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ミステリの祭典

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雪さんの登録情報
平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.346 6点 ラスプーチンが来た
山田風太郎
(2020/05/13 20:08登録)
 明治二十二(1889)年二月十一日、新政府の文部大臣・森有礼は憲法発布の式典に向かう直前、凶漢に襲われ非業の死を遂げた。その同じ日の夕暮、のちの日露戦争勝利の立役者の一人・明石元二郎陸軍中尉は参謀本部次長・川上操六に、近衛旅団長を勤める乃木少将宅で起こった幽霊事件の解決を依頼される。その真相を見抜き半ば希典を脅すようにして事を収めた元二郎だったが、今度は彼を見込んだ乃木家付きの馬丁・津田七蔵に、大恩ある伊勢神宮の神官竜岡左京の娘・雪香を救ってくれと頼まれた。
 美少女雪香はとかくの噂のある伊勢神道占・稲城黄天なる人物に、巫女となりその身を捧げるよう強要されていたのだ。稲城は幽霊事件にも一枚噛んでおり、さらに森有礼暗殺事件を利用して竜岡神官の弱みを作ったらしい。じつに容易ならぬ曲者のようだ。
 元二郎は七蔵の依頼をも快諾するが、それは彼の前に現れるさまざまな明治の化物と戦うことを意味していた。そしてその化物たちの中には、実に驚倒すべき大化物もいた――
 「週刊読売」昭和54(1979)年12月2日号より掲載。後述の理由により翌昭和55(1980)年6月15日号にて、結末まで2/3余りの段階で中絶。そののち四年の歳月を経て部分訂正及び加筆の末、昭和59(1984)年12月に文藝春秋社より刊行。明治もの第五作『明治波濤歌』とは、ほぼ並行連載されました。
 中絶理由は関係者の抗議。山縣有朋・桂太郎・松方正義・犬養毅・原敬・後藤新平・頭山満など明治の政界に食い込み"日本のラスプーチン"と言われた「穏田の行者」飯野吉三郎と、かれの愛人で他にもとかく醜聞のあった女性教育者・下田歌子。明治ものには珍しい濃厚な濡れ場シーンや完全な悪役扱いもあって、めでたく連載中止に。それぞれ稲城黄天、下山宇多子の仮名を用いることにより、なんとか許可されています。
 現行本はそれに第十一章「ラスプーチン来る」以降の章を書き加えたもの。とはいえラスプーチンが文豪チェーホフから病死した雪香の母・水香の手紙を託されるのは連載中のことであり、構想に大きな狂いは無いでしょう。下山宇多子の影は後半いささか薄くなっていますが。
 風太郎得意の短編連鎖形式ではなく、どちらかというと長編に近いもの。型破りの快男児・明石元二郎が前半では稲城黄天と、後半では密かに来日したラスプーチンと対決する趣向。最初は緩めの展開ですが、徐々に大津事件を背景にしたロシアの怪僧の狙いが明らかに。人間入れ替えにプラスしての操りで、さらに水香の運命や宇多子の狂態、加えて黄天の予言を重ねることにより、ラストでの雪香の凄艶さやそれを引き出した妖僧の魔力を際立たせています。最後付近は釣瓶撃ちでしたね。
 とはいえ明治物名物のクロスオーバーで他に光るとこが冒頭部、ニコライ堂の屋根シーンくらいしかないので6点。ただ稲城が弱みを拵える手口は、しょせん口先三寸とはいえ興味深いです。実際の詐欺師も多分こんなんなんでしょうね。


No.345 6点 牝(めす)
多岐川恭
(2020/05/11 09:46登録)
 あどけない美貌を持つ十七歳の少女・黒田茂代は中学卒業後、支店長・木山平次郎に目をかけられながら小さな信用金庫でたのしく勤めていた。店の者に重宝がられ、愛されながら誘惑には決して応じない茂代。だが彼女はある日、信用金庫のドル箱顧客・古賀に犯されてしまう。彼女は翌日欠勤しそのまま勤めをやめることにするが、支店長の木山にだけは理由を話した。
 茂代に関心を寄せる木山は、心臓に持病を持つ妻・岳子の世話をするという口実で、住み込み家政婦として彼女を雇う。それは茂代の変転極まりないサクセスストーリーの始まりだった・・・
 『吸われざる唇』に続く多岐川恭の第16長編。昭和37(1962)年2月東京文芸社刊。代表作『異郷の帆』を含む長編八本を発表した前年には及ばないものの、この年も早川書房『孤独な共犯者』を皮切りに六冊の長編を刊行しており、著者最盛期の作品であると言えます。
 あとがきには〈貧しい環境に育った美女が、男を利用しながら、次第に社会の上層にのし上がってゆく物語〉〈ヒロインは私の分身と言ってよく、ナルシズムめいた愛着を私は抱いている〉とあり、楽しみながら執筆したことが窺えますが、特筆すべきはいわゆる悪女物ではないこと。男を破滅させながら上昇してゆく茂代ですが、基本的にどの男性に対しても(一人を除いて)貞操を守っており、彼らの崩壊はお互い同士の争いの結果、彼女を失うことで訪れます。
 またミステリ的な目論見というべきものも茂代自身の発案ではなく、第三者の策謀。いわば女を題材にして現実世界に絵を描くようなもので、それも彼女と自己を同一視した無私の献身。処女作『氷柱』に始まるニヒルな純愛の完成形ですね。茂代との繋がりも精神的なものに終り、最後まで肉体関係はありません。
 いずれにせよタイトルイメージとは異なった、ちょっと風変わりな小説。黒田茂代という女性は作者の理想像でもあるそうですが、力を入れただけあって、ある程度の打算はあるものの嫌らしい臭みのない、それでいて現実的な存在として書かれています。


No.344 6点 ワイルダーの手
シェリダン・レ・ファニュ
(2020/05/10 10:46登録)
 ヴィクトリア朝中期の十九世紀イギリス、ジリンデン村。複雑ないとこ関係で結ばれたブランドンとワイルダー、そしてレイクの三家は性悪ぞろいの一族で、共通の先祖の血統には狂気と極悪の性情が流れ、女たちは運命を翻弄され運命を嘆くのみだった。彼らは代々土地財産所有権を巡って争っていたが、由緒深い大邸宅と広大な所領を誇るブランドン本家に現在嫡子はなく、指定相続人たる美しき黒髪の令嬢、ドーカス・ブランドンが未成年のまま残されていた。
 一族の長老チェルフォード老夫人は所領地の分散を防ぎ貴族間での地位を高めるため、いとこ同士を強引に結びつけようとする。彼女は蕩児との噂もあるワイルダー分家の長男、マークをドーカスの婚約者に選び、二人の婚約が大々的に発表された。だが礼節をわきまえぬ将来の夫に対する女相続人の視線は、冷ややかなまま。
 そんな折も折、これもとかくの噂があるもう一人の従弟、近衛連隊大尉スタンリー・レイクが軍籍を売って退役し、ロンドンからはるばるジリンデン村に舞い戻ってくる。ブランドン邸のそばのレッドマン峡谷に住まう妹・レイチェルは、マークと不仲な兄の突然の帰還におののき、従妹である親友ドーカスの未来に不吉な予感を抱くのだった・・・
 『アンクル・サイラス』と同じく1864年に発表された、レ・ファニュ三大長編の一つ。五十二章の前作を上回る七十四章の大冊で、おそらくはかれの最長作品。より通俗的なため『サイラス』ほどの凄みは無いものの、一年以上の長きに渡り村で繰り広げられる失踪事件や決闘沙汰、横領未遂や選挙活動その他を、ブランドン一族を中心にして描いたヴィクトリア朝大絵巻。スケールやスパンはそこまでではないにしろ、読後感はスチュアート・ウッズ『警察署長』に近いです。
 挙式を目前に姿を晦ますマーク・ワイルダーの謎が軸ではありますが、これにさほどの意外性はなく(まんま読者の予想通り)、むしろマークの後釜に座ったスタンリーと事務弁護士ジョス・ラーキンの悪党同士のせめぎあいや、事件に便乗したラーキンに財産復帰権(生涯不動産の相続権)を狙われる貧乏牧師ウィリアム・ワイルダーの運命が物語の主体。特に定まった探偵役がいるわけではなく、分岐した流れが徐々に一ヶ所に集まっていき、もともと不自然だった企みが決壊し押し流される形で終息します。
 ワイルダー家の紋章に描かれた警句「resurgam(我よみがえらん)」に暗示される物語。所々ゴシック要素はあるものの、最終的にオカルト性はゼロ。『夜明けの睡魔』で瀬戸川猛資さんが取り上げてましたが、まあ無理に読まなくてもいいかな。今の所レ・ファニュの長編は『アンクル・サイラス』だけでいいです。


No.343 5点 都市の仮面
半村良
(2020/05/08 08:03登録)
 昭和47(1972)年4月から昭和49(1974)年1月にかけて、雑誌「週刊小説」を中心にして、「小説CLUB」「小説新潮」ほか各誌に執筆した作品を集めた中短編集。人情短編「雨やどり」にて第72回直木賞を受賞する直前の作品集で、収録作のいずれも主人公はサラリーマン。
 表題中編のタイトルが暗示するように〈大都市の裏側で密かに進行する企み〉〈社会の影に蠢く秘密組織〉が主要テーマ。『石の血脈』に始まる著者得意の題材を駆使したものだが、十分な肉付けが可能な長編ならともかく、本集ではあまり生きていない。発表当時は時代の熱量相応の重みがあったと思われるが、残念ながら古びてしまっている。ホームレスに関する発想がやや面白いくらいだろうか。怪作「ボール箱」や「赤い斜線」収録の『幻視街』、名作「簞笥」収録の『炎の陰画』などの短編集に比べるとやはり落ちる。むしろ若干テーマから外れぎみの短編の方が、今では読める。
 個人的ベストはトリを務める「おまえたちの終末」。巧みな暗示から皮肉な結末への誘導が冴えている。学生運動やヒッピー等の社会風俗を背景にしているが、結局はいつの時代も変わらぬ〈近頃の若い者は・・・〉という感慨に集約されていく、ある種の普遍性を持った作品。大ボラ短編「生命取立人」のまことしやかなソレっぽさも買えるが、大胆な発想がチンケな陰謀劇に収斂していくのが惜しい。短編では枚数的に仕方無いのかもしれないが。
 以上2編が本書の収穫。次点は「村人」。方言の怪しさとわざと真相を暈す手法は、ひょっとしたら「能登怪異譚」の原型かも。


No.342 9点 妖星伝(一)
半村良
(2020/05/06 14:21登録)
 幕府中興の祖・八代将軍徳川吉宗の治世から九代家重の御世にまさに遷り変らんとする延享年間。元は神道と対を成しながら反体制の異端と誹られ、密教と強く集合しつつ千年の時を経てなお、人知を超えた技を伝える暗黒の集団・鬼道衆。
 黄金城に住まう外道皇帝を中心にして東西南北各三門、各々の方角を守ってきた鬼道十二門も、最高指導者の長き不在に歪みを生じ、十二門筆頭にして東方陽明門の主・宮比羅(クビラ)の日天と、他の門から早くに離れた〈はぐれ鬼道〉ながら南北両門を取り込み、新たに鬼道を取り仕切らんとする第七位の西方段天門・因陀羅(インダラ)の信三郎の両派に分かたれていた。
 大盗・日本左衛門に大名屋敷を襲わせて金品を奪い去り、より領民から搾り取るよう仕向ける一方で、幕政に不満を持つ者を使い百姓たちを焚きつけ、全国を一揆の嵐で包み込まんと策動する日天。他方で動くのは、権力に食い込み小姓頭取・田沼意次に肩入れし、内から幕府を根腐れさせんとする信三郎。相争う敵同士とはいえ、悪を奉じ世の乱れと流血を望むのは、どちらも変わらない。彼らにとってはこの世の本質は地獄であり、人間を幸福という幻想から覚ますために殺し犯し憎み合わせることこそが、真の救いへの道なのだ。
 まっぷたつに割れた鬼道十二門の争いに揺らぐ日の本。そして日天が戯れに淫女に堕とし、自らを斬った夫と共に燃えさかる劫火に消えた母親の胎内から、鬼道衆が千年に渡り探し求めた不即不壊の存在・外道皇帝がその産声を上げた・・・
 (一)巻は雑誌「小説CLUB」昭和四十八(1973)年九月号から、昭和四十九(1974)年八月号連載分まで。あまりのスケールに長期の中断を余儀なくされた作品で、最終(七)巻「魔道の巻」が出版されたのは、(六)巻「人道の巻」完結から13年後の1993年のこと。結末に賛否はあれど、小松左京『果てしなき流れの果てに』光瀬龍『百億の昼と千億の夜』などと共に、日本SFベスト3の座を占めると目されるもの。
 正直前半の伝奇部分も面白くはあっても山風や五味先生の域には至らず、7点弱ぐらいの感触だったんですが、物語も半ばを過ぎて〈第二の外道皇帝〉が誕生するに至り、尻上がりに盛り上がってくる。
 まあそっちのタネはすぐ割れるんですが、間髪入れず鬼道千年の謎が秘められた〈紀(鬼)州胎内道〉の探索を依頼された桜井俊策と播州浪人・栗山定十郎、及び鬼道衆の二重スパイ・朱雀のお幾らの珍道中が始まり、新しく補陀落(ポータラカ)星人の憑依した元殺人鬼・石川光之介改め、星之介がメンバーに加わる。
 お幾の口から語られる鬼道の伝承、博学多識の俊策の歴史・修験道・書物その他で得た知識、それに補陀落星人の科学が突き合わせられて、徐々に真実が浮き上がる。この辺はウソツキ作者の独壇場。続いてシレっと彼らを攻撃する謎のUFOが現れる。完全時代劇であると同時に、SFであることを微塵も隠してないですね。そのあたりは栗本薫『グイン・サーガ』に似ています。
 さらに問題の紀州胎内道ではエログロ系で始まった物語が、補陀落星人=星之介との対話を経て次第に哲学問答と化していき、最後には人類の未来の姿、〈人間のなれのはて〉を見せつけられる。鬼道衆のお幾が「あたしはもういやだ」と泣き喚くぐらいの惨状。ここで登場人物たちを絶望の淵に叩き込んで第一部完。それでいいんかい。

 「鴉たちよ、生きるがいい。命を食い合い、死ぬまで争って生きるがいい。(中略)なまじ知恵など持たぬほうが幸せだぞ」
 「見ろ。知恵のない鴉が啼いている。泣け、泣け。鴉の勘三郎だ」

 国枝史郎『神州纐纈城』にインスパイアされて始まった大長編。正邪の価値観を逆転させた異様な物語はまだまだ続きます。


No.341 6点 斜光
泡坂妻夫
(2020/05/05 21:29登録)
 実家の写真館を引き継いだ夕城香留(かおる)は千坂通り商店会の会員たちと一緒に、新潟の田舎町に温泉旅行に出向く。一風呂浴びた後十人ほどの仲間と共に温泉街を抜け、彼らはある劇場に入っていった。裸を売り物にしたいかがわしい出し物。だが上手から舞台に登場した二人目の踊り子を見た瞬間、香留は目の前に火花が散るような衝撃を感じた。
 ――しかし、そんなことはあり得ない。
 そう否定するものの、踊り子の横顔は彼の不安と期待を煽り立てる。その疑問は紫の衣装が肩から滑り落ちた瞬間、否定の余地がなくなった。そのときから、香留の視界は白っぽい靄がかかり、あたりの物音が聞こえなくなってしまった。
 ライトの中にいたのは、五年前に彼の前から姿を消してしまった、妻の弥宵。もう四十五歳になっているはずだが、その年月は逆行していると錯覚するほどだった。だが劇場内でそんな彼女をひそかに見つめていたのは、香留だけではなかった――
 雑誌「野生時代」1988年7月号一挙掲載。「夢裡庵先生捕物帳」の初期作や、短編集『ぼくたちの太陽(のち『雨女』に改題)』『恋路吟行』収録作執筆時の作品で、第103回直木賞受賞作『蔭桔梗』の巻頭を飾る短編「増山雁金」が、雑誌「小説新潮」に発表されたのはこの翌月のこと。そういう時期に書かれた長編です。
 かなりインモラルな題材を扱いながら、日本神話を背景にして上品に纏めているのは流石。採点が割れているのは『湖底のまつり』の系譜ながら、他の長編に比べて謎やテーマの提示が不明確なせいでしょうか。どうやら処女懐胎を扱っているようですが、その解決は到底読者を納得させるものではありません。後味その他は非常に良いのですが。
 ストーリーは香留夫妻ともう一組のカップルがかつて関係した、山梨の片田舎で起こった殺人を軸に、香留の回想と事件を追う刑事の捜査が交互に描かれた後、その二つが最終的に交わります。最終的にはアリバイが問題になりますが、そこに作為は存在しません。基本は丁寧な過程の捜査小説。総合評価はもうちょっと上でもいいと思いますが、無理な相談ですかね。


No.340 7点 柳生稚児帖
五味康祐
(2020/05/03 11:16登録)
 黒船来航に続き安政の大獄・桜田門外ノ変と、相次ぐ激動に揺れる幕末期。尾張藩兵法師範役・柳生兵庫厳蕃の嫡子兵介は、同藩士・宇佐美源三郎に嘲弄され、双方共に相撃って果てた。腰間に携えた愛刀・備前師光が、故意に折れ易く鍛えられた贋刀に掏り替えられていたためであった。作意の一刀にはこの世に存在しない「長曾禰虎徹」の銘が切られていた。
 主君・慶恕(よしくみ)は師範役家にあるまじき不祥事にも拘らず、厳蕃を惜しみすべてを不問に付そうとするが、糾問の場で厳蕃は、差料をすり代えられた者がわが子だけではない事を知る。慶恕に見せられた脇差に彫られていた銘もまた「長曾禰虎徹」。それは除地衆(武家待遇の御用商人)・松前屋小太郎より献上されたものだった。
 松前屋を訪ねた厳蕃は、背後に蠢く"仙台黄門"こと、藤木道満の存在に気付く。元義賊とも医家とも、伊達候先代の御落胤とも言われ、剣を学んでは富田流宗家の後見役をも兼ねる、妖剣"音なしの構え"の遣い手だ。贋虎徹の一件もいずれは知れること。勘繰ればわざわざ兵庫にさとらせようとしたとしか思えない。果たして道満は何を企んでいるのか?
 妖刀ともいうべきあの虎徹を鍛えた刀鍛冶も、並の刀工ではない。道満の背後には、伊達六十二万五千余石が控えていると見なければならぬ。伊達家がなぜ、わざわざ尾張藩の周辺を騒がすのか。なぜ贋の虎徹を使うのか。
 その狙いが慶恕公の失脚にあると見た厳蕃は、密かに子飼いの女忍者・蘭を放ち、陰謀の目的を見極めようとするが・・・
 昭和四十八(1973)年一月から昭和四十九(1974)年一月まで、雑誌「週刊小説」に一年余にわたって書きつがれた大作。惜しいことに未完で、前編が完結したのみ。佩刀すり替えの目的は一応ほのめかす形で明かされますが、本編は柳生厳蕃と藤木道満とが京都東山麓の宮家別荘で、まさに相対せんとするところで終わっています。
 作品としては〈幕末の柳生家〉に焦点を当てたもの。山田風太郎の短編「からすがね検校」のように、千葉周作を筆頭に輩出する幕末の剣豪たち、男谷精一郎・斎藤弥九郎・白井亨・大石進らに比して、将軍指南役柳生家の存在感はゼロ。当時何をやってたかすら不明なんですが、作者の五味は「勝った負けたの派手な勝負を見せびらかす町道場とは(柳生は)格がちがう」と語り、あえて「勤王佐幕のいずれにも属さず、世を過つ邪悪の者ありと見れば、これを斬る」、柳生ながらも新陰ならぬ古陰流に属し、様々な能面で顔をかくした犬頭党こと、〈柳生稚児〉なるものを設定する。
 ストーリーも厳蕃と道満の争いと見えたものが、次第に稚児たちを己の謀略に取り込もうとする道満一派の陰謀に変化し、さらにそれは宮家を通じて天皇家を掌中に蔵める目論見や、将来有り得べき官軍と幕府軍との激突を見越した、東海道各藩の偵察に繋がってゆく。そのためには清水の次郎長など、街道筋の博徒たちも確実に使えるよう首に縄を付けておく・・・
 こうした緻密にして迂遠な布石を打つ道満その人も、随筆集『埋め火』の意により私利私欲の徒ではなく、根底では稚児たちと志を同じくしていることが暗示されます。それは同時に五味康祐の歴史観であり、またその意志でもあるのでしょう。
 文久年間の幕末日本を舞台に姉小路公知卿暗殺(朔平門外の変)ほか、政治軍事に渡っての各陰謀を一括して纏めんと大構想を巡らした作品。未完成とはいえ伝奇小説としても出色で、作者の早逝が惜しまれます。

 追記:自分の刀に触れさせることなく相手を倒す"音なしの構え"。『大菩薩峠』の主人公・机竜之介のモデルとなった幕末の剣豪・高柳又四郎の有名なエピソードなので、当然藤木道満も架空の存在と決め込んでいましたが、Wikiによれば実在の人物で、経歴も本書とほぼ同じ。高柳に"音無しの構え"を授けたのが道満その人だそうです。道満の登場する前作『風流使者』も、何となく読みたくなってきました。


No.339 7点 幻燈辻馬車
山田風太郎
(2020/04/30 20:24登録)
 「父(とと)!」「きて、たすけて、父(とと)!」

 少女が必死に助けを求めて叫ぶとき、娘を守るため冥府から、血まみれの白刃をひっさげた軍服姿の幽霊が現れる。二頭立ての老馬・玄武と青龍に引かれた〈親子馬車〉を駆る元会津藩同心・干潟干兵衛とその孫娘・お雛の哀切な物語を軸に、自由民権運動の嵐が吹き荒れる開花期の東京を、一台の辻馬車を狂言回しに使い活写する風太郎版・明治秘史。
 雑誌「週刊新潮」昭和五十(1975)年1月2日号~同年12月25日号まで掲載。ラスト付近は雑誌「日刊ゲンダイ」掲載の『御用侠』冒頭部分と被る形。ほぼ丸々一年に渡っての連載で、明治ものとしては前年12月まで連載の『警視庁草紙』の後を受けた二作目にあたります。
 大枠は一作目の流れを受けた、連作形式での藩閥政府VS自由民権運動の暗闘。四十そこそこながら元会津藩出身の〈負け組〉である干兵衛は、ふとした縁で知り合った勃興期の自由党壮士たちに漠然とした好意を持ち、幾度か陰に日向にと協力しますが、彼らの運動が最終的に踏み潰されることも洞察しており、そのために孫娘との平和な日々を失いたいとは思っていません。
 ですがこの小説の時代設定は明治十五(1882)年から明治十七(1884)年。旧士族の反乱は五年前の西南戦争を最後に終息したものの、福島事件・加波山事件・秩父事件など激化した自由党シンパと官憲との武力衝突が頻発した時期。紆余曲折の末一時的に夢のように穏やかな日々が訪れるものの、願いも虚しく結末では半ば幽明の存在と化した干潟干兵衛が、夜の武蔵野を辻馬車で、加波山に向かいまっしぐらに翔けてゆくシーンで終わります。
 ミステリ的には"自由党に潜入した政府の密偵は誰か?"と、後半にクローズアップされる〈刑法第百二十六条〉の真意が焦点。そして主人公たちを彩るのは三遊亭円朝・出淵朝太郎父子、橘屋円太郎、山川健次郎、大山巌・大山(山川)捨松夫妻、大山信子、三島通庸、三島弥太郎、中江兆民、河野広中、来島恒喜、赤井景韶、花井お梅、八杉峰吉、松旭斎天一、川上音二郎、伊藤博文、マダム貞奴、徳富蘇峰、田山花袋、坪内逍遥、松のや露八、嘉納治五郎・西郷四郎師弟、斎藤新太郎・歓之助兄弟などの面々。
 文化人が多いのは、ガラガラだった銀座煉瓦街にも店舗が入り始めたご時勢故でしょうか。ほぼ同時期を扱った明治もの第七作「エドの舞踏会」とも、かなり登場人物が重なっています。
 その中で異彩を放つのは人斬り以蔵の実弟・岡田緒蔵こと柿ノ木義康。フェンシングを使う山高帽にフロックコート姿の剣鬼で、「鹿鳴館前夜」で講道館柔道の創始者・嘉納治五郎を破る半身不随の老門番・鬼歓こと斎藤歓之助と共に、強い印象を残します。
 編中ベストはその「鹿鳴館前夜」で、幽霊を使った〆も上々。次点は風太郎には珍しくマジックを扱った「開花の手品師」。ストーリー優先ながら時代小説人気投票ではともすると、『警視庁草紙』をも上回る作品ですが、その理由はお雛ちゃんの愛らしさに尽きるでしょう。


No.338 6点 殺人者は長く眠る
梶龍雄
(2020/04/29 07:58登録)
 夏季ダイアになったばかりの昭和三十四年七月十五日、長野県軽井沢と群馬県草津温泉間五十五・五キロを継ぐ高原列車、草軽電気鉄道の車内からある女優が消えた。その名は当時人気のまとだった北星映画のスター、白川梨花。彼女は付き人の元女優・山本春江と共に下り一番列車三〇一号北軽井沢行きに乗り込んだのち、最初のスイッチ・バック駅である二度上(にどあげ)で手洗いにと座席を立ったまま永遠に姿を消したのだった。
 目撃者は誰もおらず、懸命の捜索にもかかわらずその消息は掴めなかった。事件から三年後には草軽電鉄も運行停止・全線廃止の運命をたどり、のびやかにして優雅な電鉄の名残が次第に失われてゆくにつれ、劇的な失踪を遂げた未完の大女優・白川梨花の名もまた忘れられていった。
 それから二十四年後。旧軽のメイン・ストリートから少しはずれたカラマツ林の中の画廊に"女優Rの肖像"という画題の絵が掛けられる。胸苦しくなるほどのモデルへの情念に溢れた、ブラッシュタッチの肖像画。その絵は眠っていた殺人者を揺り起こし、二十四年の時を越えて夏の軽井沢に再び惨劇を起こすのだった・・・
 1983年11月刊。旧制高校シリーズ第二作『若きウェルテルの怪死』、旧制中学を舞台にした第一短編集『灰色の季節』と同年の作品で、先に評した『金沢逢魔殺人事件』の前作。画廊に飾られた絵を発端に、梨花の孫娘でかなりエキセントリックな少女ユカと、信奉者の一人であった社長の会社に勤務する青年・高室雄司の二人が事件の謎を追うことに。軽井沢の地図と付き合わせて現場を確認するのが楽しく、ユカの口調は多少わざとらしいものの許容範囲内。コケティッシュな仕草も見せるので、他の作品ほどにジェネレーションギャップは感じません。
 手掛かりの細かさはいつも通り。内容もどちらかというと手堅く、大技ではないにしろそこそこ充実。既視感のあるメイントリックも効果的な誤誘導で、なかなか尻尾を掴ませません。実を言えばモロに引っ掛けられたせいか、ここ最近の梶作品の中では最も楽しめました。殺害手段もキャラ設定に沿ったもので、よく出来ていると思います。
 ただあれだけ執着したにしてはああなるのはどうかなと。それだけエゴイスティックな犯人という事なんでしょうが、若干割り切れないものが残りました。それでも良作ということで、点数は7点に近い6.5点。


No.337 8点 アンクル・サイラス
シェリダン・レ・ファニュ
(2020/04/28 08:29登録)
 19世紀後半のイギリス。子爵の称号さえ一度ならず辞退するほど己の血筋に誇りを持ち、〈女王さまよりずっと金持ち〉と謳われる富裕な家柄、ノールのルシン一族。十七歳になったばかりの一人娘モード・ルシンは先祖伝来の広大な屋敷で、地方名士として隠遁生活を送る当主の父オースティンと共に、多くの召使に傅かれふたりきりの閉ざされた日々を過ごしていた。父は治安判事などの名誉職を兼任していたものの、政治の夢破れ妻に先立たれたのちは英国国教を捨て、スウェーデンボルイの神秘主義思想に傾倒していた。弟である叔父サイラスによからぬ風評があったことも、その隠棲を後押ししていた。
 館の一室〈樫の間〉に掲げられている、稀に見る端正な青年を描いた等身大の肖像画――それが四十年前のサイラスだった。容姿は際立って上品で優美だったが、細面の顔には男らしい気迫が漂い、翳りを帯びた大きな目には炎が燃えて、柔弱の影を拭い去っていた。かれの姿は、風変わりな父親と暮らす少女の心に深く印象付けられた。だが好奇心を抱いてサイラスの話を引き出そうとしても、召使たちを含め誰もが言葉を濁すのだった。
 謎めいた影に包まれ、彼女の挫かれた好奇心をしたり顔で見おろすサイラスの端正な顔。遥かに遠いダービィシャーのバートラム=ホウに住むというかれが、やがて自分の運命に深く関わってくるとは、この時のモード・ルシンには想像もできなかった・・・
 もう一つの大長編『ワイルダーの手』と同年1864年に発表された、アイルランドのゴシック小説家シェリダン・レ・ファニュの最高傑作と言われる大冊。前年1863年発表の長編『墓地に立つ館』と併せ、この三冊はレ・ファニュの三大長編と呼ばれています。ウィルキー・コリンズ『白衣の女』はその4年前、1860年に、『月長石』は4年後の1868年に、それぞれ刊行。
 『吸血鬼カーミラ』に代表される怪奇小説の大家、ホラーの大御所の先入感もありてっきりそのテの作品だと思ってたんですが、実はれっきとしたヴィクトリア朝犯罪小説。上巻から下巻中盤にかけてはゴシックめいた普通小説として進行しますが、それ以降はかなり生々しく凝った展開に。じっくりと時間をかけて描かれた弱々しいモードの性格をテコに、孤立無援の女主人公に生ける亡霊のごとき叔父サイラス・エイルマー・ルシン、貪婪・醜悪なフランス人教師マダム・ラ・ルジェールらが付け入ってきます。
 風景描写は的確で美しく、時に古めかしい言いまわしながら文章は総じて流麗。モードを守ろうとする従姉の令夫人モニカ・ノリスや、父の盟友でスウェーデンボリアンの医学博士ハンス・エマニュエル・ブライヤリーなど傍役もよく書けています。特に生き生きとした野性味を示すサイラスの娘ミリイと、森番の娘メグ・ホークスの生一本さは印象に残ります。
 『白衣の女』は未読ですが、好みだと『月長石』よりこっちになるかな。より新しいのはあっちですけど。主人公の心弱さに「なんでやねん」と言いたくなる場面もありますが、内容は芳醇かつ繊細。創土社本は希少な上に値が張りますが、あえて入手する価値は十分ある小説です。


No.336 7点 新アラビア夜話
ロバート・ルイス・スティーヴンソン
(2020/04/24 14:37登録)
 ロンドンの魔窟に足を踏み入れたボヘミア王子フロリゼルとその腹心ジェラルディーン大佐。彼ら主従二人と、大都会の闇に潜む犯罪者〈自殺クラブ〉会長との一連の対決を描く「自殺クラブ」3篇に加え、カシュガルのラージャからある英国軍人に送られた世界有数の宝石が、人々の心を惑わし彼らの運命を狂わせてゆく「ラージャのダイヤモンド」4篇を収めた『新アラビア夜話』第1集全7篇。どちらも1話ごとに登場人物を交代させながら語られる連作短篇です。両編に共通して登場し、全体の纏め役となるのはフロリゼル王子その人のみ。
 1878年の6月から10月にかけて「ロンドン・マガジン」に掲載。スティーヴンソン作品としてはごく初期にあたり、『眺海の館』収録のコメディ短篇「神慮とギター」とほぼ同時期に執筆されたもの。ドイル絶賛の中篇「眺海の館」は、「ラージャのダイヤモンド」終了からやや間を置いて書かれています。
 『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』風の各編の繋ぎがたいへん滑らかで、さながら蕎麦をツルツルと啜るよう。最初の「自殺クラブ」は、お菓子を二十個も三十個も酒場の客に薦めて回る若い男の挿話から、生死を賭けたスリルに王子が導かれ、ここから序破急の展開でクラブ会長との闘いが始まります。最後の決闘も含め生臭い部分は一切ナシ。『短編ミステリの二百年1』に採られた前述の「クリームタルトを持った若い男の話」も、〆は大岡政談風。奇妙な発端と、異様な賭けの緊迫感がすべての作品です。
 それに比べると『ラージャのダイヤモンド』は、話そのものとしては落ちるものの結末は豪快。これを口にするキャラクターは山ほどいるでしょうが、実際にやっちゃうのはこの主人公くらいのものでしょう。どちらもロンドンを舞台に取った都市綺譚ですねえ。世評ほど面白いとは思いませんが、このオチで1点プラスの計7点。
 スティーヴンソンのデビューと成功はコナン・ドイルより若干前で、健全路線のドイルに比べ、本書ではあらゆる刺激に飽き果てた人間たちが集う秘密クラブを、『ジキル博士とハイド氏』では二重人格をそれぞれ扱っています。ホームズ物だとこのテーマが「唇のねじれた男」のアヘン窟や「這う男」のアレになるのかな。もっとも彼も健全作家なので、この発想は江戸川乱歩「赤い部屋」に引き継がれ、主としてわが国で花開いたと言えるでしょう。
 これに加えて本書の試みを転用したアーサー・マッケン『怪奇クラブ』、ジョン・ディクスン・カー『アラビアンナイトの殺人』等の語り口や、その他カー作品へのもろもろの影響を考えれば、スティーヴンソンが後世へと及ぼしたものはドイルに劣りません。もっともっと注目すべきミステリ作家の一人です。


No.335 5点 自由なれど孤独に Frei Aber Einsam
森雅裕
(2020/04/22 09:35登録)
 一八六四年三月。ハプスブルク家が落日を迎えつつあるオーストリア・ウィーン。メンデルスゾーン、シューマンの遺志を継ぐジンクアカデミーの若き常任指揮者ヨハネス・ブラームスは、合唱団の無気力さに辞表を出すと、その足でヨーゼフシュタットのピアノ工房を訪れた。だがそこで彼はホールから鳴り響くト短調ソナタピアノ曲を聴き、八年前に病死したはずのシューマンらしき人影が建物から立ち去るのを目撃する。
 工房の主ベーゼンドルファーとともに居合わせた銀行家、フェルディナンド・ロスチャイルドの情報では、反ユダヤ主義者を掲げる音楽家リヒャルト・ワーグナーが、何度も亡霊を見たと騒ぎ立てているということだった。癖のある男ワーグナーは新音楽派の旗手で、ロマン派の頂点に立つユダヤ銀行家の息子、メンデルスゾーンを口を極めて攻撃していた。ブラームスと懇意にしていた生前のシューマンとも、生涯に渡って反目し合っている。もっともワーグナーのような性格破綻者と、うまくいく人間の方が稀なのだが。
 翌日ブラームスは亡霊の話を訊くため、オペラ『トリスタンとイゾルデ』稽古中の宮廷歌劇場にワーグナーを訪ねるが、彼に会う直前、出演者であるアカデミー合唱団のソプラノ歌手、アマリエ・ギュンターに小型の革鞄を押しつけられる。だが彼女はその直後、練習たけなわの舞台上で毒殺されてしまった。
 アマリエ殺害に続く宮廷警察の登場。しかも彼らは殺人そのものよりも、被害者がブラームスに託した鞄の中身に用があるらしい。中に入っていたのは“Frei Aber Einsam(自由なれど孤独に)”とシューマンが書き殴った楽譜と、ヨハネスが病床の彼に届けた覚えのある地図帳。シューマンは死の直前まで、地図を眺めて毎日を過ごしていた。いったい、このプロシア製の地図帳の中には何が隠されているのか?
 ブラームスは宮廷警察の手から彼を救った男装の麗人であり、また弟子でもある近衛騎兵連隊大尉にして伯爵令嬢、クリスタ・フォン・アムロートと共にシューマンに纏わる謎を追うが、その過程でまたもや殺人事件に巻き込まれる事になってしまう・・・
 1996年4月刊行。同年8月に裏事情エッセイ『推理小説常習犯』を発表し、各出版社から絶版の嵐を食らう前に書かれた長編で、同書によれば「ワーグナーを描いた原稿なら採用してやる」との注文に応じたものだそうですが、その内容からワグネリアン(ワーグナーの信奉者)である編集部長へのあてつけではないかと言われた、曰くつきの作品。描写された楽劇王リヒャルト・ワーグナーは変人レベルにとどまらず、とにかく攻撃的でいけ図々しく、会話そのものが成り立たない存在。人間というより戯画に近いです。まあ成功はするんだろうなー、という妙なパワーは感じますが、お近づきになりたいヒトではありません。
 とはいえ野心に燃えるだけあって、スパイまでこなす海千山千の陰謀家。温厚なブラームスが太刀打ち出来るはずもなく、いいように引っ掻き回されることに。成り行きからシューベルトの偽者を使ったワーグナー追放計画に加わった挙句、ロスチャイルド邸で起こった殺人事件の容疑者にされてしまいます。
 女将校クリスタの活躍に救われ、事件が落着したかと思いきやブラームスを訪れるバイエルン宮廷からの使者。喧騒の都ウィーンから離れた音楽家は、やがて全てを悟ります。ミステリとしては肝心なキーが後出しなので買えませんが、ベートーヴェンシリーズとは異なり主人公が平凡なだけに、著者の本質というべきものが現れている。男性キャラの行動が目立ちますが、一連の森作品の原動力となっているのは、実は気の強い女性たちなのだなあ。
 本書もビスマルク・プロイセンの台頭と、普墺戦争の敗北や事実上のハンガリーの独立など、黄昏のハプスブルク帝国を背景に据えたビターエンド。ラスト部分、クリスタの想いを秘めた痛々しい姿から、全てを悟っているであろう彼女の父親、クレメンス・フォン・アムロート伯爵の行動の意味が浮かびあがってきます。


No.334 6点 誘惑者ピーター
アート・バーゴー
(2020/04/20 09:27登録)
 サウス・フィラデルフィアではここ数年のあいだに、十代の娘が何人も姿を消していた。警察はたんなる家出であり、捜査の手間をかけるまでもないとみなしていたが、人々はしだいにそう考えなくなった。娘たちが殺害されたとみなす人の数はしだいにまし、その考えは少女のひとりが無残な姿で発見されたことで、おぞましい現実となった。
 テリ・ディフランコ、十五歳。古い鉄道の貨物倉庫で発見された彼女は後ろ手に手錠を掛けられ、ひざまずいた姿勢で後ろから犯された後、首にまいたステンレス・スティールのチェーンで絞殺されていた。遺体はまわりを蠟燭にとりまかれており、秘密の祭儀かお祝いの準備が整えられているような印象を受けた。
 聞き込みからまもなく一人の男の存在が浮かぶ。覆面警官を名乗り銀色のスマートなスポーツカーを乗りまわす、黒い髪とあごひげをした男。飛行士用の眼鏡をかけた優雅なボーイフレンド、ピーター。彼は行方不明のほかの少女ともつきあっているところを目撃されていたのだが、性犯罪者を対象にした捜査線上には、手がかりは何ひとつ見つからなかった。
 地元『グローブ』新聞社の女性コラムニスト、ローラ・ラムジーは、近所で起きたテリ事件の現場検証を機に、新聞記者としての使命感に燃えて事件を追うが――
 地元フィラデルフィア在住のミステリ専門書店オーナーである著者が、1988年に発表したサイコ・スリラー。原題 "THE SEDUCTION(誘惑)"。 〈九月〉〈十月〉〈十一月〉の三部構成で、女性記者のローラ、南部ニューオーリンズから北東部ペンシルヴェニアに、大型開発プロジェクトに参加するためやってきた不動産業者、フェリックス・デュクロイト。そしてフェリックスに父親の面影を見出し、わがものにしようとする驕慢な美女、ミッシー・ウェイクフィールド。この三人の関係を軸にして、ストーリーが展開していきます。ですが彼らにはそれぞれ暗い過去が秘められていて――
 オーソドックスなネタですが、誤誘導はけっこう巧み。サイコパス関連のリサーチや人物造型もしっかりしています。犯行も細部まで作り込んであり、不自然さは感じません。ただ後味や読み心地は良くないですね。そっち方面のトリックやら、エゴ剥き出しの異常性やらはどうしても避けられないので仕方ないんですが。
 皮肉な結末も含め、総合すると90年代のサイコキラー物としてはまずまずの出来。ただ類似の作品も多く、秀作というほどではないかな。


No.333 6点 マンハッタン英雄未満
森雅裕
(2020/04/17 07:08登録)
 一九九三年九月×日、ニューヨーク。ジュリアード音楽院卒のガチクラシック畑からロックの泥沼に転向した日伊混血兼バツイチの青江珠音(ジュネ・アオエ)は、同境遇の黒人ローター・ブラウナーと共に、聖ジョン大聖堂のスープ・サーヴィス行列に混じっていた。ブラウナーの話では前衛芸術家を後援する大聖堂(ビッグ・ジョン)が、ジュネと話したがっているのだという。だが七つの礼拝堂の地下で責任者のマウザー司教とカルメット司祭が語る話は驚くべきものだった。
 まもなく五歳になる男の子、密かに教会内で育てられていたメシア、世界を救う救世主が何者かにさらわれたのだ。さらったのはおそらく悪魔たちで、彼らの狙いはその抹殺。だが不滅の存在であるメシアには、何者も手を触れることはできない。
 いきなりのオカルト談義に早々に辞去しかけるジュネだが、「誘拐されたのは君の子供だ」との司教の言葉に彼女は立ち止まる。生まれたばかりのメシアは死産と偽りジュネから引き離され、教会の手で育てられていたのだ。彼は私立探偵フィリップ・マーロウに因み〈フィル〉と名付けられていた。
 通常の手段では殺せないメシア。だがその魂が汚されれば、彼は死ぬ。メシアでなくすること、汚すこと。それができるのは母親の血。つまり、次に悪魔たちが狙ってくるのはジュネなのだ。
 悪魔の魂を倒すことができるのは聖なる音楽、悪魔の肉体を倒すことができるのは聖なる剣のみ。ヴァチカンはジュネを守護し救世主フィルを奪還するべく時空の彼方に回路を開き、一八〇二年のオーストリアから楽聖ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンを、明治二(1872)年の函館から元新撰組副長・土方歳三を現世に呼び出す。果たして彼らに聖母ジュネを加えた混成チームは、悪魔の手からフィルを取り戻せるのか?
 1994年に新潮社から刊行された、『流星刀の女たち』の流れを汲むアクション編、というか凸凹トリオのビッグアップル珍道中記。ミステリ的な"敵か味方か"要素も一応含んでいますが、ベートーヴェンシリーズの番外編的な位置付けで分かるとおり、陰険漫才を縦横に駆使した田中芳樹的ファンタジー。『会津斬鉄風』など森氏のもう一つの顔である刀剣ものとも一部クロスする作品であります。

 その男は、後世の人間が思い描く姿よりはまだ若く(中略)、黒づくめで、シルクハットまでかぶっていた。脱走した囚人に間違えられぬほどにはお洒落だった。
 だが、不気味という意味では脱獄犯に負けなかった(中略)。人生は素晴らしい、などとわめいているのでないことは確かだった。彷徨い続けたこの半日、沼地に片足を突っ込むこと一回、転ぶこと二回、鳥の糞を頭上へ受けること一回、連れとはぐれることは現在進行形だ。弟子が一緒だったのだが、振り返った時にはいなくなっていた。

 冒頭でかように描写されるベートーヴェン氏が陰険なほどに慎重な土方歳三とコンビを組み(まんまパタリロとバンコラン)、カルチャーショックに目眩を起こしながら聖母を守り悪魔たちと戦うことに。「ずるいぞ、ジュネ! 土地勘も濡れた服の着替えもない私たちが、お前についていく以外に道なんかあるか!」という言葉の通り、まあ他に選択の余地なんぞ無いのですが。
 とはいえ苦楽を共にしせっぱつまった危機を切り抜けるうちに、なんだかんだと離れ難くなるのが世の常人の常。ヤンキースタジアムでの別れ際には結構しみじみします。笑って読めて、魔夜峰央氏の表紙絵もピッタリくる作品。問答無用の「俺はエイズだ!」も結構ウケました。


No.332 7点 サマー・アポカリプス
笠井潔
(2020/04/15 09:46登録)
 膨張したサハラ砂漠が地中海全域を残らず貪婪に呑み込んでしまったとさえ思える、灼けつく猛暑の夏。謎の日本人青年・矢吹駆はラルース家事件(前作『バイバイ、エンジェル』)の根源たる暗黒思想に対抗する〈天啓(イリュミナシオン)〉の流れを追い、中世南仏史の研究者シャルル・シルヴァンに接触する。シルヴァン助教授はギリシア思想の流れを汲むオク(南仏)語文明の根幹となる、中世異端カタリ派の信仰の中心であった〈太陽の十字架〉の在処を示す、かつて存在したはずの〈ドア文書〉を捜し求めていた。
 ルイ14世の腹心であり、絶大な権勢を振るった財務大臣コルベールの一族が、ブルボン王家の接収前に歴史から削除したドア文書――それを追うのは彼だけではない。シルヴァンの教え子ジゼールの父親で、フランス有数の産業複合体(コングロマリット)総帥オーギュスト・ロシュフォールも発掘という形で、原子力発電所の建設予定地である地元ラングドックを調査していた。
 建設反対派でラングドック自立派MRO(オクシタニ解放運動)の指導者であるセットの女教師シモーヌ・リュミエールは、せっぱつまった口調でカケルに告げる。「この都会にいてはいけません。家に寄らないで、できれば外国に行ってしまうのです」
 その直後イエナ橋にほど近いセーヌ岸の路上で、カケルは何者かに襲撃され、肩に銃弾を受けた。オクの秘宝を狙う者へのMROの警告か、カケルによって首都組織を壊滅させられた秘密結社〈赤い死(ラ・モール・ルージュ)〉の報復か、それとも?
 銃撃された矢吹駆とラルース家の事件の傷も癒えぬ語り手ナディア・モガールは、ジゼールの招待を受けてパリを離れ、警視庁のバルベス警部と共にロシュフォール家所有の南仏モンセギュールの山荘、エスクラルモンド荘へと向かうが、カタリ派の聖地で彼らを待ち受けていたのは黙示録の四騎士が導く、戦慄の四重殺人事件だった・・・
 雑誌『野生時代』昭和五十六(1981)年四月号一挙掲載分に加筆され、同年十月に角川書店から刊行された、矢吹駆シリーズ第2作。『バイバイ、エンジェル』以上に重厚な筋立てで、以前は私的日本ミステリベスト10の一角に位置していましたが、今読み返すと力作だけどそこまでではないなと。
 四重殺人の前半は静で後半は動。準密室と密室をじっくり検討したあとは、モンセギュール峰を舞台に繰り広げられる第三第四の殺人、カーアクション、追跡劇、そしてどんでん返しと二転三転の畳み掛けるような展開で、凄まじい緊迫感と盛り上がりを見せます。
 ただオチと結び付いたカケルとシモーヌの思想対決ですねえ。これをどう評価するか。前作の犯人が踏み絵を迫った口実を、更にエグい形で切り札として利用する。若かりし頃は単に凄えなでしたが、トシ取って改めて見ると「それは結局お前の弱さちゃうんかい」と。
 ここまでマウンティングする意味が不明ですし(カケルによるとシモーヌは〈思想的対抗者〉)、このシリーズからは今に至るまで納得のいくものは得られておりません。それはカケルの生き方で答を出すしかないと思うんですが、ずっと煙に巻かれたままです。密室部分が弱いだけにこのハッタリが作品の肝なんですが、うまく逃げてんなと。主題は前作の継承なので、『バイバイ、エンジェル』の余熱と、シモーヌ・リュミエールというキャラクターの輝きだけで持たせた感じ。
 小説としては多重構造でミステリをゴシック風に覆い、その底流として西洋文明を貫く黒魔術VS白魔術、世界を二分する霊的闘争の流れがある。なのでどこがミステリやねんというくらい延々と宗教歴史の薀蓄が語られる訳ですが、ここからナチスに突入するあたり、作品全体を象徴する〈太陽の十字架〉関連の背景はまんまヒロイックな伝奇小説なんですねえ。雑誌「ムー」的要素の塊。次に『ヴァンパイヤー戦争』『サイキック戦争』へ行くのも分かるわ。
 シリーズ当初からの構想かどうかは不明ですが、そんなのが作品の根幹だとあまり本気にするのは考えもの。再読するとオカルト史部分の濃さに驚きます。ゲテなのは前作も一緒だけど、これは単なるガジェットに留まらず、精神的な背骨を半分アッチ側に突っ込んだ小説。膨らみは大幅に向上していますが、かといって必要以上に評価する気にはなれません。


No.331 6点 青ひげの花嫁
カーター・ディクスン
(2020/04/14 10:50登録)
 一九三〇年九月から一九三四年七月にかけて、変名を駆使して独身女性との結婚を重ね続けた謎の男、ロージャー・ビューリー。牧師の娘、音楽好きのオールドミス、占いの手伝い女――彼の妻となった女たちはある日を境にふっつりと姿を消し、そのまま二度と現れなかった。ロンドン警視庁のマスターズ主任警部はけっして証拠を残さぬビューリーの犯行に歯ぎしりを続けるが、やっと殺人鬼に手が届くかと思われた四度目の事件を境に、彼の足跡は途絶える。欧州大陸諸国の混乱も重なり、"青ひげ"ロージャー・ビューリーの名は次第に忘れられていった。
 そしてそれから十一年後の一九四五年九月、グラナダ劇場付きの舞台俳優ブルース・ランソムの元に、ビューリーを主人公にした殺人劇の台本が送られてくる。そこには警察しか知り得ない最後の事件の詳細が記されていた。ブルースはこの脚本をそのまま、休暇明けに上演しようとする。
 彼と恋仲の女流演出家ベリル・ウェストは、これからブルースが休養に赴くサフォークのオールドブリッジで、五度目の婚約を描いた芝居の内容どおり、彼が〈現実に〉ロージャー・ビューリーの役柄を演ずることを提案するが・・・
 『青銅ランプの呪い』に続くヘンリー・メリヴェール卿もの第17作。1946年発表。フェル博士シリーズ中期の傑作『囁く影』と同年の作だけあって、とらえどころのないストーリーながら雰囲気作りはかなり上手い。数々の俳優の不可解な言動もあり、「もしかしたら?」の含みを持たせつつ最後まで引っ張る趣向。
 主人公はブルースではなく友人のデニス・フォスター弁護士ですが、彼がブルースに言いくるめられ、あわや第五の犠牲者の遺体を運ばされかけるグラン・ギニョール風シーンもあって、なかなか読ませます。すべての決着となる〈あの場所〉もけっこう不気味。ミステリとしては薄味ですが、物語要素の配置が的確で良いですね。
 殺人鬼ビューリーの正体には巧みに煙幕が施されていて、対決アクションは後の歴史ミステリ風。全体としては不気味なムードのサスペンス調。いつものドタバタはあるものの『囁く影』のフェル博士と同じく、ここでのH・M卿は一歩引いた形。登場は前半と〆のみで、ムードの醸成に助力しています。
 とはいえ佳作とするには味付けが少々足りないので、総合すると6.5点。それでもマイナー作品にしては結構楽しめます。


No.330 6点 最長不倒距離
都筑道夫
(2020/04/11 02:32登録)
 瀧夜叉姫の事件(『七十五羽の烏』)の留守中に、事務所につめていた父親が勝手に取り次いだスキー宿の懇請を、とうとう引き受ける羽目になったものぐさ太郎の末裔、物部太郎。客寄せの幽霊がぱったり出なくなったのをなんとか、また出るようにしてくれとの依頼を解決しに、助手の片岡直次郎と共に群馬県は北利根郡、黒馬町黒馬温泉に来たまでは良かったが、スキー・シーズンを迎えた当の鐙屋旅館では、彼らを待ち構えていたように怪事件が続発する。
 ささやきだけを残して隣の浴室から消えた女、幻のシュプールに続き、宿の露天風呂には女性の全裸死体まで現れた。頭は丸坊主で、左手首にはなぜか腕時計がふたつ、はめてある。女は隣の冬陽館の客で、水島友子と名乗っていた。
 太郎たちはふもとの警察と連絡を取ろうとするが、二十年ぶりの吹雪で交通は途絶したまま。さらに死んだ友子と称する女からかかってきた電話の途中で架線が切れ、宿は外界から完全に孤立してしまう・・・
 なまけものの自称心霊探偵・太郎と直次郎のコンビが活躍する本格シリーズの第2弾。昭和48(1973)年徳間書店刊。『宇宙大密室』収録の〈鼻たれ天狗シリーズ〉や、なめくじ長屋捕物さわぎだと『あやかし砂絵』収録の各篇を執筆しているころ。平行してアームチェア・ディディクティヴ物の『退職刑事』シリーズも始動を開始しており、相変わらずの本格嗜好にもやや変化の兆しが見えてきている時期の作品。
 前作の反省からかそこそこ容疑者数を増やし、吹雪の山荘に加え、密室もどきに宝探しと趣向も多め。最後にスノーモビルとスキーの追跡アクションを持ってくるなど、まずまず楽しめます。お色気サービスとかは正直どうでもいいですが。
 ただ全体に統一感が無いのは問題。消えた女はともかく、シュプールの謎とかはむしろ興醒めでしょう。被害者の毛が上下剃ってあるとかも余計。眼目は腕時計の謎なので、これに絞った方が良い。あと冒頭部分のクローズドサークル推しにも関わらず、隣のホテルとは自由に行き来できるのであまり緊迫感がありません。ストーリーの根幹に関わってくる部分なので、どうしようもなかったんでしょうが。
 色々と文句も言いましたが、シリーズでは最も楽しめる一冊。犯人以外の行動で事件が複雑化するのは変わりませんが(身内も一役買っているのが工夫のしどころ)、論理性やラストでの追い込みの執拗さはなかなかのものです。ダイイングメッセージがああいう形になるのも都筑氏らしいなあ。6点にするかもう少しプラスするか迷うけど、チグハグなところもあるのでまあ6点。


No.329 6点 ぼくの好色天使たち
梶龍雄
(2020/04/09 09:32登録)
 昭和二十一年。下落合の邸宅を空襲で焼かれ軍医の父親も失い、邸内の物置小屋で母と共に暮らす男爵の子息・伊波弘道。彼はふとした事件から池袋のヤミ市、もと師範学校の焼跡にできた通称ガッコー・マーケットに入りびたり、さまざまな人々と奇妙なふれ合いを持つようになる。
 テツガクさん、アラクマさん、春頭さん、トラックさん、リクシ、そして愛すべき「街の天使」たち――。
 そんなある夜、マーケットの中心を占める五坪ばかりの寄合所の二階で天使の一人、元パンパンの京子が首を絞められて殺された。梯子の下で男たちが酒盛りをしている最中に。しかも殺人はこれだけでは終わらなかった。
 あっけらかんとした売春婦たちに性に対する好奇心と仄かな慕情を抱く弘道は、事件を解決しようと大人たちのサポート役を務めるが――
 第23回江戸川乱歩賞を受賞した『透明な季節』、続編の『海を見ないで陸を見よう』と共に、第二次大戦前後の学生を主人公に据えた三部作の最終編。昭和五十四(1979)年六月に刊行された長編『龍神池の小さな死体』に続き、同年十一月に同じく講談社から書きおろしの形で出版されました。文庫版あとがきによると、犯人を除き登場人物には全てモデルが実在するそうです。
 そのせいか、際どい題材を扱っている割に読んでいて心地良い。この人は手掛かりの配置に腐心するあまり、ともすると小説としての膨らみがおろそかになる事しばしばですが、実体験に根差した本書はそういう非難を免れています。
 反面この動機はちょっと無理筋かなと。安定した人格と極端な衝動性の組み合わせが強引過ぎる気がします。作中には同情的な記述もありますが、推理によると尊属殺人まで犯している事になるので余計に。その後の行動に多少なりとも変化は生じなかったのかと。あれだけの事件を起こしながらすぐにヤミ物資強奪の黒幕にのし上がったり、犯人像が若干ブレてますね。トリックとその構図がシンプルで自然なだけに残念です。
 小説部分の出来を買ってか、梶龍雄の最高傑作という評価もあるそうですがそこまでには至らない。点数は6点ですが、実際には以前評した『金沢逢魔殺人事件』よりもやや下になるかな。5.5点に好みをプラスして、やっと同点というところ。


No.328 7点 象られた力
飛浩隆
(2020/04/07 06:32登録)
 寡作でつとに知られる地方在住SF作家・飛浩隆が、一九八〇年代から一九九〇年代はじめにかけて発表した作品から選りすぐった、著者初の中短編集。個々の作品はすべて雑誌〈SFマガジン〉に掲載されたものだが、各編とも大きく作者の手が入っており、表題作に至ってはもはや別物と言ってもいい仕上がり。
 人物も書けるがその根底には硬質というか鉱物的なものが横たわっており、味覚・触覚・空気感などを総動員しながらクライマックスに向けてストーリーを持っていくのだが、生々しさはあまり感じない。煌びやかな形容詞を駆使したそのイメージを譬えるなら、絢爛たる崩壊。表題作に代表されるように、その徹底ぶりは容赦無い。数年ぶりの大作『零號琴』は冒頭部に手を付けたままだが、〈廃園の天使〉シリーズや各収録作を見る限り、精緻な破壊のイメージに憑かれているようにも思われる。同様のモチーフを扱う作家は幾人もいるが、この人の場合読後に際立って無機的な印象が立ち上がる。
 日本SF界トップクラスの才能の持ち主ではあるのだが、そういう訳で本書も好みではなかった。重量感のある作品ばかりではあったが。
 そんな中ある種救いだったのは、ユーモラスな中に一筋縄ではいかないものを秘めた『呪界のほとり』。これとて一種形而上学的な底意地の悪さがあり、彼方には廃墟と化した世界が仄見える。でもそれを笑い飛ばすほどキャラクターに力強さがあって、集中で一番気に入った。当初はシリーズ化も目論んでいたそうだが、やはり作者本来の資質からは外れるのだろう。
 伊藤計劃『虐殺器官』『ハーモニー』の先駆ともいえる作品を収めた中編集。2005年には表題中編で、また全体として、それぞれ第36回星雲賞及び第26回日本SF大賞を受賞。


No.327 6点 梅暦なめくじ念仏
都筑道夫
(2020/04/06 01:15登録)
 江戸後期の人情本作者・為永春水を探偵役に据えた〈春色梅暦〉シリーズ三篇に、第四集『あやかし砂絵』以降中断していたなめくじ長屋シリーズ二篇、それに短篇連作『幽鬼伝』より二篇、及びその原型となった『暗闇坂心中』を加えた時代ミステリイ短編集。
 〈梅暦〉第一作『羅生門河岸』はなめくじ長屋の住人たちには扱えない密室ネタの転用作品で、吉原の切店、いわゆるお歯黒どぶに面した低級女郎の仕事場を舞台に、わずか幅一メートル半、奥ゆき三メートルの長屋の一室からの人間消失を扱ったもの。さらに掘割で厳重にかこまれた吉原五丁町全体を大密室に見立てており、解決もそれほどの驚きはないものの経過が自然で、なかなかよく出来ています。続く『藤八五文奇妙!』は鶴屋南北『東海道四谷怪談』を模して、戸板に釘付けにされて川に流された死体の話。併収のなめくじ長屋シリーズよりもこっちの方が元気いいです。
 為永春水は江戸後期の戯作者でしたがずっと売れず、晩年に出した『春色梅児誉美』の大ヒットで人情本ジャンルの元祖となった人物。以前書評した山田風太郎『八犬傳』と同時代人で、作中でも滝沢馬琴に悪口を言われ云々と記されています。境遇も落語家・鶯春亭梅橋を実兄に持つ作者と被っており、各事件間の間隔が五年余りと長いこともあって、春水の描写にはかなり感情が入っている。『花川戸心中(旧題:春水なぞ暦)』などは後に春水が発禁処分を受け、手鎖五十日の刑を受ける寸前の時期で、それを知って読むとなかなか感慨深いものがあります。派生作品ということで最終的には三篇とも『うそつき砂絵』に収録。
 それより出来の良いのは怪談『暗闇坂心中』。坂から走り出てきた裸どうぜんの女が、若ざむらいに首を斬られるのを目撃した鬼板師(鬼瓦専門の渡り職人)の仕事に賭ける業と、旗本の家に代々伝わる村正の妖刀とを絡めた短編。登場人物の誰もが抱える〈鬼〉の凄みを描いており、これだけでも読む価値がありました。怪奇小説の書き手としての都筑道夫を再認識した次第。ただこれを改めて念仏の弥八主人公で書き直すと、かえって効果が薄れるのではないかな。
 冒頭の『幽鬼伝』もその鉄の数珠玉を武器にする弥八に加え、隠居した元同心の知恵袋・稲生外記&盲目の霊感少女・涙(るい)と、キャラ立ちしたトリオが怪異に立ち向かうストーリーで結構面白い。機会があればいずれ全編手を付けたいと思います。

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