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ミステリの祭典

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霧と影

作家 水上勉
出版日1959年01月
平均点7.50点
書評数2人

No.2 7点
(2021/08/11 00:31登録)
 巧妙極まる詐欺被害に遭い倒産の憂き目を見たカミング洋行社長・石田寅造の謎の失踪。それに続く福井県若狭海岸での、小学校教員・笠井早男の断崖からの転落死。一見脈絡のありそうもないほど遠く離れたこの二つの事件が、旧友の死に疑問をいだく毎朝新聞記者・小宮雄介と警察の手で、ひとつに結びつけられたとき・・・。
 樹海に包まれた風光絶佳の秘境・若狭猿谷郷の怪奇に、宿命に呪われた人間たちの呻きと業の深さを浮彫りにする、戦慄のサスペンス長編。
 当時文筆活動から遠ざかり職業を転々としていた著者が、松本清張『点と線』に触発され物した推理処女作。数度の書き直しののち昭和三十四(1959)年出版され、初版3万部を約一ヶ月で売り切るベストセラーとなった。文字通り作家・水上勉の出世作である。
 著作を貫く〈貧困からくる宿業〉というテーマはこの時点で健在。正直〈また越前若狭か〉と思わなくもないのだが、本書の舞台設定はただならぬレベルにまで達しており、ラストでは主人公・小宮記者の前に小栗虫太郎『白蟻』を思わせる背景が立ち現れる。彼にその真相を語るのもかなり意外な人物で、水上自身の生家が乞食谷(こじきだん)と呼ばれる場所にあった事を併せると鬼気迫るものがある。この怨念は『火の笛』『越前竹人形』を経て代表作『飢餓海峡』に至る過程で次第に浄化・洗練されていくが、本書では生のまま。都合四度に渡る書き直しはこれが原因だろう。
 とはいえ険阻な断崖の上に位置する人里離れた四戸の部落、それを抱く死火山独特の沃土と原始林、笠井と一緒に目撃された富山の薬売り、更に証拠となるクレヨンや花火等の道具立て、そして常に主人公たちを先回りする謎の男の存在など、こまめに気を配り展開されるストーリーは読んでいて飽きさせない。
 終盤登場する潜行中の元代議士・豪田元吉は少々時期ズレしているが、あきらかに元日本共産党書記長・徳田球一のこと。東西対立により進駐軍との蜜月を終えた日本共産党は二つに分裂し、中ソに組した徳田は大阪から中国に逃れ、かの地で「北京機関」を設立するのだが(昭和二十五(1950)年十月)、彼が指示した「武装闘争」方針もまたこの事件と密接に関連している。作中にあるように、現実に資金調達の為に麻薬の売買や経済事犯行為を行っていたかはまた別の話だが。なお作中扱われる籠脱け詐欺は、著者が一時勤務していた月刊誌「繊維」での実体験を生かしたものらしい。安保闘争まっただなかに刊行された、戦後日本の闇部を抉る問題作と言える。

 「山桃の樹海は風が吹くと葉が全山にわたって裏がえった。そのたびに黒色に近いくすんだ葉の色が、若葉のような白みがかったグレーになって光るので、何かの動物の毛なみを、風が下からこすり上げるような、ふくよかな動きに見えた。こんもりした樹海のある部分に、雪のむら消えのような葉の色の濃淡がのぞまれたが、あれは湿地の襞の高低からくる葉の陽をうけるかげりかもしれない・・・・・・」

 殺された笠井が残したこの風景描写が、最終的な事件の解決に結びつくのも見事である。

No.1 8点
(2009/11/08 14:15登録)
東京で発生した詐欺事件を序章とし、その後話は作者の故郷である福井県の海で発見された小学校教員の死体をめぐる事件に移ります。この二つの事件がどこでどう繋がってくるかが問題です。全体としては、興信所員を名乗る謎の人物の正体以外、特に意外性があるわけではありませんが、おもしろく読ませてくれます。
水上勉は、松本清張の『点と線』に影響を受けて初めて書いた推理小説が本作だと語っていますが、冒頭に詐欺事件を持ってきたところとか新聞記者が活躍する点など、むしろ明らかに『眼の壁』との共通点を感じさせます。しかし清張作品以上に、若狭湾から切り立った山の中の、家がたった4軒しかないという猿谷郷を中心とした事件の重要舞台の雰囲気が見事に描きこまれていて、独特な味わいのある作品になっています。

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