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ミステリの祭典

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自由なれど孤独に Frei Aber Einsam

作家 森雅裕
出版日1996年04月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点
(2020/04/22 09:35登録)
 一八六四年三月。ハプスブルク家が落日を迎えつつあるオーストリア・ウィーン。メンデルスゾーン、シューマンの遺志を継ぐジンクアカデミーの若き常任指揮者ヨハネス・ブラームスは、合唱団の無気力さに辞表を出すと、その足でヨーゼフシュタットのピアノ工房を訪れた。だがそこで彼はホールから鳴り響くト短調ソナタピアノ曲を聴き、八年前に病死したはずのシューマンらしき人影が建物から立ち去るのを目撃する。
 工房の主ベーゼンドルファーとともに居合わせた銀行家、フェルディナンド・ロスチャイルドの情報では、反ユダヤ主義者を掲げる音楽家リヒャルト・ワーグナーが、何度も亡霊を見たと騒ぎ立てているということだった。癖のある男ワーグナーは新音楽派の旗手で、ロマン派の頂点に立つユダヤ銀行家の息子、メンデルスゾーンを口を極めて攻撃していた。ブラームスと懇意にしていた生前のシューマンとも、生涯に渡って反目し合っている。もっともワーグナーのような性格破綻者と、うまくいく人間の方が稀なのだが。
 翌日ブラームスは亡霊の話を訊くため、オペラ『トリスタンとイゾルデ』稽古中の宮廷歌劇場にワーグナーを訪ねるが、彼に会う直前、出演者であるアカデミー合唱団のソプラノ歌手、アマリエ・ギュンターに小型の革鞄を押しつけられる。だが彼女はその直後、練習たけなわの舞台上で毒殺されてしまった。
 アマリエ殺害に続く宮廷警察の登場。しかも彼らは殺人そのものよりも、被害者がブラームスに託した鞄の中身に用があるらしい。中に入っていたのは“Frei Aber Einsam(自由なれど孤独に)”とシューマンが書き殴った楽譜と、ヨハネスが病床の彼に届けた覚えのある地図帳。シューマンは死の直前まで、地図を眺めて毎日を過ごしていた。いったい、このプロシア製の地図帳の中には何が隠されているのか?
 ブラームスは宮廷警察の手から彼を救った男装の麗人であり、また弟子でもある近衛騎兵連隊大尉にして伯爵令嬢、クリスタ・フォン・アムロートと共にシューマンに纏わる謎を追うが、その過程でまたもや殺人事件に巻き込まれる事になってしまう・・・
 1996年4月刊行。同年8月に裏事情エッセイ『推理小説常習犯』を発表し、各出版社から絶版の嵐を食らう前に書かれた長編で、同書によれば「ワーグナーを描いた原稿なら採用してやる」との注文に応じたものだそうですが、その内容からワグネリアン(ワーグナーの信奉者)である編集部長へのあてつけではないかと言われた、曰くつきの作品。描写された楽劇王リヒャルト・ワーグナーは変人レベルにとどまらず、とにかく攻撃的でいけ図々しく、会話そのものが成り立たない存在。人間というより戯画に近いです。まあ成功はするんだろうなー、という妙なパワーは感じますが、お近づきになりたいヒトではありません。
 とはいえ野心に燃えるだけあって、スパイまでこなす海千山千の陰謀家。温厚なブラームスが太刀打ち出来るはずもなく、いいように引っ掻き回されることに。成り行きからシューベルトの偽者を使ったワーグナー追放計画に加わった挙句、ロスチャイルド邸で起こった殺人事件の容疑者にされてしまいます。
 女将校クリスタの活躍に救われ、事件が落着したかと思いきやブラームスを訪れるバイエルン宮廷からの使者。喧騒の都ウィーンから離れた音楽家は、やがて全てを悟ります。ミステリとしては肝心なキーが後出しなので買えませんが、ベートーヴェンシリーズとは異なり主人公が平凡なだけに、著者の本質というべきものが現れている。男性キャラの行動が目立ちますが、一連の森作品の原動力となっているのは、実は気の強い女性たちなのだなあ。
 本書もビスマルク・プロイセンの台頭と、普墺戦争の敗北や事実上のハンガリーの独立など、黄昏のハプスブルク帝国を背景に据えたビターエンド。ラスト部分、クリスタの想いを秘めた痛々しい姿から、全てを悟っているであろう彼女の父親、クレメンス・フォン・アムロート伯爵の行動の意味が浮かびあがってきます。

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