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ミステリの祭典

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誘拐 愛のかたみに

作家 田中文雄
出版日1990年03月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点 人並由真
(2019/08/03 03:54登録)
(ネタバレなし)
 不倫を働いた7歳上の夫、矢吹光治と20代半ばで離婚した元女優の羽原翔子。その後、彼女は、海外ブランドの化粧品メーカーと特約してメーキャップ&化粧品会社を創業。実業家として成功し、32歳の現在に至る。矢吹との間にできた娘・舞子の親権も獲得し、今では同い年の青年実業家・安武豊との婚約も叶っていた。そんなある日、13歳の舞子が何者かに誘拐され、犯人は当初は一千万、そして五千万と金額をつり上げながら身代金を要求してくる。翔子は、現在、多大な借金で苦しんでいる矢吹が犯人ではないかと疑う。だが娘を案じる父としての矢吹の心情に、嘘は無いと認めた。翔子と矢吹は身代金を工面しようと奮闘するが、舞子を誘拐した犯人にはさらにある思惑があった。

 文庫書下ろし。作者の田中文雄は1941年生まれ。ワセダミステリクラブに在籍中の1963年に「宝石」誌上で短編デビュー。その後、東宝に入社して文芸部員を経てプロデューサー職に抜擢。「血を吸う」シリーズ三部作や『(新)ゴジラ(ゴジラ1984)』など、ホラー・SF作品を主に担当。角田喜久雄原作の『悪魔が呼んでいる』や田中光二原作の『白熱』なども手がけている(どちらも原作から相応に潤色されているが)。
 さらに1970年代半ばには「SFマガジン」の「SF三大コンテスト小説部門」、「幻影城」の新人賞などにも応募してそれぞれ受賞(後者は佳作)。この時期から作家としても再起動。80年代の前半から小説家として本格的に活躍し、同年代半ばに東宝を退職してからは専業作家として精力的に活動した。
 作家としては、本名の田中文雄のほかに滝原満、草薙圭一郎の筆名でも執筆。2009年に亡くなるまでフィクションの送り手として、かなり激動の生涯を送られた。
 実は評者は、この方の晩年には、某・東宝特撮映画ファンサークルの飲み会で何度も顔を合わせてお話をさせていただいたが、その時の話題は東宝時代のお仕事の話が中心。ご当人の著作の大半が異世界ヒロイックファンタジーや架空戦記、さらにJホラーなどと評者の専門外なので(今では和製ホラーは少しは読むが)、ご存命の間にご当人の実作の話題はほとんどすることができず、今にして思えば申し訳なかった(汗)。
(何しろこの方の著作で唯一、刊行すぐとびついてその日のうちに読了したのが『ゴジラVSキングギドラ』のノベライズである)。
 
 それで今回、ふと思いついて読んだ本作は、そんな田中作品の中ではたぶん珍しいはずの完全な非スーパーナチュラル編。SFでもホラーでもファンタジーでもない、現代の現実世界を舞台にした純然たるサスペンスミステリである。
 文庫で220頁前後という短めの長編だけあって一気に読めるが、登場人物の頭数はそんな少なめの紙幅に合わせて絞り込まれ、良くも悪くも適度に整理された流れで物語はテンポ良く進む。映画っぽい場面を想定しながらその実、小説というジャンルでこそ効果的な仕掛けを設けている辺りは、文章と映像、2つの分野での物語作家として長い日々を送ったこの作家らしい。
 終盤にも、かなり印象的な劇中のギミックというかシチュエーションを導入し、クライマックスをやはり相応に映画的な文法で語っている。
【なおこの山場については、作者自身があとがきで、つい大ネタを書いてしまっているので、ネタバレを警戒する人は先にあとがきを読まない方がよい。】

 作者本人も書いているように、スピーディでスリリングな展開で読者を引き回し、最後にかなり視覚的なロケーションを用意している辺りは、かのスティーヴン・キングっぽい。個人的には、近年邦訳された『ジョイランド』あたりを相応に水で薄めると、こんな作風になる感じというか。
(まあ紙幅の薄さもあって、さすがに本作は、向こう~『ジョイランド』~ほどのコクを感じないが。)

 なお現状、ひとつだけついているAmazonのブックレビューでは、本作の出来不出来というより、小説の方向性において、かなりきびしい評価がされている。
 が、個人的には、作者の創作活動の躍動期であった1970年代辺りの、昭和の一時期っぽい、どこか薄暗く、そして切ないセンチメンタリズムが作品の底流に匂うようでそんなに悪くはない。犯人像もやや人工的な、ドラマ内のキャラクターという気もするが、それも味という感じに思える。
 決して爽快な読後感とか強い感銘を覚えるとかそんなんじゃないけれど、心のどこかにちょっと爪痕を残す小品。そんな印象ではある。

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