| 戦争を演じた神々たち |
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| 作家 | 大原まり子 |
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| 出版日 | 1994年07月 |
| 平均点 | 7.00点 |
| 書評数 | 2人 |
| No.2 | 7点 | 虫暮部 | |
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(2025/11/07 12:10登録) 基本的に整合性が求められるミステリは、それ故に時として大胆な破綻が一線を越える為の表現になり得る。それに対して、投げっ放しでも成立する(特にファンタジー寄りの)SFには、それ故にこそ何らかの糸を一本通して単なる断片集にならないよう繫ぎ止めて欲しいと私は思う。 さて本作。どこまでも美しく奔放なイマジネーションを(結構シンプルに、無造作に)言語化しているのは間違いない。 しかし私には、何故これらの短編群が共通の表題を戴くシリーズとして纏められているのか、ピンと来なかった。謎の軍団だけでは背景として弱い。寧ろ一つ一つ単独の短編として読んだ方が楽しめそう。作者の意図を受け止め切れなかったみたいで口惜しい。 |
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| No.1 | 7点 | 雪 | |
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(2021/07/09 08:20登録) 破壊する創造者、堕落した王妃、不死の恐竜伯爵、男から女への進化、完全なる神話学的生態系、等々。生命をめぐるグロテスクで寓意に満ちたイメージが、幻視者、大原まり子のゴージャスかつシンプルな文体で、見えざる逆説と循環の物語として紡ぎあげられた。現代SF史上もっとも美しくもっとも禍々しい創造と破壊の神話群。 1994年度第15回日本SF大賞を受賞した連作短篇集。著者は中島梓(栗本薫)の推輓を受けて登場した、神林長平ら同様〈SF作家第三世代〉を代表する作家で、オリジナリティ豊かな未来史と感覚的な文体で'80年代SF界を牽引した。アディアプトロン機械帝国や天使猫、巨大企業シノハラ・コンツェルンや十三人のクローン超能力者など、独自の設定を駆使した世界観は、かっこよくも感傷的なイメージと共に記憶に残る。本書は三十代を迎え更に円熟味を増した著者が、その時点での全てを投入した文字通りの代表作。大賞受賞から三年後に続編の『Ⅱ』が出ているが生憎入手出来なかったので、ここでは全6篇を収録した正篇についてだけ述べる。 開拓惑星の人工生態系を扱い最もミステリ読者ウケすると思われる「異世界Dの家族の肖像」(「獅子王」1989年2月号掲載)を除けば、残りの5篇はすべて雑誌「ログアウト」1993年6月号~1993年12月号にかけて隔月連載されたもの。年代順に並べると 宇宙で最高の美をめぐって/けだもの伯爵の物語/戦争の起源/楽園の想いで/天使が舞い降りても となる。果てしない惑星間戦争を続ける宇宙の二大勢力、クデラとキネコキスの衝突を軸に、オムニバス形式でこの世界のあらゆる争いの本質を抉ろうと試みた連作で、「これら六つの物語を、めまいとともに楽しんでいただけたら幸い」という言葉の通り、作者の掌の上でひとときの酩酊を得るタイプの小説である。 ベストは住民の全てが無尽蔵のエネルギーを享受する崩せそうもない究極の楽園に、ある破滅の種子が持ち込まれる「戦争の起源」。やはり嬰児の平和を破壊するのはリビドーなのだなあ。宇宙規模の蕩尽を招く究極の動機がしょーもないけど、ティプトリーの最高傑作「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」みたいにヤバくて痛いとこ突いてるわ。その次は作者がポスト白雪姫とか言ってるヒューマンな寓話「楽園の想いで」。あとは人工的に作られた極限の美女が死屍累々の惨状を招く、「戦争の~」と同系統作品「宇宙で最高の美をめぐって」。作用と反作用の物語「天使が舞い降りても」は、ネット評価は高いけどそれほどには感じないな。「けだもの伯爵の物語」は、ティラノザウルスに変身した支配者とかのキャラは面白いけどようわからん。まあ良くも悪くもクセの強い作家さんなんで、合わないと思ったら撤退して下さい。 |
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