皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.41点 | 書評数: 1327件 |
No.547 | 6点 | マーロウ最後の事件- レイモンド・チャンドラー | 2019/07/21 23:28 |
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さて、評者のチャンドラー短編も本短編集でコンプとしよう。「イギリスの夏」「バックファイア」「二人の作家」あたりは戦後の作品で、とくにハードボイルドというわけでもない。「チャンドラーらしい」短編は要するにこれでコンプである。本短編集は「湖中の女」「女を裁け」「翡翠」「マーロウ最後の事件」の4篇を収録。すべて稲葉明雄訳で、「湖中の女」は同題の長編の原型、「女を裁け」は創元「雨の殺人者」所収の「女で試せ」でタイトル変えた理由はなぜだろう(「女を裁け」の方が明快と思うが)。訳文はほぼ変わらない。言うまでもなく「さらば~」の元ネタ。「翡翠」は解説で「高い窓」に使われて..と書いているが勘違いで「さらば~」の中盤。アン・リアーダンが出るあたり。
「湖中の女」は長編のダイジェストみたいな雰囲気。これはこれでシンプルな良さはあるのだが、長編読んでりゃ読む理由は薄い。 「翡翠」は翡翠の買い戻しに同行して、殴られてリアーダンに会って、臭いインディアンに拉致されて監禁されて、といったあたり。これはこれでまとまりがいい。というか、「女を裁け」「犬が好きだった男」もそれぞれちゃんと辻褄が合った作品だったのに、「さらば愛しき女よ」に合体したら、わけがわからなくなったわけで、長編化ははっきり改悪だと思う。「さらば~」名作説は評者は疑問である。マロイが好きなら「女を裁け」を読むべきだ。 「マーロウ最後の事件」別名「ペンシル」は長編とは無関係の作品。マフィアから足抜けしようとする男の逃亡を、依頼されてマーロウが助けるが...という話。マーロウの協力者でアン・リアーダンが出演。スタイルが完全に戦後のマーロウになっていて、かなり貴重な作品に思う。「長いお別れ」が好きなら本作読むのが一番満足感が高いんじゃないかな。マフィアの殺人予告の「ペンシル郵送」を、マーロウがあまり真に受けない辺りがナイス。 というわけでチャンドラー短編をコンプ、としよう。ベスト5は順不同。 「ネヴァダ・ガス」「シラノの拳銃」「ヌーン街で拾ったもの」「金魚」「女で試せ」。この評価だとハヤカワ版だと「トライ・ザ・ガール」を読むと断然お買い得、ということになる(苦笑)。 |
No.546 | 6点 | 贋学生- 島尾敏雄 | 2019/07/21 22:24 |
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島尾敏雄と言うと、夢を題材にした短編が幻想文学では大変重要な作品になるのだけども、エンタメとは呼び難いので本サイトで取り上げるには躊躇する。けど、唯一の長編小説である本作は、ギリギリ守備範囲だろう。取り上げる。
戦時下の九大の学生である主人公は、戦争の成り行きと自身に待つ運命の予感に怯えながらも、奇妙なモラトリアムの時間を過ごしていた。そんな中、医学部の学生を名乗る木乃伊之吉という男と知り合い、木乃の誘いで、同じ文学部の学生の毛利と共に雲仙長崎を旅行する。この旅行をきっかけに主人公は名家の坊っちゃんを自称する木乃との交流が生まれるのだが、主人公の妹に木乃の従兄弟にあたる医者との縁談話を持ってきたり、木乃の妹が宝塚のスターの砂丘ルナで、彼女と主人公の仲を取り持とうとする....が、どの話も偶然邪魔が入って中絶する。主人公は最初から木乃のことを女形めいた「紫のかげ」とうさん臭く思っていたのだが、魅入られたように木乃に引き回されてしまう....果たして木乃の正体と、主人公に寄せる好意の真実は? という話。病的な嘘つきの巻き起こす騒動を扱った夢野久作の「少女地獄~何んでも無い」がオッケーなら本作もオッケーだろう。タイトルがバラしてるから仕方ないのだが、実在の医学部学生の木乃とは別に、主人公につきまとう木乃は逃亡中のお尋ね者の贋学生らしいのだ。主人公につきまとった理由は不明だが、男色的な興味と取れる振る舞いもあった...とはなはだ曖昧なことしかわからない。木乃が取り持つ話がいつもいつも、いつしか事故に遭って途絶するさまが、何か悪夢のようである。ブニュエルっぽいな。ここらへんで島尾の夢小説に似た肌触りを感じることもある。 まあ筋を要約しようと思えば上記のようにできる小説なんだけども、これがホントにあったことなのか、主人公が無意識的な悪意で解釈した妄想なのか、どっちにせよ奇妙に収まりが悪く、なんとも納得のいかない不条理味が持ち味。「奇妙な味」といえば本当にその通りの小説。島尾敏雄は純文学系の人だけど、本作だと純文学かどうかも、かなり怪しい。分類不能な面白さである。 |
No.545 | 6点 | 完全殺人事件- クリストファー・ブッシュ | 2019/07/21 21:40 |
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本作最大の難点は、パズラーしか読まない人にしか読まれない作品なことである、なんてね。
大昔読んだときには「何て月並みな...」と思って読み返しなんてしたことなかったのだが、本作はガーヴ風のスリラーとして読むべきだ、というのが今回読み返しての印象だ。パズラーだと思うと密室もアリバイも犯行予告も全部納得いかないだろうね。だからそっちに重点を置いちゃダメなんだ。 本作のうまい辺りは、例えば探偵像にもある。広告代理店の宣伝として注目を集めた犯罪に介入する、というのはなかなか秀逸だと思うのだよ。小説としてのオチをこれがうまく決めているしね。マッギヴァーンの「虚栄の女」が広告代理店勤務の主人公が、広報担当としてクライアントにかかった容疑を晴らす、というのがあったけど、それに近い探偵像だろう。だからあくまでも私人であって、推定犯人を追い詰めるのもそう強引にはいかない。徐々に近づいて...というあたりもガーヴ風というか、「闇からの声」みたいというか、そういう在野主人公のマンハント系スリラーとして楽しむべきなんだと思う。そうしてみると、結構面白く読めたんだがなあ。犯行予告も犯人の屈折から理解すべきだから、ハッタリと片付けたら気の毒だと思うよ。 というわけで、本作、紹介のされ方、読まれ方が間違ってる。そうそうヒドい作品ではない。 (あと創元の昔の時計のカバー、秀逸だと思う。さすが粟津潔) |
No.544 | 7点 | チャンドラー傑作集- レイモンド・チャンドラー | 2019/07/18 13:16 |
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創元=稲葉チャンドラー短編をコンプするための補完本は、晶文社から出た「マーロウ最後の事件」なんだけども、それでもブラック・マスクに掲載された3つの短編が漏れてこれは看過しづらい。が、補完する本があるんである。各務三郎が企画して「チャンドラー論」を書き、清水俊二が訳した本書、「殺しに鵜のまねは通用しない(スマート・アレック・キル)」「スペインの血」「"シラノ"の拳銃」に加えて、他でも読める「待っている」「怯じけついてちゃ商売にならない(事件屋稼業)」「殺人の簡素な芸術」を収録している。稲葉訳ではないのが残念だが、ピンポイントでナイスなコンパイルである。
補完の3作はどれも初期作で、すべて三人称。探偵役はマーロウではなくて、それぞれ別な個性がある。一概にマーロウの別バージョンに解消しづらい主人公たちなので、チャンドラー理解に重要な作品が多いようにも感じる。 「殺しに鵜のまねは通用しない」は、訳題がスゴいなあ。ただし、原題の「Smart-Aleck kill」も「しったかぶりの殺人」くらいの意味なので、意訳として通用しなくもないか。初出は「別冊宝石」らしいので、「雑誌文化」の現れくらいに思っておこうよ。本作は短編の2作目で、処女作とは探偵の名前は違っても、ラストで同じキャスカート署長(部長?)と探偵が馴れ合い気味に会話して終わる。ハリウッドが背景にちょっとだけある...と共通点も多いが、とくに良い、ということはないのも同じ。 「スペインの血」ではうって変わって主人公は宮仕えのデラグエラ警部補。事件の被害者である政治家とプライベートに友人で、その妻のために圧力に負けずに真相の解明に執念を燃やす。スペイン系と設定がずっと盛ってある。市政の腐敗の背景もあるので、社会派風の内容。なかなかいいが、一般に「チャンドラーらしさ」とされるものからはやや遠い。 「"シラノ"の拳銃」、本書の補完3作では一番いい。主人公がホテル付きの探偵、ということになってはいるが、市の有力者だった父親の遺産の分前としてホテルの所有者でもある。そのホテルの客のトラブル処理から、ボクシングの八百長疑惑、上院議員のスキャンダルなど、事件が広がっていく。展開も派手で、キャラも立っている。場面転換も唐突ではなくてスピーディ、に練れてきている。主人公も背景から、必ずしもヒーローではなくて、腐敗に多少なりとも負っている部分もあるのを意識して、屈折している。しかも、ホテルのカタギな従業員を自分の調査にかかわらせたために、とばっちりを受けて殺される、なんてトラウマまで負わされるハメに陥るが、ハードボイルドなのであまり顔には出さない。自分が騎士ではないのに、騎士みたいに振る舞わざるをえない、といった感覚が、評者に言わせればチャンドラーでも最後期の「長いお別れ」とか「プレイバック」のカラーに近いように感じる。結構必読かも?とも思う短編。 ついでなので、稲葉明雄と清水俊二の「待っている」比較でもしようか。文章としては、評者は稲葉訳だなあ、硬質な美しさがあるように思う。清水訳の方には崩れた感じがある。「チャンドラーらしさ」は意外にかもしれないが、稲葉の方を押したいよ。解釈上大きく違うのは、稲葉は女を連れて行く案を「洗濯物の籠に隠れて降りることもできる」と支持しているけども、清水は「あんたがバスケットに入れられて運ばれることになるよ」と却下している。まあこれ「死体を入れるバスケット」と解した清水が正解だろう。とはいえ「50年めの解題『待っている』」で清水訳がトニーとアルの関係を「古い知り合い」としているけども、読んだ感じでは兄弟説に近い気もする。母親に言及するのを嫌がらせな皮肉と取るかどうかもあるから、微妙なんだけどね。 というわけで、チャンドラー、短編もいろいろ面白い論点がありまくり。何か評者は「難しさが面白い」なんて感覚になってきている。一部にある清水訳絶対主義は視野が狭いようにも思うんだがなあ.... |
No.543 | 5点 | 007/死ぬのは奴らだ- イアン・フレミング | 2019/07/15 16:50 |
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本作が一番最初に紹介された007である。映画化もまだ先の話で、ポケミス重版時のあとがきが「初紹介から七年後」の話になっていて興味深い。完全な先物買いとして都筑道夫が主導して紹介したようだ。ポケミス裏表紙の作品紹介は初紹介時のそのままなのだろう。
現在、ケヴィン・フィッツジェラルド、ロバート・ハーリングなどと共にスパイ小説界の第一人者と目されている新進作家である。近代版スティーブンスンと言われるロマンチックな作風、キビキビした文体と無類のストーリー・テリングは、第一級の冒険スパイ小説となっている。 ケヴィン・フィッツジェラルドとかロバート・ハーリングって誰だろう....と調べてみると、Robert Harling は見つかる。海軍でフレミングのと同僚だっただけでなく、一緒に秘密活動していたようだ。戦後ペーパーバックで小説を書いて、フレミングの親友であり続けた人だが、翻訳紹介はなさそうだ。時代の違いを感じさせる紹介文なので、面白くなってつい脱線。 で本作の敵は黒人ギャングで、ヴードゥーの魔術を使った恐怖支配をするミスター・ビッグ。大量の古金貨が流入しているらしい...その源を追って、ボンドはNYに赴いた。旧友レイターとも再会し、FBI・CIAとも共同戦線での仕事である。どうやらジャマイカから、フロリダの魚釣用生き餌会社を経由して、金貨は密輸されているようだ。それを仕切るミスター・ビッグの手の内を探るためにハーレムのクラブに潜入した二人は、ミスター・ビッグと神秘的な美女ソリテアと対面する...ソリテアを奪うかたちでボンドはフロリダ行きの列車に飛び乗り、さらに舞台はフロリダからビッグの本拠のジャマイカにまで広がる。海賊血まみれモーガンの財宝が眠る島に、ボンドは水中を潜行して侵入を試みる! という話。実は漫画っぽさはあるけども、雰囲気がかなり地味。ヴィランのミスター・ビッグ、スメルシュの手先だそうだが、そうそう非道い悪事を働いてはいないんだよね。金密輸くらいのもの。ビジネスに手を出す者には容赦しないから、相棒のレイターが片腕を失うのはこの話。ボンドがビッグと対面するのも二回だけだし、雰囲気マアマアでも話はスローテンポで、なかなかヤマがかからない。本の半分かかってやっとフロリダ着、海を潜って本拠潜入も40ページほどで片付いてしまう。一番の読みどころは潜水しての道中の描写だから、バランスが取れないや。 まだ試行錯誤中、という印象。ストイックな冒険小説のテイストの方が強いかなあ。裏表紙での「近代版スティーブンスン」って比較は、要するに「007in宝島」ということなんだろうな。 |
No.542 | 9点 | レベッカ- ダフネ・デュ・モーリア | 2019/07/14 15:38 |
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え、なんでこんなに平均点低いんだ?と驚くくらいのお二人の評だが、英語のサブリーダーでイヂめられたことで、本作みたいな名作を貶めるのはちょいと不当だと思うよ。ほぼ完璧の大名作であり、サスペンスの大古典であって、本サイトで評を書くのも完全ストライクな作品である。なんでこんなに評が少ないんだ?と不思議に思うくらいである。
思いがけない玉の輿に乗って、名所旧跡級の荘園マンダレーの所有者であるデ・ウィンターの当主の後妻に収まったヒロインは、マンダレーでの女主人としての新生活の重責に押しつぶされそうだった。いたるところにある前妻レベッカの影。完璧な女主人として尊敬を集めたらしい前妻に、ヒロインは強い劣等感を抱く。家政婦頭のダンヴァース夫人はレベッカと一心同体だったようで、ヒロインをまったく受け入れようとしない。しかし、夫のマキシムとごく親しい人々にとって、レベッカは一種のタブーのようでもあり、その理由がヒロインには打ち明けられない...ダンヴァース夫人はヒロインに仕向けて、かつてレベッカが扮装したのとまったく同じドレスを作らせて、仮装舞踏会に登場させた。夫マキシムたちはその姿を見て、言いようもない強いショックを受けた。一体レベッカの実像はなんだったのか? 折しもレベッカの死体を載せたボートが発見される..... 「女性向け」という印象があるせいかもしれないが、ちょっと昔風の女性のくどめの内面描写も、実のところそれ自体がミスディレクション風の働きをしていて、舐めてかかるとトンデモない。それ以上に本作の主人公は「マンダレー」というデ・ウィンター家の荘園であって、事件が終わった後もヒロインも夫も、その「マンダレー」に囚われ続けるのが、裏ヒロインたるレベッカの永続的な勝利ですらあるのだ。この人工のエデンの園からの失楽園の物語として、読むと面白いのかも知れないな。それほど、次第に明らかになってくるマンダレー「そのもの」としか思えない前妻レベッカの像というものが、悪夢的に傑出しており、さらにその代理人めいたダンヴァース夫人とのヒロインの角逐がサスペンスの具体的なエンジンとなっている。 しかしね、実はダンヴァース夫人も偉大なレベッカのイメージに囚われ続けた気の毒な人のようにも思えるのだ。レベッカの仮装と同じ仮装をヒロインにさせるように仕向けるダンヴァース夫人の策略も、奇妙なまでにトラウマチックなもののようにも思える...実はかなり多義的な愉しみ方のできる、懐の深い小説である。実に潔いラストのあと、ついつい冒頭に戻って読み直して「ああこういうことなのか!」.....更に興趣が深まる小説である。後を引くなあ。 ミステリを論じる上では、ほぼクイーン・クリスティ・チャンドラーの名作級の必読書。新潮文庫で途切れることのないロングセラーなんだから、読みなさい。 |
No.541 | 7点 | 赤い風- レイモンド・チャンドラー | 2019/07/11 08:20 |
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創元のチャンドラー短編全集四巻も、評者は本書で最後になるが、稲葉明雄のチャンドラー、ということになると実はもう一冊訳書があるので、コンプ扱いはそっちを読んでからとしたいな。
本書は処女作「脅迫者は射たない」、短編最盛期の「赤い風」「金魚」、第二次大戦下で書かれた「山に犯罪なし」の四作に、1953年の「序文」で知られる文章を収録。どれもそう直接的に長編ネタになっている印象のない中編である。だからある意味一番の読み応え感があるようにも思う。 チャンドラーというと「シーンが素晴らしいが、プロットはごちゃごちゃ」という印象評がまあ、適切な作家なのだけども、処女作の冒頭、イイんだなあ。ロンダ・ファーの描写と主人公とのやりとりなんて、臨場感があってなかなかのものだと思うんだよ....まあけど、どうも事件は誘拐も絡んで派手な展開をするが、展開に今一つの納得感はない。完全三人称で主人公の内面描写もないから、場面と場面の関連性がよくわからない。 「赤い風」では一人称になるけども、関連性がよくわからないのはそう変わらない。でも本作、入ってきた男がバーの片隅でウィスキーを舐めていた男にいきなり撃ち殺される冒頭の場面、きわめて素晴らしい。チャンドラーらしい「粋」が結晶している。最後のややセンチメンタルな場面はないほうがいいようにも思うんだけどねえ。バランス悪し。 「金魚」は傑作だと思う。事件を持ちかけた気のいいキャシー・ホーン、真珠を隠し続けたサイプ、小心な悪徳弁護士マダー、荒くれ姐さんキャロル、とキャストがナイス。本作はラストにかけて秀逸な場面が続く。サイプ夫人とのやりとりなど、ハードボイルドらしいなあ。 「山に犯罪なし」は書き馴れ感が出てるけど、テンション低下は覆うべくもない。この頃は長編作家になっていて、短編作家廃業に近い状態なのに書いた本作は、時局小説まがいのものだから、何で書いたのかモチベーションの理解に苦しむような作品。バロン保安官がキャラとして精彩があるのが救いなくらい。 という感想。「金魚」が突出して、いい。 (というか、何でもそうだが、完全にわかりやすく説明しちゃうと「粋」ってモノはなくなるんだよね。チャンドラーの「粋」には「余白美」みたいなものが不可欠じゃないのかな) |
No.540 | 7点 | 狩人の夜- デイヴィス・グラッブ | 2019/07/03 00:10 |
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以前お遊びで映画オールタイムベストテンを選ぼうなんてしたことがあるんだが...うん、評者、本作ベストテンに入れたよ。それくらい、本作の映画は凄い。
監督はチャールズ・ロートンだから、イギリスの俳優さんで本サイトならクリスティ原作の「情婦」の弁護士というと通りがいいか。監督は本当にこれ一作で、赤狩り全盛期の公開当時、全然当たらなかった。けども「呪われた映画」とか言われつつも、説教師の仮面をかぶったシリアルキラーを演じたロバート・ミッチャムの怪演と「LOVEの右手、HATEの左手」の刺青をつかったパフォーマンスがサブカル的影響を与えて、日本でもやっと1990年にレイトショーで公開。そしたらあっという間にシネフィルの間でも大傑作の声が広まったという数奇な運命の映画でもある。 銀行強盗をして大金を掴んだのもつかの間で、あっさりと死刑台の露と消えた男には、男女の子供と妻がいた。奪ったカネのありかが不明なために、この親子に近づく者も多かったが、流れ者の説教師、ハリー・パウエルは妻の心を掴んで結婚にまで至る...説教師は仮面で、この男は何人もの女性を殺したシリアルキラーだった。刑務所で夫と同房になった縁で、親子がどこかにカネを隠していると踏んでいたのである。長男のジョンは、母のいない間に「カネはどこだ!」と詰問するハリーの正体を悟るが、妹のパールは手もなくハリーに手懐けられてしまっていた...ついに母はハリーに殺され、兄妹はすんでのところで川に逃れる。折しも大恐慌の真っ只中、浮浪児となった兄妹はハリーの追跡を逃れて旅をして、敬虔で親切な農園主の未亡人に引き取られる。そのクーパー夫人のもとで、他の孤児たちと暮らす兄妹のもとに、ハリーが現れる。クーパー夫人はハリーと対決する.... という話。小説としては、オハイオ川沿いの住民の生活感が溢れる、アメリカン・リアリズム小説風のタッチ。良くも悪くも信仰心の強い土地柄で、だからハリーのような食わせ者も説教師として信用されるわけである。 映画でもリアリスティックな前半から、兄妹が川に逃れるあたりで、一種のダーク・メルヘンといったタッチに切り替わるのが、何とも不思議な印象を与えるのだけど、原作にそういう素があるようだ。というのも、本作だと「子供の受難」という大きなテーマがあって、現実の大恐慌下の浮浪児たちと、この物語での兄妹、ヘロデ王の嬰児虐殺を逃れるイエスの一家の話、葦船に流された幼児のモーゼ...といった「子供の受難」の神話的な層が、幾重にも重なりあっているのだ。実際本作、ほとんどロケなしで全セット撮影のようである。これを最大に生かして、作り物めいていて、悪夢のようでもある景色の中での「子供の受難」を、「子供の目に映った」かのように描いている稀有の映画なのである。小説の「子供の目」からの「意識の流れ」風の主観的な叙述に照応しているようである。 撮影は「偉大なるアンバーソン家の人々」のスタンリー・コルテスで、アメリカの白黒映画では最高レベルの映像美を誇る名作である。クーパー夫人とハリーの最後の対決をドイツ表現主義的な光と影の美で描ききっている。クーパー夫人を演じたのはアメリカ映画のヒストリーそのもののリリアン・ギッシュ、ギッシュが子どもたちを守るためにライフルを持って、殺人鬼のミッチャムと対決する...んだが、最大の見せ場はそれに先立つ、庭に佇むミッチャムが歌う賛美歌が聞こえてくる(実にイイ声)のに、ライフルを抱えて椅子に座ったギッシュが唱和するシーンである。これはちゃんと原作にもある。 だが、それははっきりと聞こえた。空耳ではなかった。伝道師は賛美歌を歌っている。「永遠の御手にすがれ」自分自身、神の力を必要としていたせいもあるし、あの男の声をかき消すこともできるので、レイチェルもなじみのある歌詞を口ずさみはじめた 映画だと、ミッチャムは「Leaning, leaning...」と麻薬的な美声で歌うのに対して、ギッシュはその間に「Leaning on Jesus」と「イエスにすがれ」と明確にしている違いがあるのが、信仰と異端、正と邪のせめぎあいのようでもあるし、信仰と異端の紙一重の違いでもあるかのようである...魂が震撼されるような形而上的名シーンである。 わざとヘンな言い方をするが、本書は映画に忠実である。一読の価値はあるし、アメリカン・リアリズムと福音主義の危うい関係など面白い論点はいろいろある...しかし、それでも映画が強烈すぎる。原作の採点はそのワリを食ったかなあ。 北側の牧草地の先の茂みで、月から梟が静かに下りてきたかと思うと、野兎が断末魔の声を上げた。それを聞いてレイチェルは思った。小さいものが生きていくのはたいへんだわ。兎も赤ん坊も多難ね。本当に生きていくのが難しい残酷な世の中だもの。 ...これをちゃんと絵にしてる。異常な映画である。 |
No.539 | 8点 | 夢野久作全集 8- 夢野久作 | 2019/07/01 22:56 |
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友人が出てる芝居を見に行ったのだが、そこで演じられていたのが夢野久作原作で「少女地獄」「狂人は笑う」を軸にアレンジしたものだった...ちょうど手元にあったので、本作を取り上げることにする。こんなこともあるもんだ。
ちくま文庫の全集である。8巻のキーワードは収録作のタイトルを眺めれば一目瞭然、狂気と地獄である。しかしね、夢野の狂気と地獄は、それ自身ヒロイズムと結びついているようにも思うのだ。狂気に囚われて、地獄に落ちていくプロセスが、モダン日本を象徴するような英雄的な行為にいつしか変貌していくさま....これを描き切ったのが連作長編「少女地獄」だと思う。これが圧巻。 「少女地獄」は「何んでも無い」「殺人リレー」「火星の女」の三本立てで、すべて年若い女性がほぼ自爆的に自分たちを踏みつけにする男性(社会)に復讐する話である。この中でもやはり病的な虚言癖の少女を描いた「何んでも無い」が傑出している。きっかけは自分をよく見せたいちょっとした虚栄心に過ぎない。その虚栄を維持するだけでは足りず、少女は嘘に嘘を重ね、その虚構はつめどもなく膨れ上がり、収拾不能になる....いつでも少女は嘘のエスカレーションから降りようと思えば降りれた。しかし、少女は常に賭け金を吊り上げるのだ。この無謀な姿が実に英雄的なのだ。だから少女の嘘に騙された人々も、この偉観に讃嘆の思いが強くなって、少女を恨む気持ちを不思議と持てないようなものである。評者もこの姫草ユリ子に惚れる、ユニークな造形が本当に素晴らしい。 あとは「ドグラマグラ」の原形みたいな「一足お先に」にシュールな幻想性があって面白い。幻肢痛を一歩進めて切断された片足に本人が取り憑かれて、勝手に人殺しをするような幻想味がいい(と評者読めるんだがなあ...)。「瓶詰地獄」はまあ、ミステリじゃない、といえばミステリじゃないけどねえ、けど読んどかないと話にならないし。 |
No.538 | 5点 | エルサレムの閃光- ロジャー・L・サイモン | 2019/06/30 20:01 |
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ユダヤ教・イスラエル三連発のトリはモウゼズ・ワイン。周知のようにユダヤ人過激派アガリの私立探偵である。今回はロサンゼルスの「アラブ=アメリカ友好協会」の会長が爆殺された事件の捜査で、「アラブ人に雇われた」「不信心な」ユダヤ人ワインが、「ユダヤ防衛隊」メンバーの容疑者を追ってイスラエルに渡る話である。なので舞台のほとんどはイスラエル。毎回毎回舞台設定に凝る作家だが、今回はディープにユダヤ教の世界が味わえて、ケメルマンのラビシリーズは入門編に思えるくらいのもの。
ラビ・スモールの保守派はライトな世俗主義に近いけども、ユダヤ教は本当にいろいろ。本作だと神秘主義の強いハシディズムの宗派にも旧友のツテでワインがお世話になるから、それこそカバラ哲学の用語だって飛び交う。訳題の「エルサレムの閃光」の「閃光」だってカバラの用語から来ているようだ(原題は違うが)。ワインもつい周りに影響されて、ガールフレンドに「改宗しない?」なんて電話して即時却下されて目が覚める(笑)。で、ワインが追った容疑者は、メシア主義を信奉するようになっていた。この男結構イイ奴で、周囲からはメシアのような扱いを受けている...という超展開になる。まあこういう突飛な面白さがこのシリーズの持ち味なんだが、このメシアの動向を巡って、アメリカのキリスト教右翼のテレビ宣教師が利用しようとしているとか、事件に関係していそうなユダヤ教のラビは、イスラエルの議会に議席も持っていて、簡単にその過去や暗部に手出ししづらいとか、ナマ臭い話も立ちのぼる....まあ、ミステリだもんね。 評者のご贔屓シリーズなのに点が辛いのは、真相もワインの行動もモサドに筒抜けで、どうやらその掌の上で遊ばれていたようなところがあること。これやったらハードボイルドにならないんだよなあ。 ミスター・ワイン、きみの祖先の国を今度訪れるときはこれほどせわしくないように、また視野と心を大きく広げて来るように希望する。われわれも、きみように理想主義的な人間だということを覚えておいてほしい。しかし、理想的であるには、まず生き延びる必要がある。 と「タフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きている資格がない」とモサドに説教されるのである。おいなあ。確かにこのシリーズ、ハードボイルドのパロディみたいな面はあるんだけどねえ。 |
No.537 | 7点 | 金曜日ラビは寝坊した- ハリイ・ケメルマン | 2019/06/29 07:58 |
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「スミスのかもしか」に続いて本作...でユダヤ=イスラエル3連発を狙ってます。第二弾でケメルマンのラビ第一作。クイーンの従兄弟たちだってユダヤ系なわけで、クイーンがこだわったダイイングメッセージだって、カバリズムに引っ掛けて論じたのを見た記憶もある。
しかし、ユダヤ教というのも、長い歴史があって実に多様なわけである。ラビ・スモールが属する宗派は「保守派」というセクトになる。名前のイメージに反して、アメリカでできたセクトで、世俗性が強くて、ハシディズムみたいな神秘主義的色彩は薄いようだ。作中でも強調されるが、ラビ、というは「僧侶」ではない。一般信徒と同等の特権と義務しかないわけで、日本で言えば浄土真宗の坊さんみたいなものだろう。タルムードに通じた学者というニュアンスが強そうだ。主人公のラビ・スモールはそういう「学者バカ」なキャラで、これが原因で教会のメンバーの一部から排斥される騒動もあって、この顛末が面白い。 ミステリ的な部分はかなり地味だけど、伏線丁寧だからカンが良ければ分かるんじゃないかな。殺された若い女性のハンドバッグが、教会(どうやら原著もTemple でシナゴーグじゃないみたい)に駐車したラビの車から見つかって、ラビ自身にも軽く容疑がかかる。早く真相を解明しないとユダヤ人差別事件を誘発しかねないコミュニティの危機を、ラビはどう凌ぐか?ここらのドラマづくりの上手さがナイス。 「タルムードの知恵」を生かして、冒頭に信徒間トラブルをラビが裁定するけども、その結論は弁護士相談みたいな地味な民法風の解釈で、結構「ふつう」。超絶論理を期待しちゃ、いけないや。ちょっとバレかもしれないが、こんなとこに間接的な伏線が仕込まれているから、そういう丁寧な仕事を面白がる小説だと思う。 |
No.536 | 9点 | スミスのかもしか- ライオネル・デヴィッドスン | 2019/06/22 13:32 |
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入手困難の本作、やっと読めました。入手困難だからって面白いとは限らない、なんて言ったけど、本作、荘厳な美しさがある大名作である。デヴィッドスンでも最高傑作じゃないかな。大きなこと言ってごめんなさい。けど、本当に凄くて、読み終わるのがもったいなく感じたほどだ。デヴィッドスンにハズレ無し。
パレスチナの峡谷に隠れ住むパレスチナ人の世捨て人ハムドは、奇妙な情熱を傾けて、ガゼルのつがいの世話をしていた。ガゼルは繁殖していき、百頭近い群れにまで成長してきた。ハムドはこの群れが「聖地」を荘厳する神聖な生き物であるという「ヴィジョン」に突き動かされていたのだ。近くのキブツに住む少年、ヨナタンは集団生活に馴染むことなく、妹が生まれることから両親からも放任されていた。近くを遊牧するベドウィンの少年、ムサレムはベドウィンの暮らしを守る曽祖父と暮らしながら、定住に心奪われる母との間での「ベドウィンの生き方」を巡る対立に悩んでいた....この二人の少年が、世捨て人ハムドと一緒にガゼルの世話をする、奇妙な「ゲーム」が始まった。二人の少年の間に生まれる友情と、増え続け300頭ほどにまで膨れ上がった群れ。折しも、キブツとパレスチナ人の間の緊張が高まり、この峡谷あたりでも軍事的な作戦が展開されるようになってきた。第三次中東戦争(六日間戦争)が始まった! 少年たちの友情と、ガゼルの群れの運命は? ....だからね、本作ミステリとはちょっと呼び難い。けども、どんなジャンルにも収まらない。ユダヤとベドウィンの二人の少年の対立と友情が読みどころだが、それでも客観的すぎる筆致から、ジュブナイルには絶対にならない。動物小説でも戦争小説でもないし、主人公もはっきりしないから、冒険小説でもない。しかしこれは極上のエンタメである。 イスラム教もベースはユダヤ教から育ったものだから、「沙漠の民」の共通する「ヴィジョン」があって、この二人の少年と世捨て人ハムドが共有するから、宗教を超えた「ゲーム」が成立する。このガゼルの群れは、実はこのヴィジョンに顕れるイスラエルを象徴する動物、絶滅したとされる「スミス・ガゼル」である。荘厳な宗教劇のような象徴性を背景にする話なのだ。 しかしこの仮初のエデンの園は、現実政治によって引き裂かれる。荒野を戦車が行き来することで、植生は踏みにじられ、地雷原さえ敷設される。「戦争」こそが実は最大の自然環境破壊なのだ。最後に訪れるカタストロフで、大いなるヴィジョンはタダの幻影に落ちぶれるかもしれないが、それでも最後に希望だけは残っている。 素晴らしく感動的。無理してでも読んで良かった!この感動を分かち合いたいから、ぜひぜひ復刻希望。 (デヴィドスンがピーター・ディキンスンと似てる?という書評を見たんだが、評者も両方大好きだから....で考えたら、いくつかあるか。 1. ジャンル分けが無意味なくらいに型にハマらない 2. バックグラウンドは文化相対主義。文化人類学興味がある 3. 対立する世界観を奇妙に融解させて相対化する方法論 4. チョイ役キャラにも人生を感じさせる書き込み 5. 衒学的で凝ったデテール うん、確かに共通点も多いか。けどもう二人とも評者未読がほぼない。何読めばいいかな?) |
No.535 | 6点 | ナポレオン・ソロ⑤ 人類抹殺計画- デイヴィッド・マクダニエル | 2019/06/19 22:08 |
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一定以上の年齢の人はまず知ってるナポレオン・ソロ。TVの量産型007ではフェルプス君と並んで一番人気だろう。このシリーズはノベライゼーションがポケミスで16冊出てるけど、なぜかハヤカワの世界ミステリ全集にも本作が収録されている。「寒い国から帰ってきたスパイ」「ベルリンの葬送」のヘヴィなシリアス系スパイ名作と同じ巻である....本当に編集意図不明なセレクションである。巻末対談を読んだが、今ひとつ意図はわからない。謎だ。ル・カレに対する屈託みたいなものも感じるのだが....
とはいえ「人類抹殺計画」は「ソロ・ホームラン」と巻末対談でも洒落て評されているくらいに評判のイイ作品ではある。ソロが属するのは全世界的なFBIみたいな特務機関 U.N.C.L.E. だから相方はロシア人のイリヤ・クリヤキンになって、冷戦は関係ない。スペクターに相当するのは THRUSH で、マフィアめいた犯罪組織...ということになるのだが、リアリティどうこう言うのも野暮だ。しかし本作では「ダガー団」なる第三の組織が登場して、U.N.C.L.E. と THRUSH は合同でダガー団と戦うことになる、という変化球の巻である。だから THRUSH の内情を、直接ソロたちは垣間見ることになって、これがなかなか興味深い。 THRUSH のサンフランシスコ支部長の元に、ソロ、クリヤキン、それに上司のウェーヴァリーまでお世話になって、古強者の支部長が THRUSH 歴を語るのを謹聴する。THRUSH とは「反対分子除去、人類制服のための技術的天使団(The Technological Hierarchy for the Removal of Undesirable and the Subjugation of Humanity)」という長ったらしい名称の略だそうで、支部長みたいな古参幹部は「天使団」と言い習わしている。この団体は1891年に殺された数学と犯罪の両方に傑出した才能を持った教授によって設立されたそうである。例のあの人である。どうやらこの組織の最重要のテキストは「1984年」らしく、お土産に頂戴する(苦笑)。 支部長夫人のアイリーン(名前からして、あの女性?)は家庭的な良妻賢母といったキャラなのに、45口径をぶっぱなし、サンフランシスコ名物のケーブルカーを使った拷問で捕虜のダガー団員の口を割らせるのが素敵。というわけで、スラッシュ側がとってもイキイキ描かれている。 それにしても、世界を破壊してしまうほどの装置としては、みっともない感じの機械だな ナポさんアンタがツッコむなよ...うんでも単に楽しい。ナイス。 (ちなみにこのシリーズの中では、ヴィクトリア時代かエドワード時代のレディの生きた見本みたいなジェーン叔母さんとか、背が低くてまる顔で無邪気な微笑をたたえたジョン神父とか出てくる話があることで有名。侮りがたい。最後に、クリヤキンかわいい爆) |
No.534 | 4点 | リマから来た男- ジョン・ブラックバーン | 2019/06/18 20:59 |
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重版がなくて創元のブラックバーンで一番の入手難だが、入手難だから名作...ということはエンタメだもん、ないよ。「小人たち」「薔薇の環」と比較して2枚くらい落ちる。重版かからなかったのも納得。レギュラーの細菌学者レヴィン卿・元KGBでレヴィン卿の愛妻タニア・英国諜報部を仕切るカーク将軍のトリオ登場の作品である。
イギリスの対外協力相など、政治家の暗殺が続いていた。有名だったり影響力が強い政治家ではない、陣笠クラスの「なぜこの人が?」となるような小物ばかりなのだ。イギリス対外協力相を殺した暗殺者は、直後に車にはねられて死んだのだが、その血液に奇妙な原虫がいることにレヴィン卿は気づく。この原虫はドイツの狂気の学者が、南米の小国ヌエヴェ・レオンで見つけたと報告したものに似ていて、しかも暗殺された政治家たちは、何らかのかたちでそれぞれにヌエヴェ・レオンの開発計画と関係していたのだ。レヴィン卿夫妻とカーク将軍は真相を追ってヌエヴェ・レオンに旅立つ。折しもヌエヴェ・レオンではクーデター騒ぎがあり、一行の面前で協力を約束した大統領が暗殺された。これも一連の暗殺の続きのようだ。狂人学者が原虫を発見したとされる、密林の奥地「天国の窓」に向かって川を遡行する旅が始まる... という話。この原虫は感染者を気分爽快かつ気力充実させる、麻薬めいた作用がある反面、一定の間隔で地衣類から抽出した薬品を服用しないと、逆に感染者を攻撃して死に至らしめる、という麻薬どころじゃない「奴隷化」作用がある。レヴィン卿は意図的な感染源がいるのでは、と疑っていたのである....となってくると、はい、ブラックバーンらしいB級テイストが立ち上ってくるわけ。南米の奥地というわけで「黒い絨毯」みたいな軍隊アリに襲われるシーンもあって、B級テイストは皆さん、期待通りじゃないかな。けどね、安っぽいからご用心。 まあ本作、それ以上の面白さみたいなものは、残念だけども、ない。それでも川を遡る旅が「地獄の黙示録」みたいに見えるときがあるのが...隠し味かなあ。 |
No.533 | 7点 | 血族- 山口瞳 | 2019/06/16 23:57 |
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ぎりぎりミステリの枠の入るので、評者も取り上げたいと思っていた作品である。tider-tiger さんもセンスがいいなあ。
とはいえ、評者が本作を知ったのは、1980年のNHKのドラマ人間模様に取り上げられたのがきっかけ。早坂暁脚本、深町幸男演出、武満徹音楽で、小林桂樹主演..と早坂・深町・武満トリオはこのシリーズだと「夢千代日記」でNHKドラマ黄金期の頂点を画したようなものだろう。ドラマでは、主人公の子供の話もあって...と少し話がつくってある。ゴロ寝する主人公の母(小川真由美)の足裏を雑巾がけついでに、嫁が拭くエピソードが原作そのままに採用されていたのが印象的。もう一度見てみたいな。どうやらNHKのアーカイブにはあるらしい。 で、小説の方だが、こっちは調査プロセスを丹念に追っていく。世間一般の家庭からは結構毛色の変わった一家だったわけだが、主人公の母が本当に魅力的に描かれている。そして、過去について妙に歯切れの悪い親戚たちと、どんな関係なのか不明な「遠縁」の人々....そして誕生日が数ヶ月しか違わない「兄」。この一家の「謎」を主人公は調査していく.... けどね、実のところ作者は本当は薄々真相を知っていたのである。だから、調査というよりも、実際に作者が自分の出自を確認し納得するための旅なのである。そして明らかになる「血族」ならざる「血族」たち...逝きし世の庶民が、肩寄せあって暮らすその生業を作者は古新聞などから推測し、この「血族」たちの諦念を作者は追感しようとする。もはや直接語りうる人々は、ほぼ皆鬼籍に入り、確かめようもないことも多い。それでも作者は細々としたことを納得し、我が身の上に実感しようと調査を続けるのだ。まさに己事究明、ということである。自分の由来というものが、自分によって最大のミステリなのである。 |
No.532 | 4点 | 憲兵トロットの汚名- デイヴィッド・イーリイ | 2019/06/16 14:50 |
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短編名手イーリイの初長編である。
第二次大戦直後のフランスに進駐する米軍の憲兵トロットは、同僚マレイのヤミ容疑による逮捕をわざと逃した疑いで、同僚たちから責められていた....嘲る後任者をはずみで殴り殺したトロットは脱走してパリを目指した。何としても疑いを晴らして、根源のマレイをこの手で捕まえるんだ... と復讐に燃えるトロットを主人公とした...と思わせながら、実はそういう小説ではない。確かに導入はそのとおりなんだけど、あっさりトロットはマレイと行きあってしまい、行き場のないトロットはマレイが属する、偽憲兵をつかった美人局一味に加わることになる。なので、トロットとマレイの腐れ縁の話といった感じのものだ。トロットは手柄を立てて返り咲きたい心もあって、何回もマレイを密告しようとするが、そのつど邪魔が入ってうまくいかない。そのうちに、この美人局一味も空中分解し、なんやらナチ残党絡みらしい話に巻き込まれていく.... まあ、なんというか、ヘンな話である。イーリイらしいヘンさかもしれないが、どうみても不発。トロットの心理を書き込みすぎてて軽快さがない。トロットも何となくマレイに丸め込まれて、しかもマレイ、裏切られるのを承知しながら恩を売るような、食えない悪党である。本当に腐れ縁としかいいようのない、しょうもない関係である。シーンをうまく短編で切り取ったらそれなりに面白いのかもしれないが...ちなみにトロットもマレイも、憲兵でも所属はCID(犯罪捜査部)だから、刑事みたいなものである。悪徳警官モノの変形かもね。 次の「蒸発」とかもっと面白いんだがねえ。 |
No.531 | 6点 | 飛越- ディック・フランシス | 2019/06/16 11:50 |
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フランシス競馬スリラーというと、大人気だったけど、評者特に思い入れがないシリーズである。そこらへん87分署と似ているかもね。
客観評価で見ると、とくに込み入った謎があるわけでもなくて、オーソドックスな冒険モノということになるだろうか。前半で分かる輸出を巡る詐欺行為は、実は今の日本でも消費税をネタにして流行中の手口だよ(苦笑)。 でまあ、本作筋立てなんてホントはどうでもいいのだろう。生まれだけは伯爵の嗣子で、貴族のボンボンと舐められるのが癪なモラトリアム主人公が、アマチュア騎手とか(これもアマチュアの)飛行機パイロットとして、自分の「オトコとしての価値」を証明しようとしているが、両方の知識を活かした競走馬空輸に意地で就職して事件に巻き込まれ....というこの主人公設定自体が、ツボな人はホントにツボなんだろう。ハイソで上品な「ロッキー」みたいなものだ。斜に構えた評者とかだと「男ハーレクインじゃん」となると言えばなるんだけどもね...まあ評者、ハーレイクインにも男ハーレクインにも、別に悪気があるわけじゃない。 まあ好きな人は好きなんだろうね、と思う。いいじゃないか。 |
No.530 | 5点 | 緑色遺伝子- ピーター・ディキンスン | 2019/06/15 19:29 |
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ディキンスンというと、ミステリ枠の作品でもSFっぽい設定があったり、本作みたいに一応SF枠だけど人種差別と文化摩擦を扱ったリアルテイストだったり、ジャンル分けが無意味な作家の代表みたいなものだろう。
いつの頃からか、白人の親から緑色の赤ん坊が生まれるようになったイギリス。この緑色人種を生み出す遺伝子は、ケルト系と関係があるようで、ケルト&緑色人種からサクソン人を守る、厳格な人種隔離が施行されていた。そこにインドから、天才的な医学統計学者ヒューマヤンが、この緑色遺伝子の謎のヒントを掴んだことから、イギリスで研究するように「人種関係局」によって招聘された。滞在先は人種関係局の幹部グリスター博士の家、その2人の娘、ケイトとグレンダとも親しくなるが、緑色人種のメイド、モイラグの敵意に悩むようになる。差別を受けるケルト系過激組織のテロが頻発するなか、ヒューマヤンはモイラグ殺害、グリスター邸の爆破に続いて、過激組織に誘拐された.... という話。ヒューマヤンは天才的な科学者だが、迷信的な信仰も両立する規格外の人物。もちろん、実在の天才数学者ラマヌジャンの面影がある。ディキンスンは、ちゃんとしたリアルな科学者らしさがありながら、それから逸脱する神秘主義を両立させる、言ってみればニューエイジ風の科学者像が得意(「生ける屍」でも「毒の神託」でも...)だが、これがバカバカしく浅薄に見えないのがさすがのところだろう。でもね、ディキンスンの才筆をもってしても、ラマヌジャンの内面を描こうというのは無謀すぎる。 しかし本作だと、この緑色遺伝子に関するヒューマヤンの結論が今ひとつ不明だ。そして、ウェールズやコーンウォールのようなケルト文化の残る地帯、そもそも別国だったスコットランド、ケルト文化の「緑」の島であるアイルランド...と今でもイギリスに残る文化的な差別と軋轢感が、日本人だとピンとこない。難しいなあ。せいぜいIRAくらいなら宗教対立で何とかなっても、本作の人種差別体制はもっと「肌合い」に近いような微妙なものをベースにしているのだろう。 まあ、エンタメとしても今ひとつ歯切れが悪い話。コンピュータにヒューマヤンが仕掛けを施すのだが、訳文なのか、時代なのか、作者のコンピュータ理解の問題なのか、今ひとつ何がなんやらわからない。けどこれは明白に訳の問題だろう。 その負者(マイナス・ワン)が想像上のふたつの立方根を自身以外にもっていて.... 「想像上」は imaginary だからこれ明白に「虚数」のことを言っているんだよ。数学用語は意外なくらいにベーシックな英単語が術語になってるから、気をつけなきゃね。 |
No.529 | 7点 | 雨の殺人者- レイモンド・チャンドラー | 2019/06/15 18:46 |
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創元のこの巻は「大いなる眠り」のネタ2つ「雨の殺人者」「カーテン」、「さらば~」の元ネタ1つ「女で試せ」、三人称ハードボイルド単発「ヌーン街で拾ったもの」、ファンタジー「青銅の扉」という5本立て。
「雨の殺人者」は妹娘側の話、「カーテン」は姉娘側、とそれぞれ別な女性の話を「大いなる眠り」では姉妹として合体させたのが面白い。短編で読んでみると、こっちのが話の辻褄が合いやすくてイイようにも思うんだが...長編版でオミットされたドラヴェックの結末が評者好きだなあ。ちなみに「オレだって知るものか!」とチャンドラー本人も開き直った、運転手殺しの真相は元ネタの「雨の殺人者」でもはっきりしないのがご愛嬌。 「ヌーン街」は三人称でマーロウ物よりも派手にバイオレンス寄り。映画的でスピーディな話で、ありきたりとはいえ、マーロウ物が避けがちで評者とかとても不思議だったハリウッド内幕のネタなのも、映画風味。クールでドライな語り口がナイス。 「青銅の扉」はチャンドラーの英国趣味全開な不思議犯罪小説。ハードボイルドな味はまったくないが、やたらと達者なのが逆に新鮮。今更言うのもなんだが、小説上手だ。 で、「女で試せ」は大鹿マロイを巡る話のちゃんとしたバージョン、という感じのもので、「さらば」だと実のところ枠組みくらいでしかなくて、中途半端な扱いなマロイに、きっちりドラマを作ってみせている。なので後半はほぼ別物で、「さらば」はマロイのキャラを借りただけ、という気がしないでもない。 というかね、日本の読者はチャンドラーをまず長編で読んで、それからファンが短編を読む、という流れになるのは当然なんだけど、作品の成立ももちろん逆だし、「ハードボイルド書き下ろし長編」という出版形態の意味を考えたときに、実のところ「ブラック・マスク」に掲載された短編の方を軸に考えた方のがチャンドラーという作家をちゃんと理解できんじゃないのかな? 執筆時ではパルプ雑誌での「書捨て・読み捨て」だった、小説家としては最底辺レベルの仕事の中で、アメリカ文学の最良の部分が育ってきた...という歴史的な皮肉があって、それが一躍クノップ社ハードカバーの「長編ハードボイルド」に仕立て直されて、表舞台のビジネスに乗って「ハメット・チャンドラー・マクドナルド・スクール」とか呼ばれちゃう流れを通じて、チャンドラーを理解する必要があるんじゃないかとも思うのだよ。 本作の短編は、長編の試作でも、元ネタでもなくて、それ自身で独立した生命を備えた作品、と読んで行きたいと思うんだ。どうだろう? |
No.528 | 8点 | 隅の老人の事件簿- バロネス・オルツィ | 2019/06/10 21:56 |
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一口に「ホームズのライヴァル」と括られる短編ミステリ専門ヒーローがいるわけだけども、評者の見るところ、そのうち3人だけが「名探偵」から意図的に逸脱しているように思うのだ。「隅の老人」「プリンス・ザレスキー」少し時代が下るが「ポジオリ教授」、この3人は短編で謎を解き明かしながらも、いつしかその謎の彼方に消えていくような印象を評者は受ける。
というわけで評者「隅の老人」を非常に買っている。正体不明、紐を結んだり解いたりする奇癖、犯罪に強く共感する反社会性に加えて、純粋に新聞・検死審問などのオフィシャルな情報だけを語って、未解決の事件の真相を解釈してみせる....ひょっとしたら、その推理はまったくデタラメなホラ話なのかも知れないし、聞き手のミス・バートンを誤導するためのミスリードなのか、本当のところ、よくわからない。 実際、物語の結末が証拠によって隅の老人の推理が裏付けられる話は(おそらく意図的に)ほぼないし、推理の結果因果応報というのも、作中で描かれはしない。語られる検死審問の詳細も、ただ単にリアリティを与えるための口実に過ぎないかのようだ。ありふれた金銭欲などの卑小な動機しか描かれないし、突飛なトリックはなくて、ありふれた人物誤認のバリエーションがあるだけだ。本作のリアルと老人の穿った解釈は互いに食い合って、あたかも奇怪な結び目と化しているかのようだ。 だからこそ、「隅の老人最後の事件」がああいう結末であっても読者に対する裏切りではない。あれは、ああでなくてはいけないのだろう....隅の老人は消え失せる。それこそミス・バートンが見た血なまぐさい悪夢のように。老人がすべての事件の犯人なのかもしれないのだ。 (隅の老人は、新聞とか検死審問とかパブリックな情報源だけで推理するわけで、自身の調査などアクティブな捜査を一切しない探偵、という意味で「安楽椅子探偵の先駆」という評価がされたのでは?という気がするんだよ。「安楽椅子探偵」という字面とその後の概念の成立に引きずられて、否定するのはどうかと思うんだが...) |