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ミステリの祭典

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B・ガール

作家 フレドリック・ブラウン
出版日1961年07月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2021/06/27 15:56登録)
(ネタバレなし)
 1950年代のロサンジェルス。その年の夏。「おれ」ことシカゴの高校で教鞭をとる28歳の高校教師ハワード・ベリー(愛称「ハウイー」)は、夏休みを利用してLAに来ていた。ハウイーの目的は大学教授(講師)になるべく、改めて大学院に入学して修士課程をとるための準備の勉強と、そして生活費稼ぎのバイトをするためだ。そんなハウイーはシカゴに来るやいなや、通称「ビリー・ザ・キッド」こと26歳の美女ウィルヘルミナ・キドラーと、親しい男女の仲になっていた。ビリーの仕事は「B・ガール」、つまり酒場で客をとる娼婦だ。近所のレストランで皿洗いのバイトをしながら就学の準備を整えるハウイーは酒も適度に楽しみ、町には多くの飲み仲間もできていた。だがそんなある日、突然、ビリーがハウイーに向かい、とんでもないことを口にする。
 
 1955年のアメリカ作品。
 フレドリック・ブラウンのノン・シリーズで、邦訳は創元文庫にも入っていないため、この「世界名作推理小説大系」でしか読めない。
 小林信彦の「地獄の読書録」のなかで、一風変わった作品、具体的には「本来ならアマチュア探偵になるはずのポジションの主人公が、なにも推理も犯人さがしもしない怪作」という趣旨の物言いでわりと面白がっていたのがコレである。
(なんかそれだけ聞くと、都筑道夫の、デビュー時点での物部太郎みたいだ?)
 
 評者的には、まあ作者がフレドリック・ブラウンなので、そーゆーのもあるであろう、くらいに思っていたが、実際にその通りの作品。
 主人公ハウイーの周辺で序盤から殺人事件が起きるが、当人が特に容疑者にされたり、恣意的に事件に巻き込まれたりするわけでもない(警察との接触はちょっとある)のをいいことに、フツーの意味でのミステリの主人公みたいなことはほとんど何もしない。
 なんかやや薄口のデイモン・ラニアンの世界みたいな、のんべえや町の女たちの喧騒めいた日常生活がゆるゆると続いていく。
 それはそれで語り口としては面白いし、評者などはこういうものだろうとある程度の予想もついていたので、気楽に楽しんだが、人(ミステリファン)によっては軽く怒るかもしれない。
 もちろん1950年代のアメリカ大都会の裏町の気分は、満喫できるんだけれど。

 しかしよくこれを数あるブラウンのミステリ諸作の中から、代表作? 的なポジションで「世界名作推理小説大系」に入れたよ。いや、ある意味ではフレドリック・ブラウンという作家の側面をひとつ、よく表した一作ともいえないこともないか。

 物語はラストで急転直下、ミステリらしくなり、意外な犯人も判明。さらに(中略)。この荒馬に乗って田舎道を歩いていたと思えば、いきなりハイウェイに出るような感覚はまあなかなか面白い。
 
 クロージングに関しては、評者はフレドリック・ブラウンの都会派ミステリに、ときたまウールリッチにどこか似たような詩情やペーソス、あるいはちょっとだけいびつなユーモアを感じるようなことがあり、そういうところもスキなんだけれど、これは正にそんな感じ。どういう方向で決着するかは言わないけれど、余韻を感じながら読み終えられた。

 評点はむすかしいなあ。7点あげるとちょっとアレなので、とても好意的な意味でのこの点数ということで。
 
【余談1】
 本作の原題は「THE WENCH IS DEAD」で、田舎娘(または女中、娼婦)は死んだ、の意味だけれど、これはデクスターの『オックスフォード運河の殺人』のソレといっしょだな。そっちはまだ読んでない(買ってはある)が、なんか笑う。

【余談2】
 物語の後半、事件のなりゆきのなかで、諧謔を込めておのれをスーパーヒーローのなりそこない的に自虐したハウイーが上げる名前が順番に、スーパーマン、ディック・トレーシー、セイント(サイモン・テンプラー)、ペリー・メースン、ファントマ。この辺も楽しかった。

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