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ミステリの祭典

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盤面の敵
エラリイ・クイーン

作家 エラリイ・クイーン
出版日1965年01月
平均点5.36点
書評数11人

No.11 6点 ことは
(2024/01/03 14:56登録)
ミステリ的仕掛けは、いまひとつに感じるが、たぶん、狙いが刺さっていないからだと思う。
本作の発表は1963年。有名映画のxxxは1960年で、xxxxの「xxxとxxxxx」は1957年。EQMMの編集も行うクイーンが、これらの作を知らないことは考えられないので、本作はこれらを踏まえて書かれているはずだ。だとすると、これらに似たあの反転の仕方が狙いでなく、別の部分が狙いなのだと思う。想像では、真犯人の立ち位置が狙いなのだと思うのだが、それは私にはあまり刺さらなかった。
とはいえ、刺さる人には刺さるのかもしれない。例えば、本作を読んで、少し情報を検索したのだが、スタージョンの日本語Wikiに、ウィリアム・L・デアンドリアが本作を好きだったことが書いてある。デアンドリアには刺さったのだ。「だからあの作か!」と思う。
また、シオドア・スタージョンが書いたと知って読むと、シオドア・スタージョンの作風が見え隠れして興味深い。これも、スタージョンの日本語Wikiの記述だが、法月綸太郎の評価として”「孤独な魂に送られてくるメッセージ」というスタージョン的なモチーフが利用されており”とあり、とても腑に落ちる。
細かい描写が逐一記述されるのも、スタージョンらしさだろう。例えば、ウォルトの動きで、”製氷皿2枚をとりあげ、台所の裏のポーチに出ると、皿を手摺りにのせ、ドアに鍵をかけ、また皿をとりあげて……”と、長々と記述している。
他には、タイトルは、邦題より原題の方がよいと思う。邦題は1つの意にしかとれないが、原題はあいまいで、いくつもの捉え方ができそうだ。結末を知って原題を読むと、「Other Side とはあれか?」と思うところがあるし、登場人物がそれぞれ抱えている秘密も Other Side にあたるともとれる。
いろいろな読みができる力作で、スタージョン好きには特に興味深く読めると思うが、普通のミステリ的カタルシスをもとめると、肩すかしかもしれない。
ああ、それと、ハヤカワ・ミステリ文庫版の扉裏には「リーに捧ぐ」とある。いやいや、いろいろな読みができる献辞です。

No.10 4点 HORNET
(2023/01/06 14:56登録)
 先々代の遺産を受け継ぎ、「ヨーク・スクエア」と呼ばれる特異な城郭式の家屋に住む4人の親族。そこで働く下男・ウォルトのもとに、奇妙な手紙が届けられる。「わたしはきみを知っている。きみに大きな仕事をゆだねる」―手紙の指示に従順に従うウォルトの手によって、奇妙なカードで予告された連続殺人事件が幕を開ける―

 うーん…
 読み進める分には苦はなかったのだが、最後がアレでは…。本作は、実行犯は始めから明らかなので、その実行犯ウォルトを操る「手紙の主・Yは誰か?」が必然的に作品の謎の中心になってくるのだが…この時代には衝撃的真相だったのかな?時代によって色あせてしまったともいえるが、やはり根本的にちゃんと別の人物がいることを期待していたので、かなり肩透かしを食った気持ち。
 メッセージカードのJHWHの意味云々も、ピンとこない。欧米のキリスト教徒の人たちなら膝を打つ仕掛けなのかな。そもそも、建物の形にしたカードを送ること自体に最終的に意味を見出せない。(動機から考えると自己顕示欲ということになるのかもしれないが。)
 実際はクイーンの作ではないとされる本作。エラリイのキャラクターにはブレがない感じがして気にせず読めたが、最終的にはイマイチだった。

No.9 7点 虫暮部
(2020/10/27 14:51登録)
 EQは、“フェア・プレイのパズラー”を規定するだけでなく、それをこじらせるところまで自ら体現した点が素敵だ。
 本作はその精神性が上手く形になっているような気がする。もっとも本邦の新本格勢のほうが、数々の前例を踏まえて臨めた分、この手の捻り方に関しては一枚上手。相対的に少々物足りないか。
 舞台となるヨーク・スクエアが描写不足でイメージしづらい(あまりそれが必要な話でもないけど)。事件が続けば手掛かりが増えるとばかりに、捜査陣が手を束ねて第二第三の犯行を待っていたように見える。作品前半ではアレがファースト・ネームに思えるような書き方を意図しているのだから、登場人物表は無神経だ。思わせぶりなカードについて、犯人側の内的必然が充分存在した点は、『最後の一撃』での反省が生きている(のか?)。

 代作? まぁそもそも、その人がその小説を書いた、と完全に証明するのは不可能だしね……。

No.8 3点 レッドキング
(2020/09/24 20:44登録)
奇怪な遺書により4つの同型の五角形屋敷に住む、4人のイトコ達に降りかかる連続殺人。その都度、屋敷同様の五角形カードが送られ、それぞれに「J」「H」「W」「H」の文字。 4文字の謎の解明は・・ダイイングメッセージ「face」や「ホー〇」なみに脱力・ズッコケ「つ、つまらん」オチ。んなもん分るわけないし、分かったところで正直どうでもよい、われら非聖書民族としては。  で、肝心な、操り・多重人格ネタは・・まあ、ミエミエだった。

No.7 5点 クリスティ再読
(2017/01/04 16:31登録)
評者読んだのはポケミス版なので、裏表紙に皮肉なことにリーとダネイの肖像(二個一の写真ではなく)が別々に載ってるよ。皆さん書いてるけど本作がコンビ解消第1作で、リーは関ってない。ライターはSF作家で名をなしたセオドア・スタージョンだということだが、こうやって読んでみると、評者やっぱりリーの荘重で叙事詩的な文章って好きだったな、と思う。本作だと文章が軽めで、ウィットの豊富な会話が多い(だからまあ、悪いってんじゃないけどね)。
で、スタージョンがライターだから...というのではないが、本作今にしてみれば、山田正紀っぽいテイストがあって、実はSFなんでは?とも思う。あ、枠組みとか全然ちゃんとしたミステリ、っていうかみんな大好きな家モノだよ。読みようによっちゃ、例の「Yの悲劇」のやり直しみたいな部分もある。実行犯をまずバラしちゃってるあたり、「『Yの悲劇』の犯人は誰でしょう?」の解②側をダネイは正解だと思ってる?とか勘ぐるのもアリかもしれないくらいに、クイーンな作品であることは間違いない。
まあそうでなくても、後期クイーンっていうと、「十日間の不思議」とかキリスト教系の神秘主義に絡む話が多少あるわけで、そういう神秘主義と表現上のメタレベルの問題をうまく作品にしてやろう(ここらが特に山田正紀)...という狙いを感じるわけだ。いかにもミステリっぽいネタなんだけど、実はパズラーとは程遠い、あえてパズラーとして見たらわざとやってるインチキみたいな真相になる。ダネイは小説の裏側にまで「ミステリ」を拡張しようとしてるかのようである。どう見てもミステリの枠内にうまく収まりきれるものじゃない気がするよ。
(あ、あといわゆる解離性同一性障害は、アメリカではカウンセラーによる記憶の捏造が大社会問題になってしまい、現在インチキ&オカルトという評価も強いようだよ。けど小説が興味本位でセンセーショナルに扱っちゃうと、責任は一体誰がとるんだろうね?)

(ネタバレ注意!)
本作の犯人は神(いやマジで)。

No.6 4点 青い車
(2016/09/23 23:55登録)
 クイーンが後期に拘ったという「操り」テーマの一作。まだこの時点ではあまり書かれていなかった設定に驚くべきひねりを加えているのは称賛すべきかもしれません。しかし、そのひねりが正攻法から大きく外れる要因になってしまっているように思え、逆に僕にとってはよけいでした。エラリーの推理もアルファベットをひっくり返してみるなど、ちまちましていて魅力に欠けます。『ギリシャ棺』のような重厚感には遠く及びません。好きな作家なだけにハードルが上がっていたのもありますが、あらゆる点で物足りない出来でした。

No.5 5点 nukkam
(2016/08/14 02:23登録)
(ネタバレなしです) クイーンが最後の作品にするつもりだったとされる「最後の一撃」(1958年)から5年後の1963年に発表されたエラリー・クイーンシリーズ第25作ですが実態はゴーストライター(SF作家のシオドア・スタージョン(1918-1985))が書いてクイーン名義で出版されたそうです。殺人実行犯を影で操る真の殺人犯という設定が大変ユニークで、連続殺人のサスペンスと相まって終盤までだれることなく引っ張ります。真相にも工夫を凝らしていて、この時代ではかなり珍しいであろう犯人像が描かれていて本書に高い評価を与える識者がいるのも理解できます。しかしエラリーの推理が残念レベルです。宗教的というか観念的な説明ですっきり感を味わえませんでした。

No.4 6点 tider-tiger
(2015/11/14 14:51登録)
ヨークスクエアなる正方形の敷地の四隅にはそれぞれ城があり、敷地の中央には庭園がある。城にはそれぞれ主がいて彼らは従兄同士。このヨークスクエアの下男であるウォルトの元に匿名の手紙が届く。
――きみは、わたしがだれだか知っている。
きみは、きみがそれを知っているということを知らない。――
こんな風に始まるこの手紙はウォルトを賞賛しますが、客観的には少々気味が悪い。
ウォルトの元にはこの匿名希望の人物から再度手紙が届く。好かれも嫌われもしない孤独な男ウォルトに大いなる使命が与えられた。
ウォルトは手紙に書かれたことを忠実に実行し、ヨークスクエアの一城の主が花崗岩で頭を砕かれて無残な死を遂げた。
そして、――悲劇は繰り返される――北斗の拳オープニングより引用

実行犯が冒頭から明示された奇妙なミステリ。ウォルトを操っている黒幕を名探偵エラリー・クイーンが解き明かしていきます。
なかなか面白い。
ゲーム性の高いプロットではありますが、登場人物が駒にはなっていませんし(むしろ変なアクがある)、この手の小説にありがちな人物の行動の不自然さは辛うじて回避されています。
例えば、ウォルトは逮捕されてもなお口を割ろうとしないのですが、これはウォルトの人物造型、及び真相の開示によって納得できます。ギリギリですが。
ただ、読み進めるうちに不安は高まりましたね。どうやって収拾つけるのか。
容疑者が少な過ぎるんですよ。まさかカーみたいに「登場人物以外の犯人」に挑戦した?
それから、ここまで見事に操られてしまうものなの? という疑問も湧きました。この疑問は真相開示によって腑に落ちたのですが、神秘性、宗教性、及びウォルトと彼の関係性などは悪くないものの、このネタはちょっとなあ。あと動機がようわからん。
結論 真相のあのネタを除けば非常に面白かった。一点減点して六点とします。

シオドア・スタージョンの代作とされている作品ですが、スタージョン愛読者の自分は何頁か読んで、ああこれはスタージョンっぽいなと思いました。エラリー・クイーンはあまり読んでいないので比較はできないのですが。
スタージョンぽいと思ったのは以下。
手作業について細かく描写するのが好き。
孤独というキーワード、ウォルトやアン・ドルーなどの人物造型、取るに足りないとされていた人物の変容など、そのままスタージョンの作品に登場してもまったく違和感なし。
わりと素直な文章でスタージョンらしくないが、比喩(少々独りよがりな面のある)を多用しているあたり。
代作スタージョン説に異議はありません。文章(あまり個性を出さないよう気をつけてはいるが)と人物造型はスタージョン。プロット作成にはスタージョンは関わっていないとみています。

No.3 5点 E-BANKER
(2013/01/23 22:30登録)
1963年発表の長編作品。
名探偵エラリー・クイーンと真犯人との対決をチェスの対局になぞらえ、華麗な推理ゲームが展開される。

~四つの奇怪な城と庭園からなるヨーク館で発生した残虐な殺人事件・・・。富豪の莫大な遺産の相続権を持つ甥のロバートが、花崗岩のブロックで殺害されたのだ。エラリーは父親から事件の詳細を聞くや、俄然気負い立った。殺人の方法も奇抜ではあるが、以前からヨーク館には犯人からとおぼしき奇妙なカードが送られてきていたのだ。果たして犯人の真の目的は? 狡知に長けた犯人からの挑戦を敢然と受けて立つクイーン父子の活躍!~

この真相はかなり微妙だな。
他の方の書評にもあるが、自身の名作「Yの悲劇」を彷彿させる舞台設定(犯人の署名は「Y」、事件の舞台はヨーク家)、真犯人の筋書き通りに犯行を行う示唆殺人など、本作は実にゲーム性に満ちたプロットになっている。
途中で殺人の実行者が判明しながらも繰り返される殺人事件。そして、真犯人候補が徐々に狭められるなかで、最後の最後にやっと明かされる真犯人の正体。
そう、これが実に微妙なのだ・・・。

確かに、こういうプロットもありだとは思うし、時代性を考慮すれば先見性のあるものなのかもしれない。
ただなぁ・・・これだといろいろともったいぶって書かれた途中の展開が、「必要だったの?」っていう気になってしまう。
例の犯人からの手紙の署名についても、正直よく理解できなかった。
(キリスト教国では意味のある「こと」なのかもしれないが・・・)

まぁ、代作者の手による作品ということであるが、個人的な好みとはやや外れていたという感じは否めない。
作品の雰囲気や遊戯性自体は嫌いじゃないだけに、何か惜しいなぁ。

No.2 7点 Tetchy
(2011/12/20 22:42登録)
犯人との推理合戦とでも云おうか、連続殺人事件を画策する「Y」なる人物とエラリイの推理の闘いという原点回帰の作品だ。
しかしこの『Yの悲劇』との近似性は一体何だろうか?題名にもなっている盤面の敵である匿名の犯人が使う名前はYだし、『Yの悲劇』で一番最初に死体で発見されたのはヨーク・ハッターならば本書の連続殺人の被害者はヨーク一族。そして何よりも両者とも示唆殺人であるところが一致している。

最後の真相は今では数あるミステリでも取り上げられた設定で、サプライズでもあり、驚きはなく、ああ、この手かと思うくらいにしか過ぎない。しかし当時としては斬新だったことは窺えるし、クイーンの先見性には目を見張るものがあるだろう。

代作者による作品とのことだが、クイーンの名を冠して発表しているだけにやはりクイーンの一連の作品として読むことにする。
作者クイーンがミステリに対していかに新たな血を注ごうかと精力的であったのは存分に窺える。本書を読む人はそんな背景も汲んで是非とも臨んでいただきたい。

No.1 7点
(2009/01/19 21:17登録)
代作者がシオドア・スタージョンだと知った時には、あのSF作家が?と信じられない気持ちでいたのですが、本書出版の3年前、1960年にスタージョンが書いたSF『ヴィーナス・プラスX』を今年になって読んで、驚かされました。言葉遊びが多用されていますし、「エラリー・クイーンの国名シリーズ」なんて言葉まで飛び出してくるのです。そう言えば、スタージョンお得意のテーマも、本書のトリックにどこか通じるものがあります。まあ、基本的なプロットはダネイが考えたのでしょうが。
それはともかく、年代的には、どうしても本作の少し前に公開されたあの有名映画(原作は未読)を思い出さざるを得ません。そのネタをフーダニットに応用すればこうなる、ということなのでしょうか。個人的には、ライツヴィル4作の後では最も好きな作品です。

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