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平均点:6.73点 | 書評数:1603件 |
No.963 | 7点 | 世界ミステリ作家事典[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇] 事典・ガイド |
(2011/11/06 23:15登録) 前作はまさに労作という感が強かった。というのも日本未紹介作家もふんだんに紹介され、その後の論創社ミステリ叢書の刊行や国書刊行会の世界探偵小説全集の創刊に繋がる偉業となったからだ。 しかし同じシリーズでも本書においては[本格派篇]に比べるとエポックメイキング度が落ちるように感じてしまった。 まず前作が森氏一人の手によるまさに長年の労作であったのに対し、本書は複数の執筆者に依頼し、それを森氏が編集するという分業体制で作られていること。これが前作に比べるとそれぞれの作家の紹介文に個人差が見られ、温度差を感じてしまった。 またハードボイルド、警察小説、サスペンスと広範に亘っているためか、どうも紹介されていない作家がいるように気がしてならない。例えばジョナサン・ケラーマンは紹介されていてもその妻のフェイ・ケラーマンは収録されていないし、トレヴェニアンもミッチェル・スミスも入っていない。 ネルソン・デミルやデイヴィッド・マレルやブライアン・フリーマントルといった作家が無いのは作家事典シリーズで今後冒険小説・国際謀略小説篇が編まれるかもしれないが、とにかく思いつくだけでもかなり割愛されているように感じてしまう。 こういう帯に短し襷に長し的な仕事をするのであれば、3つのジャンルのうち2つに絞ってもっと掘り下げた内容で刊行してほしかったというのが本音だ。 また刊行されたのは2003年だがその後未刊行のハードボイルド、警察小説、サスペンス小説の紹介が促進されたという感触が無い。これが本書をさらに前作よりも一段劣っていると感じる所以だ。 しかし文句ばかり云ってもしょうがない。そうは云っても大変な労作であるのは間違いが無い。こういう仕事は誰かがやらなければならなかったことで、その苦労と労力を考えるとなかなか二の足を踏むような仕事である。そこに敢えて踏み込み、また旗振り役の森氏に賛同して編集に参加した執筆陣の志の高さは賞賛すべきだろう。 |
No.962 | 9点 | 天空の蜂 東野圭吾 |
(2011/10/30 21:14登録) 映像化作品が多い東野作品の作品の中でも抜群のサスペンスを誇る作品だが、なぜ映像化しないのか、その理由が本書を読んで判ったような気がした。この作品は3.11以前に読むのと以後とでは全く読後感は違ったものになっただろう。 3.11で原発への不安が叫ばれている今、なんともタイムリーすぎて背筋に寒気を覚えた(ちなみに10/22に私は渋谷で原発反対のデモ行進を目の当たりにした)。この内容は現在デリケートすぎて確かに映像化できない。原発反対派に強硬手段の一つのヒントを与えるようなものだ。逆に発表後四半世紀経った今でも絶版にならないことが不思議だと云える。 本書に書かれているエピソードの1つ1つが今年我々の身に起きた東日本大地震による原発停止による節電生活を筆頭にした社会問題をそのまま表しており、フィクションとして読めなくなってくる。とても16年前の作品とは思えないリアルさだ。東野氏の取材力と想像力の凄さに恐れ入る。 3.11の東日本大震災から連日メディアで喧しく報道されている放射能物質拡散の脅威と反原発運動、そして放射能汚染の恐怖。この原子力発電は現代の社会に咲いた仇花なのだ。もう無関心でいる時期は終わった。1995年に著された作品だが、現在起こっていることが既に本書には予想として挙げられている。これらの事態と原発に関する知識をさらに深く得るためにも、そしてその存在意義を考えるためにも今この書を読むことをお勧めする。 |
No.961 | 9点 | 海は涸いていた 白川道 |
(2011/10/19 21:20登録) 物語を彩るキャラクターのなんと濃密なことか。どこかで読んだような、借りてきたような人物ではなく、生活から人生の道程までしっかりと顔の皺まで浮かびそうなくらい書き込まれている。処女作でも感じたがやはりこの人は“世界を知る人”なのだろう。この人でないと書けない雰囲気が行間から立ち上ってくる。 作中主人公の伊勢が幾度か呟く。 生にはこれから生きることがはじまる生と、これから死ぬことがはじまる生とがある この言葉が象徴するようにこれは死に様を探し続けた者が生き方を見つけようとした者を救うための物語なのだ。 つつましく生きたいのになぜか人生の節目で裏切られ、真っ当な人生を進むことを否定される人々を書く物語は志水辰夫の作風をどこか思わせた。 特に上手いと思ったのは伊勢孝昭として他人の名を借りて生きてきた芳賀哲郎が本名に戻った後だ。それまでは伊勢孝昭としかイメージできなかった人物が、ある事件―布田の死―をきっかけに本名の芳賀哲郎としての空気を纏い、もうそれ以降は芳賀哲郎とでしか読めないのだ。同じ人物でありながら主人公が2人いるような感覚。 それは前半が会社の経営者の伊勢の物語から、施設時代に弟・妹のように可愛がっていた慎二と千佳子を守る兄、そして友人の無念を晴らす戦士である哲郎の物語へとシフトするのにこの名前の変更は実に有効的に働いている。 |
No.960 | 5点 | フランケンシュタイン 対決 ディーン・クーンツ |
(2011/10/13 21:59登録) これまで3巻に亘って引っ張ってきた割にはヴィクターとの対決は非常に呆気なく、その死に様も200年以上も生き、人類の歴史の影に暗躍し、そして実業家ヴィクター・ヘリオスとして名を馳せていた宿敵の末路にしては実に情けないものとなった。 巻を重ねるごとに量子理論を理解し、どんな空間でもあっという間に瞬間移動でき、人間離れした怪力を誇るデュカリオンという善玉自体がどんどん完全無欠の存在となるにつれ、敵役で強大な資金と新人種という軍勢と頭脳を誇っていたヴィクターが反比例して弱小化していったのだから、最後の対決となった本書においてはほとんど相手にならなかったといっていいだろう。さらに当初は主人公だと思われたカースン・オコナーとマイクル・マディスンの警察コンビもデュカリオンの個性の前にどんどん色褪せてしまい、活躍の場をほとんど奪われてしまう。 このたくさん紡がれたエピソードの山を上手く処理できずに力技で強引に大きく広げた風呂敷を畳んでしまうのが最近のクーンツ作品の欠点だ。 結局はレプリカントや新人種といったフリークたちをたくさん出したかったのだろう。そう、このシリーズはクーンツのクーンツによるフリークショーなんだな。 |
No.959 | 7点 | 石の猿 ジェフリー・ディーヴァー |
(2011/10/06 21:59登録) West Meets East。 本作の主題を一言で表すとこうなるだろうか。中国からの密入国者とそれを抹殺する蛇頭の殺し屋の捜索に図らずも中国から密入国してきた刑事ソニー・リーと協同して捜査することになったライムとリーとの交流が実に面白い。物語の構図は殺し屋対ライムと変わらないが、決してマンネリに陥らないようアクセントを付けているところがディーヴァーは非常に上手い。特にお互いが白酒とスコッチと西と東の蒸留酒を飲み交わしあいながら語り合い、碁を打ち始めるシーンはとても印象的だ。毎回このシリーズには名バイプレイヤーが登場するが本書ではまさしくこのソニー・リーだ。 あくまで物的証拠を重視し、刑事の勘などを一切認めなかったライム―その頑なさが前作『エンプティー・チェア』でアメリアとライムとの対立を生んでいた―が本書では東洋の―というか中国人の―特異な考え方のために、ソニー・リーに頼らざるを得なくなるのが面白い。 (ここからネタバレ) だからソニーの死は非常に残念だった。今後の作品にも出てくるものだとすっかり思っていたので。 またゴーストとライム&アメリアの戦いも意外に呆気なかった。いつもなら最後の章まで危機が尽きないので。しかしこれは作品の主題―今までの敵になかった政府との太いパイプを持った殺し屋をいかに逮捕するか―がそこにはなかったからだろうが、やっぱりちょっと物足りない。 |
No.958 | 7点 | 怪笑小説 東野圭吾 |
(2011/09/29 21:45登録) タイトルに偽りなし。まさに「快笑」ならぬ「怪笑」といわざるを得ないブラックなユーモアが詰まった短編集だ。 ここに収められている短編の登場人物はいわゆる「あなたに似た人」。我々の平凡な日常や世間にどこにでもいる、もしくはいそうなちょっと変わった滑稽な人々のお話だ。 個人的なベストはブラックユーモア色が一番濃い「しかばね台分譲住宅」で、次点で「鬱積電車」か。着想の妙では「逆転同窓会」が実際にありそうでリアルに感じた。 しかし東野氏はユーモアを書かせても上手いなぁ。というよりも関西人の彼の本領は実はここにあるのではないか?「おっかけバァサン」や「一徹おやじ」、「無人島大相撲実況中継」などはコントとして発表してもおかしくない。この前読んだ『あの頃ぼくらはアホでした』で、本当にしょーもないことばかりを面白おかしく語ってみせ、緻密で流麗で後味がほろ苦い感傷的なミステリを書く作家というイメージを覆した東野氏があのエッセイを書くことで何かが吹っ切れ、地の姿を存分に出したようだ。 |
No.957 | 4点 | 二百万ドルの死者 エラリイ・クイーン |
(2011/09/26 22:05登録) ギャングの大物が遺した二百万ドルもの莫大な遺産を巡って遺産の相続人ミーロ・ハーハなる男を捜しにアメリカ、オランダ、スイス、オーストリアそしてチェコスロヴァキアと探索行が繰り広げられる。 痴呆症となりかつての鋭さの影すらも見えないほど落ちぶれたギャングのボス、バーニーの殺害事件はクイーンでは珍しく、犯罪の模様が書かれている。本格ミステリ作家であることから倒叙物かと思っていたがさにあらず。これがエラリイ・クイーンの作品かと思うほど、冒頭の事件は全く謎がなく、エスピオナージュの風味を絡めた人探しのサスペンスだ。 したがって本作には全く探偵役による謎解きもない。純粋に遺産を巡ってミーロ・ハーハなる男を殺そうとする輩と政治的影響力のあるハーハを利用せんとする者達との思惑が交錯するサスペンスに終始する。 それもそのはずで、本書はクイーン名義による別作家の手になる作品。 だとするとこのロジックもトリックもない作品をどうしてクイーン名義で出版したのか、そちらの方に疑問が残る。 |
No.956 | 4点 | 怪しいスライス アーロン&シャーロット・エルキンズ |
(2011/09/21 20:00登録) 第1作ということでまずは自己紹介といった色合いが強く、事件もごくごく普通のミステリに仕上がっている。 主人公リーはプロ1年目でゴルフもアメリカ陸軍時代の配属先のドイツの空軍基地で覚えたという変り種。 そして彼女が遭遇するのは地元の警察署に勤めるグレアム・シェリダン警部補という好漢。事件を通じてリーとグレアムは互いに惹かれ合っていくというこれまたロマンス小説の王道。 訳者あとがきによればシャーロット夫人はロマンス小説作家とのことで、エルキンズ作品よりもこの色合いが濃い。このリーとグレアムの関係はスケルトン探偵シリーズのギデオンとジュリーの馴れ初めを想起させるが、キャラクター造形はまだ本家の方が上か。 しかし当然と云っては失礼だが、まだまだ物語やキャラクター造形に深みが感じさせないので総合的に判断すると普通よりもやや劣る出来栄えに感じてしまった。 |
No.955 | 7点 | されど修羅ゆく君は 打海文三 |
(2011/09/20 21:14登録) これは単なる人探しの探偵物語ではない。 これは女の戦いの物語である。 渋谷の公園で見つかった全裸の女性死体の事件に隠された警察の犯罪を描いたこの作品は実は阪本尚人という男を軸にした女同士の激しい戦いなのだ。 戦闘に立つ女性は4人。本書の主人公13歳の戸川姫子は登校拒否児であるが既に精神は大人であり、大人に同等に渡り合う知恵を備えている。 そして阪本の探偵仲間の鈴木ウネ子。 そして被害者の南志保。かつて自分の妹を殺された犯人が阪本の命令を逸脱した行為によって引き起こされたものと思い、糾弾していたがそのうちに阪本に惚れ、同棲していた女。 そして最後は高木伊織。キャリアで阪本の元上司だが、周囲と違う雰囲気を備えた巡査の阪本に惚れ、南志保と三角関係に陥ってしまう。 そう彼女の中心に位置する阪本尚人という男は冷めた顔に愛くるしい笑顔が似合うが、一旦仕事でも自分の人生に関ればその後の生き様まで目を見晴らせ、道を誤っていれば更正を促すという、いまどき珍しいほど情に厚い男。警官だったが上に書いた命令違反行為によって懲戒免職になり、その後探偵に身をやつし、その生活に疲れ、山梨の山奥で農家を始めて隠遁生活を送るようになった、一風変わった男。彼がこの4人に嵐を生み出し、人が死ぬまでになった、いわば災厄の男なのだ。 つまりこれは追われる者阪本が現代版光源氏ともいうべき、出会う女がどうしても恋に、いや欲望に駆られざるを得ないようなフェロモンを漂わせている男なのだ。 警察上級官僚のスキャンダル隠蔽を巡る陰謀劇と見せつつ、その実、女の欲望が織り成す疾走劇。 名台詞のいっぱい詰まった良作。 作者がもうこの世にいないのが惜しまれる。 |
No.954 | 8点 | MISSING 本多孝好 |
(2011/09/15 21:13登録) ミステリの祭典というサイトだからミステリとして採点すべきなのだけど、小説ということで評価します。 MISSという単語は日本語で云われている「誤り」とか「間違い」という意味は全くなく(日本語のミスはMistakeの省略)、「誰かのことを思って寂しくなる」という意味だ。 本書に収録された5編に共通するのはまさしくこの「誰かのことを思って寂しくなる」、即ち喪失感だ。 そしてこの喪失感ほど残酷なものはない、という作者の主張が行間から見えるほどここにはある特殊な思いが全編に共通して流れている。 それは3編目の「蝉の証」の中で主人公が考える次のことだ。 「欺き、騙され、そうまでして人は自分が生きた証をこの世界に留めずにはいられないものだろうか」 まさしくそうだろう。喪失感という心に与える巨大な負のエネルギーが却って残された人々の心に存在感を浮かび上がらせる。 あの時確かに君はいたのだ、と。 20代でこれほど流麗な文章で物語が書けるとは素晴らしい。 特に大切な誰かや守っていた何かをなくした時に読むとこの作品を読んで去来する感慨は殊更だろう。ちょっと泣きたい夜にお勧めの一冊だ。 |
No.953 | 8点 | いざ言問はむ都鳥 澤木喬 |
(2011/09/13 21:51登録) それぞれの短編で提示される謎とは一見なんともないようなもので「日常の謎」系の短編集だと思うだろう。そのジャンルの仕掛け人である東京創元社から出版されているから尚更だ。 しかし本書はそうではない。人の死が、犯罪が介在するミステリなのだ。 沢木敬が語り手となって進む物語は、上に書いた平井教授とその仲間達の日常風景と大学の学生達のエピソードと沢木の植物に関する薀蓄などが上手く絡み合って実にほのぼのしたタッチで語られる。その話に挟まれる小さな事件、もしくは事件とはいえない、ちょっと変わった出来事の裏に隠された真相は実に魂の冷えるような手触りをもっている。 解説の巽昌章氏が一番冒頭に語っているように、このたった220ページ強の短編集に込められた時間は実に濃密だ。 作者澤木喬氏が発表した作品はこのたった1冊だけ。恐らく作者の名もこの作品の存在すらも知らないミステリファンもいることだろう。ぜひとも多くの読んでもらいたい。現在絶版状態であること自体、勿体無い。 |
No.952 | 6点 | 失われた地平線 ジェームズ・ヒルトン |
(2011/09/12 19:25登録) いち早くシャングリ・ラの環境に適応し、魅了されていくコンウェイと、世俗の考えを捨てきれず、ひたすらにシャングリ・ラからの脱出を願う若きマリンソン。本書の読みどころはこの対照的な2人の考え方がぶつかり合うところだと云っていいだろう。 そういう意味ではこれは冒険小説ではなく、思想小説の類に近いのではないだろうか。物語の導入部こそハイジャックされるというサスペンスがあるものの、物語の大半は楽園シャングリ・ラで繰り広げられる。西洋人の面々が東洋の仏教の考えに直面し、次第に感化されていくさまは、作者ヒルトン自身の趣向が反映されているのかもしれないが、発表当時は斬新だっただろう。 コンウェイの決断は物語の結末を読むと、裏目に出てしまったように書かれているが、しかし実行せずに後悔するよりも実行して後悔した方がいいという言葉のまま、突き進んだ彼は本望だったに違いない。 |
No.951 | 7点 | 青い虚空 ジェフリー・ディーヴァー |
(2011/09/04 22:23登録) リンカーン・ライムが現代に甦ったシャーロック・ホームズ、即ちアナログ型探偵―最新鋭の分析機器で証拠の特性を探るという手法はあるが―だとすると、本作の主人公ワイアット・ジレットは電脳空間(本書では青い虚空(ブルー・ノーウェア)と呼んでいる)を自由に行き来するデジタル型探偵だ。 しかしここに書かれている犯罪の完璧さに戦慄を覚える。 なんせ容疑者発見の際に掛けた携帯電話がジャックされて犯人へ繋がり、援助が呼べなくなるのだ。 さらには堅牢だと思われた学園のセキュリティシステムにも潜入し、得たい情報を得るとそれを元に身分証明書も作成し、身元照合に役立てるなど、また新聞や雑誌の記事で匿名化された取材対象者に対しても、取材した記者のパソコンへ侵入して個人情報を得るなど、もう何が安全でどうやったら個人情報が無事に守られ、平穏な生活が得られるのか不安になってしまう。 この作品を読むと、安全なパソコンなんて存在しないのではないだろうか?という思いに駆られる。 そんな世界中のパソコンに侵入し、情報を自由自在に操るフェイト。さらに彼はソーシャル・エンジニアリングの名手。 ソーシャル・エンジニアリングとはいわば本当の自分を隠し、実在する人間、もしくは架空の人間を演じて成りきってしまう技術だ。彼は少年時代に演じることで周囲の注目を集めることを知り、ソーシャル・エンジニアリングの名手となった。これはもう史上最高のシリアルキラーといっても云いだろう。 今回もあれよあれよとどんでん返しを畳み掛ける。特に今回は匿名性がまかり通った電脳空間での戦いであるがゆえに、本名とハンドルネームの二重の仕掛けとソーシャル・エンジニアリングという他者を偽る技術が三重四重のどんでん返しを生み出している。後半は読んでて誰が誰だか解らなくなってくるくらいだ。 しかし残念ながら今回の物語はパソコンの専門用語がどんどん出てくるし、特にハッカー、クラッカー連中のスラングが頻出しているのでなかなか理解するのに時間がかかってしまった。つまりページターナーであるディーヴァーの巧みな物語展開に上手く乗ることが出来なかった。 |
No.950 | 8点 | リベルタスの寓話 島田荘司 |
(2011/08/17 18:32登録) 奇想と民族対立という社会的問題のコラボレーション。本書を読む際、本格ミステリか民族問題提起の社会派小説か、どちらかに比重を置くことで評価も変わってくるだろう。 中編『クロアチア人の手』で探偵役を務めるのが石岡くんというのはやはり嬉しい。しかしこの密室トリックはものすごいね(汗)。とうとうここまで来たかという感じ。 表題作は凄惨な殺人事件もさることながら旧ユーゴで起きた民族紛争が落とした暗く深い翳、セルビア人、クロアチア人たちの大きく深い暗黒のような溝が非常に重い読後感を与える。 世界的に見ても理解を超える残酷で苛烈な所業があの紛争で成されたこと、なにしろヒットラーの行為がまだぬるく感じるほどのすさまじさだ。 ミステリとして成立するには非常に危ういバランスだが、社会派小説として読むには非常に考えさせられる内容だ。 |
No.949 | 3点 | 笑ってジグソー、殺してパズル 平石貴樹 |
(2011/08/14 20:38登録) 実業家の邸宅で起こる3つの殺人事件。現場は全て同じ部屋でしかもジグソーパズルがばら撒かれていたというシチュエーションが一緒というのが本書の事件。作者は各章及び犯行現場の見取り図をそれぞれパズルのピースに見立て、102片のピースが出揃った時点で読者への挑戦状を提示する。久々にトリックとロジックに特化した本格ミステリを読んだ。 このシリーズ探偵更科丹希の性格には反感を覚えずにはいられない。殺人事件の謎解きが好きだという点は甘受してもいいが、事件の捜査の過程で人の秘密を暴いてバラすのが好きだと云ったり、犯人の仕業、例えば今回の事件では殺人現場にジグソーパズルがばら撒かれていることに意味がないと嫌だと云ったり、ましてや謎解きの材料がもっと集まるために誰かもう一人死なないかな、などと人の命を軽視する考えを示すに至っては、例え才色兼備であっても、こんな探偵なんかには助けてもらいたくない!と思わざるを得ない。 確かに純粋な作者と読者との推理ゲームに徹する姿勢はいいとは思うが、それを極端に演出する為に探偵役の性格を上記のように設定するのはいかがなものか。そしてやはり推理小説は小説であるから、理のみならず情にも訴えかけるが故に驚愕のトリックやロジックもまた読者の心の底にまで印象が残るのでは、と個人的な見解だ。 「小説を読むことは人生が一度しかないことへの抗議だと思います」 という名言を残したのは北村薫氏だが、この言葉が表すように心に何か残るものがなければ小説ではないのだと私は思う。自分には起きない出来事を知りたいから、疑似体験したいからこそ人は物語を書き、読むのだ。だからパズルだけでは今の時代では認められないのではないだろうか? しかしシリンダー錠に鍵かけるのに、あんな仕掛けはいらないだろう。ただ単純にボタン押して出れば鍵がかかるだけじゃないか。それとも私が何か勘違いしているのだろうか? |
No.948 | 8点 | 夜明けのパトロール ドン・ウィンズロウ |
(2011/08/09 22:06登録) すこぶる腕の立つ私立探偵なのだが、三度の飯よりもサーフィンが好きなせいでそのためにはどんな依頼よりもサーフィンを優先する。そんな魅力的な探偵ブーン・ダニエルズがドン・ウィンズロウの新シリーズキャラクターだ。 まずもうのっけから作品世界にのめり込むほどの面白さ。ところどころに織り込まれるエピソードが面白く、一気に引き込まれてしまった。恐らく亡くなった児玉清氏が存命で本書を読んだなら快哉を挙げること、間違いないだろう。 ブーンと彼のサーフィン仲間“ドーン・パトロール”の連中がすごぶる魅力的で、こんなご機嫌な奴らが繰り広げられる物語はオフビートな語り口で軽快に流れていくのだが、ブーンが捜査していくうちに判明する真実は重い。 個人的には『フランキー・マシーン~』のように終始軽快に物語が続いてほしかったので、それが故に-2点させていただいた。 でも訳者あとがきによればウィンズロウはやはり現実の過酷さというものを物語に織り込んでいく意向なので、次作からはそのつもりで読むこととしよう。 |
No.947 | 6点 | ヘルズ・キッチン ジェフリー・ディーヴァー |
(2011/08/03 22:14登録) ジョン・ペラムシリーズ3作目。なんと前作『ブラッディ・リバー・ブルース』から9年ぶりの刊行だ。これほどブランクが空いたのはやはりリンカーン・ライムシリーズが受けたため、そちらにかかりっきりになっていたからだろう。 ディーヴァー初期のシリーズであるこの作品が今や彼の看板作品となったリンカーン・ライムシリーズを経て、どのように生まれかわったのかが興味を惹くところだったが、意外にもディーヴァーはライムシリーズやその他のノンシリーズで売り物にしている息を吐かせぬ危機また危機の連続やタイムリミットサスペンスといったような展開を取らず、このシリーズの前2作同様に主人公のジョン・ペラムがじっくりと訪れた町を彷徨し、町に隠された貌を知っていく作りになっている。登場人物一覧表に記載されてない人物のなんと多いことか。ディーヴァーはそれまでに培った上記の手法を敢えて取らずにシリーズ全体のバランスを優先したようだ。しかしこれはディーヴァー作品を読んできた者にすれば、逆行した形になって不満が残るかもしれない。 でも長らく中断していたこのシリーズが、ライムが異郷の地で捜査をした『エンプティー・チェア』の後にこの作品が書かれたことは興味深い。もしかしたら『エンプティー・チェア』を書いている最中にペラムシリーズとの類似性に気付いたのかもしれない。 これで恐らくこのシリーズは終わりだろう。彼の売れない作家時代を支えたこのシリーズの終焉を素直に祝福しよう。 |
No.946 | 7点 | クイーン警視自身の事件 エラリイ・クイーン |
(2011/07/29 20:49登録) シリーズの主人公エラリイは全く登場せず、純粋にその父親リチャード警視―本作では既に定年退職しているので正確には元警視―が事件解決に当たる物語。これは現在世間ではエラリイ・クイーンシリーズの1つとして扱われているが、現代ならばスピンオフ作品とするのが妥当だろう。 したがって物語の趣向は従来のパズラーから警察小説、いや私立探偵小説に変わってきているのが興味深い。 そして警察小説ではなく、プライヴェート・アイ小説と訂正したのは既に警察を退職したリチャードがなかなか口を割らない容疑者を落とすため、警察が踏むべき手順を逸脱した捜査方法を取るからだ。 警察辞めるとクイーン警視がこんなにぶっとんだ方法を取るとは思わなかった。 今回の真相は先に解ってしまった。逆にもどかしくてなぜその考えに至らないのかじれったいくらいだった。 これは恐らく当時としてはショッキングな真相かつ驚愕の真相だったかもしれないが、現在となっては別段目新しさを感じないし、恐らく読者の半分くらいは真相を見破ることが出来るのではないだろうか。もしかしたらそれ故に本書が長らく絶版の憂き目に遭っているのかもしれない。 しかし本書でもっとも面白いのは物語のサイドストーリーのしてリチャード・クイーンとハンフリイ家の保母ジェッシイ・シャーウッドの恋物語。いやあ、次作からどうなるんだろ? |
No.945 | 7点 | オレたち花のバブル組 池井戸潤 |
(2011/07/28 21:26登録) 率直な感想としては面白かったといえるだろう。銀行を舞台にした経済小説というよりも企業小説で、主人公の半沢の反骨精神が本書のキモだ。 次長の身分で自らの上司、他部署の部長のみならず、各支店の支店長はおろか常務取締役や頭取までにも食いつく。いくら仕事がデキルからといって、こんなあちこちに自分の道理を通して我が道を行き、歯に衣を着せない言動を行うサラリーマンなんているわけがない。ましては旧弊的な風習の残る銀行業界だから何をかいわんや。 しかしこういう風に思ってしまうこと自体、私が年取ってしまったのだろう。20代の頃は自分の理想に少しでも近づけようと時に横暴にふるまって意志を通してきた。それがカッコいいと思っていた節もあるし、俺がやらなきゃ誰がやるんだ?といった妙な正義感に駆られていたように思う。半沢を見ているとかつての自分がいるかのように思えた。 大きく分けて3つのエピソードから成り立っている物語がやがて有機的な関係を築き、一方が一方において致命的な原因になったり、また他方では絶体絶命の窮地を打開する切り札になったりと実にうまく絡み合っていく。 この辺のストーリーの運び方とプロットの巧みさには感心する物があった。特に金融業という一般の人にはなかなか入り込みにくい題材を平易に噛み砕いて淀みなく語って読者に立ち止まらせることなく進行させるのだから、この読みやすさは実は驚異的だと云ってもいいだろう。 またバブル入社組に対する認識が改まった作品でもあった。たまにはこんな小説もいいな。 |
No.944 | 6点 | 本格ミステリー・ワールド2011 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 |
(2011/07/27 21:24登録) 嬉しいのは当初「二階堂黎人の気に入らない作品は本格ではない」とも取れる“二階堂黎人の俺ミス”というべき彼の暴挙、傍若無人ぶりが鳴りを潜めてきた点だ。ようやく本書で選出される「黄金の本格ミステリー」が一個人の偏愛によって左右されることがなくなった。これは非常に悦ばしいことだ。 しかしいつもながらこの「黄金の~」の選出作品には果たしてこれが後世に残るほどの物かと思うものが多い。本年は島田と麻耶の新たな代表作とも云える『写楽 閉じた国の幻』、『隻眼の少女』がその評判に相応しい作品とも云えるがあとは果たしてどうか。三津田の『水魑の如く沈むもの』は確かに本格ミステリ大賞にも選ばれた作品だから選ばれるに相応しい作品とは思うが、シリーズ物の中の1作ということで印象的には弱いと感じる。 さて冒頭に述べた某二階堂黎人氏の暴挙が大人しくなった理由の一つに今年から刊行される南雲堂が打ち立てた企画「本格ミステリー・ワールド・スペシャル」という叢書シリーズに力が入っていることが挙げられよう。そこに揃ったのはまさに二階堂氏お気に入りの作品を書く作家達ばかり。彼は世に蔓延る本格ミステリの数々を“俺ミス”基準で選出・排斥することを止め、子飼いの作家たちに“俺ミス”を書かせるようにしたようだ。 しかし毎年感じるが、未だに原書房の『本格ミステリ・ベスト10』との違いが見出せない。 |