Tetchyさんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.73点 | 書評数:1603件 |
No.903 | 7点 | 流星航路 田中芳樹 |
(2010/12/05 21:36登録) ミステリー色はさほど濃くなかったが十分楽しめた。安心して読める作品。 |
No.902 | 7点 | 死の開幕 ジェフリー・ディーヴァー |
(2010/11/30 21:36登録) ジェフリー・ディーヴァーと云えばどんでん返しと云われているが、最初期の本書も正にそう。なかなか予断を許さない展開を見せる。 ただ描かれる映像業界の内幕と爆発物処理班の日常そして爆発物処理の過程は確かに読み物として読み甲斐はあるものの、読書の愉悦をそそるまでには届かなかった。説明的で食指が動くようなエピソードに欠けた。あくまでストーリーを修飾する添え物の領域を出ず、プロットには寄与していない。この辺はまだ作家としてのスキル不足、若書きの印象を抱いた。 |
No.901 | 7点 | ヴェロシティ ディーン・クーンツ |
(2010/11/24 21:28登録) 久々のクーンツのスピード感と畳み掛けるサスペンスが冴え渡る良作だ。本書はクーンツの数ある作品の中で1つのジャンルを形成している“巻き込まれ型ジェットコースターサスペンス”の1つだ。 今まではとにかく訳が判らなくて命を狙われるという展開だったが、本書の主人公、突然の災禍の被害者ビリーの場合は、自身に被害が及ぶのではなく、警察に連絡するか、もしくはしなくても誰かが殺されるという脅迫を受けるのだ。つまり問われるのはビリーの良心なのだ。 さらに正体の解らぬ犯人が勝手に連続して殺しを行うだけでなく、全てがビリーを犯人だと示唆するかのように偽造証拠を残し、さらに犠牲者とビリーとの関係性が徐々に狭まっているところが恐ろしい。 クーンツに興味を持った読者が取っ掛かりとして読むにはバランス的にちょうどいい作品だろう。本書の物語のサスペンスの高さと長さ(総ページ数600ページ弱で上下巻なのが納得しかねるが)はお勧めだ。クーンツ作品のスピード感(ヴェロシティ)を是非とも感じていただきたい。 |
No.900 | 7点 | もっとすごい!!『このミステリーがすごい!』 事典・ガイド |
(2010/11/21 22:45登録) 特に驚いたのはベスト・オブ・ベストの結果が10周年記念の時の結果と大差なかったことだ。これはどういうことなのだろう? なんせ20年を総括するベスト・オブ・ベストの選出である。自分にとって大きな感動を与えてくれた、驚きを与えてくれた、読書人生のきっかけを作ってくれた1冊を選ぶのは選者の気持ちとして当然だろう。私でも間違いなくそうする。作品としてのクオリティよりも選者の思い入れが強く入った結果と捉えるのが妥当だろう。 この20年間のミステリシーンを調べるのに最良の資料となる本書。今後の私のミステリの旅は本書を片手に続いていくだろう。そしてそれに想いを馳せるとこの上もなく幸せを感じてしまうのである。 |
No.899 | 7点 | 記憶の放物線 評論・エッセイ |
(2010/11/19 23:13登録) 『感情の法則』と同じ流れを汲む、読んだ本に纏わって思い出される彼の人生の日記、感傷日記である。 しかし、なぜか『感情の法則』の時に感じたあの同一性が感じられない。 免疫が出来た?そうとも感じたが、そうだろうか。ちょっと違うような気がする。恐らく、今回はこれは北上氏の物語であって、自分の物語ではないと感じたからではないか? これらは私に訪れる、もしくは訪れないかもしれないまだ来ぬ時間を彼は既に過ごしていた、そういう隔世感を感じたのかもしれない。 時間は緩やかなれど、しかし確実に流れている。やがて時代も変わる。ここに綴られた北上氏の物語は彼の時代から息子らへの時代へ移りゆくことを肌身で感じた男の話なのだろう。だから自分の若い頃の話に思いを馳せる。 しかし私はまだそこまで老け込んではいない。ここに今回の乖離があるのか。違うかもしれないが、そういうことにしておこう。 |
No.898 | 10点 | 感情の法則 評論・エッセイ |
(2010/11/18 21:23登録) 毎回取り上げる1冊の本になぞらえて、北上氏が思い出を語るエッセイ型ガイドブック。 タイトルは『感情の法則』だが、ここにあるのは北上氏の『感傷の報告』だ。そしてここにあるのは北上氏だけの感傷ではない。 そう、私も含めた誰もが抱いた感傷なのだ。いや私には感傷という言葉は高尚過ぎるかもしれない。誰もが犯した小さな過ち・失敗・苦い想い出だ。それは自分のその後の人生に影響を与えるほどの出来事ではないので、いつもは日常の些事や仕事の忙しさ、生活の慌しさに紛れて思い出すことはない、取るに足らないものだ。 しかし、ふと一人のときに思い出す、忘れられない想い出だ。 なぜあの時、私はあんな態度をとったのだろう?あんな言葉を云ったのだろう?あんな事をしたのだろう?またはなぜしなかったのだろう?そんなほろ苦い記憶をこのエッセイでは思い出させてくれる。 男も泣きたい夜がある。そんな時、ナイトキャップと一緒に読むには最適の一冊だ。 |
No.897 | 5点 | UFO大通り 島田荘司 |
(2010/11/17 21:54登録) 御手洗潔物の短編には奇想がふんだんに盛り込まれているが、本書もとんでもない設定だ。 そんな魅力的な謎をいかに論理的に解明するか。これが本格ミステリそして巨匠島田荘司作品を読む最たる悦楽だが、しかし昨今の作品では逆に御手洗の登場と共に色褪せてしまうように感じてしまう。最近の御手洗物に顕著に見られる“全知全能の神”としての探偵というテーマを強く準えているため、快刀乱麻を断つがごとき活躍する御手洗の東奔西走振りを読者は手をこまねいてみているだけという印象が強くなってしまった。 謎が奇抜すぎて逆に読者が果たしてこの謎は論理的に解明されるのだろうかという心配が先に立ち、明かされた時のカタルシスよりも腰砕け感、これだけ風呂敷を広げといてこんな真相かという落胆を覚えることが多くなった。 もっと謎に特化した往年の切れ味鋭い作品を期待する。特に昔の奇想溢れる長編が読みたい。 |
No.896 | 7点 | 21世紀本格宣言 評論・エッセイ |
(2010/11/16 21:45登録) 本書を読むにつけて、改めて島田荘司という作家が他の本格ミステリ作家と一線を画した存在である事を再認識した。 そう思うのは日本の歪んだ歴史を学ぶことから派生した都市論、宗教論、冤罪事件、そして最近では脳生理学の分野などに関心を持っているからだ。つまり他の本格ミステリ作家がコード型本格ミステリ、ならびにそれを越えようとする明日の本格、誰も読んだ事のない奇抜な本格ミステリを模索している、 つまりジャンルの深部へ目線は向かい、内へ内へ潜っていっているのに対し、島田氏の視点は、創作の外側で今起きている事、つまり外側へ興味が向かっていること、これが決定的に違う。 そしてこれがまた島田氏の孤高性を象徴しているかのように思える。 まあ、還暦を迎えてますます意気盛んな島田荘司。 やはり島田はこうでないといけないのかもしれない。 |
No.895 | 4点 | 推理日記1 評論・エッセイ |
(2010/11/15 21:20登録) まず面白かったのは『推理日記』の名の下、当初は○月×日なる日付が付いていた事。しかしこの趣向もたった5回で終わっており、作者自身もあまり必要も無いので止めたと述べている。 そして本作は佐野洋氏の推理小説界に一迅の風を起こそうとかなり張り切っている様子が伺える。 というのも思いっきり各作家の力作、乱歩賞受賞作、好評な作品に噛み付いているからだ。終いには当時の人気ドラマ『太陽にほえろ!』までにも噛み付く始末。 これがなるほど、さすが佐野氏だと唸らせるものならばまだいいが、この頃は若気の至り(とは云ってももう四十路を迎えているのだろうが)が先行して、自分の云いたい事をいいながらも、論理が成立しにくくなると逃げる傾向が強く見られる。 例えば各作家の作品を褒めつつも、実は1つ―2,3の場合も多々あるが―気になるところがあると開陳し、それが何もそこまで・・・といったような具合である。 議論を吹っかけるのだが、なかなか抗議も来ず、他の作者の意見と佐野氏の考えが違う事もしばしばなのも興味深かった(まあ、そういうことを正直に書いている事もこの人らしいのだが)。 特に西村京太郎のベストセラー『消える巨人軍』に対する重箱の隅の突きようはちょっとベストセラーに対する嫉妬すらも伺えた(他人の作品を作品の質に関係のないところで粗探しをするのは自分を貶める事になると思うのだが)。 特に生島次郎氏が 「佐野洋は一見論理的に見えるんだけど、その論理が非常に独善的なんだよなぁ。特に私怨が混じると」 という風な事を云った件は一番傑作だった(よく書いたね、佐野さん)。 以上のように、独善的な我の強さが目立ったエッセイだった。 この連載が始まったのが1973年でこれだけ暴れまくって今までよく続いたなぁと、驚いた次第である。 |
No.894 | 10点 | 世界ミステリ作家事典 [本格派篇] 事典・ガイド |
(2010/11/14 21:39登録) まさに全てのミステリファン必携の書。 こういう仕事は誰かがやらねばならなかった。日本のミステリ史の編纂でさえ、あの中島河太郎をもってしても成し遂げずに道半ばにして他界した。 しかし森氏はさらに広範な世界ミステリの作家事典を編むことを成し遂げた。しかも当時40歳という若さで。まさに驚嘆に値する。日本ミステリ界に森英俊氏を得た事は途轍もない幸運だと思うし、また至宝として扱うべきである。 恐らく本人はものすごい苦労をかけただろう。しかしそれが苦労であるとは感じなかったはずだ。半ば嬉々としながら作業をしていたはずだ。それはその続きの[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇]が数年後に編まれた事からも明らかだ。 本作の功績は刊行後国書刊行会が、そして8年後、論創社がミステリ叢書シリーズとしてこの森氏が掲げたまだ見ぬ傑作群を続々と訳出している事からも証明されている。そして森氏の掲げた作家にはまだまだ紹介されていない作家が山ほどいるのだ。 特に`97年当時に名前さえ知られていない作家達を積極的に物量的にもかなり多く紹介している事が世のミステリ読者の触手を動かして止まないのだ。 恐らく日本ミステリ一辺倒の方々には何の興味も持たない1冊かもしれない。しかしミステリを愛する者、特に海外ミステリをこよなく愛する者にとっては垂涎の書であるのは間違いない。なぜなら私がそうだからだ。7,000円は正直安いと思う。 正に森氏でなければ成し遂げられなかった仕事。今後この事典がせめて10年に一度は改訂される事を期待したい。そしていずれは彼の衣鉢を継ぐ者が現れんことを心の底から祈らずにいられない。 |
No.893 | 6点 | 島田荘司読本 事典・ガイド |
(2010/11/13 23:42登録) 島田の2000年までの全作品の解説と島田を取巻く周囲の作家(とはいっても井上夢人と歌野晶午しかいないが)の島田荘司の印象、それと書き下ろしの創作・エッセイで纏められたムックみたいなもの。 島田全作品解題・解説はこういった本ならば定番なのだが、読者の知らない島田の素顔、横顔をもっと色んな作家に語って欲しかった。 また本書に書き下ろされた創作やエッセイはやはり島田の日本人論が展開され、最近これらを読まされてきた自分にとってはちょっと食傷気味だった。 しかし、この本が出た頃というのは充電期間というか迷走期間というか、島田本来の本格推理作家というスタンスが世に知らしめされなかった時期であるから忸怩たる思いがしたものだ。ここ数年の新作発表ラッシュを考えるとまさに本書は作者としての1つの区切りであり、新生・島田荘司誕生の序曲であった、そう読み取れるのである。 |
No.892 | 10点 | フランキー・マシーンの冬 ドン・ウィンズロウ |
(2010/11/12 23:39登録) とにかく主人公フランキー・マシーンことフランクがカッコいいのだ。どんなタフな奴が来ても動じない度胸と対処すべき術を心得ている。 よくよく考えるとウィンズロウ作品の主人公というのは自身の信ずる正義と矜持に従うタフな心を持った人物だったが、腕っぷしまでが強い人物はいなかった。つまり本書はようやくタフな心に加え、腕っぷしと殺人技術まで兼ね備えた無敵の男が主人公になった作品なのだ。 今まで伝説の殺し屋と噂されるキャラクターは色んな小説に出てきたが、その強さを知らしめるのは単に1,2つのエピソードだけでお茶を濁される作品がほとんどだった。しかしウィンズロウはその由縁をしっかりと描く。だから読者は彼がまごう事なき伝説の殺し屋であることを理解し、その伝説を保たれるよう応援してしまう。 そして抜群のストーリー・テラーであるウィンズロウ、過去のパートそして現代のパートが共に面白い。 このイタリア・マフィアの悪党どもがそれぞれの思惑を秘めて絡み合うジャムセッションは全くストーリーの先を読ませず、以前から私が云っているエルモア・レナードのスタイルを髣髴させる。特に本作は悪役の描き方といい、ストーリーの運び方といい、そして女性の描き方も付け加えて、さらにレナードの域に近づいているように感じた。元々“生きた”文章を書くことに長けたウィンズロウだったが、本書はさらに磨きがかかっている。ここぞというところにこれしかないという台詞や一文がびしっと決まっているのだ。 そしてこれこそ私が待ち望んだ結末といわんばかりの、静謐さと希望が入り混じった思わず笑みが零れる極上の終わり方だ。 これが現時点での邦訳された最新作というのだから、期待が募るというものだ。次作も一刻も早い訳出を期待しますよ、東江さん! |
No.891 | 8点 | 1億人のためのミステリー! 事典・ガイド |
(2010/11/11 18:50登録) わずか100ページ余りのヴォリュームに今日におけるミステリーシーンの現状から押さえておきたい名作などの紹介も怠っておらず、非常に好感を持てた。また伊坂幸太郎を中心とした当時のミステリ新進作家のインタビューもいい。 色んな角度からミステリをカテゴライズして紹介しているのも飽きさせず、全く以って秀逸の一品だ。 |
No.890 | 9点 | 推理日記Ⅵ 評論・エッセイ |
(2010/11/10 22:42登録) 相変わらず厳しい論調で各作家を3枚にも4枚にも下ろしてしまう。失われる日本語を平成の世に正しく伝える最後の長老かのような微に入り細を穿つ、その選文眼は今回も健在だ。やはりこういうのは非常に勉強になるし、編集者や校正の方々にとっても身が締まる思いがしているのではないだろうか。 しかしこれだけ色んな作家の慣用句や副詞の使い方を徹底的に取り上げ、論破しているのに対し、髙村薫の使い方に対してはあまり強い口調で間違いを正さなかったのは何故か?寧ろ新しい日本語を作ろうとしているのかといった表現で好評している傾向にある。佐野自身が彼女の文に惚れたのか、扱うテーマや小説観に惹かれたのかもしれないが、ちょっとこれは公正さを欠く。 しかし、佐野も年を取ったせいか、いつもなら感嘆を上げるその論調にいささか年寄りの説教めいた雰囲気を感じたのも事実。特に明らかに作家のミスであろう事を無理矢理好意的に解釈する所はちょっと物知り年寄りの皮肉のように受取れ、いやらしい。 しかし、昔はどこにも近所に口うるさい頑固親父がいたものである。佐野には命続く限り、文壇の頑固親父であって欲しい。 |
No.889 | 10点 | ミステリー迷宮読本 事典・ガイド |
(2010/11/09 21:26登録) 発行当初はそんな凡百のミステリガイドブックと変わらないだろうと思い、発行された年末には買わずそのままにしていたのだが、二階堂黎人がHPでこのムックを褒めていたのを見てGWに購入。そしてその賞賛は間違っていなかった。 これは本当にミステリを愛する者が作ったムックである。ミステリをカテゴリー別に論じ、新旧織り交ぜて論じている。その内容の出来に個人差はあれ、なかなか読ませる。通常出てくるタイトルとは違う隠れ傑作本も続出だし、本読みの本読みによる本読みのためのムックになっている。 原書房の『本格ミステリベスト10』が何年も発行されているのマニア臭さから脱却できていないのに対し、これは本当にミステリ好きの痒い所に手が届く面白さである。表紙のイラストのいかがわしさは褒められたものではないが、それを差し引いても星5ツに値する。掘り出し物とは正にこの事を云う。名も無き出版社にしては最上の出来だ。天晴れ、洋泉社!! |
No.888 | 7点 | ミステリを書く! 事典・ガイド |
(2010/11/08 21:40登録) 本書は当代を代表する作家たちに小さい頃からの読書遍歴、ミステリを書くきっかけ、デビューのこと、また作家なり始めの頃の話、趣味やスケジュール管理、体調管理、そしてミステリを書く事の意義とそれに対する姿勢について行ったインタヴューを纏めたもの。 ここに上げられているのはどちらかと云えば本格系の作家が多いが、エンタテインメント系の作家に比べるとその誰もが、本格という特殊な制約に対してとことん突き詰めた考えを持ち、また混沌とした本格推理界が今後どのような展開を見せるのかに期待と憂慮を覚えているのが共通項として見受けられる。 それに対してエンタテインメント系作家と云えば、寧ろ本格作家に見られるような求道心的な真摯さというよりもやはりその作品性ゆえか、いかに読者に楽しんでもらえるかに腐心している傾向にある。 しかし、特徴的なのはこれが必ずしも必要条件ではなく十分条件であり、どちらかと云えば自分が読みたい作品、楽しんで書ける作品を書いているのが底流としてある辺りに余裕が感じられた。正に陰と陽といった感じ。しかもエンタテインメント系の作家の原体験として黄金期の本格物を読んでいたという共通項があり、食わず嫌いではなく、何事も取り込んでいこうというおおらかさを感じた。 特に本格系の作家は評論を充実させるというのが共通意識としてあるようで、推理小説研究会というのもあるように、本格系は文化系、エンタテインメント系は体育会系という色分けが如実に表れたように思う。 どちらが正しい、間違っている、良い、悪いということではなく、それぞれがそれぞれの道を進んでいくことでミステリ界を今後も盛り上げていって欲しい。 |
No.887 | 5点 | ベストセラー小説の書き方 評論・エッセイ |
(2010/11/06 19:54登録) 量産作家、ペーパーバック・ライターのクーンツが著した小説作法指南書。 常にその作品に接しているクーンツ読者としては書かれている内容はベストセラー小説の書き方というより、クーンツ小説の書き方といった方がかなり近い。クーンツの小説に見られる癖、プロットの作り方、小説パターンが余す所無く書かれている。つまりこれは題名を翻訳すれば「ベストセラー作家クーンツが教えるクーンツ小説の書き方」なのだ。云うなれば「クーンツ小説」=「ベストセラー小説」という訳。 内容的には一理あるのは認めるが、21世紀に突入した現在、物事の価値観はあまりに多様化し過ぎ、何が受けるかわからないものとなっている。本国アメリカではクーンツはまだベストセラー作家ではあるかもしれないが、現代の日本では既にクーンツの作品はベストセラー作品ではない。出せばそこそこ売れる小説である。 パターンは常に一定で、公式に代入する数字がそれぞれ違うだけである。そこそこ売れるのは一時の楽しみを常に約束されているので購入する読者と根っからのクーンツ好きのどちらかであろう。だから現在に即して読むとかなりの齟齬が見られるのだ。 また、クーンツが不得手な分野―本格ミステリ―に関する小説作法についてはほとんど参考にならない。いつの頃の本格ミステリの構造を語っているのか、目を疑う。こういう事を臆面も無く、本にして語るのがクーンツらしいと云えばクーンツらしい。 しかし、最後に掲げた必読本リストはなかなかの物。チャンドラー、ハメット、ケイン、ロスマクなどをちゃんと押さえてある辺りはかなり好感が持てたが、さらにセイヤーズまで読んでいたのには驚いた。やはりクーンツ、侮れない。 |
No.886 | 7点 | 悪の起源 エラリイ・クイーン |
(2010/11/05 22:23登録) エラリイ、再びハリウッドの土を踏む。国名シリーズとライツヴィルシリーズの架け橋的な存在だったいわゆるハリウッドシリーズと云われている『悪魔の報酬』、『ハートの4』、『ドラゴンの歯』以来、実に約12年ぶりにハリウッドを舞台にしたのが本書。ロジックとパズルに徹した国名シリーズからの転換期で方向性を暗中模索していた頃の上の3作と違い、ライツヴィルを経た本作ではやはりロマンスやエンタテインメント性よりも人の心理に踏み込み、ドラマ性を重視した内容になっている。 今回も宝石商を営む裕福な家庭に隠された悪意について語るその内容はロスマクを思わせ、なかなか読ませる。半身不随の夫に美人の妻、そして好男子の秘書、そして裸で樹上に設えた小屋に住む巨人ほどの体躯を持つ息子に自然と戯れる妻の父と、明らかに何か含みがありそうな一家が登場する。しかしロスマクと違うのは、事件は毒殺未遂に蛙の死骸散布と、本格のコードを踏襲した奇想で、ぐいぐいと読者を引っ張っていくところだ。 特に今回は作者クイーンのなみなみならぬ謎に対する異常なまでの迫力を感じた。 人間の心理へ踏み込み、探偵が罪を裁くことに対する苦悩を描いてきたこの頃のクイーン。前作『ダブル・ダブル』では作品の軸がぶれて、殺人事件なのかどうか解らなかったところがあったが、本書では次々と起こる奇妙な出来事の連続技で読者をぐいぐい引っ張ってくれた。しかしその内容と明かされる真相および犯人の意図は現実的なレベルから云うとやはりまだ魅力的な謎の創出に重きを置き、犯行の必然性とマッチしないところがあって、手放しで賞賛できないところがある。 それでも次への期待感を持たせる内容だった。 |
No.885 | 1点 | ミステリーのおきて102条 評論・エッセイ |
(2010/11/04 21:42登録) マルチ作家であるが故の広く浅いエッセイになってしまった。 当方が期待した瀬戸川猛資氏のようなミステリをこよなく愛する人の、また博識ある方からの通常ミステリ評論家達の手で語られる書評とは違った視点からのミステリ論ではなく、実作家のミステリ創作裏話やかの名作に対する感想といった至極一般的な話であった。 これだけならまだましだったのだが、こともあろうにこれら有名なミステリを読者が既に読んでいるものとして物語の粗筋を紹介し、それも旨味ともいえる核の部分まで露顕させていることにとても腹が立った!! 特に『九マイルは遠すぎる』はバラシ過ぎ!!いつか読める時を愉しみにしていた身にしてみれば余計なおせっかい以外何物でもないっ!! |
No.884 | 7点 | 本格ミステリー館 評論・エッセイ |
(2010/11/03 21:11登録) 綾辻行人がデビューして以来、新本格というムーヴメントが勃発し、講談社を中心に現代に黄金時代の本格推理小説を蘇らせた作家たちが数多く生まれた。本作はいわばそのムーヴメントに精力的に携わった島田とムーヴメントの起爆剤となった綾辻が当時新本格が第2世代へ移行しつつある時に「本格とは何か?」について語り合った対談集である。 内容に関しては後日折に触れ、本格について語られる際に引用されるエピソードがふんだんに盛り込まれている。そういう意味からもかなり本格ミステリシーンにおいて以後羅針盤的役割を担うものといえるのではないだろうか。 本格に対し、渇望感を抱いていた島田と平成の本格作家である綾辻との温度差は結構あり、両者の中で対立する部分もあり、面白い。特に島田はかつて書評子たちにさんざん叩かれてきたことに起因しているのか、かなり極論を多用する。この辺が特に危うく、日本人を簡単にカテゴライズしようと懸命である。 それに対し綾辻はまだ明確に定義は出来ないものの、漠とした何かを持っており、島田の極論に対し、かなりニュートラルに対応する。島田の説には特に日本人論など絡めて興味深い部分はあるものの、極端すぎて素直に頷けない部分が多々あった。狂人の如く、時々論理が飛躍するのも彼の悪い癖である。 島田の「前半の幻想性、後半の論理性」という本格ミステリの括りは綾辻が危惧して「前半の大風呂敷から後半のスケールダウン」を招くという意見には大いに賛成である。巨人が巨人であるが故に求めるレベルが高すぎるというのが両者の間には隔たりとして存在する。ジャンル化が無意味であるとの意見から考えれば「~とは何か?」と定義付けするのははっきりいって終わりのない戦いである。 面白くはあったが、これを鵜呑みするのが読者の仕事ではない。これを読み、何を考えるのか、それが大事なのだ。 |