雪さんの登録情報 | |
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平均点:6.24点 | 書評数:586件 |
No.306 | 8点 | 自宅にて急逝 クリスチアナ・ブランド |
(2020/02/20 07:02登録) 第二次世界大戦末期のイギリス、スワンズメア。混血の亡妻を記念して建てられた大富豪サー・リチャードの館・白鳥の湖邸〈スワンズウォーター〉では、今年も追悼の儀式が催されていた。若くして息を引きとったセラフィタの霊を慰めるため、次々に館に集ってくる人々。 だが席上リチャード卿は手に負えぬ孫どもと諍いになり、遺言状の書き換えを宣告。離れのロッジに引き上げた翌朝、ものいわぬ骸となって発見される。死因はアドレナリンの大量投与だった。 一族とは長いつきあいの"ケントの恐怖"ことコックリル警部が捜査を開始するが、事件は意外に手強い。さらに一族は愛憎混じりの疑惑に駆られお互いを告発し合い、事態は益々紛糾する。彼らの神経が張り詰め、ヒステリックな緊張が高まる中、やがて訪れる衝撃の結末とは――? 1946年発表。前作「緑は危険」同様戦時下の英国を舞台にしたもので、ブランド4冊目の長編。コックリルシリーズとしては3作目に当たります。登場人物の描き分けが素晴らしく、個々のキャラクターが非常に魅力的。検視審問や家族の逮捕、第二の殺人など煮詰まる状況の中で、疲弊した彼らが疑心暗鬼に陥りつつ仮説と告発を繰り返す容赦無さは、この作者の一連の作品のみならず全ミステリ中でもトップクラスに入るでしょう。 その反面個々の謎解き部分は弱い。的確に配置することでストーリーに寄与してはいますが、〈こうすれば一応は可能だった〉程度のものが多く思い付きの範囲を出ていません。バカミスと言われるアレはプロットと不可分なので文句はありませんが、スクラップアンドビルドがデクスター並みに充実していれば物凄い傑作になったでしょう。〈一族の根底に流れる深い愛情〉が前提にあるため、破局を齎すほどの検討はし難かったかもしれませんが、非常に惜しいです。そこらへんのアンバランスさでギリ8点。 |
No.305 | 6点 | ハイチムニー荘の醜聞 ジョン・ディクスン・カー |
(2020/02/17 01:43登録) 一八六五年十月のある晩、〈ブライス・クラブ〉に呼び出された元法廷弁護士の作家クライヴ・ストリックランドは、友人ヴィクター・デイマンに二人の妹たちを結婚させ父親の屋敷から引き離してほしいと頼まれる。レディング近くの田舎にあるハイチムニー荘は元鬼検事の父マシューの邸宅だったが、辣腕家でありながらその経歴にとかくの噂が影を投げかけ、栄典にはこれまで一切無縁なのも消息通の間では不審がられていた。 クライヴはマシューを説得するためグレイト・ウェスタン鉄道でハイチムニー荘へ向かおうとするが、始発駅で偶然デイマン夫妻に出会う。だがマシュー・デイマンは十歳も老けてしまったように見え、ほおはげっそりとこけていた。彼はそこでデイマン氏から、幽霊が出たという話を聞かされる。昨夜外出した執事バービジの娘ピネラピが、帰宅後階段の途中に立っている男につかまえられかけたのだ。家じゅうのよろい戸はしっかり戸締りされかんぬきもかかっており、外からは誰も入ることができなかった。 クライヴは脅えるデイマンに懇請されハイチムニー荘の客となるが、屋敷の書斎で告げられたのは十九年前に処刑された女死刑囚ハリエット・パイクの実子が、この家に引き取られ養育されているという事実だった。そしてデイマン氏がなおも語ろうとしたまさにその時、何者かの銃弾が彼に向けて発射された・・・ 『火よ燃えろ!』に続いて1959年に発表された歴史もの。次作『引き潮の魔女』とともにヴィクトリア朝三部作を成しています。時代的には南北戦争の半年後、作中にもあるようにイギリスの大政治家パーマストンが病死しプロイセンのビルマルクがオーストリアに普墺戦争を仕掛ける直前で、日本だと第二次長州征討のため大阪城に入った十四代将軍家茂が急死する前後のこと。 1860年にイングランド南部のウィルトシャーで起こった幼児殺し「コンスタンス・ケント事件」を下敷きに、同事件で馘首されたロンドン警視庁の元警部、ジョナサン・ウィッチャーに謎を解かせる構成。〈マシューの二人の娘のうちどちらが殺人犯の子なのか?〉を軸に、一目惚れした主人公を操りながら進行させますが、誘導テクニックの限りを尽くしているとはいえあまり成功していません。犯人隠しはこの作者の得意技ですが、カーの場合文章の巧みさ以前に卓抜したシチュエーションで成功させている例が多い(『貴婦人として死す』などはその典型)。本書の場合はやや無理筋で、鮮やかな仕上がりではありません。鏡明氏のようにストーリーテリングを高評価する人もいる反面、犯人逮捕を複雑な形にせざるを得なくなるなど、作劇としては肩透かしに陥っているところもあります。 とはいえ巻末注記の充実が示すとおり、かなりの意欲作なのは事実。犯人を知っている人物がことごとく言葉を濁すなどいただけない部分もありますが、そうした点を気にしなければ十分楽しめるでしょう。なかなかに尖った作品です。 |
No.304 | 6点 | 神獣の爪 陳舜臣 |
(2020/02/16 09:31登録) 昭和41(1966)年から昭和59(1984)年までの18年間に、雑誌「小説現代」その他に掲載された作品を集めた短編集。あとがきに「私の『集外集』にほかならない」とある通り、連作以外で作品集からもれていたものばかりだそうです。ただ表題作だけはラジオ・ドラマになったり、年鑑やアンソロジーにえらばれたりしていて、てっきり収録済みと思い込んでたそうですが。 全六篇の中ではやはりその『神獣の爪』がベスト。操りテーマですが、時間を掛けて入念に仕組んでいるので全く不自然さがありません。唐三彩の逸品を無惨にたたきこわすという行為の強さと、摑んだ岩にくいこむ爪のあざやかさが、復讐心の象徴として心に残ります。 次点は犯人像がちょっと変った色合いの陶展文もの『軌跡は消えず』。大技小技の『描きのこした絵』もいいですが、この作者のものだとお馴染みのパターンなので少々減点。『まわれ独楽』といい、発想はそれほどでなくとも、気の遠くなるような歳月をかけて念入りに事を行い成就させるというのは、老荘思想に代表される中華的思考の基本線ではないでしょうか。 老境の展文も、淡々とした中に滋味があっていい感じ。残りの二篇もそれぞれに味があり、佳作には到らずとも安心して読めます。点数は少々上乗せして6.5点。 |
No.303 | 6点 | 悪党パーカー/死者の遺産 リチャード・スターク |
(2020/02/13 05:27登録) 犯罪稼業から五年前に引退し、依頼者とパーカーとの連絡係を勤めていた金庫破りのオールド・タイマー、ジョー・シアー。オマハから四十マイルも離れたネブラスカの田舎町、サガモアに引っ込んだ彼から、続けて二通の手紙が届いた。ジョーの弱音から自身にとっての危険を感じとったパーカーは、昔の仲間を片っぱしから売り渡しかねない老いぼれになりさがった彼を始末するため、一路サガモアヘ向かう。いろいろと知りすぎているジョーを生かしておけば、自分自身の生皮をはぐことになりかねなかった。 チャールズ・ウィリスの名前で宿をとったパーカーは標的の家に着くが、彼はそこでシャーディンの偽名を使っていたジョーの死を知る。二度目の手紙がきたときには、老いぼれはもう死んでいたのだ。ジョーは誰かにパーカーのことを漏らしたのか? あとでめんどうのもとになりそうな人物が、今もってサガモアの町にいるのだろうか? パーカーは答えを見つけようとすぐに動き出すが、その行動のすべては地元警察の責任者、エイブナー・L・ヤンガー警部に見張られていた。さらに金庫破りの名人だったジョーの隠し財産を狙い、けちな小悪党アドルフ・ティフタスが彼に付きまとい始める。次第に悪化する状況の中、事の真相を探ろうとするパーカーだったが・・・ 『襲撃』に続くパーカーもの第6作。〈悪党の危機管理〉という主題のもと、探偵まがいの行動をせざるを得なくなる犯罪者を描いた異色作で、1965年の発表。主人公パーカーはやがて殺人事件にも巻き込まれ、ますます身動きが取れなくなります。 これまでとは違い表の顔を守るため、一般人を装い続けなければならないパーカー。五里夢中な状況の中なんとか欲呆け警部を丸め込んだものの、州警察の責任者リーガンは比較にならない切れ者で、はっきりとパーカーに目を付けています。両者の対立に付け込みリーガンの追及を躱しますが、バカな相棒を抑え込みながらのいっぱいいっぱいな状況。つのる苛立ちを隠せないのかいつも以上に容赦がありません。殺人犯人は結構意外な人物なんですが、これも訊きたいことだけ訊くと速攻で処理してしまいます。 「なにかぞっとするような気配を漂わせた男」「今まで見たこともないような冷たい目」「ひと思いに殺してしまいたい」など、一般人は騙せても、その道の人間が見れば危険で残忍な存在とまるわかりのパーカー。本書では一貫して、そうした偽装が崩れる過程での鍔迫り合いを描いています。地味な作品で特に魅力的なキャラも登場しませんが、思い切った結末でシリーズの魅力作りに貢献した作品。大元はありもしない五十万ドルの遺産にアマチュアが群がっただけというのも、皮肉な話です。 |
No.302 | 7点 | 悪党パーカー/弔いの像 リチャード・スターク |
(2020/02/11 14:32登録) マイアミのホテルの自室で、シンジケート差し向けの殺し屋に襲われた犯罪者パーカー。そいつは始末したものの、彼は一緒にベッドの中にいた女、エリザベスに凶器のピストルを奪われてしまう。パーカーは、ぼう大な資金と時間とエネルギーを注ぎこんで来た表の顔、チャールズ・ウィリスの経歴を汚したくなかった。 大富豪の一人娘である彼女はピストルをかえすにつき、新たな仕事を交換条件として提示してきた。もとはフランスのディジョン記念墓地の壁がんに安置されてあった八十二体の小像のひとつ、高さ16インチのアラバスター製〈哀悼者像〉を、父親ラルフ・ハーロウのために盗んで欲しいと。中世の塑像作品で、値段がつけられないほどのものだという。結局前金五万ドルプラスで、パーカーは仕事を請け負う。 彼は相棒ハンディ・マッケイと共に、小像のあるワシントン・クラストラヴァ国大使館員、レパス・カポール邸に押し込む手筈を整えた。だがハウスメイドのクララをたらし込み、鍵型を手に入れるはずだったハンディは帰ってこない。やつはなに者かに捕まったのだ。 間髪入れず部屋へと踏み込んできたチンピラ二人を叩き伏せ、相棒の居場所を突き止めようとするパーカー。だがそんな彼の前に立ち塞がったのは、クラストラヴァの国家警察警視、オーガスト・メンロだった。そして共産圏の有能なる一員・メンロは任務を機にある企みを抱き、宿敵組織〈アウトフィット〉の手を借りてすべての障害物を取り除こうと図っていた・・・ 1963年発表のシリーズ第4作。同年発表の前作『犯罪組織』の後日譚にあたるようです。本書でパーカーに「お前は信用できない。あまりにサディストすぎる」と言い捨てられるヒロイン、エリザベス・ハーロウも引き続いての登場。ラストで「これで終りだ、俺たちは」とかキメてるので切れたんでしょう。とにかく〈強い〉男と寝るのが好きで、ルックスその他は全部どーでもいいという金髪美女です。 小像を巡るケイパー物としてはたいしたことないんですが(被害者自身も最後まで盗まれたことに気づかないくらい)、エリザベスや競争相手メンロなどのキャラクターが面白い。特にオーガスト・メンロは『マルタの鷹』に登場するレヴァント人、ヨエル・カイロのような存在で、ばかていねいな口調で喋りまくる太っちょ。敵手というよりトリックスターで、どこか憎めません。 秘密捜査官とはいえこのアマチュアが、パーカーチームを結構なピンチに落とし込むという一種のギャップが魅力。首尾良くパーカーたちを出し抜いたものの、所詮は共産圏の田舎者。この体重234ポンド(約106キロ)、四十七歳のおっちゃんが異国アメリカで途方に暮れながら、南に向かってひたすら逃亡するのもなんかかわいいです。 点数は7点。多少甘めだけどまあいいかな。 |
No.301 | 6点 | カリ・モーラ トマス・ハリス |
(2020/02/09 11:32登録) 2019年発表。レクターシリーズ最終作「ハンニバル・ライジング」以来13年ぶりの新作は、フロリダ州マイアミ・ビーチを舞台に繰り広げられる金塊争奪戦。「~ライジング」は映画監督ディノ・デ・ラウレンティスにケツひっぱたかれてムリヤリ書かされたそうですが、本書の場合レクター博士のようなビッグスターは出なくてもいい感じです。 麻薬王パブロ・エスコバルの隠し財産を奪い合う変態嗜好の臓器密売人VSコロンビアマフィアの構図に、アメリカでの平穏な生活を夢見る反政府組織FARC(コロンビア革命軍)の元女兵士、カリ・モーラが絡む展開。ビスケーン湾に臨む鳥獣保護センター、シーバード・ステーションに勤め獣医を志望するカリですが、美貌なので当然猟奇おじさんの粘着対象にされます。 インタビューによるとフロリダ在住の作者ハリス氏自身も自然愛好家で、シーバード・ステーションの常連。お写真を拝見すると福々しいヒゲ達磨ですが、漫画家つくしあきひとといい、創作家でこのタイプはおおむね性癖ヤバい気がします。 クライマックスで主人公カリと全身無毛のド変態ハンス・ペーター・シュナイダーが対決する野生動物生息地バード・キーはエド・マクベイン「白雪と赤バラ」でもそうでしたが、地元名所なんでしょうか。きっと絵になる場所なんでしょうね。これも同じくワニに食われた死体もご登場。 人体液化装置その他のおどろおどろしいガジェットや首チョンパ、内臓嗜食などありますが、筆致が硬質なせいかあまりグロくないのでその点は安心。過大な期待を持たなければ、アクション小説として普通に楽しめます。サイコスリラーよりはソッチ寄り。 銃撃事件により記憶障害となった妻を抱えるマイアミ・デード警察殺人課刑事テリー・ロブレスの存在や、カリとはいい距離の老犯罪者ベニートの行動など続編を想定した伏線もありますが、作者が80歳と高齢な上に寡筆なので、出ればめっけものというところ。そのへんは今後に期待しておきます。 |
No.300 | 9点 | 妖説太閤記 山田風太郎 |
(2020/02/06 11:40登録) 300冊目は山田風太郎。雑誌「週間大衆」昭和40(1965)年10月28日号~翌年12月29日号まで連載。これまでの書評は後期作品中心だったんですが、本作の発表は四十三歳の壮年時。その前年は『伊賀忍法帖』を皮切りに『忍法八犬伝』『おぼろ忍法帖(のち『魔界転生』に改題)』など6本もの長編を世に送り出した作家活動旺盛期。複数作品を同時進行させることの多い風太郎ですが、この年は長編連載をこれ一本に絞っただけあって気合が入りまくってます。後期の渋さもいいですが、全盛期の迸るような筆致はまた格別のもの。 欲望の充足に向け一片の迷いもなくひた走る主人公・猿ことのちの太閤秀吉。蜂須賀党時代に見初めた織田信長の妹・お市の方の面影をひたすら追い求めながら、弓頭浅野又右衛門の姪・ねねとの結婚を皮切りに邪魔者は陥れ、障害物は嵌め、くったくのない陽気な笑い声をはりあげながら出世街道を駆け登ってゆく。 大軍師・竹中半兵衛に見込まれ、彼を家来に迎えたことで野望は加速。〈憎悪の矢弾を浴びる人間を作り出す〉という天下取りの基本形を伝授され、この謀略とかれ生来の女性への執着が自身の運命のみならず、いつしか天正期の戦国時代そのものを形作ることに。金角銀角のひょうたんではないですが、「ともぐいのかたち」「度外れた女好き」という二要素の中に物語と歴史そのものを封じ込めてしまうのが、この作品において風太郎が発揮した力業。そのくせキャラが死ぬどころか、信長を葬る前後からは背筋がそそけ立つほどの凄味を見せつけます。 ――では、じぶんの一生のあの悪戦苦闘はなんであったか? あの脳漿をしぼりつくした権謀の数々、血と汗にまみれた戦陣の星霜はなんであったか? その言葉通り本能寺の変すら演出して天下を握り、待望のお市の方の娘・淀君を始めとする高貴な女たちを得て痴戯の限りを尽くすも、貧弱な身体は思うに任せず、女秀吉ともいうべきねねこと北政所との関係も、彼女の目標であった信長の死をきっかけに歪み始め、やがて北政所は次の天下を狙う徳川家康に取り込まれてゆき、運命の歯車もまた狂い始める。 「ともぐいのかたち」を極限まで拡大した朝鮮出兵も無惨な失敗に終わる中、老耄した頭脳と荒廃した肉体を抱え、もはや人間の残骸と化してなお、名状すべからざる妖風ですべてのものを慴伏させる魔王・秀吉。読者の胸に残るのは大伽藍を焼き尽くす炎の黄金の色か、それともかれの脳髄の奥底深くしぶく血か。天愁い地惨たるなか迎える最終章「あらんかぎりの」の虚しさと、大独裁者の鬼気迫る断末魔を見よ! 〈極悪人秀吉〉という視点で書かれた唯一無二の太閤記。英雄・豊臣秀吉を、日本史上最大の悪漢として描いたピカレスク小説です。 |
No.299 | 7点 | ナヴァロンの要塞 アリステア・マクリーン |
(2020/02/03 17:55登録) 第二次世界大戦中のトルコ国境沿岸部、北西にギリシャのレラデス諸島を臨み、要塞島と真正面に突き出たデミルチ岬の先端とを結ぶ線上から、ほぼまっすぐに小島ケロスを睨むナヴァロン。そこに据え付けられたナチス・ドイツの巨砲はエーゲ海に猛威を奮っていた。ケロスに取り残されたイギリス将兵を救うために連合軍はあらゆる手段を用いたが、すべての試みはむなしい失敗に終わっていた。 制空権が完全にナチスに握られた状態で、敵機帆船団と空挺部隊がピレエフスを出てケロスに到着するまであと一週間――それまでに巨砲を沈黙させなければ、千二百の将兵はその全員が戦死するか、負傷するか、捕虜となる運命にある。在カイロ後方攪乱作戦本部主任ジェンセン大佐は、ニュージーランドが生んだ最も偉大なロック・クライマー、イギリス陸軍大尉キース・マロリーほか五名に特命を下した――ナヴァロンの巨砲を破壊せよ! 知力、体力の限りを尽くして不可能に挑む男たちの姿を描く、冒険小説の金字塔。 1957年発表。処女作「女王陛下のユリシーズ号」に続く第二作で、戦争ものその他に無関心な人でも、なぜか〈ナヴァロン〉という単語だけは知っているという超有名小説。戦時下を舞台にした幾多の冒険小説の原型となった作品で、敵地に潜入を試みるマロリーチームに幾多の苦難が絶え間なく襲い掛かります。 切れ者ジェンセンの計らいで、爆発物を扱う天才・フケツことミラー伍長、マロリーと一心同体の頼れるギリシャ人巨漢・アンドレアなど優秀メンバーを集めたものの、ドイツ軍工作員により彼らの潜入は筒抜け状態。救援を担当する現地の味方将校も弛みきって、しょっぱなから打ち合わせを立ち聞きされる有様。登攀不可能とされる断崖や嵐の海・豪雨・寒気などの自然の脅威や敵軍に加えて、味方からの嫌がらせや敵スパイによる裏切りの危機が重なり、一瞬も気の休まるヒマがありません。 天の時・地の利・人の和全てがマイナス。個々のアイデアは正直たいしたことないんですが、この三重苦により入れ替わり立ち代わり訪れる逆境を、その度に不屈の精神で乗り越えるのがこの小説の見所でしょう。シンプルながら時代に左右されぬ面白さがあります。 原点だけに甘い部分もありますが、そういった所も含めてギリギリ7点。一度は読むべき作品です。 |
No.298 | 7点 | エドの舞踏会 山田風太郎 |
(2020/02/01 06:57登録) 明治十八(1885)年十一月五日のこと、帝国海軍少佐・山本権兵衛は陸軍中将・西郷従道(隆盛の実弟)に見込まれ、妻の登喜を伴う鹿鳴館舞踏会への出席を懇請される。けれど元品川遊郭のお女郎だった彼女は前身を恥じて拒否し、権兵衛は従道を大喝した。 だが、事はそれでは収まらなかった。従道はその翌月海軍大臣となったのだ。さらに権兵衛は西郷直属の「伝令使(大臣秘書官)」を命じられる。 舞踏会への上流婦人の集まりの悪さを嘆く従道はある策を講じ、以前の行き掛かりから権兵衛にその実行を押し付けてきた。それを切っ掛けに、彼は心ならずも貴婦人たちの秘話に触れることとなる。それは維新元勲の妻を巡る〈舞踏会の手帖〉の始まりだった―― 雑誌「週刊文春」昭和57(1982)年1月7日号~同年10月4日号まで掲載。『明治波濤歌』に続く明治もの七作目。後半部分は朝日夕刊『八犬傳』の連載とかぶります。 登場するのは伊藤博文・井上馨・山県有朋の三元勲に加え黒田清隆(例のごとく血腥くなります)・大隈重信その他八名の夫人連。序盤に井上伊藤妻のちょっといい話を並べ(伊藤梅子こと芸者のお梅の痛烈な啖呵は痺れます)、中盤に山県黒田妻の怖い話を持ってくる。特に鬼気迫るのは西洋かぶれの文部大臣森有礼の妻・常子のエピソードで、ホントかよと調べたら間違い無しの実話でした。〆のル・ジャンドル夫人池田絲(幕末四賢候の一人・松平春獄の庶子)といい、風太郎作品の考証はハンパ無い。この天覧歌舞伎により、業界の地位が格段に向上したそうです。 ワキを固めるのはマダム貞奴、加納治五郎、西郷四郎、頭山満(サナダ虫)、伊庭八郎、九代目市川團十郎、など。この作者にしては珍しい女性群像メインの作品で、他の明治もののような大仕掛けはない代わりに纏まりが良い。女性陣のかっこよさやエンディングの美しさはかなりのもの。シリーズの四、五番目くらいには入るんじゃないかな。 反面夫である元勲たちにはコケますね。伊藤博文みたいに一周回って妙な味の出てる人もいますが。大久保利通―川路利良のラインを最後に、英雄の時代は終わったということでしょうか。最後の内戦である西南戦争も十年余り前の話なので。 タイトルの〈エド〉とは江戸のこと。あまり取り上げられることはありませんが、中身の割にくどくなくしっかりした作品です。 |
No.297 | 6点 | 金沢逢魔殺人事件 梶龍雄 |
(2020/01/29 21:17登録) 昭和十一年二月、雪に埋もれた金沢の町でむごたらしい殺人が起きた。東京から金沢四高にやってきた男爵家の令息、文甲二年の宮地晴雄が医療用メスで右目を刺されて殺されたのだ。晴雄は腸チフスに罹患し落第〈ドッペリ〉したのち時習寮からある士族邸の離れに移っていたが、郵便配達夫が荷物を届けた直後、犯人に襲われたのだった。晴雄の部屋は荒らされ、その数時間後には家の子供が現場から立ち去る片目マントの男を目撃していた。だが、事件はこれで終わりではなかった。 茫洋とした貧家出身の大物寮生、不運続きでねじけてしまった理乙三年の医者の息子、そして秀才の誉れ高い理甲二年生。次々に同じ手口で四高生たちが殺されてゆく。そして事件前に送りつけられる右目をベットリと塗り潰された八幡起上がりと、当局を嘲笑うように現場に姿を見せる頭巾〈フード〉つきのマントを被った黒い眼帯の男。 北陸日報の敏腕インテリ記者・新保正吾と文甲二年きっての秀才・岸本真一は、謎の連続殺人犯の正体を暴こうとそれぞれに調査を進めるが・・・ 「若きウェルテルの怪死」に続く旧制高校シリーズ第3作で、1984年発表。この年は著者が「奥鬼怒密室村の惨劇」「蝶々、死体にとまれ(後に「幻の蝶殺人事件」に改題)」など6冊を刊行した当たり年。おそらく一番ノッていた時期でしょう。短めの長編ですが中身はかなり詰まってます。舞台となる金沢市内のリサーチや時代考証も邪魔にならぬ範囲で適確なもの。時節柄二・二六事件も重なり、事件の展開に影響を与えます。 ただしあまり手際のほどは上手くなく、二段組み200P程の紙幅に最終的には殺人が六つ。急ぎすぎた感は否めません。「清里高原殺人別荘」でも感じましたが、フーダニットが得意な人ではないですね。本人もその弱点は知悉しているらしく最終章で論理の鬩ぎあいを試みていますが、片方はピースが何個か欠落してるのですぐ分かります。というか仮にその場は凌げても、警察に仔細に検討されれば個々の事象が自分にだけ都合良く転がってくれてる訳がないので。何となくネット荒らしの悪足掻きを連想しました。勿論、議論にケリを着ける手段もちゃんと用意してあります。 作中でも犯人がこれ以上の犯行を躊躇うシーンがありますが、連続殺人は三件だけにして、解決前に一呼吸置いた方が良かったと思います。手掛かりの散りばめ方はいつもながら精緻ですが、犯行手段を推理するにはいささか物足りません。 |
No.296 | 7点 | 眺海の館 ロバート・ルイス・スティーヴンソン |
(2020/01/28 15:19登録) イギリス短編小説の伝統の先駆とされ、作者の最高傑作とも見做される「新アラビア夜話」のうち、ボヘミア王子フロリゼルの絡まない二巻部分の全四篇に、ショートショート集「寓話」全二十篇と北欧英雄伝説〈サガ〉に題材を採った「宿なし女」を加え、さらに本邦未訳の戯曲ふう小品「慈善市」を添付した日本オリジナル短編集。「夜話」二巻部分が一冊に纏まるのはおそらく初めて。なお中篇表題作の定本も初出誌からの本邦初訳で、本国でも入手困難なエブリマンズ・ライブラリー版。非常に希少価値の高いものだそうです。目玉はもちろんその「眺海の館」。 スコットランドの風吹きすさぶ北海のほとり、砂丘と砂地の草原〈リンクス〉が入り組む危険な流砂地帯、グレイドン・イースターに屹立する孤高の館を舞台に展開する物語。 世捨て人のように生きてきた二人の青年、フランク・カシリスとグレイドンの領主R・ノースモア。大学中退後フランクはしばらく友人の彼と共に暮らしていたが、ふとしたことから袂を分かち屋敷を立ち去る。 それから九年が経ち放浪の果てに再びスコットランドを訪れたフランクは、懐かしいグレイドン・イースターの海岸林で一週間を過ごそうと決め、九月のある夕暮れ時にその地へとたどり着く。だが野宿した彼が見たのは、未知の客人を迎えるため入念に用意が為された人気の無い館と、数マイル沖合に浮かぶ大型の帆船だった。 そして真夜中に船から降り立ったのは遠出用の帽子を目深にかぶり、襟を立てて顔を隠しためったに見ないほど長身の男と、同じく長身でほっそりした年若い娘、それに館の主ノースモア。フランクは彼の名を呼びかけるがノースモアは無言のうちに飛びかかり、心臓めがけて短剣を振り下ろそうとする。 辛くもノースモアを殴り倒し危機を躱したフランクだが、友人はそのまま館に飛び込むと閂を掛け、客たちと共に要塞と化した建物の中へと消えていくのだった・・・ 謎めいた発端の後、繰り広げられるロマンス。二人の心をとらえた美女クララ・ハドルストンにイタリア統一と独立を目指す政治団体〈カルボナリ結社〉の魔の手が絡み、「宝島」ばりの冒険が展開します。主要人物の性格描写が抜きん出ているのがミソ。コナン・ドイルが「スティーヴンソンの才能の最高到達点」「世界一の短編小説」と激賞した作品です。 文学史を見るとデュマ・バルザック・ユゴーのフランス三大作家とポオ、少し遅れて国民作家ディケンズ、一世代離れてヴェルヌ、レ・ファニュ、コリンズ。その後にドイルたちが来るわけで、ホームズ物が大成功したにせよそれのみでは到底満足出来なかったのも、偉大なる先達たちの存在があったから。そしてドイルに先んじてそれに劣らぬ文学的成功を収めたのが、1883年発表のスティーヴンソン「宝島」。「緋色の研究」が発表される5年前の事です。ドイルは今我々が思う以上にスティーヴンソンを意識していたようで、その先に「白衣の騎士団」などの歴史小説志向があったのはほぼ間違いのないところでしょう。 ベストは表題作、それに続いて処女短編「一夜の宿り」と「宿なし女」。「寓話」の中にはジョン・シルヴァーとリブシー船長のメタな幕間劇「物語の登場人物たち」や、タイム・パラドックス風の「明日の歌」なんてのも含まれています。この人も間口の広い作家です。 |
No.295 | 5点 | 夜と昼 エド・マクベイン |
(2020/01/25 11:42登録) 「はめ絵」に続く87分署シリーズ第25作で二部構成。十月のある土曜日、87分署内で起きた出来事を〈ナイトシェード(午前零時から午前六時)〉と〈デイウォッチ(それ以降)〉に分け、それぞれのシフトにおける刑事たちの一日を活写したもの。 深夜番のスティーヴ・キャレラは別件解決後やっと眠れるとパジャマに着替えたところをバーンズ警部に呼び出され、結局丸一日出ずっぱり。食料品店で張り込んでいたアンディ・パーカーが店主ともども強盗に撃たれて人手不足だったからですが、同僚アーサー・ブラウンの活躍もあり、深夜のヤマに続きこれも解決。刑事たちにとって今日の目玉事件はこれですね。警官被害を解決すると昇進だか昇給だかするらしく、いいとこはみんなあいつが持っていくんだよと、他の刑事たちから羨まれます。 ですが面白いのは第一部〈ナイトシェード〉。パジャマを着る前のキャレラとコットン・ホースが担当した劇場裏での踊り子殺しと、マイヤー・マイヤー担当の高級住宅地〈煙が丘(スモーク・ライズ)〉の盗難事件がメイン。元判事の邸宅に現れた男女の幽霊が次々宝石類を盗むというイミフな展開ですが、なぜか全編でこれが一番凝っているという訳の分からなさ。けっこう泣かせる真相なのがまた複雑なキモチを抱かせます。 それに比べると第二部はいたって普通のドキュメント。ちょっと歪な感じです。以前に読んだ「はめ絵」もしょうもなかったし、その前の「ショットガン」もどうも良くないようなので、本作で目先を変えてみたんですかね。これもシリーズ標準より出来はやや下くらいで、この時期作者はスランプだったかもしれません。 巻頭、アメリカ探偵作家クラブの諸兄に捧げた献辞でいきなりふざけてますが、内容がそれほどでもないので完全に滑ってます。ジョーク好きのマクベインにしては今回外し気味。 |
No.294 | 6点 | バン、バン!はい死んだ ミュリエル・スパーク |
(2020/01/22 10:11登録) The Complets Short Stories by Muriel Spark(Penguin,2002)を底本とした、英国ブラックユーモアの女王、ミュリエル・スパーク(1918~2006)の日本オリジナル短篇集。1954年発表の「双子」から、2000年発表の「人生の秘密を知った青年」「クリスマス遁走曲」まで、全15篇収録。 発表年を見ても分かるように非常に息の長い作家でスコットランド生まれ。南ローデシア(現ジンバブエ)で結婚した後まもなく離婚。第二次世界大戦のさなかUボートの襲撃に脅えながら軍用輸送船でイギリスに帰還したのち、MI6(英国外務省秘密情報部)政治情報局にて対ドイツ情報操作を担当。その後『オブザーヴァー』誌の懸賞に募集し、短篇「熾天使とザンベジ河」が一等入選。グレアム・グリーンの支援を受けて作家活動に邁進します。出世作は故郷エディンバラを舞台にファシズムに傾倒するある女学校教師の行動と、彼女の教え子たちを描いた「ミス・ブロウディの青春」。 英国文学賞その他輝かしい受賞歴を持つ著名作家ですが、代表作を見ても意地悪ばあさんの一言。淡々とした筆致やスーパーナチュラルなモチーフ、そして殺人を平然と持ち出す作風は、どことなくサキ風味。あそこまで登場人物を突き放してはいませんが、底意地の悪さはその分マシマシ。ピーター・ディキンスンやジェイムズ・ティプトリー・ジュニア同様、アフリカ在住経験からくる西洋社会観察の視野がまた冷ややかさに拍車を掛けています。 〈世渡り上手と世渡り下手〉〈自信家たち〉〈頭の中をのぞいてみれば・・・・・・〉の各カテゴリーに短篇2本と、ショートショート13篇をそれぞれ割り振る構成。纏わりつくような部分が出てるのは「双子」それに次いで表題作ですが、同系統なら「黒い眼鏡」の方が好みかな。独身女性をダシに関係の強化を図る夫婦とか、陰から他人の転落を願ったりとか、全体にそういった嫌らしさが炸裂しています。カラッとしているのであまり後へは引きませんが。 個人的ベスト3はその「黒い眼鏡」に、突然家に飛び込んできた小人の円盤を巡る夫婦コメディ「ミス・ピンカートンの啓示」、占うつもりが逆に相手に利用されてしまう「占い師」。次点は「双子」。イーヴリン・ウォー「ラヴデイ氏の短い休暇」を思わせる「首吊り判事」も捨て難い。触れ込み通りかなりブラックな作品集です。 |
No.293 | 5点 | さまよえる湖の伝説 伴野朗 |
(2020/01/20 13:18登録) 十一月七日早朝、熱海のゴルフ場で顔面を烏に啄ばまれた男の死体が発見され、目撃者の証言その他から香港の貿易商・鄭瑞光(チョンルイコアン)と断定された。鄭はアメリカ国家安全保障会議のブレーンでSDI(スターウォーズ計画)に不可欠な楊昌喜(ヘンリー・ヤン)博士を裏切り、CIAに粛清されたのだった。 一方、城東大で古代西域史を教える考古学者・古賀恭は、露天の古本屋で『もう一つの大谷探検隊の記録』と題された手記を見つけ、月刊誌に十五枚ほどの随筆を発表する。スウェン・ヘディンの中央アジア学術探検が全世界を湧かせたのと同時期、それを上回る規模で行われた浄土真宗本願寺派の探検記録は、彼にとって興味深いものだった。 だが手記の存在が明らかになるや、古賀の周囲に不気味な影が纏わりつき始めた。果たして、手記に隠された秘密とは何か? 1985年発表。著者お得意の冒険スパイ小説で、ミステリとしては中期にあたるもの。年譜を見ると、この頃から徐々に歴史小説の割合が増えていることが分かります。 タイトル通りタクラマカン砂漠の東にひっそりと横たわる〈幻の湖〉ロプノールを背景にした作品で、SDI計画の成否を握る架空の物質〈チザニウム〉を巡る虚々実々の政略・争奪戦を描いたもの。ソ連邦を代表する科学者・エランスキー博士父娘の亡命計画に端を発するCIA対KGBの諜報戦を軸に、日米中ソ各陣営の主役たちが描写され、そのあと一気に彼らが集う『四ヵ国合同ロプノール探査隊』での決着へとなだれ込んでいきます。 ただし肝心の出来はいま一つ。作者あこがれの題材という事もあり決して書き飛ばしてはいないのですが、ストーリーには悪ズレというかパターン化が見られます。エスピオナージ部分より楼蘭冒険行の方が面白く、そこまで持っていくのに筆を割き過ぎた感があります。この部分が倍ほどもあればまた違ったかもしれませんが。 主人公の古賀が完全な巻き込まれ型で、あまり魅力がないのもマイナスでしょう。作風の転換期ということもありお薦めできるものではありません。前回書評した1989年発表作品『北京の星』の方が力が入っています。 |
No.292 | 7点 | 蒼き海の伝説 西村寿行 |
(2020/01/18 15:37登録) 四国の最南端、足摺岬で若い女性の腐乱死体が発見された。東京では女性機能全体を剔出されたタクシー運転手の妻が、四歳の息子を道連れに無理心中を遂げた。その後交通事故を起こしてイースタン病院に担ぎ込まれた夫・倉田明夫も、同じ執刀医・井上五郎によって右腕を切断される。そして今度はその井上医師が病院の屋上から墜落死した。折りしも日本医学界の最高峰、T大医学部教授選さなかのことだった。 警視庁捜査一課の冬村剛は理由もなく妻に失踪された空虚さに耐え、相棒の猪狩敬介と共に被害者の身辺を洗うが、医師の周囲からは淫靡な生活ぶりと冷徹な人間像が浮かぶばかりだった。さらに冬村は尋問中、取調室で倉田に自殺されてしまう。 人権擁護委員会の糾弾を受ける冬村。だが彼には、倉田の最後の自白が本物とは思えなかった。左腕一本で屋上から井上を突き落とせるわけはない。被害者も当然用心していたはずだ。真犯人は、別にいる。ここで彼が屈すれば、倉田明夫の汚名は晴れない。 冬村刑事は辞表と引き換えに、上司の能見一課長から単独捜査の許可を取り付ける。ただし期限は十月いっぱい、猪狩とのチームだ。だが彼らの前には普陀落渡海伝説に絡む鉄壁のアリバイと、執拗に冬村の命を狙う謎の追跡者が立ち塞がっていた・・・ 著者の第四長編にしてミステリとしては最後になる作品。昭和五十(1975)年発表。どこぞで「今回は珍しくエロは無い!」とレビューされてたそうですが、実際に読んだ身としては「ああ、うん、そうだね」と呟くばかり(白目)。前半三分の二までは後のハード・ロマン路線を髣髴させるでろでろ。直接描写こそ無いものの生理臭と怨念に満ち満ち、この作家だしまあ覚悟してねとしか言えません。それが後半も残すところ三分の一になり、真犯人の目星が付くとガラリと変ってくる。 紀州と熊野に古来から伝わる伝承と、地球レベルの気象学知識を用いた科学的考察。それらを利用して組み上げられた、雄大なスケールのトリックは出色のもの。主人公・冬村と犯人の矜持を賭けた対決も緊張感溢れます。引っ張ってからの決着はちょっとアッサリし過ぎな気がしますが。 間羊太郎「ミステリ百科事典」に取り上げられていて気がかりだった作品。ン十年ぶりでやっと読了しました。序盤から中盤にかけてはアレですが、かなりの力作です。 「地球の自転を利用してアリバイをつくるなんざァ、考えただけでも肚がたつ」 猪狩は毒づいた。 |
No.291 | 6点 | アリントン邸の怪事件 マイケル・イネス |
(2020/01/16 05:23登録) 引退したロンドン警視庁警視総監サー・ジョン・アプルビイは、財を成し先祖伝来の土地アリントン・パークに隠棲した元科学者、オーウェン・アリントンに歓待されていた。功成り名遂げたオーウェンは紳士階級(ジェントルマン)の義務に熱心で、折りしもパークを舞台にした三週間あまりの催し物〈ソン・エ・リュミエール(イルミネーション・ページェントの一種)〉が終了したばかりだった。 夜も更け、暇を告げようとして引き止められていたアプルビイはいささか退屈を覚えていたが、主の勧めで野外のイルミネーションを操作した直後、電源付近で男の遺体を発見する。 当惑するオーウェンを尻目にてきぱきと必要な処置をとり、関係各所に連絡を終えたアプルビイだったが、元捜査官としての彼の勘はこう告げていた。 「ついさっきだぞ。男はついさっき死んだんだ」 1968年発表のアプルビイ・シリーズ第20作。彼がスコットランド・ヤードを退職した後の事件で、作中でも彼を担ぎ出そうとする愛妻ジュディとの掛け合いが楽しめます。 晩年の作品ゆえかイネスにしてはあっさりめ。「アララテのアプルビイ」と比較しても若干食い足りません。財宝ネタでストーリーの補強を図っていますが、総合的には短篇の延長といった感じ。トリック自体は面白いのでその辺が惜しい。 チェスタトンが引き合いに出されていますが、元ネタを見てももっとハッタリを全面に押し出して扱うべきですね。わざと持って回った書き方にする狙いは分かるんですが、明快なトリックだけに逆効果だと思います。 共犯者の処理が容赦無い割にメインの標的に対しては可能性頼りと、変に歪なのもマイナス。アプルビイ夫妻以外の人物描写もミステリ的には不足気味で、レッドへリングや脇筋など一捻り欲しいところ。色々あってトータルではギリ6点。 |
No.290 | 6点 | 北の怒濤 谷恒生 |
(2020/01/13 18:17登録) 三十年振りの寒波に襲われたカナダ・ヴァンクーバーの広大な埠頭で、沖仲士組合の労働争議により釘付けされた老朽貨物船ペガサス丸。十五年前の最新鋭貨物船も今は見る影もなく、既に寄航後ギリシャに売却されることが決定していた。ベテラン船長・柏原周輔もこの航海を最後に引退し、船員仲間の誰もが羨む横浜港の水先人におさまることになっていた。 だが柏原には一抹の危惧があった。そもそもペガサス丸は進水の際漁船を巻き込む事故を起こして以来、血腥い事件に事欠かぬ呪われた船。本航海のメンバーも腺病質で無気力な、女房に逃げられ精神の均衡を失った島木一等機関士を始め、なにかと噂の多い沖源吉操機長。無口で陰気な橋口二等航海士に、反りの合わぬ副官・矢村一等航海士。問題児の情報屋・佐野健に、飲んだくれの坂本通信局長。古馴染みの辰巳甲板長がいてくれるのは心強いが、最後の最後にひたすら乗船を避けてきた、怨霊取り憑くこの船に捕まるとは・・・・・・。 彼は心もとなさを打ち消し、四五〇噸あまりの米松(ヘムロック)の原木(ログ)を積載し冬の北太平洋へと出帆する。三十五名の乗組員たちと共に・・・・・・。 1977年「喜望峰」「マラッカ海峡」の二作を同時刊行し、元一等航海士という経歴から、高橋泰邦の後を継ぐ海洋小説の書き手と目された谷恒生の第4長編。1978年発表。繋留先のヴァンクーバーでの事件と、アリウシャン列島を越えベーリング海を横断航海する試みが半々ですが、全篇に渡り肌に突き刺さるような寒気と凍てつく烈風の描写、饐えたような重苦しい空気とうらぶれた閉塞感、加えて荒んだ雰囲気が物語を覆います。官能描写の濃さも後の伝奇方面での活躍を彷彿させ、正にザ・昭和テイスト。 敗戦から朝鮮・東南アジアの戦乱を経て奇跡的な復活を遂げたものの、ベトナム戦争終了により空前の不況に突入した海運業界。勤続年数による給与の均一化は船内秩序の崩壊とベテラン船員のリストラを招き、海の男の人生はもはや過去のもの。太平洋戦争生き残りの老船員たちも保身に汲々としています。ヴァンクーバーにも戦争の続いたアメリカから脱走兵や非行少女が流れ込んでおり、危険地帯が形成されています。 そんなこんなで前半は社会派風味の大藪春彦か西村寿行。正直ちょっとキツめだったのが、航海途中で船長の判断ミスから大暴風に遭遇。船体が破損し機関室が浸水し始めるに至り、やっと面白くなってきます。 危機に臨んで自堕落な日々から覚醒する者。泣き叫ぶ者。この期に及んでなお保身に走る者。老獪な演技で己のミスを帳消しにする、一か八かの賭けを試みる者。その賭けを否定し全てを明らかにしようとする者。醜悪な姿を晒す者。そして、ただ自分の信念を貫き通そうとする者。 極限状態での清々しさと打算、情念、そして、それら全てを呑み込む海。荒い所はあれど、かなり読み応えのある小説でした。点数は6.5点。 |
No.289 | 6点 | 夕潮 日影丈吉 |
(2020/01/11 04:04登録) 大学在学中、両親公認の恋人・鹿沼春辞と結婚した未知だったが、彼はその二年後アフリカから帰国ののち間もなく外務省に辞表を出し、著述家に転進する。二人は仕事が本格的に始動する前、新婚旅行の代わりに一月ばかり休暇をとって、伊豆七島を訪れることにした。だが春辞に故障が入ったため、未知はクラスメート・瑠璃子の招待を受けて一足先に伊豆諸島へ向かう。その彼女もまた、船の持ち主である旗野と結婚したばかりだった。 鹿沼の家は元々そこの出なので、島にはまだ親戚の家が残っている。本家筋の仁科家も旧家の一つだ。むかし春辞がまだ小さな子供だった頃、彼の叔父にあたる仁科富一郎が式根寄りの海で水死していた。土地では〈富一郎は海の魔物に波の底へ引きずりこまれた〉ということになっており、サジマ浦には魔物がいると信じられていた。 富一郎の死後、ひとまわり以上も年の違う妻・奈保子は家に閉じこもったままになってしまった。まだ十七歳の未亡人に周囲の同情は集まった。その後彼女は秘女という名で少しずつ短歌を発表し、歌集「夕潮」は東京の歌壇で取りあげられ一時話題となった。少女時代その歌に親しんでいた未知は、あこがれのその人に会うことを夢見ていた・・・ 1990年発表の長編ですが実際にはその11年前、1979年に書き下ろされたもの。雑誌『幻影城』最終号に前編のみが掲載され、後半部分は倒産のドサクサに紛れ行方不明となっていました。その後コピーが発見され、東京創元社より改めて刊行されます。 島に到着した未知ですが春辞とは夫婦となって日も浅く、内気な性格も災いして夫に慣れぬまま。〈自分を変えるため〉との思いも空回り気味で、生活にも馴染めていません。そんな時大家のツテでついに秘女こと仁科奈保子に出会い、未知の感情は一気に彼女に向かいます。それからしばらくして友人・瑠璃子が式根の野伏湾で溺れ死に、一時本土に帰っていた筈の春辞が警察に拘束されて―― ジャック・カゾット『悪魔の恋』をモチーフにした心理劇。ボアナル風に登場人物を少数精鋭に絞って進みます。プロットは単純ですが、それよりも濃厚な感情の移ろいを味わうべき小説でしょう。真相よりも夫婦の繋がりの不確かさと、それを塗り潰して君臨する裏ヒロインの姿が心に残ります。 短篇「壁の男」は『鳩』に採録。戦時中の台南を舞台にした未完の長編「黄鵩楼」は読んだ感じどうやら、「応家の人々」寄りの物語のようです。〈推理小説の規範を示すような作品〉という意欲的な著者の抱負が、急死により断たれたのは残念無念。 |
No.288 | 9点 | キドリントンから消えた娘 コリン・デクスター |
(2020/01/08 11:35登録) 同僚リチャード・エインリーの事故死により、ストレンジ警視正からロジャー・ベイコン中等総合学校の女生徒、バレリー・テイラー失踪事件を担当するよう言い渡されたモース主任警部。彼女は二年三カ月と二日前、昼食後の再登校時に姿を消していた。エインリーの死の翌日、両親に送られてきたバレリーの手紙を突きつけるストレンジに対し、モースはだしぬけに言う。「彼女は死んでいます」 それが彼を最後まで混乱させ続けた命題だった――果たしてバレリーは生きているのか、それとも既に死んでいるのか? 「ウッドストック行最終バス」に続くモース主任警部シリーズ第2作。1976年発表。おお、ひさびさのメジャー級作品だ! とはいえ一応纏まりのあった前作以上に尖った構成。2/3を過ぎた部分まではブリリアントながら仮説がひとつ提示されるだけですが、それ以降はエピローグ間際までスクラップビルドの嵐。主任警部もへとへとで、最後はもう「手を引く」と部下のルイス部長刑事に明言するほどです。 夢の中でも仮面を付けたバレリーがモースを幻惑。いったい彼女は生きているのか、いないのか? 終始この映像を脳裏にちらつかせながら読者を最後まで惑わせ、ラストまで引っ張ってゆく異色ぶり。家出に加え殺人一件というしょぼい謎を、この上もなく魅力的な事件に仕立てるマジック。読者を選ぶとはいえ、その分コアなファンの支持を勝ち取る所はやはり類例の無いものと言えるでしょう。簡単にエピゴーネンを許すような作風でもありませんし。 「ウッドストック~」の方が優れていると思いますが、それでも〈デクスターの代表作〉となればこちらを選ばざるを得ません。「結局、最初の手紙は誰が書いたの?」という疑問はありますが(ベインズがあのタイミングで投函する理由がほぼ皆無なので、個人的にはバレリーだと思います)、それよりも手紙と関係ありそうなエインリーの死が、途中から全くほっぽらかされてるのがアレかな。思わせぶりで明言しない叙述も多いですが、それもまた謎作りに貢献しています。本シリーズの手法を極限まで進めた問題作です。 |
No.287 | 6点 | 黒い天使 コーネル・ウールリッチ |
(2020/01/05 11:32登録) あの人はいつもわたしを、"天使の顔(エンジェル・フェイス)"と呼んだ。 それはふたりだけの時の、呼び方だった。 夫カークの不自然な行為の積み重ねから、裏切りの匂いを嗅ぎ取った二十二歳の若妻アルバータ・マレー。演劇女優ミアとの駆け落ちの企みに気付いた彼女は、遂に行動を決意した。夫の荷造りは済んでいる、もはや一刻の猶予も無い。 アルバータはミアと対決するため高級住宅地サットン・プレイスのマンションへと向かうが、そこで発見したのは舌を突き出し、顔をゆがめたミア・マーサーの亡骸だった。寝室の床に横たわったミアはネグリジェに包まれ、珊瑚色のサテンカバーがかかった枕で窒息死させられていた。 混乱するアルバータ。だがそこにカークからの電話が掛かってくる。「もしもし?」「もしもし、ミア?」 受話器を置き、部屋を出ようとするアルバータ。だがドアの蝶番のすきまに、Mの頭文字のついた紙マッチを見つける。このマッチがスイングドアに挟まっていたから、鍵がかからなかったのだ。彼女は夫の名前と電話番号が書かれた住所録に加え、紙マッチをハンドバッグに突っ込むとそのままマンションを去る。 家に帰ったアルバータは電話でマンションに向かう夫を引き止めようとするが、時既に遅く彼は会社を出た後だった。カークは殺人現場で逮捕され、数ヵ月後裁判ののち死刑を宣告された。 執行は五月十六日、三ヵ月後。その日彼は電気椅子に座らされる。必死に事件のことを考え続けるアルバータの頭に、小さなことが浮かんだ。 掌にあるあの女の紙マッチ。でもドアのすきまにあったマッチは色は青で、Mの字がついているけど、これとそっくり同じではない。トルコ石色ではなく、もっと濃い色だった。あれは別の誰かのイニシャルだ。その別の誰かが、彼女を殺したのだ。 彼女は手元にあるミアの住所録の、Mのページを開く。そこには四人の男の住所と名前が記されていた―― 「幻の女」と「暁の視線」の合間に刊行された最盛期の作品。1943年発表。前回黒い黒いと連呼したので、この際連想から黒のシリーズ未読作にアタック。テキストは黒原敏行の文庫新訳。ウールリッチを読むのはン十年振りだが、さてどうなるか? うーむ、少々勝手が違うような。都会臭漂う甘いムードと独特の文章で、ハッタリの効いたストーリーをかますのがこの人の美点だと思うのですが、本書は個々のエピソードが辛気臭く地味め。お得意の巡礼形式もある程度展開が読める。そうこうするうちに早くもターゲットは最後の一人に。「幻の女」や「喪服のランデヴー」は面白かったのに、読み手がスレちゃうとこういうのはダメなのか。 と焦りつつ読んでいくとそこはサスペンスの巨匠。最後のツイストにやられちゃいました。けど知名度の高いやつと比べると、捻りが少ない分若干落ちますね。効果を最大限に生かすよう、わざとシンプルに作ってあるんだと思いますけど。 そういう意味で6点ジャスト。フランシス・M・ネヴィンズJrの「"黒のシリーズ最高傑作"」との評価には、やや異論アリ。ただ冒頭の文章の意味が、ラストで反転するのは切なく辛いものがあります。 |