、だからこういう「ストーリー一体型密室」は例外。リアリティがなんだっていうの。「小説自体が仕掛けモノ」の感覚で読んで傑作じゃない? |
No.438 | 6点 | 伯母殺人事件- リチャード・ハル | 2018/12/03 22:36 |
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これ「トムとジェリー」みたいな話だな。ニート青年はいくら頑張っても伯母の手玉に取られっぱなしで、なんか情けなくなってくる....伯母さんあんた性格悪すぎるよ。
本作は「殺意」に学んで「ああいうものを書きたい」と思って書いた、というあたりがよく見て取れる作品なんだが、その分「殺意」には全然及んでいないようにも感じる。面白く読める、といえば読めるんだけどね。「殺意」のビクリー博士と妻ジュリアとの関係を拡大して書き直したようなものだから、トータルには「殺意」の影響作、ということでいいように思う。ま、わざわざ「三大」とまでする積極的な意義は感じないな。 「三大倒叙」という言い方すると、アイルズのもう一本の傑作だが「倒叙」の定義からは完璧に外れる「レディに捧げる殺人物語(犯行以前)」が霞むから、もう少しいい批評的枠組みがないものかな。 |
No.437 | 4点 | シュロック・ホームズの冒険- ロバート・L・フィッシュ | 2018/12/02 21:22 |
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昔読んだときも、評者何が面白いんだが全然わからなかった記憶があるが...うん、今回読んでも面白さが全然わからない(困惑)。
その昔、ホームズがコカイン中毒になってフロイトの診察を受けるパロディがあったけど、こういうのはいいんだがねぇ。パロディでもプラスアルファのホラみたいなものがないから、せいぜい「飄々とした味」くらいのものなのか。だいたい、 ・依頼人について推理して、大外れする ・暗号でもない手紙を、無理に暗号と思って「解読」する ・推理に酔って眼の前の犯罪を見逃す の繰り返しで、けっこうワンパターンだし。強いて言えば落ちのデカい「アダム爆弾の怪」か、おバカな「贋物の君主」くらい?(モロン大佐はひどいなぁ...「精薄大佐」だよ)「schlock」って「安物・まがい物」という意味だそうだ。なるほどね。 |
No.436 | 1点 | 暗いトンネル- ロス・マクドナルド | 2018/12/02 21:03 |
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そういえば本作とアンブラーの「暗い国境」って共通点が多い。1)巨匠の「らしくない」処女作、2)タイトル似てる、3)創元で出たスパイ小説、4)訳者が菊池光...なんだけど、「暗い国境」が「らしくない」マンガ調のアクションなのに、その「らしくなさ」に妙に醒めたアンブラーの知性を感じさせるところがあって、評者好きなんだけどねえ.....ロスマクの本作、「時流に乗っただけのB級スリラー」で政治センスも知性もあったもんじゃない。「三つの道」は未読だが、創元のロスマクって評者みたいなコンプ・研究をする気がないなら読まなくてホントいいと思う。
第二次大戦中ってね、たとえば「カサブランカ」だってそうなんだが、戦意高揚を狙った映画作りがなされたわけだし、とくに「防諜」を通じて戦争協力体制が形作られたのはアメリカでも同じだ。そういう背景で読み物としても「防諜スパイ小説」が結構書かれたり、映画になったりしたんだが、ここらへんホントにキワモノだから、戦後にはほとんど顧みられることがないわけだ。 この作品を読んでいろいろなことが頭にうかぶが、とくに感銘が深いのは、彼がこの作品を書いた前後、あるいはその後、数多くのミステリ作家が世に出たわけであるが、その大部分が、いわばこの作品のレベルで終始しているのに反し、ロス・マクドナルドはその後の二十七年間に非常な成長を続けてきた、という点である。 と「訳者あとがき」に書かれちゃってる。婉曲にだけどさ「あとがき」で訳者にケナされてるんだよ。そういう作品さね。 敵であるナチのスパイたちはホントに超人的(苦笑)に神出鬼没。親衛隊に身長制限があるのをお忘れでは?となるような変装もしちゃうぞ! で妙な密室殺人もしたりするし、主人公を殺すために延々アメリカの地方都市を追っかけ回す...そんな話。都合よく「騎兵隊」も救援に来る。 で、そのナチのスパイたち、同性愛で淫蕩な連中として描かれる...おいなあ史実に反してるよ。というか、アメリカ人の「道徳意識」を刺激して一山当てようという、時流におもねる低劣な意図しか感じないな。妙なレッテル張りを、「時節柄」なんて逃げゼリフで評者は許す気はないからね。 うん、いいよ、評者にとって、ロスマクの処女作は「人の死に行く道」だ。それ以前は全部無視、ということにしよう。 |
No.435 | 6点 | 妖術師の島- A・H・Z・カー | 2018/12/02 20:34 |
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1971年度MWA新人賞受賞作。けど作者はその時69歳で、この年に亡くなってるから、ちゃんと「受賞」したのかなぁ。「新人賞」だがぜんぜん新人じゃない、A.H.Z.カーの唯一の長編である。短編じゃEQMMコンテストの常連で、著名経済コンサルタント、トルーマン大統領の経済スタッフだったくらいの、超大物の非専業作家である。「ミステリ外業績」×「ミステリの業績」で考えたら、トップクラスなのでは、となるくらいの短編の名手として鳴らした人である。
なので本作も一筋縄ではいかない。舞台はアメリカ領だがカリブ海に浮かぶ黒人の島「セント・カロ」。モデルはアメリカ領ヴァージン諸島(プエルトリコの隣のようだ)ということになる。スペイン系のプエルトリカンもいるが、ネイティブは黒人たち、というわけで本作の主人公ブルック署長も黒人である。 この島はカリブ海地方で私生児の出生率がもっとも高く、犯罪の発生率はもっとも低い と紹介される、のどかな島である。主要産業はラム酒と観光。この島でアメリカ人が経営するホテルに滞在していた白人が殺された!その傍らには「島の義賊」として知られるモービーの手帳が落ちていた...ブルック署長はアメリカから派遣されてきた副知事に、モービーを捕えるよう厳命された。しかし署長とモービーは幼馴染でもともとは親友の間柄だった....義理と人情の板挟みの署長は、殺人の真相を解明できるか? という話。黒人署長が知性と人情を発揮する本作、だからデンゼル・ワシントンが気に入って映画にしたようだ。劇場未公開だがTVで放映したことがあるらしい。「島の義賊」というとそれこそウンタマギルーだが、そういうのんきさ、のどかさとユーモア感が漂う上出来の小説。推理もかなりマトモで、黒人署長の知性がダテじゃない。もちろんタイトル通り、「オービー」と呼ばれる島独特の呪術があって、これが謎解きと密接に結びついている。 地味だけどのどかに楽しめるナイスな小説である。カリブ海のリゾート気分を満喫できるが、それでも 一時は教育が何よりも大事だと思ったことがあった。学校をふやし、税金をアメリカの援助の中からもっと多くを教育につぎこんで、すべての子供たちがハイスクールを卒業できるようにすることだ。しかし、ある日考えた。どういう教育をやるのか? 今の子供たちは無知ではあるが、ビクビクもしないし、貪欲でもない。ところが、しばらくアメリカ式の学校に入れたら、合衆国の黒人の子供たちと同じように劣等感をもつ。そして貪欲になる。 と署長は述懐する。大統領の補佐をしただけのことはある、さすがの見識。 (さてあとカリブ海モノって...どうだろう「死ぬのは奴らだ」「ドクター・ノオ」か「新・黒魔団」かなあ) |
No.434 | 6点 | 闇からの声- イーデン・フィルポッツ | 2018/11/29 21:38 |
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さて古典。読んでて「ハマースミスのうじ虫」が本作のリライトみたいなことに気がついたな。オタクっぽいが独創的な犯罪者を、天性のマンハンターが「密猟」する話である。なので本作が作ったパターンというものは、なかなか応用が効いて面白みのあるものだ....とは思うんだよ。
更に考えてみると、本作ある意味ゴシック・ロマンスを解体して再構成したようなものなのかもしれない。怪しい叔父の男爵が敵だし、幽霊も出るし「呪われた彫刻」だったりするわけだ。ゴシック・ロマンスの要素を「合理」で裏側から再構築した「逆転」の作品が、本作ということになるのかな。だから「倒叙」とはちょっと違うけども、まあ「倒叙」と似たような逆転操作による作品だとは言えるだろうね。 なので本作は19世紀的なロマンに根っこを持って、それを20世紀的に解体した作品、と読めるんだろう。しかしね、19世紀的な持って回った描写が多すぎて、早い話説明過多。スピード感に大幅に欠ける。で、リングローズがブルーク卿をルガーノで晩餐に迎える場面で、本作リングローズ視点限定の三人称小説だと思ってたら、リングローズが席を外したときに、ブルーク卿の心理描写を始めたよ....視点の混乱を気にしないのは、いかにも19世紀的で古臭い。 というわけで、20世紀的な新しさと、19世紀的な古臭さが奇妙に混在した、かなり珍味な小説である。心して読むべし。 |
No.433 | 8点 | ギャラウエイ事件- アンドリュウ・ガーヴ | 2018/11/26 21:34 |
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あれ、本作まだ1つしか評がないや。残念だねえ、本作なんて知る人ぞ知る鉄板の面白作品なのに。ガーヴのツートップとして「メグストン計画」と並ぶ名作である。「ヒルダ」なんて読んでる場合じゃないよ。
新聞記者レニイはジャージー島出会ったメアリという女性と恋に落ちるが、メアリの父である探偵作家ジョン・ギャラウェイに新作の剽窃疑惑がかかり、サレ側としてギャラウェイを追求したアマチュア作家が殺害された容疑で有罪の判決を受けてしまったのだ! メアリはあくまで父の無実を信じ、メアリに恋するレニイはその盗作と殺人の容疑を再調査するのだった...しかし剽窃の証拠もいろいろ揃っていて、なかなか突破口が見つからない。どうなる? という話。ジャージー島で出会ったメアリが突然姿を消す謎がまずはレニイの調査能力の小手調べ。ここでレニイの堅実だがしつこい調査能力をデモしてみせるのが、ガーヴの上手いところだろう。改めてガッチリ証拠の揃った剽窃の謎をレニイは追求して、トリックを暴くことになる。仮説を組み立てては調査しては崩れ、といったあたりをそれこそ「サスペンス」と捉えて読むのがいいのだろうな。筆致はリアルで、仕掛けは凝っているが納得のいく真相である。 で最後はガーヴらしく廃坑での追っかけっこのスリラー&冒険小説のサービスあり。またイギリスのミステリ業界が背景になっているので、特にモデル小説とかそういうわけでないが、ややメタなところを面白がっているテイストが少しだけある。 ギャラウェイや登場する作家たちも「探偵作家」とはなってるが、剽窃されたとなった小説は「海底四十尋」ってタイトルでね。狭義の「推理小説」と冒険スリラーを区別したがらない、イギリスの業界体質も見て取れると思うよ。まさに本作、そういう「足の推理小説」と「ラストの冒険スリラー」が合体した好例みたいなもんだね。 |
No.432 | 6点 | ストリップ・ティーズ- ジョルジュ・シムノン | 2018/11/24 10:43 |
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シムノンって人は作品総数のカウントもできないくらいの大文豪だが、寝た女の数もカウントできない性豪だそうだ。その女性たちがすべてシムノンの芸の肥やしになってるとすれば?
たとえば「雪は汚れていた」で主人公が娼館の息子で、主人公から見れば「雇い人」たちをとっかえひっかえして、その女性たちのキャラに半端ないリアルがある、というのもそんな背景からだろう。で、本作、タイトルの通りカンヌの場末にあるストリップ小屋を舞台にして、ストリッパーたちの「女の権力抗争」を描く短いロマン。ストリッパーたちも多士済々で、リアルさは手抜きなし。女性のイヤなところもしっかり見せつける。男性で女性描写の上手なミステリ作家、というとシムノンがやはり独走というものだろう。 主人公は唯一ダンスの教育を受けた経歴のあるセリータ。なので脱がない矜持があるが、もう大年増で焦りと屈折もある。帳場を預かる女主人の座を狙っていて、オーナーの妻フロランスとは微妙な関係。そこに若く素人演技がウリのモーが加入してきた。モーは小屋の主人レオンの公然の愛人となり、女たちの勢力関係が崩れる。折しもフロランスの子宮癌が発覚し、今まで敵対していたフロランスのとの間に、セリータは奇妙な友情を感じるようになった... 一応殺人未遂事件くらいは起きるから、「犯行以前」みたいに見ればギリギリにミステリかな。この俗の極みであるストリップ小屋の人間関係を暴露的なリアルで描いて、それでもふっと生死や宗教性みたいなものを感じさせるのがシムノンの手腕。たとえばセリータの同居人で、ストリッパーなのにいつまでの「女中根性が抜けない」とされるマリ・ルーは どうしても彼女に認めなければならぬ美点がすくなくとも一つあった。謙遜ということである。彼女は甘んじて最下位に身を置き、自分で自分のことを鍋を拭いたり床を洗ったりするよりも人前で裸になることで口を糊することを選んだ女中だと思っていたのだ。 文庫200ページの短い小説でここまで周辺キャラを突っ込めるシムノンの絶頂期(「火曜の朝の訪問者」と同年)。「何かイイ話」にしないあたりに、フランス・リアリズムの後継者らしさがある。 |
No.431 | 5点 | 007/女王陛下の007- イアン・フレミング | 2018/11/21 07:53 |
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本作は原作も映画も地味、という007にあるまじき作品になっている。まあこの地味さ、というかリアリズムをどう捉えるか、が評価なんだろうけど、評者はイマイチ、という判定。映画は本当に原作に忠実で、逆にこの忠実さが監督の「B班監督っぽさ」になってて、テレンス・ヤングやガイ・ハミルトンといった「らしい」監督のハッタリ感(=有能さ)を欠いてる印象を受ける。
でまあ、バレといえばその通りかもしれないが、これ映画も原作もその後採用されている「設定」なので言っちゃうが、本作でボンドは結婚して、新婚旅行にでかけたところで襲撃されて新妻を亡くす。悲恋なんだよね。映画のイイところはこの死に顔が美しいこと。あと、結婚式でMの秘書マニイペニイが涙ぐみ、彼女にボンドが帽子を投げて渡すあたり。いい。 で本作の敵役は「サンダーボール」に引き続きブロフェルドwithスペクター。原作では産業テロみたいな超地味作戦だけど、映画はさすがにこれをネタに国連を脅すことにしている。まどっちでも地味でリアル。しかもほぼ舞台はスイスのブロフェルドの山荘&アレルギー研究所に限られるので、舞台の変化もとくになし。ひたすら身元を偽って潜入&発見&逃走というあたりを軸にしている。ストーリー上のマイナスポイントは、ボンドとその新妻の話と、ブロフェルドとの戦いがほとんど絡まないこと。リアルなのにご都合主義。おい。 で映画はコネリー降板で1作だけボンドを演ったジョージ・レーゼンビー。コネリーの酷薄さがなくて人が良さそう。ボンドの結婚はコネリーだったら理解不能だったかもしれないから、いいのかも。本人アクションに自信あり、というのが決め手なのかな。雪の中セント・バーナードと戯れるのがナイス。 あと原作、気になるのは過去作品への言及が多すぎること。山荘のお客に「映画スターのウルシュラ・アンドレス」が来てるとか、カジノ・ロワイヤルで新妻と出会うとか、お遊びといえばそうなんだが、作者の余裕よりも飽きみたいなものを感じるけどねえ。どうだろう。 |
No.430 | 7点 | 恐怖の掟- マイクル・コリンズ | 2018/11/19 08:08 |
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ネオ・ハードボイルドの片腕探偵として有名なダン・フォーチュンの第1作。作者的に「こういうの、書きたかった」がよく窺われる力作である。フォーチュンのキャラ付けもイロモノではなくて、若気の至りでバカやって、自業自得で屈折してるから、「片腕」のワケも大ホラ吹くことあり。なので独白は饒舌で、カジュアルで辛辣なもの。やや煩く感じるときもあるが、気取りがなくてストリート感覚があるから印象は悪くない。黒人じゃないがご当地ラッパーみたいな元B系のセンスと言ったらいいのかな。根城のチェルシーは港湾荷役があってガラの悪い地帯らしい。ご当地ギャングのボスのパパスとは幼な馴染みだが、行きがかりがあり過ぎて疎遠、というようなキャラだ。
失踪した友人ジョ=ジョを探してほしい、という堅気の少年の依頼で、フォーチュンは調査に動く。パトロール警官が身ぐるみ剥がれた小事件、ギャングのボス・パパスの愛人が殺された事件など、関係があるのかないのか不明な事件がその周囲に漂っていた。依頼人の少年がヤキを入れられ、フォーチュンも襲われた。そのうち失踪した少年が付き合っていた女の死体も見つかる....事件ばかりが起きるが、そのつながりは依然まったく不明のままだ。一体何が起きているのか??? というような話。 (ややバレ) 背景にはいわゆる「沈黙の掟(オメルタってヤツ)」があって、そのシガラミから逃れようとした少年の話。これがわかってくるのが終盤で、フォーチュンの過去とも絡めたドラマを作ってるのは重々承知の上だが、これだったら不良少年モノできっちりジョ=ジョ視点で描いた方が深みが出ていいようにも思うな。そしたらシムノン風の話になるようにも感じる(「リコ兄弟」+「雪は汚れていた」)。フォーチュンも魅力ありだし、ちゃんと推理して名探偵なんだが、「探偵小説」にしたために何か損してる印象がある。まあそれでも充分な力作。ストリートの臭いがあるのが、他のネオ・ハードボイルドに勝る長所。 ハードボイルドってさ、もともと「作家が頭でコネた話より、ストリートで起きてる事件のが面白い!」というあたりで始まったと見ていいのかもしれないから、「ハードボイルドは、ヒップホップだ!」なんて言ったらカッコイイ? |
No.429 | 7点 | 殺人保険- ジェームス・ケイン | 2018/11/14 23:23 |
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保険といえば、それに付け込んで一攫千金を狙う詐欺と隣合わせなのだが、保険のトップセールスマンの主人公が、美女の誘惑に転んで詐欺の片棒を担ぐハメになった。殺人にまで手を染めて....同僚の辣腕の調査支払部長はその死に疑惑を感じ調査を開始するが、主人公の関与にはまだ気がついていない...どうなる?
という、言ってみれば極めてありふれた話。「ありとあらゆる保険会社が、何百万編もぶつかっている」ありふれた話なのだ。 まあ、見てご覧なさい。これが自殺者の分類表です。人種・皮膚の色・職業・性・地方・季節・自殺した時の時間まで出ています。これは、自殺を手段別にした表。これは、手段を毒薬・火薬・ガス・身投げ・飛び込み別にした表。これは、服毒自殺を、性・人種・年齢・時間別にした表。 とこのリアリズム視点の厳しさが、本作の一番の読みどころだろう。とはいえ、主人公も保険のウラもオモテも知悉したセールスマン、対する探偵役の調査部長キースも海千山千の大ベテラン。この互角の二人の知的闘争に、さらにキースが主人公を息子にように思っている味つけがある。キースのべらんめえな喋り口がなかなか、いいな。キースは主人公をこの事件のアシスタントにしているので、「キースはどこまで勘付いているか?」と少し深読みして読むと、「倒叙」な風味がなかなかある。 キースの推理よりも先に状況が動いて結末になるので、小説も映画の邦題のように「深夜の告白」となる。映画の方は主人公が事務所で告白を始めるところから始めて「告白」を枠組みにして全体をまとめている。キースは性格俳優として鳴らしたE.G.ロビンソンで、引用した自殺分類のセリフをべらんめえに捲したてるのが、すごくハードボイルドなのだ。ボガートもそうだけど、この時期のハードボイルドなキャラって「マシンガンのようにしゃべる」というのが「らしさ」なんだよね。映画のキースは主人公を調査部に引っ張ろうとしているが...なんてアレンジがあって、告白の後の結末がちょっと変更されている。そこでハードな「喪われた友情」の情感が漂う。映画の方がイイな。 実のところ本作は「映画も原作も歴史的な名作」という、なかなかないダブル名作ミステリである。どうだろう「マルタの鷹(ハメット/ヒューストン)」「断崖(アイルズ/ヒッチ)」「めまい(ボア&ナル/ヒッチ)」「死刑台のエレベーター(カレフ/ルイ・マル)」あたりと並ぶものだよ。今のミステリファンは「深夜の告白」見てない人も多いだろうだけど、見ないと話にならない級の映画史的な重要作である。ドイツ表現主義の「影と闇」をハリウッドの犯罪映画に応用した「暗黒映画」の代表的な作品(そういう意味では「市民ケーン」も近い)で、戦後じきにはネオリアリスモ風の街頭ロケ映画と結びつくし、それを見たJ=P・メルヴィルがフランスにこのスタイルを持ち帰って、ノワール映画の元祖になり、ひいてはヌーヴェル・ヴァーグにまで影響が及んでいる..と映画史上の重要な流れの交差点にあるような作品である。ワイルダーでもミステリ映画の代表作、ということだと「情婦」よりも本作だろう。 (チャンドラーは...まあいいか。チャンドラーの役割はあまり重要じゃないと思う) |
No.428 | 7点 | 生ける屍- ピーター・ディキンスン | 2018/11/11 22:55 |
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別にテーマを絞る狙いがあるわけではないが、このところ「カリブ海」とか「文化的衝突」を扱った作品が続いている。そんな中でも本作は、ストリブリングの「カリブ諸島の手がかり」、とくにそのハイチ篇の「カパイシアンの長官」にかなり近い設定の冒険小説だ。
会社づとめの実験薬理学者の主人公は、半ば休暇くらいのつもりで、カリブに浮かぶ島に赴任する。そこは魔術による支配を行う独裁者の島だった! 殺人疑惑の罠にかかった主人公は、「人間の徳性を改善する」薬の人体実験を行うように独裁者に強制される... というなかなか悪夢のような話。評者大学は心理学科だったから、本書で扱われるネズミの迷路実験とか学生時代の実験実習でやってるんだよ。何か身に迫る思いだ(苦笑)。その時ネズミに情が移っちゃってね、本書で実験ネズミのクエンティンを主人公がマスコット化する気持ちが、わかる。主人公は腕のイイ実験家なので、その実験の腕を買われての人体実験なのだが、「実験」のウラも表も知悉した主人公は、実験のウラをかいて被験者の政治犯たちと脱出に成功する。この政治犯の反体制グループ、なんかジャマイカのラスタファリアンみたいだな。 主人公はもちろん冷徹な科学者なんだが、ヴードゥーな「魔術」を、ネズミのクエンティンを介して現地人たちにかけることができちゃうのだ! そこらへん意味不明で本人も当惑するあたりなのだが、心理学で言えば「刺激-反応」図式によって、たとえ内部の因果関係は不明でも、割り切って使っちゃうあたりが実は「科学らしい」。そうしてみると、「魔術」も「科学」も、実践面での違いも曖昧になってしまう。 もちろんタイトルの「生ける屍」はヴードゥー的なゾンビ(と簡単に暗示にかかりすぎる人々)に、あまりに冷徹な科学者でありすぎる主人公(本人は創造性はあまりないと自認するあたりが謙虚)を掛けているわけだ。しかし、本来のこの島での任務の研究も、実のところ会社と独裁者との駆け引きの材料としてなされているだけの無意味な研究なのだし、人体実験も強いられてやるだけで、実験としてマトモな手続きとは言い難いものだ。そうしてみれば本作で、有能な科学者の主人公がしているものは「科学であって科学でない」それこそ呪術みたいな「ヴードゥー科学」に過ぎない。としてみればそれが「魔術」とどう違うのだろうか? だからこそ主人公は「科学」の上でも「生ける屍」のようなものなのである。 作品的には展開も派手で、主人公=科学者もあるのか、文章も明快で読みやすい。主人公をハメた殺人に関する推理と真相もあるので、ちゃんとミステリ。ディキンスンでは「キングとジョーカー」と並んで入門にオススメ。 |
No.427 | 5点 | 眠れる美女- ロス・マクドナルド | 2018/11/11 21:50 |
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皆さん高評価だけどねえ、評者はロスマクの老化みたいなものを強く感じたな。どうも比喩が説明的で、しかも何回も繰り返していたりする。
彼のいったことは嘘ではない。しかし、彼は、真実を語っている時ですら、非実在の人間のような感じを与える。私たちは座ったまま、たがいに顔を見合っていた。非現実感がしだいに二人の間に広がり、やがて、広大な都市から無限の海を越えて沖縄から過去の戦争にまで及ぶ汚染のように宙に浮かんでいた。 くだくだしく、言わでもがなな比喩のように評者は感じる。過去の殺人とそれが子供に与えるトラウマ、誘拐か微妙な失踪、石油王とそのバラバラな家族たち...とロスマク定番の要素がこれでもか、と出てくるマニエリスムに、今回は原油流出事故による海洋汚染と、油に汚れた海鳥を抱えたヒロイン..という要素を付け加えて新味にはしている。けどね、この登場が印象的なヒロインが失踪の後、ホント最後まで出てこないのは作劇としてはどうか、という気がしないでもない。イイのは本当にヒロインが出る冒頭とラストだけ。 あとは精神的なバランスの崩れたいつもの人々が、ヒステリックに振る舞ういつもロスマク。そのわりに、問題の3家族の関係が、中盤になるまではっきりしないとか、実際のところ複雑に見えるのは、情報の出し惜しみをしているだけで、内容的な複雑さではないと思うんだよ。長い割に内容が薄い印象。 あとねえ、アーチャー今回とある関係者の女性と寝るんだけど、どうも同情心から寝てるようにしか思えない。そういうオトコは評者はイヤだな。「別れの顔」から後はイイ作品ってないように思うよ。 (シルヴィア・レノックスって名前、よく付けたなあ...と評者呆れていたんだが、皆さん気にならないのかしら??) |
No.426 | 6点 | チベットの薔薇- ライオネル・デヴィッドスン | 2018/11/11 21:27 |
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ライオネル・デヴィッドスンというと、イギリスでは巨匠、日本ではほぼ無名と彼我での評価に大きな差がある作家である。CWAのゴールドダガーの3冊はすでに評者は書いたけど、「CWAが選出する史上最高の推理小説100冊」というオールタイム・ベスト100でデヴィッドスンの「チベットの薔薇」と「大統領の遺産」の2冊が入っていたりする。受賞作でないあたりがお茶目だが、この人寡作で8冊しか長編がないのに、少なくともイギリス基準では最低でも5冊が名作ということになる。超打率としか言いようがない。
けどね、日本では本当にウケなかった。その理由は言うまでもなく、イギリス人らしいヒネりが利きすぎて、ジャンル感が明快でないとウケづらい日本ではダメ、ということなんだろう。実際本作はチベットを舞台にした大冒険ロマンなんだけど、かなり屈折している。 要するにね、「西欧人がアジアで冒険すること」に対する羞恥心みたいなものが、裏テーマの小説なんである。こりゃ日本の読者にはきっついなあ。チベットには「シャングリ・ラ」を発明したヒルトンの「失われた地平線」という古典があるんで、オカルトとないまぜになって、ユートピアへの憧れを掻きてる土地柄なんだが...実際大変キビシい風土の中で、人々は貧しい生活をし、中国の侵略と圧政もあって、なかなかお気楽にロマンを紡ぎ出す、というわけにはいかない。 本作ではライオネル・デヴィッドソンが出版社社員として、偶然入手した口述原稿を巡って、その真贋やフィクションか現実か、というややこしい問題を検討するメタフィクションの体裁をとっている。これはもう、西洋人がアジアを再度モノガタリの上で搾取する行為への、羞恥心を表しているとしか言いようがない設定だ。でそのオハナシの方はどうか、というと、チベットで消息を断った弟を探して、主人公はシッキム経由でチベットに潜入する。その時、チベットは不穏な予言で騒然としてた。ガイドと共に首尾よく弟の一行が過ごす、ヤムドリンの僧院にたどり着いた主人公は、予言された侵略者だとして捕らえられる。しかし、予言をうまく逆用して主人公は監視付きだが一応の身の安全を確保する...尼僧院長である「羅刹女」の運命の男(チベット密教の活仏だからね)として、弟一行と脱出の機会を窺うが、そのときチベットを制圧しようと中国人民解放軍が行動を開始した! 主人公は「羅刹女」とともに、弟一行を率いて脱出の旅に出た... と、現実の1951年のチベット「解放」を舞台に、荒涼としたチベットの地での潜入と脱出の旅が描かれる。筆致はリアルだが、他の作品のようなユーモア感は薄くて、ハードボイルドなくらいにタイトな文章である。最後なんて悲恋で泣かせるよ。読んでいてやはりこの人、「アンブラーの弟子」みたいに感じる。評者がこの人好きなのはそんなニュアンスからかなぁ。 そういえばアンブラーも晩年「小説」という枠組みを信用しなくなって、「小説」のつもりで読んでいると、実はそれが主人公の特定の狙いがあって書かれた内容だった...という枠組みが浮かび上がる作品がいくつもある。そこらへんも共通する要素になるね。 |
No.425 | 5点 | アリバイ- アガサ・クリスティー | 2018/11/06 22:28 |
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本当は「十人の小さなインディアン」をやらなきゃいけないんだが....あれボッタクリに近い値段だし、クリスマスまで取っておこうか。
というわけで「クリスティ完全攻略」で無視されている「アクロイド殺し」の戯曲化「アリバイ」である。無視の理由は、要するにクリスティは原作提供、戯曲化はマイケル・モートンという人で、自身の戯曲化ではないからだろう。それでも初期のポケミスのラインナップにはあった作品で、長沼弘毅訳というのが時代を伺わせる。図書館で借りたんだが、ボロボロの本だったよ。 他人の戯曲化とはいえ、本作は1928年に上演されていて、原作小説の2年後、クリスティとしても初の舞台化である。チャールズ・ロートンがポアロを演ったようだ(史上初のポアロ役者だよ)。貫禄があり過ぎて困る...と思うが、当時はまだ痩せていたのかしら。内容は原作にかなり忠実。というか、原作に付き過ぎていて、逆に面白みがない。オリジナル要素はシェパード医師の姉が妹になって、もう少ししおらしく、ポアロとイイ感じになったりするロマンス色。 「アクロイドといえば」なあの要素は、芝居にしたら全然無意味なのは言うまでもない。本作は「犯行時間がどんどん前にズレてくるサスペンス」を軸を芝居を組み立てている印象。これ評者昔から指摘していることなんだけど、みんな派手なトリックに眼を奪われて言わないんだよね。そういう意味では手堅いが、逆に「アクロイド」の評でも書いた「お手盛り問題」もしっかり表に出ちゃってる。ミステリ劇として..いいんだろうか、この舞台化?という印象。 クリスティ自身による戯曲化に親しんでいると、クリスティが芝居というものをよく理解し、楽しんで書いていたことがよく分かる。そういう意味では本作は物足りない。 クリスティ自身のオリジナル劇はすべて翻訳済だが、自作戯曲化は「ナイルに死す」「ホロー荘」がまだ。他人による戯曲化は「ナイチンゲール荘」「牧師館の殺人」がまだ。ということになる..が他人戯曲化の方が権利処理がややこしそうだ。本人戯曲化よりもレアになるだろうね。「十人の小さなインディアン」に向けて気分を盛り上げなきゃねぇ。 |
No.424 | 5点 | 地を穿つ魔- ブライアン・ラムレイ | 2018/11/06 08:35 |
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オカルト・ハンターは名探偵の変種みたいなもののわけで、本作のタイタス・クロウだって明白にシャーロック・ホームズの子孫に違いないわけだが...名探偵ぽさを発揮した短編集から、長編のサーガへ移り変わる、その移行期にあたる本作はというとね、怪獣小説みたいなもので「ウルトラQ」である。
そう見ると、たとえばデニス・ホイートリーからジョン・ブラックバーンに続く英国産「ウルトラQ」の系譜みたいなもの(苦笑)を考えてもいいのかもしれない。あ、本作の「怪獣」はクトゥルフ神話の邪神たちなのだが、「クトゥルー眷属邪神群(クトゥルー・サイクル・ディーアティーズ)」略してCCD、ということになる。CCDなんて略された日にゃ、得体の知れないラヴクラフト的「宇宙的恐怖」の名残はなくて、 ピースリー教授のいうところの”害獣駆除(ペスト・コントロール)”が完遂されなければならない と「駆除」の対象である。「人類の英知を結集した」ウィルマース・ファウンデーションにやっつけられるような、情けないものだ。 せいぜいクロウと相棒のマリニーを怖がらせてはくれるが、やっつけれるものだから、怖くはない。弱点は護符と水と放射能だそうだ。「ペギミンH」が特効薬として「はいこれ」されて脱力したウルトラQ(スポンサーは武田薬品だ)みたいなもんだ。評者はCCDが気の毒になってくる。このイギリス人の怪獣退治に比べたら、イマドキの日本人的な萌えクトゥルフのキャラ化のセンスの方に、評者は座布団一枚。がんばれ邪神ちゃんたち! |
No.423 | 4点 | 魔のプール- ロス・マクドナルド | 2018/11/04 16:24 |
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アーチャー登場第2作なんだが、まだ本調子じゃない。通俗ハードボイルぽかった「動く標的」と比較すると、本作はチャンドラー、とくに「さらば愛しき女よ」の模倣みたいなものが随所に伺われて、ファンアートな印象があるんだね。船に乗り込んで、医者に拷問されてとか、本当に「さらば」だしね。黒幕のキルボーンを巡るハードボイルド調の部分と、有閑家庭の不倫の恋の部分が何かチグハグだよ。困った。
でいえば、本当はこっちが3年先行するので何だけど、「長いお別れ」とも妙にモチーフが重複する。確かに「長いお別れ」に同性愛を読み込む、という視点はアリだから、本作の一家のスポイルされたアマチュア俳優(ロジャー・ウェイドに相当する)と演出家の関係に同性愛を持ってくるのは本当にそんな感じになる...けども、ロスマク、あまりインテリを描くのが上手じゃない。なんでかなあ。ちゃんと「自分の語り方」になっていないように感じる。 なので総じて修行中。本作でアーチャー物語が終わってたら、リュー・アーチャーってミステリ史に残ってないと思うよ。 |
No.422 | 6点 | 砂漠の天使- ジョゼフ・ハンセン | 2018/10/29 20:09 |
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それとなく前振りをしておいたとおり、70年代的ネオ・ハードボイルドのホモセクシャル探偵として名を上げた、デイヴ・ブランドステッター物の第6作である(なので出版は82年)。読んだ感じは「これ、ハードボイルドって言っていいのかなあ?」というところ。
そりゃホモセクシャルということで、マチズムには無縁だし、リアリズム重視から私立探偵設定さえ止めて保険調査員という職業。まあそういう設定面はどうでもいい。評者の見るところ、主人公周辺を丁寧に描いて魅力があるのだが、「皆さまに支えられて」感がありすぎるために、「孤独なオレ」の小説としてのハードボイルドらしさみたいなものが、完全にないんだよね。ここ結構重大な違いのように評者は思うよ。 もちろん愛人のセシルや、義母で関係のビミョーなアマンダといったレギュラーたちとの人間関係の面白みが十分あるし、アーチャー風になかなか本音を言わない関係者の話を聞いて回るあたりに、リアルな小説的充実感がある。恋の鞘当てまであったりするから、エンタメとしては充分。ラストはあっと驚く派手さもあるから期待してね。 「ハメット・チャンドラー・マクドナルド・スクール」とは言うけども、「エリン(第八の地獄)・後期マクドナルド・スクール」ってのも考えていいんじゃないのかな。ロマンvsリアル、ヒーローvs等身大、といった対立軸でもまとめれるかもしれないや。まあこのシリーズ、雰囲気もいいし、文章も上手さを感じる。少し追っかけても退屈しないんじゃないかな。 あとねえ、作者は「ゲイ」という言い方を嫌がってるそうだ。「ゲイ・カルチャー」にアイデンティファイする人が「ゲイ」のようにも評者は思えるから、「ホモセクシャル」でイイんだと思うよ。まあ傍でどうこう言うよりも自己申告を重んじるべきかな。黒人のセシルくんが時代柄からして「パラダイス・ガレージ」とか「ウェアハウス」で遊んでたとかしたら面白いんだがね。 |
No.421 | 8点 | 終りなき戦い- ジョー・ホールドマン | 2018/10/27 10:38 |
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評者このところ、ネオ・ハードボイルドをいろいろ漁ってるところなんだが、やはり「70年代のアメリカ」というものが分からないと、ネオ・ハードボイルドって本質的には分からないようにも感じる。評者は年寄りだから何とかなるんだが、「70年代アメリカ」の上出来な手引きがあれば...とも思う。本作はSFだけど、この要望にマッチする面白小説だ。そう、70年代アメリカというと、「ベトナム戦争」が外せない。本作は作者がベトナムに従軍して、その体験をベースに書いた星間戦争モノのSFである。本サイト的には少し反則だが、SF苦手な評者でも大好きなSFだから紹介したいな。
時代設定は1997年。画期的な星間航法「コラプサー・ジャンプ」により人類は宇宙に進出した。異星人トーランとの遭遇から、人類はトーランと泥沼の全面戦争に突入する。エリート徴兵令によって徴兵された主人公は、過酷な訓練ののち特殊戦闘スーツに身を固めて、辺境宇宙へ旅立った。主人公は4度の戦闘に生き残るが、ウラシマ効果によって生還した世界は戦争終結から200年後の西暦3138年だった... とあらすじを読むとタダの宇宙戦争モノなんだけども、実のところ、作者が体験したベトナム戦争の泥沼と、兵士にとっては何のために戦うのか意味不明なこと(戦死者よりも、戦わせるための洗脳による発狂者が多いんだよ)、死ぬ思いをしてやっと生還してみれば、社会は自分たちを見捨てて気楽な繁栄を謳歌している....そういう70年代のアメリカ青年の怨念を込めながら、しかしそれを「面白い小説」に仕立て上げたという空前の「SF」である。 主人公マンデラはヒッピーの両親から生まれた設定で、「曼荼羅」からのネーミングだそうだ。一時的に帰還した未来社会では、人工抑制のために同性愛が社会的に奨励され、マリファナがタバコに代わる嗜好品となり、ファッションもエリザベス朝まがいの華美なもの...とヒッピーの楽園みたいなものに変わり果てている! しかし同時に、70歳を越えたら社会貢献度が低い老人は、一切の医療を拒まれる非情な管理社会でもある。母をそれで亡くした主人公は、このディストピアへの違和感から永久戦争に戻っていった...今度は士官として従軍するが、そのときには部下すべてが「同性愛がアタリマエで、異性愛は異常」とされる時代になっていた! とまあ社会風刺のキッツイ作品で、評者なんぞ大喜びで読む作品である。しかし、本作のSFネタ・ガジェットは結構いろいろアニメなどにも採用されていて、ハードSFとしても影響力がある。発表当時ヒューゴー・ネヴュラW受賞でも分かるように、アメリカでは熱狂的にウケたんだね。時代の気分を的確に掬いとった名作であり、今読んでも抜群に面白い作品なのは評者が保証する。たまにはいかが? |
No.420 | 2点 | ゴッドウルフの行方- ロバート・B・パーカー | 2018/10/23 13:03 |
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スペンサーというと、その昔人気絶頂の頃に「初秋」を読んで、○○となってそれ以降「評者の読むもんじゃねえや」と敬遠していたわけだが、このところ70年代ネオ・ハードボイルドを漁るようになったこともあって、スペンサー初登場の本作を読んだわけだが....まあ、評者の読むようなもんじゃない。相当の酷評をするので、ファンの方はブラウザバックを。
ハードボイルドというと、まあ「警句」という奴が主人公の生き様を示して云々、があるわけだけど、たとえばマーロウの場合、「警句」を飛ばすのは何かしらマーロウが傷ついてる心理を表す、なかなか奥深い機能を評者は感じるわけだ。だから「警句」は気の利いたことを言って他人をやり込めるのが目的じゃないどころか、「他人への愛や思いやり」は絶対必要なんだよ。このスペンサーという男、依頼主は侮辱するわ、表立っては法に触れていない学生や教授を恫喝するわ、やりたい放題。しかも嫌がらせみたいな皮肉を飛ばすチンピラにしか評者は見えないんだが、どうも皆さんそう見えないのかな? でまた、大学当局と容疑のかかった女子学生の父親から、実質同じ事件について二重に依頼を受けることになる。「私立探偵業法」なんてものはなかろうが、やはり「依頼主への忠実義務」ってものはあるでしょうよ。日当の二重取りでもするつもりなのかしらん。マーロウの場合私立探偵という「有料トモダチ」という立場への含羞みたいなものが、基本的な「探偵の立場」としてあるわけだが、スペンサーは依頼主無視で手前勝手にやりたい放題。評者、私立探偵に調査を依頼するんなら、スペンサーにだけは絶対に依頼したくないや。 でまあ、ミステリとしての出来がいいならまだしも、ヒネリもなにもなし。真相はお寒い限りで、しかも70年代の時台背景もあるのかないのか。過激派とヒッピーをちゃんと理解して書いているサイモン(モウゼズ・ワイン)とは雲泥の差。 なんでこんなものが人気だったんだろうね。理解不能である。「初秋」の頃には結構スペンサーのアンチがいた記憶があるんだけど、どこいったのかしら? |