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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ] 気球に乗って五週間 |
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ジュール・ヴェルヌ | 出版月: 1993年11月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 1件 |
集英社 1993年11月 |
No.1 | 7点 | Tetchy | 2016/10/30 23:26 |
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本書はヴェルヌのデビュー作であるが、既に彼の創作スタイルが確立されていることに驚く。
若い頃から世界一周をして不屈の冒険心を養った主人公サミュエル・ファーガソン博士を筆頭に彼の旅の同行者スコットランド人のディック・ケネディ、召使いのジョーたち3名をそれぞれリーダー、縁の下の力持ち、ムードメイカー、そしてそれぞれが知・力・技を体現しており、実にバランスよく配されている。そしてこのたった3名の登場人物が物語を飽きさせないほど魅力的なのだ。特に本作では召使いのジョーが出色のキャラクターだ。常に明るく、器用で皆の世話をしながら料理もするが、他の2人を助けるためならば命を投げ出すことも厭わない。 またディテールがしっかりとしている。気球を使うことできちんと気球の設計から始まる。例えば不測の事態を想定し、気球は1つでなく、2つにする、しかし2つに分けるとバランスを取るのが難しいため、大きな気球の中に小さな気球を入れて、バルブによって両者のガスが行き来できるようにする、またそれぞれの目方を算出して水素ガスの容量を算出するなどといった見積がきちんとなされ、明示されているのが非常に興味深い。ただゴンドラの直径がたった4.5メートルというのは狭すぎるように感じた。たった16㎡弱の中に男性3人が5週間も共にするのは窮屈ではないかと思うのだが、これは気球の一般的な寸法なのだろうか。 さらに気球だけでアフリカを横断するのに主人公のファーガソンは水素ガスの温度を変えて熱膨張と収縮を繰り返して上昇と下降を行うという方法を考案する。従来の砂袋を落としての上昇やとガスを抜いての下降という方法とは違う、水素ガスを繰り返しリサイクルして旅をする画期的なアイデアについて本書は詳細な計算も織り交ぜ、その機構について延々5ページに亘って説明がなされる。 また生命の源である水の残量についても詳しく数字で語られる。水素ガスを発生するために1.5リットル使用し、残りは3.5リットルとなった、云々。 こういった緻密なディテールが冒険の困難さをリアルタイムで読者に認知させ、自身がまるで冒険しているかのように錯覚させるのである。 また冒険中でも風速、移動距離、高度が常にリアルタイムで記載されており、さらに最後の方では気球からガスが抜け、次第に高度が下がってくるのをどうにか食い止めようと次々と不要な物を落としながらの旅となるが、落とす物1つ1つの重量を記載し、そしてそれによって高度がどれほど上昇したかなどきちんと数字で示しされる。 つまり物語の進行1つ1つに嘘がないのだ。 しかしこれは実に難儀な所業である。わざわざ気球の重量や風速によって移動する距離を計算しながら物語を綴るのだから、生半可な知識ではできないだろう。しかし数学が得意で冒険心に溢れたヴェルヌは未開の地アフリカの地図の上で彼の頭が想像した気球ヴィクトリア号の道程を喜々として空想に耽りながら計算していたのかもしれない。 さてファーガソン博士たちがアフリカ横断を試みるのは数多の冒険家、探検家たちが挑み、数々の発見をしたアフリカの、まだ空白とされる未踏の部分を埋めるためである。物語の途中でアメリカの冒険史がファーガソンによって語られるが、それらは数多くの犠牲の上で成り立ってきたことが解る。砂漠とジャングルという不毛且つ湿度高い熱帯という両極端な地を備える熱波の大陸は人間に容赦ない負担を強いるが、さらに猛獣たちの襲撃と人食いと争いの文化で生きながらえてきた原住民たち、いわゆる蛮族と呼ばれる者たちの襲撃によって殺され、そして食糧にされてきた。それらの強烈な描写もまた本書には含まれており、特にクライマックスではしぼみゆくヴィクトリア号で最も獰猛な蛮族ギニアのタリバ族からの決死の逃避行はまさに手に汗握る迫真性に満ちている。 今でこそ文明が発達して未開の地にも情報が入り、そして国際的な大会に出場するようになったアフリカ諸国。しかしこの閉ざされた大陸がついこの150年前までは恐るべき巣窟だったことをまざまざと知らされた。本書は友人の作った気球に触発されて書かれた作品だと云われているが、実は今は亡き数多き冒険者たちを讃え、後世に彼らの偉業を伝える目的もあったのかもしれない。 しかしこれがデビュー作である。そして今なお面白く読める痛快な冒険小説であることに驚く。書かれたのは1863年!2世紀も前である。改めてヴェルヌの想像力と物語力に驚かされた。 |