人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.34点 | 書評数:2199件 |
No.1199 | 6点 | ポップ1280 ジム・トンプスン |
(2021/06/10 15:41登録) (ネタバレなし) アメリカのどこかの田舎町、ポッツ郡のポッツヴィル。そこは人口およそ1280人(ポピュラリティー1280)の小さな町だ。「おれ」ことニック・コーリーは、それなりの年俸と収賄で安定した生活を送る悪徳保安官だった。だが知恵遅れの美男の弟レニーを同居させる、口うるさい妻マイラが少し煩わしい。ニックには美貌の人妻の愛人ローズ・ハウクがいたが、最近では元フィアンセのお嬢様エイミー・メイスンと寄りを戻したい気もしてきた。さらにニックがみかじめ料を取っている売春宿のヒモの男ども、ローズの旦那の大酒飲みトム、そして次期保安官選挙の対立候補サム・ガディスたちが、多かれ少なかれめざわりだ。ああ、ニグロどももな。ニックはひそかに、自分の今後の快適な生活のために、下準備を進めていた。 1964年のアメリカ作品。 以前に読んだトンプスンの1952年作品『内なる殺人者』(『おれの中の殺し屋』)のリメイクみたいな、ローカルタウンを舞台にした悪徳保安官もの。 大枠で言えば似た造りだが、先行作の主人公ルー・フォードが内面に暴力志向といった主旨の獣性を秘めているのに対し、こちらの主人公ニック・コーリーは、自分が必要、適当と思った状況でいくらでも遠慮なく、暴力への常識的な禁忌を破る感じ。まあともに、ドライに計算ずくで人を殺傷できるキャラクターなのは違いないのだが。 ニックと3人のメインヒロインとの関係性、絶えずかなり巧妙に悪事のための布石をはりまくるニックの手際、意識的に露悪的に描かれた人種差別の要素など、前作とは異なる文芸要素や主題も少なくない。特に黒人への侮蔑の数々は、アメリカのミステリ界をふくむ文壇全般にブラックパワーが満ちてきた時代だからこそ、あえてやった趣向だろうな。 21世紀の今の新刊でやったら確実にコンプライアンス問題になるような描写だが、この作品当時の作者や版元(編集部)の言い分(大義)としては、こういうアンチヒーローが毒づくような人種差別の観念だから、結局はわれわれ送り手はそういう差別意識と逆の立場をとっているのだとか、何とかか? 『内なる』のバーバリックなパワーが希釈された分、小説としての洗練度は多少あがった感じがあるし、前述したようないくつかのとんがった描写や趣向も際立ってはいる。前作との比較は今後も逃れられない作品だとは思うが、トンプスンの世界にちょっとずつなじんできた自分のような読者からすれば、発表順で読んでおいて良かった、と思える一冊だった。 なお今回は2006年の文庫版で読んだが、巻末の解説によると、作者が刊行の前に削除したラストの最後の2行があったらしい。その内容そのものもはっきり書かれているが、これ(もちろん具体的にはここでは書かないが)をカットした作者の心情を思うと、あれこれ妄想が膨らまないでもない。個人的にはあっても良かった、いや、あったほうが良かった、と思うのだが、実際にそういう決着だったら、それはそれでまたアレコレものを思ったりしそうな気もしてしまう。まあそんな幻のラストだ。 |
No.1198 | 6点 | 異次元を覗く家 W・H・ホジスン |
(2021/06/10 03:15登録) (ネタバレなし) 20世紀の初め。「わたし」こと作家ウィリアム・H・ホジスンは、釣り友達のトニスンとともに、アイルランドの西外れにある小さな村クライテンに出かけた。ホジスンたちの目的は釣りの穴場の確認だったが、やがて霧に覆われた原野に巨大な廃墟を見つける。そしてそこに残されていたのは、かつて老嬢の妹メアリーとともにこの地で暮らしていた50歳の男「わたし」による、驚くべき手記であった。 1908年の英国作品。 オカルト探偵「カーナッキ」の産みの親で、映画『マタンゴ』の原作短編『闇の声』(またの邦題は「夜の声」「闇の海の声」「闇の中の声」など)の作者として知られるホジスンの第二長編。 ホジスンの初期長編3冊は、物語の設定も主人公も違うが<(広義の)怪奇冒険もの>という主題で姉妹編となり「ボーダーランド三部作」と称されるが、これはその二作目にもあたっている。 作中のリアルで残された「手記」を見つけたホジスンの述懐が、プロローグとエピローグをブックエンド風に構成。その狭間で、ホジスンが若干の注釈を付記した「手記」の本文が読者に公開され、その手記の部分が小説の幹となる。 大筋は、どういうわけか、その「わたし」(手記の主人公)の邸宅が異次元? の空間にリンク。通常の物理法則を凌駕して何万年も先の未来に繋がり、向こうの世界を覗く一方、19~20世紀? のアイルランドにも異形の怪物(頭部がある動物の姿に似た亜人種で、未来人らしい)が来襲する。さらに手記が進んでいくと、今度は主人公「わたし」のかつての恋人が昔の姿そのままで異空間に現れ、どうやら単純に未来世界とリンクしただけでなく、主人公のインナースペースにも繋がっているのか? と思えるようになる。 まあ正直、手記で語られる異世界の解釈はしてもしなくてもよいような小説で、評者などは映画版『2001年宇宙の旅』の後半のような、奔放に無限に広がりながら、一方でどこかに収束の糸口を求めているような、そんなパワフルな世界像の展望を楽しんだ。 悠久の時の彼方の荒廃した未来世界のイメージは、ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)の影響などもあるのかもしれないのかな? と一瞬、考えたが、評者はまだ『タイム・マシン』の実作をきちんと読んでいない(ジョージ・パルの映画版はさすがに何回か観ているが)ので、厳密なことは言えない。もっと英国のSF、幻想文学の大系をきちんと探求すれば、さらにはっきりしたものが見えてくるだろう。 いずれにしろ、手記の中の主人公「わたし」は主体性は随時見せるものの(現実の現代では、妹を気にかけたり、愛犬の心配をしたりする)、一方で異世界に繋がる異次元との接点や、来襲する怪物たちから決定的に逃げ出す意識などは見せず(それこそ「普通」の感覚なら、助けを呼んだり、大都会に避難したりすればいい)、怪異な状況におびえる面を見せながらも、どこかこの運命に魅せられているらしい? 気配が覗く。 手記が終わったのちに語られるホジスンのエピローグもまた、手記の主人公にならう異世界へのおびえと裏表の憧憬の念を吐露。そしてそんな想いはそのままさらに、作品を読み終えた読者の心へと、多かれ少なかれ継承されてゆくことになる。 |
No.1197 | 7点 | 少女ティック 下弦の月は謎を照らす 千澤のり子 |
(2021/06/09 22:22登録) (ネタバレなし) 昭和と21世紀の景観が同居するような下町。北里小学校小学生で5先生に進級したばかりの片瀬瑠奈は、老女に扮した謎の人物によって暗い部屋に監禁された。犯人の正体も動機も不明、この監禁場所も未詳。瑠奈は連絡を取れる外部の人間=携帯ゲームのすれ違い通信で出会った顔も知らない「フレンド」たちに救助を求めるが、そんな彼女はゲーム内でも何者かによって閉じ込められてしまう。(「第一話 少女探偵の脱出劇」) 女子児童・片瀬瑠奈を主人公にしたエピソードが語られる、全4本の連作中編ミステリ。彼女のゲーム内のフレンド「下弦」(本名は~)がもうひとりの探偵役となる。 誘拐や殺人事件など、狭義の「日常の謎」をはみ出したような主題も織り込まれるが、基本は瑠奈の出会う日々の生活の場やその延長の世界でのホワットダニット、ホワイダニットが主軸。 特に第二話の<少女の冒険>を描く遠出編などは、仁木悦子の児童ものあたりを、時にダークめにもなるあの雰囲気を守りながら21世紀に再生したら、こんなになるんじゃないか、という感じ。ゲスト登場人物が妙に強烈なキャラクター(リアルなのかしらね)の第三話なども、よかれあしかれ心に残る。 ちなみにこの連作は2016~17年にかけて光文社の「ジャーロ」に連載されたものだったらしい。だったら光文社で本にしてやれよという気もするが、完結後3~4年も経ってからマイナーな出版社(翻訳ものミステリでゲリラ的に頑張っている行舟文化)からようやく出版された。この出版不況のなか、連載作品の書籍化も保障されないというわけか。 そういう事情だからかどうか、このシリーズ4本をまとめた書籍には(中略)な新規エピローグを書き下ろしで追加。 こういうものが来るとは思わなかったので、軽く驚いてしまった。詳しくは言えないからここまで。なんか数十年前の、あの作品の書籍化、当時のあの新刊を思い出したりする。 新規のエピローグそのものの評価はちょっと保留したいが、全4本、それぞれなかなか独特な味わいはある連作ミステリ。 評点は0.5点ほどオマケ。 |
No.1196 | 7点 | 714便応答せよ アーサー・ヘイリー&ジョン・キャッスル |
(2021/06/09 21:03登録) (ネタバレなし) 1958年。カナダのマニトバ州にあるウィペッグ空港から、米国ワシントン州のバンクーバーに向けて約50人弱の乗客と3人の乗員を乗せた「メイプル・リープ航空」の中型旅客機、714便が離陸した。同便はバンクーバーで行われる、フットボールの国際試合を応援に向かうファン一行にほぼ貸しきられていたが、わずかな空席に「フルブライト自動車」の社員でトラックのディーラー、ジョージ・スペンサーが着席。だが順調なはずの航路は、機内に思わぬ形で発生した集団食中毒により、悪夢の事態に変わる。食中毒でともに意識不明の重体になった機長と副機長にかわり、大戦中にスピットファイヤーの操縦士だったスペンサーは、やむなく714便の操縦を任されるが。 1958年の英国作品。 20世紀最大クラスの売れっ子・業界もの作家アーサー・ヘイリーの処女長編で、戦記などの著作がある作家ジョン・キャッスルとの合作という形式で上梓された。 本作が航空パニックサスペンスものの先駆のひとつということはなんとなく知っていたが、実作を手にして、1958年とかなり早い時代の作品だったことにかなり驚く。 『ポセイドン・アドベンチャー』『ジョーズ』『タワーリング・インフェルノ』ほかのパニック作品(小説、映画もふくめて)が隆盛したのが70年代の前半~半ばだったので(『ポセイドン』の原作は69年だが)、これはそれよりは早いにせよ、せいぜい60年代の中盤くらいの一冊だろうと思っていた。 日本での初訳は、講談社から『714便応答せよ』の邦題で刊行。のちに同じ翻訳の訳文が『O-8滑走路』の題名で早川のNV文庫に収録された。評者は今回、その後者の方で読了。 早川NV文庫版の訳者による解説を読むと、のちのヘイリーの諸作同様に丹念な取材に基づいて書かれた作品だそうで、事件そのものにも何かそのままではないにせよ、近い事例はあったかもしれない。 そう言えば評者の父親は生前よく「旅客機の機長と副機長は、出発前に絶対に同じ料理を食べないんだ。同時に食中毒になる危険をさける為に」と言っていた。もしその父親の見聞きした情報が正しかったのだとしたら、この作品のモデルになった1950年代の事件が航空業界の教訓になり、食事の慣習が整備されたのかもしれない、と妄想してみたりする。 逆境のなかで自分自身と数十人の生命を背負って奮闘する主人公、そのパートナーとなって副機長席に着くまだ21歳の美人スチュワーデス、重症者の看護に尽力する初老の町医者、地上から必死に無線で操縦をコーチする別の飛行機会社のベテランパイロット、と人物の配置が類型的といえば類型的だが、なんの、たぶんこれはこの手のもののオリジンというか、おそらくは限りなくそれに近いもの。ここでこそと作者が放り込む剛速球の直球が実にきまっている。 (パニックにおちいりかけた乗客連中が「素人が操縦してるのか!?」と主人公スペンサーに詰め寄り、操縦に集中しなきゃならない彼に過重なストレスを与えかける際、それまで三枚目のお笑いキャラポジションだった乗客のひとりが盾となってスペンサーを庇い、乗客一同をおちつかせようとする。こういう泣かせ場面を読まされると「ああ、本物の大衆作家は実にウマイ!」と感嘆することしきり。) 文庫版で本文およそ200ページと薄く、2~3時間で読めるけれど、このジャンルの新古典として充実した一冊。最後でとある二者択一の決断に迫られ、それで為すべきことに向かい合う主人公スペンサーの益荒男ぶりに打たれる。こういうものに関心がある人なら、いろんな意味で一度は読んでおいていいんじゃないかと思う。 |
No.1195 | 7点 | 化身 愛川晶 |
(2021/06/07 04:02登録) (ネタバレなし) 平成5年の夏。「聖都大学」文学部1年の女子・人見操(みさお)は、自宅のアパートで、何度も奇妙な封書を受け取る。中に同封されていた内容物のひとつは、いずこかの保育園らしき施設の写真だった。操の親友・星野秋子の仲介で、彼女たちのサークル「アウトドア同好会」の先輩・坂崎英雄が事態に介入。ミステリマニアの坂崎は、写真内の手がかりから該当の施設を探り当てるが、やがて、そこでは19年前に幼児の誘拐事件が起きていたことが判明する。もしや自分は誘拐された子供だったのか? すでに両親が他界している操は、坂崎の協力を受けながら、自分の出生の謎を追うが。 第5回(1994年度)鮎川哲也賞受賞作品。 評者は愛川作品は初読みで、鮎川哲也賞の本作でデビューということも今回初めて知った。創元文庫版で読了。 広義の密室状況からの幼児誘拐の謎が、なかなか魅力的。真相そのものはやや弱いが、実態が暴かれていくプロセスの見せ方で、けっこう工夫を感じさせるものになっている。 しかし特筆&評価すべきは、やはり、主人公と読者を振り回す戸籍関係の謎と真相であろう。いささか専門知識に類するものとはいえ、よく調べてよくミステリとして組み立てたものだと、感嘆することしきり。 創元文庫版で440ページ以上とやや厚めの作品だが、登場人物はリアルタイムでの故人を含めて20人ほどと、かなり少ない(実際のミステリ部にからむのは10人もいないか)。しかしその分、キャラクターは丁寧に書き分けられ、特に身長170cm、体重100kg以上の巨漢ながら終盤まで主人公ヒロイン・操のナイトとして彼女を支える坂崎の造形は実に精神的、人間的な意味でイケメン。そのほかのサブキャラ連中も総じてくっきりと、よく書けている。 スリリングかつシリアス要素も強い、誘拐もの&自分探しミステリではあるが、逆境にくじけない操とそれを応援する坂崎やほかの脇役たちの描写はまさに正統派の青春ミステリの味わいで、クロージングまで心地よく楽しめる。 kanamoriさんのおっしゃるように、物語&事件のモチーフとして採用されたインド神話にあまり必要性が無いように思えるのは弱点だが、十分に秀作~優秀作。 あえていえば、過去の事態の真相がちょっとギリギリ……かな。まあフィクション劇中のリアルとしては、これもアリ、ということで。 |
No.1194 | 6点 | ゼロ時間へ アガサ・クリスティー |
(2021/06/06 05:02登録) (ネタバレなし) 数十年ぶりの再読(大昔に古本で買ったポケミスの初版を引っ張り出して読む)。少年時代に一度読んだきりで、バトル警視がポアロのことを思い出すシーン以外は完全に忘れていた。なにしろトリックもプロットも犯人も、そしてタイトルの意味すら失念(汗・笑)。 というわけで、ほとんど初読みたいな気分で楽しめたが、う~ん。個人的には良いところとアレな部分が相半ば。 「ゼロ時間」という趣向が悪い意味でメタ視点によりかかっているでしょというクリスティ再読さんの指摘にはまったく同感だし、ALFAさんのネタバレ部分のレビュー内の第三の意見にも共感。 特に後者は、ある意味じゃ実にバカバカしいステキな殺人トリック(被害者には悪いが)なので、もっとうまく効果的に使ってほしかった思いが強い。 あと、自殺失敗者アングス・マクハーターの運用は、あまりにも役割のための役割でしょう。いきなり本筋からまったく外れた部分で語るものだから、どういう風にメインプロットにハメ込むのかとワクワクしていたら、本当に作者の都合だけでまとめられたので驚いた。それゆえにラストもこの上なくシラける。なんかクリスティー、読者と自分自身に向けて、駒キャラだったマグハーターの処遇について、言い訳したんじゃない? まあ一方で「ゼロ時間」の実体となる犯人の着想そのものは、(類似のものがいくつかあるのは承知で)悪くはないなあ。ちなみに邦題は、旧訳の「殺人準備完了」の方がいいかもね? 冒頭のバトル警視の名探偵ぶりの演出、書き分けられた登場人物たち、かなり縦横に張られた伏線など、ホメるところも多くはある。 しかし全体としては、クリスティーがアイテアを数だけは放り込み、部分的に丁寧な一方、総じて雑にまとめた一編という感じ。 大体、<あの二人>の秘めた関係、露見されるまで秘匿されていた、他のキャラの話題にも出ないというのが、あまりにリアリティを感じないのだが。 個人的には、この数年間に読んだ(再読した)クリスティーの長編のなかでは最大級に、得点要素と減点要素がせめぎ合った一冊かもしれない。 |
No.1193 | 7点 | 日本アパッチ族 小松左京 |
(2021/06/05 04:50登録) (ネタバレなし) (いまで言う並行世界の)戦後日本。そこは、失業して再就職が不順な人間は社会体制に楯突く「失業罪」にあたるとする、改憲がなされた世界だった。「私」こと、同罪に問われて大阪の閉鎖区画「追放地」に追われた青年・木田福一は、何もない同地で餓死か死を賭して脱走するかの二択を迫られていた。その結果、相棒の同じ受刑者・山田捻(ひねる)を惨殺されて絶望した木田だが、彼は奇妙な一団に救われる。彼らこそは、廃墟の廃鉄スクラップを食して肉体を鋼のごとき超人に変える鉄食い人種「アパッチ族」だった。内なる資質に目覚め、自らもアパッチに転化した木田は、仲間とともに現在の日本の状況を変えてゆく。 小松左京の長編デビュー作。亡き父の蔵書だったカッパノベルスの初版がまだ家にあったので、これをついに読む(というか、実は数十年前から、父の蔵書の中から自分の書庫の方に移動しておいたのだが)。 ディストピア調の世界観を導入部に開幕し、いつのまにか戦後の日本に誕生していた鉄人ミュータントの存在が、日本の文明そして政治や経済を大きく変革してゆく様を克明に語る。 当時のそして将来の現実の日本の世相を展望しながら、文明批判や風刺などが旺盛なのは当然。時に生々しいほどリアルに、時に地口なども交えたギャグやジョークもふんだんに、アパッチが日本国内に広範化して、同時に公認されてゆくプロセスが積み重ねられてゆくが、ドラマの根本の部分は「差別」「階級差」「人間としての実存」など、おそろしくオーソドックスな主題のものだ。 作中の「アパッチ族」の原型は、実際の関西地区にいた廃品回収業者の人たちが「アパッチ」との「蔑称」を受けていたことに由来。この物語の中でもその前提は遠景にあり、超人的な鉄食いミュータントとして覚醒するのは、主にそういう社会的な弱者、という視線がある。やがて人類の種の変革の流れで多数の新たなアパッチ族が日本中に新生するが、その中には人間を捨てることに葛藤するものもいれば、新人類に転生することに希望を見る者もいる。21世紀の弱体化しつつある日本だからこそ、普遍的に心に響く主題であろう。 見せ場は笑えるシーンも緊張の局面もそれぞれ多いが、全編にある種のペーソスが漂い、アパッチ族との相対化で人間のバイタリティも下らなさも同時に照らし出される。 さすがに視点が古くなってる……かと思いきや、根幹の幹部は予想以上に現代にも通じる内容で、初期から押さえる要所をきちんと押さえまくっていた作者の実力に感服。 (とかなんとかエラソーなことを言うが、気がついたらマトモに小松左京の長編をきちんと読むのは、これが初めてであった~笑・汗~。) この元版のカッパノベルスが刊行された同年の1964年にさっそく東宝で映画化企画が動き、クレイジーキャッツの主演と岡本喜八が監督の予定でシナリオも書かれていたようだが、もちろん幻に終わった。 高橋泰邦の『軍艦泥棒』ともども、完成された岡本映画作品として、観たかったねえ。 |
No.1192 | 6点 | 第六の容疑者 南條範夫 |
(2021/06/04 11:09登録) (ネタバレなし) その年の初め。中堅企業、田無製作所の経理課長で34歳の高山啓三は、昔の情人・満子と再会する。現社長・純一郎の実弟で、美貌の妻・千恵子と生まれたばかりの娘・昌代とともに幸福な生活を送っていた啓三は、満子から実は自分の子供がいると脅迫されて、やむなくかなりの金を払うことになった。さらに田無製作所の周辺では啓三に直接、関わる者やそうでないものを含めて複数の悪事や秘め事がひそかに横行するが、そんな彼らを食い物に恐喝を働くのは興信所の悪徳調査員・工藤晋一だった。だがその工藤が何者かに殺害され、T新聞の記者・石岡晴行は事件の謎を追うが。 元版は1960年に文藝春秋社から刊行。のちに1980年に徳間文庫に収録。これ以外に別版もあるかも知れない(徳間文庫版はAmazonに掲示されているが、なぜか現状では、本サイトにデータをリンク~表示できない)。 今回はその徳間文庫版で読了。 サスペンス色の強いフーダニットパズラーで、国内に複数の支社を持つ中堅企業を舞台にした群像劇の趣もある長編作品。 紙幅は文庫版で約280ページとそんなに長くないが、名前のある登場人物だけで50人近くが登場。事件の渦中にある主要キャラクターは11~12人ほどだと思うが、血縁・親族関係があったり、男女の関係だったり錯綜しているので、できるなら人物名リストと相関図を作りながら読み進めることをお勧めする(個人的には、そうやって関係性を整理してゆくのがなかなか楽しかった)。 ちなみに評者は『名探偵コナン』は、ほぼ全く読んでないしアニメも観ていないけれど、悪役で被害者の名前に笑う(漢字表記はちょっと違うが)。 昭和色の濃い埃っぽさを感じる作品だが、一方で海外ミステリの諸作を愛読する作者らしく、どこか英国の風俗要素の強いノンシリーズもののパズラーみたいな雰囲気も見受けられる内容。前述のとおりに登場人物の頭数は多いが、その割に適度に書き分けはされており、そんなところも英国のカントリーハウスに多数の親類や知人一同が集うようなタイプのミステリみたいな味わいもなくもない。 目次を見るとある程度、先行きの流れが覗けるような気もするが、同時にページ配分的に、その見出しをあらかじめ目にした読者が軽く違和感を抱くようなところもあり、これが作者の狙いだとしたらちょっとニクイ。 終盤に語られる殺人者の名前はなかなか意外で、読み手のスキをつくようなサプライズの設け方も垢抜けた印象がある。丹念に張った伏線を回収してゆくようなタイプのものではなく、(中略)という道筋で真相に至るのはちょっと惜しいが。 読後にwebなどを見ると、隠れた昭和パズラーの収穫みたいに語っているミステリファンもいるようで、そんなに大騒ぎするほどの優秀作品ということもないが、良い意味で佳作にはなっているとは思う。 |
No.1191 | 7点 | シンデレラの罠 セバスチアン・ジャプリゾ |
(2021/06/03 04:05登録) (ネタバレなし) 今日(もう昨日だが)は、予定分の仕事が早めにまとまったので、少し時間ができた。じゃあ何か腹応えのある作品を読もうと思って「マダコンナモノモヨンデイマセンデシタナ」系のこれを手にした。 数十年前に新刊で買った旧訳も、しばらく前にたぶん古本で買った新訳も家にあるが、今回は後者で読む。新訳版の方が、すぐ脇にあったし。 売りの「一人四役」については、昔どっかのミステリ雑誌でオタク系ミステリ作家(栗本薫とか都筑道夫とかああいうタイプの作家だったと思う~具体的に誰だったかは失念)の対談記事があり、そのなかで本作に言及。そこで「こういう趣向をやるんなら記憶喪失という設定を用いるのは安易だと思う(それなら、どの立場にも繋げやすいから)」という主旨の発言を読み、これがずっと印象に残っていた。 ああ、実作を読むとその辺が改めて、よ~くわかる。おかげで前半はちっとも盛り上がらない。 ちなみに本作は1962年の作品。 これは絶対に(?)、重度の火傷で入れ替わった(?)ヒロインというメインモチーフの踏襲として、同じフランスの作家、アルレーの前年の作品『黄金の檻』への返歌だと思う。 前作『寝台車の殺人者』(同じ62年作品)で推理作家として再デビューし、それ以前に若手文学作家としての実績もあるジャプリゾが、すでに1953年から活躍していたアルレーの諸作が視界に入っていないとは考えにくい。 まあこう書いても『黄金の檻』も『シンデレラの罠』も文芸設定のみ似通うところはあっても、ミステリとしてはまったくの別ものなのでネタバレには当たらない。ご安心を。 (なお、これはまったくの私事ながら、ついこないだ『黄金の檻』を読んだばかりで、今回、本作を手にしたというのは単なる偶然だ・笑。) それでまあ、なにを言いたいのかというと、こちらの勝手な観測どおりに、あえてジャプリゾが(ミステリ作家としての)先輩アルレーの近作と同じモチーフの作品を、不敵にも自覚的にぶつけてきたといえるのなら、そこには正に「俺ならこうする」という本気の勝算が読み取れるハズである。 そして個人的には、確かにそんな送り手の気迫を実感。 後半の二転三転の展開は、自分はこのネタならこういうものをやりたいんだ、という意気込みを感じた。演出が弱くてこなれが悪かったり、時代の推移のなかで古びてしまった部分もあるが、十分に力作だとは思う。一人四役ネタなんかどうでもいいよ。 (中略)ははたして(中略)なのか、その(中略)に絞り込まれてゆく物語の強烈なベクトル感こそがこの作品の真価で醍醐味。 ところで新訳版の巻末の訳者・平岡氏の作品解題はとても丁寧で圧巻なれど、ラストが(中略)というのだけは、コレは担当訳者の引き倒し、でしょうね。 別に「(中略)ストーリー」じゃなくってもいいじゃん。「(中略)ストーリー」「だから」作品がコーキューになるって訳でもないしな。なんでまあ初期HM文庫版・某カー作品の解説といい、評論家ってのは「(中略)ストーリー」だと騒ぎたてたがるのか。正直、よくワカラン。 個人的には最後の決着は、本サイトでminiさんがレビュー(ネタバレ以降)でおっしゃった受け取り方でまったくいいと思うよ。これをさらにややこしく考えるのは、ただの牽強附会ってモンでしょう。 評点は、時代が変わって新鮮度は落ちてしまってはいるんだけど、新古典時代の力作として愛せる一編ということで、この点数。 |
No.1190 | 7点 | 裏表忠臣蔵 小林信彦 |
(2021/06/02 05:38登録) (ネタバレなし) 小林信彦の小説作品といえば「オヨヨ」「唐獅子」「神野推理」の3シリーズ、さらには『ドジリーヌ姫』あと『紳士同盟』のみ読破という軟派きわまりない評者(エッセイや書評の類はそれなりに読んでる)だが、いつの間にか古書で購入してあった蔵書(元版のハードカバー)が先日、家の中から見つかったので、このたび読んでみる。 初出は「新潮」1988年9月号。作品の体裁は、1964年に放映のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』の美談ドラマに胡散臭さを感じた作者が、資料を読み込んで語り直した史劇である。 赤穂浪士討ち入りという史実をドキュメントフィクションドラマにした実質的な開祖といえる『仮名手本忠臣蔵』。それを起源にあまたのフィクションで時代を超えて築かれた<赤穂浪士=悲劇の英雄>像に疑義を唱える長編作品だが、作者は恣意的に史実上の人物をお笑いキャラに貶めることもなく、それぞれ<そういう見識>での認識も可能な人間像として捉え直してゆく。 大した主体ももたず状況に流される大石内蔵助、発作的な凶行に及んだ浅野内匠頭、忠義の念よりも「二度も仇討ちの主力となったという勇名」を高めて、今後の再士官を潤滑にしたいとあくまで打算を考える堀部安兵衛……などなどの肖像は、おのおの、あくまで「そうだったかもしれない」人物として語られ、そこにはそれぞれ異様なまでのリアリティがある。うん、これは忠臣蔵版『(裏)時の娘』だね。 (ただし作中の探偵役が既存の資料の解析から、それぞれの人物像を再検証するというミステリらしい手法ではなく、あくまで小説として「そうであったかもしれない」「それらしい」キャラクターを語っているのだが。) とはいえ21世紀の現在では、この手の「実は……」的な裏読み読解本はコンビニでワンコインで買える書籍で出まくっているので、たぶん、本作の元版が刊行された30年以上前ほどのインパクトは、自分などは得られなかったのも事実(汗)。 いや、おそらく本書は、凡百のその手の即席乱造本(?)なんかとは比べものにならない仕込みと精度で書かれているのだろうとは思うのだけれど、基本的にそんなに歴史に強くないこちらとしては、作中の情報や歴史トリヴィアなんかも黙ってうなずくのみで、そのクォリティの如何についての賞味ができないのだよな。たぶんこの本は四十七士の名前くらいスラスラと完全暗唱できるくらいの人の方が、もっとずっと楽しめるような気がする。 まあそれでもおおむねワクワクし、時に重い気分になりながら、とても勉強になる(?)楽しい一冊ではあったが。 (作者の分身として登場する和菓子屋の息子も、一種の自己言及キャラとして作品に厚みを加えている。) しかしニヒリズムに満ちた歴史観、人間観を、持ち前の小林信彦らしい毒のあるコミカルさで彩ろうとしている気配は感じるんだけど、力がこもったせいか、結局はどちらにも振り切れてないんじゃない? と思わせるパートもいくつか。その辺の微妙なバランスにシンクロできた人ならさらに楽しめるだろうね。 いや、妙に戯作化したり、カリカチュアライズしたりしてはいけない、その手前ギリギリにおさめたい、という作者の判断の結果が、もしかしたらコレ(完成した作品)なのかもしれないんだけれど。 |
No.1189 | 6点 | トロイの木馬 ハモンド・イネス |
(2021/06/01 20:09登録) (ネタバレなし) 1939年のロンドン。「私」こと、42歳の独身の刑事弁護士アンドリュー(アンディ)・キルマーチンは、ドイツから亡命してきたユダヤ系の技術者ポール・セヴァリーン(フランツ・シュミット)から接触を受ける。シュミットは義兄で恩人の英国人エヴァン・ルーエリン殺害の嫌疑を受けて逃亡中の身だが、それはシュミットが開発したさる技術に目をつけた、英国に潜むナチス工作員による冤罪だった。シュミットから真実に至る手がかりを託されたアンドリューは、親類かつ年下の親友デイヴィッド・シール、そしてシュミットの美しい娘フレイアとともに、ひそかに進行するナチスの陰謀に介入してゆく。 1940年の英国作品。作者イネスの第6長編。 純粋な英国人の要人を抱き込んで英国国内で暗躍するナチス工作員という明確な悪役が登場。 イネス自身が戦後に著した自然派冒険小説の諸作とは大きく異なる作風だし、このひとつ前の『海底のUボート基地』でも、もうちょっと大自然のロケーションを活かした筋立てだったぞと、結構な違和感を覚える内容。 そういう意味ではイネス作品を読んでいる感じが、やや~かなり希薄だったのだが、お話そのものは、敵に捕まった主人公アンドリューの中盤の脱出劇など、いかにもイネスらしい重厚な書き込みでフツーに楽しめる。なんかバグリィかマクリーン、キャリスンみたいな感じでもあったが。 クライマックスの洋上の活劇図もかなり派手で、もしも該当部だけ抜き出されて読まされていたら、絶対にイネスの作品とはわからないだろう。まあそんな感じ。 サブキャラクター、ルーエリンの文芸設定(実は……)があまり生きなかったり、フレイアをめぐるアンドリューとデイヴィッドの三角関係が……(以下略)とか、ツメの甘さや計算違いを感じさせる部分もないではないが、これはまあ、初期作品ならではのものか。作家デビューは早かった(活躍期間も長かった)イネスだが、これをとにもかくにも27歳の若さで書いているという事実には驚かされる。 ところで本作の執筆~刊行された時期の英国は、恣意的にナチス・ドイツに対して宥和政策をとっており、前作『海底のUボート基地』などでは「ドイツ軍人でもマトモな連中はいるのだ」という一種の忖度が窺えたのだが、本作ではおおむねナチス=悪の原理で書かれていて、わずかな期間の間での情勢の推移が見えるような気がしないでもない。 しかし戦後のイネスって、第二次世界大戦をリアルタイムで舞台にした作品ってあんまりないように思うのだけれど。これってやっぱり、当時を振り返って、何か感じるものがあったのであろうか。 トータルとしてはフツーに面白い。前述の脱出劇のくだりなど、ちょっとガーヴのよくできたものあたりを想起させるテンションの高さでもある。ただしやっぱりこれって、ぼくらの知ってるイネスのスタンダードじゃないよね、ということで、ちょっと評点は辛めに。 |
No.1188 | 8点 | 水の墓碑銘 パトリシア・ハイスミス |
(2021/05/30 17:40登録) (ネタバレなし) 1950年代のニューイングランド。祖父の代からの財産を受け継ぎ、遊民的な生活を送る36歳のヴィクター・ヴァン・アレンは、道楽の延長でマイナーな作家や趣味的な企画の書籍を製作する印刷会社を経営していた。そんなヴィクターには美人の妻メリンダと愛娘のベアトリス(トリクシー)がいたが、当初は恋愛結婚だった夫婦の間にはいつしかひずみが発生。メリンダは半ば公然と愛人を夫に見せつけるようになっていた。憤怒の念を覚えながらも、自制できる理性的な夫というキャラクターを自己演出し続けるヴィクター。だがメリンダが新たな愛人をヴィクターの視界に引き込んだときに……。 1957年のアメリカ作品。ハイスミスの第五長編。 リプレー(リプリー)のデビュー作『太陽がいっぱい』の次に書かれた作品であり、それだけに結末もどのような方向に行くかわからない。いつものようにゾクゾクしながら読む。 主人公ヴィクターは浮気妻に愛憎の念を抱き、しかし社交上の対面もふまえて「みじめな負け犬のコキュ」の立場を甘受することをよしとしない。それ自体はまあ、ご当人の勝手だし、オトコの心情として理解できないこともないのだが、彼はそうやって設けた自分の仮面を最後まで……(以下略)。 読後にAmazonのレビューなどを拝見するに、主人公の気持ちがよくわからない、という声もあるようだが、とんでもない。人間、いかに自分を持ち前のモラルで律していても、誰の目にも見られていない、ここがチャンス、という機会がたまたま回ってくれば……(以下略)。 これはそういう、大方の人間の誰の内側にも潜む、普遍的な心の動き、それを共通言語として作者と読者が低い声でひそひそささやきあうかなり隠微な小説である。 さすがハイスミス、着想も小説の仕上がりも一級だ。 中盤からの展開はこれ以上のネタバレを警戒して触れないが、「人の心は(中略)」という主題は、作劇上での巧妙なリフレインをもってスリリングなストーリーに具現。主人公ヴィクターと読者との強烈な一体感を維持したまま、クライマックスに突き進んでいく。ラストのふりきった決着と、そこから生じる余韻もまた鮮烈。 ずっと読んでいけば、どっかでいつか凡作や失敗作にも出会うのだろうが、今のところはおそろしく打率が高いハイスミスの諸作。 また近いうちにどんどん読んでいきましょう。 実のところ<面白さを約束された実力派作家の作品>って、いまいち心のトキメキもワクワク感もなくて(面白いものを当たり前に面白く読んでもツマラナイよね?)、食指が動かないところがあるんだけれど、しかしハイスミスの場合は、こちら読む側が各作品とつきあう際に、多かれ少なかれイヤ~ンな気分になるという対価を払っているせいか、一冊一冊が新鮮な気分で楽しめる。これは案外、大事なことかもしれない。 |
No.1187 | 7点 | 落陽曠野に燃ゆ 伴野朗 |
(2021/05/28 07:02登録) (ネタバレなし) 昭和6年の満州。現在31歳の賀屋(かや)達馬は、さる事情から3年前に関東軍を追われ、日本に帰国していた元大尉だった。だがそんな賀屋を石原莞爾が内地から呼び戻し、財政的に困窮する関東軍のために、その持ち前の実行力と才気で軍費を稼ぐように協力を求める。恩人である石原の要請に、なんとか応えようとする賀屋。しかし激動する時代と現地の複雑な情勢は、そんな賀屋の前で風雲、急を告げようとしていた。 やがて大戦の時代に向かう満州を舞台に、関東軍にどのような資金調達が行われていたかを主題にした歴史もので、史実の裏面を語る冒険小説だが、物語のスパンがかなり長い。後半の展開のネタバレになるのでここでは詳しくは語らないが、まあ読んでいけば、どういう流れでどういう時局に着地するかは、大方すぐ見えてくる? とは思う。 ちなみに元版のカドカワノベルズ版で読んだが、表紙周りには「書き下し大河歴史冒険小説」と銘打ってあり、うん、おおむね納得。 (ところでこのカドカワノベルズ版、いきなり表紙折り返しのあらすじ部分で主人公の名前を「加屋」とか間違えており、これはいけない。) 主人公の賀屋は当初こそ資金調達がそれなりにうまくいっていたものの、関東軍のためというか、世界情勢の中で逆境に向かう祖国のために、次第にあえてダーティな手段をとらざるをえなくなる(別の事情もからむが)。 だが賀屋自身が足踏みしていたら物語が進まないし、歴史が動かないので、本来なら賀屋が抱える葛藤(良心ゆえの苦しみ)を賀屋当人ではなく、副主人公に近いポジションの若手満鉄社員・間宮精一郎が引き取るあたりとか、それぞれの人物がおのおのの役割をこなす群像ドラマらしい、正しい作りをしている。 一方で途中の小規模なサプライズ(ミステリ味)の見せ方などは、ほかの先行する伴野作品とおんなじ手癖で綴っているところもあって、そのあたりはちょっとファン目線で引っかかった。まあ自然にやっちゃったんだろうね? 関東軍のセクト争い(みたいなもの)、共産党、暗黒街組織などの組織の入り乱れが、そのまま多数の劇中人物の錯綜につながってゆく。 結果としてドラマというかお話としては、これでよいのだと納得できるキャラ同士の相関もあれば、かなり強引だなあと思わざるを得ない箇所もあって、その辺は玉石混淆。 それでも物語にはほぼ全域、エネルギッシュさを感じるので、あっという間に読める。本文そのものは二段組で250ページもないから紙幅は少なめなのだが、作中での時間の経過を考えると、よく、ほぼ3時間ちょっとで読了したなと、我ながら軽く驚いた。 前述のようにキャラの関係性で力づくなとこがあり、それゆえラストもなんか無理に「さあここで(中略)!」と言われてるみたいなところもなきにしもあらずなんだけれど、それでもまあね、こういう作品はこれでいいや、という気分。 久々に伴野長編作品を読んで、予期していたものの7~8割くらい……? は得られた感触はあるので、評点はこれくらいに。 作者のマイベスト作品、その上位に入るかはやや微妙だけど、伴野作品はクロージングの余韻で評価を稼ぐと思うので、そういう意味では期待に応えているし。 |
No.1186 | 5点 | 泣き声は聞こえない シーリア・フレムリン |
(2021/05/27 15:31登録) (ネタバレなし) その年の5月。15歳の女子ミランダ・フィールドは憧れの先輩トレバ-・マークスに処女を捧げて、そのまま妊娠した。意気軒昂としてそのままシングルマザーになるつもりでいたミランダだが、彼女は両親の手配で、半ば強引に堕胎させられる。学友たちに対して面子を潰されて怒ったミランダは家出し、訳ありの若者が集うコミューン「スクワット」の一員となるが……。 1980年の英国作品。 フレムリンの作品は『夜明け前の時』の元版(当時の創元の翻訳ミステリには珍しい、ハードカバー仕様だった)を大昔に古書で購入。そちらから読みたい気もしたが、例によって本が見つからない(汗・涙)。 こっち(『泣き声』)も21世紀の初めか前世紀の終わりに、200円の古本で買っていた。 現状、公私ともにちょっと忙しいので、短め&文字の級数も大きめ作品をというつもりで、深夜から読み始め、数時間で読了。 前半はやや屈折した平凡な少女の普通の青春小説みたいな流れで、これがどこでどうミステリに転調するのか、やはり……かな、と思っていたら、中盤で案の定の展開になる。 さらに終盤の(中略)もまた、大枠ではこちらの読みどおり。 だが一方で、その上で斜め上に(ナナメ下かも)ぶっとんでいて、軽く驚かされた。 とはいえこれって、いろんな意味でかなり強引では、という感じ。もしかしたら、こちらが何か伏線やら布石やらを見落としていたのかもしれないが。 わたしゃてっきり……(攻略)。 全体に作品の仕上げが荒っぽい印象もなくもないが、嫌いなタイプの作風ではない。ほかの邦訳分もいずれ機会を見ながら、手にしてみたい。 |
No.1185 | 6点 | 幻の島 笹沢左保 |
(2021/05/26 18:14登録) (ネタバレなし) 昭和39年。東京の遥か南方の孤島、瓜島。そこで島の若い恋人たちが惨殺されるという事件が起きた。さらに東京の本庁からベテラン刑事が捜査に向かうが、その刑事もまた射殺死体で見つかる。瓜島は交通事情がよくない島で、逆に言えば余人の目を盗んで島を出たり入ったりするのはかなり困難であった。3人を殺した真犯人はまだ島にいる? と考えた警視庁は、厳密な人選の上で神奈川県警の35歳の警部補・保瀬敏(ほせ びん)を秘密捜査官として瓜島に派遣するが。 1965年の書き下ろし長編。 広義の密室空間といえる孤島を舞台に起きた殺人事件だが、実際の物語の興味は、いったいどういう事件が起きて(ホワットダニット)、それがどういう動機で殺人に結びついたのが(ホワイダニット)が主眼となる。もちろん真犯人は終盤まで明かされないので、フーダニットともいえるが、まあちょっと純粋な犯人当てとは言い難い面も……(あまり詳しくは言えないが)。 古参刑事を出張先で殺されて、メンツがかかった警視庁の思惑で瓜島に派遣される秘密刑事・保瀬が本作の主役だが、彼は設定の面でも描写の面でもかなりクセのあるキャラクターとして造形されている。神奈川県警の上司などに「感情がない」と評されながら、一方で表向きは捜査や表層の人間関係を円滑にするために自分を演出できるしたたかさもある。 途中で島で出会った某登場人物に告げる酷薄な物言いなども含めて、まさに笹沢流のハードボイルド探偵(刑事)であり、この作品はミステリ要素にくわえて、そういったこわもてな感覚も賞味部分となっている。 資源もそうない、しかし歴史だけはある、貧しい島の将来を巡る開発の行方もまた本作のテーマで、保守派と革新派の対立などもしっかり語られるが、それがミステリのなかでどのように機能するかはとりあえずは内緒。まあうまく和えてある、とは思う。 惜しいのは終盤の謎解きが、ほとんど保瀬の仮説の組み立てと、それをあとから親切に補強するような犯人側の行動で済まされてしまうこと。なんか言いたいことだけ言って説明してしまうとする、主人公と作者双方の力技にはぐらかされたような気がする。 最後の2行は、本当はもうちょっとさらにキャラを立てたかった保瀬について、作者が食い下がった感じ。マジメというか不器用というか、個人的には、ちょっと微笑ましく思えた。 |
No.1184 | 8点 | 黄金の檻 カトリーヌ・アルレー |
(2021/05/24 05:31登録) (ネタバレなし) パリ。医学生崩れでナイトクラブのサックスフォン吹き、30歳の美青年リヨネル・モレルは、22歳の美しいアメリカ娘エヴァ・ダグラスから好意を寄せられ、恋人関係になる。実はエヴァは、アメリカの石油王で大統領候補者トマス・ルイス=メイランドの令嬢だった。リヨネルはエヴァを本気で愛する一方で、富豪の娘婿となる打算も抱きながら彼女と結婚。だが結婚直後の旅行中、ひと気のない海岸で、モーターボートの暴走に巻き込まれたエヴァは事故死。ボートを操縦していた若い娘が大やけどで重傷を負った。リヨネルは事故を起こした加害者の、そして大やけどで顔の見分けがつかなくなった女性を生きているエヴァに偽装し、アメリカの妻の実家に向かうが。 1961年のフランス作品。 不測の事態を経ての妻(ヒロイン)の入れ替わりという、ちょっとアイリッシュの『死者との結婚』を思わせる序章。リヨネルと大やけどを負った娘シュザーヌ・バランティエがアメリカに渡ってから、物語が本格的に動き出す。そこで、ある意味で本作のもう一人の主人公といえるキーパーソンが登場。 旧作だから、このドラマティックな趣向の設定だけに寄り掛かった作品だろう? とか軽く甘く見ていたら、お話は半ばから二転三転。コアとなる主要キャラクターはとんがった人物描写も、強烈な印象を与える。 後半~ラストのまとめ方も鮮やかなストーリーテリングと、作者の意地悪かつ冷めた、でもどこかしたたかでしぶとい人間観が渾然一体となり、実に味わい深い作品であった。 最後の主張は、ちょっと中二病っぽい感じもしないでもないが、それでも十二分に力強い。いや残酷だとか切ないとか言ってもいいけれど、これはアルレーが語り紡いだダークでビターな(中略)ロマン。堪能しました。 『わらの女』はフツーに秀作~優秀作と思う評者だけど、これはそれとは別の意味で、これまで読んだアルレーの中で一番スキかもしれない。 シムノン+クリスチアナ・ブランド(の意地悪部分)+ハイスミス÷3かなあ。 引用したい名セリフは4~5くらいあったよ。大体がその、前述したキーパーソンのものだけど。 |
No.1183 | 6点 | 凶悪 ビル・プロンジーニ |
(2021/05/22 16:53登録) (ネタバレなし) 1990年代半ばのサン・フランシスコ。60歳代を目前に控えた私立探偵の「わたし」は長年の恋人ケリーとついに結婚。仕事もまあ順調で、さすがに時代に合わせて、パソコンの扱いに長けた若い助手の雇用を考えていた。それと前後して、23歳の娘メアリー・アン・オルドリッチが、死別した両親が実は養父母だとわかったので、本当の親を探してほしいと依頼にきた。場合によっては、メアリー当人のことを考えて、あまりつらい情報は秘匿したいと思いながら「わたし」は調査を進めるが。 1995年のアメリカ作品。「名無しの探偵」オプ・シリーズの第23弾。 Wikipediaを見ると2011年までに40冊近い冊数を重ねた「名無しの探偵」オプ・シリーズだが、日本では中盤から翻訳刊行がそぞろになる。この作品『凶悪』は、初めて講談社から、当時10年ぶりにシリーズが翻訳された。 ちなみにこの前のシリーズの第18~22弾はまだ未訳。本書のあとに2つとばしてシリーズ第26弾の『幻影』がやはり講談社文庫から出ている。現状ではシリーズの紹介はそれで打ち止め。 本作も、謎解きの興味はほとんどない私立探偵の捜査小説。評者はもともとこのシリーズはミステリとしてはそんなに買ってないし、メンタル的な意味での「ハードボイルド」としては失笑ものなのだが、等身大の青臭い中年男オプのキャラにそれなりの魅力は感じるので、タマに読みたくなる。 というわけで、これは数か月前にブックオフの100円棚で購入した一冊。訳者の木村二郎さんの解説を読むと、もはやシリーズ紹介の順番もバラバラみたい。ということで、探偵の事件簿の流れも気にしないで気楽に読んだ。 物語の方向がどういう方向に行くかは、いろんな意味で早期からバレバレ。ただし小説としてはこのシリーズの70~80年代の諸作より、さすがに練度を高めた感じがあり、サクサク読める(まあもともとこのシリーズは翻訳家に恵まれたこともあり、よかれあしかれ、リーダビリティは高かったが)。 とはいえなんか手放しで褒められないのは、シンプルさに居直ったような作劇はスペンサーものを、人間の病巣めいたものへの接近はスカダーものを、それぞれ横目にそれを取り込んだような、当時の人気同時代作家たちの真似事で作品を仕上げたっぽい、作者の頼りなさを感じるからで。 さらに犯人というか悪役の文芸設定も、ある種のリアリティを感じるというか、それとも、いや、これってまずありえないだろ、と思うか、その紙一重。 終盤のテンションの高さはなかなかいいんだけれど、これもどっかで見たような読んだような、なんだよな。 単純に一冊の読み物ミステリとして賞味するなら、それなり。 もちろんこれまで評者が読んできたオプ・シリーズのなかでは、上位の方です。 |
No.1182 | 5点 | ハニーよ銃をとれ G・G・フィックリング |
(2021/05/20 06:26登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと28歳の女私立探偵ハニー・ウェストは、引退した映画監督で50代初めのロート・コリヤーの依頼を受けて、彼の屋敷があるカリフォルニアの沿岸シャーク・ビーチに来た。ロートの依頼の内容は、接吻で女性を窒息死させる殺人者が同地で凶行を重ねており、ロートの若い後妻ヘレナと娘のフォーンが狙われている予兆があるので護衛して欲しいというものだった。ハニーは、知人や友人を集めてパーティを開催しているコリヤー家に赴くが、彼女が着いて間もなく、意外な場所から死体が発見された。 1958年のアメリカ作品。ハニー・ウェストシリーズ第二弾で、邦訳では一冊目。 評者はこれでシリーズ3冊目(『貸します』『連続殺人』を以前に読了)だが、残念ながらコレは、その3作のなかで一番オチる。 簡単に言えば、意外性のために作者が用意した大技が ・丁寧な伏線の張りすぎで、見え見え ・この時代のミステリとしては確かに読者を驚かせるような ネタを仕込んであるのだが、悲しいかな、もうそれで 驚愕させるには、現代ではすでに賞味期限切れ ・似たような後続の諸作もかなり多そうで、 その意味でも新鮮味が薄い ……などなどで、ほとんど、サプライズとして機能しなくなってるからだ。 正直、本作の半分も行かないうちに、読者の大半が大ネタと犯人に気づくだろ、と観測する。 さらに本作については、もしかしたら、あの<本書と同時代の、欧米の某・有名作品>のアイデアのパクリか? とも疑った(だって……)。 が、再確認してみると実は意外にも、本作『ハニーよ銃をとれ』の方が、くだんの「該当作」よりも原書の刊行が早かった。 いや、となるとコレは、のちのちに、あまた出てくる<その手の作品>の先駆といえる作品? かもしれない。そうなると、ちょっと評価は上がるかな。前述のとおり、伏線の類は豊富で丁寧ではあるし。リアルタイムでは、けっこう読者を驚かせたりした一冊だったかもしれない。 ただまあ、そういう歴史的価値の意義がある可能性は認めるにしろ、今となっては「とにかくわかっちゃう」のが、惜しいかな悔しいかな、本作の弱点。 一方で見え見えなのを承知で読んでいる間は、それなりに見せ場も起伏も多いサービスぶりで、そこそこは楽しめたりもする。 メンタル的にハニーが、自分から何かの事情でこの事件に深入りしている訳でもなく、その意味ではあんまり「ハードボイルド」らしからぬハニーの事件簿、そのひとつという感じの内容。 ただしハニーは、探偵として自分の力が及ばなかったとある状況について、ちゃんと依頼人のロートに謝罪している。その辺はプライベート・アイのプロの矜持として評価できるし、好感を抱くけどね。 とにかくハニーシリーズはこれまで読んだ3冊とも、21世紀にそのまま楽しめるかどうかは一律には言えないにせよ、ミステリ的なサプライズと伏線などには相応の重きを置いているので、中にはこういう結果的に古くなってしまったものもある、まあそれは仕方ないよね、という感じ。 シリーズの残りも、おいおい、このまま読んでいきましょう。 【投稿日同日14時・追記】 上でこのミステリのネタの先駆? と書いているが、すでに1950年代前半に、本作と同じアイデアを用いたアメリカの長編があるのを思い出した。そちらとは演出も見せ方も違うので、本作そのものがパクリというわけでは決してないが、少なくとも斬新な発想のネタではない。 そしてさらに視野を広げるなら、この2冊のさらに先駆で、先に登場していたバリエーションともいえる長編も「ホームズのライバル」時代のイギリス作品にあった。 そういう意味では本作品は、騒ぐほどのことでもなかった。 まあ本書は他の作品との比較などせず、これ一冊の評価で、あれこれものを言った方がいいかも? |
No.1181 | 5点 | 月蝕姫のキス 芦辺拓 |
(2021/05/19 05:19登録) (ネタバレなし) 探偵エラリー・クイーンを尊敬して、突き詰めた論理思考を得意とする「ぼく」こと、高校二年生の暮林一樹。彼は通学の最中に、不可思議な状況の殺人事件に遭遇した。やがて成り行きから事件に深入りし、さらなる惨劇にも立ち会う一樹。そんな彼の視界には、不審を抱く対象として、とある人物の存在が浮かび上がってきた。 序盤の屋外での殺人事件はぱっと見には平凡なれど、ちょっと状況を整理してゆくと不可思議な謎が浮かび上がる、という趣向。 これって都筑道夫がホックの短編パズラーを(本書と同じような謎の提示の仕方をしているという意味で)「モダーン・ディテクティブ」だと、ホメていたのを思い出した。 そんな序盤がなかなか蠱惑的だったので、これはジュブナイルなれど、ちょっとトリッキィな&小気味よくロジカルなパズラーを賞味させてくれるのかと期待した。が、残念ながら、途中からおとぎ話っぽい探偵ロマン劇の方向にいってしまった。 ただまあ、それはそれでまったく悪いというものでもなく、たとえば評者が大昔の少年時代に、晶文社版のハードカバーで小林信彦の『オヨヨ島の冒険』を読んだ際のワクワク感を21世紀のヤングアダルト作品に再生させるなら、こうなるだろうな、という感じ。ああ、そういえば朝日ソノラマのサンヤングとかあっちの系列の作品みたいな、昭和レトロ感も漂う。 もしかしたら芦辺センセの<ミステリジャンルへのオマージュもの>のなかでは、結構上位クラスにスキかもしれない。 おっさんがマジメに読むのはちょっと恥ずかしいところもあるが、親戚の小学校高学年くらいの、ふだんはあまり活字を読まず、しかしミステリに関心を持ちそうな雰囲気がある子供に勧めてみたいような一冊だ。、 ちなみにいかにも続編が書かれそうな内容だけれど、この作品はいまだ文庫にもならず、13年間、続きも書かれていないよね? まあ永遠のプロローグ編のままにしておくのも意味はあるとも思うけれど、主人公たちをもう一度、再会させてあげたい思いも湧かないでもない。 |
No.1180 | 5点 | 殺人鬼を追え 黒い追跡 ウェイド・ミラー |
(2021/05/18 15:42登録) (ネタバレなし) 1958年のナイロビ。凄腕のプロハンターで狩猟ガイドでもある中年の白人ジェイコブ・ファーロウは、下手なガイド客に便宜をはかって禁猟地域で狩猟をさせたため、年内いっぱい狩猟免許停止中の身だった。そこに年上の友人かつ狩猟仲間で、ファーロウの長年の顧客でもある大物実業家ウォルター・ステニスの使いが来訪。使者の要請に応じてファーロウはステニスの自宅があるオルバニーに向かう。だがそこでファーロウを待っていたのは、30代の跡取り息子スティ-ヴンを2週間前に武装強盗に殺害されて悲嘆にくれるステニスだった。ステニスはファーロウに、アメリカ各地を逃走中の青年ギャングで息子の仇であるマックレル(クレル)・ボコックを、自分のかわりにハンターとして射殺してほしいと依頼する。ファーロウは自分の流儀でやっていいならと、この依頼に応じるが。 1951年のアメリカ作品。 日本ではホイット・マスタスン名義の方が若干有名? な合作作家ウェイド・ミラー、そのミラー名義の長編の数少ない翻訳のひとつ。たしかこの本は、大昔にSRの会の例会での会員同士のオークションの場で安く入手した。数十年めに、はじめて中身を読む。 それで現在から数えて十数年前にその事実が初めて公表されたと思うが、実は本書は、訳者の三条美穗こと片岡義男が終盤部分のストーリーを翻訳の際に大きく改変、当人がこの方が原作より面白いと思った内容に、事実上の創作をしているらしい。 情報の出典に関しては、Twitterで「ミラー 殺人鬼を追え」とか検索すると、2010代の前半に「ミステリマガジン」や「ミステリーズ」などで話題になったのが分かる。ミステリーズの66号で評論家の川出正樹が本書をラインナップに入れた久保書店のQTブックスについて書き、この件について語っているようだ(評者はその号は買ったような気もするが、すぐに出てこない)。詳しいことはまたいずれ。詳細をご存じの方、教えてください。 評者などは、特に原作原理主義を謳わなくても、翻訳者(と編集者)が原書の内容を担当者の意向(独断)で改変するのはもちろん大反対で、ほとんど活字文化、広義の文学ジャンルの毀損ではないか! ぐらいにまで考えている(原書の内容を尊重した上での、日本語的な演出を適宜に織り込んだ翻訳なら了解するが)。 だから本書の秘めた逸話を21世紀になってから最初に知った時には、軽いショックであった。せっかくの数少ないミラー作品の翻訳のひとつなのに何をするのか、と。 (いやまあ、デュマの「あの名言」ぐらいは知ってますけどね。) とはいえ現状では、終盤(後半?)のどっからラストまでが片岡義男の創作翻訳かわからないので、黙って日本語の訳書を通読するしかなかったわけだが……むむむ、クヤシイかな、とにもかくにも出来上がったものは、なかなか面白い(苦笑)。 そもそもの前半からのストーリー(さすがにここは原作通りだろう?)は、自分のハンティングの流儀でファーロウが標的クレルとその一味を追撃。そのための準備段階として、獲物の野生動物の習性を探るように、ギャングたちの情報を集めてアメリカの各地を飛び回る彼の姿が描かれる。そのなかでクレルの家族(若い美人妻マーガレットふくむ)や、クレルが強奪した金品の横取りもしくはそこからの利益を狙う別の悪党などとファーロウが出会い、スリリングな展開が続いていく。 25歳の極道息子クレルがしでかした凶悪犯罪などどこ吹く風の態度をとる地方の名士ボコック家の奥方(クレルの老母)の描写など、どこかロス・マク風だ。 そういう訳でこれは原作の原書そのままラストまで訳しても普通以上に楽しめたのではないかなあ、という思いも湧くが、一方でとにもかくにも日本語の「翻訳」ミステリ『殺人鬼を追え』は、これはこれでマンハントもののスリラーノベルとしても、ハードボイルド作品としてもちゃんとポイントを押さえて着地している感慨を抱かされたので、ある意味で始末が悪い。 まさに夢想でムシのいい話だとは我ながら思うが、どなたか翻訳ができてこの手のハードボイルド、ノワールっぽい活劇スリラーに興味のある方、ブログか同人誌などで、その改変された部分だけオリジナルのままに日本語にしていただけませんかね(やっぱり、かなりズーズーしいが)。 評点は素直に読めば十分に7点。ただしやっぱりコレはやってはいけない実例だと思うので、マイナス2点。 【追記】 本サイトに掲示後に改めて気がついたが、やはり、いきなり前半から、翻訳の潤色がいっぱい? くさい。1951年の作品なのに、時代設定が1958年というのも違和感があるし。 (主人公が1938年のできごとを、ちょうど20年前、とその年の8月に回想してるので、1958年という設定はほぼ確実)。 やはり全体的に多かれ少なかれ、リライトしているのかしらね? |