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ミステリの祭典

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雪さんの登録情報
平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.106 5点 配当
ディック・フランシス
(2018/11/27 16:58登録)
 妻セアラとの冷ややかな関係に悩む中等学校の物理学科教師ジョナサン・デリイ。彼は夜半、同じく子供を持てない夫婦仲間であるピーター・キースリイからの電話を受けた。彼の妻ドナが他人の赤ん坊を盗んだというのだ。
 気乗りせぬままセアラに引き摺られるようにノーフォークへ向かうジョナサン。結婚前の彼らは、ジョナサンを兄とする兄弟姉妹のような関係だったのだ。彼はピーターを荒れた家からパブに連れ出すが、パブでの会話で、客から競馬のコンピューター・プログラム作成を請け負ったこと、その直後、プログラムを渡すよう二人の男たちに脅迫されたことを知らされる。
 そして帰り際に押し付けるように、ピーターから渡される三本のカセット・テープ。その二日後、彼はキャビン・クルーザーの燃料爆発による事故で死亡した・・・。
 競馬シリーズ第20作目。平均して三度に一度は当たるという、競馬必勝システムを巡る争奪戦。第一部の語り手はオリンピックの射撃選手でもある兄ジョナサン。それから14年後の第二部の語り手は、大物競馬関係者の臨時代理人を務める弟ウィリアム。二部構成ですがあまり効果を挙げていません。
 傑作「利腕」前後のフランシスは色々目先を変えているのですが、「試走(競馬シリーズ失敗作の一つ)」のように完全に滑ったものもあり、本書も疑問符が付く出来映え。
 まず殺人を犯していながら警察の存在をまったく考慮に入れないなど、メインの敵キャラがお間抜け過ぎること。いつものボスの使い走り程度の存在です。対照的に第一部の主人公ジョナサンは冷静強力なので、敵との均衡が取れていないこと。凶暴かつ執拗、しかもアホな相手なので、二部の主人公ウィリアムは勢い敵の面倒を見続けるような格好になってしまい、展開がスッキリしないことなどです(最初のあたり「もう来ないんじゃないか」と言って恋人と寝ていると、ドアをブチ破って敵が入ってくるとか、ギャグめいたシーンもあります)。
 このしつこく絡んでくる相手をどうするか。結末は意外といえば意外ですが「うーん」という感じですね。少し都合が良すぎるような気もします。色々工夫もありますが、総合的に判断してあまりお奨めはいたしません。4.5点。


No.105 5点 メグレ保安官になる
ジョルジュ・シムノン
(2018/11/26 04:49登録)
 メグレ警視はアリゾナ州ツーソンに滞在していた。研修旅行のカリキュラムとして、アメリカの法制度や捜査手順を視察するのだ。当地の裁判所ではある事件の審問が行われており、彼は名誉副保安官の資格でそれに立ち会うこととなった。
 砂漠を走る線路脇に放置されていた女性の轢死体と、彼女と連れ立って歩いていた五人の兵士を巡る事件。事件関係者たちの矛盾する証言。これは事故なのか、それとも殺人なのか?メグレは慣れぬ異国の制度に戸惑いながら、真実を見定めようとする。
 メグレ警視シリーズ第59作。1949年発表。原題は Maigret chez le coroner (検死審問法廷のメグレ)。日本語邦題はイロモノですが、内容はマトモです。
 メグレものとしては非常に珍しく、現場図面が二度ほど挿入されます。が、推理的要素はほとんどなし。ツーソンで現実に起こった事件を参考にしたのでしょうか。事件の解明よりも、アメリカの法廷の様子や社会風俗の描写に筆が注がれています。このあたり実際に一時ツーソン在住だったシムノンの経験が生きています。
 第二次大戦後の世界のリーダーとして台頭したアメリカの実情を、フランスの読者に示す意図で書かれた作品でしょうか。そうは言ってもメグレもやられっぱなしではなく、審問が進むにつれて焦点を絞り、現地の副保安官にメモを手渡し、判決前に犯人の名前を当ててみせます。
 メグレが犯人を当てた事で副保安官は僅かに胸襟を開き、陪審制度といっても我々が事実の出し方をコントロールしているので、フランスとやってる事はそう変わりませんよみたいな事を語ります。おそらくこれはシムノン自身の見解でもあるのでしょう。地味めのノンフィクションみたいな作品です。


No.104 8点 オランダの犯罪
ジョルジュ・シムノン
(2018/11/25 13:57登録)
 ある五月の午後、メグレ警部はオランダの港町デエルフジルを訪れていた。ナンシー大学の教授であるフランス人犯罪学者ジュクロが、殺人事件の容疑者として禁足されていたのだ。被害者は地元にある海軍兵学校教授コンラッド・ポピンガ。彼は庭の倉庫に自転車を入れようとする途中、自宅から拳銃で撃たれていた。ポピンガ家に滞在していたジュクロは銃声を聞き、凶器の銃を握って駆け付けたのだった。
 風呂場で発見した銃をうっかり握ったままにしてしまった、と主張するジュクロ。メグレは事件を読み解くため、まず被害者を誘惑していた乳牛輸出業者の娘、ヴィトージュ・リイワンスに接触するが・・・。
 メグレ警視シリーズ第8作。「メグレと深夜の十字路」の次作にあたる、ごく初期の作品。創元推理文庫版は手が出ないので、雑誌「宝石」の松村喜雄・都筑道夫コンビによる初訳版でなんとかかんとか読みました。"デエルフジル""リイワンス"とか固有名詞が変なのはそのせいです。横溝正史の「悪魔が来りて笛を吹く」の連載最終回が併載されてたりして、ちょっと戦後初期の空気を感じる頃の初訳300枚一挙掲載。挿絵は松野一夫画伯。
 デエルフジルの街並みは小綺麗な赤煉瓦造りで、港を船が行き来し、絵葉書のよう。住民たちは健康的な市民階級ばかりで、悪い評判が広まるのを警戒しています。
 地元オランダ警察のピペカン刑事は「外部の人間の仕業」と片付けてメグレを丸め込もうとしますが、そんな手に乗るメグレではありません。彼は地元の意向などいっこう頓着せず捜査を進め、最後に容疑者全員を集めて事件の再演を行います。このときメグレと連れ立って夜道をそぞろ歩き、ポピンガ家に向かう事件関係者たちの姿が強く印象に残ります。
 犯人解明は消去法によるものですが、それよりも人間関係のもつれから生じた物理的盲点を、巧みに利用した犯行計画がなかなか。それらが渾然となって一枚の絵ともいうべき鮮やかな映像を描き出すところが、いかにも初期のシムノンです。
 読者の心に残る人物像には欠けますが雰囲気もよく、それらを考え合わせるとギリギリ8点といった所でしょうか。メグレ物ベスト10に入るかどうかの微妙なライン。シリーズ初期の佳作です。


No.103 6点 奇跡なす者たち
ジャック・ヴァンス
(2018/11/25 00:08登録)
 名翻訳者にしてアンソロジスト、浅倉久志の最後の企画を、同じく訳者の酒井昭伸氏が補填しつつ編纂したもの。ヒューゴー・ネビュラ両賞受賞のダブルクラウン作品を含む、ジャック・ヴァンスのベスト作品集。2本の中編を含む全8篇収録。
 ミステリ系の作品についてだけ述べると、やはりベストは「月の蛾」。住民全員がつねに仮面を装着し、多種多様な楽器を場面毎に奏でることによって商売を含む全ての人間関係が成り立つという、わけくそわからん惑星シレーヌが舞台。自分の立場に応じた演奏と行動を取らない限り、殺されても文句は言えないというとんでもねえ社会です。タイトルの〈月の蛾〉とは、外星人に許される最低ランクの仮面のこと。
 首チョンパされた領事の後任として、臨時代理に任命されたエドワー・シッセル。やりたくもない楽器の習得に勤しむ彼の元に、突如星系政府から暗殺者ハゾー・アングマークの逮捕を命じる指令書が届きます。しかも彼の乗る宇宙船の到着は僅か二十二分後でした。シレーヌ現地の怠惰な習慣から、宇宙電報が遅れてしまったのです。
 気乗りせぬまま宇宙港に向かうシッセルですが、とうに到着時刻は過ぎており、さらにアングマークと思しき〈森の鬼〉の仮面の男を取り逃がしてしまいます。彼はシレーヌに住む三人の外星人に助けを求めますが、分かったのはアングマークが彼以上に惑星の習慣を知悉していることだけ。残念だが力にはなれないというのです。
 全員が仮面を被り、しかも仮面を剥がすのは最大の非礼とされている社会で、いかにして犯人を突き止めるのか、という作品。アングマークは最終的に三人のうちの一人に化けるのですが、その解明方法はさして優れたものではありません。しかし、用意されたオチは強烈そのもの。知らぬ間に現地の習慣に同化してゆくシッセルの描写も見所の一つ。
 あともう一作挙げるとするなら、冒頭の短編「フィルスクの陶匠」優れた色彩感覚と、久生十蘭の著名なショート・ショートを思わせるオチが魅力。
 米SF界では既に巨匠と目されるヴァンスですが、特筆すべきはその異世界構築。単に外観や設定だけでなく、その世界を貫く論理・倫理観までも異なっているのが最大の魅力です。「月の蛾」や表題作、及びダブルクラウンの「最後の城」等に、その特徴は最も顕著に現れていると言えるでしょう。かなり癖の強い中短編集です。


No.102 6点 騎乗
ディック・フランシス
(2018/11/21 11:17登録)
 十七歳の少年ベネディクト・ジュリアードは、麻薬の常用を理由にアマチュア騎手から降された。身に覚えのない疑惑に彼は抗議するが、調教師ダリッジは取り合わず、ただ窓の外の車に乗るよう告げる。行き先も知れぬまま到着したブライトン海岸のホテルには、父ジョージが待っていた。
 ザ・シティの成功者であるジョージは、悲願である政界進出のチャンスを得たことをベネディクトに伝える。そして彼に、満十八歳になるまでの三週間の間、フープウェスタン選挙区の下院議員選挙を共に闘ってくれるよう要請するのだった。
 競馬シリーズ第36作。フランシス作品初の未成年主人公。といってもいつもとさほど差異はなく、主人公がやや直情的で純粋さを露にすることと、ストーリーが一本道なことくらいでしょうか。浮ついた部分が皆無なので、この年頃にしてはかなり大人っぽいです。
 全体の2/3が選挙戦で、残る1/3がダウニング街10番地の首相の座を争うジョージと、選挙戦後のベネディクトの成長が描かれます。前半は半ばジュブナイル、後半はいつものフランシス。
 選挙戦の中でベネディクトとジョージは銃撃・車への細工・放火と三度に渡って命を狙われ、これが後半の展開に繋がっていきます。ベネディクトは学生として得た知識から問題の銃弾を発見し、自動車事故を未然に防ぐのですが、この部分は射撃の名手である息子フェリックスがモデルなのではと思われます(冒頭の献辞は十八歳になる孫のマシュウに捧げられていますが)。
 前半の選挙戦部分はかなり面白い。特に候補に選ばれなかった前議員の妻のかたくなな心を、ベネディクトが解きほぐすシーンは印象に残りました。後はぎごちない親子関係がしだいに親密なものに変化していく過程でしょうかね。
 原題は 10-lb PENALTY(十ポンドのペナルティ)。勝利した馬が次のレースで課せられる最大ハンディキャップ重量を意味します。意訳すると「ギリギリの勝利」。いつもより若干短めですがアクションや乗馬シーンも題材の割にはそこそこ多く、フランシスが楽しみながら執筆した作品だと思います。


No.101 7点 おやじに捧げる葬送曲
多岐川恭
(2018/11/15 21:57登録)
 4代に渡る由緒正しい泥棒の血筋の「おれ」こと白須健一。ひょんなことで知り合った元刑事の「おやじさん」こと青砥五郎が入院した。おやじさんの病気は重く、身体は徐々に動かなくなり、やがて声も出せなくなっていく。「おれ」は「おやじさん」を毎週見舞う傍ら、退屈しのぎに二人が出会う切っ掛けになった悪徳実業家、赤山正義殺害事件の捜査経過を聞かせるが、病に倒れても「おやじさん」の頭脳は鋭く、徐々に隠されていた事件の秘密を暴いていく・・・。
 昭和59年発表の「乱歩賞作家オール書き下ろし推理祭」という記念企画の一作。どちらかというと後期の作品で、当時時代小説にシフトしていた作者が満を持して発表したものです。全身麻痺の探偵役というジェフリー・ディーヴァーを遙かに先取りする設定ですが、先鋭的すぎたためか当時は話題にもなりませんでした。近年とみにネット評価が上がっている一冊。
 かなり期待して読んだんですが「異郷の帆」を上回るほどではなかったですね。ただしテクニック的には最上クラス。二段組の講談社ノベルスでも200Pに満たない薄さで、それでいてパラグラフが35もあるという構成です。
 「おれ」が短時間の面会の内に「おやじさん」の希望に応じて諸事実や調査結果を語る、という形式のためですが、特筆すべきは実質中編という長さに殺人事件・時価10億円の宝石盗難事件・及び「おれ」の血統のルーツ探し(当初の予定は「俺の血は泥棒の血」というタイトルでした)、という三つの謎解きを盛り込んでいること。さらに物語が全て「おれ」の発言として語られること。
 「おやじさん」は徐々に会話も出来なくなるため「おれ」が視線の動きや掌に書かれたカナ文字などから意図を解釈していくのですが、それに留まらず第三者の発言も「おれ」を通して記述され、地の文など皆無というから徹底しています。そうして事件を語っていきながら同時に手掛かりをも組み込むという職人芸。それでいて人情ドラマとしても捨て難い味わいを持つストーリー。
 ただ多岐川作品の最上のもの(「私の愛した悪党」など)は、あまりに巧すぎてもう一味足らないところがあります。譬えるなら昆布でダシを採ったお吸い物。ミステリ部分があっさりし過ぎというか、極上なのは分かるんだけど、も少し動物蛋白も取りたいなというか。
 本書もその例に漏れません。これが小泉喜美子さんの作品だと同じテクニック系でも洋菓子という感じで満足できるんですが。
 無いものねだりで色々言いましたが、最低でも7点クラスの作品なのは確実。手にする機会があればぜひご一読下さい。


No.100 6点 毒の神託
ピーター・ディキンスン
(2018/11/13 15:24登録)
 砂漠に聳え立つ逆ピラミッド型の宮殿。それはアラブ部族クカトの君主、スルタンが贅を尽くして建造したものだった。
 イギリス人の心理言語学者ウェズリー・モリスは、ふとしたいきさつから宮殿動物園の管理者となり、ダイナと名付けた雌のチンパンジーに言語を教え込む研究に夢中になっていた。モリスの関心事はダイナと、クカトと盟約を結び保護された、沼族と呼ばれるあらゆる世界から隔絶した民族集団だけ。
 平穏な生活は、ハイジャックされた飛行機が宮殿の近くに不時着した事から軋み始める。ハイジャック犯ただ一人の生き残りの女性アンが、スルタンの後宮に迎え入れられたのだ。
 そしてある日、スルタンと沼族の護衛ダイアルが、互いに銃を撃ち合ったとも見える状況で発見された。ダイアルは既に死亡し、スルタンもまもなく息を引き取る。クカトと沼族の盟約は踏みにじられたのだ。
 モリスは双方の衝突から沼族の文化を守るため、奔走するはめになるが・・・。
 100冊目は難物作家ディキンスン。再読です。初読時はどこが面白いのやら正直サッパリだったんですが、今回は粗々ながらコツが掴めたかなと。
 解説にもありますが、半分がたはスローテンポ。本筋とは無関係と思われるけったいな異空間の描写や、言語・文化人類学的なアプローチが延々と続きます。しかしいったん殺人が起こると今度は急にハイピッチな展開になり、そのまま最後まで突っ走ります(モリスの沼族部落行きも密接に事件に関わってきます)。
 自分としては前半部分が面白かったですね。この作家には延々と知的ディスカッションを楽しむような所があります。それについていけるかどうか。主人公のモリスも感情とは無縁に等しく、グラマーなアンが傍らに佇んでも、心にはかすかにさざ波が立つばかり。本人も性欲の薄さを自覚しています。小説の文体も知に傾いていて、感情的なカタルシスなど欠片もありません。
 それも無理はないのですね。モリスはイギリス社会に違和感を持ちクカトに流れ着いたアウトサイダー。殺人が起こっても欧米的価値観による正義の執行など期待できず、同様にクカトによるアラブの正義も、彼にはなんの意味もありません。殺されたスルタンとさして親しかった訳でもないのです。
 さらにアラブ側の思惑の裏には、沼族の領域の地下に眠る石油資源の存在があります。
 この小説のサスペンスは異文化同士ののっぴきならぬ対立をどうやって回避するか、盟約が破られておらぬ事をアウトサイダーたるモリスが、どうやってアラブ人たちに認めさせるかです。その手段として殺人事件とその解明が使われるということ。異なる価値観を持つ社会が、我々以外に二種類登場するのがミソ。でも必死こいたその結果は諸行無常と言うか。
 トリック自体はたいしたもんではないので、せいぜい物語のオマケといった所でしょう。勿論一応の伏線は張られていますが。
 「キングとジョーカー」で、ルイーズ王女が乳母ダードンの口にスプーンで食事を運ぶ所とか、本書で沼族の少女が水洗レバーをおもちゃにする所とか、時々やけにリアルな描写があるのもディキンスンの特徴。あまりミステリ要素だけに拘らず、もう少し読んでみようかなと思います。


No.99 5点 メグレとワイン商
ジョルジュ・シムノン
(2018/11/12 14:18登録)
 ワイン販売会社の社長オスカール・シャビュが、個人秘書とラブホテルを出た所を待ち伏せにあい射殺された。オスカールは手当たり次第に身近な関係の女を漁り、借金を申し込んだ友人をあからさまに侮辱して喜ぶような男だった。唯一の肉親である父親とも疎遠で、妻との間もビジネス本位の繋がりしかないオスカール。メグレ警視は彼に恨みを持つ多くの人間を探り、直接社員たちの前で殴られ、放逐されたある男に目を付けるが・・・。
 メグレ警視シリーズ第99作。前作「メグレと録音マニア」の改訂版。被害者の好青年をイヤな奴にして犯人と二重写しにし、衝動による犯行から怨恨を動機に変え、容疑者をワイン会社関連に絞ってより関係性を深めています。
 これらは全て、ある場面を効果的に演出するためのものであり、それには成功しています。被害者は攻撃的に振舞っていますがその行動は自分の弱さを隠す為のものであり、交際相手の女たちには全てを見抜かれています。臆病な男だと。なりふり構わず頭を下げて会社を拡大させた見返りを、成功した今求めているのだと。
 冒頭で身勝手な理由から実の祖母を撲殺し、金を奪った青年の取調べシーンが描写されますが、最後にメグレと心を通わせたかに見えた気の弱い犯人の姿に、この人物が重なります。弱さの裏返しとしての攻撃性という主題はより明確になっていますが、個人的には前作の方が好みです。


No.98 7点 騎士の盃
カーター・ディクスン
(2018/11/12 01:25登録)
 純金にダイヤ、ルビー、エメラルドをちりばめたブレイス子爵家の家宝「騎士の盃」。完全極まりない密室で張り番をしていた当主のトムが眠りから目覚めると、眼前のテーブルには金庫から取り出された盃が輝いていた・・・。
 不可能犯罪にうんざりしていたマスターズ主任警部は、ロンドン警視庁に訪れたトムの妻ヴァージニアの懇願を退けようとしますが、副総監じきじきのお達しにより調査に踏み切らざるを得なくなります。近隣に隠棲していたヘンリー・メリヴェール卿に全てを押し付けようとするマスターズですが、先祖代々の居館であるクランリ・コートを訪れると、H・Mはイタリア人教師と歌の練習の真っ最中でした。
 しかもなぜか館には事件の関係者が集まり始め、マスターズはその場の成り行きから現場のテルフォード館で二度目の不寝番をせざるを得なくなります。その晩彼は殴り倒され、床には再び金庫から持ち出された盃が転がるのでした。
 いやひどいですね(誉め言葉)。H・Mの自宅訪問から関係者全員集合の時点で相当なものですが、その後の展開はファースというより乱痴気騒ぎ。ほとんどモンティ・パイソンの世界です。お下品でもあるので、顔を顰める本格ファンもいるでしょう。全体に点が辛めなのは多分そのせい。
 しかし最後まで読むと、一連のおふざけの中に精緻に手掛かりが仕込まれているのが分かります。ほとんど職人芸の域。それでも高得点は付け難いのかな。この手の作品では最高レベルの伏線の張り具合だと思うんですけどね。
 弁護しておくと本作は1954年発表。HM卿最後の事件ですが、彼の引退はフェル博士より遥かに早く、「ビロードの悪魔」「九つの答」といった、カー最長編クラスの発表年と重なります。「魔女が笑う夜」「赤い鎧戸のかげで」(これも長い)等と共に息抜きとして執筆された可能性が高い。つまり作者がまだ枯れてないわけです。
 読者に提出された"なぜ犯人は密室に侵入しながら盃を盗まなかったのか?"という謎も魅力的。個人的にかなり好みの作品です。

 追記:巻頭に掲げられた献辞をついでに記しておきます。
「娘のジュリアと夫のリチャードへ、でもおじいちゃんを忘れないでおくれ。」
 読了するとこれがなかなかに来るものがあります。


No.97 6点 メグレ警視のクリスマス
ジョルジュ・シムノン
(2018/11/10 03:23登録)
 表題作の中編1本と、短編2本を独自編纂したメグレもの中短編集。うち「メグレ警視のクリスマス」は雑誌「EQ」にて既読済。
 各々の出来についてはさすが皆さん的確な評価をなさってらっしゃいます。ただ「クリスマス」は諸要素も含めて「メグレのパイプ」と並べてもいいかも。若干甘いかもしれませんけどね。シムノンにしては子供の描き方がマシな方なのも好ポイント。全体にこまっしゃくれた、かわいくないのが多いですから。
 ネタ的にはこの2編は同パターン。解説に述べられている「メグレと老婦人の謎」を含め、似たシチュエーションの作品は短編長編そこそこあります。ホームズ物からある鉄板ネタですね。クリスマスストーリーに徹したのが前者、魅力的な導入部とアクションを付け加え、淀みなく纏めたのが後者ということになるでしょうか。
 「メグレと溺死人の宿」はミスリードが光る作品。この状況でなければ当然思い付くべき真相です。タイトル含めて騙しにかかってます。冷静に考えれば答はそれしか無いんですけどね。
 「クリスマス」はアンソロジーでもそこそこ見かけます。暗く煤けたイメージのあるシムノンにしては珍しいハッピーエンド。こういうのをもっと描いても良いと思いますが、たまにだからいいのかも。


No.96 7点 終末期の赤い地球
ジャック・ヴァンス
(2018/11/06 19:40登録)
 時に私は「終末期の赤い地球」と題するぼろぼろのペーパーバックの上に掌をかざすのだった。すると表紙の厚紙から、ミール城のトゥーリャン、無宿者ライアーン、怒れる女ツサイス、情無用のチャンといった魔法が漏れ出してくるのだった。私の知り合いにはこの本のことを少しでも知っている者は誰もいなかったが、私にはこれこそが世界で最高の本だとわかっていた。

 上記のジーン・ウルフの文章を始め、ダン・シモンズなど数多のSF作家にインスピレーションを与え、D&D(ダンジョン&ドラゴンズ)の元ネタともなった、SFの新たな古典と目される作品。6つの中短編を、共通する幾人かのキャラクターで数珠繋ぎにしたオムニバス形式です。
 実質的なヴァンスの処女作で、船乗り時代に書き殴った原初的なパワーを持つ短編群。太陽が赤色巨星化し、星のエネルギーが尽きつつある遥か遠未来の地球が舞台。
 全体はクラーク・アシュトン・スミス風の冒険譚で、SFやらファンタジーやらで括るより単に物語と言った方が相応しい。ヴァンスは色彩感覚に優れた作家ですが、本書に細密な設定や伏線を加えた上でミステリ的な趣向を軸にし、より渋い色調でシリーズ化したものがウルフの「新しい太陽の書」だと言っていいでしょう。ウルフ作品が好きならば、オリジナルに直接触れるという意味で本書は外せません。
 この魔法と冒険の物語、ベスト3を選ぶなら「怒れる女ツサイス」「無宿者ライアーン」少し落ちて「魔術師マジリアン」ですかね。特に「ライアーン」は完成度が高く、寓話のような出来映えです。後半の二本、「夢の冒険者ウラン・ドール」「スフェールの求道者ガイアル」はよりダイレクトな「太陽の書」の元ネタですが、こちらは後発だけあってウルフの方が良いかな。
 表紙は武部本一郎。解説は福島正美。なんか訳の分からない出版社から出てたんで、今度は国書刊行会の「ジャック・ヴァンス・コレクション」に入るかと期待してたんですが、残念ながらダメでした。復刊熱烈希望。


No.95 6点 メグレ警視と生死不明の男
ジョルジュ・シムノン
(2018/11/06 06:05登録)
 "無愛想な刑事"と呼ばれるロニョン刑事の妻から、メグレ警視に電話がかかってきた。アメリカ人とおぼしきギャング達に、二度に渡って家捜しをされたのだという。家を空けていたロニョンとは連絡が取れたが、彼はフレシィエ通りで停車した車から投げ捨てられた怪我人の謎を追っていたのだ。だが、生死不明の男は第二の車に拾われ、既に消えてしまっていた。
 メグレはロニョンの独走を責めるが、片意地を張ったロニョンは捜査を続け、やがて彼の消息は途絶えてしまう・・・。
 1951年発表のメグレ警視シリーズ第67作。「メグレと消えた死体」と、「メグレの拳銃」の間に入る作品です。
 "無愛想な刑事"ロニョンの良心的な勤務ぶりはメグレも認めるところで、なにくれとなく気にかけているのは他の作品でも触れられているのですが、本作ではもう少し突っ込んだ描写が為されています。
 いわく、彼のひがみっぷり、独走傾向、いつまでも抜けない子供っぽさ・・・。それに加え、彼がメグレの配慮に薄々気付いていながらそれに甘えていることも指摘されます。
 メグレは言います。「自分を被害者扱いにするのはいいかげんにやめないか?」「一人前の男として私に話したまえ」
 ロニョンの方は共依存関係を求めているのかもしれませんが、メグレの方は配慮はしても、彼をオルフェーブル河岸に迎え入れるつもりは無いようです。
 肝心の物語では、メグレは散々忠告されます。「この件に関わらない方がいい」「アメリカの犯罪者はプロだ。それに比べればフランスの連中なんか子どもみたいなものだ」
 それに対してメグレは、刑事部屋のメンバーと共に珍しくスタンドプレーでギャング達と対決します。彼らの隠れ家に踏み込むシーンは緊迫感がありましたが、その割にはあっさり決着が付いたなと。この辺りは実際にアメリカ住まいだったシムノンの皮肉も入っているかもしれません。
 「勝負ははじまっている。はじまっている以上、最後までやる」
アクションを中心に、全体的に引き締まった雰囲気の漂う作品です。7点には及ばないものの、6.5点。


No.94 7点 白雪と赤バラ
エド・マクベイン
(2018/10/24 22:28登録)
 短い金髪、ジャングルのように濃い緑色の瞳、豊かな唇、ほっそりときゃしゃな身体つきで、胸は小さいが完璧な形、そして、いまにもこわれてしまいそうなもろさ――。
 「わたしは初めてサラを見た瞬間に、恋に落ちてしまったのだと思う。」
 だが、サラはノット精神病院に入所する重症の精神病患者だった――。
 「ジャックと豆の木」に続くホープ弁護士シリーズ第5作。サラはホープに「わたし、気がちがっているように見えます?」と訴えます。シェイクスピアを引用する知性に満ちた会話に魅了されるホープ。実の母親、弁護士、精神病院の医師たちがこぞって共謀し、彼女を閉じ込めてしまったというのです。
 一方、主治医のドクター・ピアソンはホープにこう語ります。
 「彼女は、もうあなたを妄想の中へとり入れています。あなたの支持は、妄想を強めるだけです。あなたは彼女が破滅するのを助けているだけなのですよ」
 いったい、どちらの主張が正しいのか?
 ホープの登場はカットバック的に本編に挿入されるだけ、物語としては主に"ジェーン・ドウ〈女性の身元不明人〉"と名付けられた死体の調査の過程が語られます。赤いワンピースを身に着けた彼女は、喉を撃たれた上に舌を切り取られ、ソーグラス川に浮かんでいました。しかも、両足首をアリゲーターに喰われて。
 レギュラーキャラのモリス・ブルーム刑事は相棒のロールズ刑事と共に、地道な捜査を続けます。再読ですが、この辺のリーダビリティはかなり低い。ストーリーの9割がそんな感じです。
 しかし残り30P余り。ホープとブルームの物語が交錯し始めた時、一気に悪夢がホープを呑み込むのです。この辺りの展開は背筋に戦慄が走ります。
 都筑道夫氏は本作を評して「残念だ」と語りました。一方、池上冬樹氏は絶賛しました。正直、総合力では「黄金を紡ぐ女」の方が上かもしれません。ですが、本書がマクベインの精神分析への関心の集大成として、最後に書かれるべき作品であった事は疑い無いでしょう。敬意を表して、7点を付けさせて頂きます。


No.93 5点 メグレと録音マニア
ジョルジュ・シムノン
(2018/10/22 06:41登録)
 ヴォルテール大通りのパルドン医師宅の夕食会に招かれたメグレ警視。だがそのひと時は突然の闖入者によって破られた。ポパンクール大通りで若い男が襲われたというのだ。突風をともなった氷雨の中、現場に向かうパルドンとメグレだったが、被害者は既に手の施しようのない状態だった。
 搬送先の病院で事切れた青年の名はアントワーヌ・バティーユ。ミレーヌ化粧品社主の息子で、背後からナイフで数回刺されていた。犯人は、被害者が倒れてからも後もどりしてさらに刺し続けたというのだ。それも目撃者の眼前で。
 メグレは彼の父親に会い、アントワーヌがテープレコーダーと集音マイクを用いて街の人々の生活を録音していたことを知る。犯行直前に酒場で録られたテープには、押し込み強盗の打ち合わせと思われる会話が残されていた。
 アントワーヌは犯罪に巻き込まれて殺されたのだろうか・・・。
 メグレシリーズ第98作。シリーズ末期に近い頃の作品で、次作「メグレとワイン商」は本作のリメイク版です。「ワイン商」はテーマをより強調するために贅肉を削った感がありますが、本書は本書でなかなか。メグレがムン=シュル=ロアールでカード遊びをするシーンなど、ゆったりとした趣があります。個人的にはこっちの方が好み。
 前々回は「メグレの拳銃」を取り上げましたが、あちらがパルドン初登場なのに対し、こちらは彼の最後の登場作品。冒頭部の夕食シーンでは、メグレにかなり深刻な告白をしています。
 シリーズはこの後5作ほど書かれますが、後半部の準レギュラーとなったパルドンは「もう一人のメグレ」と呼ぶべき存在。一時は医師の仕事に疑念を呈しても、メグレが現場に執着し続けるように、やはり貧民街の患者たちに接し続けるのでしょう。


No.92 7点 標的
ディック・フランシス
(2018/10/21 19:51登録)
 寒波で下宿を追い出された作家志望のサヴァイヴァル専門家ジョン・ケンドルは、窮余の一策として名調教師トレメイン・ヴィッカーズの伝記を、住み込みで書き上げる仕事を請けた。が、レディング駅に彼を迎えに来た人々の表情は暗かった。パーティ会場で起きた変死事件の後始末に疲れ果てていたのだ。
 トレメインの厩舎のあるバークシャー州の丘陵地帯〈ダウンズ〉に車を走らせる一行。その途次、凍結路面で起きたスリップ事故から皆を救ったケンドルは、瞬く間に人々の中に溶け込んでいく。ダウンズでの生活とトレメインの闊達さ、馬たちとの触れ合いに、彼は新たな執筆意欲を掻き立てられるのだった。
 だが半年前に失踪した厩務員の女性、アンジェラ・ブリッケルの白骨死体が発見され、風向きは変化した。彼女はパーティ席で死んだ女性、オリンピア同様扼殺されていたのだ。殺人事件の捜査を開始するテムズ・ヴァリイ署のドゥーン警部。一方、すっかりヴィッカーズ家に馴染んだケンドルの周囲にも不穏な気配が漂い始める・・・。
 競馬シリーズ第29作。「わあ、痛そう」というのが主な感想。主人公はMASTERキートンなサヴァイヴァルのプロですが、そんなもん関係無いくらいエグい危機が彼を襲います。全作を読破した訳ではないですが、ここまでデンジャラスな肉体的ピンチを描いた競馬シリーズはおそらく無いのではないでしょうか。原題"LONGSHOT"も非常に意味深。
 フランシスの悪役は自己顕示欲の強い強圧的なタイプが多いですが、本作のテーマは"静かに迫る危機"。この殺人者は辛抱強く機会を窺い、短慮に走らず決してミスを犯しません。途中、ボートハウスに罠を仕掛けた犯人が確認に訪れるシーンがありますが、非常に静かで不気味です。いつもとは別種の怖さと言っていいでしょう。シェラートンでのケンドルの充実した執筆生活と、この恐ろしさとのギャップが本書の持ち味。
 魅力的な登場人物に加え、じっくりと馬たちや調教師の日課が描かれるのもグッド。第26作「黄金」と並んで、フランシス円熟期を代表する佳作です。


No.91 9点 異郷の帆
多岐川恭
(2018/10/17 22:38登録)
 元禄時代の長崎出島、親代々の通詞(異人相手の通訳)である浦恒助は、鎖国期の日本に息詰まるような閉塞感を覚えながらも、出世や役得に身を入れるでもなく悶々とした日々を送っていた。甲比丹との混血児であるお幸に思いを寄せながら、武士の身分や後添いの母を捨てる決心も付かないのだ。
 彼が親近感を持つのは、お幸の養い親である出島乙名の吉田儀右衛門や、転び切支丹の元スペイン人神父西山久兵衛ら、どこかはぐれ者の匂いを持つ者たち。
 そんな中、長崎に到着したオランダ船ワーレンブルグの荷卸しの最終日、ヘトルと呼ばれる次席商館員、ファン・ウェルフが刺殺される事件が起こる。出島の商館内で、真っ裸で胸を一突きされていたのだ。だが、バタビヤ一の剣の使い手である彼を、いったいどうやって?
 そして、あらゆる出入りを厳格に管理される出島には、いかなる刃物も持ち込めない筈なのだ。入念な捜索にもかかわらず凶器が発見されないまま、やがて第二の事件が出島に起こる・・・。
 昭和36年発表。多岐川恭が質量共に最も創作活動が旺盛だった時期の作品で、名実共に代表作でしょう。ミステリであると同時に類を見ない時代小説であり、そして何よりも青春小説であるという傑作です。
 まず出島という舞台設定が出色。一本きりの道で陸地と繋がっている4000坪程の扇形の人工島。広い意味での「密室」であるここを、世界から切り離された日本という、さらに広大な「密室」が取り巻いている状態。実はこの状況の打開こそが作品の主題になります。
 凶器の謎や事件のプロットなどのミステリ部分は大したことないですが、これらは全て主人公の決断の為のスプリングボード。真相が全て判明した後、登場人物たちが本音をぶつけ合う所が真のクライマックス。青春小説としての大枠に時代設定やミステリ部分が奉仕する形になっているので、ストーリーにまったく澱みがありません。
 また主人公を通詞という職業に設定することによって、登場人物の感性を現代人に近付けても違和感が生じないのもポイント。作者が太平洋戦争中、長崎大村の捕虜収容所の通訳を務めた経験が存分に生かされています(随筆「兵隊・青春・女」参照)。
 オランダ人商館員たちを始め、主人公ら日本の役人たち、混血児や黒人、大商人や隠れキリシタンなどの登場人物も多彩。特に通詞仲間である久兵衛のニヒルな姿は強い印象を残します。
 淡々とした筆致ではありますが、転びバテレンの悲哀をこれほど痛切に描いた小説は無いでしょう。


No.90 7点 道化たちの退場
多岐川恭
(2018/10/15 21:56登録)
 戸栗新作は中堅どころのカメラ会社である武蔵野光学に勤める冴えない中年サラリーマン。他社からの移籍後に創立者・郷田武介の目に留まり、側近として立ち働いていたのも遠い昔。その僅か5年後に武介が脳卒中で急死してからは冷や飯を食わされ課長にもなれず、閑職の出納室長として無きに等しい扱い。妻や家族からもバカにされ、俳句と庭弄りが趣味という無気力な男。
 そこに彼の同窓生・金井敏明が突然訪れる。突然の闖入者に戸惑う戸栗だが、幾度かの来訪に次第に心を許し始める。だが金井の目的は金庫破りだった。一切迷惑は掛けないから、されるがままに狂言強盗の片棒を担いでくれと言うのだ。さらに彼は情婦の妹が経営するスナック「陽」に女を用意し、戸栗を深みに引き込もうとする。
 戸栗はその誘いを撥ね付けるが、運命のいたずらか金井がお膳立てした女ではなく、平凡な顔立ちのクラブの女・弘美と関係を持ってしまうのだった・・・。
 仁木悦子の「灯らない窓」、鮎川哲也の「戌神はなにを見たか」を含む、講談社の「推理小説特別書下し」シリーズの一冊。1977年発表。「的の男」等とほぼ同時期で、作者としては後期の作品。書き下しということでかなり力が入っています。
 サラリーマン小説風の書き出しで、作品の半分は冴えない男の平凡な情事が綴られますが、中身はどうして二重底三重底。創立者の息子である郷田専務のクーデター計画が描かれると同時に、狂言強盗を強引に成功させた金井が轢き逃げされ、何者かに土地代金の八千二百万円が強奪されると後はハイテンションの推理合戦。チラチラ見え隠れしていた伏線が一気に結ばれていきます。
 浮気がバレた戸栗が帰宅して修羅場が始まると思いきや、息子や娘も一緒になって事件のブリーフィングが展開し、妻が毒気を抜かれた後に一家全員がなんとなくサザエさん状態になったのには笑いました。
 全体としてややバランス悪いのが難ですが、後半部分の怒涛の詰め込みっぷりはかなりマニア受けすると思います。特に作者の手札が全て曝される「ショウ・ダウン(一)(二)」と題された章は圧巻。作品のあちこちに戸栗のへたくそな俳句が挿入されているのもとぼけてます。いったい誰が道化なのか?探して読む価値は十分あるでしょうね。


No.89 7点 メグレとマジェスティック・ホテルの地階
ジョルジュ・シムノン
(2018/10/14 22:35登録)
 未単行本化メグレシリーズ第4弾。最後に翻訳されたメグレ長編でもあります。本国では「メグレと判事の家の死体」「メグレと死んだセシール」と共に、3長編一冊合本の形で1942年に出版されています。原題は Les Caves du Majestic (マジェスティックの酒蔵)。
 雑誌「EQ」では例によって訳者の長島良三さんが「ボアロー&ナルスジャックはこの作品をメグレのベスト3に入るものと評価している」とかベタボメしてますがこれはフカシ。「チビ医者の犯罪診療簿」や「O探偵事務所シリーズ」等より、メグレ物の新シリーズは遥かに優れていると言ってるだけです。このあたりシムノンの筆が一番乗ってるのは確かですが。
 物語は超高級ホテル、マジェスティックの地階カフェテリア主任、プロスペロ・ドンジュのある朝の風景にパンして始まります。
 物憂く起き出す同棲相手のシャルロット。自転車に載って出勤するドンジュ。パンクする自転車。はあはあ言いながら自転車を押してタイムカードを押すドンジュ。大・中・小のコーヒー茶碗を用意して、上階行きの簡易エレベーターに注文の飲み物を入れ続けるドンジュ。そして仕事の合間にふと彼が休憩室のロッカーを開けると、中からは絞殺されたホテル客のアメリカ人富豪、クラークの妻の死体が現れる・・・。
 メグレ警視が登場するが彼は全くドンジュに質問しようとしない。不安がるドンジュ。そのうち勤務時間も終わり、出勤時と同様に自転車に乗って帰宅するドンジュ。移り変わる風景。そしてふと肩を叩かれると、そこには自転車に乗ったメグレの姿が!
 シムノンの文章はカメラワークのようだと言われますが、この作品では特にそれが冴えています。
 メグレはドンジュとシャルロットの反応を窺い、彼らと、当時はミミと言ったクラーク夫人の過去に接点が存在する事を確信します。退去後にシャルロットが掛けた電話を盗聴し、間髪入れずミモザの香りに満ちたカンヌに向かうメグレ警視。折りしも祝祭を迎えたカンヌの描写は美しいです。
 カンヌで彼らの旧知の女性ジジを尋問し、三人の男女とミミの秘密を掴んだメグレですが、その頃パリでは新たに同じロッカーから第二の死体が現れ、シャルロットが書いたと思われる密告状によりドンジュが逮捕されていた・・・。
 場面転換が上手く、流れるように物語は進みます。現場となった地階は船の司令塔のようになっており、そこから全体を俯瞰できるようになっています。ヤマトやエヴァの艦橋のような構造だと思って下さい。この構造も事件に一役買っています。
 人の良さそうなシャルロットによる卑劣な告発、一方、真面目で朴訥に見えるドンジュの口座にも二十八万フランもの大金が振り込まれている事が判明し、事件は益々紛糾します。そのからくりはなかなか良く考えられています。
 「メグレと奇妙な女中の謎」より格上ですが、キャラの出来からあちらを推す人もいるでしょう。ベスト10とはいきませんが、シリーズ中では上方に位置する作品だと思います。


No.88 8点 スクールボーイ閣下
ジョン・ル・カレ
(2018/10/11 22:27登録)
 宿敵であるKGB第十三局局長カーラの操る工作員「もぐら」によって壊滅的な打撃を受けた英国情報部〈サーカス〉。新たなチーフに就任したジョージ・スマイリーは、「もぐら」に揉み消された事案を丹念に精査することによりカーラに痛撃を与え、情報部を再建しようとする。そして浮かび上がったのは英国領香港に伸びるKGBの巨額送金ルートだった。
 諜報世界の常識を越えた途方もない大金でカーラは何を狙っているのか?それを探る為、スマイリーは「高貴なる小学生」臨時工作員ジェリー・ウェスタビーを現地に派遣する。雑誌記者でもあるジェリーは送金口座の主である香港の大実業家、ドレイク・コウに接触するが・・・。
 スマイリー三部作の中核を成す巨編。第一部「時計のネジを巻くとき」第二部「木を揺さぶるとき」の二部構成です。前半の種蒔き部分はスマイリー主体、後半の活動部分はジェリー主体。
 まず「逆遡行」というアイデアが秀逸。組織を掌握しマズい事案を全て握り潰したことが、逆に己の弱点を曝け出す事になってしまうという反転劇。言われてみれば当然至極なので、完璧に叩き潰された筈のサーカス側が一転反撃という展開にまったく無理がありません。コロンブスの卵ですね。
 第一部はこのへんの過程が丹念に描かれます。特に第一章と第二章はそれだけで独立した短編小説になるくらい完成度が高い。展開は遅いですがすこぶる面白かったです。
 それに比べるとジェリー主役の第二部は少々雑かなあ。勢いに任せた部分があるというか。リジーとの恋愛部分がどうもピンと来ませんでした。そこまで入れ込むほどの魅力は無いような気がするんですよね。一部二章は好きなんですけど。
 ラブスト-リーのみを主因に話を進めるのはル・カレの柄ではないと思います。唯一書いた恋愛小説も盛大にコケてたみたいだし、この作品でも「白馬の騎士(ギャラハッド)」とかちょっと。アンに未練を残したスマイリーが侘しく彷徨うとか、クロウ老人が父性愛を見せながら工作員からさりげなく、本当にさりげなく情報を引き出すとかの方がやっぱり好き。
 色々不満もありますが一部が地味な分二部は名シーン連発ですね。ジェリーがインドシナ半島から撤退するアメリカ軍将校と邂逅するとことか。ここでアメリカが大きく失点したことがラストの苦い展開に繋がっています。「こんなのあり?」って結末ですけど。
 10点満点から2点引いて8点。マイナスはダレた所や恋愛面など、主に二部関連です。


No.87 8点 なめくじに聞いてみろ
都筑道夫
(2018/10/11 02:13登録)
 出羽の山奥からはるばる上京してきたとぼけた青年、桔梗信治。彼の目的は、亡き父親が手塩に掛けて殺人技術を教え込んだ12人の殺し屋を始末することだった・・・。
 戦後推理小説の鬼才、都筑道夫が放つアクションスリラー。トランプに始まり、マッチ、傘、柱時計のゼンマイ、果ては手拭いに至るまで、奇矯な手口を用いる殺し屋たちが続々登場します。
 ショートショートからSF、捕物帳から凝りに凝ったミステリ、先鋭的な評論など、幅広い活躍ぶりながらやや器用貧乏の感もある作者ですが、代表作は「猫の舌に釘をうて」でも「なめくじ長屋シリーズ」でもなく、実はこれではないでしょうか。一時は山田風太郎の「魔界転生」などと共に、無条件で人に薦められる小説の一冊に組み入れておりました。
 流石にこうも殺し屋が多いと途中からややネタは小粒になりますが、後半に残った殺し屋たちの創った組織「人口調節審議会(アホな名前)」が登場してからは軽い伏線も張られ、退屈させません。都筑氏の作品中でもこれだけ読者サービスに徹した物はおそらく無いでしょう。
 どの戦いにも舞台その他の趣向が凝らされているのが最高傑作とする所以。最後には最強の相手とおぼしき+αの敵も用意されています。本格ミステリも良いけれど、こっち系の小説をもっと書いて欲しかったな。
 ちなみに出版5年後の1967年に、岡本喜八監督の手で東宝作品「殺人狂時代」として映画化されております。「機動警察パトレイバー」の後藤喜一隊長は、この映画に登場する若き日の仲代達也がモデルだそうです。死神博士の天本英世も特別出演。ストーリーは原作とは異なりますが映像にも拘りがあり、こちらもなかなかの娯楽作品です。

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