雪さんの登録情報 | |
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平均点:6.24点 | 書評数:586件 |
No.566 | 7点 | ゼロの焦点 松本清張 |
(2021/08/19 22:22登録) 『虚線』のタイトルで「太陽」昭和33(1958)年1・2月号に掲載され雑誌休刊により中断したのち、江戸川乱歩の懇請を受け『零の焦点』として「宝石」誌昭和33(1958)年3月号~昭和35(1960)年1月号まで連載された、『点と線』と並ぶ松本清張の超メジャー作品。怠惰な評者は今回が初読(笑)。流石に大筋は知っているが、ドラマも映画もこれまで全く観ていない。なぜか急に読みたくなったので図書館で借りた。 絶大な名声ほど好きな作家ではないが、文章は至芸にして練達の一言。序盤から〈モノが違う〉感触がビンビン伝わってきて、マイナー主体に読んできた身が引き締まる思い。控え目な色香を漂わせた新妻が徐々にミステリアスな事件に巻き込まれていく姿も、陰鬱な雲に押し込められたような冬の能登半島と重ねて自然に描いており、今より遥かに目の肥えていたであろう当時の読者が、こぞって飛びついたのがよく分かる。失踪した鵜原憲一とヒロイン・板根禎子が新婚旅行前後に見せる男女の機微など、小説としては『点と線』よりも遥かに上だろう。 たださして多くもない登場人物が中終盤にかけ景気良く始末されていくので、犯人の意外性はほとんど無い。ミステリとしては禎子を取り巻く人々が折々に示す、些細な矛盾の指摘が味わいどころだろうか。基本的には事件を象徴するような暗い雪国の心象風景と、冬の荒海を眺めつつひとり断崖に立ち尽くすヒロインの姿を愛でる文芸作品である。 |
No.565 | 6点 | 静かな教授 多岐川恭 |
(2021/08/17 21:04登録) 恩師である経済学界の先達・高延耕一郎に見込まれ、その娘・克子と幸福な結婚をしたはずの大学教授・相良浩輔。だが相良教授はその実虚栄心の強い妻に孤高の学究生活を乱され、世間体を繕いながらもうそ寒い日々を送っていた。その果てに彼は妻の克子を排除すべく「可能性の犯罪」を試みるようになる。いくつかの試行錯誤を経て首尾良く宿願を叶えた相良だったが、捜査が進むにつれて念入りに固めた嘘が、少しずつ剥がれ落ちていき・・・。 冷たく淡々とした筆致が不思議な恐怖を醸し出す、多岐川恭のクライム・ストーリー。 『私の愛した悪党』に引き続き昭和35(1960)年に発表された、著者の第五長編。この年の刊行は他に作品集『死体の喜劇』のみと控え目。この両長編に代表作『異郷の帆』を加えてベスト3に数える向きもあるが、本書の出来に飽き足らず翌年すぐバージョンアップ版の傑作『孤独な共犯者』を発表している事から分かる通り、捨て難くはあるもののそこまでの仕上がりではない(評者なら代わりに処女作『氷柱』か、先駆的な技巧の『おやじに捧げる葬送曲』のどちらかを選ぶだろうが)。 とはいえ作りは入念。他者のみならず自らの感情でさえもガラス越しに観察し続ける相良のキャラは異様だが、この強烈さを探偵役となるカンの鋭い女子大生・生田肖子と少々頼りない助手・朽葉協治のコミカルな掛け合いで和らげ、更に親友の妻・立花みゆきの豪快なガサツさや担当・酒見警部補のドジっぷりをカクテルする事で口当たりをよりソフトな物にしている。〈冷血動物〉と教授を形容しながら、それでも彼への想いを断ち切れない愛人・一ノ宮梢も印象的で、彼らの静かな関係の終りは『氷柱』の変奏めいて心に残る。 ちょっと好意を抱けそうにないキャラにも最後には同情させてしまう所、これも多岐川の腕である。 |
No.564 | 4点 | 生けるものは銀 三好徹 |
(2021/08/16 07:28登録) 東洋新聞社航空報道部のパイロット・神野保彦のもとに、ある日勝沼と名乗る正体不明の男が訪ねて来た。彼は喫茶店でケースに詰まった二千万円の現金を見せ、会社を辞めある仕事を請け負ってくれればこれを進呈すると言う。即座に断る保彦だったが、やがて彼の周囲に不気味な黒い影が・・・。舞台は日本と香港・マカオ。文革期の混乱に揺れる中国大陸を背景に、二十数年前の大戦が残した遺産に絡む陰謀がくりひろげられる、冒険スパイ小説。 昭和四十四(1969)年講談社刊。『帰らざる夜』などと共に、『聖少女』での直木賞受賞とほぼ同時期に執筆されたスパイ物だが(初版巻末に『帰らざる~』の宣伝広告アリ)、受賞作とは異なり軽い筆致でスラスラ読める。かなり印象が違うので、もっと後年の作かと思ったくらい。読了後に発行年を確認して驚いた。 ただし良い意味ではなく内容は薄手。戦時中にこれもパイロットであった父・武彦を航空事故で喪った主人公と、彼がプロポーズする恋人の父親で会社社長の滝口淳平、旧軍関係という糸で結ばれたこの二人を脅迫する謎の組織の存在をバックに話は進むのだが、脅迫対象である箱入り娘のヒロイン・滝口美紀の印象が薄いため、読者にはイマイチ彼らの焦りと切実さが伝わらない。ストーリーのテンポはなかなかいいが。 舞台が香港・マカオに移るのも全体の2/3以降。ここから更に香港と中共との国境・勒馬洲(ロクマチョ)に潜入し、深圳河(シャムチュン)を渡り美紀の実の父・高永正を亡命させる淳平パートと、かつて武彦が墜落した干潮時の砂浜に再び危険なフライトを試みる保彦パートとに分かれるので、それだけ書き込みも薄くなってしまう。二人を別々に行動させる狙いも定石の範疇で、準黒幕格の人物 "マオ" の正体もバレバレ。良いのはハードボイルド風に纏めたラストの独白くらいか。 陳舜臣『銘のない墓標』でも語られた大陸との位置関係から香港が被る影響と、世界への出口としての重要性は窺えるが、作品自体はさほどの深みもなく4.5点程度の出来。 |
No.563 | 5点 | 人でなしの遍歴 多岐川恭 |
(2021/08/14 17:48登録) 毒殺未遂・射殺未遂・撲殺未遂と、ひと月ほどの間に三度も殺されかかった出版業喬文社社長・篠原喬一郎は、殺すならうまくやってくれと希う反面わけもわからぬまま殺されることにはやはり抵抗を覚え、誰が狙っているのかを探ろうとする。自分に恨みを持つ人間の中から候補者を選び、訪ね歩く篠原の奇妙な遍歴の幕切れは? 『お茶とプール』に続く、多岐川恭の第十二長篇。一年間に八長篇四作品集を送り出した昭和三十六(1961)年の作だが、創元推理文庫版〈あとがきに代えて〉では〈『変人島風物誌』『異郷の帆』は昨年書いたものだし、『仮面と衣裳』は中篇を書き改めたものだから、ことしの書き下ろしと言えるのは、『お茶とプール』とこの作品だけということになる。〉と謙虚。そのせいもあってか『お茶~』とある種共通する匂いを持った、その後何度も挑戦する事になる「複数の人間から同時に殺意をもたれる主人公」テーマの嚆矢となる作品に仕上がっている。 ただし最初だけあって出来はあまり良くなく、「ちょっとアンフェアかな?」という発言の通り解決も肩透かし。ミステリとして見れば不満も残る。 だが過去に陥れたり体を奪ってきた都合六人の犠牲者を訪ねる喬一郎が、卑屈さもなく残りの人生も僅かと割り切る態度で、かなり爽やかな雰囲気を醸し出しているのが妙なところ。前作主人公の香の残るこの〈臭みの無い野心家像〉が本書のキモだろうか。我利我利亡者のエゴイズム一辺倒でもなく、愛する者には真摯な誠実さを見せる類の人間で、終章では一種ヒーローめいた行動を取るのも興味深い。完成形の『的の男』などには明らかに劣るが、この著者らしい一筋縄では行かない味わいの小説である。 |
No.562 | 6点 | 後ろ姿の聖像 笹沢左保 |
(2021/08/12 18:57登録) 東京の染地にある製パン工場に停められていた真紅のコスモの運転席で、絞殺された女性の遺体が発見された。被害者は三十八歳になる元歌手、十津川英子。紆余曲折の末一昨年の春ブラジルから帰国した後、吉祥寺のバー「ケイ」を開店し、経営者兼ママとなっていた。車内には凶器や指紋を含む一切の証拠は残されておらず、顔見知りによる計画的犯行と思われた。 捜査線上には二人の愛人が容疑者として浮かぶが、会議の席上刑事生活三十年の大ベテラン・荒巻部長刑事は、第三の人物の存在を強く主張する。かつて清純派の流行歌手・伊吹マリのマネージャーを務めていた元作詞家・沖圭一郎。沖は八年前、自作の詞を巡るいさかいから当時の売れっ子作曲家・船田元を軽井沢の別荘で殺害し、十日ほど前に刑期を終えて甲府刑務所から出所したばかりだった。その事件の目撃者として彼を告発したのが、当時岬恵子と名乗っていた十津川英子だったのだ。 荒巻は格下の警部補・御影正人と組んで沖のアリバイ崩しに成功するが、その直後彼は小田急線の特急電車に飛び込み自殺してしまう。後味は悪いものの、事件はこれで落着したと思われた。 だが捜査本部が解散して二日後、二人の刑事を新たな衝撃が襲う。犯行時刻東京にいた筈の沖はその実福岡から千歳に飛び、札幌に音楽学校を創設した恩師・城崎久仁彦に就職の斡旋を依頼していたのだ。完璧なアリバイを持ちながら彼はなぜ出鱈目を並べた挙句、無惨な轢死を選んだのか・・・・・・ 愛と無常の交錯が殺人を招く、笹沢左保の本格推理長編小説。 初出は雑誌「小説現代」昭和55(1980)年6月号~同年8月号。単行本では『後ろ姿の聖像』に改題されたが、著者の意向かのちに講談社ノベルスに収められた際、雑誌準拠のこのタイトルに戻された。2000年8月刊の日文文庫版ではふたたび改題されているが、期間も開いており恐らく出版社側の要請によると思われるので、ここではより本書に即応した『もしもお前が~』で通す。長編としては94冊目、『悪魔の部屋』とほぼ同時期の連載作品である。 内容的には以前評した『さよならの値打ちもない』と似た読み味。悲恋メインのプロットに捻りを加えた上で、いくつかのミスディレクションを仕掛けており、『さよなら~』とはある意味ネガとポジの関係にある(ただし電話の「沖先生」の解釈はやや強引)。トリックは一回りスケールダウンしているものの、自殺した容疑者が残した歌詞「そのとき」に沿った結末は皮肉なもので、〈売れない作詞家〉との設定もここで生きてくる。ドラマ的には前者よりも、タイトルと展開が不即不離の関係にあるこちらが上か。準佳作程度の価値はある長編で、採点は6点~6.5点の間くらい。 |
No.561 | 7点 | 霧と影 水上勉 |
(2021/08/11 00:31登録) 巧妙極まる詐欺被害に遭い倒産の憂き目を見たカミング洋行社長・石田寅造の謎の失踪。それに続く福井県若狭海岸での、小学校教員・笠井早男の断崖からの転落死。一見脈絡のありそうもないほど遠く離れたこの二つの事件が、旧友の死に疑問をいだく毎朝新聞記者・小宮雄介と警察の手で、ひとつに結びつけられたとき・・・。 樹海に包まれた風光絶佳の秘境・若狭猿谷郷の怪奇に、宿命に呪われた人間たちの呻きと業の深さを浮彫りにする、戦慄のサスペンス長編。 当時文筆活動から遠ざかり職業を転々としていた著者が、松本清張『点と線』に触発され物した推理処女作。数度の書き直しののち昭和三十四(1959)年出版され、初版3万部を約一ヶ月で売り切るベストセラーとなった。文字通り作家・水上勉の出世作である。 著作を貫く〈貧困からくる宿業〉というテーマはこの時点で健在。正直〈また越前若狭か〉と思わなくもないのだが、本書の舞台設定はただならぬレベルにまで達しており、ラストでは主人公・小宮記者の前に小栗虫太郎『白蟻』を思わせる背景が立ち現れる。彼にその真相を語るのもかなり意外な人物で、水上自身の生家が乞食谷(こじきだん)と呼ばれる場所にあった事を併せると鬼気迫るものがある。この怨念は『火の笛』『越前竹人形』を経て代表作『飢餓海峡』に至る過程で次第に浄化・洗練されていくが、本書では生のまま。都合四度に渡る書き直しはこれが原因だろう。 とはいえ険阻な断崖の上に位置する人里離れた四戸の部落、それを抱く死火山独特の沃土と原始林、笠井と一緒に目撃された富山の薬売り、更に証拠となるクレヨンや花火等の道具立て、そして常に主人公たちを先回りする謎の男の存在など、こまめに気を配り展開されるストーリーは読んでいて飽きさせない。 終盤登場する潜行中の元代議士・豪田元吉は少々時期ズレしているが、あきらかに元日本共産党書記長・徳田球一のこと。東西対立により進駐軍との蜜月を終えた日本共産党は二つに分裂し、中ソに組した徳田は大阪から中国に逃れ、かの地で「北京機関」を設立するのだが(昭和二十五(1950)年十月)、彼が指示した「武装闘争」方針もまたこの事件と密接に関連している。作中にあるように、現実に資金調達の為に麻薬の売買や経済事犯行為を行っていたかはまた別の話だが。なお作中扱われる籠脱け詐欺は、著者が一時勤務していた月刊誌「繊維」での実体験を生かしたものらしい。安保闘争まっただなかに刊行された、戦後日本の闇部を抉る問題作と言える。 「山桃の樹海は風が吹くと葉が全山にわたって裏がえった。そのたびに黒色に近いくすんだ葉の色が、若葉のような白みがかったグレーになって光るので、何かの動物の毛なみを、風が下からこすり上げるような、ふくよかな動きに見えた。こんもりした樹海のある部分に、雪のむら消えのような葉の色の濃淡がのぞまれたが、あれは湿地の襞の高低からくる葉の陽をうけるかげりかもしれない・・・・・・」 殺された笠井が残したこの風景描写が、最終的な事件の解決に結びつくのも見事である。 |
No.560 | 6点 | 鎮魂の森 樹下太郎 |
(2021/08/06 08:04登録) 野心と堅実さを併せ持つ有能な社長・二見尚之介のもとで着実な繁栄を続ける二見食品株式会社。だがその長男・貴一郎は会社の後継ぎを弟・修二郎にまかせ、部長待遇の「調査室長」という閑職で、世捨て人同然の毎日を過ごしていた。「調査室」発足と同時にアシスタントにつけられた二十六歳の女性・河口冴子は、彼の孤独な横顔に秘められた過去に興味をもつ。 そんな折、事務所に〈高橋〉と名乗る謎の男から脅迫電話がかかってきた。貴一郎と冴子はその正体をつきとめるべく、調査を開始するが・・・。戦争が生んだ狂気の殺人を描く、樹下太郎の傑作長編。 『夜の巣』に続く長編作品で、昭和37(1962)年八月桃源社刊。雑誌「宝石」昭和36(1961)年六月号~同年十二月号に渡って連載された『スタイロールの犯罪』を入れると、著者十番目の長編となる。36年の12月11日に脅迫電話を受けてから三日後の12月14日まで、ある青年が三角関係の縺れから起こした出征直前の殺人を題材に、戦時中に運命を狂わされた恋人たちと、自ら望んでそのトラブルに巻き込まれてゆく女性の姿をメインに据えている。 長さは200P程でそう複雑な話でもなく喉越しはツルツル。えらくスムーズに読めるが、ミステリ名作館版「あとがき」にある通り著者の応召体験をバックに据えた終戦直前の社会背景にはそれなりの重みがあり、罪を犯した主人公も性格的な問題があるとは言え、無反省な人間には終わっていない。軽いタッチの登場人物もいずれも生身の普通人として描かれ、特に酸いも甘いも噛み分けた父親の二見社長は、隠れたキーマンとして地味ながら味わい深い。 時代的には安保闘争と刺し違えで倒れた岸信介の後継・池田勇人の「所得倍増計画」が本格的に始動し、高度経済成長がいよいよ右肩上がりになる頃。にもかかわらず未だ戦争の悪夢に囚われ続ける者たちの悲劇、という点でほぼ同時期の山田風太郎『太陽黒点』(1963)と共通するが、本書の場合戦後世代へのルサンチマンは無く、むしろ贖罪意識からの脱出がメインの為一層やるせない。 ある人物が問題の遺書を匿したのも悪意による物ではなく、ちょっとした行き違いや勇み足の結果が、取り返しのつかない破局へと繋がってゆくのは他の著作同様。「戦争さえなかったら・・・・・・。」のせりふも月並みながら身につまされる。さほど捻りは無いものの世代の断絶を軸に人生の機微を穿った準佳作~佳作で、採点は6.5点。 |
No.559 | 6点 | いだ天百里 山田風太郎 |
(2021/08/03 16:22登録) この著者には珍しく山窩を主人公に据えた、プレ忍法帖とでも言うべき連作短篇集。昭和三十(1955)年六月から昭和三十二(1957)年六月にかけて、雑誌「小説倶楽部」を中心に掲載された五つの中短篇から成っており、慶長十二(1607)年から翌十三年にかけて、夫婦の契りを交わした武田家の遺臣・関半兵衛と自由闊達な山の姫君・お狩を中心にした撫衆(なでし)たちを主人公に、すでに天下を手中にし着々と幕藩体制の基盤を固める徳川方と、紀州九度山の草蘆にわだかまる豊臣方の大軍師・月叟真田左衛門佐との暗闘を描く作品である。 この頃は長篇『十三角関係』ほか茨木歓喜ものの諸作や、『女人国伝奇』、『妖異金瓶梅』後半部分、『青春探偵団』、及び『妖説忠臣蔵』などの連作集を執筆していた時期で、『甲賀忍法帖』を始めとする風太郎忍法シリーズも開幕寸前。収録作は年代順の並びもほぼ同じで、死の谷の巻(鳴け鳴け雲雀)/狂天狗の巻(飛び散る天狗)/六連銭の巻(どろん六連銭)/地雷火の巻(地雷火百里)/地獄蔵の巻(お江戸山脈)となる。どこから資料を漁ってきたのか知らないが、例によって綿密至極。ポンポン飛び出す撫衆言葉を彩りに生き生きとした講談調の美文で、彼らを取り込もうとする里者や大道芸人たちの悪意や陰謀と、飽くまでそれを撥ねつけ己の正義に徹する山嶽の子らの姿が躍動的に活写されてゆく。 ゲストは大久保長安、滝川一益、猿飛佐助、三好清海入道、穴山小助、小西行長の娘・呉葉姫、出雲の阿国、名古屋山三郎など。三・四話の「六連銭~」「地雷火~」にはミステリ的趣向が用意されているが、これが人里中心の道中記となってくると、当初の新鮮味やテンポの良さが薄れてくるのは是非もない。第二話「狂天狗~」までは7~8点クラスの手応えだったのだが、それ以降はややパワーダウンしてトータル6点。とは言え変幻自在の忍法抜きですら、高難度の素材を格調高く読ませるのは山風ならではか。 |
No.558 | 7点 | 黒い白鳥 鮎川哲也 |
(2021/08/01 08:40登録) 六月二日の早暁。埼玉県久喜駅近くの線路沿いで、八の字ひげをぴんと生やした男の射殺死体が発見された。列車の屋根に乗ってそこまで運ばれた被害者は、労使抗争に揺れる東和紡績社長・西ノ幡豪輔と判明。敗色濃厚な組合側の妄動か、冷遇の憂き目に遭う新興宗教の報復かと囁かれる中、最右翼と目される容疑者を追っていた当局は意外な線から彼の行方を知ることに。 膠着する捜査を引き継いだ鬼貫警部は社長が貸し金庫に預けていた写真に注目、あるかなきかの糸を手繰って京都から大阪へ、そして忘れじの九州へと足を運ぶ。そこで鬼貫が得たものは? 緻密なアリバイトリックを駆使し、第十三回日本探偵作家クラブ賞を受賞した雄編。 松本清張『零の焦点』と共に「宝石」誌に併載され(連載は昭和三十四(1959)年七月号~同年十二月号)、書き下ろしの次作『憎悪の化石』と併せて協会賞を獲得した初期鮎川の鉄道名作(他の候補作は佐野洋『一本の鉛』、水上勉『霧と影』、結城昌治『ひげのある男たち』)。怪宗教や労働争議描写はあまり生きていないが、ゆったりした筆運びと簡潔かつツボを心得た人物描写、何より余韻のある幕切れが印象的な作品。鮎川長篇はおおむね静かなラストを迎えるが、本書などまるで名句のようである。極力贅肉を削ぎ落としたその後に残るもの、と言ったら良いか。単なる悲劇には終わらず、その先にあるヒロイン自身の運命を見つめている気すらする。 ただしストーリー前半はやや散漫な展開。鬼貫が本格的に登場する後半からの巻き返しは流石で、読了すれば「なるほど」と思うのだが、それでもメイントリックは他の一線級に比べて弱い。秀逸な伏線を冒頭部分に持ってくる事により、巧みにカバーしてはいるけれど。 小説としては『黒いトランク』よりも遥かに好みだが、再読してみると8点弱程度が限界か。 |
No.557 | 6点 | 小さな異邦人 連城三紀彦 |
(2021/07/29 21:36登録) 没後最初に刊行された、34番目にして今のところ著者最後の作品集。連城の未収録短篇はかなり残っているので今後拾遺集が出る可能性はあるが、彼が生涯最後に書き上げた表題作を含む本書が一番、そう呼ばれるに相応しいだろう。いずれも「オール讀物」誌上に二〇〇〇年十一月号~二〇〇九年六月号まで、約十年に渡って掲載された全八篇を収めている。長篇だと28作目の『白光』から最後の『処刑までの十章』に至る時期だが、短篇の方は実母の介護や闘病生活のためか、二〇〇〇年以降は二〇〇五年を除きほぼ年一作ペースにまで落ちている。全盛期に比べるとタッチは淡く枯れているが、別の意味でそれぞれ念入りに執筆されたものと言っていい。 収録作は発表順に 指飾り/無人駅/蘭が枯れるまで/冬薔薇/風の誤算/白雨/さい涯てまで/小さな異邦人 で、書中の並びもほぼ順番通り。二〇〇八年末の実母の逝去、二〇〇九年二月の泡坂妻夫の鬼籍入り、を踏まえて執筆されたのが、唯一希望と明るさを見せる表題作であるのは興味深い。 ピカイチは『飾り火』を思わせるイヤらしさの「蘭が枯れるまで」と、逃亡犯の時効寸前に鄙びた地方都市で思わせぶりな行為を繰り返す女と、都落ちした警察官との鬩ぎ合い「無人駅」の二つ。作品自体の捻りに加え、いずれも出色の心理劇となっている。 それからやや落ちて、三十二年後に心中未遂の真相が暴かれ刺殺された父が遺した日本画の意味が反転する「白雨」と、被害者が誰かも分からない誘拐事件に直面した、八人の子供たちの姿を描く表題作だろうか。流石に著者の初期ベストには及ばないが、残りの半分もおおむね及第といった所で、採点は6点~6.5点。 |
No.556 | 5点 | クレシェンド 竹本健治 |
(2021/07/28 15:24登録) 新進気鋭のコンピュータ会社でソフト開発に携わる矢木沢孝司は、ある日を境に百鬼夜行の幻覚に苦しむようになる。どこからともなく魑魅魍魎の群れが現れ、彼の周囲すべてを埋め尽くしてしまうのだ。しかも、その幻覚は回を重ねるごとに進化し、威力を増し、巨大な恐怖の濁流となって矢木沢を翻弄する。 彼は知人の姪・真壁岬と精神医学者・天野の助けを借りて原因を究明しようとするが、膨れ上がる幻覚は矢木沢自身の思考、存在を超え、何故か古事記に酷似したものになっていくのだった。 どうしても思い出せない母親の顔、震動を伴い聞こえてくる言葉「吾に辱見せつ(あれにはぢみせつ)」そして「霊有れ(ヒアレ)」――。鬼才・竹本健治が描く、日本人のDNAに直接迫る言霊から生まれる恐怖と、その受信回路のメカニズムとは? 「野生時代」の後身誌「KADOKAWAミステリ」に、平成13(2001)年1月号~平成14(2002)年7月号まで隔月連載されていた、著者の第23長篇(マンガ『入神』含む)。『腐蝕の惑星』の続篇SF『連星ルギイの胆汁』の次に来る作品で、井沢元彦ほかの "原・日本人論" をバックに暴走する民族恐怖幻想を、諸星大二郎『妖怪ハンター』風のスペクタクル長篇として纏めたもの。ただし壮大さや意欲的描写の割には不完全燃焼気味で、結論を確信犯的に先送りしているようにも見え、刊行時の〈究極の恐怖小説〉なる煽り文句もやや空回り。ルース・ベネディクト『菊と刀』における "恥の文化" の源流を、黄泉国訪問でのイザナミ神のセリフに結び付けた所がストーリーの肝だろうか。テーマの割には相応に読ませるが、小笠原パートでの嘉門老人の処理など未消化の伏線が多すぎる。 ヒロイン関連で触れられる『眠れる森の惨劇』の後日談は〈やっぱりそうなっちゃったかあ〉という感じ。前作から約一年後という設定だが、果たして彼女は今後どうなるのか。メンタル面では一区切り付いた訳だが、好感の持てるキャラクターだけに大事に扱って欲しい。 |
No.555 | 6点 | 眠れる森の惨劇 竹本健治 |
(2021/07/26 17:05登録) 深い森に囲まれた函館近郊の美しいミッションスクール・星辰女学園で惨劇が起きた! 〈三姉妹館〉の二年生・朝倉麻耶が、森の奥の鐙沼で水死体となって発見されたのだ。さらに彼女が飛び込んだと思われる岩には「罪ハ血デ贖ヘ」の血文字が・・・。悪魔めいた魅力で人々を魅了していた麻耶にいったい何が!? 生徒たちを包み込む異様な気配。緑衣の悪魔が跳梁する時、古典様式を残す学園に何かが起こる。本因坊・牧場智久と女子高生・武藤類子のコンビが閉ざされた聖域の謎に挑む、竹本健治の意欲作! 1993年発表。『妖霧の舌』に続く智久&類子シリーズ第三作で、著者十六番目の長篇。処女短篇集『閉じ箱』の前に来る作品でもあり、今回は伝奇ホラー『クレシェンド』(2003)の前フリとして読了した。『クレシェンド』では須堂真一郎の盟友・天野と共に、本書で智久とほぼ対等な役回りを受け持つ人物のその後が描かれるが、こうしてみると確かに再登場させたくなるキャラではある。 全19章で前半各章は麻耶の死を受け止める少女たちの個別語り、中盤以降は〈桃井ショック〉で大スランプに陥り、本因坊戦第五局の気分転換に学園を訪れた智久と類子に主体が移行する。動機こそいつもの竹本だが内容的には意外にスッキリ纏まっており、メイントリックは〈三姉妹館〉のシステムと構造を利用して巧妙。容疑者が少ないため犯人は割れ易いが、舞台設定や雰囲気など、学園ものとしてはまず合格と言っていい。 『緑衣の牙』の別題通り(こちらが構想時のタイトルらしい)同モチーフの綾辻行人『緋色の囁き』との関連が指摘されているが、未読のため詳細は不明。こんな解説されたらそっちも読破するしかないじゃないですか法月先生。また宿題が増えてしまったなあ。腰掛けのつもりであまり期待せずに読んだら存外まともな作品で、採点はギリ6点。 |
No.554 | 6点 | 愚か者死すべし 原尞 |
(2021/07/24 07:07登録) その年最後に〈渡辺探偵事務所〉を訪れた女性は、伊吹啓子と名乗った。拘留されて新宿署にいる彼女の父親を助けてほしいのだという。当時不良だった父・哲哉は、死んだ渡辺に諭されて九年前に縁故の暴力団〈安積組〉を抜けていたが、妻の弟が横浜で起こした銃撃事件から彼を庇うため、義弟の身代わりとして警察に自首したのだった。おとといの午後〈神奈川銀行〉蓬莱支店で起きた事件では、行員含む二名が撃たれており、そのうちの一人である暴力団〈鏑木組〉組長は銃弾を胸部と腹部に受け、かなりの重症だった。 弁護士・漆原の懇請でとりあえず啓子を新宿署に送り届ける沢崎。だが新たな事件はその直後に起こる。横浜の伊勢崎署に護送される途中の哲哉が、地下駐車場でランドローバーに搭乗した男たちに襲撃されたのだ。黒いニット帽を被った男が放った二発の銃弾は、伊吹哲哉と被疑者を庇おうとした若い刑事とを貫いた―― 十年近くの沈黙を破り2004年に発表された、私立探偵・沢崎第二シリーズのスタートを告げる長篇第四作。大作『さらば長き眠り』の後記には、〈本格とハードボイルドの融合という点では、これ以上のものはもう書けないかもしれない〉旨の発言があったのだが、それは杞憂に終わった。齢九十二歳の政界フィクサー・設楽盈彦(しだらみつひこ)誘拐事件と、新宿署内での被疑者襲撃事件とを巧みに絡ませ解きほぐす手際は、本書を読む限り全く衰えていない(偶然の多用や現実味の欠如など、ストーリー重視の荒さには異論もあろうが)。いつも以上に錯綜を極めたプロットが、僅かな指摘によってガラリと相貌を変える所など手慣れたもので、タイトルに繋がる仕掛けや誘拐事件の顛末もややあざといが充実している。 ただし全般に対象が特殊なせいか、一期に比べイマイチ切実さというか普遍性に欠けるのは困りもの。ICAの事務員・宗方毬子と「さらば~」に登場した車椅子の女性弁護士・佐久間との、男を挟んだ三角関係の解消を入れて補強しているが、各種描写や味わいは前シリーズに劣る。加えて今回〈清和会〉の相良はチョイ役なものの、兄貴分の橋爪や錦織警部の出番はナシ。後者はなんとパリの〈インターポール〉国際会議に出席中だそうな。 |
No.553 | 6点 | 巣の絵 水上勉 |
(2021/07/22 07:44登録) 秋の日の黄昏、東京山手大塚新町のとある地下壕で発見された死体。その児童画家・新田義芳は作業に用いるガラス貼りの幻燈箱の上に、身を伏すように倒れていた。箱の中の絵は何ともいいようのないもので、鉢状になった底の部分に羽毛が生きもののようにとび散り、底には一枚の千円札が貼ってある。自殺を推定する警察の見解に、童謡春秋の編集者・波元太郎の疑惑は深かった・・・。 巧緻な推理構成と暗い叙情性に、豊かな作家的才能を示した著者デビュー期の佳篇。 日共トラック部隊を題材に採り一躍ベストセラーになった『霧と影』の好評を受け、雑誌「週間スリラー」誌上に昭和三十四(1959)年八月から翌昭和三十五(1960)年三月まで、約八か月間にわたって連載された社会派作品。協会賞受賞の『海の牙』より確実に前の時期なので、あるいは第二長篇かもしれない。 組織犯罪の為〈印象的な犯人像〉という点では『火の笛』に劣るが、その分いくつかの趣向が凝らされており総合的にはほぼ同格。童話画家の謎の死、その友人の失踪、市川国分台の公園林で発見された毒殺者とみられる男の死体、行き詰まる捜査など、被害者の友人知人にそれぞれ影を見せながら最後まで引っ張っていく。解決の端緒となる思いつきはなかなか面白いもので、主人公・波元がそれに気付いたのも、画家の手紙に従い巣鴨拘置所から護国寺と、都電通りをあてどもなく彷徨ったからだろう。〈都会人の孤独な心情〉に寄り添う事で徐々に謎が解けてゆく形の小説で、社会派としてはやや異例ながら独自の叙情性を持っている。 波元の熱意が担当の衣斐警部補を動かし、それが別ルートの事件を追求していた同僚・古茂田警部補の注意を惹いてからは一気呵成。地味に置かれてあったピースが結び付いてゆき、画家の何気ない行為からその殺害にまで至る動機が明らかにされる。中盤はややキツいが知名度の割には良作で、採点は6.5点。 |
No.552 | 7点 | invert 城塚翡翠倒叙集 相沢沙呼 |
(2021/07/21 19:45登録) 綿密な犯罪計画により実行された殺人事件。アリバイは鉄壁、計画は完璧、事件は事故として処理される――はずだった。だが犯人たちのもとに、死者の声を聴く美女、城塚翡翠が現れる。大丈夫。霊能力なんかで自分が捕まるはずなんてない。ところが・・・・・・。 ITエンジニア、小学校教師、そして人を殺すことを厭わない犯罪界のナポレオン。すべてを見通す翡翠の目から、彼らは逃れることができるのか? ミステリランキング五冠を獲得した『medium 霊媒探偵城塚翡翠』待望の続編は、犯人たちの視点で描かれる、傑作倒叙ミステリ中編集! 「小説現代」二〇二一年一月号掲載の中篇「泡沫の審判」に書き下ろし二篇を加えて刊行された、ファン感涙の翡翠ちゃん作品集。収録作は発表順に 泡沫の審判/雲上の晴れ間/信用ならない目撃者 。『medium~』ほど粘着質の論理ではないものの、今回も相変わらず根性悪。メガネっ娘バージョンまで駆使して迫るあざとさに、思わず犯人に「後ろだよ、後ろ」と忠告してあげたくなります。 最初の二篇は巧みなアリバイを崩すコロンボ風の正統派倒叙なんですが(ただし証拠の緻密な精査は前作仕込み)、最後の「信用ならない~」がすっげえタチ悪い。掴んだ弱みを匂わせつつの脅しで政官財に食い込む、元腕利き刑事が犯した告発者の殺害。決して証拠を残さぬ強敵に、さしもの翡翠も次第に焦燥を募らせるが―― と見せかけての鮮やかなうっちゃり。まあ今回ちょっと焦り過ぎなんちゃう? を含めた描写とか、読んでて多少の違和感はあったのですが。というか何だよ〈びっくり小説〉とか〈本当に大事なのは創造性溢れる論理の構築〉とか熱く語っといて。もうこの作者の言葉は一切信用出来ません(褒め言葉)。 という訳で捻りまくりなのは最後の「信用ならない~」ですが、ベストはIT技術の盲点を利用したアリバイ作り「雲上の晴れ間」。確実性では劣りますが、タイトルとリンクした決定打の「泡沫の審判」もレベルは高い。よって採点は7点から7.5点といったところ。ただし中篇集故か、恒例のふともも連呼や変態制服フェチ推理はありません。 |
No.551 | 6点 | 猟奇の都 高木彬光 |
(2021/07/19 20:36登録) 江戸川乱歩激賞の「ロンドン塔の判官」(塔の判官)と併せ昭和三十一(1956)年二月、『ボルヂア家の毒薬』の書名で東方社から刊行された、著者初期の歴史探偵小説集。ただし本書には「~判官」の代わりに、アマゾンを遡り魔境〈悪魔の淵〉の上流を探る戦慄の冒険譚「ビキニの白髪鬼」が収録。昭和二十七(1952)年九月より昭和三十(1955)年一月まで、「探偵倶楽部」「面白倶楽部」ほか各誌に掲載された六篇が収められており、全て長篇『白妖鬼』と『神秘の扉』に挟まる形で執筆されている。 収録作を年代順に並べると マタ・ハリ嬢の復活 (マタハリの娘) /ラブルー山の女王(人外境)/ビキニの白髪鬼/ボルジア家の毒薬/コンデェ公の饗宴/ダンチヒ公の奥方 となる。最も長い「ラブルー山~」は黒岩涙香の翻案物を高木がダイジェストしたもので(原作はアドルフ・ペローの "Black Venus"、「万朝報」明治二十九(1896)年三月七日~明治三十(1897)年二月二十六日まで連載)、涙香死後三十三周年を記念して書かれたもの。フランス舞台の「ボルジア家~」からの三作は歴史連作〈七つの大罪〉として、それぞれ好色・美食・虚栄の罪をモチーフにしている。なお連作はこの三篇で途絶し、残りの四篇は遂に書かれないまま終わった。 15世紀末から16世紀初頭にかけて一世を風靡したルネサンス期の梟雄チェーザレ・ボルジアの破滅に関わる毒殺事件を扱った「ボルジア家~」と「コンデェ公~」は出来はそれほどではないが、後者はオノレ・ド・バルザック『風流滑稽譚』の贋作という体裁で、わざわざ擬古文調を使うなど凝っている。作中アレクサンドル・デュマ『ブラジュロンヌ子爵』前半のエピソードに触れているが、鈴木力衛の三銃士全訳がちょうどこの頃なので、おそらくそれを読んだのだろう。高木と言えば生硬な文章と堅苦しいイメージが強いので、これには少し驚いた。やはりこの当時の一高出身者の素養はハンパではない。大したものではないが、両者とも準密室および密室を扱っている。 それよりも出来が良いのは次の「ダンチヒ公の奥方」。長谷川哲也『ナポレオン 覇道進撃』に登場するルフェーヴル元帥の妻・カトリーヌが機略と機転で、あのジョゼフ・フーシェを顎で使ってナポレオン二度目の妻、マリー・ルイーズの愛人ナイバーク伯爵を死刑の身から救う。終始べらんめえ調で「私よりもっと智恵のあるお方がこの場におられます」とフーシェに言わせるカトリーヌがGOOD。垢抜けせずとも平民暮らしからくるタフさと世間知がある。 「マタ・ハリ嬢の復活」は、G・H・Qからの資料提供によるノンフィクションとされているが、果たしてどうだろうか。刑場に散った欧亜混血の女スパイ、マタ・ハリの愛娘ペンダが辿った第二次大戦末期から朝鮮戦争までの数奇な運命を綴る短篇で、どちらかと言うと宿命譚の部類。 読ませるのは「ダンチヒ公~」と、ややご都合主義ながら起伏に富んだアフリカ舞台の冒険物「ラブルー山~」で、一、二馬身差の「マタ・ハリ嬢~」の他は並。著者のこの系統は約十年後の文華新書『吸血の祭典』(1967)へと続く。ちょっと毛色の変わった作品集だが、総合すると可もなく不可もなくの6点。行っても6.5点くらいか。 |
No.550 | 5点 | 白妖鬼 高木彬光 |
(2021/07/18 17:10登録) 大都会の谷間ともいうべきこの小路、東京の銀座裏、金正ビルの横から大新聞社の隣りに抜ける奇妙な酒場に集まった酔客たち。やとわれマダムのロハ夫人こと只野春江、新進気鋭の映画監督・城崎晴夫、かれに出演の誘いを受けた新風劇団の、香取三雄と鹿島管子、東洋新聞の土屋社会部長と遊軍記者の真鍋雄吉、そして我らが松下研三と、劇作家の村田宮子。 そこに黒いソフトを眼深にかぶり、大きな帽子の箱と赤皮のトランクをかかえた男が訪れ、客の一人である弁護士・三浦勝造にトランプで不吉な予言をする。これから十日以内に奇怪な殺人事件が起こり、その犠牲者はあなたかも知れないと―― 弁護士は一笑に付すが、数日後彼は自宅で舌を切断された毒殺死体となって発見される。そして占いの予告通りに現れた黒い毛皮をまとった裸女は、三浦邸からかき消すようにいなくなっていた。更に殺害された三浦の元には「白妖鬼」と名乗る人物からの怪しい脅迫状が・・・・・・ 地下に潜った共産主義者たちの影が見え隠れする連続殺人。研三と別ルートで事件を追う土屋部長は、遂にあの神津恭介に出馬を仰ぐ。稀代の名探偵が神出鬼没の殺人鬼の恐るべき企みに挑む、本格ミステリー長篇。 共栄社発行の雑誌「探偵クラブ(探偵倶楽部)」に昭和27(1952)年4月号~昭和27(1952)年11月号まで、断続的に掲載された神津シリーズ第4作。「講談倶楽部」連載の山田風太郎との合作長篇「悪霊の群」の連載が昭和26(1951)年10月~昭和27(1952)年9月までと時期的に被るので、一連の研三と宮子の会話など、茨木歓喜に影響されてやや躁病の気味もある。正に〈なんじゃこりゃ〉な高木らしからぬ描写だが、この凸凹コンビにはチャーミングさも出ており、これはこれで読める。 だがストーリーは通俗スリラーとパズラーのゴッタ煮。筋立ての骨子は結構本格的なのだが、肝心の白妖鬼がやる必要もない挑発を次々と繰り返すため、読者に真面目に受け取ってはもらえず(最後に〈犯人の潜在的な破滅願望〉という事で、一応の辻褄は合わせてあるが)、加えて犯行時の無理筋もアリアリ。第二の殺人以後ロハ夫人=水野春江が実家の子爵家に戻り、オープンな事件から一気にクローズドサークルに入る展開も木に竹を継いだようで、せっかくの狙いが透けて見えてしまう。 総合的にはジョン・ディクスン・カー『疑惑の影』のような、素材は悪くないのに処理の不味さが目立つ失敗作。名作『人形はなぜ殺される』の原型ともいうべき内容にもかかわらず、作品としては遠く及ばない。それでも人物造形などシリーズ次作『悪魔の嘲笑』よりは読み所も多いので、採点はかなり甘くして5.5点。 |
No.549 | 7点 | 鳥の巣 シャーリイ・ジャクスン |
(2021/07/16 16:11登録) エリザベス・リッチモンドは内気でおとなしい23歳、友もなく親もなく、博物館での退屈な仕事を日々こなしながら、偏屈で口うるさい叔母と暮らしていた。 その彼女がある日、止まらない頭痛と頻発する奇妙な出来事に悩んだすえある医師のもとを訪れる。診療の結果、原因はなんとエリザベスの内にある複数の人格だった。ベス、ベティ、ベッツィと名付けられた別人格たちは徐々に自己主張をし始め、主人格であるエリザベスの存在を揺るがしていく・・・・・・ 〈孤高の異色作家〉ジャクスンの、研ぎ澄まされた精緻な描写が静かに炸裂する、黒い笑いに満ちた傑作長篇がついに登場! 1954年発表。夫スタンリー・エドガー・ハイマンに捧げられたサイコ・サスペンスで、ジャクスン作品としては『絞首人』(1951)に次ぐ第三長篇となるもの。各章で語り手の代わる小説で、冒頭で描かれる博物館員エリザベスはくすんだ無色の存在なのだが、診察中第三の人格ベティが悪魔憑き映画『エクソシスト』紛いに登場してからは一気にヒートアップ。更に上手のベッツィも加わって四つの人格が明確に区分され、一つの肉体の中で主導権争いをしながらくるくると入れ替わっていく。第二章では邪悪そのものに見えたベティが次章ではか弱さといじらしさを見せ、一転して読者の心に食い込んでいくのは名手ジャクスンの腕だろう。序盤ではぎごちなく見えた文章も、第三章では分裂の真因を窺わせつつ、流麗かつ繊細なものになっている。 再びライト医師の叙述に戻った第四章ラストでは爆弾が炸裂。単行本255Pからはいったい何事が起こったのかと思った。それから後は舞台劇風に進行し終章となる三ヶ月後、彼女たちの中から一つの人格が選ばれて幕が降りる。 真のエリザベス・リッチモンドとなったのは果たして誰だったのか? いくつかの台詞と描写から推測はできるが、最後まで明確にはされない。「最終的なエリザベスの人格は秘密」と著者自身の語る、明るそうに見せながらもある種の不穏さを漂わせたブラック・コメディである。 |
No.548 | 8点 | ブリジンガメンの魔法の宝石 アラン・ガーナー |
(2021/07/12 11:59登録) 遥かいにしえの時代、すべてを征服せんとして戦いをいどんだ暗やみの大王ナストロンドは、一人の強力な王に破れ、地上の姿をぬぎすててラグナロックの淵の中へ逃げこんだ。だが決して諦めぬかれは暗黒の隠れ家から邪悪な考えを吐き出し、たえまなく人類を汚染している。ついには最強の存在まで汚され、ナストロンドに対抗できる強さをもった清らかな人間は一人もいなくなるだろう。 これを阻止する力を持つのは、これまでこの世界に現れた最強力のまじないの根源である「炎の霜」、すなわち〈ブリジンガメンの魔法の宝石〉のみ。そしてそれはチェシャー県のオールダリーエッジを訪れた少女、スーザンが手首にいつもはめているふしぎな水晶、「涙」のことだった! 二十世紀のイギリスに生きる兄妹、コリンとスーザンが突然まきこまれた不思議な冒険。魔法使いや小人、それに暗黒の王が入り乱れて戦う、現実と重なる魔術世界を舞台にした正統ファンタジー。 1960年発表。『指輪物語』完結の5年後に刊行された児童文学作家アラン・ガーナーの処女作で、続く『ゴムラスの月』や2012年発表の "Boneland"(未訳)と併せ、著者のライフワークとも言うべきシリーズを成すもの。 トールキンもガーナーも同じオックスフォーディアンではあるが、銀行支店長の息子として生まれ英文学教授として死ぬまで学寮生活を送った前者と、職人一家の中で初めて高い教育を受けるも中退し、在野に於いて民間伝承の研究に励む後者の間には自ずと差異があり、本書も『ふくろう模様の皿』におけるように逞しい文章と作劇でありながら、より生々しい感情を感じさせるものになっている。 二部構成で、一部では暗やみの王の野望を打ち砕くために備えられた、百四十人の清らかな騎士たちの眠りを司る宝石「涙」が少女スーザンから奪われるまで、二部では〈手品師〉グリムニアと魔女セリーナ・プレイスの手から「涙」を取り戻したコリンとスーザンが、二人の善なる小人やハイモスト・レッドマンヘイの百姓ガウザー・モソックと共に苦難の旅を続け、遥かシャトリングズロウ山にいる筈の〈銀のひたい〉の魔法使いキャデリンの元へと、「涙」を届けるまでの長い道行きが描かれる。 強大な魔王・世界の運命を制する宝具・使命の旅・そしておぞましい追っ手からの逃避行と、かの『指輪~』とも共通するモチーフを持つが、最大の特徴は現実世界の住人たちが絡むこと。〈遥か昔〉ではなく現実のチェシャー県と魔法世界とを重ねたその剛腕により、ストーリーに更なる面白味が加わっている。ハルドラ族の王子である小人デュラスローが最後に見せる勇姿など、雄渾さも申し分ない上長さも適度なので、プレ指輪作品としてはかなりお薦め。「これで、『ブリジンガメンの魔法の宝石』という物語は終わった」との結びもかっこいい。 |
No.547 | 7点 | 戦争を演じた神々たち 大原まり子 |
(2021/07/09 08:20登録) 破壊する創造者、堕落した王妃、不死の恐竜伯爵、男から女への進化、完全なる神話学的生態系、等々。生命をめぐるグロテスクで寓意に満ちたイメージが、幻視者、大原まり子のゴージャスかつシンプルな文体で、見えざる逆説と循環の物語として紡ぎあげられた。現代SF史上もっとも美しくもっとも禍々しい創造と破壊の神話群。 1994年度第15回日本SF大賞を受賞した連作短篇集。著者は中島梓(栗本薫)の推輓を受けて登場した、神林長平ら同様〈SF作家第三世代〉を代表する作家で、オリジナリティ豊かな未来史と感覚的な文体で'80年代SF界を牽引した。アディアプトロン機械帝国や天使猫、巨大企業シノハラ・コンツェルンや十三人のクローン超能力者など、独自の設定を駆使した世界観は、かっこよくも感傷的なイメージと共に記憶に残る。本書は三十代を迎え更に円熟味を増した著者が、その時点での全てを投入した文字通りの代表作。大賞受賞から三年後に続編の『Ⅱ』が出ているが生憎入手出来なかったので、ここでは全6篇を収録した正篇についてだけ述べる。 開拓惑星の人工生態系を扱い最もミステリ読者ウケすると思われる「異世界Dの家族の肖像」(「獅子王」1989年2月号掲載)を除けば、残りの5篇はすべて雑誌「ログアウト」1993年6月号~1993年12月号にかけて隔月連載されたもの。年代順に並べると 宇宙で最高の美をめぐって/けだもの伯爵の物語/戦争の起源/楽園の想いで/天使が舞い降りても となる。果てしない惑星間戦争を続ける宇宙の二大勢力、クデラとキネコキスの衝突を軸に、オムニバス形式でこの世界のあらゆる争いの本質を抉ろうと試みた連作で、「これら六つの物語を、めまいとともに楽しんでいただけたら幸い」という言葉の通り、作者の掌の上でひとときの酩酊を得るタイプの小説である。 ベストは住民の全てが無尽蔵のエネルギーを享受する崩せそうもない究極の楽園に、ある破滅の種子が持ち込まれる「戦争の起源」。やはり嬰児の平和を破壊するのはリビドーなのだなあ。宇宙規模の蕩尽を招く究極の動機がしょーもないけど、ティプトリーの最高傑作「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」みたいにヤバくて痛いとこ突いてるわ。その次は作者がポスト白雪姫とか言ってるヒューマンな寓話「楽園の想いで」。あとは人工的に作られた極限の美女が死屍累々の惨状を招く、「戦争の~」と同系統作品「宇宙で最高の美をめぐって」。作用と反作用の物語「天使が舞い降りても」は、ネット評価は高いけどそれほどには感じないな。「けだもの伯爵の物語」は、ティラノザウルスに変身した支配者とかのキャラは面白いけどようわからん。まあ良くも悪くもクセの強い作家さんなんで、合わないと思ったら撤退して下さい。 |