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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.33点 書評数:2111件

プロフィール| 書評

No.511 7点 三十九階段
ジョン・バカン
(2019/03/24 04:00登録)
(ネタバレなし)
 「僕」こと37歳のリチャード・ハネーは、6歳の時に父に連れられて英国から南アフリカに渡った。その後、当地で鉱山技師として一門の財を築いたのち、故国のロンドンに帰参した。だが特に親しい友人もいないロンドンはえらく退屈で、また南アフリカに戻ろうかと思案する。しかしその年の5月、ハネーと同じアパートの5階に住む、会えば挨拶する程度の間柄の男フランクリン・P・スカッダーがいきなり訪ねてきて、協力を求めた。スカッダーの話の内容は、ふとしたことから、さる秘密結社が、近日中に訪英するギリシャ首相コンスタンチン・カロリデスの暗殺を企てていると知ったという。だが考えあって警察には行けない。生命の危険まで感じたスカッダーは、身代わりの死体で己の死を偽装して時間を稼ぎ、対抗策を練るので、ハネーの部屋を隠れ家に使わせて欲しいというものだった。ぶっとんだ内容に相手の正気を疑うハネーだが、確かにスカッダーの部屋には闇ルートで調達したという行き倒れの浮浪者の死体があった。これで退屈な生活ともおさらばになるかと思ったハネーはスカッダーの協力要請に応じるが、間もなくそのスカッダーは何者かに刺殺されてしまう。殺人容疑者となったハネーは官憲と謎の秘密結社の追跡をかわしながら、事態の打開を図るが……。

 1915年の英国作品。ヒッチコックの映画『三十九夜』の原作にもなったエスピオナージュの古典名作。内容と現実の史実を照応すれば歴然だが、第一次世界大戦が勃発した1914年の世界情勢を背景にした作品でもある。

 それで本作は、たしか丸谷才一だったと思うが1960年代半ばのハヤカワ・ミステリ・マガジン誌上で「この作品をまだ読んでない人が羨ましい。人生の大きな楽しみがまだ手つかずで残っているのだから」とかなんとか、そんな感じで激賞していたのをずっと覚えていた(例によって、評者が古書店で後年に入手したバックナンバーの記事で読んだ記事だが~笑~)。
 まあ今となっては、それももう半世紀以上も前の発言だが、それでもソコまで褒められた古典スパイ冒険小説の名作、これはいつか読まなきゃな、くらいには以前から思っていた。
(本作に続くハネーシリーズで邦訳のある二冊『緑のマント』『三人の人質』もいずれ楽しんでみたいし。)
 
 それで本書の創元文庫版、あるいは角川文庫版を実際に手にした人はすぐ分かると思うが、本作はかなり薄い。今回、評者は創元の「世界名作推理小説大系」版の6巻で読んだが、これにしても二段組みで紙幅約130ページほどの厚さである。それだけにプロットはまあシンプルなのだが、英国の田舎を逃げ回りながら態勢の立て直しを図るハネーの挙動は、ロードムービー風に出会う人々とのエピソードを重ねる形で語られ、そのひとつひとつがいかにも英国流のドライユーモアに満ちていて面白い。ハネーが邂逅した市井の人たちの大半がいい人ばかりなのは都合よすぎるとともリアリティが薄いともいえるが、その独特のゆるめの感覚こそがこの冒険スパイ小説の固有の魅力になっている。
 選挙に立候補するためスピーチの原稿を急いで仕立てねばならないが、それが苦手でハネーにネタの案出とか応援演説とかの助力を願う田舎の青年貴族ハリー卿や、ハネーが変装・身代わりを買って出る工事人夫の老人アレクサンダ・タンブルなど、各人のキャラがいい味を出している。それに応じたエピソードもそれぞれ印象深い。そんな描写にクスクス笑いながら、ああ、なるほどこの作品は、こういうところで勝負していた「名作」だったのか、と認識を新たにした。もちろん、スカッダーがハネーに託す形になったキーワード「三十九階段」の謎とか、秘密結社の暗躍、後半の(中略)作戦とか、ハネーの窮地からの脱出とか、マトモな冒険スパイ小説としての要素(当時なりの、ではあるけど)も相応に盛り込まれているが、何よりこの作品の強みは、物語の随所に浮き出るくだんのユーモア感覚であろう。その意味で、短さをものともしない、なかなか腹ごたえのある作品だ。
 他方、ラストのあっけなさはちょっとどうかと思うところもあるが、ハネーが最後にとった行動は、ロマンあふれる物語世界の中から、書き手も読者も巻き込んでいく当時の現実に帰らざるを得なかった、そんな時代の空気の投影なのだとも見える。そう考えると、鮮烈に作品を引き締めて終えるクロージングといえるか。

 あと、この作品ではまだアマチュアだったハネーは今後シリーズキャラクターになり、英国に献身するプロのスパイ軍人になっていくわけだが、そういう展開を意識しながら読むとその辺の情感もじわりと心にしみてくる。評者が大好きなフレドリック・ブラウンのエド・ハンターものの、その第一作『シカゴ・ブルース』に通じる興趣を感じないでもない。


No.510 5点 アレン警部登場
ナイオ・マーシュ
(2019/03/23 05:07登録)
(ネタバレなし)
 大昔に「別冊宝石」で『病院殺人事件』を読んで(これは面白かった記憶がある。意外な? 伏線と犯人の鮮烈なキャラクターはまだ覚えている)以来、評者にとっては本当に久々のマーシュの長編であった。

 元外交官の金持ちの屋敷である日、余興の殺人ゲームが開かれるが、その最中に女癖の悪い中年紳士が本当に刺殺されてしまう。
 きわめて真っ当なフーダニットパズラーで、その中にヌカミソサービス的にソ連の秘密結社の捕り物騒ぎとかが織り込まれるし、主人公とお転婆系ヒロインのラブコメっぽい恋模様は描かれるし、さらに探偵役のアレン主任警部もなんか読者をくすぐるキャラクターだし……で、パーツとしては面白くなりそうな感じなのである。
 それが存外に退屈なのは、会話ばっかりで読みやすい文体のハズが、演出を考えずに場面場面の描写だけ並べていった下手な戯曲みたいな小説だからか。
 ただまあ、肝心の(××)トリックはそれなりにうまく仕掛けられているとは思う。少なくとも、似たような趣向のクリスティーの某長編の見え見えぶりよりはマシではないかと。あと殺人実行の瞬間のビジュアルイメージは、結構楽しいかもしれない(笑)。

 例によって、マーシュも翻訳書を買うだけは買ってあるから、おいおい読んでいこう。


No.509 6点 東京2065
生島治郎
(2019/03/21 03:07登録)
(ネタバレなし)
 『傷痕の街』『黄土の奔流』をすでに上梓し、一方でまだ『追いつめる』をものにしていないタイミングの作者がハヤカワ・SF・シリーズ(銀背)から刊行したSF主体の短編集。7編の短編と12編のショートショート。そして巻末に表題作の中編作品が収録されている。7編の短編と12編のショートショートはものの見事に玉石同架という感じの中身で、中にはいかにも昭和っぽい悪い意味でシンプルな<ロボットオチ><タイムパラドックスオチ>の作品などもある。短編の中で良かったのは、トリッキィな仕掛けを用意していた『前世』とか、我々の21世紀の現実の機械文明に雇用が奪われていく風潮を予見・風刺した『ゆたかな眠りを』あたりか。

 意外に読みごたえがあったのが表題作『東京2065』で、これは西暦2065年の未来世界での秘密捜査官・日高嶺二を主人公にした連作風の事件簿。映画『ブレードランナー』(評者はディックの原作は未読なのでこう書く)のレプリカントみたいな、人間そっくり・皮膚に傷もつけば血も流れて、判別困難なロボットが浸透した世界で、その種の高性能ロボットを悪用した犯罪を企図する天才科学者を向こうに回したシリーズ。生島流の国産ハードボイルドと敷居の低い未来SF世界観との融合がなかなか楽しめる。できれば同じ主人公での長編作品の執筆、もしくは丸々一冊分~二冊目の連作短編集の刊行までシリーズを膨らませてほしかった気もするが、特殊な設定だけにすぐにマンネリか薄味になっていた可能性もある。そう考えるなら、この現状の全80ページ(その中で章割りして6つの事件)で終わらせて良かったかもしれない(万が一、自分が知らない、更なるシリーズ展開がもしあったらアレだが~汗~)。

 残念なのは、各作品の初出誌の書誌データがまったく記載されていないこと。こういう種類の短編集の作品群こそ、それぞれどういう出版社のどういう読者を対象にした雑誌に載ったのか、ソコが気になるのだが。


No.508 5点 ジェニー・ブライス事件
M・R・ラインハート
(2019/03/21 02:31登録)
(ネタバレなし)
 1912年。ピッツバーグのアレゲーニー川の下流周辺で下宿屋を営む「私」こと、エリザベス・マリー・ピットマン夫人(仮名)は、今年も恒例の洪水の災害に悩まされていた。そんなピットマン夫人は5年前、同じような洪水のさなかに起きた、下宿人の美人女優ジェニー・ブライスが行方不明となり、その殺人嫌疑がやはり間借り人のジェニーの夫フィリップ・ラドリーにかけられた事件のことを思い出す…。

 1913年のアメリカ作品。今年翻訳されたばかりの同じラインハートの新刊『大いなる過失』はまだ未読だが、そっちは解説込みで450ページ近くある大冊のようである。それに比べてこっちは巻末の訳者あとがきまで含めて全185ページ。しかも本文の級数が大きめな分1ページごとの文字数も少なそうで、もし二段組みのポケミスで出したらあのスピレインの『明日よ、さらば』より薄くなるんじゃないか、という感じである。

 とはいえ巻頭の解説(この時期の論創の翻訳ミステリは今と違って、巻頭に少なめの分量の解説「読書の栞」が付記されていた)を読むと本作は<殺人事件らしいがなかなか死体が見つからない><死体の発見後もそれが該当の人物か確認困難>という絞り込んだネタのパズラーらしい。だったら紙幅が短い分、焦点の定まった謎解き作品が期待できるかも…との思いで読んでみた。
 ちなみにこのレビュー内のあらすじで、主人公(物語の語り役)のピットマン夫人に「(仮名)」とついているのは、作品本文中で同人が本名ではないが、この物語の中では便宜的にその名を使う、という主旨のことを言っているからである。なんかこの辺のいきなりのメタ的なギミックの導入も、面白くなりそうだな、と思ったんだけど……。

 結果からいうと物語に起伏もなく、さしたるサプライズも用意されず、かといってそんな大きな創意があるわけでもなく、正直、ソコソコの出来。
 いや一応、当時の(あるいは19世紀の末からっぽい)ミステリらしいトリックも用意されているんだけど、これって作中のリアリティを考えると絶対に(中略)。
 大雑把に言えば、洪水、失踪、当人かどうか確定困難の死体、そして……といろんなネタを盛り合わせた作劇は悪くなかったんだけれど、演出で面白く見せられなかった印象。作品内の随所では、ミステリらしいワクワクは感じないでもないのだが。
 
 まあ、評者がこれまで読んできたラインハート作品にしても『黄色の間』みたいに結構イケるのもあれば『レティシア・カーベリーの事件簿』みたいにひたすら眠くなるものもあったから、この作者の著作は玉石混交っぽい面もある。それを考えれば本作はまあまあ、ではあった。


No.507 6点 女の顔
新章文子
(2019/03/20 23:28登録)
(ネタバレなし)
「東洋映画」の専属女優で24歳の夏川薔子(しょうこ)は絶世の美貌を誇りながらも役者としては致命的なほどに演技力に欠け、東洋映画の主力監督で婚約者でもある倉敷保樹の手を煩わせていた。女優業からの引退を何度も考えながらも稀に演技や表現がうまくいった時の達成感と周囲の賛辞の味が忘れられない薔子は、転身する勇気も湧かなかった。映画製作の日程に空白期間を見出した薔子はカメラから逃げるようになじみの地・京都への旅路につき、そこで知り合った京大医学部のインターン・葉山努と肉体関係を結ぶ。今後の関係の継続を願う努を振り切って東京に帰る薔子だが、自宅で彼女を待っていたのは元女医であった実母・兼子の頓死の知らせだった。だが母の死の状況に不審を感じた薔子は…。

 ややこしい(今風に言うならめんどくさい、か)心情の主役ヒロイン像を主軸にした普通小説っぽい作りで開幕し、途中から殺人事件? フーダニットの謎? を追いかけるミステリっぽくなる。それでそれ以降は双方のジャンルを行ったりきたりするような、そんな感触の長編作品。まあ確かに広義のミステリの一冊ではあろうが、確実に謎解き作品またはサスペンスものの定石を外している。
 ただ読み物としては、この掴みどころのない感じの筋運びに妙な緊張感が見出せて、最後まで結構面白かった。
 今回は1984年の講談社文庫版で読んだけれど、巻末の解説は同時期の乱歩賞作家ということで多岐川恭が担当。その多岐川はくだんの1980年台前半の観点で、作者・新章文子の主人公・薔子の突き放した描き方がドライだと書いている。まあそれはそうなんだろうけど、21世紀の今読むと、自分の心のままに生きていこうと迷いながらも一歩一歩行動する薔子の描写って、当人の自由な心情をしっかり大事にされているようにも思えたよ。旧来の一般常識に照らせば相応に破天荒なヒロインではあるが、そういう意味では嫌いではなかった。
 といいつつ中盤以降の展開はかなりショッキングで、一体この作品どこへ行くのかと思ったが、まあ最後は……。後半の内容は半分許せて、半分認めたくない感じ。なかなか地味に刺激的な一冊であった。


No.506 6点 青春の仮免許(プレ・ライセンス)
大谷羊太郎
(2019/03/19 06:08登録)
(ネタバレなし)
 その年のある嵐の夜、関東の一角にある企業・明陽不動産に二人組の強盗が入る。強盗たちは宿直の社員二人を拘束して社内の金を奪ったのち、その賊を手引きしたと思われる会社の警備職の社員とともに逃走。だがその三人の姿は、犯行に用いられた車とともに瞬時に地上から消失した? それから二十年。東大受験に失敗した18歳の秀才・弓木(ゆぎ)雅彦は苦汁の浪人生活を送っていたが、その年の五月八日、彼の父親で印刷会社の社長である俊郎が謎の失踪を遂げる。それからひと月、雅彦は行方不明の父の捜索を警察にも願い出ていたが、担当のベテラン刑事・並木益雄はよくある蒸発だとして捜査に消極的だった。雅彦は自らも父の足跡を追うが、そんな中で彼が出会ったのは美少女高校生ライダーの蓜島(はいじま)早苗。早苗は五月九日に自殺したとされる実の姉・亜利子の死が本当は他殺だと確信し、証拠となる手掛かりと犯人を探していた。やがて雅彦と早苗、二人の捜索は奇妙な接点を示して…。

 1979年の書下ろし長編。時たま入るブックオフで本書の改題文庫版『5秒間の空白』があったので手に取ってみる。考えてみれば評者は、大谷羊太郎作品は初読であった。題名(元版の方)からしていかにも昭和の作品、80年台の若者向けミステリだが、たまにはこういうのも面白いかなと思って読んでみた。ちなみにどうでもいいがAmazonの古書価は元版が3万円以上(このレビューの投稿時点・一応複数出品)でビックリ! 自分が見つけた文庫版の方は100円均一だったんだけど(笑)。

 平明で嫌味のない文章はとてもリーダビリティが高い。それで元版の題名からも自明な通り、本作の主題の一つはオートバイ。親一人子一人の生活からいきなり父親を奪われて自立を強いられる主人公・雅彦の成長ドラマが、その父親が愛好していたバイク趣味に雅彦自身が傾注していく流れとシンクロしながら語られる。
 作者自身がバイク大好きなんだろうけれど、モータースポーツにほとんど興味のない自分のような読者でも、免許取得の苦労と達成感、車種選定のノウハウ、油断した路上でのケガ、先輩ライダーである早苗との交流……などなどの叙述を介してぐいぐい引き込まれる。熱い。本筋のミステリの方にもちゃんとバイクによる追跡劇(そしてさらに…)を設けるあたり、作者なりの工夫とサービス精神が感じられる。
 ミステリとしては冒頭で提示され最後の最後まで引っ張られる人間消失の謎とトリックとか、(中略)な犯人の扱いとか得点も少なくない一方、人間関係が狭すぎたり、意外な真相が探偵役や警察の捜査や推理ではなく関係者の自供によって判明したりとかの短所もあり、平均すると中の中くらいか(ただし謎解きネタの積極的な詰め込み具合には、独特のパワーを感じる)。
 ミステリの興味を補強する部分が、前述の青春バイク小説としての熱量。いや、ミステリにそんなもの求めてはいないんだよ、バイクなんかどうでもいいんだよ、という自分でも結構面白く興味深く読めたのだから、これはホンモノじゃないかって(笑)。
 作者がミステリとしての作劇・構想上のノルマを一応は果たしながら、一方で自分の領分の好きなことを書いて相応の成果を上げた感じ。こういうのもまあ、いいでしょう。


No.505 7点 デリケイト・エイプ
ドロシイ・B・ヒューズ
(2019/03/17 20:49登録)
(ネタバレなし)
 我々の現実とよく似たもう一つの世界。そこでは第二次世界大戦が12年前に終結。敗戦国である日本という国家は消滅し、ヒットラー率いるナチスが滅び去ったドイツは国際連盟の監察下に置かれていた。しかし今現在、穏健な仮面の下でタカ派ドイツの再興を目論む連中が暗躍を開始し、世界情勢の鍵は人口が加速的に増殖する黒人たちの国家連合「赤道アフリカ」の動きが大きく影響することになっていた。そんな緊張下、人類の平和を祈念する国際機関「平和局」の局長サムエル・アンストルーサーは世界の危機を回避するため、赤道アフリカの代表であるファビアン国務卿のもとに向かうが、その途上で暗殺者の標的となった。平和局の次官のひとりでアンストルーサーの意志を託された青年ピアズ・ハントは、近日中に迫る世界平和会談の日まで上司の死を秘匿したまま対策を図るが、そんな彼の前にドイツのタカ派たち、さらには平和局内部の軋轢、そして……さまざまな障害が立ちはだかる。

 1944年(!)のアメリカ作品。つまり作者ヒューズは第二次世界大戦のまだ継続中、ヒットラーもまだ健在な時期に、連合国側が勝利した前提の戦後の近未来設定で、さらなるナチス(的な)ドイツが再興する脅威と、それに挑む諜報員の苦闘を書いた訳で、この文芸設定を認めたときはちょっと驚いた。
 とはいえまあ日本でも戦時中の児童向けSF冒険間諜小説なんかで、今後の未来性を予見したり願望した内容のものなんかはありそうだし、そういう流れで考えればそれほど驚異ではないのかもしれない。それでもマクロイの『逃げる幻』なんかがほとんど終戦と同時に刊行されたことと合わせて、当時の欧米の作家はやはり余裕があった、という感じも強いが。日本なら、岡山で終戦と同時に快哉を上げた横溝正史の姿と心情の方がピンとくる。

 作中の時代設定は明確にされていないが(この世界の第二次大戦がいつ終結したかはさすがに明記されていないので)、まあ現実に則して1950年代の終盤あたりの出来事か。そんな時局のなかでの主人公は平和局次官の一員であるピアズ・ハントであり、彼が親善を装うドイツ側と腹の探り合いをしながら(ピアズ自身のプライベートな過去にからむドラマも語られる)、一方でそんなピアズから、公式にはまだ行方不明なままの局長アンストルーサーについての情報を聞き出そうと、ドイツ側、平和局の同僚、さらにはアンストルーサーの実の娘ビアンカやNY警察までが接触を図ってくる。やがて読者はある種のマクガフィンの存在や、ピアズが局長の死をぎりぎりまで隠蔽する事情をテンションの中で少しずつ小出しにされ、その辺がエスピオナージュとしての本作の読みどころになっている。
 作品そのものが書かれた現実的な時局、さらには世界平和を求める主題が相乗して独特の迫力を放つ一冊。本書刊行の背景には、悪く取れば、もちろんある種の国策的・プロパガンダ的な一面(もっと?)もあるんだろうけど、クライマックスのピアズそしてファビアンの描写など、問答無用に魂に響く。ミステリフィクションの中に当時の時代性の一端を探りたい人は、一回は読んだ方がいいだろう。
 解説では本作と作者を語るなかで「文学的スパイ小説」の見出しがついているけど、こういった準SF設定を盛り込んだスパイ小説+人間ドラマとして確かに読み応えはあった。
 ちなみに題名の「デリケイト・エイプ」とは、小説の終盤でピアズの想念に浮かぶ「上品な体裁や贅沢さを忘れることができず、葉のしげる安全な高い木の上にいて(自分たちの欲望や思想を満足させるために)戦争を駆り立てる猿人(のような人間)」の意味。ポケミスの表紙はすごい印象的な具象画だけど、さすがにこのニュアンスまでは拾い切れてないねえ。
 翻訳は古いものながら、時代を考えればかなり読みやすい方だと思う。冒頭のウールリッチを思わせる叙情的な雰囲気なんか結構いい味を出してる。


No.504 8点 銀の仮面
ヒュー・シーモア・ウォルポール
(2019/03/17 13:42登録)
(ネタバレなし)
 ホレス・ウォルポール(『オトラント城奇譚(綺譚)』)の子孫で、日本では本書の表題作にもなっているイヤミス名作短編の作者として知られる、ヒュー・シーモア・ウォルポールの傑作短編集。
 国産ミステリの実作者としても有名な倉阪鬼一郎がウォルポールの原書短編集3冊を読み込み、その中から非スーパーナチュラル系の短編6本、幻想と怪奇、綺譚風の5本と計11編の短編を選出して翻訳した日本オリジナルの短編集。それだけ編訳者の思い入れのこもった愛情あふれる一冊だといえる。

 評者も多くのミステリファン同様に? 短編『銀の仮面』には強烈なインパクトを受けたものの、大系的にウォルポールの作品群をまとめて読んできた訳ではなかったが、このたび思い立って本書を手に取った。就眠前の時間を中心に、実動4~5日くらいで読了(一本だけの日もあれば、4本まとめて読む日もあった)。

 大半の作品が人間関係の綾というか主人公と他者との関係性から生じるストーリーなのはいかにも短編『銀の仮面』の作者らしいが、意外なのは必ずしも作品が悪意的なシニカルさを軸とするのではなく、時には優しさの行き違い、あるいはタイミングと置き場所を取り違えた思いやりの危うさ、といった切なさのようなものまで描かれること。あの『銀の仮面』の作者だから、ほぼ全部の収録作品が、藤子不二雄A先生調の泥臭いブラックユーモア路線かもしれないと覚悟していたのに。
 あと印象的なのは、随所に「読者はここでこう思うだろうが」とか「この手の小説なら従来は~」とか、メタ的な記述が自在に織り込まれること。必ずしも効果を上げてるとはいいがたい印象もあったが(倉阪訳のうまさもあって語り口は巧みでどの短編もスムーズに話に引きこまれるのに、時たまその手の記述のために、水を差されるような感を抱いた)、この辺も作者の個性だったかもしれない。
 
 以下、簡単に各話の寸評&メモ。
<第一部・非スーパーナチュラル編>
『銀の仮面』
 やはり名作。もちろん21世紀の時点で見れば、主人公が最悪の危機を脱する機会は何回かあるようなところも見受けられるが、再読してみると覚えていたより短めの作品で、それだけに勢いで最後まで読者を乗せてしまう強みも感じた。

『敵』
 これ以下は全部が初読だが、この一編で『銀の仮面』のウォルポールの印象が大きく変わった。自分の生活・人生に入り込んでくる他者という主題は『銀の仮面』と一緒だが……。ラストは深読みすれば悪意的にとれないこともないが、個人的にはあえて(後略)。

『死の恐怖』
 シニカルな話だが、どっか切ない読後感がいい味を出している。エリンの短編とかに近いかも。

『中国の馬』
 経済的な苦境から、独身の中年女性が自慢の屋敷を他人に貸す話。話の流れは読めるところもあるが、短編形式としてのストーリーテリングぶりでは本書のなかでもトップクラスか。

『ルビー色のグラス』
 男児が主人公の、幼い屈折心を描いた話。こっちはダールかスレッサーの短編とかを想起させる。仕上げが鮮やか。

『トーランド家の長老』
『銀の仮面』のウォルポールらしいイヤな話。ただしこちらは陽性のブラックユーモア感で、妙に心地よい。

<第二部・スーパーナチュラル編>
『みずうみ』
 王道的なホラーストーリー。中盤までのドラマの機軸が人間関係の摩擦なのは、とても作者らしい。

『海辺の不気味な出来事』
 本書の中で一番短い話。その割に技巧的で、ある意味でメタ的な部分もあるような。

『虎』
 英国の青年が渡米して、猛獣の幻想におびえる話。本書の中では比較的長め(といっても30ページ弱)だが、語り口のうまさを満喫。ラストはもうちょっと違った感じでも良かったかも。

『雪』
 モーリアの『レベッカ』みたいな設定で本当に……。正統派の不条理&理不尽ゴーストストーリー。良くも悪くもマトモな怪談。

『ちいさな幽霊』
 死別した友人を寂しく偲ぶ幽霊譚かと思いきや、こういう方向にまとめるとは。これはほとんど、あの(中略)の、かの名作短編。万が一、向こうの作者に影響を与えたといっても、十分に納得する内容。

 旧時代の古色を感じる話もあるけれど、読んで満足の良質な短編集。評点は、編訳者の企画力と御尽力に敬意を表して0.5点オマケ。
 巻末の千街さんの詳細で丁寧な解説(広義の意味で『銀の仮面』と世界観を共有する作品があるという情報には驚いた!)を見ると、ウォルポールには広い意味での長編ミステリも意外に多く(もちろんどれも未訳)、中にはあのJ・B・プリーストリー(『夜の来訪者』)との共作などもあるというから、面白そうなものはどんどん発掘紹介してほしい。

【2019年7月31日追記】長編ミステリは未訳と書いたけれど、2004年に一冊『暗い広場の上で』というのがポケミスから刊行されていたらしい。不覚。そのうち読んでみましょう。


No.503 5点 魔王サスペンス劇場 土けむりダンジョン、美人勇者殺し
丹羽春信
(2019/03/14 18:36登録)
(ネタバレなし)
 どこかの異世界。レジェンド級の勇者ラトから、その強大さを称えられた魔王ルート。200歳前後の寿命を重ねながらも容姿と精神年齢は10代の少年のような彼は、自分を討伐しようとする勇者たちのパーティを28年ぶりに迎える。だが一瞬、魔王の間が暗闇に包まれた直後、5人の勇者の中で最強格の女性レクシアの体を長剣が貫いていた。彼女を殺した者は、勇者たちと魔王を含めてこの中にいる? 一同は互いの推理と思いつきを交換するが。

 作者自身があとがきで「ミステリー風味のドタバタ・ギャグ小説」と語っているからマトモなミステリ作品として評価するべきではないかもしれない。ただしそれでも少なくとも途中までは、徐々に明らかになる被害者の意外な顔とその上での矛盾、各容疑者の動機を精査していくなかで見えてくる疑念、その繰り返し…などなど、普通のフーダニットパズラーとして読んでも割と面白い?
 異世界ファンタジーの条理として主人公格の魔王ルートが用いる魔法も事件に関係する過去のエピソードを眼前に引き寄せながら、その上で随所に覗く複数の矛盾や疑問点から真相を隠蔽する要素を切り崩しにかかる。ここまでやるんなら、全体の味付けは異世界ドタバタコメディでも別にいいけれど、事件そのものはまっとうに(異世界の条理にもとづいたとしても)ロジカルにマトモなミステリとして決着させてほしかったなあ、と。
 いや、作中世界では一応はロジカルにカタが付くんだけどね、そこに行くまでが読者との知恵比べになってない。この作品特有の魔法ルールとか世界観とか、伏線や前振りもなしに、いくつかいきなり飛び出してきちゃってるので。
 うーん、もったいないなあ。最後の意外な真相を見ても作者は結構、新本格的なミステリセンスはありそうなんだけど。編集者の方でマトモな謎解き作品にすることはないよって、ブレーキかけちゃったのかしらん。あるいは何らかの制約(時間的な締め切りとか、伏線を入れるので紙幅を費やしちゃいそうとか)で作者自身が断念したか。どっかに変わったフーダニット(っぽい? 一冊)がないか、という人は、一回読んでみてもいいかもしれない。最後まで楽しめるかどうかの保証はできないけれど(汗)。


No.502 5点 五時から七時までの死
アンドレ・ポール・デュシャトー
(2019/03/14 02:49登録)
(ネタバレなし)
 保険会社「オムニ・リスク」の女性事務員で26歳のヒルダ・ポレは、深く愛していた母としばらく前に死別。同性の同僚ニコール・クラエッセンや伯母ジェルメーヌなどとの付き合いはあるが孤独を癒やすことはできず、母の死以来、生きる気力が著しく減退していた。ヒルダは自殺を図って致死量の睡眠薬を飲むが、その時かかってきた間違い電話に応じ、相手の男性に自分が死の域にあることを何となく伝えてしまう。生きるようにと強い気迫で励ます相手の男は強引にヒルダの名と住所を聞き出し、医者を急行させて自分もヒルダのもとに赴いた。成り行きから自分の命を救った男に心引かれていくヒルダ。だが男=ルイ・ドゥロモンはちょうど会社での自分の部下レイモン・ヴェルジェの妻ジャニーヌと不倫関係をこしらせている状況だった。錯綜する人間関係のなかで、ヒルダの迎える運命は。

 1973年のベルギー作品で、74年度のフランス推理小説大賞受賞作品。フランスミステリのシンパとして本書巻末の解説を担当した日影丈吉によると、同賞は74年内に刊行された自国の作品のみならず、同年にフランス語に翻訳された海外ミステリも受賞の対象になるらしい。日本でいえば日本推理作家協会賞の本賞を、話題の翻訳ミステリに与えるような感じか。
 主要登場人物も少ない、いわゆる名探偵も登場しない、紙幅も少ない、ある種の技巧を用いたサスペンス仕立て……と、コテコテのフランスミステリ(ベルギー産)だが、本作の場合は巻頭の献辞がかのベルギーミステリ作家の大先輩S・A・ステーマンに捧げられていて、それもあって、ちょっと興味を惹かれた(ついでにいえば作中でヒルダがニコラス・フリーリングの『アムステルダムの恋』を読んだりするのも楽しい~ちなみに本書内では「アムステルダムの愛」と書名を表記……。ハヤカワ、自分とこで出している本だろう、しっかりせい)。
 中盤で視点がヒルダから別のキャラに変わり、少しずつ人間関係が明らかになっていく内に作者の狙いはなんとなく見えてしまうが、それでも物語がどういう着地点を踏むのかという興味でそれなりに読ませる。ラストのツイストはキレイに決まった感じだが、まあ先読みしてしまう人はしてしまうだろう。実際、このまんまでないにしても、かなり近いオチはもっと古い作品で読んだような気もする。キライじゃないけれど、2~3時間くらいで一気に読んで、何かを感じればよい、そんな作品。 
 ところでこの作者、Amazonで名前からのリンクをたぐると他のミステリ小説の邦訳はないけれど、ルブランのルパンもののコミカライズシリーズ用の文芸を提供してるのね。コミック作画のために原作をアレンジしたシナリオ作成か。日本で言うと氷川瓏とか武田武彦とか、そういうポジションかね。


No.501 6点 仮面劇場
横溝正史
(2019/03/12 17:52登録)
(ネタバレなし)
 昭和8年6月11日。瀬戸内海の観光船N丸は、洋上に浮かぶ箱のような筏(いかだ)のような、奇妙な一艘の小船に遭遇する。その船上にはガラス製の棺が設けられ、中には19~20歳と思われる絶世の美青年が死んだように眠っていた。そしてその脇に置かれた「盲にして聾唖なる虹之助の墓」と書かれる紙片。たまたまN丸に乗り合わせていた鎌倉の富豪で美貌の未亡人・29歳の大道寺綾子は、どのような経緯でこのような目にあったかも不明な虹之助を不憫がる。そんな綾子は同じN丸で知り合った名探偵・由利麟太郎の、もう少し冷静に、勢いで行動しないように、という忠告も聞かず、美しい三重苦の若者の後見人を買って出た。かくして大道寺家に迎えられた虹之助。だがこれこそが、綾子の恋人である冒険家・志賀恭三、そして彼の親族である甲野家の面々を震撼させる地獄絵巻の幕開けであった。

 昭和13年の「サンデー毎日」に原型の中編版が連載され、昭和22年に大幅に加筆改稿されて長編化された由利先生ものの一本(長編版の初刊行時の題名は『暗闇劇場』)。
 評者は大昔の少年時代に角川文庫版で最初に手に取ったものの、盲聾唖の美青年が(戦前の昭和とはいえ)現代の日本国内の洋上に、死装束で棺型の船に乗せられ漂ってくるという物語のいきなりの開幕に、あまりにも紙芝居だと爆笑してしまい(もちろん現実の身障者の方々を揶揄する気などは、本気で毫ほども無いが。ついでに言えば紙芝居という大衆文化も、真顔では軽視してません)、序盤で読むのを中座。それ以来何十年も放っておいた。ああ、人生のなかで自分は何回、「盲にして聾唖なる虹之助の墓」の一文を思い出しては笑い転げたものか。

 それで今回、柏書房の「由利・三ツ木探偵小説集成」の三巻にしっかりした編集で収められたのを良い機会と思って、例のごとく<長きにわたるミステリ読者ライフの宿題のひとつ>に挑戦してみたワケである。
 はたして久々に目にした冒頭の外連味はもはやパブロフの犬なみにまたも評者の爆笑を誘ったが、中盤以降の怪異な連続殺人のスリラー劇、そしてその上で狙い定められたフーダニットパズラーとしての面白さはなかなか読ませた。ちょっとしたミステリファンなら海外の某名作やのちの横溝自身のかの著作などを連想させるところもあるだろうが、その辺はその辺で横溝ファンの末席のひとりとして興味深い面もある。
 真相の意外性については特に(中略)などのポイントにおいて今でも論議を呼ぶだろうが、当初から作者はこの構想のもとに本作を綴ったのだろう。個人的には、これまで読んだ横溝の諸作のなかで、最も20世紀終盤からの新本格パズラー群に近しい味わいを感じた。近く原型の中編版の方も読んでみよう。

 最後に、さらば、虹之助。とにもかくにも本書にカタをつけて一編のミステリとしての見極めをした現在、もはやこれまでのようにキミのことを思い出しただけで爆笑することはあるまい。 


No.500 5点 地図にない谷
藤本泉
(2019/03/11 01:27登録)
(ネタバレなし)
 1970年代初頭のその夏。都内で同棲相手と別れた女子大生・帯金多江は、故郷である長野県、諏訪湖周辺の山村・鬼兵衛谷に帰郷した。地元の風土に関する研究レポートをまとめようと思う多江は、疎遠になっていた婚約者の若者「モン」こと五代目・田代門左衛門に再会。モンもまたしばらく前に東京の大学から帰ってきた身である。モンは多江に、さらに山奥の死人沢で原因不明の変死が毎年頻出している情報を伝え、ともに調べないかと申し出た。だが多江の母親で、鬼兵衛谷の大地主でもある未亡人・静野はなぜか多江の調査に猛反対した。自分の意志でモンとともに死人沢に赴いた多江は、土地の人々が続々と頓死する謎の風土病「いきなり病」の存在を知るが、事態の奥には彼女たちの想像を絶する真実が秘められていた。

 すでに1968年にプロ作家としてデビューしていた作者が「藤太夫谷の毒」の題名で1971年度の第17回乱歩賞に応募し、最終選考まで残った作品を改稿して1974年9月に産報から刊行したもの(2019年3月現在、Amazonには元版の書誌データがないが)。

 評者は今回、後発の徳間文庫版で初めて読んだが、巻末の中島河太郎の解説を先に目にすると、作品そのものの完成度は高いが、土着的なテーマがきわどく公的な刊行物として容認すべきかどうか、乱歩賞の時点での選考委員の間で揉めたらしい記述があった。それゆえコレは部落問題とかハンセン氏病などを扱った作品だろうかと思いきや、そういう分かりやすいものではなかった。
 もちろんここでは詳述は控えるが、個人的には一読してどこが微妙なのかはまあ分かるものの、それほど気にする文芸設定ではないような思いも抱いた(万が一、本書を読まれた上で、評者の見識とは異なって、何か不快に思われた方がいたらそれはお詫びするしかないが)。

 評者が藤本作品を読むのはこれが初めてだと思うが、筆力そのものは信頼できる書き手と思うし、小説の地の文の求心力も申し分ない。ただし個人的には、21世紀の今となってはもう動機や事件性に関する観点がやや古い感じがしないでもない。限定された舞台の閉ざされた場での物語ながら、ほぼ半世紀前の昭和ミステリという時代性は常に意識しながら読むべき一作だろう。
 さらに作者の方にも、物語上のサプライズやストーリー面でのツイストをことさら押し出す意識もあまりないようなので、読者はとにかく主人公の視点にそのまま付き合い、提示される物語の流れにただ乗っかって消化していくのみ、という感じである。
 お話そのものに起伏感はあるので読んでいてつまらなくはないが、あまりミステリ的なときめきもない。そういう意味では困った作品。犯人役というか、悪役のキャラクター像はなかなか印象に残るけれど。

 あと主人公コンビの設定は、素直な1960年代少女マンガのラブコメにしたら照れ臭いので一回捻りましたという趣。この辺は微笑ましい。それから映画好きである主人公コンビの話題や記憶の中に、トリュフォーの『黒衣の花嫁』やアンブラーが脚本を書いた『SOSタイタニック』さらにはW・マーチ原作の『悪い種子』など、旧作ミステリファンにはおなじみの題名が続々と出てくるのは楽しかった。


No.499 8点 砂の渦
ジェフリイ・ジェンキンズ
(2019/03/08 21:47登録)
(ネタバレなし)
 1959年のアフリカ南西。「私」ことトロール船「エストパ号」の船長ジェフリー・マクドナルド(本名ジェフリー・ピース)はある夜、胡散臭そうな学者アルバート・スタインから仕事の相談を持ち掛けられる。それはアフリカの一定の内陸部に棲息する希少種のカブト虫を調査するため、激流に囲まれ、船の座礁の危険度も極めて高い遠浅の海岸「骸骨海岸」へスタイン当人を搬送する依頼だった。だが骸骨海岸とその向こうの広大な砂州「クルバ・ドス・ドゥナス(砂の渦)」こそ、ジェフリーの祖父で旧世代の海の男だったサイモンが私有地(遺産)として孫に遺した、とある秘宝の眠る辺境の英国領だった。そしてその地は、かつて第二次大戦中、英国海軍の潜水艦艦長だったジェフリーにとっても深い因縁の戦場であった。骸骨海岸周辺の危険さを知るジェフリーはスタインの依頼を断るが、そんな彼を予期せぬ事態が待っていた。

 1959年のイギリス作品。作者ジェキンズは1970年代の半ばから80年代にかけて日本でも何作か長編が紹介された冒険小説作家。ハモンド・イネス系列の正統自然派冒険小説の流れを汲みながら、当人が南アフリカ連邦で生を受けたこともあって、アフリカを舞台にした作品が多いのが特徴だった。
 とはいえ評者なんかは日本に初紹介の長編『ハンター・キラー』(これもアフリカが舞台の潜水艦小説)を読んで普通に面白いな、と思ったものの、<その著作の大方が、読めば一定の満足度を得られるであろう、安定感のある英国冒険小説作家>という感じで心の中の棚に上げておいて、何冊か購入したハズの本も例によってツンドクのままだった(汗)。
 それで少し前に本当に久方に気が向いて、ジェンキンズの処女長編である本作を手に取った。今回、評者の興味を強く推したのは、邦訳書(パシフィカ版。作者名ジェフリー・ジェンキンズ表記)の裏表紙にも引用されている、かのイアン・フレミングの生前の賛辞「高級で創造的な冒険者たちの伝統の中から生まれたはじめてと言って良いほど洗練された想像力にあふれた作品だ」(サンデイ・タイムズ)である。……なんか無茶苦茶褒めてるじゃないの? ホントなの!? という感じであった。
 
 そういう流れで読み始めたこの一冊だが…いや、これは、確かに面白かった。
 アフリカ陸海の過酷かつ多様な自然をイネス風の立体感ある筆致で書きこみながら、一方で物語の中盤から主人公ジェフリー・ピースの大戦中のドラマチックな秘話にも迫る。そしてそこで語られたある印象的な出来事(結構ケレン味豊かなネタが出てきてビックリ!)、さらに祖父のサイモンが遺した秘宝? の謎と、複数の物語の要素を現在形の冒険ドラマの中に巧みに組み込みながらストーリーを進めていく(中盤から登場する、過去のある学者ヒロイン、アンネ・ニールセンのキャラクターもいい)。
 そんなもろもろの小説要素を鮮やかに束ねた後半の展開は、実に見事な燃焼感と独特な情感を評者に抱かせた(あまり詳しく書くとネタバレになるので控えるけれど)。
 特に、後半の秘境冒険小説的なイベントの連続を経た終盤のサプライズは、ああ、ここでこう話がリンクするのか! とハタと膝を打った。
 読んで良かった優秀作。
 
 ちなみにフレミングが『ダイヤモンドは永遠に』を著したのは56年で本作の数年前だから、当人にとってアフリカのダイヤ採掘という小説的主題(本作にも少しダイヤ採掘の件は物語の要素として出てくる)は本書刊行の時点では過去のものだったろうけれど、後進の作家が自分の作品と接点のある題材で、勢いのある新規の物語を紡いだのが相応に嬉しかったのではないか。先に紹介した賛辞をとりあえず素直に受け取りながら、評者は勝手にそんなことを考えたりしている。
 そのうちまた、ジェンキンズ読もう。自分にとって、良い意味で第二のイネスみたいなポジションになってくれればいいなあ。 


No.498 6点 断片のアリス
伽古屋圭市
(2019/03/07 19:29登録)
 西暦2130年前後。人類は、地球全体を襲ったかつての大災害のために総人口の大半を失っていた。寒冷化した地球全土で暮らす人々は「アリス」と呼ばれる仮想世界を構築し、もうひとつの現実としてその中でも生活する。今では多くの人間が現実ではなく、そのアリスの中で就業して収入を得るほどだった。そんなある日、「わたし」=「ハル」こと椎葉羽留は何者かの意志によってそのアリスの通常世界と途絶された、別の電脳クラスタに放り込まれ、そこでピノッキオ風のパペットのようなアバターを与えられる。ハルは同じような立場の男女たちと出会い、ともに、謎の意志が提示するクエストに向かっていくが、そんな彼らの中で<連続殺人>が発生。仲間がひとりひとりと消えていく。

 持ち芸の幅の広さを誇る作者の、今回はSF設定のフーダニット。<謎の意志によって集結させられた見知らぬ者たち>という『そして誰もいなくなった』を思わせる、クローズドサークルものの変種といえるシチュエーションが用意されている。
 特に作中人物が次のステージに移行する時は仲間の誰かが死ぬときというシステムが謎の意志によって設けられ、そのために登場人物は、お互いが現状を打開するために誰かを殺そうという殺意を秘めているのでは? という疑心暗鬼にも駆られる。この辺のサスペンスの盛り上げはなかなか効果的だ。

 特殊な設定ながら、フーダニットのミステリとしては存外に普通の作りで、ことさら本作ならではのSF設定は謎解きにはからんでこない。通例の現実の現代を舞台にした謎解き作品でもありそうな手がかりと伏線から、真犯人は導き出される。その辺は謎解き作品として手堅いともいえるし、意外にフツーだなという感覚もなくもない。
 ただし本作のさらなる価値は、終盤のもうひとつの意外性にあるだろう。決して斬新なものではないネタだろうが、物語との親和性は非常に高く、独特の結晶感を感じた。深い余韻に包まれながらページを閉じることができる一冊で、佳作~秀作。


No.497 6点 キルケーの毒草
相原大輔
(2019/03/05 18:58登録)
(ネタバレなし)
 時は大正。帝都新聞の記者で新進の怪奇小説作家でもある青年・木村敬介は、懇意にしている叔父夫婦と別れたその夜、ある人物と出くわして、妖しい怪異譚を聞かされる。だがその後、敬介は人々の前から姿を消した。やがて敬介の知人の若き小説家・鳥部林太郎は、消息不明になった同人の手がかりを求めて捜索を開始。鳥部は、敬介の知己である奇矯な言動で有名な華族・桐嶋秀典男爵の屋敷を訪れるが、そこで彼は旧知の遊民・大島耿之介に再会した。しかし桐嶋家の周辺ではかねてより家人の突然の失踪など怪異な事件が頻出しており、今また鳥部と大島の前で新たな惨劇が……。
 
 『首切り坂』に続く、鳥部林太郎と大島耿之介コンビシリーズの第二弾。……とはいってもこの作品が書かれてからすでに、特にその後の動きがないまま14年も経ってるんだから、おそらくシリーズはこのままここで終るであろう。
 本作はカッパ・ノベルスの書下ろし、二段組みで500ページ強。たぶん原稿用紙で1000枚前後のボリュームで、錯綜する事件のボリューム感も絶大。紙幅的に軽め、内容も言ってしまえばワンアイデアストーリーだった前作とは大きく様変わりしている。ここまで極端なシリーズ展開も珍しい……かな(何か前例がありそうでもあるが)。

 新登場のキーパーソン・木村敬介が接する怪異譚の叙述をプロローグに、鳥部が登場してからは舞台が桐嶋家にほぼ固定。『ワイルダー一家』や『屍の記録』を思わせる世代を超えた家人消失の謎などもからんで、じわじわと物語を盛り上げていく。
 とはいえさすがに分量的に長すぎて疲れるのは必至だが(汗)、前作同様になかなか文章が達者なのでその辺で読ませる強みはある。中盤で大きな事件が起きてからは加速度がいっきに高まり、終盤の二転三転する謎解きはぐいぐい引きこまれた。
 最後に行き着く真犯人の意外性とその動機(というか背後事情)はかなり強烈。その分、真相はかなりぶっ飛びすぎていて、今回もとどのつまりはまたアイデア先行? ……と思いきや、たしかに作品の前半から件の部分について作者は布石を張っている。疲労感すら覚えた長さだけど、この解決に至るまでのいろんな意味での段取りとして、これだけの紙幅を書き手が必要としたのはまあわかった。
 終盤、メインの事件の真相が判明したのちの意外なツイストは部分的には先読みできたが、描写の比重のかけ方に作者なりの意気込みが覗けて印象深い。
 全体のバランス感でどうも違和感を拭えない面もあるので秀作・傑作だとは言いがたいが、豊富なネタをつめこんだ力作なのはマチガイないだろう。特に19章以降の、いかにも新本格的な謎解きはニヤリとさせられた。

 改めてこの作者の方、今はどうしているのかね。前作と本作の差別化具合を考えるなら、三作目にどういうものが来ていたか、なかなか興味深かったけれど。00年代の新本格シーンにおいては、探偵役の主人公コンビのキャラクターの薄さは弱い部分があったかもしれない。


No.496 6点 十三の謎と十三人の被告
ジョルジュ・シムノン
(2019/03/04 19:59登録)
(ネタバレなし)
 1929年から30年にかけて執筆されたシムノンの初期作品で連作短編ミステリの三部作「13(十三)シリーズ」、その二作目と三作目をまとめたもの(第1作『13の秘密』は創元推理文庫からほぼ半世紀前に既刊)。
 そういえば『十三の謎』の主役探偵「G7」は、大昔の少年時代にどっかの某・新刊書店で、古書ではない売れ残りのポケミスのアンソロジー『名探偵登場』の第6集を買って「シムノンの作品だけど、メグレじゃないの? 誰だこれ?」とか何とか思ったことがあったような気がする。評者みたいなジジイのミステリファンにとっては、そういう思い出のキャラだ(笑)。

 内容の方は一編一編の紙幅が少ないものの、(本書の巻末で瀬名秀明氏が語っているとおり)シリーズの初弾『秘密』から本書収録の『謎』『被告』と順繰りに読んで行くにつれて、初期のシムノンの作家としての形成が覗けるような体感がある。評者はたまたま数年前に『秘密』を初めてしっかり読んだんだけど、その印象が薄れないうちに本書(『謎』『被告』)を通読できてラッキーだった。普通の? パズルストーリーからシムノンらしい作家性の萌芽まで、三作の流れにグラデーション的な味わいがあってそれぞれ面白い。どれか一作といえば、「ホームズのライヴァル」の時代の連作ミステリ的な結構のなかにチラチラシムノンっぽい香りが滲んでくる『十三の謎』が一番よかったかな。「古城の秘密」の王道ミステリ的などんでん返し、「バイヤール要塞の秘密」のなんとも言えない無常観、「ダンケルクの悲劇」のそういうのあるのか!? という幕切れ。それぞれが味わい深かった。『被告』の方もバラエティ感があって悪くないけれどね。
 
 ちなみに前述した本書の巻末の解説は、いま現在、日本で一番シムノンに愛を傾けているであろう作家・瀬名氏による書誌資料的にも貴重な記事で、読み応えたっぷり。これだけでも本書を手に取る価値はあろう。「メグレ前史」の四長編(シムノンがペンネームを確立する前に別名義で書いたという本当の意味で初期のメグレもの。カーのバンコランの『グラン・ギニョール』みたいなものか? 向こうみたいに後続作にリメイクされたかどうかは知らないが)、ぜひ翻訳してください。
 まあ、今のミステリファン内のシムノン固定客の掴みぶりを考えるなら、黙っていても数年内には邦訳刊行されそうな気もするが。


No.495 6点 ダイヤルMを廻せ!
フレデリック・ノット
(2019/03/03 03:29登録)
(ネタバレなし)
 同名のヒッチコックの映画版で日本でも著名な、1952年に英国で初演されたオリジナルミステリ劇の戯曲の邦訳。巻末に質量ともに素晴らしい町田暁雄氏の解説がついているが、それによると今回の翻訳は、改訂が加えられた1953年の米国版をベースにしたそうである。

 本書を読む前に復習にと思い、実にウン十年ぶりにヒッチコックの映画版を視聴した。結局、その原作となるこの戯曲版のストーリーは映画と8~9割方は同じなので、内容的には再履修するような感じであった。読みながら当方が気がついたわずかな異同は、ほとんど、より緻密に愛情を込めて巻末の解説で言及されているし、読者としては立場がない(笑)。
 一読しての印象だけいえば、目で会話とト書きだけの物語を追い掛ける分、色彩豊かな映像や音感での補強がある映画版とはまた異なった凝縮感は得られたが。

 ちなみに前述通り、本当に充実していて教えられることも多い解説だが、あえて重箱の隅で一つだけ(汗)。
 作者フレデリック・ノットは本作や『暗くなるまで待って』などオリジナルのミステリ劇を3本書いたほか、他の作家のいくつかのミステリ小説の戯曲化などもしていたそうである。それでその中のひとつが「トマス・スターリングの小説から脚色した<MR.FOX of Venice>(1959年)という戯曲である。」(巻末の解説そのまま)だそうだけど……スターリングでベニスでフォックス氏といえば、これはもうポケミスから刊行されている『一日の悪(わずらい)』のことでしょう。原題は違うけれど。作品名を書かないことは別段マチガイじゃないけれど、クラシック主軸のミステリファン向けの叢書なんだし、ネタバレにでもならないのならそこまで触れておいた方が絶対にいいよね?
 町田氏の知見の内になかったとしても論創の編集側から、該当の原作に翻訳があることとその邦題くらいは教えてあげてほしかった。まさか知らないワケはあるまいし。


No.494 5点 赤猫
柴田哲孝
(2019/03/02 19:28登録)
(ネタバレなし)
 1996年12月。練馬区で大火事が発生し、現場から71歳の男性・井苅忠次の焼死体が発見された。井苅の死は放火殺人によるものと判明し、さらに現場から、彼の年の離れた妻・鮎子を名乗る女性が行方をくらましていた。鮎子に嫌疑がかかるが、捜査は事実上の迷宮入りとなる。そして20年の時が経ち、同件を担当した今は退職直前の石神井署のベテラン刑事・片倉康孝警部補は、改めて現在の視点から、この事件に取り組むが。

 石神井警察署・片倉康孝警部補シリーズの第三弾。今回は秀作だった第1作『黄昏の光と影』の路線に戻り、またも数十年単位で昭和史を縦断するダイナミズムを披露してくれる。その意味では水準以上の求心力があってとても結構なのだが、そういったタイプの作品ゆえに登場人物の総数も名前が出てくる者だけで60人前後にも及び、物語の錯綜ぶりもハンパではない。『黄昏』はその辺りはもう少しうまく流れを捌いていたと思うし、実際の昭和史とのリンクも鮮やか、何より最後のどんでん返しも決まっていた。今回は同じラインを狙ったのはいいが、いろんな意味で先行編の縮小再生産&消化不良に陥ってしまった感じがある(細部がきっちり明かされない、舌っ足らずな部分も少なくない)。あと結局、作品の中盤で若手刑事の須賀沼が指摘した(中略)の件って、なんの意味も無かったんだよね?
 本編そのものには勢いがあって読ませたけれど、最終的な完成度と新味においてはいまひとつふたつ、というところ。ミステリ的な最後の決着もアレだし。

 片倉と智子さんの復縁関係が一歩下がって二歩進む叙述と、普段は片倉と不仲な今井課長の意外な前向きぶりは良かった(その分今回は、相棒の柳井がいつもより脇に回っちゃった感じもあるが)。

 本シリーズは構想にも取材にも、かなり書き手のエネルギーを必要とするものとは思うが、クリーンヒットすればかなりの傑作ができる可能性は見やるので、今後も読んでいきたい。 


No.493 8点 虚構推理 鋼人七瀬
城平京
(2019/03/01 03:27登録)
(ネタバレなし)
 いや、とっても面白かった。
 <@@>のプリンセスみたいなヒロインが当然<@@>の実在を前提にしながらその<@@>の一種を<中略>するため<中略>という現代的なツールを使い「<@@>なんて<中略>なんですよと」詭弁の物量と機動性で勝負に出る。
 しかもそこで説かれる「推理」は「探偵」役たるヒロインにとって、当初から自覚的な「虚構」という逆説。
 さらにその詭弁論理の戦いの軸には、あのセリフを放った時の京極堂や矢吹駆VSニコライ・イリイチみたいな、主人公と強敵とが対峙する構図があり、その辺の趣向にもワクワク。
 これこそ正に21世紀のエンターテインメントミステリ。

<@@>が普通に存在する世界での、それゆえのロジックを活かしたパズラーそのものは「ダーシー卿」みたいな感じに割と普通に(?)作れそうだが、もしもその世界設定を120%活用しようとするのなら、ここまでやってこそ本物だよね。しかしクライマックスの岩永の「推理」の向こうで、延々と<中略>し合う両人のイメージは、おぞましくも美しい。
 ちなみにAmazonでの、文庫版につけられた版元側の内容紹介を読むと『はがない』『妹さえいればいい。』の平坂センセが本作を絶賛しているそうで、軽く驚きつつも納得して大笑いした。日頃から<中略>上の舌禍に悩まされている作家さんにしてみれば、この作品はかなり痛快だろうしねえ。
 さて新刊を読みましょうか。


No.492 6点 おれの血は他人の血
筒井康隆
(2019/02/26 19:52登録)
(ネタバレなし)
 「おれ」こと絹川良介は中堅企業「山鹿建設」の地方支社、その経理部に勤務する23歳のサラリーマンだ。普段は小心者の絹川だが、一度一定以上に憤怒の感情が高まると意識を失い、周囲の者に際限なく暴力を振るうという特殊な体質の持ち主であった。ある夜行きつけのバー「マーチャンズ」で土地のヤクザ・大橋組の人間を三人、あっという間に半殺しにした絹川は、たまたま同じ店内にいた大橋組と抗争するヤクザ・左文字組の組員・沢村によって、左文字組の用心棒にとスカウトされる。本来は平穏な生活を願いながらも成り行きからその話に応じる絹川だが、同じ頃、彼の会社では秘められた汚職と派閥抗争が表面化。さらにヤクザと警察が通じ合う悪徳の町そのものも次第に素の顔を見せてくる。

 ハメットの『血の収穫(赤い収穫)』にインスパイアされた(らしい)昭和期のノワール暴力小説の名作。作中でも原典の話題がさりげなく登場人物の口から、事態からの連想として語られる。今で言う一種のバーサーカーモードになる主人公の肉体の秘密のネタは半ばタイトルで割られているし、さらに詳しい真実は結構、口の端に上っているので読む前から自分も知っていたが、実際の本文を読むとその経緯(なんで彼が随時そういった凶暴な狂戦士になるか)は作品の後半まで秘められており、ミステリ的にその謎に迫ってゆく流れにもなっていた。だからここでもその辺は書かない。

 たぶん作者がやりたかったことは<『血の収穫』や『用心棒』で賢しく小ずるく二大勢力の激突を誘導・演出したコンチネンタル・オプや桑畑三十郎が、もし流血の抗争の中で、もっとダイレクトに自分の手を血まみれにしたら>という思考実験であり、シミュレーションだろう。言い訳程度に劇中でイクスキューズが用意された超人化についての文芸設定の方は、そんな構想の後からついてきたような気がする。
 地方都市の中で生じる汚職事件に関して、意外にマトモなミステリ(さすがにガチガチのフーダニットとかトリック小説ではないが)になっているのにはちょっと驚いた。
 一方で当時としては酸鼻を極めたのであろう暴力描写や残酷描写は、作者がこの人(長年にわたって日本の文壇をいろんな意味でかき回してきた御仁)ならこれくらいはやるだろうという心構えができてるので、どうしてもインパクトが割り引かれてしまう。いかに作中で人がドバドバ死んでいっても、どっか昭和的なのどかさを感じないでもない。21世紀のイカれたどっかの新世代作家の新作が、当初はほかのジャンルのミステリに思わせておいて、いきなりノワール暴力小説に転調する時の方が(それで効果が上がったら)よっぽどコワいように思える。
 ただ終盤の幕切れ近い箇所でのあるシーンは、チャンドラー的なそっち系のセンチメンタリズムとロマンチシズムを感じないでもなかった。もともとハメットびいきでお気に入りのオールタイム探偵にもサム・スペードを上げていた(<あの冷酷さ>が好きだそうである)作者だけど、妙なところで地が透けたようにも思えた。まあ評者は筒井作品の代表作と言われるものでも未読が多いので、勝手な思い込みかも知れないが。

なお火野正平主演の映画は未見。もしかしたらCSかなんかでだいぶ前に録画して、観ようと思ったまま家のどっかに眠ってるかもしれない(たぶん録画媒体はVHSテープだろうな・笑)。ところで映画の題名は『俺の血は他人の血』なんだな。今回あらためて気がついた。

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