人並由真さんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.33点 | 書評数:2111件 |
No.671 | 7点 | 雨に濡れた警部 H・R・F・キーティング |
(2019/10/07 22:24登録) (ネタバレなし) ボンベイ警察のベテラン刑事ガネシ・V・ゴーテ警部は、地方のヴィガトポーアに一時的に出向した。体調不良で休職中のM・A・カーン警部に代って、所轄の指揮を執るためだ。ゴーテはそこで以前に同じ職務に携わった上級警官タイガー・ケルカーに再会する。自他ともに厳しいタイガーはゴーテの師匠の一人ともいえる優秀な警察官で、現在はボンベイ警察の副監察長官に就任。今回はヴィガトポーアの警官たちの監査に訪れていた。だがヴィガトポーアの現地の警官S・R・デサイ部長刑事がいい加減な職務態度を見せたため、激昂したタイガーは弾みから彼に暴力をふるって死なせてしまう。現場にただひとり居合わせたゴーテに向かい、自分を逮捕するように指示するタイガー。しかしデサイの怠惰さとタイガーの警察官としての価値の双方を知るゴーテは、強烈な良心の呵責に苛まれ葛藤しながら、タイガーに、デサイの死因が事故のように偽装することを進言した。 1986年のイギリス作品。ゴーテ警部シリーズ第15弾目の長編(アレをカウントすれば第16番目)。 20年以上にわたって作者の看板キャラクターだったレギュラー名探偵が、全く以てイクスキューズの余地もない故殺殺人(もしくは傷害致死)の事後従犯になってしまうという、ミステリ史上に類のない? とんでもない作品(!!)。 これまでの東西ミステリの長い歴史を振り返っても、ほかならぬ生みの親である作者自身の手によって、レギュラー名探偵が酷い目に合わされたケースは数多い。 しかしそのほとんどは大別すれば、作中で職務(探偵活動や捜査)の遂行中、あるいはその結果において退場(つまり作中の死)を強いられたり、あるいは意外な(中略)役をあてがわれたり、である。 ただし前者はもちろん、後者の場合にせよ、基本的には法で裁けない(あるいは裁きにくい)××をやむをえず……のパターンが大半だから、結局の所、その「正義と倫理を遵守する名探偵ヒーロー」というアイデンティティはまったく揺るがないのだが、今回の場合、そんな言い訳も成立しない。 そして本作でゴーテの犯した行為は客観的に見れば100%弁解もしようのない法律違反であり、長年堅実な法の番人であった彼自身の信条を汚すものなのだけれど、当人をそんな行為に走らせた状況そのものには同調も納得もできない、しちゃいけないが、理解と共感を呼ぶ、本当にひとくれのロジックはある。 しかしそれがいかに危うく、本当は間違っているのでは? すべてを告白して司法の裁きを待つべき(懲役はないにしろ、懲戒免職は確実。天職である警察官でいられなくなる)では……と苦悩するのは誰よりも当のゴーテ自身。 いやもう推理小説じゃないよ。「ただの」人間ドラマだよ。でもそれをレギュラー名探偵もののミステリ枠でやったからこそ、本書は最高にドラマティックになってしまったよ、ウヒョー、という秀作。 脇役も充実していて、ゴーテから真実を告白される妻のプロチマも、夫婦が魂の救いを求めに行く坊さんバルクリシャンも、ゴーテが弁護を頼む人権派の女弁護士ヴィマーラ・アーメド夫人もみんなキャラクターがくっきりしていてステキ。 結局、それでこのミステリ史上に燦然と輝くトンデモイベントは、どうドラマとして決着するのか? それは自分の目で確認してください。 興味あったら。 |
No.670 | 7点 | 高校事変 松岡圭祐 |
(2019/10/06 18:06登録) (ネタバレなし) 大規模なテロ犯罪を引き起こし、死刑になった半グレ集団~カルト組織のリーダー、優莉匡太。その次女で、親と組織の幹部から闇世界の戦闘技術をたたき込まれた美少女・優莉結衣は、彼女当人はテロ犯罪に関係ないと主張する人権派弁護士達の支援のもと、川崎市の公立高校・武蔵小杉高校の2年C組に在籍していた。担任の敷島和美から、結衣と友達になってあげてほしいと頼まれた学友の少女・濱林澪は相手の心を開こうとするが、そんな二人をとりまく生徒達の視線は冷ややかだった。そんななか、現職総理の矢幡嘉寿郎が同校を視察。内閣には、同校の生徒でベトナムから帰化した人気バドミントン選手の田代勇次と矢幡を対面させることで国民の支持率を上げようという思惑もあったが、首相の訪問日に謎の武装テロリスト集団が学校を占拠。総理を警護するSPたちは虐殺されて校内は地獄の戦場となる。だが……。 世間の評判が頗る良い&あっというまにシリーズが第三弾まで出てしまったその勢いに、なんだなんだと興味を惹かれて、まず第一作を読んでみた。 うん。確かに面白い。スーパー美少女ヒロインの設定そのものはありがちというか和製バリー・ライガだが、しつこいくらいに書き込まれたデティル、パターンで流されそうなアクション&武器火器の描写にイヤミなくらいにツッコミを入れてそれっぽく叙述していく手法など、昭和風に言うなら分厚いステーキ肉的な噛み応えを覚える。 (終盤、初めて結衣が即妙に使う凶器の描写もステキ。映画やコミックじゃそのまま叙述しても説得力のない凶器で、その辺のリアリティは小説メディアならではだよ。) それで陰謀の真相、黒幕の正体にはなかなか唸らされました(21世紀の国内のもろもろの社会派テーマも盛り込んだ作者の手際に対しても)が、一方で一歩引いてみるなら黒幕の思うようにここまで順当にコトが運ばなかった可能性も多かったのでは? という気もする。途中で計画の不順に気づいて次の機会に回すには、初動でコストをかけすぎているよね? その辺のプロットの弱さは、やや減点材料か。 とはいえ肝要の主人公=ヒロインの結衣のキャラクターは決して目新しさはないものの、実に入念に書き込まれて結構いい感じにはなっていると思う。闇の心への志向と一方で共存するそれへの反発の念のバランス取りが、この手のダークヒーロー&ヒロインの魅力のキモだけど、本作の場合は作者が直球で放った剛球がうまい感じにミットに収まっているんじゃないかと。 しかし本作の一番の驚きは、巻末の解説で書かれているとおり、これ以上ない余韻のあるクロージング、最高級の完結感なのに、しれっとすぐさま続刊が出てしまったことであろう。作家としての大した肺活量じゃ。 そんなわけで、続編は近くまた読んでみます。 |
No.669 | 6点 | ブルシャーク 雪富千晶紀 |
(2019/10/05 22:29登録) (ネタバレなし) 富士山の麓にある不二宮(ふじのみや)市。同市の誇る湖・来常(きつね)湖は、観光エリアも兼ねた農業用水用の人造湖だったが、このたびこの地で海外の実力選手までも招待した、一般参加可能な大型トライアスロン大会が開催されることになった。市役所企画課の公務員・矢代貴利は大会の実行委員として準備に奔走するが、この湖の周辺で不審な失踪事件が発生する。それと前後して現れた久州大学の海洋生物学の准教授の女性・渋皮まりは、この来常湖に巨大なオオジロサメが外洋から迷い込んだ可能性を指摘した。 ベンチリーの『ジョーズ』の作劇フォーマットを踏まえながら、21世紀の新作として仕立て直した、巨大生物系の怪獣小説。一番のポイントは本来は海水魚のハズのサメがなぜ内陸にいるかだが、オオジロザメに関しては淡水でも生息可能という大前提をまず開陳。そこからあれやこれやのデティルを足し繋ぎながら、全長ウンメートルの怪獣的なサメが内陸に存在して人間を襲うというとんでもない状況にフィクション的なリアリティを築き上げていく。この辺はクライトンとかの作法を醤油味にした感じで、まあ悪くない。 物語にからんでいくキャラクターたちも、多層的な構想でたっぷり配置。まあこういうポジションのキャラならお約束的にこうなるよね、とか、あーこれはミスディレクションで実際には……など読み手が先読みできてしまうものも少なくはないが、その辺はこの作品の場合、おなじみのセオリーを守る感触であまり悪印象がない。 あのグラディス・ミッチェルの『タナスグ湖の怪物』みたいに、もうちょっと中盤でドキドキ&サプライズもののモンスターの露出は欲しかった気もするが、まあ不満はそこら辺くらいかな。クライマックスの惨状シーンはさすがに読み応えがあった。 ところでTwitterとかAmazonとかの感想やレビューじゃ誰も言ってないみたいだけど、本当は(あるいはさっきまで)海にいる(いた)はずの巨大怪獣がいきなり内陸に出現するという本作の外連味のコンセプト。これってたぶん、東宝特撮怪獣映画の名作『モスラ』(1961年)の中盤の展開、太平洋上で姿を消したモスラの幼虫がいったいどうやってそこに来たのか、いきなり日本の内陸(東京近郊の第三ダム)に出現するファンタジックな描写がルーツだよね? まあ本作の場合は、あれやこれやの理屈づけで、その辺に一応のまっとうな説明をつけておりますが。 |
No.668 | 8点 | 慈悲の猶予 パトリシア・ハイスミス |
(2019/10/05 03:41登録) (ネタバレなし) ロンドンから離れたサフォーク州。29歳のアメリカ人で全く売れなかった著書一冊だけが実績の若手作家シドニー(シド)・スミス・バートルビィは、アマチュア画家の英国人で26歳の妻アリシアと、人家の少ない田舎に暮らす。シドニーは相棒の文筆家アレックス・ポーク=ファラディとその妻ヒッティとは親交があるが、他の主な付き合いは少し離れた隣家に越してきた73歳の未亡人グレース・リリパックスだけだった。創作活動が不順なシドニーは脳裏に浮かぶ観念を弄び、妻アリシアを諍いの果てに殺す状況までひそかに夢想。死体の始末の手順まで妄想し、それすらも自分の創作の肥しにしていた。そんななか、アリシアは現実にシドニーと衝突して家を出ていくが、やがてバートルビィ家の周囲には、あの家の旦那が奥さんを殺して死体を始末したのでは!? という噂が流れ始める。 1965年のイギリス作品。1950~60年代前半には、二大名作映画『太陽がいっぱい』と『見知らぬ乗客』の原作者として、日本にも名前のみ知られていた英国の異才女流作家パトリシア・ハイスミス。その長編作品は、本作をもって初めて本邦に紹介された(ハヤカワ・ノヴェルズ版)。 実際には犯していない妻殺しなのに、主人公のシドニーが理不尽な嫌疑を周囲から向けられた結果、窮地に……というのなら、ごく普通の巻き込まれ型サスペンススリラーだが、さすがハイスミス、そんな凡百のストーリーなんか書きはしない。 メインヒロインであるアリシアの採った行動は徹頭徹尾フツーだが、一方で男性主人公のシドニーの方は、ほんの少し常人より想像力が豊かで、精神がタフで、そしていささか歪んだレベルに悪戯っぽいため、本来なら事態の「受け」の立場のはずなのに「攻め」の側にまわってゆく。 あまり詳しくは書けないが、多くの読者の心の闇を刺激し、一方でどうしても良識の枠内から逃れられない「健全」な読者を置いてきぼりにするか、または嫌悪感を抱かせる。これはそんな作品だ。評者? ええ、もちろん大いに(中略)。 ラストはどう着地するかとハラハラしたが、そこはそこ、この作者ハイスミス、実にまっとうに(後略)。 文句なしの優秀作。人間の悪意と残酷さ、そして切なさと弱さを語りながら、それでも随所にユーモアが漂う全体の小説的な品格も実に良い。いずれにしろ、個人的には今まで読んだハイスミスの長編のなかで、さりげなくベストワンになってしまうかもしれない。 ちなみに本作(の邦訳)は元版の『慈悲の猶予』と後年の創元推理文庫版の『殺人者の烙印』の二つがあるわけだけど(訳文は同じ深町真理子女史のものを使用。たぶん文庫版の方が多少の改訂がされているとは思う)、個人的には後者『殺人者の烙印』のタイトルはあまりにまんますぎてちょっとなあ……である。どういう事象の物語なのかすぐわかるという意味ではいいけれど、主人公シドニー視点からすればこの邦題じゃ……(中略)。 一方で『慈悲の猶予』の方は言葉の響きではすごくイイし、なかなか意味ありげでステキなのだが、実際の本文でその字句が登場する箇所を確認すると結構ピンポイントな用法であった(汗)。少なくともこの邦題は、物語全体の流れや主題に被さるものではない。 これだけのいい作品なんだから、いつかまた別の版元か叢書で再刊の機会でもあったら、もっと物語の奥深さを暗示した、新たな第三の邦題をつけてほしいもので。 |
No.667 | 5点 | おあついフィルム リチャード・S・プラザー |
(2019/10/04 14:42登録) (ネタバレなし) 私立探偵シェル・スコットは、ハリウッドの「マグナ映画」の仮装パーティに招待されていた。先日、同映画会社の社長ハリー・フェルドスペンの依頼に応え、上首尾な成果を上げたお礼だ。本名不明の銀貨面の美人とも親しくなり、ご機嫌のスコット。しかし、近所に住む芸術家で「疫病神」と渾名される嫌われ者の巨漢ロージャー・ブレークにからまれるという、不愉快な一幕もあった。だがそのブレークがパーティのさなかに別室で、何者かに喉を切り裂かれて殺された。翌日、スコットは、ブレーク殺しの嫌疑をかけられるとおののく若い娘ハリー・ウィルスンから、助けを求められる。 1951年のアメリカ作品。『消された女』に続くシェル・スコットシリーズの第二弾で、前回の若い娘の失踪事件にかわり、今回はハリウッド周辺で起きた恐喝犯罪にからむ殺人事件が物語の主題になる。 第一作は定型の軽ハードボイルドかと思いきや妙な勢いと熱気があったが、そちらにくらべて今回は割と、良くも悪くも端正にまとめられた感じ。 ミステリ的な趣向は、犯罪が形成される過程を手がかり・伏線にしたフーダニットだが、その辺はのちのちの赤川次郎でも書きそうな水準作レベル。面白いといえば面白いが、作中でスコットがさも意外そうに驚くほどセンセーショナルなネタじゃないし、そもそも同じ方向への仮想は、警察の方ではまったくしていないの? という感じもある。 そういうわけで今回はあんまり出来の良い作品とは思えないが、まともに依頼料の取れる仕事も成立していないうちに、メインゲストヒロインのハリーを救おうと奮闘するスコットの描写は普通にほほえましい。 スコットを狙い追い掛ける荒事師コンビや、その親玉のギャングのボスなんかもまあまあ面白いキャラにはなっている。 <余談その1>本書はもともと「日本版マンハント」の後期の号に一挙掲載された長編の翻訳を20年以上経ってから、当時の中央公論社の新たなミステリ&読み物叢書「C・NOVELS」の初期ラインの一冊として書籍化したもの。当時はこんなものを発掘、拾ってくれる企画のフットワークの軽さが嬉しかったものの、同類の後続作(日本版マンハントとか別冊宝石とかからの発掘)はなかった。残念。 しかし本書(C・NOVELS版)は下品な表紙だね。 「国内お下劣ミステリ表紙&ジャケット大賞」のファン投票があったら、評者はまちがないなく本書を最優秀候補に選ぶ。 <余談その2>本書(C・NOVELS版)の巻末には訳者・田中小実昌のかなりスーダラな感じのエッセイ風あとがきがついており、その中でスコットシリーズの第1作の内容を「『消えた美女事件』で、はっきりおぼえてないが、ビルの窓から、ひょいと外を見たら、空中を美女の死体がふわふわ浮いてながれていたみたいなストーリイだった。」と書いてますが、違います! そんなオモシロそうな趣向は『消された女』のどこにもありません。 ……もしかするとこの広い世の中のどこかには、本書『おあついフィルム』を先に手にしてこのあとがきにダマされて、ポケミスの『消された女』を読んで怒ったミステリファンとかもいるんだろーか? <余談その3>シェル・スコットは、例の藤原宰太郎の「世界の名探偵50人」にも紹介されている、世代人にはメジャーな? 探偵。 ちなみにその「世界の名探偵50人」の中では、スコットのキャラクターのトレードマーク的なシンボル的に彼の事務所に貼られている大判のヌードピンナップ、さらに愛玩している熱帯魚の話題が出てくる。 が、本書『おあついフィルム』の中でスコットは前者のピンナップ(勝手にヌードモデルの美女に「エミーリア」と命名している)に飽きが来たそぶりを見せているし、後者の熱帯魚の水槽は悪党のためにさんざんな目に合ってしまう。 つまり第三作目以降がどうなるかはまだわからないけれど、どっちもスコットシリーズの普遍的なシンボル、アイコンとして、とりたてて話題にすべき事項でもないかもしれない? 藤原宰太郎がきちんとシリーズを読んでキャラクター紹介の原稿を書いたのかどうか、おいおい検証してみよう。 |
No.666 | 9点 | 闇よ落ちるなかれ L・スプレイグ・ディ・キャンプ |
(2019/10/03 17:53登録) (ネタバレなし) 1939年のローマ。アメリカ人で31歳の歴史学者マーティン・バッドウェイは落雷に打たれ、気がついたら西暦535年の帝政ローマ末期の世界にいた。各宗教派閥の陰湿な闘争、熾烈化する領土紛争、そして何よりも未成熟な科学文明。帝国崩壊後のローマはこのあと数世紀に及ぶ、地動説も進化論も置き去りにされた文明の暗黒時代を迎えるはずであった。我が身一つでこの世界にタイムスリップしたバッドウェイは、自分が修学した20世紀の知識と教養をもとに、もうひとつの新たな歴史の歩みを生み出そうと試みるが。 1907年生まれのアメリカの作家L・スプレイグ・ディ・キャンプ(ディ=キャンプ)が1939年に、新妻キャサリンにハネムーン旅行を延期してもらいながら書き上げた長編。「アンノウン」誌(「ウィアードテールズ」に次ぐアメリカ第二のSF&ファンタジー雑誌らしい)に同年から1941年まで二年間かけて連載ののち、1941年に書籍化された。 史上初のタイムスリップもので歴史関与ものの嚆矢といわれるマーク・トウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』へのリスペクト作品とも言われるが、評者はそっちはまだ未読なので比較はできない。 今回は、先日読んだ豊田有恒の今年の著作『日本SF誕生─空想と科学の作家たち』に本書の話題が登場し、楽しめそうな内容だったので手に取ってみたが、いや、最高級に面白かった。 西洋史についてはマトモな知識などなく、あのテイの『時の娘』すらとても十全に楽しめたとは言いがたい(そのうち再読してみたい気はあるが)評者だが、本作の場合、古代のローマ世界の中での主人公の立ち位置の変遷、20世紀から持ち込んだ技術と知識のどれがそのまま実践として生きて、どれがまったく役に立たないかの書き分け、さらには主人公バッドウェイが出会う数十人の多種多様なキャラクターたち。そんな小説要素の積み上げがSFというよりは、変化球の史劇ロマン&合戦小説として練り上げられ、正にひと息に最後まで読み終えてしまう。 ちなみに評者はSF分野の作品群を多少は読んでいるものの、大系的にジャンルの形成を認識している訳ではないので「タイムスリップして過去の世界に干渉すれば、そこからパラレルワールドが生まれる」という概念がいつ欧米の作家勢に定着したのかは知らない(しかしこのコンセプトそのものは、21世紀の今では、もう日本人の多くが知っているだろうね。『ドラゴンボール』人造人間編などのおかげで)。 本作が1941年と意外に古い作品だったことを知った時はちょっと驚き、もしかするとダイレクトにバタフライ効果で一本筋の過去と未来が相関する設定かなとも思ったが、実のところ、序盤から21世紀の現代にも通じるパラレルワールド(歴史から枝分かれする世界)の概念が導入されていて軽く驚いた。 まあちょっとしたSFファンなら、この時代(1940年前後)にもうこんな作品が書かれていたことなど、常識の範囲なのかもしれないが。 なお、本書(早川文庫版)のあらすじや、先の豊田の著作での記述とかを読むと、主人公バッドウェイはもっと真剣に親身に、ひとつの世界線(歴史の時間の流れ)のなかで人類の科学文明が停滞してしまう「暗黒時代」が来ないようにするため、あれこれ画策するのかとも思った(だからこそ、この壮大な邦題であろうと)が、実際にはもうちょっと、古代ローマ帝国のなかで自分が居心地のいい場を作ることを優先しながら動く感じで、その辺はなんか予見と違った。 とはいえだからといって主人公の魅力やウェイトが軽くなるわけでは決してなく、彼が出会う当時の人間の中には本当に愛すべき人物もいれば、くだらない腹黒い連中も、良い奴ではあるが堅物な面々もいて、そんな雑多な人間関係のなかで生き抜くために少しずつスレていき、そしてそんな自分のありように苦笑する主人公バッドウェイの描写には、すごい親近感を覚える。本当にやむをえない場合は殺人や合戦にも応じるが、できるかぎりは他者の殺傷なんかしたくないという普通人らしい心情も、なじみやすい。 異世界にいきなり放り込まれた主人公が持ち前の知識や情報でチートになる、というのは21世紀のコミックやラノベの諸作群(『Dr.STONE』だの『百錬の覇王と聖約の戦乙女』だの)にも脈々と受け継がれる王道のエンターテインメント作劇とは思うが、これはそのクラシックにしてユーモアとテンション、ドラマ性とペーソス、そのすべてにおいて気の利いた名作。 あー、とても面白かった。 |
No.665 | 5点 | 金色藻 大下宇陀児 |
(2019/10/02 19:48登録) (ネタバレなし) その年の初夏。「東洋時報」の新米記者で26歳の蘆田(あしだ)良吉は、編集長の命令で刑事事件の取材を一度経験学習するため、日比谷の裁判所を訪れる。折しもそこでは困窮ゆえに窃盗を働いた46歳の屋台のおでん屋、五味被告の審理が開廷中だった。だがその裁判中に何者かが被告を狙撃して射殺。犯人と目される男は本物の警官を絞殺してその制服を奪ったニセ警官だが、賊はまんまと逃亡してしまう。事件を追う良吉は、遺された五味の長女の美少女・志津子、そしてその弟妹と親しくなるが、一方で捜査陣は五味殺害事件の真相が、五味がその自宅に窃盗に押し入った人気女優・桜木ハルミに何か関係あるのではと推測。だが捜査が進むうちに、さらに次々と殺人事件が続発する。やがてある事件関係者の口から、重大なキーワードと思われる謎の言葉「金色藻」が語られる。 昭和7年の6~9月にかけて「週刊朝日」に連載された大下宇陀児の長編。なんか噂からそれなりに正統派っぽいパズラー路線かと思っていたが、死体の山と主人公&子供のピンチ、さらに悪党達の入り乱れる陰謀とかのセンセーショナル要素で一本まとめあげた、長編スリラーであった。 まあ読んでる間は退屈はしないが、それにしても本来は犯罪そのものを隠蔽するための目的の関係者の口封じのハズなのに、それを一般人の面前で目立つように、それも必要以上に手間暇かけて実行して、どーすんだ、という状況が少なくない。その辺はいかにも作中のリアリティなんかより、展開上のショッキングさや外連味を優先した作劇故の弊害であろう。 そんな大味で雑なところも目立つ一方、前述のようにグイグイ読ませるところもあって、発表当時これがそれなりに受けたらしいことは分かる。事件の真相そのものはいろいろと思うこともあるけれど、一部のサブキャラの使い方やキャラクター芝居の見せ方には相応の職人芸を感じないでもない。 あと本作は決してサイエンスフィクションの類ではなんだけれど、それでも長い作家生活を通じて科学読み物やSFに随時傾倒していた大下宇陀児らしい関心の断片が、かなり物語の核になるところに覗えてその辺もちょっと興味深かった。この作品の背景には、世間の人々が科学の進歩に万能の可能性を夢想できた時代、のようなものがある。 最後に、今回は思うところあって春陽堂文庫版と、別冊宝石67号の「大下宇陀児読本」所収版の双方を並べて読んだけれど、本文全域の随所にずいぶん改訂がなされていて少しびっくりした。「一寸法師みたいな(小男)」(別冊法石版)→「猫背の」(春陽堂文庫版)とか。 春陽堂文庫にはおなじみ山前さんの丁寧な解説が付記されていてとても有り難いが、本文の底本が何かは特に記載がなかったと思う。その辺のテキスト面のデータの表記は、なるべくお願いしたいところです。 |
No.664 | 7点 | エスピオナージ ピエール・ノール |
(2019/10/01 15:58登録) (ネタバレなし) 1960年代後半。アメリカの通信記者トマス・C・リーと、その妻アナベルがソ連に駐在する。だが実は両人はCIAのエージェントで、アナベルはGRUの青年幹部イワン・ウラソフと肉体関係を結んで接触を図った。やがてウラソフは、アナベルとともにアメリカに亡命し、厳しい審査をくぐり抜けてCIAの対ソ連部門の客分となった。一方、昨今の地中海周辺にはソ連の軍艦や潜水艦が出没。西側陣営は対抗策としてNATOの姉妹機関でソ連の地中海活動対策に特化した新組織MEDを創設する。だがそこに加盟する欧州諸国で謎の変死・自殺事件が続発。死亡した者はみなソ連のスパイでは? という嫌疑がかけられる。そんななか、CIAの高官でMEDの議長でもあるハロルド・H・ワンダーは、亡命したウラソフが授けた情報から、フランス内部の大物スパイを認知。仏国の対諜報本部長アンドレ・デュボワ大佐との会談の場を設けるが。 1971年のフランス作品。邦訳は角川のハードカバー叢書「海外ベストセラー・シリーズ」の一冊として刊行。 作者ピエール・ノールは本書をふくめて二冊しか翻訳がないが、20世紀後半のフランスミステリシーン全域についての研究文献などを紐解くと、頻繁に名前が出てくる。日本ではふだんあまり意識されない、向こう(本国フランス)での大物作家であろう。 物語は長短のパートの全四部に分かれ、最初と第三の章が本作のメインヒロインといえるアナベルの一人称手記、第二章がもうひとりのメインキャラクター、デュボワ大佐の一人称手記、そして事態の真相と陰謀の決着が語られる第四章が三人称の叙述となっている。 原題は直訳すれば「十三人目の自殺者」で、これはあらすじにも書いた欧州諸国で頻発する自殺(と公表された)者の現状で最後のカウントに由来するものだが、邦訳はそのものズバリ「エスピオナージ(スパイ小説)」で、そのタイトルに違わず、冷戦当時のリアルタイムに書かれたガチガチの翻訳スパイ小説を満喫した。 第三部の終盤から第四部にかけての反転のつるべ打ちは快感で、中には単純なことゆえにかえって目くらましになっているようなミステリ的な文芸(または趣向)も導入され、その意味でもエンターテインメントとしての幸福度は高い。 (まあ、100%スキがないというわけではなく、ソコのところに対抗する予防策の類はあったのでは……とか、その可能性は想定内であってしかるべきでは……などという箇所もゼロではないが。) 巻末の訳者あとがきによれば作者ノールは実際の現代史を物語に巧みに取り込むのが得意、とのこと。もちろんその手法そのものはスパイ小説の旧来からの王道だが、本作の場合、ロシア革命時代から第二次大戦時のレジスタンス、そしてキューバ危機からフィルビー事件、さらに当時の現在形のドゴール政権まで話のネタを拾う手際は精力的で、たしかにその辺の興味は良く押さえてある。ラストシーンは、この物語時点での不安な、そして複雑化する未来図に向けての展望で締めくくられるが、その辺も今となっては妙に味わい深い。 作中に出てくる当時のコンピュータ観やある重要な役割を果たす精密機器の技術的な描写も、なんか21世紀の今だからこそ感じられるゆかしさがある。 ちなみにこの本、1973年12月の初版で、手にしたのは翌年3月の第三版だった。実際にはなかなか面白い内容ではあったけれど、21世紀の今ではほとんど忘れられた作家、作品だということを考えると、当時は結構、翻訳ミステリがよく売れて、よく読まれた時代だったんだな、と思う(一回毎の具体的な部数なんかはもちろん知らないが)。 |
No.663 | 6点 | 警察庁私設特務部隊KUDAN 神野オキナ |
(2019/09/30 20:44登録) (ネタバレなし) 32歳の公安の警部、橋本泉南は、政治的な事情から日本国内での処罰を逃れた犯罪者のロシア人を殺す。相手は、橋本が自分の娘の様に思っていた少女とその母親をふくむ十数人の日本人を殺した通り魔だった。その件の懲罰人事から巡査長に降格され、書類作成の事務役を強いられていた橋本は、かつて自分の上司だった今は警視監の栗原正之に呼び出される。栗原が橋本に求めた職務、それは司法機関の圏外にある悪党や裏社会の問題に対応する超法規組織、形式上は闇の自警団といえる特殊部隊の創設だった。 おお、待望の神野版『ワイルド7』だ! と喜び勇んで手に取った(この作者がどのくらい原典の作品に深く熱く傾倒しているかは、一時期のTwitterなどを覗けばすぐに分かる)。 ただしまあ、あの名作『ワイルド』が、いかに1969年の連載開始時~第一期終了の1970年代後半には鮮烈なアクション漫画だったとはいえ、さすがにそれをそのまま21世紀の一般向け、大人向けの娯楽読み物に再生することはできないということで、作者なりに相応に、作劇上&テーマ上のファクターは増補されている。その分、原典コミックのダイナミズムと独特の叙情性は相対的に希薄になってしまっている。まあ、この辺は仕方ないね。 油断してると神野先生の大好きなSMポルノ描写は隙あらば飛び出してくるし、悪党はぶっ殺される大物も弱者をいじめる社会悪的な小物連中も外道のゲス揃いだし。その辺の生々しさは、かつて大藪春彦が野性で、西村寿行が本能で描いていたドス黒さを、神野先生の場合は好青年の顔の下に潜めた心の闇に依存して書きまくっている感じ。この作品を楽しめるかどうかは、その辺をどう娯楽読みものとして受け止めるかという読み手の構えによっても大きく変るでしょう。 一方で橋本が集めていく主人公チームのメンバーが、集団ものらしくそれぞれの役割分担に応じているのはいいんだけど、漫画チックな殺人技量のキャラクターもいれば、きわめて最後まで普通人に近いタイプのメンバーもおり、この辺も原典『ワイルド』の「差別化された特殊技能のメンバー」(長いシリーズ展開のなかにはちょっと曖昧な面子もいたけれど)とは少し違う。むしろ今回は、闇の仕事を早く自分の中で消化できたものと、最後までそうでなかったもの、の差別化に文芸の比重を傾けており、その辺が主人公側のドラマの大筋にからんでいく(ネタバレになるので、あまり詳しくは言えないけれど)。 それと本作の主題のひとつは、社会的弱者がいとも簡単に犯罪者に転向しやすくなってしまった現代21世紀の日本国内の社会状勢で、貧富の格差、各種ハラスメント、net文化が加速させる承認欲求の肥大という心の闇……などなどがしつこいくらいに書き込まれており、その辺をマジメに受け取ると、本当にもはやこれは爽快なアクション活劇ではない。反吐が出そうなくらいに地味に嫌な描写が連なっている(まあ決して新鮮でも、特に目新しい視線からの叙述でもないんだけれど)。 でもまあ、この辺の、社会的弱者のどうしようもなさ、辛さ苦しさに目を向けた上で、それでも罪もない人に八つ当たりしちゃいけないんだよと極めて真っ当なことを言う甘やかしの無さも、この作品の力ではあるね(言い換えるなら、お題目的に掲げられる正義への懐疑としては、必要十分な描写がある)。 これから読む人は、いろんなものを覗き込み、それぞれのポジションで作者の言いたいことに向き合いながら、最後の頁を閉じればいいわな。個人的には決して新しいものは貰えなかったけれど、忘れてはいけないことは再確認させられた感じ。 最後に、本作は地味な? 力作だとは思いますが、担当の編集の仕事もふくめて推敲が甘いのが残念。356頁の6行目は、ああいうシーンだから筆が乗ってしまったのかもしれませんが、さすがに見落とすにはマズいとんでもないミスでしょう(汗)。 |
No.662 | 6点 | タイムズ・スクェア コーネル・ウールリッチ |
(2019/09/30 03:15登録) (ネタバレなし) 1922年のニューヨーク。17歳のダンサー、テリー・ロンドレスはダンスホールの二階から墜落。重傷もしくは死亡もありえるなか、奇蹟的に大事なく済んだ。たまたま現場に居合わせた青年ボクサーのクリフォード(クリフ)・ライリーが彼女を病院まで連れ添って介抱。それが縁で二人は恋人関係になる。ともに貧しい二人だったが、テリーは女優として大成するチャンスを夢見、一方でクリフのもとには叔母のクレオパトラ・ヒギンズの遺産2000ドルが転がり込んだ。やがて内縁の夫婦となる二人だが、それぞれに自由に生きようとする彼らの運命は少しずつ別の道を歩み出していく……。 1929年のアメリカ作品。1934年に短編ミステリ作家、1940年に長編ミステリ作家として再デビューする以前のウールリッチは1926年から1932年にかけて6本の都会派の長編普通小説を執筆。本作はその第三作目である。 内容的には非ミステリだが、後年のウールリッチの諸作に通じる原型的な要素(まだ荒削りな感じながら、どこかおとぎ話的な話法の詩情的な叙述、読者の油断の隙を突いて斬り込んでくる残酷かつ切ないストーリーテリング……などなど)も随所に感じさせる。まあ横溝の『雪割草』とか木々高太郎の『笛吹』みたいな大物ミステリ作家の、ミステリ作品との接点もある周辺作品(小説)枠ということで。 邦訳は「EQ」誌に原稿用紙330枚のボリュームという触れ込みで掲載されたが、雑誌の誌上で一回完結という制約のせいか、かなり改行が少なく、みっしり感が強い。 他のウールリッチ作品の邦訳といえば全般的にもう少し改行がゆるやかな印象があるので、従来のような字組みをすればもっと原稿用紙換算の枚数は増えるだろう。 ストーリーの流れは、主人公の男女コンビが、おとぎ話なら「こうして二人はその後いつまでも幸福に暮らしました。めでたしめでだし」と何回かなりそうなところを、そんなのウソンコだと、双方が精神的な本音でのブラウン運動を繰り返し、そんな彼らの周りでさらに多様な人物がそれぞれに自在な人生模様を見せていく。そういった叙事の集積の果てに築かれる物語は、ほんの少しユーモラスで、総体的にはビターで切ない。クロージングは鮮烈な余韻を置き残し、読み手のこちらの心をしみじみと揺さぶる。 (それと本文の途中で、時間の流れを大きく前後させる独特のインサート手法を不器用な感じで用いているのが、なんか興味深い。) ウールリッチのこの時期の初期長編の邦訳は、他に第六長編の『マンハッタン・ラブソング』がやはり「EQ」に掲載。論創社からもこの辺の初期作品の刊行企画があるみたいだが、「EQ」に既訳の二作の書籍化ではなく、完全に未訳作品の新訳だといいなあ。 ちなみに主人公クリフがテリーを連れて身を寄せるメアリー叔母さんの住所が、アメリカの田舎町「ライツヴィル」。クイーンの『災厄の町』が1942年だからずっと早いよ。まあ土地の名のネーミングとしてはそれほど奇をてらったものでないので偶然、あるいは実在の地名に何か共通の由来があるのかもしれんけど? |
No.661 | 6点 | 彼女は死んでも治らない 大澤めぐみ |
(2019/09/29 13:51登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと女子高校生の神野(じんの)羊子は、学友の超美人・蓮見沙紀のことが大好き。だがそんな沙紀ちゃんは、ことあらば惨殺されてしまう殺され体質? の持ち主だった。だが沙紀ちゃんは何度でも生き返る。羊子がその側にいる男子・昇の協力を得て、真犯人を突き止めた時には。だがそうやって繰り返される平穏な日常に、少しずつ変化が……。 角川スニーカー文庫系で数年前から活躍中の新世代ラノベ作家・大澤めぐみが、初めて他の版元から刊行した書下ろしの青春ミステリ。 本編は合間に間奏エピソードを挟む全四篇の連作中編ミステリの形式で語られるが、設定はあらすじのとおりに相応にぶっとんだ代物。 それでクライマックスの最終話に至る前、1~3話各編のミステリ的な完成度はフツーというか、正直、1話がまあまあ、2話がはあ……、3話がしょーもない、という感じの出来。 ただまあ本作品全体をしめくくるくだんの第4話では、作品世界の大前提となる超常的なシステムの真相もふくめて、怒濤の仕掛けが明らかになる。ここで唸らされる人も多いだろうし、一方で事前にある程度の予想がついちゃう人も少なくないという印象。 本作の魅力は主人公の羊子の一人称(ボケも多いが他者へのツッコミも豊富)の語り口、それに3人目、4人目のヒロインとなる学友の美少女たち・熊谷乃亜と等々力楓の妙に冷静&達観した物言いで、たぶんこの辺が作者の持ち味なのだろう。まあこういうのが21世紀の今、ウケてるのはわかる、という感触ではある。 しかし清濁の混合をさらけ出したクライマックスのあと、クロージングがとにもかくにも青春ミステリらしく決着するのはよいが、いい話でまとめるには、かなり重要な問題が見落とされて(あるいは軽視されて)ないか? という気にもなる。作者が確信的にその辺をスルーし、よかったよかったと胸をなで下ろしている読者たちを「ふっふっふ」と陰で笑ってるのだとしたら、なかなか意地が悪い(笑)。 作者が(広義の)ミステリをまた書いてくれたら、その時は読みます。 |
No.660 | 6点 | 銀のカード ボアロー&ナルスジャック |
(2019/09/29 01:47登録) (ネタバレなし) 1978年のフランス。「私」ことミッシェル・エルボワーズは、金持ち相手の養老院「ハイビスカス」に入居する73歳の元・会社社長。60歳の時に12歳年下の妻アルレットに逃げられた苦い過去があり、残された息子はすでに死亡。係累といえば、遠方のアルゼンチンに暮らす、顔も知らない26歳の孫ホセ・イグナチオだけだった。院内で今日も倦怠の時を過ごすエルボワーズだが、ハイビスカスは新たな夫婦者の入居者、78歳の元判事ルーブル・クサヴィエと、その妻で62歳だが見かけはずっと若いリュシイルを迎えた。だがエルボワーズは、以前からの入居者の老人ロベール・ジョッキエールと、リュシイルの間に、何か表沙汰にしない旧縁があるのを察してしまう。やがてハイビスカスの中で、ある惨事が発生して……。 1979年のフランス作品。本サイトのレビュアーの空さんが先にご指摘されていたとおり、これが長年日本の読者に親しまれてきたボワロー&ナルスジャックコンビの著作のうち、邦訳された中では、一番最後に本国で刊行された長編のようである。Wikipediaをざっと参照すると、このあとにまだ15冊以上も未訳があり、中には読む価値のあるものも少なくないだろうに。とてももったいない。 それで本書ポケミスの巻末の解説を読むと、本長編は刊行された1970年代末には、巨匠作家ながら出版部数的にはやや落ち着いていた送り手コンビが久々にフランス国内でベストセラーとしてヒットを飛ばした作品だそうで。 それって日本で言うなら、安定したファン層&購読者層はいるけれど通常、大ヒットには結びつかない大ベテラン作家(晩年の佐野洋や笹沢佐保や三好徹とかのイメージかな)の新作が、いきなりベストセラーリストの上位に入ったような感じか。まあ当たらずとも遠からずだろうね(?)。 その辺の興味もあって思いつきで読み始めてみたが、うん、これはいい感じにジワジワと情感が盛り上がってくる、インドア派のサスペンス。主人公エルボワーズが侵入居者の女性リュシイルに関心を抱いて二人の間の距離を狭める一方、老人ホームの院内では入居者の生命に関わる予想外の事態が連続する。そしてその陰で、若い頃は作家志望で著作も二冊もあった主人公エルボワーズは、クサヴィエ夫妻の入居以前から自分の退屈さを紛らわすための個人的な手記を書きためているが、次第にその手記に記される内容も……。 本筋となる主人公エルボワーズとヒロインのリュシイルの不倫愛的な関係性は緊張感たっぷりだし、これは老人たちの老いらくの恋を主題にした悲恋(?)ドラマ風ミステリ? それとも現実と手記の世界を行き来する、多層的な構造を援用したサイコスリラー? と小説の実質はなかなか底を見せない。 しかし頁が残り少なくなり、読者が何らかの形で真相を受け止める構えを見せた瞬間……なんだこれ?! ポカーン。 良く言えば「そうくるか」、悪く言えば「バカにするな」のとにもかくにも壮絶なオチで、伏線もほぼ皆無、あまりに唐突すぎるそのラストの意外性に体の気力を奪われる。 いや、あれこれ伏線や布石を張っておいてココに持ってくるような種類のエンディングじゃ決してないから、結局はとにもかくにもこういう形で最後に意外性を放るしかなかったのはわかる。 が、これはなんというか、打球に勢いもある、その飛んでいく軌跡も綺麗、しかし落下したところの判定は大幅にファール! のある種のバカミスのような。 (ちなみにこのラスト、意図的に裏読みもできるように、作者はその辺も計算に入れている……よね。よね?) 考えようによってはこのラストの仕掛けのために作品全体が奉仕したともいえるような気もするし、そういうアホなエネルギーの使い方はキライじゃない、というより、むしろ大好きな口なので、肯定したい面もある一冊。ただまぁ客観的に見ればやっぱし、練り込みを放棄したワンアイデアストーリーの誹りも仕方がない作品でもあるか。まあ強烈な印象だけは確実に残る。 しかし先の話に戻って、この作者コンビ、この時期になってまだこんなもん書いていたのだから、残りの未訳作品のなかにはきっとなんか、もっともっとヘンなものもあるよね? どなたかうまいこと楽しそうなのを見つけて発掘して、21世紀の日本語の新刊にしてくれませんか。 |
No.659 | 6点 | 007号/孫大佐 ロバート・マーカム |
(2019/09/28 03:26登録) (ネタバレなし) 英国情報部の精鋭諜報員ジェームズ・ボンドは、同じ部局の幕僚長で友人でもあるビル・タナーと休日のゴルフを楽しんだのち、持病の咳の発作で静養中の上司「M」ことサー・マイルズ・メッサヴィを見舞いに、彼の自宅に向かう。だがそこでボンドが出くわしたのは、「M」に薬物を注入して拉致を図り、さらにボンドまで連行しようとする謎の一味だった。ボンド自身も薬物を注入されるが、彼は断腸の念で「M」を敵の手中に残しながら、どうにか単身逃亡する。ボンドの急報を受けてタナーや地元警察の面々がメッサヴィ邸に急行するが、敵はすでに「M」を連れ去った後だった。現場の遺留品から、敵一味の手がかりがギリシャにあると認めるボンド。彼はそれが自分自身をおびき出す罠という可能性も考えるが、他に選択肢はなかった。 1968年の英国作品。1964年にフレミングが他界したのちに、007の研究でも知られる英国文学者キングズリイ・エイミスが「ロバート・マーカム」の名前で書いた「公式007パスティーシュ長編」。 それまでにも、非公式に(だろーな)ボンドが客演したアニメ版『エイトマン』第20話「スパイ指令100号」(脚本・半村良)やリスペクト精神いっぱいのパロディ長編、イ※ン・フ※ミ※グの『アリゲーター』(1962年)などの楽しい事例はあったが、フレミングとボンドのコンテンツを版権管理する面々が公認した正編そのままの世界観とキャラクター設定を継承する公式なパスティーシュ作品では、これが史上初になったはず。 それで評者は、本作『孫大佐』については何十年も前から「地味だ」「お行儀良すぎる」とかの世評を聞いていたので、そのつもりであまり多くを求めないように読んだのだが、かように期待値が低かったためか、なかなか楽しめた。 ボンド版のシャーロッキアン的な研究読本『ジェイムズ・ボンド白書』にも参加し、正編シリーズの各編を展望、分析しているマーカム(エイミス)だけに、良くも悪くもソツはない。事件の時制は、スカラマンガ事件(『黄金の銃を持つ男』)の翌年ときちんと本文の序盤で叙述されるし、作中のボンドの記憶に日本からソ連に渡った悪夢の日々、といった主旨の描写(もちろん『007号は二度死ぬ』~『黄金の~』の流れ)もちゃんと出てくる。 一方で発端の事件そのものはやや微妙で、「M」の誘拐はもちろん非常事態だが、読者視点&ファン視点的には、こんな「007」世界の大物キャラをエイミスが勝手に殺したりする権限なんかないと察しがつくし。その意味じゃ精神的にタフな爺ちゃんひとりさらわれたからといってどーだってんだという、緊張感があまり湧かない心境になってしまう。 むしろ読み手の興味は、「M」の誘拐を経てさらに同じように連行されかかったボンドの方に、一体どういう利用価値があるのか? そっちの方に比重が傾くことになる。 結局、終盤に明らかになる悪役・孫大佐たちの本当の狙いの方(もちろんココでは書けない)が、やっぱり、スパイスリラーの事件のネタとしてはずっと面白い。ただまぁ、この敵の策謀を初めから読者に明かしていたら、ずいぶんと薄っぺらい物語になってしまうから、その辺がもったいつけられるのは仕方がないのだが。 それと、孫大佐の歴代悪役に匹敵するサジスト描写はなかなか強烈な一方、悪人キャラクターとしてはややスケールが小さいとか、ボンドの窮地からの脱し方が……とか、いろいろ思うところはあるが、個人的にはまあ許容範囲。 特にピンチからの脱出の流れに関しては甘いなーと思う一方、ボンドの長い諜報員人生の中にはこんなこともあるんじゃない? 的な、作中世界での妙なリアリティを感じないでもなかった。 あと個人的に印象に残ったシーンでは、敵陣に乗り込む際、知り合った現地の事情に詳しい男の子を連れて行けばそれなり以上に役に立ちそうなところ、相手の子供のこれからの心の成長のために、今回の事件に深く介入させるのは決して良いことではないとして、その子を強引に引き返させるボンドの良識ぶりがステキ。作者エイミス(マーカム)は、基本はモラリストで英国紳士の地顔を忘れないボンドのキャラクターをよく理解している。 ぶっ殺された敵の死体を前に、自分もいつかこうなるのだなと内心でしみじみするボンドの、どっか山田風太郎忍法帖的な叙述もよい。 しかし結局のところ、本作『孫大佐』はあまり読者の支持を得られず、小説世界のボンド再生計画は映画のノベライズを別にして後年のジョン・ガードナー路線まで間が空いちゃうことになってしまう。 それでも今回、本作を初めて読んで、後年の新作映画版のオリジナルストーリーにも影響を与えてるんじゃない? と気がついた。ここではネタバレになるから言わないけれど、本書を読み、映画の主立ったところを観ている007ファンなら、まあ大体、何を言っているかわかるでしょう。 最後に、ハヤカワミステリ文庫版の登場人物表(表紙の折り返しや本文の巻頭)は、前半に出てくる一部のキャラクターの(当初は秘密の)所属陣営を明かしてるので、厳密にネタバレ回避したい人は見ない方がいいです。 まー、中盤にははっきりする情報だから、別に、ミステリの本筋的などんでん返しの類とかは、まったく無関係な案件なんだけど。 |
No.658 | 4点 | 偽装特急殺人旅行 斎藤栄 |
(2019/09/27 10:09登録) (ネタバレなし) 大企業GNEを経費の乱用ゆえに馘首された相馬正男、師匠から破門された奇術師の卵・小森貞夫、無免許医療が発覚した下城照明、自称催眠術師の神原国平、特急「みずほ」の食堂車の美人ウェイトレス・宇津木かおり、日本交通センターのOL・村上美登里。私立「栄胞高校」の元学友だった6人の若者は、相馬の提案を受けてGNEが開発した画期的な新技術のデータを強奪。一億円払わなければこの情報をライバル企業に渡すと恐喝した。作戦は障害を乗り越えて成功しかけたに見えたが、奪った一億円の現金を一時的に預かった小森を、正体不明の男女が奇襲した。自分が死んだように敵を欺いた小森は地中に埋められかけるが、その際に頭上をそっと見あげると、顔の見えない謎の女の尻肌に小さな黒子があった。九死に一生を得た小森は、奪取を逃れた半額の五千万だけを携えて逃走。その金の一部で外見を大きく変貌させた小森は、一億円の横取りを企み、自分を殺そうとした真犯人たちの正体を暴くこと、そして復讐を誓う。 題名だけ聞くと西村京太郎のトラベル・ミステリみたいだが、実際にはむしろ同じ作者(西村京太郎)の『ダービーを狙え』みたいな、エロ通俗要素の濃厚な、若者たちを主人公にしたクライムストーリー。 途中から突発的な殺人が生じ、形ばかりフーダニットの要素も導入されているが、全体的に下世話な展開。 <自分を殺そうとした謎の女の尻に黒子があったので>というのを作劇上のエクスキューズにしながら、小森が疑惑の目を向けた仲間の女ふたり、そして友人の男どもの本妻や情人たちを次々とあんな手段やこんな手段でひん剥いていくいやらしい描写にも、こちらの求めるトキメキがあまりない。もしかしたら本作は矢上裕の『エルフを狩るモノたち』の元ネタか?(たぶん違う。) 途中までは、久々に本当にしょーもない作品を読んだかという気にもなったが(いや読了後の今でも少なからずそう思っているが)、最後まで付き合うと、とにもかくにも一本の長編にまとめた作者の力業はまあ認める。しかし捜査陣の名前ばっか数名出てくる警察は、本当に無能であった。 たまたま書庫にあったから気が向いて読んでみたけど、実のところ作者・斎藤栄はこれまで特に守備範囲でもなかった作家だし、この本も買った覚えがない。なんでこの本(トクマノベルズ版)、家にあったんだろ? 家人の蔵書とも思えないが。ある日窓から飛び込んできたのか。 |
No.657 | 5点 | オペレーション/敵中突破 ダン・J・マーロウ |
(2019/09/26 16:53登録) (ネタバレなし) 「おれ」こと、変装の名人の犯罪者アール・ドレーク。彼は時折、米国の秘密機関「ワシントン作戦部」の要員カール・エリクソンの依頼で、表沙汰に出来ない政府の作戦にも協力していた。今回、ナッソーに乗り込んだドレークとエリクソンは裏社会の集団「組織」から機密の書類を奪取するが、逃走の最中にエリクソンはドレークを庇う形で、別件から地元の警察に捕まってしまう。ナッソーでの旧知のギャンブラー、キャンディ・ケーンとその恋人チェン・イーに一時的に身を匿ってもらったドレークは、母国アメリカにいったん帰国。「組織」の追撃がエリクソンに及ぶ前に、彼の救出をワシントンの関係者に要請しようとするが、接触した相手の反応は、揃って冷ややかだった。ドレークは自分の恋人で、エリクソンとも旧知である美貌の未亡人ヘイゼル・アンドリューズの支援のもと、独力でエリクソンの救出を図る。 1971年のアメリカ作品。ダン・J・マーロウの看板シリーズで「千の顔を持つ男ドレーク」シリーズの第三作目(日本では本作から紹介)。 作者マーロウは、21世紀の日本では完全に忘れられた作家だと思うが、このドレークシリーズの一篇で、MWAペーパーバック賞を受賞。さらにあのスティーヴン・キングも、かの『コロラド・キッド』(読みたいぞ)の巻頭で献辞を捧げているらしい。 評者はこのたび別の本を探しに書庫に行ったら、今回レビューしたこのポケミスにたまたま遭遇。そういえばコレ、昔「ミステリマガジン」の読者欄「響きと怒り」に投稿が載った際、献本でもらった一冊だったんだよなあ、しかし当時はそんなに興味も湧かない作品だったのでウン十年も放って置いたんだよなあ……と、いろんな思い出が甦ってきた(笑)。 それでちょっと気になってwebで検索したら、マーロウは、キングの評価する、またはリスペクトする作家という前述の情報が判明。じゃあ読んでみるかと、頁をめくり始めた。 でまあ、感想だが、内容はとりたてて秀作とも傑作とも思わないものの、それなりに面白い。 調べたところ主人公アール・ドレークのデビューは1969年で、政府の秘密作戦に協力する犯罪者ヒーローという設定は、60年代スパイブーム(シェル・スコットやらエド・ヌーンまでもそちらに傾いた)の余波プラス「悪党パーカー」のヒットの影響、その辺のミキシングだと思うが、この作品『敵中突破』の場合は、戦友のエリクソン(かつてドレーク、ヘイゼルの3人で、ともに死線をくぐり抜けた仲でもあるらしい)を助けようと本気の友情と義侠心から懸命になって奔走するものの、しょせんおまえは外注の非合法応援要員という扱いで、政府筋からはまともな応対も得られない。中盤の部分はかなりその辺の描写に費やされ、正直、活劇アクションとしてはどうにもスカッとしない流れではあるものの、作中のリアリティとしてはそういう事態もあるであろう事をつきつめる意味で、読み手のこっちにはなかなか興味深い。 そんなセミプロ工作員の情けなさが、物語の後半の反撃のスプリングボードとなるわけで、全体のラスト3分の1の展開はかなりコンデンスでスピーディだが、これはこれでよかったとは思う。 ただ不満が二つあり、ひとつは敵対する「組織」の強大さがさほど演出されていないこと、あとは物語の序盤でドレークとエリクソンが狙った書類の素性が最後まで明かされずに終ること。 もちろん後者に関しては作劇上の扱いは単なるマクガフィンの小道具なんだから曖昧に終ってもいいのだが、少なくとも作中で おれ(ドレーク)「結局、あの書類はナンなんだ?」 エリクソン「……それについては聞かない方がお互いのためだ」 おれ「そうだな」 くらいの叙述はあって良かっただろう。そうすれば小説的な凄みも出ただろうに(まあ、すでに何回もこの手の任務はこなしてるんだから、いまさら何も言わない同士なのも、ソレはそれで、リアルではあるのだが)。 全体に過剰なほどにベッドシーン&明るいセックス描写が多いのは、この時期の読み物アクションミステリらしい。 2~3時間で読み終えられる佳作。ただこの一冊だけだと、キングがどこに引っかかったのかは今ひとつ見えない。キングが推薦しているという『ゲームの名は死』(もともとは別の主人公として出版されたが、ドレークシリーズのヒットを前提に、主人公をドレークに改訂した作品。翻訳はドレーク主人公版)の方を、そのうち読んでみようか。 |
No.656 | 6点 | 虹のような黒 連城三紀彦 |
(2019/09/25 23:09登録) (ネタバレなし) 聖英大学の大学院生で美人と評判の麻木紀子は、妻帯者の大学教授で自分の恩師でもある41歳の矢萩浩三と肉体関係を結んだ。紀子は、1年以上前から付き合っていた恋人で大学の先輩でもある沢井彰一に、別れ話を切り出す。彰一はその申し出を了解するが、最近、妙なものが送られて来ていると、あるものを見せた。それは全裸の男女が絡み合う手描きのイラストで、紀子は直感的にそれが自分と矢萩の情交の図だと察した。さらに聖英大学の周辺には、類似のイラストが乱れとび、そんな折、大学内の暗闇の密室の中で、ある凌辱劇が発生する……。 2013年に他界した連城三紀彦の、書籍化されずに残っていた最後の長編。初出は2002年~2003年の「週刊大衆」で、彰一、紀子、矢萩、それに矢萩の妻の綾子の四角関係を主軸に、さらに大学ゼミ内の学生たちをも巻き込んだ濃厚な劣情のドラマが展開する。 面目ない事に評者は連城作品とのこれまでの付き合いは1980年代までのものとこの近年に発掘されたものが主体で、90~00年代の作品群はまったく読んでいなかったので、これが作者の全域の作品群の中でどのような位置を占めるかはよく分からない。性愛描写も掲載誌の要請に合わせたのであろう感じで実に露骨だが、それでもどこかに妙な品格が漂っているのがこの作者らしい。 よく知らないが、聞くところによる渡辺淳一の世界? ってのは多分こんなもんなのかなー、という感じで読み進んでいき、生前に本にならなかった、ミステリ味も希薄な作品なのかな、という予断もあったが、はたして後々には、いかにも連城らしい(前述の通り、若い頃しか知らないが)「××の××」が終盤にちゃんと用意されている。それを機会に徐々に実相を変えていく物語世界の危うさは、スリリングで心地よい。 ただしそんな一方、少なくとも本作に限っていえば、結構ノープランで書いちゃったんじゃないか? と思える感触もあった。特に物語序盤には印象が薄いどころか、影も形もなかった大学周辺の若者キャラたちが、あとあとになって、いかにも最初から物語のメインの場にいたような感じで比重を増していたのになんか違和感を覚える。 本気で作者が生前に了解のもとに刊行されていたら、もうちょっと改稿・推敲されて、その辺のバランスはよくなっていたかもしれない。まあ無いものねだりではある。 今はとにかく、幻の作品を発掘して書籍化してくれた関係者に感謝。 ちなみに本作は、雑誌連載中に作者自身が小説本文に沿った挿し絵イラストを描き添え、一回二葉、全36回の連載で合計72枚の画稿を執筆。今回の単行本には、そのイラスト全72枚が完全に収録されている。画稿の主題の大半は物語の流れに応じたエロチックなもので、ヘタウマというかウマヘタというか、それなりに上手いもののどっかアマチュアっぽい画風が奇妙ないやらしさを感じさせる。本書はこのイラストも込みで賞味される作品ということで。 |
No.655 | 6点 | カリ・モーラ トマス・ハリス |
(2019/09/25 12:25登録) (ネタバレなし) マイアミ。コロンビア移民で複数のバイトをしながら、獣医を目指して勉強に励む25歳の美女カリ・モーラ。彼女はバイトの一環で、20年以上前に死亡した麻薬王パブロ・エスコバルの遺した大邸宅の管理人をしていたが、実はその屋敷の周辺には、莫大な価値のある金塊を納めた金庫が巧妙に隠されていた。そしてその金庫の存在を知った裏社会の各方面の人間が金塊を狙うが、肝心の金庫はヘタに扱うと大爆発を起こす仕掛けに守られており、誰も手が出せないでいた。だがこの金庫の秘密を知る老人ヘスス・ビジャレアルに複数の裏の世界の人間が接近。緊張の事態は、何も知らないカリを巻き込んで動き出す。だがそのカリもまた、日常の顔からは窺い知れない凄惨な過去を秘めていた。 本年2019年のできたてホヤホヤのアメリカ作品。巨匠ハリスの13年ぶりの新作だそうで、世の中はあのハリスにしては物足りない、とか非難囂々だが、本書がたしか初めてのハリス作品となるこっちには、普通にじゅうぶん面白かった。 いやハリスは『ブラックサンデー』のハードカバー版から、ちゃんと新刊で買っていたんだよ。ただしその際にはなんとなく積ん読で歳月が経ってしまい、その後の話題作群も十二分に守備範囲ながら、なぜか全く読んでない(笑・汗・涙)。まあレクターものは、シリーズが進む内に、どうせなら最初から読もうと思ってそれが枷になり、引っ張られた感じなんだけど。評者の場合、似たような関係性の作家って、少なくないし。 それで本書の話題に戻って、裏表紙には「傑作サイコサスペンス」と書いてあるが、実際には金庫を狙う悪党どものクライムノワール+半ば巻き込まれ型の女××もの。ただし確かにサイコサスペンス要素もあり、その辺は金庫を狙う悪党の中で一番の外道筋で、本業は臓器密売人の全身無毛男ハンス・ベーター・シュナイダーのキ○ガイぶりに甚だしい。グロくて残虐で悪趣味な描写が続出する(こいつと取引する客も同等かそれ以上のキチ○イ)。まあ乾いたブラックユーモア的な筆致はさすがにこなれているので、胸糞が悪くなる程度で済むけれど。 次第に明らかになる主人公カリの過去、少女時代の彼女がアメリカに逃げ込むまでの描写(助けてくれる某キャラがとてもいい)、さらに悪党ではありながら、そこそこ仁義を守る(けどかなりおぞましい事もしている)暗黒街のボス、ドン・エルネストと、その部下の一味の描写など、それぞれがフツーにエンターテインメントとして巧みでひと息に読ませた。特にエルネスト一味の末端の部下、アントニオ青年とベニートじいちゃんとカリの交流の図などは悪くない。(さらに終盤にもうひとり、もうけ役のキャラが出てくるが、これはナイショ。) 良い意味で、シリーズ化はしてもしなくてもいい感じではある。 |
No.654 | 6点 | フラックスマン・ロウの心霊探究 E&H・ヘロン |
(2019/09/24 18:39登録) (ネタバレなし) ミステリマガジンや各種・英国クラシックホラーのアンソロジーなどにこれまで四篇のみ邦訳があるオカルト探偵(表稼業は心霊学者)フラックスマン・ロウの事件簿、全12篇の連作短編を初めてまとまった形で翻訳した一冊。 作者E&H・ヘロンは、英国の小説家ヘスキス・プリチャード(1876-1922)とその母、ケイト(1851-1935)の合作ペンネーム。息子の方は単独で、ホームズのライバルたちのひとり=カナダの狩人探偵ノヴェンバー・ジョーを主人公に据えた連作『ノヴェンバー・ジョーの事件簿』の創造主としても知られる。 評者的には、本当にスーパーナチュラル要素が存在する世界観での小説分野でのオカルト探偵の最高峰は、昔ならカーナッキ、後年ならサイモン・アークである(糞面白くもない、あまりにもフツーすぎる定番の観測&評価だが)。 それで本作の主人公フラックスマン・ロウの雑誌デビューは1898年、全12篇が完結して本になったのが翌1899年だそうだから、1910年に雑誌デビューのカーナッキなどよりずっと活躍時期は早い。その辺が、このフラックスマン・ロウが、オカルト探偵キャラクターの始祖的存在としてもてはやされる所以らしい。 シリーズの中身は基本的に、各地の幽霊屋敷の怪異を探求、事態の解決のためにロウが乗り込んで行くパターン。 謎の異形の幽霊、見えざる何か、神出鬼没の小人、包帯を巻いた幽霊、瞬時に被害者を絞殺する謎の殺人魔、突如現れる巨大な幽霊の顔、燐光人間……とオバケのネタは豊富だが、基本的に似たパターンの同工異曲の話の流れではあるので、その辺がちょっと倦怠感を呼ばないでもない。 レギュラーのワトスン役も用意されておらず、本当ならその手の相棒との掛け合い芝居的な、ヌカミソサービスでもあればいいんだけどね。 ただし(あまり詳しくは書けないが)後半になっていくらか変化球っぽい話も飛び出し、この辺は作者コンビもいつまでも似たような話じゃダメね、チェンジアップを効かせましょ、とシリーズ構成の工夫を試みたフシは伺える。最後の二篇は前後篇で、ミステリファンにはおなじみのあの大悪役を思わせるキャラクターが登場してくるのもちょっと楽しい。 個人的にホジスンの『カーナッキ』のどこが好きでどこが優れているのかと問われれば、ひとえにあの鮮やかなシリーズ構成にあるのだけれど、作者ホジスン、当該ジャンルの先駆作として、この『フラックスマン・ロウ』から素直な先輩としても、また反面教師としても、学ぶところが多かったんじゃいないかな、と思う。 そういえば『ドラキュラ紀元』には、このフラックスマン・ロウは客演してたんだったかな? 名前だけでも出てきたかな。今度そのうち確認してみよう。 |
No.653 | 5点 | 頭が悪い密室 水原章 |
(2019/09/24 04:19登録) (ネタバレなし) 先日のヤフオクで、本書を複数の入札者が競りあっているのを目撃。 全然知らない作家で、さらにちょっとインパクトのある題名、それに帯の「密室殺人・人間消失・透視術・謎・謎・謎」という惹句に気を惹かれて、図書館便りで取り寄せて読んでみる。 なお現状でAmazonに登録データはないが、本は2006年1月30日に早稲田出版という版元からハードカバーで刊行されている。本文は全294頁(奥付含まず)。 内容は短編集で、収録作品は4つのパートに分類。 全部の作品の題名と、その初出データは以下の通り。 第一部 白い檻(「雪」1963年6月号) 世界をおれのポケットに(「雪」1963年12号) 人間消失(「雪」1970年9月号) 血の掟(「雪」1970年11月号) 死者からのラブレター 蛸人 第二部 けものが眠るとき(「新大阪新聞」1960年7月15日) あたしは夜が怖い(「新大阪新聞」1961年6月23日) 死を賭けろ(「新大阪新聞」1959年8月14日) 頭が悪い密室(「新大阪新聞」1961年1月20日) 仮面をかぶって殺せ(「新大阪新聞」1960年10月21日) 謎を解いてちょうだい(「新大阪新聞」1961年7月14日) 断崖(「新大阪新聞」1961年5月26日) キッスで火を点けろ(「新大阪新聞」1961年9月8日) 第三部 色彩学教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 解剖学教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 生物学教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 確率論教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 物理学教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 第四部 日の果て(「別冊宝石」33号/1953年12月15日号) 殺意(『密室』28号/1960年8月15日号) 以上、本書の巻末の記載から。「雪」というのはどういう雑誌(同人誌?)か全く知らない。デイリースポーツ新聞系の初出データが大雑把だったり、『世界をおれのポケットに』のデータを本当はたぶん12月号と書くべきところが変になっているのは、単純に誤植か、あるいは作者の手元に残っていたメモとかが不正確だったからか。 なお『死者からのラブレター』『蛸人』の2つはデータの記載がない。本書で初めて日の目を見た、未発表作品だったのかも知れない。 いずれにしろこのデータを見れば分かる通り、2006年の新刊のくせに、実はかなり古い作品ばかり。(実を言うと先にwebでその旨のうわさを目にしており、ソレで興味を惹かれた面もある。) なお作者・水原章に関しては、奥付の手前の頁に「大阪生/関西学院大学卒/日本推理作家協会会員」とごく簡素な紹介があるだけ。いまだもってそれ以上の情報はないが、同人誌「密室」に、本書の一番最後に収録の作品『殺意』を載せている事から、たぶん老舗ミステリーサークル「SRの会」の一員だったのだろう。あー、つまり評者の先輩だね(笑)。 それで肝心の作品の内容は実に幅広い作風で、第一部には比較的フツーの短編ミステリっぽいものが並んでいるが、その中身は軽パズラーもあれば、スレッサー風のツイストを利かせたショートストーリーまで様々。出来はいろんな意味で総じてまあまあ。最後の『蛸人』は一種のホラーSFである。 曲者なのが第二部の「新大阪新聞」系の作品で、例えるなら日本版「マンハント」でのゲスト日本作家による、洒落たパロディ・ハードボイルドのような傾向のものが主体。このセクションの作品群が、私見では一番、本書の個性を打ち出している。中では特に「仮面をかぶって殺せ」がインパクトあった。21世紀の今では、絶対に商業誌に載らない種類の作品。 第三部はミステリクイズ風のショートショートで、各編の解答は別立てになっている。 最後の第四部はちょっと腹応えのある、長めの短編というか短めの中編が二本。『日の果て』は密室、毒殺、アリバイ崩しとパズラー要素の強い作品だが、いかにも「宝石」の長い歴史の中に埋もれた作品っぽく、狙い所の定まらない印象。『殺意』は男女の三角関係を巡って二転三転するトリッキィな内容だが、あまり小説そのものがうまくないせいか、ちょっと退屈。 しかしどういう経緯で、こんなマイナー作家の旧作群が、40年以上も経って本になったのか不思議(1960年代辺りに一度本になったものの再刊行……ということはナイよね?)。 版元の早稲田出版の名もあまり聞かないので、老境に入った元作家の卵&ミステリファンが、昔の手すさびの作品を自費出版したのかとも思った。が、この出版社は特に自費出版物の版元という訳でもなく、webで検索すると経済・経営関係のセミナー書? の類などを出しているようである(他のジャンルもいくつか。ただし文芸書は少ない)。 同版元の経営者か編集者とかが、個人的に作者と旧縁でもあったかも。 昭和のマイナーミステリのマニアは、安く出会えたら話のタネに買っておいてもいいかも。ただしあまり高い値段で購入する必要はまったくないでしょう。 |
No.652 | 5点 | みどり町の怪人 彩坂美月 |
(2019/09/19 04:13登録) (ネタバレなし) 埼玉県の県庁所在地から電車で30分ほどのY市。そこのみどり町では、20年前に若い奥さんとその子の赤ん坊が不思議な怪人に殺されたという都市伝説があった。そしてその後も現在まで、怪人は町のどこかに潜んでいるという。FM放送の番組「ミッドナイト・ビリーバー」は、今回もその怪人について送られてきた情報のハガキを読み上げるが。 関東の一角、辺鄙な住宅地を舞台にした連作ミステリ。全7本の事件がまとめられているが、別のエピソードの主要人物が他の話のサブに回ったり、またはその逆だったり、この辺はよくある趣向。 評者は連作短編集の場合、人物メモを取らずに読み進めることが多いのだが、今回はたぶんキャラクターが前述の形で絡み合う事が予想されたので、当初から白紙とペンを用意。登場順に名前と情報を書きこみ、また後の話で再登場したらそのたびにデータを書き加えて整理していった。今回はこの作業がちょっと楽しかった。 ただしミステリの出来としては、まあ、よくない意味でそこそこ。 帯に「都市伝説×コージーミステリ」と謳っており、それって直球のパズラーでもなくトリッキィな仕掛けもなく、とにもかくにも今回は、都市伝説をネタにしたライトな連作ミステリを読んでくれ、ということなのか、という感じであった。 実をいうと自分はいまだもって「コージーミステリ」の定義も形質もいまひとつピンと来ない人間なんだけど、少なくともその言葉って、こういう風に「歯ごたえのあるミステリではございませんよ」といった言い訳に使う類のものではないと思うのだが。 それで7本の話の中には、人間ドラマ的な意味ではちょっといい話はいくつかあって、まあその辺が読みどころというか、この本の価値なのかな、と思う次第。 一方で前述のようにミステリ的には全体的にどうってこともない話ばっかなので、うーん、まあ……積極的に悪口を言う気もないけれど、褒めるところにも困るよね、という感じであった(汗)。 都市伝説としての怪人の正体、文芸の方は、作者のやりたいような事は見えるようなんだけど、それもまた「ふーん」という感じで終了。 総括するなら、水で割った豆乳みたいな作品。栄養やうま味が皆無ではないが、良くも悪くも(どっちかというと後の方で)薄いよなあ、という食感。 電車やバスの中での時間つぶしとかには、まあいいかもしれません。 |