皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1312件 |
No.952 | 6点 | プレーグ・コートの殺人- カーター・ディクスン | 2022/03/15 22:13 |
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有名作ではあるんだけどもねえ...いや評者あまり密室って好きじゃない。推理しようがない密室って多いから、作者の得たり賢しな謎解きを聴いて感心するか、というとそうでもないことも多い。「カッコイイ密室」って実はそうとう難しいんだと思っているよ。
特にそう思うのは、被害者の内緒の狙いと、協力者の思惑、というあたりが、実は本作はあまり噛み合ってないようにも思うんだ。被害者による演出がなくても、この密室って成立するわけだし。怪異譚の合理的な謎解き、という面では心霊家の被害者に演出の狙いがあるのが当然なんだけど、それと密室の謎がごっちゃになっているようにも感じられる。 フーダニットの方は....いや、これ当たらないでしょう。無理筋、という評価の方が自然じゃないかな。 まあ、交霊術のいろいろなトリックをそれとなく教えてくれるとか、そういうあたりが面白いかな。やはりカーはオカルトをキャンプ趣味で面白がるタイプなんだろう。 (思うんだが、カーとディクスンの違いって、「アメリカ人から見たイギリス」なのを意識しているのがカーで、完璧なイギリス人のフリをしているのがディクスン、という気がする。どうだろう?) 追記:どうしても気になるので..(バレ) これって外したときに、証拠を回収できないから、簡単にバレる。いくら旋盤を使うからって手製だし、ヒビが入っていて爆散とか、バランスが悪くて軌道が安定しないとか、頭蓋骨など表面にある骨に当たって刺さらないとか...モース硬度2だそうだから、そもそもあまり硬いものではないようだ。通常モードなら被害者の協力で何とかなるんだろうけどもね。 |
No.951 | 4点 | 黄金の鍵- 高木彬光 | 2022/03/13 12:28 |
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評者も人並さんとは世代が近いせいか、墨野隴人シリーズにはほぼ同様の経緯で触れている。本作(1970)と次作「一、二、三――死」(1974)とは間が4年ほど空いていて、墨野初体験が「一、二、三――死」の方。で、その次の「大東京四谷怪談」(1976)がガチのリアルタイムで「高木彬光最新作」。何となく第一作は読まずにすませてしまい、ずいぶん後になってそれでも墨野の正体が気になって「仮面よ、さらば」を読んだ、というのが評者の経歴になっている。
だからね~「一、二、三――死」とか「大東京四谷怪談」が懐かしいから、それなら墨野隴人シリーズ最初から全部読もうか、と思って未読の本作。人並さんも似たようなこと書かれているので、やはりこの第一作は埋もれた印象が評者も強い。 小栗上野介の徳川埋蔵金を巡るロマン...と言えばそうなんだけど、墨野が語るそれなりに納得感のある推理が、ちょっと読者を騙すような妙な内容になっていることもあって、本作はそのロマンに納得がいかないや。まあ、歴史の謎の宝探しだから、小説の中でどう結末をつけるのか、ってやたらと難しい。決定的証拠を見つけちゃったらリアルで大騒動を引き起こす(それも面白いが)。なので本作は題材からしてその「ロマン」で失敗せざるを得ないようにも思うんだ。 で、殺人の真相もつまらないもの。やはりイマイチ評価は避けられない。 ちなみに人並さんも気になされた「黄金虫とデュパン」「クロフツ警部」は、しっかりと光文社文庫(1998)でも生き残ってます。まあ、このシリーズ立役者の「愉快な未亡人」村田和子女史、こういうキャラだからね~(苦笑)伏線と言えばそうかもよ。で墨野とマタハリの娘の悲恋話って、そりゃ面白いけどさ、上松のホラでしょうよ。 まあでも本作の不出来は気にしない。個別作品をまたいだ「シリーズ伏線」を楽しむつもりだし、この後2作が楽しみ。 |
No.950 | 7点 | メグレ夫人のいない夜- ジョルジュ・シムノン | 2022/03/12 10:07 |
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好み。ミステリとしての名作じゃないけども、皆さん同様にシムノンらしさ炸裂の好編だと思う。
原題は「家具のメグレ」くらいの意味で捻りすぎなんだけど、メグレ夫人がアルザスの妹の看病で、メグレに舞い込んだ「突如の(臨時)独身生活」。それをうまく織り込んだナイス邦題だと思う。 だから、メグレは事件の起きたアパートに住み込んで、その住人や気立てのいい家主とも仲良くなる。いやこれが昔風の下宿、といったもので、「めぞん一刻」と言ったらまさにその通り。家主クレマン嬢は響子さんで、メグレは五代くん。だったらラブコメ?かもしれないけど、メグレだからまあそうはならない....はずが、ラブコメもロマンチックも、ある。「男をかばう女の話」というテーマが隠されているのを、メグレは察知する。 ジャンビエが撃たれるなんて物騒な発端だけど、最終的には大岡裁き。甘いって言えば甘いけど、捕物帖テイストといえばそうかしら。ひょっとしたら、女性人気が突出して高い作品かもしれないよ。 犯人との対決・取引とか、よく書けている作品だと思う....メグレらしさ、が存分に発揮された作品という意味だったら、名作かも。ラポワントくん、調査は役立たずで残念、お疲れさま、ジャンビエのファーストネームは、アルベールだそうだ。 |
No.949 | 6点 | びっくり箱殺人事件- 横溝正史 | 2022/03/09 18:20 |
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最近の読者は「金田一じゃないから」と本作読まないんだろうか。それももったいない話。上機嫌なユーモア・ミステリなんだけどねえ。
というか、横溝正史の戦後の「本格の鬼」のイメージが強くあるせいか、戦前の「新青年」編集長をしていた頃の「モボの教祖」の側面が、どうも見過ごされがちのようにも感じる。横溝編集長期に「新青年」は、「探偵小説雑誌」のカラーが薄れて、ナンセンスとユーモアのお洒落なモダン雑誌の色合いを強めた経緯もあって、そこらから見ると、実は本作みたいなのが横溝正史の「地」なんじゃないかと思うくらい。本作の洒落た戯作調なんて堂に入ったもので、余裕で書いていて、とても楽しい読み物だ。 終戦直後の世相もいろいろシャレのめして取り入れて、安吾か砂男かな名調子で綴られるレビュー殺人事件! でも、ミステリの骨格は結構しっかり。ネタはチェスタートンのあれだったりする。でも小見出しが全部当時の映画タイトルを捻ってつけていて、それを本文中でもセリフに登場させるお遊びもあれば、 ユネスコとはフラスコの一種にして、ペニシリンの製造に用いられる とかね、そんなギャグが満載で、戦後の世相に詳しいとかなり楽しい。解説によると探偵作家クラブの文士劇に使われたそうだから、ウケただろうな~ 角川文庫だったから「蜃気楼島の情熱」を併載。こっちは金田一。でも結構仕掛けが見え見えで、さらにの逆転あり?なんて思ってたら、なし。残念。ちなみに耕助パトロンの久保銀造登場作で、怪しい関係にしか見えない(すまぬ)。 |
No.948 | 7点 | 闇に葬れ- ジョン・ブラックバーン | 2022/03/09 09:04 |
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評者は子供の頃、ウルトラマンやウルトラセブンよりも、断然「怪奇大作戦」や「ウルトラQ」の方が好きだった....そんなテイストが横溢していて、論創社のブラックバーン3冊の中では一番面白い。ただしSF色がやや強いので、それほど怖くはないな。
本作はレギュラーのカーク将軍もレヴィン卿夫妻も登場しない。レギュラーなしで多視点でモザイクのように話が組み合わさって、群像劇のような印象になって、これがいい。話の中心の十八世紀の奇人芸術家の墓を開けるプロセスが、さまざまな障害に直面して、難航するさまがなかなかサスペンス。中にあるのはロクでもないものに決まっているのだがね。でもダムによる水没のタイムリミットに向けて、墓を開ける側とそれを阻止する側の暗闘が、ジリジリするような気分を盛り上げる。ここらへん、実に上手。 墓が開いたとなると、それからは爆発的な勢いで世界の終末の危機が訪れ、ラストまで一気に押し切られる。ラヴクラフトの「ダニッチの怪」の構成に倣ったのかな。読者をノセて読ませることについては、確かな技量のある作家であることを、改めて実感。 まあ、ネタがチープとか、前半のホラーから後半のSFへの転換とか、切り札の説得力が?とか、あるんだけどさ。評者は映画だって話の筋立てよりも、演出の切れ味とか映像美とかをずっと評価するタイプだから、そんなの気にしない。ブラックバーンはネタ作家ではなくて、優秀なエンタメ作家である。 (ブラックバーンは翻訳はコンプ。もっと出ないかしら?) |
No.947 | 8点 | 拳銃売ります- グレアム・グリーン | 2022/03/07 17:59 |
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兎唇に生まれ父は絞首刑、母は自殺と世の中の不幸を一身に背負ったようなギャング、レイヴンは依頼を受けてヨーロッパ某国の大臣を暗殺した...ロンドンに戻ったレイヴンはエージェントから報酬を受けるが、そのカネは金庫破りで紙幣にアシがついた金だった。追われるレイヴンは自分をハメた男チャムリーとその黒幕への復讐を誓って、イギリス北部の町ノトウィッチに赴く。その途中でレイヴンと関わり合った娘アンは、レイヴンを追う刑事マザーの婚約者でありながら、次第にレイヴンの復讐に関わっていく...
グリーンのエンタメテイメントでも、代表的な作品と言えるだろう。実際、この筋立てならば、ホントにノワールらしいギャング小説なんだよね。しかし、グリーンだからこそ、各人物の心理描写が独自であり、それぞれがそれぞれを裏切りる痛みを抱えながら、活劇として結末まで転がっていく小説である。 言い換えると、ギャング小説の中に「罪と許し」といったカトリック的主題が乱入してきているようなもので、実際そういう宗教的要素が逆に「ギャング小説」が備えている「モノガタリの原型」を露呈するような瞬間というのが、確かにある。 だから「ギャング小説」と「宗教的主題」がそれぞれを「裏切り」ながら絡み合って互いに侵食しあう「逆転の小説」とも言える。追う者は追われるものに、裏切りゆえに愛され、ワルモノは聖者に...さらに、そこに社会的なテーマも加わってきて、このレイヴンが依頼された暗殺事件が、戦争をわざと引き起こすためのきっかけに利用されるものだ、というような背景も本書が書かれた第二次大戦直前の緊迫した状況も反映している。 なので、かなり多面的な小説である。筋立てを追うのもよし、悲惨な生い立ちのレイヴンをダークヒーローとして捉えるのもよし、登場人物の相互の裏切りの話として「人間の悪」に思いを寄せるのもよし。それでも、評者は、 彼は自動拳銃を手にして、流しの下にじっと坐ったまま泣きだした。泣き声は立てなかった。涙が蠅のように、自分勝手に、目の隅から流れ落ちるようだった。 こういう表現に打たれる。レイヴンの復讐は意図せず結果として、世界を戦争の瀬戸際から救うのである。 (ひょっとして「蠅」は「縄」の誤植か?まあ、どっちでもナイス) |
No.946 | 5点 | シャーロック・ホームズの優雅な生活- マイケル&モリー・ハードウィック | 2022/03/06 14:58 |
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ビリー・ワイルダーの1970年の映画「シャーロック・ホームズの冒険」のノベライゼーション。内容は正典にはないオリジナルで、「ホームズの私生活(原題)」に関わる事件なのでワトスン博士没後50年たって初めて公開された手記による...という設定。映画の企画は計4時間の超大作で撮影もされたようだけども、配給の都合で2時間に。編集で生き残ったプロローグ扱いの「ロシア・バレリーナを巡る奇妙な事件」と本編のネス湖の怪物を巡る話のみの映画そのままの内容を、忠実にノベライズしたもの。
ごめん、映画は見てない。ワイルダーらしい洒落たコメディなんだが、駄作、という声も高いみたいだ。 ...しかしね、ノベライズ担当のハードウィック夫妻が名うてのシャーロキアンというのもあって、記述などパスティーシュの楽しさがよく出ている。で、原注のかたちでハードウィック夫妻が、映画の設定の考証をして「おかしい!ワトスンの思い違いorわざとの韜晦か?」とツッコミを入れているのが笑える(苦笑)。たとえばプロローグ扱いのロシア・バレエは、ディアギレフまでロンドンを訪れていないし、白鳥の湖は20世紀にならないと流行らない...なんてツッコむ。ホームズ&ワトソンがバレエ団に呼ばれた事件は、プリマがホームズの胤を欲しがった、というお笑いな理由。それをホームズはワトソンとの同性愛関係を持ち出して拒絶する! いいのか、これ(笑) 本編はテムズ川で溺れかけた女性がベーカー街に運び込まれて...でシリアスに始まる話。でも最後はヴィクトリア女王まで登場してハチャメチャになっていく(苦笑)。それでもねパラソルを使った通信とか映画で見たら感動するよね、という評判のいい場面もあるから、ワイルダーらしい洒落た部分もないわけじゃない。 ちなみに、この話で登場するマイクロフト・ホームズは、ダイエットに成功したそうである。演じたのはクリストファー・リー。この人、シャーロックも演じているから、ホームズ兄弟を両方演じた唯一の役者だそうだ。 映画もノベライズも両方珍品の部類。でも「恐怖の研究」がノベライゼーションのヤル気のなさでホームズらしくないのと比較したら、ずっとマシなものだよ。 |
No.945 | 5点 | 時計は三時に止まる- クレイグ・ライス | 2022/03/05 20:36 |
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先日やった「家の中の見知らぬ者たち」の主人公ルールサが酔いどれ弁護士だったから..でもないが、酔いどれ弁護士といえばご存知J.J.マローン。そのデビュー作だからもれなくジェイク&ヘレンのコンビもついてくる。「飲んで騒いで~~」の連続でなかなか楽しいし、とくにヘレンがスクリューボールコメディのヒロインっぽくツンデレぶりを発揮して、なかなかよろしい。ジンジャー・ロジャースとかああいった辛辣で行動的なタイプ。会話も洒落ていて、映画にしたら向いてそう。ヘレンが全部おいしいところをかっさらっていくような印象だし、ライスの「理想の自分」みたいなものが投影されているのかな。
なんだけど、ミステリとしては「こんな真相だとイヤだな」と第一感で思うようなのが真相。家の中の時計が全部止まっている理由も、屁理屈を聞いてるみたいな気分。話のデテールは楽しいんだけどねえ...あと意外に話の展開にメリハリがない気もする。デビュー作だからそんなものか。 (評者、マルクス兄弟みたいなのが「ファース」だと思うんだがなあ...カーだと「盲目の理髪師」はファースだけど、「連続殺人事件」はスクリューボールだと思う) |
No.944 | 6点 | 新・黒魔団- デニス・ホイートリー | 2022/03/04 22:51 |
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ナチスが黒魔術を使って世界征服を企むのを阻め!というイカニモな設定の元祖がこの小説。しかしね、本作は1941年の作品で、言うまでもないが第二次大戦はまだ序盤。フランスは降伏し、ロンドンは空襲を受け、アメリカの参戦はまだ、という一番暗い時期に書かれた本。「愛国的」ではあるけども、イギリスのエンタメの懐の深さみたいなものを感じる。評者が書いている今もウクライナで戦争が起きていたりもするのだが、何か勇気がもらえるようにもね。
「黒魔団」の続編なので、ド・リシュロー公爵と3人組にマリー・ルーが引き続き活躍する。大西洋で輸送船がドイツ海軍に待ち伏せされて拿捕・沈没があい続いた。情報漏洩か?相談を受けたド・リシュローはそれが黒魔術を使った諜報活動ではないかと考え、輸送船に霊魂を飛ばして監視。果たして黒人呪術師の霊がスパイをしていた。呪術師の霊と闘争するが、ド・リシュローさえようやく逃れたほどの実力者だった。このナチスに協力する呪術師の本拠がハイチにあることを調べたド・リシュローと友人たちは、ハイチに乗り込む。ヴードゥーの魔術、それにゾンビの脅威が一行を待ち受ける... こんな話。今見るとコテコテ、といえばその通り。でもホイートリー自身は神智学や魔術結社とも関係があった人物でもあるから、そういう知識を踏まえて書いているし、ヴードゥーの儀式の描写も詳細でリアル。オカルト的手段で戦うんだけども、退魔グッズはただの依り代で「自分の力で戦う」という敢闘精神が強調される。戦争中で戦意高揚の要素はあるが、それって大事なことだなあ... まあでも肩の凝らない活劇でリーダビリティは抜群。「黒魔団」は平井呈一の最後の訳業だったから、この続編にはかかわっていないけども、ド・リシュローは公爵のクセにべらんめえ。訳者の平井呈一リスペクトがうかがわれる。 (あと言うと、本作007,とくに「死ぬのは奴らだ」の元ネタみたいな小説だよ。この本の解説によると第二次大戦中、フレミングと直接関係があったみたいだし、小説の影響関係もフレミングが認めているようだ) |
No.943 | 7点 | 家の中の見知らぬ者たち- ジョルジュ・シムノン | 2022/03/03 20:57 |
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メグレ物ではないけども、しっかりミステリ。しかも法廷ものだったりする。
それでもシムノン、一筋縄ではいかない。主人公は街の名家の当主で弁護士のルールサ。でも...妻に逃げられたことで18年間引きこもりの生活を続けている。置いてきぼりの娘ニコルがいるが、ルールサは関心を示さずに育ち、二人の関係は冷淡なものだった。しかし、ある晩ルールサは銃声を聞いた気がして、館の中で死体を発見する....ルールサの無関心をいいことに、ニコルは男友達たちと気ままに館の一室で遊び暮らしていたのだった。ニコルと愛し合うその男友達の一人が、逮捕されて裁判になるが、弁護に立ったのはルールサだった。 事件をきっかけに、引きこもり生活から脱出し、娘とも向き合い、18年間無縁だった町の人々や街の景色を改めて見つめるルールサの視点に、魅力がある。引きこもり探偵っていうと、「刑事くずれ」のミッチ・トビンという例もあるけども、ルールサは一日4瓶のワインを平らげるアル中で、ルンペン風の身なりの汚さがあるから、カート・キャノンにも近いか。まあ、アル中探偵は今はけっこう、いるな。 シムノンだから、こそかもしれないけども、このルールサの「復活」の描写が全然押し付けがましくないし、本人もそれほど気負ってないのが、何かいいところ。事件が解決してルールサの街の評判はグッと改善するのだけど、ルールサは「社会復帰」なんて恥ずかしがって(苦笑)自堕落にまた戻る。けども、ちょっとは世の中に肯定的になっているし、周囲とも改善して... いやなかなかイイ話。でも相当キャラも事件もひねくれている。それをすんなり見せることができるシムノンの剛腕、ということだろうか。シリーズにでもすればよかったのに。 |
No.942 | 7点 | 鏡の国の戦争- ジョン・ル・カレ | 2022/03/02 09:22 |
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その昔「国家は幻想だ」といういい方が流行ったことがあるわけだけども、国家のために命を懸けて非合法活動をするスパイに向けて「国家は幻想だ!」と言い切った場合に、いったい何が起こるんだろうか?
本作で一番興味深い部分は、最終的に東ドイツに潜入する工作員ライザーの訓練プロセスそのものだ。バディに当たる立場でともに訓練を受ける若手のスパイ官僚エイヴリーを中心にこの作品が描かれるわけだけども、この訓練を通じて、ライザーの心理を巧妙に操作して「仲間意識」やら「一体感」やら「使命感」を醸成するのが、事実上エイヴリーの役割だったりする。このプロセスが丁寧に描けているのが、本作の一番の手柄のように感じる。 スパイ活動そのものは、実のところ検証可能なものですらない。「それが役に立つか?」という具体的な戦術的有効性以上に、当事者の「幻想」に支えられている、というのが、根本に横たわるどうしようもない事実なのだ。 しかし、そういう「幻想」に囚われた工作員を使って営まれる本作の「作戦」がとんでもなく愚かしい。作者の分身でもあるスマイリーは、その愚かしさを指摘して幕引きをするのだが、ではスマイリーに戦時体制そのままの古臭い作戦を批判する資格があるか?といえば、たとえば「寒い国から帰ってきたスパイ」での役回りを考えたら、単純にそうもいかない。本作でスマイリーを「いい子」にするのは、評者はためらわれるなぁ。 そこらを踏まえての評価になる。 |
No.941 | 7点 | 幻月楼奇譚- 今市子 | 2022/02/27 12:32 |
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今市子の看板シリーズの「百鬼夜行抄」は、ミステリ的記述技巧を活用した語り口の怪異譚、というものだけども、このシリーズは真逆で「怪異ありの世界で成立するミステリ」という色が濃いことを、6巻が出たのを機に読み直して実感したので、本サイトでも取り上げることにする。
いや実例。最新6巻の最後の話「其ノ二十四」。舞台となる吉原のお茶屋「幻月楼」に逃げ込んだ少女が消失する(ある意味)密室の謎。周囲はその少女が売られた置屋の男衆に厳重に見張られ続け、2回の家探しでも見つからない....「白装束の花嫁行列が遊女屋から出て行って消え、それを目撃した者に祟りがある」という怪談話を思わせるような目撃談と女中の急死がどうかかわる? こんな謎設定。「夜は開けてはならない」とタブー扱いされる勝手口を絡めて、怪異と人間消失の両方が鮮やかに解決されるし、見つかった少女を幻月楼から脱出させる主人公たちの計略も怪談話をうまく絡めたもので、「無駄なく」まとまった短編ミステリになっている。 昭和初期の吉原のお茶屋「幻月楼」を主な舞台とする。主人公は老舗の味噌屋の若旦那、鶴来升一郎と、全身に刀傷のある幇間の与三郎。升一郎は「素っ頓狂」な馬鹿旦那のフリをして吉原で放蕩三昧、でもなかなか鋭いところを見せ、「怪談しか芸がない」とされる幇間の与三郎との間で掟破りの「旦那」に納まっているあたりがBL(けど極端に薄味)。与三郎は瀕死の体験をしたことで怪異が「見える」能力を得て、幻月楼を巡って起きる怪事件の数々に絡む因縁に感づくのだけども、この二人のコンビが怪事件の背後にある意外な人間関係を暴き出すことになって、事件が解決していく... 過去の埋もれた因縁が与三郎には「見える」だけなのだ。だから怪異ありの世界でも、怪事件はほぼすべて「人力」で起きていて、怪異はそういう因縁の索引みたいなものに過ぎない。怪異の原因である因縁が、関係者の「今」にも影を落としていて、それが事件として顕現し、あるいは因果応報を怪異が手助けする程度の話である。ミステリとホラーの微妙な棲み分けみたいになっていて、なかなかいい均衡を保った世界のようにも思われる。 最近の「百鬼夜行抄」は話が薄味になってきていて残念だが、「幻月楼」の方は年1作のために話の作り込みの緊密さが今でもしっかり、ある。単行本が4~5年に1冊という超スローペースなのが残念だけども、クオリティは待った甲斐もあるというものだ。 |
No.940 | 7点 | メグレと殺された容疑者- ジョルジュ・シムノン | 2022/02/26 09:59 |
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メグレ長編では比較的珍しい、パズラー的な味わいがある作品。でも、この「パズラー的味わい」が、いわゆる本格マニアが喜ぶタイプのものではなくて、たとえばハメットなら大喜び、とでもいうような市井のリアルな感覚のものなのが興味深い。
いろいろな謎の中心となる盲点のような事情が判明すると、事件がするっと解明される面白味がある。そしてそれが、綿密に描写されたユニークな被害者のキャラとも合致していて、意外かもしれないけど、こういう生き方する人間っているんだよね、と思わせる(やや捻った)「人間のリアル」が浮かび上がる。で、この盲点というのが、司法関係者やミステリ読者であればこそ気づきにくいものでもあるから、そこに注意したらやや「メタ」な味かもしれない。 ブーレイというのは、根はひじょうに小市民的な人間でしたよ。彼の家にいると、女の裸を見せて商売している人間だとはどうしても思えない と評される、やり手でも堅実な、モンマルトルのナイトクラブの経営者が被害者。葬儀も盛大で、ナイトクラブ業界の重鎮だったのが窺われる。 原題は「メグレの怒り」くらいなんだが、でも「殺された容疑者」の訳題はかなり疑問が多い(苦笑)。この被害者はとあるギャングの襲撃事件に絡んで、リュカの事情聴取を受ける予定になっていたけども、その前に行方不明....という状況で、とくに「容疑者」というほどの立場でもない。「小市民的」と評されるそのままの人物だから、ギャングとの裏のつながりが?という容疑があるわけでもないのである。 しかし、この件が実は真相にしっかり繋がっているし、メグレ自身も真相に間接的ながらかかわりがあって、皮肉な面白さがある。 まあだから、ちょっとヒネッて評者がタイトルを考えるなら「メグレの事情聴取」、どうかなあ? |
No.939 | 7点 | 連続殺人事件- ジョン・ディクスン・カー | 2022/02/24 23:25 |
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「連続自殺事件」の新訳ゲット。誰もがツッコむ訳題がオカシい件がこれで解消し、めでたい。
昔読んだ旧訳はもちょっとおどろおどろしい印象があったけども、今風に読みやすい訳文で読むと、軽妙なコメディ路線といった方がいいんじゃないかなあ。ファースじゃないよ、弾十六さんがビリー・ワイルダーを引き合いに出されているけども、そんなスクリューボール・コメディだよね。だからなかなかゴキゲンなもの。自家製のスコッチウィスキーで酔っぱらってバカする話。女性の強さの前に、オトコが情けない(笑) (ややバレるかな?) ミステリとしては、やはり「密室って何のために作るのか?」というあたりをカーが自覚して書いた、というのがポイントじゃないのかな。密室状況で自殺に見えるのならば自殺なんだろう...が世の中のジョーシキ。でもこれがミステリだとその成立上、意図的に無視されることだったりする。 だったら、ミステリがそれを逆手に取る発想をすれば、微妙な状況下なら、自殺と他殺の解釈の出し入れで読者を幻惑できることになる。 それだから本作、リアルとフィクションの狭間でうまいあたりを突いている作品なんだと思う。密室の実現手段は単なるオマケ。ちょっとだけある「怪奇」も小技程度。そういう風にカー本人が「割り切って」書いた作品のように思われる。ちなみにアシモフの指摘の件は新訳では訳注で反映している。気にしなくても成立する話だとは思う。 あと、弾十六さんじゃないけども、トリビアで面白い個所があった。 行儀を知っていると見せつけるような、貴婦人めいたおしとやかな手つきで、エルスパットは注意深く受け皿に紅茶を注いで飲んだ。(新訳p112) ...誤訳じゃないですよ。紅茶はカップに口をつけて飲むのではなくて、受け皿に注いで、受け皿から飲むもの。小野二郎の「紅茶を受皿で」という感動的なエッセイがあるけども、この古臭いマナーをカーの小説の中で発見。スコットランドの田舎の老刀自だから、時代遅れなマナーもキャラ描写になっているわけである。 |
No.938 | 5点 | 透明受胎- 佐野洋 | 2022/02/23 11:34 |
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中学生の評者にとって、「日本ミステリで何を読むか?」の指針になったのが、中島河太郎の「日本作品ベスト30」(昭和42年まで)だった。戦後で20作挙げていて、たとえば本陣高木家不連続刺青というあたりから始まって、「異郷の帆」や「大いなる幻影」や「炎に絵を」「伯林―1888年」あたりで終わる。穏当なベストだったわけだが、これに本作が含まれていた。
当時角川文庫で出てたから、小遣いで購入...でもね、当時は本を親と共有していたから、本作を親に見つかって、叱られて没収、になりました。河太郎先生、恨むよ~~ 皆さんの書評では触れてないけど、濡れ場が連続する、結構エッチな作品だからね(苦笑)。いつまでたっても加齢をみせない女性と、それにそっくりな娘は、同じ指紋を共有している...主人公は危機一髪の事態から不思議にも逃れると、総白髪で老人のような姿に、しかし、30時間寝たら元に戻った。などなどの「ありえない」現象を、SF的アイデアを挿入することで、さらっと解いてみせるような話。 SFミステリ、というよりも、「プロレス的要素ありのミステリ」というくらいの捉え方が有益だと思う。 まあ、今読んでみると、さくっと軽い艶笑SFみたいなもので、あくどくはないから、「オトナの修行」をしたんだったな、と思っておこうか(苦) |
No.937 | 5点 | 刈りたての干草の香り- ジョン・ブラックバーン | 2022/02/22 20:50 |
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ブラックバーンはデビュー作からブラックバーンだった。
主人公はイギリス外務省情報局長のカーク将軍だから、ブラックバーンらしく国際陰謀?というニュアンスで始まる。事件の最初の現われはソ連国内、それも白海沿いの辺鄙な地帯をソ連当局が極秘に封鎖したことの報告を、カーク将軍が受けるところから始まる。イギリス商船の沈没とそれを議題にする国連の会議で、ソ連代表が明らかにしたのは、未知の感染症のアウトブレイクだった...国際謀略は何だったのよ。 で、この病気なかなかエグいんだけど、それは読んでのお楽しみ。ブラックバーンだから、そんな「黙示録的な悪意」は人のかたちも取っている...だから、アウトブレイクものから、分かりやすいスリラーに。でもスリラーになってくると、とたんにスケールダウンして怖さがなくなるんだなあ。そこらへん、改良の余地がある。たぶん「薔薇の環」は、そういう本作の今一つの面の改善版なのだろう。 「薔薇の環」が本作の上位互換だと思う。 まあ、それでもカークの部下の情報局ソ連部長とか、ドイツの諜報部?のフォン・ツーラーとか、スパイ系のキャラに面白味がある。やはりブラックバーン、一癖あるキャラは最初から上手。 |
No.936 | 6点 | ビセートルの環- ジョルジュ・シムノン | 2022/02/20 17:31 |
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初読。タイトルから精神病院を舞台にしたサイコスリラーみたいなものを漠然と想像していたんだけど....病院は病院でも、初老の男が脳血栓で倒れて入院してリハビリする話。ミステリ色はゼロな作品でちょっと、びっくり。
いや、シムノンは一般小説とはいっても、「ミステリを裏側から見た」ような舞台設定やらミステリ手法を駆使した作品やらがきわめて多いから、だいたいはミステリの延長線上で楽しめるようにも感じているんだ。本作の主人公は、記者から新聞経営者にのし上がった男、ルネ・モーグラ。同じようにのし上がった昔からの仲間との月一の昼食会の会場で倒れて、急遽ビセートル病院に入院。思ったほどには重症ではなくて、意識不明は丸1日ちょっとだけ、その後徐々に回復してリハビリして...というのがおおまかな話の流れ。 でもね、そんな話だから「この時期、やはりシムノン自身も倒れた?」なんて想像するのも無理はないんだが、調べてみてもそれらしい形跡は見当たらない。入院していても短期なんだろう。メグレ物だと「メグレと幽霊」とか「メグレと殺された容疑者」のあたりの年で、翻訳はないが別途出版されている本もある。メグレ物の執筆ペースもこの頃はムラがあるし、よくわからないや。マトモな伝記を参照した方がいいのかな。シムノンだもの「想像だけで全部書いた!」でも、みんな納得しちゃう(苦笑、「私的な回想」とか本にならないかな~~) 後記:「EQ」No.43掲載の「シムノン最後の事件」というインタヴューに、シムノンが病院に調査に訪れた、という話が載っているのを偶然見つけた。シムノンは実地調査するのはホント珍しいらしい。でも二時間で調査は終わり。想像力! 本作をシムノンの「イワン・イリイチの死」と喩えたのを見かけたけど、内容は確かにその通り。でもトルストイの理想主義がシムノンにあるじゃなし「回心」しちゃうわけではない。病気という「自身を肉体に還元する体験」、強いられて自身を客体化する作業を、作中では裁判を受けるかのように喩えている個所もあるように、そこで改めて参照される自身の「人生の断片」にモーグラはこだわり、その記憶のリアリティというか、ひねった言い方をすればその「クオリア」(聞こえてくる鐘の音を「環」と捉えるヴィジョンとか..)を通して、自身の生き方を回想する話である。 シムノンの主人公だから、そりゃお盛んと言えばお盛ん。独身時代のアヴァンチュールや、二度の結婚と、その中間に挟まる「結婚しない関係」の話も出る。そういう女性たちも見舞に来て記憶も蘇る。しかも、看護の中での肉体接触に際して、性的な反応も赤裸々に描くあたりが容赦ない。 で、最終盤では、強引に妻にはしたものの、居場所がなくて不幸な結婚生活を送らせていることになっている妻とのなれそめの回想と、このモーグラの再出発に際しての「和解」のようなものがさりげなく描かれているのがいいあたり(でもこの時期にシムノン、離婚しているんだ...) シムノンで「私小説」を読むとは思わなかった。 (ん~ひょっとして、物語冒頭で撃たれて意識不明状態でずっとなロニョン刑事の話の「メグレと幽霊」に「ビセートルの環」が影響している? 評者の妄想w) |
No.935 | 7点 | 聖アンセルム923号室- コーネル・ウールリッチ | 2022/02/16 22:29 |
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ウールリッチというと「甘口」というパブリック・イメージがあるけども、本作は「辛口」。ロマンの陰にある「人生の辛い面」に視線が吸い寄せられてしまうのは、ウールリッチでも晩年の作品に本作がなるからだろうし、また評者もそろそろ歳なこともあるのかもしれない(苦笑)
第一次大戦の開始と終結を描いた第2話・第3話あたり、愛国熱に浮かされて衝動的に結婚した男女が聖アンセルムホテルに宿を取る陰に、敵国となったドイツ系の宿泊客が追い出される犠牲があったりする。終戦後に同じ部屋での再会を約して出征した若者は...そういう人生の興ざめな姿もウールリッチは余さずに描く。この連作にはそういう「カラさ」があるからこそ、不用意にミステリにできなかったんじゃないのかな。「オチ」によって物語が救済しきれない人生が、ホテルの一室に託されているわけだ。 最終話で第一話が回顧されるわけだけども、そこでかつての花嫁が自分を「幸福」と語るのが、いいようもなく読者を揺さぶる。これこそは「オチ」とか「真相」の対極にあるものなのだろう。ウールリッチ節はそのままなのだが、ミステリという「作為」では描けないところをやりたかったのだろうなあ。 |
No.934 | 8点 | 異郷の帆- 多岐川恭 | 2022/02/15 08:10 |
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60年代らしい大名作の一つ。やはりこの時代はミステリの手法が一般化して、他のジャンルとの「フュージョン」が盛んに試みられた時代だ、と捉えるのがいいんじゃないかと思っている。その一つの現われが「社会派」と括られたのだけども、本作だと「捕物帳ではない、時代ミステリ」というのが新境地なのだと思うんだ。
舞台は元禄期の長崎出島。鎖国以前の記憶はかろうじて残るが、鎖国体制に慣れてきて、綱紀もそろそろ緩みだしている頃。主人公は若い小通詞の浦恒助。周囲の閉塞的な状況に苛立つ「若さ」を抱えている....自在に海を押し渡るオランダ人商人に羨望の念は持ちつつも、同僚である「転びバテレン」の西山久兵衛には複雑な感情を持つ。そして長崎貿易を一手に引き受ける大商人の娘分として世話を受ける混血の少女お幸との間に芽生えた恋。 こんな状況で、密貿易の疑惑が濃く評判の悪いオランダ人商館員が殺された!謎の凶器、アリバイ、やり手の奉行を補佐するかたちで浦は事件にかかわっていく... そんなロマンの味わい十分な話。転びバテレンで、今は浦の同僚の通詞になっている西山久兵衛の挫折が、浦の夢に対する反面教師になっているのが趣き深い。オランダ人たちからは背教者と謗られ、日本人からは生理的な嫌悪感で排斥され、心中者の片割れの女性と暮らす元宣教師...この男の虚無と諦念に対比するかたちで、若い浦の恋と夢が描かれる。 久兵衛同様に宣教師として日本に渡り、逮捕されて棄教し幕府に仕えたフェレイラの話も、名前だけだが出る。遠藤周作の「沈黙」で主人公の師であり逮捕された主人公を説得して棄教させる役回りで印象的な、実在の人物である。遠藤周作の「沈黙」よりも、5年ほど「異郷の帆」の方が早かったりする。 多岐川恭の「小説家としてのセンスの良さ」を愉しむには絶好の作品である。評者も「ゆっくり雨太郎」でも読もうかな。 |
No.933 | 7点 | 濡れた心- 多岐川恭 | 2022/02/13 10:42 |
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懐かしい作品。中学生時代のミステリファン初期に読んだんだけど、実は本作が、初めて犯人&トリックをしっかり当てた作品だったことでも思い出深い。女子高校生の同性愛を扱った作品だからこそ、評者の中で何か共振するものがあったのかな。
改めて読むと、物語の中にミステリを融合させる手際がいい作品。50年代だからこそ、はっきりした探偵役なしで、平等多視点でフラットに記述するのが、なかなか斬新でもある。だから「日記」という記述形式にあまりこだわり過ぎない方が、いいんじゃないかな。神視点三人称を使うのはもう「古臭い」。全員がある意味「信頼できない語り手」の錯綜する情報の渦の中、恋愛感情の機微を隠しつつ、誇示しつつの虚実アリで巧みに構成された作品のように感じる。実際、登場人物の誰もが情熱を燃やしながら、日記の体裁を取りながらもそれに素知らぬ顔をして、その真情は意外に他人の方が洞察していたりする記述の妙が出ている。 でいうと、被害者の不良教員の独白的な日記だって、極めて「偽悪的」なもので虚勢を張っているのが読み取れようというものだ(でも、そのダメさ加減に崩れた魅力がある...)。それに対していつでも冷静な少女や、功利的な青年、鋭い洞察力を隠し持つ老婆など、それぞれの何食わぬ記述の交錯が、それ自身「ミステリ」と言えばその通りか。 いや...日記なんて後で読み返すと、自分自身に体裁屋になっているの気づいて、赤面することのが多いものなのさ(苦笑) |