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ミステリの祭典

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柳生稚児帖
別題「虎徹稚児帖」、『風流使者』の藤木道満が再登場

作家 五味康祐
出版日1987年04月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点
(2020/05/03 11:16登録)
 黒船来航に続き安政の大獄・桜田門外ノ変と、相次ぐ激動に揺れる幕末期。尾張藩兵法師範役・柳生兵庫厳蕃の嫡子兵介は、同藩士・宇佐美源三郎に嘲弄され、双方共に相撃って果てた。腰間に携えた愛刀・備前師光が、故意に折れ易く鍛えられた贋刀に掏り替えられていたためであった。作意の一刀にはこの世に存在しない「長曾禰虎徹」の銘が切られていた。
 主君・慶恕(よしくみ)は師範役家にあるまじき不祥事にも拘らず、厳蕃を惜しみすべてを不問に付そうとするが、糾問の場で厳蕃は、差料をすり代えられた者がわが子だけではない事を知る。慶恕に見せられた脇差に彫られていた銘もまた「長曾禰虎徹」。それは除地衆(武家待遇の御用商人)・松前屋小太郎より献上されたものだった。
 松前屋を訪ねた厳蕃は、背後に蠢く"仙台黄門"こと、藤木道満の存在に気付く。元義賊とも医家とも、伊達候先代の御落胤とも言われ、剣を学んでは富田流宗家の後見役をも兼ねる、妖剣"音なしの構え"の遣い手だ。贋虎徹の一件もいずれは知れること。勘繰ればわざわざ兵庫にさとらせようとしたとしか思えない。果たして道満は何を企んでいるのか?
 妖刀ともいうべきあの虎徹を鍛えた刀鍛冶も、並の刀工ではない。道満の背後には、伊達六十二万五千余石が控えていると見なければならぬ。伊達家がなぜ、わざわざ尾張藩の周辺を騒がすのか。なぜ贋の虎徹を使うのか。
 その狙いが慶恕公の失脚にあると見た厳蕃は、密かに子飼いの女忍者・蘭を放ち、陰謀の目的を見極めようとするが・・・
 昭和四十八(1973)年一月から昭和四十九(1974)年一月まで、雑誌「週刊小説」に一年余にわたって書きつがれた大作。惜しいことに未完で、前編が完結したのみ。佩刀すり替えの目的は一応ほのめかす形で明かされますが、本編は柳生厳蕃と藤木道満とが京都東山麓の宮家別荘で、まさに相対せんとするところで終わっています。
 作品としては〈幕末の柳生家〉に焦点を当てたもの。山田風太郎の短編「からすがね検校」のように、千葉周作を筆頭に輩出する幕末の剣豪たち、男谷精一郎・斎藤弥九郎・白井亨・大石進らに比して、将軍指南役柳生家の存在感はゼロ。当時何をやってたかすら不明なんですが、作者の五味は「勝った負けたの派手な勝負を見せびらかす町道場とは(柳生は)格がちがう」と語り、あえて「勤王佐幕のいずれにも属さず、世を過つ邪悪の者ありと見れば、これを斬る」、柳生ながらも新陰ならぬ古陰流に属し、様々な能面で顔をかくした犬頭党こと、〈柳生稚児〉なるものを設定する。
 ストーリーも厳蕃と道満の争いと見えたものが、次第に稚児たちを己の謀略に取り込もうとする道満一派の陰謀に変化し、さらにそれは宮家を通じて天皇家を掌中に蔵める目論見や、将来有り得べき官軍と幕府軍との激突を見越した、東海道各藩の偵察に繋がってゆく。そのためには清水の次郎長など、街道筋の博徒たちも確実に使えるよう首に縄を付けておく・・・
 こうした緻密にして迂遠な布石を打つ道満その人も、随筆集『埋め火』の意により私利私欲の徒ではなく、根底では稚児たちと志を同じくしていることが暗示されます。それは同時に五味康祐の歴史観であり、またその意志でもあるのでしょう。
 文久年間の幕末日本を舞台に姉小路公知卿暗殺(朔平門外の変)ほか、政治軍事に渡っての各陰謀を一括して纏めんと大構想を巡らした作品。未完成とはいえ伝奇小説としても出色で、作者の早逝が惜しまれます。

 追記:自分の刀に触れさせることなく相手を倒す"音なしの構え"。『大菩薩峠』の主人公・机竜之介のモデルとなった幕末の剣豪・高柳又四郎の有名なエピソードなので、当然藤木道満も架空の存在と決め込んでいましたが、Wikiによれば実在の人物で、経歴も本書とほぼ同じ。高柳に"音無しの構え"を授けたのが道満その人だそうです。道満の登場する前作『風流使者』も、何となく読みたくなってきました。

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