皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1325件 |
No.18 | 6点 | 仕立て屋の恋- ジョルジュ・シムノン | 2018/05/20 18:48 |
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久々のシムノンになったが、ごめん映画は見てないや。小説だけの評価として書くことにする。
娼婦が殺された。近くのアパルトマンに住むユダヤ人のイール氏は、青白くぶよぶよと太った見かけと、何をして食べているか不明で、その変人ぶりから近所の人々に嫌われていた。イール氏がカミソリで頬を切った流血を目撃した管理人の話から、イール氏と娼婦殺しが結び付けられるようになっていった。イール氏はそんな話とはお構いなしに、アパルトマンの向いに住む女アリスに恋心を募らせてストーカーまがいの挙に出ていた。イール氏が覗きをしていることに気づいたアリスは... という話。酒鬼薔薇事件のときにも、近隣での変質者狩りみたいな噂があったのを記憶しているけども、このイール氏には弱みもいろいろあって、これらからのっぴきならない窮地に追い込まれていく。そういう社会の悪意みたいなものを、この小説はハードボイルド的といっていいくらいの客観オンリーの描写で描いている。小説はイール氏の内面にも、アリスの内面にもまったく踏み込まない。極端に「乾いた」描写が続く。 というわけで、ジッドがシムノンを称揚して、逆に「異邦人」をクサした理由が何か、よくわかる。「異邦人」がやったことなんて、実はシムノンがとうの昔に達成したことだったわけだ。カミュは「インテリ向けのシムノン」だった... |
No.17 | 7点 | ベベ・ドンジュの真相- ジョルジュ・シムノン | 2018/02/25 23:28 |
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本作読んでの感想は、やはり空さんと同じく「テレーズ・デスケールー」のシムノン版、というところ。フランス文学には「女の一生」とか「ボヴァリー夫人」とか「人妻話の伝統」みたいなものがあるわけで、そういうもののシムノン流、ということになるのだが、人妻話としてもシムノン一般小説としても、かなりミステリ寄りの作品だ。しかし、シムノンらしい夫婦の心理の綾(他人同士が一緒に暮らすことになる不思議と恐ろしさ...)が主眼なので、分かりやすさみたいなものはない。シムノンで言えば「ベルの死」のような説明不能な「こころ」の話だが、テレーズや「ベルの死」とは違って、妻ペペによって毒殺されかけた被害者の夫が、あくまでもその行為に及んだ妻の、孤独なこころと漠然とした殺意を理解し赦そうとする話である。なので、テレーズや「ベルの死」のような鬱屈感はなくて、突き抜けたような清澄な雰囲気がある。罪を犯すことによる逆説的な救いみたいなものを感じるのがいいのだろう。
シムノンという作家が「人を殺す」という究極の行為について、いろいろと解釈を試みるヴァリエーションの広さは、本当に敬服に値する。逆にカトリック文学らしく「罪と罰」の視点がシムノンよりも強い、モーリアックの「テレーズ・デスケールー」も久々に読んでみたくなったなぁ。 |
No.16 | 6点 | ゲー・ムーランの踊子/三文酒場- ジョルジュ・シムノン | 2018/01/08 10:25 |
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第一期メグレ物の合本である。例の瀬名氏は「ゲー・ムーラン」をメグレ物への「情熱が醒めつつあるか」と評しているけども、ちょっと読んだ感じは戦後のメグレ物っぽい雰囲気だ。初期の陰鬱なところがあまりなくて、プロット中心の話になっていると感じた。
リエージュの流行らないキャバレー「ゲー・ムーラン」では、二人の不良少年が隠れておいて閉店後にレジ荒らしをしようと、待機していた....彼らのほかには客は外国人旅行者とフランス人らしい恰幅のいい男しかいない。閉店後に彼らはその外国人の死体を見つけた。 という話。メグレはなかなか登場しないが、洞察よりもメグレの仕掛というか狙いが中心。ライト感覚なので、あまり大したことがない。 それよりも「三文酒場」の方がシムノンらしい。「メグレのバカンス」に似た話というか、同じく夏のバカンスなのに、メグレ夫人が待つリゾートに、事件をかぎつけちゃったメグレがなかなか行けない話。セーヌの川岸に週末にパリの商店主たちが家族連れで川遊びを楽しむリゾートがある。彼らはそこで地元の漁師たちが集う「三文酒場」をちょっとした隠れ家のようにして、楽しんでいた....メグレはある死刑囚が漏らした言葉に導かれて、「三文酒場」とこの旦那衆たちと近づきになる。平穏な夏のリゾートでのお楽しみの中で、発砲事件が起きた。単なる事故のようなのに、撃った男は突然逃亡した。その仲間たちもメグレの目の前で、その逃亡を手伝ったりする...なぜだろう? という話。こりゃホントにシムノンにしか書けないタイプの話だ。旦那衆と付き合うのに、いつものビールじゃなくて、メグレもプチブル趣味なペルノー(アブサンの代用品として飲まれるアニス系の甘いハーブ・リキュール。日本人は結構苦手な味)を飲む....ちょっと浮かれて倦怠の漂う夏の夕暮れ感が本作の本質。メグレ夫人はメグレに早く来るように催促する 杏のジャムを作り始めました。いつになったら、それを食べにいらっしゃるつもり? |
No.15 | 6点 | 片道切符- ジョルジュ・シムノン | 2017/10/31 00:47 |
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「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という作品が、とくにフランスで強い衝撃を持って受け取られ、カミュの「異邦人」なんかもその反響の一つだという話を「異邦人」の書評で書いたのだが、本作は「郵便配達」の、シムノンという名前の付いた、別なエコーである。シムノンびいきのアンドレ・ジッドなぞは同年に発表された「異邦人」をクサす一方で本作を称揚している。本作は「郵便配達」同様に、流れ者が孤独な女と深い仲になって、結果その女を殺すことになる顛末である。
本作の主人公ジャンは、ブルジョア家庭の育ちなのだが、ふとしたことから人を殺して刑務所に入り、出所したばかりの宿無しである。バスの中でふと知り合った「クーデルクのやもめ」と呼ばれる中年女性タチの下男として農家に雇われる。タチは義父にあたる老人を性的に慰めつつ、農家を経営するのだが、小姑にあたる姉妹との間で財産を巡って暗闘が繰り返されていた。ジャンはタチとも深い仲になる反面、姪にあたるフェリシーとも戯れる。タチがフェリシーの粗暴な父に殴られて寝つくことで、次第に状況は泥沼に陥っていく... まあだから、ジャンは痴情の「もつれ」としか言いようのない、感情の綾の中に「うんざり」してしまって、タチを殺してしまう。ここにあまりはっきりした動機をシムノンは設定しない。そもそも刑余者らしいテンションの低さがジャンは特徴的で、刑法の文面がフラッシュバックで時折インサートされるわけで、「今度何かやったら死刑」というのは重々承知していながらも、ついつい小さく曖昧な動機から、殺したり殺されたりするものなのだ....殺人の後もジャンは現場で酔いつぶれて寝てしまい、不審に思った隣人の通報によって警官に蹴り起される 「なぐらないでくれ...疲れてしまった、すっかり疲れてしまった」 ここにはどんなドラマもない。リアルの極みと言えばその通りで、不透明な肉体がただただ、ごろりと転がっているだけのことだ。 |
No.14 | 8点 | メグレ罠を張る- ジョルジュ・シムノン | 2017/10/22 21:30 |
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本作メグレ物の中でも有名作の一つにふさわしく、ジェットコースター的な展開で、とにもかくにも「読ませる」名作である。シムノン全盛期の剛腕を存分に楽しむことができる。まあ皆さんもよく書評していて、いい面をしっかり伝えているので、評者なぞが屋上屋を架すのも野暮だ。
...で、なんだけど、本作ってたぶん「熱海殺人事件」の元ネタな気がするのだ。メグレ流の捜査術というのは、犯罪を犯人の自己表現として捉えることに真髄がある。その自己表現を理解する批評家のような立場にメグレは立つわけだ。本作はこういう「メグレ流」をわりとあからさまに描写しているので、シムノン入門編に最適じゃないかしら。けども、この犯人の自己表現をパロディ的な方向にゆがめたとしたら、それこそつかこうへいの世界に直に通じてしまうのだ。くわえ煙草の伝兵衛とパイプのメグレの距離は、意外なほど近い。それゆえ、本作の「犯罪」もメグレの理解を俟って初めて完結する、犯人とメグレのいわば共作のようなものなのかもしれないな。 |
No.13 | 5点 | サン・フィアクル殺人事件- ジョルジュ・シムノン | 2017/09/24 21:30 |
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自分の出身地で起きた殺人予告状の一件を、メグレは自分のポケットに入れて、父の死後訪れたことのない故郷を訪ねた...
泊まる宿屋の女将だって子供時代を覚えている。そんな村の教会の早朝ミサのさなか、メグレの目の前で、予告通りにこの村の昔からの領主の家柄であるサン・フィアクル伯爵夫人が急死した....犯行手段は祈祷書に挟まれた伯爵家のスキャンダルを示す新聞記事を見たことによる心臓発作。そう、伯爵家はメグレの父がつかえていた伯爵の死後、貴婦人として尊敬されていた伯爵夫人は若い秘書をとっかえひっかえして醜聞をまきちらすわ、長男の現伯爵モーリスはあらゆる事業に失敗した放蕩者でしかないわと、名門の伯爵家が内部崩壊に瀕していたのだ。 そして、その頃少年だったメグレは、庭園のなかで看護婦が押す乳母車を、遠くからうやうやしくながめていたものだ。その赤ん坊が、このモーリス・ド・サン・フィアクルなのだ! というメグレにとってはなはだ幻滅な帰郷であった。「失われた時を求めて」風の味わいだねこりゃ。 そんな具合で、メグレにとって実にやりにくい捜査となってしまった。結局事件は、メグレはほぼ傍観者ままで結末を迎える。小説としては実際腰砕け。前半など雰囲気いいんだけど、失敗作、だな。 |
No.12 | 6点 | メグレと老婦人- ジョルジュ・シムノン | 2017/08/16 23:13 |
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メグレには海が似合う。今回はノルマンディの海岸の保養地(例の「奇厳城」がある)エトルタでの事件。
一度はブルジョアに成りあがりながらも財産を失って隠棲した老婦人ヴァランティーヌが、自分を狙ったが身代わりに女中が毒殺された事件の解決を求めて、メグレの出馬を要請した。エトルタに赴いたメグレは、ヴァランティーヌの義理の息子で俗物の代議士シャルル、その兄でイギリス貴族気取りの放蕩者のテオ、尻軽な娘のアルレットといった、アクの強い一家の面々と会う。その中でも当のヴァランティーヌが、老女でありながらも妙に艶っぽさのあるキャラでとくに印象深い。 ちょっとしたミスディレクション風の仕掛けがあったりとか、キャラに似合わずハードな暗闘があったりとか、結構楽しめる作品である。シムノンの作品のキャラというと、成功したために社会的に地位が上昇したけども馴染めないとか、昔は金持ちだったけど没落して..とか、社会的な浮き沈みの激しい特徴があるのだが、この一家も庶民の出身だが美容クリームで当ててたまたま儲けて、城を買ったり豪華な生活を一時はしたけども没落して..というのが事件の背景にある。住んでいるのも出身地なので、「侯爵夫人気取り」と評されるヴァランティーヌでも、洋菓子店の売り子だった過去が周囲に知られていたりする。そんな田舎のリアリティが印象深い。 |
No.11 | 7点 | メグレと無愛想な刑事- ジョルジュ・シムノン | 2017/08/09 21:56 |
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「若い女の死」でロニョン刑事に萌えた余勢を買って、表題登場のこの短編集を読んだ。本短編集は4作長さ以上のボリューム感のある短編がそろっているが、ロニョンは最初の表題作しか出ない。残念。
本短編集はというと、「ヘンな奴ら」大集合の作品集になっている。もちろんロニョンは刑事たちの中でも特にその偏屈さで「ヘン」なのは言うまでもないが、「児童聖歌隊員の証言」の老判事、「世界一ねばった客」のタイトルそのままの人物、「誰も哀れな男を殺しはしない」の被害者...すべて印象に残る「ヘン」さがある。 作品としては「児童聖歌隊」がお気に入り。児童聖歌隊員なんだから子供でしょうがないのだが、事件のキーを握る、偏屈な老判事の妙な子供っぽい振る舞いが「謎」を作り出してしまう...それを解決するのは風邪をひいてフラフラのメグレである。風邪をひいて寝込むと、しきりに子供のころのこととか思い出されるものなんだけど、そういうメグレが「子供の心」を洞察して謎を解く、という構図の優れた作品である。こういう小説、イイな。 最後の「誰も哀れな...」も、被害者の小市民的としか言いようのない行動が「バカだなぁ」という感想と同時に「それも仕方ないな」という諦念とないまぜになって妙に心に迫るものがある。 というわけで、シムノンらしい小説的満足感バッチリな短編集である。 |
No.10 | 7点 | メグレと若い女の死- ジョルジュ・シムノン | 2017/07/30 22:17 |
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小説というものに何を求めるか、というと人それぞれなんだろうけども、そこに描かれた「不器用な生き方をする人々」に対する共感みたいなものを「愉しむ」というのはやはり評者も年老いたからなのかね...で本作、パリに憧れて上京した被害者も、捜査陣でもとりわけ印象深い「無愛想な刑事」ロニョンも、生きることの下手くそな人々だというあたりに、感慨深いものがある。
被害者は賭博狂いの毒母から逃れて、花のパリへ上京しても、若い女子でも美人でもなく要領悪く取柄もないと、パリは広いというけれど、身をおくスキマもないものだ..上京するときに知り合った元ルームメイトは御曹司をゲットして時めくが、自分は借り物のドレスでルームメイトの結婚式に現れてお金を借りる惨めさよ。 現場所轄の刑事ロニョンは、愚直なまでの足の捜査の達人なのだが、要領悪く昇進試験にも受かる見込みもない。いつも手柄はメグレが要領よくかっさらい、オレはいつもくたびれ儲け...(実はメグレはロニョンを買っていて、敬意を持っていたりするのだが、それにロニョンは気がつかない。これがロニョンの一番気の毒なところ) この二人の像が付かず離れずで重なるのが本作の秀逸。被害者も本当は幸運とニアミスしているのだがそれに気づかず短い生涯を終えるし、ロニョンもメグレが温かく見ていることに気が付かない。そういう「不幸」の話である。嗚呼情けなしの世の中よ。 |
No.9 | 8点 | 13の秘密- ジョルジュ・シムノン | 2017/07/13 20:45 |
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本書はショートショート的なパズラー「13の秘密」と、第一期メグレ物でもラストに近く、評者に言わせれば初期でも屈指の名作「第一号水門」の二本立てだが、この合本は誰得だと思う...特に「第一号水門」なんてパズラーマニアは読みどころが解らないだろうし、メグレファンだったらパズラー短編なんて退屈だ。しかも「13の秘密」は瀬名秀明氏によると、原著は図面入りで、だからこそレボルニュは「図面を見ろ!」と度々言うんだそうだ。そうしてみると、欠陥商品みたいなものである。
しかし、それを補って余りあるほど、評者は「第一号水門」が好きだ。8点の評点は「13の秘密」は完全無視で付けた点である。「第一号水門」の一番イイ点は、本作の中心人物デュクローに生彩があることである。日本で映像化するなら、緒形拳か山崎努か、といったあたりの、アクが強くて身勝手だけど憎めなく、ニッコリ笑われると許さないわけにはいかないような、オヤジの萌えキャラである。事件はこの運河で手広く商売をするデュクローが、刺されて運河に沈むが、命を取り留めて...というあたりから始まる。舞台からして、シムノンの船好きが全開で、河の風景や生業の描写がすばらしい。 で、このデュクローの魅力は、というと、要するに大人と子供がややバランス悪く配合されたところにある。裸一貫で商売に成功して、プチブルくらいに成りあがった男なのだが、そういうプチブルの生活に強い違和感を感じていて妙に子供じみた反抗をするわけだが、意外に状況を客観的に捉えるオトナの眼も欠かさない、リアルで複雑な、危うい人物として描かれている。本作だとメグレ第一期の終了間際ということで、メグレがあと数日で退職する設定で、それを見透かしてデュクローは高給でメグレを雇おうかと誘ったりする...しかしデュクローとメグレの「対決」は実に静かなもので、ほとんど裁かないメグレはあたかもデュクローの同伴者であるかのようだ。 たとえば「男の首」のラディックならずっとガキなわけであり、メグレは大人の余裕をカマして対決が盛り上がるのだが、本作はオトナ対オトナの静かな対決であり、共感とか哀歓みたいなものが強く立ち上る。ここらへんが本作の読みどころであり、分かりやすいエンタメ性からはズレてきている部分でもある....純文学的捕物帖みたいな雰囲気と言ったらいいのだろうか? |
No.8 | 6点 | メグレ夫人の恋人- ジョルジュ・シムノン | 2017/06/08 23:44 |
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メグレ親父は機嫌が悪いな...困ったものだ。
メグレ式ってのは考えない、というか考えていることを見せない。その代りに事件の感情的な理解の方にポイントのある捜査法だから、短編の場合にはそこまでの余裕がなくて...になりがちなんだけど、その代わりにメグレの感情自体がメインになるような書き方だってアリだ。「メグレの失敗」なんて事件の中心人物に対する感情的な反撥が小説の中心になってるくらいのものだ。また珍しくトリックのある「開いた窓」とか、やはり長編とは少々組み立てや小説としての発想が違うのが、短編集としてのバラエティになっている。 出来としては中編の「メグレ夫人の恋人」と「殺し屋スタン」が世評通り読み応えあり。個人的にはメグレ夫人のキュートさにちょっとヤられている。 |
No.7 | 6点 | メグレと死者の影- ジョルジュ・シムノン | 2017/05/20 22:44 |
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初期のメグレ物というと、創元で翻訳が出て、この中でラインナップに残ったものと残らなかったもの、残らなかかったものでも河出の50巻のシリーズに採用されたものとそうでないもの...とその後の運命がいろいろある。本作は創元で「影絵のように」のタイトルで出た後、河出で「メグレと死者の影」と改題して出ている。まあ河出は中期以降のタイトルに合わせて、全作「メグレ」という名前を入れたタイトルにしたためこういうタイトルになったわけだけど、本作の原題は「L'Ombre chinoise」、直訳すれば「中国の影」、実際にはこれは熟語で影絵遊びとか影絵劇のことを指すので、河出の訳題も創元のも意訳に近いが、創元の方が明らかに趣のある良いタイトルである。内容的にも、死者のシルエットが時間がたっても動かなかったので見たら殺されていた、ということと、呼ばれたメグレが目撃した被害者の元妻が再婚した夫を責めるシルエットの両方を指しているので、評者は「影絵のように」を強く推したいな。この2つの影絵がある冒頭の場面が本当に雰囲気があって、いい。
本作とか文庫で160pくらいのものなので、作品が「ある一つの感情」だけで構築されているようなものである。本作だと機会を逃した落胆と自責が他人に向かう後ろ向きでどうしようもない性格がテーマになっている。それに操られる人間の姿も、それ自体がもう過去の取り返しのつかないことなのだから、やはり「影絵のよう」だ...というわけで、本作もショートドリンクのような味わい。キュッと読んでシンプルな感情の悲劇を味わう。それも人生。 |
No.6 | 7点 | リコ兄弟- ジョルジュ・シムノン | 2017/05/08 22:42 |
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偶然ながらちょっと前に書評した「ベルの死」と同年の非メグレ物。両方ともアメリカが舞台、しかも鬱小説...と妙にカブった感がある。ただしこっちはマフィアの内幕ものだが、アクション味はほぼ皆無で、「ベルの死」同様に主人公の中年男が心理的に追い詰められていくさまを丁寧に描いた作品である。だからノワールからはシムノン流にズレた印象だ。
主人公はマフィアの中ボスだが、地方の合法部門の責任者で「会計係」なんてあだ名がつくようなタイプ。家族ぐるみでマフィアと縁深い一家で、三人兄弟の長兄。その一番下の弟が堅気の女と結婚して足抜きをしようと考えたのか行方不明になる。裏切りの噂の立ったその弟の足跡を主人公の長兄が追うプロセスがほぼ小説のすべてを占める。 この情報をこっそり提供した次兄、老いた母、それから逃亡した弟..と見知った人々のはずながら、いざ向き合うと見知らぬ人のように長兄が疎外感を感じるあたりが、本作の一番らしいあたり。なので、マフィア物とかクライムノベルとか本作を見るとすると、本当にミニマムなマフィア物(実際ポケミスで150pほどで短い)ということになるだろう。 ある人生の断面を切り取ってそれを覗かせるが、結論もなければわかりやすい感動やドラマらしい予定調和もない。シムノンなので徹底して心理寄りなため、ハードボイルドとは呼べないのだが、心理がまるでモノであるかのようにごろりと転がっているような印象を受ける。 |
No.5 | 6点 | ベルの死- ジョルジュ・シムノン | 2017/04/17 17:00 |
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犯人や真相が不明のまま終わるミステリの例としてよく挙がる作品である。まあアイデアとしては誰でも思いつくようなネタなんだけど、真相不明のままで小説を終わらせて次回作を読んでもらえるか?というとこれが極めて怪しいために、なかなか作例がない。何か仕掛けとか犯人なしで終わらせるための説得力のある説明とか工夫がいる上に、小説的充実によって納得させる筆力も必須である。評者なぜか真相不明系作品をよく当サイトで評している傾向があるようだ...
・「ここにも不幸なものがいる」ジャック・ザ・リッパー物なので、現実の事件が真相不明だから不明でイイ。 ・「インターコムの陰謀」国際スパイなので、背後関係が全部わかるわけじゃない。 ・「寝ぼけ署長」所収の「中央銀行三十万円紛失事件(短編)」人情解決 で...本作である。ホームステイ中の妻の友人の娘ベルが、家の主人で教師のスペンサーがいたにも関わらず、自室で絞殺されていた...真面目な娘に見えたのだが、陰では派手な交友があったようで、真相が不明のまま、スペンサーへの容疑が完全に晴れるというわけでもなく、重苦しい雰囲気が続いていく、という話。家の中に突然置かれたSEXと死に戸惑う中年男が、徐々「ベルの死」の謎の圧力に憑りつかれて変貌してくのが主眼なので、実は主人公が犯人でした、では話のポイントを外してしまう。主人公の心理を丁寧に追っていく、当然スッキリした解決がない鬱小説なので、面白いが読むのが結構心理的にツラいものがある。犯罪よりもその罪を犯す人間の方に関心が強いシムノンらしい小説だ。なので犯人不明でも小説としてはアリ。 |
No.4 | 6点 | オランダの犯罪- ジョルジュ・シムノン | 2017/04/02 21:37 |
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初期のメグレ物。今回のメグレはタイトル通りオランダの田舎町デルフゼイルに出張でアウェイの事件。メグレに港町は似合うなぁ。シムノンが船の中で執筆してた頃だし、Wikipedia によると、最初のメグレ物の「怪盗レトン」はデルフゼイルの沖合で書かれたらしく、町には現在メグレの銅像があるそうだ...デルフゼイルはメグレの街、だね。
まあだけど、シムノンがオランダ、という舞台に何を求めたか?というと、ピューリタン的で小市民的道徳性と、不道徳をも辞さない野性の対立みたいなものだろう。外部の船乗りを犯人にして収めようとする地元刑事とのさや当ても少しある。シムノンって作家はミステリライターでは珍しく、遊民的なインテリが嫌いで武骨な職業人に好意的な描写が多いのが目立つ(アマチュアリズム好きのイギリス人とはバックグラウンドが違い過ぎるからね)。 本作犯行再現をしたりとか、消去法で推理したりとか、妙にパズラー風味。けど犯行再現の様子を「この場の様子には魅力も偉大さもなかった。哀れでおかしいものがあった」とするのが、シムノンらしいし、灯台の光に照らされる恋人たちを凝視するある人物とか、それでもイメージはいつものシムノン。後日譚でのメグレのアタりっぷりが結構ニヤリとさせる。 |
No.3 | 9点 | 雪は汚れていた- ジョルジュ・シムノン | 2017/03/05 23:23 |
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あれ、本作まだ書評がないんだね。たぶん本作がシムノンで一番ヘヴィな作品じゃないかな...でもジッドが絶賛したことで有名な、文学的、という面でのシムノンの代表作になる。
ドイツ占領下の地方都市で、19歳のフランクは占領軍黙認の酒場にドクロを巻く不良青年である。母のロッテは占領軍の軍人も贔屓にする売春宿の主人で、フランクも隣人たちに恐れられ卑しめられるようなものを持っていた...ほとんどマトモな理由もなく、占領軍の下士官を殺害してピストルを奪う。その現場を通りかかった隣人の電車の運転手ホルストに、フランクは自分の行為を知らしめたかった... 本作は言ってみれば、「悪のレジスタンス小説」である。映画「抵抗」だとか「影の軍隊」だとか、フランス映画だと対独レジスタンス活動に題材をとった作品がいろいろあって、本作はそういうレジスタンスの活動にヒントを得ている。しかし本作の主人公フランクの「抵抗」は運命に対するそれである。占領当局に捕まって初めて抵抗するわけではなく、そもそも彼の犯罪(下士官殺しのほか、押し込み強盗殺人など結構凶悪)さえも、運命に対する彼の抵抗としての犯罪なのだ。愛さえもフランクは辱めようとして、彼が愛するホルストの娘シシイを、悪事の仲間に凌辱させようとする...その様は「神を試す」かのようでもある。 評者昔本作を読みたくて、図書館で探したところ「キリスト教文学の世界(主婦の友社)」でこれが収録されていて読んだのが、初読だった。占領軍の「主任」に尋問される様は、たとえばドストエフスキーの「大審問官」やオーウェルの「1984年」、カフカの「審判」などキリスト教ベースの西欧文学の伝統につながり、それを「悪の立場」にアレンジしたものだと見ることができるだろう。シムノンで言えば「男の首」のラディックの犯罪とその「捕まりたい」という衝動を、別な舞台で書き直したものだという見方もできるかな。 シムノンは形而下の問題と同じ手つきで魂を扱う懐の深さを持っているから、メグレ物とロマンの違い、というのも実はささいなアプローチの違いに過ぎないのかもしれない。ヘヴィだけどシムノンが好きなら本作は絶対に外せない。 |
No.2 | 8点 | サン・フォリアン寺院の首吊人- ジョルジュ・シムノン | 2017/01/29 22:09 |
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本作は特に日本人好みのせいか、いろいろと影響絶大な作品なんだけど、あれ、昔角川文庫で出てたっきりで、現在入手困難な本みたいだ...これ本当にもったいないよ。シムノンはファンは厚いから、数がハケて損しないと思うんだけどな(角川の水谷準の訳は格調も高く、読みやすいイイ訳だが、論創社から新訳で出るうわさがあるようだ)。
影響は、というと乱歩はこれを翻案して「幽鬼の塔」にしているし、本作の冒頭を角田喜久雄は複数作品でパクってるし...で近いところだと「マークスの山」が本作をイタダキしていて鼻白んだオボエがある。そのくらい日本人好みの、「無残な青春」の話である。 がまあ、今の若い人が読めば「黒歴史」な話でもある...昔っからこういうの、あるんだよ。まあ評者だとわが身を顧みてあまり他人様のこと言えない立場にあるから、まさに身の置き場もないな。本作の一番悲惨な自殺者のように、恐喝した金を一銭も使わずすべて燃やし尽くして、元の仲間を夢に強引に縛り付けようとする...そういう立場にはならずに済んだことを、感謝したいくらいのものである。 そんな無残な夢のかたみに。 |
No.1 | 8点 | メグレのバカンス- ジョルジュ・シムノン | 2015/08/29 22:34 |
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ベストテン選びとかは、メグレ物には極めて縁遠いものなのだが、評者はメグレ物の中で一番好きなのがこの作品だ。
タイトル通りバカンスに出かけたメグレ夫妻。メグレ夫人の旅先での急な入院をきっかけに、半ば巻き込まれるようにメグレが旅先での事件に介入して...という話だが、まあ犯人らしい人物はただ一人で、フーダニット的な色はまったくないが、事件の背景が明らかになるのが最終盤で、そこで話が一気につながっていく快感が○。 また、メグレは自分の推理を語らないので、結果的に(未来の)「被害者を探せ!」になっている箇所があるが、この作品の最大のポイントは、犯人が自分から連続殺人を「降りて」しまうところなのである(そのためメグレが見つけた推定被害者は最大のウラ事情をメグレに話す)。 シムノンの一番イイところというのは、たとえ連続殺人の犯人であっても、鉄の如き非情の神経を持った殺人鬼ではなくて、当たり前の人間の繊細な神経をもち、恐れ惑いながら必死に抗う普通の人間だ、というところなんだよね。どちらか言えば一番非情な犯人の職業として選ばれがちな「医者」で、しかもそれらしいキャラであるにも関わらず、この犯人は殺人が殺人を呼び止められなくなることを理解し、途中で不毛な連続殺人を自ら止める。だからどちらか言えば「小説的でない」結末を迎えるのだが、それでもしっかりと「小説を読んだ」満足感があるのが、シムノン独特の円熟の味だ。類型的ではないオリジナルな良さのある作品。すばらしい。 |